2026
2025
2024
2023
2022
2021
2020
全23件 (23件中 1-23件目)
1
ただ、一度だけ、姫君がまだ東宮の御息所と呼ばれていた頃、御車の簾の蔭からほのかにお顔を拝したことがある。 その日、姫君は京の郊外にある大原野に詣でた。大原野神社は藤原氏の氏神を祭る春日大社の分祠で、京の都の西にある。宮中で権勢を誇る姫君の御参詣とあって、一族の方々も華やかな行列を作って後に従った。私も近衛府の武官として一行の供をするよう命ぜられ、威儀を正し馬に乗って行列に加わった。 大原野神社を参詣した後、供に加わった者たちには、姫君からそれぞれ豪華な褒美の品が下賜された。私はそれを受け取るために、姫君の車の前で畏まった。 この中に、あの人がおられる。 そう思うと、私は懐かしさに胸が詰まり、それが歌に姿を変えて、思わず私の唇から迸り出た。大原や小塩の山もけふこそは 神代のことを思い出づらめ(ここ大原野の小塩の山の祭神である天児屋根命も、きょうこそは、御子孫である姫君の御参詣に当たって、神代の昔を思い出されることでしょう) 表面上は単なる参詣を寿ぐ歌だ。姫君の御車の周囲を取り囲む大勢の殿上人たちも、そう思ったであろう。 だが、あの人だけは、私の真意を読み取ってくれるかもしれない。 神代のことを……今は遥か昔になってしまったあの頃の恋を、あなたは思い出してくださいますか。
2006年03月31日
コメント(0)
わたくしは、何でも一番優れたものが欲しい。地位も名誉も権力も……そして、愛する殿方も。 初めて姫君を訪れた時、そう言って瞳をきらきらと輝かせた姫君の顔を、私は思い出す。あの頃の姫君は、世の中に自分の思い通りにならぬことはないと信じ、自分の美しさを誇り、輝かしい未来に胸を時めかせていた。 姫君は結局、自分の望んでいたものを全て手に入れた。女としては最高の中宮の地位、帝の母という名誉、宮中を平伏させる絶大な権力。すべては、姫君自身の魅力と才覚と努力で手に入れたものだ。 そして、私の心も手に入れたことを、あの人は知っているだろうか。それとも、今でも、私に裏切られ、心の傷を抱えながら、それでも私を愛し続けていてくれるのだろうか。 私にはわからない。 雲の上の人となられたあの人を、私は一目見ることさえ出来ないのだから。
2006年03月29日
コメント(0)
何とも奇妙な経過と結末である。そして、やはりこの事件を解決に導き、罪人の処分一切を取り仕切ったのは、あの太政大臣であった。 私は事件の経過を追いながら、父を死に追いやったあの事件のことを思い出していた。事件解決の鮮やかな手並みといい、都合のいい結末といい、あの時と全く同じではないか。 だが、この事件のお蔭で、太政大臣の敵対勢力であった大納言一党はすべて朝廷から排除され、もはや太政大臣の行く手を阻む者は誰もいなくなった。 そして、太政大臣はすぐに帝から、事実上帝にかわって全ての政治を行う摂政に任じられたのである。その上、その養嫡子であった姫君の兄は、一気に七人もの公卿を飛び越えて中納言になった。そして、姫君もまた、帝の正式な妻である女御として、改めて華々しく入内することが出来たのである。 それだけではない。 姫君は間もなく帝の御子を身篭り、翌年生まれたその御子は何と男皇子であった。養父と兄が小躍りして喜ぶさまが目に浮かぶ。これで、一族の将来は磐石だ。 その後、帝が譲位すると共に、この皇子が新しい帝の位につかれた。太政大臣は残念ながら自分の孫が帝位につくのを見る前に死んだが、その後を継いだ姫君の兄は、甥である新帝の摂政となった。姫君も我が子が帝位につくと共に中宮の位に上り、幼い帝を補佐して宮中を一手に支配している。そして、今やその権勢は並ぶ者のないほどだ。あの切れ者の兄でさえ、今の姫君を押さえることはできないという。
2006年03月28日
コメント(0)
