全25件 (25件中 1-25件目)
1

But a close look at the patterns of murderous violence in the U.S. reveals some remarkable consistencies, wherever the individual atrocities may have occurred. In case after case, decade after decade, the killers have been shown to be young men riddled with shame and humiliation, often bitterly misogynistic and homophobic, who have decided that the way to assert their faltering sense of manhood and get the respect they have been denied is to go out and shoot somebody. Dr. James Gilligan, who has spent many years studying violence as a prison psychiatrist in Massachusetts, and as a professor at Harvard and now at N.Y.U., believes that some debilitating combination of misogyny and homophobia is a "central component" in much, if not most, of the worst forms of violence in this country. "What I've concluded from decades of working with murderers and rapists and every kind of violent criminal," he said, "is that an underlying factor that is virtually always present to one degree or another is a feeling that one has to prove one's manhood, and that the way to do that, to gain the respect that has been lost, is to commit a violent act."JR桃谷駅で視力障害者夫婦2人が線路に転落した事件だけでも気の毒で気持ちが重くなるというのに、アメリカのヴァージニア工科大学で一度に32人も射殺された。呆れて絶句するわけだけれども、その後もアメリカ全土で銃器が飛ぶように売れている筈だとの予測を耳にすればもう人間という猿人類の行く末も占える気がしてくるというものだ。先日も、親を無くした雌のチンパンジーが飼育員になついて仲間に戻すのに苦労をされているドキュメンタリーをみていて猿だといってもさすがにチンパンジーぐらいになると可愛くて情も湧こうし、飼育員の涙に貰い泣きしてしまうほどだ。それが、どうも人間の基本的な情緒様式だと錯誤しそうになるのだけれども、昨今凶悪事件犯罪加害者の性癖を事あるごとに聞き知ると、人間はどこでどう間違えるのかとんでもない奇形に進化しているものらしいと痛感する。Dr. James Gilliganという人は、ハーバード大学で教授を務めるほどの精神分析医らしいが氏のご意見では、「女性嫌悪と同性愛嫌悪の複合化した衰弱要素」some debilitating combination of misogyny and homophobia が、他者に対する殺害を含む攻撃衝動の中核的な構成要素だと断じているようだ。まあ、たしかに男にすれば女が恐いとか本能的な畏怖があっても不思議はないとは思うのだけれどもバンジージャンプみたく男を誇示せねばおられないという病的な傾向に追いやられる男というのは、どんな精神形成を遂げてきたのか。暗澹とする。もしかすると、些細な虐待のつみあげでもそういう事になりかねないのだろうか。22歳の Beate Shirota がたまたま日本育ちで偶然にもGHQ民間人要員として日本国憲法草案委員会に潜り込んだ中で「男女平等の条項」 を起草して以来、フェミニストらに留まらず、土井たか子から「素敵な憲法をありがとう」と謝意を述べられて悦に入っておられるのだけれど、理念としての憲法と現実にある歴史的な社会構成の中での男女にとって、軍事占領したGHQにプレゼントされた素敵な「男女同権」というのも、異様な話に映る。Beate Shirota は、好きでもない男と婚姻させられる日本女性の悲劇を目の当たりにした。5歳の頃の目撃印象から、以来刷り込みになったという義務感。日本人女性の悲哀を取り除かねばという強迫的なまでの「正義感」から憲法起草にあたって、まっさきにあの条項を手がけたと証言している。日本国憲法第24条一、婚姻は、両性の合意のみに基いて成立し、夫婦が同等の権利を有することを基本として、相互の協力により、維持されなければならない。 二、配偶者の選択、財産権、相続、住居の選定、離婚並びに婚姻及び家族に関するその他の事項に関しては、法律は、個人の尊厳と両性の本質的平等に立脚して、制定されなければならない。 現実には、婚姻が「両性の合意のみに基づいて成立」しているのならば、「家」は出番がなくなり、「家族」はペアの周囲で眺めているだけの存在になり果てるはずだ。だが、果たして本当にそうか?「法律は、個人の尊厳と両性の本質的平等に立脚して、制定されなければならない」などといわれても、そんな精神で立法府にかよい詰めている代議士先生を寡聞にして知らぬ。つまりは、この条項は理念としては麗しいが、実態としては憲法9条同様に虚構性を帯びている。無論、憲法第24条の規定が日本の男をだらしなく腑抜けにしたなどと言うつもりは更々ない。また、他者に対する攻撃衝動などを形成するに際して憲法の条項などが直接の関わりがあるとは当然思っていない。そんな無茶な意見を述べるつもりはないのである。ただ、一点気になったのは現実に生きるわれわれの生活と意見に対して、どこか高踏的であり、社会のあり方に比べて、ややもするとありうべからざるほど華美な理念に現実を踏み外しそうなほど無理強いはなさらない方が宜しいのでは、という老婆心なのである。少なくとも、こういう多少ともご無理な内容を含んでいるやもしれぬ理念を根拠に威勢の良いご意見や思想が跋扈する時代には、えてして足下の精神に脆さを抱くわれら裸の猿には思いもよらぬ精神の破綻をもたらすことが起こりうるような気がするからだ。今のところ、善良な日本の男たちも、幸いにしてアメリカの事件のような銃器社会でもなく、また奇矯な韓国人学生のような過剰なまでの自己顕示ともとりあえず無縁でいられそうだ。大多数の青年では、せいぜい引き篭もって自責の念に振り回されている程度ですんでいるのかもしれない。しかし、アメリカで起きた事件はいつ何時この国で本格的に「再現」されぬとも限らない。いや、もうその予兆どころか粗暴な振る舞いの兆しはあちこちで散見できているのかもしれない。公共交通機関で猛毒サリンを撒き散らすがごときカルトも発生する国である。油断は禁物という気がする。
2007年04月30日
コメント(0)

最近、ジョークだとしか言いようがないのだけれども魔性の女と裏で揶揄されても誉れ高い女性を至近で観察していた。まあ、もともとジョークなのだから、スキャンダルめいたものは何もないのだけれども、自分の眺めているところでは本人の問題よりも周囲の状況がおかしいのではないか、と思える面も多い。なるほど、こういう局面で多少迷い性で世間知らずな若い女の子がうっかり羽を伸ばしてしまうと周囲がまるで予想外に翻弄されるということが連鎖して生じるのだとよく分かった。つまり、「 話を聞かない男、地図が読めない女」というあの構図。男も女もふりまわされるあの男脳と女脳の編み出す滑稽な齟齬が、拡大してとりまく状況に連鎖するとある瞬間にスルっと、魔性の女神話が現れたりするのだろうか。大体、いまの時代はおよそ物事の動きは常に企業社会が背景にある。その企業の内部で、固定費をとにかく悪だとして外部委託ですませて損金で限界まで圧縮しつつ、資産台帳から本来企業が社内で保有して置かねばならないような本質的な部分の創意や事業推進部分まで平気で社外へ振ろうとする。とんでもなく業績のいい中小企業が、実は経営者とそのジュニア、お茶汲みの事務員さん以外はすべて社外で整えられていたりする。それは極端だとしても、しばしば社外に出しちゃならんだろうと思われるような活動部分まで、外部でチャーターしようとする。派遣労働の会社や、リクルート会社が、これでもかこれでもかと押し寄せてくる非正規雇用労働者をちぎっては投げちぎっては投げして空前の利益をあげているのはよく耳にするところだが、そんな時代の状況の中で滑稽なことに高収益の企業のウリになっている創意のコアな部分が、社外の若いお兄ちゃん、おねえちゃんの不眠不休の低賃金労働だったりするから笑うに笑えない。ある特殊な技術スキルに、昨年末から雇用したアルバイトの女の子が適正があるのかメキメキと馴染んで行った。このお嬢さんの上達を当て込んで、その派遣会社は4月以降の受注計画を営業に立てさせていたところ、ある飲み会で知り合った顔ぶれの中に営業先の購買窓口が偶然混じっていた。さあ大変。彼女、スルッと相手の会社の契約雇用待遇になってしまった。派遣会社は、ともかくも。その担当営業は、しばらくパニックになったのではないか。なんとガードが緩いはなしだと聞いていた。担当営業いわく、「魔性の女というべきですなあ」さあ、どうだかねえ?それほど、特殊な技術スキルに代替要員も手当てせずに、よく綱渡りのような真似ができるものだ。むしろ派遣会社の姿勢について飽きれてしまう面が多い。芸能界をさわがせているタレントたちの話も、その程度のものが大多数なのではないだろうか。
2007年04月29日
コメント(4)

