2026
2025
2024
2023
2022
2021
2020
全9件 (9件中 1-9件目)
1

能季には、斉子女王の心の奥底はわからなかった。 だが、斉子女王の決意は能季を打ちのめした。 もう二度と、斉子女王に会うことはできない。 堀河殿の釣殿の上で中秋の月光を浴びながら、能季は息が止まる程の衝撃を、今更ながら激しく味わった。 胸がちぎれるように痛み、喉の奥が詰まって息もできない。 心の中に冥(くら)い獣がいて、それが始終のた打ち回り所構わず喰らいついているかのようだ。 手足が痺れ、額に冷や汗が湧いてくる。息を吸っても吸っても、胸が苦しくて喘ぎが治まらない。 目の前が暗くなり、苦痛のあまり能季はその場に蹲った。 こんなに苦しい想いをしながら、これから先も生き長らえていくことなどできるものか。とても我慢できない。 もう何もかも終わりだ。 あのお方に逢えないのなら、これ以上生きていたって仕方がない。 いっそ、鴨川の淵にでも身を投げ捨ててしまおうか。 いや……どうせこの世では添えない運命なのならば。 両袖の中に打ち伏せられた能季の眼が、俄かに冥い光を帯びる。 人をこれほどの苦しみの只中に放り出しておいて、自分だけ勝手に平穏の向こうへ去っていくなんて到底許せない。 絶対に手放すものか。 何としてでも。 そうだ、今から小一条院へ押し入って斉子女王を盗み出そう。 今夜なら、主だったものは全て宮中の宴に参列しているから、そうすぐに追っ手がかかるはずがない。 そして、どこか静かな場所に二人で行って、今までの積年の想いを遂げ、この手で女王の命を奪って、永遠に自分だけのものにしてしまおう……あの道雅がそうしたように。↑よろしかったら、ぽちっとお願いしますm(__)m
2016年06月23日
コメント(0)

あの夜、三条の師実の屋敷を辞した能季は、その足ですぐに斉子女王を預けていた高陽院へと向かった。 ところが、高陽院に着いてみると、斉子女王は先ほど強いて願い出て、小一条院へ帰ってしまったという。 能季には、斉子女王からの文が一通残されていた。 御座所に備え付けの白い檀紙に、さらりと書き流された美しい手蹟でただ一行。 あなたのお役に立つことができて嬉しかった、これでもう思い残すことはない、と。 もちろん、能季は翌朝すぐに小一条院へも行ってみた。 だが、斉子女王は姿を現さず、応対に出た瑠璃女御も今後はこちらへ来るのは遠慮して欲しいと言う。 その後も、諦めきれずに何度かご機嫌伺いに行ったが、いずれも同じことだった。 斉子女王はすでに、もう二度と能季には会わないと、自ら決意されたのだ。 あの夜、道雅との間に何があったのか。 それが能季にも会えないと思うほどに、斉子女王を傷つけてしまったのだろうか。 それとも、これから先も実ることのない二人の縁を、自らのその手で永遠に閉じられたのか。 能季の中にまだ美しい思い出だけが残っている、今この時に。↑よろしかったら、ぽちっとお願いしますm(__)m
2016年06月22日
コメント(0)

釣殿の上を吹きぬける夜風が少し冷たい。 能季は袖を掻き合わせて腕組みしながら、欄干にもたれて遠くの寝殿に目をやった。 父が外出しているせいで、父付きの女房たちも自分の局に下がっているのだろうか。 寝殿には明かりが見えず、群青の暗い空の下で重々しい桧皮葺の屋根が鎮まりかえっていた。 ただ、撫子色の装束を身につけた年若い女房が一人、手に紙燭のようなものを持って簀子を通っていくのが見える。 その袿の色に、能季の胸は急に締め付けられるように痛んだ。 斉子女王は今頃どうしておられるだろう。 私と同じように、今夜の名月を小一条院の軒端越しに眺めているのだろうか。 能季は胸の痛みを止めようとするかのように、腕組みしていた両腕を強く胸元へ押しつけた。↑よろしかったら、ぽちっとお願いしますm(__)m
2016年06月21日
コメント(2)