姫君は帝より八歳も年上だが、その美しさは並み居る後宮の女たちの中でも群を抜いていた。まだ年若い帝もその美しさに魅せられて、しばらくは他の女たちには目もくれなかったそうだ。 姫君の方もその頃には、一族のために果たさなければならない自分の役割と、後宮で権力を握るという野心に目覚めていたのかもしれない。姫君は見事に、その美貌と才知で瞬く間に帝の心を掴んだ。 私が陸奥の国から京へ戻ってきたのはこの頃である。姫君は私のために宮中で密かに手を廻し、私の官位が元へ戻るように画策してくれたのだという。 姫君はその後も、さらに宮中で勢力を伸ばす機会をうかがっていた。そして、その機会は、数年後にようやくやってきた。 その年、この京の都を揺るがす奇妙な大事件が起こった。 大内裏の正門である応天門が、不審火によって全焼したのである。すぐに、ある大納言が左大臣の命による放火であると訴え出て、左大臣邸を包囲させようとした。だが、太政大臣は左大臣の無実を帝に奏上し、事件は一旦事なきを得た。ところが、それから五ヶ月後、左京に住むさる小者の密告により、この放火が実は左大臣を陥れようとした大納言の自作自演の変事だったことが判明したのである。大納言は一族もろとも逮捕され、あっという間に遠流に処せられて、事件は急転直下解決した。
2006年03月26日
コメント(0)
五条の姫君は、私との逃亡から連れ戻された後、しばらく太政大臣の屋敷で監禁されていた。はじめの頃、姫君は物も食べず、眠りもせず、誰とも口を利かなかったという。そして、いくら私との関係を問われても何も言わず、私の名を口にすることすらなかったそうだ。 太政大臣も兄の少将の君も、情の強い姫君にずいぶん手を焼いたらしい。それに、確かに私に言われた通り、私とのあからさまな情事の噂のある姫君を、すぐに入内させるわけには行かない。 ましてや、姫君が入内する予定だった東宮は、父帝が急死したのを受けて新しい帝に即位してしまった。その後宮にはすぐさま、高官の姫君がぞくぞくと入内し始めている。 しばらくして噂が少し下火になった頃、姫君の美しさを人々に誇示しようと、姫君を新嘗祭の五節舞姫の一人として宮中に連れて行ったこともあったそうだ。だが、いくら朝廷で絶大な権力を持つ太政大臣とはいえ、まだまだ敵対する勢力も強く、姫君の入内には難色を示す者が多かった。 せっかくの素晴らしい持ち駒を生かすことが出来ず、太政大臣はほとほと困り果てたのだという。 しかし、ここで諦めてしまうような太政大臣ではない。大臣は密かに宮中で根回しをし、数年後には何とか帝の妃の一人として姫君を後宮に入れることに成功したのである。
2006年03月24日
コメント(0)
寒い。 ふと我に返ると、いつのまにか月はかなり傾き、庭に降りた夥しい露で、私の座っていたきざはしまでが濡れていた。私の身に着けた衣は湿り、心地よかった空気は今やひどく冷たく感じられる。私は寛げていた胸元をかき寄せ、きざはしの上で足を組み直して、空を見上げた。 久しぶりに思い出した二つの大切な思い出。 ほとんど天と地ほどに違う二人の女の思い出が、なぜ今でもこれほど心に残るのか。それも、二人との出会いの時、私は既に初老に差しかかろうとしており、本来ならそのような情熱など薄れてしまうはずの年頃の思い出に過ぎないのに。 だが、それはたぶん、その女たちにとってその恋がかけがえのないものであったことを、私が理解できるようになっていたからだろう。 この世の名残の最期の恋。 生涯でただ一度の恋。 どちらも切なく哀しい。 もう老い先短い身ではあるが、私は死ぬまで二人のことを忘れることはないだろう。 だが、こうして自分の人生と恋を振り返っていると、やはり一番心に残っているのは、あの五条の姫君との恋であったと、改めて思われる。
2006年03月23日
コメント(0)
女童を帰した後も、私は淀川の暗い流れを眺めながら、しばらく考えていた。 この上なく尊い身分に生まれ、人並み優れて美しく、深い嗜みと気高い人柄に恵まれていても、自分の思い通りに生きることすら出来ない。生涯ただ一度の恋さえも禁じられた寂しく空しい日々。私はそれまで斎宮のような立場におられる女人の心など、考えてみたこともなかった。 斎宮が以前から私を想い、偶然の私の訪れにただ一度の恋の望みを掛けたのかどうか、本当のところは私にはわからない。 だが、もし私との一夜が、斎宮の孤独な生涯の慰めとなったのならば、私にはそれがこの上ない喜びに思えた。 夜の川の流れは暗く、それでいて透明な深さを感じさせる。 それは私に、あの夜見た斎宮の玻璃の玉のように澄んだ瞳を思い出させた。 今もあの瞳は、あの頃のままに澄んでおいでだろうか。今も、暗く寂しい御所のうちで、私との儚い逢瀬を思い出すことがおありだろうか。
2006年03月21日
コメント(0)
