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こんばんは。ありがとうございます。夫に読ませます。30日の夜。筑紫哲也の番組でバブルと今の土地の事やってました。前も思ったのですが、シャルドネさんのHPでちょうど取り上げたことが、数日たつとテレビで流れるなあ~。と。それから、シャルドネさんの日記の、固定資産税を取るために地価を下げない。というのは、よ~く分かりました。それから、相続税対策にと、銀行は、マンション建設を勧めるのですね。お姑さんの話を聞いていると弁護士にも言われた。とか言っていて。どういうことだか・・・。最近、悔しかったら偉くなってみろと、役人の声が聞こえてくる気がしてます。(2005/03/31 01:07:22 AM) Re:難破船(03/27) sayaka.さん いえ、いえ。感謝するのは私の方かもしれません。windows95以前に、パソコン通信などではわたしはほとんど狂人扱いでして「歴史に残るカン違い世代」から議論以前。黙殺されるは恫喝されるは、さんざんでした。パソコン通信やヤフー掲示板などではなく、ここ楽天日記ではまだしも話題の応酬がなりたつという点では、多くの救いを感じています。ましてや、 sayaka.さんのように配偶者におみせになられるなどとのご意見。これはまったく想定外であります。筑紫哲也が、いまごろ番組で特集など笑止千万ですね。彼らの年代の社会的責任は万死に値するという気がしないでもありません。まさしく「歴史に残るカン違い世代」や、生活保守主義者というのでしょうか。政官業+あの「ヤクザ極道タカリ」らの構成するテトラにどっぷりとマウントされた、いわば皮下脂肪が喰い込んで離脱をしないセルライトのような社会階層のそれを量産してきた当事者という気がしてなりません。自分的には、この問題は70年代以前に対処しなければならなかった課題だと思っています。当時も、この件は少なからず憂慮されていたのです。20代の自分にすらみえていたものが、彼らジャーナリストに見えていなかった筈がありません。それがまさか戦後営々と貯えてきた個人資産をすべて蕩尽してまでの恐ろしい国家犯罪のような想像を絶する財政破綻へ突き進むなどとは夢にも思えませんでした。日本国個人金融資産の内訳現預金 : 771兆円(54%)株式以外の証券 : 84兆円(6%)株式 : 61兆円(4%)保険・年金準備金 : 408兆円(29%)その他 : 97兆円(7%)断言してもいいと思えるのは、すでに日本の国民の個人資産を数えあげての1038兆円(総額1421兆円は、負債383兆円を引いていませんので日銀資金循環勘定ではこの規模との事です。)は、われわれを愚弄する日本政府の抱える現在の長期債務残高とまさしく重なりあう規模になっています。日銀の統計調査などに基づく各種報道によりますと、個人金融資産はどうやら「国民1人あたり約1,000万円」とのことですし、「1世帯あたり1,439万円」となりますが、それでもこれはわれわれの体感になじまないものです。その理由は、sayaka.さんお姑さんなどの世代階層に手厚く偏りが生じて保有をされているからです。つまり、老人大国日本は、個人資産も当然老人に手厚い配慮がされています。いうまでもなく日本の政府の政権基盤として、社会変化を生じないように細工された戦後史が雄弁に物語っているとうり。富を高齢層にかたよるように腐心されてきた。それは現実に成功しているわけですよね。1世帯あたり貯蓄保有高年代別平均20歳代 : 278万円30歳代 : 692万円40歳代 : 1091万円50歳代 : 1557万円60歳代 : 1860万円70歳以上 : 1787万円実は、この程度の統計補正でもわれわれの実感に少々遠いのです。なぜならば、国民のすべてが賃金労働者ではありません。この個人金融資産勘定にはどうやら個人自営業者の事業資金が繰込されています。これはこれで議論を隔てるべき問題ですが、とりあえずわれわれの実感レベルからいいますと、、、25~29歳:資産 473万円-負債229万円=純金融資産244万円30~34歳:資産 648万円-負債556万円=純金融資産92万円35~39歳:資産 853万円-負債621万円=純金融資産232万円40~44歳:資産 1120万円-負債934万円=純金融資産186万円45~49歳:資産 1367万円-負債852万円=純金融資産515万円本来ならば、この大切な大切な「虎の子」を守り育てなければならないはずなのです。それを、まちがってもカン違いをおこして、まんまと長期の住宅ローンなどを典型とするような債務超過に踏み込み、他ならぬこの腐敗しきった日本政府のために国民が犠牲になってまで景気浮揚策の尖兵になる必要はさらさらないのではないでしょうか。以下の、画像を例によってクリックしてみてください。そして、さらにもう一度クリックしてみれば意味をつかんでいただけるでしょう。スカイプ仲間の輪が広がっています。シャルドネ☆のIDを登録してみてください。愉しく御話してみましょう。スカイプID:chardonnay99_jp
2005年03月31日
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室井佑月(むろい・ゆづき)1970年青森県生まれ。作家。モデル、レースクイーン、女優、ホステスなどを経て1997年に作家デビュー。女性の生きざまを繊細に描き出す小説とユーモア溢れるエッセイで読者からの熱い支持を得ている。著書に『熱帯植物園』、『血い花』、『Piss』、『ドラゴンフライ』、『ラブゴーゴー』、『作家の花道』、『子作り爆裂伝』、『ラブファイアー』など、共著に『メリーゴーランド』、『プチ美人の悲劇』がある。両親と息子と暮らす。バツイチ。室井祐月については、実は何もしらない。たまたま、この「プチ美人の悲劇」の出版社が自分の年代にとっては背筋が伸びるおもいのある原書房の刊行である。少々興味があって、この対談集ともつかない戯れ話を読んでみた。最近は、原書房というのも何でもありな出版社に化けたらしい。ところが、これが意外に面白い。室井祐月を、自分的にはプチ美人とも、可愛いとも思えないが少なくともバカではない。その精神では、オヤジでもあり男でもあるというようなハードボイルドな奴なのだろう。丸山アカネ 六十年代前半生まれの女はほんとうにとんでもないよ。日本の歴史に残る カンちがい世代だよ。わたしもそなんだけど。(笑) 室井祐月 あたし七十年の生まれだけどさ、数年の違いなのにえらい違いだなあと 思うよ。アカネちゃんたちの、バブルのころハタチ前後だった人って ヤな女多いんだよなー。全編、この調子で語り口はハスっ葉なのだが面白い。いや、立派に社会学の萌芽とでも言うべき観察眼がそこここに光っている。実のところ、日本の不良債権問題が加速度的に増えていくについてこの国にまったく制動が利かなかった理由のひとつには、この「歴史に残るカン違い世代」のお仕事は相当あると踏んで間違いないのではないだろうか。まだ、この二人のヤクザな語り口を読み進んでいると存外健常さへの振り子を感じないでもないのだが、それは一方で経済社会の怒涛の洗礼を被っているからだろう。わたしがいくらこんな場末の楽天日記で与太ってみようと高層マンションはタケノコ顔負けでにょきにょきと建つ。おそろしく建つ。それは一部でやはり売れてもいるからだろう。この悪辣な不動産業者らが、まだまだカモれるのはこの「歴史に残るカン違い世代」の隊伍がいまなお命脈を途切れささず、信仰のように持ち家志向、デザイナーズマンションに突撃し続けているからなのであろう。室井祐月や、丸山あかねらはまだしも自分の腕で稼ぎ出して喰ってゆこうとのみあげたまでの胆力と辣腕ぶりが彼らの現在をもたらしている。しかし、この「歴史に残るカン違い世代」らの中でも短大卒、専業主婦層ほど非合理的な経済行為に雪崩をうって悔いない空恐ろしい存在もないという気がしてならない。推量するに、その過度な逸脱ぶくみの生存権主張がただの利得獲得への執着に過ぎなかったと気づくことがあるのだろうか。スカイプ仲間の輪が広がっています。シャルドネ☆のIDを登録してみてください。愉しく御話してみましょう。スカイプID:chardonnay99_jp
2005年03月30日
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地(痴)本主義経済愚算 総面積を日本=37万、米国=980万、英国=24万と単純化すると、 日本=45.9(=1,700/37) 米国=0.44(=440/980) 英国=6.33(=152/24)さらに土地の活用性を考慮すると、ドッカ~ン!!!土地バブルでクリーニングされた「お金」よ今何処・・・あ、そか!日本人は頭がいいから、同一面積中の脳味噌のクリエイティビティが(激違)。(2005/03/29 11:09:57 PM) まっく さん値ごろ、買いごろなどと虚報同然のテレビ報道やメデイアの嘘八百にのせられてバブル以降どのような買い物をした方々も、不動産やマンションを所有してしまえばもはや再起不能になるぐらい持て余すとなること必定。すでに日本では不動産は資産にはならない財であることに気づくことになる筈です。これから30年を越えるようなものローンを組んだ方は、みすみす財産をただの産業廃棄物と交換してしまったようなものです。東京都心でも、すでに4軒に1軒が空き家化しようとする気配。日本の企業は毎年2兆円を越えなんなんとするスケールで土地を換金放出し始めているという状況にあります。逆ザヤ承知で手放している理由は、いまは多少の損をだしても換金できるのだろうけれども、早晩とても換金できない公算が次第に高まってきているからではないでしょうか。日本の不動産鑑定は、ほとんど新しい評価法の前に立ち尽くすことになりそうです。「取引事例比較法」などという左顧右眄な方法ならば、周囲の売れ行きで評価が上がり下がりするような話もあったかもしれませんが、「割引現金収支法」discounted cash flowで日本の土地建物マンション、テナント商業物件の評価が決まるなどすれば日本の年寄りが抱えて持っている大多数の不動産資産など、価格は急降下でしょう。立地などではなく、転売できるものかどうか、いくらで転売できるのか、そしてその資産は金を生み出す力があるのかどうかが今は問われている訳です。「計算した現在価値>資本コストとなる場合、投資すべきと判断」する場合のみ購入してよいのだとすれば、今日本でまともに購入できる土地、建物、マンションなど実はどこにもないと言っても過言ではないと思われます。そもそも自分が購入したマンションを購入した価格で売る自信のある人がどれほどいるでしょうか。今後10年すれば、購入者を探すどころか、ただの産業廃棄物の塊となりかねません。日本国内の総世帯数は、約4983万世帯。一方、総務省統計局のデーターによればいまの日本の住宅件数は、平成15年で5340万弱もある。いまだに建てまくっていますから、すでに空き部屋は600万個に及ぼうとしている訳なんです。全国にならすと9戸に1戸は空き部屋で、しかも全国でもっとも空き部屋が多いのは大阪市です。路上のおびただしいホームレスは、一体なんなのでしょう。つまり、お金を出して家を買うという人は、よほど安くタダ同然で購入していなければ、返済できないほどの債務を残すことは避けられないという事態にあります。みなさん、堤義明を「裸の王様」だと笑う。しかし、その意味では、日本人はみな裸の王様状態。生ゴミと一緒にお札を捨てているのだけれども、なぜか財布にお金が残っていないと言っているようなものではないでしょうか。景気が好調だとか、地価が下げ止まったなどという大嘘に平気でそのまま騙されていたいと考えているヌーディストにすぎません。(クリックでジャンプします)現在価値の算出は、将来のフリーキャッシュフローを資本コストで割って算出する。割引現在価値が大きいほど今後、獲得する利益(キャッシュ)が多いということを意味する。一般には、計算した現在価値>資本コストとなる場合、投資すべきと判断される。 現在価値=〔将来のキャッシュフロー÷(1+資本コスト)^ 年数〕 (^は、べき乗) 例えば10年後のリターンとして100万円が予測される投資案件があり、その投資額が40万円であるという場合、現在目の前にある40万円と10年後の100万円を比較する。割引率を10%と仮定した場合、100万円÷(1+0.1)10乗=38万5543円となり、将来の100万円よりも目先の40万円の方が価値が高いと算出できる。スカイプ仲間の輪が広がっています。シャルドネ☆のIDを登録してみてください。愉しく御話してみましょう。スカイプID:chardonnay99_jp
2005年03月30日
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29日のシャルドネさんの日記はレベルが高いですね。ぜひ私のような者でも分る話題を!(笑) シカゴ2004さんここへ話を持ってくるために、楽天日記で2年間も延々と周辺的な話題を尽くしてきたという気分があるわけです。いつまでも本論に入らないとお叱り貰うこともあります。レベルが高いか、どうか怪しいのですが自分の考えている事を感覚だけで伝えることにも限界がありそうです。硬軟使い分けていますので閃きを汲み取れる日記から、理解のよすがを持ち帰りしてください。実は、土地の話題を展開するに際して自分の人生年譜をエクセルで作りながら記憶を再形成してみました。それを俯瞰していると、不覚にも泣けてくる。とくに1961年には、自分なりに思い出がたくさんあり感慨が強いものがあります。小学4年生です。1961年、私が生涯でもっとも親米的だった年かもしれません。J・F・ケネディーが大統領に就任した年でした。個人的にもさまざまな思い出があります。わたしたちは、もう2度と60年代に戻ることはできません。しかし、われわれが「ふりだし」に戻ろうと思い、決意をあらたに意を決するとするのならばふたたび日本を60年代に時計の針を戻すしかないのではないか、と私なりに考えています。シカゴ2004年さんに分かるという話題は、私のデッサンから次第に画が見えて来はじめてから改めてご意見ください。いま、ようやく4Hの鉛筆で輪郭線を描いたばかりなのですから。(画像のクリックをお願いします。)And also, my fellow Americans: そしてまた、国民の皆さんask not what your country can do for you 国があなたのために何をしてくれるか問わないでask what you can do for your country.あなたが国のために何ができるか問うてください。My fellow citizens of the world: 世界の市民の皆さんask not what America will do for you, アメリカがあなたのために何をするか問うのではなくbut what together we can do for the freedom of man.人間の自由のために私たちが一緒に何ができるか(問うてください)Fellow Citizen We observe today not a victory of party but a celebration of freedom. . . symbolizingan end as well as a beginning. . .signifying renewal as well as change for I have swornbefore you and Almighty God the same solemn oath our forebears prescribed nearly a century and three-quarters ago.The world is very different now, for man holds in his mortal hands the power to abolish all forms of human poverty and all forms of human life. And yet the same revolutionary beliefs for which our forebears fought are still at issue around the globe. . .the belief that the rights of man come not from the generosity of the state but from the hand of God.We dare not forget today that we are the heirs of that first revolution. Let the word go forth from this time and place. . .to friend and foe alike. . that the torch has been passedto a new generation of Americans. . . born in this century, tempered by war, disciplined by a hard and bitter peace, proud of our ancient heritage. . .and unwilling to witness or permit the slow undoing of those human rights to which this nation has always been committed, and to which we are committed today. . .at home and around the world.Let every nation know. . .whether it wishes us well or ill. . . that we shall pay any price, bear any burden, meet any hardship, support any friend, oppose any foe, to assure the survivaland the success of liberty.This much we pledge. . .and more.To those old allies whose cultural and spiritual origins we share: we pledge the loyalty of faithful friends. United. . .there is little we cannot do in a host of co-operative ventures. Divided. . .there is little we can do. . .for we dare not meet a powerful challenge, at odds, and split asunder.To those new states whom we welcome to the ranks of the free: we pledge our word that one form of colonial control shall not have passed away merely to be replaced by a far more iron tyranny. We shall not always expect to find them supporting our view. But we shall always hope to find them strongly supporting their own freedom. . .and to remember that. . .in the past. . .those who foolishly sought power by riding the back of the tiger ended up inside.To those people in the huts and villages of half the globe struggling to break the bonds of mass misery: we pledge our best efforts to help them help themselves, for whatever period is required. . .not because the Communists may be doing it, not because we seek their votes, but becauseit is right. If a free society cannot help the many who are poor, it cannot save the few who are rich.To our sister republics south of our border: we offer a special pledge. . . to convert our good words into good deeds. . .in a new alliance for progress . . .to assist free men and free governments in casting off the chains of poverty. But this peaceful revolution of hope cannot become the prey of hostile powers. Let all our neighbors know that we shall join with them to oppose aggression or subversion anywhere in the Americas. . .and let every other power know thatthis hemisphere intends to remain the master of its own house.To that world assembly of sovereign states: the United Nations. . . our last best hope in an age where the instruments of war have far outpaced the instruments of peace, we renew our pledge of support. . .to prevent it from becoming merely a forum for invective. . .to strengthen its shield of the new and the weak. . . and to enlarge the area in which its writ may run.Finally, to those nations who would make themselves our adversaries, we offer not a pledge but a request: that both sides begin anew the quest for peace; before the dark powers of destruction unleashed by science engulf all humanity in planned or accidental self-destruction.We dare not tempt them with weakness. For only when our arms are sufficient beyonddoubt can we be certain beyond doubt that they will never be employed.But neither can two great and powerful groups of nations take comfort from our present course. . .both sides overburdened by the cost of modern weapons, both rightly alarmed by the steady spread of the deadly atom, yet both racing to alter that uncertain balance of terror that stays the hand of Mankind's final war.So let us begin anew. . .remembering on both sides that civility is not a sign of weakness, and sincerity is always subject to proof. Let us never negotiate out of fear, but let us never fear to negotiate.Let both sides explore what problems unite us instead of belaboring those problems which divide us.Let both sides, for the first time, formulate serious and precise proposals for the inspection and control of arms. . .and bring the absolute power to destroy other nations under the absolute control of all nations.Let both sides seek to invoke the wonders of science instead of its terrors. Together let us explore the stars, conquer the deserts, eradicate disease, tap the ocean depths, and encourage the arts and commerce.Let both sides unite to heed in all corners of the earth the command of Isaiah. . .to "undo the heavy burdens. . . let the oppressed go free."And if a beachhead of co-operation may push back the jungle of suspicion. . . let both sides join in creating not a new balance of power. . . but a new world of law. . .where the strong are just. . . and the weak secure. . .and the peace preserved.All this will not be finished in the first one hundred days. Nor will it be finished in the first one thousand days. . . nor in the life of this administration, nor even perhaps in our lifetime on this planet. But let us begin.In your hands, my fellow citizens. . .more than mine. . .will rest the final success or failure of our course. Since this country was founded, each generation of Americans has been summoned to give testimony to its national loyalty. The graves of young Americans who answered the call to service surround the globe.Now the trumpet summons us again... not as a call to bear arms, though arms we need. . .not as a call to battle... though embattled we are. . .but a call to bear the burden of a long twilight struggle. . .year in and year out, rejoicing in hope, patient in tribulation. . .a struggle against the common enemies of man: tyranny. . .poverty. . .disease. . .and war itself.Can we forge against these enemies a grand and global alliance. . .North and South. . . East and West. . .that can assure a more fruitful life for all mankind? Will you join in that historic effort?In the long history of the world, only a few generations have been granted the roleof defending freedom in its hour of maximum danger; I do not shrink from this responsibility. . .I welcome it. I do not believe that any of us would exchange places with any other people or any other generation. The energy, the faith, the devotion which we bring to this endeavor will light our country and all who serve it. . .and the glow from that fire can truly light the world.And so, my fellow Americans. . .ask not what your country can do for you. . .ask what you can do for your country.My fellow citizens of the world. . .ask not what America will do for you, but what togetherwe can do for the Freedom of Man.Finally, whether you are citizens of America or citizens of the world, ask of us here the same high standards of strength and sacrifice which we ask of you. With a good conscience our only sure reward, with history the final judge of our deeds; let us go forth to lead the land we love, asking His blessing and His help, but knowing that here on earth God's work must truly be our own.