父は何か知っているのだろうか。 結局、能季は父には何も打ち明けなかった。 年老いた父にはできるだけ迷惑は掛けたくなかったし、それにもう済んでしまったことだ。 ただ、数日前、父はふと思いついたように、能季へ道雅が死んだことを告げた。 曲がりなりにも、廟堂の長老の一人である父のことだ。おそらく誰かから報告を受けたのだろう。 もちろん、能季が友人の婿入りの件と偽って、以前道雅のことを詳しく尋ねたことを思い出したからかもしれない。 だが、そうさりげなく切り出した父の眼差しには、どことなく深い慈愛のようなものが感じられた。 もしかしたら慧眼の父は、能季が一人で苦悩していることを、すべて見抜いていたのかもしれない。 だが、自分の力だけで何とか問題を解決しようとしている能季を、一人前の男と信頼してじっと見守っていてくれたような気もする。 能季はそんな父の心遣いが嬉しく、せめて一つくらい父に頼って親心を満足させたくなった。 それで、当子内親王の乳母から預かった道雅の文を、父に見せたのだった。 父は古い結び文を解いて、書き記された和歌を何度も読み返した。 それは、和歌の上手として知られ、当代一の審美眼を誇る父の心さえも、揺り動かすようなものだったらしい。 やがて、父は感慨深げに溜め息をつきながら、静かな声で能季に言った。「これは私が預かっておこう。このまま埋もれさせてしまうには惜しい歌だ。私の手元にあれば、いつか何らかの形で、この世に残していくこともできようから」↑よろしかったら、ぽちっとお願いしますm(__)m
2016年06月17日
コメント(0)

帝の側に控える頼通と師実から少し離れた席には、能季の父である頼宗の顔もあるはずだ。 得意の篳篥(ひちりき)か琵琶でも、膝の上に乗せているだろうか。 本来なら能季も、今宵の管弦の宴には父の傍らで竜笛を吹く予定だった。 だが、能季はどうしてもその気になれなかった。 長い間心労に苛(さいな)まれてきたせいか。 それとも何か別のことか。 師実の命を取り戻したあの夜から、何か憑(つ)き物でも落ちたかのように、能季は何をする気もおきなくなった。 それで、はかばかしく宮中へ出仕することもなく、堀河殿の自分の部屋に引き篭っていたのである。 今宵の観月の宴も、物忌みだ何だと理由をつけて断った。 父は残念がったが、雲龍は頼通に取り上げられて代わりの笛ももらえずじまいだったし、第一このところの一件で稽古すらろくにしていない。 仕方あるまいと笑って、父は一人で出かけて行った。 能季にそれ以上何も言わず、責めもせずに。↑よろしかったら、ぽちっとお願いしますm(__)m
2016年06月16日
コメント(0)

濃い縹(はなだ)色の夜空に、冴え冴えとした白銀の満月が浮かんでいる。 今宵は中秋。 宮中では今頃、観月の宴が華やかにひらかれているだろう。 清涼殿の東庭には、豪華な作り物で月の名勝の風景が再現され、その前に帝をはじめ文武百官が居並んで、この同じ月を眺めている。 その光景を、能季は堀河殿の釣殿で、欄干(らんかん)に頬杖を突きながら思い浮かべていた。 清涼殿に集う人々の顔の中には、能季から取り上げた雲龍を吹く頼通と、その傍らに控える師実の姿もある。 師実はあの夜、確かに魂が身体へ戻ってきたのであろう。 能季が大宮川から急いで三条の屋敷へ行ってみると、師実は死人同然の悲惨な姿から俄(にわ)かに息を吹き返し、側に寄り添う頼通に手を握られたまま安らかな寝息を立てていた。 頼通は能季の姿を見ると、無言で頷いて、もう堀河殿へ戻れとでも言うように片手で能季を促す。 その顔は心労のあまりかひどく老け込んで見えたが、瞳には安堵の涙が光っているようだった。 それで、能季もそれ以上何も言わず、黙って三条の屋敷を辞したのである。 これでよい。 ようやく師実の命を救い、役目を果たし終えたのだ。 後日、師実の従者の行綱が大そう喜んで報告してきたところによると、師実はそれからめきめきと回復し、十日も経たないうちに起き上がって、頼通の待つ高陽院に帰ったという。 今ではもう以前と同じように、毎日宮中へも出仕しているらしい。↑よろしかったら、ぽちっとお願いしますm(__)m
2016年06月14日
コメント(0)

怨霊はじっと、自分の手の中で揺らめいている真紅の炎を見つめていた。 怨霊の手が動く。 道雅の魂を、力を込めて握り潰そうとするかのように。 だが。 やがて、その手は炎を消し去ることなく、逆にそっと両の手の中に包み込んだ。 そして、我が子でも愛しむような優しい手つきで、その炎を胸に抱き締める。 能季は驚いて、怨霊の姿を見つめていた。 怨霊はそのまましばらく炎の中に佇(たたず)んでいたが、やがてゆっくりとその姿を消していった。 残された炎はしばしの間大宮川の川面にたゆたっていたが、それもいつの間にか暗い水底へと沈んでいく。 ふと気がつくと、能季の身体はすでに自由になっていた。 隣の兵藤太が、すぐに庇(かば)うように能季へ駆け寄ってくる。 心配げに顔を覗き込む兵藤太に、能季はただ無言で頷くだけで、まだ視線を川面から外せずにいた。 目の前の黒い溜池のように澱(よど)んだ水の面に、何かがふわりと浮かび上がってくる。 それは、澄んだ薄紫色をした小さな炎だった。 その炎はふわふわと戸惑うように能季の周りを飛び交(か)ったかと思うと、急に高く舞い上がり、そのまま東の虚空へと飛び去っていく。「三条の……師実様のお屋敷の方ですね」 安堵の溜め息とともに、兵藤太の低い声が耳元へ聞こえてくる。 能季はその声に頷き返しながら、炎の飛び去って行った方角をいつまでも見つめ続けていた。↑よろしかったら、ぽちっとお願いしますm(__)m
2016年06月03日
コメント(0)

