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「直覚霊知」141霊性認識の誤解(秘学論理) 内的世界の霊性へ導く精神の有り様が、史上の神聖を誤解して、断食・水達や不眠等の瞑想行為こそが人間を霊性へ導くと誤解していることは重大です。その当の神聖と崇められる人物は、其の魂の有り様は、生理学その他の自然認識とは、何ほどの関係ももってはいなかった筈です。それは自己の霊性を健全な思考や知覚そのものと同様に、一切の物質的な有り様からは全く離れた、純粋に霊的で魂的な経過の必然性なのです。とはいえ、通常の人間が神聖の外観行為を見倣うのも致し方ない部分ではあります。しかし、「行」をする弟子を殊更に厳しく身体のみの苦行を説明もせず果たさせるのは考えものでしょう。真の修行の営みによって生じる魂の在り様は、健全な表象や判断によって生じるものと同様同程度に身体の健常さに関わっているのです。そうでない仕方で関わっている全ては、真の霊的修行ではなく闇雲な誇張や歪曲を施したカリカチュアだといえます。真実求められているのは、内的精神から霊性を探求して霊魂と向き合い世界の理法を知り其の根源にある存在に触れることなのです。
2014年02月28日
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「直覚霊知」140霊性認識の危うさ(秘学論理) 個人の人生の一般的な生活の経過の中にまで、霊性の認識を絶えず印象を混入しようとすることは、シッダールタの様な修行以外に「業」をしない特殊な例を除いて、云わば其の指向性は眠りを有害な目覚めによって絶えず中断させようとする不眠症状態を造りだしているのであって、まったく健全な判断力は期待出来ないし不健康だと言えます。自己の内的な霊魂への参入には、その個人の意図を伴った自由意志がその決定に関与するのでなければなりません。その前提には何よりも不断の生活が道徳的実践力に従っていなければ、その人間には益を齎すことはおろか、かえって有害であって、正しい霊性を身に付けることは不可能です。その限りにおいては、極く間接的ですが禅道や瞑想による修行と人間が送る生活基準は当然に関連性があります。其れ故、自己の霊性を内覚的な観察で霊魂を捉え、世界の理法にある真相へと導く直覚知は、同時により其の人物の人生を高貴なものにする手段ともなります。他方にあっては、我々人間は自らの内感覚世界である精神に眼を向けることによって、外感覚的で物質的な世界にも適用しうる高次の道徳衝動に揺さぶられます。道徳上の必然性とは内的精神生活の認識から産み出されるものなのです。
2014年02月27日
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「直覚霊知」139(秘学論理) 特別に生誕した神聖を除いて、通常は人間が一定の年齢に達するまでは霊性は隠され続け現出することはありません。其れを一般に行と呼ばれるものに含まれる禅道や瞑想は、霊性をある段階で現出させる正しい手段に成り得ます。しかし其の年齢に達しても其の行を拒否し続けるなら、其の人間の覚醒はなく、霊性を知らないまま人生を終えることとなります。其の段階に至って自己の霊魂の発展がなかったことに悔いることがあってはなりません。丁度、稲が成長して花咲かせることもなく、稲穂が成らず根が腐り其の代で命脈を尽きるようなことは避けねばなりません。霊性存続、言い換えれば霊魂の再生を伝えるには、著者は人間精神の霊性の認識にとって大切な考え方に対する誤解は予め解いておかねばならない。そのような誤解の一つに、禅道や瞑想が人生を別のものにしてしまう恐れを抱く思いがあります。しかし「行」とは一般的な営みの指針を与えようとするものではなく、実行すれば、自己の霊性観察の可能性を与えようとするものです。霊性に関係のない日常の生活には直接的には影響は及ぼしません。それは自己の人生での営みに加えて、内実的な直感への観察力を身に付けさせます。その観察活動は、まさに人間の目覚めと眠りの状態の如く、通常の営みである生活からは区別されるものであり、決して一方が他方を助けることはあっても、妨げることは在り得ません。
2014年02月26日
