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あれから、もう何年経ったのだろうか。五十年、いや六十年か。 左衛門尉はあの時のことを思い出す。初めてさきくさに出会った日のことを。 数え切れぬほどの明かりが灯された御殿の煌びやかな輝き、賑やかな人々の笑い声、張りつめた鼓の音と透き通るような響きの歌声……。 あの頃、左衛門尉はまだ元服してまだ間もなく、父が家司を勤めていた右大臣家の屋敷へ、見習として出仕し始めたばかりだった。武芸が好きで、鷹狩だ笠懸だと父の所領の野山を駆けまわってばかりいた左衛門尉は、初めての堅苦しい屋敷勤めに辟易していた。だが幸いなことに、すぐに右大臣の四の君である宰相中将殿に気に入ってもらえ、近習として側近く仕えることが出来るようになったばかりか、時には屋敷で開かれる宴の末席に連なることも許されるようになったのである。 あの夜、左衛門尉は簀子の片隅で小さくなって座ったまま、御殿の南庭に設えられた舞台の上で今様を歌う一人の遊女に目を奪われていた。 白く清らかな額から流れ落ちる艶やかな黒髪。ほんのりと上気した薄紅色の頬。はっきりとした二重の切れ長の眼差し。紅の袴に山吹襲の袿を着て、扇を手に舞いながら歌うその遊女の姿は、まだ大人になったばかりの左衛門尉には眩しいほどに美しかった。 ああ、それにあの歌声……胸を締め付けるようなもの哀しい調べが、今も左衛門尉の耳に甦る。
2006年09月30日
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薄の群れを一つずつ丁寧に掻き分けながら、左衛門尉はゆっくりと五条河原を歩きまわっていた。 すぐ目の前の薄の穂先に、髑髏が一つ引っかかっている。河原にはそこかしこにこんな髑髏や手足の骨が散らばっていたが、今日新しく捨てられた死骸は、どうやらさっき見つけた棺一つだけらしい。左衛門尉はもうしばらく辺りを探し回った後、見切りを付けて先程の棺の側へ戻って行った。 ひどく粗末な棺だった。左衛門尉はもう一度棺を覗き込んで死者を確かめた。 間違いない。上に掛けられた筵の隙間から見える髪は、今はすっかり白く変わっているが、額の生え際の辺りにまだ昔の匂うような色香の面影が残っている気がする。 左衛門尉はそっと手を伸ばし、筵をめくろうとして止めた。 やはり、会えなくて良かったのだ。左衛門尉は胸の中に今も焼き付いている面影を確かめるように、皺ばんでしみの浮いたその手を自分の胸に押し当てた。 左衛門尉はさきくさの棺に向って静かに語りかける。「今日はそなたにこれを返しに来たのだよ」 左衛門尉は懐に手を入れると、ひどく古びた一本の扇を取り出した。そして、その扇を開き、さきくさの身体を覆っている筵の上に置いた。 金の箔を散りばめた青海波の波間に群れ飛ぶ千鳥の文様。深く焚き染めた香の薫りも、まだ微かに残っている気がする。 左衛門尉は杖を傍らの薄に立てかけると、側にあった平たい石に腰を下ろした。
2006年09月29日
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ところが、さきくさの具合がいよいよ悪くなったと聞くと、老人はさきくさが死ぬ前に一度会わせてくれと言ってきたのである。 雨晒し同然のさきくさの小屋へ通せば今まで贈り物を横取りしていたのがばれるし、いつ死ぬかわからない病人を客商売の自分の母屋へ上げるのも嫌なので、禅師は何とか言葉を濁していた。 だが、さきくさは昨日の夜、誰も知らぬ間に死んでしまったのだった。 朝の粥を持って行った者からそれを知らされると、禅師は老人に見られないようにさっさとさきくさの死骸を河原へ運ばせ、老人にはさきくさは急に死んだのでもう五条の河原へ葬ったと知らせをやった。そして、もうこれで事は済んだと安心していたのである。 それにしても、こんな捨てられた死人がごろごろする河原まで、身分のある武者がわざわざ死んだ女の亡骸を見送りに来るとは。よほどこのさきくさに執心しているのか。いい年をして愚かなことじゃ。あんな爺になっても、まだ男は男とみえる。 おぼつかない足取りで鴨川の堤を下りようとする老人の後ろ姿を見送りながら、禅師は傍らの草むらにぺっと唾を吐き捨てた。
