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阪神、中日、巨人教科書に出てきてもよさそうな組織のあり方ですね ジョージ・ながぬまさん 日本の企業では、ほんとうに会議が成立しにくいです。社員の集会で、経営側や管理職が通達を行うだけの行事。こんなものを会議と呼ぶ。または、職員の活動を報告する会。こんなものを会議と呼ぶ。異質なものを邂逅させて、創造的に発展させるなどというような高度な会議を維持している企業があればお眼にかかりたい。きっと、存在するのかもしれないが、それは超レアものだったりする。そんな会議しか経験させられていない日本の企業人が、言葉の正確な意味での組織人たりえるとは到底思えない。
2005年09月29日
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むずかしいですね!やっと読みました~組織、というものがいったい何なのか、それを学ぶところから始めなければならないようです。 マリィ ジョー ♪さん 申し訳ありません。スターリンの長い長いまくしたてを全文引用してご披露すれば、少しは理解がいただきやすいのでしょうが、私の述べているのはダイジェストにもなっていないですから、むずかしいのはけして皆さんの責任ではありません。実は、HGウエルズが「社会主義の前に組織あり、なのですから。それは何にもまして重要な事実である。組織なくしては、社会主義も単なる空中楼閣にすぎません」といっている部分は、予想外に斬新な視点だと思われたからです。本来ならば、マルクス主義にかかわりのある筈だったスターリンの方が社会改革にむけて党派-党-機関-英雄的個人にいたる社会運動の細部にいたる造詣が深くて当然だという気がするのですが、現実には思想が外化して世の中に働きかけ、社会の骨格をかえてゆくというイメージについてはむしろSF作家だったHGウエルズの方が格段にたけていたような印象が湧きました。阪神タイガースが優勝したようですが、あのチームにしても金にあかして選手をかき集めたというゆうような「組織」だとは到底思えません。あのチームこそ、いかに人間の集合がただの集合にとどまらず魔法のような関わりかたで「組織」に化けるということの重要さを示す典型だという気がします。岡田監督の前に、2年前箸にも棒にもかからなかったようなチームを優勝に導いた星野仙一が与えた影響はわたしには壮絶に凄いという印象があります。人を優秀にするのも、腐った無気力な人間の集まりにするのも、すべて英雄的個人にかぞえあげるべき指導者の采配力に結果大きく依存するものだと思わずにいられないですね。HGウエルズが、「組織」が大事だと述べる論の筋道とけっして矛盾しない。そんな風に思います。まさに「組織が大事だ」と知りぬいた個人の力が歴史に姿をあらわす局面で英雄的個人が大きな真価を示す瞬間だからです。ここでHGウエルズが述べている「組織」という言葉は、われわれが日常でもちいている組織という言葉の対極的なほどの意味上で逸脱があるという気がします。今期優勝した阪神タイガースは、あのほぼ同じメンバーで万年最下位だったとしてもわたしにはなんの不思議ではなかったです。ふだつきの最下位チームが、なんと優勝してしまう。この劇的な差異に、「歴史における個人の役割」がいかに大きなものであるのかを痛感するわけです。
2005年09月28日
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スターリンは、かく語る(3)HGウエルズの投げかけに対して、まずスターリンから述べていることは資本主義には、社会主義の理想は実現できないだろうという確信である。思想だ、体制だと言っているがようするに金の動きが、どれほど健康的か、という原理原則についての諍いである。そんな宗教論争に近いような対立的議論について赤い独裁者は見通しを言っている。HGウエルズ;ある国家が全般的に計画経済の原則を導入した場合、つまりその政府が一歩一歩と漸進的にこの原則を粘り強く適用し始めたら、金融資本の少数支配はしまいに廃止され、アングルサクソン的な意味合いでの社会主義が実現されるのではないかと。ローズヴェルト大統領の”ニューディール”政策にこめられた理念の効果はきわめて強力なものであり、私見によれば、それは社会主義の理念です。二つの世界の間に横たわる対立点を強調する代わりに、現在の情勢下ではむしろ、あらゆる建設的な勢力にとって共通の言語を確立するように努力するべきだと思われるのです。HGウエルズは、よくインタヴュー相手の脆弱さを考え選抜いてやや挑発気味に痛撃しようとしているかのように思われる。資本主義も、社会主義も、いずれもビジネスである。ビジネスとしては、理念の秀逸さがどうのこうのではあるまい。「新参のソビエトが不利なことはみえみえだ」というぐらい、HGウエルズはタカを括っていたのかもしれない。理屈ではなく、ビジネスとしては先を切って「社会主義の理念」とやらを実現するために資本主義陣営側が、その理念のなさんとするマーケットに対していち早くまっしぐらでやられれば後塵を仰ぐソビエトは厳しいだろう。これは、マーケットのセオリーでしょう。HGウエルズほどの作家は、身辺の日常ではおのずと独創的なまでの意匠性で当時において海のものとも山のものともしれかった筈のSF小説の黎明期をまさしくトップランナーとして駆け抜けてもいた。こんなしたたかなオヤジが、市場占有独り勝ちの凄みを知らない筈がない。一方のスターリンは、たじろぎもせずインタヴューに応える。・・・と、言うことにしておこう。スターリン;現在のブルジョア世界ではローズヴェルトにしても他のいかなる首領にしても、資本主義の基盤に対して何らかの重大な手を打とうとする場合は早々に必ずや完敗を喫するでしょう。実は、このきめセリフに至るまで相当長い駁論を尽くしている。実は、彼の信奉者や組織の配下の書記たちのあいだでは当然のごとく満座の拍手で迎えられるようなサビが、そこここに仕込まれた、いわばオハコというような内容なのだろう。事実イギリスの左翼系知識人バーナード・ショーらがこのHGウエルズのインタヴューの不躾さが我慢ならないと、別途投稿で不快を表明するなどということがあったらしい。しかし、不躾であろうと何だろうとHGウエルズは、その言説をタイムマシンに積み込みわれわれの時代に配布してもよいのではないかというほどの卓説をスターリンに対してぶつけている。HGウエルズ;多分、政治の経済的解釈についてはあなたより私の方がずっと強い確信を持っているのじゃないか。桁外れに大きい諸勢力が今やより良き組織、共同体のより良き機能化を求めて努力しており、その目標がすなわち社会主義なのであって、発明や近代科学を通じてそれが行動に移されているわけです。まさしく、そのとうり。われわれの時代の、中村修司の「青色ダイオード」は、われわれの時代の革命であって、われわれの社会の「良き機能化」に多大な貢献を被っている。資本主義社会での、個人の創意は確実にわれわれの社会の善導を担う中核だと確信するものだ。HGウエルズ;社会主義と個人主義は黒か白かといったような対立物ではない。両者間には多くの中間的な段階があるのです。山賊行為に近い個人主義もあれば、社会主義に等しい規律や組織もある。計画経済の導入では相当の度合いまで、経済の組織者や熟練した技術インテリゲンチャに依存する。公社は一歩一歩と組織を社会主義的な原則に転換させることができます。そしてこれが最も重要なのです。ここで、HGウエルズがスターリンに対して語っていることは現代人のわれわれにとって胸がすく思いが湧くほど現代的なテーマを担っている。むしろ、どこか「東洋の土人部落」でちかごろ地すべり的信認を受けて、選挙で当選した子分ら、チルドレンとやらに不自然な拍手をさせては演説する姿とは対極的な健常さを印象する。しかり、資本主義社会においてもスターリンと同断の保守政治家は成立しうるのである。HGウエルズ;そしてこれが最も重要な点なのです。なぜって、社会主義の前に組織あり、なのですから。それは何にもまして重要な事実である。組織なくしては、社会主義も単なる空中楼閣にすぎません。まったくそのとうりだ。「まともな組織」さえあれば、北朝鮮ですら民主主義的な国民国家が実現できたかもしれない。また、この高度資本主義へ向かう日本にすら、「まともでない組織」が愚昧な国民の信認を得て暴走などすれば、いつでもスターリンやヒットラー指導下の「社会排外主義国家」に転落してしまう可能性だって必ず存在するのである。
2005年09月27日
