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↓クリックでジャンプします。まだ日本では公開されていない映画のゲームですが、映画の内容は洞窟に調査に来た人たちが未知の生物に襲われる・・・・という、お決まりのパターンのものです。しかしながらこのゲームは画像もリアルで本当に冒険している気持ちになれます。英語ばかりで気が滅入るけど、実際に遭難した(閉じ込められた)気分でやれば何でも出来るかもしれない。
2005年05月30日
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ここの処、楽しい毎日を過ごしている。週末は、大阪。5対2で湖北と大阪のピストン。しかしその移動方法が自分の場合、尋常ではない。あのヤマハマジェスティで今日も大阪から湖北へ。これはやってみないと分からない痛快さだ。走っても、走っても目的地に到着しないというような感覚。そして、今日の琵琶湖は涼しい。道路際の表示では、気温が20℃となっていた。しかし、体感はスクーターでの走行の場合まず2~3℃低い。からだは16℃ぐらいの大気を走っているような実感だ。バイク好きな人は、わかると思うが刻々と風や大地のにおい、気温が変化してゆくのを常に体験できる。セダンで移動しているのとは決定的に違い情報量が多いのだ。だから、バイクに乗っている。知らない人は、大阪から湖北までバイクで移動する人間の気持ちが分からないと思う。ところが、当人は移動する事そのものが「愉しみ」なのである。今日は、5時に大阪を出て9時ごろに湖北に到着した。ほぼ4時間、たっぷりと愉しめた。山科、大津を越えて浜街道を行くころには道路を独占状態。前にもあとにも車輌はなく、湖岸を延々と走っているとその存在感の大きさを実感できる。彦根に近づいて湖岸道路を走っていると、空恐ろしいほど巨大さが痛感できた。これは畏怖の感情を引き出す。ど鈍い自分が感じるぐらいだ。古代から、この湖の畔で暮らしていた人たちが畏怖の念をまったく抱かないで暮らしていたとしたら、そちらの方が不思議だろう。大阪にいては、琵琶湖を意識することはほとんどない。しかし、大阪の街がどれほど琵琶湖に依存してきたのだろう。大阪の人間は、いちどはスクーターにでも乗り琵琶湖を一周してみるぐらいでもバチはあたらないと思う。補足しておくと、自分の宿から長浜まで一時間に一本のローカルバス。その代金は380円ほどである。今日、大阪から長浜まで消費したガソリン代は、大体400円前後だろうと思う。ガソリンが高騰しても、スクーターの燃費の良さには驚く。ちなみにJR料金では、2000円近くなる。長浜からタクシーで、また2000円強がいる。比べ物にならない安さだ。時間にゆとりがありさえすれば、、、
2005年05月29日
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ここの処、連日300キロ以上を走破して美しい景色を眺めながら拠点周りをしていた。ベース側では、こちらはこちらでヨーロッパから来ている技師が夜の8時ぐらいまでプラントの調整に腐心しているようで当然真っ暗な大気の底でいつまでも高い棟の明かりが消えない。たまゆら1/f氏がスカイプしてきてくださったが、睡魔がきてほとんど何を話ていたのか・・・ああ、琵琶湖の話をしていたようだ。琵琶湖は大変美しいけれど、意外にこの辺では泳ぐ人はいないらしい。ブラックバスは、いくらでもいそうだが地元で釣りをするなどという人が案外少なかったりする。クルマ社会が徹底していて、大阪じゃあ杖をついているような老婆でも軽自動車で移動する姿が不思議なほど多い。夜間、自転車やスクーターで移動すると非常に危険だという意見がスタッフからあった。「田舎に住んでいるものほど不健康な生活をしている人はいない」などと、眼からウロコのようなことを言う人もいる。あまりにクルマで戸口から戸口へ移動するのでほとんど歩かないというのである。「都市の生活者の方がよほど歩きますよ」などといわれ本当だろうか、といぶかしく思う。たしかに地下鉄や陸橋で虐待をされているから、歩くことは強いられている面もある。しかしあれが健康的な活動なのだといわれると少々疑問な思いもある。空気も水も旨い。だが、水の成分には注意した方がいい、という声もある。笑ってしまった。大阪の水道水と違って、遥かに清水だが、長期にわたって摂取していると痛風になるかもしれないなどと脅かす人もいる。水源に、微小ミネラルが過多だという。自分には満足以上の美味しさなのだが・・・↑クリックでジャンプします。
2005年05月26日
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土日曜日、大阪へ戻り日本橋のオタク街を散策していた。すでに触れた。このパソコンにメモリを求めたツートップは、その並びである。Faith大阪日本橋最新店舗に積み上げられていたるお値打ちパソコンと邂逅するのが主目的である。いま湖北の新住所に戻って、大阪に距離を置いて思いめぐらせるにやはり都市部の病的なものを少しは感じぬわけには行かない。こちらでは晩の5時には仕事を終え暇つぶし半分、避け難い都合もあって夕方からひたすら食事の支度に専念をしていたりする。野菜は安くて新鮮で旨い。このあいだもトマトが4玉で80円みたいなのがあった。大阪でひとつ100円で購入していたような奴。一方大阪で安かったものが、こちらでは高価だったりするので一概にはいえないがまずまず満足できる。購入したきもので深刻な入手難なものはさほどないのである。1週間、こちらで20代の若手と故郷リターン就労の良し悪しを聞く。めいめい仕事や時代に不安を感じていたりする。しかし、都会でまともに就労できない時代に素敵な環境。山紫水明に囲まれて喰えているのに、それ以上の取り越し苦労をしてみても仕方がないのではないか、などと。平素自分がこの日記に書いていることと正反対みたいなことを口にしていたりする。人は生きてゆくために適当な慰藉が必要なものだ。どうせこの国の財政がまっかっかに破綻していることは滋賀の湖北の青年ですら知っている。なるようにしかならないのだと達観して暮らすしかなかろうと考えたりする。日曜日には年老いた母親とゆっくりと晩飯など食べながら話をしていたものだけれど、どうやら母親も滋賀の実家に戻って暮らそうか、などと考えているようである。従兄も、大阪の銀行街のど真ん中に暮らしている母親を不憫に思い実家の近隣に適当な物件が空いていると伝えて来たとか。大阪市が、畢竟泥棒集団同然の自治体であることなら、昨今小学生でも知っている。滋賀の善し悪しは知らぬが、生家に戻る最晩年という選択も母には抵抗がなかろうと思う。全盛期には、料亭前に証券会社の幹部らが列をなした。祭壇前で尾上被告が経を唱え、 「買いは、この株じゃ」 とご託宣を下したという“株占い”は、今でも語り草になっている。 その果ての、自己破産。大阪地裁で懲役12年の実刑判決を受け控訴、現在は拘置所で、最高裁の判断を待つ日々だ。 「これを解いてください」 控訴審の席で、弁護側が被告に、簡単な足し算と引き算の問題を出したことがあった。 答えに窮する被告。知能が低く、計算が苦手―。つまり、取り巻きの人々にだまされ、心ならずも事件に加担した、と印象づける法廷戦術だったようだ。 「何だか哀れで……」 司法関係者は振り返る。 「神のお告げで株を始めた」 事件当時、そう話した被告は、その後、法廷で、 「(拘置所でも)毎日、拝んでいるうちに、神様が見えるようになりました」 と繰り返している。 実は、あの尾上縫にくだらない知恵を与えた東洋信用金庫の職員の顔をした経済犯の所属していた支店は実家の母親の家の前の商店街のもっとも奥まったところに所在をしていた。自分は、流石にその支店のかまえが貧相だった事を知っている。世間の多くはあんなでたらめな経済犯罪と言うにしても情けないほど粗暴な事件に、どうして都銀大手がこぞって我等国民の命運を左右しかねないほどの規模の資金を蕩尽したのか知る由もない。その引き金を引いた尾上縫の参謀がそんなケチな三流信用金庫の無名支店長らの仕業だと覚えてもいないだろう。彼らは結果大阪の街をもはや立ち行かぬところまで腐乱させた。母親も、駄目な息子になにかを頼みにするよりも実家の親類縁者に依頼する気持ちが遥かに平穏だといった思いが擡げて来たのだろう。とうに他界したあの祖母のことが母親との会話でまた話題になった。NHKスペシャル「明治」をみていたからである。あの明治100年には手放し礼賛で近代への批判的視点をついぞ示さなかったNHKが随分と近代形成期描写に立脚点を変遷させたものだと、皮肉な気分でみている。あの敗戦の年、18歳の看護婦であった母は、祖母33歳の時の子供である。なるほど今考えてみると祖母は毛沢東と同じ年の生まれだったのかもしれない。母が面白いことをいう。祖母は、自由民権運動の壮士らが集ういろいろな集会には相当熱心に通っていたのだという。そんな話は、子供の頃に聞いた事がなかった。