慰安婦問題 米決議案採択でも 首相「謝罪しない」3月5日15時57分配信 産経新聞安倍晋三首相は5日午前の参院予算委員会で、米下院に提出された慰安婦問題をめぐる対日非難決議案について、「決議案は客観的事実に基づいていない。決議があっても謝罪することはない」と述べ、決議案に強い不快感を示した。 また、首相は、慰安婦問題を謝罪した平成5年の「河野洋平官房長官談話」について「基本的に継承していく」と明言。その上で「官憲が家に乗り込んで人さらいのように連れて行くような強制性はなかった」と述べ、狭義の強制性を重ねて否定。米下院の公聴会で証言した元慰安婦の証言についても「裏付けのある証言はない」と述べた。 民主党の小川敏夫参院幹事長への答弁。小川氏が「きちんと謝罪しないと、日本が戦争に対する反省をしていないと受け取られる」と主張したのに対し、首相は「戦後60年の日本の歩みは高く評価されてきた。小川氏は日本の歩みを貶(おとし)めようとしている」と強く反発。「小川氏は決議案が正しいと思っているのか」と切り返す場面もあった。 おい、おい。この人、慰安婦問題で謝罪しないって公言してなかった?本気で、謝っているの?慰安婦問題で謝罪するのならば、東京大空襲、大阪大空襲、広島、長崎で殺された我々の祖父、祖母、父、母、いや生まれたばかりの幼女たちの霊に向かってどういう謝罪をアメリカに要求してくれるつもりなのか聞きたいものだ。ベトナム戦争で、アメリカ軍がこさえた慰安婦小屋についてはきちんと謝罪取りつけてくれるんだろうな?おかしいだろ?自分の言っていることがおかしい理由は、はっきりしている。ベトナム人になりかわって、日本がアメリカに意見言ったらアメリカ人の電波系から安部総理の背中に向けて45口径ぶち込まれるんじゃないかと不安だ。これが分かれば答えは明快。そもそも、慰安婦問題でなんでブッシュに謝罪しなければならないの?↑必ずクリック1970年1月19日号の『ライフ』誌に掲載されたハーバールのカラー写真の1枚には、女たちや子どもたちが固まって立っている光景が写っている。その説明はこう書いている。「ハーバールとロバーツは女や子どもたちの一団に近づいていく米兵を見つめていた。その一団の中ほどに、黒いベトナム服を着た13歳の少女がいた。一人の米兵が、彼女をつかみ、他の兵士の助けも借りて、彼女を裸にしようとした。「こいつがどんな身体つきか、見ようじゃないか」と一人が言った。もう一人が「ベトコンだよ、やっちゃえ、やっちゃえ」と言い、さらにその少女に向かって「お前はベトコン用のパン助だな」と言った。 「もう我慢できねぇ」と3人目が言った。 死体や炎を上げる家々の脇で、彼らがその少女を裸にしようとしている時、母親が彼女を助けようとして、兵士につかみかかり、爪を立てた。(……)一人の兵隊がその母親を足蹴にし、もう一人が殴りつけた。 ハーバールはその女たちの写真を撮ろうとして飛び出した。写真は、13歳の少女が母親の後ろに隠れ、上着のボタンをかけようとしている様子を写している。(……) やがて一人の兵隊が言った。「さて、こいつらをどうしようか」 「ばらすのさ」別の兵隊が答えた。 M-60の発射音が聞こえた――とロバーツは言っている――そして、私たちがそこへ戻ったとき、彼女たちも、子どもたちも、全部死体になっていた。」 トアン・イェン小集落にある小さな寺に住んでいた一人の仏教僧、チック・タム・トリ〔Thick Tam Tri〕(ド・ゴ〔Do Ngo〕)は無残な殺されかたをした。第1小隊の無線係だったスレッジは言う。「僧侶の服を着た一人の男がカリー中尉のいるところに連れてこられた。彼は『ベトコンじゃない』とでも言いたげな身振りをして見せた。カリーは彼にいくつかの質問をしたが、僧侶はただ首を振って、何度も『ノー・ベトコン』と繰り返すだけだった。やがてカリーは拳銃の台尻でその坊主の口元を殴りつけた。坊主は仰向けにひっくり返ったが、なおも自分は嘘を言っていないと言いたげに両手を振っていた。カリー中尉は、拳銃の先端を坊主の顔にまっすぐに向け、引き金を引いた。頭の半分が吹き飛んだんだ。」 米兵たちの残酷さが極度に達したのは、彼らが大勢の村民を取り囲み、何十、何百という民衆をことごとく虐殺したときだった。この出来事が起こったのは、グェン・ニュー〔Nguyen Nhieu〕さんの家の隣にあった監視塔の脇の人気のない草原と、トアン・イェン小集落のはずれにあった溝〔現在ある「ソンミ記念館」の東端にあたる)のところだった。カリーの部隊にいた兵士、ポール・ミードロが、CBSテレビのインタビューに対して答えたことが、髪の毛も逆立つようなその出来事の一端を明かしている。 質問:取り囲まれていたのは何人ぐらいだったんですか? ミードロ:40人か50人くらいだったな。 質問:どんな人たちです? ミードロ:男、女、子ども、それに赤ん坊だった。俺たちは、奴らを坐らせていたが、そこにカリーがやってきて、言った。「奴らをどうすればいいのか、わかってるな?」それで俺は「はい、わかってます」と答えた。当然だが、俺は、中尉が、奴らを見張ってろ、と言いたかったんだと思ってた。中尉はそこから離れたが、10分か15分してまた戻ってきて、「何だ、まだ片付けてないのか」「奴らに死んでもらいたいんだよ」と言った。カリーは、10フィートか15フィートほど(4~5メートル)後ろに下がると、彼らに銃を発射し、私にも射撃を始めろと命じた。私は、彼らに向けて4回ほど掃射を浴びせた。 質問:何人ぐらい殺したと思いますか? ミードロ:自動小銃で撃ったんだ。10人か15人は殺したかもしれないな。 質問:男、女、子どもだったんですね? ミードロ:男、女、子ども、そして赤ん坊だった。それから、また7~8人ほどを駆り集めた。俺たちは彼らを小屋の中に投げ込んで手榴弾を放り込もうと思ってた。それで、その7~8人を運河のほうへ押していった。そこには70人か75人ぐらいの連中がいた。みんなそこに集められたんだ。カリー中尉が……連中のところへ歩いていって、奴らを溝の中に突き落とし、それから撃ち始めた。 質問:それも、男、女、子どもたちですか? ミードロ:男、女、子どもたちだ。350人ぐらいがそんな皆殺しにあうのを、俺はこの目で見たぜ。 質問:今、あなたはそれをどんな風に思ってますか? ミードロ:良心に深く突き刺さってるな。これまでずっと、俺から離れなかった。だが、あの日、神様は俺に罰をくれたんだよ。俺は爆薬の引き金をうっかり引いちまった。それで片っ方の脚が全部吹っ飛んじゃったんだよ。1970年に開かれた軍事法廷でこの虐殺に関与した兵士14人が殺人罪で起訴されたものの、1971年3月29日に行われた判決においてカリー中尉に終身刑が言い渡されただけで、残りの13人は証拠不十分で無罪となった。また、カリー中尉自身もその後懲役10年に減刑された上、1974年3月には仮釈放されたため、この不可解な処置は世界中から大きな非難を浴びた。
2007年04月28日
コメント(4)