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スターリンは、かく語る(2) パソコンが、なんとか復調しました。さて、スターリンについて何で興味が湧くのかを少し説明しておきます。ヒットラーって、徹底したワルというイメージが繰り返しハリウッド映画で流されているわけですが、彼には「わが闘争」という有名な本があってその考え方の良し悪しも含めて結構検証できるところがあったという気がするのです。けれど、スターリンはものごころついた頃には、なぜかすでに「悪い人」と、決まっていて、「どれだけ悪い人だったのか」だけを学ぶ自由しか与えられていなかったように思い出すからです。二十歳の頃に、友人がスターリン全集を探して購入したいと京都の古書店を散策するというので、つきあった事がありました。結局手にはいらず、困惑したものです。毛沢東みたいな、どうでもいい奴の著作はどこにでも転がっているのに、あれだけ権勢をほしい儘にしたスターリンの著述が入手し難いというのは不思議な気持ちが湧きました。実は、小学4年生の時JFKことジョンFケネディという人がアメリカ大統領になるという素晴らしい事件があって、自分は結構尊敬していたわけです。その時代に、フルシチョフというソビエトの首相がいて、この人とケネディは全面対決します。しかし、考えてみるとこのフルシチョフ首相は、スターリン批判で権力を得た人なのですが、本来はスターリンの権力が絶頂期にもっとも残虐な血塗られた粛清をやり抜いてきた人物の筈なんです。ほっておくと自分も粛清されかねないという瀬戸際に、まんまとスターリン批判をかまして泥をすべてスターリンにかぶせたという側面はあると思います。一方、アメリカではあのジョンソン大統領一派とCIAらの謀略であのケネディ大統領が暗殺されるという大事件があり、アメリカも一皮剥けばソビエト並の粛清や謀反の頻発する国だという印象は、小学生なりに抱きました。いまなお諸説紛々とあるのは存じていますが、わたしはほぼ間違いないと思っています。自分は、すでに50代ではありますが脳みその中は、いまだに小学4年生時代のまま。たしかに情けない訳ですが、そういう関心の在り方もわたしという人間の天命かもしれません。スターリンの息づかいを知れば、自ずとアメリカという国の権力のイメージ。より濃厚に刻み込めるのではないかという風な感覚が私にはあります。 (つづく)
2005年09月25日
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どうやらパソコンのマザーボードが壊れたようで、ネット接続ができません。以前から、前兆があったのですがね、、、そろそろ新しいのを購入しなければ、いけない時期かなあ。メモリ増設で、解決する問題ばかりじゃあなかったんですなあ。いま、しばらくお待ちください。
2005年09月23日
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いま夢中になって読んでいるものがある。あのスターリンが海外取材に対応して問いに答えているのである。よりによってインタビューを試みているのは、あの著名なSF作家のH・G・ウエルズである。こんな読み物があるなんて、、、最初は、眼が点になるような思いが湧いた。『宇宙戦争』『透明人間』『モロー博士の島』『タイム・マシン』『透明人間』『神々の糧』あの古典的なまでのSFの創設者。ものごころつく以前から、ウエルズの影響は怒涛のごとく被ってきた。透明人間という着想は、江戸川乱歩の少年探偵にも姿をあらわすおなじみのもの。以後のSFは、どことなくウエルズの亜流という道を選ばざるをえないという恨みすらある。そのSFの大家が、恐れもせずにソビエトロシアの赤い専制君主に果敢に切り込みしている。これは、面白い。そんなインタビューが、収録されているとは夢にも思わなかった。その名も、ずばり。文藝春秋刊「インタヴューズ」が、それだ。
2005年09月18日
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この3連休は、いろいろ雑用にあてることにした。遊びに行くことも考えたが、身辺の雑用が多いのを減らしておくことも生活の快適さを維持するためには大切なことである。おかげで相当日頃かたずけておきたかった事がはかどった。この肩がこる拙生の日記に規則正しく巡回くださる方々には、ひとつの傾向があると閃いた。以前にある参考書をお奨めしたとき、一斉に反応されぜひとも購入する、とおっしゃった方々が多い。あのDUO3.0は、皆さんの手元で活躍しているのか、気になるところである。こんなヒネクレタ日記を、好んで日参していただけるのはよほど強靭な学習意欲と咀嚼力のある脳力の持ち主ばかりなのだろう。そんなこんなで、DUO3.0を整理して自分なりのデーターベースをエクセルで作ってみた。うむ、さっぱり学習が進展していない。学習の進捗が遅々としてはかどっていない事が分かる。これがデーターベースをつくる効用であった。やはり、継続的学習のためにはサボるとすぐに自分にバレてしまうというような工夫が必要だと思う。しかし、整理すると学習に対して多少の戦略眼が湧く。身につかない英語力を呪いながら、せっせと入力と暗唱を試みる。彦根のベイシアという大規模集合店舗に出向いてきた。伊丹のダイアモンドシティほどの事はないが、結構便利な施設だと思う。なんでも群馬県から殴り込みをかけてきたグループらしくて、地元商店街や平和堂などの地域で有力な既存流通グループは、多少警戒しているらしい。利用してみての印象は、なかなか品揃えが宜しい。価格も、実に良心的だ。大阪市内で買い物をしている気分。要するに地元の平和堂が、手抜きをしているのだろう。生鮮など平和堂は、お話にならない。農産物生産県のスーパーとは思えないぐらい品揃えは悪い。バイヤーのレベルが低いのだろう。米を購入したらば、名ばかり派手なブランド米ばかりを並べているが古米ばかり。最近ようやく新米が出てきてホッとした。そもそも野菜を、まるで理解できない連中が買いつけをしているようだ。そんな地元の弱体な生鮮に辟易をしていたので、ベイシアはまだしも我慢できる。しかし湖北からは遠いな。冬に備えて、ニット衣料品を陰干ししたり毛糸洗いで洗濯したり雑務は本当に多い。草刈りも、ずっと念頭にあったがやっと果たせた。夏草というものは、ほんとうに勢いがある。4万平米以上もある製造拠点に居候しているので、周囲に威勢のいい夏草が目障りで仕方がなかった。もっとも都会育ちの自分には、草むらの中のトカゲや、ムカデ、カマキリが可愛くて草刈りを躊躇していたのだが流石に廃屋のルンペンみたいになるのも困惑する。さっさと農具を購入して平らかにしちまった。ひさしぶりにクルマで彦根まで遠出したので、オスカーピィーターソンのおきにいり。学生時代に、JBL4331で繰り返し聞いたものだ。クルマのCDで、音質には不満だがなかなか気分が昂揚してくるのを感じる。
2005年09月17日
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おはようございます。寝ぼけ眼にはきつい1発です、、、小泉を支持した人たちの多くは何を根拠に投票したのでしょうか。私は寒いダジャレしかいえない人間ですが今回はジャーナリストになりたいとかなり本気で思いました。私のさぶいダジャレなんぞ暖かく感じる寒さです。でも小泉党の支持を集めて増やすことによって誰にどういう利益が?やっぱ、、、金ですかね?、、、ブルブルッ マリィ ジョー ♪さん 楽天日記の一般的な傾向かな。本当のことを書くと、アクセスは減ります。この日記に、日々読者数が減ってゆくのはこの日記のメッセージに真実が多く含有されていることの証左だと、わたしなどは信じていますよ。ところで、森田実氏の講演会でも、聴衆が減ったと嘆息されていますね。氏もご年齢から、本当のことしか述べられない体質になっておられるのかもしれません。実は、森田実氏のご実家は大工さんで、若いときには大工仕事に励みながら東大工学部に通っていたという苦労人なんです。ものづくりを志、みずから実践してきたほどの人というものはけして嘘だけにまみれて生涯を過ごすことが出来ないものなのです。これは体験的にわたしの知るところです。あなたも、料理を通じて生産者ですよね。ものづくりは、人の心を浄化する力があるとわたしは確信しています。総選挙の2日後の9月13日に、ある経営者の集まりで講演した。会場には空席が目立った。「祭りの後」の感じとともに、いまさら批判者(私のこと)の話を聞いても意味がない、という空気が感じられた。冷ややかだった。 しかし、小泉政治批判を展開してきた私の意思は変わらない。悪と偽善と戦いつづけなければならない。この立場は今後も変わることはない。むしろこれからが本当の戦いだと考えている。 今回の総選挙が、昭和17(1942)年4月30日に東条英機内閣が行った総選挙(いわゆる翼賛選挙)に酷似していると私は指摘してきた。当時は戦時中であり、報道機関、産業界、学界、宗教団体など諸々の社会組織などすべての組織が、東条内閣に従う大政翼賛会のもとに統合されていた。