2006年09月28日
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老人に見つからぬように、禅師はそっと側の小家の軒先に身を潜めて、老人の様子をうかがった。 老人は隠居の身らしくくすんだ朽葉色の直垂に萎えた烏帽子などを被っているが、腰に下げた毛鞘の太刀はがっしりとしてなかなかの業物である。背が高く、体つきにもまだかつての逞しい面影を残していた。どうやら昔はそれなりに名の通った武者だったらしい。 この老人は、十年ほど前に禅師たちが京へ住まいを移した頃、ある日ふいに禅師の元を訪れてきたのだった。そして、佐藤左衛門尉何某という名を名乗って幾ばくかの金銀を差し出すと、自分からだとは言わずにさきくさに渡してくれと言う。 それからというもの、禅師の元には時折この老人からさきくさに宛てて金や品物が送られてくるようになったのである。それらは大方禅師が自分のものにしてしまったが、時々少し渡してこの老人の話をすると、さきくさは黙ったまま昔を思い出すような遠い目をしていた。 おそらくこの老人はさきくさの昔の男か何かだろう。禅師はそう思って、良い金蔓が出来たとほくそ笑んでいたのだった。
2006年09月27日
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禅師はぶるっと身体を震わせた。本当に、今目の前にある棺の中に横たわっているのが、自分自身の死骸であるように思えてくる。 禅師は平たい石から腰を上げると、さきくさの棺に近寄って中を覗き込んだ。 ずれた筵の隙間からのぞくさきくさの乱れた白髪が、川風に吹かれてさわさわと揺れる。まるでそこだけまだ生命を持っているかのようだ。 禅師はぞっとして目を逸らした。地獄へ落ちるのを何とか免れようと、死に物狂いでこの世にしがみついている。そんな自分の魂の行方を見たような気がした。 禅師は急に踵を返すと、後も振り返らずにあの髑髏の引っかかった河原の薄の傍らを走り抜け、重い身体を揺らしながら川堤を攀じ登った。 いつの間にか日は頭の真上に昇り、鴨川の堤の上は涼やかな秋の風が吹いている。もう、河原の底に澱んでいた死臭もしない。禅師はようやくほっとして、額に滲んだ汗を拭うと、川沿いの通りへ足早に進んで行った。 その時、川縁に続くしもた屋の間の小道を、杖を突いた一人の老人がゆっくりとこちらへ向って歩いて来るのが見えた。 ああ、もう知らせが行ったのか。しまった。まさかこの河原にまでやってくるとは。 禅師は舌打ちした。
2006年09月26日
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だが、その末路を考える時、禅師は急にさきくさが疎ましくなるのを抑えきれなかった。 さきくさには老い先を看てくれる子も弟子もいない。頼りになる身内なしに一人で老いて行くということがどれほど恐ろしく惨めなものか、さきくさの生涯をずっと側で見ていた禅師は思い知った。 今、目の前にある棺。寂しい河原に打ち捨てられて、獣に無残に食い散らされて行くこのさきくさの姿が、孤独な遊女というものの末路なのだ。 そうなることが、禅師には堪らなく恐ろしかった。だから、娘の蔵人が生まれると、必死になって今様や舞の芸事を仕込み、それほどでもない容顔を磨き上げ、高価な衣装で常に身を飾らせて来た。それだけではない。吝い女だと陰口を叩かれながら小金をため込み、その金にものを言わせて娘を都で売り込むだけでなく、他人を押し退けてまで京で商売を広げて来た。 それは皆ただ一つのことのため、さきくさのようにならないようにするためだ。 だが、さきくさの棺を眺めながら、禅師は考える。はたしてそれは叶ったのだろうか。 娘の蔵人は確かに都でも名を知られる遊女の一人になれたが、禅師に似て吝嗇で思いやりに欠ける女だった。それに、禅師に増して気が強い。きっと商売の方は上手く切り盛りしてさらに手を広げて行くだろうが、老いた禅師の面倒を優しく看てくれるかと言うと、どうも心もとない気がする。それに、隠居してしまえば、これまでため込んだ金銀も禅師の自由にはなるまい。これで身体が利かなくなったら、一体どうなるだろう。戦でも始まれば、真っ先に置き去りにされて捨てられるに違いない。
