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昨日時間がなくて寄れなかったヒンドゥー寺院へ行こうと言うことになって朝、車を発進させたとたんガタンガタンと大きな音。え?パンク?と降りてみたらやはり右の前輪がフラットになっている。娘と二人困った顔をしていたら通りかかった男性が、手伝って上げようか?というしぐさ。ありがたいこと。聞けばマウイから家族とヴァケイションに来ているという。ハワイは世界のリゾートだけどカウアイはハワイのリゾートなんだなあ。手際よくスペアタイヤに取り替えてもらい、何かお礼をと言ったら、「今日一日あなたたちが無事で楽しく過ごせればそれで十分」とニッコリ。何度もThank you!を繰り返して改めて出発する。幸い途中にレンタカー会社があるのでそこへ先に寄りパンクの話をしたら新車のフォードに代えてくれた。やれやれ、お陰でハンドルを左に曲げていないと真っ直ぐ進まず、ワイパーは手で押さえていないと止まってしまうポンコツシボレーとおさらばすることが出来、以後は快適なドライブとなった。(運転と英語の出来る娘がいてくれるとほんとにラクチン)時間を取った割にはサンクスギビングのお陰で道路はスイスイ。ヒンドゥー寺院についたら丁度朝の礼拝(?お勤め?)が始まったところだった。6,7年前に来た時いらした白い長いあごひげのグルは国連平和賞も頂いた方だが4年前に亡くなり、今はアラジンと不思議なランプに出て来そうな腰布1枚の2メートルはありそうな大きなインド人男性。本堂の中央には世界最大と言われる30キロ近い巨大なクリスタルが置かれ、両脇の壁には手が4本ずつあるダンシングシヴァの像が100体ほど並んでいる。参列者は十数人。何回にも分けて配られるビブーティーのような灰やオイル、赤い粉末などを手のひらで混ぜ合わせて眉間に塗る。余ったのは喉と胸のチャクラに塗った。ここはハワイで唯一のヒンドゥー教の寺院。そこになぜアメリカのアーカンソーで掘り出されたクリスタルが置かれているのか分からないが、ここを最初に教えてくれたのはミネハハさんだった。地元の人に場所を聞いても誰も知らず、探すのに苦労したのを思い出す。庭は植物園のようにさまざまな植物で美しく彩られ、ハワイ一古くて大きなバニヤンの木が無数の根を垂らしてそびえている。いつか来た時何かの木にカトレアが寄生して大輪の花を咲かせていたのには驚かされた。週に一回火曜日の午前中だけ庭の奥まで公開されているが、今日は途中までしか行けなかった。目の前にそびえる世界一雨量の多いワイアレアレ山から流れる川があのゆったり流れるワイルア川の源流となる溜池が目の下に見える。ランチにはピザを食べようとブリックオーブンへ行ったらサンクスギビングで今日はお休み。仕方なく2番目に美味しいコロアタウンのレストランのピザにする。ハワイでの外食はまず美味しいと言えないが、ピザだけはけっこうイケるのだ。午後は部屋でしばらく昼寝してから秘境と言われるポリアレフビーチへ。今日でPGAが終わったポイプベイゴルフコースから先はダートロード(土の道)。ダートロードでの事故は保険が出ないので慎重に走る。ビーチにはほとんど人がいない。松の木(と言っても日本のものとは枝ぶりが全然違う)の下にゴザを広げ娘と二人並んでまたもや昼寝。ほんとにいくらでも眠れる。目を覚ますと海の上を小型の長方形のパラシュートが行ったり来たりしている。ロープの先を握っているのはスノーボードくらいのサーフボードに乗った青年。海の上を風に引っ張られてスイスイ滑っている。パラセーリングでもないし、これはいったいなんというスポーツなのだろう。帰りはポイプビーチに寄る。ここは全米一に選ばれたこともある白砂の美しいビーチだ。休日とあって子供連れの家族が多い。雨が降って来たのであまり長居をせず帰ることにした。かくしてカウアイ最後の日は暮れて行った。明日はいよいよ初めてのマウイ。そろそろパッキングをしなければ。
2005年11月25日