選挙においては翼賛会が推薦する候補者が保護され、非推薦で立候補した者は迫害を受けた。結果は東条内閣側の圧勝に終わった。翼賛会推薦者の当選率は80%を上回った。 今回の9.11総選挙において、全報道機関が小泉首相を支持した。日本経団連はじめほとんどすべての経済団体、業界団体が小泉首相を支持した。投票日の直前には、事実上の大政翼賛体制ともいうべき小泉翼賛体制が形成された。小泉政権側の候補者(翼賛候補)は、すでに権力のサーバントと化したマスコミの全面支持を受けた。 平成版大政翼賛選挙 /2005年森田実政治日誌[339] 著名な政治評論家の森田実先生を、さしおいてヒラの市民の自分が言うのはおこがましいと重々承知しているのでありますが、森田実氏の思いは痛切に分かります。自分は、政治学など疎遠な筈の学部生時代に、本来ならば他学部の講義でしかなかったのですが、以前にも原敬に関わってふれた山本四郎先生の政治学の講義には皆勤出席した事があります。先生は、もぐりの生徒である自分らを叱りもせず、平然と講義を続けた。結局単位取得の正規学生よりも、自分らのグループが見事に全講義皆勤で出席しました。理由は、明快です。先生の政治学の講義が、素晴らしく明晰であり、かつリアルな政治の機微を伝えていたことがあるのです。第一、面白かった。山本四郎先生の講義で、思い起こすことがあります。ロイドジョージの「クーポン選挙」というもの。面白いことに、10月号の文藝春秋で京大教授の中西輝政氏が山本四郎先生の30年も前の政治学の講義と同じ趣旨の指摘を行っているのでした。宜しければ、お近くのコンビニ店で今月号の文藝春秋を立ち読みしていただきたい。「総選挙に勝つためにロイド=ジョージがとった戦略は二つ。選挙を最高の見せ物としてショウアップする事、もう一つはドイツ懲罰路線を打ち出して外の敵と対決する姿勢を強調することだった」「アスキス前首相のような伝統的政治エリートもクーポン選挙のような派手な対決型選挙の相手にされると実際以上に無能に見えるものだ。この手のクーポン選挙は仕掛けた方が必ず勝つ。なぜなら、クーポンを貰えなかった政治家は最初から負け犬のイメージが固定化されてしまうからだ。しかし、選挙後の党内に噴出する怨念は凄まじいものとなるから、その後党は必ず「死に至る運命」を辿ることになる。」「選挙を徹底して「見せ物」として演出するとどうなるか。必然的に仕掛けた側が有利になる。全てを個人的対立の構図に還元して踏み絵を踏ませ、それで対立構造が明確になり、極度に話題性を高めて置いて、政治的関心の低い層までも、格闘技を見に行く気分で投票するためだ。」「クーポン選挙から4年後の1922年、ロイド=ジョージ首相自身が自らがクーポンを与えた陣笠代議士達の大反乱によって、あっけなく政権から追い出されたのだ。小泉首相も、自らがスカウトしてきた刺客達に逆に刺される日が来るかも知れない。それがコロセウム政治の本質とも言えるからだ」「現在ではクーポン選挙は安易なポピュリズムに迎合して英国政治にカオスをもたらした英国政治の汚点と総括されている。いずれにせよ、ロイド=ジョージが自由党の送葬の棺に最初の釘を打ち込んだことは確かである。そして、今小泉首相が自民党の弔鐘を鳴らし始めているのかも知れない」「この4年間で道路族だの抵抗勢力だの、次々と小出しに敵と対決してみせる小泉劇場に慣れた国民は、今後もはや普通の政治には興味を示さない。しかも、今回刺客が跋扈する小泉クーポン選挙で血の味まで覚え、ひたすらもっと強い刺激を求めるようになるだろう。小泉という調教師がライオンとしての国民に差し出した生け贄にまんまと食らいついてしまったとも言える。この酩酊状態から醒めるには時間がかかるだろう。国民一人一人が無益な格闘技にもう飽き飽きだと思うまで、夥しい血が流され死体が山積みになるだろう」「ロイド=ジョージ首相が自由党をクーポン選挙でぶっこわしたあと、イギリス政治がカオスから立ち直るためにどれほどの痛みにさいなまれたことか。1929年の大恐慌では先進国でありながら餓死者を出す未曾有の事態となり、ヒトラーの台頭にも有効に対処できないまま第二次大戦を引き寄せることになった」中西輝政/文藝春秋10月号
2005年09月16日
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「裳裾は、大きく広がってしばらくは人魚のように川面に浮かびながら古い歌を切れ切れに口ずさんでいました。まるでわが身に迫る死を知らぬげに、あるいは水のなかに生まれ、水のなかで育つもののように」ハムレット第4幕第七場日本の経営者は、小泉政権を「勝たせすぎ」だとほぼ考えている。勝たせたのは、当然有権者たる日本の国民なのであるが、これがわれわれの民度というものだろう。母親の世代などの言葉でいえば、「御里が知れる」(生まれ育った素性が露呈する)というようなものである。むかし、ニフティで話題を交歓していた時に、石原莞爾の信奉者だという人物が、ディズニーのキャラクターを臆面もなく多用するのに呆れたことがあった。おそらく哺乳瓶の絵柄まで、ミッキーマウスだったのだろう。実は、いまアメリカを小規模なハリケーンが襲っているらしい。シェークスピア劇に登場する姫の名前のようなオフィーリアとか名づけられているそうだ。なんというシニカルな表現力をアメリカの気象関係者は持ち合わせているのであろう。痛烈さに笑いを忘れそうになるほどである。ところで、いささか不躾ではあるが地球温暖化を考えてみよう。地球温暖化とは、まさしく「地球アメリカ化」ではないか。地球を暖めていると呼ばれる大気の闖入者は、まず水蒸気。二酸化炭素、メタン、フロン、オゾン、亜酸化窒素、アンモニアなどの気体が正体だとまず言われている。これら気体は、地球から放出されほんらい宇宙に拡散するべきはずの熱を、吸収し蓄積すらしてしまうという性質を持っているという。それゆえ「温室ガス」という風に呼ばれているわけだ。放射冷却という何億年、何百億年もの規模で営々とこの地球の温度平衡に寄与してきた基本的なシステムに対して、地球全体の気温を上昇させるという挑戦的なまねを行っている存在のために大量に増加する気体。それらを呼称して、「温室ガス」と呼ぶらしい。温室ガスの働きを「温室効果」という。主役は、二酸化炭素。水蒸気についで二番目に多い。量的に多いのみならず、増加の一途である。無論他のガスも油断ならない。フロンもオゾンも、それぞれで二酸化炭素の10000倍、2000倍もの温室効果に寄与する力を持っている。こんな危険な事態を、いまなお平然と省みず排出し続けている張本人がアメリカという国である。排出量もさることながら、加えてこの世界での温室ガス排出にもっとも多大なる貢献を行い地球温暖化の一層の進展を腐心し続けているものは、アメリカ大統領ブッシュ父子ではないだろうか。1990年に勃発した湾岸戦争では、局地的な集中した爆撃、武器弾薬の大量投入で大量の二酸化炭素を産出し、クウェート油井の放火などの過程で大規模長期火災を地球での飛躍的な炭酸ガス増加を起こしたといわれている。その当時の父ブッシュ大統領。その子、ブッシュ現大統領がいまや大気への多大な炭酸ガス排出に貢献している。1941年から1991年までの50年間で、世界の平均気温が高かった年度を数えると12年間に上位6位までが80年代に集中している。1988年には、アメリカで記録的な猛暑と大干ばつが勃発した。アメリカ国内の穀物消費量は2億2000万トンといわれていたが、すでに1億9000万トンという規模にまで穀物収穫規模が低下した。当時、食糧輸出どころのさわぎではなかった。記憶するアメリカ海洋大気局の報道では、あの大旱魃が二酸化炭素などの増加による、地球温暖化のひとつの兆候であると衝撃的な報告がなされたものだ。アメリカ中西部の穀倉地帯では、すでに当時砂漠化を憂慮すると政府機関が言明している事態にあったのである。93年には、裏腹に中西部では記録的豪雨でミシシッピー川が氾濫し世界的な異常気象の先鞭ともなった。よりによって石油利権の代表者であるブッシュ父子をともども大統領に選出したアメリカの罪深さが分かろうというものである。みちのくはじめさんの日記で御勧めのサイト、森田実のホームページには以下のような記述があった。さすがは東大工学部時代、全国的な規模での反米闘争を指導した往時の全学連森田派の最高指導者ならでは。面目躍如というものである。しかし、述べている事は事実だろう。みちのくはじめさんが引用されている森田実の語りを、拝読し森田の危惧するところと、シャルドネのこの日記の3年間の軌跡が重なる思いが湧いた。以下に、転用させてもらう。明日、我々が食糧危機に陥り、まともに食事にありつけなくなったとしたらこのブッシュと小泉の反環境的な政治感覚に信認を行った、日本国民の有権者ご自身の責任だとここで予言的に述べておきたい。ご同輩諸兄。