2005年03月29日
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いつ日本の土地価格は、暴落するのでしょうか?私はホリエモンが首を吊ろうが、フジテレビがソフトバンクと提携しようがなんの興味もありません。ただの庶民にすぎない私たちの最優先の興味は、さもしいけれども物価でしょう。その物価をもっとも左右しているものは地価。土地不動産の価格ではないでしょうか。ライブドアやフジテレビの懐具合を心配しても、われわれのお腹はふくれないのです。1996年時点で、日本の土地資産総額はほぼ1700兆円強程度だと言われていました。この時点で、アメリカが440兆円弱。イギリスが152兆円弱。小学生の算数感覚で暴論をいえば、日本の地価総額は、アメリカのほぼ4倍。イギリスの11倍のような議論です。これは誰が考えてもおかしい事態です。どこかに無理があった。無理は、早晩破裂する。今問われているのは、その破壊するエネルギーがどこかにあるのかという事です。つまり、いまの日本の土地資産の価値が、10分の1に降下しても、アメリカやイギリスはまったく困惑しないという内容なのです。現状は、まだ10分の7ぐらいしか下がっていないのです。その理由は、土地不動産の価値を下げられない理由が存在したからではないでしょうか。つまり日本の経済社会の側の都合というよりも、大企業や金融機関の都合でむりやり価格を維持し続けてきた。ために未だ潜在しいつぞや狂奔しだすやもしれないその隠れたエネルギーは、一体どこに向かうのでしょう。このエネルギーをさがす。そしてそのエネルギーが放出されて、いつ経済的な意味での大地震が発生するのかを予想する事ができないでしょうか。スマトラ沖大津波も凄かった。しかし我々の人生や生涯に途轍もない影響を生じるだろうと思われる、経済の世界での大震災がいつ生じるのかについての関心は、もっとも興味の湧くものです。私にとっては当面皆さんの夫婦仲や旦那さんの浮気のお話は、現状到底私の関心のハカリにはのらない些事という風にみえて仕方がありません。この途轍もない「破局」の規模に肌があわ立つ思いがするからです。Discounted Cash Flow - DCF ;A valuation method used to estimate the attractiveness of an investment opportunity. DCF analysis uses future free cash flow projections and discounts them to arrive at a present value, which is used to evaluate the potential for investment. Most often discounted by the weighted average cost of capital.If the value arrived at through DCF analysis is lower then the current cost of the investment, the opportunity may be a good one. Basic Formula:引き金は、この公式がわれわれを襲ってくることに求められます。われわれの生活と人生を大きく激変させるものの正体、それはこの概念が経済社会で「世界標準」とされる流れが生じているからです。われわれは、空気を吸ってはいているようにけっして空気の存在は意識しません。同様に、このような概念がグローバルスタンダードとして「この国」を包囲しているなどと、まったく意識をしていないのです。しかし、間違いなく日本の土地不動産は、この概念で再評価を余儀なくされます。これが、シャルドネ☆が日本の土地暴落の予感を述べる根拠のひとつです。株は、買うより、売る事が大変。その影には、現物取引で損を蒙る駆け出しの投資家がいる。売り時を知らない素人がお金を失っている。今回。100万は村上ファンドが貰っているし。ライブドアの株は暴落するとリーマンの利益確定する。(表舞台で見えない思惑が株の世界。)堀江さん今回かなり躍らせられている。ホリエモンの本は、どうしたらお金を引き出すかばかりだ。提供するものは、欲を募る物だ。高いお金払って紙くずを買っていると思とホリチャン応援組み気の毒だ。多くの一般の人、ホリチャンが何をしたのかわかってない。裁判に勝って、皆が味方している錯覚の人が多い。株式は儲けた人が居る分損した人が居る事。一般投資家の被害金額は未確定だ。シャルドネさんの土地バブルの話。形を変えて重なりました。 (「匿名投稿」という事にします)匿名さんのご意見と、少し角度が違っているのかもしれませんがゼロサムの厳しさという意味では通底しているのかもしれません。日本の土地評価は、現状の混迷から大きくDiscounted Cash Flow方式へとシフトするという動きが指摘されています。また、それが妥当で合理的だと。これを退けることは相当難しい。だって、儲からない投資対象に、高い評価をつけるという現行の日本の不動産鑑定法は、日本の国や自治体などが税収都合で決めているという不明朗なものであるだけでなく、誰も責任を取らないまま不動産所有者に多額の固定資産税を支払わせるために是正しようという動きがないのです。これがグローバルスタンダードで、ジリジリと地価破断の時刻を数える大きな圧力を高めています。研究開発型ベンチャーが、続々瓦解していく理由もひとつはこの趨勢の影響があると言ってよいでしょう。短期でなくても、中長期の見通しで急速に収益が発生するというモデルと、その確証を提示できなければすべてのベンチャー事業者は、成立できません。その理由は、このDCFの公式に経済行為として制約されているからなのです。わかりやすくいえば、金儲けができている事業者以外は研究開発型ベンチャーを行ってはいけないのです。それは、このような思想が経済社会を貫徹しているからに他なりません。そして、それは土地不動産なども例外ではなく、それは早晩かならずや資産価値の評価に反映することが必至なのです。同様に、不動産所有者も稼げない、または稼ぎ方が拙い場合にはその所有する不動産価値も下がるという当然の経済原則にさらされるわけです。銀座であれ丸の内であれ、稼いでいない(立派に金儲けしていない)土地不動産には他者の眼でみて評価がつかないという当たり前の時代がついに目前に迫ってきました。そもそもベンチャー事業とは、メルマガでも繰り返し述べてきましたが本質的にa)高い収益貢献を予想させる事業によりb)広汎な社会へ新しい便益をもたらすものとしてc)急激に発生させることからd)成長期待に伴う投資を投資家に誘発させるe)研究開発型事業者なのです。これが、ついにNHKの担当者が私の質問に対して黙殺して応えなかったその正解であります。みなさんが、日常語として接しているベンチャー事業の定義は、ほとんど使いものになりません。また、あのライブドアは、b)とe)に於いて欠格とも思われ、純正な意味合いではベンチャー事業者と呼びがたいのです。あえて、ベンチャーと呼ぶのであれば軟派ベンチャー事業者。実態は、むしろ金融資産Financial asset 担保提供Mortgage offer 方式の資金調達Funding で証券市場に乗り込んできたのっとり屋Corporate raider が、その資金調達の都合と利便でベンチャー事業者を標榜Polite fictionしているというあたりではないでしょうか。ライブドアの一体どこに、この研究開発 Research and development の要素が存在しているのでしょうか。※raider というのは、Tomb raider墓荒らしでお馴染みのあのraider です。つまり、日本の大都市ではこのような成長と広域における便益を生じるはずの本格的ベンチャー事業をまったく扶育する意思なく、くりかえしマネーゲームに狂奔する事業者にしか資金を投じようとしてこなかった。これが決定的に日本の土地不動産の評価を急降下させる本当の原因なのだと私は思っています。スカイプ仲間の輪が広がっています。シャルドネ☆のIDを登録してみてください。愉しく御話してみましょう。スカイプID:chardonnay99_jp
2005年03月29日
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今日は帰宅したら、なぜかアクセスが900も越えている。訳が分からない。ここのところアクセスが増えるような日記の展開にはなっていない。例によって例のごとく、楽天日記の常連さんがあまり読みに来ないようなネタばかりで自己チューに展開してきた。そもそもビジネスの話もろくすっぽやらず、なにかといえば「生まれた家が韓国人に放火された」とか、「アメリカは殺人鬼だ」みたいな放言を多産するこちら。喜んで読む人が楽天日記の常連にそれほど多いはずがない。ここの日記は、あの植草先生が手鏡で逮捕されたときになにかの間違いで一晩に4000アクセスを越えたことがあるだけで、普段は4桁もアクセスが行くことなどは絶対にないのである。だいたい、3桁もアクセスがあること自体が自分に言わせればおかしい。その大多数は、日記の内容などそれほど真面目には読んではいないものだと自分なりに達観をしている。しかし、それは折込済みで。つまりホリエモン流にいえば、「想定範囲内」として、この日記では言いたいことを言って来た。面白いもので、長いあいだにはこの楽天日記の世界が一昔前の長屋の世界のようだと思えてきた。大江戸の棟割長屋で井戸端会議、卑近な事例ではあの懐かしい文化住宅の世界と酷似しているようなのである。とくに、スカイプが来てからというものは面々のご家庭の空気までデスクトップの向こう側に押し寄せてくる。うっかりすると皆さんのご家庭の猫の名前まで覚えてしまいそうな勢いである。他人さまのご夫婦のコンデションまで気遣いしている方々が身内意識で声をかけあっておられるのを微笑ましくも見かけてしまった。なんという懐かしい光景なのだろうか。いわばデジャブーのような気分が湧いた。いや、どちらさまの日記とはいわないが、どうやら我々はまだまだ一昔前の長屋住まいが懐かしいという程度の近世人であって、およそポストモダンに程遠いような気もする。スカイプ仲間の輪が広がっています。シャルドネ☆のIDを登録してみてください。愉しく御話してみましょう。スカイプID:chardonnay99_jp
2005年03月28日
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知人の健康に異変があり、場合によっては急遽容態が変化するかもしれないとの連絡があり土日曜は自宅で待機していた。例によって、例のごとく「英語修得負け組中年」は集中して再起の取り組みを愉しむことにした。先に述べたあの「渡部千賀さん!ありがとう」方式を知ってからまだ3週間ほどである。とりあえずどの程度の成長があるのかを見極めしたいと思った。実は、インターネット上には、そうとう手厚い英語学習初心者向けのサイトが準備されている。昨日は、あのVOA Voice of Americaの中のクイズサイトを利用することにした。ご存知の方も多いと思うが、VOAは、アメリカ人はあまり利用しないものらしい。しかしわれわれ日本人が英語学習するには、とりわけ自分のように貧乏で駅前ノヴァにも通えないオヤジには極めて重宝なサイトである。しかも、その超便利なサイトをこれまた丁寧に利用の仕方について助言をしてくれる利用者案内のサイトまでさまざまに存在するのだ。米国政府が外国向けに放送しているもので、内容はもちろん米国中心です。米国内の人はあまり聴きません。それを差し引いてもこのサイトのいいところはスクリプトがあることです。スクリプトがあれば聞きっぱなしになったり、何と無く分かった気になって終わるのでなく、聴く前後に単語や表現を確認することによって、リスニング、ボキャブラリ習得の助けになります。 福島県国際交流協会(クリックでジャンプします)わたしのような初心者には、いたれりつくせりの有り難い便宜がいただけているので感謝、感謝である。初心者向けの英語学習クイズだけでも膨大な数がある。VOA Special English Nouns という、超入門編のクイズをやってみた。これが結構骨が折れる。6つづつのクイズが70個でてくる。とりあえず報道特集をみながら無造作に始めたが、次第に夢中になってきてとうとう最後までやってしまった。最終的に4個ほど間違ったが420の単語についておさらいする事ができたのである。驚いた。アメリカ人は武器と軍隊についての語を色々と聞いてくる。小銃から、拳銃、ミサイルにいたるまでつくづく人殺しの好きな国だと驚くばかりである。ただ、この巨大サイトを丁寧に使っているだけで相当学習ははかどるような気がする。「渡部千賀さん!ありがとう」方式は、義務教育の9年以後のいかなる英語学習教材よりも有効だったという気がしてならない。なにしろ自分のように酷く気の散りやすい、集中力のない不勉強なやつで、しかも時間もカネもヒマもない、最悪の環境下でさえパソコンを利用すれば、どうやら時給2500円を要求する妙な外国人講師に依頼をしなくも反復学習は続けてゆけそうなのである。 スカイプ仲間の輪が広がっています。シャルドネ☆のIDを登録してみてください。愉しく御話してみましょう。スカイプID:chardonnay99_jp
2005年03月28日
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お姑さんがまたマンションかアパートでも建てたいなどと言ってまして、、、もう、そんなことしてもらっては困る。これから家は余ってくるんだから。これ以上借金しないで欲しい。と、新聞も読まない夫に言っても「そんなことはない。」と言うばかりで困っていました。シャルドネさんのこの日記を読ませます。(2005/03/26 10:57:35 PM)Re:祖母の知恵(03/24) sayaka.さん sayaka.さん、こんばんは。去年も正月前後にsayaka.さん 相手にいろいろ御話しましたよね。この1年、ご出産やお引越しやら何やかやで到底新聞や社会動静に見聞を増やす余裕は無かったことでしょう。自分も、深夜楽天日記で述べていることを日常周囲に口にすることも憚られるというような局面が多くて、世間の大多数の人々の視野狭窄は分かっているつもりです。実は、笑われるかもしれませんがかつて私や母親の猛反対を押し切り父親はマンション建設を強行して、愚かな資産を増やしてくれました。私自身が数億円規模の連帯保証人だったりします。こんなものは相続しても私が支払いきれるものではないでしょう。よほどの幸運で完済できたとしても、その時点で何の価値もないものと言ってよいと確信しています。sayaka.さんのお姑さんがおつくりになられようとしているマンションは、ご当人の意識の中では相続対策のつもりなのでしょう。相続税を回避するために、などと銀行金融機関が持ちかけてくる甘いワナなのであります。これは私の実家でも一度通過した道でありますから、良く存じております。バブル期に相続税の計算をした父親やその顧問などはマンション建設後でもまだ不足だ、などと平然と言っておりました。彼らの先の見通しの無さは、もう目先のカネの動きだけにしか関心のない哲学不在の拝金主義者特有のものでして世界中どこにでもある御話とはいえ、情けない限りです。私の父親の世代は、ちょうど三島由紀夫などと同じ年代でして戦中派というのでしょうか、さきの大きな戦争では加害者になり損ねたというぐらいの年齢です。みなさんは、あの1989年のバブルぐらいしかご経験はないという風に思いますが父親の世代は戦後3度の土地バブルを通過しているのです。わたしが父親のバイクの後ろに乗り大阪市内を走りまわっていたので明瞭に記憶しているのですが、1960年半ズボンでザリガニ釣りを趣味にしていた時代には日本の地価が対前年比で42.5%も高騰しております。当時東大阪の田畑は、せいぜい坪数百円だったものが父親などの買い付けた時点で数千円。農家の爺さまたちが仰天したのを耳にした記憶があります。これは60年安保全学連などと対決した日本の保守政権が、「所得倍増計画」という10年で実質国民所得を倍増するという舵取りで、見事に国民の信望を集めることに成功しました。大卒初任給が1万円に届かない時代とはいえ、今の物価換算しても、たかだか坪10万円程度の資金で購入できたのだろうと思います。売った農家の方は、夢のような話だと嬉々として売ったのですが後に信じられない安値で売ったという結果となりました。当時誰も土地が急勾配で値上がりするような感覚にはなかったのです。市内にはまだ一部戦災の悲惨な傷跡が残っていたような時代でした。日本の家庭に、洗濯機や冷蔵庫、白黒テレビが怒涛のごとくに流れこみ今日の消費生活の起源となる第一陣を形成した時代です。生家を放火で焼け出された私たち一家の御話はこの日記でなんどか述べました。父親は、ふたたび露天商という振り出しに戻りましたが、路上で稼いだカネを都市近郊の土地購入に再投資して、辛くも世間並みに辿りつくことができたのです。父親の年代がそんな逆転、起死回生を実現させてくれた魔法のような土地投機に対して盲目的な信頼を寄せてきた気持ちは一方で分からないでもありません。もともと父親は、ある自治体の地方公務員として土木建設の監督指導していた時代もあったのです。地理勘が湧く成長カーブに逆らわず波に乗ったという事なのでしょう。しかも、私が学生時代。あの連合赤軍事件で日本の左翼主義者が完全に国民的信任を失った時代。私は、ニクソンショックと石油パニックにまみれ惨憺たる社会生活のスタートでしたが、企業社会ではこの回避に金融緩和が実行されました。あの田中角栄内閣による「日本列島改造論」の時代です。狂気の沙汰だという声もありましたが、東京都下ではこの時代に平均前年対比で36%もの高騰。土地は、まさしく右肩あがりに上昇を続けてきたのです。この時期になれば、わが父親は「働くなどばからしい」「モノなどいくら売っても大儲けして金を貯めた者はいない」と公然と言いかわす人達の群れに飛び込んでしまいました。いわば帰らざる河を渡った時代という事が言えそうです。土地転がしや、住宅転売ブローカーが日本に発生したのは実はこの時代だと私は思っています。ねずみ講や、ネットワークビジネスもこの時代に全国に被害者を拡大しました。そして、1985年9月プラザ合意を皮切りにあの宮澤親米野合内閣が看過して勃発した哀しくも記憶に生々しいバブル経済の狂奔がやってきます。アメリカ側のドル高騰を平滑化するためなどと称し、日本などを含む先進5カ国蔵相会議で極端なまでの是正措置を強要され、日本は突然の円高を余儀なくされます。86年1月から、87年2月までになんと最早7回もの金利引下げ、大規模金融緩和を実行したのです。これは無理難題の円高を衝撃とみて、輸出企業への致命的打撃を緩和することを主目的としての事などと言われていますが、いずれにせよ大量の資金が真面目な稼ぎや製品開発にはわずかも関心を抱かず、手っ取りばやく不動産投資と株式市場に雪崩込むことになりました。金が金を産むという事が日本の企業社会において正義となりはてた哀しい路線が確立したわけです。なにしろ不動産の値上がりや株価の上昇カーブが、貸出金利を遥かに著しく上回っているのですから怒涛のごとく資金が奔流のように流れ込むわけであります。当時の地価高騰は、日本全国の津々浦々を席捲しました。現在30代の皆さんも、当時高校生や大学生ぐらいであったならばただただ威勢の良い明るい時代だという程度の記憶しか持ち合わせがない人も少なくないでしょう。私は、あの時代にすでに土地価格の暴落を周囲に述べて狂人扱いされました。私にとっても悪夢のような思い出の続く86年11月からの51ヶ月だったと思います。パソコン通信時代にも、あの時代を勘違いされている女性たちから今の長い不況がだらしないとお怒りになられている声をお聞きしたことがあります。トンでもない。バブルそのものが国家をあげての完全な熱病だったのです。この認識がない方がまだまだ多いように思います。世間に知られた経済評論家たちも、日本の総資産でアメリカ全土が3つ買えるなどと平然と言及するオマヌケぶりでしたね。実は、日本の企業は当時もっとオマヌケを実行しています。まさかと思うのですが日本の土地建物と同じ感覚でアメリカなどのビルや土地を買い漁ったりすらしたのです。これがトンでもない大誤算だったのは有名な話ですね。日本ではアホでも土地建物を持っていれば儲かる仕組みが国がらみで存在していたのですが、アメリカなどの先進国では土地不動産は維持運営のスキルが低ければ忽ち税金や運用利回りで破綻するという税制が存在していたのです。 sayaka.さん、ここが肝心なところです。日本の不動産バブルというものは、ふたつのオマヌケの相乗効果だったといえないでしょうか。日本の不動産高騰は、戦後一貫して国策とも呼び難い税制を含めた行政指導(はたまた行政無策)の結果生じたものなのです。恐ろしいことに、その行政自体が土地高騰を無策の結果であるという自覚なしに、神話化された信仰にみずから信者化してしまった。とんでもないアホに国政を委ねてきた結果、まんまと底抜けのオマヌケをやらかしたわけなのです。そして、無邪気な国民も、それを信任してきました。しかし、国民が人口構成に明らかなように急激に老人化して減ってゆくこの日本で、しかも持っているだけでお値打ちが雪だるまのように増えてゆくという怪しい怪しい異様なメカニズムがいかに特殊な日本の戦後復興事情の産物であったかを理解すれば、この土地神話がふたたび通用するなどという事態にないことは火を見るよりも明らかだと思わずにいられません。スカイプ仲間の輪が広がっています。シャルドネ☆のIDを登録してみてください。愉しく御話してみましょう。スカイプID:chardonnay99_jp
2005年03月27日
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最近の自分は、こんな手順で自分を追い込み勉強しています。◆英語のヒヤリングソース(クリックでジャンプします)February 28 , 2005 のソース◆このソースは、スクリプトの公開をしています。このスクリプトは、すぐにプリントして手元で持っております。This is the Lint Newswrap for the week of February 28, 2005.H-IIA rocket successfully blasts off; three of the six nations seek to resume the six-nation talks; former Kokudo chairman comes clean over Seibu stock scandal; and the Special Olympics are under way in Nagano. ■ The Japanese Aerospace Exploration Agency successfully launched an H-IIA rocket carrying a weather forecasting satellite last Saturday. Officials hope that the mission will restore the space program's reputation after the failed H-IIA launch in November 2003. The satellite is set to begin operation when it reaches an orbit 36,000 kilometers above the equator on March 8. Named MTSAT-1R, the satellite is equipped with space navigation mechanisms and will perform weather forecasting and air traffic control functions. It will replace the outdated "Himawari" geostationary meteorological satellite. Until now, the Japan Meteorological Agency has depended on the U.S. weather satellite GOES-9.■ Japan, the United States and South Korea have decided to seek North Korea's return to the so-called six-nation talks to discuss the North's nuclear issue. This was the first meeting of top officials who represent these three countries in the six-nation talks since North Korea announced it withdrawal from the talks on February 10. Also on that date, North Korea announced that it had produced nuclear weapons. Leading Japan's delegation was the Foreign Ministry's head of Asian and Oceanic Affairs Bureau Kenichiro Sasae. Sasae told reporters all three countries were determined to have North Korea return to the talks unconditionally. ■ Yoshiaki Tsutsumi, former chairman of Seibu Railway's parent firm, Kokudo Corporation, has apparently admitted his involvement in the railway's underreporting of its stock ownership, investigative sources have said. Prosecutors plan to charge Tsutsumi with false stock ownership reporting in violation of the Securities and Exchange Law. Investigators said that Tsutsumi and top group officials sold nearly 72 million Seibu Railway shares to 70 companies and two individual investors for some 65 billion yen in August and September last year before Kokudo's problematic ownership in Seibu shares came to light. Kokudo later cancelled the transaction with the firms and investors.