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今年、2度も白内障の手術を行った母親が快癒しているという。少し早いが大阪の実家へ戻ることにする。新春、4日には戻っていると思う。皆さん、よい御年を!来年も、ヒントフォーラムを宜しく。
2005年12月28日
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筑紫哲也の番組NWES23で、<年末SP大格差社会05勝ち組負け組分かれ道 >というのをやっている。たまたま、テレビをみていたらあれまあ。他ならぬ新発想ビジネスヒントフォーラムの本当のオーナー、松島庸ご本人が出てきた。いや、ヒントフォーラムは@niftyが取り潰したわけだから、本当のオーナーだったという意味だ。楽天で、くたばり損ないのおやじ(つまり自分のことだ)が勝手に昔のタイトルをパクッているのは当然知っているだろう。彼が番組で、「負けはしたが負け組だとは思っていない」というのは彼の矜持の所在を示している。まだまだ金が涌いてくる仕組みの渦中で生きていますよ、というメッセージは額面どうり受け止めるとして、個人的には彼が日米同時上場を最年少で果たした時も、いまも「寒い」と感じるだけなのである。我々の社会は、価格と価値の乖離で出来上がった高度資本主義社会ということになっている。この乖離が、不公正であることは実は万人が知っている。知っていてその仕組みを否定するほどの実力を持ち合わせられないでいる、大多数の国民が不承不精折り合いをつけながら喘いで過ごしているという。それが「負け組」と蔑称されている人たちの日常ということになるらしい。しかし、これは結局は技術の問題なのだ。技術というものは、つまるところ物理力で不公正を客観的法則性として駆使しうる人間だけが、いまの時代でいわれる「勝ち組」と呼ばれる陣営で過ごすという特権を得られるわけだ。しかし、それは価値とは一線を画した、単なる物理力であるということを誰も指摘しない。指摘しない理由は、そんな真似を行った途端に自身を「負け組」と判別される、やや不本意で屈辱的なまでの現在を直視しなければならなくなるからだと思う。ここで、いまマリィ ジョー ♪さんと展開しようとしている思惟は、そんな不公正を(さりとて、公正の所在は誰も知らないときている)前提にした「勝ち」「負け」の二元論から、免れるために必要となる視力と根拠を示そうとの思いからだ。当代勝ち組一派からすれば、まさしくその「思い」そのものが負け組発想だ、という事になるのだろう。
2005年12月27日
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確かに、、、自分はそういえば「恋愛」についてはいろいろ考えたりしたものですが、結婚にいたっては他人がどういう形態を取ろうと自分自身はありきたりなまったく普通のことしか思いつきませんでした。父親は毎週日曜に町の教会に礼拝に行く母親を、まるでそれが当たり前のことのようにしていましたね。そして晩年、死ぬ1,2年前、父親も洗礼を受けました。まるでそれは入信したというものではなく、母親への精一杯の気持ちを表したものだというのは誰の目にも明らかでした。科学万能主義、経済至上主義によって人間の普通の営み、有機的な感情的なものが古いという一言で否定されてきたのでしょうか・・・マリィ ジョー ♪さん (2005/12/26 07:58:04 AM)マリィ ジョー ♪さんと思惟世界Speculationでの対話が続く。なぜ吉本隆明なのか、といぶかしがられる事も多いのだけれども。やはりあの「共同幻想論」という著作が、学窓にでまわった時代はそれなりに銘記される理由があるのだ。そもそも社会が、男と女でできているということは流石に幼い我々にも体感で理解ができる。しかし、国家が男と女の「関係」を基礎にしているというような次元となるとやや生活実感からは遥かに遠く、透徹した思惟の敷衍を必要とするに違いない。日常で「男と女のこと」は、つまるところミソカごとであって極私的なことという風に思われている。また、事実それで問題ない私的な事柄である。しかし、どうやら社会の内部に国家という特殊な構造が発生するときには、その私的な事柄が相当深く関与せずには成り立ち得ないものらしい。これは、「共同幻想論」が高校時代に教室を席捲した季節に初めて脳裏におぼろげながら輪郭を与えられ意識化されたように思う。H2Oは、水で起源はH2水素とO2酸素という激甚なガスが反応してできた物質である。しかし、ご承知のようにH2Oの悠揚せまらぬ落ち着いた挙動は、以前にもこの日記で相当時間をかけて話題にした記憶がある。まさしく国家社会は、この激しいガスの反応によって「関係」して生成したH2Oのように、艶めいた男と女の実存を基礎とした摩訶不思議な存在なのである。「今はこの人に出会うために生まれてきた」とは、人々の素朴な肉声でありながら一方では、まことに謎めいた不可思議な呪文なのではなかったか。古舘伊知郎風にいえば「奇跡の物質化」の呪文。「今はこの人に出会うために生まれてきた」とは、控えめに言ってさえも見事な魂の言葉である。