今回の選挙、実は地球温暖化の信認選挙でもあった事をわれわれに来るべき飢餓に際して思いだそう。ブッシュ政権が小泉首相に求めているのは、米国に忠実な植民地国日本の独裁的指導者になることである。米国に忠誠を尽くす強権政治体制ができれば、米国は日本の資産を大量に吸収することができる。また、イラクやアフガンの戦地で日本の自衛隊を自由に米軍の尖兵として使うことが可能になる。 ブッシュ米政権は、9月11日の総選挙で小泉首相が勝利し、独裁体制を築くことを望んでいる。このため、総選挙の裏側で小泉政権をバックアップしている。膨大な広告費が米国から日本の広告業界に投入され、「小泉賛美」「民営化賛美」の広告費として使われているとの噂が絶えない。 森田実の時代を斬る/2005森田実政治日誌[318] ブッシュ政権が小泉内閣に求めているのは、「米国の植民地日本における独裁政権」である。小泉政権は強大になっても米国政府にだけは従順である。今後、ブッシュ政権への追随の度を深めるだろう。 9.11総選挙において、日本国民は小泉政権を信任した。日本国民が小泉首相を支持したのは、日米関係の真実を知らないからだ。多くの国民は、小泉首相が「日本の自発的植民地化」をめざしていることを知った上で支持したわけではない。知っていれば、小泉首相は勝つことはできなかっただろう。 政治において最もおそろしいことの一つは、権力者周辺にゴマスリが急増することである。政界は「なんでもあり」の世界である。いまや、すべての自民党議員が小泉エピゴーネン(追随者)となった。ゴマスリのうまい政治家が跳梁する。これにより小泉首相の権勢はさらに高まる。 さらにおそろしいのは、マスコミのゴマスリである。総選挙後のテレビと新聞を見ると、早くもその兆候が現れ始めている。小泉首相とその側近に気に入られ喜ばれそうな報道を始めている。マスコミは、日本中に小泉賛美の声を溢れさせようとするだろう。近いうちに「偉大な小泉総理」というような表現が一般化するとの説がある。それ以上に、マスコミは小泉首相への北朝鮮顔負けのゴマスリ報道をするようになるかもしれない。 「一億総ゴマスリ化」のようなナンセンスは決して許してはならない。日本を恥知らずの国にしてはならない。 森田実の時代を斬る/2005年森田実政治日誌[341]
2005年09月15日
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9月13日火曜日の日経産業の一面に、永守重信氏の記事があった。その左の記事と、真ん中の記事がどちらも自分には面白かった。13日は、選挙の余韻もあって、いろいろ分析記事が新聞に載るものだが自分にはとりわけ日経産業が面白い。記事姿勢が一貫している。面白さが際立つ。その真ん中の記事というのは、日経産業読者3600人へのアンケート調査だ。まあ、3600人というのは大半が社長さんたちなのだろう。自民党大勝について、83.7%が「予想どうりだが、獲得議席は予想を上回った」と回答している。このあたりも、思いが重なる部分だ。選挙結果については「歓迎しているが、今後の政権運営に期待と不安がある」が全体の31.0%でアンケート回答者の中で最も多かったものらしい。日経産業の熱心な読者の反応なのだから、当然といえば当然なのだがまったく自分の気分を言い当てているので笑えた。「自民党が勝ちすぎ」との回答は、61.2%という。然り、然り。小泉首相自身が勝ちすぎたと思っている筈。特に、24面の選挙分析には唸った。日経産業の踏まえているミクロ視点は、実はもっとも社会的な基盤をなしている視点のひとつだと常々感じていたが、今回とくに強くその思いを深くした。なんだか絶賛モードのようだが、なに、製造業経営者にその読者基盤があるのだ。当然だといえば当然なのである。
2005年09月14日
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自分は、毎日。日経産業新聞を読んでいる。雨の日も、風の日も玄関にポリ袋に入れて配達されてくる。そのポリ袋に弁当箱を詰めて、仕事に向かう。いま、日本で唯一毎日読んで飽きない新聞だという気がする。日経産業新聞は、ミクロな情報にこだわる。ミクロな情報には、人の息遣いがあるからだ。個々の経営者の、かたくななまでのこだわりをあえて生のまま記事にしているようなコラムも多い。みょうに編集者が、調理していない方がありがたい。われわれのついぞ知らない大企業の経営者の嘆息や、焦り、願いなどが記者の肩越しに絶え絶えに聞こえてくる気がする。今日の日経産業新聞には、日本電産の永守重信社長が登場していた。http://www.nidec.co.jp/corporate/top/profile.html1944年8月、京都府生まれ。1967年3月職業訓練大学校電気科卒業。1973年7月、28歳で日本電産株式会社を設立し、代表取締役社長に就任。1988年、創業わずか15年目にして大阪証券取引所2部ならびに京都証券取引所に上場させ、その後、1998年には東京証券取引所1部上場及び大阪証券取引所1部に昇格させた。さらに2001年9月にはニューヨーク証券取引所に上場。1980年代後半からは、駆動技術に特化した事業の強化・拡大に向け、M&A;をはじめ積極的な海外への事業展開を進めている。永守は、日本電産グループ連結売上高4500億円のトップである。しかし、おそろしいことに毎朝150~300通ものメールをすべて読みレスをつけているという。移動中の膝の上には、特注の鋼板いりカバンが重くのしかかっているという。カバンの中身は、社内の機密事項。かりに水深30メーターでも水が浸潤しない。機銃が乱射されても、内容が毀れることがないという堅牢度だそうだ。そんなカバンは、移動中の社内や機内での永守のデスクになるのだという。いつも移動中には、そのカバンの上にノートパソコンがあるらしい。永守はいう。自分にとっては300通のメールのうちの1通にすぎない。しかし、「社員にとっては大事な一通。たとえ一行でも返事しないと」と、すべてのメールを読んだのちに極力返信をするようにしているという。
2005年09月13日
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月曜日の朝、選挙の話をする人間はまわりにいなかった。選挙前には、少しは話題になったものだが「結果」には誰も関心を抱かなかったのだろうか。いや、そうではない。これは、思い起こす「海の沈黙」のようなものだろう。自分自身も納得ができて、周りにもそれを感じられるというのならば納得の相互所有の構造で、自ずと笑みが湧くというような気がする。朝は、むしろ気まずい空気で気をまぎらわすために仕事に皆集中しているという感じだった。自分的には、予感どうりだ。3年ぐらい前から、この日記で折々に述べてきたことの集約だという気がした。テレビの映像が。われわれの時代の「モラル」を代位している。当事者のわれわれが気づいていなかっただけである。今回は、投票権がなかった。さりとて、遠い投票場まで出向いたところで一票を投じる先に窮したような気がする。成人してから、以来。自民党と社会党には投票したことがない。さりとて、民社党や公明党は、まっぴらだ。往時の残党ばかりが参集している民主党に、どうしても食指が動かない。二十代では、父親が熱心な支持者だったこともあり、考えることもなく共産党に投票していた。毎回投票してきて無駄になる投票行動というものに厭いた。大阪にあって、実は自民党の舞台裏は結構知っている。ばかばかしくて、自民党に投票しようという気持ちはいまだにない。2001年7月の選挙では、よりによって自民党員に応援を頼まれたりした。あの選挙を内部からみて、ますます心が萎えた。文句をいえば「次の選挙では公認しないぞ」と脅しをかけられ、しかも資金を徹底的にしめあげられる。それでも立候補はできるだろうが、なにしろ当選するのはただ一人なのが小選挙区制度だ。バックについていた組織を剥奪されたら、いかに実力のある政治家といえども苦しくなるに違いない。こうなると、小選挙区制度で、一党が単独過半数をとったあとの党内反主流派は辛い。おそらく主流派の圧力に耐えきれずに、どんどん脱落していくだろう。そこには中選挙区制度のなかで反主流の活動をしてきた場合とまったく違った苦しさがあるはずだ。はっきりいって党内民主主義もへったくれもない。つまり、ひとつの政党が単独で過半数をとるのも考えものということだ。しかし、過半数をとれなければとれないで、これもまたおかしなことになる。要するに選挙結果がどうであっても、どう転んでも良い方向に行くとは思えない。 小泉純一郎 「官僚王国解体論」先日、ふたたび小泉純一郎の著書「官僚王国解体論」を読んだ。しかり、彼の述べるとうりである。「要するに選挙結果がどうであっても、どう転んでも良い方向に行くとは思えない。」 (小泉純一郎)
2005年09月12日