■ The Special Olympics World Winter Games began in Nagano Prefecture last Saturday. The winter Special Olympics is the world's largest international sporting event for athletes with intellectual disabilities. This is the first time for the Special Olympics to be held in Asia. The opening ceremony featured a dance performance by LOVE JUNX, which is an entertainment team that includes people with Down syndrome. In total more than 11,000 athletes, officials and volunteers are participating in the games. The winter Special Olympics are scheduled to conclude on March 5. That's it for this week's Lint Newswrap. I'm Scott Lockman for Lint. Have a great week. ◆次に、ソースを流して眼をつぶり聞いています。眼をつぶる理由は、私がきわめて多動的で気が散りやすい性格だからです。冷静で集中力のある方は必要ないでしょう。その次に、ソースを流しながらICレコーダーで聞き取れたフレーズをシャドーイングして吹き込みます。◆スクリプトを眺めながら、ICレコーダーを流します。聞き取れたところには、赤いボールペン等でアンダーラインをひきます。逆でもいいのですが、聞き取れないところが圧倒的に多いので見苦しいです。聞き取れたところを下線して、聞き取れなかったところを確認します。◆全体を音読して、単語でつまづいた場合にはすぐにポストイットに転記して部屋に張り出しします。あまりにつまづいた単語が多いと部屋中がポストイットだらけになるので、部屋の美観のために単語はどんどん覚えてゆくようにします。◆翌日も、同じことを繰り返します。聞き取れるところが増えてきます。聞き取れないところがなくなるまで繰り返します。2、3日続ければ大抵のフレーズは耳に収まってしまうものですね。自分的には、ICレコーダーで自分の能力を毎日マナイタにのせるのがスルーです。自分に駄目を出し続けるわけですから、毎日恥かきを潰しているわけです。いかにいままで怠惰な学習をしてきたのだとすぐに理解できました。訓練というのは、恥をかくことだったんですね。付箋紙もききますね。これは見苦しいですよ。自分のまわりに知らない単語の付箋がそこいら中に貼られていると屈辱で、すぐに意味を調べて呑み込もうとしますからね。Weekly Lint Newswrapへはクリックで・・・スカイプ仲間の輪が広がっています。シャルドネ☆のIDを登録してみてください。愉しく御話してみましょう。スカイプID:chardonnay99_jp
2005年03月26日
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作家・高村薫さんは吹田市の自宅にいて、阪神・淡路大震災の揺れを経験した。殺人事件を追う警察小説を書いてきた高村さんは、震災後その作風が大きく変わった。この現実に勝るフィクションはない、と小説の中で人を殺すことができなくなったのだ。震災で亡くなった多くの人々の命。震災の被害から立ち直ろうと力強く生き続ける人々。「無名の人たち」の人生こそが尊いと高村さんは感じ、市井の人々に目を向けるようになった。日本の行く末。五十年・百年の単位で日本はどうなっていくのか。高村さんは考え続ける。住宅密集地を解消し、高架を減らす・・・百年かけて「人が死なない街」を作るべきだと思いをはせる。震災の犠牲者の命を無駄にしないためには、もう二度と同じような悲しみを繰り返してはいけないという強い思いがあるからだ。失われた多くの命を前に語る言葉がない、とこれまでテレビでは多くを語ってこなかった高村さんが、それぞれ震災について思索し行動する写真家・立木義浩、棋士・谷川浩司、消防研究所理事長・室崎益輝の3氏とトークしながら、日本と日本人はどう変わったのかを探っていく。そして阪神・淡路大震災によって変容した自らの思索の軌跡をたどる。 放送日:3月26日(土)午前1時~2時30分 教育テレビ (25日 金曜深夜の放送となります) 「阪神・淡路大震災10年 作家・高村薫 思索の旅」(2005年1月15日放送) 今日は、どうしても高村薫について書かざるを得ない。自分は、彼女が有名な小説家だという事は知っている。しかし、彼女の作品が次々に書店の店頭に並んでいる頃自分は自分のテーマに狂奔しており到底手元で読んでいるような余裕はなかった。せいぜい新聞紙面や、テレビでの折々の発言に丁寧に接しているぐらいのことである。彼女は、自分と同じ大阪の生まれだ。もうひとつだけ共通点がある。あの阪神大震災の朝に、吹田千里で地底からの強烈な突き上げを身をもって体験したという事である。自分は、過去何度も死に掛けた。鈍いのかタフなのか平然と生きている。あの時も、正直ここで死ぬかと思う強烈な体験をした。さすがにあれを経験すれば、人生観が変わる。これは間違いなく変わる。昨晩、深夜に再放送された高村薫の番組をみた。いつも、ひとテンポ遅れている自分らしいのだがこんな番組があることすらまったく知らなかったのである。しかし、登場した立木義浩、谷川浩司、室崎益輝・・・そのそれぞれの皆さん凄いのである。谷川浩司は、名人になったころから当然知っている。あまり将棋にも棋士にもあまり関心がないのだけれども彼がNHK教育に登場するときにはかかさず視ていた。あの坂田三吉の系譜に連なる関西の気鋭の谷川は、自分はなぜかいつも気がかりで無表情に朴訥と将棋に取り組んでいる姿勢にいつも気がひかれた。今回、番組で高村薫とあの阪神大震災の体験を肉声で語る彼に、なぜ自分が谷川に惹かれたのかが分かったような気がした。写真家の立木義浩も眼が異様に鋭くなって、テレビ番組とはいえその言葉すくなな中で万感を籠め少しづつ言葉を選びながらも高村薫に迫っている応酬は見ている側も辛いほどの緊張感だった。自分には、マタイ伝第4章のサタンとイエスの応酬にいあわせているような心地に次第に傾く。もとより立木は、気性の激しい人とみうけたが画面で尋常ならざるまでにみひらいた立木の双眸は、瞬時鉄を刺すように光った。ハイエナが肉を喰うことを咎められたならば、あんな眼をするのだろうか。かつて、名だたる写真家の中で一番自分に心地良さを与え続けてもらえたあの表現者にとって、一流のコアな何ものかが露出した瞬間だと思える。高村薫に表現者として諌めるように語りだす、立木には表現者としての拠り所は自明だったのだろう。それは表現に掛けた個の迫度というものである。一方、若い谷川の朦朧とした躊躇のような回想は自分には明瞭にみてとれた。わたしや谷川には根拠は所与のもののようであって、突如あるべきものの中でも最もあるべき筈の所与が思いもかけず消失しちまうというような瞬間には闘いはおろか、闘魂の維持すらなすすべがなかったのであろう。それは第一級の棋士においてもそうだったらしい。画像はサンフランシスコ1906高村薫は、精神の内面から掻き消された守るべきものが意味的に(同時に意味論的に)消えてしまった中で到底既存の小説家としての表現を既定のもののように走らせることができなくなったと告白する。われわれは、胸裏に響く死者の声に対峙して自身の守るべきものの意味をみいだせないままいまだに漂流しているこれらの想念にに平素どのように距離を置いていられるのだろうか。ふたたび、関東や日本各地の都市インフラにあのマグニチュード8を軽々越える規模の痛撃が襲うことはほぼ間違いない。この時代に、まだお札がお札を増やすことを嬉々として追い求めなければならない多くの経済投機者たちに、生きながら死んでいる亡者というような気配を感じずにはいられない。その思いは、高村薫とて私らとなんら変わるところはないのではないか。そのように思えた。自分は、3度も命拾いをしてまだ懲りず95年1月17日にはあの世の片鱗をみたほどの体験を通過した。さりながら今だにこの日暮ノーテンキな日常は一体なにごとなのだ。その無造作な今に、つくづく立木などに及びもしない迫度の不在を痛感する。おそらくこれからも人は咎(とが)なく無意味に死ぬ。情けなく死ぬ。おびただしく死ぬ。それはもう回避できない域にある。消防研究所理事長である室崎益輝の語りに透かしてみえている。生きていることの意味を探るでもなし。相当の覚悟も迫度もなしに、夢うつつに過ごすわれわれは案外命そのものの側ではなく、命の影のような存在なのかもしれぬ。
2005年03月26日
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私も完全無欠に英語の負け組みでして・・・「あぁ~、もっともだぁもっともだぁ」と読ませていただきました。すごく参考になります。(やるか?!やらないか?!)一念発起じゃないけれど、やればできるもんなんですよね。 Re:渡部千賀さん!ありがとう。(03/25) ちいちいぱっぱさん 実は、2000年にDUO3.0を購入しました。CDもです。カトマンズから帰国した直後ですね。釈迦生誕の地、ルンビニをみてシンガポール経由で帰って来た。アジアまわって来ても英語は必須だとつくづく痛感したわけです。当時THINKPADにいれてヒマがあれば聞いていました。筐体が頑丈だし、結構渋いつくりのノートパソコンだから持ち歩いても平気でしたが、やはり軽便ではなかったです。だから、自分では560例文の5分の1も頭に入っていなかったです。オフ会で製薬会社の翻訳業務をされていた方から、私には「どんなに時間をかけても10ヶ月ぐらいで一気に頭に叩き込まないと駄目ですよ」とアドバイスを貰っていたのですが仕事のあいまというのは限度があります。学生時代でもそれだけの集中力はなかなか発揮できないと思うのですが、長じて雑務が多くなると気力と時間が絶対的に欠乏しがち。教材との相性の良さははっきりとしていたのですが、なかなか遅々として進みませんでした。でも、あのiPODとかiRIVERの登場は衝撃的でしたね。これで一気に40年の遅れを取り戻し短期にTOEIC660 は狙うぞって気持ちが湧いてきました。自分みたいな50過ぎのオヤジが実験ではそこそこ手応え感じるわけですから、ちいちいぱっぱさんなんかは楽勝ですよ。ある程度、音が頭にはいると書くほうも相当はかどりそうです。とにかく「一点突破」あるのみですよね。それにDVDでなくても、CNNやBBSだって音源がタダでいくらでもWEBからいただけるという時代です。これはほんと凄いですよ。自分は、高校時代にVOAを聞けといわれたけれど、大阪でどうして聴くのだと歯噛みした記憶があります。いまや、わが人生で最大の英語習得の好機到来という気がしています。いや、SKYPEをもっとタダでバリバリ愉しみたいからです。アホな英語教師をやとったら時給2500円とか4000円とか恥ずかしげもなく切り出してきますよね。彼らから学ぶものがあるのか正直私は相当疑問を感じて仕方がないのです。ぜったいに英語教師ではなく、スカイプの徹底利用で自分なりにあと1年は絶対にやり抜いてみようと思っています。スカイプ仲間の輪が広がっています。シャルドネ☆のIDを登録してみてください。愉しく御話してみましょう。スカイプID:chardonnay99_jp
2005年03月26日
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渡辺千賀シリコンバレーのコンサルティング会社Blueshift Global Partnersのファウンダー・社長として、技術関連事業での日米企業間アライアンスと先端技術に関する戦略立案を行っています。会社設立以前は、東京の三菱商事にて、大規模不動産開発向け情報システム企画開発、ソフトウェア・ハードウェアの事業企画、米国インターネット基盤技術ベンチャーへの投資に関わった後、マッキンゼーで戦略コンサルティングに従事。2000年からシリコンバレーに移り、事業開発と戦略立案両方の経験を生かし、頭も手も足も動くコンサルティング事業を展開しています。また、NPOのJapanese Technology Professionals Associationのファウンディングメンバー・代表として、シリコンバレーの日本人プロフェッショナルの支援も行っています。職歴 * 三菱商事株式会社 * マッキンゼー * ネオテニー学歴 * 東京大学工学部都市工学科学士 * スタンフォード大学MBA趣味 * 読書(脳神経学・動物生態・文化人類学など) * スキューバダイビング * ゴルフ * スキー(クリックで渡部千賀さんのサイトへジャンプします)皆さん、ご存知の渡部千賀さんという社長さんの有名サイト。そこここに凄い英語学習のスキルが全公開されている。なにせ、「英語学習負け組」のわたしが手探りでいま一番旬な英語学習法をと探しに探して、体感上現在流通している英語学習法でもっとも妥当かつ秀逸なものを選ぶとこの方の方法論だと思った。最高である。でも、10年前や20年前にこんな方法を教えられていても今ほど環境は整っていなかったと思う。この時代に、教えられて状況にも恵まれているわけなので、ちょっと頑張ってみようとワクワクする。(クリックでジャンプします)(1)まず最大の鉄則は「読む」「聞く」「読んだことがないものは書けない。聞いたことがないことは話せない」。日本の中学レベルの英語が大体マスターできたら、後は「読む」と「聞く」に注力すべし。感覚的にいうと、必要な時間は「読む」=「書く」の10倍「聞く」=「話す」の10倍(もしかしたら100倍といってもよいかも)はっきりいって「英会話のレッスン」とか「英作文」は殆ど無駄。英語は数学のようにクリエイティブに解を導く学問ではない。聞いたことのある言葉・文章、読んだ言葉・文章から、必要なものを引っ張り出してきて、適当に組み合わせて「話す」「書く」のだ。たくさんの言葉・言い回しを知らないとだめ。さもなければ、Garbage in garbage out(入ってくるものがゴミなら出ていくものもゴミ)だ。というわけで、聞く・読む方がずっと重要。特に日本人では読み書きは何とかなっても、究極的に「話す」「聞く」ができないことが多いので、以降「話す」「聞く」に特化して勉強法を説明する。しかし、この渡辺千賀さんという社長さんはなぜこんなに親切なのだろうか。このプログに公開されている内容だけでも、英語学習の講演会でさんざん稼げるようなレベルの高い内容だと思う。たぶん、たっぷり所得を取れているのでバカな英語教師が失業するような質の高い英語学習法をわれわれの為にダンピングしてくれているのではないか。そんな気がした。(クリックでジャンプします)(1)ヒアリング上達方法会話英語スポーツ論に則り、リスニング力強化トレーニングを筋肉トレーニングと比較する。筋トレを行う際には、どの筋肉を鍛えるのか意識して行うことが肝要だが、リスニングも一緒で、「どの単語・どの音を聞き取っているのか」を意識して聞くことがとても大事。(逆に、意識してリスニングの練習をしないと、中々上達しない。大人になってからアメリカに住み始めると、何年たってもリスニング力が殆ど向上しない人がいる。これなどよい例。よほど耳がいい人でない限り、英語に浸って生活するくらいでは、思うように聞けるようにならない。)では、どうやって「意識して単語を聞き取る」のか。一番よいのは、a. 映画・テレビ・ラジオなどを5分程度、録音・録画する(もしくはDVDなど入手)b. その中で話されていることを全部が文字にしてあるスクリプトを入手(映画だったら、DVDで英語字幕、アメリカのテレビだったらclosed captionなど)c. スクリプトを見ながら、その全ての単語が聞き取れるようになるまで何度も聞く「キャプションを見ながら聞いてはいけません」などという教えもあるようだが、私自身の経験では「聞き取れないものはいつまでたっても聞き取れない」ことが多い。よって、迅速な上達にはスクリプトを見ながらの方がよい。ただし、字幕なしで聞き取れるようになるまで執拗に何度も聞く。これを一週間で一教材(つまり5分のものを一つ)こなしていく。2-3ヶ月で見違えるような成果があると思います。実験してみたのだが、一作目の「マトリックス」のDVDが平易でとっつきが良かった。割合にゆっくりとセリフを言ってくれるシーンが多く、しかも映画のすべてを網羅したスクリプト本が書店で簡単に手にはいる。DVDも相当安く売られているし、ビデオショップでも棚落ちしたものを500円ぐらいで売っている店もあった。DVDは、あのVHSと違い中古でも傷さえなければなんど繰り返して見てもメデアが劣化することはないのでありがたい。スカイプ仲間の輪が広がっています。シャルドネ☆のIDを登録してみてください。愉しく御話してみましょう。スカイプID:chardonnay99_jp
2005年03月25日
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すべてを知り覚った方に謹んで申し上げます。ひとはなぜ苦しむのでしょう・・・ほんとうは野の花のようにわたしたちも生きられるのです。もしあなたが目もみえず耳もきこえず味わうこともできず触覚もなかったらあなたは自分の存在をどのように感じるのでしょうか。これが「空」の感覚です。聖なる観音は求道者として真理に対する正しい智恵を目指していたときに宇宙に存在するものには五つの要素があることに気づきました。お聞きなさい。これらの構成要素は実体をもたないのです。形のあるものには形がなく形のないものには形があるのです。感覚、表象、意志、知識もすべて実体がないのです。お聞きなさい。彼はこれらの要素が「空」であって生じることもなく無くなることもなく汚れることもなくきれいになることもないと知ったのです。お聞きなさい。私たちは、広大な宇宙の中に存在します。宇宙では形という固定したものはありません。実体がないのです。宇宙は粒子に満ちています。粒子は自由に動き回って形をかえてお互いの関係の安定したところで静止します。お聞きなさい。形のあるもの、いいかえれば物質的な存在を私たちは物資的な存在としてとらえているのですが現象というものは時々刻々と変化するものであって変化しない実体というものがありません。実体がないからこそ形をつくれるのです。実体がなく変化するからこそ物質であることができるのです。 「生きて死ぬ智慧」より柳澤 桂子1938年東京生まれ。60年お茶の水女子大学理学部を卒業し、アメリカに留学。分子生物学の勃興期に立ち会う。63年コロンビア大学大学院を修了。慶應義塾大学医学部助手を経て、三菱化成生命科学研究所主任研究員として、ハツカネズミの先天性異常の研究を始める。30代より激しい痛みと全身のしびれを伴う原因不明の病に苦しみ、83年に同研究所を退職。病床で多数の科学エッセーを執筆。99年、クスリの新しい処方により奇跡的な回復をとげる。主な著書に「二重らせんの私」「お母さんが話してくれた生命の歴史」「遺伝子医療への警告」「癒されて生きる」「卵が私になるまで」「われわれはなぜ死ぬのか」「生と死が創るもの」「ふたたびの生」「生命の不思議」ほかぶっせつ ま か はんにゃは ら み た しんぎょう仏説摩訶般若波羅蜜多心経かん じ ざい ぼ さつ ぎょう じん はん にゃ は ら みっ た じ しょう けん ご うん かい くう観自在菩薩。行深般若波羅蜜多時。照見五蘊皆空。ど いっ さい く やく しゃ り し しき ふ い くう くう ふ い しき しき そく ぜ くう度一切苦厄。舎利子。色不異空。空不異色。色即是空。くう そく ぜ しき じゅ そう ぎょう しき やく ぶ にょ ぜ しゃ り し ぜ しょ ほう くう そう空即是色。受想行識亦復如是。舎利子。是諸法空相。ふ しょう ふ めつ ふ く ふ じょう ふ ぞう ふ げん ぜ こ くう ちゅう不生不滅。不垢不浄。不増不減。是故空中。む しき む じゅ そう ぎょう しき む げん に び ぜっ しん い む しき しょう こう み そく ほう無色 無受想行識。無眼耳鼻舌身意。無色声香味触法。む げん かい ない し む い しき かい む む みょう やく む む みょう じん無眼界 乃至無意識界。無無明亦 無無明尽。ない し む ろう し やく む ろう し じん む く しゅう めつ どう む ち やく む とく乃至無老死 亦無老死尽。無苦集滅道。無智亦無得。い む しょ とく こ ぼ だい さつ た え はん にゃ は ら みっ た こ以無所得故。菩提薩。依般若波羅蜜多故。しん む けい げ む けい げ こ む う く ふ おん り いっ さい てん どう む そう心無礙 無礙故。無有恐怖。遠離一切顛倒夢想。くう ぎょう ね はん さん ぜ しょ ぶつ え はん にゃ は ら みっ た こ究竟涅槃。三世諸仏。依般若波羅蜜多故。とく あの く た ら さん みゃく さん ぼ だい こ ち はん にゃ は ら みっ た得阿耨多羅三藐三菩提。故知般若 波羅蜜多。ぜ だい じん しゅ ぜ だい みょう しゅ ぜ む じょう しゅ ぜ む とう どう しゅ是大神呪。是大明呪。是無上呪。是無等等呪。のう じょ いっ さい く しん じつ ふ こ こ せつ はん にゃ は ら みっ た しゅ能除一切苦。真実不虚。故説般若波羅蜜多呪。そく せつ しゅ わっ ぎゃ てい ぎゃ てい は ら ぎゃ てい は ら そう ぎゃ てい即説呪日。羯諦 羯諦。波羅羯諦。波羅僧羯諦。ぼ じ そ わ か はん にゃ しん ぎょう菩提薩婆訶。般若心経。スカイプ仲間の輪が広がっています。シャルドネ☆のIDを登録してみてください。愉しく御話してみましょう。スカイプID:chardonnay99_jp
2005年03月24日
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地価は下落する 団塊世代公務員の仮需だけでは?地震発生の確率が高いのに、今後上がる要素が無いような気がします。日本のカントリーリスクがどうなっているかを見れば一目瞭然ですね。 kaiser1さんこのネタ、こちらはもう飽き飽きしているところがあるのですがいまだにマンション購入している「カミカゼ特攻隊」のような方々が世間にはまだ相当おられるらしいので・・・それって、お札をライターで燃やしているのと大差ないでしょう?少なくともここ2、3年でマンション購入した方。それはもう60年前の太平洋戦争で鬼畜米英って、鉢巻して竹やりでアメリカの爆撃機を撃墜するって思い込んでいた爺さん婆さんたちを笑えないですよ。いまやマンションや不動産は、1000万円値引きされても「高い」と値切ってあたりまえ。買うそぶりをして、けっして購入しないのが粋ってものでしょう。景気回復を演出するために、膨大な規模のマンション供給を演出してきたこの数年、700戸もあるタワーマンションをジャカスカと建ててどうするつもりなのだろうか、と呆れていたのです。たまたまとある政府系金融機関の支店長経験者に直に聞いたのですが、結局不良債権の規模の小さい金融機関が一斉に「貸し剥がし」実行してかき集めた資金を不良債権処理に悩む、あの怪しい金融機関の優良顧客に対して融資攻勢を仕掛けて例の自己資本比率を盛り下げるという一大喉斬り謀略だというのですね。つまり新しくマンションを建てる、ビルを建てる。すると当然、旧いマンションやビルに居ついていたテナントや利用者が割安感のある方へシフトする。すると元々不良債権処理で悩み果てている金融機関は、優良債権であったマンションやビルからのテナント収入が地滑り的に消失して雪だるま式に不良債権規模が拡大する。こういうマネーゲームをバブル崩壊以後延々やらかしていたという訳です。元中小企業金融公庫支店長はそのように述懐されました。昨今、あの竹中らの周囲で「不良債権処理はめどがついた」などとそらぞらしいアナウンスが流されていましたが聞いている方が赤面をするような酷い話ですよ。そもそも金融機関の不良債権とは、われわれ国民や民間企業から掻き集めた預貯金を短期利回りの追求で投機性の高い融資とは名ばかりのバクチに大量投入したことのツケでしょう?ほかならぬ中曽根や宮澤が指揮指導した亡国的な国富散財じゃないですか。そりゃあ、レーガン政権時代に「双子の赤字」だと火を噴いていた同盟国アメリカの救済に日本国内から根こそぎ大量の資金を持ち出したに違いないんだ。ハゲタカファンドだか、なんだか知らないけれど偉そうにしていうが、その元手はといえばまずまずわが日本国民が営々と蓄積した個人金融資産を無理やりシステム動員して巻き上げた寺銭みたいなものが起源なカネだったわけじゃあないんですか?当らずといえども遠からずでしょう。そいでもって、そのハゲタカファンドの提灯もちがあのホリエモンって構図だと私には思えてならないんですよね。元首相の宮澤喜一が、けっこうホリエモンのシンパだって言うよねえ。舞台裏が透けてみえませんか?だって、われわれの60年前。先の大戦以来、この地球で毎日のように高額の爆弾や核兵器、ミサイル、戦車、武装ヘリを用いて人の命を絶やすまで殺戮を繰り返してきたわけでしょう?婆さんから教えられた世界観では、どう考えてもわれわれの手元にだけ預金資産が残っている筈がないですよ。皆様、そんなこと考えられたこと一度もないのですか?スカイプ仲間の輪が広がっています。シャルドネ☆のIDを登録してみてください。愉しく御話してみましょう。スカイプID:chardonnay99_jp
