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継子には気の遠くなるような長い時間が過ぎた後、鬼はようやく満足したのか、帳台の中で動きを止めた。明子の方はもはや疲れ果てたのか、褥の上に横たわったまま身動き一つしない。鬼はなおも未練げに明子の身体を撫で回していたようだったが、やがてふらりと立ち上がると帳台を出た。 継子は密かに身を起こし、御簾を揚げることもなくそれをすうっと通り抜けていく鬼の後姿を見ていた。青黒い巨大な身体は、引き締まって硬い筋肉が盛り上がり、腰の辺りに薄汚れた布のようなものを巻きつけているだけだった。その布の端には、継子の頭など一たまりもなさそうな大きな槌がぶら下げられている。大方、人間の頭を打ち割って脳髄でも啜るためのものか。継子は思わずぞっとして、震える身体を自分の腕で抱きしめた。 その衣擦れの音に気づいたのだろうか。鬼はふと立ち止まると、ゆっくりと後ろを振り返った。かなまり鋺のような目がぎらりと光り、耳まで裂けた分厚い唇には、鋭く尖った剣のような牙がのぞいている。 鬼は継子のいる塗籠の方を見やると、にやりと笑った。そのおぞましさに、継子は凍りついたように動けなくなった。鬼はそんな継子などたいして気に止めてはいないのか、やがて青い炎のような光を揺らめかせながら庭へ降りると、木立の暗がりの中へ姿を消して行った。↑よろしかったら、ぽちっとお願いしますm(__)m
2008年03月31日
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ぎしり、ぎしりと、褥の軋む音が聞こえてくる。 それに混じって、湿ったような肌の触れ合う音と、責め苛まれてでもいるかように喘ぐか細い声も。低い男の声がそれに答え、いつもの囁きを繰り返す。あなたは私のものだ、もう二度と離れることは出来ぬ、と。明子の甘い小さな笑い声がそれに続いた。 継子は思わず自分の耳を塞ぎ、暗い塗籠の中で突っ伏した。そうしていても、すぐ近くにある明子の帳台からは、淫らな声と浅ましい気配が伝わってくる。 継子はそっと目を開け、開いたままになっている塗籠の妻戸の方を見た。妻戸の向こうには、帳台の帳が見える。もう真夜中で今宵は月さえ出ていないのに、明子の部屋の中は仄かに明るく、帳台の帳が白く浮き上がって見えた。その帳の隙間からは、不気味な淡い光が洩れ、辺りを蒼く染めながら揺らめいている。 その光のせいで、時折帳台の中の二人の影が、白い帳に浮き上がった。長い髪を引き絞られて仰け反っているのは明子だろう。だが、その明子を膝に乗せるようにして苛んでいるのは、明子の身体を折り拉ぐほどに巨大な影だった。 継子は恐る恐る顔を上げて、帳に映る影を凝視する。よく見ると、その巨大な影は乱れ逆立った髪を腰の辺りまで垂らし、その蓬髪の隙間から尖った角のような物を覗かせていた。時折揺れる帳台の帳の隙間からは、継子には鼻を覆いたくなるような異様な臭気が漂ってくる。継子は思わず吐き気を催し、顔を袖で覆ってまた床に伏してしまった。↑よろしかったら、ぽちっとお願いしますm(__)m
2008年03月29日
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男はそっとにじり寄り、几帳の帳を上げて明子に近づくと、手の甲と指先で優しく明子の頬に触れて言った。「何という美しさ。幾夜、この姿を夢に見たことか」 そして、今度はその手で明子の片手を握り締めると、それに自分の頬を押し当てた。「この柔らかさ、匂い……女というものは、これほどまでにいとおしいものであったとは。もう一度だけでも、あなたをこの腕に抱き愛を交わすことが出来るのなら、私は何度地獄へ落ちてもよい……」 いつしか明子は、自分が男の腕の中にいることに気づいた。男はいとおしげに明子の身体を抱き締め、首筋に唇を押し当てている。そして、明子の耳元に、あの低い錆びた声で囁いた。