カパアのアンジェリンのロミロミは人気があるらしく、今朝の9時しか予約が取れなかったので渋滞を見込んで早めに出かける。途中銀行へ寄ったりして着いたのはキッカリ9時。すぐパレオ1枚になって蒸気がもうもうと立ち込める六角形の小屋へ入る。水を飲みながらベンチに腰掛けていると全身から汗が流れる。やがてパレオをはずし2台のベッドにそれぞれうつ伏せに寝て荒塩で身体中こすられてピーリング。施術者は女性だし、お互いの顔も見えないほどの濃霧の中だからとは言え仰向けになってもそのままというのはちと恥ずかしい。まさにまな板の上の魚状態。全身塩まみれになってそのまましばらく塩蒸しになる。これは自分をなかなかオープンに出来ない人にはうってつけかも知れない。シャワーで塩を流してからいよいよマッサージの始まり。ここのロミロミはいつも二人がかりで、同時に上半身と下半身を分担するのだが、今回はアンとノーマジーンという年配の女性が力強いマッサージをしてくれた。2年前に初めて来た時はご夫婦らしいカップルが担当で、男性が朗々たる声でチャントを唱えながらしてくれて、最後はお祈りで終わったのだが、去年も今年もそれはなし。BGMもなく、時々外の金属製の風鈴が立てる軽やかな音だけが聞こえていた。終わると顔も髪もグチャクチャなので再びシャワーを浴び、シャンプーをしてから服を着る。ますます代謝がよくなりお肌はすべすべとなった。帰りはABCストアの横のロータスカフェでランチをしてからココナツマーケットプレースに寄ってアイスクリームを食べ、ちょっと買い物をして戻ったのは4時近く。夕食はいつもここで一緒になるカリフォルニアから来たガーランド&ノリコ夫妻の部屋に招かれる。お二人はキミエさん夫婦の長年の友人でやはり10年前私と同じ時に初めてカウアイへ来て以来毎年同じ時期に予約をして来ている。聞けばお二人は今年結婚52年目とのこと。二人の娘さんには4人の孫がいて幸せなご一家だ。終戦直後の国際結婚は悲劇に終わったものが多い中で珍しいケースかもしれない。アルコールが入って舌のまわりが軽くなったガーランドさんの話を聞くと、やはり平凡なことだけれど夫婦の間で大切なものは、相手への思いやりと誠実さしかないように思う。彼曰く「素晴らしい男性は素晴らしい女性が作るんだよ」たしかに。でもその逆も又真なり。まだ独身の娘にはとても参考になったかも。
2005年11月24日
18日にカウアイ島へ来て4日経った。今日東京の娘がパソコンかついでやって来たのでさっそくwebメールで400通近いジャンクメールのゴミ掃除。ようやく日記を書けることにもなった。自宅に電話したら私のPCは修理が終わって戻って来ているとのこと。再会するのは12月も半ば近くなるので、それまではちょっと不便だけど娘のを借りることにする。さて毎年11月にカウアイ島へ来るようになって今年で10年。そのいきさつは以前「ミシシッピのキミエさん」というタイトルで書いたから省くけれど、コンドミニアムの建物も庭も海もまわりの自然も、何もかも全てが変わっていないのでホッとする。フロントデスクの人たちが覚えていてくれて、Welcome home!と笑顔で迎えてくれるとほんとに我が家へ帰って来たような気分で嬉しい。去年一昨年と大勢の人をお連れしたので今年の同行者は娘だけ。と言っても最初の日は去年フィンドホーンへ行ったカナエさんが1泊し(彼女はハリケーンの被害に会って来れなかったキミエさんの部屋を1週間借りてくれたのだ)、その後の3日間はホノルルへフラの研修に来ていた宮崎のフラの先生むっちゃんがご主人と泊まっていたから一人きりだったわけではない。今回の部屋は最上階の4階で、居間のソファに座っているとビーチ沿いのたまに車が通るだけの道路も見えず、ただ海しか目に映らない。そして見事なサンセットがラナイ(テラス)から毎日眺められる。今朝は西の空に長いこと大きな虹がかかっていた。朝日も西日も差し込まず、今までで最高の部屋だ。これからはここに決めて予約を入れよう。