2005年12月26日
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マッチ擦るつかの間海に霧深し 身を捨つるほどの祖国はありや(寺山修司)3連休ということで、結構読書がはかどった。辺見庸に、驚いた。団塊の世代が学生教養時代に好んで退行するという姿を、これほど手放しで拝見できるというのは昨今珍しい。ある意味で、自分自身のカリカチャーを見ているような気がするほどだ。特に、2年前の12月25日初版発行された「単独発言」というエセーには正直読み進んでいるうちに、その先に何が書かれているのかが先読みできるほど。見事にステレオタイプな怒りがつづられている。それらを、まのあたりにして心がヒイた。早稲田から共同通信へ、すでに70年代からエリートジャーナリストであって、この35年間いったいどうされたというのだろう。闘い続けた35年があって、「私はブッシュの敵である」と、いうのなら耳も傾けよう。35年は、そのまま。そして、並列するようにブッシュの敵を任じて檄をとばすスタイルというのはどうなのだろう。アフガン空爆反対も、平和憲法擁護も、反資本主義も、いずれもあまりにも陳腐なほど「唐突」な印象がする。「二十世紀の末から、現象の本質が見えなくなってきた。「虚」の風景が社会の全体に広がってきている。」 共同通信文化部インタビューにこたえて 辺見庸「単独発言」そんな、、、二十世紀の末って。勘弁して欲しい、辺見さん。あの80年代に広瀬隆が反原発で全国を行脚していた時、「朝まで生テレビ」で広瀬は、栗本慎一郎に60年代に何をしていたのだ、と罵倒されていたのを今でも憶えている。「虚」の風景っていわれても、われわれを取り巻く状況は、記憶する昔から一向に変わってはいない。共同通信に勤務している時には辺見庸には、現象の本質が見えていたというのだろうか。なんと都合のいい35年間だったのだろう。
2005年12月25日
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私は直感で選んだことが良くも悪くも自己責任において努力し全うすることが「愛」だろうと思っていたとき、今のだんなに会いました。いろいろありましたがつらくてもふんばった愛(?)で何とかここまで来ました。今はこの人に出会うために生まれてきたと思っています。直感とは自分自身への挑戦というような気もします。きっと私にとっても理想というのはつまりは「理想の相手像」ではなく自分自身に対する理想なんです。というような気がします。 マリィ ジョー ♪さん はまぐりのお吸い物が旨くできた。思いのほか美味で、窓の外の粉雪を眺めていると、豪奢なホワイトクリスマスである。 自分のクーペは、雪だるま状態なので到底街へでかけるというようなわけにはゆかぬ。さて、、、「今はこの人に出会うために生まれてきた」というのは、夫婦に限らずたとえば、子供についても言えることだと思う。産まれて直後では、さながらエイリアンのような存在だったものが、しばらくするとなぜこの子が、むかしから自分のそばにいなかったのだろうか、などと思ったりする。まず、幸運な親子関係が成立すれば、の話である。女性が、盛名と経済力を得ればジュディ・フォスターのように誰かの精子を金で買って子供をつくり擬似家族を手に入れるなどということが当たり前になる。擬似家族は、本人にとってはそれでよいのだろうが世代的(社会的)には、結構大変な事態を招く可能性が高い。歴史的な意味合いでの家族というものを知らないという新しい社会人が増えてくれば、家族というものが次第に酸性雨に犯された松柏木のように立ち枯れをおこすだろう。それでなくても現在の家族は、母子関係を中心に内部から急速に弱体化してきている。ほかならぬ「三丁目の夕日」の世界から、それは始まっていたのだ。高度経済成長を目指した庶民が、もたらしたものが、ほかならぬ家族の解体であった。皮肉なようだが、歴史の真実というものだろう。「如何にも、新しい時というものは、何はともあれ、厳しいものだ。(略)暁が来たら俺たちは、燃え上がる忍辱の鎧を着て、光り輝く街々に入ろう。(略)さて、俺には、魂の裡にも肉体の裡にも、真実を所有する事が許されよう」 ランボー 『地獄の季節』小林秀雄訳非婚化社会というものは、いうなればレーニンやマルクスが知力と胆力を蕩尽して果たせなかった「国家存続への痛撃」である。新左翼諸党派などが願って果たせなかったことが、大衆化社会が提供する怒涛のごとき「いかず後家」軍団の大規模発生により崩壊の危機を兆させているとは、痛快である。ヘーゲルなどを読んでいると分かるのは、 マリィ ジョー ♪さんご指摘のような「今はこの人に出会うために生まれてきた」という心的体験こそが、なにげに諸国民でおのおのの婚姻に伴っていたことが国家形成に本質的に必須の潜勢力だったのだ。