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若草読書会の恒例のお花見が4月3日に予定されているが、週間天気予報によると当日の花園周辺のお天気は「曇り・雨(降水確率60%)」というもの。中止になる公算が高くなっています。今回も中止なら4年連続で雨天中止になるのだが、こういうことも珍しいのではないか。余程に日取りの決め方がへたくそと言うほかない(笑)。 恒例とは言っても、読書会でお花見を始めたのは2009年からのことで、今回が8回目に過ぎない。ブログ記事で調べてみると、 2009年 4月 5日 2010年 4月 4日 2011年 4月11日 2012年 4月 1日 2013年 4月 7日 2014年 3月30日 2015年 4月 5日という日取りになっている。2009年から12年までの4回は好天に恵まれてのお花見でしたが、2013年からは雨天または前日の雨で下が濡れているなどの事情から中止になっているのである。これで今年も雨なら、8回のうちの4回は雨ということになり、わが読書会花見の降水確率は50%ということになる。 雨に桜も風情があって小生個人としてはその景色も好まぬでもないのだが、友人揃っての花筵となると、雨では具合が悪い。 雨に桜ということで思い浮かぶ万葉歌はこれですかな。春雨の しくしく降るに 高円の 山の桜は いかにかあるらむ (河辺東人 万葉集巻8-1440)春雨に 争ひかねて わが屋前(やど)の 桜の花は 咲き始(そ)めにけり (万葉集巻10-1869)春雨は いたくな降りそ 桜花 いまだ見なくに 散らまく惜しも (万葉集巻10-1870) ということで、咲き始めたソメイヨシノの写真を掲載して置きます。(ソメイヨシノ)(同上) 桜の花はこのように一輪、二輪を間近に眺めるものではなく、咲き匂う木全体の花を眺めるというのが本来の「花見」でありますが、ソメイヨシノは未だそこまでには咲いて居らず、3日のお花見を待って咲くという風情なのであります。(同上)(同上)
2016.03.31
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ブロ友のふろう閑人さんの昨日(3月25日)の日記に淀川堤の西洋芥子菜の群れ咲く写真が掲載されていました。 偶然ですが、昨日の朝の銀輪散歩で小生も西洋芥子菜の花の写真を撮っていましたので、それを記事にしてみることとします。 <参考>カラシナ・Wikipedia セイヨウカラシナ・農研機構 セイヨウカラシナ・岡山理科大学植物生態研究室HP 淀川の土手に咲くそれにはとても及びませんが、わが恩智川にもこのように西洋芥子菜が毎年花を咲かせます。 ヨーロッパ原産の帰化植物であるが、今やこの花の群れ咲く姿は日本の春の景色としても定着したものとなっているようです。 淀川堤の芥子菜は摘んで食べる人もあるようで、ふろう閑人さんも「わが菜園」視されていますが、コチラ恩智川のそれを摘んでいる人を見掛けたことはない。恩智川の水質も昔よりは随分と良くなっているのだと思うが、それでも綺麗な水とは言い難い状況、そんなことからこれを摘んで食べようなどとは誰も思わないのかも知れません。(恩智川の西洋芥子菜・水走付近) この西洋芥子菜には有毒成分が含まれて居り、食べ過ぎは要注意のようですが、そんなにこれを大量に食う人もないでしょうから、問題はないのでしょう。(同上) 西洋芥子菜に混じって咲いている青紫色の花はクサフジかナヨクサフジの花でしょう。ナヨクサフジならこれも帰化植物ですから、外来種に占領されてしまった恩智川ということになる。 <参考>クサフジの仲間 ところで、帰化植物というのはどういう定義になっているのかと調べたら、「意図されてのモノであるか否かは問わず、何らかの人為的な手段で持ち込まれた植物であって、野外で勝手に生育するようになったもの」とのこと。但し、外国から入って来た栽培種が野生化したものは「逸出帰化植物」として帰化植物に含める分類と「栽培逸出」と称してこれに含めない分類とがあるようです。帰化した時期による分類はと言うと、江戸末期以前のものを旧帰化植物、以後のものを新帰化植物と呼ぶとのこと。そして、一般に「帰化植物」と呼ばれるのはこの新帰化植物のことで、植物図鑑などでも帰化植物と説明しているのは、新帰化植物のことだそうな。 <参考>帰化植物・Wikipedia
2016.03.26
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本日も銀輪花散歩です。 前回の銀輪花散歩の記事に関連して、二つのクレームがありました。 一つは椿さんから。 花散歩であるのに、何故、椿は実の殻だけで花の写真を掲載しないのか、というもの。 もう一つは、仏さんから。ヒメオドリコソウを掲載するなら、ホトケノザも掲載してくれないとワシの顔が立たない、というもの。 で、椿の花とホトケノザの花も掲載することといたします。(椿)(ホトケノザ) ブロ友のひろみちゃん氏は、ヒメオドリコソウとホトケノザの違いを教えて貰ったが思い出せないと、前記事へのコメントで書いて居られましたから、確かに仏さんの仰るのを待つまでもなくホトケノザの写真も並べて掲載するのが親切と言うものではありますな。(同上)(同上)(同上) これだけ写真を並べたら仏さんの顔も十分に立つことでしょう。