10年目ともなるとどこかへ出かけようという気にもならず、日がな一日リクライニングチェアーに寝そべってキラキラ光る海を眺め、沖を行くヨット、青い空、白い雲をボーッと見ながらいつのまにかまどろみ、本を読むだけの日々。いつものことだけれどここへ来ると代謝システムが活発になり、何もしなくても身体中の毒素が抜けて行く感じ。今朝むっちゃん夫婦が帰るのでまだ真っ暗な5時に空港まで出発。帰りは一人で運転して来たけれどまだ暗いまま。久しぶりの左ハンドル右側通行で、しかも国道は制限速度の50マイル(80キロ)は出さないと後ろにずらりと並んでしまう。対向車線をビュンビュン飛ばしていく車のライトがまぶしくてさすがに怖かった。11時にもう一度空港へ娘を迎えに行ったが、昼間ならどうということもない。夜はB&Bに泊まっているカナエさんが来て一緒に夕食を摂り、近くのハイヤットリージェンシーホテルへレイラニさんの歌とケイキ(子ども)フラを見に行く。このホテルには明日から行われるPGAグランドスラムのタイガーウッズたちが泊まっている。娘も来たことだし、明日は東部のカパアまで足を伸ばしてヒンズー寺院とロミロミのアンジェリーナの所へ行こうと思う。
2005年11月23日
ブログを大分ご無沙汰してしまった。というのはある朝突然パソコンがダウンしてしまったのだ。リペアセンターに電話して状況を話したら送ってくださいとのこと。かくして片翼をもぎ取られた天使(?)の如く何も書けない私となってしまったのである。今は東京にいて、娘のパソコンを借りて時々webメールを見ているが頂いたメールに返信は出来てもアドレス帳がないので新規メールは書けない。そろそろ修理は終わるかも知れないけれど、今夜の飛行機でハワイに発つので再会するのは12月半ばに我が家へ帰ってからとなるのでちょっと寂しい。23日からはカウアイ島で合流する娘がパソコンを持って来るはずなのでリアルタイムでハワイ日記が書けそう。この間「Always3丁目の夕日」という映画を見た。今から50年近く前の東京が舞台で、丁度東京タワーを建設していた頃の話。まだ都電が走り、人々の間に熱い信頼関係が生きていた頃の時代だ。懐かしさと人の心の美しさに涙が止まらなかった。そして2日後、今度は東京でIHM社主催の「ウオーターフォーライフ」のイベントで映画「ストーンエイジ」を観る。引きこもりの青年が立ち直っていく姿を描いたものだが、その中に水の結晶写真やMRAによる波動測定や波動水を作るシーンも出て来る。ごはんに「ありがとう」という言葉を毎日かけていたら発酵して芳香を放ち、「ばかやろう」と言い続けたら真っ黒に腐敗して悪臭を放つというおなじみのシーンなどもあって、この映画が少しでも人々の気付きを触発するものになればいいなあと思った。これは自主上映の映画なので「地球交響曲」同様、いつか私の地元でも上映してみたいと思う。小学校や中学校で出来たら一番いいのだけれど。
2005年11月18日
昨日は自宅での久しぶりのトランスフォーメーションゲーム。いつも夏の間は出来ないので秋から冬にかけてが多く、今月は今回の次が17日に逗子の「ワイオラ」で、12月3日と4日はホノルルで2組、1月28日は近所の「ドームパラダイス」でする予定。何ヶ月も前からメールのやり取りをしてお約束をした看護師さんのグループ4人が予定通り午後到着。皆さんはお友達だけれど私はどなたとも初対面だ。ほんとは新装成ったお店でする筈だったのだが、まだ工事が終わっていないので、今回少し広くなった居間ですることにする。集中出来ないと困るので、大工さんには午後からお休みにしてもらった。ホリスティックナーシングを目指しているお仲間とあってさすが意識の高い方たちばかり。シェアリングも的確でゲームはスムーズに流れ、時間の割りにはかなり内容の濃い展開となった。いつになくペイン(痛み)が沢山出て、最後には動けなくなってしまう人もいたけれど、それをポジティブに受け止められる度量も持ち合わせていて感服。