そういう風に、私などは思う。斉藤;結婚観に一番影響を与えるのは、子供時代に親から伝えられるメッセージだと思います。家庭内の価値観は主に母親が形成していきます。とりわけ結婚に関するようなものはそうですから、母親が結婚をどう捉え、子供にどのようなメッセージを送るかが鍵を握る。負け犬女性の母娘関係には、何か特徴がありますか?酒井;仲が極端によいか、極端に悪いか、どちらかのケースが多いですね。(中略)斉藤;やはり両極端ですか?というのも、僕は「結婚しなければならない」という判断は、母親から恐怖感をも伴った価値観の刷り込みを受けていないと難しいと考えるからです。親とあまりに仲がよいとそういった圧力を感じないでしょうし、逆に仲が悪ければ刷り込みを受けられないか、受けても機能しにくい。その結果結婚しなければ大変なことになるという恐怖感----ひとりで老いるのが怖い、世間の目が怖い、親の目が怖い---を持てずにいる人が、負け犬の女性には多いのではないかと思います。酒井;なんとなく一人のまま生きてゆくこともできる時代ですし、男性か女性か少なくとも片方が刷り込みを受けて、結婚に対してよほど強い意志を持たないと難しいでしょうね。私も将来への不安は多少はありますが、恐怖までは感じていません。周囲の友人が立て続けに結婚する時期も過ぎたので、焦らされることもないですし。斉藤;その点、戦後のある時期から急に結婚についての親世代の価値判断が変わったように思います。母親が表向きは父親を立てても、裏で子供に向けて陰口を言うような状況になってきた。僕の親の少し上の世代までは、陰でも父親の悪口を言うのはとんでもないという空気があったように思いますが。母親からそんな結婚観を吹き込まれていると、子供が「結婚はまずいものではないか」という逆の刷り込みを受けてもおかしくない。酒井順子 「負け犬の遠吠え」作家斉藤環 医学博士/精神科医 特集<非婚社会がやってくる>中央公論12月号
2005年12月24日
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「セクシュアルマイノリティ教職員ネットワーク」という組織があるらしい。ここが、なぜかトミーの玩具を攻撃しているそうだ。同性愛者の、教職員により構成された団体だという。あれよ、あれよというまに21世紀となり驚くことの連続だが、そんな団体があるということもさることながら、よりによってレーザーラモンHGをモデルにした「黒ひゲイ危機一髪」という玩具を眼の仇にして発売中止を求めているという。まあ、呆れるばかりだ。個人的に、同性愛者がこれほど社会の表面に露出してきて公民権を主張し始めるというのは予想だにしなかったことなのだけれども、ミリタントな活動にマスコミや玩具メーカーを糾弾にかかるなど、どう考えても了見違いという気がしてしかたがない。週刊金曜日一派が「買ってはいけない」をぶちかました時には、失笑したものだが、今度は同性愛教職員という異形の集団が、一派の真似事をするというのでこれはただのプロパガンダとしても、汚いという印象がする。京都の小規模市民運動の諸雑派のぶんざいで、いきなり夜郎自大にメジャー化をしようとTVメデアでいま全国的にウケているというキャラクターにコンタクトして、一気に目的を遂げようという発想があざとい。病気だという気がする。ほとんど病気、ということで良いのではないだろうか。個人的に、教職員というものについて自分は偏見に近いものを抱いている。中学時代の同級生に、歴史教員になった者がいて彼は自分よりも歴史の試験で成績が良かったことは一度もなかった。自分の世代で、すでに教職員試験に通るのは至難の技であった。彼は某保守県の親戚が教育委員会に所属していることを良いことに歴史教員に潜り込んだ。れっきとした犯罪であろう。この手の連中が、教員になってあげくプロ市民と化するのだから呆れてものが言えない。ふだつきのプロ市民さまの中に、ついに同性愛者のユニオンが発生するというのは時間の問題だろう、とは思っていたが、今度は総会屋の真似事までやらかすらしい。世も末だ、というのは前世紀の嘆息。すでに終わってる、といわざるをえない。スターリンの亡霊が、希釈されて彷徨している。ここの処は、さすがに吉本隆明が言う通りだと思わずにいられない。このような同性愛者の奇形なユニオンの形成は、けして真性の同性愛者らの地位、身分を世に高めるためには寄与しないだろう。むしろ、同性愛者へのいらざる憎悪と陰湿な差別意識を増幅させるのは必定だ。それは「黒ひゲイ」がもたらすものではなく、糾弾のスタンスに病理を感じていないらしい「セクシュアルマイノリティ教職員ネットワーク」のような怪しげな告発のスタイルが誘引するのは間違いない。
2005年12月23日