2006年09月25日
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だが、さきくさも男の後を慕って傀儡子の元を抜け出して来たとわかると、禅師の母は馬鹿にしたようによく言っていたものだ。男の甘言など真に受けて、後先考えずに飛び出して泣きを見るとは。母子そろって、なんという愚か者じゃ。血は争えぬわい。 だが、さきくさの今様は確かに人の心を打った。 その美しい歌声は瞬く間に江口で評判となり、さきくさの噂はすぐに京にまで知れ渡った。そして、都の貴顕はおろか宮中の方々にまで親しく招かれて今様を披露するほどの、京でも指折りの歌い手の一人になったのである。 その頃のさきくさの歌声を、まだ幼かった禅師もかすかに覚えている。艶やかで張りのある、それでいてどこか寂しげな今様の調べ。ちょうど遠くで銀の鈴の音が鳴るのを聞くような、そんな響きのある声だった。 だが、さきくさの栄華も長くは続かない。 芸を重んじる傀儡子と違って、遊女は容姿の美しさが命だ。さきくさも三十歳も半ばになると都落ちするように京を離れ、ひっそりと江口へ戻って来た。そして、それ以来ずっと禅師の家に厄介になって、ただの遊女として客を取り、その客さえ寄り付かない年になると、遊女が客引きのために出す舟の艫取り女になった。 その頃売出し中の若い遊女だった禅師に、さきくさは舟の艫を取って供をし、何かにつけて行き届いた世話をしてくれた。そればかりか、都風の客あしらいを教えたり、昔の客を紹介してくれたことすらある。 確かにさきくさにはずいぶん世話になった。先ほど供物の米を持って来て供えたのも、少しはまださきくさへの恩義を感じているからだ。
2006年09月23日
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だが、さきくさは違ったようだ。いや、さきくさばかりではない。その母親もそんな不可解な女の一人だったと、もうずいぶん前に死んだ禅師の母も言っていた。 禅師の母はさきくさの母親の姪にあたり、住む家もすぐ近くだったという。母が言うには、さきくさの母親は男にだらしのない女だったそうだ。見目の良い客に惚れては、入れ揚げて捨てられる。その繰り返しのうちに、やがてさきくさが生まれた。母親が美しい男ばかりを好んだせいで、どの客を父としたかもわからぬながら、さきくさは大層愛らしい子であった。だが、母親はそんなさきくさを大してかわいがりもせず、いつも男たちの尻を追い掛け回していた。誰からも構ってもらえず寂しそうにしていたさきくさを憐れんで、禅師の母は時々さきくさと遊んでやったという。 ところが、さきくさはある日突然江口から姿を消してしまった。さきくさの母親が男に誘われて江口を出ていった時、さきくさも一緒に連れて行ったのだ。 その後、さきくさとその母親がどこでどうしていたのかはよくわからない。大方その男にもすぐに捨てられたのだろう。ある客は、さきくさの母親が大津辺りの場末の宿でひさぎ女をしていたのを見たといっていた。その後さきくさは美濃の傀儡子のところに売られたそうだから、母親はその地で死んだのか。いや、あんな女だったから、また新しい男を見つけて、邪魔になるさきくさを人買いにでも売り払ったのかもしれない。 とにかく、さきくさはその傀儡子の元で大きくなり、そこで今様をしっかりと叩き込まれたらしい。江口へ戻って来た時、傀儡子風の今様をそれは巧みに歌うので、江口中の者たちが唸ったそうだ。
2006年09月22日