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「直覚霊知」138高慢な暗い霊性とは(秘学論理) 現代における科学は、健全な判断力が受け入れることだけを認証しているように見えますが、真相は仮説の積み重ねから成り立っています。其の歴史は、人間の精神史と比較すればあまりにも些細なものでしょう。ところが、成熟し霊魂の存在を、遅かれ早かれ内感覚的な知覚器官を通して自分で目覚めさせることが出来た人物にとっても、先達の行による体験及び其の説くところの書物の規範は重要な意味合いがあります。何故なら、其のような人物は直覚知に至る以前にありとあらゆる誤道を経ざるを得ないからです。其のような人物は先達が教導する教えよりも、自己が霊魂への自己参入を、自らの魂が特別に選ばれたものとしての特権(臆見)に自惚れ、一種の暗い霊性をもって人を人とも思わない行動に出ることがあります。其れ故、史上及び先達の指導や体験を無視する危険性が伴います。霊魂への参入には、其の人物の成熟について先達の指導が及び規範が必要であったにもかかわらず、自己の霊性の獲得を特権と見做して高慢な態度をとり、他者の生命を軽く見がちになります。この様な事柄が度々史上に出現して、真の精神内の探求と霊性の認識を曇らせています。
2014年02月25日
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「直覚霊知」137健全な常識の必要性(秘学論理) 禅的な瞑想の行なしに、通常の人生生活においても自己の内面観察によって内面的感覚の精神に自己の本性を考察する人間にとっては、行法の規範が、自己の精神生活にどの様な影響を与えるのかを問おうとするのは当然の疑問です。此の問には行の規範について健全な常識をもって、その行法は、健全な判断力は失わずに一歩ずつ歩む時は常に、精神の健全な理解が伴っていると答えます。現代の時代の霊道は、健全な判断力が受け入れることを前提として成り立つ。それが、直覚的な内精神探求に励もうとする人達、盲目的な信仰に捕らわれまいとする立場の人間にとっては大切です。内的に成熟した精神と直感を持ち、遅かれ早かれ内覚の知覚器官を自分で目覚めさせることが出来得る人間にとっても行は不要なものではない筈です。それこそ、反対に其の様な人物にこそ、行は適切なものだと答えましょう。内的精神を成熟させ、遅かれ早かれ内感覚的な知覚器官を発達させる人間にとっても、大抵の場合は誤道を歩む可能性が否定出来ないからです。所謂、先人の行の体験は我々に、少なくとも脇道によらずに、真っ直ぐに前進するように指導する筈です。
2014年02月24日
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「直覚霊知」136直覚霊知への妨げ(秘学論理) 禅道等の瞑想を手掛かりとした修行を経ずに、通常の自己観察によって自らの内性に秘められた霊魂の本質を考察する人間が、禅道等の行に必要とされる道程について、その規範が個人の内的精神生活であるその霊性にどの様な作用をするのかを問うのは至極尤もなことです。その問には勿論その道程を体験できなければ、その働きの正確な観念を伝達指導出来得ないが、健全な常識と判断力による言語によっても十全に理解させられうる問題です。何故ならその道程の体験は、常にその体験に在って理解を伴っている筈だからです。現代の世界の理法に於ける直感的な知覚を探求する試みは、健全な判断力が受け入れることだけを霊性の探求に役立たせようとします。そこでは、自己の霊魂への探求に励む人間、加えて、盲目的な信仰に捕らわれまいとする立場の人間にも疑問をも解消させる力があります。其れ故、自己の内的精神を高次の段階へ高める世界自然の理法を創造した否定出来ない絶対存在の「有」を否定することと、盲目的な信仰に捕らわれまいとする立場の人間にも理解させることとは、直覚霊知を探求する試みにはどの様な非難にも妨げにはなりません。
2014年02月23日
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「直覚霊知」135直覚霊知への道(秘学論理) 自己の精神に霊魂があると仮定して、其れを認識可能なものまで直覚するには、それ迄の人生生活の中で経験し、獲得してきた体験を踏まえなければ、更なる観念の前進は在り得ません。禅道や瞑想などの修行を通して、あらゆる事情の中から直感的な認識の道に困惑も出てきます。しかし、我々人間の時代に相応しい進化の道の本質に眼を向けるならば、其れ等の困惑の疑問は解消されると確信します。例えば、禅道や瞑想等は、自己を内なる精神を更なる高次の段階へと進歩を遂げようと願う人のために手段を提供しています。其の中に危険性があるとするなら、その導師が弟子には意識できない手段で、本質に疑わしい恣意をもって干渉するときです。反して正しい先導者は、決して恣意をもって其のような指導はしません。弟子には行動の規範を与え、弟子はそれを実行する。その際、何故にそのような規範が与えられるのかを、時事に応じて適宜に適確に説明する筈です。直覚知を求めて霊性の進歩を求めて行を与えられて、其れを実行する時には、些かも、盲信的な態度は必要としないというよりは、此の分野においては、全くあってはならないことです。