2005年03月24日
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亀渕昭信亀渕昭信株式会社ニッポン放送代表取締役社長。長い間編成部に在籍し、人気番組を生み出した。オールナイトニッポンのパーソナリティを担当したことがあり、斉藤安弘とともにカメ&アンコーとして CBSソニー(現SME)より水虫の唄をリリースして、ラジオ以外の場でも有名になった。妹は、ゴスペル歌手の亀渕友香。 昭和17年3月1日生。北海道出身、早稲田大学政経学部卒。昭和39年4月 株式会社ニッポン放送入社昭和60年6月 同社取締役昭和62年6月 同社常務取締役平成2年6月 同社専務取締役平成2年6月 株式会社ポニーキャニオン専務取締役平成4年6月 フジテレビジョン取締役平成11年6月 ニッポン放送代表取締役社長(現職)平成11年6月 サンケイビル取締役(現職)平成11年6月 フジサンケイリビングサービス取締役(現職)平成11年6月 サンケイリビング新聞社取締役(現職)平成11年6月 彫刻の森 取締役(現職) 平成13年6月 フジテレビジョン取締役(現職)なるほどなあ、悔しくて仕方がないのだろう。若くみえているが、自分よりも10歳も年上の堂々とした経歴で、この顛末は悔しくて夜も寝られないというところだろう。ホリエモンが勝ったの?あまり興味ないなあ。それよりも、今日のニュースで日本の地価急落に歯止めって本当かい?全国の地価 下落の勢い弱まる国土交通省が発表したことしの地価公示によりますと、全国の地価の平均は、住宅地・商業地ともに14年連続で下落しましたが、東京など3大都市圏で下げ止まり傾向が鮮明になるなど、全国的に地価下落の勢いが弱まっていることが分かりました。(03/23 18:01)このNHKニュースは、自分的には犯罪に近いという気がする。あの東京大空襲の直前に、警戒警報を勝手に止めてしまったという事件が戦後の日本国民に秘匿されている。それに近いぐらいの欺瞞的な謀略報道だという気がするんだよね。国土交通省の発表と、NHKのことさらなニュース告知。これって一体なんなんだろう。そんなわけないだろう。不動産鑑定士って職業はさあ、依頼主の希望どうりに地価をどうにでも描く職業なんだよ。せいぜいルックアップするものといえば、自治体側が提示する「比準表」ぐらいだろう。こんなもの地方役人の鉛筆舐めナメだってことは公然の秘密なんだよ。つまり不動産鑑定士の仕事は、大概官界からの予算で動き、官のご都合にそわせて三味線弾くようなお座敷芸者なんだ。いってみれば、国と自治体の「腹話術」だろ。予言してもいいよ。産業空洞化、少子高齢化、農業輸入自由化、若年労働人口のニート層肥大。晩婚化、土地建物の過剰供給。どこをどう転んでも地価が高騰する可能性など皆無。いや、まだまだ下がる下がる。ここしばらく購入された土地やマンションなど、もうローンでは支払い続けるのが馬鹿馬鹿しくなるぐらい価格は暴落するよ。いま2000万円のマンションなんか、半値八掛け二割引き。いってみれば640万円の価値があるか、どうかも怪しいと思うよ。需要が急降下する中で、企業が旧い資産を一斉に手放すのは間違いなく供給はうなぎのぼりに急拡大する。すでに過剰供給のところへ更に現物が怒涛のごとく市場に流れ出る。すでに産業は「第三の波」に洗われている。つまり、地価革命ではなく、知価革命が進行しているわけだ。国民がみな百姓するわけじゃないだろう?知価ってことはさ、頭で稼がねばならない時代が来たわけじゃない。土地で耕作するとか、土地転がしで儲けるなどという時代は、もう二度と来ないんだよ。日本の公的債務が2000兆円近くもあるんだって風評聞いたことあるでしょう?こんな時代に個人向け国債買えってテレビで宣伝しまくっているんだから空恐ろしい。かつて個人に国債買えって持ちかけた国で破綻しなかったような国があるのかよ?個人金融資産1200兆円?まあ、皆さん住宅ローンで負債もあるわけだ。正味で1000兆円あるかなきか。でも、国側はとっくのむかしに散々無駄遣いして使い切っているわけだ。お札は無理やり刷りまくっているが実態であれは偽札みたいなものでしょう?だったら、ツケが国民にまわってくるのは火を見るより明らかじゃないですか。そもそもいま日本にまともに郵貯だ、なんだって額面どうりに預貯金が残っているのかい?嘘でしょう?ああ、これからあなた方の預貯金を狙ってくるんなんて話じゃあないよ。勘違いをしないでね。もう皆さんの預貯金は記帳されたときに今だに数字が真面目くさって印字されてくるだけでね、とっくの昔に御国はこっそり裏で転用してて、まんまと使い切られていますよって事なんだ。決まってるよ、国に踏み倒されるんだ。だから間違っても地価が下げ止まったなんて、「大本営発表」みたいなNHK報道を真面目に信じちゃだめですよ。(クリックでジャンプします)空襲警報発令が遅れた原因とは、当夜当直参謀付きをしていた陸軍中尉藤井恒雄氏の証言 そのうちに陸軍第十二方面軍作戦室にある防空地図の、敵機の位置を示す情報盤の赤い豆ランプがあちこちで点滅を始めて、次第に状況判断が不可能になり始めた。私は当直の一戸(いちのへ) 参謀に空襲警報を発令すべきだと進言したが、参謀は許可しなかった。参謀としては状況がはっきりとしないうちに、しかも深夜に空襲警報を発令すれば、天皇は地下の防空壕へ避難しなければならないので発令をためらったわけです。つまり天皇の安眠を最優先に考え、都民の空襲に対する安全の確保を二の次に考えた結果、空襲がすでに始まってから空襲警報を発令するという大失敗を演じてしまった。下町一帯が夜空に大きく炎上する様子を屋上から見た一戸 参謀は、唇を噛みしめて「遅かったか!」と言ったそうですが、この参謀がその責任を取らされたという話は、今まで聞いたことがない。(著書、東京大空襲、東京が燃えた日)スカイプ仲間の輪が広がっています。シャルドネ☆のIDを登録してみてください。愉しく御話してみましょう。スカイプID:chardonnay99_jp
2005年03月23日
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英語の学習はコストとリターンが合わないのです。私の努力不足と飽きっぽさが原因なのですが、困っています。早速お勧めのCD アマゾンに注文しました。 キャッシュフローゲーム0726の会さん(2005/03/23 12:47:51 PM)こんにちは、お元気ですか。わたしはこの1月に、楽天日記のオフ会でメセニさん(skype ID ;metheny0506)から教えられたスカイプで猛烈な衝撃を受けたわけです。いよいよわれわれが80年代にアルビン・トフラーから示唆された「第三の波」が大衆的規模で普及し始めたという実感を感じました。英語学習は、支出過多になりますよね。これはどう考えてもおかしいです。自分は、指折り数えると軽く学校では10年、自学自習を加味すれば散漫ながら20年以上も英語学習していながら、まったく使い物にならないというのは情けない。英語教育という産業の在り方がどこか不当な稼ぎを基盤にしているからだとしか考えられないです。義務教育年限だって、英語教師はもっと大胆に外国人を雇用していてもおかしくないし日本語教員にかならず補助教員としてネイティブをつけることを義務づけていればこんな不思議な事態にならなかったと思うんです。現実には、日本の英語教育の当事者らはそんな発想も、抜本解決も一切手をつけませんでしたよね。ついに70年代には夢ものがたりだった、「第三の波」にまみれることになった以上どうしてもこうしても英語修得は避けがたいような気がします。いまポーランドの青年から我慢強く自分の発音を直してもらっている最中なのですが、スカイプって本当にありがたいと思います。駅前ノヴァとか何とかに通ったりなどしていたら、とんでもない支出になりかねません。わたしはただ彼に日本語で世間話をしてあげるだけで英語を教えて貰えているんですからねえ。これが第三の波の体感できる最初のご利益なんでありましょうか。パソコン通信などを早い時点で開始した自分の経験から推量して、この「波」は毎回かならず一番乗りのメリットが高いと思います。二番手、三番手は結局その価値が希釈されノイズにまみれがち。コストとリターンは、もしかしたら瞬間に回収できる可能性すらあるという予感もあるんですよ。そのチャンスは、けして平等ではなくリスクをおそれずにコストをかけた側に微笑みかけてくるように思います。しかも、いまの30代以下の方々の語学スキルによるリターンよりも40代以降の年代にとっての語学スキル改善のメリットは比較にならないほど高いはずです。事業錬度や、職業経験のある世代が「道具としての英語」にようやく大衆的な規模でリーチがかけられるようになった。そう言う意味でスカイプの衝撃は予想以上に大きいと私は思っています。追伸実は、今持っているICレコーダーとDVDソフトと映画のシナリオ本を駆使した自己チュー流儀の「ジグソーパズル方式」という学習法を作りました。(笑)これは自分が作った自分のためだけの学習法なんですが、結構つかえそうです。実は、今日も映画「マトリックス」のDVDから、、、What the hell do they want from me?なんて言う台詞を取材できたのですが、これまでの学習法では絶対に拾えなかったと思うわけです。我流でも、なんでも自前の学習法を作るのは愉快ですね。WHAT IS THE THIRD WAVE? By Alvin and Heidi TofflerThe First Wave of change, launched by the agricultural revolution of 10,000 years ago, led to the transition from hunting, gathering, and foraging to the great peasant societies of the past. The Second Wave of change, triggered by the Industrial revolution some 300 years ago, gave rise to a new factory-centered civilization. It is still spreading in some parts of the world as hundreds of millions of peasants, from Mexico to China, flood into the cities searching for minimal-skill jobs on factory assembly lines. But even as the Second Wave plays itself out on the global stage, America and other countries are already feeling the impact of a gigantic Third Wave partly based on the substitution of mental power for muscle power in the economy.The Third Wave Information Society is more than just technology and economics. It is not just "digital" and "networked." Painful social, cultural, institutional, moral, and political dislocations accompany our transition from a brute force to a brain force economy. The Third Wave helps explain why so many industrial-era institutions, from giant corporations to governments, are dinosaurs gasping for their last breath. It is why America is suffering from simultaneous crises in everything from education system, the health system, and the family system to the justice system, and the political system. They were designed to work in a mass industrial society. But America has left that behind.Driven by global competition and other forces, America today is completing its transition from a Second Wave nation with a rusty smokestack, assembly-line economy to a sleek computer driven, information and media dense economy and social system that, surprisingly, will have many features of the pre-industrial past. Swept along by the Third Wave of history, we are creating a new civilization. スカイプ仲間の輪が広がっています。シャルドネ☆のIDを登録してみてください。愉しく御話してみましょう。スカイプID:chardonnay99_jp
2005年03月22日
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ここのところ、ようやく自分なりの英語学習環境が整備できたという話題を述べた。もう少し補足する。自分は、飽き性である。とびっきりの飽き性なのだ。嫌だと思ったら、どんなに叱咤しても続かない。嫌なことは三日も続ける気持ちはないのである。こんな飽き性な怠け者には英文解釈や英作文は、ぜったいに駄目。ひたすら耳で聞いて、音読ぐらいが関の山である。ミドル英二氏おすすめのピンズラーもいいと思うが、なにせ語彙を増やすには不足がある。ピンズラーは、アメリカの街を迷わずに歩くにはいい教材だろうと思うが、少々退屈感も湧く。たしかに基礎力を総点検してくれたので、ミドル英二氏には感謝する。実に有り難いソフトだと思うのだが、自分はあえて周囲にお奨めしようとは思わない。海外へ出向く予定のある英語初心者にはピンズラーはいいと思う。自分が購入した教材で、一番愉しいのはこれだ。おすすめの理由は「愉しい」という一点にある。2900円ほどで5年も愉しんでいるのであるから、値打ちがあるというものだ。テキストだけならば1200円である。だが、自分はCDの方を強くお奨めする。なんど聞いても飽きないのである。自分のiRIVERにすべてほりこんである。軽々と収容できるフラッシュメモリーも凄いが購入した時代にはCDウォークマンしか存在しなかったために利用が不活発だった。このおきにいりのCDが毎日聴けるのは嬉しい。例文が500ほどあって、すべてCDで音声ソースが用意されている。例文ひとつで、あたらしい単語がいくつも覚えられるという構成になっているのだが、無理なくつくられた例文が秀逸なのである。例文が浮かぶと同時に、難解だと思っていた語彙も体感で受け止められるようになる。映画やDVDをみていても、拾える単語がかなり増えたという気がする。テキストなどみたことがない。ただ、ひたすら聴いて口で反芻しているだけ。知らないうちに口からスラスラでてくるようになる場合も少し増えた。もしすべて身についていたら、もう少し喋れているはずだ。学習が日課的に継続できそうな身辺環境がパソコンのおかげで成立したのは本当に有り難い。スカイプ仲間の輪が広がっています。シャルドネ☆のIDを登録してみてください。愉しく御話してみましょう。スカイプID:chardonnay99_jp
2005年03月22日
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最近、書店の英語学習図書のコーナーへ立ち寄ることが多い。80年代ぐらいから延々と英語学習はやりこんでいるが、一向に上達はしない。英語ができれば何をするというわけでもなく、出来ない英語がシャクであれこれ腐心している。しかし、この数年で過去20年でもっとも英語学習環境が整備をとげている気がする。あきらかに80年代に英語学習を発起した時期よりも、いまが飛躍的に恵まれているように思う。skypeでポーランドの学生に英語を習っているが、普段の通勤時にも便利なフラッシュメモリーで復習している。これがまた具合がいい。おきにいりのCDが何枚も入っている。昨日も、ロングマンの辞書を買った。これが凄い。4000円もはたいて購入するだけの価値はある。付録のCDがバリバリである。辞書の方がおまけについているようなものだと思った。あの世間で評判の「英辞郎」よりも、自分的にはいいような気がする。入力したそのあとからすぐに英語圏のかおりのする適当な英語が語釈ともに飛び出してくる。当然発音つきである。そうそう発音についていえば、イギリス風とアメリカ風の両方がちゃんと入っている。選択すると、二様でそれぞれ発音してくれるのである。英語は、まるで上達しないがこの英語学習環境がどんどんよくなるのを眺めているのが本当に愉しいのである。さいきん、コーパスという言葉が舞っている。これが正体がわからないので色々調べたが適当な定義がみつからなかった。corpusコンピュータによる検索が可能になっている大量の言語データのこと。日本語や英語のような特定の言語、あるいは複数の言語での、テキストデータ・音声データの集まり。コンピュータでの言語処理の研究などに用いられる。また、くだんのロングマンの英英辞書によれば以下のとうりである。ようするにコンピューターの利便を活用した英語などのデーターベースのことらしい。これが活用しやすくなっている理由は、やはりわれわれのデスクの上に軽便にパソコンが利用できる環境が整っていることが大きい。つまり、ようやくパソコンは自分たちの生活まわりの楽チンに役に立つ道具としてでまわってきた。自分から言わせればwindowsXP環境以後に、ようやく日本の英語学習環境が完成したという気分なのだ。corpus nounplural corpuses or corpora /[countable]1formal a collection of all the writing of a particular kind or by a particular personthe entire corpus of Shakespeare's works2technical a large collection of written or spoken language, that is used for studying the languagea corpus of spoken English自分のように、さっぱり英語ができてもいない人間がこんなことを臆面もなく言うのもおこがましいのであるが、これまでやはりわれわれの英語学習環境は劣悪過ぎた。中学生時代に、リコーの学習教材を学校にセールスが販売に来た時代にも学習教材に憧れた記憶がある。また、自分なりに大枚をはたいて中学時代の英語教科書のオープンリール版の音声ソフトを購入した事もがあった。まるで使い物にならなかった。だが、あれは当時相当高額であったので痛かった。以後、二度と学習教材は買わなくなったものだ。自分なりに要約すると、いま英語学習面では人生最高の好機だと思っている。まず、SKYPE仲間の学生が懇切丁寧に英語指導をしてくれている。これにも応えてゆかないといけない。次に、フラッシュメモリが安い。CDウォークマンも持たなかった自分が、ようやく満足できる常備携帯の音声ソースを得た。これは相当な励みになる。そして、学習教材そのものの質が飛躍的に向上している。これまでのボンクラな英語教師がつくった教材などとは比較にならないほどその教材の質が変化していると思う。その理由は、やはり学習教材を制作している語学学習図書作成の出版社側のIT武装にあるのだろう。それと、もうひとつ。自分よりも世代的にあとの教師たちやビジネスマンが見事に英語を習得して現場で利用を始めている。この体験に厚みが出てき始めた。われわれはさらに効率の良い学習メソッドを選びやすくなっているのだ。自分は、お気に入りのDVDで映画を繰り返し観るようにしている。無論克明な完全台詞収録本と学習ノートの助けはいる。ソフトにも恵まれていると自分は満足である。パソコンは、この5年間で性能が50倍向上して価格はなんと5分の1である。いまや預金に励むとか国債を購入するよりも自分自身に投資する妙味がもっとも高い。語学学習は、いまその数少ない分野のひとつだと思う。この時代にマンションを購入するなど狂気の沙汰である。カタコト英語を身につけ国外に逃げる算段。これである。逃げられないまでも、外からに日本をみる視点が望まれる。まあ、そのうちにSKYPE仲間と話している自分のどうしようもない英語が、多少はマシになるような気がしてきた。CNN TRANSCRIPTS こちらにはあのCNNのテクストが取り出せるデーターベースがあります。スカイプ仲間の輪が広がっています。シャルドネ☆のIDを登録してみてください。愉しく御話してみましょう。スカイプID:chardonnay99_jp
2005年03月22日
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****さんシャルドネ☆様 こんばんは。スカイプの事で以前書き込みをさせて頂きました。いよいよ取り付けました。それは、それは。SKYPEの開発者になりかわって感謝します。私などが吹聴しなくても普及するのは明瞭にみてとれますが、新しいものが普及して世の中のかたちが変わるのが早くみてみたいというセッカチな私の性癖のなせるわざです。あのインカムは、安いもので十分ですよね。多摩電子工業がデザインもよくて最廉価です。確か650円です。ライブドアで購入すると3000円しますが、よく故障するようですよ。(笑)
2005年03月21日
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思い起こす小学生時代、亡くなった祖母に川で取れたザリガニを裏庭のニワトリに餌でくれてやりたいとせがんだ。鷹揚な祖母も、川のザリガニには寄生虫が多いゆえにニワトリに供するエサには不向きだと頑強に嫌がっていた。それを従兄らともどもうるさくせがんで無理やりザリガニ捕りの収穫をつぶしてどうしてもニワトリに呉れてやりたいと、強引にねじ込んだ。祖母も孫の声におされて、しぶしぶ苦笑いしながら看過したものだった。従兄数人と、自分はワイワイがやがやと川から吊り上げた多数のザリガニをゲンノウでつぶし、レンガの上ですり身のようにしてニワトリにくれてやることになったのだが、ニワトリが喜ぶのを眺めて残忍な気分を満たされていた。そのとき、「としちゃん、この小刀良く切れるやろ」と従兄のひとりがにやにやしながら耳打ちした。小学生同士とはいえ、従兄はきれい好きでいつも肩越しに眺めているだけの役目。実行部隊は、そそっかしい自分がもっぱら分担していたのだ。その赤寂びた小刀は、なぜか鋭利でザリガニはすぱすぱと斬れた。座敷にあがって、草餅を食べながら耳打ちしてくれた従兄の話を忘れもしない。その小刀は、農家の鎌や鋤のようなものとは相当違っていた。それはあの赤穂浪士ゆかりの日本刀を叩き壊したその一部だったのだという。いま、自分がニワトリのエサに菜切り包丁あつかいしていたあの刃物が、まさかの日本刀だったということを聞き、さすがに生意気ざかりの小学生ながら仰天した。祖母は、戦後極東米軍の関係者から通訳づきで強く譴責されたという。仇討ち譚はおろか、義挙忠臣などという凡そ世間ウケするような物語や顕彰にからむ話題の盛り上がる席では、こころして自制するようにと強力に諫止されたらしい。言うまでもなく、米軍の文化政策は、このレベルの配慮にも手厚かったのである。あだやおろそかに鼓舞吹聴するなかれ、という趣旨はそののちのち子沢山の祖母には忠実に服膺されたのである。従って祖母は、義士の話題がでるたびに空恐ろしい「もはや時代はちごうておる」と、くりかえし口にしていたものだ。あれを義挙だの、武勲だのと「あり難がる人達の気持ちが知れぬ」との思いは戦後しばらく濃厚に祖母とその周辺には存在していた。よほど何事かに腐心し、憂事をはばかっていたフシは記憶に明るい。スカイプ仲間の輪が広がっています。シャルドネ☆のIDを登録してみてください。愉しく御話してみましょう。スカイプID:chardonnay99_jp
2005年03月21日
