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土浦城の本丸と二の丸の一部が亀城公園(きじょうこうえん)として整備されています。このように園内には堀も残されています。芝生の広場もあり、ゲートボールを楽しむ人たちのもいました。江戸時代の頃の庭園の跡なのでしょうか、池もあり、噴水や四阿も整備されていました。また、この銅像は、明治から昭和期の実業家、政治家であった原脩次郎拓(→→→こちら)という方の銅像でした。この方は京都府の出身でしたが、妻の実家のある茨城県から衆議院議員に立候補し拓務大臣、鉄道大臣を務めた方だそうです。こちらの石碑らしいものは、土浦出身の劇作家、随筆家である高田保(→→→こちら)の句碑だそうです。作品は青空文庫にも収録されています(→→→こちら)写真では上手く撮影できませんでしたが、「あの花も この花もみな 春の風」という句が刻まれているそうです。こちらの石塔は、「忠魂」と刻まれているところを見ると戦没者の慰霊塔でしょう。こちらの建物は隣接して建てられている土浦市立博物館(→→→こちら)です。ちなみに、亀城公園へ自動車で行った場合は、この博物館の駐車場に止めると便利でした。人気ブログランキング北関東の旅、茨城県土浦市の土浦城址(亀城公園)(その2)
Mar 31, 2024
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2023年の「魅力度ランキング」最下位の茨城県にある土浦市にやって来ました。ちなみに茨城県は、民間調査会社「ブランド総合研究所」が、2009年にランキングの発表を始めてから、最下位となるのは12度目となるそうです。さて、土浦市ですが、江戸時代は土浦藩の城下町として栄え、近代になっては、南に隣接する稲敷郡阿見町に海軍の飛行場があったことから、海軍の町として栄え、戦後は、土浦駅西口(市中心部)に京成百貨店、丸井、西友、イトーヨーカドーなどの百貨店や大型店舗が立地するなど商都として発展を遂げていましたが、筑波研究学園都市の開発などでそれらの商業施設は、土浦駅前から相次いで撤退しています。それでも、茨城県南地域の行政の中心的な役割を担っている町ではあります。ということで土浦城址にやってきました。土浦城跡及び櫓門が茨城県指定史跡となっています。お堀も残っていて、本格的な城址の雰囲気ですね。土浦城は、霞ヶ浦近くの低地に位置し、水を何重にもめぐらせた平城であったため水に浮かぶ亀の甲羅のように見えたことから亀城(きじょう)とも呼ばれており、本丸と二の丸の一部を整備した公園は亀城公園として整備されています。そして、土浦城址の亀城公園は入場無料です。こちらが亀城公園内にあった土浦城の説明板です。本丸跡になります。こちらは東櫓といって、土浦城に残る遺構の一つとして復元整備されたものです。亀城公園に隣接する土浦市立博物館(→→→こちら)の別館ということで、中を見学するには入館料が必要となります。こちらも復元整備された西櫓です。東櫓も西櫓も、土塁の上に建っているのが特徴です。昭和24年(1949年)、キティ台風の被害を受けた西櫓は、昭和25年(1950年)に復元するという条件つきで解体されたました。そして、ようやく平成4年(1992年)に保管されていた部材を用いて復元されたそうです。こちらは太鼓櫓門、関東で唯一の現存する櫓門といわれています。二階には太鼓を置き、時を知らせたことから太鼓櫓門と呼ばれています。太鼓櫓門の前にあった「土浦城址」の石碑です。【つづく】人気ブログランキング北関東の旅、茨城県土浦市の土浦城址(亀城公園)(その1)
Mar 30, 2024
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富士そばの天ぷらそば(570円税込み)をいただきました。天ぷらといいながら掻き揚げなんですが、時間がない時にささっと食べるのには丁度いいです。人気ブログランキングへ孤独のグルメ 天ぷらそば
Mar 29, 2024
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目黒川沿いを歩いて駅からハイキングのゴールである五反田駅に向かいます。川岸に桜並木があり、花見の時期には多くの見物客で賑わのでしょうが、訪れた2月12日は花見客もいませんでした。川沿いに広場がありました。五反田ふれあい水広場(→→→こちら)です。親水広場と芝生広場があって、およそ1.8ヘクタールの広さがあるそうです。この近くにあった旅館山水荘(→→→こちら)。昭和にタイムスリップしたような和風の旅館。東京の真ん中にもこんな旅館が残っていたんですね。そして、山手線の線路の下を抜けると、東急池上線の五反田駅のホームの橋が見えてきました。どうして東急の五反田駅(→→→こちら)ってこんな高い所にあるんでしょうかね。色々な歴史的な経緯があるんでしょうね。そして五反田駅が見えてきました。ゴールの五反田駅に到着です。閑静な住宅街と商店街のある目黒から戸越、大崎そして五反田エリア。なかなか魅力的な街を散歩できた一日でした。(駅からハイキング、目黒駅から五反田駅で歩いたコース)【了】人気ブログランキング冬の散歩を楽しむ(その16) 目黒川と五反田ふれあい水辺広場
Mar 28, 2024