ホトケの顔も三度まで、と言いますが、ホトケノザの顔は一度の不義理でもお赦し戴けないようでありますな。で、そのお顔や如何にと接近してよくよく眺めてみると、なにやら気難しいお顔にて、お世辞にもイケメンとは言いかねるご面相でありました。(同上・まあ、そんなにむくれなさんな。) ホトケノザの近くにはナズナも咲いて居りました。 もう、ペンペン草とも呼ばれる花らしく、三味線のバチのような実を付け始めてもいました。 (ナズナ)(同上) 視線を高くすると、ハクモクレンとモクレンが咲き競っているのでありました。桜のように、開花予想などとは無縁の花ではあるが、青空高く咲き匂うその姿は、どうしてなかなかのものであります。(ハクモクレン)(モクレン) で、再び足元を見やると、こちらは大雪。春野の雪であります。ユキヤナギとはなかなかよき名を付けて貰ったものと言うべく、運のいい花です。 いつであったか、友人のオガクニマン氏が自宅庭のユキヤナギを刈り込み過ぎて、「チラホラの小雪に過ぎない」と愚痴って居られましたが、今年の春は同氏の庭もこのような大雪になっていますかな。(ユキヤナギ) ユキヤナギにはレンギョウが似合う。この二つは張り合うようにして白黒ならぬ白黄の決着を付けようと咲き競うのであります。(レンギョウ) (同上) 白と競うのは黄ではなく赤だろうと割り込んで来たのは少し気の早いサツキの花でありましたが、一輪、二輪では勝負にならないので無視することとします。(サツキツツジ) 前記事で紹介した早咲きの桜は今日もこのように咲き、ハラハラと散っているのもありました。大阪のソメイヨシノの標準木は大阪城の西の丸庭園にある桜の木で、その木にも今日は咲き始めた花も見られるとのことで、明後日24日にも開花宣言の運びらしい。(桜) で、気になるのが花園中央公園の桜広場の桜。 来月3日に若草読書会の恒例のお花見がここで催される。(シロヤマザクラの花芽) (シロヤマザクラ) 毎年、一番早く咲くシロヤマザクラの木の下に行ってみると、もう開花宣言をしてもいい状態になっていました。 一昨年であったか、この木の下でお花見をしたことがある。しかし、この木はその後如何なる理由があってのことかは知らぬが、幹を途中でバッサリと伐られてしまって、今は貧相な枝振りに成り下がってしまっていて、花見の対象にはなりかねる状態。(ソメイヨシノの花芽) ソメイヨシノの木はどれも未だ開花していない。 しかし、よく観察すると、蕾が膨らみかけている花芽もありで、開花も近日中であるようだ。4月3日のお花見には丁度見頃の花盛り、ではないかと思われます。 (同上) 公園の北隅にある海棠の若木も蕾を膨らませ始めていますから、これも見頃になっていることでしょう。 (海棠の蕾) 以上、銀輪花散歩のついでの、若草読書会の皆さまへの桜広場の近況報告という次第。読書会のメンバー以外のお方には何の興味もないお話で申し訳なき仕儀にて御座候。
2016.03.22
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ブログ更新を3日間お休みしていました。そろそろ記事アップしないと病気にでもなったかとご心配をお掛けしてもいけませんので(誰も心配などしない?<笑> さにあるか。)、銀輪散歩で見掛けた花などで、適当に記事にしてみることとします。 先ずはソヨゴの実。 実を見ると「小倉百実一首」(小倉百人一首のパロディ歌で百の実を歌にしてみようという偐家持思いつきの企て)のことを思い出すが、23首作ったままで放置になっている。百人一首にこだわらずに実を詠み込んで歌にするだけなら、粗製乱造が得意のヤカモチ、さほど造作もないことなのだが、百人一首の元歌に語呂や意味やら何かでそれとなく関連づけるという制限・束縛があるので、これがなかなか難しいのであります。(ソヨゴ)<参考>ソヨゴ・Wikipedia ソヨゴはモチノキの仲間。ご覧のように葉が波打っているので、風に吹かれて葉がこすれ合うと特徴的な音をたてる、それで「葉が風にそよぐ木」という意味で「ソヨゴ」と命名されたとか。 普通は赤い実が生るとのこと。このように黄色の実のものは、キノミソヨゴと呼ぶらしい。(同上)(福寿草)<参考>フクジュソウ・Wikipedia 福寿草に雪割草。 これは早春のイメージで、少し出遅れアップの感無きにし非ずでありますが、マイ・ピクチャに眠らせて置くのも勿体ないのでアップです。 福寿草は有毒成分を含むので、食べてはいけない。芽を出した頃は蕗の薹と間違えやすいらしい。またヨモギの葉にも似ているので誤食の危険があるとのこと。まあ、花が咲けば、食う奴は居らぬ、と思うけれど。(雪割草)<参考>ユキワリソウ・Wikipedia 雪割草というのは、ミスミソウ、スハマソウの別名で、イチリンソウ、ニリンソウ、アズマイチゲ、ショウジョウバカマ、ハシリドコロなどを雪割草と呼ぶ地方もあるとのことで、月見草や顔花と同じ類の名前で、正式な植物名ではないのでありますな。(同上)<参考>ミスミソウ・Wikipedia で、上の花がミスミソウかと思いましたが、Wikipediaで紹介されている花の写真は、花弁(実際は花弁ではなく萼とのことだが)が8弁あるのに対してコチラは5弁と少し様相が違うので、確かなことは不明。 今や、雪割草も野の花と言うより、色々と人工が加わって新しい品種が次々と生まれ、園芸種の多い花となっているようで、名前などはもうヤカモチの手に余ることとなって居ります。