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女官に捨てられたことは、さすがまだ年若かった駿河麻呂には堪えた。それに、なまじそれが初めての経験だっただけに、駿河麻呂はすっかり女というものを軽蔑するようになってしまったのである。 二度と女など信じるものか。駿河麻呂が結局誰とも結婚しなかったのは、ただ人と関わるのが煩わしいだけではなく、駿河麻呂自身が思っている以上にこの経験で傷ついていたからなのかもしれない。 顔色が変わった駿河麻呂に、兄弟子がまだしつこくにやつきながら言った。「木辻の妓にも、せいぜい愛想をつかされぬよう気をつけることだな。木辻には最近、貴族の若い殿ばらも出入りしているそうじゃ」 駿河麻呂はその言葉を無視して踵を返した。兄弟子はなおも追い討ちをかける。「もっと羽振りの良い他の男に乗り換えられるかも知れんぞ。女に捨てられるのは一度でたくさんじゃろう?」 その言葉に、我慢強い駿河麻呂もとうとうきれて振り返った。ここ数日石嶋の爺の加減が良くないので、今日はすぐに家に帰るつもりだったが、仕方がない。駿河麻呂はにやりと唇を歪めて、兄弟子を見返しながら言った。「それはどうかな。どこかの誰かと違って、わしは女には不自由しておらぬ。今日もこれから木辻の妓に逢いに行くつもりだ。妓の方が、わしにどうしても来てくれと言って聞かぬのでな」 端正な美貌の駿河麻呂とは対照的な、猪首でにきび面の醜男である兄弟子は、思わずかっとして拳を振り上げた。だが、駿河麻呂はもはや振り向きもせずに、一人で大仏殿を出て行った。↑よろしかったら、ぽちっとお願いしますm(__)m
2008年11月28日
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兄弟子はからかうようににやりと笑う。駿河麻呂は兄弟子を睨むと、唇を噛み締めた。 駿河麻呂は、この奈良の都に来たばかりの若い頃、一時期宮中に仕えるさる貴婦人の情夫だったことがあるのだ。 当時、駿河麻呂の師匠は都のある館に招かれて、邸内の持仏堂に安置する仏像を造っていた。 その館の主は、光明皇后の身近に仕える高位の女官だった。女官は駿河麻呂より十歳近くも年上らしかったが、さすがに華やかな宮中に仕える女らしく、高価な香りの良い白粉を塗った顔は若々しく、身のこなしも装いも優雅で洗練されていた。 そのような女をはじめて見た駿河麻呂は、時折造仏の進み具合を見に来る女官から目が離せなくなった。女官の方も、都の男にはない野性的な美貌の駿河麻呂に目を留めたらしい。 ある夜、女官は自分の侍女を仏師たちが寝泊りしていた持仏堂に遣わし、駿河麻呂を館の奥にある自分の寝所に呼び寄せた。そしてそれ以来、駿河麻呂は女官の元に夜毎招かれるようになったのである。 田舎から出てきたばかりで世慣れない駿河麻呂は、すっかり女官に夢中になってしまった。年上の女の濃厚な愛撫に我を忘れ、駿河麻呂を愛しがる女官の言葉を信じた。 だが、それは仏像が全て出来上がるまでの話だった。 師匠が館を引き上げることになっても、女官はまるで意に介さず、駿河麻呂を引き止めることもなかった。しかたなく駿河麻呂は師匠と共に館を後にしたのだが、どうしても諦めきれない駿河麻呂は数日してまた館を訪ねてみた。だが、名を言っていくら頼んでも、門前払いを食わされただけだった。↑よろしかったら、ぽちっとお願いしますm(__)m
2008年11月27日
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脇侍の台座を取り囲んでいた仏師たちは、後ろから呼びかける声に恐れて一斉に顔を上げた。だが、その声の主が駿河麻呂だと気づくと、今度は嘲笑するような険悪な表情で口々に言った。「誰が書いたかなんて、わかりゃしないさ。お前が大仏師様に告げ口でもしないかぎりな」「もし誰かに見られそうになっても、こんな絵を削り取るくらいわけはない」「それとも、女の裸なんぞが描かれた仏像なんて、品行方正な駿河麻呂様には耐えがたいか?」「よせよせ。この男のどこが品行方正なものか。最近は木辻の妓に入れ揚げて、通い詰めているというではないか」「色男は辛いな。