その一方で久しぶりにたった一つしかない「トランスフオーメーション(変容)」のスクエアにピッタリ止まった方も出て、とてもエキサイティグなゲームだった。お友達同士とは言え、今まで言わなかったことをオープンにしたり思いがけない面をお互いに発見したりで更に友情は深まったのではないだろうか。「こんなに楽しいものだとは思わなかった」との言葉に私も嬉しかった。遊び心たっぷりなのにカウンセリングの要素もあり、改めて自分を見つめることも出来、敬虔な思いになる瞬間もあり、潜在意識に抱え込んで忘れていた記憶を浮かび上がらせて気付きを得ることも出来るこのゲームは本当に素晴らしいものだと思う。2時半過ぎに始めて、夕食をはさんで10時に終了。その後お茶を飲みながら真夜中過ぎまでいろいろな話で盛り上がる。今日も昨日に引き続き素晴らしい秋晴れ。真っ青な空を背景に金色に色づいたからまつの林が美しい。みんなで近くの原生林へ行く。半ば落葉した森はとても明るく気持がいい。樹齢700年はありそうな桂の大木の前で、気功の先生をしている方の指導のもと全員で深く木のエネルギーを吸い込みながら気功をする。香ばしい落ち葉の香りが一緒に入って来る。その後歩きながらの気功や太陽瞑想などいろいろ教えて頂いた。今は森がとてもいい季節。これからも出来るだけ行くことにしよう。
2005年11月10日
この週末新潟へ一泊旅行をした。吾妻線で1時間の渋川まで行きそこで友人のきくちゃんご夫婦の車に便乗させて頂く。インターから関越道に入り一路新潟亀田まで約2時間半。途中湯沢辺りへ来ると両側の山は丁度紅葉がいちばん美しい時。素晴らしい秋晴れに恵まれ景色を眺めつつ気の置けないおしゃべりを楽しみながらの快適なドライブだった。亀田インターで一般道に入り、白鳥の飛来で有名な瓢湖を目指す。そこで今日の目的である大工のマナブくんと落ち合うことになっているのでしばらく鳥たちを眺めながら一休み。その時きくちゃんが「何?この白い鳥、カモメ?」と言ったのでご主人と私は思わずズッコケそうになった。彼女は時々歴史に残るような迷言を吐いてはみんなを楽しませてくれるのだが、今回も夕食の席までそれで盛り上がった。でもそれを一緒に笑っているきくちゃんは実にカワイイ。彼女とは3年前からのお付き合いだが、その素直さと豊かな感性で私たちが何気なく言った言葉からもいろいろなことを吸収してみるみる変貌を遂げて来た。トランスフォーメーションゲームを2回受け、今年はフィンドホーンにも行き、うちでの読書会にも欠かさず出席してくれる。逗子でのエニアグラムも皆勤だった。自分でも気付かなかったという厚い殻を次々脱ぎ捨てて、さなぎが蝶になるような見事な変身ぶりを見せてくれている。(これは丁度2日の東京での読書会のテーマだった)さて、瓢湖からマナブくんの先導で山の中の彼の家まで行く。マナブくんはうちの離れの「学美庵」や物置を建ててくれたり屋根裏部屋を作ってくれた大工さんだが、若いのにとても腕がいい。それだけでなくスピリチュアルな本も読む自然体の人。しかもなかなかのイケメン。うちへ来た頃は金髪でベルボトムのジーパン姿だったからどう見てもミュージシャン。とても大工さんには見えなかった。2年前に結婚してその新婚旅行に私やきくちゃんなど総勢10名の中に混じってカウアイ島へ一緒に行った仲間でもある。しかし紺屋の白袴とはよく言ったもので、自分の家は後回しになるらしく、2階へ上がる階段は現場で使うスチールの梯子。滑らないようにおっかなびっくり上り下りした。その後同じく大工のお兄さんと2人で請け負ったという竣工真近のログハウスを見せてもらってからその日の宿へ。夕食は彼が予約していてくれた和食のお店。奥さんのアキちゃんは丁度お友達の結婚式で来れなかったけれど、その代わりに二人の友人たちが6人ほどやって来て賑やかな食事となった。やはり波動の法則。良い人には良い仲間が集まるのだなあ、と思う。