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「霊魂論」神秘学72 おそらくインダス文明の都市設計に関与したのは、イランに存在したトランス・エラム文明です。此の文明はスーサを首都に置き、メソポタミア文明から穀物を輸入し、東方で採掘した鉱物を輸出していました。 ところが、トランス・エラム文明は紀元前27世紀の末に、シュメール人の都市国家の一つであるキシュに首都のスーサを奪われてしまい、エラム文明は、首都を奥地のシャハダードに移転、メソポタミア文明との交易を続けながらも、新たな穀物の輸入先を求めてインダス川流域に、第二のメソポタミア文明を現地人に作らせたと考えられるのが自然でしょう。事実、この国の特産品であるクロライト製容器が、インダス川河口付近の湾岸やモエンジョ・ダロ遺跡の下層から見つかっています。このことは、インダス文明成立以前に、トランス・エラム文明の商人がインダス川流域を訪れ、交易を行ったことを示唆しており、絶対性国家ではなく自由都市オランダのような商用国家を造った可能性もあり得ます。然し乍ら、此のことがインダス文明を決して他律的に形成されたことを決めつける訳には行きません。現地地圏人には、都市文明を創るを得ざるをえない事情があったと推測されます。所謂四大文明は、BC3500年頃のヒプシサーマル期終焉に伴う北緯35度以南の寒冷化と乾燥化が人々を大河に集中させることで発生していました。インドの乾燥化と寒冷化は、BC2300年ごろからと其れよりはやや遅く訪れます。その結果が、インダス文明がメソポタミア文明よりもスタートが1000年以上遅くなった因とも観想出来得ます。メソポタミアの都市は長いしかしながら、インダス文明は、決して他律的に形成されたわけではない。現地人には、都市文明を作らざるをえない事情があった。所謂四大文明は、BC3500年頃のヒプシサーマル期終焉に伴う北緯35度以南の寒冷化と乾燥化が人々を大河に集中させることで発生した。インドの乾燥化と寒冷化は、BC2300年ごろからとやや遅く、その結果、インダス文明は、メソポタミア文明よりもスタートが1000年以上遅くなった。メソポタミアの都市を長い歴史を持つ東京の下町に喩えるならば、インダス文明の都市は多摩ニュータウンである。後発故に、先陣の都市建設・都市問題の知識を学んで、下水道完備の理想的な計画都市を造ることが出来得たのでしょう。哲学・思想 ブログランキングへ
2018年05月31日
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「霊魂論」神秘学71 インダス文明は、紀元前1500年までには消滅したとされています。其の要因として様々説が種々出されてはいますが、其れ等の何れもが未だに実証され得ていないのが現状です。従来の学説では文明が滅びるのは環境が悪化したからだという先入観を共有していますが、文明は放棄された理由はマヤ文明の崩壊の事実の不明とともにインダス文明にも不確定要素が多く見られ確定したものは何一つもってありません。インダス文明はいかにして成立したかにしても、インダス文明其の者自体の担い手の真相が解明されてはいません。此れにはインダス文明の文字が解読されていないことが主因です。旧ソ連とフィンランドの研究グループが、それぞれ独自にインダスの文字をコンピュータで解析した結果では現在はインド南部からスリランカ北部にかけて存在するドラヴィダ人がBC3500年頃にイラン高原東部からインド北西部に移住してインダス文明を創ったという結果が最も有力な説となってはいます。然し乍ら、ドラヴィダ人が、自力でインダス文明を造ったとするには無理があります。インダス文明の都市は、排水路が完備した計画都市で、道幅やレンガの規格が統一されている。しかも其れ以前に先史農耕文化があったとされているとはいえ、都市を建設するまでの試行錯誤の跡が全くなく、あたかも高度に洗練された人工都市が突如として出現したかのようで、自力で造ったにしては不自然極まりない。あたかも20世紀のブラジリアのような高度に洗練された人工都市が突如として出現したかのようで、自力で造ったにしては不自然です。およそ紀元前3500年に始まった世界最古のシュメール文明と隣接し、殆ど同時期に始まったエラム文明の影響が各種の資料から予測させます。哲学・思想 ブログランキングへ
2018年05月30日
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「霊魂論」神秘学70 インダス文明が、いつ如何なる要因で其の終焉を迎えたのかについては、現代の史学や発掘科学でも未だに解明されてはいません。モヘンジョ・ダロの劇的かつ急激な終焉のみは知られていおり、紀元前1000年代半ば(なかば)に、通過したであろうとされる騎馬民族に一掃され,死体の散乱するままに放置されたと推測されています。推測の域をば出ませんが、「リグ・ベーダ」に騎馬民族が戦いの神インドラをだく先住民の「城壁に囲まれた都市」もしくは「砦」を攻撃した記述があることから、襲撃者の正体はその頃インダス地方に侵入してきたアーリア人ではなかったかと想像されます。然し乍ら、モヘンジョ・ダロは当時、大洪水に一度ならず襲われ、家屋はスラム化しており、既に崩壊寸前の状態であったことも明らかな事実です。片や一方、カティアワール以南の状況は其れとは全くといって云いぐらい異なっ状況が看取れます。此の地では,後期インダス文明から銅器文明へ文化が継承されたと考えられているのです。この文明は紀元前1700年からインド中西部を代表するものとなり、紀元前1000年頃インドに生れ発展することとなった鉄器文明へインダス文明の名残りを伝えるかけ橋となります。 大陸印度は島国とは違い同一民族が文明を専有することは非常に困難であり、現代までも民族的・宗教的・祖々の哲学的思考方法が異なる印度に敵対の火種を醸(かも)し出しています。哲学・思想 ブログランキングへ