(同上)(同上) その点、オオイヌノフグリやハコベはれっきとした「野の花」。やはり、銀輪散歩には、これらの花の方が似合うというものである。(オオイヌノフグリ)<参考>オオイヌノフグリ・Wikipedia 犬のフグリなどという有難くない名前の花だが、別名に瑠璃唐草、天人唐草、星の瞳などという素敵な名前も持っているので安心致しました(笑)。(ハコベ)<参考>ハコベ・Wikipedia ハコベにも色々と種類があるようですが、これは何というハコベなんでしょう。(同上) ハコベの隣に咲いていた、と言うか、咲きかかっていた花は名前不明です。 ハコベの隣に咲いていましたから、一応、トナリハコベとして置きます(笑)。(名前不詳)<追記>これはタネツケバナという名だそうです(下記小万知氏コメント参照) これは、ヒメオドリコソウ。小生はホトケノザと間違っていた花である。 今は、もうその違いをよく認識したので両者を混同することはない。(ヒメオドリコソウ)<参考>ヒメオドリコソウ・Wikipedia(同上)(椿の実の殻) ツバキの実はすっかり弾けて、種は地面に落ち、その殻だけが残っていました。 そして、桜です。 ソメイヨシノの開花は大阪は27日頃のようですが、既に開花宣言のあった地方も既にある。いよいよ春爛漫の花の色、ということになるが、早咲きの桜の花を今日は目にしました。昨夜から朝にかけての雨でしっとりと濡れた桜花。(桜)(同上)(同上)(同上)(弦月) 見上げれば上弦の月。これは17日の写真。弦が下になっていますが、これは東の空に昇ったばかりの状態。西の空に沈む時には弦が上になりますので、上弦の月ということになります。正確には17日の月齢は8.02日ですから、半月(7.5日)を少し過ぎていますかな。 昼間の月はやはり何やら間が抜けています。 間抜けな月も夜が更けるといかにも月らしくなる。(同上) とりとめもない記事でありました。<参考>花関連記事 花(1)(2007~2011) 花(2)(2012~2016)
2016.03.19
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偐万葉・閑人篇(その9) 本日は偐万葉シリーズ第253弾、閑人篇(その9)であります。 京閑麻呂こと「ふろう閑人」氏とのブログ交流は2013年12月以来で、2年3か月になりますが、この間に同氏に贈れる歌も今回掲載のものを含み、合計153首となり、いつの間にやら150首を超えています。 <参考>過去の偐万葉・閑人篇はコチラから。 ふろう閑人氏のブログはコチラから。 偐家持が京閑麻呂に贈りて詠める歌19首年もまだ 明けぬに咲きて 八重寒紅 いやときじくに 春告ぐらしも (八重閑紅) (智積院の梅)さまわろき わがもの顔や 地上機に 苦情なからむ 四条なりせば (私情通り) (四条通りの地上機)あたらしき 年の始めに 割る竹の いかにや今年の たのしきを詰め (竹割物語)(本歌)あたらしき 年の始めに かくしこそ 千年(ちとせ)をかねて たのしきを積め (古今集巻20-1069) (竹筒割り)横槌は 似て非なるかな 横綱と 横目で見つつ 横槍なしそ (横山怠観) (横槌)もみぢ家も もみぢなくあり 冬木立 雨の高雄に 雲立ちのぼる町家持つ 身にあるわれや 今よりは これを守らめ 蛙見などせじ (大伴町家持) (もみぢ家の庭から) (鳥獣戯画の湯呑み)たゆらきの 山しなつかし 昔見し 飾磨の川の 桜やいかに (播磨閑人)(本歌)絶等寸(たゆらき)の 山の峰の上の 桜花 咲かむ春へは 君し偲はむ (播磨娘子 万葉集巻9-1776) 紅梅に 追ひつき白梅 咲くなれど 冬追ひ越しかぬる 春の朝なり春秋は うつろふものの 色にあり 竹の柄杓も 柵もしかなり竹の色も うつりにけりな 智積院 咲く梅の柵 くらべ見つれば (閑野小町) (昨秋の智積院の竹柵) (今春の智積院の梅と竹柵)竹の色も うつりにけりな わが庭の 鉢にわたして 柄杓置く間に (閑野小町)(本歌)花の色は うつりにけりな いたづらに わが身世にふる ながめせしまに (小野小町 古今集113 小倉百人一首9) (竹柄杓)竹林の 風のさやぎて 春立ちぬ 五百羅漢の おはすみ寺に (老冲)(注)み寺=伊藤若冲の墓がある京都府伏見区の石峰寺 (石峰寺・五百羅漢)振り返り そんな時代も あったよと 通天橋行く 背子にあるらし (水害で流された東福寺通天橋)二十年(ふたととせ) ぶりとて背子や この春は ふたかみ山に のぼりてあるか (偐伯皇女)(本歌)うつそみの 人なるわれや 明日よりは 二上山を いろせとわが見む (大伯皇女 万葉集巻2-165)枚岡の 春はかなしも 梅の花 今年かぎりと いたづらに咲く飯盛の 山へ野崎ゆ 思ふどち そろひて行けば うれしくもあるか (偐道祖神) (本歌)あらたしき 年の始に 思ふどち い群れてをれば 嬉しくもあるか (道祖王 万葉集巻19-4284)白バイと 思ひて来(こ)しに 白灰の 木を見せらるを 狼狽と言ふ (黒灰家持)灰の木は 白黒あると 東山の 八十(やそ)のほそ道 行ける児やたれ (東山怪異) (本歌)紫は 灰さすものぞ 海石榴市(つばいち)の 八十のちまたに 逢へる児や誰(た)れ (万葉集巻12-3101) 円空は いづち行かめや 落ち椿 朽ち果つ跡に ぽたりと咲ける (関空) (円空仏の跡) (注)円空仏というは、此処にありたる老木の切株を仏像に彫りたるを名付けて かく呼ぶものにて、閑麻呂が勝手命名の木仏にてあれば、真の円空仏には 非ざるなり。<脚注>掲載の写真は全てふろう閑人氏のブログからの転載です。