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昨日の投稿に対して、このようなコメントをいただきました。先週 戸越銀座のコメントですが私は電柱がある時に歩きました現在街灯の支柱が立ってるところに電柱があった電柱がない代わりに少しは歩きやすくなったでしょうねってそんな思いで書いてあるんですがその内容のお返事は無視ですか?コメント省くのにもほどほどに。MoMo太郎は一応頂いた全てのコメントに対して、自分のブログの中でのみ返事を書いており、それはコメント欄の下に表示されています(この方へも通り一遍ではありますが、返事も書いております)。またコメントを頂いた人のブログのコメント欄には投稿していません。他の人のコメント欄に自分へのコメントの返信を投稿することよりも、その方が投稿された記事への感想などをコメントすることを優先したいと思うからです。MoMo太郎は大喜利の名人でもないので、いただいた全てのコメントに面白い返事や気の利いた返事を書くこともできませんので、期待されるのもほどほどにご容赦願います。m(_ _;)m大崎駅にやってきました。明治34年(1901)に開業した駅で今年で123年目になります。山手線、湘南新宿ライン、埼京線、相鉄線直通列車など、多くの路線が乗り入れており、交通の要所といえる駅です。跨線橋を歩いて駅の東側に向かいます。大崎駅のホームが下に見えました。こちらは西口にある長距離バスのターミナルです。改札口です。駅の東口に出ました。大崎地区は当初は畑が広がる地域でしたが、明電舎などの電気機器メーカーが大崎工場を創設し、工業地域として発展してきました。そして、1980年代に東京都が指定した副都心として再開発され、大崎ニューシティやゲートシティ大崎などの施設が建設されて都内でも有数のビジネスエリアになってます。目黒川(→→→こちら)です。この辺りは河口に近くなっています。河口付近では湊が開かれ、品の行き交っていた川であったことから、地名「品川」と呼ばれるようなったという説もあるそうです。目黒川を越えたあたりにも多くの高層ビルが建設されていました。東京ってそんなにビルの需要があるんですかね。(駅からハイキング、目黒駅から五反田駅で歩いたコース)【つづく】人気ブログランキング冬の散歩を楽しむ(その15) 大崎副都心
Mar 27, 2024
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閑静な住宅街の中に鳥居が見えてきました。ここが大崎鎮守の居木(いるぎ)神社です。ここを訪れたのは2024年2月12日ですが、境内の梅の木は満開でした。白梅ですね。青空に映えています。こちらは枝垂れ梅。紅梅でした。居木神社のご由緒がありました。この神社、江戸時代初期には目黒川に架かる山手通りの居木橋付近にあったのですが、川の近くにあったため風水害の被害を受けやすく、村民らによって現在の地に遷座されたそうです。御祭神は叡智と武勇の神とされる日本武尊だそうです。早速お参りさせていただきました。扁額には「大崎鎮守 居木神社」とありました。鎮守神とは、人間がある土地に人工物を造営したとき、その土地に宿る神霊が人間や造営物に対して危害を加える祟りを起こさせないように、そのの土地に住む神(地主神)よりも霊威の強い神を新たに勧請して祀った神様のことだそうです。だから日本武尊が御祭神なんですね。また、JA東京グループによる江戸東京野菜「居留木橋カボチャ」(→→→こちら)に関する説明がありました。京野菜というのはよく聞きますが、江戸東京にも練馬ダイコンのような伝統的な野菜があったんですね(→→→こちら)神社の石段の途中にあった居木橋遺跡の看板です。居木橋遺跡は居木神社の南方に位置する台地上にあり、縄文時代前期(約六千年~五千年前)の貝塚を伴う遺跡で、竪穴住居跡も多数確認されているそうです。こちらの石段が居木神社の表参道なんでしょうか。石段を降りて、斜面の途中に変わった石が積まれていました。改めてみてみると溶岩のような石が積まれていて、これは富士塚だそうです。石段を降りて細い参道を歩いて、社号碑もあって、どうやらこちらが表参道なんですね。(駅からハイキング、目黒駅から五反田駅で歩いたコース)【つづく】人気ブログランキング冬の散歩を楽しむ(その14) 大崎鎮守 居木(いるぎ)神社
Mar 26, 2024
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国道1号と戸越銀座商店街が交差する戸越銀座交差点です。駅からハイキングのコースでは、ここからJR大崎駅に向います。この道が国道1号です。国道一号からこの百反通りに入ります。百反通りは、東京都品川区大崎4丁目から西品川3丁目までの延長 1100mの道路の呼び名です。品川区が定める道路愛称名のひとつで、古くは「百段坂」と呼ばれる階段状の坂だったそうです。さらに百反通りから、こちらの峰原通りに入っていきます。この峰原通りも品川区が定めた道路愛称名になります。峰原とは、明治時代の谷山(ややま)村時代からこの辺一帯の地名で現在の大崎3・4丁目付近にあたるそうです。さらにこの峰原通りから分かれて芳水小学校(→→→こちら)の方に歩いて行きます。芳水小学校の「芳水」は、この小学校が明電舎(→→→こちら)創業者の重宗芳水が設立に私財を投じたことにちなむそうです。住宅街の向こうに大崎駅前の高層ビル群が見えてきました。(駅からハイキング、目黒駅から五反田駅で歩いたコース)【つづく】人気ブログランキング冬の散歩を楽しむ(その13) 大崎へ向かいます
Mar 25, 2024
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東急池上線の戸越銀座駅にやって来ました。所在地は「平塚」であることから当初は「平塚駅」になる予定でしたが、既に同名の駅が東海道本線にあったため知名度の高い「戸越」が仮駅名として選ばれた後、地元商店街からの要望で現在の「戸越銀座」と命名されたそうです。駅のすぐ横は。踏切となっていて、改札口は上下線別々になってます。こちらは蒲田方面の入口になります。戸越銀座駅のホームです。屋根が木製で意外とオシャレですね。東急の1000系電車がやって来ました。以前は車体カラー帯は赤だと思っていましたが、最近はグリーンに変わったんですかね。東急にはほとんど乗らないのでその変更に気がつきませんでした。池上線は五反田と蒲田を結ぶ路線です。むかし西島三重子(→→→こちら)というシンガーソングライターの方が歌っていた「池上線」(→→→こちら)という曲があったことを覚えている人は少ないでしょうね。戸越金座商店街、駅を越えてまだ続きます。(駅からハイキング、目黒駅から五反田駅で歩いたコース)【つづく】人気ブログランキング冬の散歩を楽しむ(その12) 戸越銀座駅