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最近、たまゆら1/f氏とスカイプで歓談中に教えられた一冊の本で仰天している。「口伝解禁近松門左衛門の真実」(中央公論社)というのがそれだ。内容については、ひと通り読んだものの到底信じられない中味である。この著者が、近松洋男という方で、京都の著名大学の出身で現在も某大学の名誉教授をなさっておられるそうだ。自分は、この著作については、ついこのあいだスカイプ中に東京からたまゆら1/f氏に教えられて、知ったというだけの間の抜けた関係である。ただ、その著述の内容については自分の半生で母親から耳にしていた血統譚について完膚なきまでに逆転した話題が展開している。つくづく嘆息がもれでるようなものであった。アメリカの戦闘機に殺されかけた母親は、京都の病院へ滋賀の実家から通っていたのだがその郷里は代々百姓でありながら家督を継いだものと一族で信じられている。しかるに、この著者の近松洋男氏の述べる著述によれば近松門左衛門に実子を養子として出しているのであると。さすれば、あの赤穂浪士の近松勘六行重の直接の末裔だということになるのであろうか。これは母親に確認しても、これまで見たこと聞いたこともない突拍子も無い話であった。母は、この著作の言によれば滋賀近松宗家の三女ということになるが額面どうりなれば福井浅野長政(北政所寧々のご実家)の家臣であり長政の孫であった長治に藩医として同伴し、転じては浅野内匠頭長直への代替わりに笠間へ転じた近松伊看の系統となる。近松伊看は、その後孫に赤穂浪士として吉良邸に討ち入りに参加した近松勘六行重と奥田貞右衛門行高の兄弟をなすわけだが、ここまでは分からないでもない。しかし、その近松勘六行重に二人の子供がおり、よりによって近松門左衛門の養子にさしだされたというのは余人は知らず、当家の係累では仰天もの、「晴天の霹靂」というほか無い。たちの悪いサイエンスフィクションを読んだような気分である。たしかに母方は、近松家であるが貧乏子沢山のへとへとの戦中戦後を過ごしている。代々、近松勘六行重につき従った忠実な下僕であった近松甚三郎(子供がいなかった勘六の家督を継いだ百姓)は親族でも尊敬をされている。しかし、それは吉良邸に討ち入ったなどという義挙に直接関ってなどという筋とは少々違うはずである。近松勘六には、甚三郎という下僕がつき従っていました。いよいよ決行が近づき、近松は甚三郎に暇を出すものの、甚三郎は討入当日まで離れようとせず、討入に際しても吉良邸門前で事が成就するのを待っていて、討入後、浪士たちに蜜柑や餅を配り、本懐を遂げた喜びをわかちあったというのです。のち細川家に預けられた近松勘六は、細川家の堀内伝右衛門に対し、「自分の養子分にして一党に加えてやればよかった」というような内容のことを語ったということです。tsuzuさんの「忠臣蔵へのお誘い」より(クリックでジャンプします)この世には「赤穂浪士オタク」とでも言う他ない人士たち。彼らの一部には、なぜか歴史的な詳細をいたずらに意味もなく追いかけている方々がおられるようである。この播磨出身の赤穂浪士マニアのtsuzu氏の「良心的」な要約が現状母方の一族にいまも抱かれている当主末孫としての想いを的確に反映されているという風に思われる。要するに母方一族では、赤穂浪士などに対してのちに説明を行うが世評ほどには永年興味を抱いてはおらず、むしろ戦後テレビ映画で「赤穂浪士もの」が喧伝されるにつれて不興を生じる事例がむしろ多数惹起している。赤穂浪士の末孫だなどと取り沙汰されるだけでも相当な迷惑は生じるのであるが、よりによって直系の末裔だなどと見たことも聞いたこともないような表明が他者からなされ、しかもその果てに度はずれたことには、よりによって係累にあの近松門左衛門の縁戚だなどといきなり書籍に著されては高齢の母を含め血が引く思いが湧くのだ。近松家は、今にいたる迄ながらく百姓出で、従者として篤く奉公家につかえた近松甚三郎の末孫であることに十分誇りを抱いている。これからもそのように過ごして行くだろう。武士が有り難く世間的に名のとおった近松門左衛門とどれほど系図が交差をしようが所詮は歴史上の偉人との彼我の距離は埋め遂せるものではない。しかも、赤穂浪士の義挙なるものの余波にはすでに十分振り回されている。他界した祖母は、GHQからはかなりの圧力は被るわ戦前戦後の一時期のカルト的な迄の仇討ちブーム。文芸作家や歴史マニアの歴訪は、実家とても有り難くもなんともない。大衆的規模での迷惑行為の長蛇の列である。押しかけてくる歴史マニアと、その詮索癖の強い自己中心的な好奇心にどれほど振り回されてきていることか。この嘆息、理解できる空気は当分この国には訪れないのであろう。(クリックでジャンプします)忠左衛門は、煙にむせて、苦しそうに笑った。すると、頻しきりに筆を走らせていた小野寺十内が、何かと思った気色けしきで、ちょいと顔をあげたが、すぐまた眼を紙へ落して、せっせとあとを書き始める。これは恐らく、京都の妻女へ送る消息でも、認したためていたものであろう。――内蔵助も、眦まなじりの皺しわを深くして、笑いながら、「何か面白い話でもありましたか。」「いえ。不相変あいかわらずの無駄話ばかりでございます。もっとも先刻、近松ちかまつが甚三郎じんざぶろうの話を致した時には、伝右衛門殿なぞも、眼に涙をためて、聞いて居られましたが、そのほかは――いや、そう云えば、面白い話がございました。我々が吉良きら殿を討取って以来、江戸中に何かと仇討あだうちじみた事が流行はやるそうでございます。」「ははあ、それは思いもよりませんな。」或日の大石内蔵助 芥川龍之介
2005年03月21日
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(クリックでジャンプします)今日は、たっぷりと雑用をすませて午後の紅茶を飲んでいる。ふと思い出したのだが、この楽天日記で自分が3度死にかけたことの3度目の話題をまだ披瀝していないことに気づいた。実は、自分は何度も死に損なっている。母親が、以前に述べたような大戦中のあの時代に戦闘機に殺されていれば当然いまの自分など生まれていない。しかし、産まれる前の話は自分の責任では当然ない。自分は、この世に生まれてから3度以上死に損なったのだ。自分の3度目の死に損ないはどう考えても自分のミスだ。あれはつくづく運がよかったという他ない。具体的に自分のバカさ加減をご披露するのはやめておく。オフ会で、たまゆら1/f氏ぐらいには耳打ちしてもいいかとは思うが、あまりにもバカバカしくて我が事ながら情けない。よくぞ死なずに生きているものだと胸を撫で下ろすわけだ。あの時は、母親から強烈な平手打ちされたことを憶えている。まあ、よくぞ叱って貰えたものだ。死んでおったれば平手の痛いも憶えてはいられぬ。いずれにせよ、死なずにすんで今生きているという自覚は自分の場合絶対にある。周りの方々から、なぜそんなに金銭に執着がないのかと言う事をよく聞かれる。いちいち真面目に答えてはいないが、自分の中では絶対にひとさまのご理解をいただけない理由がある。このことは自分なりに確信となっている。それはいままで誰にも言ったことがないが、カネなど人が生きるか死ぬかという瞬間にはなんの支えにならないという体験を自分はよりによって3度も通過している。教育されようが、意見をされようがけっして自分の耳には素直には入らない。3度目の痛恨の下手うちなどを思い起こしても胴ぶるいする。生きていることの不思議を考えれば、カネなど貯める人間の気持ちが分からない。どこぞに最近三十そこそこで数千億円もの大量の資金を動かすという青年社長がテレビに頻出して話題になっているが、個人的にはその桁がたとえ何兆円規模になろうがまるで興味が湧くことはないだろう。ようするに自分はどにぶいのである。この鈍さは、一方で生きていることのありがたさについての身に沁みるほどの感謝から発していると言ってよいと思う。実は、子供の頃から度外れた高所恐怖症だった。京都駅のホームで歩いているとき、なぜかプラットホームからすべり落ちて線路に転落するような妄想にとらわれて父親にすがりついた記憶がある。これは、もはや高所恐怖症というよりもある種の域を越えたパニック障害のようなものである。背丈が、100センチあるか、なきかの子供がなにもしないでホームから転落するはずがないのである。いまはようやく少しはマシになったのであるが、数々の遭難をものともせずになぜか死なずに生きていることの感謝の気分は、痛烈に存在するのである。それゆえに、わざわざ戦場にでむいて人殺しをしたり殺されたりする人達のココロがよく理解できない。自分は、殺されるのは仕方がないにしても絶対に人を殺したりするつもりはない。よく、報道されるように女性に傷害をしかけるとか力づくでとやかくを行うなどという男が世の中には予想外に多いものらしいのだが、自分にはどうしても不思議でならない。とにかくそういう生理は自分には皆無だ。過去の記憶をたどっても、そのような衝動が湧いたというような心的な体験はまったくない。これは男としては相当珍しいことらしいが、そういうタイプの男もいるのであろう。大阪府立大学総合科学部人間科学科教授の森岡正博先生が、なぜか男には例外なく強姦衝動があるものだなどとコメントしているのをネットでみかけた。即座に「それはないだろう」と、思わず突っ込みメールをいれた。すぐさま白旗回答で、「個人差があるのを失念していました」と返信が帰ってきた。それぐらい偉い大学の先生でもついつい個人差を無視した失言はするらしい。少数であろうが、そうでない例外もこの世にはある。学者も、多数派につく。認識も検証を省略してまで自身の体験に依存しかねない。真実は、表現の動機も前に曲げられるという事だろう。ようするに、カネ儲けの野心も攻撃衝動も学者が思うほど普遍的なものなどではないと自分は思う。世の中には、カネを集めて嬉しくてしかたがないという性格もあるがそんなものにまるで執着がないという(これまた困った性格ではあるが)考え方も個性も成立するわけである。執着がまるでない側の人間から言わせれば、必要もないのに巨額の規模のカネを貯えたり、運用したいという動機は少々いただけない。いまのメデアは、このような妙な性格の自分が言うのも恐縮だが、あえて我慢して貰えればおよそ病的な傾向の人物ばかりと映る。繰り返しメデアで同一人格ばかりを登場させる。その理由は、おそらくメデア組織自体が同類の病的な機制を多分に帯びた危険極まりない暴走同伴者で占められているからであろう。メデアは、大きなカネの奔流に同伴することで成立する組織にすぎないという証左である。ところで、このようなメデアのあり方がわれわれの環境を破壊することは明白である。すでにメデアにより多くの人達が生命を脅かされている筈である。さらに多くの生命は、メデアとメデア支配を目指す巨額の資金操業者によって抑圧され切り刻まれてゆくことになろう。多くの視聴者が、そんな狂気のような人物を英雄視しているなど不思議な時代だというしかない。歴史は、間違いなく彼らを「本能の狂った猿」と断罪する時代を迎えるだろう。これは早晩、実現するに違いない。スカイプ仲間の輪が広がっています。シャルドネ☆のIDを登録してみてください。愉しく御話してみましょう。スカイプID:chardonnay99_jp
2005年03月20日
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■2002年7月2日 中日新聞 夕刊ふるさと新聞 京都新聞 ブルーギルで醤油造り 琵琶湖の生態系を壊すと滋賀県が、駆除に乗り出した外来魚「ブルーギル」を原材料にした醤油(しょうゆ)造りが、滋賀県立湖南農業高(草津市)の野洲道広教諭と滋賀大の堀越昌子教授(食物学)らによって進められている。魚を発酵させて造る醤油「魚醤」は秋田などで古くから造られているが、外来魚を材料にするのは初めて。ブルーギルは食用として好まれず、滋賀県が駆除後の処理に手を焼いている。今年四月から堀越教授の下で教育研修を受けている野洲教諭が「琵琶湖にやさしい食品作りを、生徒に教えたい」と提案。堀越教授のアドバイスで、魚醤造りを試みることにした。野洲教諭は六月初旬、同高食品化学科の三年生三十四人に手伝ってもらい、ブルーギル約九十キロを、すり身などにして食塩や米麹(こうじ)などを、異なる条件で、六つの樽(たる)に漬け込んだ。樽は同高のビニールハウス内で保管、早ければ、今秋にも魚醤が完成するという。(クリックでジャンプします)滋賀県立湖南農業高等学校の漁醤づくりを提唱する野洲教諭(クリックでジャンプします)一部報道でも伝えられたのでご存知の方も多いと思うのだが、滋賀県立湖南農業高等学校ででは琵琶湖の環境に大きな負荷を与えているブラックバスやブルーギルを原料にした漁醤づくりを提唱している。失礼ながら、この事業を一連の「町おこし」「村おこし」などというビジネスモデルを元に立ち上げようとすると個々の事業者には相当なリスクとなるだろう。また、収益計画がたたないために事業化を断念する人達も多いかもしれない。あるいは、すでに国民生活金融公庫で融資をうけ脱サラで取り組み惨憺たる眼に遭遇した人が発生している可能性もある。このようなベンチャー事業ともニュービジネスともつかない事業に、実はあたらしく地域通貨が関るという事例が静かに増えている。えてして地域通貨運動のグループが介入すると失敗しやすい。まず、琵琶湖で釣られたブラックバスやブルーギルそのものが通貨となるのである。これをブルーギルでつくられた漁醤の生産者に対して提供する。具体的には、野洲教諭のような方のところに持ち込むことになる。生産者は、その報酬として漁醤を貰って帰る。家族の中には釣り人が収穫してブラックバスやブルーギルを台所で調理することを拒否する若い奥さんがいたりするが、魚醤ならば冬の鍋料理などで多用することもある。一方、漁醤の生産者は原料を調達するコストが大幅に下がる。うまくすれば魚醤の生産に専念できる規模に届くかもしれない。京都新聞や中日新聞は、これまでにも折々に報道を行ってきている。ローカルニュースが取り上げている機会が次第に増えてゆくのは好ましい。テレビとは、ほんらいそのような話題を地域に提供するためのメデアであるべきなのだ。湖南地域振興局農業振興課「なごみニュース」琵琶湖の生態系は整えられ、アユやフナなどの琵琶湖に生息した在来種は少しづつ戻ってくる可能性も高くなる。ブラックバスを食べて減らす、魚醤にして消費するというモデルの秀逸さが静かに話題を広げている。金儲け(法定通貨との交換)になじまないビジネスでもこのように地域通貨により地域の環境と自然を守る道筋はこれ以外にもさまざまに存在しているような気がする。そして、あなたがデザインができる人ならばこのブラックバスを捕獲するテーマを応援するTシャツを制作する。このTシャツは、魚醤や湖沼で捕獲されたブラックバスたちと交換される。あるいは魚醤やバスフィッシングに熱心な人達との交換に供される。そう、その瞬間にTシャツは地域通貨として起動するというわけなのだ。(クリックでジャンプします) 魚醤の歴史は穀醤よりも古く、中国では紀元前3世紀頃、政府の宴会用として120甕の醤が備えられていたとの記録が『周礼』という書物に残っています。この醤は魚鳥獣の乾し肉に粟(あわ)の麹と塩を混ぜ、酒に漬けて発酵させたものだったようです。その後、漢の時代に内臓を肉と一緒に漬け込んだ「肉醤(ししびしお)」が現れ、これが魚醤に発展したといわれています。中国ではその後、豆類を中心として発酵技術が進み、植物性の発酵食品が全土に広まっていきました。現在では穀醤類が主流となっています。「動物性→植物性」という変化は日本でも同じです。もともと日本では、「肉醤」「魚醤(うおびしお)」「草醤(くさびしお)」の3種の醤が縄文時代末頃から並行して使われていました。奈良時代になって中国や朝鮮半島から「穀醤(こくびしお)」が伝わりましたが、中国から入ったものを「唐醤(からびしお)」、朝鮮半島から入ったものを「高麗醤(こまびしお)」と呼んで、ほかの醤とは区別していました。このうち「唐醤」は主に豆から作られていたので、「豆醤(まめびしお)」と呼ばれることもありました。 その後たびたび食肉禁止令が出されたこともあって、動物性の醤より植物性の醤の方が好まれるようになりました。特に魚醤には魚独特の生臭さがあるため、時代が進むにつれて敬遠されてしまいました。一方香りの上品な穀醤は、原料となる大豆が比較的安価で安定して生産できたこと、輸送や保存が容易だったこともあり江戸時代には日本全国を席巻するようになります。 今ではすっかり影の薄くなった感のある魚醤。実際、大豆醤油(穀醤)の香りに慣れた現代人には、魚醤の持つ独特のにおいは好みが分かれるところでしょう。ですが味の豊かさでは魚醤に軍配が上がります。これは素材が動物性タンパク質であるからで、料理に少量垂らせば、まるでだしを取ったように芳醇で濃厚な味わいになるのです。上手に魚醤を使って、料理の味に深みを加えてみてはいかがですか。スカイプ仲間の輪が広がっています。シャルドネ☆のIDを登録してみてください。愉しく御話してみましょう。スカイプID:chardonnay99_jp
2005年03月20日
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狩野亨吉(1865-1942)は、作家夏目漱石の生涯の友人として若き日の漱石が松山に赴任する前後に交友が始まったらしい。夏目君が自分のことを文學亡國論者だといつて、お前には小説などわからぬから本を出してもやらぬよと冗談のやうにいつたので、自分も貰はなくてもよいといつたが、これは事實上實行されて遂に一册も本を貰つたこともなく、又夏目君のものを讀んだこともない。ただ「猫」が出た當時、一高にゐた物理の須藤傳次郎君が「猫」の中にお前のことが書いてあると注意してくれたので、さうか自分のことが書いてあるなら見ようと、讀んで見たが自分のことが書いてあつたかどうか記憶して居らぬ。夏目君は一體に無口の方であり、自分もあまりしやべらぬ方であつたから、家へたづねて行つても此方がしやべらなければ向ふもしやべらぬと言ふ調子であつた。後年お弟子達が多く出入りするやうになつてからこの氣風は大分變つたのだらうと思ふ。相互に会話のない知己というのも現代風では考えられないが、明治の文豪と細やかに気遣いをする狩野亨吉の関係は、どこか世話のやける漱石を気配りする兄のような位置づけだったのかもしれない。狩野は、武士の子として生まれている。「漱石と自分」などを読むと、明治12年ごろ東京府第一中學で漱石や、幸田露伴らとすでに同窓であったらしい。ところが実際には、まったくこの時点では交流がなかったのだという。その理由は、狩野らは「變則科」と呼ばれる英語漬けの欧米先進国へ猛追する近代日本の基礎となる語学力要請のために英語文化の強制注入教育を受けている。多感な成長期にこのような屈辱的教育を受けたことは、当人には大きなトラウマだったらしい。のちに第一高等学校校長、初代京都帝国大学文科大学(文学部長)と歴任するに際し、反骨的なまでの「独創志向」を徹底し、たとえ大学を卒業していないような者にも内藤湖南、幸田露伴などをどしどし抜擢し官学にはみられない先進的な学風を形成することに腐心する。その晩年、その志操堅固が災いしてか酷貧のうちに生涯を終えることになる。この狩野亨吉が、発掘した安藤昌益はしかして衝撃の思想家である。実は、安藤昌益を今日われわれが知ることが出来えたのは幸運にすぎない。歴史の中で無名の人であった、安藤昌益は歴史に登場する可能性は皆無に近く独創的思想家を紙背に徹して読みぬいた狩野亨吉の「発見」をおいてその存在がいま我々に姿をあらわす可能性はなかった言っても過言ではない。これは「北千住の仙人」と呼ばれていた橋本律蔵という篤学者が、「門外不出」「開けてみると目がつぶれる謀叛の書」と秘蔵していたもので、彼の死とともに人手に渡り、幾多の変転を経て、狩野の手に入ったものである。 この本を一瞥した狩野は、その内容のあまりに破天荒なのに驚き、これはてっきり狂人の著作に違いないと思い、狂人研究の参考にと、精神病学者の呉秀三に数年の間、貸しておいたほどであった。しかし、あるとき、ふと思いつくことがあって、あらためて読みなおしてみると、理路整然、とても狂人の作とは思えず、「これ或は我が日本の国土が生むだ最大思想家にして、世界思想史上にも特筆すべき人物」なのではないかと思うにいたる。「安藤昌益研究会」webサイトより(クリックでジャンプします)『医者は人殺しであり、薬屋の手代である』とは、あまりにも痛烈で肺腑に突き刺さるようだ。安藤昌益その人が医師であったことを踏まえてみてもその世界俯瞰の熾烈さが伝わってくる。(クリックでジャンプします)「本(モト)人ヨリ出ズル故ニ天災ニ非(アラ)ズ、人災ナリ。男ハ耕シ、女ハ織リ・・・衆人ハ直耕シテ天道ヲ営ム。不耕貪食ノ者多ク、直耕者ハ少ナク成ルナレバ必ズ乱ル。」「天下ニ人ハ唯一人ナリ。無上無下・無尊無卑。」「学問ハ天道ヲ盗ンデ不耕貪食ノ上ニ、衆人ノ敬ヲ受ケンガ為、道ヲ盗ム謀ナリ。故ニ学ヲ講ズル程、道ヲ盗ムコトヲ賁(カザ)ル者ナリ。故ニ講学ハ盗ミノ蓋(フタ)ナリ。」「人ハ自然ノ全体ナリ。元真(ガンシン)必ズ壮(サカ)ンニシテ、病ヲ伏シテ自リ癒ユルモノナリ。医者、殺人ノ業ヲ為シテ、其ノ所以ヲ知ラズ。薬種屋ノ手代、売薬業ナリ。」スカイプ仲間の輪が広がっています。シャルドネ☆のIDを登録してみてください。愉しく御話してみましょう。スカイプID:chardonnay99_jp
2005年03月19日
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賭博者(3)より続く。Re:みひゃえる・えんで!!(03/15)好きです^^わたしは児童文学で彼の事を知りましたが^^;そういえば、何年も前になるけれどもNHKが彼の遺した経済哲学をドキュメンタリーにしていました。興味深く観た記憶があります。jolly kidさんこんにちは。地域通貨の件、msk222さんはすぐさま周囲の地域通貨運動に引き寄せてしまっておられます。しかし実はすべての通貨は本来何のことはない。かつてもともとはその起源において地域通貨だったのです。エンデは、ある意味で復古的な発想を抱いている人という風にも思えます。私自身、20年以上も前に食糧商社で在庫されていた輸入ワインを販売するグループに支援を求められて日本に馴染みのない高級ワインの国内流通を考えなければならない時代がありました。その時代に、ワイン研究家の人達のご意見をいろいろ耳にしました。実は、ワインは古代世界の地域通貨だったのです。いまあるコルクとガラスボトルに充填されたワインは、法定通貨との交換に馴染んでいますが先史時代からワインは村と村、都市国家と都市国家の決済通貨でありました。その時代のワインは、このような壺に封じ込められていたのです。往時ワインは貯蓄された富であり、決済通貨であり、医薬であり、その製法において技術文化を継承するための教育装置でもありました。 Re:賭博者(3)(03/18) msk222さんわが街にも地域通貨を試みているグループがあります。はじめは熱心に取り組んでいましたが、いつしか熱意が薄れているようです。地域通貨では、欲が手に入らないからでしょうか。志をもって仕事をすることが難しくなったのか、昨今のIT産業といわれる方々の動きをみているとバカバカしくなってしまうのか、どちらでしょう。ライブドアなどとソニーの勢いの差は、一過性なものでしょうが。(2005/03/18 10:56:10 PM)日本で近頃「地域通貨を試みているグループ」とmsk222さんがおっしゃっている方々は果たして地域や周辺の都市の住民が願望してやまない芳醇なワイン生産者であったり地球上の誰もが願望する抗がん剤を開発しているバイオベンチャーだったりするのでしょうか。そうではないでしょう?地域通貨という制度だけを子供銀行のように発行しようとしても、誰もふりむきもしません。つまり「いつしか熱意が薄れる」というような価値を流通させようとしてもそれはもともと通貨の名に値しないものだったに過ぎないわけです。いま、ワインの中でもポストフィロキセラなどと呼ばれているものはもはや購入することもためらわれるほどの信じられない価格がついています。法定通貨ですら数億円もの価格がついていたりします。いや売られる予定がないものが大半で、収集家のスティタスとして機能しているなどを考えればある種の地域通貨のようなものにふたたび復古しているのかもしれません。近隣に知られたおいしいパンを作り続けているパン屋さんこそが、実は地域通貨の発行者ににふさわしい。実は、インターネットの時代次第次第着実に地域通貨の芽が着実に広まっているように私は思っています。中国の唐時代の非凡な医師にして漢方医、気功師の源流に位置する人で、孫思?と言われる人がいました。人の命は千金に代えがたいとして、中国に古代から伝わる医薬、鍼灸を実験と修得するまでのさまざまな経験に工夫と考案を加味して集大成それらを『備急千金要方』三十巻三十三冊という膨大な著述に残したことで今なお知られている人物です。孫思?(581~682)京兆華原の人。名医として知られた。また老荘百家の学に通じ、仏典にも詳しかったという。たびたび帝の招聘を受けたが固辞しつづけ、深山に隠れて著述に励んだ。 彼は伝説上の人物で仁術を身を以て実践したと今に伝えられ、当時も貧乏な者からは治療代を取らず、遠くの病人でもロバに薬袋をぶら下げて往診。深夜といえども親切に診療し、重病人は自宅で看護したと言い伝えが残る。その後彼の名声は自然広がり、彼の医療の恩恵を受けた貧しい人々は、彼の家の周りに杏の種をお礼に埋めていったというあの有名な逸話。長年の間にこれらの杏の木が育ち見事な杏林(りんごの木)となったという。言うまでもなくあの杏林大学や医薬製造会社のキョーリンはこの故事をうけたものでした。孫思?の以前にも中国には、このような言い伝えの起源になる前例や出典が豊富で『神仙伝』にあるのですが、董奉が人の病を治しても報酬を受け取らず、治った者には、杏を治癒の記念に植えさせたので、その後には周囲は人も驚く立派な林をなしたというわけです。もともとリンゴは、栄養価も高くビタミンも豊富。食物繊維も含まれていることから医師の関心の高い果実です。いまも東北地方のリンゴ栽培農家などには日本の中世の思想家で医師でもあった安藤昌益の「自然真営道」の精神を継承していまなおリンゴを生産しているという事例も少なくないと言う事は一部教育番組の報道にも伝えられていますね。いずれにせよ、およそ地域通貨を提唱するほどのグループは突如あらわれた思いつきのようなものとは峻厳に選別しなければならないと思います。スカイプ仲間の輪が広がっています。シャルドネ☆のIDを登録してみてください。愉しく御話してみましょう。スカイプID:chardonnay99_jp