2016.03.15
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本日は大学の同窓会の囲碁サークルの例会。今年初めての参加。天気もよしでMTBで出掛けました。いつもは中央大通りを走るのであるが、本日は気分を変えてその北側の府道168号を走りました。徳庵付近で寝屋川の右岸の道に移り、川沿いを西へ、京橋駅南側から、太閤園、藤田美術館の前を過ぎて大川べりへ。人道橋の川崎橋を渡り、天満橋の下を潜り、天神橋で上の道路に上がり、裁判所前から、いつもの昼食場所である喫茶店「なかおか」で昼食&珈琲。(川崎橋<人道橋>) 中之島公園では可愛い「銀輪の卵」も発見、微笑ましい姿に、顔がほころんだり。 (銀輪の卵) こちらは、卵ではなくれっきとしたマイMTB。(マイMTBとソヨゴの若木) 昼食を済ませ、12時35分に会場である青雲会交流センターに出向きましたが、未だ何方もお見えでなく、待つこと10分弱、世話役の山〇さんが来られ、2人で碁盤などの設営。程なく銭〇氏が来場。小生は先ず銭〇氏とお手合わせ。安全に打ち過ぎたか、相手の石がいいようにのさばってしまい、10目を超える大差負け。今年は黒星スタートとなりました。 対局中に田〇氏、中〇氏、下〇氏、〇宮氏、若〇氏、三〇氏が来られ、小生を含んで9名の出席となりました。 2局目は三〇氏と対戦。これは上辺左の攻防で、相手の石の分断に成功し、大石を取り込み、圧倒的に有利な展開となり、中押しで楽勝。3局目は中〇氏との対戦。これも左下の攻防でうまくしのぐことができた上に、相手の7石を取り込むこともできて、10目近い差で快勝。結局2勝1敗と白星先行で終えることができました。 帰途は、中央大通りを横枕交差点まで走り、そこで右折、春日神社脇の公園で友人と電話。そこからジグザグに東へ南へと走り、花園ラグビー場・花園中央公園で一休み。 公園の東屋に自転車を停めると公園にたむろしている野良猫君、5匹が駆け寄って来ました。きっと餌をくれる人が居て、その人は自転車でやって来るのだろう。小生をその人物と思って駆け寄って来たに違いない。何やら物欲しそうな眼で小生を見つめその動作に注目している風。(花園中央公園のニャン太郎) その中でもこのニャン太郎が一番積極的である。小生は餌はやらない主義であるが、彼とは何度も顔を合わせているので、向うはどう思っているか知らぬが、こちらは顔見知りなのである。人間なら「知人」だが、猫だから「知猫」ですかな。(花園中央公園の東屋と夕照) そして、日は漸くに沈みかかり、公園の木々は風に梢を揺らし、人影もない東屋は手持無沙汰をかこち、あたりの景色は慈愛の色の金色に染まって行くのでもある。 本日は囲碁とタマゴとネコの話でありました。
2016.03.12
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本日は、2月24日の記事(下記参照)でも触れた、昔の職場仲間5人組のウオークの日でありました。 <参考>飯盛山へ 2016.2.24. 宝塚の蝶麻呂氏、滋賀県の鯨(いさな)麻呂氏と草麻呂氏、奈良県の健麻呂氏の4人と偐家持とで5人組という次第。元々は健麻呂氏を除く4人で福井県武生の味真野を歩いたのが最初で、その後、大和三山歩き、天王山歩きなどを経て今回が4回目になるウオーク。今回から新しく健麻呂氏が加わり、それまでの4人組から5人組と相成りました。(JR野崎駅) 健麻呂氏と小生・偐家持は近鉄バスで野崎観音前バス停下車、JR野崎駅へと向かう。鯨麻呂・草麻呂・蝶麻呂3氏はJR線で野崎駅下車ということで、当駅改札口前が集合場所。定刻の11時には全員が集合。 週間天気予報では此処大東市は曇り・雨で、予備日の翌11日に順延することも考慮に入れて、この数日間予報の推移を見守っていたが、鯨麻呂氏は晴れ男らしく「雨は降らない」と強気の予想。その予想通りに昨日9日の予報では曇り・一時晴れに好転したので、予定通りに本日実施の運びとなりました。 出発時点では薄日も差す状態、雲は多いものの雨の心配はまずないという絶好の空模様。先ず、野崎観音へと向かう。 以下は、先(2月24日)の下見の折に撮影した写真も交えての記述であります。青空が写っているのは、下見の折の写真で本日撮影のものではありません。 今日は、野崎駅から参道を直進、西門から境内に入りましたが、小生が自転車で来る場合、南門から入ることも多い。下の写真は、その南門である。本堂に正対しているので、寺の正門はこの門ではないかと思う。門の佇まいも禅寺らしきそれである。(野崎観音・慈眼禅寺山門) (山門脇の石灯ろう) 山門脇の石灯ろうは安永6年(1777年)建立の古いものである。寄贈者は紀伊国平戸住・紙屋和三郎とある。 2月24日の下見の折に撮影し忘れた芭蕉句碑がこれ。(芭蕉句碑)涅槃会(ねはんゑ)や皺手(しわで)合(あは)する数珠の音 (芭蕉) 此の句は芭蕉句集などでは「灌仏(くわんぶつ)や皺手合する数珠の音」となっている。