Mar 24, 2024
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中原街道を五反田方面に歩いて、ここ荏原二丁目の交差点にやって来ました。ここが戸越銀座商店街(→→→こちら)の中原街道側の入口になります。この通りが戸越銀座商店街になります。戸越銀座商店街の路面は、こんな石畳になっています。電柱は立っていませんが、街灯は立っていて、街灯の柱には「とごしGINZAどおり」と表示されたプレートが取り付けられています。戸越銀座商栄会の旗も取り付けられていました。商店街は、東急池上線の「戸越銀座駅」を中心に全長約1.3kmにわたる関東有数の長さを誇り、商店街沿いには約400件の店舗が軒を連ねていて、メディア等からの注目度が非常に高く、下町情緒あふれる商店街として雑誌やテレビで度々取り上げられているそうです。ちなみに「戸越」と言う地名の由来のひとつに、江戸から現在の戸越を越えると、相模の国(神奈川県)に入ることから、この地が古くは「江戸越えの村」と呼ばれ、やがて「戸越」になったという説があるそうです。そんな戸越銀座商店街、全国的にも知名度が高く、近隣からの買い物客だけではなく商店街自体に遊びに来る、観光を目的とした来訪者も増えているそうです。まあ、MoMo太郎もそういう中のひとりですね。(駅からハイキング、目黒駅から五反田駅で歩いたコース)【つづく】人気ブログランキング冬の散歩を楽しむ(その11) 戸越銀座商店街
Mar 23, 2024
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この賑やかな武蔵小山商店街パルムを抜けると、中原街道(→→→こちら)に出ます。中原街道を東の五反田方面に向かって歩きます。途中で中原街道はふたつに分かれています。こちらの道は旧中原街道だそうです。この中原街道は、東海道に対して、江戸虎ノ門(現在の東京都港区虎ノ門)と平塚中原(現在の神奈川県平塚市御殿)とを結ぶ脇街道とされ、横浜や藤沢を通る東海道に比べて、江戸 - 平塚間をほぼ直線につなぐため、最速ルートとして利用されています。また大名行列も通らないことから、庶民や商人が利用しており。赤穂浪士も東海道を避け、中原街道で江戸入りしたといわれています。(駅からハイキング、目黒駅から五反田駅で歩いたコース)【つづく】人気ブログランキング冬の散歩を楽しむ(その10) 中原街道
Mar 22, 2024
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武蔵小山駅前にある武蔵小山商店街パルム(→→→こちら)です。次はこの商店街の中を歩きます。商店街の中に入るといきなり道が二又に分かれていました。こちらの道よりは、こちらの道の方が広いので、こちらに進むことにしました。丁度、この辺りが駅からハイキング「冬の自然や商店街を楽しむのんびり散歩~林試の森を抜けたらそこはふたつの商店街でした~」のコースの中間地点です。武蔵小山商店街「パルム」は武蔵小山駅から中原街道までの、東京都内では最長の800mのアーケード街で、昭和31年(1956)の完成当時は「東洋一」と称えられ、現在でも約250店舗を有する都内でも有数の商店街で。テレビなどでも度々取り上げられています。その商店街の運営の中心となる武蔵小山商店街振興組合の事務局があるパルム会館です。このパルム会館で駅からハイキングの記念品がもらえるというので、入ってみると、時節柄ですね、ひな人形が飾られていました。そしていただいてのが、このカード。1970年頃の二代目となるアーケードの写真でした。単なるカードでクオカードでも商店街のポイントカードでもありません。(駅からハイキング、目黒駅から五反田駅で歩いたコース)【つづく】人気ブログランキング冬の散歩を楽しむ(その9) 武蔵小山商店街パルム
Mar 21, 2024
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この門から林試の森公園を後にしました。この門の名前「水車門」と言うそうです。門からでた少し先にあるこの小屋が、水車はついていませんでしたが、水車小屋だっんですね。この近くを品川用水(→→→こちら)というかんがい用水路があったことから、それに関連した歴史を記した施設なんだろうと思います。さらに歩いて行くと、手押しポンプもあったりして、水にかんする歴史を感じたりしました。そして、東急電鉄目蒲線の武蔵小山駅にやってきました。武蔵小山駅(むさしこやまえき)と読むんですね。平成18年(2006)に地下化されています。(駅からハイキング、目黒駅から五反田駅で歩いたコース)【つづく】人気ブログランキング冬の散歩を楽しむ(その8) 水車門から武蔵小山駅へ
Mar 20, 2024
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林試の森公園(→→→こちら)の西門に到着です。こちらが西門。自転車でやって来ているのは御近所の人なんでしょうね。こんな公園が近くにあるつていいですね。林試の森公園は、林業・森林の研究機関「林業試験場」が昭和53年(1978)に筑波研究学園都市に移転した跡地を東京都が払い下げを受けて「都立林試の森公園」として平成元年(1989)に開園したもので。面積は12ha(約36,000坪)あるそうです。園内にはこのような林に囲まれた、だだただ広い広場があってのびのびとして過ごすことができたり、森林浴気分で木立の中を散策できたり、子供たちのための遊具があったりで、楽しく一日ピクニック気分で遊べそうです。最近は、こういうタイプのペットボトル専用のごみ箱が設置されていることが多いですね。下から上に向けてペットボトルを差し込んで捨てるため、紙ごみなんかは捨てにくくなっています。都立公園の歴史は、明治6年(1873)の上野恩賜公園(→→→こちら)が開園したことに始まるので、150周年ということになるんですね。冬なので水がないのですが、子供たちが水遊びできるようと作られたジャブジャブ池です。園内にある池です。公園の敷地はもともは湿地だったんでしょうね。(駅からハイキング、目黒駅から五反田駅で歩いたコース)【つづく】人気ブログランキング冬の散歩を楽しむ(その7) 林試の森公園