ずっと疑問に思っていたことを、私は思いきって女童に尋ねてみた。女童はしばらく考えてから、口を開いた。「わたくしにもわかりませぬ。わたくしはまだ幼く、男女のことなど何も知りませんでしたし。それに、斎宮の宮様は貴い身分の方らしく、わたくしどものような下々の者に、決して本当の心をお打ち明けになることはございませんでした。ただ……」 そう言うと、女童はまた考え込んだ。「ただ?」 私が促すと、女童は昔を思い出すような遠い目をして、続けた。「今思い起こすと、宮様はよく歌を詠んでおいででした。ご自分でもお作りになるし、人の歌も広く集めて、徒然な折りなど一人でその歌を書きとめた草子をめくっておられました。その中に、あなた様の歌もたくさん書かれていたような気がします」「私の歌を、斎宮の宮が? 宮の好まれた歌に、私の歌があったのか」「はい。確か、月やあらぬ……の歌でしたでしょうか。よく、口ずさんでおいででした。それに、宮様は特に恋の歌がお好きで、あなた様が詠まれた恋の歌に、ご自分なりに返歌を作ってごらんになったりしておられたのを、今でも覚えております。宮様のお立場では、だれかから恋の歌を贈られることなど、生涯ございませんでしょう。きっと、だれかの思い人になったつもりで、お歌を詠まれておられたに違いありません」「あの斎宮の宮が、そのような……」「思えば、悲しく寂しいご境涯でございます。一生を、だれからも愛されず、まただれかを愛することもなく、恋歌一つ貰えぬまま過ごして、空しく年老いていくなんて。そう言えば、いつか、わたくしが側にいることにお気づきならぬ時に、そっと呟かれたのを聞いたことがございます。一度でよい、恋をしてみたいと」
2006年03月20日
コメント(0)
ところが、つい昨年のことだ。私が役目で河内の国へ行った時、その帰りに大淀の渡しに泊まっていたところ、偶然あの折りの斎宮の女童に出会ったのである。私は懐かしくなって、女童に歌を詠みかけた。みるめ刈るかたやいづこぞ棹さして 我に教へよあまの釣舟(海松布を刈るべき潟はどこだろう。舟に棹をさして私に教えておくれ、釣をする海人の舟よ……斎宮にお逢いするには一体どうしたら良いのだろう。その手立てを私に教えておくれ、女童よ) 私はその夜、密かに女童を私の部屋に呼び出した。 あの時の小さな女童も、今はもう成人して斎宮の御所を下がり、これから夫の任国へ共に下っていくところだと言う。京を発つ前に斎宮の元へもお別れのご挨拶に伺ったが、斎宮は近頃さらに御所内に引き篭もられて、女童にすらお会いにならなかったそうだ。これでは、とてもお逢いすることは叶わない。私は諦める他なかった。 女童としみじみと昔語りをするうち、私はずっと気にかかっていたことを聞いてみたくなった。 なぜ、斎宮ともあろう方が、自ら私の元へ忍んでこられたのか。 私は斎宮の兄上の皇子の御所には親しくお仕えしていたが、伊勢へ行くまで妹宮の斎宮にはお会いしたことはなかった。皇子のところで、斎宮のことが話題になったこともなかった気がする。 何のゆかりもない私を、なぜ斎宮は選ばれたのだろう。それに、そもそも伊勢の斎宮が男と契るなどという決してあってはならないことを、斎宮はなぜ敢えてなさったのか。
2006年03月19日
コメント(0)
何と言うことだ。 私はぞっとして、肌が粟立つのを覚えた。天照大神の御神罰、という言葉が頭を過ぎる。 もちろん、噂は宮中で密かに囁かれているだけで、公にされているわけではない。清らかな乙女であるはずの伊勢の斎宮が子を産むなど、あってはならないことだからだ。それに、斎宮の今上帝の異母姉という尊い身分も、人の口をためらわせたのだろう。 私に向けられた人々の目も冷たかった。ある者は好奇心を剥き出しにし、ある者は神のお怒りを恐れ憚り、ある者は私を非難した。だが、それらもすべて、内裏の隅で囁かれたり、私的な集まりで密かに伝えられたりするだけで、決して表に出ることはなかった。 私は何とか少しでも斎宮の力になれぬものかと思ったが、当事者と目されている私が下手に動き回れば、斎宮に迷惑がかかるだけのこと。私は事の成り行きをただ無言で眺めているしかなかった。 結局、斎宮の宮の一件は、今上帝のお立場を考えた太政大臣らの思惑によって握りつぶされた。斎宮がお産みなされたという御子も、そのまま伊勢守の元で育てられ、表向きは伊勢守の息子の実子と届けられた。そして、斎宮と私との関係も、一度も表ざたになることはなく、闇から闇へ葬られた。 だが、斎宮の宮はそれ以降決して人前にお出になろうとはなさらなかった。帝の御世がかわって伊勢の斎宮を退かれた後も、京に造られた宮御所の奥深くに篭られて、今もそこでひっそりと寂しくお暮らしになっている。 私は噂を聞いて以来いたたまれず、何とかして斎宮に一目お会いしたいと思い続けて来たが、結局果たせなかった。そして、斎宮がなぜ私を求めたのか、それを知ることも出来なかった。