2014年02月22日
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「直覚霊知」134直覚霊知を疑問視(秘学論理) 瞑想等の修行もって自己の霊魂を通して、世界の理法を探求し直感的な知覚をもって絶対存在である「有」を理解し、其の霊性としての意味合いを知るには直感的な知覚を体験したとしても、更なる進歩が必要です。しかし、既に信仰等により自己の内感覚的な探求よりも、帰依を求める人達は、其のような状態への衝動は求めないでしょう。おそらく彼等は、人間の生活は崇高な霊的存在に指導されている。此の至聖の存在に人間が立ち入ることは許されないし、干渉することは断じて許されるはずがない。我々はその至聖の存在が我々の霊魂に隠された別世界を開示する瞬間まで、人間はその教えを指導するものによって安んじて待つべきものだと言うでしょう。霊性存在とその存在の高みに至った叡智に人間が干渉することは、たとえ其の修業が叡智に至った神聖、佛聖の行法及び修行に従っていようとも、そう考えることは、凡人の一種の思い上がりであり、間違った慾望だと諭します。其のような立場の人間に變化を与えるのは、其の人間の体験に、あの叡智の導きが、自分という人間に特定の能力を与えてくれた。其のことは自分がその能力を使用しないためではなく、自分の霊魂が其れを使うために賦与されたのだ。先導の叡智は自己の中に直覚霊知へ至る道への萌芽を植え付けていた。人間は自己の霊性を直覚する全てを開示しなければならない。其のことを義務と感じるときにのみ、其の導きだと理解した時です。その時点では既に「直覚霊知」を疑問視することはない筈です。
2014年02月20日
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「直覚霊知」133至聖の領域の意味合い(秘学論理) 自分が修行によってその行法を理解し世界の理法である叡智に触れることに、別の疑問が生じることがあるかも知れません。一つは自己のうちなる霊魂能力を探求し発達させることは、人間には何らかの意味合いがあって隠されている至聖の領域に、理法を犯してまで無理やり介入することになりはしないかという不安です。此のことにより霊魂存在の真理があからさまになると、人類存在自体の変化に関わる事態になりかねない。そのような変化を生じさせる手段を、たんなる人間が手に入れるべきでもないし思案すべき問題でもない。自己の霊魂を通して、より高次の世界への道程を知るのは、その道を体験した神聖だけが知るべき行法だというのです。其れ故、その神聖を通してしか人間は立ち入るべき領域ではないとする考えからくる信念です。此の点では書物であれ口伝であれ信仰という形姿を纏います。更には、世界の理法としての叡智を得るための霊的な知覚器官の発達の行程や行法は文字には表すことが出来得ないと考える人達もいます。その人達はたいてい霊的世界への真実の探求を許されざるものと考えています。しかし、科学時代を自認する現代時代においては、ある点においてもはや時代遅れです。相応しい行法の伝達を受けても、ある段階までにしか到達できないのは正当な意見だとは言えますが、その行法の伝達を受けて、自己の霊魂を見つめる「直覚霊知」への可能性だけは期待できる筈です。
2014年02月19日
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「直覚霊知」132霊魂指導の叡智(秘学論理) 崇高な霊性を持った先達者及び指導者による霊魂の指導の叡智に干渉することは、神性及び仏心(仏性は全ての生命に有りとするのが大乗の哲学です)を持たない自分が、自己が修行によって霊性を理解し世界の理法である叡智に触れることは、誤った考えであり一種の思い上がりであると批判される向きもあるでしょう。其のように考える人が、特に信仰に纏わる人間の考え方が変わるのは、あの崇高な霊性を持った先達者及び指導者の叡智が、特定の能力を自分に与えてくれた。其の導きは、自分が其の力を使わないでいるように与えてくれたのではなく、寧ろ、自分が導きの叡智を使って、世の人をを牽引するように与えてくれたと捉える時です。言い換えれば、導きの叡智は、自己に高次の意識状態である霊魂を理解・確信する道を与えてくれた。それは我に其れを使わずにいることを指示したのではなく、寧ろ其れを皆のために、高次の霊性の開示する方法全てを伝えなければならないと確信した時です。此の考え方が充分に自己の意識状態に潜む内的感覚の霊性に働き掛けがあるときには、人間が自己の霊魂の高みへ至らしめる修行を疑問視することは在り得ないと得心するはずです。
2014年02月18日