わしらにもお裾分けが欲しいものだ」 仏師たちはどうやら駿河麻呂の日頃の態度が気に食わないだけでなく、彼が少し陰のある美男で周囲の女たちに人気があることも気に入らないらしい。だが、かつての兄弟子の一人だった仏師が、急に思い出したように大声を上げて笑い出した。「いや、いくら顔が良くても、金も権力もない男なんぞ、女にとっては一時の慰み者だ。なあ、駿河麻呂?」↑よろしかったら、ぽちっとお願いしますm(__)m↓こちらが、同じく東大寺の大仏様の脇侍である虚空蔵菩薩像です。(ピントのボケた写真ですみません(^^ゞ)
2008年11月26日
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そんな仏師たちの様子を眺めながら、駿河麻呂はふとかつての師匠のことを思い出していた。 尊い御仏を造り出す仏師でありながら、師匠は金と女に汚い男だった。その上、その日常の仕事には敬虔さなど微塵もない。下卑た口調で昨夜抱いた妓の品定めをしながら、その妓の顔に似せて菩薩の顔を彫り、気にいらない仏像はためらいもなく足蹴にした。その姿が、今目の前にいる仏師たちの姿に重なる。 こんな者たちからこんな風に生み出されていく仏像に、尊い功徳などあるわけがない。どれほど美しい姿をしていようとも、所詮はただの木切れや土くれや金属の塊だ。こんなものに祈って、一体何になる? 駿河麻呂は唾でも吐きたい気持ちで、しばらく仏師たちの様子をうかがっていた。だが、やがてたまりかねたのか、毘盧遮那仏の膝からからするりと飛び降りると、一塊になっている仏師たちの後ろから声をかけた。「止めておけ。明日の女帝や太上天皇の行幸の前に、国公麻呂殿がこちらへ見回りに来られる。そんなものを見られたら、厄介なことになるぞ」↑よろしかったら、ぽちっとお願いしますm(__)m↓こちらが、現在東大寺にある如意輪観音菩薩像。残念ながら江戸時代の作で、奈良時代のオリジナルではありません。まあ、当時のオリジナルの台座にも、たぶん(絶対?)こんな落書きはなかったでしょう。でも、変なところに変な落書きをしてみたい!(笑)というのは今も昔も不変の欲求なのか、外から見えない仏像の台座や屋根裏の板なんぞに、大昔の落書きが発見されることは時々あることのようです(^^ゞ
2008年11月25日
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駿河麻呂の端正な眉が、苦虫を噛み潰したように歪む。 毘盧遮那仏の巨大な膝の上に上がって、最後の小さなささくれを鑢で削って直していた駿河麻呂は、眼下の小さな人の群れに目をやりながら溜め息をついた。 すでに、大仏の周りに組み上げられていた足場はすべて取り払われ、石板を敷いた床はきれいに洗って清められている。鍍金こそ御顔だけと不十分なものの、毘盧遮那仏は艶やかに磨き上げられ、後は開眼供養を待つばかりだ。その左右には、毘盧遮那仏の両脇侍となる如意輪観音と虚空蔵菩薩の、大きな木の台座だけが既に据えられていた。 その台座を数人の仏師たちが取り囲み、下卑た笑い声を上げながら何やら筆を使っている。 大仏の膝の上からそっと彼らの様子を覗いていた駿河麻呂が、思わず眉をしかめたのも無理はあるまい。何とその仏師たちは、自分の造った仏像の台座にあられもない落書きをしていたのだ。陽物や女の裸など、下品な画を書きながら、仏師たちはにやにや笑って互いに囁き合っていた。「完成の記念だ。ここなら外から見えないからな」「こんなところにこんな画があるなんぞ、お釈迦様でも気が付くまいよ」↑よろしかったら、ぽちっとお願いしますm(__)m↓大仏様のお膝…周囲に立っている学生さんの大きさで、推し量れますね。不謹慎ですが、ちょっと乗ってみたい♪
2008年11月22日