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実は、この土曜日。滋賀に住民票を移して3月にならない自分は投票権もなく小泉民営化など何の関わりようもない。終日環境ボランティアで過ごした。滋賀には、伊吹山という山がある。毎日眺めている自分には、神々しい存在ともみえる。実は、滋賀県では最高峰ということになる。県の環境保全課の呼びかけで、頂上付近でのボランティア活動があった。しかしいわゆる労働奉仕というようなものではなく、環境テーマに感度のいい市民が具体的に地域を踏み込んで学び取ろうという学習会に近い。どのような世界にも斯界の権威者、という存在はあるもので日本自然環境保全という全国組織があるらしい。その組織の県支部の役員の方の解説で伊吹頂上まで登り、現地で最高の環境テーマの解説をいただけた。親米ポチの小泉劇場を物欲しそうに眺めているより、余程精神の健常をいただけるというものである。伊吹山は、全国的には知名度が低いかもしれないがこれがトンでもない霊山だという気がする。日本で頂上の風速がもっとも強いのは、いわずと知れた富士山だ。次が、蔵王で、なんと3位はこの伊吹山なのである。たかだか標高1377mの山である。驚く他無い。古生代二畳紀(約2.5億年前)の昔、海底であった。その証拠に頂上付近には海底火山の噴出物特有の岩石がみられる。それが若狭湾から伊勢湾に向かう大気の通り道として、あたかも日本列島に風のノコギリが通る。それが伊吹山なのである。「天下分け目の関が原」は、まさしくこの伊吹山の麓の事件なのである。神話世界でも、この強烈な突風はイノシシに化けてあの宝剣草薙の剣をすでに持ち合わせないでいた日本武尊ヤマトタケルノミコトを瀕死の深手を与えてしとめてしまう。冬季に、関が原で新幹線を止めてしまうなど朝飯前という事にあいなる。そのように講師は述べた。日本の複雑な植物相、木草編を枚挙すれば6000種を超える植物種が存在すると言われる。(牧野富太郎)実は、その2500種は滋賀に存在。伊吹一山で1300種を擁している。一山で、これほど植物種に恵まれているものか。世界には、一カ国でも1300種もの植物に恵まれていない事例には事欠かない。牧野 富太郎(まきの とみたろう、文久2年4月24日(1862年5月22日) - 1957年(昭和32年)1月18日)は、日本の植物学者。高知出身。「日本の植物学の父」と言われ多数の新種を発見し命名も行った、近代植物分類学の権威である。その研究成果は50万点もの標本や観察記録、そして「牧野日本植物図鑑」に代表される多数の著作として残っている。小学校中退でありながら理学博士の学位も得、生まれた日は「植物学の日」と制定された。しかし、人はわたしを含めて無知なもので無造作に来山しては、貴重な高山植物を毟って持ち帰る人があとを絶たないらしい。昭和天皇裕仁は、「この世に雑草などというものは存在しない」と常々述べていたという。県の専門家の諸氏から、解説をいただいて散策してまわったがあの頂上付近のお花畑はなにげに咲いているようでけしてそういうものではない。一木一草、すべて名前を数えるように慈愛にみちた働きかけがなされている。いや、本当にそうなのである。伊吹山の特異な環境が植物生態として南限を辛くも担任できているという種は、相当程度あるらしい。それを地上から土足で歩きまわるというのが大それたことだとよく分かった。カメラマンは、大型の交換レンズを持ち歩くのを嫌がる傾向があるらしい。当然三脚も重い。彼らは、お花畑の柵を越えて高山植物に近寄り近接撮影を試みるらしい。これがゴミを持ち込む観光客以上に困る存在だという。最近は、デジカメを持参してくるがズームがついていない機種は、案の定お花畑に闖入する。それらの花を手折って持ち帰るなど、もう論外なのだ。国土についての犯罪行為というべきかもしれない。かつて庄内拓明氏のサイトで教えられた、さざれ石も実は日本国内で流通しているものはここ伊吹山産のものだという。路傍の石ひとつとて、その奥深さには驚嘆する。ありていにいえば、伊吹山その存在自体が「さざれ石」の巨大な山だといっても良いかもしれない。(わたしが楽天日記に来るきっかけは、庄内拓明氏の紹介である。)実は、困っているのは関係者だけではない。伊吹山には、美しい蝶が生息している。昨日も、何度も目撃した。かつて兵庫県伊丹の住民であったので、市の昆虫館でも館内を飛ぶアサギマダラとは遭遇したものだが、こと伊吹山では雄大な景観のなかをこれが飛び交っている。実は、この蝶は、渡り鳥ならぬ「渡り蝶」である。なんと伊吹山のみならず、遥か台湾やシンガポールと往還しているというから驚きである。同一種が、単に生息域をアジア全域にもっているという意味ではない。それぞれ蝶の個体が、日本とそれらの国を行き来しているのである。彼らがこの伊吹山の頂上を飛来していることは、素人眼にも偶然ではない。この植物生態系における、したたかな任務があるはずである。それが我々に見えない。ただそれだけの事である。ところが、このカメラマンらが踏み込んで押しつぶしている草々の中に、彼ら蝶が出会いを求めて想像を絶するような遠隔地からまるで神話世界のような大遠征行の果てに、ついに果たせぬような重大な機会損を生じるケースが多いらしい。いちど踏みしだいてしまえば、以後十年以上芽が出てこない植物もある。事実、次第に伊吹山で飛び交う蝶のコースまでが変化するらしい。環境の劣化以前に、観光客やウォッチャーの挙動が、それほど大きな変化が生じるとは日常思いもよらないのは仕方がないが、彼らの側では現実なのである。花を毟るという行為が毀損する影響は、地域やこの国土にすら微妙な影響を生じるものだと。そういう風に教えられた。
2005年09月10日
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小泉は「郵政民営化の是非を問う選挙だ」と絶叫し続けた。まずもって、欺瞞的なこの人物の思い切りのいい語り口だけのデタラメである。そもそも、この4年間でただの1つでも改革が進んだか?答えは明快だ。「ひとつもない」これまで小泉改革と誇大宣伝してきたはずの「国債新規発行30兆円枠」はどうだ?「北朝鮮外交」って、コケにされるために続けていたようなものだ。「道路公団民営化」って、猪瀬直樹当人以外が評価できる内容があるのかな?ただのひとつ、ただのひとつも成功などしていないのだ。30兆円枠は1年目から轟沈。北朝鮮外交は膠着状態・・・風聞どうり父親以来「北」に弱みを握られているのだろう。山県有朋が、会津容保に弱みを握られて作家2507さんのご指摘にならえばに高松宮妃殿下的な手打ちで収拾せざるをえない羽目に結果なっているとのご指摘が先日あったが、弱みを握られるという事は、いつの時代でも大幅な譲歩を余儀なくされるものなのかもしれない。(笑)道路公団は形だけ民営化。民営化した組織に旧公団幹部が揃い踏み。これは民間と呼べるのか?ようするに官僚の民間企業侵略だろ。これを猪瀬直樹が自画自賛するのは、官僚系民間企業を多産することが改革だと信じているからだろう。それでも今よりましだから、って。そして、まだまだ道路は作られると来た。国の借金は、建前レベルですら540兆円から780兆円へ240兆円も急増したんだよ。株価は1万4000円から1万2000円へ下落して見事なもんだ。国民の生活も苦しい。1リットル150円のガソリンで、庶民生活をどうして維持し、暮らせるんだろうか。ここに消費税がやってくるという。親米ポチ総理に鉄槌を!自分は、滋賀に住民票を移して3月にならない。今回は、残念ながらみなさんの民度を拝見させて貰っている。
2005年09月09日