「あなたは、私のものだ……」 男は俄かに明子を抱き上げると、奥の御簾の向こうに据えてある帳台の中に入って行った。そして、褥の上に明子を降ろすと、明子の衣を脱がせることすらもどかしいと言わんばかりに引き裂き、露わにされたその白い身体の中に己の身を沈めていった。 明子の脳裏に、ふと自分を失いどこか恐ろしい場所へと流されていくような不安がよぎる。だが、それは男の愛撫に喘いでいるうちに、いつの間にか霧のように掻き消されていったようだ。 明子は男の激しさに翻弄され、身を苛むような夥しい快楽に我を忘れた。 そして、帳台の中に、いつものあの染殿のにおいがもう耐えられないほどの強さで満ちていることに、明子はもはや気がつかなかった。↑よろしかったら、ぽちっとお願いしますm(__)m
2008年03月28日
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明子は驚いてそれ以上声が出なかった。男は相変わらず床に跪いたまま、囁きを続ける。「あの祈祷の日、仄かに后の姿を垣間見て以来、昼も夜もこの胸のうちに后の面影が焼きついて離れませぬ。どれほど懸命に祈っても消えぬこの想いに耐え切れず、とうとう葛城山を抜け出してこの染殿に忍び入り、こうして御前へまかりこしてしまいました。后のお姿を見、そのお声でも聞けたなら、少しはこの胸の痛みも治まるかと思っておりましたが……お側にいればいるほど想いが募って、苦しくてなりませぬ。どうか、私を哀れと思し召して……」 男はすっと顔を上げた。男はひどく青ざめていたが、鋭い眼差しが印象的な整った容貌だった。以前の蓬髪も今は綺麗に梳られて背で束ねられており、身体にもさっぱりとした黒い行者衣を纏っている。 その意外にも端正な姿に、男への恐怖心が和らいだのか、明子は小さな声で呟いた。「父上が、あのことは夢だったと思って、忘れるようにと」 男は哀しげに項垂れ、また低い声で囁いた。「后も、私のことなど忘れてしまわれたのか? 私は片時も后を忘れることなど出来なかった。私は后に出会って初めて人を恋うた。人を恋うなど愚か者のすることと蔑んでおったこの私が、初めて人を愛しいと思い、いつまでもその側にいたいと心から願うようになった。だが、その御方にはもう逢えぬとわかった時の苦しさ。今までどれほど過酷な修行をした時にも、これほどの苦しみを味わったことはない」↑よろしかったら、ぽちっとお願いしますm(__)m
2008年03月27日
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その時、さっと吹き通った風に、傍らで小さく灯っていた燈台の明かりが消えた。 明子はふと以前の恐怖が甦り、驚いて人を呼ぼうと声を上げかけたが、その時目の前の几帳の蔭に、誰かがいるのに気づいた。明子はその人影に向かって言った。「明かりを持ってきておくれ」 だが、それに答えたのは、明子の侍女ではなかった。「明かりは、つけずにおいていただけませぬか」 低く錆びた、聞き覚えのある声。明子の胸は俄かに激しく騒いだ。 明子は驚いてしばらく身動きできなかったが、やがて勇気を振り絞ってそっと几帳の帳を少しだけかき寄せてみた。 几帳の向こうには、黒い人影が一つ、床に平伏するように蹲っている。頭を伏しているので顔は見えない。だが、いつの間にか月でも出たのか、その辺りには薄蒼い光がたゆたっており、それが葛城上人と名乗っていたあの男であることだけはわかった。「そなた……どうしてここに」 明子は擦れた声でようやくそう言った。男は顔を上げぬまま、低いくぐもった声で囁いた。「后を恋い慕うあまり……このように推参してまいったことを、どうぞお許しくだされ」↑よろしかったら、ぽちっとお願いしますm(__)m
2008年03月26日