Mar 19, 2024
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目黒通り沿いにあるこの目立つヨーロッパ調の建物は、東京バレエ団(→→→こちら)の建物です。やはりバレエというとヨーロッパやロシアの芸術ということで、こういう雰囲気の建物に普段から住んでいないといけないのかも。ここは東急バス目黒営業所です。バス営業所を過ぎて、目黒郵便局の前の交差点を左折して26号線通り(→→→こちら)と呼んでいる戸越方面に向かう道を歩いていくと、庚申塔がありました。ここは清水庚申塔(→→→こちら)と言うそうです。やはり、江戸時代は庚申信仰が盛んだったため、こういう庚申塔や庚申塚があちらこちらに残っているそうです。ということで、庚申信仰について、少し調べてみました。60日に1度巡ってくる「庚申(かのえさる)の日」の夜に眠ってしまうと人の体内にすんでいる三尸(さんし)という虫が天に昇り、天帝にその人の日ごろの行いを報告するという道教の教えがあったてそうです。その報告内容の罪状によっては寿命が縮まるというので、寿命が縮まらないよう、庚申の日は身を慎み、虫が抜け出せないようにと徹夜して過ごしたそうです。しかし、眠らないように夜にみんなで集まっていると、やっぱり楽しい懇親会となって飲んだり食べたりするようになり、この懇親会を庚申講というようになりました。そして、この庚申講を3年18回続けた記念に建立するのが庚申塔(又は庚申塚)だそうです。(駅からハイキング、目黒駅から五反田駅で歩いたコース)【つづく】人気ブログランキング冬の散歩を楽しむ(その6) 清水庚申塔
Mar 18, 2024
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さらに歩いて、多摩大学目黒中学校・高等学校(→→→こちら)というのを見つけました。最初は昭和12年(1937)に目黒商業女学校として発足した学校ですが、時代ともに発展してきて、平成元年(1989)に多摩大学を設立し、平成7年(1995)には多摩大学目黒中学校・目黒高等学校と校名を変更し、今では男女共学の学校になっているそうです。なかなか洒落たデザインの校舎ですね。さらに西に進んで、こちらのバス停。名称が「元競馬場前」です。ここには、今は東京都府中市にある東京競馬場へ移転しましたが、明治40年(1907)から昭和8年(1933年)まで、目黒競馬場(→→→こちら)という施設があったそうです。また、競馬は軍馬改良の為の馬匹の質の改善を目指した軍部の意向で始まったそうです。(駅からハイキング、目黒駅から五反田駅で歩いたコース)【つづく】人気ブログランキング冬の散歩を楽しむ(その5) 多摩大学目黒中学校・高等学校と元競馬場前
Mar 17, 2024
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さらに目黒通りを西向かって歩いて行くと、目黒寄生虫館(→→→こちら)がありました。名前の通り、「寄生虫」を専門に扱う研究博物館で、南満洲鉄道株式会社の衛生研究所に勤務していた医学博士・亀谷了(かめがい さとる)が私財を投じて昭和23年(1953)に創設した私立博物館です。国内外から収集された約300点の寄生虫の標本資料や関連資料が展示されています。私立博物ではありますが、入館料は無料です。しかし、入館料を徴収しないため来館者による寄付金とともに寄生虫に関する書籍やTシャツやキーホルダーなどのグッズの販売が収入源となっています。入館して寄生虫のホルマリン固定標本や寄生虫罹患者の写真等を見学するのは大変参考となりました。寄生虫といえば、MoMo太郎が以前住んでいた福岡県久留米市では、日本住血吸虫症という寄生虫による風土病があり恐れられていましたが、その日本住血吸虫の宿主のミヤイリガイ(宮入貝)撲滅が行われ、日本住血吸虫症を克服したそうです(→→→こちら)。下の写真は久留米市宮ノ陣と小森野の間にあるリバーサイドパークに建立されたそのミヤイリガイの供養石碑です。(駅からハイキング、目黒駅から五反田駅で歩いたコース)【つづく】人気ブログランキング冬の散歩を楽しむ(その4) 目黒寄生虫館
Mar 16, 2024
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目黒通りと山手通りの交差点には目黒総鎮守の大鳥神社(→→→こちら)があります。折角の機会、大鳥神社にお参りさせてもらいました。この由緒によれば、景行天皇(西暦71年~130年)の時代に当地に国常立尊(日本の国開きの神様)を祀った社があり、景行天皇の皇子である日本武尊(ヤマトタケルノミコト)が東夷平定の折にこの神社に立ち寄って、平定達成と部下の目の病の治癒を祈願したそうです。その後日本武尊の霊が白鳥として当地に舞い降り鳥明神として祀られ、大同元年(806年)に社殿が完成したそうです。そのため目黒区最古の神社ということになったそうです。浅草にある酉の市で有名な鷲神社(→→→こちら)、台東区鳥越の鳥越神社(→→→こちら)など都内にある「鳥」の名前がつく神社では、日本武尊が御祭神として祀られているのは、日本武尊が死後、白鳥となって飛び立ったたことに関連しているんでしょうね。そして、大阪府堺市にある大鳥神社(→→→こちら)は、その白鳥となった日本武尊が最後に舞い降りた場所であり、全国の大鳥神社および大鳥信仰の総本社とされているそうです。また、日本武尊が部下の目の病を治癒を祈願し、無事治癒したことから、盲神(めくらがみ)と呼ばれ、この「めくら」が段々と訛っていき「目黒(めぐろ)」という地名の由来になったんだそうです。境内にある大きなイチョウの木。御神木となっているそうです。(駅からハイキング、目黒駅から五反田駅で歩いたコース)【つづく】人気ブログランキング冬の散歩を楽しむ(その3) 目黒総鎮守大鳥神社