泊まった所が福島潟という自然保護地域のすぐそばだったので、そこで野鳥の保護の仕事をしているアキちゃんや昨夜のお仲間の森林レインジャーのお友達なども朝早く来てくれて、鳥たちの朝の飛翔を見せようと案内してくれた。所々葦が茂って鳥たちには絶好のねぐらである潟の水面に、首を羽毛に突っ込んで寝ているカモや白鳥の群が何千羽といる。コォーコォーという白鳥の賑やかな鳴き声はこの時期の風物詩でもあるそうだが、次々と目覚めては4羽5羽と群になってエサを求めて飛び立って行く。これは家族単位なのだそうだ。時々ご近所さん同士3家族くらいが群になって飛んで行くのもいる。ほかにマガモやコガモ、オオヒシクイやカワウなどもいてまさに野鳥の天国。彼らは近くの田んぼへ行っては落ちている稲や刈り取った後の青い新芽などを食べるのだそうだ。さすが米どころ新潟。まわりはどこまで行っても水田が続き、鳥たちにとっては打ってつけの場所なのだろう。その後マナブくん夫婦に月岡温泉や刀剣の博物館、菊の展覧会、昔の豪農の屋敷などを案内してもらい、一緒に食事をして帰路に着いた。何も予定のない旅行だったのだが、めったに見ることの出来ない風景や場所を案内してもらって本当に楽しかった。渋川から又電車で長野原草津口まで来たらもの凄い土砂降り。駅に停めて置いた車で濡れることもなく無事家に帰り着いた。マナブくん、アキちゃん、お仲間の皆さん、そしてずっと運転をして下さったご主人、きくちゃん、楽しい旅をありがとう!
2005年11月07日
11月1日、東京は日比谷公園内にある松本楼でJOSの集いがあった。JOSとは「ジョンソン奥様使節」の頭文字。洗剤や固めるてんぷるなどで有名なジョンソン社が、アメリカの本社が100年以上前から行なっている年間売り上げの5%を地域に還元するという社是に従って、家庭の主婦10人と家庭科の教師5人を年に一回2週間アメリカへ招待するというのを1967年から11年にわたってやっていたことがある。それがJOSだ。最初に新聞で公募をし、全国の主婦から3万通くらい送られた葉書の中から抽選で1000名を選び、全員に同じ課題で作文を書かせて20人を選んで更に面接で10人にしぼる。私は幸いにも1972年の第5回目の10人の中に入ることが出来た。(家庭科の先生は抽選なしで作文と面接だけだった)今から30年以上も前のこと。一般人の海外旅行など夢の又夢の時代だったのだから合格通知を受け取った時は天にも昇る思いだった。1ドルが360円からようやく300円になって間もない頃の話だ。しかも夫や子どもを置いて主婦が2週間も家を空けるなんて、普通では考えられなかった時代。タダだからということで夫たちは渋々出してくれたのだと思う。しかしこの旅行がその後の私の人生を大きく変える火種になろうとはその時は知る由もなかった。このJOSのアイディアを出し、アメリカへも同行して下さったのは当時ジョンソン社の社外重役だった評論家の秋山ちえ子さん。JOSの11年にわたる我々メンバー総勢165人は、その後秋山先生を中心にボランティア活動を長いことして来たが、先生が高齢になられたこともあって、今は毎年先生のお誕生日に新年会をするのと隔年の総会しかしていない。当時ミニスカート姿もさっそうとしていた我々メンバーも皆年を重ねて来ている。その頃新婚ホヤホヤだった人がもう定年退職し孫の世話をしているのだから。今回の集まりは先生の57年続いたラジオのお仕事の終了と、その間のことを書かれた「風の流れに添って」という本の出版をお祝いする会であった。先生は今年88歳。戦後の働く女性の先頭を切って素晴らしいお仕事をして来られたと思う。私が師と仰ぐ方は学校時代の恩師も含めて皆80代、90代と長寿で私は幸せなことにまだ先生のお葬式と言うのには行ったことがない。フィンドホーンのアイリーンも同じ88歳。皆さんに共通しているのはとてもおシャレだということ。凛としていること。これは間違いなく長生きの秘訣に違いない。
2005年11月04日
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