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泣かないでくだされ……明子はその男の声音をよく覚えていた。 少し擦れたような、錆びた低い声。だが、その声には何か明子の胸を震わせるような、深い痛みと慈しみが満ちていた。そのような声音を、明子は今まで一度も聴いたことがなかった。男の指先が優しく髪を撫で、暖かい唇が明子の涙の痕を伝う。 思いがけない男の振る舞いにまだ明子が当惑しているうちに、皆がやってきて男を連れ去ってしまった。引き立てられ際に見せたあの男の眼。それは今も明子の心に、棘のように刺さっている気がした。 あれ以来、現れなくなった怨霊の代わりに、あの男の面影が夜毎明子の夢に現れるようになった。どんな夢だったのか、目が覚めるとあまり覚えてはいない。けれど、明子の中には、いつも奇妙な濡れた感覚が残っていた。それは明子の心を騒がせ、熱く澱んだような胸苦しさを覚えさせる。 次第に、明子の心から男への恐怖が薄れ、反対に身体は耐えがたいような不思議な感覚がつのって行った。その感覚も、それまでの明子が一度も感じたことのないものだった。明子はそれに苛まれ、でもそれをどうすればいいのかわからず、ただ胸苦しさに喘ぐばかりだった。 今も、その感覚は明子の中にいて、掻痒感にも似た捉え所の無さで蠢いている。明子は思わず募ってきた熱さに、胸元を寛げて風を入れようと、脇息に伏していた顔を上げた。↑よろしかったら、ぽちっとお願いしますm(__)m↓平安時代の貴婦人の御座所はこんな感じ。分厚い畳の上に、「茵(しとね)」という薄い敷物を敷いてあります。畳の上においてある肘乗せが「脇息」です。
2008年03月25日
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夜露に濡れた庭の草むらの中で、きりぎりすが鳴いている。 明子は几帳の蔭で脇息に頬杖をつき、その儚い鳴き声を聞いていた。 いつの間にか暑い夏は去り、染殿には早くも冬の冷たさが忍び寄っている。明子のいる東の対の御簾を抜けて、涼やかな風が吹き渡った。 明子は何となく人恋しさを覚えて、手に持っていた扇を閉じてぱちりと鳴らした。 誰もいない。 いつも常に側にいてくれる乳母の継子すら、先ほど自分の侍女に呼ばれて局へ下がってしまったようだった。おそらく、あの祈祷以来明子が物怪に苦しめられることがなくなったせいで、側仕えの者は皆安心しているのだろう。 明子自身も、もう一人でいることは怖くない。それに元々人と交わるのが苦手なたちなので、一人でほおっておかれることは、むしろ明子にとってはありがたかった。 でも、今宵の寂しい秋の気配がそうさせるのだろうか。いつにない人恋しさに、明子はなぜか落ち着かなかった。そして、ふっと脳裏をよぎったものに、明子は思わず息を呑み顔を赤らめた。 それは、あの男の顔だった。 長く乱れた蓬髪から覗く、獣じみた光を帯びた鋭い眼。首筋に押し当てられた、濡れた熱い唇の感触。猛禽のように爪の伸びた指が明子の肌を這い、硬く引き締まった強い腕が明子の腰を拉ぐように抱きしめる。 男は明子の抵抗など苦もなく封じ、明子の身体を押し広げると、自分の思うままに明子を蹂躙した。明子は驚きのあまり気を失いかけ、ただ男の為すがままになっていた。明子は男が恐ろしく、目からは涙が溢れるばかりだった。 だが、やがて男の言ったあの言葉……。↑よろしかったら、ぽちっとお願いしますm(__)m
2008年03月24日
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京の都も襲っていた激しい嵐は、夜があけると共に去った。風雨に洗い流されたような爽やかな青空が広がり、瑞々しい朝の光が大内裏の白い砂庭にも満ちる。 一人の若い官人が、朱雀門を抜けて大内裏へ入ってきた。手に大きな薬箱のようなものを下げているところを見ると、薬師か医師か何かなのだろう。 案の定、その官人は豊楽院の脇を抜けて、典薬寮の建物の前にやってきた。そして、鍵を取り出して役所の重い扉を開いた途端、魂ぎるような悲鳴を上げた。 その声に驚いた官人たちが、近くの豊楽院や左馬寮から次々に飛び出してくる。そして、凍ったように立ち尽くしている典薬寮の官人を取り囲んだ彼らの見たものは……がらんとした石張りの床に転がった、男の首だった。 首はまるで食い破られたように無残にちぎれ、眼球の飛び出した青黒い顔には、奇妙な笑みのようにさえ見える驚愕と苦悶の表情が浮かんでいる。 そのあまりにおぞましい首の有様に、寄り集まった官人たちは黙って立ち竦むだけだった。だが、やがて少しずつ正気を取り戻したらしい最初の若い官人が呟いた。「典薬頭様……」 それは、文徳帝の侍医であり、真済と明子の密通を告発したあの当麻鴨継の首だった。↑よろしかったら、ぽちっとお願いしますm(__)m