所用で、JR守山駅東口に向かった。用件が無ければ恐くて近づけなかったのが、この駅だ。この駅、いまは開発されて跡形もないがかつてこのあたりは煉瓦工場だったりする。少し裏手のセブンイレブンでレジのおばさんに、煉瓦工場はどの辺にあったのかと聞いた。すると、煉瓦工場などまったく知らないと言う。もうひとりの親切なおねえさんがオーナーに聞いてくるとバックヤードにはいった。戻ると顔が華やいでいる。なんと、このセブンイレブンそのものが旧煉瓦工場の跡地なのだとか。礼をのべてセブンイレブンからJR守山駅のタクシー乗り場に戻った。60年も昔。1945年7月30日午後4時。ここにアメリカのグラマンF4による空襲があった。17名の非戦闘員が殺戮されて主婦や乳幼児が殺された。辛くも窮地を逃れた18歳の看護婦がいた。それがわたしの母だ。母が、殺されていれば自分は生まれていない。この話題なんどもこの日記で繰り返している。実は、守山駅頭に足を踏み入れたのが今日が初めてだ。恐くて実行できなかった。なにやら霊気が立ち込めているような気がして仕方が無い。自分は、その17名の鎮魂をどういう風になせばいいのだろう。次に出向いてくるときには花でも持参したいと思う。「人は、戦争で死ぬために生まれてはこない。 」2004年5月5日↑クリックでジャンプします。「捜せるのだろうか? 」2005年7月04日 ↑クリックでジャンプします。「7月30日守山空襲」2005年8月08日 ↑クリックでジャンプします。「滋賀県新知事の裁量だのみ」2006年7月10日↑クリックでジャンプします。「45年7月の殺人事件 」2007年2月12日↑クリックでジャンプします。
2007年04月27日
コメント(0)

NHKが、手放し礼賛しているバイオエタノールガソリン。だが、こんなものを平気で使わせてしかも「地球環境によい」などと喧伝している神経を疑う。実は、コストアップ分は、またしても国民の税金で下駄を履かせて消費者には負担をかけていない、などと詐欺まがいだ。なぜガソリンに、エタノールを混ぜなければならないのか?いわく炭酸ガスが、削減できる?なぜ炭酸ガスなのだ?地球環境温暖化抑止?だから、この日記で何度も繰りかえし述べているじゃないか。地球温暖化と、炭酸ガスなどなんの関係もない可能性が濃厚だ。地球温暖化の、主犯はいまの中国やそれに類する新興工業国の出す「排熱」なのだ。排熱を抑止せずに、地球温暖化を詐術的に炭酸ガスだといいつのっているのは誰だ。今回、バイオエタノールをフランスから購入させられているという。また、ユダヤの手先にコロっと騙されているのだろう。国土交通省のキャリアぐらいでは、ユダヤの手先に喧嘩を売れそうな奴がいないようだな。予言しよう。10年もたたないうちに、地球温暖化=炭酸ガス主犯説は嘘だとバレることになるだろう。
2007年04月27日
コメント(2)

『天使に見捨てられた夜』 AV女優はビデオの中で本当にレイプされているのか?社会問題になった途端に消えた女優リナ。行方を追って、ミロは卑劣な罠にはまる。ミロ・シリーズ第二作。 ---------------------------------------------------------------------作者のコメント 前作の応募作が駄目でも、もう一作と思い、選考にかけられている段階から自分で取材を始めた作品です。アダルトビデオに出演した女性の人権を守ろうという運動をしている人を知り、自分でアポを取って会いに行きました。編集者など付いていませんでしたから、その頃の取材は当然のことながら突撃取材でした。ずいぶん迷惑がられたり、呆れられたりしたと思います。恥ずかしい限りです。 村野ミロ・シリーズの第二弾ですので、話は続いているのですが、トモさんという新たな登場人物を作ったことで、小説的展開としては楽になりました。ミロを複雑な気持ちにさせる同性愛者の隣人トモさんは、ミロを助けたり、突き放したり、友人でも恋人でもなく、思うようになりません。その辺の人間関係のねじれが私好みだったのでしょう。余談ですが、トモさんは女性読者を獲得したみたいで、ファンレターをいただくと「トモさんとミロの会話が好き」という内容のものが多かったです。 そこへ乱歩賞受賞の報せがあり、受賞後の混乱も手伝って、結局、書き始めるのがずいぶんと遅れてしまいました。翌年、やっと書き上がったのですが、「ミロと矢代が寝るところを書き変えたらどうか」という意見がありました。「32歳の女性なのだから、立場というより、個人的興味の方がそれを超えるのでは」と反論しましたが、『顔に降りかかる雨』同様、女主人公であることの不自由さも感じました。私としては、『顔に降りかかる雨』よりも心のねじれの多い分、またミロの失策がある分、とても好きな作品です。(インタビュー・構成 ミッシー鈴木) -----------------------------------------------------------------映 画 『天使に見捨てられた夜』1999年(日活)監 督:廣木隆一出 演:かたせ梨乃、大杉漣、永澤俊矢、田口トモロヲ、真行寺君枝、パンタ このあいだ、桐野夏生のことをこのブログで書いた日。40年近くつきあっている友人から電話があった。実は、恒例の「無駄ばなし」。電話で年に2度ぐらいのペースで深夜まで長話することになっている。気まぐれな野良猫同士が、生ゴミをあさりに彷徨しながらすれ違うみたいなものなのだ。彼といつも交わす話題は、もうこの日記と同様で森羅万象なんでもありという世間話のバトルロイヤルになる。彼は、産婦人科医でこちらは正体の分からないベンチャー支援標榜コンサル。実は、支援した会社の数よりも毀しにかかった企業の数の方が多いかもしれないという、ハカイダーである。キツイ、キタナイ、キケンという意味では大差ないのかもしれない。今回は、1月に死んだオヤジの事で盛り上がった。彼には、なにも隠すことがないのでありていにオヤジの実相をありのままに電話で口述描写していく。彼は、ほとんど何も私に語らせない前に「うちの父親と同類だね」と、言い切った。彼の父親と、うちのオヤジとは偏差値レベルでは相当ギャップがあるかと思うが、人種というのか人間のお品については酷似していたらしい。ここで、わがオヤジの事や彼の父親の病院長の事を赤裸々に描写してもどうせ誰も信じないだろう。だから、最初から虚構なんだよ。小説なんだよ、と前置きして事実を語った方が理解されやすいと思う。作家ではあるが、桐野夏生は、たぶんそういう意味でわれわれと同種の生涯を送っている人間のような気がしてならない。そんな嗅覚が働く。
2007年04月26日
コメント(0)

政府・与党合意の文言のポイントを以下に示そう。「各省縦割りを排し、内閣一元化を図る。各府省等の人事当局と企業等の直接交渉は禁止し、センター職員は出身府省職員の再就職あっせんを行わないこととする。センターは内閣府に置き、中央組織と地域ブロック別の拠点からなる組織・人員体制を整備し、各府省等からの中立性を徹底し、実効性のある効率的な組織・運営とする。あっせんの対象職員に関する必要なキャリア及び人的情報の把握のため、センター職員は人事当局等と必要に応じて協力するものとする」これが文言通りに実現したら画期的である。新聞は「センター職員は人事当局などと必要に応じて協力する」という部分を抜き出し、役所の関与を残したと批判するが、全然、分かっていない。各省の協力なく「あっせんの対象職員に関する必要なキャリアおよび人的情報の把握」をどうやってするというのか。本当ですか?猪瀬直樹先生よ。公務員って、どうして再就職するのにハローワークにぶち込めないの?・・・などと、一応建前でツッコミをいれておく。ようするに、日本の官僚は格差社会を形成してきた大泥棒だから叩けば大判小判がポケットの中に一杯ある。それを、少なくとも吐き出させるためには「官民人材交流センター」などという物理装置が必要だという、そういう主旨のようだ。ならば、最優先の課題は官僚社会から自組織内部の人事権を彼らに委ねることなく一日でも早く奪取することだ。ほんとうは、根こそぎはローワークにぶちこんで、シコシコ履歴書や職務経歴書をつくって自らの能力や資質をこの際棚卸して貰いたいものだと思う。しかし、もしそんな風に野に放ったら、出来レースを駆使してきっちり既定の「天下り先」、もしくは相当のダミー組織に滑り込んじまうのだろう。エイリアンみたいなヤカラばかりだからなあ。
2007年04月26日
コメント(0)