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虚ろな目でじっと嫗の棺を眺めながら、禅師は遠い昔を思い出していた。 禅師が生まれたのは、さきくさの嫗と同じ江口だった。江口は淀川沿いにある交通の要衝で、多くの旅人の泊まる宿場でもあることから、神崎と共に遊女の里として広く知られている。禅師もさきくさも、もしそこで女として生まれたならば、いずれは否応なく遊女となって身をひさがねばならない、そんな家の生まれだ。 だが、禅師は幼い頃からそんな自分の運命を厭うこともないばかりか、むしろ遊女であることを誇らしく思っていた。この名高い江口の遊女であるからこそ、いつも美味しい物を食べ美しい衣装を着、並の女では一生側にも寄れないような都の高貴な男たちとも交わりを持てるのだ。 代々遊女を稼業とする家に育った禅師は、元々男女の愛など信じてはいない。男が求めているのは所詮女の匂いやかな身体だけ。優しい囁きや想いを歌う文など、結局はひとときの官能を高める媚薬に過ぎない。 そう思っている禅師は、今まで一度も男の真心を求めたこともなく、多くの貴公子たちと浮名を流し、彼らとのかりそめの恋の駆け引きを楽しんで来た。だから、男に魂を奪われて身も心も捧げてしまうような女など理解できない。というより、その愚かさを嗤(わら)っていた。
2006年09月21日
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藤太は不意に口篭もった。知らぬ間に、あの髑髏が引っかかっている薄の一叢の側に、初老の女が立っていたのだ。 でっぷりと太った身体に、若い女が着るような派手な唐織の袿をまとって壷折りにしている。厚く白粉を塗った顔の中から、抜け目のない細い目だけが眼光鋭くこちらを睨んでいた。 黙り込んで俯いた二人の男に近づくと、女は手に持っていた扇で藤太の額を容赦なくぴしゃりと打ち据えて言った。「まだ、こんなところにいたのかえ? 棺を鴨川の河原へ置いたらすぐに戻ってくるよう言っただろうが。油を売っている暇はないよ。さっさと家へお戻り」「はい、禅師殿」 二人の男はそそくさと辺りに取り散らかっていた荒縄と担い棒を片付け、女に頭を下げる間ももどかしいように急いで河原を出て行った。 女はしばらくそれを見送っていたが、二人の姿が薄の向こうへ消えると、棺の傍らにしゃがみこんで、懐から何かを取り出した。それは粗末な木の椀と、麻の袋に入った米だった。女は袋の口をあけてさらさらと椀の中に米を入れると、棺の枕上に供えた。そして、しばらくじっと棺の中の嫗を見つめていた。 今やすっかり日が昇り、辺りを漂っていた朝の川霧も姿を消している。どこからか飛んできた雀が一羽、薄の穂先に引っかかった髑髏の上に留まって、小首をかしげながら角張った女の背を見守っていた。
2006年09月20日
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「そんな皇子なら仕方がないかも知れぬな。だが、まだ言葉もしゃべれぬ赤子を帝にしてどうするのだろう。それに、虚仮(こけ)にされた今上も黙ってはおられまい。世の乱れの元とならねば良いが」「なるだろうな」 藤太はあっさりと言った。「だが、どうせこんな末法の世じゃ。乱れようが乱れまいが、大した違いはあるまい。それに、我らのような下郎の行く末など決まっておる。戦に巻き込まれて死ぬのも、流行り病にかかって死ぬのも、飢えて死ぬのも同じこと。いずれはこんな河原に捨てられて、朽ち果てて行くだけよ。ほら、あの髑髏のようにな」 藤太はさっき自分が蹴飛ばした髑髏を指差して言った。髑髏は一間ほど離れた一叢の薄の穂先に引っかかっていた。川風が吹く度に微かに揺れる様は、まるで藤太の言葉に頷いているかのようだ。藤太はさきくさの嫗の棺の縁を、汚れた藁草履の足で蹴りながら言った。「この嫗だって、二、三日のうちには河原の者どもに身ぐるみはがれ、犬や烏に身体を食い荒らされて、見る影もなくなっておるじゃろ」「腐る暇も無しか。哀れなものじゃな」「皆そんなものだ。この嫗など、まだましな方であろうよ。こうして鴨川の河原まで運んで貰えただけでもありがたいと思わねば。まあ、時々嫗を訪ねて来ていた者たちの手前もあるじゃろうがの。それにしても、棺まで用意するとはわしは驚いたよ。あの吝(しわ)い業突く張りの禅師の糞婆あがよくも……」
2006年09月19日