2008年03月21日
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だが、滝はただ流れ落ち続けるばかりで、何の返答もなかった。ただ、嵐の轟音が、真済の耳を打つばかりだった。 真済は長い間滝の流れを見上げていた。永劫とも思えるような暗く長い時間を、口も利かず身動き一つすることなく。 やがて、真済の唇が歪み、その隙間からぞっとするような渇いた笑い声が漏れ響いた。顔に貼りついた蓬髪から覗く瞳に、獣じみた狂気の光がぎらりと輝く。 真済は不動明王の滝に向って、枯れた低い声で呟いた。「仏などいるものか。あれらは、慈悲深い仏などではない。ただ、人間を支配し、弄び、思いのままに動かすことだけに、退屈な喜びを感じている異形のものだ。同じ異形のものであるならば、私は闇に巣食う魔にこの身を捧げよう。愛憎の怨念に取り憑かれた者は、食を絶って死すれば、瞋恚の炎に燃える紺青鬼になるという。私も生きながら魔道に落ち、自ら蒼い鬼となって、いずれ必ず染殿の后を我がものにしてくれる……」 真済はがくりとその場にくず折れた。そして、今度こそ、動かなくなった。↑よろしかったら、ぽちっとお願いしますm(__)m↓滝は結構好きで、機会があればいろいろ見に行くんですが、何か写真を載せようと思って探したところ、今まで撮影したものの中にはこんなのしかなかった…^^; これは有名な熊野の那智の滝。見事です! ただの滝なのに、なぜだか見ているだけで気分が良くなり、ずっと見ていたくて目が離せなくなります。滝自体がご神体であるっていうのも頷けますね。熊野は世界遺産でもあるし、他にも見所がたくさんあるので、是非行ってみてください♪
2008年03月20日
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真済は一心不乱に不動明王の真言を唱え続けた。 雨は滝のように真済の身体の上に落ち、強い風が薄汚れた蓬髪を吹き乱す。爪の剥げた指で固く印を結び、嗄れた喉が続く限り何度も何度も真言を唱えた。 だが、何も起こらなかった。 滝は嵐のせいで水かさを増してはいたものの、相変わらず白い飛沫を飛び散らせながら滝壷に落ち続けているだけだ。あの時のように、燃える炎のように立ちのぼることもなく、その中に不動明王のお姿を浮かべることもなかった。 真済は滝を睨みつけながら、力の続く限り真言を唱え続けた。 せめて護法童子だけでも、姿を現さないものか。だが、いつもは軽く真言を唱えるだけで現れる剣の護法ですら、陰も形も見えない。時折、ちらちらと小さな輝きを見せる光の粒が、滝壷の辺りを漂っているだけだ。だが、その光も真済が手を差し伸べるとふわりと舞って姿を消した。 真済はなおも真言を唱えていたが、やがて髪を掻き毟りながら這いつくばると、頭を何度も地面に叩きつけた。べったりと濡れた髪の張りつく顔に、幾つもの赤い筋が流れている。真済は滝に向って両手を広げ、声を限りに叫んだ。「なぜ、お姿を現してはくださらぬ! これほどまでに祈り、頼み、仰いでおるというのに。いつもは容易く手を貸しながら、一番その力を必要としている時に限って見捨ててしまうとは。仏とはそういうものか! 長ったらしい祈りや、高価な供物や、激しい修行を強いるばかりで、肝心の時には振り返ることすらしない。私のこれまでの修行はなんだったのか。何のためにこれまで全てを捧げて仏に仕えてきたのか。教えてくれ、仏とは何だ。返答なされ!」↑よろしかったら、ぽちっとお願いしますm(__)m