ペンネーム「桐野夏生」は、司馬遼太郎の小説『翔ぶが如く』の桐野利秋、大庭みな子の『浦島草』の夏生という女性の名前から取った名前で1984年のロマンス小説デビュー作から使っている。男名前だから困ると言われ、「桐野夏子」というペンネームを使ったときがあった。ペンネーム「野原野枝実」は、森茉莉の『甘い蜜の部屋』の登場人物の名前で、作家・銀色夏生がいるから夏生はやめてほしいと言われて使った。これらペンネームに関して桐野は、「屈辱の歴史」、と述懐している。桐野夏生という作家は、書店でみかけても気にとまることがなかった。どうやら同学年世代で、少し自分よりもお姉さんみたいだ。てっきり、ひとまわりぐらい年下かとおもっていたので意外な気がした。日常、まったく同学年の女性と接触はない。酒を飲み交わすことも、時候の挨拶をすることもないので、逆に目線や話題のふりかたに興味が湧いた。1999年 廣木隆一監督『天使に見捨てられた夜』日活、出演: かたせ梨乃 、西山水木 、嶋田博子 、大杉漣 、永澤俊矢 偶然みた映画、「天使に見捨てられた夜」で主演のかたせ梨乃はともかくも取り留めの無い訥々としたストーリーに呆れて逆に興味が湧いた。彼女の小説を追いかけようとまでは思わなかったが、不思議なリアリティを放つ人だという印象が湧いた。その一旦を、桐野夏生自身が語っている。「小説という虚構のなかのリアリティっていうのは『なるべく自然に』書くことではなくて、虚構性を強めるしかないと思っているので、あえて信じられないような人間を出しているんです。ひっかかりがあるような場面を楽しんで書こうという気持ちがありますので、見聞きしたことのほかに、自分でもあれこれ考えてディテールを作り込んでいます。でもこの前、精神科医の斉藤環さんと対談したら『こういう人いますよ』って言われて」桐野夏生 /著者は語る/週刊文春2005.1,13<虚構性を強める>というくだりに、首を傾げる人も多いかもしれない。虚構性を強めると、どうしてリアリティが匂いたってくるのだろう。「虚構性を強めると、リアリティが失せてゆく」普通は、そう読み解きするのではないだろうか。――幼い女の子を若い男が監禁するという『残虐記』のモチーフは、新潟で実際にあった監禁事件を彷彿とさせますが、あの事件が執筆のきっかけとなったのでしょうか。 「いえ、たまたまあの事件があった、という感じです。映画にもなったジョン・ファウルズの『コレクター』を昔、とても面白く読んだ記憶があったので、もともと監禁小説というものを書いてみたいと思っていました。それで、『残虐記』執筆前に『コレクター』を読み直してみたんですが、あまり面白くなかったんですよね(笑)。あれ? 前に読んだ時は面白かったのになぜだろう、と考えてみて思ったのは、あの作品は監禁する男の側の話なのに、掘り下げられていない。私は、閉じ込められた人間が何を思うか、に興味があります。例えば、『コレクター』には監禁された女の子が媚を売る場面があるのですが、男は逆にそんな彼女に嫌悪を感じるように描かれている。でも私は、本当にそうだろうか、と思った。もちろん、何が本当かどうかは誰にもわからないけれども、極限状況の中で人はどんなふうに考え生きるのかを、描いてみたくなったんです。そう思っていた時に新潟の事件があったので、少し調べてみました。あの女性は文章が非常に上手で言葉を持った人だ、と聞いて。もしかすると、閉じ込められている中で言葉が増殖していくということはあるかもしれない、という仮定を持ちました」 「コレクター」は、リメイクもされているがウィリアム・ワイラー監督作品ならば桐野もわたしもあの映画が衝撃的な作品として紹介された65年当時、どちらも13歳の小学生だ。あの映画には、不可解なまでの踏み込みの浅さが謎めいて沢山あった。監禁状態で、言葉が増殖するのではないかという実験的な発想に失笑を禁じえないが、このあたりが桐野の作家としての持ち味なのだろう。――主人公を監禁する健治も子ども時代に欲望の標的にされていたかもしれない、と主人公は想像していますね。もし、主人公の想像通りだったとすると、子ども時代、健治自身は想像力で立ち向かわなかったことになるわけですが、彼は想像力という武器を持てなかったということでしょうか。 「想像力を持つというのは特権です。対談で松浦さんに指摘されて、私も初めて気づいた点に、言葉の問題があります。監禁当時、小学四年生だった少女・景子と、学習する機会を奪われたまま大人になった健治は、二十五歳なのにほとんど言葉のレベルが同じなんです。むしろ景子のほうが高いくらいです。多くの言葉を持たない者が想像力を持つのは、難しい気がします。だから健治も、言葉を使って想像力の毒の芽を発芽させることはできなかったのでしょう。でも、これは無意識に書いてしまったんです。意識的な設定ではありませんでした。不思議なものです」 桐野は、彼女の作家としてのスタンス。その「方法」について核心に触れている気がする。多くのことばの扶助なしに、想像力を担持することは難しいというくだりは説得力がある。言葉は、ここでもある種の「力」だと認知されている。その力の最大のものは「想像力」を自在に巡らせ維持、増殖させることにある。語彙も、ことばの重要な構成要素だ。語彙とは、やはり深層においては心的な体験の固着という面もある。「多くの言葉を持つもの」は、少ない体験に際しても、やはり多くの心の体験で接することが可能なのだ。そう桐野が言っているように感じた。虚構性を強める、というのは嘘を駆使するという意味ではなかろう。むしろ虚構性という言葉の構築に腐心して、ことばの伸びやかさを発揮させる。その伸びやかさ。それがおのずと読者の脳裏にさまざまに惹起するものがある。いわば体験についての感受性というのだろうか。行間に漂うものが、おそらく問わず語りに読者を魅了するのだ。ご贔屓の女優かたせ梨乃だが、WEB上には例のごとくホルスタイン種の牝牛のような豊満なものを湛えた画像しかみいだせず残念である。彼女は、そんな立派な持ち物をさらさなくても十分美しい。
2007年04月25日
コメント(0)

漆間警察庁長官、暴力団壊滅に向け武器庫摘発の徹底を指示(読売新聞) 全国の警察本部の組織犯罪対策担当課長会議が24日、東京都内で開かれた。 警察庁の漆間巌長官は、長崎市長の射殺事件や東京都町田市で起きた立てこもり事件など、暴力団による拳銃使用が相次いでいることについて「市民生活に大きな不安と脅威を与えている。決して許してはならない」と述べ、暴力団の壊滅に向けた戦略的な対策を行うよう指示した。 暴力団対策には、資金源対策を一層強化するとともに、公共工事や証券市場など、暴力団排除に取り組む自治体や企業の関係者が不安を持つことがないよう、きめ細かな相談対応と保護対策の充実を求めた。 また、拳銃の押収量が減少傾向にあることにも触れ、暴力団や周辺者に対する情報収集を強化し、武器庫の摘発を徹底するよう求めた。そんなこと言ったって、これまで暴力団から拳銃を調査費名目の「国民の税金」で購入していた警察が暴力団の武器庫を摘発できるはずがないじゃない。というのか、暴力団の武器庫がどこなのか警察もマスコミも検察も先刻承知でしょう?知っていてこれまで、摘発するどころか温存させていたよね。マシンガンどころか、バズーカ砲持っている組もあるよ。ダイナマイトなんて、ごろごろ。でも、これを永年押収してこなかった。この風雪の歴史を、どうして漆間警察庁長官殿が乗り越えてゆけるものか。お聞きしてみたいものだね。ズバリ、暴力団の武器庫の枢要なものは他ならぬ彼らの顧問弁護士事務所だ。近隣住民が実態知ったらのけぞるだろうさ。自信ある。現職の検事からの聞き込みだ。
2007年04月24日
コメント(0)

鈴木敏文といえば、泣く子も黙るセブンイレブンの総帥。セブン&アイ・ホールディングスの会長だ。最近は、都銀や地銀よりもセブン銀行を使うことが多い。実態でメインバンクのようであるから、きわめて親しみがある。とりわけ80年代には、鈴木敏文の名前の冠した本は、書店でかならず立ち読みしたものだ。セブンイレブンは、70年代末に関東で営業していた時代に、路上でみつけると嬉しくてかならず立ち寄りした記憶がある。コンビニ中のコンビニ。その事業姿勢と、業態や店舗のありかたには流通業界が、つねに耳目を集める、いわば台風の眼のような時代があった。その時代に、たくさん神話を振りまいてくれて。ついにはNHKの「プロジェクトX」にまで登場するほどになった。あれは、お話としては大変面白く。なるほど、うまい具合にパブリシティやるものだと常々思っている。いま日経新聞の朝刊「わたしの履歴書」に、御大がシリーズ連載している。いわく、セブンイレブンのチャーハンの味が良くなったのはわたしが直接介入したからだ。うんぬん。凄いねえ。鈴木会長、みずから神話作りに手をくだすとは。素晴らしい。こんな巨大企業のトップになっても、コンビニ弁当を食べ続けなければならないというのはさすがわ資本主義というものだ。
2007年04月23日
コメント(1)

