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昨日はアムステルダムでの乗り換えがただでさえ4時間待ちなのに、更に遅延があったのでホテルに着いたのは日本を出てから30時間後。シャワーだけ浴びてバタンキュー、朝7時までぐっすりと眠りました。 今回のロンドンの目的がBritish Museumなのでホテルはすぐ近くをHotels.comで予約したのですが、いかにもロンドンらしい部屋は狭いけど調度品などに品の良さが感じられるコージーなお部屋です。 今日は10時半から5時過ぎの閉館時刻まで、日本語のイヤホンガイドを借りて、途中館内のレストランで一休みしながらかなり見回ることが出来ました。 今から8000年も前にこんなにも素晴らしい技術があったのかと感服する国がイラクやシリアなので、今の状態を思うと本当に心が痛みます。 ミイラやそれを収める棺が狭い部屋にぎっしり置かれている部屋では息苦しくなり長くいられませんでした。博物館は置かれている物たちが発するエネルギーがいろいろなので美術館より何倍も疲れる気がします。 写真は撮ったらきりがないので特に印象に残ったものを少しだけにしました。平たい古代エジプトの絵の中に突然近代的な陰影のある人の顔の絵が現れてびっくりしました。 ホテルへ戻るなり夫はシャワー浴びてすぐに高いびき。私も服のまま横になったら少し眠ったみたいです。さすがに疲れました。なぜかおなかが全然空かないので今夜は夕食抜きです。
2017年08月29日
いよいよ明日出発となりました。関西空港からなので大阪まではフェリーで行くため夕方出発です。明日の夕食は船の中なので、食事の支度は明日の昼まで。冷蔵庫の中は見事にスカスカになりました。野菜は人参とキャベツだけになったので、人参は保存袋で野菜室に入れておけば大丈夫でしょうから、キャベツだけは何とか片付けようと半分はザクザク切って細い塩昆布と胡麻油をまぶし、残りはじゃこと干しエビとで炒めてソースをかけてみました。名前もないような即席料理ですが、ビールのつまみにはなったようです。昨日はなすと天つゆの残りをどうしようかと考えて、油はこの間固めて捨ててしまったのでフライパンでいためたなすをタカノツメを入れた天つゆに漬けたら、何とか揚げ浸し的になりました。毎年行っていたカウアイ島から帰る時も最後に何も残らないようにいろいろ工夫するのが面白くて、上手く行くとひそかな達成感を味わって満足していたものです。今日が生ゴミの日だったので、どうしても最後に少し出てしまう生ゴミは庭の隅に埋めれば完ぺき。今夜はご飯は炊かずお寿司を買って来ましたし、明日のお昼はパンです。こちらの握り寿司はシャリが大きいのが特徴。そしてワサビは入っていないか、入れてあってもほんのちょっぴりです。最近築地の「すしざんまい」が小倉の魚町に支店を出したので、そこへ行くとサビの効いたシャリが小ぶりの江戸前が食べられるのですが、夫に言わせれば「けちくさい」そうで、九州人は何でも大きいのが好きみたいですね。
2017年08月25日
いつものことなのですが、しばらく二人で家を留守にする時は冷蔵庫の野菜や果物が残らないよう、献立を考えながら少しずつ整理に取りかかります。今日からそろそろその時期なので、さっそく今日は「片付け」天ぷらにしました。なすとちくわと半端に残っていたエビはそのまま、半分の人参と玉ねぎ、1個だけあったピーマン、それにチルド室にあったむきエビを全部混ぜてかき揚げにしました。食べるのは大好きなのにいちばん下手なのがこのかき揚げです。衣を濃い目にしたり、へらにのせてそっと鍋に滑り込ませたり工夫するのですが、売っているのみたいにしっかりと出来たためしがありません。今日のはまあまあいいほうですが、揚げたてはしっかりしているのにすぐバラバラになってしまったり柔らかくなってしまったり。エビもちゃんとおなかに切れ目を入れたのにまるまってしまって。それでも夫は美味しい、美味しいときれいに平らげてはくれましたけれど。何とか上手になりたいものです。
2017年08月21日