「続猿蓑撰集」(元禄11年<1698年>)では「ねはん会や・・」とあり、これが初案らしい。上の句碑はこの初案に依っているのであろう。その後の「蕉翁句集草稿」(宝永6年<1709年>以前)では、芭蕉自身の自筆で「灌仏や」に修正されているとのこと。句碑は見事に二つに割れているようで、これを繋ぎ合わせて復元したもののようであるが、その辺の経緯を語るものは何も示されていない。 まさか、芭蕉さんが自身で「これはワシが没にした古い方の句や、新しい方の句と取り替えんかい。」と足で蹴ったら割れた、というのではあるまいと思うが、そんなことを空想してみるのも面白い(笑)。(お染久松の塚) 野崎観音と言えば、浄瑠璃や「野崎まいり~は屋形船で参ろ♪♪」の野崎小唄でも有名な「お染・久松」であるが、境内には野崎小唄の歌詞碑やお染久松の塚もある。 本堂の写真などは、これまでに何度も掲載しているので省略です。本堂軒裏には、安産の祈願か子どもが授かるようにとのそれかは知らぬが犬の張り子がびっしりと吊り下げられている。 <参考>朝は北へ夕べは南へ 2009.5.30.(本堂軒裏・安産祈願かそのお礼参りの犬の張り子がびっしり。) 野崎観音の裏から飯盛山へのハイキング道がある。 芭蕉句碑「観音のいらか見やりつ花の雲」や九重石塔を見て、吊り橋コースから野崎城趾へ。芭蕉句碑・石塔・野崎城趾の写真は上の「下見の記事」を見て下さい。(上の下見の、とややこしい言い回しは駄洒落のつもり<笑>)(吊り橋)※写真は鯨麻呂氏撮影・提供 野崎城趾からいったん下って、小さなせせらぎを渡り、再び上りに入る。「絵日傘コース」という「粋な日傘の~♪」という野崎小唄の一節を連想させる名が付けられているが、やがて七曲という急坂コースになって行くのである。(飯盛山ハイキング道・絵日傘コース<七曲コース>) 七曲の急坂は数えてみると11回スイッチバックの折り返しのある道。なので、正確には「十(とお)余り一(ひと)曲がり」と呼ぶべき坂道なのである。 (辻ノ新池) 辻ノ新池を廻る道は落葉降り積むなだらかな道、それを過ぎて最後の急階段道を上り、上り切る少し手前で右へと脇道を下って行くと、尻池、桜池があり、大東市青少年野外活動センターの域内となる。 我々は「青少年」の範疇から「少しだけ」(笑)はみ出しているので、センターの手前の「尻池」畔の東屋で昼食をとることとする。野崎観音などで時間を過ごし過ぎたか予定の時間よりも30分前後遅い行程にて、既に12時26分になっていたのでありました。(尻池)(お弁当タイム) (以下、小さい写真など読み辛いものは、クリックして大きいサイズ に変換してからご覧下さい。)(桜池)※後方に見えている東屋が昼食場所のそれ。 (桜池の浮島)但し、人工で作られた浮島である。 桜池をひと巡りして対岸の道を再び上りに入ると楠公寺への道である。杉林の中を行く。(楠公寺への道) 杉林の中の道を歩いていると、前方から若い男性2人組がやって来た。スマホの画面を示し、そこに映し出されている「権現の滝」へはどう行けばいいか、という質問。滝のことは知らないが権現川は以前その川べりの御机神社に行ったことがあるので知っている。その川の上流だろうから、方向違いではないか。健麻呂さんがネットから印刷に打ち出したハイキングコースのマップを持って居られたので、それで確認すると、権現川は御机神社のずっと上流で右(南)に折れて、こちらに切れ込んでいることが判明。しかし、その谷へと下って行く山道がどの辺りなのか地図からは正確には読み取れない、と言うか3か所ほどそれらしき線があって、どれとも定め難い。 楠公寺の西北に一つ線があるので、それを下るのではないか、と彼らと一緒に楠公寺へと向かう。彼らは電通大の学生でタクシーで近くまでやって来て山道に入ったとのことだが、地図も持たずに来ているので、道が分からなくなったよう。で、健麻呂氏が自分の持参した地図を彼らに差し上げたのであるが、地図によってもどの道が正解なのかは直ちには分かり兼ねる次第。 楠公寺の横に下へと下る急坂の細道があったので、これではないのか、などと小生が話している処へ、おばちゃん3~4人組が飯盛山側からやって来られたので、彼女らに権現滝のことを尋ねると、その下り口は我々が通り過ぎた青少年野外活動センター近くにあるとのこと。彼女たちはその方向に行くというので、学生さんは彼女たちが案内することになり、この件は一件落着となりました。 (楠公寺) 楠公寺から更に少し上ると飯盛山山頂である。 頂上には展望台とその下の展望休憩所、楠木正行銅像、飯盛城趾碑、国威宣揚の鉄塔の残骸などがある。(楠木正行銅像) (四条畷警察署管下警防団結団記念の鉄塔) 如何なる機能を果たしていた鉄塔かは存じ上げぬが、昭和14年建立、警防団、国威宣揚などの文字からは軍国日本の姿と言うか、景色と言うか、そんなものが彷彿としてくる代物である。 (飯盛城趾碑と案内マップ) (本丸の石垣趾)(本丸倉屋敷廓) (二の丸史蹟碑廓) 史蹟碑(大正時代建立)には飯盛山の標高が318mとあり、近くの木製の立て札には315mとある。来る途中のせせらぎ近くの道脇などで見た表示には、314.3mとあるなど、標高の表示が一定していない。 ところで、ネットで調べると全国には飯盛山という山が沢山ある。福島県会津の飯盛山は有名であるが、それを最北に鹿児島県や小笠原諸島にかけて54もあるらしい。但し、そのうちの5つは「いいもりやま」ではなく「めしもりやま」と訓むのこと。 