公務員の天下り規制の問題は日本だけの話ではない。よその国ではどうなっているのか。 ここでドイツの例を出してみよう。どこの国でも公務員はだいたい30代後半になると権限を持つようになる。そこでドイツでは42歳を過ぎたら、権限の効く関連業界には一切再就職できなくなるのだ。「もし公務員を辞めたいというのであれば、42歳になる前に再就職しなさい。それだったら、どういう職業に移ってもいいよ。ただし、42歳を過ぎたら、所属していた官庁に関係の深い業界への再就職は絶対駄目だよ」という仕組みだ。実に明解である。 「権限が強くなる30代後半になったら、関連業界への再就職を禁じてしまえばよい」と考えるのは当然だと思う。権限が弱いうちならどんな業界に移っても、天下りの問題は起こらない。権限が強くなってから再就職するから、所属官庁と天下り先の癒着に結び付き、談合などの問題を引き起こすのだ。 こういう話を聞くと誰でも「日本でそういうルールは作れないのか」と思うだろう。ところが、日本ではこれをやろうとすると「基本的人権の侵害になる。就職の自由を奪うことになる」と反対の声が起こるのだ。確かに職業選択の自由は保証されるべきだ。天下りも、談合などに結びつかない健全な状態で行われるのであれば、認められていい。だが、「再就職にあたってお金が動く」という、今のような悪い慣習が許されないのは、当たり前だろう。 日本の国が、いまのように疲弊したにはさまざまな理由があると思うのだけれど中央官庁のキャリア公務員の業界癒着はひとつの致命的なまでの無為、怠慢として戦後の巨大な禍根として後世数え上げられるのではないだろうか。天下りにより国富を私物化することの自由を、「職業選択の自由」の中にまんまと折り込みするという特権的な階層が最上層のキャリア官僚というヤカラだという認識でさほど間違っていないのだろう。大前研一ですら、これが洒落にならない域だと認識しているらしい。しかし、大前と符合する自分の認識はむしろ「地方」へ流れ込む天下り隠しの手口についてだと思う。もう一つ新人材バンクの枠組みで問題と思われることがある。同バンクに登録した役人は自分の役所関連の業界や非営利組織に再就職できない。従って、何が起こるかといえば、退職4、5年前に地方自治体に出向する人が殺到するだろう。 財務省や日銀の幹部であれば自治体の出納長(新しい名前では財務担当の副知事とか副市長)に簡単になれる。そこで、首尾よく行けば知事や市長に立候補する、という道がある。つまり、これで定年はなくなるのである。また自治体傘下の組織が山のようにあるので、そこに天下ることができる。今回の中央省庁の新人材バンクは地方自治体の人材の移動まで規制していないからだ。 地方分権と言いながら、実は今合意されている仕掛けでは中央の役人が人生の後半になって規制のゆるい地方自治体に一斉に転籍してしまう、という構図である。自治体も人材不足であり、また「中央とのパイプ」を欲しがっているところが多いので、この流れは加速するだろう。 実は、この気配は滋賀などにいると予兆がみえる。特殊行政法人とか、ナンチャラ財団、なんとか協会で出しているハローワークの公募内容がデタラメに高給優遇なのだ。平素、滋賀では40、50で25万円以上だすような募集案件は滅多にハローワークの検索でかかってこない。大阪、京都にくらべても中年、壮年の給与水準は低いとみる。ところが、抜きん出て好待遇、好条件、高給優遇の提示があらわれる事があるという。そのほとんどは、科学技術庁の外郭団体や、厚生労働省の周縁的な組織、そうでなければ教育委員会など、予想できる天下り先指定ポストの組織や法人ばかりである。ある会合で、地元のハローワーク関係者や派遣労働者の手配をする会社社長などと歓談した。彼らの言うには、そんな組織はまともに公募などしているわけではない。つまり出来レースで、採用する人はあらかじめ決まっているのだという。それをはた迷惑もかえりみずハローワークに垂れ流ししているのは、公明正大に選びましたというジェスチャーなのである。そこには、大抵大手民間企業関係者やら、地元自治体の公聴会で「お利口さん」をやらかしている企業の出向だったりする。当然、それら民間の真似事をしている特殊行政法人の実務部分を背負う目的で、送り込まれてきている。このあいだ、被差別部落を売り物にしてまともに出勤もせずに給与を長年貰いつけていた公務員が大勢発覚した県が近畿にある。あの県で、なんと教育委員会が民間から公募して教頭を3人ほど選んだという。官報によると、民間大手企業出身者や陸上自衛隊の職員などが選ばれたようだ。まあ、いかにも出来レースとわかりやすい事例だ。言ってみれば業界との癒着が、どれほど酷いかを垂鉛させる。ふつうにハローワークに通って端末を叩いている人たちは、何も知らずに応募しているらしいので、泣ける。このように招きよせられた「民間」が、中央官庁から地方へ天下り隠ししながら降臨してくださるキャリア公務員の高所作業足場になるのは透けてみえる。
2007年04月20日
コメント(0)

「代理母はもうやりません」大きな仕事を終えたシンディさんは終始おだやかな表情をしていた。その彼女に、日本の法律では、出産した人が母親となり、代理母は許されていないことについて話をすると、こんな意見を口にした。「日本の法律は間違っています。日本はとても伝統的ですが、時代は変わったのです。法律も時代に即して変えるべきです」だがその一方で、今後も代理母を続けるか、という質問には迷うことなくこう答えた。「私自身はもうやりません。今回、私がアキの代理母を引き受けたのは、前に失敗したことがあったからです。今度の成功で達成感を得ましたから、もう繰り返す必要はないのです」.きっぱりと話すシンディさん。すでに報酬も受け取り済みだと.いう。「業者からば当初、保険とか入れないで1万8000ドルの謝礼に、双子の場合ばプラス2000~3000ドルといわれました。だからって今回双子を産んだわけじゃないですよ。それは偶然よ(笑い)。その謝礼でこの家のローンを返済したんです。ここは土地が10エーカー(約1万2000坪)あって、家の価格を含めて5万5000ドル(約600万円)でした。その残りのローンを払って、ようや“家主”になれたわけです。とても満足です」日本では、向井の代理母を務めたということで注目を集める彼女だが、代理母出産は彼女自身の中でもいろいろな思いのあった10か月であり、本当にこれが最後と思うほどの大きな仕事だったのだ。前出の、夫婦の歩いた涙と感動のエピソードが綴られている向井の著書では、出産の瞬間の喜ぴはこう書かれている。担当医の「ルック。コングラチュレーション」という声を聞いて初めて喜びが湧いた向井。《Dr.ファリンガーの大きな手に頭と脇を支えられ、たった今、空気に触れたぱかりの新しい命が高々と持ち上げられている。・・・動いた!顔がゆがんで、・・・口が開き、声を、・・・産声を、上げている!泣いた・・・泣いてくれた!》子宮全摘出から3年目に得たわが子。向井も高田も喜びにただただ声をあげるだけだった。ようやくわれに返った向井はシンディさんに「ありがとう」を繰り返していたという。代理母問題というのは、以前から不気味で気がかりだった。プロレスラーの女房が、子供が産めなくなったからアメリカで代理母を獲得して子供を得たという話題の振り方と、それにまたしてもテレビが反応して涙の会見を繰りかえし流すといういつもの「流儀」にも不快感が湧いた。今回、裁判所の判決に「怒りを感じる」というこの女のコメントにわずかに怒りが湧いた。冗談じゃない。子供を欲しいという母親すべてに、子供を与えるということは神にも不可能な「不条理」なまでのわれわれを取り巻く生命の大状況である。自分は、なんども死にかけたが生かされて今生きているが、これも運不運、好き嫌いを越えたなにかの導きではないかと常々思ってきた。この女と、子供が素敵な親子になれればいいと多くの沈黙する市民は願っていることだろう。それ以上に、なにを血迷って願望しているのだろう。アホめ。プロレスラーと結婚したという以外にこの女の持ち味というものはさっぱり了解を致しておらない。ようするに東京のテレビ局の周囲を遊星のように取り巻いていた一タレントではないか。どうやら知名度をあげたのは、妊娠中に子宮癌が発覚したという派手なキャンペーンからだったと記憶する。その後、堕胎という子殺しと子宮の切除をしたことを視聴者が望みもしないのにご大層に記者会見を開き、人さまの耳を汚しかねない「告白」を、実行。プロレスラーのDNAを授かって戸籍にいれるというおのれの我欲に、世の公序良俗、すべてのモラルステージの議論にまわし蹴りをいれまくっている。しかも、幸運な中でも幸運なことに命がけで出産行為を代位するという奇跡的な代理母候補を獲得。それだけでも神の加護を感じさせるものだが、代理母選びから感動の双子出産まで、その過程の全てを報道カメラの前で演出して恥じなこの女のヒステリー的な自己中心性癖には、ほとほと呆れ果てるのだ。もし、,,仮定の話としても、確度の高い「もしも」だ。アメリカのシンディーという親切な命がけのボランティアが産褥熱で死去していたらどうだ。シンディーの夫や家族との愁嘆場に、この女はスルスルと居あわせてカメラを向けるつもりでいたのだろうか?2005.12.27向井亜紀の請求は棄却された ↑クリック
2007年04月19日
コメント(2)