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それに、一日の仕事が終わって家に帰ると、誰かが自分を待っていてくれる。その温かみは駿河の家を出て以来なかったものだった。 石嶋と暮らすようになってから、駿河麻呂はだんだん石嶋を頼りにし始めていた。一緒に過ごすことで救われたのは、怪我をした石嶋よりむしろ駿河麻呂の方だったのかもしれない。 そんな駿河麻呂でも、堅香子とのことだけは、石嶋にさえ話すことが出来なかったのだが……。 隣で遠慮がちな咳払いがする。「どうした、爺? 厠か?」 駿河麻呂は起き上がると、用心のために小さく灯していた火皿を近づけて、石嶋の顔を見た。石嶋は身体にかけたぼろの隙間から眼だけを覗かせて、小さく呟いた。「それはそうなのだが……」「何だ?」「……ちと間に合わなかったようじゃ」 そういえば、どうやら妙な臭いがする。だが、石嶋のおどけたような申し訳ないような情けない顔つきを目にすると、駿河麻呂は思わず吹き出してしまった。そして、笑いながら宥めるように石嶋の肩を叩くと、着替えを持ってくるために土間へ降りて行った。↑よろしかったら、ぽちっとお願いしますm(__)m
2008年11月21日
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石嶋の怪我はひどく、足は焼け爛れて捻じ曲がり、もう一人で立つことが出来なくなってしまった。それに火傷は治ったり膿んだりを繰り返し、その毒が身体に回っているのかなかなか熱も引かない。 自分の小屋に連れてきてしまったので、駿河麻呂は仕方なく石嶋の看病をし始めた。もちろん、ずっとそんな厄介を引き受けるつもりはないからいろいろ掛け合ってみたが、鋳師たちは多忙を理由に引取りを先延ばしにするばかり。 それに、石嶋には身寄りが誰もいなかった。ずっと昔に妻子を亡くして以来、長らく一人暮らしを続けてきたらしい。結局、駿河麻呂はそれから今まで五年近くも石嶋の面倒を見続けているのである。 だが、それほど悪いことばかりではなかったのかもしれない。 石嶋は我慢強い病人で、出来る限り駿河麻呂に厄介をかけまいと気遣ってくれていた。それに、石嶋は朗らかな性格で喋り好きだったから、無口な駿河麻呂も次第次第に石嶋に引き込まれて、ついいろいろ話してしまう。 故郷の駿河の里や弟との思い出。仏師の世界の苛めや嫉妬。大仏建造の苦労や喜び。他の者には決して口に出来ない愚痴や弱音さえも、石嶋にはなぜか不思議と話すことができた。 いつの間にか駿河麻呂は、石嶋にだけは自分の本当の心を打ち明けるようになっていったのである。↑よろしかったら、ぽちっとお願いしますm(__)m
2008年11月20日
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だが、石嶋を引き取ったのはその恩に報いるためではない。 石嶋がかばってくれても、駿河麻呂はよけいなお世話だとしか思っていなかった。だから、石嶋から話し掛けられても、うるさい蚊を追い払うように邪険にしたり無視したりしていたのである。 ところが、ある日ちょっとした事故が起こった。 大仏の鋳型に溶けた銅を流し込んでいる作業中に、鋳型の一部が銅の重みに耐え切れずに裂け、真っ赤に焼けた銅が辺りに流れ出してしまったのだ。 鋳師や工人たちは慌てて逃れたのだが、老いて動きの鈍かった石嶋だけが逃げ遅れて、足にひどい火傷を負ってしまった。すぐ近くで作業を見守っていた駿河麻呂は急いで石嶋の側に駆け寄ったが、他の鋳師たちは鋳型の裂け目の方に気を取られてしまっている。 駿河麻呂は仕方なく、同じように石嶋に駆け寄った数人の工人に担がせて、石嶋を自分の家に連れ帰った。そこが一番近かったからだ。 駿河麻呂の住処は東大寺の寺域内にある。もちろん、望めば平城京内に家をもらえただろうが、家族のいない駿河麻呂には寝場所さえあればいいだけだし、仕事場に近い方が楽だ。それで寺域の北側の隅に建てられた雑務用の掘っ立て小屋の一つを、自分の住処に借り受けていたのである。↑よろしかったら、ぽちっとお願いしますm(__)m
2008年11月19日