2018年05月29日
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「霊魂論」神秘学69 インダス文明圏の世界は、元来は先住民や近隣の村々を集団化し発展したものと推測され,メソポタミアに倣い灌漑農業を営み、肥沃なインダス川流域の恵みを受けながら収穫にも長(た)けており土地を肥沃にすると同時に破壊する毎年の大洪水にも十分対処していたと推測されています。平野部に安定した基盤を築くと,新興文明は豊かになり人口が増加、大河に沿って発展の緒に継ります。農業を中心に補足的に若干の貿易が行われていたことも解ってきました。小麦や六条大麦が栽培され、エンドウ・アブラナ・ゴマ・わずかにナツメヤシの種も発見されています。世界最古の綿花が栽培された形跡は世界史学に認識されています。犬や猫・瘤牛・短角牛や家禽などの家畜に加えて豚や駱駝・野牛なども飼育されていたもようです。当然に現代と同様に印度象も飼われていたらしく,象牙が自在に使われていることから認識可能です。。扇状沖積地では入手不可能な鉱物類は,ときには遥か遠地より齎され、金は南インドやアフガニスタンから、銀や銅はアフガニスタンや北西インドから、ラピス・ラズリはアフガニスタンから、トルコ石はイランから,翡翠 (ひすい) に似たフクサイトはインド南部から輸入された形跡が残されています。インダス文明で最も知られる加工品は小型の印章で,主としてステアタイトでつくられた独特のデザインとして特有の細工ものが多数残っている。ゾウ・トラ・サイ・カモシカなどの写実的なものから幻想的な合成動物のようなものまで多種の動物が描かれ,ときには人物像も含まれています。石彫もおもに人または神を表わす小型の像が数体発見されており、動物や人をかたどった小さな土偶は夥しい数が発掘されていることから或る種の宗教が確立していたことが推測されヨーガの誕生が伺えます。哲学・思想 ブログランキングへ
2018年05月28日
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「霊魂論」神秘学68 世界最古の三大文明に黄河文明を加えて四大文明とされる文明は何れも大河川なしには国家の興隆存続はあり得ませんでした。エジプト文明・メソポタミア文明・インダス文明・黄河文明の四つは、それぞれにナイル・チグリス・ユーフラテス・インダス、黄河といずれも大河流域に発生し、都市・階級・文字・国家を産み出します。 水の力は干魃時や洪水時には文明の存続を左右しますが、豊富な地下水で潤された大地は其れ以上の恵みを齎し、河川の洪水は後(のち)の時期の豊穣を約束しているからです。インダス文明はハラッパーとモヘンジョ・ダロ,そしてかなり小さなものも含め 100以上の町や村から成ると推測され、中でもモヘンジョ・ダロと並ぶ規模を誇る城塞都市ハラッパー(Harappa)は インダス文明の都市遺跡として有名で、パキスタン北東のパンジャブ地方ラホールの南西約200kmのラーヴィー川左岸に位置していました、此の二大都市はいずれも周囲約5kmで、その規模の大きさから中央集権制であったことと、インド史上に幾度(いくたび)か現れる並立二大国家或いは二つの大都市をもつ一大帝国であろうことが推測されています。繰返し大洪水に見舞われた土地柄から、年代的にハラッパーがモヘンジョ・ダロの後継都市であっただろうこととも推測されています。カティアワール以南の遺跡は主要遺跡より年代が新しく,主要遺跡は前2500年から前1700年のものですが,南部の遺跡は紀元前1000年代後半まで続いています。インダス文明には文字が用いられ250から500の文字は一部の解読が試みられており解明が待たれます。インダス人は古くからインド亜大陸に入り定着していたのが、後から入ったインドアーリア語派の諸言語民族によって南部に追いやられドラビダ語族となったと推測されスリランカ(旧;セイロン)が代表的です。哲学・思想 ブログランキングへ
2018年05月27日
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「霊魂論」神秘学67 インダス川の河川敷を中心に栄えたインド亜大陸最古の文明であるインダス文明、現在はパキスタン領内であるモヘンジョ・ダロ遺跡は下水道は勿論のこと、上水道や公衆浴場までが完備されていたとされています。此の文明は南端は西海岸を下ってカラチの南東800kmのカンベイ湾に到り、東はデリーの北方50kmのジャムナ盆地に迄達していることが判明、世界最古の三大文明中で先行するメソポタミア,エジプト両文明を遥かに凌ぐ規模であることが立証されています。主要遺跡は紀元前2500年から紀元前1700年のものであることから八百年以上の歴史を持つとされますが、南部の遺跡は前1000年代後半まで続いていることから一千五百年の永きにわたって栄えた文明にヨーガは思考と修養の心身統合の修行方法として存在してたと想われます。伝統的な動的ヨーガは、肉体的・生理的な鍛錬である苦行を重視し、「気」の流れを論じ、肉体の能力の限界に挑み、大宇宙の絶対者ブラフマンとの合一を目指すハタ・ヨーガ(ハタは「力、暴力、頑固」などを意味し苦行を求め、ヨーガの密教版ともいうべきもので肉体的修練を重視していました。ヨーガの起源はは其れ程に遠い起源を持つとするもので、坐法を行っているシヴァ神の原型であると発掘された印章に彫られた図像をヨーガと解釈しています。哲学・思想 ブログランキングへ
2018年05月26日