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「いくら寵愛深い女御の御子とはいえ、まだ赤子でしかも劣り腹の若宮を東宮にしなくても。四宮(注)がおられるではないか。あの御方なら、母君は中宮であられる待賢門院だし、まぎれもなく鳥羽院の御子だという。それにそろそろ元服するお年頃のはず」 そう言う小麻呂に、藤太はふふんと鼻を鳴らして知ったかぶりをした。「あれはだめだ。どうやら大層変った皇子らしい。悪さ好きの若公達どもだけでなく、気に入れば青侍や雑色であろうと御所へ上げて、いっしょに酒盛りをする。夜昼構わず勝手に御所を抜け出しては、遊女の家に入り浸って何日も戻らない。お付きの者たちもほとほと手を焼いておるそうだ。おまけに、母君の諌めなど耳も貸さず、叱られても舌を出す始末。鳥羽院もとうとう匙を投げてしまわれたらしい」注「四宮」…後の後白河帝。名は雅仁。鳥羽帝の第四皇子で、近衛帝の後を受けて即位。わずか三年で子の二条帝に譲位後、五代三四年にわたって院政を敷いた。十代から今様を愛好していたが、在位中に隠退していた乙前を探し出して師事。その芸を受け継いで極め、自ら今様の集大成である『梁塵秘抄』を執筆した。 (在位 1155~1158)
2006年09月16日
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禅師の家にはやんごとない殿上人たちも大勢客としてやって来るので、彼らの噂話を常々聞きかじっている小麻呂たちも少しは宮廷の内情を知っている。 今上の母君である待賢門院藤原璋子は白河院の近臣であった藤原公実の娘だが、幼い頃から白河院の元へ引き取られ、親子同然の暮らしをしていた。 いや、親子であったのなら良かったのだが、いつの頃からか白河院は美貌の誉れ高い璋子に手をつけておられたようなのである。しかも、白河院はその璋子を平然と孫の鳥羽院の中宮に据え、こともあろうに彼女が内裏に上がった後も密かに逢瀬を続けていた。そして、誕生したのが今上だったのである。 鳥羽院も表向きは我が子として遇しているが、裏では今上を叔父子と呼んで疎んじているらしい。 そこへ、近年鳥羽院の寵愛を一身に集め飛ぶ鳥を落とす勢いの藤原得子に、待望の男皇子(注)が生まれた。鳥羽院は生まれてまだ三月にしかならぬこの若宮を、今上の意思も無視して、先頃強引に立太子させてしまったのである。 これでは今上の退位も時間の問題だと、殿上人たちの間ではもっぱらの噂だった。注「男皇子」…後の近衛帝。鳥羽帝の第九皇子で、崇徳帝の後を受けて即位。だが、十六歳で夭折した。(在位 1141~1155)
2006年09月15日
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小麻呂は一月ほど前から、都で手広く遊女の束ねをしている禅師という女の家に奉公するようになったばかりだ。だから、この棺の中に入っているさきくさの嫗のことはよく知らない。 小麻呂が来た時には、嫗はもう裏庭の隅に拵えられた筵掛けの小屋の中で臥せっていた。禅師の身内ではないらしく、家の者は朝夕に薄い粥を運ぶだけで、普段は気に掛けもしない。小屋の中からも誰かを呼ぶ声がすることもなく、時折今様を歌う細い声が聞こえるほかは、いつもひっそりと静まり返っていた。 時折、見知らぬ者たちが何人か訪ねて来るのがせめてもの救いか。その中には大層愛らしい女童もいて、若い小麻呂などはこっそり様子をうかがったりしたものだったが。小麻呂は見たこともない程皺ばんだ死骸を横目で怖々眺めながら聞いた。「ずいぶん年寄りの嫗だな。一体幾つぐらいになるんじゃろ」 藤太は棺を担ぎ棒に結わえてきた荒縄を解きながら言った。「さあ、わしらもよくは知らん。だが、もう八十はとうに超えておろうな。何しろ、亡くなられた白河院がまだ御位につかれたばかりの頃に、御前で今様を歌ったことがあったそうじゃから」「それはまたずいぶん昔の話じゃな。白河院がお隠れになって、もう十年ほどは経つか」「そのくらいにはなろう。だが、白河院もあの世の蓮の上でおちおち座ってもおられまい。生前大層お可愛がりになった今上(注)が、今にも御位を引き摺り下ろされようとしておられるのじゃからの。まあ、無理もない。なにしろ、今上のまことの父君は……」 藤太は下卑た含み笑いをもらした。注「今上」…崇徳帝。鳥羽帝の第一皇子でありながら父上皇より譲位させられた後、保元の乱に敗れ讃岐国に配流。同地で崩御した。(在位 1123~1141)