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日本の映画監督として黒澤明・小津安二郎と並ぶ三大巨匠の1人に数えられる溝口健二[みぞぐち-けんじ]は明治三十一年(1898)東京の浅草に産まれ、昭和三十一年(1956)京都で没した。大正十二年(1923)以来の三十数年に及ぶ映画監督のキャリアにおける総作品数は計90本(うち亡失したもの57本)を数える。あるサイトで、溝口健二の紹介があった。さりげなく、京都で没したとあるが実は京都府立医大である。これは、新藤兼人監督の作品で「ある映画監督の生涯」で冒頭に取り上げられているので知った。ほかならぬ京都府立医大での実写がある。病院側は、頑強に撮影に抵抗したという。院の経営者は、溝口健二がどうであろうが知ったことではない。そう言うことらしい。実は、わが母親があの守山で殺されかけた事件当時この病院の正看護婦として勤務していた。13歳の時、どうしても見に行きたいと思いあえて立ち寄った記憶がある。新藤兼人が院と応酬の果てに大溝口が往生を遂げた院の廊下風景を撮影している。自分が、訪問した40年も前の院内風景と変わっていないのが嬉しかったが、戦前からの建物がそのまま残っているのだろうか。享年58歳である。女が好きで、好きで。ついには黒澤明、小津安二郎とならぶ独創的で他の追随を許さない固有の表現力をそなえていると国際的な評価をされるまでになった。つまりは、日本の映像文化の巨大な資産をなしている大功労者である。しかし、作品へのこだわりは並大抵ではない。あの、あの山田五十鈴に「すき焼きよばれよう」(すき焼きをご馳走になろう)というセリフだけで3日追求して、ついに撮影現場で泣かせてしまう。黒澤明監督の佳作「どん底」などに登場する山田五十鈴の存在感などを思い起こせば、この監督のこだわり、その凄みに驚くばかりである。泣かせるまでの追い込みを行っておきながら、寒中の撮影現場で肩越しに山田五十鈴に外套をかけたと。没後まで山田には昔語りさせるほど感激させている。自分の知る限り、「男の中の男」というのはこういう人物を置いて他はない。よりによってこの大溝口などを輩出した日活を買収したベンチャー企業があるらしい。もともとナムコが74%も株式を取得しており、最近のバンダイとの野合的な「経営統合」で日活の株式売却を余儀なくされたものらしい。売却先は、着メロ配信で荒稼ぎしているインデックスという企業らしい。どこの馬の骨だか、知らないが4~50億円ほどで日活を手にいれるらしい。何を手にしているのか自覚がないから買えるというものだ。買うのは勝手だが、この日本の国富。映像資産をたかだか50億円で購入したのだ。金儲けなのだから、なにをしていいというものではない。まず、「羽織袴で襟を正して買占めをやりな」って言いたいものである。結局、小泉のような親米ポチ政権が続くとこういう「成り上がり」が跋扈することになる。
2005年09月07日
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実は、三浦梧楼の名を知ったのは司馬遼太郎の「街道をゆく」に起因する。司馬遼太郎は、よほど会津松平家容保についての同情心が湧いたのであろう。会津の姫君が高松宮妃になったことで、戊辰以来の朝敵の汚名を返上した?かたちになっています。(2005/09/06 10:35:37 PM) 作家2507さん 作家2507さんのご指摘で、知ったもののこの国の「いつもの手」という気分が湧く。昭和天皇廸宮裕仁が久邇宮邦彦の長女良子(ながこ)を娶ったあの大正13年の椿事も当時は維新の元勲山県有朋が、その政治的失脚を賭けてまで婚姻不成立を画策するほど天地鳴動の「大事件」であった。婚姻そのものが、クーデターというほどの内容だったのかもしれない。新政府樹立に奔走した叩き上げの山県らにしても、司馬史観的に会津容保などの肩越しにみれば、所詮公武合体派の封殺に辛勝した程度の成り上がりの暴力主義者だという風にみえないでもない。日本の権力の伝統で、常套といってよいのではないか。実は、司馬遼太郎の「街道をゆく」NHKシリーズで、フランシスコザビエルの直後の回に会津容保を取り上げていることについては中々重い意味があるとつくづく感じたものだ。あらゆる思想を持った宗教や政治団体が今まで多くの殺戮を繰り返していることや、その大量殺人によって平和はもたらされていないこと、そして「思想のために死ね」と言うやつらこそがのうのうとのさばっているといった内容の歌詞が繰り返します。思想にために死にいそぐことはない、誰だっていずれは死ぬのだからと。多くの人が、それが正しいと叫んでいる中、それはちょっと違うんじゃないか?というのはなかなか出来ないことです。特にそれが「人々のため、われわれのため」と言う美しい理想的な思想だと信じる人に対しては。今日もまた取り留めのない書き込みでした。 思想のために死す ~破戒~ マリィ ジョー ♪ さんの日記いつも熱心に、この拙い日記を通読してくださっているマリィ ジョー ♪ さんなどの普段着な平和に向かう感慨は、まさしく自分自身のものでもある。しかし、一体なにゆえにわれわれの身辺から血塗られた生活や大量殺人に代表される暴力沙汰が消える日がないのであろうか。強制収容所のなかで日常的におこなわれる拷問がある。たとえば拷問を身にうけても、拷問の存在を否認できる限り人間は自由である、と実存主義者はいう(メルロ。ポンティ『知覚の現象学』の「自由」を参照)。果たしてそうだろうか。身体的感情を根本から抹消し、身体の存在の不可能性を極端にまでおしすすめる暴力的状態のなかで、人間の意識の自由(対象の無化、否認)など存立しうるはずはない。身体感情こそ人間の存在の根底であり、そのなかから意識の自由も生育することができる。身体感情というあふれ出る力が暴力によって削除されるとき、意識の超越力が発動する余地はない。拷問をはじめとするさまざまの暴力は、ディスクールへの道も、対抗暴力への道もすべて塞ぐゆえに、最も悲惨である。われわれは暴力を意識のなかで否認することはできる。しかし暴力を幻想的にではなく現実的におしかえす一切の可能性が奪われたところで、コギトの自由を語ることにどんな意味があるのか。 今村仁司「排除の構造」---力の一般経済序説マルクス主義者の今村仁司の述べる「暴力的状態のなかで、人間の意識の自由など存立しうるはずはない」という箇所は、まったくそのとうりである。ただ同時に、誕生後ただの一度も非暴力的な情況から距離を置きスルスルとすごせたという記憶がない自分などは、今村教授の主張の普遍性について敬意を表しつつも、一方でそれならば、なにゆえに一度も人間の意識の自由を体験したことがない私自身の存在について不思議なものを見るような気分になる。他ならぬ私自身が「人間の意識の自由」について、なぜ深い確信を抱いているのかについては解き難い謎のようなものとして残る。そんな思いはある。まず、頑強な肉体を与えてくれた父母への感謝の気持ちが湧く。冗談ではない。繰り返し日記でこれまでにも述べているように自身何度も死にかけ、医師から死亡宣告を被ってまでも不死身なまでに健康で、見事に毎回死に損なった神をも畏れぬこの肉体の頑強さ、タフさは、我が事ながら神話的なほどまでに超絶的な幸運の持ち主だと思っている。ただ、しかし原則として今村教授の述べるところは分からないではない。面白いことに、「この国のかたち」では、彼の国のごときにたとえば強制収容所でいきなりなまでの屠殺的な規模で人々を抹殺するような真似は、なかなか政敵に対しても実行におよばず、会津容保のように湯船につかる瞬間以外は肌身離さず孝明帝から拝受した宸翰(孝明天皇からの直筆の親書)を携行して隠忍不抜の心根で過ごせば、会津容保公個人としては「身体的感情を根本から抹消」されたが如き生涯であったとしても、没後その一族郎党にはおのずと名誉復権の余地を与えるという風な、実にパラドキシカルなまでの権力装置がいずこともなく起動し「ヌエ」的なその調整力を発揮するという文化的伝統になっているらしい。いずれにせよ、この国では「個人」がコギトの自由を語るという選択以外に概してすべがないというのも哀しい現実である。そんな実存主義者の個々の現在のすがたを、今村仁司に無造作に無意味といわれては立つ瀬がない。「ごまめの歯軋り」とは、そういう事態をさす。
2005年09月06日
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知らないという事は、おそろしい。歴史については、自分がどれほど何も知らないのか。最近つくづく世の中がみえていなかったと、痛感することが多い。三浦梧楼という人物がいる。山口生まれ。陸軍軍人、政治家。父は萩藩士。藩校明倫館に学ぶ。奇兵隊へ入隊し、第2次長州征討、戊辰戦争で活躍。兵部権大丞、東京鎮台司令官、広島鎮台司令官を歴任。西南戦争時は第3旅団司令官として従軍。明治17年(1884)大山巌に随行し欧州各国の兵制を視察。21年(1888)藩閥勢力と対立し、予備役に編入される。同年11月、学習院長に就任。23年(1890)貴族院子爵議員。28年(1895)朝鮮国駐在特命全権公使に就任。閔妃暗殺に関与。のち枢密顧問官。政党勢力を重視するようになり、第2次護憲運動では3党首会談を仲介した。この人物、検索すると並大抵のひとではない。とりわけ、「閔妃暗殺」というのは凄惨である。たとえば、東京の皇居にアメリカの特殊部隊が急襲して取り囲み、皇居におられる美智子皇后陛下を拉致監禁。特殊コマンドが美智子皇后陛下を殺害のうえ、皇居の林の中に埋葬した、などというような事態があれば日本国民は、どのように驚愕するだろうか。1895年(明治28年)、よく似た真似を行った人物がいたらしい。のちに、日本側で軍法会議がとりおこなわれ、三浦梧楼陸軍中将(当時駐朝公使)と同じく公使館一等書記官であった杉村濬(ふかし)などが被告として、予審取調べを受けた。その陳述で、この流血劇を「朝鮮内政改革」と呼称している。