2006年03月17日
コメント(0)
その杯を握り締めると、私は馬を駆って女童のところへ行き、これを斎宮へと呟いて杯をさっと手渡した。そして、後も振り返らずに、何食わぬ顔で元の場所へ戻った。 間もなく勅使の隊列は整い、私は伊勢の斎宮の御所を出た。私はそれでも諦め難く、時々後ろを振り返った。だが、こんもりとした木立に囲まれ、神々しい黒木の鳥居に守られた斎宮の御所は、やがて辺りに立ち込めた白い朝霧の中に消えていった。 私は伊勢の国を後にし、尾張や三河などを周って狩の使いのお役目を果たした後、京へ戻った。そして、斎宮との一夜はただ二人だけの思い出として、それぞれの心の奥底に永遠にしまわれてしまうはずだった。 だが、伊勢の大御神はやはり私たちの罪をお見過ごしにはならなかったようだ。 私が伊勢から戻って、一年ほど経った頃だろうか。私の耳に、恐ろしい噂が伝わってきた。斎宮の宮が、伊勢の地で密かに御子をお産みになったというのである。その御子はあの伊勢の国守が密かに手元に引き取り、自分の息子の子供として大切に育てているという。そして、斎宮の相手として、その頃狩の使いとして伊勢へ赴いた私の名も取り沙汰されているらしい。
2006年03月16日
コメント(0)
私は後ろ髪を引かれる思いで、宿所にしていた部屋へ戻った。茵は片付けられていたが、部屋の中にはまだ微かに伽羅の香の薫りがした。私は、何としてももう一度斎宮に逢いたいと思った。 だが、私に何が出来るだろう。 ひとたびここを去れば、もう二度と伊勢を訪れることはあるまい。もし、斎宮が都にお戻りになったとしても、逢うことは叶わないだろう。斎宮になられた方は、たとえそのお役目を終えられたとしても、男と逢うことはない。ただ、宮御所の奥深くで、静かにその余生を送られるだけだ。帝ですら滅多に后に出来ないような尊い方に、私のような只人が近寄れるはずがあろうか。 私は思い出の残るその部屋を見まわし、密かに溜息をついた。そして、微かな伽羅の薫りを胸に刻みながら、部屋を後にした。 出発の刻限が近づき、私は馬に乗って、勅使の行列が整うのを待っていた。私はまだ諦めきれず、斎宮の御殿の方を見つめていた。 すると、対の屋へ架かる渡殿に、一人の女童が立っているのに気がついた。よく見ると、あの夜斎宮の供をしてきた女童ではないか。 私はとっさに、私の傍らに組んであった篝火の中から、燃え残った炭を一かけら掴み出した。そして、斎宮から賜わった杯を懐から取り出すと、裏に書かれた斎宮の上の句の傍らに、人に隠れて一筆走り書いた。またあふさかの関は越えなむ(また逢坂の関を越えて、あなたにお逢いしたい)
2006年03月15日
コメント(0)
私はだんだん絶望的な気持ちになってきた。実は、私は翌朝伊勢を発ち、尾張の国に向かうことになっていた。今夜が伊勢で過ごすことの出来る最後の夜だったのである。 やがて、夜が白々と明けてきた。そろそろ出立の準備をしなければならない。私は断腸の思いで、斎宮の御前の御簾の前に畏まり、斎宮に別れの挨拶をした。 御簾の向こうの斎宮は、無言のまま私の挨拶を聞き、女房から差し出された素焼きの杯を受け取ると、筆を取って何やらさらさらと書き記した。女房が御簾の下からその杯を差し出す。それは、斎宮から私に下された別れの杯であった。 私はそれに酒を受けて飲み干し、周囲の者に知られぬようにそっと裏返した。そこには、流麗な女文字でこう書いてあった。かち人の渡れど濡れぬえにしあれば(徒歩の人が渡っても衣の裾が濡れない入り<江>のように、本当に浅いあなたとの<え>にしでしたから……) 上の句だけで、下の句はない。私は人目に触れぬよう、その杯を懐紙で包み、そのまま懐ろにしまった。 私は国守や女房たちに送られて宴席を立った。最後に一目だけでもと思い、簀子に出る前に奥の御簾を振り返ったが、やはり御簾の中は静まり返り、斎宮のお姿も見えなかった。↓こちらは、同じく斎宮という場所にある「斎宮歴史博物館」の展示。伊勢斎宮の御座所の再現だそうです。奥の上段におられる女性が斎宮。御簾がありませんが、下ろされていると想像すると、雰囲気が感じられるのでは?