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「直覚霊知」131霊魂の萌芽(秘学論理) 、自己の霊魂に思わず一種の自己覚醒、精神の内奥の直感的な知覚に目覚めることがあることは語ることはしません。何故ならそれにはなんらかお順守規定が存在しないからです。とはいえ、その人物の霊魂と人生生活の精神規定には深く関わっていることは疑いを得ません。此れから考察するのは、人間の霊魂の中に休眠状態でいる理性的かつ観念的な器官を発達させるには如何様にしたらいいのかを探求することです。自己の霊魂に気づかず或いは霊的体験を認めず、自己に霊魂の萌芽さえ認めない霊的に進歩するための特別の衝動を感じない人達、、所謂、仏教説くところの無明しか、自己の中に描き得ない人間には人間の内奥に霊魂は眠り続けます。ましてや萌芽に過ぎない霊魂が死にゆく旅路を伴う筈もなく断絶することは明らかです。一方、霊性的な教えに従った人達も、人間の生活は崇高な霊性を持った先達者及び指導者によって人生生活を送らなばならない。崇高な霊性を持った先達者及び指導者に干渉することは決して許されるものではない。一般的な人間であれ、霊性的な教えに従った人間も、霊性を持った先達者及び指導者或いは神性を携えた人間が我々に、人生生活を送る上での人間に別の世界を開示するのが正しいと看做す瞬間までは、自己生活を節制して待つべきであるとの考えもあります。
2014年02月17日
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「直覚霊知」130瞑想なしの自己覚醒(秘学論理) 極偶にですが、生涯の一時期、例えば、病での昏睡状態や意識酩酊状態のようなときに特別な準備や予期なしに、自己の霊魂に思わず一種の自己覚醒、精神の内奥の直感的な知覚に目覚めることがあります。その時には自分が、それに由って全存在が変化を遂げたとは思わずにはいられなくなり、直感的な霊性の体験内容が限りなく豊かになったように感じさせられます。自己が生活してきた感覚世界のどんな認識も足元にも及ばない程の浄福感や満足感に満たされます。そして人間の肉眼で直接もってしては認識されないものが、活力と生きる意欲の手応えが、内なる熱として沸き上がってきます。しかし、極稀には此のように状況によっては直感知が生じる場合があります。かくいう著者自身がその体験者だからです。とはいえ、「直覚霊知」を自然に待つだけで、規則正しい直覚知への努力を何もせずにいて良い訳ではありません。そのように体験したものこそ後の日々の努力が要請されるからです。それ故、瞑想等の修行、取り立てて仏法の瞑想にかぎらず日々自己の霊性に立ち向かう必要があるのです。著者は敢えて日々の努力なしの自己覚醒に誘惑されてはいけないことを付言しておきます。
2014年02月16日
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「直覚霊知」129瞑想が教える直覚知(秘学論理) 人間が感覚の働きや其の働きの記憶が存在しない状態にあっても、何がしかを体験し得る状態を形成する瞑想が、睡眠に似ているとすれば、それは凡そ総ての外からくる感覚作用が存在しないということです。しかし、没意識状態である熟睡が何かを意識的に体験する力を持っていないのに対して、瞑想による霊魂状態は、外からくる感覚作用が引き起こす思考作用が消滅しても、内感覚的な体験する自己の観念を保持しています。覚醒時のおおよその外感覚的な印象からは遠ざけられてはいても、感覚作用から呼び出され惹き起こされる観念、体験能力は目覚めています。高次の意識状態の霊魂の目覚めは「無我」である覚りへの通過儀礼としての道具となります。直覚霊知に至る直感的な観念的知覚は、人間を自己の日常の意識状態を世界の理法の探求に向かわしめます。そのための道具が理性的動物といわれる人間には、予め萌芽として用意されているのです。その道具を得て自己の霊性を認識しその霊魂を成長させて、世界の理法である絶対意識の声を聞いた時に、人間は誕生から死に至り、生誕以前及び肉体が崩壊した後の自己の霊魂の行末が直覚出来得ます。
2014年02月15日
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「直覚霊知」128絶対存在認識への通過儀礼(秘学論理) 覚醒時の霊魂は外感覚の印象とそのことに由って喚起される観念に只管に関わっています。一方、熟睡中の状態は感覚の印象が沈黙しており霊魂は自己意識さえ失っていると考察することが妥当でしょう。日中の体験が観念を伴っていないのです。しかし、睡眠時の深い眠りの中では感覚の印象が沈黙していても霊魂が意識を持つことが不可能なのでしょうか。否、その可能性を獲得する状態を人間が創り出す道を史上の人物が説いています。其れは人間が感覚の働きや其の働きの記憶が存在しない状態時にも、霊魂が何がしかを体験し得る状態を形成することです。其のような状態時の霊魂は、外界に関しては通常の熟睡時と同様の状態にあるともいえますが、しかし、眠っているのではなく、現実世界に向き合った状態へと導くものです。それが、瞑想で人間が自己の霊魂を呼び覚ますときに人間の内精神から現出する、理性的動物のみに許された「直覚霊知」です。瞑想を通した意識状態「無我」が獲得出来たとき、「直覚霊知」は自己の縛りを解脱して世界創造の絶対存在を認識することが可能と成り得ます。