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「霊魂論」神秘学66 印度の諸宗派の祭儀をつかさどる司祭たちが神々或いは世界の理法の基(もとい)、「梵」乃至「世界理法」若しくは絶対的存在としての世界の創造神と交信するための神通力を得ようと様々に開発した思想と実践法が4世紀から5世紀頃に現れた一般的に六派哲学と呼称されるヨーガ学派の教典「ヨーガ・スートラ」として、現在迄に続く形式として纏められています、現代では身体的ポーズ(アーサナ)に重点を置いたヨーガがアメリカを始めとして、イギリスなどの英語圏を中心に世界的に流行します。現代では体操ヨーガと化しています。其のヨーガの歴史を辿れば、紀元前2500-1500年頃の彫像にも其れらしきものが看取れますが、ヨーガの起源には不明な点も多く、その成立時期を確定することは難しくそれ程に古くに発生したということになります。1921年にモヘンジョ・ダロ(Moenjodaro)とハラッパーの遺跡を発掘した考古学者のジョン・マーシャルらは、発掘された印章に彫られた図像を、坐法を行っているシヴァ神の原型であると解釈しています。そこから宗教学者エリアーデは、これを「塑造された最初期のヨーガ行者の表象」であると宣言したのです。但し、この印章がのちにヨーガと呼ばれたものであるかは、かなり疑わしいものであり、確定されたものではないことにも注意が肝要です。哲学・思想 ブログランキングへ
2018年05月25日
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「霊魂論」神秘学65 シャーンディリヤの梵我一如の思想がヨーガ(YOGA)から得られるとしたならば、古代アーリアの信教を引き継ぐインド大陸の人間の人生究極の目標である輪廻転生からの「解脱(モークシャ)」に至る道を探求する修行法として心身を鍛錬によって制御し、精神を統一するヨーガが定着するのは理の当然です。1990年代後半から世界的に流行している、身体的ポーズ(アーサナ)を中心にしたフィットネスとしての「現代のヨーガ」は、宗教色を排した身体的なエクササイズとして行われているものの、ヨーガ元来の目的「解脱」を忘れてるわけでもあません。本来のヨーガはインドの諸宗教と深く結びついており、バラモン教、ヒンドゥー教、仏教、ジャイナ教の修行法でもあったこと現代のヨーガと云えども多少は知っていることが其の証明です。日本の禅や阿含宗の修行もヨーガの名残を示します。森林に入り樹下などで沈思黙考に浸る修行形態は、インドでは紀元前に遡る古い時代から行われており、西田幾多郎が神の直感を得るために座禅三昧したことでも分かるように、「ヨーガ」は世界の理を物理科学ではなく「直覚」に求めたことに特徴が現れています。哲学・思想 ブログランキングへ
2018年05月24日
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「霊魂論」神秘学64 現代物理科学の最先端を走る量子脳理論や量子コンピュータ(quantum computer)の理論と古代インド発祥の伝統的な宗教的行法ヨーガ(YOGA)とが辻褄が合うのは偶然でしょうか、将又、他に要因があるのでしょうか。ひとことで言えば、ヨーガ(YOGA)は人間の心身統合の方法論です。森林に入り樹下などで沈思黙考に浸る修行形態は、インドでは紀元前に遡る古い時代から行われていたと云われています。ヨーガは取り立ててバラモンの専売特許ではなくてインドの諸宗教で行われており、仏教にも取り入れられたヨーガの行法は中国・日本にも伝えられ、坐禅となっています。ウパニシャッドでもヨーガの行法が屡々言及されており、正統バラモン教ではヨーガ学派に限られずに行われたように記載されています。ジャイナ教ではヨーガの修行は必須であり、仏教の開祖である釈迦もヨーガを学んでいました。祭儀をつかさどる司祭たちが神々と交信するための神通力を得ようと様々に開発した思想と実践法は、古代インドの代表的な六つの哲学体系、4乃至5世紀頃の六派哲学の正統バラモンたちによって正統派と看做されたサンスクリット語でははシャッドダルシャナ。インドでは数多くの哲学体系が勿論のこと成立しますが、其れ等のうち唯物論、仏教、ジャイナ教のようなベーダ聖典の権威を認めない諸体系は、正統バラモンたちによって非正統派とみなされ、ベーダ聖典の権威を認める〔1〕サーンキヤ学派、〔2〕ヨーガ学派、〔3〕ニヤーヤ学派、〔4〕バイシェーシカ学派、〔5〕ミーマーンサー学派、〔6〕ベーダーンタ学派のいわゆる六派哲学などは正統派としますが、其の中でもヨーガ学派は基本教典「ヨーガ・スートラ」として、現在の形にまとめられ普及しています。哲学・思想 ブログランキングへ
2018年05月23日
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「霊魂論」神秘学63 シャーンディリヤの梵我一如は現代物理科学の最先端を走る量子脳理論や量子コンピュータの理論と古代インド発祥の伝統的な宗教的行法、インダス文明の遺跡にもヨーガの存在が示唆される程、其の歴史は古く、古代から現代に至るまで、師匠から弟子へと口頭伝授で脈々と継承されて来た知識と技術による瞑想による世界観と矛盾しないかと問われれば、ヨーガの修法による世界観の可能性を問わなければなりません。古代の宗教家の妄想がノストラダムスの大予言を識者が捉えるような偶然に答えを求めるならば、シッダルタは出現しません。つまり、一致はただの偶然だとは決め付けられない事柄です。仮にそうであれば、宗教家の権威づけに語られたそれは、つじつま合わせをしないと権威づけが達成できない信仰の信じて、さもや語らんに陥ったであろうし、説得力がないままに誠実に理論を終わらせているところが、逆に、シャーンディリヤの梵我一如が「感じたままに語った」とする直覚が正しいことの可能性を高めています。哲学・思想 ブログランキングへ