2006年09月14日
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朝靄の切れ間から、髑髏(しゃれこうべ)がひとつ、こちらを見つめていた。 虚ろに開いた眼窩から、弱々しい薄が延びかけている。黄ばんだ頭蓋骨の上を、巣穴にもぐり損ねた季節外れの大きな蟇(ひき)が頂きへと攀じ登ろうとしていた。 鴨川の河原の砂地に半ば埋もれた、どこの誰とも知れぬその髑髏の眼差しに、小麻呂はふと背筋が寒くなるのを覚えた。だが、先を行く藤太はまるで気にも止めず進んで行く。そして、その髑髏を蟇ごと蹴り飛ばすと、小麻呂に振り向いて言った。「もう、この辺りでいいじゃろ」 二人は担いでいた長い木の箱のようなものを、髑髏のあった砂の上に下ろした。傾いた拍子に上に掛けていた筵がずれて、中のものが見える。 それは、年老いた老婆の死骸だった。 藤太は粗末な棺の中を覗き込みながら言った。「さきくさの嫗(おうな)もとうとう死んだか。ずいぶん長患いじゃったの。これで禅師殿もせいせいしたじゃろ」 自分もせいせいしたと言わんばかりに、藤太は両手を叩いて塵を払い、腰に下げていた手拭いで顔を拭った。小麻呂も藤太の陰からそっと棺の中を覗いてみる。ずれた筵の隙間から、無数の皺が刻まれた青白い額と、そそけ立った白髪の束が見えた。
2006年09月13日
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~次回からの連載作「孤舟」のご紹介~舞台は平安時代後期の院政期。藤原氏の栄華が衰退し始め、武士の台頭と源平合戦にはもう少し間がある、そんな狭間の時代です。この頃流行りはじめた芸能に「今様」というものがあります。現代のものに例えると、前作に使った「催馬楽」が民謡とするなら、こちらは歌謡曲といった感じでしょうか?雅楽の越天楽などのメロディにのせて、仏の教えから男女の仲のことまで、巷に溢れる聖俗あらゆる事柄を歌詞にして歌います。普通は鼓などの簡単な楽器を伴奏にして歌うだけですが、時には美しい舞を伴うこともあったようです。一般の人も口ずさんだり宴席で歌ったりしましたが、節回しなどに難しい点も多かったらしく、今様歌いを専門にしている人々がおりました。「孤舟」では、そんな今様歌いであった一人の老婆の一生を通して、芸の道と人の生きる道の哀しみを語ります。今回は原稿用紙80枚程度の短編です。どうぞおつきあいくださいませ……m(__)m
2006年09月12日
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ブログ連載2作目も、ようやく終わりました! 長い間お付き合いいただき、ありがとうございますm(__)m今回は比較的短い作品だったのですが、途中ネット環境の都合でお休みしたりしてたので、思ったより連載が長引いてしまいました。今回の作品は、前作の反省を踏まえて、全て自分のオリジナルで書いたものです。自分の作品という気持ちをはじめて持ったせいか、今でもお気に入りの一作です♪イメージの源となった催馬楽にたまたま「武生」という土地が出てくるので、舞台が必然的に越前になってしまったのですが、私は九州生まれの九州育ちで、北陸の土地鑑も全くありません。それで、写真や地図を頼りに、ストーリーやイメージを勝手に作り上げました。ご当地の方には、いろいろ?な点もあるかと……でも、雪に埋もれた里の写真や行ったことのない敦賀の様子がわかる航空写真を見つけ出してイメージを膨らませたり、地図を眺めながら武生から一番近い港は? ここからここまで馬で何時間くらいかかるだろう?などと考えるのは、とても楽しい作業でした。まあ、ある程度想像の飛躍が許されるのが、時代小説の良いところなのかもしれませんね。さて、これを書いている時、偶然新聞で「日本海文学賞」という新聞社主催の賞の募集記事を見つけたので、頑張って間に合わせて応募してみました。結果は、第一次選考通過!これが初めての第一次突破です。もちろん二次には進めませんでしたが、二作目にして早くも一次に通ることができた、この分ならデビューの夢も案外早く叶うかも……なんぞと、大喜びした私。この頃の私は、この先長い長~い道のりが待っていようとは、思ってもみなかったのでした……嗚呼。。。