2014年02月14日
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「直覚霊知」127高次段階へのイニシエーション(秘学論理) 此れから述べる「直覚霊知」は、人間が高次の霊性を獲得して、其れを世界創造の絶対意思、精神・思惟を理解する道具として、人間の純粋理性を以って、より高次の段階へ進むための、云わば通過儀礼(イニシエーション)ともいうべきものですが、宗教や信仰を離れて世界理法を直覚知を信念に基づいて解き明かすことを目的としています。そこでは先ず、その人間が生涯に亘って霊性を維持すると仮定して、現在の進化段階に至った人間が誕生と死との間に人生を生きるときの覚醒と没意識にある睡眠と、更にはその中間段階ともいえる夢の状態を考察する必要が求められます。人間は人生を送るうえで高次の霊魂の世界のたかみを認識するためには、なおもう一つの霊的な状態を獲得する必要があります。覚醒時の自己の霊魂は、外感覚的な印象によって惹き起こされる諸観念とに只管に関わっています。言い換えれば完全に現実的な自己意識「有我」状態にあるとも言えましょう。反対に睡眠時は外感覚的な印象が沈黙しており、霊魂は自己意識さえ失っているいるとも言えます。日中の諸体験が、没意識の状態である自我の没状態に陥っています。此れは仏教哲学が説くところの「無我」とは異なるもので「没我」とも言えます。
2014年02月13日
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「直覚霊知」126霊性と物質文化の営みの調和(秘学論理) 人間が脳を使用する能力の一部分には、一方的に物質世界での活動のためだけにのみに働く部分があります。此の能力が現代科学や技術を今に至るまで可能としたのです。その傾向は、物質界と外感覚的な世界に対する関心を育成し現代に成熟させた欧米人種に顕著です。彼等は精神文化が偉大な叡智の影響下にあるときも、その一方では物質世界及び外感覚的な世界に対する関心を向けており、高度の道具と物質科学により、更なるもう一段の高みへと押し上げました。その影響は、それ迄専ら精神文化の影響下にあった民族を抱き込むかたちで世界中の民族に伝播していきます。しかし科学技術によって世界を牽引し力を拡大してきた彼等は、その一方では霊的顕現の考えを放棄はしていませんでした。偉大な物理科学者とされる人間の全てが、大宇宙の原理の中に全ての霊性の不存在を唱えているわけではありません。人類の進化の未来は、霊性と物質文化の営みの中から世界の真実である直覚知を体験することにあるのです。未来に必要となるのは、感性界を観察探求発達させつつ、そこに直覚霊知を働かせる、その調和が求められます。個人各々にかぎらず人類の未来は今や両者の調和的発展にしか展望がない時点に達しています。
2014年02月12日
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「直覚霊知」125自然科学と霊的認識の対立(秘学論理) 古代インドの佛聖のみならず、西南アジアにて人類の救済を唱えた神聖や他の叡智が現代までにその人類の指導者として、宗教的な形姿を以って霊性を現代にまで人生生活の指針として影響を与えています。しかし其の意味では、現在は反面には、外感覚的物質世界への関心は増々深まり、此の大宇宙をも含めて自然世界の現象を探求し解明、太陽系外にまで人類は進出する探査衛星を持つまでに至っています。時代の進歩とともに目覚めた人間の知性の力、頭脳を道具として働かせる力は、外感覚的物質界を科学によって認識し、支配することを目論むことを育成する観さえあります。現代は人間の胸の中の心で二つの世界が勢力争いをしているとも言えます。一方は外感覚的物質の存在のためにあり、他方は、たとえ感情と気分だけで、直覚知には至らなかったとしても、霊的存在の啓示を求める心です。今日に至っても、自然科学と霊的認識は対立していますが、それにはスピノザの哲学や神秘主義哲学の影響もあります。そして専ら人間の感性界にのみ向けられた科学とその諸成果とは、もう一方の魂の結果でもあります。実のところは、外的な物質文化の諸成果は、此の魂の分裂化によって可能となったのは歴史が証明しています。