そうか、祖母はわが娘のほぼ100年前の誕生なのだ。中江兆民が、まだ40代ぐらいの頃なのだからあの自由民権運動の最後の余韻が少しは残っていたとしても不思議ではないのかも。祖母が壮士の演説会の話をしている時には嬉々としていたと母は言うのである。真偽のほどは確かめようもない。自分に思い出せるのは、琵琶湖の畔を祖母に連れられて歩きまわった50年も前の不明瞭な記憶だけである。カマド炊きで柔らか目に仕立てられたオニギリ飯2つ。頬張ったあの飯の旨さだけは見事に覚えている。いうまでもなく滋賀の地で、大伴親松以後宇多源氏の流れを汲むなどと言う名ばかりは晴れがましくも質素極まりない家督を負い家族を維持するためにはこの女ばかりの子沢山な一家は、ややもすると素養面でも資質面においても見劣りするものが多かったように思う。義士、近松勘六ゆかりの日本刀を戦後叩き折るなど激情の所為とはいえ、やや稚拙な印象が半ズボンの小学生だった自分にも生じたものである。いま、この年齢になって思いおこすとあの激しい怒りの源は、一族の男手を近衛師団にもってゆくお上がこの戦時なれども、ついに家督を継ぐべき唯一の資質をそなえていた伯父までを南方の戦線へ。加えて---あろうことか餓死させたなどという裕仁の御代に為された「勝てない戦争」の責任を憤る女流の表現だったような気がしないでもない。↑クリックで3月21日「ザリガニつぶし」へジャンプします。
2005年05月23日
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琵琶湖周航の歌 作詞 小口 太郎 原曲 吉田 千秋1 われは湖の子 さすらいの 旅にしあれば しみじみと のぼる狭霧や さざなみの 志賀の都よ いざさらば2 松は緑に 砂白き 雄松が里の 乙女子は 赤い椿の 森蔭に はかない恋に 泣くとかや3 浪のまにまに 漂えば 赤い泊火 なつかしみ 行方定めぬ 浪枕 今日は今津か 長浜か4 瑠璃の花園 珊瑚の宮 古い伝えの 竹生島 仏の御手に いだかれて ねむれ乙女子 やすらけく↑クリックでジャンプします。こんばんは。湖北地方から、初の日記です。昨年からの日記読者の方ならば、なるほどとご理解をいただけると思います。琵琶湖の東岸も湖北ぐらいになれば流石に水は相当清いものがありそうです。夜は暗い。周囲半径数キロぐらいのところには店舗は皆無という処。レストラン、コンビニ店はおろか、食料品店も簡単には見当たらないです。毎日自炊以外にすべがありません。昨日は、敦賀や若狭の原子発電地帯を海岸沿いに走ってきました。面白いものです。ここ数年、自分がやってきたテーマがすべてこちらの地域で奇遇なまでに落とし込みできる事業者があり、それならばと躊躇なく居宅ごと明け放して乗り込みました。とりあえずウォーミングアップ中です。スタッフの中には、カヌーを趣味にする人もいましてね。自分も80年代から一度はやってみたいと思っていたものでぜひとも機会があれば挑戦してみたいと思っています。身辺が整って落ち着きましたら、またボチボチと。
2005年05月20日
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最短でも、20日まで通信が途絶しそうです。その間、なんどぐらいネットにつなぐことができるでしょうか。通信環境をいくつも持っているのに、メインが停止すると本当に不便ですね。すでに、ガスや水道、電気と並ぶところに通信環境が位置しているような気がします。みなさん、平素から外づけハードディスクをご用意してつねにメールや、マイドキュメントのバックアップは準備しておかれた方が宜しいですよ。わたしはメモリを増設してから始めようと思ったのがあとの祭となりました。もともと外づけに相当退避していたのですが、ユーザー辞書の一部とか、エクスプローラーの「お気に入り」の最新版とかが回復できないのが、結構不便さを醸しますね。メールは、アウトルックエキスプレスを使っていないので助かります。自分はメインのメーラーはBecky! なんです。これはフォルダーごと上書きをすればいいだけですのでお引越し頻発の方や、システムエラー多発症候群の方には一押しかも。実は、ウイルスにも多少強いメーラーですしね。明日から、20日以降までは開店休業みたくなると思います。
2005年05月13日
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↑クリックでジャンプします。Moon River, wider than a mile, I'm crossing you in style some day. Oh, dream maker, you heart breaker, wherever you're going I'm going your way. Two drifters off to see the world. There's such a lot of world to see. We're after the same rainbow's end-- waiting 'round the bend, my huckleberry friend, Moon River and me.小学校の同級生に、O君がいて男の子なのに肌の白い秀才だった。でも、なぜか放課後の遊び仲間になった時に、面白がってくれて友達になった。たぶん自分とぜんぜん違う子に興味が湧く時が、あるものだろう。彼の家に遊びに行くと、きれいなお母さんがおいしい紅茶をいれてくれた。紅茶がおいしい飲ものだと思ったのは、あれが最後だったような気がする。日曜日に、遊び仲間とあちこちに行った。ドジで鈍い自分といつも一緒だったのだから、ほんらいならホームズとワトソンみたいになっちまう予定でいたのだが、自分はついにワトソン博士のような医者にはならなかったのは残念でならない。 ところで、オードリィはすでにその時代にはおばさんであった。彼のお母さんが嫌がる彼と自分を映画「シャレード」に連れて行った。本当は、彼は西部劇を見に行きたかったのである。自分は、ノーアイデアであちらの母子とは相当違ってわが家との大きな差異に少々暗澹とした気分になった。わが家といえば、自分のご贔屓なあの岸恵子が主演しているという以外には到底小学生向きとは思えない「からみ合い」(1962年製作=文芸プロ=にんじんくらぶ 配給=松竹)なんかに母親がつれてゆく。いまから考えても顔が赤くなるような映画だ。いや、けして下品な映画ではないが小学生の息子をフツー母親はつれてゆかんだろう。原作 は、小説家の南条範夫で本格的な推理小説の映画化だけれどあの時代では限界に近い痛烈にして濃厚なベッドシーンの連続である。映画そのものも資産家の巨額の遺産相続をめぐる血生臭い都会的欲望の相克劇である。それにつけても、オードリィは救いであった。彼女は、最初から最後まで聖女のままで逝ってくれた。昨今、こういう風な女優は珍しい。高校時代に、ようやく「ローマの休日」を淀川長治の映画劇場でみて卒倒しそうになった。あのおばさんが、こんなに若い時があったのか、と。そういえば街の角々に「マイフェアレディ」のポスターが貼ってあったが、自分にはやはり興味のわかないおばさんにすぎなかった。もともとおばさん大好きな変な小学生だった自分が、まったく官能的な興趣の湧かないという珍しい非肉感的な女優さんだ。ゴボウを削ったような浅丘ルリ子でも、もう少し艶っぽい。その理由は、ひとつにはこの世離れした美貌にあるのだとは分っているのだけれども、彼女は子供時代から恐怖と飢餓の世界をみてきたタフなレジスタンス運動の闘士だったりした。そんな生い立ちにも由来するのかもしれないがどこか誇り高い精神が感じ取れる。歌が上手なジュリー・アンドリュースは感動をくれた。しかし歌えないオードリィは、少年期に絶対必要な彼岸のような憧れをくれた。好き嫌いを遥かに越えた、こういう品質は最近ついぞ見かけない。間違っても女性に首輪をかけようなどと考えない少年に育ったのは彼女のおかげだ。
2005年05月13日