Mar 15, 2024
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目黒通り(東京都道312号白金台町等々力線)をさらに西に向かって歩くと、橋の大きな親柱が見えてきました。目黒新橋という橋です。この橋の下を流れる川が目黒川(→→→こちら)です。さらに目黒通りを西に向かって進んでいくと、山手通り(東京都道317号環状六号線)(→→→こちら)との交差点に差し掛かります。この下の道が山手通りになっています。立体交差になっていて、山手通りから目黒通りに入るには、側道を通るようになっています。まだ免許取りたての頃、MoMo太郎はこのことに気がつかず、随分、遠回りをして道に迷ったことがありました。(駅からハイキング、目黒駅から五反田駅で歩いたコース)【つづく】人気ブログランキング冬の散歩を楽しむ(その2) 目黒川と山手通り
Mar 14, 2024
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2月12日は月曜日でしたが「建国記念の日」の振替休日でした。ということでJR東日本が催行している「駅からハイキング 冬の自然や商店街を楽しむのんびり散歩~林試の森を抜けたらそこはふたつの商店街でした~」に参加してきました。その報告です。やって来たのは、目黒駅。改札口の前では参加者の受付中。ここで今日歩くコースの地図を渡されて、目黒駅です。西口から歩き出します。目黒駅から出て、しばらく歩くと目黒区に。目黒通り(東京都道312号白金台町等々力線)に沿って歩きます。ここから少し下り坂になっています。この坂道は「権之助坂」坂の名は菅沼権之助(→→→こちら)に由来するそうです。この人は、元禄時代の江戸近郊・中目黒村田道の名主だったそうで、権之助が坂を開いたとする説や、重たい年貢に苦しむ農民のために年貢軽減を直訴してそのために処刑された権之助の名を、慕う農民が開かれたばかりの新坂につけたとする説などがあるそうです。(駅からハイキング、目黒駅から五反田駅で歩いたコース)【つづく】人気ブログランキング冬の散歩を楽しむ(その1) 目黒駅からスタートです
Mar 13, 2024
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梅と桜、開花時期が、関東では、梅は2月中旬~、桜は3月下旬~ということで見分けることができますが、中には早咲きの桜があったり、遅咲きの梅があったりと、開花時期だけでは見分けがつきにくい時はありませんか?そういう時のMoMo太郎の見分け方です。まず、こちらは梅です。花柄(かへい)がないので、枝にくっつくように花が咲きます。また、花びらの先が丸いのも特徴です。こちらは桜です。花柄が長いので、枝からはなれて花が咲きます。また、花芽が房状についているので、花数が多くとても華やかに見えます。そして、花びらの先は割れています。人気ブログランキング梅と桜の見分け方
Mar 12, 2024
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東洋経済のネット記事にあった「大量閉店「イトーヨーカドー」どこで間違えたのか」(→→→こちら)よると、GMS(General Merchandise Store(総合スーパー))大手の「イトーヨーカ堂」が、北海道と東北、信越にある「イトーヨーカドー」の全17店舗を、今春から順次閉店するそうです。イトーヨーカドーというとGMS(総合スーパー)というだけあって、食料品以外にも日用品や衣料品も置いてあって、MoMo太郎は結構、重宝させてもらっています。特に、下着なんかは大抵イトーヨーカドーで購入していました。まあ、今の時代、衣料品はユニクロやしまむらといったで買う人が多いかもしれませんから、GMSの経営って厳しいのかも。さて、言問橋西交差点と明治通りの泪橋交差点を結んでいる「吉野通り」と呼んでいる道路にある東浅草三丁目交差点の近くに、1920年に、イトーヨーカドーの前身である「羊華堂洋品店」が誕生したそうで、そのことを示す標識が建てられています。この羊華堂洋品店の創業者は吉川敏雄で、後にイトーヨーカドーを立ち上げた伊藤雅俊の叔父にあたる人物だそうです。太平洋戦争ののち、この洋品店を引き継ぐ形で、伊藤雅俊は足立区・北千住で羊華堂の事業を再開しました。さらに、1965年に株式会社・伊藤ヨーカ堂を設立し、店名もイトーヨーカドーとなり、事業を拡大してきたそうです。イトーヨーカドーの1号店として地域住民に愛さて、総合スーパー「イトーヨーカドー千住店」があった場所が下の写真のお店です。今では建物も取り壊されて建て替えられ、分譲マンションとなり、1・2階テナントとしてヨークフーズ千住店となっています。ちなみにこの店の一階と二階の間の階段の踊り場に、かっての「イトーヨーカドー千住店」の写真が展示されています。さらに、一号店の場所から国道4号を越えたところにある公園が、イトー児童遊園です。公園の入口にあった、この子供像の台座の説明によれば、「この児童遊園は、イトーヨーカドーの創立者の伊藤ゆきさん、 同じく令息譲氏夫人せきさんが、昭和34年から昭和57年まで住まわれた場所です。千住は、イトーヨーカドーグループ発祥の地であり、地域の皆様への感謝の気持ちをこめて、伊藤せきさんから足立区に寄贈されたものです。足立区は、このご厚好意を受けて「イトー児童公園」として開園いたしました。昭和63年3月 足立区」と記されていました。子供像の横に植えられていた桜の木です。この桜は、ワシントンからの里帰り桜というそうで、明治45年、当時の東京市長、尾崎行雄が日米友好の証として、桜苗をアメリカ合衆国の首都ワシントンに贈り、ワシントンのポットマック公園に植えられましたが、昭和56年ポットマック公園の桜から枝を採取し里帰りさせた桜の木だそうです。人気ブログランキングイトーヨーカドーの歴史