2006年09月11日
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兵衛尉はようやく気づいた。 この世は、確かに救いようのない冥さに満ちている。それが人の世というものなのだろう。 千手や播磨が庶民に生まれた悲哀を背負ったように、自分も貴族として生まれた宿命を背負って行かねばならない。どれほどその道が冥かろうとも、自分の背負った宿命の中で、苦しみのた打ち回りながら必死に生きて行かねばならないのが、人と生まれたさだめなのだ。どこへ逃げようと、そのさだめから逃れることは出来ない。 だが、そのような冥さの中にも、一条の光はあるのだ。浄土の面影を宿した一条の光が。 千手は恋しいものを守るために一瞬の命を燃やし、播磨は仏の道に救いを見出した。 自分には何があるのだろう。 兵衛尉にはわからなかった。 だが、どこかにそれはあるはずだ。そしてそれは、自分の背負った宿命、すなわちここにしかない。 越前は遠くにある浄土の光だ。いつか、そこで見た光を、この京の都で見出すことが出来るだろう。 いつか、必ず……。 兵衛尉はしばらく月の光に照らされながら、空を見上げていた。明るい満月が微笑むように、彼の顔を見下ろしている。 彼の胸に、千手の笑顔が浮かんで、消えた。 月明かりが内裏の庭に敷かれた白砂を照らしている。両脇を殿舎に挟まれて清涼殿の方へ続く小道にも、白い砂がぼんやりと輝いて、まるで浮きあがっているかのようだ。兵衛尉には、それが自分を導く験(しるし)のように見えた。 兵衛尉はいつの間にか袍の袖に溜まっていた夜露を振り払うと、しっかりとした足取りで、元来た道を戻って行った。 (終)
2006年09月09日
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越前へ帰りたい。 兵衛尉は突然強くそう思った。今すぐ位階も官職も捨て、父も兄も捨て、妻や子も捨てて、たった一人で越前へ帰りたい。三条の屋敷も、宇治の山荘も、馬や家財も全て処分して、我が身一つでもう一度、あのあいの風に吹かれてみたい。 胸を締め付けるような郷愁の想いが、兵衛尉を襲った。 兵衛尉はやにわに立ち上がり、沓を履くのももどかしく、右兵衛の陣を飛び出した。そして、当てもなく内裏の庭をさまよった。 どうしようもない痛みが胸を噛む。足を止めれば、気が変になってしまいそうだ。 兵衛尉は長い間内裏の庭を歩きつづけた。 どれほど時が過ぎたのだろう。兵衛尉は右近の橘の傍らでふと足を止めた。いつのまにか、雨が降り出す前にいた紫宸殿の南庭に戻ってきていたのだ。 雨に濡れた橘の緑は爽やかな香気を帯び、煌々とした月の光が暗い木陰の片隅すら明るく照らしている。朧な薄明かりの中に、白い満開の左近の桜が幻のように浮かんでいた。薄桃色の桜の花びらを浮かべた大きな水溜りには、真珠貝のような色をして、今もまた淡い月影が揺れている。空気は冷たく澄み渡り、空には星も瞬いていた。その下に連なる宮殿の棟々は穏やかに静まり返り、どこからかまた微かな笙の音が聞こえて来る。 兵衛尉はその楽の音に耳をすまし、辺りを見まわした。 高貴で清雅な何かが、兵衛尉の周りを取り巻いている。清らかな月光が神々しく彼の身に降り注ぐさまには、どこか浄土を想わせるものがあった。
2006年09月08日
