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おとどの家を出た袈裟が、当てもなくふらふら四条あたりを歩いていると、こざっぱりとした水干を身につけた若い男が袈裟に声を掛けてきた。自分はさる権門のお屋敷に仕える者だが、今そこで働く雑仕女を探しているのだと言う。手当てもそこそこだし、男は優しげで調子が良かった。身なりも上等だから、屋敷勤めをしているというのも嘘ではあるまい。そう思った袈裟は男の後について行った。 しかし、男は人気のない河原まで袈裟を連れてくると急に姿を消し、かわりに現れた数人の男たちによって、袈裟は縛り上げられて近くに舫ってあった舟の中に押し込まれてしまったのである。人買い舟だ。今更そう気付いてももう遅い。袈裟はすでに舟の上にころがされていた数人の女たちと共に、どこへともなく連れ去られて行った。 それからのことは、もう思い出したくもない。あれから何十年も経った今でも身震いがする。 袈裟は人買いの男どもに気が済むまで弄ばれた後、若狭国の物持ちの館に下人として売られた。物持ちはそこに大きな塩田を持っていて、袈裟は毎日夕暮れまで休みなく潮を汲まされた。 いや、それだけだったらまだ良い。男も女もいっしょにほおり込まれるような下人小屋で、まだ年若く器量も良かった袈裟がどんな目に遭うか、敢えて考えてみるまでもあるまい。 地獄にでも落ちた方がどれだけましか。そんな生活から救ってくれたものが、あれほど嫌っていた今様だったのは、何と皮肉なことだろう。
2006年10月31日
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母が死んだ後、袈裟はおとどの元へ預けられた。袈裟を手元に引きとって今様を仕込んでみたいと、おとどが目井に頼みに来たからである。 だが、袈裟は今様が大嫌いだった。今様を聴く度に、あの母の歌声を思い出す。虚ろで哀れなあの掠れた声を。それが脳裏を過ぎる度、袈裟は自分の心の中を鈎爪で毟られるような気がした。 それに、今様の稽古は、それはそれは厳しかった。朝から晩まで、声が嗄れるまで歌わせられる。満足に眠る暇もない。その上、おとどは目井と違って気短な女だった。出来が悪いと大声で怒鳴られるし、扇でひどく打ち据えられることもあった。 そんな生活に、袈裟はだんだん嫌気が差して来た。だから、人目を盗んで稽古をさぼったり、おとどの言うことにいちいち反抗したりした。目井はそんな袈裟を心配してよく言ったものだ。「芸は身を助けると言うはまことのこと。それに、都で名を上げれば、雲の上の方々にも知られ、後々どれほどの幸いがあるかもわからぬのだから」 だが、目井の心配りは若く傲慢だった袈裟には届かなかった。そして、ある日のこと、口答えにひどく腹を立てたおとどに平手打ちを食わされた袈裟は、とうとう後先も考えずにおとどの家を飛び出してしまったのである。 そうは言っても、袈裟には行くところはなかった。目井の家に行けばすぐに連れ戻されるに決まっている。それに、もうこれ以上今様に関わるのは嫌だった。 とにかく自分一人の力で何とか生きていって見せる。そんな強がりがいかに浅はかで世間知らずのものであったか、袈裟が思い知るのに大した時間はかからなかった。
2006年10月30日
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きっと耐えられぬほど辛かったに違いない。それであんな風になってしまったのだ。そして、自分の名前さえ思い出せぬまま、我が子を我が子ともわからぬまま、惨めな狂乱のうちに死んだ。それでは母があまりにも可哀想だ。 袈裟は母を思ってずいぶん長い間泣いた。泣けば泣くほど、母への憐れみは募って行った。 それだけではない。それに伴って、袈裟は自分のことも、言葉にできぬほど惨めに思った。父親が誰かもわからず、誰からも望まれずに生まれ、牛馬のように売り飛ばされようとしていたなど、一体人であるとすら言えるだろうか。 そして、母と自分への憐れみがこれ以上ないほど膨れ上がった時、袈裟の胸の中に押さえがたい感情が湧きあがって来た。 それは、母を無残に捨てた人への憎しみだった。袈裟はそれからずっと、その憎しみを糧にして生きていくことになったのである。 だが、憎しみは憎しみしか生み出さない。さきくさへの憎しみに凝り固まった袈裟は、その時から誰の思いやりも優しさも受けつけず、それに気付きさえしない女になってしまったのだった。