2014年02月11日
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「直覚霊知」124ゴルゴダの死を認識(秘学論理) 紀元前13世紀頃のヘブライびとが啓示を得た通り、西南アジアに紀元前後数年あたりに「救済者」と呼称される絶対存在の思惟を理解出来得る存在が出現しています。印度大陸に物質文化に囚われない精神文化を醸成した人物と同様、それ迄の「神」と呼ばれる存在、印度では破壊の神であるシバ神、旧約聖書では怒る神であり嫉妬する神である絶対神を自らの叡智を以って、神の愛アガペーこそが絶対精神・意思の真の形姿であると説きます。それ迄の人間が生成助成してきた悪魔的霊存在が隠し続けてきた全てを解き明かし、人類の進化の中に、ひとつの可能性を植え付けます。其れは人間が物質主義界・感覚世界の中では大自然に於ける世界の理法と絶対意思の認識が、その叡智の救済者のパレスチナでのゴルゴダの死を認識することにより、大宇宙の創生の意思と目標が「愛」であるアガペーを救済者を通して人類が進化をの中に霊性獲得の叡智への可能性が生まれたのです。
2014年02月10日
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「直覚霊知」123神性をもって現れる存在を予言(秘学論理) 西南アジアにももう一人の大光霊の高みにまで近づいた人間が出現することを、北アフリカのエジプトに特別な霊性を持って啓示を得た人間によって預言されます。、紀元前13世紀頃の当時のエジプト最高の王室図書館で学問と軍術、加えて科学及び秘儀参入の術までを身に付け、主と呼ぶことを神が最初に許したとされる人間が現出します。此の人物は実はセム系の民族の遺伝の特質を持ったヘブライびとでした。その霊魂の中には身に付けた秘儀の成果によるのか、彼が特別な状態になると、本来的な人間に生命と意思に伴なう霊性を与えた存在が、その霊魂に語り、啓示することが可能でした。彼は自然現象とされる雷鳴や稲妻の中に、物理現象だけではなく、霊的本性を認識出来た稀な人間でした。彼は秘儀参入の能力によって得られる霊的本性を認識することが出来たのです。其れと同時に彼は自己の霊魂の覚醒を通して、来るべき人類の求める究極の救済が、一個の人間の自我を通して現れるかを、言い換えると神性をもって現れる存在を予言します。
2014年02月09日
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「直覚霊知」光の世界122(秘学論理) 大自然世界の理法、言い換えれば絶対的な究極の思惟を自己の霊性を瞑想と修行により、遺伝による天性の知恵と王侯としての紀元前の印度では最高水準の教育を受けた人間が、自己の自我を通して隠された世界即ち大宇宙の原理を、マーラ的存在の妨害にも拘わらず、肉体の活動及び霊的活動を究極にまで高め、世界の理法である究極の思惟であるもの、光速を超えた宇宙の果て及び現出する原初の宇宙を捉えて、特別な霊魂状態の中で自然力の本性を解明します。其の人間の覚醒は、此れまでマーラ的存在の妨害にも拘わらず「光の世界」をおのが霊魂に同期させることが可能でした。それ故に、此の人物の肉体の死はおよそ此の人間には何程の影響も与えれれないほどの力を齎します。自己の自我が大世界と同期したからです。彼は人間が創造した神的存在をも否定しています。そのことは彼の模像に大光霊の特徴的な光背が描かれていることから、其の人間の究極の精神性が認識出来るでしょう。しかし其の意味では西南アジアにももう一人の大光霊の高みにまで近づいた人間が出現することが特別な霊性を持って啓示を得た人間によって預言されています。
2014年02月08日
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「直覚霊知」「神性」を纏う人間121(秘学論理) 紀元前の世界に神託や秘儀とされるものが預言としての型式を纏っていたのは、その時期以降の未来の時期に、「神性」を纏うまでに進化した人間或いは究極の世界の理法を瞑想から覚る霊知能力者が現出することを予期していたのに違いありません。其の人間の覚醒した精神には、いくら悪霊及びマーラ的存在が妨害しようとしても世界の理法の究極存在を体現意識させる意識を持った人間です。その人物は世界の絶対精神を特別な霊的状態に頼らずとも自己の生命体を通して絶対意思を理解でき得たのです。此の現出した特例ともいえる人物には肉体の死は、其の人生には何ほどの変化を齎すこともなく、言い換えれば、其の人生には何ほどの影響力を与えうることも出来ないことを示します。此のような存在の人間の自我は、もはや「人間の持つ自我」を離れた特別の現れ方をする結果、肉体の営みの中において同時に完全な霊的営みが現出します。この特別に選ばれた或いは絶対意思の思惟を表現出来る特殊存在が、紀元前後の東西の世界に現れたことは必然でした。其の当時の世界的風潮は秘儀参入者と称する魔術を駆使する者や神の言葉を述べるとする偽予言者、即ち悪霊が闊歩し人類を霊的世界から離れさせ地球そのものの世界が危機的状態に陥っていく可能性があったからです。此のことは物質主義者界である現代世界にも引き継がれていますが、その暴走から破滅を向かえる非常停止警報装置として人類を守る役割を荷なっています。