『尋常の手段』では不可能であることは当然ながら、当時の日本政府も知っており、彼の地での軍事クーデター計画は政府により『黙認されたることと推測』して実行したと堂々述べている。この殺害劇が、日本政府に衝撃を与えたことは事実としても、公使として三浦悟楼を韓国に送り込んだ際、この方針を携えるべく意趣を伝えておらなければむしろ不自然かもしれないという。なぜならば形式的に三浦、杉村は日本本国に呼び戻されたが、かたちだけの逮捕であり証拠不十分で釈放をされている。当時の日本政府の方針を体現したのは、間違いなさそうである。いずれにせよ、こんな血なまぐさい事件で立役者として後世に知られている人物である。彼が、随行した欧州各国の兵制視察の大山巌陸軍大臣枢密院顧問官といえば、あの大西郷の従弟である。理念としての征韓論を身をもって体現した中心だと言えばご立派であるが、行ったことは凄惨としか述べようがない。この三浦梧楼陸軍中将が、萩藩士出身で、あの高杉晋作の奇兵隊小隊指令という出自である事を考えると、明治新政府という運動は、実に一筋縄では理解できないという気がしてならない。どうやら、長州出身者の陸軍中将でありながら、薩長連合に終生違和感を抱いていたものらしい。明治34、5年頃(1901年)というから、ちょうど20世紀の始まりの年。この三浦梧楼が、とんでもない大技を仕掛ける。閔妃暗殺の6年後のことである。これが、自分的には閔妃暗殺を遥かに凌駕するほどの驚きを生じる。よりによって、山県有朋に対して会津容保亡き後の会津松平家に対して財政支援を要望して大反対の山県らを説得して、巨額の財政支援を実行させたらしい。会津松平家といえば、あの新撰組の近藤勇、土方歳三らの後見役となった会津容保。京都守護職として幕末の治安維持に腐心し、戊辰戦争では賊軍として明治新政府の官軍に駆逐。白虎隊の自刃劇にいたる「朝敵」である。華族令で、取り繕うように子爵家として認めているが、明治の冒頭で新政府は、到底旧大名家とは思われぬほどその資産をことごとく奪い取って虐待につぐ虐待で遇している。よりによって財政支援とは、度外れた工作を行ったものというしかない。容保の晩年は、ほとんど人と交際せず、終日ものをいわない日も多かった。ただ時に過去をおもうとき激情やるかたない日があったと思われる。ある日、一詩を作った。旧臣たちはその詩をみて世に洩れることをおそれ、門外に出さなかった。なんすれぞ大樹 蓮枝をなげうつ断腸す 三顧(さんこ)身を持するの日涙をふるう 南柯(なんか)夢に入るとき万死報告の志 いまだとげず半途にして逆行 恨みなんぞ果てん暗に知る 地運の推移し去るを目黒橋頭 杜鵑(とけん)啼く大樹、とは慶喜のことてせある。なぜ徳川家門の自分をあのように残酷な運命の中に投げ込んだのか、とのべ、さらにひるがえって孝明天皇の恩に報いるところがなかったわが身の逆運をうらみ、この二つの恨みはついに果てない、という怨念の詩といえよう。容保は逸話の少ない人間であった。ただ、この怨念については逸話がある。晩年の容保は無口でもの静かな隠居にすぎなかったが、肌身に妙なものをつけていた。長さ20センチばかりの細い竹筒であった。これにひもをつけ、首から胸に垂らし、その上から衣服をつけていた。就寝のときもはずさず、ただ入湯のときだけはずした。たれも、その竹筒のなかになにが入っているかを知らず、容保自身それを話したこともなかった。容保が死んだとき、遺臣がその竹筒の始末をどうすべきか相談した。容保は京都時代、独身であった。維新後はじめて内妻として身辺に女性を置いた。その女性が五男一女を生んだ。かれらが通夜の夜、その竹筒をあけてみた。意外にも手紙が入っていた。ただの手紙ではなかった。宸翰(しんかん=天皇直筆の手紙)であった。一通は、孝明帝が容保を信頼し、その忠誠をよろこび、無二の者に思う、という意味の御私信であり、他の一通は、長州とその系累の公卿を奸賊として罵倒された文意のものであった。維新政府から逆賊として遇された容保は、維新後何ら抗弁せず、ただこの二通の宸翰を肌身につけることによってひそやかに自分を慰めつつ余生を送った。明治の中期、第五高等学校教授になった旧臣・秋月悌次郎がこのことに異様なものを感じ、長州出身の三浦梧楼将軍に語った。三浦はそれを長州閥の総師山県有朋に話した。三浦にすればほんの座興のつもりの話であったが山県は驚愕した。「捨てておけぬ」。山県にすれば、その宸翰が世に存在する限り、維新史における長州藩の立場が、後世どのように評価されるかわからない。人をやって松平子爵家へ行かせ、それを買い取りたい、と交渉させた。額は五万円であったという。が…、宸翰は山県の手に入らなかった。松平家はそれを婉曲に拒絶し、その後銀行に預けた。歴史の深奥にふれるような記述を読み進み仰天する思いが湧く。あの明治戊辰戦争とは、いったい何事だったのだろうか。尊王攘夷派の根拠ともなろう孝明天皇からよりによって直筆の親書(宸翰)を付与されていた松平容保を、賊軍として薩長が討伐した。、、、映画「壬生義士伝」や、テレビドラマ「燃えよ剣」の世界が、一瞬にして価値倒錯を起こす。眩暈のするような世界である。事実は、歴史の闇の中にあるとはいえ、あまりにも極端な歴史認識の転回に眼が眩む。この背景に、おびただしい流血沙汰が存在していることを考えれば、歴史の刻み方とは何という非情さであろうか。
2005年09月05日
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以前、こちらの日記で地域通貨の話題をだしたとき間髪をおかずにmsk222さんがさまざまに破綻し瓦解した地域通貨活動の事例をふまえて、それら運動の不可能さについて指摘されたことが興味深く思い起こされる。※2005年3月15日賭博者のシリーズを再読ください。↑クリックでジャンプします。実は、破綻した社会活動について言及することは当然無意味ではない。さりとて、破綻した活動とは所詮は「破綻した活動」でしかないという側面もある。活動の理念からいえば、成功した事例に、どれだけ理念が反映し続けていうのかという視点も大切なのではないか、という気がした。---------日本人は、いつも思想はそとからくるものだと思っている。と、私が尊敬する友人がどこかに書いていた。(正確に引用したいのだが、どの本に書いてあったのか、記憶にない。だから著者名もさしひかえざるをえない)。この場合の思想とは、他の文化圏に入りこみうる---つまり普遍的な----思想をさす。古くは仏教や儒教、あるいはカトリシズム、回教、あたらしくはマルキスズムや実存主義などを念頭においていい。 司馬遼太郎「この国のかたち」一日本は、日本人は、どうやら「外」に向けて妥当さを感じられる思想を打ち出すことが極めて不得手らしい。また、そのようなものが内から湧き出す、あえて言えば萌えるという経験を忌避する傾向があるのかもしれない。森崎和江が、「海岸線の思想」というような茫漠とした語りに託していたのは海にかかわる労働において男と女が、その海における就労行為から相互に妥当性を共同できるという生活の実態に熟知があったことに発しているという風に思う。そこに、森崎和江は、可能性を感じたらしい。同時に、吉本隆明が、「対幻想」などという流行思想を持ち込みさえした。あの世代には、それで疎通する妥当性があったのかもしれない。かつて、女権拡張論者がこのような森崎和江世代の「思い」を軽々と見落とし現実の女性への性差別についての個別の闘争に公民権闘争を仮想して時代に拡散していった。繰り返し起きては失せるこの「思想的」な流行模様。普遍的な妥当性を、つねに国境の外に求めるという基調からすれば、いかに森崎和江などの想念が、思想の萌芽として独創的かという思いがする。試みとしての地域通貨に話を戻そう。↑クリックでジャンプします。思想としての地域通貨の妥当性についての担保は、やはり当初この国の外から外来の舶来趣味としてやってきたという印象がある。しかし、自分の眼にはこの思想が古代から悠久の想像を絶するほどの時の流れののエンドとして、かつてわれわれの袂を離れて流離しながら世界拡散の果て。艱難をものかわとしふたたび「この国」に凱旋してきた思想のように思えてならない。つまり、外部からやってきた思想としては、われわれには御馴染みの、懐かしいもの。つまり妥当性としてはすでにわれわれの社会が検証ずみの思想のように思われてならない。実は、当地滋賀においては県環境保全課などが継続的に提唱もし続けて来た効用が次第に定着しているかのようだ。ご存知、琵琶湖では外来魚のブラックバスやブルーギルが生態系に深刻な影響を与える域の猛威をふるってきた。もともと1960年、いまの平成天皇が皇太子時代での渡米。そのみやげとして贈呈された個体が、各地へ分与されたというトンでもない来歴がある。各地に下賜されたこのブルーギルが、日本の歴史と伝統をささえるべき自然環境に重篤な変化を与えかねない脅威と化していることは、笑えないこの時代の教訓である。起源を400万年とも600万年ともされる、この世界最古の湖沼グループに上位する琵琶湖が、よりによって平成の御代に愚かにもリリースされた北アメリカ産の外来魚で琵琶湖在来種は激減してしまった。なにしろ湖底のありとあらゆる小動物、果ては水草まで食べるという獰猛な雑食性で、とくに稚魚になりかける在来魚の卵を好んで食べる。ために、こやつが激増した水域では在来生物への大きな影響が懸念され続けてきた。msk222さんには、御不評であったが当地琵琶湖ではこの地域通貨制で着実にブラックバスや、ブルーギルが抑制されている。例年11トンから28トンもの外来魚が水揚げされている。↑クリックでジャンプします。