2006年10月27日
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「どうして?」 袈裟がそう言うと、目井は口を濁した。それでも袈裟が何度も強いて訊ねると、ずいぶんためらったのちに教えてくれた。「お前の母を見付けた時、わたしは群れの長に聞いてみたのだよ。どうしてこの群れに加わることになったのかとな。長が言うには、お前の母は群れの男の一人が河原のどこかで拾って来たらしい。ほとんど死にかけておったのじゃが、手当てしてみると息を吹き返しての。それでしばらく群れにおいていたのだが、そのうち男どもが目をつけた。まだ幾分幼いが、なかなか良い身体をしているといってな。狭い小屋に閉じ込めてさんざん慰み者にしたそうじゃ。それで、気がついた時には、もうあんな風に正気を失っておった。それに、あの足では逃げることも出来ぬから、今までずっと男どもの好き勝手にされていたらしい」「それじゃあ、わたしの父親は」「群れの男の誰かであろうが……誰も知らぬ。だが、誰であっても同じことじゃ。みんなでお前を売り払う算段をしておったくらいじゃから。赤子が側にいては抱く時に気が散るといってな。我らがあの時河原へ行かなんだら、お前も一体どうなっていたことやら」 そう言って目井はそっと袈裟を抱き寄せてくれた。まだ幼かったその時の袈裟には、母の味わった悲惨の意味がよくわかってはいなかったが、その胸にはこたえるものがあった。
2006年10月26日
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だが、さきくさには姉妹も子もいないはずだった。この二人が何者か、目井は不思議に思っていたのだが、二人を引き取ってしばらくした頃、目井の妹弟子であるおとどが思い出してくれた。 さきくさはずいぶん前にしばらくの間行方知れずになっていたことがある。おとどがいうには、その時さきくさには、産んではならぬ高貴の人の子を孕んで、その子を産むためにしばらくどこかへ姿を隠したのではないかという噂があったというのだ。 女の年齢を考え合わせると、確かにつじつまが合う。それに、ひどいあばた面も白粉を厚く塗って少し遠めで眺めると、びっくりするほど臈たけて美しい。さきくさは美貌で鳴らした遊女であったが、少し俯いた時の横顔など若い頃のさきくさにそっくりのように思えた。 その頃さきくさは京から姿を消していたので確かめようがなかったが、目井はこの女が幼馴染のさきくさの娘であると信じることにして、それからずっと面倒を見て来たということだった。「でも、なぜ河原なんかに」 その時、袈裟は目井に問うた。目井は痛ましげに目を伏せて答えた。「それはわたしにもわからぬ。幼子が側にいるのが邪魔になったのか、銭に困って育てられなくなったのか。もしかしたら、疱瘡であの通りのひどい面相になったせいかもしれぬ。芸を誇る傀儡子と違って、遊女は美しさが命じゃからの。それにしても、河原に捨てることはあるまいに。あの足を見ただろう。あれはおそらく獣に食われた跡だ。大方死にかけているところを山犬にでも襲われたのであろう。そのまま食われてしまわなくて良かった。いや……食われてしまっていた方がましであったやも知れぬな」
2006年10月25日