2006年03月14日
コメント(0)
私はその日も狩りに行かなければならなかった。私はまた大勢の供を引き連れて野に出たが、私の心は上の空で、獲物は一向に仕留められなかった。私は狩りの間中、ただ斎宮のことばかり考えていた。 今宵もまた逢いたい。そして、その心のうちをお聞きしたい。 私はただ早く狩りが終わることばかりを念じ、苛々しながら野を駆けていた。 夕方になって、ようやく狩りが終わった。私は急いで人々を呼び集めると、獲物や狩場の後始末もそこそこに、大急ぎで斎宮の御所へ向かった。 ところが、御所へついてみると、斎宮寮の長官も兼ねている伊勢の国守が、私が狩の使いとして伊勢に来ていることを知り、国府からわざわざ会いに来ていたのである。既に、私たちを歓迎する華々しい饗宴の準備もしてあると言う。 私はためらったが、酒や美味い料理に目のない私の供人たちは大喜びだ。早速、昨夜の雅な宴とは大違いのどんちゃん騒ぎが始まった。 宴は国守が取り仕切ったが、昨夜と同じように、御簾の向こうに斎宮の宮もお出ましになっている。だが、相変わらず御簾の中は静まり返ったままで、斎宮の様子は計り知れなかった。それに、私の席から斎宮の御簾は少しばかり離れており、その上国守が始終うるさく話し掛けるので、私は斎宮の方を見ることさえままならなかった。私はじりじりしながら杯を口に運び、早く宴が終わってくれることをひたすら願っていた。 ところが、私の意に反して、座持ちの良い国守のために、宴はますます興が乗り、盛り上がってしまった。夜も深け、月も傾いたが、宴が果てる気配もない。↓これも、いつきのみや歴史体験館にある伊勢斎宮御所の模型の一部。ここが斎宮自身が住んでいる建物だそうです。意外と質素?
2006年03月13日
コメント(0)
君やこし我や行きけむ思ほえず 夢かうつつか寝てかさめてか(昨夜は、あなたの方から私の元へおいでになったのでしょうか。それとも、私の方からあなたの元へ行ったのでしょうか。私にははっきりとわかりません。一体あれは、夢だったのでしょうか。本当にあったことなのでしょうか。眠っていた間のことでしょうか。それとも、目覚めていた時のことでしょうか) 私はすぐに筆を取り、返歌をしたためた。かきくらす心のやみにまどひにき 夢うつつとは今宵さだめよ(私も昨夜は夢中でしたので、心の闇に迷ってしまって、よく覚えておりません。あれは夢であったのか、それとも本当にあったことなのかは、今宵もう一度お逢いした上でお決めください) 私は文を小さく折り畳み、目立たぬようにして女童に持って帰らせた。 そして、一人になると、茵の上に横になり、しばらく物思いに耽った。 私には斎宮の心がわからなかった。なぜ、あのような高貴な人が、しかも斎宮のお役目にある尊い方が、自ら私の元に忍んでくるようなことをなさったのか。もし露見すれば、斎宮を退くくらいでは済むまい。それに、伊勢の神のお怒りを考えれば、さらに空恐ろしいことだ。 いくら考えても、答えは浮かんでこなかった。
2006年03月12日
コメント(0)
私は何か言おうと口を開きかけた。だが、斎宮はその冷たい白い指先を、私の唇に押し当てて制した。そして、衣擦れの音をさせて私の胸に寄り添ってきた。 私はいつのまにか斎宮を抱きしめていた。そして、顔を上げさせて唇を奪いながら、思った。伊勢の斎宮は神に仕える清浄な巫女。未婚の皇女や女王から選ばれ、男と交わることなど絶対に許されない。もしそれを破れば、伊勢の大御神から絶大な罰が下るだろう。斎宮にも、この私にも。 だが、私は自分を押さえることが出来なかった。私は斎宮の身体を抱きしめ、唇を貪った。後のことは、まるで頭の中に白い靄がかかったようで、よく覚えていない。 翌朝目覚めると、私の傍らには既に誰もいなかった。髪の毛一筋さえ残されていない。 あれは夢だったのか。 私は疑ったが、ただ辺りに漂う濃い伽羅の薫りだけが、昨夜の情事が事実だったことを告げていた。 私は斎宮に後朝の文だけでも差し上げたいと思ったが、まさかそのような文が人目に触れてはと考えて、自分を押さえていた。斎宮から何か言ってくるだろうか。私はじりじりする思いで待っていた。 夜がすっかり明け、やはり昨夜のことは夢だったのだろうと思い始めた頃、昨夜斎宮に付いてきた女童と思われる少女が、私に文を持ってきた。私が急いでそれを開くと、中にはただ一首、歌が書いてあった。