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また強烈な寒波が押し寄せてくるようだ。窓の外は、冷蔵庫よりも遥かに冷たく凍てついている。都会ではみられない現象が続いて、案外楽しめたりする。地方の図書館を重宝しているが、正月までたっぷりと貸し出しをしてきたので落ち着いた時には、何冊か読み進んでネットでは経験できない興味深い視点と出会うのが愉快だ。雑用をおえれば、結構時間ができたりする。活字は、そんな時間には向いた道具といえる。以前に、買い物するのを嫌気して購入しなかった吉本隆明がアスキーから出版した「超20世紀論」も図書館に転がっていた。持ち帰って読んだが、例によって例のごとく高級漫談という印象が続く。この人は、本当に凄いと思うことと、テキヤのおやじが世間話しているような無責任な語りが一緒に並んで出てくるので困惑することが多い。それが一部で熱狂的に受けている理由なのかもしれないが、ちょっと勿体ない気持ちがする。上下二巻を通読して、あたらしい発見はそれほどなかった。ただ、ちょっと面白いと思った箇所がある。-----ご自身にとって、”理想の女性”とはどんな女性ですか?たとえば、東京の銀座通りを歩いていて、目の覚めるような顔立ちや姿をした女性が向こうからやってきて、すれ違ったとしますね。その瞬間、「あっ、いいな」と思うでしょ。それは一瞬の片思いですね。でも、たいていの場合、「あっ、いいな」と思うのは距離が離れているからであって、距離が詰まり、肌が接するほど近くなったら、幻滅しちゃうということもよくあります。それが、距離が詰まり、性的な行為をするほど近づいても、最初に感じた一瞬の片思いみたいな気持ちをずっと持続できる---そういう女性がいたならば、それが僕の”理想の女性”だ、ということになると思います。でも、生涯、そういう”理想の女性”に一度も会えずに終わるというのが普通ですね。だから、そういう女性に会えたら、「すごいなあ、もう、いうことは何もないよ」っていうふうになると思います。この発言は、長い吉本ウォッチャーらに満喫されるコメントなのだろうと思った。前にも触れたかもしれないが、吉本隆明の思想体系はこの人独自の丹精込めた箱庭のような緻密な形成がなされており、その内部にどっぷりと脳みそごと持ってゆかれた人たちが、やはり自ずと党派的な記号の消費形式となる。その内部に踏みとどまって無限に巡回していれば、情況がどのようにめまぐるしく転変を遂げてもここの読者は現在と折り合いする必要もなく、吉本の発言を追いかけていれば「癒される」という構造が与えられ、その距離感の中で、「すごいな、もう、いうことは何もないよ」って延々と呟き続けることができるというものなのだろう。聞き手は、田近伸和というわたしと同世代の作家だそうだ。しかし、吉本への質問の角度というのか、スタンスが自分の学生時代の友人たちが口にしそうなことばかりで笑えた。田近伸和(たじか・のぶかず)フリージャーナリスト・作家。1953年富山県生まれ。東北大学工学部建築学科卒。一級建築士。「日経アーキテクチュア」記者を経て、フリーランスの道に入る。現代科学、現代思想をジャーナリズムの立場から独自に追究している。『未来のアトム』(アスキー)では、ロボット工学、脳科学、人工知能などの研究者に二年間にわたる取材を行い、新しい人間観を探究した。
2005年12月21日
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雪国だから、スタッドレスでばっちりというわけでもなかった。そもそも公道までクルマがだせない。けっきょくスコップで雪おこしをしないと、クルマで出歩けない。食料買出しも、通院も、郵便も、コンビに探しも、すべてこのスコップにかかっている。関西系には、ほんとうに未体験ゾーンだ。
2005年12月20日
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玄関でられるかな?昨晩、多少雪かきしたがまるで無関係なほど積もっている。
2005年12月19日
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次の休みには、クリームシチューをつくろうと決めていた。思ったより上手くいった。とべないとりの「ごはんにしましょう」実は、自分はいつも隠し味に味噌を使うくせがある。こどもの時に、里帰りで親の実家で親戚一同集まって粕汁を大きな鍋でつくって食べたが、できばえが良くなかったので座がシラケてしまった。こういうときには、いつも果断で体が動く母親があっというまに粕汁の味を変えてしまった。満座で驚いたのだが、ようするに味噌で粕汁にアクセントをつけたのだろうと思う。その時の記憶で、ついつい味で下手を打ったら味噌に頼る癖がついてしまった。今日は、クリームシチューには とべないとり氏の要領で冷蔵庫の残りものを一気にかたづけモード。生しいたけから、ブロッコリー、かぼちゃまで突っ込んだ。(笑)しかも、隠し味の味噌が利いてなかなかの美味である。料理酒がわりに買い込んだ白ワインもたんまりぶち込んである。来週は、これで手抜きできそうだ。