2005年03月19日
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賭博者(2)より続く。物語はイタリアのベニス(ヴェネツィア)。バサーニオは富豪の娘の女相続人ポーシャと結婚するために先立つものが欲しい。そこで、友人のアントーニオから金を借りようとするが、アントーニオの財産は航海中の商船にあり、金を貸すことができない。アントーニオは悪名高いユダヤ人の金貸しシャイロックに金を借りに行く。アントーニオは、金を借りるために、指定された日付までにシャイロックに借りた金を返すことが出来なければ、シャイロックに彼の肉1ポンドを与えなければいけないという条件に合意する。アントーニオは簡単に金を返す事が出来るつもりだったが、彼の商船は難破し金を返す事が出来なくなる。シャイロックは、日頃から快く思っていなかったアントーニオに復讐できる機会を得た事を喜ぶ。その間に、バサーニオは、ポーシャと結婚するためにベルモントに向かう。ポーシャの父親は金、銀、鉛の3個の小箱から正しい箱を選んだ者と結婚するよう遺言を残していた。バッサーニオはポーシャの巧妙なヒントによって正しい箱を選択する。バサーニオはポーシャから貰った結婚指輪を絶対はずさないと誓う。しかし、幸せなバサーニオの元にアントーニオがシャイロックに借金返済が出来なくなったという報せが届く。バサーニオはポーシャから金を受け取りベニスへと戻る。一方、ポーシャとネリッサも密かにベルモンテを離れる。シャイロックはバサーニオから厳として金を受け取らず、契約通りアントーニオの肉を要求する。若い法学者に扮したポーシャがこの件を担当する事になる。ポーシャはシャイロックに慈悲の心を見せるように促す。しかし、シャイロックは譲らないため、ポーシャは肉を切り取っても良いという判決を下す。シャイロックは喜んで肉を切り取ろうとするがポーシャは続ける。「肉は切り取っても良いが、契約書にない血や髪の毛など他の物は何一つ切り取ってはいけない」。仕方なく肉を切り取る事を諦めたシャイロックは、それならばと金を要求するが一度金を受け取る事を拒否していた事から認められず、しかも、アントーニオの命を奪おうとした罪により財産の半分は自分の娘ジェシカに与えることとなり、また、キリスト教に改宗させられる事になる。バサーニオはポーシャの変装に気付かずにお礼をしたいと申し出る。バサーニオを困らせようと結婚指輪を要求するポーシャにバサーニオは初めは拒んだが結局指輪を渡してしまう。ベルモンテに戻ったバサーニオは指輪を失った事をポーシャに責められる。謝罪し許しを請うバサーニオにポーシャはあの指輪を見せる。驚くバサーニオにポーシャは全てを告白する。ここで皆さんは、またシャルドネの斜にかまえた独特の人生哲学を得意になって披瀝していると感じておられるのかもしれない。しかし、私はハッタリや韜晦、はたまた洒落でこのような話題を述べているようなつもりは毛頭ない。あの98年。山一證券倒産のあの氷点下の景況下、ある都心の勉強会の席上に姿をあらわした当時の通産省産業政策局の課長さんに対して、参加されていた研究開発型ベンチャーの社長さんが「私の生命保険の受け取りをあなたに方に委ねる心準備がある。だから、われわれにしかるべき資金の弾力的な調達が可能な制度を研究開発型のベンチャー事業者に対して提供するという発想は無いのか」と肺腑を突くことばで浴びせかけたのを私は両方の眼で目撃している。その言葉は、重い。当時の景況下で猛烈な「貸し渋り」「貸し剥がし」の猛威逆風下にありながらもシャイロックに自らの肉を差し出すアントニーオのいさおしを持ち合わせた社長はこの日本にもゴロゴロいた。なぜ彼ら研究開発者たちは、みずからの生命を差し出しても開発を継続したいと願っていたのか。私には分かるような気がする。その開発者のいずれもが、自らの研究と開発に対して歴史的な使命感や運命論的な「為すべし」を感じ取り背負っていたからに他ならない。それが錯誤であるとあざ笑うことは簡単だ。しかし、一部の特異な心象とはいえある種の社長たちの中にはしばしばその賭けに対して自らの生命を差し出すまでの覚悟を示していたという事は私が証言してもよい。このような思いに、けっしてこの国の資本や法定通貨は対応できないという事を我々はよくよく考えておくべきだと思う。あまりにも個的な、そして孤的な思いは広域通貨には馴染まない。このような志については、志に対応できる志ある地域通貨以外には、支えきれないだろうと私は思う。絶対的な決まりはありません。小さい単位としては、家族の中で使ってもかまいませんし、大きい単位となれば、それこそ全世界を「地域」にしてもいいのです。ですが、とりあえず実際に行うとしたら、小学校の校区や市町村、広くても都道府県や地方(九州地方、東海地方など)といった単位が妥当な範囲でしょう。この地域については、その地域通貨の目的に合わせて決めることができます。たとえばPTA活動を活発にするためだったら小学校の校区が一番いいでしょうし、都市圏内で異業種の人たちの交流を行うのであれば広域圏(例:岡山市、倉敷市とその周辺の区域)単位で行うのがベストでしょうし、県内の都市部と農村部との交流を目的とするんだったら県内を対象にするとよいでしょう。あくまでも目的によって、地域の範囲は決まるわけです。「アルゼンチンから日本の地域通貨グループが学ぶこと」より(クリックでジャンプします)スカイプ仲間の輪が広がっています。シャルドネ☆のIDを登録してみてください。愉しく御話してみましょう。スカイプID:chardonnay99_jp
2005年03月18日
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判決後、記者会見した和泉さんは「伝統芸能を理解していないあまりに短絡的な判決。決議は無効と信じていたので不服だ」とコメント。同席した母親の節子さんは「私どもは長年世襲で文化をつないできた。戦後にできた協会にとやかく言われることではない」と話した。〔共同〕 (18:01) (クリックでジャンプします)今日は、ある特異な事件に眼がとまった。あの狂言師の和泉元弥の親子が社団法人能楽協会提訴した、名誉毀損事件である。損害賠償規模が2億円というのも法外なものだと思うが、あの和泉家のゴッドマザーの記者会見でのコメントが興味深い。元彌の母、節子さんは岐阜県大垣市に、狂言とは無縁のとんでもない資産家の家に生まれた。母方の先祖は、豊臣秀吉の軍師として活躍した竹中半兵衛にあたるという。何故か狂言の家に嫁いだ節子であったが、主君のそばに仕え策略をめぐらす軍師の血が、狂言の世界において発揮されることとなったとしか考えられない。 元彌 が6歳の時、節子は狂言プロデューサーとなり、舞台裏の仕事をこなすようになり、俳優・タレントとしても才能を発揮させてきたんだから。お母さんは従来の狂言の世界にはなかった地方での自主公演、さらには海外公演などを運営する。様々 な戦略で(?)狂言の人気を高め、元彌の芸を世の中に出していく偉大な人なのだ。それじゃあそんじょそこらの嫁では満足しないよ。中尊寺ゆっこの「この人をみよ」(クリックでジャンプします)他界した中尊寺ゆっこの人気サイトによれば、あのゴッドマザーは竹中半兵衛の末裔だとか。戦国時代の、秀吉の至近で黒田官兵衛に並び称せられたあの渋いバィプレイヤーだった竹中半兵衛の子孫が絵に描いたような傲慢な社会排外主義者に成り果てているのは少々奇異な心地がしないでもないのだけれども、このすざまじい思い入れについてはなかなか興味深いものがある。「私どもは長年世襲で文化をつないできた。戦後にできた協会にとやかく言われることではない」とのコメントはまことにもって痛快ですらある。これだけ臆面もなく本性をさらけ出せる人も、幸せな人というほか無い。彼女にかぎらず、この国には「文化」をこのように見事に閉鎖系として確信しきっている人達が多数存在している。わたしが日本という国では、個人やその肉体は幽霊のように処されているという憤怒のようなものを抱き続けて生きて来た。まさしくこの和泉節子のような思想が、われわれ日本人の個人とその肉体の否定者の「実体」である。「世襲で文化をつなぐ」とは、この国の文化概念も低廻したものである。第一に、文化は、もの(「もの」に傍点)としての帰結を持つにしても、その生きた様態においては、もの(「もの」に傍点)ではなく、又、発現以前の無形の国民精神でもなく、一つの形(フォルム)であり、国民精神が透かし見られる一種透明な結晶体であり、いかに混濁した形をとろうとも、それがすでに「形」において魂を透かす程度の透明度を得たものであると考へられ、従って、いはゆる芸術作品のみでなく、行動及び行動様式をも包含する。文化とは、能の一つの型から、月明の夜ニューギニヤの海上に浮上した人間魚雷から日本刀をふりかざして踊り出て戦死した一海軍士官の行動をも包含し、又、特攻隊の幾多の遺書をも包含する。源氏物語から現代小説まで、万葉集から前衛短歌まで、中尊寺の仏像から現代彫刻まで、華道、茶道から剣道、柔道まで、のみならず歌舞伎からヤクザのチャンバラ映画まで、禅から軍隊の作法まで、すべて「菊と刀」の双方を包摂する、日本的なものの透かし見られるフォルムを斥す。文学は、日本語の使用において、フォルムとしての日本文化を形成する重要な部分である。三島由紀夫「文化防衛論」高校時代に、新潮社から刊行された三島由紀夫の「文化防衛論」を読んでこの醜悪な定義に面妖な思いが湧いた。三島の文化定義は、(口述筆記で荒い思考の産物であると橋川文三に指摘を被っているが)「国民精神が透かし見られる一種の透明な結晶体であり・・・魂を透かす程度の透明度を得たものであると考へられ・・・行動及び行動様式をも包含する」という迷走した論旨を何十回も読み上げて反芻した記憶がある。われわれ日本人の「行動及び行動様式をも包含する」というのであるから、相当幅広く彼三島は文化概念の本質を俯瞰するスタンスを採用しているかのように当時思えた。が、その実際では彼は守らねばならないものとして、ついに「ものとしての帰結をもつ形」にこだわるあまり、その「形」を荷う国民は「透かし見」てしまったようだ。つまるところ三島が想定した文化とは、この和泉節子が言う「長年世襲で文化をつないできた」と豪語する視野閉塞な思い込みとどれほどの違いがあるものか。つまりは、文化を荷う担任が日本国民などではなく「長年世襲で・・・つないできた」という事実性に根拠をみいだす一種の偏執的でエゴセントリックEgocentricな執着(妄執と言ってもいい)と大差がなかったと私は思う。三島が「あとに続くを信ず」と残した遺恨は、ある意味でほかならぬ和泉元弥の母子が見事に体現をしてくれているように思う。杉山正己裁判長の指摘する和泉元弥の「遅刻や早退は真実」との諌言も、和泉節子にすれば長年世襲で文化をつないできた資格者にとっての偶発的な「行動及び行動様式」に過ぎず、所詮は無用な部外者の戯れ事としてしか耳に響く事がないのだから。東京地裁の判決もこの誇り高い河原者の末裔らならでは到底坦持しえない「尊大な矜持」の前に舐められたものである。スカイプ仲間の輪が広がっています。シャルドネ☆のIDを登録してみてください。愉しく御話してみましょう。スカイプID:chardonnay99_jp
2005年03月17日
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賭博者(1)より続く。言うまでも無く中村修二氏やその他の研究者はヤクザでもばくち打ちでもない。しかし、パン屋さんの日常目線からすれば、その開発のためのお金の流れはあまりにも巨額で優良中小企業だったさしもの日亜化学でも簡単には捻出できず、中村修二氏は職員時代に日亜化学の社長名で「開発中止」を命じられたりしている。当時の中村修二氏は、一旦会社を解雇されるほどの高い危険を感じながら研究開発を継続する。結果はこのような社会から大歓迎をされる成果をもたらしたが、今度はその報酬や評価、対価についての議論で成果の帰属を旧所属企業であった日亜化学と大揉めに揉めていたことは皆さんご承知のとうり。カジノで舞うべき性格のお金も、ときとしてカジノの外に求められ溢れ出すというような瞬間もある。滅多に求められることがないお金が、魔がさすかのように居場所を求めて流れ出てこなければならない瞬間。それは確かにある。日亜化学の社長は、ここでみずから手を汚すことをなさず、ついに中村修二氏に業務命令で青色ダイオードの研究開発中止を指令した。中村修二氏は、これに猛然と反対して開発を継続した。これは丁半バクチとみれば、中村修二氏が圧勝した。ヤクザの世界ならば、日亜化学の社長の手首にはドスが突き刺さっても不思議はない。賭けに負けた日亜化学が和解で開発者に渋々裁判所に提訴されて、ようやく8億円を支払った。これでは極道よりタチが悪いではないか。極道ならば日亜化学の社長宅は38口径弾で蜂の巣になりかねない。いや、さっこんの極道は、「日本の民間企業ほど汚い真似はやれない」ときっぱり言い放つとか。賭けには出ず、しかし賭けに負けた責任は取らないままに平然と澄ましている。雇用主に対して訴訟を起こした中村氏の行動は歴史的な意味をもつ画期的なことと見られており、同じような訴訟が相次いで起きることになった。同氏の行動は、高い才能のある人でも組織に埋もれさせがちな日本の組織に対する、「裏切り者」と呼ばれるリスクを覚悟しながらの、個人による英雄的な戦いというようにさえ見られている。日本経済新聞は1月12日付けの社説で同氏の訴訟を評価し、「職務発明の低評価に挑み、社会的に問題提起した意義は大きい」ことを認めた。同紙は「産業界で発明者の処遇改善につながる動きが広まった」として、中村氏の訴訟と東京地裁の判決を高く評価した。財団法人 フォーリン・プレスセンターまったく順当な意見というべきだろう。妙に、和解勧告以後例によってこの国では中村修ニ氏の「奇矯な性格」をあげつらい、日亜化学に対してへつらう意見を述べる者がWEB上に散見できる。しかし、いずれも卑怯な日亜化学の「後だしジャンケン」に臆面もなく加担するいつもの日本的な風景で見苦しい。つまり、ベンチャー事業の困難の少なからぬ部分はこのようにカタギの世界にけっして馴染まない賭け事、ギャンブルを持ち込むという不条理さが鎌首をもたげて現れることから派生した混乱なのだと一応は考えてよいだろう。つまり、その事業の核心部分が、高度な科学を駆使しているとか、社会的に多大な便益をもたらすとか、いった部分は案外と本質から遠い問題でしかない。むしろ、パン屋さんにカジノに出入りさせるという飛躍、ジャンプ、不慣れな真似を強いる状況が大きな問題となるのである。スカイプ仲間の輪が広がっています。シャルドネ☆のIDを登録してみてください。愉しく御話してみましょう。スカイプID:chardonnay99_jp
2005年03月16日
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msk222さんに喜ばれてしまったので、それならばさらに視点を深めてみたい。実は、地域通貨の思想がもっとも必要なのは日本の本格的な研究開発型ベンチャー事業者だと私は以前から考えてきたからなのである。日本のベンチャー事業者が、いわゆる楽天日記などでおなじみのニュービジネス系の自称ベンチャー事業者とは決定的に違うことがある。ニュービジネス型の新規創業でも出損は日常茶飯事。当りハズれはかならずついてまわる。しかし、研究開発型の本格的なベンチャー事業者ではこれが半端ではない。しばしば命を削る、身上つぶすというような事態と裏腹である。常人は、そのようなバカなビジネスを組み立てはしない。そもそも常人でない、というところが本格的なベンチャー事業者には十字架のように課せられているものらしい。♪小原庄助さん、なんで身上つぶした? 朝寝朝酒朝湯が大好きで、それで身上つぶした、 あ~もっともだぁ、もっともだぁ♪朝寝朝酒朝湯よりも、研究開発が大好きだというような始末に悪い人格がこのようなビジネスに手をだすという事例が少なくない。このような人格ではパン屋さんは怖くて近づけないのである。それじゃあまるでカジノでお金を散財しているヤクザな人達と大差ない、とパン屋さんの眼には映る。では、中村修二氏ははたしてバクチ打ちのたぐいの方だったのだろうか。いま、みなさんのご家庭や周囲をみわたせば発光ダイオードの恩恵は想像以上である。信号、照明、携帯電話、LEDディスプレイ、自動車のライト液晶テレビ、にまで浸透して今では無くてならないものとなっています。中学生時代に、理科の教師が夢のように語っていた記憶があるのだが、それらは自分が生きているうちに実現してしまったというわけである。スカイプ仲間の輪が広がっています。シャルドネ☆のIDを登録してみてください。愉しく御話してみましょう。スカイプID:chardonnay99_jp
2005年03月15日
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ベンチャー事業者に近づいては駄目である。その事業者の準備不足を言えば、怒り出す。素晴らしいものだと誉めてやれば、のぼせあがる。溺れているのだと救いの手を差し伸べてやれば、しがみつく。うっかりすれば助けに行った方も共倒れで溺れかねない。助けてやりたいと思うのは簡単だが、水難訓練で鍛えた人でも危なくて手がだせない時とところがあるように、よほどの準備と余裕、そしてなによりも鍛え上げられた肉体がないと溺れかけているほどの人は救えない。いってみればベンチャー事業者というものは、その大半が溺れて水没寸前の人のようなものなのである。これは意外に知られていないが、現実であろう。なんで水没寸前の半死半生のような事態にあるのか、というと革新的で新規な技術というものは、その大半が現実の経済社会構成からすると挑戦的過ぎて巨大なリスクであるからだ。考えてみてほしい。いま、石油を使っている自動車が石油なしで安全に運行できるようになるとしよう。誰が歓迎などするものか。みな、寄ってたかってそのようなとんでもない優れものを「潰そう」とするのは間違いない。理由は簡単である。優れものを育てることの危険さはあっても、潰すことの不利は極めて少ないからである。いま、電気を使わず家庭生活ができるというような凄い製品が売られているとしよう。電力会社が黙っているものか。みな、寄ってたかってそのようなとんでもないエネルギー源を使用しようという人物や団体を警察が追いかけてくるかもしれない。場合によっては国家安全保障上の脅威だとか、なんだとかレッテルを貼られて不名誉な誹謗中傷をされることも良くある話である。その証拠に電力会社の取締役には警察官僚やキャリアが多数登場するではないか。いま、たまたまあなたがヒラの市民だったりすればまだしも頭を悩ますことになるかもしれない。しかし、逆にこの時代の経済産業省の役人であったり大企業に所属していて、大きな流通と仕組みで生活を維持できている人であれば、なんで苦労してそんないまの日本に対して巨大な変化を強いるような愚かな事業テーマを選ぶ人を歓迎することがあろうか。冗談のようだが、この国の中でほんきで研究開発型の新規創業をやっているような「本格派」は大抵浅瀬で溺れかけている人のような精神の持ち主だと言ってよいと思う。あの中村修二先生だって、価値が604億円あると判決されたが8億円で和解せよとたたみ込まれた。たたみ込まれたトタンに、あれは8億円ほどの値打ちしかない発明だった、などと言う人がわんさかと登場する。実におめでたい国というべきだろう。個人でできることは小さい、という事にしておく方が幸せなのだ。このあいだも東京大空襲の話題をまたまたこの日記で取り上げた。常連のたまゆら1/fさんですらも、ここを本当に不思議な日記だと思われているらしい。ビジネス系の日記と思っているのになんで、ことさらに東京大空襲なのか、と。しかし、よくよく考えて貰いたい。あの60年前の3月10日、一晩で30万人もの老婦人、子供と幼い命が地上から消え去った。しかし、その30万人は無名の個人のままである。報道は、60年後のいまなお10万人しか数えていませんでしたと平然と澄ませている。個人は幽霊のようにけっして数えられることがない国なのである。日本で優れて研究開発型のベンチャービジネスを目指している人たちはその事を肝に銘じて取り組まれることを老婆心ながらおすすめしておきたい。スカイプ仲間の輪が広がっています。シャルドネ☆のIDを登録してみてください。愉しく御話してみましょう。スカイプID:chardonnay99_jp
2005年03月14日
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もともと頭が悪いこともあって、どうもよくわからないんです。法律的にいう判断についてはわかります。会社にとっての株主の権利もわかります。金を出してもらって仕事をしてきたのだから、儲けたらその配当をしてゆく、赤字ばかりだしたら責任をとる。資本の論理として…。にんげんの親子関係だと、資本を出して子どもを育てる、年老いたらその子どもに助けてもらうかも知れない。途中では、あまり見返りを期待しているわけではない。思うように育たなかったら、別の人に売り飛ばしたり、進路に口出しして方向をムリにでも変えさせる、ということもよほどの事態でなければやらない。これが企業のことになると…。理屈としてはわかりますが、(横から乗り込んだ場合)子どもが健全に育ってゆくのかどうか…。子どものモチベーションは維持できるのかどうか…。企業と人間は違うのだから…。ということでしょうが、感情抜きにでも企業が維持発展できれば、法律の規定どおりにすすめればいいことだとは思います、が。(どうしても、末尾に「が」がついてしまいます)まことにレベルの低い疑問ばかりです、が。msk222さん msk222さんは、実はよく「分かっている人」だと思う。「資本の論理」とは、誤解を招きやすい言葉だから私が翻訳する役回り。われわれが仕事やサービスを相互に交換するための媒介であるお金と金が金を呼ぶ投機のためのお金のそれはまるで違ったお金である。これに気づいている人は案外多い。私は18歳の頃、都留重人から習った。わたしに楽天日記を紹介してくださった庄内拓明氏も、かれのサイトで面白いエッセーを記している。「モモ」 の作者 ミヒャエル・エンデによると、「パン屋のお金とカジノのお金は違う」 のである。つまり、純粋な交換手段としてのお金と、投機目的のお金とは、同じお金でも性格が違うのだ。誰もがそう思っていても、普通の経済学では 「どちらも同じお金」 として片付けられてしまい、言い出せないでいる。しかし、やはり、全然違うのだ。例えば、バブル経済の頃、私は自分の住んでいる土地の値段が上がっても、まったくうれしくなかった。ずっと住み続けるために購入したのであり、売って儲けようなどという気が毛頭ないのだから、地価が上がっても、支払う税金が上がるだけだ。多くがこんなノホホンとした考えだったら、バブル後遺症はこれほどひどくはならなかったかもしれない。土地だけではない。絵画も美術品も、ゴルフの会員権も、本来の目的ではなく、投機目的のために途方もない値段で取引された。実際の価値とはかけ離れた幻の値段が、元に戻っただけである。マグロの値段でパンを売ろうとしたのが、そもそもの間違いのもとだったのだ。庄内拓明の「知のヴァリートード」”パン屋のお金とカジノのお金”よりH15.01.15 夜(クリックでジャンプします)ロバート・オウエン(Robert Owen,1771年 5月14日 - 1858年 11月17日 )イギリス の社会改革家。事業家で、ニュー・ラナークで繊維工場を経営。低所得の労働社会層の実情を目の当たりにし、幼少の子どもの工場労働を止めさせ、性格改良のための幼児の学校を工場に併設。幼稚園の生みの親といわれるフリードリヒ・フレーベル よりも先んじて、就学前の子どものための学校を実践。人間は環境によって変えられるという説を固持。 最近では、その名前すら記憶されなくなっているロバートオウェンであるが彼は、もっとも早くmsk222さんの謎について考え抜き実践により答えを求め続けた生涯であった。彼は、金が金を呼ぶという社会関係の「外」にもうひとつのお金の果たすべき役務があるということを世界史の中でもっとも早く見抜いた人のひとりだったと私は思う。今日、ふたたび地域通貨などという運動として再燃している事は耳にされたこともあろうかと思う。お金は、しばしばお金の元により多いお金を招き寄せることを第一義とするがために、お金に与えられた本来の役務よりもお金を集めることにかまけてその大切な役務を放擲してしまう、という性格を帯びた通貨である。生活や、サービスの交換に際しては本来どこまで行っても等価交換が原則である。わたしは娘や母親を、なにかみかえりを求めて愛したりはしない。娘や母もわたしに何かみかえりを強く求めて尽くしてくれたわけではない。いや、わが母親には何度も自分の死にかけたところを救われている。頭があがらない。まんまと命を救われては、自分は生涯を賭けて恩返しをしても返しきれない程の大恩(巨額債務)がある。これは交換にはなじまない。都留重人先生は、これを経済の世界では「有効需要」と呼ぶのであると教えてくださった。母親のいつぞや、渾身の機転を利かせた息子への善行は死にかけた私を救い、私の生涯の基礎になっている。これを日本円などの通貨で返そうとして債務として計上すると換価のしようがない。わたしは生涯債務超過で悩み抜かねばならない人生となってしまう事だろう。しかし、私の母親はわたしが死にぞこなった事、そのことを報酬とする慈愛に満ちた実母であったがために私は、2歳で命びろいをしながらも巨額の債務に悩むという人生を強いられずに済んだのである。ばかばかしい話をしているようだが、家族である親子であるという事はそういうことなのだ。このように債権債務を生じない、片方の快適が片方の喜びであるような関係は親子、夫婦のあいだなどでは極めてポピュラーな普遍的な関係である。このような関係では、一方が他方へ一方的に尽くしているというわけではなく、相互に働きかけそのものが求めに応じた「有効なもの」なのでである。この有効需要の原則が常となっている「家族の論理」に、完全に対峙しているものが「資本の論理」というわけである。われわれの世界の混乱は、ほんらい別物である「家族・夫婦・愛人の論理」の決済通貨と「資本の論理」を化体している通貨を無理やり同じ日本円により分離することなく混用していることに求められる。お金についての見通しを言う。ある日,大金持ちの未亡人が,高級織物を買いに来た。主人のマクガフォッグは,そのときたまたま店に置いてあった最高級の織物を未亡人に差し出した。必要以上の利益を得ず,どんな客にも掛値(かけね)なしで売ることを信条としていたマクガフォッグは,その値段が1ヤール(織物の単位)8シリングであると正直に告げた。すると未亡人は,「もっと上等なものが欲しいわ」と言う。もちろんこれ以上の織物は世界中どこを探してもない。しかしマクガフォッグは,上流階級の人々の性格を熟知していた。彼は「それでは」と言って倉に行き,同じ織物を持って戻ってきた。「ございました。ただお値段は10シリングになります」と言って未亡人に差し出しすと,未亡人はそれを手にとって調べ,「これこそ私が求めていたものです」と答えた。マクガフォッグは勘定書に値段を書き入れ,未亡人に手渡した。その勘定書には,1ヤール8シリングと記してあった。真面目一方で、相手の無知や無経験に乗じて利益を得るような商人ではけっしてないマクガフォッグ氏は、若き日のロバートオウェンが尊敬おくあたわずという師匠であった。そのマクガフォッグ氏が求めに応じて8シリングの織物をあえて10シリングで不本意ながら売りたてなければ成り立たない社会交換というものに資本の論理の虚栄を荷う怪しさがあると喝破したロバートオウェンは、のちに通貨の自主流通を企画することになる。この思想は、きわめて秀逸な透徹したものであったと今日なお評価する人達が存在することからも伺える。あの阪神大震災の熾烈な日々を通過し人と人との「通い合い」こそが本来の通貨のあるべき姿であると知ったわれわれは、一方であのライブドアの堀江社長が運用する何百億円もの巨額の資金が同じ通貨であることを当然ながら深い違和を感じることができるのである。スカイプ仲間の輪が広がっています。シャルドネ☆のIDを登録してみてください。愉しく御話してみましょう。スカイプID:chardonnay99_jp