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そのあまりの哀れな様子に、目井も乙前も言葉がなかったそうだ。「まだ三十歳にもならぬようなのに、髪はほとんど白くなってしもうておった。顔中あばただらけで、目も見えておるのかおらぬのかよくわからぬ。片足は膝から下がちぎれたように無残になくなっておってな。その上、正気でないのは明らかじゃった。何を問うても今様を繰り返し歌うばかりでの。胸に生まれたばかりの赤子を抱いておったが、どれだけむずがっても見向きすらせぬ」「それが、わたし?」「そうじゃ」 目井は袈裟の頭を優しく撫でて続けた。 女の歌は確かに美濃青墓の傀儡子の節回しとそっくりだった。だが、目井の肥えた耳にはどこか違うところも感じられる。その時、目井は幼い日に一緒にこの胡蝶の今様を歌ったある少女の歌声を思い出したのだそうだ。 目井がまだ青墓に住んでいた頃、師匠の四三(しさん)の元で共に今様を学んださきくさという名の少女。その歌声は大層美しかったが、元々傀儡子ではなかったさきくさの節回しには独特の癖があった。河原の女の歌う今様には、確かにそれと同じ癖があるような気がする。 結局、目井は群れの長に銭をはらって、親子ともども貰い受けたのだという。
2006年10月24日
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目井というのは、袈裟の育ての親である。 目井は美濃青墓の傀儡子のうち、今様の名手として名を知られた女だった。京では源監物清経という今様好きの男の世話を受けており、数人の弟子と共に清経の屋敷で暮らしていた。袈裟は物心ついた時から、母親と共にそこで厄介になっていたのである。 だが、袈裟もその母も、目井の弟子でも身内でもない。なぜ目井が自分を育て、正気を失って全く役立たずの母親の面倒まで看てくれるのか。母が死んだ時、袈裟はずっと不思議に思っていたその訳を問うた。その時目井が教えてくれた話を思い出すと、袈裟は今も胸が詰まって息が苦しくなる。「乙前(おとまえ)がの、鴨川の堤にたむろしている河原者の群れの中に、美濃青墓の傀儡子の今様を歌う女がいると言って来たのだよ」 乙前というのは目井の養女で、師匠の目井すら舌を巻くほどの今様の名手である。その頃都で大層評判を取っていて、同じ家で暮らす袈裟のこともよく可愛がってくれていた。「乙前様が?」「ああ、たまたま五条の河原を通りかかった時、その歌声が聞こえてきたそうじゃ」 目井はそう言って話し始めた。今様というものには、受け継がれた芸の系統によって、それぞれ独特の歌の節回しがある。同じ芸を伝える一族は、当然同じ節回しで今様を歌うのだ。傀儡子は一族の結束が固い。もし身内の者ならばほおって置くことはできぬと、目井はすぐ乙前と一緒にその河原へ行ってみたらしい。 そこには乙前の言った通り、低い声で絶えず今様を歌っている一人の女がいた。
2006年10月23日
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袈裟はその髑髏の視線を恐れるように、よろよろと後ろへ下がると、地面の上にぺたりと座り込んでしまった。そして、髑髏と同じような虚ろな目で棺を見つめながら、筵に覆われて顔の見えない死者に向って呟いた。「あんた、この河原を覚えているかい。ここにあんたが捨てたもののことも」 細く震えた抑揚のない歌声……胡蝶胡蝶と人は言えど 古泥障(ふるあおり=注)をかつぎてぞ舞う……その虚ろな声を思い出す度、袈裟は思わず耳を塞ぎたくなる。その人はいつもこの今様を歌っていた。だが、その手は優しく自分の髪を撫でてくれることもなく、その目は誰も見てはいない。「頭がおかしいのだよ。許しておやり」 構ってもらいたくて袈裟が泣いて母に縋りつく度、目井(めい)はそう言っていつも袈裟をなだめたものだ。袈裟はあれからもう三十年以上経った今でも、あの母の姿と歌声を思い出す度に胸が締め付けられるような思いがした。 袈裟の心の中に、今まで袈裟を支え続けて来た憎しみが、再び湧き上がってくる。袈裟は思わず唇を噛み締めた。注「泥障」…馬具の一つ。泥が乗り手の衣服に掛からぬように、鞍の下から馬の両脇に掛けたらす皮製の覆い。形が舞楽の胡蝶楽を舞う時につける蝶の羽飾りに似ている。↓久々の写真の登場!(最近の作品につかえそうな資料画像がなかったもので)これが、その衣装です。 背中につけている飾りに注目♪(宇治源氏物語ミュージアムより)