2005年12月17日
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忙しい。たいした事をやっているわけではないが、忙しい。雪国で、単身赴任で普通に生活するのがこれほど雑務を発生させるとは・・・知らなかったのは、本当に不覚というものだ。だが、内面では結構楽しんでいたりもする。忙しくはあるが、けして無駄遣いはないし、そもそも衝動買いをしたくてもショッピングモールひとつ周囲にない。いたって健康的な生活で、体重もいまや昨年の8キロ減というぐらいのところだ。適度な運動と、自分でつくる行き届いた食事メニュー。やや食品素材を買い込みすぎる傾向はあるが、それほど無駄になるものでもないのでプラモデルのマニアが道具にこだわるのと大差ないだろう。雪かき仕事も、大阪では考えられないほど爽快なロケーションで気分が良い。外へクルマで出かけると都会人の自分には、どこをどのように走っても癒される。地元の人たちは、もう飽き飽きしているらしい山並も広々として圧迫感がない、小気味よさだ。
2005年12月15日
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お疲れ様です。良い体験じゃ無いですか、これで雪の見方も変わってくるかな? mebhiさん湖北の冬、冷蔵庫に不自由しない。3LDKの社宅のすべて、冷蔵庫のようなものである。廊下で転がしておいたリンゴが、キリリと冷えて美味しい。自動車がないと、暮らして行けない地域だということは分かった。しかし、冬のシーズン。クルマがあるだけではなく、スタッドレスタイヤがなければ生きて行けないと分かった。まわりに食料品店もない。きちんと食事を取ろうと思ったら、自炊しかないのだけれども、いくら料理が愉しいといっても食材が切れれば御仕舞いである。一面、銀世界で昨日までノーマルタイヤで過ごしていたのが不思議なほどである。日曜日には、朽木町まで出向いたが山越え道では何台も転落の憂き目に出会っていた。自分がノーマルタイヤで、あそこを走れたということは奇跡に近かったと思わずにいられない。
2005年12月14日
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大阪生まれの自分には、朝から雪かきなど初体験である。しかし、疲れる。とても楽天日記というような余裕ではない。(笑)
2005年12月13日
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朽木の朝市滋賀県に、名にしおう「朽木町」に出向いた。早朝から弁当を詰めるのは、苦にならない。だが、自動車でのコースどりは間違ったな。突如雪がふってきて、ノーマルタイヤで出向いた自分は、おっそろしいめにあいました。ちょうど今津から、陸上自衛隊饗庭野演習場の北辺を縫って函館山の裾野を峠越えで朽木についた。これは、もう危ないとしかいいようがないコースだった。朽木について、胸を撫で下ろす思いだった。今日はよりによって、朽木の初雪となる。いいところですよ。観光俗化していると、言われてはいるけれどなかなか愉しませてくれる。ローソン前に、異変が生じてきました。朽木の朝市です。初雪のことで、朝市にはでむく人もわずか。まばらな中で、お客は思いもよらぬ廉価販売で大喜びでご満悦でした。
2005年12月11日
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好物のブリ刺しとナマコに酢橘をぶっかけて賞味しながら、人心地ついた。今日は、まことにもって酷い一日だったのである。実は、11月から微弱アルカリ性を呈した微粉末飛び交うプラントで複雑な工務をスタッフと取り組んでいた。防塵マスクやゴーグルもあるのだが、仕事にならない時もある。また、意識をしていても目鼻喉をやられる。11月に2度眼科に出向いた。初旬には、鉄粉が眼球に付着していると指摘され、上旬には、まさに微粉末そのものが眼球に多数付着しているといわれる。医療洗浄でも完全に洗いながせないのだとのことだ。事実、間歇的に猛烈な目やにがでる。先週も木曜日から、突然目やにが激しくなり瞬時前が見えなくなるほどだった。特殊な金属装置をレールに装備して順番に使用するのだが、その作業段取り中に最後部の装置がレールから反動で転落してしまった。最悪の箇所で、装置が破損している可能性もある。直接の責任は、自分にあるので報告業務も含めて相当大変なことになる。しかし、数日前から眼に異変があることは周囲に伝えており足元の機材もよく見落としかねないので注意をして欲しい旨繰り返し言明している。レールの装備をされている作業工区は、自分は一度も立ち入ったことがなかったので担当には不適だと、何度もチームリーダーに訴えていたのだが、突然その装置担当者が2名も休んでしまったので、しかたなしに当日要員であたることになった。