Mar 11, 2024
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大阪に出張した時に宿泊した梅田にあるハートンホテルで頂いた朝食です。バイキング形式で1,200円でした。正直言って、高いなと思いましたが、朝からガッツリ食べて元気よく仕事するための必要な投資ということで、頂きました。大阪のホテルだなと思ったのは、朝からタコ焼きがバイキングのメニューにあったことです。人気ブログランキングへ孤独のグルメ ホテルの朝食
Mar 10, 2024
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子供の頃からお医者さんごっこが好きだったので、医師が主人公の「ブラックジャック」のような漫画なども読むのが好きでした。最近、教えてもらっては感心しているのが、「脳外科医竹田くん」(→→→こちら)です。この漫画は、2023年1月からブログサービスの「はてなブログ」で連載されているWEB漫画です。主人公の竹田くん、ブラックジャックや大門美知子とは真逆の迷医で、手術を受けた患者は後遺症に苦しみ、死亡事故も発生するという漫画です。事故を連発したことが原因で手術の執刀禁止になる竹田くん、まあその後も色々あって、竹田くんは別の病院に移り今でも医師を続けているとのことです。詳しくは、ウイキィペディアの脳外科医 竹田くん(→→→こちら)をご覧ください。しかし、技術が未熟すぎるのに「手術が大好き」な医師は一定数いるのかもしれませんね。こんな迷惑な医師にも使い道はあるんだとか、例えば、ステージⅣの手の施しようもないがん患者さんで、本人はもちろん、家族も、手術して助かるならわずかな可能性でも手術して欲しいと望んでいる場合は、竹田くんのような医師に執刀させるのです。仮に手術の結果が芳しくなくても、「全力を尽くしたのですが…」と涙ぐんで説明すれば、残された家族も納得して医療訴訟に発展することもないでしょうし、手術件数そのものは増えるし、さらに後遺症の治療で高額薬品を大量使用し、病院経営には貢献してくれるでしょうね。本当に、「無能な働き者」は「無能な怠け者」よりもタチが悪いですね。※写真はイメージです。無能な怠け者のMoMo太郎からの「竹田くん」系医師を避ける助言としては、現実の手術では「天才外科医が手術したら、寝たきり患者が完治」といった事例はあり得ないと思って、「必ず良くなる」など安易な成功を約束する医師は信用しないことです。人気ブログランキング
Mar 9, 2024
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北関東エリアの栃木、群馬で路線を展開している東武鉄道。この東武を利用して帰ることにしました。ということで、JR宇都宮駅から東武宇都宮駅へバスで移動しました。慣れない土地で路線バスに乗ったのですが、乗車する時、交通系ICカードが使えないと思って整理券を取ったのですが、なんとICカードが使えました。それでICカードの読み取り機にタッチして乗車し、降りる時にICカードで支払い整理券を料金箱に入れたら、運転手さんから「カードの時は整理券は要らないんで、これから整理券は取らないようにしなさい」と言われました。親切な運転手さんです。こちらが東武百貨店宇都宮店です。デパートがあるとなんか都会を感じますね。百貨店から駅に直結する通路もあると思ったのですが、宇都宮一の繁華街、オリオン通り(→→→こちら)を経由して東武宇都宮駅に行くことにしました。こういうアーケードのある大きな商店街があると、宇都宮も都会なんですね。そして、東武宇都宮駅の東口にやってきました。東武宇都宮駅の駅名標、栃木の名産品、イチゴを連想させる赤色になっいてますね。以前は伊勢崎線浅草駅 - 東武宇都宮駅間直通の準急や急行が運行されていたそうですが、今は廃止され、主に日光線南栗橋駅・新栃木駅と東武宇都宮駅間で運転される普通列車だけになりました。新栃木で特急列車に乗り換えても浅草までは2時間近くかかるので、東京方面に行くのには特急料金不要のJR快速電車を使った方が便利で早いようですね。この東武20400型電車の各駅停車、南栗橋行に乘り東京へ帰りました。(宇都宮市で歩いたコース)【了】人気ブログランキング北関東の旅、宇都宮を楽しむ(その18) 東武鉄道で帰りました
Mar 8, 2024
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田川を渡り、今は栃木県道125号氏家宇都宮線となっていますが、かっては国道4号線、つまり奥州街道に至りました。そこにあったのが、この大谷石の外壁と漆喰を使った外観、また商家を特徴付けるような格子のある歴史のありそうな建物です。国指定重要文化財の旧篠原家住宅(→→→こちら)だそうです。入館料は一般で100円でしたので、入館しようと思いましたが、残念ながら訪れた日は11月24日で、祝日の翌日の金曜日だったため閉館しており見学はできませんでした。篠原家は宇都宮城下の博労町(現在地)に江戸時代末期に創業した醤油醸造業を営む商家だったそうです。さらに明治期に入ると肥料業を、また太平洋戦争後には倉庫業などを営んだ宇都宮有数の豪商だったそうで、1924年(大正13年)時点では、田畑111町歩(≒110 ha)、小作人150人を抱えていたそうです。旧篠原家住宅から、5分も歩かないうちに、JRの宇都宮駅が見えてきました。宇都宮駅西口のペデストリアンデッキに建つ餃子像(→→→こちら)です。その餃子像の近くにあったモニュメントです。(宇都宮市で歩いたコース)【つづく】人気ブログランキング北関東の旅、宇都宮を楽しむ(その17) 旧篠原住宅と宇都宮駅西口