2014年02月07日
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「直覚霊知」存在としての有120(秘学論理) 紀元前の古代エジプトも南ヨーロッパや西アジアの諸民族も大半が礼拝や祈祷を行う際には、霊性をもってその原像を観ることはせずに、感覚的人間或いは霊性がある工人及び芸術家が巧みに造りあげた模像だけに眼をやることしかなかった。一部の民族を除いては、その目的とするところが物質的及び外感覚的世界の征服にあったからです。物質科学や技術・道具の進歩発展は或意味偉大ではあるが、それによって必然的に、他の面では堕落を齎します。人間が創造助成させたとも云える悪魔的存在或いは悪霊は人間の霊魂から隠された世界の理法を観ることを妨害します。しかし世界のあらゆる場所で一部の霊性を直覚できる人間が、霊界そのものを内なる魂の体験として啓示を得ています。そのような状態の霊界は、其の人間の覚醒意識に働きがけを行い、特別其の個人に見合った形姿をもって現れました。其のような形姿をもって現れるのは絶対的な存在からの云わば霊性を具現したものでした。人間の魂を感覚・意識及び覚醒による悟性に導いてきたのがその「有」として在るものです。
2014年02月06日
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「直覚霊知」人間の存在の真相を洞察119(秘学論理) 瞑想等によって得られる直覚霊知では、ルシフェル或いはサタンといわれる以外の西洋文化の悪霊(デーモン)、仏教で言うところのマーラの影響を克服出来ている時には、人間の生誕以前とその死後をの営みがどのようなものであるかを、ある程度は見通す事が出来るようになります。著者自身の体験からも此の自然世界の中で大宇宙の理を直覚する時には、人間の存在の真相を垣間、洞察する瞬間に恵まれます。それには人間が隠された世界を観想することを妨害する悪霊どこまで排除の出来て克服するのかの可否にかかっています。誰しも人間は一歩一歩霊界言い換えれば冥界の生活に近づいていかなければなりません。自己の死後の霊体験どのような存在によって妨害・滅殺されるのかは、人生生活の基底として認識しておくべき第一義の問題です。古代エジプト民族・ラテン及びギリシャ民族に在っても、地上の生活を通して物質世界における感覚文化を見事に花開かせたにもかかわらず、特にギリシャ民族は死後世界を影の冥界と捉え悲惨的な状況と考察し、英雄の言葉をもってして「影の国で王となるよりは、寧ろ此の世で乞食でいるほうが良い」と語っています。それが物質・感覚世界の中に没入した実感なのです。
2014年02月05日
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「直覚霊知」118悪霊の餌食(秘学論理) 人間の生誕から死までの生活態度とりわけ精神の動向は、自我が肉体から分離された死後の状況に影響があります。物質的で感覚的な世界への関心を示す度合いが大きくなれば成る程、言い換えれば、霊的なものを仮象に過ぎないとして、現世では何をしても赦されるし母親の母性による愛などは、資産が有れば調達できると言わしめる状況は、ルシフェル或いはサタンといわれる悪霊が此の世における人間の精神存在の根源である霊魂に入り込み、死後にその支配力を行使させる可能性を高めています。其れに反して例えば、古代インド民族の場合には、その可能性は・危険度は僅かなものでした。何故なら、紀元前後のインド大陸に生きる当時の人々は、大乗仏教哲学の祖「龍樹」に代表されるように、現世こそが人間の煩悩からの幻想・幻覚だと感じていたからです。其のため彼等は輪廻転生からの解脱を求めた結果、ルシフェル或いはサタンといわれる悪霊の支配を受けずに済んだのです。ところが、時代が進むに連れ、生誕から死ぬまで人類は増々物質・現実主義者としてしか世界を眺めなくなります。此の方向性は、此の世の感覚的物質世界を唯一の存在であると看做すように強制するルシフェル或いはサタンといわれる悪霊にとっては、人間の霊界への展望を遮るには好都合です。其れは人間を完全に霊界から孤立させ、関心を自分に向けさせ、死後は悪霊に吸収支配するのに人間の利己主義ほど旨い蜜がないからです。そこには人間の霊性はもはや存在が許されないことは、今現世に人生を送る人間の肝に銘じておくべき第一の事柄でしょう。