2006年03月10日
コメント(0)
開け放した御簾の下に、誰かの影が立っている。傍らには少し小さな影がもう一つ。 大きな影は、小さな影を先に立て、音もさせずに部屋の中に入って来た。そして、そっと私の傍らに座ると、じっと私を見つめていた。物の怪だろうか。そう思ったが、何故か恐ろしくはなかった。 影はしばらく私を見つめていたが、ふいに手を展ばして、私の髪に触れた。伽羅の良い薫りがする。こんな良い薫りのする物の怪ならば、魅入られてやってもよいか。そう思って、私はふっと微笑んだ。 影は驚いたように、手を引いた。私はそれを逃さず、その細い手首を着物の袖ごと掴んで、はっきりと目を開けた。 今度は私が驚く番だった。 私が掴んだ袖は、柔らかな手触りの良い最高級のもので、とても並の女房ふぜいが身につけられるようなものではなかった。それに、月明かりに照らされたその重ねの色目は桜。 その影は、なんと斎宮その人だったのである。 私は驚いて手を離した。斎宮は小さな影に合図をして下がらせた。それは愛らしい女童であった。そして、二人だけになると、私をその濡れた瞳で見つめた。 初めて見た斎宮は、臈たけて美しかった。すっきりと細面の白い顔に、額から艶やかな黒髪が零れ落ちている。やや切れ長な眼は、瞳が玻璃の玉のように清らかに透き通り、それでいて、その奥底に熱い炎のようなものを秘めていた。唇が薄くしっかりと結ばれているさまは、兄の皇子によく似ておいでだ。
2006年03月09日
コメント(0)
斎宮の御所は伊勢神宮から少し離れた多気の郡にあり、神に仕える高貴な女人の住まいらしい、清浄な佇まいだった。私の通された部屋は、南庭に面した美しい設えの部屋だ。私は朝廷からの勅使なので、この御所で最も良い部屋をあてがってくれたのだろう。 しばらく休憩した後、私は饗応の間に通された。上段の御簾の内に、桜重ねの袿を身に纏ったほのかな人影が透けて見える。斎宮の宮だと気付いて、私の胸は高鳴った。私が平伏すると、斎宮からは女房を通して、ねんごろな労いの言葉があった。私はせめてお声だけでも聞きたかったが、御簾の内はしんと静まり返り、様子を窺い知ることすら出来なかった。 それでも、饗宴は賑やかに過ぎて行った。斎宮はずっと御簾の内で宴を見守っておられるだけだったが、斎宮に仕える女房には嗜みの深いものが多く、気のきいた客のあしらいで、私と供の者たちを楽しませてくれた。 歌や管弦も出て、楽しく過ごすうち、夜も深けて宴も果てた。 私は先ほど通された部屋へ戻り、既に用意されていた夜具に横たわった。月の明るい晩で、私は格子も御簾も下ろさぬまま、月明かりに照らされた清らかな庭を眺めていた。柔らかな絹の衾からは、微かに高雅な薫物の薫りがする。その薫りに包まれながら、私はいつしか目を閉じ、眠りに落ちていった。 どれほど時間が過ぎたのだろうか。 ふと何かの気配を感じて、私は目を覚ました。枕元に灯しておいた燈台の火はとうに消え、部屋の中は青白い月の光りで満ちている。私はまだ夢の中にいるような気持ちで、ぼんやりと薄目を開けた。↓伊勢神宮から少し離れたその名も斎宮(この辺りに斎宮御所があったらしい)という場所にある「いつきのみや歴史体験館」。ここには平安時代の伊勢斎宮の御所を再現した立派な屋外模型があります。これはその一部。この施設では、かなり本格的な十二単等の体験試着ができます。(有料ですが)私も思わずやっちゃいました。(笑)