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世間では大事件が、続々勃発しているようだ。しかし、それどころではない。足元のわがパソコンは座礁中。「北」の核燃料分離も大事件だが、通信環境の復旧は当面自分的には死活問題である。頭は、パソコンのトラブルにすべて持って行かれていた。ようやく原因が分かった。いやたぶんこれが原因だったのだろう。もとはといえば、たまゆら1/f氏のアドバイスでメモリ増設から始まったのだ。この3日間のネット接続不能は、応えたがなんとか復旧しつつある。結論から言うと、このメモリ増設というアドバイスは、実に絶妙なアドバイスであった。猛烈な原因捜しは、XPのフォーマットをのべ7回も実行するという壮絶なものだったが、自分的には相当平静に過ごさせてもらった。この辺が、「不死身の男」シャルドネの運気の強いところなのだろう。原因は、LANボードだったのである。これをプロ意識に燃えるツートップさんのご好意で無償で交換して貰えた。私が支出したのは、メモリ増設の費用2000円だけである。担当の、サポートセンター員の方は復旧にこれだけ時間をかけて申し訳ない、という姿勢。素晴らしい。これから自分の使用するパソコンは、絶対にこのショップで購入しようと思った。論は、「これだけてこずったのでおいくら下さい」ではなく、「こんなに待たせたので、メモリの実費2000円だけで結構です」というのである。実は、本来メモリ増設の作業費は3000円ほど必要なのである。しかし、それを受け取らないという。現実には、3000円どころではなく、丸々3日間の悪戦苦闘で、わたしのFREEWAYの問題箇所を突き止める作業を要している。世間的な意味の組織ならば、「3万円くれ」という論が普通だろう。それをメモリ本体の実費で結構です、というのは凄い。帰路、申し訳なく思い相当額のフラッシュメモリ等を店舗で購入して帰った。昨年秋に、この日記にも連載したように富士通やそこいらの大手のパソコンではサポートセンターと今回のような対面交渉はまったく不可能である。そもそも本題に移る前に、散々電話口で待たされる。数時間経過することも何度もある。しかも、つながったらばあのIDをだせ、あのナンバーを用意しろ、プッシュで反応したら何番を押せ、さもなくばしばらく待てだ。この連続である。本題に入る前に、どれほど「永平寺の雲水」並の修行をさせられることか。こちらはパソコンで雲水の修行をしているわけではない。サクサクと道具としてのパソコンを使いきり、異変を復旧したいだけなのである。LANボードは、出戻りパソコンのジャンクパーツから取り替えてくれた。足掛け4年目のFREEWAY利用歴だから、そろそろ買い替えしようかと思っていたけれども、自分はやはり手作り系のおすすめ製品で物色しようと気持ちが大きく旋回した。DELLでも、e-machineでもここまで行き届いた手厚い対処は考えられないだろう。サポートセンターに出入りする客筋も、ほんとうに道具としてのパソコンを使い込んでいるという面構えのオヤジばかりだった。これも気持ちが良い。意外なほど、オタク系が少ないのが興味深かかった。たまゆら1/fさん、ありがとう。見当違いのアドバイスだったけれど、おかげで多くの教訓と法外な感涙ものの「お値打ちサービス」を体験させて貰えた。TWOTOP 大阪日本橋店〒556-0005 大阪市浪速区日本橋4-15-18 TEL 06-6631-2101/FAX 06-6631-5055 営業時間 平日 11:00~20:00 土日 10:30~19:30
2005年05月12日
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娘が、「パパ、つげられたことある?」などと聞く。Papa. Was there an experience of receiving courting?最近では、男女の間でも単に好きだ嫌いだというにとどまらぬステイタスをかもすような術語(テクニカルターム)があるらしい。相性問題は、義務教育年限でもそうとうな関心事なのだろう。こちらは、あの激動の69年代以前の幼少期だから、「子曰く、男女七歳にして席を同じうせず」だかなんだかで一切教育基本法の恩恵のあるような雰囲気ではなかった。そもそも男女共学を野蛮だ、とかいっているオヤジが教職員の中にもいたのである。放課後にボーリングをしたいものだ、と話ていただけで聞きつけていた体操教師がやってきていきなり殴られたという級友もいた。当時は、なんとも感じなかったが相当時代が間抜けていたように思う。経験的にこの国の教育現場は時代と20年はズレているような気がしてならない。いや、今日は相性問題で悩んでいる。昨日は、たまゆら1/f氏のお奨めにしたがってメモリ増設をしたのだ。これが裏目に出たらしい。マザーボードがふたつめのスロットに挿入されたメモリを毛嫌いしているらしいのである。つまり、われわれが平素気づいていない極めて高い相性のリスクである。Compatibility などというと艶っぽくもなんともないが、これが実に隠微で繊細な世界だという気がする。実は、昨日からまったく光ファイバーの信号を読み解かなくなった。楽天日記には、部屋からアクセスできなくてネットカフェでクリームソーダを愉しみながらアップしていたりする。プロバイダーもへとへとになるぐらい当方につきあってくれたがやれる事はすべて試してみてくれた。そもそもIP電話が使えているのに、メールもIEもびくともしない。こんな妖怪が憑いたみたいな状態は初めてである。うかつにメモリ増設するものではない。いや、メモリ増設にこんな相性を踏まえたリスクがあるというのは、直撃弾を喰らってみないと分からないものである。これでは何度ハードディスクをフォーマットして、再インストールしてみてもあまり意味はなさそうだ。DOS/V機登場以来OEMパソコンは本当に手ごろで廉価なありがたいものだがメーカーの統廃合や離散、倒産が多いのは困惑する。今回は、消えたメーカーの顧客をきちんとフォローしている販売店が存在したのでいろいろと助かった。大阪日本橋のツートップという店。遠方の方には不便かもしれないのだけれど、自分は上新電機やソフマップなどに流れ作業みたいに対処されるよりも遥かに懇切丁寧で便利だと思った。わずか2000円ほどの増設メモリの支払いだけで、半日もかけてパソコンの総点検を実行して貰ったことになる。もっとも、今回は予期せぬ動きが連続したために到底技術料を請求する度胸がなかったものらしい。最初、電話口では「メモリだけをパソコンから抜いて持参ください」と指示されたのであるが、そんな簡単な筈がないと読んだのが正解であった。メモリの代金で、パソコンのドック入りのような事になった。相性問題で、半日をつぶすほど悩んで悩んで悩みこんでくれたのは電気店のサポート担当者の方であった。しばらく楽天日記とスカイプはお休み同然だ。しかし、メールチェックまでも滞るとは困惑せざるをえない。ふだんの便利も、一瞬で反転して都会の孤島に追いやられてしまう。
2005年05月11日
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現在、自宅のパソコンのフォーマットと再調整にかかっています。しばらく更新が遅れがちになると思われますが、宜しく。2005/5/9フォーマットを進めて行く中で、なぜか音声の出入ができなくなりました。メディアプレイヤーだけならばいいのですが、考えてみればスカイプも音声情報の入出力が必要なので困りました。ちょっとスカイプはお休みになります。2005/5/10 8:33(クリックでジャンプします)どうも、マザーボードが問題のようだ。物理的な損傷ではなく、この製品がきわめてマイナーなために音声情報に対応するドライバーがみあたらない。牛丼、並丼パソコン特有のリスクだな。(笑)しかも、本体の業者は倒産している。問い合わせのしようもない。しかし、足掛け3年もトラブルらしくトラブルなしに快適に利用できたのでさすがにXPは98やMeと違って快適なものだ。2005/5/10 10:07いや、驚いた。初めてマイクロソフトのユーザーサポートを経験したのである。結論からいえば、「立派」「あっぱれ」である。いうまでもない、わがディスクトップは怪しげな香港製だかのFREEWAYというブランド(?)もの。娘にくれてやったe-machine の方がよほどか構成面で信頼感がある。よりによって、そのマザーボードは狭小住宅ではない超無名ディバイスである。このドライバーを探してきて、きちんと動くまでわずか数十分で仕上げた。その間のアドバイス、リードの旨さは凄い。電話口の向こうで、こちらのパソコンが見えているかのような練達のリードである。自分は、DELLとも相当電話でやった。無論、ご記憶かと思うがあの富士通の連中とはまるまる3ヶ月も干戈を交えたのである。@niftyの頑固頭とは12年間バトル中で、いまだに摩擦は耐えない。NTTも、次第にマシになってきているが、ADSLなどの導入時期は酷かった。実に、鷹揚なものである。「OEMですね。本来費用が生じますが、まあ宜しいですよ。復帰までお世話させていただきます」と、爽やかに言ってのけてしかも言ってのけただけの切れ味でサラサラと課題解決をやってのけた。これは見事である。むろん、マザーボードの無名であることはgoogleで検索をしても如実で、中古ディバイスの売買でも人気ランクが1000番台になっていた。ましてやFREEWAYは倒産しているらしい。おまけにサービス番号までくれて、同じトラブルならば当然無償で対応しますといって着地も見事である。ふむ、マイクロソフトは余裕だなぁ。2005/5/10 10:48
2005年05月10日