2006年10月19日
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薄の群れに半ば身体を隠すようにして、袈裟はしばらく老人の後ろ姿を見送っていた。 腰に下げた毛鞘の太刀。売り飛ばしたらさぞかし良い値になるだろう。 袈裟は値踏みするような賤しい眼でその太刀を見つめていたが、やがてふんと鼻を鳴らして諦めた。 いくら老いぼれとはいえ、女一人では手に余るかも知れぬ。惜しいことをした。手下の一人でも連れていれば、爺を引き倒して容易くあの太刀を手に入れることが出来ただろうに。 薄を掻き分けて歩き出した袈裟は、辺りをきょろきょろ見まわした。別に新たな獲物を探し始めたわけではない。今日この河原へ来たのは探し物があったから。そして、それは思いがけずすぐに見つかった。あの老人が立っていた辺りに足を踏み入れると、そこには真新しい棺があった。 これに違いない。 袈裟はそう思って棺に近づいた。筵の上には、古びてはいるがなかなか高価そうな扇が乗っている。袈裟はさっきの太刀の替わりにと、それを畳んで懐にしまいながら考えた。 それにしても、さっきの爺は何者だろう。この亡者に縁のある者だろうか。 急いで舟を漕いで来たせいで汗ばんだ額を、秋の涼やかな川風がなぶって行く。その風に冷まされたのだろうか。あの女が死んで五条の河原へ運ばれて行ったと手下が知らせて来た時、思わず隠れ家を飛び出して来てしまったほどの激しい怒りは、いつのまにかどこかへ失せている。だが、その代わりになぜか心もとない感じがして、袈裟は何となく落ちつかなかった。 側の薄の上には、大きな髑髏が引っかかって川風に揺られている。その虚しく空いた眼窩が、袈裟に何かを突き付けているような気がした。
2006年10月17日
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左衛門尉はふとまばゆげに目を凝らした。その輝く川上から女が一人、小さな小端舟を操って下ってくるのが見えたのだ。 女は巧みに櫂を動かして、ゆっくりとこちらへ舟を寄せて来る。だが、岸辺に立っている左衛門尉の姿が目に入ると、ためらうようなそぶりをして舟を止めた。こんな寂しい河原に、立派な身なりをした武家らしい老人がいるのに驚いたのだろうか。女は目を細めて、舟の上からこちらを覗っているようだった。 女の年の頃は、四十歳かそこらか。白髪の混じった乱れた髪を無造作に束ね、ひどく汚れた小袖を身に付けている。だが、年の割りにはその小袖の色目が派手な上に、腰には小柄のような刃物を差しており、とても真っ当な農婦には見えない。眼差しも鋭く険があるし、身のこなしにはどこかしなやかな獣じみたところがあった。 大方、河原者やその類いだろう。あまり関わり合いにならぬ方が良いかも知れぬ。 左衛門尉はそう思い、杖を持ち直すと、ゆっくりと歩き出した。女はそれを見るとようやく舟を進め、河原で立ち枯れかけた潅木に舟を舫うと、小袖の裾が濡れるのも構わずにひらりと舟を降りた。左衛門尉は立ち去りながら、もう一度女の顔を見つめた。 その時、ふと脳裏を過ぎるものがあった。 丸々と肥えてえくぼのよった、可愛い赤子の顔。 なぜそんなものがふいに頭の中に浮かんで来たのかわからない。左衛門尉は時折首を傾げながら、昼下がりの五条河原を後にした。
2006年10月16日