2006年03月08日
コメント(0)
私は朝廷からの勅使として、威儀を正し、大勢の供人を連れて、伊勢へ向かった。 伊勢神宮は、天照大御神をお祭りする最も大切な社である。 その昔、倭姫命は大御神をお祭りするに相応しい地を求めて大和の国を出られ、近江、美濃を巡った後、ついに伊勢の国へ辿り着かれた。その時、天照大御神自ら倭姫命にお示しになったのが、この御裳濯川の辺であったのだという。倭姫命はこの川の川上を大宮地に定め、大御神をお祭りする祠をお建てになった。それが、この伊勢神宮の始まりである。 神宮をお守りする神路山は鬱蒼とした巨木が生い茂り、その中を流れる御裳濯川は山々の緑を映して清らかに澄んでいる。清々しい木立の豊かな神域には、大小様々な御社が鎮座していた。中でも、内宮は白木の社が神さびて美しい。 伊勢神宮への参拝を済ませると、私は早速供人を率い、伊勢の野に出て狩りを行った。 お役目とはいえ、元々狩りが嫌いではない私のことだ。久しぶりの大掛かりな狩りを、私は思う存分楽しんだ。獲物は面白いようにたくさん取れたし、緑豊かな原を思いきり馬で駆け回るのは、実に気分が清々しい。私は心地よい疲れを感じながら、その日の狩りを終え、取り敢えず伊勢での私の休息所に戻った。 私の宿舎は、兄君の皇子からの文で私の世話を引き受けてくれた、伊勢の斎宮の御所に決まっていた。私が休息所に戻ると、斎宮からの使いが待っていてくれており、今宵ささやかなもてなしをしたいから、これよりすぐ斎宮の御所までお越し願いたいと言う。私はありがたくお受けし、大勢の供人と共に、早速斎宮の御所に向かった。↓一昨年、母と伊勢を旅行しました。この写真は伊勢神宮の側を流れる御裳裾川(五十鈴川)。流れは静かで穏やか。みんな、手を浸したりして「冷たい!」とか言ってました。
2006年03月06日
コメント(0)
つくも髪の老婆との出会いの後にも、私は様々な恋をした。それぞれに思い出深い出会いである。だが、その中でも特に忘れられない高貴な人がいたことを、私は儚い一夜の逢瀬の記憶と共に思い出した。 私が右馬頭の官職にあった頃、朝廷から命ぜられて、伊勢の国に狩の使いに行ったことがある。 狩の使いとは、朝廷からの勅命を受けて、武官が諸国に遣わされる行事のことだ。狩の使いの命を受けた者は、指定された国へ赴き、大勢の供人と共にそこで大規模な狩りを行う。その土地で朝廷の官人が禽獣を狩るということは、そこが朝廷の支配下にあるということを意味している。この行事は、朝廷の権力を改めて民衆に知らしめるために行われるのだ。そして、それによって、諸国が朝廷によって平和に治められていることを寿ぐという祭祀的な意味もある。 私はその年、武官の一人として、伊勢をはじめ数ヶ国の狩の使いの役を命ぜられたのだった。 その時の伊勢の斎宮は、私が親しくお仕えさせて頂いていたさる皇子の御妹だった。皇子は旅立つ私のためにわざわざ別れの宴を開いてくださり、私に伊勢でも特別な便宜を計ってくれるよう、御妹の斎宮にも文を書いてくれた。 東国への旅の途中で通ったから、伊勢へ行くのはこれで二度目だ。だが、伊勢神宮へ詣でるのは初めてだったので、皇子の心使いはありがたかった。
2006年03月05日
コメント(1)
「それで私に?」「最期の思い出であればこそ最高の方をと、そう思って無礼を承知でお願いに」 私は胸が詰まって、密かに溜息をついた。そして、少年に問うた。「母御は安らかに逝ったか」「はい、死ぬ前に私を呼び、最期にあなたが再び逢いに来てくれたと、嬉しそうにそっと打ち明けてくれました。そして、これで思い残すことはないと」 少年は目からぽとぽとと涙を零しながら、話し終えた。 私は和琴を膝に乗せ、そっとかき鳴らして見た。神さびたような高雅な音色が、あの月の夜を思い出させた。「これは確かに私が預かろう。お前の母御の思い出も一緒にな」 あれから私は、月の明るい晩に度々この和琴を取りだし、弾いてみることにしている。せめて、あの老婆の供養になればと思うからだ。 そして、和琴を弾きながら、老婆の魂へ話しかける。 私はお前の想いに答えることが出来ただろうか、少しでもお前に心に残る思い出と愛情を与えることが出来ただろうかと。