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兵衛尉はさらに堅く目を閉じた。そうしていなければ、涙が溢れてきそうだった。 兵衛尉も、今はこの世の冥さを知っている。 いつまでも、あの頃のままの子供ではない。千手や播磨がたどった庶民の苦しみも、越前で痛いほど知ったし、京へ帰ってきてからは、華やかな内裏においてさえその冥さのあることを知った。 内裏のあちらこちら、光の届かぬ曹司の片隅や、幾重にもおろされた御簾の向こうに、どれほどたくさんの怨霊が巣食っていることか。政敵に追い落とされ、遠くへ流された大臣たちの恨み。皇子を生めず、訪れることのない帝を待ちながら、ただ年老いていった女御たちの哀しみ。権力と地位に焦がれ、のた打ち回りながら、必死に内裏の階を攀じ登ろうとした貴族たちの喘ぎ。そのようなものが無数の怨霊となって、内裏の隅々にまで影を落とし、報われぬ心の苦しみを雪ごうと狙っている。 兵衛尉は宮中に出仕するようになってから、嫌というほどそのことを思い知った。 その冥さは怨霊たちだけではない。 今生きている自分たちの心の中にこそ、一番巣食っているのではないか。 兵衛尉は父の老いさらばえた皺だらけの顔を思い出す。兄の欲に濁った眼も。兵衛尉には、彼らが生きながらの魑魅魍魎に見えた。その血は、貴族の血としてこの自分にも流れているのだろう。兵衛尉にはそれがおぞましく思えた。
2006年09月05日
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兵衛尉は兄が父の屋敷に移ってきたのを機に、三条のはずれに小さな屋敷を構えて、一人で暮らし始めた。 今は人並みに暮らしを立て、通う妻も二人いる。 一人は、四条に住む常陸介の六の姫君。父親は大変な財産家である。結婚したのは別に財産目当てではなく、兄に執拗に勧められたからだったが、右兵衛大尉に出世できたのもこの裕福な舅殿のお蔭かもしれない。 もう一人は、方違えに行った屋敷で偶然見初めた町の小路の女。名もない庶民の娘だが、はにかむような微笑がどこか千手に似ていた。今は宇治の別荘にこっそり住まわせている。 子供も、常陸介の姫君に男の子が二人、宇治の女にも女の子が一人生まれた。 妻はどちらもさほどの美女でもないし、殊更に心引かれるわけでもない。だが、一緒に居ればそれなりに寛げる女だし、子供たちは可愛かった。 平平凡凡ではあるが、どこと言って不満もない生活。平和な日常は確かにありがたい。 しかし今、兵衛尉の胸はひどく疼いている。 久しぶりに思い出した越前での日々は、兵衛尉にとってかけがえのないものだった。 今も、あの初めて見た時の輝かしい敦賀の海を思い出す。そして、永遠の別れを告げた時のあの荒涼とした暗い冬の海も。 千手の優しい歌声とあの物悲しい胡弓の音色が、兵衛尉の耳に甦る。播磨の鋭い目、爺の笑顔、懐かしい越前の野山……何もかもが、兵衛尉には恋しかった。 もう一度、あの頃に戻りたい。 あの頃のように屈託なく笑い、飽きるまで野山を駆け巡り、あの海から吹いてくるあいの風を胸一杯に吸い込んでみたい。 そして、もう一度だけでいいから、千手のあの柔らかな胸に抱かれて眠りたい。
2006年09月04日
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いつのまにか、内裏の奥から響いていた人々のざわめきや歌声が止んでいる。 雨はすっかり上がり、また明るい月が斑雲の隙間から覗いていた。 灯火が消えかかっているのに気づいて、兵衛尉はふと眼を上げた。一体何時経ったのだろう。右兵衛の陣の中は静まり返り、時々ぽたりぽたりと軒から雨粒が垂れる音だけが響いている。 兵衛尉は縮めていた足を思いきり伸ばし、柱に寄りかかって目を閉じた。 越前を離れてから、もう六年が経つ。 兵衛尉は京に帰ると、しばらくして朝廷から位を賜わり、兵衛府に出仕を命ぜられた。右兵衛大尉になったのは去年である。 父は越前から帰った後、あちらこちらの権門に取り入り、もう一度大国の国司に任ぜられるよう必死に嘆願したが、結局相手にされず、その失意のせいか翌年の冬に卒中を起こし、寝たきりになった。幸い兄は順調に出世しており、父も暮らしには不自由しない。
2006年09月01日
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