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(クリックでジャンプします)言葉はそれ自体が価値である 池田晶子 生きるために必要なものは、言葉であって、金ではない。なぜなら、金のために生きる人もまた、なぜ金のために生きるのかを問うためには、言葉によらなければならないからである。生きている全ての人は、問わなければならないからである。「なぜ人は生きるのか」。したがって、言葉はそれ自体が価値である。人がそのために生きるまさにその価値である。価値とは思わないもののために人は生きることをしない。それなら、「真善美」という言葉は、われわれの全生活をその根底において衝き動かしている価値そのものではなかろうか。価値ではないものを間違えて価値だと思うためにも、これらの価値による以外にないのだから、われわれの人生とは言葉そのものなのである。(いけだあきこ/文筆家)Re:パソコン脳(クリックでたまゆら1/f氏「よっちゃんかんたーびれ」にジャンプします) ネット脳とか、パソコン脳というのはまだ敵の正体を把握していない可能性がありますぞ。(笑)パソコンと、ネットはわれわれの脳を極限までに拡張してくれているわけですね。たぶん、われわれは自分の脳みその海の中に溺れかけているのだろうと言う風にも思います。たとえば、あの膨大な規模のポルノがサイト上に浮遊していますよね。あれをリアルなものだとはどうしても理解しがたい。しかし、あれが産業のように隆盛だとすれば、それは自分たちの脳みその感覚刺激が次第に産業をなすほどに肥大している部分があるという事なのでしょう。実は、国策で日本国をあげてこれらの感覚刺激の出入を「産業化せねばならない」と取り組んでいる訳であります。つまりWEBやパソコンに脳が従属しているという風にもみえますが、WEBというような世界インフラがわれわれの個々の脳の感覚刺激の系に従属してゆく過程とも考えられるわけです。具体的にもうしますと、わたしのようなオヤジの妄言のようなものにすでに19万人もの反復アクセスをいただけている。過去に孔版輪転機でわずか50部も配布も不可能だった私の私見の網羅にすぎない内容が立派にブログとして流通しているわけです。これに換価性がつくか、つかぬかはもはや紙一重。堺屋太一氏の「知価革命」というものは、ようするにこういう事が広汎に生じることを前提としているのではないでしょうか。マルクス・アウレリーウス『自省録』 第2章朝起きたら自分にこう言い聞かせる。--おせっかい、恩知らず、威張りやさん、裏切り者、やきもち焼き、社会性のないやつ、こういう連中を避けて通ることはできない。この連中の性質は、ひとえに善と悪について理解していないことによる。しかしぼくは、善の本性は美しく、悪の本性は醜いことを知っている。それに、駄目な奴とぼくの間にはそう大差はないことも知っている。彼らとは血を分けた兄弟であるだけでなく、知性、神性の程度において同胞なのだ。だから、ぼくには傷つけられて兄弟に腹を立てたり、逆に兄弟を傷つけたり、憎んだり、ということはない。両脚や両腕、やまぶた、歯並びが互いに調和しているのと同じに、人間は協力するために神様に創られている。人に腹を立てたり、キライになったりするのは他人の邪魔をすることだし、他人の邪魔をするのは自然と神に反することなのである。 引用、リンク、コピー、転載に制限はありません。 本訳は プロジェクト杉田玄白 正式参加作品 です。
2005年05月08日
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相当通信環境が混乱しそうです。更新は、しばらく難しいのかもしれません。
2005年05月07日
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【投稿】Shunske8さん俊介日記5/5 木暑いくらいの好天。昨夜からの洗濯物、すぐかわくだろう。身辺整理が途中だが、自宅でじっとしている気がしない。尼崎のJR事故からはや10日、TVニュースでの報道洪水、ネットを眺めたり発言しても心はふさぐばかり。「なぜ技術が格段に進歩した今日において、かくも重大な事故がおきるのか? かくも理不尽なことが日常生活のなかで生じるのか?」。私の周囲では、「福知山線なんか使ってないから・・・」という他人事のような感想が漏れるが、なに東海道線だって同じ型の車両とシステムで運行されている。自分や家族が遭難しなかったのは、まったく偶然にすぎない。病身の自分でよければ替わってあげたい思いだ。わが後輩をはじめ多くの若い将来ある人たちが亡くなっている。4名の死者を出した同大では毎週追悼礼拝を続行している。親族であろうか、放映される告別式で泣いている顔のなかに見覚えがある人がいるように見えるのは錯覚だろうか?いても立ってもおられず、午後、向かいの花屋で大枚をはたいてカサブランカ(白ユリ)の花束を準備し、献花にいくことにした。まず自転車で、烏丸駅近くの公園へ。15:30阪急烏丸→ 茨木 → 十三→ 16:45塚口何年間も通過しながら初めて降りた塚口駅。地図でしらべておいた通りにダイエーを抜け、ピッコロシアターの前へ。新旧取り混ぜた家がならぶ比較的整った街だがそこから名神高速に向かって南へいくと工場街でまだ空き地・農地もある、半端なところ。道路は幹線らしく行き交うクルマで繁盛。名神下で並行路をわたり、高速沿いを東へ向かって福知山線の線路に到達する、高圧線の下にある緑地にはホームレスが居住している。線路に出ておどろいたことに、クレーンで反対側の線路に移した後部3輌も、また後続の117系各停も、下り線の特急「北近畿」もあの日のまま停止中。周囲には報道で見慣れた新しいマッチ箱住宅があるが人の気配なし。野次馬が少々。線路沿いに献花台に行こうとしたが西側の道、つまり例のマンションのむかいの側道はJRと警察でバリが張られている。道を尋ねると黒ネクタイをしていたためか応対がしごく丁寧であった。迂回路をいくと、まるで雑工場と劣悪な小家の集落。救助ヘリが発着して生徒にPTSDのおそれ、という中学前など駐車余地ある所にはマスコミチャーターの黒塗りのクルマが停車。踏み切りへ向かう道路を進み現場線路西側にある献花台へ近づくといるいるカメラとマイクを抱えたマスゴミ連中が数十人。大きな買い物袋から白い花束(既に献花されているのはみな小さかったので豪華版に映ったろう)を取り出し、ゴミ連中を退けて西日本の社員の挨拶を受け、台の前に進み 近所から来たような若い女の子と並んで献花し、手を合わせてきた、前方には不気味な急カーブと青いシート、例のマンションがみえる。スーツ、黒タイ姿なので遺族と思ったのか現場で声をかけてきた黒服を着たキャスターらしき女は無視。あとで考えると遺族会結成の準備をしている人だったかも。ならば申し訳なし。列車の当分来ない踏み切りをわたり、JR尼崎へむかうがここらは狭い道にはさまれた中小工場と貧弱な家がならぶすごく環境の悪い街、平屋の市営住宅まである・・・。5分もあるくと、打って変わって再開発の高層マンションが立ち並ぶ立派なゾーン。トイザらスを一階に従え、周囲は元の権利者が運営しているらしき新しいちっぽけな飲食店のアーケード。しかも半分は休み。 あいている喫茶店に入りホットコーヒーを飲みながら廻りを観察する。人の様子はまあ大阪の下町ってところか。あの悲惨な事故がまったく他人事にみえる平和に栄えた尼崎の町。駅へ通じる陸橋から東六甲をバックにくれなずむ現場方向をながめ、「無念」の思い散ったであろう犠牲者の霊に一礼。。左手前のクボタ跡の広大な空き地~再開発用地が不気味であるがそれを取り巻く一連の街は、まったく平和そのものではないか。でも、そこで107名の命が失われる惨劇が起きるという事実に、我等が作ってきた世界の危うさを知る。これはこの国・社会の滅びにいたる一行程ではないだろうか?帰路、尼崎駅の改札正面に、案内員であろうかJRの腕章と喪章をつけて下車客を凝視している社員あり。仕事ではあろうが、もう日暮れというのに何時間もそうしているのであろう、ご苦労なことではある。尋ねると「献花台の設置期間は未定ではあるが、少なくとも四十九日までは存続する」とのこと。「過密ダイヤ」と酷評された尼崎駅にしばしたたずんだ、確かにホームが6線あるが、運休中を考慮しても列車の本数はそう多くない。隣の大阪駅、関東の新宿品川、東京等に比べると可愛いものである、乗り換え客の混雑といっても、大阪や阪急淡路のほうがホームが狭くよほど危険だ。「福知山線や尼崎が過密で危険」と報道するならこの国の旅客輸送システムを全面改訂しなければならない。18:40尼崎→ 大阪---阪急梅田19:15→ 19:55烏丸【投稿】Shunske8さん
2005年05月07日