それはともかく、ここからの眺めも素晴らしい。(二の丸史蹟碑廓からの眺望)(同上) ここから四条畷神社にかけては急な下り坂が続く。ひたすら下る。 桜の古木やヤブツバキの木が目立つ。椿は沢山の花をつけて元気であるが、桜の木は多くは枯れてしまっている。 午後3時頃に四条畷神社に到着。(四条畷神社) (神社由緒記) (楠正行と母の像) 上の由緒記には正行は従二位とある。大伴家持は従三位であったから、正行は家持より上である。もっとも、この後に訪れる正行墓所の石碑には従三位と刻まれているから、どちらが正しいのか。どちらも正しいとすれば、石碑が建立された時点では従三位であったが、その後に追贈があって従二位に昇進したということになるが、若しそうなら、正三位を飛び越えての昇叙ということになる。「四の五の言うな」という声も聞こえて来ますが、これは「二か三かの問題」なので「四の五の」という批判は当たらないのである(笑)。 で、調べてみたら、明治9年に従三位が追贈され、明治23年四条畷神社創建、明治30年従二位追贈ということが分りました。因みに、父・正成には明治13年正一位が追贈されている。 父・正成が湊川の戦で討死した時の正行は11歳(これには異論もあって、既に20歳前後の青年であったという説もある)。上の母との像は、父の死を知った時の正行とその母の像であるのでしょうか。拝殿への通路をはさんで反対側には父・正成と少年正行の桜井の別れの像がある。 (御妣神社) 四条畷神社の祭神は、楠木正行、その弟の楠木正時、家臣の和田賢秀であるが、本殿左側にはその母を祭神として祀る御妣神社もある。その脇の絵馬掛けに風が当たると絵馬がこすれ合ってカラカラと乾いたかそけき音の立ち流れるのもいい雰囲気である。 下の梅の木と参道をはさんで反対側にクスノキの巨木があり、その前に小楠公慰霊塔の小さな五輪塔がある。かたわらの木札には「武士(もののふ)の堅き心はさくら花散りてののちぞ人や知るらむ」の歌が記されているが、下三句が消えかかって判読し辛くなっている。 (四条畷神社) 四条畷神社の参道を西へと下る。 参道脇の一軒の空家・売り物件の玄関先に三人組(三匹組?)の猫が居て、道行く我々五人組を見て居りました。1,3,5と数字も揃って、二の三の、四の五のという問題は無しであります。(参道脇の一軒の空家の前に猫三匹) 参道を西へ約1km、突き当りにあるのが楠木正行墓所。飯盛山山頂の正行像、正行を祀る四条畷神社と廻って来たのであれば、正行墓所にも立ち寄るのが礼儀ですかな。(楠木正行公御墓所) 正平3年(北朝年号では貞和4年)<1348年>に四条畷の戦で高師直軍に敗れた正行は、弟の正時と共に自害して果て、この地に葬られたとのこと。(同上)かへらじと かねて思へば 梓弓 なき数にいる 名をぞとどむる (楠木正行) 正行、辞世の歌である。 同じく、この戦を兄正行と共に戦い、共に死んだ弟の方の、正時の影は薄い。嫡男と次男では同じ行動を取ってもかくも違いがあるのでありますな。かへらじと われも思へど 梓弓 堅きこころも 名をも知らえず (偐正時) (同上) 墓石碑はいつの建立かは知らぬが「贈従三位」とあるから、明治9年以降、従二位が追贈される明治30年以前の建立ということであろう。明治23年の四条畷神社創建に合わせて建立されたものかも知れない。石碑は高さ地上7.5mという巨大なもの。威容を誇るという雰囲気で隣のクスノキの巨木に負けていない。 因みに、このクスノキは幹回り12m以上あるとのこと。(墓所のクスノキの巨木) 正行墓所からJR四条畷駅へと引き返す。 途中にあった喫茶店に入ってコーヒーブレイク。1時間余、あれやこれやの雑談をして午後5時過ぎに解散。健麻呂氏と小生は四条畷駅前からバスで帰途に。次にこの5人組で歩けるのはいつのことになるのやら。
2016.03.10
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本日は、囲碁例会。いつもはMTB(マウンテンバイク)で銀輪散歩を兼ねて自宅から会場の梅田スカイビルまで行くのであるが、生憎の雨。 電車で出掛けることとしました。 雨ということもあってか、今日の出席者は竹〇氏、福〇氏と小生の3名だけ。最初のお手合わせは竹〇氏。中盤まで優勢に展開し、上辺の白を分断して左隅の白石を殺した処で、ほぼ勝った気でいたので、その後の右下隅三々への白の打ち込みに対しては、白に隅で生きて戴くという、緩やかな戦法を取ったのであるが、不用意に打った手から右隅一帯に展開していた黒石全体の目が怪しくなって、殺されてしまうという失敗で、逆転中押し負け。 続く、福〇氏との対局は序盤での左下隅での攻防で黒が白を分断し優勢となり、逃げる白の大石に依りかかる形で自然に地が増える展開になり、中押し勝ち。1勝1敗でした。最後に、竹〇氏と福〇氏が対戦。黒石の福〇氏が数目上回って勝利。ということで、本日は皆さん1勝1敗となりました。 自転車ではないので、昼食もいつもの「れんげ亭」ではなく、大阪駅近くで済ませました。また、雨にてもあれば立ち寄り先もなく、写真がありません。前回は恩智川のコサギの写真で間に合わせましたが、今回はそれすらもなし、ということで、昨日の銀輪散歩で撮った花園中央公園のサンシュユの写真でも掲載して置きます。(サンシュユ)燦々と 咲ける山茱萸 三々に 打たれ死にぬる われの黒石 (偐家持) 無理矢理にサンシュユ(山茱萸)と我が囲碁とを関連づけてみましたが、これは殆ど悪あがきでありますな(笑)。