ところが、要員もまともにおらず、プラントの操業では最下位の日系移民労働者と組んで作業にあたれ、などという。それは、まがりなりにも英語で作業指示ができるのは、自分しかいないというのが理由だ。酷いコンディションが、つまらぬミスを誘発する。そこまでは、前段である。オフになって、さっそく地元の眼科へ飛び込んだ。診察中に、自分のコートを女性アシスタントがどこかにもちさった。初めてゆくショッピングセンターの内部の、眼科だった。治療を終えて、処方箋を貰い、薬局で目薬を貰ってセンターで夕食のための買出しをしていると寒くなった。はっと、気づいたのはコートを着ていない。眼科へ戻ったが、地方のことだ。もう、さっさと退出している。コートの中に、クルマのキーと部屋の鍵がある。広大なショッピングセンターの駐車場で、寒空にほり出された。幸運なのは、そこが西友系のショッピングセンターだったので守衛室に泣き込んだ。気の毒がってくれた守衛さんたちが、奔走してくれる。どうやら眼科だけが、センター内で独自にセコムに加盟して鍵は守衛室にあるが頑強に開錠を許可しないのだという。結局、眼科のスタッフが到着するまで30分待つことになる。しかし、スタッフも帰宅した直後に折り返し開錠に出向いてくださった。気の毒なのは、彼女の方だ。部屋に戻って、テーブルワインを舐め始めたときには11時になっていた。
2005年12月09日
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毛沢東のセックス好きは、並大抵ではなかったらしい。セックス嫌いな男もいないとは思うが、毛沢東はそこの処がたぶん尋常ではなかったのだろう。とっかえ、ひっかえ女を取り替える都合のために政治的に独裁者になりあがったなどというような事があったのかもしれない。あの有名な江青女史も、そんな毛沢東の女のひとりに過ぎなかったのだろう。周恩来なども、辟易したらしいが晩年には、こともあろうに江青を国家主席に据えようなどというアホらしい考えを持った瞬間もあったらしい。自分の記憶の中で、江青の存在に、ロクな思いがない。あのおばさんこそ、日本の連合赤軍や京浜安保共闘などの、極左ど阿呆冒険主義者をわんさか拵える契機になった。武闘路線の輸出を日本に仕向けた、政治謀略の中心的なキャラクターだったのではないか、と思っている。江青が、政治的な実権を掌握できた理由のひとつは彼女の野心や才能などを差し置いておそらく毛沢東との閨房におけるスキルの高さだったのだろうと推量する。性的な相性の良さが、政治的な辣腕を凌ぐほどの影響を生じたのではないか。まったくばかばかしい。自分はあの毛沢東語録を読んでいる奴を一度も信じたことがない。味噌も糞も一緒にするものではない。政治とセックスを、ぐちゃぐちゃにした頭脳が碌な真似をしないだろうと直感する。案の定、あいつらは指を折っても数えられない規模の人間を殺しまくった。おそらく「北」の独裁者や、有名なヒットラーよりも殺戮した人間の規模は大きいのではないだろうか。一説では、毛沢東一派が殺した人間の数は軽く400万人を超えるという。もしかしたら、多少殺してもあとからあとからセックスすれば涌いてくるぐらいの気分でいたのではないか。空恐ろしい気持ちがする。三島由紀夫が、60年代には共産主義者同盟赤軍派がわが国で台頭した時、密かに彼らに瞠目淡い期待を抱いたと独白していた。同じように自分も多少期待したところがあった。だが、まさかとは思ったが、よりによって毛沢東主義者と政治的野合を実行した、という報道を耳にしたときに思いっきり失望したことを昨日のように思い出すわけである。だいたいセックスは、やりたくてもなかなかやれないから値打ちがあるのである。政治的な権力を握り、女と好き放題セックスができるようになった奴といえば自分に言わせれば覚せい剤中毒患者となんら変わりはない。世のため、人のための政治ができる筈がないのは自明だろう。スーパーフリーの和田真一郎が、内閣総理大臣になったらどうだ。そんな政権を我慢できるだろうか。毛沢東時代の、人民中国というのはどこか、そんな小汚い面が自分には直感的に我慢できなかった。あの吉本隆明も、田中角栄らが訪中した際に毛沢東はどこか別室で女と閨で励んでいたのではないか、ぐらいの嫌味を述べていた記憶がある。で、結果ポルポトが真似をしただけで世界が腰を抜かすぐらいの大殺戮だ。本家の中国が、その事実をまじめに開示することは多分ないだろう。だが、覚えておいた方がいい。いまの中国の巨大な人口爆発は、毛沢東の遺制である。奴が、徹底して産児制限論者を政治的に白眼視し、駆逐し、果ては暗殺を含む抹殺にかかったのである。いまや少子化政策すら歯止めにならないほどの勢いで、地球環境にきしみをあげて負荷を増大している。早晩、日本もあやつらの膨張に吸引されて踏みしだかれる可能性だって、無いとはいえない。