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あのJR尼崎の脱線遭難をされた乗客の方々の一部。奇跡的に無傷で生還された人たちの内で、少々信じがたい意見を耳にする。なんと無事だったことを心痛にされて居られるのだという。その報道は誠にもって驚きだった。無事に生還したとて、事故の被害者には違いないのにもかかわらず彼(彼女)らは、その幸運を喜ぶどころか後ろめたく感じるのだという。一昨日、「みんぱく」へ行ったが途中でJR宝塚線を踏み渡ることがあった。線路とはいえ、なにか嫌な気分が生じた。過ぐる日、ここを通過したあれら車輌が、と思うだけで気の毒さが胸に詰まる。JR西日本で、所用があったため湖北まで新快速ででかけた。駅職員が、なにかすることが逐一おかしい。米原以北にゆくのにあの非接触で便利なIcocaを使えるのかと聞くと改札職員の顔がまっさおになる。知らないのである。知らないだけではない。知らない、という虚をつかれた事を普段と違い猛烈にまずいと思っている表情である。周囲にいた先輩の職員が飛んできて言う。「米原以北は、北陸線となりまだIcocaは、装備できておりません。下車される時に精算できますが、駅出口ですみやかにでられるのは大阪駅で切符を購入していただく方がよろしいかとおもいます」嘘なのである。わたしは、前回もおなじことを聞いた。北陸線の駅でおりたとき切符でおりたがIcocaであっても難なくでられる。改札に非接触対応の装備はあった。大阪へ向かう帰路もIcocaをつかうことができた。自分は前回できたのだから、大阪駅からはいるときに使えないはずがないと、確認のために聞いたのである。それを述べると大阪駅の改札の職員は固まってしまった。この直後、間髪をあけずに「掌握いたしておらず申し訳ありません」と素直に謝った。この間隙が、猛烈に早い。謝りグセがついているらしい。自分が問題にしているのは、その事以外にJR西日本が職員すべて米原以北との連絡に物凄く弱かったことだ。大抵の運行車輌は、そらんじているぐらいなのにJR西日本の主要区間を越えた遠距離となるとテキメン弱い。時刻表を読んでいてくれてさえもあぶない事を教えてくれた。先方に遅刻したのである。昨日も、Icocaに5千円チャージしようとした。機械が受けつけない。そこで職員呼び出しボタンを押した。出てきた職員は、5千円札をみて指をさした改札に向かってそちらの職員に相談すれば、両替をしてくれると教えてくれる。「えっ、この機械から離れて改札まで行くの?」と聞く。職員の顔にまた妙な表情がうかんだ。「では、両替してきます」と、問答をさけて裏へ引っ込んだ。なんのことはない。機械の裏に両替用の千円札を5枚以上持っていた。問答をさけようとする動機は、あのおなじみのものだろう。しかし、素直に反応する職員のバックグラウンドは日常の手抜きと怠惰の履歴ばかりである。この時期に、わざわざ利用者を不快にするようなクチを聞かねばよい。偶然は、準備なき者を救わない。身についた怠惰がヒラのJR職員の挙動にすら錆のようにボロボロと落ちてくる。かたや奇跡的に助かったことを喜ぶこともできずに、立ち尽くす人がいる。一方ふて腐れた気分で、利用者との問答をさける駅職員の挙動。JR西日本のいじけた反射は、連日のテレビ報道の影響であることは間違いなかろう。同様に被害者で、助かったことを後ろめたく考える気分もその影響が少なからずあるのではないか。自分は、母親の機転などで2度、3度死に損ねた。人生観など、まだまだ抱きようも無かった幼児期時代の事件だが生きていることについての感謝の気持ちは育ちながら自分は学んだように思う。あまり、生きているものを殺すのはいやである。しかし、いくら生命に感謝をしていても、牛も喰えば豚も喰う。生きているあいだ殺生は避けがたい。生命のありがたさに感謝することも、生きていてこそなのだ。この矛盾というのか葛藤に、生きているあいだ逃れることは難しい。人生観が変わった人達がいる。実は、われわれの人生観というものがもともと少々おかしかったのだ。幸運に助かった人達も、もしかしたらJR西日本の職員たちもこれまでのなにげなく抱いていた人生観が少々おかしいものだったかもしれないと薄々気づき始めた。そんな気がしないでもない。これは生きていることの貴重な可能性の芽生えのひとつだ。自分も、チェルノブイリの翌年同じ心の体験をしたのだと思う。すべてを知り覚った方に謹んで申し上げます。ひとはなぜ苦しむのでしょう・・・ほんとうは野の花のようにわたしたちも生きられるのです。もしあなたが目もみえず耳もきこえず味わうこともできず触覚もなかったらあなたは自分の存在をどのように感じるのでしょうか。これが「空」の感覚です。 「生きて死ぬ智慧」より
2005年05月07日
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↑上、渋沢敬三↑下、梅棹忠夫渋沢敬三実業家、民俗学者。1896~19631896年(明治29)年8月25日渋沢栄一の孫として東京に生まれる。東京帝国大学を卒業し、横浜正金銀行に勤務したが、1925(大正14)年には祖父の創設した第一銀行に取締役として入り、1941年(昭和16)副頭取に就任。1942年日本銀行に転じて副総裁、1944(昭和19)年3年18日第16代日本銀行総裁を務め、敗戦後の1945(昭和20)年10月には幣原内閣の大蔵大臣となり、戦後インフレの収束にあたった。公職追放を受けたが、解除後は国際電信電話(現KDDI)社長、文化放送会長などを歴任するとともに、財界の世話役として活躍した。業務のかたわら、少年時代から関心をもっていた生物学や民俗学の研究を続け、自邸の屋根裏にアチック・ミューゼアムを作成。アチックは後、日本常民文化研究所となり、また多くの研究者を援助することとなった。日本民族学協会や人類学会の会長をも務めた。1963年(昭和38)年10月25日逝去。(クリックでジャンプします)梅棹忠夫1920年京都生まれ。無給講師の今西錦司(登山家、探検家としてむしろ著名だった)に弟子入りする。陸生物から、有蹄類の動物の生態学・動物社会学に専攻をうつし、内モンゴルでフィールドワーク。敗戦後は、それをオタマジャクシの群棲として数理的に把握しなおす。ここにおいて、今西が猿の群棲に関心を移行させるのと分離する。のち梅棹は民族学に関心を移動させる。民族学博物館(渋沢敬三の博物館構想を継承する)の創立に尽力し、初代館長。1986年失明。(クリックでジャンプします)皆さん、子供の日はいかがお過ごしになられましたか?国立民族博物館へ娘をつれて出向きました。ご存知のとうり5月5日は、全館無料開放日です。中学生の娘も結構好奇心の強い方かも。たぶん、「みんぱく」のもつ魅力に次第に牽引されてゆくのではなかろうか、と思ったわけです。なにしろ、あのタテモノ全体があたかも渋沢敬三や初代館長の梅棹忠夫の「脳」の中を泳ぐような感じの独特の快感がそこでは広がる処があります。69年頃、あの稀代のベストセラー「知的生産の技術」が登場。梅棹忠夫先生については一部にカルト的な熱狂が寄せられていたものです。なにしろ梅棹史観とは、なんの疎通もないと思われるマルクス主義者の群れにおいても、革マルの黒田寛一とならぶ過激派の教祖的な位置づけで知られた太田龍氏が梅棹式カードシステム(いわゆる京大式カード)にはまりシンパ学生に対して便箋ではなく京大式カードでレターを送ると風評がたち、また一方で赤軍派の支持者だった作家の高橋和巳氏がカード式情報解析法についての不快をわざわざ表明するなどという今となっては滑稽としか思えないような風景がありました。のちにアップルコンピューターを使い始めたころに、いまも熱狂的なファンの存在するハイパーカードを目の当りにして梅棹忠夫氏提唱の「京大式カード」の究極の進化を見る思いが湧いたものです。リレーショナルカード式データーベースソフトとしては、マック上で動作するハイパーカードとは、スティーブジョブズが馬鹿でなければ世界を席捲しえたほどの名作ソフトだったと私自身は今でも思っているわけです。さて、本日は「みんぱく」(国立民族博物館)デビューのわが娘のために最高の入門編であったと思われました。「ブリコラージュ・アート」とは、エレメントとなり解体されたかにみえた、例えば京大式カードの枚葉のそれぞれに封じ込められた着想が、ある契機に突如精霊に息吹を与えられて一気に実質をえた新しい生命のように編成されながら雄弁に語り始めるあの甘美な瞬間の体験を、もっとも始原のかたちでのびやかに賞味させてくれる試みだという気がします。事実、朝のうちはぐずって「みんぱく、パス!」を宣言していた娘が特別展の会場にはいるや否や、「きのうよりワクワクしてきた。」の圧倒的なメッセージに正しく反応してどっぷりと浸かってしまいました。まだ本館の方の常設展はあまり馴染まないそうですが、このような素敵な企画展には、どんなに初心な魂もたちどころにマックスポイントへ沸騰するものだと予想したとうりです。もし、好奇心豊かな御子弟をおつれになられるのであれば愛知万博も結構ですがぜひ一度6月7日まで国立民族博物館をお奨めします。世代を超えて、完全にはまります。娘に意見を聞きただしたところ、今日は実に立ち去り難く、不承不承会場を後にしたそうです。↓(クリックでジャンプします)
2005年05月06日