道雅はふらりと立ち上がり、次第に青ざめた色に変わっていく怨霊の炎に近づきながら言った。「私は今まで悪行を重ねてきたなどとは微塵(みじん)も思ってはおらぬ。仏の慈悲など無用。私は好きなことを好きなだけして、もはやこの世にも飽き果てた。そろそろ、地獄とやらへ行くのも悪くはあるまい」 怨霊の炎は、揺らめきながら後ずさりする。「それほど私が憎ければ、この命をそなたにくれてやろう。心から憎らしく思う相手が死ねば、憎しみの裏にあるものも一緒に消えていく。その裏にあるものこそ、本当の地獄なのだから。私にも覚えがある」 そして、道雅は僅かに微笑を浮かべ、歌うような声で言った。「人を愛しく思う心も、殺したいほど憎く思う心も、元をたどれば裏と表に過ぎぬ。一つが消えれば、もう一つも消える」 その言葉が終わらぬうちに、怨霊の炎は俄かに燃え上がり、道雅に襲い掛かった。 炎が道雅の身体を取り囲み、締め上げ、胸の真ん中に喰らいつく。 見る間に、そこから燃え立つような真紅の炎がつかみ出された。 道雅は音もなく、その場にくずおれていく。 いつの間にか、炎の中に、女の姿が現れていた。 さっき見た、水に濡れた恐ろしげな姿ではなく、紅の袴に唐風の高雅な文様を織り出した白い袿を羽織る女房装束。艶やかな黒髪が肩先を流れ、袿に重ねた濃紫の単襲(ひとえがさね)の上に波打っている。 その臈(ろう)たけた目鼻立ちは、どことなく斉子女王にも似ていた。↑よろしかったら、ぽちっとお願いしますm(__)m
2016年06月02日
コメント(0)

怨霊は悲鳴のような声で叫んだ。 道雅は苦痛に身を捩(よじ)ったが、それでも俯(うつむ)いたままうめき声一つ上げなかった。 それどころか、炎に身を焼かれ、締め上げられながら、嘲笑(あざわら)うような笑みを浮かべている。 道雅は笑いに喉をひくつかせながら、しゃがれた声で怨霊に言った。「私を地獄へ落すてか。ふん、そなたに落とされずとも、私の行く先など決まっておる」 怨霊の炎が僅かに弱まる。 道雅は炎の戒(いまし)めを解き、その場に座り込むと高らかに哄笑(こうしょう)を上げながら言った。「このように姿形を変えたとて、仏が私を浄土へなど連れて行くものか。仏の慈悲は心から己の所業を悔い改めた者だけのもの。私は端(はな)から自分の生きざまを悔いてなどおらぬ。むしろ、十分に楽しませてもらったよ。自分の思うままに振る舞い、好きなだけ犯し奪い、どんなことでもやりたいと思えば躊躇(ためら)ったことがなかった。そう、人殺しさえ……いや、人を喰らうことさえな」 道雅は怨霊の炎を見据えながら嘯(うそぶ)く。「富や権力を奪い合う闘争がなければ、この世はあまりに退屈なところ。富は、私は生まれながらに持っている。権力の方は物心ついた時には奪われて、もはや戦いようもなかった。退屈なこの世を生き抜いていくためには、気晴らしが必要だ。昔は、ずいぶんいろんな気晴らしを試したものだよ。間抜けどもを驚かすような派手な振る舞いや色恋沙汰、喧嘩に乱暴狼藉。だが、私を一番楽しませてくれたのは、傷つけられた者の顔だった。特に、犯され辱められた女の顔はな。痛めつけられた悲鳴は、私には心地良い楽の音のようなものだ。滴り落ちる血のしずくの美しさ、切り裂かれた傷の鮮やかさ。舌の上で蕩けるような、肉の味も……」↑よろしかったら、ぽちっとお願いしますm(__)m
2016年06月01日
コメント(0)
全9件 (9件中 1-9件目)
1

![]()
![]()