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この爺と一緒に暮らすようになってから、駿河麻呂はほとんど外泊しない。昼間は東大寺の下仕えの僧に頼んで面倒を見てもらっているが、夜はたとえ堅香子の元に行った時でも泊まらずに家へ帰ることにしている。夜中に具合が悪くなったり、厠へ行きたがったりすることがあるからだ。爺は足が悪く寝たきりで、自分で助けを呼ぶことすら出来なかったから。 どうしてこんな厄介を背負い込んでしまったのだろうと、駿河麻呂は時折考える。もちろん、この老爺は駿河麻呂の身内ではない。引き取ることになったのは、ちょっとした偶然からだった。 この老爺は名を石嶋(いわしま)といい、造東大寺司の鋳師の一人だった。 駿河麻呂は大仏の鋳造が始まってから、公麻呂の指示の元に、仏師方と鋳師方との連絡係のような役目を負っていた。 仏師と鋳師はそもそも仲が悪い。仏師は自分たちこそがこの仏を作っているのだという誇りがあるし、鋳師は鋳物に関しては自分たちのやり方が一番正しいのだと譲らない。縄張り争いや対立はしょっちゅうだった。 おまけに駿河麻呂の悪評は鋳師たちの間にも伝わっていたから、何かと妨害が入ったり命令を無視されたりする。 駿河麻呂が困り果てた時、いつも助け舟を出してくれたのがこの石嶋だった。石嶋は鋳師の中では最古参で、皆にそれなりの敬意を払われていたから、石嶋の執り成しで駿河麻呂は何度も救われたことがあったのである。↑よろしかったら、ぽちっとお願いしますm(__)m
2008年11月17日
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音を立てないようにそっと扉を開けると、中からしわがれた声がした。「駿河麻呂か? 遅かったな」「爺、まだ起きていたのか」「ちょっと寝付かれなかっただけだ。気にせんでくれ」「また、具合が悪いのか?」 駿河麻呂は竈の残り火から灯芯に火を移すと、火皿を持って奥の狭い板敷きに上がった。藁と筵で作った寝床の上に、ぼろにくるまった老爺が横になっている。駿河麻呂は老爺の傍らに腰を下ろすと、その皺ばんだ額に手を当ててみた。「熱があるな。坊主から飯は食わせてもらったか? 厠へは行きたくないか?」「飯も厠も、ちゃんと面倒見てもらった。心配するな」「そうか。早く帰るつもりだったのだが、存外に遅くなってしまった」「若い者はたまには気晴らしするがええ」 老爺は駿河麻呂の顔を見てにっこりと笑った。どうやら、駿河麻呂から脂粉の匂いがするのに気づいたらしい。駿河麻呂は照れを隠すように、わざと乱暴な口調で言った。「わしはもう寝る。爺も無駄口を叩かんで、さっさと寝ろ」 駿河麻呂は老爺の傍らにごろりと横になると、手を枕にして目を閉じた。↑よろしかったら、ぽちっとお願いしますm(__)m
2008年11月14日
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それから後のことは、堅香子は良く覚えていないと言ってまるで話さなかった。 だが、若く美しい女が故郷を遠く離れたところで一人彷徨っていれば、どんなことになるかくらい誰でもわかる。それは堅香子の身体に残された傷跡やすさみきった顔つきを見れば歴然としていた。奈良の都へやってきたのも、男たちの間で幾度も売り買いされてきた果てのことだろう。 堅香子から聞かされた乙麻呂の死と堅香子の不幸は、駿河麻呂を打ちのめした。ずっと駿河麻呂を支えてきたたった一つのものが、音を立てて崩れ去っていったのだ。 そのことを思い出す度、駿河麻呂は今でも堪らない気持ちになる。それを振り払おうと、駿河麻呂はふいに顔を上げてさっきの月を見上げた。 だが、それは乙麻呂がまだ幼い頃、よく月の兎の話をしてやりながら共に見上げた月を思い出させた。 この同じ月に照らされている地上のどこにも、もう乙麻呂はいないのだ。 じっと見つめる駿河麻呂の瞳の中で、明るい月が歪んで零れ落ちていった。↑よろしかったら、ぽちっとお願いしますm(__)m
2008年11月13日