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……私が死ぬまで裕仁に対する殺意を捨てきれないであろう理由の一つは、ニューギニアの戦場で飢え衰えて死んでいった戦友たちの無念を忘れることができないからであると同時に、私が死刑になることを覚悟して殺そうとしても殺すことが不可能といっても過言ではないほどに、裕仁が私から遠く隔てられた高い所にいるからである。 ニューギニアの密林で、極限の状況裡にあって、飢え渇えた末に、孤独に寂しくむなしく死んでいった名もなき多くの兵士たちの亡霊に向かって、私は「天皇を撃て!」と、死ぬまで慟哭しつつ叫びつづけることをやめることはできない。 (『ヤマザキ、天皇を撃て!』三一書房刊子供の頃、食事どきになるといつもブーゲンビルで戦死した伯父の話を母からされたような記憶がある。伯父は、おしゃれな都会的な青年で実の兄とは言えわが母親は心酔していたようだ。生まれてはじめて幼い母にカレーライスを食べさせてくれたのはその戦死した伯父だと言う。我が家では、カレーライスを食べる瞬間にも敗色濃厚だった島で食べるものもなく餓死同然で客死した伯父のイメージが脳内に広がるのをきちんと確認してから、食べていた日もあったように思う。食卓にはいつも伯父の英霊が着席していたのだろうか。子供が食事を食べ散らかして、残すのをみるたびにあまりの理不尽さに不快になるのは自分の育ってきた食事風景とのあまりの落差に呆れてしまうからだ。子供が、食べ物を食べ散らかすのは今に始まったことではない。昨今の40代以下では、すでに飽食という言葉が珍しくなかった筈である。あの仮面ライダーがテレビに登場した頃、路上に散逸するカッパエビセンがしばしば眼に飛び込んできた。主人公のキャラがシールになっているらしく、おまけを抜いた不要の菓子を路上に捨てたものだと思う。いまや、その世代が子育ての中核である。かつてわが父親と世代が近い奥崎謙三らが戦場で蛇や昆虫どころか、人肉を喰うところまで追い詰められてなお続々と飢餓で斃れて果てたという近現代史は、もはや語り継ぐどころか掻き消されて見出すことすら不可能であるかのようである。伯父は、すでに過去の日記にふれたかもしれなが近松宗家の長男であって祖母も祖父を早々と病死で亡くしたために寡婦となって以後相当その成長を頼りにしていたものらしい。貧乏人の子沢山とか。母親を含めて女系家族は長男が父親代りとなって、生活の基本動作は母親ではなく戦死した長男から学んだという。母親は、何百坪もの屋敷にひとりで住んでいても掃除と洗濯には手抜きをしない人である。たぶん、その理由は家事の動作のひとつひとつに戦死した伯父の教育訓導の日々を懐かしむ生理的な回路ができあがっているせいかもしれない。いうまでもなく滋賀の地で、大伴親松以後。宇多源氏の流れを汲むなどと言う名ばかりは晴れがましくも質素極まりない家督を負い、家族を維持するためにはこの女ばかりの子沢山な一家は、ややもすると素養面でも資質面においても見劣りするものが多かったように思う。義士、近松勘六ゆかりの日本刀を戦後叩き折るなど激情の所為とはいえ、やや稚拙な印象が半ズボンの小学生だった自分にも生じたものである。いま、この年齢になって思いおこすとあの激しい怒りの源は、一族の男手を近衛師団にもってゆくお上がこの戦時なれども、ついに家督を継ぐべき唯一の資質をそなえていた伯父までを南方の戦線へ。加えて---あろうことか餓死させたなどという裕仁の御代に為された「勝てない戦争」の責任を憤る女流の表現だったような気がしないでもない。1月2日 皇居にて一般参賀に応ずる天皇にむけ奥崎謙三氏がパチンコ球を撃つ 1月19日 全共闘による東京大学安田講堂の占拠が終わる 2月4日 アラファト氏がPLO議長に 3月1日 NHKがFM放送を開始す(4月にはFM東京が開局す) 3月10日 海老原博幸選手世界フライ級チャンピオンに復帰す 4月7日 永山則夫氏逮捕さる 4月27日 破壊活動防止法 → 4月28日沖縄デー 4月 仏ドゴール大統領が辞任す(6月にポンピドー元首相が大統領選に当選す) 6月 南越臨時革命政府樹立さる 6月 原子力船「むつ」進水す 高校3年生の正月2日、昭和天皇裕仁にパチンコ弾を打ち込む人物がいたことが報道された。大学生になり書店に「ヤマザキ、天皇を撃て―皇居パチンコ事件陳述書 」(三一書房刊)が平積みになるという事があり、自分は松岡正剛の著作と一緒に河原町の京都書院で購入した。作家井手孫六の過剰なまでの思い入れはさておいても、書かれている内容は物心つく頃から聞かされ続けていた伯父のイメージをより濃厚にさせてもらえるものが多数含まれていた。奥崎謙三は、原敬が街頭で暗殺された大正10年の生まれだという。父親や、三島由紀夫らとわずか4歳の年齢差に過ぎないがその戦争体験の壮絶さは比較するべくもない。母親の話題に繰り返し登場する伯父は、潔癖なほどの綺麗好き。その遺児であった従兄はその血が流れていたものか。洗面所で入念に手足を洗う所作が伯父そっくりだといつも母親が笑っていた。伯父の屍肉を食べた男達は、ほのかに石鹸の味わいを感じたのだろうか。
2005年05月05日
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【投稿】an_idleさん>初めまして、an_idle です。突然のメールで、失礼致します。『集団ストーカー』(集スト)という言葉を聞いた事がありますか?私は、その「犯罪行為」の被害者です。私のHPにその被害状況を掲載しましたので、よろしければ閲覧をお願い致します。http://www.geocities.jp/an_idle/index.html集ストとは、その言葉の持つ響きとは裏腹に、その実態は『特殊工作』と言った方が正しいです。また、多くの一般市民の人達が、その犯罪行為の被害に遭っています。そして、それを行っている黒幕達が『日本の富や権力を握ろうとしている』という事です。集ストの黒幕達は、それを合法的にではなく、犯罪行為を行う事で得ようとしているのです。また、何故かマスコミはこの話題を取上げようとしません。しかし私は、その犯罪行為を抑止する為には、出来るだけ多くの人に知って頂く事が重要だと考えています。もしも可能であれば、貴方様のHPの掲示板への転載と、私のHPへのリンクをお願い致します。【投稿】an_idleさん
2005年05月04日
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(クリックでジャンプします)→山本に触ると、信者や何やら、創価せんべいの信者と同じようなゴミみたいのがウヨウヨ出てきて面倒くさいというのと、タダのハッタリ野郎か、それとも一定の力があるのかが見極められなかったので、2年ほどずっと静観しておりましたが、いよいよ化けの皮が剥がれてきたようですね。というか、本当に100億を持っているのであれば、おとなしく稼ぎますよ。それだけの金を動かすのであれば目立たないほうがいい。「本やテレビに自分で売り込む100億の資産家」というのは、なかなか”新しい、斬新な”ジャンルですね。3年前、ある関係者に、「2ちゃんねる宣言の印税をごまかしている」と打ち明けられました。関係者と言っても、関係者4人中の3人が言っているので情報は鉄板でしょう。その段階で、「いくらケチでも数百万のカネをごまかすのはおかしい」と思い、ひそかにチェックを始めていました。ケチなのも、「カネがない」と考えれば全て合点が行きます。ちなみに、2ちゃんねる宣言が文庫になりましたが、その分の印税についてはごまかせなかったとか。文春の担当者も呆れています。ただのハッタリ野郎ではない山本一郎。 【4/24(日)9:30 (クリックでジャンプします)かつて切り込み隊長こと、山本一郎氏からいわれなき罵倒を被ったことがある。この新発想ビジネスヒントフォーラムがパソコン通信上で「取り潰し」を喰らったころである。もう、8年近く前になるのだろうか。金貸しの手先の分際で、一円の金も出していない相手に子分だかヒモだか乞拝金主義者だか、わけのわからないのを引き連れてパソコン通信上で得体のしれない身内ノリを基盤に、集団罵倒を加えては辻斬りのような真似をしてきた切り込み隊長らは同じマネをインターネットに拡大したその後も虚名を広めているのは知っていた。ネット上ほどはお騒ぎしないが週刊SPA!での連載コラムが続いているのも皆さんご存知のとうり。しかし、彼のホラは市ヶ谷のマンションで聞いている分には所詮ホラのノリで。はたまたリアリティのある話は、それなりの淫靡なニュアンスできちんと伝わるところがあった。まわりの長老方も「小生意気なガキ」とは言ってはいても、切り込み隊長の能力や頭のいいことについてはさほど疑問視をする人はいなかったと思う。100億円の資金を動かそうが、動かすまいが所詮は経済行為である。つねに騙し、騙されの世界の話なのであって彼が特別虚言癖が激しいとか実態のないまことしやかな「言葉たくみ」に他人の財産に手をだすというような男でもなかろうと思う。ようするに破格にケチで、手元に自由に使える金が絶対的に不足しているだけなのだろうと思う。しかし、「金貸し」としてはサイテーだと言うほかない。↓(クリックでジャンプします)Amazon.co.jp200万とも300万ともいわれるユーザーを持つ巨大掲示板サイト。