2005年03月13日
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確かに、当事者意識の欠如が、知らない間にひどいことに巻き込まれるのかも。それが、一番弱いところに出るから困る。例えば、小糸製作所買収のときとか、アメリカでの最近の買収戦争のときでも、当事者意識があったら、上場企業はそのときに防衛策をとっていたでしょう。それを忘れると、最近の某ラジオ局みたいになるわけで・・・ さすらいの新人編集者さんさすらいの新人編集者さん、さすがによくこの消息をご存知らしい。「当事者意識の欠如」という意味では、昨今珍しい硬派なベストセラーとなったあの「バカの壁」のテーマがそれだった。昨年、山口義行立教大学教授の差し金でNHKの取材記者から質問をされたという事があった。メルマガでもふれたのでご記憶の向きもあろうかと思う。肝心の記者。これが新規創業者の像をまったく絞り込めておらず(つまり、当事者意識の完璧な欠如)わたしがその方自身の生活感覚でかまわないから一度定義して欲しい、と投げかけたところついに一度も電話がかかってこなかった。誠に情けなさい事態にあった事を今思い出した。よりによって、財閥系総合商社の連中などに企業内創業への志向と体験談を聞きたいと嗅ぎ分けていたようだ。その動機が、なんと企業内ベンチャーの成功例と失敗例を欲しがっているというものだったのである。自分は、たまらず彼にベンチャービジネスについての基本定義を求めた。質問をするのは彼の好みだったようだが、天下のNHKは質問されることに馴れてはいなかったものらしい。その後、黙殺されたまま今日に至っている。自分自身では、当事者意識に近い処から発して少しは根源的な問いかけのつもりだったのだけれども、相手側からはその問いかけを見事に黙殺され「企業内ベンチャー」などという(まるで密輸入業者のようだ)デタラメな単なる状況論に過ぎないようなものに引き寄せて番組を組み込もうとしていると知らされた。世のベンチャー事業者や創業者らの切実感からすれば間延びした薄弱な世間話をネタでとりあげ、多くのご家庭の聴視者をまたしてもあざむこうとするように思われてならなかった。もっといえば、零細な事業者というものの大多数は病気のようなもので間違ってもNHKが取材を行うという目盛りに相応しい活動ではない。事業の実態が存在するや、否やという程度のものが大半だと言ってもよい。これをすでに確立された市場に立って日々の流通で経営の体をなしている事業者との比較や類推するみたいな真似を行うことがどれほど安易な仕儀であるかは、事前にわかっているようなものではないか。当事者意識と、いうのであればベンチャー事業者の大半は当事者うんぬん以前で、幽霊のような面がある。いま話題のIT関連のベンチャー事業者だって、その出自が明瞭でない資金がどこからともなく湧いてきているという点を除けば少し背丈が大きいだけで正体の分からない幽霊のようなものである。昨今話題のライブドアがどのようなものなのかは皆目分からない。本来理解できないものは、語らない方がいいのだけれども、あえてあの姿をベンチャー事業だと言う向きがあるのであればその差異。テレビにおける頻出度の差のみが、際立っているだけで既に非力な存在ではないにせよある種野蛮な総会屋の手口を取り込んだ新手の仕手集団のようなものと映る。急成長期待型の事業の大半は、その事業の固有の技術部分で刻苦勉励する者は立派であって日常はさらにお粗末なものが少なくない。内部においてすら当事者意識の欠如した錬度の低い出資者やマーケッティング皆無な者による視野狭窄な経営判断など、最初から健常な成長を踏み外していると言うような事例は散々目撃した。哀しいけれども、コミュニケーション力などという高級な問題以前の劣悪なレベルのものが少なくない。
2005年03月12日
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速報2005/03/07 14:38 更新東芝、スマートメディアから撤退へ後発のメモリカードに押され、東芝がスマートメディアから撤退する。東芝は3月7日、スマートメディアの生産から一部を除いて撤退すると明らかにした。後発のメモリカードに押されて市場が縮小しているため。撤退時期は、OEM供給先などと今後詰める。スマートメディアは1995年に東芝が開発。メモリカードの先駆けとして初期のデジタルカメラなどに多く採用されたが、後発のSDメモリーカードなどに押されてシェアを落としてきた。同社は昨年7月以降、小容量タイプから順次生産を縮小。今後、OEM供給先などと協議しながら撤退を進めるとしている。ただしゲームボーイアドバンス向けとしてam3に供給しているスマートメディアについては、撤退の予定がないという。SmartMedia 【スマートメディア】読み方 : スマートメディア 東芝によって提唱された、切手大(縦45mm、横37mm、厚さ0.76mm、重量1.8g)のフラッシュメモリカードの規格。PDAやデジタルカメラの記憶媒体として広く利用されている。構造が単純なためメディア単価は安いが、パソコンなどで読み込むためにはPCカードスロットに接続するためのアダプタが必要。1枚あたりの容量は16MB、32MB、64MB、128MBなどの種類がある。SmartMediaを3.5インチのFDドライブで読めるようにするアダプタ(フラッシュパス)も開発されている。自分は、ひいきめにみても所詮ロートルオヤジである。けして若いとは言い難い。だが、93年以後パソコンはある程度使いこみもしている。検索エンジンは鉛筆並に不自由なしに使い込みしている。調べものにはまずまず長けている方だ。望んだものは大概見つけてきていると思う。自分自身が駄目でも外部には情報ソースになってくれる人も少しはいる。しかし、記憶媒体についてはまったく認識外でいつも驚かされる。いま使っている携帯のSDメモリーカードや、iRIVERなどの一連のフラッシュメモリー類にもなんだか悪い夢をみているようだ。平素、出入りしている事業者は一方とてつもなくど鈍い。いまだに文書をフロッピーで渡されたりする。あいだに挟まれている自分は、猛烈な掻痒感にさいなまれるのである。分かりやすくいえばストレスが多い。実は、このスマートメデアでもかなり振り回された記憶がある。ある商社の支援をしている時に、この会社の役員が購入した一眼レフ式のデジカメを不要だと現場に「おさがり」されていて入荷製品を毎回、このデジカメで収録するという業務手順になっていた。支援に入った自分が、なぜかその業務手順を丸投げされる羽目になる。収録した画像は、すべてスマートメデアに収まっている。現場は、猛烈に寒い倉庫だったりする。凍える手で画像を収録して、今度はパソコンに吸い上げるわけだが、なぜかスマートメデアのdataを吸引するようなPCカードスロットが用意されていない。そこで、あの3.5インチフロッピーのスロットにほりこむフレームが置いてありこれを使って画像をトランスファーするのである。馬鹿馬鹿しいのであるが、世の中というものはこのように訳がわからない不条理で出来上がっている。これを3ヶ月もやらされているうちに役員の気分が変わって、現在のベンチャー事業の支援に転籍した。日本の中小企業の情報武装というのかIT化の程度というのは千差万別。いまだにウィンドウズ95世代で満足している事業者も多い。いや、80年代の東芝「帳作くん」みたいな会社が臆面もなく胸を張って優良中小企業として東京商工リサーチの上位ランクに輝いていたりする。しかし、メデアがひとつ新しく登場するたびごとに正直ゾッとする。あたらしいメデアが現れるたびごとに不条理が相乗する。これまででも、幾何級数的に話が錯綜していた。これからますます、支離滅裂な不条理に現場はさらされることになるのだろう。経営者にはあまり新しい記憶メデアを教えない方がいい。仕事を気持ち良く進めて行くための智恵というものである。古い世代のメデア環境でありながら、予想外に作業が円滑に進んでいるぐらいに経営者には業務を眺めさせておくのがもっとも快適だという気がする。どうせ、多くの中堅企業の経営者などは最後の最後までロクすっぽIT業務の現場には関与しないのである。東芝のスマートメディアから撤退について特別な感慨はない。いろいろ困惑するような眼にあったが、すべて胸の内におさめ今はただ笑うしかない。そういえば京セラもデジカメ市場から撤退するらしい。物置においてある一眼レフのヤシカの方がまだ使えそうな気分である。
2005年03月11日
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勲一等旭日大綬章を授与されたカーチスルメイCurtis Emerson LeMay勲一等旭日大綬章カーチスルメイに勲一等旭日大綬章を授与した人々第61代第1次佐藤内閣-昭和39年11月9日成立内閣総理大臣 佐藤榮作---------☆法務大臣 高橋 等外務大臣 椎名悦三郎大蔵大臣 田中角榮---------☆文部大臣 愛知揆一*厚生大臣 神田 博農林大臣 赤城宗徳通商産業大臣 櫻内義雄運輸大臣 松浦周太郎郵政大臣 徳安實蔵労働大臣 石田博英建設大臣 小山長規*自治大臣 吉武惠一*内閣官房長官 橋本登美三郎総理府総務長官[昭40.5.19 国務大臣制] 臼井莊一近畿圏整備長官 小山長規*国家公安委員会委員長 吉武惠一*首都圏整備委員会委員長 小山長規*行政管理庁長官 増原惠吉*北海道開発庁長官 増原惠吉*防衛庁長官 小泉純也------------☆経済企画庁長官 高橋 衞科学技術庁長官 愛知揆一*国務大臣 河野一郎------------☆内閣法制局長官 高辻正己内閣官房副長官 竹下 登------------☆内閣官房副長官 石岡 實総理府総務副長官 古屋 亨東京大空襲で殺された人々
2005年03月10日
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↑画像のクリックから同著書評へ世界史上最大であった東京大空襲を、どれだけの人が知っているでしょうか。東京はアメリカ軍の無差別爆撃を受け、戦場地獄になり、約三百十万人が家を焼かれ、その被害総額は広島の十倍であったことを知っていますか。東京大空襲では身元も判明しなくなった(遺族が引き取れない)遺骨が、頭蓋骨から数え十万体以上、現在もあることを知っていますか。国は同じ戦争で殺されながら、空襲死者は戦没者でないとして、軍人・軍属の戦没者と民間人の戦災死没者(または戦災横死者ともいわれる)を明確に区別して、空襲による死者には家族十人殺されても、一切の補償がなく、救済措置もないことを知っていますか。三月十日の東京空襲では一家全滅が非常に多く、国の空襲死者の扱いは、行き倒れと同じ扱いであり、追悼もされていないことを知っていますか。先の大戦で十二万三千人の戦争孤児が生じ、十歳前後の浮浪児が巷にあふれたことを知っていますか。(前掲書)
2005年03月10日
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クリックから東京大空襲(とうきょうだいくうしゅう)は、第二次世界大戦中アメリカ軍により行われた空襲のうち、1945年(昭和20年)3月10日と5月25日東京に対して行なわれたものを一般的に指す。特に、3月10日未明のB-29爆撃機344機による爆撃は、40km2の円周上にナパーム製高性能焼夷弾を投下して東京の住民が逃げられないようにした後、東京市の隅田川沿岸地区を中心にその円の内側を塗りつぶすように約100万発(2,000トン)もの油脂焼夷弾、黄燐焼夷弾やエレクトロン焼夷弾が投下された。当夜は低気圧の通過に伴って強風がふいており、この風が以下の条件と重なり、大きな被害をもたらした。クリックから「 人は、戦争で死ぬために生まれてはこない」2004年5月5日クリックから「 増補「焦土の青春」」2004年4月30日クリックからこの日記で、とりあげる何度目かの東京大空襲となる。もう、この日記を続けて読んで下さっている方々には辟易という感の湧く話題かもしれない。恐縮ながら、自分はこのテーマに飽きるなどという事がない。5歳の時に、死に損なったのは生家が放火で焼けたのだが至近距離で燃え上がるのをみていたので記憶にも鮮明だ。火事というものはやはり熱い。翌朝落ち着いて息子の私の顔をみた母親が驚いたそうだ。髪も、眉も、睫毛もすべて熱で焼け飛んでいたという。自分は、家が燃えるという珍しい光景をただ漫然と眺めていただけなのだ。火傷をしたわけでもなく、おそらく熱線の為せるわざだったのだろう。生まれた家が焼けたぐらいでも、その程度には驚きがある。ましてや、東京ごと一晩で約100万発(2,000トン)のナパーム弾をほりこまれては逃げる先がなかっただろう。10万8千人の死傷者が出たというのは大袈裟でも何でもないのだろうと思う。わざわざポーランドへナチスのお仕事を見学に行くこともなさそうに思う。こと、死傷者を数えるためだけなのであれば、東京名古屋大阪など日本の都市部の爆撃での戦病死者。そしてあの長崎、広島を思い起こせばアウシュビッツも、ダッハウもかたなしだろう。京都から、看護動員で大阪に出向いた母親は大阪の市中の川を覆いつくす遺体。いくら引き上げても引き上げても次の満ち潮になれば新しい遺体で覆われてしまうと嘆息したと言っていた。Re:のんびり行こうぜ。(03/08) ひめちゃんのどうしょうもない疑問?ヒトラーがあれだけの人間を殺して今はもうこの世にいないヒトラー・・・あの世で罰は当たらないのか?あの世で永遠に苦しんで欲しいヒトラーには・・。ひめちゃん3058さん(2005/03/10 09:41:51 AM)カーティスルメイや、ルーズベルト、そして彼らに勲章まで与えた佐藤内閣の閣僚の諸兄にも正直いって「あの世で永遠に苦しんで欲しい」と思う。 十把一絡げは。。。 ポーランドに行くとしたら、アウシュビッツも訪ねるだろうなあと思います。そこで考えることの方向とか、深さ加減は本当に人それぞれなのではないでしょうか。 ladybird64さんそうなのだ。しばしば十把一絡げに殺される我々は、ひとりに一つづつ大切な肉体とこころを本来持ち合わせている。一晩で、蒸し殺しされてよいわけはないと改めて思う。いまを生きていることの不思議さ大切さを考えれば、死んでいった人たちへの哀惜の想い。いよいよ深まる気がする。※最後の画像は、かならずクリックしてください。クリックから
2005年03月10日
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スカイプで、ポーランドの青年と恒例の深夜交歓していた。彼は、日本語が多少できるので結構コミュニケーションは維持できている。聞けば、愛知万博のポーランドブースにも参加できる可能性があったらしい。少し応募が遅かったので他の方が選考されてしまったそうだ。しかし、彼が選抜に勝ち抜いて愛知万博に参加をしていたらシャルドネとスカイプで盛り上がることはなかったと思う。そんな中で、とりわけ意思の疎通が悪くなったテーマがある。こちらの感覚と違いすぎるために言葉の壁の問題以外にも、まるっきり相互の意思が交わらずコミュニケーションが成立しないというようなものがあるものだと気づいた。彼は、アルバイトであのアウシュビッツの見学にやってくる日本人の観光客にガイドをしているらしい。熱心に歴史を解説して、日本人と日本語を活かす機会を喜んで仕事に取組んでいるようだ。彼は、日本語学科の学生であると同時に国際関係の講座を別大学でもかけ持ちしているようだ。「なぜ、日本人がアウシュビッツに興味を抱いて観光にくるのか」と言うので、わたしは「怖いものみたさではないか」と応えた。これは彼には、理解ができないようだ。歴史への関心はあるかと思うが、日本人がポーランドの国民の悲劇的な歴史に深い関心と学習を真面目に取組んでいるはずがない。いるとしても少数派であろう。多くの人達は、人間がどこまで残忍になれるのかという限度を試された世界史の記念すべき実験室に参加したいという発想は、私には想像できる。しかし、彼にはわれわれ現代の日本人がいまどき強制収容所の歴史的な背景やその学習に深い興味を抱き続けているはずがないなどと言うと少々拍子抜けしたような様子で真面目に驚いていたようだ。日本人は、テレビ映像で頻出してくる風景や、施設には単純なぐらい過剰な反応をする国民性なのだと説明しておいた。それと、日本人の写真好きな面も奇異に思うらしい。観光地に出向き、自分の眼でみるよりもカメラに収録したがる理由がよく分からないようだ。言葉で説明されても、理解できない感覚は色々とあるのかもしれない。日本人は、画像自体ではなく画像に伴う占有離脱した世間の含侵度を喜ぶ癖があるのはこの日記でこれまでに常に私が何度も話題にしてきた。やはり彼もその点を突いてきたわけである。※参照「不倫と経済社会6」日本人にとっては、自分の眼に映ったものをそのまま価値ある印象だとする感覚は歴史的にも極めて新しいもので、いまでも大多数の日本人はひとさまがお値打ちだと決めた画像や考案や、御作法をありがたそうに拝領する歴史的伝統がある。これを彼に説明するのに苦労をした。銭湯のペンキ絵の富士が、静岡で見える富士よりも日本人のこころの富士に近いのかもしれない。現実の富士をみることよりも、カメラに納めた富士の写真の方がよほどカメラの持ち主の関心事なのである。ポーランドでとりわけアウシュビッツの歴史的な資料を眺めるためにと日本人観光客が何万人と出向く。さまざまな事を口にして帰国してきての果て、日本人は結局あのアウシュビッツを持参のカメラに収めて満腹してしまうに違いない、と彼に述べた。そんな決着しない話題以外にも、理解し難いのが台湾と人民中国の動きについての印象らしい。ポーランドでは、我々の想像以上に台湾海峡の軍事的緊張についてハラハラしているらしい。日本人は、どうかと聞くので「日本人がそんな事に関心を抱くはずがないだろう」と彼に。これも相当驚いたようだ。何で日本人は、そんなに危機について悠長なのか、と言うので「日本人は、のんびりだからねえ」と私。日本語学科の彼が、語彙としての「のんびり」が分からないという。まさか、日本語の「のんびり」が超難解語彙だとは夢にも思わなかった。「日本人は、殺されるまであわてないからねえ」と、述べると彼は苦笑しているようだった。現実に、多くの日本人をそぎ落とし抑圧しているものはこの超無関心な「のんびり」のような気がする。
2005年03月08日
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何年ぶりでしょうか。久しぶりに風邪をひきました。でも結構、タフなんですね私。昔は、39.5の高熱でも平気で仕事にでむいてまっすぐに歩けなくて風邪引いているのに気がついたみたいな時代もありました。今日も、ちょっと寒気があったのですがカレーうどんを食べただけで直ってしまいました。この頑強な身体を授けてもらった両親に感謝です。
2005年03月07日
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平素からゴールドハンド・ながぬまさんなどから、色々教えられる事が多い。医療の問題をなぜ、ここで私がベンチャー支援の問題視点から覗き込んでいるのか。奇矯なうかがい知れない動機のようにみえるかもしれない。事実、私のような視点は、同業者や日本のビジネスマンで理解をされることは極めて少ない。ゴールドハンド・ながぬまさんのような方から理解して貰えたりする経験が多い。私見ながら、いま医療の問題は次第に患者Patientの「固有性」にどのように踏み込むのかという方法論の問題に分岐しつつあるような印象を抱いていた。患者Patientへの手の差し込み方が、世界各国で主流となり医療の世界標準化が試みられていることは皆さんけどっておられる筈。その基本は、臨床疫学を基礎科学とするEvidence-Based Medicine(EBM)と呼称されている。質が高く効率的な医療の提供を目指して、うなりをあげてその体系と医療検査機器の充実が課題解決に向けて機能づけられているのだろう。これに対してNBM アプローチNarrative-Based Medicine(NBM)というやや異端に響くスタンスの医療を目指す陣営が次第に台頭しているという風に聞く。ゴールドハンド・ながぬまさんなどが目指しておられるものを平素の聞きかじりで集約してみると、いうなればこのNBMの補完もしくは医療新潮流との呼応的なアプローチを、ご指摘のボディーワークの視点に融合的な局面がかならずあると個人的に思っている。時代は、すでに医療現場でのインフォームドコンセントなどという静態的なものから、患者参加型Narrative-Basedという動態的な医療への動機を問うものへと遷移しつつあるのではないか、との永年のわたし自身の思いは次第に具体的な医療関係者の隊伍にかたちをなしつつあるようだ。※Narrative-Based Medicine(NBM)のカテゴリーと課題第一回「EBMとNBM」第二回「NBMの実践について」第三回「NBMにおける対話」第四回「NBMを深める」第五回「NBMとEBMの統合的実践」実は、患者の固有性とは疾病への医療関係者のアプローチの姿勢によって実にさまざまなかたちに、その見え方は大きく変わってしまうものだろうと素人ながら考えてしまう。実は、ここの部分で強引に持論へ引き寄せ違和感を感じられる方がおられるかもしれないのだがこの固有性の問題は自分にとっては平素からこの国のベンチャービジネスにとりそれぞれの特有の問題を聞きただしているうちに実は、種々の事業支援の現場で毎回、支援を目指してついに事業の健常な創業支援の問題や方法論と実はまったく同じ感覚ではないかと密かに思っている。事業の固有性は、技術の核心部分においてつねに属人的な創意や考案、そして筋肉蓄積と冗談を言うような永年の経験や失敗をも含めた濃厚な体験の厚みに依存するものがあるものだ。それが高い社会的な便益と進歩点をもたらすことが少なくない。このような実態を、実は詳細に把握しているような行政も政府組織も情けないほど存在していないのである。医療の世界において、ようやくNBMがひとつの潮流となって姿をあらわし始めたことを私は、革新的な新規性を帯びたビジネスの先端的な現場における社会的な支援と、制度的なインキュベーションの地平においても早晩感覚的同位したものとして注力されるようでなければ情けないとの思いで静かに眺めているのである。笑われるかもしれないが、いまや新規性の高い研究開発型事業者という存在は余程幸運な場合をのぞき、その大半はこの国の経済社会の内部においてまったく難病治療の患者なみの課題を山積させている存在だとの実感がわたしにはあるからだ。固有性への視点とは、医療の現場にとっては科学そのものなのである。
2005年03月06日