女優・うつみ宮土理(63)とのおしどり夫婦として知られるベテラン俳優の愛川欽也(72)に不倫疑惑が持ち上がった。17日発売の写真誌「フラッシュ」が報じているもの。同誌は、愛川が自ら主宰する劇団「キンキン塾」所属で44歳差の女優・任漢香(にん・かんか=28)の自宅マンションを訪れ、数時間を過ごして帰宅する姿をキャッチしている。 任は3年前に「キンキン塾」に入団。愛川が書き下ろした同名小説をもとにメガホンを執った映画「黄昏れて初恋」の主演に抜てきされた。「黄昏れて初恋」は今年のカンヌ国際映画祭にも出品予定の自信作。愛川は自らのホームページで「彼女は華がある女優として、これから大きくなる大輪のつぼみとして、魅力いっぱいの新人女優と思い起用しました」と記している。 スポーツ報知良く分からない話。うつみ宮土理も63歳かあ。ロンパールーム時代は、若かったんだよなあ。そういえば、ゲバゲバ90分とかみてた。みんな、かたっぱしから棺おけに入るわけだから仕方が無い。愛川欽也も、相手が28歳だとテンションあがるんだあ。任って、韓国人なのかな?そういえば高校の同級生に、任っていたっけ。授業中に初体験の話を平気でしているヘンな女の子だったけれど、やはり日本人じゃあないなあと笑いながらみなで目配せした記憶がある。そこえいくと二代目中村雁治郎(昔、扇雀といった)なんか凄いよなあ。平気であの年齢でフライデーにおちんちん激写されちまうんだから。女房が、国土交通大臣だったりするとだれもスキャンダルとも騒がないんだから。76歳で、祇園に愛人いたって誰も驚きもしない。梨園って、さすがにめでたいと思わされるだけ。なにせ人間国宝が、いきなり珍宝をほりだしちゃうんだから国民も笑うしかないよねえ。気まずくなって四代目坂田藤十郎っていうの?歌舞伎役者って、いいなあ。なんでもありだから。
2007年04月18日
コメント(2)

ユニクロ、東レと開発した透けにくい白のパンツを23日発売4月18日8時31分配信 日刊工業新聞 ユニクロは17日、東レと提携後初の共同開発商品となる透けにくい素材の白色衣料「スタイリッシュホワイト」のパンツ2品目を23日発売すると発表した。ユニクロのマーケティングの結果、夏の定番色として白いボトムスに需要があることが分かり、東レの技術力で透けにくい白の布帛(ふはく)素材を開発。ユニクロの仕様で東レが製品化した。当初、20万本の販売を計画している。 両社は「美・健康」「エコロジー」など五つの方向性を軸に73項目にわたるテーマを抽出、具体的な共同素材の開発に着手しており、今回は具現化の第1弾。スタイリッシュホワイトはポリエステル繊維に高濃度セラミックを練り込むことで糸の段階から光を通しにくくした。また、ドライ機能で、汗をかいてもべたつかないなどの特徴がある。 かんべんして欲しいなあ。透けないパンツを開発してくれた途端に、株価急落しているじゃないか。死んだ婆さまが、景気回復には透けたパンツがいいとよく言っていた。せっかく東レの株買い増ししているのだが、下がる一方だ。そちらの宣伝やめて、ボーイングから長期契約とったとか何とかを流してくれって。東レ(株)はこの度、米ボーイング社(Boeing Inc.本社;米国イリノイ州シカゴ)が計画している次世代中型旅客機B7E7(2008年就航予定)一次構造材料向けの炭素繊維複合材料について、同社との間で、本年(2004年)から2021年までの18年間に亘る長期供給に関する基本契約に調印しました。 契約内容は、この期間にボーイング社が当該機種1,500機を生産する前提で炭素繊維プリプレグ を供給するもので、受注額は約3,300億円となります。今回の受注に加えて、現在材料認定作業中の複合材料を加えれば、受注額はさらに大幅に拡大する見込みです。
2007年04月17日
コメント(1)

「テプラ」発明対価、ブラザー社員ら2人に3700万円(読売新聞) 「テプラ」や「ピータッチ」の商品名で知られるラベルライターに関する発明を巡り、電気機械器具製造大手「ブラザー工業」(名古屋市)の社員と元社員の2人が、同社に計約4億円の発明対価を求めた訴訟の判決が18日、東京地裁であった。 市川正巳裁判長は、2人の主張の一部を認め、同社に計約3700万円の支払いを命じた。原告側は控訴する方針。 判決などによると、2人は1986年~88年、ファイルなどの背に張るラベルに印字する装置など4種類の技術を発明した。同社はこれらの発明について特許を出願し、88年に海外向けに「ピータッチ」を販売。また同社とOEM契約(相手先ブランドによる生産)を結んだ他のメーカーも「テプラ」の商品名でラベルライターを売り出し、ヒット商品となった。 読売新聞社みんなキングジムったら、文具メーカーだと思っている。けれどぜんぜんそんなことなくてタダの商社だったんだ。そういうことを記事が伝えている。実は、このことは自分は95年段階で知っていた。理由は、パソコン通信で知り合った仲間たちから。自分が、95年春に出願した特許があって、汎用資材の塗工についての広い範囲の権利を請求していたことから、たちまち知るところとなった。しかし、自分が普通の関西の商圏に依存し、同時に関西の企業環境がおのずと形成する交際人脈で事業化を目論見していたらそんな一次情報に接することはなかっただろう。自分が、ありていに言って既存の関西風流儀のビジネススタイルから排除されている「チンピラ」だったので、パソコン通信というあたらしいメデア潮流に深く依存し、また当時のパソコン通信がそれをおぎなってあまりある質の高い人士を澎湃と養っていたのである。実は、キングジムは消費者が思っているだけでメーカーでもなんでもない。そういう話なのだ。OEMメーカーとは、既存の利権にあぐらをかいた商事行為にすぎない企業のテレ隠しである。しかも、まだおひれがある。いつかオフ会の席でならば御開示できるかもしれない。
2007年04月16日
コメント(0)

最近、理由は分からないのだけれども地元の行政組織の末端で予想外に褒められたり、評価されたりすることが続いていて、「はて?」と首を傾げるような次第である。あれよ、あれよと思うまに、推薦を受けてどこかの企業の社長さんと面会しなければならなくなってしまった。ご当地滋賀の大阪との比較の上でみえてくる地域性の違いを次第に理解しはじめている。どうも、滋賀では現場に近い窓口に比較的単独決済できる人が配置されていて組織を挙げて特定のジャンルの「不良設定問題」をそちらにふるようになっているようだ。不良設定問題とは、以前とりあげたが要するに、われわれ人間は常に事態にはついてゆけず振り回される運命にある。そこで、設定からただちに明快な一義的な解答を導くことができない問題、すなわち不良設定問題を抜群の課題解決力のある特定の人物に振ってしまうらしい。これは実に合理的で、さすがわ滋賀県だと感嘆している。どちらか言うと、意外に大阪などよりも遥かにアメリカ的スタイルという気がした。ただ、一点惜しいと思うのは範疇のつくり方がまだまだ稚拙だという事。つまり、既知の体験を枚挙し、続いて生じる現象をその埒内に納めようと期待する傾向が強いのである。これでは独創と、先取の勝ち上がりをそぐ虞ががある。「勿体無い」と、言うべきだろう。
2007年04月13日
コメント(3)