それが「2ちゃんねる」だ。書き込みに際して完全な匿名が保たれているため、誰もが社会的束縛を離れて 発言し、自由に情報を交換することができる。その一方でユーザー同士の容赦ない罵倒や攻撃、「厨房」「ドキュン」といった独特の用語、犯罪がらみの書き込みが噂されたことなどから、怪しげなイメージが広がってもいる。実際、掲示板サイト全体をさげすんで「便所の落書き」と呼ぶ声まである。だが、「2ちゃんねる」は本当にそれだけの存在なのだろうか。 本書は2ちゃんねるの誕生(1999年)から急成長、そして閉鎖騒ぎ(2000年)などの過程を追いつつ、その実態と社会的意味を分析する。また、管理人「ひろゆき」(西村博之)へのロングインタビュー、および彼と田原総一朗、宮台真司ら4人の識者との対話がもう1つの柱となっている。ひろゆきの人物像がこれほどまとまった形で掘り下げられるのは、初めてのことである。 2ちゃんねるを情報化社会の縮図などと決めつけるのはたやすい。しかし、そうした通り一遍の解釈を笑い飛ばす不敵さがここにはある。ユーザーには情報の価値を判別することが求められ、根拠のない憶測を述べる者やそれに惑わされる者は、あっという間にたたかれて姿を消す。本書で繰り返し出てくる言葉の1つに「メディアリテラシー」がある。情報を読み解く力、といったような意味だが、2ちゃんねるこそ、それを体得する場なのだという。この主張が正しいかどうかは、ひとりひとりのユーザーが決めることだろう。実際に参加し、自ら発信源となる行為が、情報とのかかわり方を模索する何よりの糸口になるのだから。(大滝浩太郎)
2005年05月04日
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シャルドネさん尼崎の事故のことが、寝てもさめても頭から離れないShunske8 です。さきほど 毎日放送TVをみていた。桜井淳氏こそ、数々のデータが明らかにされてきた今日現在で、「ブレーキ故障等、最初から車体に異常があった可能性」に初めて(小生の知るかぎり)触れた評論家です。NHKに出てくる大学高専の先生、民放で知ったかしている鉄道オタクのアイドル川島某より よほど広い視点がある。貴殿の4/26の日記での彼への評価・正鵠を射ている。実は、小生は25日の時点で、「異常な揺れや匂いがあった」という生存乗客の証言から車体異常やブレーキ故障を予感していた。その他、まだ指摘されないようだがすが、25日夜JRWの安全部長が延べていた「あの車両は120KM/h以上は出せない」というのも大嘘。それは、規制された制限速度であって、事故路線は速度制限が設定されていない旧型ATSの設置区間だった。だから、直線区間で運転士がスピードオーバーして120以上だった可能性は濃厚、207系の性能なら、130-140Kmは出せます。以上【投稿】Shunske8さん
2005年05月03日
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防衛族のドンこと、山崎拓氏が国会議員に返り咲いたとの伝を耳にした時ににショックを受けた。けして某巨大カルトの実力に驚いたわけではない。東京都庁をすでに影で占有したと豪語する巨大カルト教団の影響力が、都庁に及ぼうとも警視庁に及ぼうとこの際どうでもいい。まもなく文部科学省も、あれら巨大カルトに浸透されて文部科学大臣も、早晩あの党から送り込まれた先生が占めることになるかもしれない。すべからく日本国民の計らいである。日本国民も、せいぜい覚悟しているのであろう。自分が受けたショックは、別にある。日本がまじめに戦争をすることも出来ないヤクザな国になった、その仕上げをおこなった元凶が他ならぬ山崎拓議員であると思っているからである。SKYPE仲間の、ポーランドの青年など事情も知らないので「日本の90式戦車は国民の誇りですか?」などと聞く。DVDのスターリングラード攻防戦あたりを見過ぎた兵器オタクか、と。少々呆れ気味な気分が過ぎったが、気を取り直しこう応えた。「戦車などが登場するような戦争は、日本じゃ負け戦だよ」と返した。日本の戦車など三菱重工をまるもうけさせるための方便のような兵器で、到底まじめな国防思想の精華とは呼びがたい。街宣車を連ねている右欲団体は、なぜ三菱重工に糾弾をしかけないのかと憤懣を抱いているのだ、と言うとポーランドの彼は仰天したようだ。そもそも戦車がでてくる戦争がやれるような国ではない。こちらはポーランドやロシアとはわけが違う。戦争の仕方、組み立てかたがまるで違うのである。戦車に眼がゆくのは、ポーランドの兵器オタクには日本のハイテク兵器の願望目線にあるのかもしれないけれども、現実には軍事思想として今や戦車が軍事の主要部分を担任するという時代は完全に終わったに等しい。誰にでも理解できるように表現すれば、あの湾岸戦争である。イラク軍の戦車を思い出して欲しい。アメリカの武装ヘリに、テキヤのカステラ饅頭なみにボコベコに叩かれてアッという間に鉄くずにされてしまっていたではないか。いまや地上の戦車など、ヘリコプターの対戦車ミサイルの敵ではない。一方的で、屠殺に近いという点では、昨今の戦車など東京大空襲の爆撃にのたうちまわった罹災者と大差がないという事態にある。いま戦車になにか意味合いがあるとすれば、たぶん歩兵や協調する兵科の願望的な拠りどころみたいな部分においてではなかろうか。歩兵部隊の重要度は、消失してはいない。これは間違いない。しかし歩兵の安心料ならば、装輪装甲車を、しかも多数配備すればよい。防災対策にも機動的に活躍できる。しかも、憧れているポーランドの青年には悪いがあの三菱重工の製造する90式は特別、重そうだ。ハイテク兵器などともてはやすのも結構だが、どうせヘリの餌食で鉄くずになる運命のシロモノに大容量コンピューターを搭載して、赤外線暗視装置だの、砲身の自動追尾射撃だのと華々しいカタログ性能は子供だましだろう。50トンもあると聞いて、気が違ったのかと思った。少しはダイエットを考えてみろというものだ。世界の戦車で、どこに50トンもする金の塊のような兵器があるのだ。日本の国道で、50トンの金属の塊が疾走できる道路がどこにある?どうせ北海道御用達の「夕張メロン」だろう、と罵倒したらポーランドの方でゲラゲラ笑っていた。酷い話で、日本の橋が渡れない巨大戦車は開発して気づきあわてて渡河用特殊車輌を追加開発させたという愚かな話題に事欠かない。91式戦車橋は、このオマヌケ兵器である90式戦車を橋渡しするためだけに造られた特車で、他に使い道がないのである。ようするに日本の兵器が、まじめに戦争するために開発されたのではないのだろう。とどのつまりあのエロ拓が囲う愛人のお手当てをわれわれ国民の税金で肩代わりしてやるために三菱重工が「最高級鉄くず」を自衛隊に納めたという構図に過ぎない。当らずといえども、遠からずというところだろう。一事が万事この調子である。新潟に「仮想敵」が上陸したらば、北海道と四国の戦車部隊はなにをするのだ?花札でもやっているしかない。まず、エロ拓の愛人らにつつむお手当ては極めて高価である。90式1輌で、まず10億円だ。NATO軍の花形、レオポルド2で5億円というあたりだろう。こちらはバリバリの機動力、防御力、火器制御力、使える戦車で半値なのである。ただの差ではない。国内300輌として、1500億円の無駄遣いなのである。しかるにレオポルド2の足元にも及ばないオモチャときている。防衛装備局は、ドイツに交渉して中古のレオポルド2を3億円に値切って購入してみればどうだ。エロ拓に、もうひとりふたり愛人が囲えるのではないだろうか。↓81式自走架柱橋の映像。折りたたみ式の橋を動作させる油圧系ポンプ剥きだしで配管に一発でも着弾するとオイル漏れで、その瞬間に鉄くずになる。
2005年05月02日