2018年05月22日
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「霊魂論」神秘学62 バラモン教が紀元前800年以降はヴェーダの最終章とも云えるヴェーダ宗教宇宙の最高原理ブラフマンや、個人の本体アートマンを説く「ウパニシャッド」の教説に次第に取って代わられ、其のウパニシャッド哲学は紀元前6世紀から紀元後6世紀頃までの、凡そ1000年にわたるインドの思想史のなかで思想だけではなく、其の思考方法には最も影響が及ぼした「ウパニシャッド」哲学はバラモンからヒンズー教、将又ジャイナ教や仏教に受け継がれていきますが、インダス文明の遺跡にもヨーガの存在が示唆される程に歴史ある思考と行法を身に付けていたシャーンディリヤの梵我一如がヨーガ(YOGA)により齎されたのは興味津々たるものがあります。哲学・思想 ブログランキングへ
2018年05月21日
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「霊魂論」神秘学61 ヨーガ(ヨガ/YOGA)と云えば、現代の我々から最初に思い浮かぶのは、写真やイラストを見る限りは其の修養法でしょう。土中に蝉の如くに七年や信じられない体型を取った姿は誰しもが知っています。現代にあっては人間健康の健常法としても根付いていますが、ともあれ、ヨーガ(YOGA)はインドの伝統文化に伝承されて来た心身統合の方法論であることです。インダス文明の遺跡にもヨーガの存在が示唆される程、ヨーガの歴史は古く、古代から現代に至るまで、師匠から弟子へと私伝として口頭伝授で脈々と継承されて来た知識と技術がヨーガの基底を形成しています。現代までに伝承されているヨーガの枠組みを決めたのは、紀元前に成立したパタンジャリが編纂した「ヨーガ・スートラ」であり、これを基にしたものが「伝統ヨーガ」と呼称されることになります。中世になって発展した「ハタ・ヨーガ」の伝統では、多種多様な技法が体系化されています。近代になるまでは、ヨーガはインド哲学的で宗教色の強い「自己探求」の修行法として根付いていますが。古代インド発祥の伝統的な宗教的行法で、心身を鍛錬によって制御し、精神を統一して古代インドの人生究極の目標である輪廻転生からの「解脱(モークシャ)」に至ろうとするものであって、印度史における宗教は総てが此の方法論をもって成立しています。ヨーガはストレッチではなく自己の霊魂と対話し、人間が世界に共鳴スル「神業」なのです。哲学・思想 ブログランキングへ
2018年05月20日
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「霊魂論」神秘学60 科学と言えるものが今現在から見れば、地球が丸いや空気は見えないのを気息と捉えていた状況程度の科学文明が御粗末な古代にあって、「アートマンは極小・微細であり極大」と直覚したのは何故(なにゆえ)なのでしょう。21世紀の最先端科学では量子コンピュータの研究開発によって、「脳は量子コンピュータである」と推測し「宇宙も巨大な量子コンピュータである」と仮説を立てますたが、現代の合理的とされる人間でさえも受け入れ難い事実を古代の哲学者が直覚で受けていたことは驚異です。「梵我一如」アートマンはブラフマン、世界としての絶対原理の延長でありその様態を表すとの解釈はシャーンディリヤ・ヴィディヤがインドの伝統的なヨーガの瞑想によって、「アートマン=ブラフマン」という直覚を受けていたことは明らかです。然し乍ら、「ヨーガ(ヨガ/YOGA)」が直覚を齎すのは何の故か、ヨーガはインドの伝統文化に伝承されて来た心身統合の方法論ですが、此処現代に至って隆盛を極めるのは何ごとの故か、以降、其の詳細を追い求めます。哲学・思想 ブログランキングへ
2018年05月19日
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「霊魂論」神秘学59 紀元前8世紀から前6世紀の人物と想われるシャーンディリヤ・ヴィディヤ(Sandilya Vidya)を始めとしたウパニシャッド」の思考法と其の論法は否定論法をも含めて肯んぜられます。現代物理科学と生体科学に引き当てても通用する部分が少なくないからです。シャーンディリヤが表示した「極小・微細で極大」と表現であるアートマンはブラフマンでもあるとの言は、身体の頭脳にある極小・微細の素粒子群と偏在し宇宙全体が無限極大な量子世界と重ね合わせると、不可思議にもシャーンディリヤの「梵我一如」に重ね合わります。伝統的ヨーガの瞑想によって思想を高めたシャーンディリヤは素粒子ニュートリノが偏在することも知らず解き明かしてみせます。気息こそ生命エネルギーと信じて疑わなかった時代に事程左様に論じます。地球が丸いことも知らない古代です。目に見え得ない空気の存在も知らなかった時代に瞑想によって「アートマンは極小・微細であり極大」と感じたとき、それはどうしてなのか、どうして矛盾しているのかは説明できなかったにしろ、「アートマンは極小・微細であり極大」と直覚し、「瞑想してブラフマンと合一している者はそれを疑わない」と説くしかなかったのも止む得ないことです。哲学・思想 ブログランキングへ
2018年05月18日