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たまゆら1/fさんとスカイプしていると愉しい。これでもか、とばかりに色んな話題が出てくるものだ。まあ、どちらも好奇心全開の百科全書派な男である。昨晩の「大奥の話」も面白い。江戸時代に、将軍家が大奥という壮絶な無駄を堅持していたというのは耳にされたことがあろうかと思う。フェミニストならば、唾棄するべき装置だということになるのかもしれない。いま話題のフジテレビが開局記念にかつて伝説的なテレビドラマ「大奥」(1968年)が、日本の視聴者を釘付けにして以来、よほどこの手の話題はうけるらしく、繰り返し繰り返しブームになるようだ。※大奥という歴史的存在については、こちらを。ひとつには、日本の国の停滞感があるかと思う。大奥は、今の我々にとってはどうかんがえても江戸時代の昔ばなし。とはいえ距離感こそあるものの、どこかで現代と通じている気分も濃厚。この国には、気づかないだけでみえない資産は掘りおこしさえすればまだまだ沢山あると言うこともできるのではないか。泰平楽をやり過ごしていたかのような江戸期においても、壮絶な権力闘争はあり、しばしばその舞台が大奥をまじえてのものだった。それ故に、学ぶべきものも多い。京都にある善峯寺といわれる古刹では、桂昌院の像が奉られているらしい。応仁の乱で焼失した寺を再興したのは、徳川五代将軍綱吉の生母であった桂昌院の寄進によるものだそうだ。この桂昌院は京洛の八百屋の娘、お玉と呼ばれていた。半端なシンデレラではない。春日局という大奥の創業者にビシバシとしごかれていた徳川家光。その眼によほど癒し系と映ったのであろう。お玉を側室として寵愛される。いや、寵愛していたのか救われたのか分かったものではない。国内でかきあつめられた大奥の姫君に、疲れ果てていたのかもしれない。そこでなした家光の子が、綱吉でのちに将軍になるわけだが当然将軍の生母として大奥の頂上に登りつめる。ちょっと、考えれば大奥という国家組織はある種臨時革命政権でもなしえない事を堂々とやっちまえるるという側面があったわけである。こういう豪快な真似を徳川三百年は何度も密かにやらかして、泰平の世を堅持する。はたまた日本の戦後保守政権下でも案外なぐらいに権力組織に風をとおす工夫はされてきたのかもしれない。それは、それとして大奥にもうひとつ語られざるささやかな秘密があるように思う。子供の頃から自分には、赤穂浪士のような「凶器準備集合罪」な徒党が大挙して「破壊活動防止法」抵触な真似を実行し国家への挑戦的行為を行っておきながら、なぜに仮名手本忠臣蔵に代表されるように国民に広く顕彰され続けてきたのだろうかと不思議な思いがあった。これについての、ひとつの示唆を与えられる事実が大奥を取り巻く世界の中に埋伏されていると思う。徳川家宣(いえのぶ)の時代は、瞠目に価する。歴史通の皆さんが、あまり面白がらない時代であるために世上話題になりにくい。徳川家宣は、あの綱吉の兄の子である。綱吉は、実子を将軍にしたく仏法頼みに、「生類憐れみの令」まで打ち出して子供を欲しいと願った。これはいま男子継承者を求めてやまない皇室ご一家の姿にも重ね合わせてみれば切実さが分かろうというものだ。ご存知のとおり、綱吉は紀州に娘を嫁がせあわよくば紀州家から後継将軍をと望んだ。遺憾ながらこの娘鶴姫がついに子をなせず、将軍は家宣となるわけだ。その後、暴れん坊将軍だかなんだか知らないが吉宗が紀州藩から将軍をかっさらう事になるのだが、その応酬劇は火花散るものであったことは想像に難くない。ここに月光院という大奥の歴史に侮りがたい存在がいる。徳川幕府第六代将軍徳川家宣側室にして、徳川幕府第七代将軍徳川家継生母である。あの当時、世界的な知性として知られる新井白石の後ろ盾といえば、その尋常ならざる存在感の一旦が伝わることかと思う。いうまでもなく家継の生母(母親)である。綱吉に、疎まれながら将軍職についた家宣。その重用した老中格側用人間部詮房と儒学者新井白石の重要閣僚には、その後も将軍後継として浮上する徳川家継の擁立に月光院の存在感と意思がどこかで増幅されていた事は火をみるより明らかである。事実、ポスト家継として権力につく将軍徳川吉宗の治世には、新井白石はみごとに退けられて野に下がっている。綱吉の遺恨は、吉宗の政権下でも働いていたのだろうか。徳川吉宗自身は、月光院の推挙で将軍職に迎えられたという面がある。白石は、6代将軍家宣に仕え、「正徳の治」を進めた人物である。 元々白石は、上総国久留里(くるり)藩主土屋利直(としなお)の目付であった人物である。若い白石は、利発な才能から俊直に大変可愛がられたが、土屋家の御家騒動で主家が改易。続いて前述の堀田正俊に仕えたが、これも刺殺されるという不幸に見まわれ、浪人となった。 1868年に儒学者・木下順庵の弟子となり、才能を認められ甲府藩主徳川綱豊の待講(じこう)となり、彼に儒学と歴史を教えることになる(19年間に1299日教えた。教える方もすごいが、聴く方もすごく情熱がある。)。さらに彼は家豊に、1万石以上の大名337家の歴史と、徳川家との関係を一目瞭然にわかるよう記した正編10巻と付録2巻からなる「藩翰譜(はんかんふ)」を大変な労力のもと著し献上。家豊は終生この本を離さなかった。この家豊が6代将軍家宣となったことから、彼も幕政に参画するのである。 そんな彼とパートナーをくんで活躍したのが間部詮房(まなべあきふさ 1666~1720)。元猿楽師で、綱豊も目に留まり出世の道を歩むことになる。綱豊(家宣)は、この2人を使って綱吉時代の悪弊を取り除こうとつとめたのだ。彼は将軍就任とともに生類哀れみの令を廃止。続いて、前の側用人・柳沢吉保らが権勢を得てやりたい放題だったのを改めるべく、側用人を廃止した。側用人とは、将軍と老中の間の連絡係で、連絡係にとどまればよかったのだが、次第に政治の中枢にまで入り込むようになってしまった。堀田正俊の刺殺事件以降、将軍の身を案じて創設された役職である。 たまゆら1/f氏などは、この間部詮房の出身が「猿楽師」であるなどという点に凝視がゆくのかもしれない。それはそれとして、、、この徳川綱豊の側室に、ほかならぬ月光院ことお喜世。左京の局。輝子がつくのである。このお喜世には、知られざる前身がある。ほかならぬお喜世、大奥にあがる以前に浅野内匠頭長矩の正室であった瑤泉院に侍女(セキュレタリー)として仕えたことがある。赤穂浪士遺児たちの赦免の後押しをしたふしは濃厚なのだ。
2005年03月05日
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現在の司法試験は誰でも受けられる試験なのである。合格者数こそ名門大学出身者が大多数を占めるが、試験そのものは高校生でも前科のある人でも受けられるのだ。実際、中卒で自殺未遂と極道の妻の経験をもつ大平光代弁護士は有名なところである。「司法試験ほど平等に受験機会の与えられた試験はない」とおっしゃっる先生もいる。ところが、今の「医者」になるための制度を見てみよう。他学部と比べ、入試偏差値も学費もメチャ高い「医学部」を卒業し、医師国家試験に合格しなければ医者にはなれない。医者になっても、最初は給料がメチャ低く、経済的に余裕のある者でないと厳しい職業だそうだ。つまり、一部の階層・エリートでしか医者にはなりにくいのが現状だ。私が法科大学院を危惧するのは法曹もこんな感じになるのではないかと思うからだ。いろいろな経験・立場をもつ人に法曹になってもらいたいのなら、現行司法試験のほうがその目的は果たしやすいと思う。新制度では大平弁護士のような方は二度と現れないだろう。日本は組織や制度といった外形を作ったら満足してしまうところがある。そこが恐い。レッくんさんの日記より↑(クリックでジャンプします)偶然、かつての友人の名前をWEBで見かけた。少々興味が湧いてさっそく検索してみたらば何と楽天日記のレッくん氏の日記の中でその名前がヒットした。大学を卒業して以来、一貫して検事畑。いまや現職検察官であって法科大学院の教授もかねているらしい。人事報道によれば、高検総務部長に就任しているという。贔屓目でなくとも、これは栄達というものである。いや、実はWEBに人事報道の記載されているその前の年に彼自身とは出会っている。彼が年収何千マン円貰っているのだというのは彼から直接聞いた。聞いてもいないことを私に語ったのだから、よほど万人を納得させられる手柄なのであろうと思う。しかし、一方でレッくん氏の楽天日記に記されていることはまったくもって、納得できる話である。実態で、日本の医療にかぎらず司法にかぎらず多数国民向けにはその制度ができているものではない。これはまったくレッくん氏と同意見である。なぜならば同氏ご指摘のとうりにあるよう「経済的に余裕のある者でないと」まちがいなく厳しい職業となるべく、それはあらかじめ入念に定向配慮がされているからである。こんなものはもはや既に多くの国民にとっての疑問の余地なく体感されるレベルである。他ならぬ友人自身が、ご他界された父親がいて元検事であった。一昨年彼が珍しく声をかけて出会った際に、御父上が亡くなられたとたその出会いの席で耳にした。大学時代には、何度かご家庭を訪問させていただいて直接謦咳に接した記憶がある。彼の父上が大変苦労されたことは当時世の中の何も分かっていない若造の自分にも伝わってきたものだ。早いはなし、彼は検察官を世襲しているわけである。優秀なご家庭であることはわかる。実弟が、東大法学部から大蔵入りした事もキチンと憶えている。彼が、いまの日本の勝ち組と、押しも押されもしないのはすべて認める。さらに言えば彼には、確かに自分は世話になった。彼も世話をしたという自覚は私に対してあると思う。面倒見のいい人だ。いや、不公正な件で世話になったのではないので良いのだけれども、そんな世話になった男に対しても当方として述べたい事も多少はある。同じ、WEBの検索で不思議なものをみかけた。*** ::***04/10/** **:** HOST:***対象区分:[個人・三種]優先削除あり 削除対象アドレス: http://school4.2ch.net/***http://school4.2ch.net/***削除理由・詳細・その他: ***総合スレッド****************を削除されたい。 刑法の名誉棄損罪に該当する。 ***と***を読めば,唯一人の個人が特定される。 もちろん,セクハラの事実はないし,噂もない。 誹謗中傷が目的であることは明白である。 削除されない場合は,法的手段をとる。 他ならぬ彼の実名でなされた、2ちゃんねるの削除要請である。あの2ちゃんねるに対して実名で削除要請できるなどというだけで、もう「何者」かである。どうやら、名誉毀損の事実があったものらしい。よりによって現職の検察官を誹謗中傷するなどという豪快な目的をもった人物がいたのだという風に読める。まあ、いまのご時世なのでそのような瘋癲なタイプの人士もいるものらしい。そんなトンマな野郎さまが存在していることも驚きではある。しかし、もっと自分にとり驚きなのは現職の検察官が個人(もしくは関係者)の名誉を守るために実名で、2ちゃんねるを恫喝するだろうか、という感慨である。いや、友人の名誉にかかわることであるのならば当然友人に加担をする気持ちは強い。徹底的に、そのような不謹慎なヤカラは糾弾されるべきだと私は個人的に思う。ここで、わたしは2ちゃんねるを擁護しているわけではない。わたしとて、2ちゃんねるに恨みつらみはないものの匿名での誹謗中傷については憤懣やるかたないという思いへの理解は当然ある。以前にもふれたが虚偽の内容証明を送達されたこともある。つまり、私のあずかり知らぬところで、私の名前を用いた内容証明郵便を出したふとどきな愉快犯がいた。この件は、以前にも触れたのでこの稿の話題にするつもりはない。言いたいのは、私も不名誉な誹謗中傷の経験はある。その際、自分は徹底的に司法職から庇護されることはなかった。郵政局長も、地元警察署長も、いずれも司法職者でありながら私からの申し出を聞き取りもしなかったのである。つまり、対処以前。堂々と黙殺したのである。警察署の刑事課も、また一般窓口相談においても誰れひとりとして取りあおうとはしなかったと断言できる。つまり、この国の司法職はつねにこのような市井の事件においては無作為なのだ。これは皆さんおひとりひとり。身に憶えがあるかと思う。つまりこの国では実態として「法的手段をとる」などといった光りものを使えるチャンス。それを行使する資格と身分は、みごとに特権的なものと堕してしまっている。つまり、逆にいえばその資格と身分に依存しては恣意的で気随きままな行使がなされている。これが実態だろう。万人が平等に、法的手段がとれ自身と自身の名誉を守れる世の中であればこそ、法は法として社会的合意を形成できているとされてよい。しかし、現実には司法職は、司法職者の身分と地位と名誉を守るためには法を発動することはあっても、この国のヒラの市民、国民の権利と名誉を本気でまもるために機能しているだろうか。いや、断じて機能はしていないのだ。これは私が思っているだけではないだろう。そんなはたらきなど、ついぞ見かけた事がない。日本が法治国家だという人たちがいる。いや、法治などされているとは思えない。日本は、人治国家なのである。はやい話、われわれ日本人は「人がよい」のである。善人の割合が、やや多いことでようやくこの国は維持をされているに過ぎない。わたしが、ことさらに言うまでもない。行政や、司法職の「無作為」は社会にとって由々しき犯罪である。八百屋や、魚屋が市場で仕入れた一番美味しい野菜や旬のさかなをその商店の家族やヒイキ先だけで消費するなどとしてみよう。たとえてみれば大差がないだろう。しかし、私ならば知ればそんな八百屋や魚屋など断じて許さないだろう。そのような商店で買い物をする気には到底なれない。かつては商人道として、そのような手前勝手なふるまいを諌め自制するというようなモラルが世間の眼のようにふるまい存在していたと思う。実名で、2ちゃんねるに誹謗中傷を諌めるなどというような真似ができることは羨ましい。しかし、そんな羨ましい真似を行っていただくために国民は検察官に高額の生涯報酬を託してはいないだろ。この世の不公正を、いま少し減らしてみていただきたいものである。
2005年03月04日
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【北の国から】西武お抱えの倉本聰【優しい時間】 倉本聰脚本の優しい時間が8話目を迎える。 老人の懐古主義と陰口を叩かれながらも、時流に媚びない本格派ドラマを謳う同ドラマ。 その倉本聰と逮捕されたばかりの西武・堤義明とは麻布学園で中高と同級生であり、昵懇の間柄である。 麻布OB 堤義明(元西武オーナー) 三木繁光(東京三菱銀行頭取) 古川亨(元マイクロソフト会長) 関沢義(元富士通社長) 羽佐間重彰(元産経新聞社社長) 西垣浩司(元NEC社長) 中山素平(元興銀頭取、経済同友会元代表幹事等) 稲葉興作(元石川島播磨重工業社長、日本商工会議所会頭) 石田礼助(元国鉄総裁、三井物産元代表取締役) 八尋俊邦(元三井物産社長、元経団連副会長) 橋本龍太郎(元首相) 橋本大二郎(高知県知事) 谷垣禎一(財務大臣、元科学技術庁長官) 中川昭一(経済産業大臣、元農林水産大臣) 福田康夫(元内閣官房長官) 平沼赳夫(元経済産業大臣) 松野頼三(元労働大臣、元農林大臣、元防衛庁長官) 与謝野馨(元通産大臣、元文部大臣) フランキー堺 安倍譲二 富田建蔵 昭和47年、富良野にスキー場を開設。49年、富良野プリンスホテル開業。 52年、ワールドカップ開催。同年夏、倉本は富良野に移り住み、 57年に、あの「名作」北の国からがスタートした。 好評を博した同ドラマにより、富良野の観光客は80万から200万人に激増した。 堤義明と倉本聰の友情が生み出した奇跡だ。 だが、堤が逮捕された今、それを美談と賛美できる人間がどれほどいようか? 倉本は、「北と国から」は堤との関係で始まったものではない。 1作目についてはフジテレビの鹿内と村上とで考案したものだと主張している。 だが、その後のシリーズでは富良野プリンスから数々の便宜を図ってもらったと認めているのだ。 つまり「北の国から」は、実質西武ビジネスのプロモーション作品としての意味が大きかったのだ。 ちなみに倉本聰初監督映画は中島朋子主演のフィギアスケート物語で、 それらは品川プリンスホテルのスケートセンターを無料で提供してもらって撮影されたもの。 そして視聴者のどれほどが、今放送中「優しい時間」の舞台となっている喫茶店が、 今、話題となってる堤西武グループ・新富良野プリンスホテルの敷地内にあることを知っているだろうか? さて、フジテレビアナウンサーの里谷がDV離婚・白人との公然猥褻/暴行事件が発覚したが、 スキーモーグル選手だった彼女がフジに入社できたのは堤が親密なフジ日枝に依頼したからだと言われている。 そしてフジテレビが今、コクド→西武で問われた親子資本関係のいびつさと全く同種の欠陥をつかれ、 ライブドアに乗っ取られかかっているのは皮肉な話だ。 「優しい時間」と同時期のこの冬公開されている映画「北の零年」主演・吉永小百合と言えば、 言わずと知れた堤との“特殊な関係”。早稲田大学時代には堤から単位取得の後押しを申し出られている。 またに徒党の円環構図と言えよう。 「優しい時間」放送当日に堤が逮捕され、放送真っ只中、裏番組で堤のニュースが流されてるいるのは、 腐臭を放つインサイダーの輪の中にいた、倉本聰への引退勧告である。 まあ、みなさんご存知の御話だとは思いますが、、、
2005年03月03日
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たまゆら1/fさんが言う。どうも、シャルドネおやじの日記は楽天日記外のguestが多い。それはたしかにそうで、午前中は特にguestのアクセスが特別に多いのである。海外の方も多いようだ。楽天日記側の方が一桁程度の時でも、guest側の方は三桁いくこともある。ハテ新参の方は案外少ないようだ。つまり定例的にこちらを眺めてくださっている方が多いらしい。これも不思議。自分のメルマガはサボって、いまや月刊になっている。購読者は、ついに200人を切りそうな気配である。メルマガの熱心な購読者などというもは、購読規模の5分の1もいれば多い方である。いま仮にそちらの方からこられているとしても、guestの数は異様に多い気がする。つまり、シャルドネの楽天日記はいかに楽天向きではない内容であるか、という証左であろう。(笑)もしかすると、あの「不倫と経済社会3」の影響だろうか?↑未読の方は、クリックをあそこには、けっこう時候を得たセンセーショナルな内容もある。根拠あることを述べているつもりだが、世間的には知らない人も多いだろう。モノはついでということがある。堤義明にタカリ、さんざんあぶく銭を面白おかしくせしめてきた国税庁の腐れ役人たちもこの際だからかたっぱしから手錠をかけて貰いたいものだ。東京地検特捜部は3日、グループ中核企業コクド(東京・渋谷)の株保有比率を偽った西武鉄道の有価証券報告書を提出したうえ、虚偽記載公表前に市場外で西武株を売却したとして、証券取引法違反(虚偽記載、インサイダー取引)容疑でコクド前会長、堤義明容疑者(70)を逮捕した。特捜部は証券取引等監視委員会と合同で西武鉄道本社(埼玉県所沢市)など関係先を家宅捜索、押収した証拠の分析を急ぐ。 (クリックでジャンプします)スカイプ仲間の輪が広がっています。シャルドネ☆のIDを登録してみてください。愉しく御話してみましょう。スカイプID:chardonnay99_jp
2005年03月02日
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いま、アフリカ象を病気の原因になる原虫だと考えてみましょう。さしずめ真菌は、ライオンやピューマぐらいの大きさでしょうか。となると、バクテリアはセントバーナード犬。リケッチャーで、ブルドッグぐらいでしょうか。ちょうど、クラミジアがポメラニアンぐらい。マイコプラズマならば、チワワでしょう。そして、ウイルスはマウスほどのサイズになります。スカイプ仲間の輪が広がっています。シャルドネ☆のIDを登録してみてください。愉しく御話してみましょう。スカイプID:chardonnay99_jp
2005年03月02日
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ペスト菌Yersinia pesitisは卵型のグラム陰性桿菌で,両端が強く染色される特徴をもっています(両染色性).ペスト菌は本来リスやネズミなど野生げっ歯類の間の伝染病ですが,野生げっ歯類から人間の居住区に出入りしているネズミに広がりヒトにも感染します.ネズミなどからヒトへの感染を仲介するものはノミで,感染した動物の血液を吸ったノミの前胃で増殖した菌が人間をかむことによってたり,あるいはノミの便に出た菌がヒトの傷口に付着して感染します。ペストは6世紀,14-17世紀,19世紀に大流行し,ヨーロッパではペストは黒死病として恐れられ,大流行によってヨーロッパ全体の人口の1/3もが失われたといわれてたほど,その病原性は強いものです.おとぎ話のハーメルの笛吹きの話は当時にヨーロッパの状態を物語ったものといわれます。 この菌は急激な敗血症を起こしチアノーゼを示すことからペストが黒死病と呼ばれ中世ヨーロッパでは恐れられましたました.。この病原は北里柴三郎,A. Yersinによって独立して分離されましたが,コッホは街のネズミを駆除するとこによって,その伝染病を押さえることができたという話は有名です。 (クリックでジャンプします)医学についての人々の信頼はいかにして形成されたのであろうか。今日は、ペストと近代医学について。実は、われわれの記憶のかなたであるがアメリカのサンフランシスコでちょうど100年ほど前に大地震が起きた。1906年の4月のことである。1000人を越える人達が死傷したと伝えられている。当時は、日本人移民もサンフランシスコには大勢いて、相当な苦労をされていたようだ。さらに話題にされていないが、当時中国人移民からサンフランシスコにペストが持ち込まれ地震を契機として、急速に感染が広まると予想されたらしい。予想に反して、このペストは徹底的な病疫対策で鎮圧されることになる。実は、このときアメリカではペストの感染経路についての徹底的な調査と分析そして感染拡大に対しての社会的な対処が相当規模で実行されたという。17世紀も後半になりオランダのレーベンフックによりようやく発見された微生物が、病疫の原因であるとフランス人パスツールによって気づかれる迄に150年を経過している。科学的で妥当な方法論に導かれて恐怖する市民を説き伏せながら実行された見事な「大成果」である。当初は、中国人社会の汚らしさがペスト蔓延の原因としてみなされて、相当乱暴な真似をチャイナタウンや日本人街に行われたという。これはペストをアメリカ国内に持ち込んだのが中国人移民労働者であったことを踏まえれば多少は仕方がない面もあったかもしれない。それ以後、医療関係者の猛烈な努力と健闘があった。すなわち、ペストの感染源はノミであってペストに罹患したネズミに多いノミの唾液からペスト菌が検出された。そんなノミに齧られた人間が当然ペストに感染する。これは地味な作業であったにせよ、中世以後のペストの猛威に対する歴史的な勝利だったといえよう。この画期的な事件は、意外にアメリカ内外で記憶にとどめられてはいないのだが近代医学がわれわれの社会において絶大な信頼を勝ち得た最初の大事件だったと指摘する者は意外に少なくない。近代史的には、たった一行「伝染病を押さえることができたという話は有名です」とさらりと触れている程度の扱いなのであるが、「偉業」を成し遂げるに際して、膨大な数の医療関係者の涙ぐましい努力があったことは想像に難くない。地震で路上に湧き上がった数え切れないネズミが都市再建に追われる中でサンフランシスコ市民によりに徹底的に駆除され、これが功を奏して見事にペスト感染者を激減させることに成功したのである。わたしの住む関西では、あのO157の感染拡大に際して汚染源が食肉牛の屎尿であると知りながら大阪南部の自治体当局や報道機関が一切市民にその事実を報道せずに、平然と近郊農家のカイワレであるなどとデタラメな虚報を意図的に垂れ流し平然としている。このどにぶい姿勢などに比べればこの100年前のサンフランシスコでの出来事の見事さは分かろうというものだ。スカイプ仲間の輪が広がっています。シャルドネ☆のIDを登録してみてください。愉しく御話してみましょう。スカイプID:chardonnay99_jp
2005年03月02日
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人間は肉体と精神とでできています。肉体を維持するためのビタミン剤や栄養補助食品は過剰なくらい出回っているし、それらのものに関しては、あなた方もとても敏感に反応する。なのに、もう一方の精神を健やかに維持するものに対して、あまりに無頓着です。 美輪明宏↑クリックでジャンプします。ふと、美輪明宏のことをおもいだした。契機には、msk222さんの日記で三島由紀夫のことが話題になっていたこともある。三島由紀夫は、美輪明宏とは「黒蜥蜴」で縁が深いだけではなく繰り返し対談などで雑誌紙面を飾っていた。どこか通底が印象されないか、このふたり。それ以外に、「仮面の告白」の中で描かれていたエピソードとイメージが連鎖する歌を美輪が唄っていた。一方は、5歳の三島が路上で眺めていた汚穢屋への思慕にも近い憧れの表明にいささかならぬ衝迫度はあった。もうひとつは丸山の歌うヨイトマケの唄だ。いずれもこの2人の表面の印象から程遠い。三島は、東大法学部から大蔵省入省、ノーベル文学賞候補までの戦後を代表する大作家。美輪明宏は、華麗な女装で世相を高度経済成長期の日本を席捲した。美貌という言葉に違和を生じないキャラクターというと、いまや丸山明宏(美輪明宏)ぐらいしか思い当たらない。「ヨイトマケの唄」自体は、次第にみなの記憶からも遠のいて滅多に話題にされることもなくなったがどっこいあの槇原敬之も、最近は唄っているとかで知る人ぞ知るだ。「精神を健やかに」維持したくなったら、時折思い出すことにしよう。かつて、この唄が放送禁止歌であったなど今は誰ひとり知るよしもない。えっ、桑田佳祐も唄っているの?ヨイトマケの唄 作詞・作曲:丸山明宏 編曲:川上栄一1)今日も聞こえる ヨイトマケの唄今日も聞こえる あの子守唄工事現場の ひるやすみたばこふかして 目を閉じりゃ聞こえてくるよ あの唄が働く土方の あの唄が貧しい土方の あの唄が2)子供の頃に 小学校でヨイトマケの子供きたない子供といじめぬかれて はやされてくやし涙に くれながら泣いて帰った 道すがら母ちゃんの働く とこを見た母ちゃんの働く とこを見た3)姉さんかむりで 泥にまみれて日に灼けながら 汗を流して男にまじって 綱を引き天にむかって声あげて力の限りに うたってた母ちゃんの働く とこを見た母ちゃんの働く とこを見た4)慰めてもらおう 抱いて貰おうと息をはずませ 帰ってはきたが母ちゃんの姿を 見たときに泣いた涙も 忘れはて帰っていったよ 学校へ勉強すると 云いながら勉強すると 云いながら5)あれから何年たった事だろ高校も出たし 大学も出た今じゃ機械の世の中でおまけに僕はエンジニア苦労 苦労で 死んでった母ちゃん 見てくれ この姿母ちゃん 見てくれ この姿6)何度か僕も グレかけたけどやくざな道は ふまずにすんだどんなきれいな 唄よりもどんなきれいな 声よりも僕をはげまし 慰めた母ちゃんの唄こそ 世界一母ちゃんの唄こそ 世界一スカイプ仲間の輪が広がっています。シャルドネ☆のIDを登録してみてください。愉しく御話してみましょう。スカイプID:chardonnay99_jp
2005年03月01日
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