2016.03.09
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第173回智麻呂絵画展 春うらら、智麻呂絵画ファンの皆さまいかがお過ごしでしょうか。本日は第173回智麻呂絵画展であります。出展作品は8点と少な目でありますが、ごゆるりとご覧下さいませ。 <参考>他の智麻呂絵画展は下記からご覧になれます。 第1回展~第100回展 第101回展~第200回展 第201回展~ 最初の絵は苺の花。小万知さんがお持ち下さったもの。(苺の花)(ゼンマイ) 前回の展覧会に出展予定でしたが、写真がピンボケであったため、今回に繰り延べとなったのがこのゼンマイの絵。次の名前不詳の花などと一緒に、これも小万知さんがお持ち下さったもの。前回展のコメントで、草テッセン(こごみ)をお持ちした旨を小万知さんは言って居られますが、コゴミの方は絵にはならず、食材になってしまったようです。小万知さんも沢山の花をお持ちになられたので、その中にゼンマイが含まれていたことは忘れてしまわれたのかも知れません。(第172回展記事の小万知さんのコメント参照)(名前不詳) 恒郎女さん曰く「この花の名は小万知さんもご存じではないようです。」、このように仰っていましたので、小生も敢えて小万知さんに問い合わせはせず、「名前不詳」で掲載することとしました。下にその花の拡大写真を掲載して置きますので、名前をご存じのお方が居られましたらご一報戴けると幸甚に存じます。 (君の名は?)<追記>この木はアオモジという名前だそうです。(下記小万知氏コメント参照) 次は「おかげ芋」。絵からはただの「焼き芋」か「ふかし芋」と思われる向きもあるやも知れませぬが、これは和菓子なのです。わが地元の菓子舗「寿々屋」のお菓子である。詳細は以前の同様の絵の説明文で触れているので、省略します。 <参考>第89回展 ※第89回展の説明では秋限定商品と説明していますが、 最近は年中販売しているようです。 このお菓子は、偐家持が智麻呂邸訪問の手土産に持参のものでありますが、当展覧会ご来場の皆さまへのお茶菓子としてもご用意したもの。どうぞ、ご自由にお召し上がり下さいませ。(おかげ芋) 次はアンスリウム。ヤカモチ館長などは、アン何とか、と名前をすぐに忘れてしまうのであるが、花の形状や色の印象が強いので、花そのものは忘れることがないのでもある。その点、和名の「べにうちわ」は覚えやすくていいですな。 この絵は、小万知さんの写真集から描かれました。(アンスリウム<紅団扇・べにうちわ>) 次の絵は、金柑ではなく金豆であります。絵では実の大きさが分からず金柑と言ってもそのまま通りそうですが、実物は一目瞭然。実の大きさは金柑の10分の1にも満たない、小豆程度の小さなもの。ヤカモチ館長が1年前位に通り掛かった花屋のご主人と会話しているうちに鉢植えを買い求める成り行きとなり、そのまま、その鉢を智麻呂邸にお持ちしたもの。それが、今年も実を付けたというので、絵にされました。 <参考>第158回展 パンダとい名の葵 2015.3.15.(金豆<きんず>) 次は桜。ソメイヨシノです。 と言っても今年の花ではありません。当地大阪のソメイヨシノの開花は今月27日頃の予想にて、未だ固い蕾である。 智麻呂さんが、桜の開花を待ち切れず、「桜を描きたい」と仰るので、ヤカモチ館長が、フォト蔵に保存登録しているマイアルバムの中からピックアップして印刷、お持ちした写真から絵にされました。 桜や白梅など「白い花」は、色のある花と違って、色鉛筆画にあっては、花を塗る形で絵にすることは出来ない。花の部分を塗り残すという形で白い花は出来上がる。 つまり、「桜の花を描く」ということは「桜の花を描かない」ことによって、初めて可能になるというややこしいことになるのである。 恒郎女さんは、その辺を「桜の花を描きたいのだけれど、描けないというジレンマ」と、花の描き方に苦労されている智麻呂さんの姿を「面白い」と愉快がって居られました。何やら「フゥ~ッ。」とため息をついて居られる智麻呂さんのお姿も彷彿となるのでありました。 では、その「描かれなかった部分」としての「桜の花」を、以下とくとご覧下さいませ(笑)。(桜) 次は、桃。ハナモモであります。 桃の節句に因んで、智麻呂さんが行かれているデイサービス施設の「アンデスのトマト」で描かれた絵です。即ち、アンデスのトマトのモモということで、言葉としては、何やらトマトともモモともつかぬ訳の分からぬモノなのであるが、絵の方は、紛うかたなき「春の苑くれなゐにほふ桃の花」である。春の苑 くれなゐにほふ 桃の花 した照る道に 出で立つをとめ (大伴家持 万葉集巻19-4139)(桃) 以上です。 本日もご来場賜わり、ご覧下さり、有難うございました。
2016.03.07