2005年12月06日
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ボクの場合、「蟻の一穴攻撃」といいますか、「つらくて死ぬくらいなら、死ぬ気、鑑別所に入る覚悟で、 イジメグループの中の1人にターゲットを絞って、 そいつを殺すつもりでこっちから徹底的に叩く」作戦を実行するべく、 そいつと1対1の喧嘩をし、そいつはその「迫力」に気圧されてか 降参しまして、無事「イジメのターゲット」をそいつに 移動させることが出来、本質的な「イジメをなくす」という ことへの「解決」にはならなかったものの、 自分自身はことなきをえた経験がありますので、 それ以来ボクの中では「やられたら、死んだ気でやり返せ」 というのが「信条」になっていました。 lalameansさん このシャルドネの日記は、どこか求道的な志向を探っている処があって、それに反応される方は、なぜか日記が途切れた時にもかかさず巡回して来てくださる。lalameansさんも、そのひとりだと勝手に思っている。あくまで社交を求めているのではなく、深耕を殊としている日記を面白がっていただいているのだろう。昨今、深耕などというこだわりは一種の変質者か、病理のような扱いを受ける。その証拠に、ここ楽天日記に限らずWEB上ではもっとも注目されにくいスタイルだろうと思う。実は、日記が途切れている日でもけして途切れていない思考が自分にはある。それが、何度も述べているように「第三項排除」についての思弁 Speculation である。いや、思弁どころではない。詳細を開示できないが、つねに自分の日常はわれわれの社会にあまねく存在する組織内部での第三項排除の機制machine system との緊張感ある闘いで満ち満ちている。自分のメールマガジン(「かならず小は大に勝つ」)が不定期であるのも、この実況放送のような性格から来ている。読者が連載の滞りで離散しようが、この闘い自体は失せはしない。第三項排除・・・第三項は、二項対立的関係(相互性)を維持したり、あるいは二項関係が危機におちいって回復を要求したりするときには、必ず運命的に発生する社会関係の根本動学を示唆する。第三項は相互性の存立のためにつねに必ず暴力的に抑圧され排除され、あるいは殺害される。 今村仁司「暴力のオントロギー」勁草書房「三丁目の夕日」の時代、自分は小学生だったという事になる。あの時代、60年代にはすでに自分の身辺では「やられたら、死んだ気でやり返せ」の連続だった。まさしくlalameansさんの「信条」と共振resonanceするスタイルで生きていたと思う。この3年に及ぶ長い公開日記のおかげで、いくつかの急所が見えてきたと思う。それは思弁における急所である。自分は、かつて大仰にも日本国憲法よりも広く社会的合意を形成できているなどという社会倫理の基礎にある禁忌について言及したことがある。なんらかの禁忌の存在するところ、必ずやこの第三項に対する暴力的な排除の機制が同伴するように思われる。およそ本格的な研究開発型ベンチャー事業者ほどの日常ならば、永続的な緊張関係の中に常にその活動の姿として排除の機制との闘いが存在していると言ってよい。いうまでもなくその研究開発そのものが、既成秩序にとって暴力的な脅威と受け止められるからである。
2005年12月05日
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鈴木オートの社長は、戦争に行って死ぬことなく戦後を生きる事が可能になった「幸運」な若者の一人だったということになっていた。この幸運さの稀有な重みについて、映画をみている観客のどれほどが理解できたのだろう。自分は、オヤジが戦争へ行くことなしに内務班で訓練中に終戦を迎えた事でなにか心に被ったことがあるのかはさだかには伝え聞いていないが、わずかに子供時代に聴いたことで覚えているのは「毎日、手榴弾を抱いて敵戦車の下に潜って死ね、といわれ続けた」という独白だ。結果、幸運にも本土上陸作戦は発動されることなく戦争は終わり敗戦でオヤジは敵戦車の下に潜りこむことも、自爆することもなく命は助かり自分はこの世に産まれることができたわけなのだが、これの有り難味というものはなかなか理解しにくかった。まず、オヤジ自身が死に損なって助かった事を有り難いという風に考えている様子がない。オヤジは、どうも助かった、というよりもバカバカしい殺され方をされずに、済んだという感慨だったらしい。つまり、真面目に戦争をしたいとは思っていなかったらしい。これは、結構自分に空気感染している。どうやらオヤジは、戦争で死に損なったなどとは考えておらず、もう少しで死地に追い込まれて殺されるところだったものを、なんとか脱してやれやれという感慨で戦後を迎えたらしい。そして、追って出てきたのは「オレを殺しかけたふざけた奴らがいる」という怒りだったらしい。