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「霊魂論」神秘学58 正統バラモン教の最高原理ブラフマンの経典のヴェーダの奥義書ウパニシャッドの一つである「チャーンドーギヤ・ウパニシャッド」にたったの四節しか記載にしろ、其の言は深奥です。特に「この世においてもつ意向のまま、この世を去った後も同じ意向をもつ」との記載は、四節の結びに「この世を去った後、それに合一したいという意向のある人は、この点に疑いをもたない」とあることは、前者に置いてはシッダルタの生前成仏、この現世を去った後に其れ「ブラフマンに合一したい」という意向、此の「意向」とは「出来たらいいな」ではなく、無双の修養をもって獲得するものであり、並の願望では実現し得ません。伝統的ヨーガの修行者シャーンディリヤの「ウパニシャッド」の思考方法は信仰に頼るだけでは実現し得ない苦行を求めています。哲学・思想 ブログランキングへ
2018年05月17日
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「霊魂論」神秘学57 梵我一如の語句を初めて使用したのは紀元前8~前6世紀のシャーンディリヤ・ヴィディヤ(Sandilya Vidya)だとされています。但し、其の言は正統バラモン教の最高原理ブラフマンの経典のヴェーダの奥義書ウパニシャッドの一つである「チャーンドーギヤ・ウパニシャッド」にたったの四節しか記載されてはいませんが意味するところは深奥です。。「私のアートマン(我)は黍粒(きびつぶ)の核よりも極小でありながら、天(世界)よりも大きい」其れ故に肉体の滅亡後もブラフマン(梵)に合一出来得る。「此の世においてもつ意向の儘(まま)に人間精神の深奥はこの世を去った後も同じ意向をもつ」、四節の結びに「この世を去った後、それに合一したいという意向のある人間は、ブラフマン(梵)に合一出来得る点に疑いをもたない」。此の「梵我一如」の論説はアートマンはブラフマンでもあることを解釈的には現代でも適用不可能かではありません。哲学・思想 ブログランキングへ
2018年05月16日
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「霊魂論」神秘学56 苦楽を通常では一般生活と伴に送っていた人間が、人生の終末に対面しては、霊魂の静かな澱みに耳を澄ませば自己が「小さな神」アートマンであることを気付かずにはおきません、ところが実体のない自我、自己の霊性を慮ったことも無い「我」を自分自身と思い込んでいる為に、凡そ殆(ほとん)どの人間は、「輪廻転生」明日はゴキブリかも知れない転生を繰り返します。此のことの基底にあるのは、人間体精神としての自分の実態が小さな宇宙であり小さな髪「アートマン」即ち機会があった筈のときに其れであることには気付(きず)かず、更には煩悩故に悟らず、実体の無い自我を自分自身と思い込むことから齎されています。「梵我一如の思想」はブラフマンと一体化できる梵我一如を実現する方法を説きます。バラモン教がヒンドゥー教に発展進捗するに連れ、ラフマンと一体化できる梵我一如を実現する方法が、何にもまして熱心に追求されるべき課題となり、瞑想によってこの真理・事実を体得することにより、ブラフマンとアートマンが究極的には同一であるということを学び取り覚ったものは、梵我一如による「輪廻転生」から解脱でき、安心立命する事が出来るという教義へと発展していきます。「梵我一如」思想は、ヒンドゥー教の基本概念の大なる一であり、以降のインドの形而上哲学はもとより、其の後に派生したジャイナ教や仏教にも影響を及ぼしています。哲学・思想 ブログランキングへ
2018年05月15日
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「霊魂論」神秘学55 バラモンの発展系であるヒンドゥーの教説では、人間が肉体が崩壊した死後には二手(ふたて)に別れた道を辿ります。一つは人間が解脱してブラフマンに帰一合一し、永遠に一体化する道です、もう一方の道は人間は肉体の崩壊の後、霊魂が何らかの生命系の形態を纏って現世に生まれ変わる道で、謂(い)わば初期の輪廻観相となります。此処での別道の別れ道は、人間がブラフマンと一体化出来得るのは、人間精神の源(みなもと)に眠る霊魂にが本質としてあり、其の内なる本質は不死不変の小宇宙としての不死不変のアートマンが有り、其のアートマンとはブラフマンに他ならないからです。此の思考は東洋思想を熟知していた{エチカ」の著作で知られるスピノザに其の影響が看取れます。此の思考は人間を被造物とするキリスト教とは根本的に異なっており、スピノザは人間を「神」の様体の延長、ヒンドゥー教は人間を「小さな神」と看做していることに起因する結果です。哲学・思想 ブログランキングへ
2018年05月14日
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「霊魂論」神秘学54 ブラフマンが「大宇宙」を成り立たせている根本原理であれば、バラモン初期では「気息」を意味した気息観が展開変遷し、やがて人間自身の生命の実態としての「自己」としての「小宇宙」としての「アートマン((Ātman/我)」となります。大宇宙の本体としてのブラフマン、小宇宙(人間)の本体としてのアートマンという考え方が成立すれば、ウパニシャッド哲学が、次にはこの両者を総合し一元化するという、哲学的・神学的課題の解決を試みるのは「ウパニシャッド」という言葉の語彙が、異なるレベルのものに潜む同一性を感得する「同置」という意味で解釈されることから云っても意の当然ででしょう。此れは、西洋思想の「人間宇宙機関説」に同義のものがみられます。更には、ウパニシャッド哲学は「アートマンはブラフマンである」と言い、ブラフマンとアートマンは本質において同一のものであるという「梵我一如の思想」が説かれることになります。哲学・思想 ブログランキングへ