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田畑を捨てて逃亡するなど、あってはならないことだ。それに、女の一人旅などできるわけがない。防人の旅に妻が同行することも禁じられている。後先考えずに里を出た堅香子はけなげであったが、浅はかでもあった。 それでも、堅香子は何とか、諸国の防人が一旦集結する摂津の難波津まで、乙麻呂を追いかけて行ったのだという。三河まで辿り着いた時、親切な老夫婦に助けられて、難波津に向かう船にこっそり便乗させてもらえたのだ。 難波津についた堅香子は、必死になって乙麻呂を探し回った。だが、とっくの昔に難波津についているはずの駿河からの防人の一行は、湊中で聞きまわってもどこにもいない。なおも探し回っていると、堅香子を哀れんだ湊の役人が教えてくれた。 駿河から向かったはず防人の船は、まだ難波津には着いていない。ちょうどその頃ひどい嵐があったし、和泉の辺りの海岸に船の残骸や何体もの遺体が流れ着いたという知らせも入っているから、おそらく船が沈没して皆死んでしまったのだろうと。 堅香子はそれでも諦めきれず、乙麻呂の船がやってくるのをひたすら待った。 湊が見渡せる波止場の隅に一人座り込んで、涙も枯れた乾いた目を見開いたまま。 幾日も、幾日も……。↑よろしかったら、ぽちっとお願いしますm(__)m
2008年11月11日
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ところがである。ある日突然、里へ国府の役人がやってきた。筑紫の警護につく防人として、兵士を何人か出さねばならないという。そして、徴発された数人の男たちの中に乙麻呂も入っていた。 里の者は、乙麻呂は結婚したばかりだから勘弁してくれといったが、そんなことを考慮するような役人ではない。乙麻呂は数日のうちに荷物をまとめて筑紫へ出発せざるをえなくなった。 それでも、乙麻呂はいつもの笑顔で堅香子にこう言ったそうだ。わしは三年経ったら必ず元気に戻ってくる。それまで、里の者の力を借りて田畑を守り、わしをここで待っていてくれ、と。堅香子はその言葉にけなげに頷き、乙麻呂を送り出した。 だが、堅香子は生来寂しがりでか弱い、男に縋らねば生きては行けない女だった。たった一人で逞しく生き延びていく強さなど、精神的にも肉体的にも持ち合わせてはいない。 その上、堅香子の美貌にかねてから目をつけていた里の男が、乙麻呂がいなくなったのをさいわい、田畑の手伝いをする代わりにと堅香子に言い寄ってきたのだという。 乙麻呂を失った悲しみと一人暮らしの心細さ。親戚はまるで頼りにならず助けてくれるのは好色な者たちばかり。 寂しさと居辛さに苛まれた堅香子は、とうとう乙麻呂の後を追って里を出てしまったのだという。↑よろしかったら、ぽちっとお願いしますm(__)m
2008年11月10日
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急いで奈良に戻らなければならない駿河麻呂は、その夜一晩乙麻呂の家に泊まっただけで、すぐに駿河を発った。そして、それ以後故郷へ戻る機会もなかったのだが、いつも心の中では乙麻呂のことを思い浮かべて懐かしんでいた。 あの里の川縁の小さな家で、美しい妻と大勢の可愛い子供たちに囲まれ、いつもの快活な顔で笑っている乙麻呂。その様子を想像する度に、駿河麻呂の口の端にも微笑が浮かんできた。冷え切った心が温まり、この世もまだ捨てたものではないと思える。妻子はおろか、友人一人いなかった駿河麻呂にとって、乙麻呂の幸せだけがただ一つの生き甲斐だったのである。 だが、あの三年前の夜、駿河麻呂は思いがけず、堅香子と再会することになった。 最初のうちは駿河麻呂が何を尋ねても答えようとはしなかった堅香子も、駿河麻呂が度々訪れる度に少しずつあれからのことを話してくれた。 駿河麻呂が故郷に戻った次の年の春、堅香子と乙麻呂は里中に祝福されて一緒に暮らし始めたのだという。乙麻呂が一生懸命働いて田畑の方も上手くいっていたし、堅香子は織物が上手だったから、二人は何不自由なく幸せに暮らしていた。↑よろしかったら、ぽちっとお願いしますm(__)m
2008年11月08日