映画で、鈴木オートの社長がテレビを前にして演説をぶちかけて町内の者から諌められてやめるというシーンがあった。あの気持ちは、21世紀の観客にはなかなか理解を越えているものらしい。なぜ演説をさせてやらなかったのか、という気持ちも湧く。一方、59年に、実際に東芝の白黒テレビを中古機ながらなけなしの金員はたいて買ったわがオヤジは、あの鈴木オートの社長のように間違っても町内の人たちの前で演説をぶとうなどというようなハレがましい真似ができる人間ではなかった。照れ屋なのである。なんで照れることがあるのか、というのはまわりの勝手であるが人それぞれの性分というものなので、仕方がない。いまから考えると、オヤジは本当に遠慮がちだった。あれは一体なぜだったのだろうか。実をいうと、テレビのチャンネルはほとんど息子の俺がまかされていた。滅多に俺が選曲するのを咎めるという場面がわが家にはなかった。いまから思えば本当に不思議なぐらい。チャンネル争いということが、記憶にほとんどない。理由は、月曜日から日曜日までの一週間のすべての番組を息子の俺が記憶をしていう便利だ、というような事にあったのかもしれない。記憶の中でのわがオヤジは、いつもテレビから始まる番組を主体的に観るというよりも、俺が選局した番組を素直に観ている「純粋観客」だった。これも、不思議といえば不思議なことだ。ただ、いまの時代とは違っていて息子の自分が選ぶ人気番組が一定誰が選んでも唯一無二という超人気番組になってしまう、という時代の特異さもあったのである。この異様さも今の時代からは、なかなか想像できないことかもしれない。90年代に日本で浸透がはじまったインターネットにしても、あのテレビの黎明期の独特なおかしさ、滑稽さを生じる場面は皆無だった。社会の組み立てが、その後途轍もなく複雑になっていて、あんな底抜けの明快さがすでに無くなってしまっていたのだ。
2005年12月04日
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よく覚えています 異人たちの夏、強く印象に残っている映画です。「3丁目の夕日」は、ポスターや予告編の印象だと、わたし的には微妙かな。。。泪目族さんたち御用達、っていう作り手の意図が見えると、引いてしまいますw。映画の宣伝って、もちろんターゲットを絞って売り方を考えておられると思うのですが、今は「泣ける!」「大感動です!」っていうのを全面に出すジャンルが隆盛を極めてますよねwそうされると、ちょっと素直になれなくなるタイプのわたし(^。^;でもそんな中にも、素晴らしい映画はあるし、制作サイドと営業サイドの温度差はあると思います。「宣伝だと、どうかな~と思っていたけれど、実際観てみたらとても良かった」な~んて展開になると嬉しいですね。 ladybird64さんこの映画の時代考証は、なかなかのものだ。「スパイゾルゲ」(篠田正浩監督作品)などで再現された上海が、まんまとこなされているのをみていたので、その(CGの)再現力は想像できた。それでも昭和30年代当時を生きていた自分には不自然な印象のするものも少しはある。映画の舞台は、昭和33年。前の年に発売になったダイハツミゼットが、鈴木オートで酷使されていたとしても、あの老朽化は東京タワーの完成した年には早すぎる。自分は、名神高速をミゼットで走ったこともある。250CCの非力なエンジンだったが、けしてくず鉄のような乗り物ではなかった。堤真一扮する鈴木オートの社長さん。自分よりも、10歳若い彼が自分の父親世代を演じるのは相当キツイ。しかし、彼の大袈裟な演技は、大根だと思わずにいられないながら、とりあえずは不器用な肉体派オヤジの雰囲気を示していて我慢できる。この映画では、須賀健太君(古行淳之介)と大清水一揮君(鈴木オートの長男、鈴木一平)のふたりが抜きん出ている。山崎貴監督の功労は、このふたりを探し出したことを骨頂としているのではないか。自分的には、この映画は須賀健太君の存在なしには成り立たないのではないか、と思われるほどだ。薬師丸ひろ子は、「セーラー服と機関銃」の昔からご贔屓なので公正に話題にはできないのだが、30年代の主婦を実によくこなしている。彼女は、まったく違和感を感じない。最近の生物的本能の毀れた手合いなどとは違って市井のおばちゃんを素直な気持ちで主婦と呼べた時代の雰囲気を好演している。映画に、もっとも素直に感情移入ができたのは館内を見渡していると意外に20代の青年たちだったらしい。自分と同世代のオヤジたちは、コンピューターグラフィックスの底なしのパワーに手放しで感激していたのではないかと思う。細部の再現が、入念なように脇役も結構印象的だ。セリフの少ない石丸謙次郎や、幽霊のような扱いになった麻木久仁子が光っている。とにかく、掘北真希を含めて子役が総じて素晴らしい。もともと原作の「三丁目の夕日」が、そういう作品だったのだ。
2005年12月03日
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