2008年03月19日
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真済は大和の山中をただ北へ向って走り続けた。街道には出ず、尾根伝いに山々を渡り、微かな獣道を辿る。 蓬髪と裂けた衣を靡かせ、泣くような細いうめき声を迸らせながら駆けるその姿を見た人間は、きっと真済を鬼だと思ったことだろう。 だが、真済は他の人間のことなどまるで眼中になかった。ただひたすら、野を駆け、山を駆ける。 やがて、懐かしい高尾の峯々が、遠くに連なっているのが見えてきた。真済はわずかに休息を取ることもせずに走り続ける。そして、高尾の山中に分け入ってからも、止まることを知らなかった。 だが、あの不動明王と出会った滝がどこにあったのか、真済にはまるで思い出せなかった。滝に行ったのはあの時ただ一度。それに、それ以後そこを訪れたことはなかったからだ。 真済は回峯行をしていた頃の微かな記憶を辿って、杣道を走り続けた。 やがて、雨がぽつりぽつりと落ち始め、それは次第に激しさを増していった。風が強まり、稲妻が峯々を照らす。荒々しい嵐に揉まれるように、真済はよろめきながらも闇雲に駆け続けた。 だが、いつの間にか、誰かに導かれていたのかもしれない。真済はふいに、嵐のざわめきを突いて、聞き覚えのある水音がしているのに気づいた。熊笹の群れを掻き分け、倒れた大木の上を乗り越える。 そして、ようやくあの滝を見つけた真済は、懐から数珠を取り出すのももどかしく、滝の前に倒れ伏して祈り始めたのであった。↑よろしかったら、ぽちっとお願いしますm(__)m↓真済さんが住んでいたという神護寺からみた高尾の峯々。京都の市街からは結構離れた山の中なので、公共交通機関ではなかなか行きづらいですが、とっても静かな良いところです♪ 私が行ったのは新緑の季節でしたが、秋の紅葉も素晴らしいそうですよ。ぜひ一度♪
2008年03月18日
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一度も振り返らなかった真済は、六人の御霊がその後ろ姿を見送っているのに気づかなかった。 伊予親王の御霊は、暗い林の中に姿を消した真済に向って呟いた。「不動明王に縋ろうなど、なんと愚かなこと。明王が女への賤しい情欲に手を貸すことなどありえまいに」 それを聞いた仲成と逸勢もせせら笑うように言った。「あの男は自分の法力を過信しておる。自分が願えば、不動明王すら思いのままに動かせるとな」「馬鹿馬鹿しい。不動明王が眷族らを自由に使うことを許しておられるのは、あの男が長年励んできた激しい修行の功徳だけは認めておられたからだ」 吉子も、口元に袿の袖を押し当てて、高らかに嘲笑う。「高尾へ戻っても無駄なこと」 だが、早良親王だけは、残忍な薄笑いを浮かべて、自分に従う御霊たちを睨(ね)めまわしながら言った。「いや、まだ面白い見物は、見られるかも知れぬ」↑よろしかったら、ぽちっとお願いしますm(__)m
2008年03月17日
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真済は早良親王の袖に縋りつこうと、蒼い火柱の方へ手を伸ばした。だが、その手は無情にも火花を散らして弾き飛ばされた。早良親王は冷たい無表情を崩すこともなく、真済を見下ろして言った。「お前の命など、元々我らの手の内にあったもの。どうしようと我らの勝手じゃ。それを生かしておいたのは、少しは骨のあるところを見せ、我らの役に立つかも知れぬと思ったからだ。だが、そのように、たかが人間の女ごときに心を奪われ、愛欲に狂ってしまうとは。もうお前に用はない。死ぬなと、どこかへ行くなと、好きなようにするがよい」 そう言うと、早良親王は蒼い炎の中に姿を消し、大きな鬼火となって、森の奥の暗がりの方へ去って行った。