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それはさきくさの面影だった。 一体なぜこれほどまでにさきくさに執心しているのか、正直言うと左衛門尉にはよくわからない。所詮さきくさは売り物の遊女だ。気が済むまで買って楽しめば、それで胸の想いは晴れたのかもしれない。 だが、結局左衛門尉は一度もそう出来なかった。 無骨者の武者らしい一途さが、恋しい女の愛を金で買うことを拒んだのだろうか。それとも、少年の日の強い憧れが、その女に手を触れることすら恐れさせたのだろうか。 何がそうさせるかわからぬまま、初めて出会った夜にさきくさからもらった扇と共に、左衛門尉は老いていった。 そして、天女のような面影と、叶えられぬ愛欲の想いとが、左衛門尉を今までずっと縛り続けて来たのである。 だが、そのさきくさは死んだ。最期に一目だけでも会い、長い間の胸の想いを打ち明ければ、出家の決心がつくかと思ってあの禅師という女に頼んでいたのだが、結局間に合わなかった。 しかし、今こうしてさきくさの棺の前に座っていると、心の中を攫って行くような涼しい川風に乗って、何かが少しずつ溶けて流れ去って行くような気がする。左衛門尉はさきくさの棺に向ってぽつりと呟いた。「そなたのことは、忘れはしない……。だが、もう私を自由にしておくれ」 しばらく棺を見つめた後、左衛門尉は傍らの杖を手に取って立ち上がった。長く座っていたせいで痛む腰をさすりながら空を見上げると、太陽は既に真上に昇っている。その明るい秋晴れの日差しに照らされて、鴨川の流れもきらきらと輝いていた。
2006年10月14日
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殿が亡くなってから、もう二十五年も経つのか。人の一生というものはわからないものだ。 あれほど栄華を誇っていた殿があんな哀れな早死にをし、殿と袂を別った自分は北面武士として長く白河院に仕え、ついには院の近臣の一人に数えられるようになった。年老いた今はもう職を辞してすべてを息子に譲った隠居の身であるが、備前辺りにまだ相当の所領も持っているし、鹿ケ谷の山荘で七十五歳を過ぎてなお健康に過ごしている。 だが、殿が非道な人間で自分がそうでなかったから、このように違った人生を歩むことになったとは思っていない。 自分も殿も、所詮はこの世の穢れに染まった悪人だ。殿が平気で胡蝶を捨てたように、自分もさきくさから胡蝶を取り上げてむざむざ死なせてしまった上、それをさきくさに詫びる勇気もなかった。 人間は結局罪から逃れられないものなのだ。老いて足腰も弱くなった近頃では、つくづくとそのことが思い知られる気がする。 左衛門尉はここ数年出家を志すようになった。出家して仏の慈悲に縋り、心静かに残り少ないこの世での年月を送りたい。だが、どうしてもそう決心がつかなかった。 出家するということは、この世の執着を全て絶ち切るということ。左衛門尉にはどうしても絶ち切ることの出来ないものが一つだけあったのである。
2006年10月13日
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左衛門尉はあまりの憤りに身体がわなわなと震えるのを覚えた。 この男は一体、人らしい心を持っているのだろうか。いかに賤しい女の産んだ子とはいえ、紛れもない自分自身の娘ではないか。もう二度と顔も見たくない。 白河院の院司に任じられた殿の引き立てて、その頃せっかく得たばかりの北面武士の職さえも、左衛門尉は今すぐ捨ててしまいたいと思ったほどだった。 胡蝶への殿の仕打ちが腹に据えかねた左衛門尉は、それから後はあまり殿の屋敷に顔を出さなくなった。そして、いつしか殿との間もだんだん疎遠になってしまった。 しかし、それが案外左衛門尉に幸いしたことを考えると、世の中というものは皮肉なものだ。 殿の晩年は不遇だった。八方手を尽くして、ようやく娘の一人を次期東宮と見なされていた後三条院の三宮(注)の妃としたものの、帝位は後三条帝の遺勅を無視して白河院の皇子である堀河帝に移ってしまった。三宮派であると目されていた殿は次第に朝廷での立場が危うくなり、按察大納言という要職を辞した上、病を口実に出仕しなくなった。そして、結局そのまま野に埋もれたように忘れ去られ、寂しく死んでいったのである。注「三宮」…後三条院の皇子で、白河院の異母弟である輔仁親王。