2006年03月04日
コメント(0)
私は和琴を手に取り、そっとその表面を撫でて見た。なめらかな絹のような手触り。深みのある暗い色合いと、片隅に小さく付けられた螺鈿の唐草模様の装飾が、実に奥床しく美しい。「しかし、この和琴はおそらく由緒のある物であろう。このような貴重な品を、私が受け取ってよいものかどうか。それに、どうして母御がこのようなものを持っておったのか」「母は今でこそ田舎の土豪の妻女に過ぎませんが、元は京で生まれ育った者でございます。それに、母の父は参議にもなったお方で、決して身分卑しき者ではございませんでした。母自身も、幼くして父を喪った後、さる女宮様の御所で女房を勤めていたこともございます。この和琴は、母にそれを手ずから教えてくださった宮様が、母の手の上手をことのほか愛でて、特別に御下賜くださった物だとか。その宮様が亡くなられた後、母は勤め先を失って仕方なく私の父と結婚しましたが、いつも宮御所での優雅な生活とお優しかった宮様を懐かしんでおりました。その宮様はあなたの母上様の姉妹に当たられるのだそうです」「それで、同じ血を引く私に宮の和琴を返そうと」「いえ、それだけではございません。母は本当にあなたのことを想い、そして感謝していたのだと思います。おそらくは母は、自分がもう長くはないと悟った時、昔の華やかな頃を思い出したのでしょう。母は若い頃それは美しく、宮様の御所では母に言い寄る公達が引きも切らなかったそうです。何人もの殿方と浮名を流したものだと、いつか笑いながら私に話してくれたことがありました。きっと、母は死ぬ前にもう一度だけ、だれかと恋をして見たかったのでしょう。そして、その思い出をこの世の名残に、と思ったに違いありません。でも、母は今ではすっかり年老いて、昔の美しさの影さえないことをよく知っておりました。その上、今は自分の息子たちにすら疎まれ、落魄れて寂しく離れに押し込められた、名もない老婆に過ぎません。それであんな夢の話を。私は何となく母の心がわかって、切なくて、何とか母の最期の望みを叶えてやりたいと思ったのです」
2006年03月02日
コメント(0)
その後再び、私は老婆の館を訪れることはなかった。 忘れたわけでもないし、以前のような不快感も今はない。だが、もう一度老婆に逢うことは私をためらわせた。私はあの月の一夜の思い出を大事にしたかったのである。 私はしばらくして京へ戻り、またいつもの慌しい生活が始まった。その中で、老婆のこともまた以前のように忘れてしまうはずだったのだが、私は老婆の消息を意外に早く聞くことになったのである。 京へ戻って十日ほど経った頃だろうか。私の京の屋敷に、あの老婆の末息子の少年が訪ねてきたのだ。 少年は以前より少し痩せ、顔つきもどこか大人びていた。そして、驚いて出迎えた私に深々と頭を下げ、美しい錦に包まれたものを差し出した。私がその錦をほどいてみると、中から現れたのは、あの月夜の晩に老婆が奏でていた古い和琴であった。少年は静かな声で言った。「母は三日前に亡くなりました。遺言で、この和琴をあなたに差し上げて欲しいと」「母御が亡くなった?」 私が驚くと、少年は私の目を見つめて言った。「はい、母はもうずっと前から病で臥せっておりました。恐らく自分でも、もう先が長くないことを知っていたのでしょう。事細かに遺言を記し、一族の長老の者に預けておりました。私には母が実家から受け継いだ分の領地の全てを残してくれましたし、ずっと大事にしてきたこの和琴はあなたにと」
2006年03月01日
コメント(0)
全23件 (23件中 1-23件目)
1
![]()