2005年09月04日
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「生きる」は。。。 ラストシーンで思い切り落ち込んで終わりますね。。。何人か「素晴らしい」という人を知っているけれど、わたしは「好きか」と言われると、ちょっとwもっと大人になったら凄いと思えるかなあと思っていたけれど、まだダメなような気がしますw ladybird64さんおっしゃることは、よく分かります。映画としての評価は別に、とにかく通してみるには辛いものがありますね。「あの公園」で大声をあげてはしゃぎまわっている子ども達が、まさしく団塊の世代、いま還暦にさしかかっているわけです。この50有余年、まったく変わらないこの国の姿は、かわりませんね。信じられないぐらい変わっていない。風景のこれほどまでの変化にもかかわらず、、、映画としては、その語り口の古めかしいことは、確かに辟易です。ただ、さすがに名作と言われるだけあって職場から離れてゆく小田切みき扮する女性職員に、ついに触発されて生きている証を求め。生きるとは、なにかをつくる事だとようやく思いなした渡辺課長が、意を決して奮起し始めるころから黒澤映画の本領発揮。なかなか見ごたえがありました。「課長さんも何か作ってみたら?」↑クリックでジャンプします。「あそこ(役所)はねえ、何もしちゃぁいけない処なんだからねぇ。何もやらないこと以外は、過激行為なんだから。僕なんか、何かしている顔をして何もしないより仕方がないよ」「総務課だってそうですよ」「あの、あのですね。どこかの町内のゴミ箱をかたずけるのもですね。そのゴミ箱が一杯になるぐらいの書類が必要なんですからね」(背後で、絶叫する声)「ハンコ、ハンコ、ハンコ」「貴重な時間を盗んで生きているんだよ。世間じゃあ収賄事件や、四万台の自動車でなんだかんだと言っているが、この眼にみえない膨大な時間の浪費にくらべれば屁みたいなものだ」 渡辺市民課長葬儀の宴の終焉に、市役所幹部の嘆息 映画「生きる」わたしはすでにこの映画で志村喬が演じた課長の年齢になっているのですよ。この映画の撮影時期に、母親の胎内にいた私がです。実は、いますりゴマをふりかけた弁当持参で連日200キロ走りつめ、「ある役所」に通っているという日常があります。あの映画の、もうひとつの主人公。日本人がつくりあげた役所に代表される「組織」というもの。今にいたるまで、一切変わっていないことにつくづく呆れ果てるばかりです。小泉行財政改革などとは、実のところ笑止千万。この映画で、千秋実ら自治体幹部職員が酩酊しながら絶叫してるシーンは、その後につづくわが国1010兆6186億円もの日本全体の長期債務残高総額を積み重ねた無為の空恐ろしさを踏まえていえば、日本の役人の亡国的な「為さず」の凄まじい事を予言的に示唆しているものと、身動ぎできない緊張感が走った。いま、その小泉はといえば、この巨大な犯罪的なまでの「為さず」のツケをすべてあまねく日本国民に負わせるのみならず、その貯えをすべて国外へ持ち去ろうという陰謀に二重に加担しようとしている。われわれにとっての「生きる」とは、つまりこのような無為を、許さないこと以外にないと思うわけです。
2005年09月03日
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黒澤明の映画が、DVDになってようやく充実してきた感がある。実は、TUTAYAの懐かしい邦画がVHSメデア時代には到底借りれなかった作品。それらが、いまやDVD主流となり、相当嬉しいことになっている。80年代に深夜放送でみた「第五福竜丸」(新藤兼人監督)1959年作品がTUTAYAに並んでいるのをみて飛び上がって嬉しかった。宇野重吉 ウノジュウキチ(久保山愛吉)乙羽信子 オトワノブコ(久保山しず)小沢栄太郎 オザワエイタロウ(知事)千田是也 センダコレヤ(木下博士)永田靖 ナガタヤスシ(県衛生部長)スタッフ 監督 : 新藤兼人 シンドウカネト 製作 : 絲屋寿雄 / 若山一夫 ワカヤマカズオ / 山田典吾 ヤマダテンゴ / 能登節雄 ノトセツオ 脚本 : 八木保太郎 ヤギヤスタロウ / 新藤兼人 シンドウカネト 撮影 : 植松永吉 ウエマツエイキチ / 武井大 音楽 : 林光 ハヤシヒカリ 美術 : 丸茂孝 マルモタカシ 録音 : 丸山国衛 マルヤマクニエ 照明 : 田畑正一 これは、当時共産党系のマーケットに向けて製作された映画だろうという印象があるが、そんな時代の状況は別にしてもなかなか予想外に名作だと思う。自分は、3歳頃から全身を走る掻痒感に悩まされた。医師も原因不明だというばかりでいまのようにアトピー性皮膚炎などという言葉すらなかった。小学生として、自分らの周りで核実験で降ってくる雨にさらされて身体がおかしくなるのだと級友から聞かされてなんども、その影響を考えた記憶がある。生意気ざかりの小学生も、台風とカミナリ、放射性降下物、小児麻痺(ポリオウィルス)、日本脳炎と怖いもののオンパレードであった。そんな時代に、ついに出会うことがなかった。それは、あのビキニ環礁での水爆実験に遭遇した第五福竜丸の事件の真相に近いドキュメント風映画。この映画に80年代出会えた時には内容に気持ちが動かされるという以前に、自分自身の十代前半のあの言葉になしようのない不気味な不安を生じた時代の空気にふたたび遭遇した懐かしさを、感じた。事件は、悲劇である。だが、その悲劇もその時代の銘記すべきものとして20年後の自分には、当時の同級生と出会えたような不思議な懐かしさが身中に湧いてきたのである。けして悪いことは言わない。もし、TUTAYAでこの作品をみかけたら是非ご覧になられることを強くお奨めする。意外なほど政治色を感じない抑制された表現で、ドキュメント映画かと勘違いする。これは50年代の秀作映画あまたある中でも、出色の出来栄えである。1954年3月1日午前3時42分。遠洋マグロ漁に出ていた第五福竜丸の乗員達は、 暗闇の海上で天空まで立ち上る火柱を目撃。やがて巨大なキノコ雲が発生し、 雪のようなものが空から降ってきた。珍しそうに空を見上げる乗員達は、 やがて真っ黒に日焼けした顔で静岡県焼津港に帰港する。ところが乗員達は原爆症と診断され、 無線長は苦しみの末に死んでしまう…。アメリカによるビキニ環礁の水爆実験で被爆した第五福竜丸事件の全貌を克明に描いた渾身の力作であり、 新藤兼人監督の代表作である。実際の事件を忠実に再現することで、 核の恐怖と脅威を見事に描き出している。音楽は数多くの新藤兼人作品にスコアを提供している林光。
2005年09月02日
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連日、230キロ走りながら仕事をしています。とある地方都市のコンビニ店を利用しましたところ、レジ前にある商品が盛り上げてあるのをみかけました。ほかならぬスリゴマです。ご存知かどうか、8月20日の「あるある発掘大事典」で放送された、あれの余波です。発掘!あるある大事典2 第71回『若返りの科学1』8月21日(日)21:00~21:54放映スタジオゲスト/角田信朗・吉岡美穂・松本伊代・柴田理恵実は、高校時代からの遊び仲間の友人に医師がおり放映直後の夜に電話で聞きただしました。彼の言うには、かなり昔から医師仲間では、すりゴマは習慣的に摂取されているとのこと。とくにストレスの多い外科医とか、食品でたべるという感覚ではなく、医薬を投与するようなノリですりゴマだけではなく、きなこやスキムミルクなどと一緒に定量摂取しているのだそうです。薬物並の効き目、という意見もありました。「なんで、そんなエエもんもっと(医師が)世間にひろめへんねん」「医者も、儲からんもん熱心にやるかいな」なるほど、そんなものらしい。とにかくすりゴマは、相当いいらしい。特に、ストレスが多い人は肝臓に打撃を与えている可能性は高いのですよ。ぜひ、3度の食事などといわずにセカンドバッグにもち歩き、都度都度摂取を心がけられてはいかがでしょうか。
2005年09月01日
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