春色の汽車に乗って 海に連れて行ってよ タバコの匂いのシャツに そっと寄りそうから 何故 知りあった日から 半年過ぎても あなたって 手も握らない I will follow you あなたに付いてゆきたい I will follow you ちょっぴり気が弱いけど 素敵な人だから 心の岸辺に咲いた 赤いスイートピー田中裕子は、妹よりも更に一学年下だろうか。55年生まれは、自分的にはテンションの下がる女が多い。彼女が「北斎漫画」に登場した時から、ガクッと膝が崩れるような印象があったがカトマンズからの帰還時、シンガポール航空の機上で座席のTVモニターから田中裕子がカラオケであの「赤いスイートピー」を歌いだしたのをまのあたりにした瞬間には、座席からすべり落ちそうになった。99年の年末。松田聖子は、自分にはなんともはや怪しくも毒々しい「赤い 曼珠沙華」であって、とりわけこのデビュー8曲目の作品を松任谷由実のメロディーで殿堂入りの名曲に駆け上がっていた時代には、聖子は今まであった誰よりも好きな郷ひろみとガンガンふぉーるいんらぶしていた筈である。どちらか言うと嫌いな松田聖子を、なぜか昨今みな一斉に持ち上げる。その典型が、NHKスペシャル「松田聖子 女性の時代の物語」にみられる手放し絶賛モードである。「恥知らずのメス猫」「みさかい無しの尻軽女」「嘘つきのタヌキ豚」が、いまや生きている神さまになりつつあるらしい。テレビはその告知を圧倒的なボリュームで押し込み、ひとつの確立した「現実」として追認を強いらさせられている。湾岸戦争のあの油まみれのカモメが大嘘だったように、この派手なキャンペーンが大嘘のコンコンチキだということは自分の眼力が狂っていなければ間違いない。「お受験」製作=松竹=角川書店=衛星劇場 配給=松竹1999.07.03 114分 カラー ワイド --------------------------------------------------------------------------------製作総指揮 ................ 大谷信義 角川歴彦 製作 ................ 野村芳樹 プロデューサー ................ 榎本望 渡井敏久 キャスティング協力 ................ 電通キャスティング局 配役 富樫真澄 ................ 矢沢永吉 橘要塾長 ................ 西村雅彦 中村橋夫 ................ 鈴木一真 庄場晴之 ................ 徳井優 千秋みどり ................ 余貴美子 トーマス栗田(友情出演) ................ 永島敏行 聖園小学校校長先生(友情出演) ................ 岸部一徳 聖園小学校教頭先生(友情出演) ................ もたいまさこ 古本監督 ................ 大杉漣 富樫利恵 ................ 田中裕子
2007年04月12日
コメント(0)

ここの所、多忙を極めて寝る時間もタイトという事態にあるが、寸暇を惜しんで参加している各種のボランティア活動では、なかなか面白い世相観察が出来ていて満足だ。二十代からシルバー世代の七十代、八十代まで網羅的に眺めることが可能なところなど、そうそう世間に転がっているとは思えないが地方都市では、結構そういう俯瞰を許す状況も空間もあるのである。はっきり言って、テレビなど観ているより遥かに面白い。ボランティア活動も、愉しいものなのである。同じ目論見を、東京大阪で実行してもまったく浮かび上がる印象も感慨も違ったものになるだろうことは想像できる。大阪から距離を置いて、両親の生まれ育った滋賀に切り込むという発想は、実のところ自分の思いつきに近い退屈しのぎで始めたようなものだったが、案に相違して予想外に収穫できている気がする。かなり特異な個性が集まっているようではあるが、考えてみれば年齢ごとに「おさだまり」の個性がお誂えで揃っていると考えているほうがおかしい。情報化社会だとか、インターネットだ、パソコン検索だとご大層な装置文化が発生してきているが、また事実としてそれらを毎日活用している自分ではあるのだが、そちらの方にはまったく疎遠で生きている人たちの巨大な塊が経済社会の鞍部となって下支えしているという「現実」もきちんとよくみえている。石川島播磨重工の若いにいちゃんがCADで、したり顔で設計した。大田区の熟練職人は、この製品の使用用途には第六勘が働いて、部材強度から大きな事故の可能性を危惧したという。黙っていたわけではない。くりかえし意見具申をしたが、ながい流通は意思の疎通を削ぐ。むしろ製造現場の声を封殺するのが常道。かくして国民だけが蚊帳の外。知らぬが仏という仕儀となった。原子力産業の「公益性」?笑わせるんじゃない。国民に公知させず、秘匿されつづけなければならない産業のどこに公益性が成り立つものか。自分は、過日このように記した。巨大メデアでは、平然と「公共性」を僭称する現世(うつしよ)の祭祀らが大声で捲くし立てているがあやつらは放置するにかぎる。早晩、馬鹿でなければなにがもっとも脅威であり、それを回避する力量が社会のどこに所在するのかに気づくというものだ。実は、昨晩大阪のリクルート会社から電話があった。なんと一昨年にある特殊なマーケットについての調査レポートを書いた人間をクライアントが捜しているというのだ。そのリクルート会社の担当者は、早々と辞めていて他社に転職している。その担当者が、レポートの外注に出したのが、ほかならぬ私だったのである。そのクライアントは、ばかな奴だった。窓口で自分の調べ上げたレポートを黙殺して、どこかの大学生あたりに適当なご都合主義のレポートを書かせてそちらを採用したものらしい。今頃になって、そのクライアント内部でレポートが「プロの仕事だ」の、「的確に当社を取り巻く環境を描写している」だのと騒ぎだした。あわてたリクルート会社が、当時のレポートのオリジナルをあげた自分を捜して辿りついたそうだ。どうやら一度、財政的危機に遭遇するほどの事態にあったらしい。当然だろう。市場を直視せずに、自分の脳みその紡ぎだす無意味なファンタジーと寝ていたのだ。ハズすのは当然である。
2007年04月11日
コメント(1)

去年は、武富士で愉しんだ。なぜか、武富士を買うたびに1000円近く値上がりした。わたしが売ると下がる。買うと上がるが続いた。また愉しんでみたいが、今年はなぜか東レが可愛くみえる。実は、昨日の晩寝る前に突然東レが欲しくなった。初手からそれほど沢山買おうと思っていない。下がればまた買いたそうぐらいの気分である。なんと本日のザラバ最安値848円、10時51分約定である。これがあの「逆指値注文」のありがたいところ。ざっとみたところこの価格で購入できたのは自分を含めて10指にみたない程度のようだ。事実、現在値は853円。それでも昨日より7円安なのである。仕事中にもサクサクとお仕事をしてくれていた。個人的には、東レは年内中に1100円と読んでいる。まだまだ安くなれば買うつもりだ。
2007年04月10日
コメント(0)

外務省では、東大法学部を中退した外交官が一番えらいのだと聞いた。仕事先で、とくとくと説明してくれる人がいた。嘘のようだが、本当だという。駐イスラエル大使、外務事務次官などを歴任している(いかにも焦臭い)川島裕。いまは宮内庁式部官長だったか。東大法学部中退といっても、高卒ではないが卒業しちゃうと艶がない。もっともえらいのは東大3年目に、外交官試験をうけてトップで受かり外務省入りする。そんな離れワザをこなせるのは、一族に6人も外交官がいるという血族のかため。ようするにエリートに生まれて育ったということを示す絶好の顕示のありかたなのだろう。反国民的な趣味というべきだろう。
2007年04月06日
コメント(2)

生まれ育った街は、気がついたらすでにアスファルトだった。赤土の地面というのは、皆無。ごたぶんにもれず年中道路工事が続いていたけれど、その底になにかがあるという想像を馳せたことは一度も無かったと思う。たまたま手に入れた、大阪の遺構発掘図であの地下が古代往来の賑わいを示唆する遺物に満ち充ちていたらしいと気づき案外油断ならないものだと分かった。国土は、少し地面を掘削しただけでステイツ、でもネイションでもない。ただのランドだというあたりまで辿りつく。ようするにわれわれの脳が、どこまで足元の下を読み解きできるのかということなのだろう。
2007年04月05日
コメント(2)