真済の周りを取り囲んでいた他の御霊も、次々に鬼火に姿を変えると、早良親王に従う。 真済はなおも手を伸ばし、御霊たちの後を追おうとしたが、ぬかるみに足を取られて転ぶとそのまま動かなくなった。 長い間、真済は地面に倒れていた。その顔はどす黒く変色し、身体はまるで幽鬼のように痩せ細っている。 もはや、死んでしまったかと思われるほど、長い時間が経った後、真済は突然ふらりと顔を上げた。そして、低いしわがれた声で呟いた。「まだ望みはある……」 真済はふいに、かつて修行の日々を過ごした高尾の地を思い出したのだ。そして、初めて不動明王と出会ったあの細滝を思い浮かべた。 あの滝へ行けば、もう一度不動明王に会えるかもしれない。そして、明子を自分のものに出来るよう、不動明王に縋ってみよう。 真済はよろめきながら立ち上がると、物怪につかれた人間のような怪しい足取りで走り始めた。↑よろしかったら、ぽちっとお願いしますm(__)m
2008年03月14日
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薄い残忍な微笑を浮かべた早良親王の御霊が、真済に近づいて言った。「ほう、力を借りて、何とする?」「あの染殿の后を我がものに」 早良親王は俄かに、地の底から響くような低い陰惨な声を上げて笑った。「女に惚れたと申すか。なんと、愚かしい。己の野望のためには人肉まで食らい、人間らしい心もたいして持ち合わせてはいない、なかなか面白い男であると思っておったが、我らの買い被りであったかの」 後ろに控えていた伊予親王の御霊も、不機嫌そうに眉をしかめて言った。「しかも、あの良房めの娘に、叶わぬ想いをかけるとは。情けないにもほどがある」 伊予親王の傍らの吉子も、柳眉を逆立てて早良親王の袖を引いた。「このように不甲斐ない男、もはやこれ以上使い物にはなりませぬ」 吉子に促された早良親王も、笑いを収めて真済を値踏みするように睨みつけた。その燃えるように赤い瞳に射すくめられて、真済は全く身動きできなかった。真済はとうとうその瞳から逃れるように俯いた。早良親王は冷酷な表情のまま呟いた。「どうやら、とんだ時間の無駄であったやも知れぬ」 それを聞いた仲成の御霊は、逸勢と宮田麻呂を促して進み出ると言った。「主上、この男はここへ捨ておき、そろそろ御陵へお戻りを。また新たに我らの手先に使えそうな者も、数多おりますれば」 早良親王も頷き、真済の傍らを去ろうとする。真済は急に顔を上げて、早良親王の進路を絶つように廻り込み、その足元に這いつくばった。「どうか、お見捨てくださいますな。もし私の願いを叶えて頂ければ何でもいたします。命も惜しうはござりませぬ。どうか、どうか……」↑よろしかったら、ぽちっとお願いしますm(__)m
2008年03月13日
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真済は染殿を出た後、良房につけられた武者どもに遠巻きに取り囲まれるようにして、一旦は葛城に戻った。そして、かつての住処であった文殊の岩屋で座禅を組むと、目を閉じて一心に瞑想し始めた。 だが、数刻が経つうちに、真済の顔には冷や汗が滲み、苦渋の色が濃くなってきた。そして、やがて一日が過ぎる頃になると、真済はとうとう絶望の声を上げてその場に倒れ伏してしまった。 どれほど一心に祈っても、どれほど必死に振り払おうと猛っても、胸の中に巣食う明子への愛欲の情をどうしても絶つことが出来ない。この霊力に溢れた文殊の岩屋へ戻れば、もしやこの煩悩の想いに打ち勝つことが出来るのではないかと、一縷の望みを託して葛城へ戻って来た真済であったが、やはりこの聖域の霊気すらも真済の心を静めることは出来なかった。 真済は固い岩屋で爪が割れるのにも構わずに辺りを掻き毟り、暗闇の中で湿った地面に伏しまろんだ。そして、いつの間にか周りを蒼い鬼火に囲まれているのにも気づかずに、長い間顔を覆って蹲っていた。 突然、雷に打たれたような激しい痛みを感じて、真済は傍らの大きな杉の根元に弾き飛ばされた。衝撃に眩む目に、蒼い六つの火柱が映る。その火柱の中には、あの六人の御霊の姿が浮かんでいた。皆一様に嘲るような笑みを浮かべて、真済を見つめている。 真済は恥も外聞も忘れて、御霊たちの前に額ずいた。「どうか……どうか、私に力をお貸しくだされ」↑よろしかったら、ぽちっとお願いしますm(__)m