2006年10月12日
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だが、今こうしてさきくさの棺を前にすると、左衛門尉は詫びても詫びきれないような気がする。左衛門尉は思わず、両手で自分の顔を覆ってしまった。 さきくさは胡蝶を手放した後、数年して京から姿を消した。左衛門尉も何かと多忙で、さきくさの行方を探す暇もない有様だった。 あれは、胡蝶が十二歳になる頃だったか。 その年、左衛門尉は殿の任国の一つである美作へ、長い間所用で出かけていた。そして、ようやく秋になって京へ戻ってみると、北の対の奥で密かに育てられていた胡蝶が、屋敷の内から姿を消していたのである。 左衛門尉はあわてて殿に胡蝶の行方を問い詰めた。すると、殿は男にしては赤く薄い唇で平然と微笑みながらこう言ったのである。「あれは夏の間に流行った疱瘡にかかってな。今にも死にそうな様子に見えたので、河原へ捨ててくるように命じた。この屋敷内で死なれては穢れが出て物忌みせねばならぬし、どうせあのようにあばたができてはこれから先女としては使い物にならぬ。大層美しい子で、残念ではあったがな。そう怖い顔をするな。遊女ふぜいの産んだ子が一人死んだところで、何と言うこともないではないか」
2006年10月06日
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だが、そんなささやかな幸せというものは、長くは続かないものだ。 ある日、左衛門尉は殿に呼ばれ、難題を押しつけられた。さきくさの生んだ子を連れてこいと言うのだ。 実は、つい先頃殿の娘の一人が病で死んだ。高位の貴族にとって娘は、内裏の後宮に入れる大事な持ち駒の一つである。殿は同じ年頃の胡蝶をその娘の身代わりに仕立てようと考えたのだ。 殿の身勝手さに、左衛門尉は身体中が怒りで震えるような気がした。だが、主君の命に背く訳にも行かない。左衛門尉は重い心を抱えながら鹿ケ谷の山荘へ行き、さきくさにその話をした。そして、気が進まないなら、自分が何とでも言いつくろうから断っても良いとまで言った。 ところが、さきくさは長い間じっと庭を眺めながら考えた後、何も言わずにこっくりと頷いた。そして、次の日胡蝶を山荘へ残したまま、六条の元の家に戻ってしまったのである。 あれほどかわいがっていた胡蝶を、さきくさがなぜあんなにあっさりと手放す気になったのか、左衛門尉にはわからない。だが、さきくさはそれからは一切左衛門尉とは縁を切り、誰にも胡蝶のことを話さなかった。だから、仲間の遊女の中にはさきくさが子を産んだことを知らない者も多かったほどだ。 左衛門尉は主君の命通り、胡蝶を屋敷へ連れて帰った。そして、こう考えて無理に自分を納得させていた。遊女の母親の元で育てばいずれは遊女になるしかない。恐れ多くも源氏、ひいては帝の血を引く娘だ。こんな立派な屋敷で姫君として育てられる方がどれほど良いか、と。
2006年10月05日
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だが、ずっと側に仕えていた左衛門尉は早くもその本性に気付いていた。 殿は今まで自分の思い通りにならなかったことがない。それにいつも周りの者たちからちやほやされ甘やかされていた。 そのせいで、およそ人を人とも思わぬ傲慢な男だった。左衛門尉のような近習にも、ちょっと気に食わないことがあると、平気で物を投げ付けたり簡単に出入りを差し止めたりする。 それにひどい漁色家だった。屋敷内でも少し見目の良い女房なら片端から手をつけ、外で通う女君たちも両手の指では足りない。ましてや、賤しい遊女のさきくさなど、ほんの仮初めの遊びにしか過ぎないのだ。