昔から不思議に思ってきた。新聞や雑誌に、「日本の外交は・・・」とそのレベルの低さをくりかえし読んだ。しかし30年たっても、40年たってもその論調が変わらない。東郷和彦など、外交官のビッグネームだがWEBを浚えても画像もまともに出てこない。東郷 和彦(とうごう かずひこ、1945年 - )は日本の外交官である。元外務省欧亜局長・元駐オランダ大使。祖父の東郷茂徳、父の東郷文彦とともに親子三代で外交官を務めた。元ワシントンポスト記者の東郷茂彦は双子の兄にあたる。日比谷高校を経て、1968年、東京大学教養学部を卒業、外務省に入省。駐ロシア公使・条約局長・欧亜局長・駐オランダ大使などを歴任。まあ、諦めの境地というのが国民の日常というものだが、歌舞伎役者並みである。この祖父の東郷茂徳は、不本意ながらA級戦犯として獄死しているあの有名人だ。実のところ、東郷茂徳は太平洋戦争を回避するために奔走したと伝えられている。アメリカとの宣戦布告は、東郷茂徳が外務省として打電させワシントンの日本大使館がこれをサボってアメリカ政府に渡すのを遅らせた。これがあの「奇襲攻撃」の舞台裏として繰りかえし取り上げられている。つまりは、ワシントンにいた奥村勝蔵一等書記官や、井口貞夫参事官らが、アメリカにたっぷりと浸かりこんでいた。こいつらも、あの正力松太郎読売新聞社主と同様アメリカのCIAから暗号名を貰っていた可能性もおおいにあると思うのだけれども、のちに外務事務次官とトップに登りつめている。このアメリカの手先のような、奥村勝蔵や井口貞夫らの不本意な「奇襲攻撃」を生ぜしめたとんでもないパーティーオタクらの証拠をもみ消して事務次官にまで庇護し続けたのは吉田茂だという噂だ。なるほど吉田茂は、外務官僚OBである。一説によると、東郷茂徳は吉田茂らの画策で東京軍事裁判で戦犯に追い込まれて獄死を余儀なくされたという風聞もある。つまり、日本の外交は戦後どころか、戦前からアメリカ盲従派の外務省支配に貫かれているふしがありそうだ。
2007年04月04日
コメント(4)

大嫌いなソニーだが、面白いものを出した。myloというのだそうだ。スカイプが現れたときに、たまゆら1/f氏とたまげたものだ。あけぼの次郎が、たまげて「たまゆら1/f」になっちまったのもスカイプのせいもあったのだろうか。スカイプは、メッセンジャーよりも遥かに音質がいいと思われた。意外に普及は地味だが、着実にシンパは増えていると思う。もしライブドアが、堀江の一連のど鈍い事件にまみれなかったらばスカイプはもっと面白くなっていたかもしれない。しかし、そんな矢先にミロの発表だ。これは企業や、小規模組織でのIP電話、携帯電話使用を駆逐する潜在力があると思う。事と次第では、家庭や学校の様相を一変させる可能性だってあるかもしれない。しかし、パソコンを買ってやってもスカイプを教えてやっても一向に連絡をしてこないわが娘にはつける薬はなさそうだ。汗
2007年04月03日
コメント(0)

95年に大事故を起こして、日本民族滅亡の危機をもたらしたことで有名な「もんじゅ」である。あれは、ほんとうに我々の終末の立役者になる可能性があると、脳裏をかすめた80年代。友人と至近距離まで観察に出向いた。自分のクルマの周りには誰もいる気配がなかった。しかし95年の事故以後、さすがに無防備で放置できるようなシロモノではないとの認知が広まったのだろう。海上保安庁も、陸上自衛隊もようやく「国家安全保障」上の巨大リスクだという事実を直視しだしたような気がする。しかし、この怪しく危険なプラントがおなじみの談合体質で世に輩出しているあいだは我々はやはり夜機嫌よく寝ついていられるのも何時までかという気がしてしまう。ご存知のとうり、このプラントの下にも巨大地震を招きかねない活断層が横たわっている。これの危なさはプルトニウムの怖さをしっている人たちから、特筆もので語られているので皆さんご承知のことかと思う。なぜ談合体質かというと、原子炉は三菱重工が担当して肝心のナトリウム漏れを起こしたのが石川島播磨重工(東芝系)だということに端的にあらわれているではないか。みなさん、ごぞんじ「大企業寄せ集め体質」のことを、共同プロジェクトと美しく語るお約束。JV(ジョイントベンチャー)とは、利益たらいまわしの合意なのだけれども、この日本的な予定調和が、どっこい通用しない。卑屈な国民がいつも睥睨するばかりの日の丸ニッポンであるが、そんな国策都合のご事情など一切斟酌せず、けしてひれ伏したりしないのが原子核のエネルギーという「物理」なのである。自分が大学生時代に、原子力船「むつ」というのが放射能漏れ事故を起こした。さながら「ひょっこりひょうたん島」同然。日本中の港を延々漂流し続けるという酷い話があった。74年のおはなし。いたって情けない話なのだけれども、船を作ったのが石川島播磨重工で原子炉側にまわったのが三菱重工だった。日本の大企業が連携して、ポーカーゲームしながら談合で利益を融通しあっているのだ。これで事故が起きないのがむしろ不思議だろう。
2007年04月02日
コメント(1)

ぜにのないやつぁ俺んとこへ来い俺もないけど 心配すんなみろよ 青い空 白い雲そのうちなんとかなるだろう 青島幸男作詞カネがないならば儲ければいい。なければ無いでなんとかなる事も多いものだ。まわりが貧しい時代には、カネがないことを危惧することもさほどなかった気がする。しかし、そんな駘蕩とした時代にあれが続々つくられていた。私は、実は一度も反原発運動の隊伍に参加したことはない。しかし、原子力発電という巨大システムとそれを取り巻く状況からは実に多くを学んだという気がする。あれらはやはり呪われたプラントだと思っている。われわれが、これほど正体を見抜いてすら親米ポチらの失墜を勝ち得ることがかなわぬ理由のひとつには、やはりあの巨大プラントが担保していると思わずにいられない。巨大プラントは、その存在そのものがひとつの不公正の根源にあるといわれて久しい。しかし、それ以上に原子力発電というプラントの「呪い」は、深いのである。いまや時代は、確実に原子力忌避に向かっている。しかし、忌避だけでは絶対に原子力施設は滅殺させることは出来ないだろう。廃炉など、掛け声だけでも大事になるに違いない。原子力など、いまや果たして科学技術と呼ぶに値するのだろうか、とすら疑問視するほどの内容だ。なぜ、そのような事が起きてしまったのかというと原子力施設はもともと基盤となる産業ベースになる技術的な深耕が前提にあって集約度を高めたシステムではなかった。これが、決定的なのだと言う気がする。つまり、原子力施設はどう考えてもあの核開発、つまり軍事目的でなされた原子爆弾開発の起源に徹頭徹尾影響下にあって、いまなおそれを外れることが不可能なのだ。都市の巨大規模の破壊、人倫の暴虐を主たる目的として短慮に実現したきわめて単純な目的限定の技術だったものを、どうにかして社会化を実現できないかという「取り繕い」からおよそ産業には必須である社会的な使命から逸脱しているのである。大方の予想とは違い、むしろ金融資本、産業資本、商業資本のいずれも経済社会の内部ではこれらタチの悪い巨大プラントからは、むしろ慎重に距離を置こうと腐心していた。これは実態に近いと思う。ところが、いずこの国でも政治主導、どちらかいうと国家に憑依した軍事的政治的な意思が介在しつつ強引に舵取りがなされたものだ。具体的に、われわれの個々の生涯における実体験(実存レベル)で感受してみればわかる。上から押しつけ、歪にひずんだ「開発の現場」。すなわちおよそ合理性、妥当性を欠落させた開発がおのずともたらす欠陥が、そのまま巨大災害に直結する。これはもはや確信に近い。あの思い出すだに空怖ろしい「もんじゅ」ナトリウム流出事故をあえて回想して貰いたい。石川島播磨重工の若いにいちゃんがCADで、したり顔で設計した。大田区の熟練職人は、この製品の使用用途には第六勘が働いて、部材強度から大きな事故の可能性を危惧したという。黙っていたわけではない。くりかえし意見具申をしたが、ながい流通は意思の疎通を削ぐ。むしろ製造現場の声を封殺するのが常道。かくして国民だけが蚊帳の外。知らぬが仏という仕儀となった。原子力産業の「公益性」?笑わせるんじゃない。国民に公知させず、秘匿されつづけなければならない産業のどこに公益性が成り立つものか。
2007年04月01日
コメント(3)
全25件 (25件中 1-25件目)
1