2014年02月04日
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「直覚霊知」118ギリシャの霊魂観(秘学論理) エジプトとは地中海を挟んでいる南ヨーロッパや西アジアにも、偉大なる文化を花開かせたギリシャ民族とラテン民族の文明が勃興します。彼等は後世である現在の民族の現状からは異質ともいえる存在でした。彼等民族とりわけギリシャ民族は物質・感覚世界の中に形而上哲学を持ち込み、独特の霊魂観を論理的かつ整然と述べています。完全な論理をもって感覚的もしくは物質的には見えない存在を表現する方法を探求し、完全な形式を以って表現できる分野、とりわけギリシャ民族の芸術が此の衝動を見事に表現しています。霊的なものを自らの偉大な芸術的創造性をもって物質的素材を霊的表現にまで高めて此の世に現出させているのです。古代ギリシア時代にアテナイのアクロポリスの上に建設された、アテナイの守護神であるギリシア神話の女神アテーナーを祀る神殿パルテノンに代表される神々の家である黄金分割は霊眼なしには見い出せないものでしょう。其れは霊眼に相応しい構築が現世に表現する努力の賜物です。ギリシャ人のその深い叡智は霊魂というかたちで持って、眼に見えぬ道を通って、、詩人・芸術家・哲学者の中に流れ込んでいます。とりわけ古代ギリシャ哲学者の構築した世界観には、世界に隠された理法を概念と理念の形式をとって表現されています。
2014年02月03日
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「直覚霊知」117古代エジプトの霊魂観(秘学論理) 古代インド民族と同様、いにしえから文明を発達させたナイル河畔に勃興した古代のエジプト民族の霊魂観は、その当時では無限とする宇宙観から、此の世の生誕から死に至る過程の中で、時間的にも無限とも想える此の物質的な世界の意味を考察しています。此の世界の背後に隠された霊的世界こそ、ごく限られた範囲しか直接には体験すうことは出来ずにいたのですが、彼等は此の物質的で感覚的な世界の中で自らの霊性の法則を認識することに極めて努めます。アフリカ大陸の中でも哀提伯(エチオピア)を除き、地中海に面する民族の中でも極めて特性をもったエジプト民族は、霊的世界の中には生前には参入することは出来ないにしても、死後に肉体から離れた状態での中で、自己も霊的存在となって、神聖な霊達と共に生きるようになると考えていました。自分達の生きる世界では、霊達は物質・感覚的な模像として現れるという考えから各種の得意な動物を模った霊像及び神霊を型どります。彼等は此の世の人間は自己の霊的能力を持って霊性に従った生き方をする限り、、死後にはその霊的存在と一体化することが出来得る。特に生誕から死まで、最も熱心にそのような仕方で人生を送ったものは、偉大なる太陽存在である「オシリス」と結ばれると考えていました。
2014年02月02日
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「直覚霊知」116霊性を知る作業場(秘学論理) 人間の精神存在を型どるその霊魂が、感覚的で物質的な世界の中で生きようとする限りには、其の内奥では神の思惟の延長である光霊的存在と其の敵対者との戦いが演じられます。自己がその敵対者によって奈落の底に引きずり込まれないために何をしなければいけないのかは人生生活だけでなく生涯を終えた後にまで影響を及ぼします。その克服には人間が自己の感覚の内層を霊性を知る作業場として深く入り込み、それを征服して再形成出来るような目覚めた思考力と心情を育成する必要があります。此の能力は外感覚的な物質世界の刺激の働きがけだけでは獲得出来ないからです。紀元の前後あたりの印度人は既にそうした能力を志向していましたが、此の世を幻想であると観じ、その克服には因果を離れた空観しかないと考えていました。けれども、それとは反対に現代に在っては物質的な世界における外感覚的世界を実情として受け入れ、物質・感覚世界を科学によって、此の世界の営みを認識し、技術や道具の更なる進化と芸術によってその諸法則を探求、その活動の中に隠された世界の理法を究めようとする努力も見られます。此の人々にとっては大宇宙こそが自己の霊性を知る作業場なのです。
2014年02月01日
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