2018年05月13日
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「霊魂論」神秘学53 人間が経験的現象として見たり聞こえたりする事ではなく、其れ自体が超自然的なものに対する思索に相応の解答を与えるものが「梵我一如」の思想です。先ず、大宇宙ありきで、其の後の創造はブラフマン「梵(ぼん)」という宇宙の最高神または創造の根本原因から成り立つものだということです。ブラフマンの元もとの語彙はバラモンの祭祀で讃えられていた賛歌や祈祷句を意味していましたが、後世にはブラフマンは宇宙を成り立たせている根本原理・宇宙精神の本体と見做されるように語彙は変遷しています。ブラフマンはバラモンの祭祀で讃えられていた賛歌や祈祷句から宇宙の本質を表す抽象概念として登場、其れがやがて人格神ブラフマー(梵天)へと変貌していきます。ブラフマーは旧約のエホバの如く宇宙の始まりに姿を現し、自らを原因として森羅万象を生み出す創造神ととらえられるようになります。但し、両者共に宇宙存在の究極の素因には触れてはいません。大宇宙が「神」其のものと捉えれば合点(がてん)がいきますが、現代物理学の大宇宙の消滅・生成を受け入れれば、「無」から生成があるとした現代宇宙物理論から類推すると「無」なるものこそが「神」であり「絶対者」と浮上することさえ可能となり得ます。哲学・思想 ブログランキングへ
2018年05月12日
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「霊魂論」神秘学52 ヒンドゥー教の母体となったバラモン教も紀元前800年以降はヴェーダの最終章とも云えるヴェーダ宗教宇宙の最高原理ブラフマンや、個人の本体アートマンを説く「ウパニシャッド」の教説に次第に取って代わられヒンドゥー教へと変遷します。ウパニシャッドの哲学では、良い業を積み、輪廻することのない、即ち生まれ変わらず死ぬことのない境地に達し、ブラフマンとアートマンが合一する事を目的としています。仏教の始祖シッダールタことゴータマ・ブッダもウパニシャッドからの影響を強くを受けています。経験的現象として見えたり聞こえたりする事より、階級制度のに困窮する民は現世的試練よりも神など其れ自体や超自然的なものに対する思索や議論を探求します。宇宙は何のような空間的な広がりを持っているのか、宇宙を成り立たせている基(もとい)のとなる素因は何か、有無さえ人間が実在の根拠を問えない神と人間が実在する宇宙との関係は、宇宙の本質とは何かを現世矛盾からの離脱を思慮したものが、ヴェーダの最終章とも云えるヴェーダの「梵我一如」の思想です。哲学・思想 ブログランキングへ
2018年05月11日
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「霊魂論」神秘学51 インド古代史にヒンドゥー教の母体となったヴェーダは、紀元前1500年前後に先は中央アジアで遊牧生活を営んでいた民族、紀元前2000年頃から、一部が南下してアフガニスタンに入り、カブール渓谷を通ってインダス川上流地方に侵入、インダス文明をつくった先住民に取って代わり、インダス文明を部分的に取入れて定住農耕生活に入ったアーリヤ民族を主流とします。中央アジアからイラン高原に侵入した一部はのちのペルシア文明をも発展させた民族です。形質的にはコーカソイドに属します。インド亜大陸に侵入したインド・アーリヤ民族の民族宗教であるバラモン教を基(もとい)に祭式を行って神々に供物を捧げ、神の恩恵を期待するという祭式主義をその根幹としてるのは日本の神教と変わりません。「ベーダ」は此の祭式の実効性を故にして成立、継続して祭式の密接な関連のもとに発達した文献群を指し示しています。詰まるところ、バラモン教とはベーダの宗教であるといって差し支えは無いのです。「ベーダ」は元来は知識を意味していましたが、宗教的知識の意味に用い転化せられ、転じてバラモン教の聖典を意味するようになります。哲学・思想 ブログランキングへ
2018年05月10日
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「霊魂論」神秘学50 ウパニシャッドはバラモン教(Brahmanism)の聖典であるベーダの最後の部分を形成するものですが、仏教の龍樹の「空論」がそうであるように、宗教を基底に置くのは其の骨子のみで、教義を超えた哲学論です。宇宙を支配する原理をブラフマン(梵)と捉え、個人を支配する原理をアートマン(我)とはしますが、其の支配原理が同根であることを知悉することによって、人間は永遠の至福に到達しエクスタシーに入ります。此のウパニシャッドの思想と論法の究極原理が古代インドにから現代までも脈々と息づいています。此の不二一元論(アドヴァイタ/advaita)とも呼称されるウパニシャッドは「ヴェーダ」は「知識」の意である バラモン教の聖典で、バラモン教を起源として後世成立したいわゆるヴェーダの影響力を受け、受動的であれ批判的であれインドの宗教群に多大な影響を与えているのです。哲学・思想 ブログランキングへ
2018年05月09日
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「霊魂論」神秘学49 ウパニシャッドの表現形式としての論法は否定論法から真相を見極めんとするところに特徴が見い出されます。此の論法の最たるものが仏教を哲学にまで高めた、上座仏教からは「偽教」と呼称されの大乗の祖の龍樹の「空論」です。偽経であることはには間違いは無いのですが、シッダールタの語った一字一句を解釈しようとする上座仏教に比して釈尊の「正覚」の深奥を極めんとした龍樹は時々の説法には囚われず、「正覚」即ち「悟り」を見据えています。無い無い尽くしの否定論法ですが、決して物理的存在を全面否定するのものではないことは、西欧哲学から虚無主義の批判を浴びようとも揺らぎません。龍樹の真義は人間の精神の奥底を探ることにあり物質世界の有非を探求するものでは無いからに所以します。何れにしてもウパニシャッドの思想と論法は現代までも脈々と息づいています。哲学・思想 ブログランキングへ