2008年03月11日
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激しい嵐を突いて、真済は走っていた。 高尾の山中は暗く、時折稲妻に照らされる時以外は、真の闇が真済の周りを取り囲んでいる。風に大木の枝がざわめき、雨音は激しく耳に響く。 真済はその中を、ただ闇雲に走り続けていた。息は切れ、足は鉛のように重い。だが、それでも走り続けていなければ、気が狂ってしまいそうだった。 真済は己の煩悩に突き動かされるようにして、山中をさ迷っていた。そして、とうとう辿りついた。 懐かしい高尾山中の細い滝の流れに。 真済は、滝壷の傍らの岸に倒れ伏すと、両手を合わせて不動明王の根本印を結び、激しい勢いで真言を唱え始めた。 叩きつけるような雨が、真済の頬を打つ。白い稲光が、真済の鬼気迫る顔を照らし出した。 真済はしわがれた喉を絞り、声の限りに大声で真言を唱え続ける。そして、心の内で、不動明王に噛みつかんばかりに祈っていた。 どうか、我に力を……。↑よろしかったら、ぽちっとお願いしますm(__)m
2008年03月10日
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葛城上人は少し驚いたように呟いた。「殺さんのか?」 良房は吐き捨てるように答えた。「命だけは助けてやる。だが、二度とこの京の都へ戻ってくることはまかりならぬ。葛城山を降りることも許さん。お前には大勢見張りの者をつけておく。その者たちに姿を見られたら、その時こそ命はないものと思え」 葛城上人は番人に促されても動こうとはせず、しばらくそのままそこへ立っていた。そして、低い声で良房に訊ねた。「……あの人は、今どうしておられる?」 それが明子のことだと気がついて、良房の中にまた怒りが吹き上がってきた。良房は我を忘れて叫んだ。「明子はもう既に東宮御所へ戻した。身の回りには十重二十重に側付きの者を置き、我ら以外誰一人として明子の側へ近づくことは出来ない。もう二度とお前の目などには触れさせぬ!」 それを聞いた葛城上人は、長い間何も言わず良房の顔を眺めていた。ぞっとするような青黒い顔は乱れた髪と伸びた髭に覆われていて、その表情は読めない。ただ、葛城上人の眼だけが異様な光を帯びて良房を見つめていた。 良房は堪らなく葛城上人が恐ろしくなり、とうとう用心のために腰に帯びていた太刀に手をかけた。 だが、葛城上人はゆっくりと良房の袖先をすり抜けると、震える良房を後に残して、染殿を去って行った。↑よろしかったら、ぽちっとお願いしますm(__)m↓少し見づらいですが、衣装の下の箱に納められているのが「太刀」です。上に無造作に置かれている帯を締め、鞘についている紐をそれに括りつけるような形で佩きます。江戸時代のお侍さんのように袴の紐にしっかりと押し込むのではないので、腰の辺りでぷらぷら?している感じかな。この写真の太刀は刀身が湾曲していますが、平安時代初期のものは刃が真っ直ぐの直刀だったようです。
2008年03月06日
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やがて、良房の目の前に木の格子戸が現れた。 暗くて石室の中の様子はよくわからない。良房は番人の持つ蝋燭を受け取ると、格子の際まで進み出て中を覗き込んだ。 僅かな明かりの先には、こちらに背を向けた黒い影が浮かんでいる。人の足音を聞いているはずなのに、ぴくりとも動かない。良房は思い余って声を掛けた。「こちらを向け」 その声に、黒い影はゆっくりと振り返った。その姿を見て、さすがの良房も肌が粟立つのを覚えた。 