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(クリックでジャンプします)たまゆら1/fさんは本当に親切な方である。たまゆら1/fさんが親切に、小出裕章先生の「差し迫る原発災害の危機」を5月1日の日記でご紹介くださっている。小出裕章先生は、PDFの内容を平易に書かれている理由はこうして読み手がネットで広がって行くことを念頭におかれてのことだろうと思う。ぜひ、たまゆら1/fさんのお手元でもプリントアウトしていただいてパソコンをもちあわせの無い方々にも眼にふれる機会を差し上げてくださればと思う。迫り来る災害の危機 小出裕章(クリックでジャンプします)すでに、まっくさんがご指摘のように関西でパソコンのモニターに触れているという事は地球上の放射性物質を増やすという作業なのだろう。たしかにこの時代の生活者は、さまざまな困難を強いられている。読む書く記す伝えるの基本が電気なしに成り立たないという時代である。しかし、せっかくそのような環境負荷をあえて身に負っているわれわれが意識的にこの利便を用いなくてはならないという気持ちが湧くのである。実は、たまゆら1/fさんは正月にわざわざ大阪へ出向いてくださった。 家族もみてくれない87年以来のVHSコレクションを何本も見て貰ったのだ。実は、所蔵のVHSはテレビ番組の収録ばかりではない。当時ゆえに手に入ったきわめて貴重な講演も多数ある。その数はミカン箱で4~5箱はあるだろう。これは20年後の「いま」なんらかの歴史的な役割があるような気がしている。出来ればすべてVHSからDVDにデーター変換を行い希望者に進呈したいと思う。特に、市川定夫先生の講演などまず滅多に知らされない生活感覚からは遥かに遠い現実を示されると思う。しかしその後の20年は先生がたの言明をされたとうりに展開しているのだ。チェルノブイリ原発事故、ウクライナの犠牲者150万人か 【モスクワ24日共同】23日のタス通信によると、1986年に旧ソ連ウクライナ共和国で起きたチェルノブイリ原発事故の被害者でつくるウクライナの「チェルノブイリ身体障害者同盟」は、事故に関連する同国内の死者が150万人以上に上ったとの調査結果をまとめた。事故発生から19周年となる今月26日を前に公表した。 調査によると、事故で被ばくした人はウクライナ国内で約350万人で、うち120万人が子供だという。 ロシア政府によると、同事故による隣国ロシアでの被ばく者は145万人に上っている。 ウクライナでは被害者に対し政府が支払う補償の金額が1997年から据え置かれており、各種の被害者団体が政府の支援拡大を求めている。 (23:33) (クリックでジャンプします)多くの画像や講演は、VHS収録のままでは自分の部屋のゴミに過ぎない。できれば多くの方の助勢をもちDVDに換え広汎な方々の視聴に供したいと思う。また、共有フォルダーを経由して全国の楽天日記の利用者が自由に取り出せるようになればと希望している。自分はWinnyの知識がないので、ご教示いただけるとありがたい。あるいは個人でサーバーに収容容量をお持ちの方があればご敬呈を期待したい。たまゆら1/fさんが大阪の新年オフでご覧いただけたもののひとつはまさしくあのチェルノブイリ災害時の記録映画である。原子核工学を学部時代に専攻されたwoodycraftmanさんもご参加で、参加者は少ないながら実に豪勢なオフ会だったのである。私は防災資材を世に提供したプランナーとして、身命を賭して過ごした20年だったと思うが、まず災害が生じない事(生じさせない事)が最優先の課題なのである。さて、今日はみなさんに大きな注意をうながしたい。あの大阪高等検察庁元公安部長などの事件報道や警察の調査費流用疑惑などを果敢に取り上げ、報道番組「ザスクープ」がいまや抑圧されて年に数回の特番に押し込められているのはご存知のとうりである。実は、来る5月15日には待望の特番が放映されるのであるが、なんとこの番組に関しては恒例のWEB動画配信がないのである。警告!動画配信が今回はないのである。※最新の動画配信事例へクリックからつまり、当日の番組を見るか手元で収録をしておかねば私の87年画像と同様に短期間に風化してしまう可能性が高いと思われる。ぜひ、たまゆら1/fさんとその周囲の皆さんで当日の番組を多数で収録をお願いしたいと思う。わたしは、すでにVHS機器を保有していない。みなさんのモニターに依存する可能性が大なのである。↓(クリックでジャンプします)今から60年前の8月、広島と長崎に落とされた原子爆弾。その犠牲者は20万人を越えたが、地獄絵はそれだけでは終わらなかった。放射能に蝕まれ、後遺症に苦しむヒバクシャたち。それから約20年後、ベトナムで散布された4400万リットルもの枯れ葉剤。湾岸戦争やイラク戦争で100万発以上投下された劣化ウラン弾。そこには広島、長崎とのある共通点がある。戦争が終わっても果てることがない悲劇の連鎖…ダイオキシンが、放射能が、環境や人体も含む生態系を汚染し、その負の遺産が終戦後も延々と受け継がれていくのである。終戦後、ベトナムやイラクの病院は、ガン・白血病患者や奇形児で埋め尽くされていった。そして、恐るべき後遺症に見舞われたのは戦争に参加した米軍の帰還兵やその子供たちも同様であった。そして、食物連鎖や親から子への汚染の遺伝によって悲劇は今なお続いている。21世紀に入ってもベトナムで生まれ続ける先天性障害児。また、イラクにばらまかれた劣化ウランの半減期は45億年であり、その影響は未来永劫続くとさえ言われている。アメリカは今も、劣化ウラン弾と続出する奇病の因果関係を否定しているが、軍の極秘文書が「第二の枯れ葉剤」であったことを雄弁に物語る。ベトナムとイラク。2つの国で米軍が敢行した「環境破壊」を通じて、半永久的に地球を汚染し、自国兵も含む人々の体を蝕むことをも厭わない「アメリカの正義」の正体に迫る。
2005年05月02日
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「わたしたちの社会は高度技術産業の『発展』がもたらしたエネルギーの過剰消費により自然破壊を促すばかりか人間の自由と自立的機能を奪い、社会的不公正を拡大してきたのである」(イヴァン・イリッチ) 関心が無いようで、多少は怖いもの見たさもあるのか。ここの処楽天日記の「辺境」にまで連日1000人を越える人が訪問されている。実は、こちらには平素せいぜい300人も来られれば上出来というような日記だった。どうせ真面目に通読されている方は、50人ほどしかいないとあらかじめ分かっている。現実に存在する脅威に、一切虚偽がないからだろう。「安全対策を向上させるよう最大限努力します」と繰り返す垣内社長に、同席した親族が大声をあげた。「利益優先が人を殺したんですよ。多くの人が犠牲にならないと分からないんですか。人命を運んでるんですよ」。ダイヤの遅れを極端に嫌う同社の体質を批判した。垣内社長が去った後、邦弘さんは「逃げの一手のように感じた」と漏らした。MSN毎日新聞(社会)(クリックでジャンプします)尼崎電車転覆事故被害者の遺族のひとりが、「誰かを責めて済むような問題じゃあない」と嘆息しておられたのが印象的だ。「利益優先が人を殺した」という論があるのならば、いま日本に利益優先でない空間が存在するのだろうか、と思わずにいられない。金儲けが下手なわたしがこんな事を言うのもおこがましいのであるが、公然と人前でミドル英二さんのように金儲けからおりるみたいな事をクチにできる人はまだまだ珍しい。87年、すなわちチェルノブイリ原発事故の翌年に読んださまざまな書籍の中でもイヴァン・イリッチの「エネルギーと不公正」は自分に大きな影響を与えたと思う。実は、この本87年当時(そして今も)どこにも売っていなかった。晶文社がいちど翻訳書をだしたきりで、文庫に収載される可能性もないと思われる。そもそもイヴァン・イリッチ自体が日本では不評である。いわく「空想家」「現実味がない」などなど。年々、彼を読む人は減りこそすれ増えているフシはない。WEB検索をしてみても、去年3月にこちらの日記でsayakaさんにお話していた頃の自分のカキコがひっかかってくる程度である。笑うほかない。それほど関心を払われていないのは一体どういうわけだろうか。哲学好きの日本人の国民性を考えればこれほど関心を払われない思想家は、不思議である。↑よほど暇か、興味がある方はクリック願います。彼は現実味のある提言を行なってはいないが、その発言の起源にある世界観や倫理はしかし自分には幼いころに祖母やご年輩から口づたえに耳にしたものに馴染むのである。「利益優先が、人を殺した」利益どころか、エネルギーの存在とその分配そのものが不公正である。そんなエネルギーの供給と分配が社会の不公正を基礎づけているというような社会では、利益優先を公共交通が目指すことは不可避だと思われる。人々は嬉々としてより早く、より多く、より大量に移動できる運行システムを選んできたのである。ここにエネルギーとは、通貨や予算、そして間接金融をも視野にいれての話だと思う。いま晶文社の刊行になるイヴァン・イリッチの「エネルギーと不公正」を読もうと思えば大きな図書館で探すしかあるまい。神田古書街でも見つからないのではないか。さて、「騙されてはいけない」に戻ろう。石油燃料のような化石燃料と違い、原子力は炭酸ガスをださないクリーンエネルギーであるなどという。そして、石油燃料は枯渇する事態が避けられないのだと繰り返し聞かされ続けてきた。ここでも小出裕章先生は、分かりやすくわれわれに指し示してくださっている。小出先生の図をみれば理解できるとうり。ウランは、まったく豊富な資源とは思えない。ウラン核燃料は、出自から運用にいたるまでやはり人殺しを目的としたもので軍事目的の外に到底平和利用に供する動機そのものが無い産業だったのではないだろうか。JR西日本の電車貨車を動かしているものも間違いなく日本海側の原子力施設で生産された電力であることに相違なかろう。もっとも早くこの地上から枯渇しそうなウラニウムを燃やしてJR西日本の電車も動いていたのである。↑クリックで、京都大学原子炉研究所 小出裕章先生のPDFへ
2005年05月01日
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