Mar 7, 2024
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清巌寺から田川に架かる幸橋にやってきました。幸橋の欄干には、宇都宮の風物を紹介したレリーフが設置されていました。【梵天祭】:田川は、古来から洪水により数多くの水害が発生しました。昭和30年ごろまでは、夏になると水神様に対する信仰と感謝から、人々が梵天をかつぎ裸で川に入り、もみ渡る光景が見られました。【初市風景】:宇都宮市場は、古くから上河原にありました。江戸時代、奥州大名の参勤交代の通行に支障があるとして、寛永11年(1635年)より、年一回の初市に限ってこの地で催すこととなり、現在に至っています。川沿いの遊歩道を上流に向かってしばらく歩くと、県庁前通りの「東橋」がありました。さらに上流に歩くと、さっき訪れた宇都宮タワーが見えました。遊歩道沿いには、しだれ桜が植えられているようで、桜の季節には楽しめそうですね。(宇都宮市で歩いたコース)【つづく】人気ブログランキング北関東の旅、宇都宮を楽しむ(その16) 宇都宮市内を流れる田川
Mar 6, 2024
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押しボタン式信号機に気が付かなくて、ずっと信号が変わるのを待っていました。そして、山門を改修中のこのお寺にやって来ました。寺号碑には「浄土宗 清巌寺(せいがんじ)」(→→→こちら)と記されていました。清巌寺は建保3年(1215)に宇都宮家5代当主で鎌倉幕府の有力御家人だった宇都宮頼綱が開創した浄土宗の寺院ということです。宇都宮頼綱は1205年(元久2年)に幕府より謀反の嫌疑を受け、これを機に熊谷で隠居生活を送っていた時に熊谷直実(熊谷蓮生入道)の勧めにより浄土宗の開祖である法然(→→→こちら)に帰依、1208年(承元2年)に出家した。さらには、京に住んで証空にも師事し、幕府から罪が許された後の1215年(建保3年)に自領である宇都宮の宿郷町に当寺の起源となった念仏堂を建立したそうです。その後、天正元年(1573)に当時の宇都宮家中で大きな力を持っていた芳賀高継が、兄である芳賀高照の菩提を弔うため念仏堂を現在の宇都宮市大通り五丁目に移し、本格的な寺院「芳宮山 高照院 清巌寺」として中興開山しています。この大きな仏像は子育地蔵尊だそうです。正徳4年(1714)に清巌寺九世の教円が衆生救済のために建立したものです。中門には山号の「芳宮山」と記された扁額がありました。こちらが、本尊である阿弥陀如来が安置されている本堂です。この「第3飛行隊戦友之碑」は旧日本軍の陸軍航空輸送部第3飛行隊(→→→こちら)の事績を残したものです。この部隊は宇都宮にあった雀宮飛行場を基地として、戦闘機の内外地への補給空輸を任務としていたようです。(宇都宮市で歩いたコース)【つづく】人気ブログランキング北関東の旅、宇都宮を楽しむ(その15) 清巌寺
Mar 5, 2024
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宇都宮と言えば、「餃子の町」、今年の2月6日に公表された総務省の家計調査の結果では、1年間の1世帯あたりの餃子の購入額の結果は、1位 浜松市 4041円2位 宮崎市 3497円3位 宇都宮市 3200円4位 京都市 2661円5位 大津市 2489円となっています。ちなみにこの購入金額は「家計調査 家計収支編 第4-1表 都市階級・地方・都道府県庁所在市別1世帯当たり支出金額,購入数量及び平均価格」(→→→こちら)の二人以上の世帯の集計結果になっています。つまり、単身世帯の購入金額は評価されていない結果であることに注意が必要です。また、スーパーや惣菜店で売られている持ち帰り餃子だけで専門店で食べる餃子をはじめ飲食店のテイクアウトや冷凍餃子が含まれないません。また、自宅の手作り餃子も評価されていません。したがって家計調査の調査結果は、餃子を愛する宇都宮市民にとっては順位はどうでもいいと思っているかもしれませんね。そんな餃子の町を象徴するのが、この宇都宮の中心部にある「宮島町通り」です。昔から餃子店が立ち並ぶこの通りが2018年4月から『餃子通り』と命名されています。休日には餃子を目当てに宇都宮内外から多くの方で賑わうそうです。MoMo太郎もここで食べようと思いましたが、どの店も満員、行列が長くて、時間の都合もありここでの餃子は諦めました。餃子通りの中ほどには、こんなモニュメントもありました。宇都宮で餃子を食べるのにお勧めは、馬場通りに面したMEGAドン・キホーテ ラパーク宇都宮地下1階にある来らっせ 本店(→→→こちら)です。ここでは宇都宮餃子の人気店が一堂に会して出店しているので、人気店の餃子を一度に味わうことができます。さて、餃子と一緒に食べることも多いラーメンですが、出前も含め去年1年間にかけた外食費用では、同様に「家計調査 家計収支編 第4-1表 都市階級・地方・都道府県庁所在市別1世帯当たり支出金額,購入数量及び平均価格」によれば、1位 山形市 1万7593円2位 新潟市 1万5224円3位 仙台市 1万3074円4位 宇都宮市 1万2035円5位 富山市 1万2017円となっています。ということで、1位の山形市では、「ラーメンの聖地」を宣言し、「山ラー」の文字がデザインされた特製ののぼりやポスターを作ったり、市内のラーメン店の情報をまとめたポータルサイトを開設したりしてPRしているそうです。ただし、これも二人以上世帯を対象にした調査結果で、外食が多くなる単身世帯も含めた結果である「家計調査 家計収支編 第11表 都市階級・地方・都道府県庁所在市別1世帯当たり年間の品目別支出金額」においては、1位 仙台市 1万6341円2位 福島市 1万4306円3位 相模原市 1万4284円4位 山形市 1万3522円5位 新潟市 1万562円という結果で、ラーメンの聖地は仙台市ではないかと思う次第です。