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「わしは嫌われておるのか?」 駿河麻呂がそう言うと、乙麻呂は笑って答えた。「いや、そうではないが。堅香子は昔から恥ずかしがりでな。それに、兄者は無愛想だからちょっと怖いとさ」 憮然とする駿河麻呂にからかうような笑顔を投げかけると、乙麻呂は立ち上がって堅香子の方へと堤を降りて行った。そして、堅香子の傍らに立ち、何やらじゃれあうような素振りで話し掛けている。その微笑ましい二人の姿に、いつもは無表情な駿河麻呂にも自然に笑みが浮かんできた。 いつになくにこやかな駿河麻呂に安心したのか、堅香子もやがて乙麻呂に押されるようにして立ち上がると、駿河麻呂に微笑みかけた。 抜けるように白い頬に赤味が差し、黒目がちの愛くるしい瞳が潤んだように輝く。野辺の白い花を挿した黒髪が、すらりとした細い腰の辺りまで豊かに流れ落ちていた。 その幸福に満ち溢れた美しい面影は、今でも駿河麻呂の脳裏に鮮やかに焼きついている。 だが、さっきまで一緒にいた堅香子は……。 駿河麻呂は急に苦痛を感じたかのように唇を噛み締め、寄りかかっていた木の根元に座り込んで目を閉じた。↑よろしかったら、ぽちっとお願いしますm(__)m
2008年11月06日
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駿河麻呂が幼い頃の乙麻呂を預けていた隣家には、主の死んだ妹の娘だという少女も引き取られていた。堅香子(注1)という名そのものの、野に咲く薄紅色の花のような可憐な少女だったが、引っ込み思案で泣き虫な上に親がいないことを馬鹿にされて、いつも隣家の子供たちから苛められていた。 同じ親なし子だからか、乙麻呂はいつも堅香子をかばって可愛がっていた。餓鬼大将の乙麻呂が出てきては、苛めっ子もなかなか手が出せない。それで、堅香子はいつも乙麻呂の後ろについて回り、何かひどいことを言われたりすると乙麻呂にしがみついて泣いていたものだ。 そんな風にして育ってきた男女が、大人になって一緒になりたいと思うのも当然なことかも知れない。駿河麻呂は乙麻呂に微笑んで言った。「そうか。あの隣の娘がお前の妻になるのか」「堅香子は今でもあの家にいる。だから、わしもできるだけ早くあそこから出してやりたいとも思ったのでな。わしは今年で二十一歳になったから、田もよけいにもらえるし、昔のうちの田んぼだった荒地も暇を見つけて開墾した。何でも、自分で開いた田畑をずっと自分のものにして良いという詔(注2)が出されたそうではないか。それで、これならもう堅香子をわし一人で養って行けると思ったのだ」 そう言うと、乙麻呂は大きな声で堅香子を呼び、こちらへ手招きした。だが、堅香子ははにかんだように首を振ると、また衣を洗い始めた。*注1…堅香子とは、片栗(かたくり)のこと。万葉の花として、この頃の和歌にもよく登場します。花の様子は、地味~なシクラメン(笑)と言った感じを想像してください。(写真がないのが残念!)*注2…墾田永年私財法(743年)のこと。これによって土地の私有化が進み、律令国家の根本である公地公民制が崩れ去る一因となった。↑よろしかったら、ぽちっとお願いしますm(__)m
2008年11月05日
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その時、一人の乙女が、洗濯でもするつもりなのか、白い衣のようなものをたくさん抱えて川縁に降りてきた。 乙女は人がいるのに驚いて立ち止まったが、それが乙麻呂だと気づくと大きく手を振り、駿河麻呂には恥ずかし気にちょっとお辞儀をして、少し離れたところで洗濯を始めた。乙麻呂はしばらくその乙女の姿をじっと眺めていたが、ふいに駿河麻呂の方を向いて言った。「実はな。わしは妻を迎えようかと思っておる」 急にそんなことを言われて、駿河麻呂はたじろいだ。まだまだ子供だと思っていた乙麻呂が、妻を娶るなど考えてみたこともなかったのだ。驚いて言葉の出ない駿河麻呂に、乙麻呂は乙女を見やりながら言った。「兄者、あの娘を覚えておるか?」「いや」「隣の家の婆あに養われていた堅香子だ。今年で十四歳になる」「あの娘と言い交わしていたのか?」「まあな」 乙麻呂は面はゆ気に笑った。↑よろしかったら、ぽちっとお願いしますm(__)m
2008年11月04日
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