2018年05月08日
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「霊魂論」神秘学48 ウパニシャッドにおける梵我一如(ぼんがいちにょ)の思想を紐解けば、インド思想の基底にある思考法が「ウパニシャッド」における思考方式を基幹にしていることは明らかです。ウパニシャッド哲学は紀元前6世紀から紀元後6世紀頃までの、凡そ1000年にわたるインドの思想史のなかで思想だけではなく、其の思想には批判的な思想家ににまで其の思考方法には最も影響が及ぼしたのが「ウパニシャッド」です。紀元前6世紀から紀元6世紀ごろまでのインドを語るうえで重要とされる諸宗教は、凡てがこの期間内に出現していることから思想的には勿論のことですがインドの宗教・哲学は皆が此の思考方法と表現形式を纏っていることは疑いを挟めません。其れ等はバラモン教・ジャイナ教・ヒンズー教及び仏教ですが、なかでもヒンズー教と仏教は「ウパニシャッド哲学」により成り立っていると言っても過言ではありません。「6哲学」の「梵我一如の思想と思考法」はヒンズー教・仏教ともに思考方法の原点なのです。なかでも「梵我一如」の思想、 バラモン教の最高原理でもある宇宙の根本原因を表す「梵」即ち「ブラフマン」インドの正統バラモン教思想における最高原理。梵と漢訳される。、仏教に取り入れられ守護神の一となった梵天と、我を意味する「アートマン」が同一であることを知ることにより、永遠の至福に到達しようとするのが梵我一如の思想なのですが、固定的実体的な自己(我・アートマン)は存在しないと観相する仏教独自の思想。インドの正統バラモン教にては,一般に自己の本体としての我が存在し,それが業の担い手となって生死輪廻すると考え、但し、仏教の開祖シッダルタはこの有我説に反対し,三法印の一つである〈諸法無我〉に唱われるように,一切諸法には実体的我は存在しないと主張した仏教の「無我の我」をウパニシャッドの表現形式で示します。哲学・思想 ブログランキングへ
2018年05月07日
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「霊魂論」神秘学47 宗教上における神秘主義は、世界の諸宗教のうちの其れ々に特徴をもった位置を占めています。原始宗教におけるシャーマニズムなども、神秘主義的エクスタシーの一つに数えることができますが、此れはどちらかと云うと薬物絡みの恍惚やや精霊などの超自然的力や神秘的な力に働きかけ、種々の願望をかなえようとする呪術的な霊的感受性がみせる魔術性に特徴があります。インドのバラモン教の聖典ヴェーダ(リグ・ヴェーダ、サーマ・ヴェーダ、ヤジュル・ヴェーダ、アタルヴァ・ヴェーダ)の末尾に収められている著作群を呼称する「ウパニシャッド」における梵我一如(ぼんがいちにょ)の思想は、東洋神秘主義の華ともいわれています。其れ故ここに伝統を引くバラモン系統ヒンドゥー教にも、仏教にあっても、神秘主義の色彩はきわめて濃厚であり、ヨーガ、禅定(ぜんじょう)、密教の修法などにその特色をみることができます。では其の古代インドの聖典とされる「ウパニシャッド」とは何ぞやと云えば、「梵/Upanisad」や和訳では「奥義書」と訳され、バラモン教の聖典であるベーダの最後の部分を形成する一群の哲学書を指して呼称された文書です。この宇宙原理「ブラフマン」と個体原理「アートマン」が本質において同一であると、瞑想の中でありありと直観し観相することを目指す梵我一如の思想を基(もとい)にした「ベーダーンタ」とも呼ばれる哲学であり、其の後のインド哲学や宗教思想の思考形態に多大な影響を与えるものの「ウパニシャッド」自体は独自の宗教を確立してはいません。哲学・思想 ブログランキングへ
2018年05月06日
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「霊魂論」神秘学46 霊的神秘体験から始まる神秘思想の展開は霊的体験の当事者の現象の内省的自己理解を出発点として形成され始め、一旦、成型がなると、其の後は人々を神秘体験に導くための指針としての役割を果たすものとなるのが成道です。予めに其の成型された思考の内容や進むべき方向を人々に指針を示しし、内的に心の準備の状況を整えさせます。然し乍ら、霊的神秘体験の其のこと自体は、各自が自ら観相して自ら証(あか)す他ない性質のものです。其のため、思想による体験への接近と並行して様々な形の「神秘修行」が其の支持する霊的神秘体験の思想により「行」が試みられることになります。繰り返して身心に一定の規整を加える、いわゆる行(ぎょう)の工夫です。「行」が進み、境地が展開していく過程は「神秘階梯(かいてい)」と呼称され、段階的に示されるのが一般的です。精神の内層の浄化・集中・瞑想・合一・脱我・寂静(じゃくじょう)などが其々の霊的神秘体験の内容によって種々組み合わされて構成されていきます。霊的神秘体験のこうした「行の体系」は宗教的神秘主義と同様の重要な一要素をなしています。哲学・思想 ブログランキングへ
2018年05月05日