最近時間が矢のように早く過ぎて行く気がします。あっという間に1週間が過ぎ、すぐ1ヶ月が経ってしまいます。その反面5年前のことが遠い昔のように思えたり、10年前のことが「まだそれしか経ってないの?」みたいに感じたり時間に対する感覚が何だかおかしくなっています。(ただ単に私のアタマがおかしいだけかも)半年くらい前にエアチケットやホテルを予約したりしてまだまだ先の話と思っていたヨーロッパ行きが1週間後に迫りました。ほとんど夫の希望に合わせて大英博物館見学のためにロンドン3泊、フィンドホーン(邦江さん宅)3泊、娘の麻奈がオーガナイズするグループと合流した後、アバディーンからアムステルダムへ飛び、国立やゴッホなどの美術館を見て3泊という予定です。ここにも友人がいるので楽しみです。ロンドンには孫娘二人がいるのに、あいにく夏休み中で日本に来ていて案内してもらえずジジババ二人の珍道中ですが、何とかなるでしょう。気温は17~20度と言いますからかなり涼しそうです。こちらの気温と合わないので旅支度がし難いです。
2017年08月19日
昨夜はかなりの雨でしたが、この辺りには大きな川もなく土砂崩れするような山もないので全く何の被害もありません。お昼頃下関のお義姉さんがお墓参りの帰りにご主人と来られました。お義姉さんはうちのフルール会や瞑想会などにもよく来てくださるのですが、いつもは入退院を繰り返しているご主人が気になってゆっくり出来ません。それが昨日はご一緒だったので安心して夕方までお寿司やおはぎなどつまみながらゆっくり4人でおしゃべりすることが出来ました。自然に双方の両親や先祖の話になり、お互いに両方の父親がお酒のみだったり、人に裏切られて失意の時があったりなど共通のことがあったり、私の父と夫の祖父が新聞記者だったことがあるなど話題が尽きませんでした。こうしてお盆に故人を思い出してその話をするのは供養にもなるのだそうです。うちの両親もきっと喜んでくれたことでしょう。私一人の時は話す相手もいませんでしたから。病気がちであまり外に出られないお義兄さんが、「久しぶりにとても楽しい時間だった」と喜んでくださったのが何よりのひとときでした。
2017年08月15日
今日も新聞の記事から。「玉砕」という言葉が載っていました。「玉が砕けるように美しく死ぬ」という意味で戦争中使われた言葉です。要は追い詰められた兵隊たちが自分で自分を殺したり、お互いに殺し合って死ぬということで、決して美しいことではなく、「悲惨」「残酷」「無残」「無念」「むごたらしい」「号泣」などの言葉が当てはまる言葉です。(言葉の言い換えも日本政府のお家芸で最近も盛んに使われています)終戦間際に南海の孤島であるアツツ島での「玉砕」が最初で次々サイパンやぺリリュー島などで同じことが行なわれました。島を何百隻という敵艦に囲まれて援軍も食料も絶たれ絶対絶命なのに「決して捕虜になってはいけない。捕虜になるくらいなら死ね」と教え込まれた兵隊たちは死ぬしかなかったのです。援軍も求めず偉かった、などと言われていますが、援軍や食料を求めて打電しても大本営が無視したというのが事実です。ひどい話です。その安全な場所にいた大本営の連中が靖国神社に祀られているんですよ。国を守るためと戦死した兵隊たちは一緒に祀られて嬉しいでしょうか。天皇陛下が参拝なさらない理由がよくわかります。私も決して行きません。23歳で戦死した大好きだった叔父がそんな所にいるとは思えないからです。戦争を知らない政府の人たちはよく参拝に行きますね。それを是とする某有名女性評論家の先生もおいでですが。
2017年08月12日
1944年、終戦の前の年東京が毎日のようにアメリカ軍の空襲(今は空爆と言うんですね)を受けるようになったため、国策で東京中の小学生を地方へ疎開させることになり、田舎の親戚に縁故疎開出来ない子どもは集団疎開をすることになりました。区によって行く先が決まっていたらしく、私が住んでいた中野区は福島県でした。3,4年生は飯坂温泉の旅館、5,6年生は山間部のお寺に分かれ、兄弟でも別々にされました。当時4年生だった私は旅館組でしたが、ひもじさと寂しさで毎日みんなで泣いていたのを覚えています。私の両親は私が一人っ子のため、自分たちが死んだら孤児になってしまうから死ぬなら一緒にと、3ヵ月後に私を連れ戻しました。その直後父が招集され、家は空襲に遭い、私は母と祖母とで焼夷弾が雨と降る中を逃げ惑いました。なぜこんなことを書こうと思ったかと言うと、今朝の新聞で私と同い年の女性が、集団疎開中に親が空襲で亡くなって孤児になった大勢の子どもたちのことを調べて記録していると言う記事を読んだからです。その方もその孤児の一人で、終戦になって東京に戻ったら家も親兄弟もなくなっていたそうです。親戚に引き取られても食糧難の時代ですから邪険にされて逃げ出し、上野駅の地下道を寝床にしていた「浮浪児」が大勢いました。中央改札を入って左に行ったちょっと天井が低くなっている辺りに、そういう子どもたちが大勢いたのを覚えています。衝撃的だったのは、ある日トラックが来てそこにいた子どもたち30人くらいを乗せて山奥へ捨てに行ったという話です。国策で強制的に疎開させておいて、孤児になったら邪魔だから捨てるって、日本政府はなんとひどいことをするのでしょう。いかに国民を大事にしない国かがよくわかります。その伝統がいまだに残っていますね。だから私は「愛国心」とやらが持てないんですよ。