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本日は、墓参。その後山沿いに北へ、花散歩。枚岡梅林などを散策して参りました。 いつもの道中の寺の門前の言葉は、先月と同じ。未だ3月のそれに切り替わってはいないのでパス。また、お天気は下り坂、西の空は霞んで、六甲の山々は見えず、市内のビル群も辛うじてぼんやり見えるだけ。それではと山側に目を転じると、梅の花が今を盛りと咲き匂っているのでありました。(墓から山側を眺めると)(同上)(墓地) 墓参の後は、咲き匂う梅の花に誘われて、山沿いの野道を北へと散歩。花散歩であります。(水仙) 道端に咲いていたオキザリス。どう見ても普通のカタバミではない。園芸種のそれが種を風に乗せてここまで運び、野生化して繁茂しているのであろう。これも亦、貴種流離ですかな(笑)。(オキザリス) (同上) その後通り掛かった民家の前の鉢植えに咲いていたのが、下のオキザリス。上の道端のそれはまだ花が開ききっていなかったが、開ききると下のようになるのでしょう。ここが、「道端オキザリス」のご実家であるのかも知れない(笑)。ご実家の方にはピンクの色のものもある。 (同上) 西洋タンポポが巾をきかせる中、二ホンタンポポが咲いていました。この野道では二ホンタンポポばかり。まだ、西洋化されずに古来の姿を保っているよう・・まあ、さっき見掛けたオキザリスのことは別にして、であるが・・。(タンポポ) 三本でも二ホンタンポポなのである。 ホトケノザやオオイヌノフグリが春らしさを演出してもいる。(ホトケノザ)(オオイヌノフグリ) オオイヌノフグリは小生の好きな花。まるで夜空の星のようである。(同上) (同上) 枚岡梅林の南側のマンションの一角に咲いていたのはオオキバナカタバミ。 この花は智麻呂さんも絵にされたことがあるが、よく見掛ける花。(オオキバナカタバミ)(同上) 黄色の花と来れば、やはり菜の花。 リュウキンカも咲いていました。 リュウキンカの花言葉は「必ず来る幸福」らしいから、近々いいことがあるのでしょうか(笑)。 (菜の花とリュウキンカ) リュウキンカの近くに咲いていたスミレみたいなこの花は名前が分からない。(名前不詳)(追記)上の花は「ハナダイコン」という名だそうです。ひろみちゃん8021氏 よりご教示いただきました。(下記コメント参照) さて、枚岡梅林です。早咲きの寒紅梅などはもう散った後であるが、普通咲きが満開、遅咲きの淋子梅などはこれから、ということで、今暫くは観梅が楽しめそうである。(枚岡梅林) これらの梅の木が近く全て伐採されるとのこと。 プラムポックスウイルス(ウメ輪紋ウイルス)に感染しているらしい。このウイルスは人体には無害らしいが、感染した樹木を治療する方法は発見されていなくて、感染防止は感染樹木を伐採し焼却するという方法しかないとのこと。伐採後3年間はウメやモモやスモモの木は植樹してはならないとされているので、枚岡梅林の梅もこれが見納めとなる。枚岡梅林が復活するとしても、それはかなり先の事になるでしょう。 このブログでも何度か紹介している枚岡梅林であるが、この姿はもう見ることはできません。ちと寂しくなりますな。 <参考>プラムポックスウイルス(同上)(同上) この楊貴妃も伐られてしまうのですな。まさに長恨歌である。 (梅・楊貴妃)(白梅)
2016.03.05
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本日は囲碁例会。 出席者は竹〇氏、福〇氏、村〇氏、荒〇氏と小生の5名。 先ず、竹〇氏と対局。上辺の争いで白5子を取り込んだ処まではよかったのであるが、終盤にかけて右下黒石の一団が頓死して万事休す、逆転負けとなりました。続く村〇氏とは、左辺の戦いで一手見損じがあって、種石を取られてしまい中押し負け。次の福〇氏とは終始優勢に展開、終盤にかけてかなり取り戻される状況となりましたが、中盤までの貯金がものを言って、10数目の大差で勝利。最後の荒〇氏とは、激しい碁となりました。中央の大石を仕留めるため、右隅、右辺上部でかなりの地を犠牲にして打ち、ほぼ目的を達成して取り込み成功、楽勝かと思ったのであったが、下辺に絡んで来た石への対応で読み違いがあって、右下隅の黒石と連絡されてしまう失敗。これで逆転されたかもと思われたが、最後に挑んだ左辺の黒石への攻めが功を奏してこれを取り込むことに成功、中押し勝ちとなりました。 よって、本日は2勝2敗の五分、可もなし、不可もなしでありましたが、大事なポイントでの勘違いなどまだまだ未熟であります。特に竹〇氏との対局はほぼ勝利を手にしていた展開であったのに、無理な切り違えをして、自身の右下の一団の石を殺されてしまう失敗は、自身が優勢であるという大局を見ずに危険を冒すという戦略のミスでありました。 さて、本日も、昼食は「れんげ亭」でありましたが、他に立ち寄り先もなく、写真がありません。それに気が付いて、帰途に花園中央公園に立ち寄り、恩智川に居たコサギの写真を撮りました。コサギの写真で・・とはコソクな手段でありますかな(笑)。まあ、オレオレ・サギよりはいいでしょうとは、コシャクな言い草。いえ、これは道草の写真であります。(コサギ) (同上) 鷺と囲碁と何の関係があるのか。と思われる向きもおありかと思いますが、囲碁は黒石と白石とで勝負しますので、これを烏鷺の戦いとも言います。黒石を烏、白石を鷺に喩えての言いであります。つまり、鷺も囲碁の一方当事者なのであります。烏の方は、往路ではカアーカアーと鳴いていましたが、復路では見掛けず、写真を撮れなかったのは残念と言うか、迂闊(烏闊)でありました。
2016.03.02
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