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「霊魂論」神秘学45 霊的神秘体験の当事者は体験を顧みて、何とか言葉で持って自己の霊的体験を解釈し語ろうとする努力するのは、モーセの度々の奇跡やナザレのイエスが否応がな見せた奇跡ですが、霊的神秘体験の当事者は、仏祖シッダルタと同様に普通尋常には目立った奇跡を起こしてみせることはなく、自己が其れまでに授かった範囲での施術を行うのが汎的です。所謂、宗教的神秘主義には特徴的な表現形式が用いられることが主流です。古代インドの聖典である「ウパニシャッド」の「然(しか)らず、然らず」に代表されるような否定的表現、「光り輝く闇(やみ)」「一切を含んだ無」などの矛盾逆説による表現、「魂の火花」「霊の水晶宮」といった詩的象徴的表現は、神秘体験を解釈し語ろうとする努力の顕れです。こうした表現上の工夫を介して体験が説明され、独自の論理によって組織的に体系化されていく。そこに神秘思想、神秘神学、神秘哲学などが、神秘主義の重要な構成要素の一つとして成立することになります。シュタイナーの「いかにして超感覚的世界の認識を獲得するか」の論は、自己の神秘体験を汎用的論理で解釈した説明に努めていることが単なる教祖信仰との異相な一面です。哲学・思想 ブログランキングへ
2018年05月04日
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「霊魂論」神秘学44 霊的神秘体験は、モーセの著と目される「旧約」の神の顕現や本書に登場するエリヤ等々の神の預言者が存在を示す天使もしくは大天使の現出体験や「新約」の12弟子への復活したキリスト顕現、敢えてナザレのイエスを除くのは、彼は神の顕現体験とは無縁だからです。当然に仏祖シッダルタも顕現体験とは無縁です。宗教的神秘体験の顕現は第二次的なものなのです。既成宗教を離れたシュタイナーの霊的神秘体験は宗教色を帯びてはいないし、意識して避けています。単に神秘体験と云えば、宗教により、時代により、人によって、それぞれ異なった具体相を示しますが、神秘体験一般に共通してみられる傾向は、日本の哲学者西田幾多郎の「純粋経験論」に示唆を与えるなど、アメリカ合衆国の哲学であり心理学者である意識の流れの理論を提唱したことで知られるウィリアム・ジェームズ(William James/1842年-1910年)は神秘体験全般を、言い表しようがないということであり、その性質は自分で直接に経験しなければわからない。認識的性質は真理の深みを洞察することであり、神秘的状態は長い時間続くことはできない暫時性を特徴としており、自分の意志は働くことをやめてしまって、ある高い力によってつかまれるかのように感じるの項に整理して説明しています。哲学・思想 ブログランキングへ
2018年05月03日
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「霊魂論」神秘学43 霊的神秘体験とは、通常の「ことば」でもっては言い表しがたく、旧約の神の言葉の通訳である「預言者(未来予測の予言者ではない)」の語りやシッダルタの正覚としての自身「???」の悟りを言い表し難い言葉を持って語るように、神秘体験も其の意味でも秘密に満ちています。然し乍ら、其れ々(それぞれ)に当事者にとっては直観的に極めて確実な真相を持った実相であり、言葉での解釈の持って回った論証を必要としないのは共通します。神秘体験は「何か」無限の大きさと力とをもつ確かなものに触れる事件です。人間が其の事件を体験することにより、自己が其れ迄の人生の枠が解き放たれ無限の大きさと力とをもつ確かなものに触れることです。従来の小さな自己の殻は融(と)け去り、脱我すなわちエクスタシーに導かれ魅力に満ちた鮮烈な感銘のなかで、いまだ自らはかつて知らなかった、より高高次元、且つ、より深い生命の境地が開けてくる事実です。魂の根底が揺り動かされて、世界は新しい光に照らされ、この体験を契機として人生の意味は一変します。此のことは人間に野放途な生き方を求めるのではなく一定の枠「倫理」をあてがいますが、野放途を「自由」と信ずるものには、性善説の人間でなければ「危うきごと累卵のごとし」の諺通りの霊魂の破滅が待ち構えます。哲学・思想 ブログランキングへ
2018年05月02日
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「霊魂論」神秘学42 霊的神秘体験は、神・最高実在・宇宙の根本原理等々の自己環境への現出体験を基(もとい)にしますが、似通(にかよ)うものとして、自己の信仰を通しての奇特な覚醒体験を基にする仏神的存在の眷属の現出があります。其の範疇は一概には定義出来ないもなのですが、「体験」だけは全てに共通しています。ナザレのイエスやシッダルタは其の前提に「体験」が欠如することに大いなる意義があることは神秘論を考察する上でも重要な要請です。何れであろうとも仏神眷属の現出は、シッダルタの「無我・無私」で、心の働きが休止しており一切の妄念を離れた「無心の心」を世界に偏在させた正覚を除けば、自己の精神の深層に眠る霊魂からの呼びかけであり、当事者としては疑問や余地を挟むすべもなく受け入れざるを得ません。此処から、体験を語ることに尽力する教祖宗教が始まります。此れ等は世界を須(すべか)らく睥睨して推敲して獲得した正覚ではなく具現が始まりの基にあるとから根本宗教とは成り得ず派生宗教となります。此処に個人の霊的体験を基にした霊魂論の真否が問われることは必然の結果であり、先ずは受け入れる当事者には、信じることが要請され。シュタイナーの論法との差異を理解すべきです。哲学・思想 ブログランキングへ
2018年05月01日
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