だから、さきくさに子が出来ると、腹が大きくなった女子などに興味はないと、さきくさの元へ通うのをさっさと止めてしまった。 さきくさを鹿ケ谷にあった父の山荘へ連れて行ったのも、さきくさと赤子の世話をする気の利いた女を見つけて側へつけたのも、すべて左衛門尉だった。 だが、左衛門尉はさきくさにはすべて殿のお指図だと言っておいた。恋しい人から捨てられ、たった一人で子を産むさきくさが哀れだったからである。そして、時々暇を見ては山荘へ通い、食べ物から着る物まで暮らしの面倒を見た。 思えば、あの頃が左衛門尉には一番幸せだったような気がする。 生まれた女の子を左衛門尉は飽きもせずよくあやしたものだ。父母に似てそれは愛らしい子で、さきくさはお気に入りの古い今様から胡蝶という名を付けていとおしんだ。左衛門尉も、主君に縁のある者ゆえさきくさとそうあからさまに親しくするわけには行かなかったが、胡蝶と遊んだり時々さきくさと言葉を交わしたりするだけで嬉しかった。
2006年10月04日
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しかし、左衛門尉の本当の苦しみはそれからだった。さきくさを気に入った殿は、それから頻繁にさきくさの元を訪れるようになったのである。 冷泉高倉の殿の屋敷から、四条の揚屋や六条にあったさきくさの家へ。左衛門尉は毎夜のように殿の供をした。 時には、さきくさの姿を目にしたり、殿の宴席の片隅でさきくさの今様を聞くことが出来ることもあったが、それは決して左衛門尉にとって愉快なことではなかった。殿が下卑た仕草でさきくさの腰に手を廻したり、胸元をまさぐりながら自分の牛車に引き入れたりするのを見る度、左衛門尉は胸が煮えるような思いがした。 だが、一番辛かったのはさきくさ自身の目に殿への想いが映っているのを悟った時だった。さきくさはとても遊女が客へ向けるものとは思えぬほど優しい澄んだ目で、殿を見た。 左衛門尉の心は張り裂けんばかりだった。何も、自分の想いがさきくさへ伝わらないことを嘆いたからばかりではない。さきくさのその真心が、決して報われはしないことを、左衛門尉は知っていたからである。 殿は確かに美しいお方であった。背は幾分低かったが、色が白くすっきりと整った顔立ちで、優雅な桜襲の直衣が良く似合った。その上、二十歳になるかならずでもう参議の要職についた、村上源氏嫡流の貴公子である。どんな女も夢中にならぬはずがない。
2006年10月03日
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左衛門尉はもう目をそらすことも出来ずに、じっと舞台の上の遊女を見つめていた。 その強い眼差しに気付いたのだろうか。それとも、酔って遊女たちを囃し立てている客人の一人に媚びを売るためだけだったのだろうか。 遊女は歌いながら、ふいに手に持っていた扇をその客人に向って投げた。だが、扇はふわりと舞い上がり、すぐ前に座っていたその客の手には渡らずに、左衛門尉の膝先へと落ちて来たのである。びっくりして扇を手に取った左衛門尉に、遊女は頷きながらにっこりと艶に笑った。 それがさきくさとの出会いだった。 宴が終わった後、左衛門尉は何とかもう一度さきくさに会いたいと、屋敷の庭や厨のあたりを探し回った。だが、遊女の一行はもうおおかた家へ引き上げたらしい。 それでも諦めきれずにうろうろしていると、ようやく帰りが遅れた遊女の一人をつかまえることが出来た。だが、さきくさのことを問う左衛門尉にその遊女が答えたのは、さきくさは今宵宰相中将殿の夜伽に召されたということだった。 それを聞いた時の切なさ……左衛門尉が初めて味わう胸の痛みだった。 だが、主君である殿が相手ではどうしようもない。左衛門尉はその夜、さきくさが投げた扇を抱いて眠った。夢の中にだけでもさきくさの姿が見られることを願いながら。
2006年10月02日
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