また、2人以上の世帯を集計した結果では100世帯当たりの購入頻度も集計されています。支出金額をこの購入頻度で割り算して、1回当たりのラーメンへの支出額を推計してみました。 支出金額 購入頻度 1回当たり支出額1位 山形市 1万7593円 1406 1251(円/回)2位 新潟市 1万5224円 1393 1093(円/回)3位 仙台市 1万3074円 1177 1111(円/回)4位 宇都宮市 1万2035円 1038 1159(円/回)5位 富山市 1万2017円 954 1260(円/回)ということで、山形市民の方は平均すると、1回で1200円以上は気前よく使っているというところでしょうか。加えて、ラーメンといえば、家庭で調理するために購入する、中華麺、カップ麺、即席麺もあるので、これらについても、二人以上の世帯を集計した結果によれば、中華麺は1位 盛岡市 6488円2位 山形市 6325円3位 秋田市 6309円4位 青森市 6114円5位 金沢市 5479円カップ麺1位 青森市 8361円2位 仙台市 7864円3位 大阪市 7484円4位 福島市 7065円5位 富山市 6912円即席麺1位 鳥取市 3518円2位 高知市 3216円3位 熊本市 3214円4位 山口市 3087円5位 佐賀市 3024円ということで、外食では気前よくお金を使ってラーメンを食べ、また家庭で本格的なラーメンを食べるための中華麺も購入していますが、手軽に食べられるカップ麺や即席麺は食べない家庭が多いというのが、山形市民のラーメン生活というところでしょうか。しかし、ラーメンの聖地と名乗るなら、外食の中華そば、中華麺、カップ麺、そして即席麺の4冠を達成して欲しいですね。ところで、「さくらんぼ」、「ラ・フランス」、「いも煮」、「米沢牛」、「玉こんにゃく」、「日本そば」等、他にも美味しいものが沢山ある山形県、ラーメンばかりをそんなに食べる必要もないのでしょうね。(宇都宮市で歩いたコース)【つづく】人気ブログランキング北関東の旅、宇都宮を楽しむ(その14) 宇都宮は餃子の町
Mar 4, 2024
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宇都宮の繁華街、馬場通りに面して、大きな鳥居があります。社号碑には、二荒山神社(ふたあらやまじんじゃ)(→→→こちら)とありますが、日光の二荒山神社(ふたらさんじんじゃ)との区別のために鎮座地名を冠して「宇都宮二荒山神社」と呼ばれるようです。式内大社とあるので、延長5年(927年)にまとめられた全国の神社一覧「延喜式」に載せられていた古くからの神社だとわかります。宇都宮市の中心部にある明神山(臼ヶ峰、標高約135m)山頂に鎮座する神社ですので、この石段を登ってお参りします。95段ある石段を登り切ったところにある神門です。こちらが拝殿になります。扁額には延喜式内と書かれていて、この神社の由緒を示しています。宇都宮はこの二荒山神社を中心に、平安・鎌倉時代には神社の門前町として発展し、江戸時代には城下町として繁栄してきたんですね。(宇都宮市で歩いたコース)【つづく】人気ブログランキング北関東の旅、宇都宮を楽しむ(その13) 宇都宮二荒山神社
Mar 3, 2024
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そろそろ次の目的地に向かうために、八幡山公園を下って行きます。八幡山公園の庭園の景色もなかなかいいですね。公園を出ると、八幡山の下を抜ける塙田トンネルの出入り口がありました。「トンネル」といっても豚(トン)は、寝ていません。という親父ギャグを思い出しました。トンネルの出口の交差点にあったのはCRT栃木放送というAM波のラジオ局でした。栃木県には、漫才師「U字工事」が出演しているバラエティー番組をはじめ栃木県の話題などを放送するとちぎテレビ、というテレビ局。そしてエフエム栃木(Radio Berry)といったFM波のラジオ局があります。ちなみに、北関東三県では、群馬県には、群馬テレビ、エフエム群馬というテレビ局とFM局があります。茨城県では茨城放送というAM局しかありません。ということで、放送網の充実度では、栃木県が一枚上手ですね。さらに南向かって歩くと、高層ビルがありました。栃木県庁です。栃木県庁は地上15階 地下2の建物です(→→→こちら)。ちなみに、群馬県庁は地上33階、地下3階(→→→こちら)です。また、茨城県庁は地上25階・地下2階(→→→こちら)になりますむ。県庁の建物が高いからといっていいわけではありませんが、それにしても大きな建物で快適に県庁職員のみなさんが仕事されているんでしょうね。県庁から南へ5分も歩くと賑やかな宇都宮の中心街、馬場通りに出ました。(宇都宮市で歩いたコース)【つづく】人気ブログランキング北関東の旅、宇都宮を楽しむ(その12) 放送局と県庁舎
Mar 2, 2024
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宇都宮タワーから見えた吊橋です。この橋は、アドベンチャーブリッジ(→→→こちら)と言い、日本一のモノストーム式鋼吊床版橋(補剛桁吊床版橋) だそうです。ちなみにモノストームとは、橋の下に張られている耐風索(ワイヤー)が1本であることを意味しているそうです。中央部が垂れ下がる形状は吊床版橋特有のものでしょうね。橋長は152.0m(支間長 150.0m)。高さは、約30m(市道908号線より地上高さ25m)幅員は1.5m(中央部)~4m(両端)だそうです。橋の上からは、確かに高い感じがしますね。橋から南東側には、JR宇都宮駅西側の住宅街が見えます。橋を渡り切って振り返ると、宇都宮タワーの姿が。(宇都宮市で歩いたコース)【つづく】人気ブログランキング北関東の旅、宇都宮を楽しむ(その11) アドベンチャーブリッジ
Mar 1, 2024
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