2017年08月10日
今月はいつもの新月ではなく満月瞑想会をしました。なぜかというと今月の新月は22日で、2日前がいつものフルール会の集まり。そして24日がいつものこの会のメンバーから2人が、娘の麻奈がリーダーのフィンドホーンツアーへ出発する日だからです。昨日は午前3時過ぎに満月になったので、瞑想会は11時から始めました。新月はお願い事を書く日ですが、満月は感謝をする日。考えてみると私たちは沢山のものや人間関係、豊かな体験を与えられていることに気づきます。そのどれもが貴重で大切です。その一つ一つに感謝をしてから瞑想に入りました。やはり一人よりはグループだととても集中出来ます。そしていつもの食堂でするよりも生活とは切り離された空間というのがまた更にいいですね。いつもよりずっと深い至福感を味わうことが出来ました。多分瞑想中は脳波がアルファー波かシータ波となり、脳内ホルモンのオキシトシンが分泌されるからでしょう。終了後はみんなで持ち寄ったお弁当を食べ、おしゃべりを楽しみました。
2017年08月09日
毎朝読んでいる「心の扉を開く」ですが、8月2日のページの答えがまだ出せないままでいます。タイトルは「直観で行動することを学びなさい」。これだけならこれまでの人生で大きなことー土地を買う、家を建てる、引越し、店を始める、再婚などーを全て直観で決めて来た私には何の矛盾もないのですが、本文の前半で立ち往生してしまいました。「自然に振る舞い、直観で行動することを学びなさい。それが妥当であり分別ある選択だと、あなたの理性が言うことだけでなく、心の命ずるままを行なうことを学びなさい。純粋な愛だけの行為は、他の人の目から見ればあまりに妥当性を欠き、ばからしいとさえ映ることもあるかもしれませんが、それはどうでもいいことです。突き動かされたならすぐに行動しなさい。立ち止まって天秤にかけてはいけません。なぜそれをするのか考えたりすることさえしてはいけないのです。」たとえば時々こういう記事を見かけます。目の前で見知らぬ子どもが川に落ち溺れているのを見て、とっさに飛び込み助けようとした男性が亡くなり、子どもは自力かほかの人に助けられたなどというケース。まさに直観的純粋な愛の行動だと思います。しかし、その男性の両親や妻子の嘆きはいかばかりでしょう。時間が経てば彼の素晴らしい行為を誇りに思うことも出来るようになるでしょうが、それまでの悲しみ、苦しみ、大黒柱を失った打撃や困難は長く続くと思います。また助かった子どもの親は喜びと同時にその男性への申し訳なさ、自責の念、心の痛みが当分消えないのではないでしょうか。そんなことを夫とシェアして二人とも答えが出せないのでした。
2017年08月06日
2009年の私の8回目で最後のフィンドホーン「体験週間」ツアーのメンバーの一人ゆきこさんの一人娘あやちゃんが岐阜から泊りがけで来てくれました。初対面は2009年高校3年生の時の夏休み。北軽井沢の我が家へお母さんと2泊か3泊で来た時でした。卒業後の進路がまだ決まらず悶々としていたらしく、お店の上のロフトで1日中寝ていたのを覚えています。でもお母さんの話では、その後フィンランドへの留学生試験を受けることを決心し、猛勉強して見事合格。ヘルシンキでの大学生活が始まりました。二人で東京の読書会にも来てくれたこともあります。2015年の春出発のピースボートでヘルシンキに寄航した時は1日中街を案内してもらいました。その翌年の冬の夫と一緒のクルーズ出発の日は、たまたま東京に仕事で来たからと横浜の大桟橋まで見送りにも来てくれました。美しい娘さんに育った孫のようなあやちゃんが来てくれて嬉しかったですし、お昼に作ったちらし寿司が美味しい、美味しいと翌日も残り物を食べてくれたり、パソコンの分からなかった所を教えてもらったりの楽しい2日間でした。夫もよくしゃべっていましたから「年配の男性には珍しくハートチャクラの開いた紳士」と評してもらい、チャクラの意味もわからぬまま満更でもない様子。喉のチャクラも常に全開の人です。
2017年08月04日
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