つい一月前の怪しい験力を秘めた修験者の面影すら、今はない。ぼろぼろに破れた衣の切れ端が腰の辺りにまとわりついているだけの、垢じみて異様な臭気を発する痩せ果てた身体。頬がこけてまるで幽鬼のような青黒い顔。おどろに乱れた長い蓬髪の陰から、鈍い光を帯びた獣じみた眼がこちらをじっと見据えていた。 もうほとんど鬼になりかけているのではないか? 良房はその姿を見てぞっとした。そんな良房の恐れを見抜いたのか、葛城上人はからからに乾いた分厚い唇を歪ませてにやりと笑った。剥き出しになった黄ばんだ犬歯が尖ってみえる。 良房はもう一刻も早くこの男から逃れたくなった。それで、格子戸を開け番人に葛城上人を引き摺り出させると、顔を背けたまま言った。「今すぐこの染殿を出て、大和の葛城へ帰れ」↑よろしかったら、ぽちっとお願いしますm(__)m
2008年03月05日
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食べることも眠ることもせずに今だに死なないばかりか、だんだん明子への執着も深くしているらしい葛城上人の様子を聞いて、良房はやっと決心がついたのだった。 葛城上人を殺してしまうのはたやすいが、死なせるのはかえって恐ろしい結果を招くかもしれない。あれほどの法力を身につけた者だ。殺せば必ず怨霊となり、われらに大きな災いをもたらすだろう。あれほどの男に祟られたならば、一体誰がわれらを救うことが出来ようか。 良房は生きている人間はたとえ帝であろうとも恐れることはなかったが、己の権力で踏みつけには出来ない死んだ人間は恐ろしかった。 葛城上人は葛城山へ帰そう。そして、麓の里には役人を大勢置き、山を降りられないように監視すれば良い。都へ入れないように、全ての京への入り口も固めさせよう。生きている人間ならば、この世の権力で縛ることが出来るに違いない。 良房はそう思って再び文徳帝を説得したのだったが、帝はそれでもなかなかうんとは言わなかった。見かねた基経が、事を荒立て事実があからさまに世間に知られるのは明子のためにならないと帝を説き伏せたおかげで、ようやく帝もしぶしぶ納得したのである。↑よろしかったら、ぽちっとお願いしますm(__)m
2008年03月04日
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滅多に寝所に召しもせず名ばかりの后であるはずの明子に、なぜこのように突然執着を見せるのだろう。 帝としての、いや男としての顔を潰されたのがよほど悔しいのか。妻を寝とられれば、男なら誰しも怒り狂うものだろうが、それにしてもこの大人しい穏やかな帝が首を刎ねろとは。 その場は文徳帝をなだめるためにとにかく一旦命を受けたのだったが、染殿に戻ると良房は考え込んでしまった。 葛城上人を一体どうすれば良いだろう。 もちろん良房とて、葛城上人は殺したいほどに憎い。手塩に掛けた一人娘を手篭めにした男、八つ裂きにしても飽き足らぬほどだ。 だが、一方では迂闊に手を出せない気もした。都中の高僧を集めても埒があかなかった明子の物怪を、たった一日の祈祷でいとも簡単に退けたのだ。それほどの験力を持つ者、その気になれば何をするかわからない。 葛城上人を牢に閉じ込めただけで、何の処罰も下せずそのままにして置いたのは、良房にも上人をどうしたら良いか判断がつかなかったからなのだ。そして、考えあぐねているうちにずるずると日が過ぎて行ったのだが、ある日葛城上人につけていた地下牢の番人がやって来て訴えた。 このところ葛城上人は夜もほとんど眠らず、一日中冷たい石の壁に向かって座禅を組んでいる。呼びかけても振り返りすらしない。ただ、時折こう呟くのが聞こえると言う。 たとえこのまま死しても、この身は鬼となって、いずれは必ずまた后を自分のものにしてみせる、と。↑よろしかったら、ぽちっとお願いしますm(__)m
2008年03月03日
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