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シャルドネ。さんは自分のことを「鈍い」という認識をしておられますが、霊的には「強い」のであって、他者から影響を受けない、他者に影響を与えているということです。この前ラジオで「絶倫コアラ」のことが話題になっていましたが、これからはコアラのイメージ、大幅に変更されそうです。(笑)Re:季節の無い街に生まれ。(02/24) 杉山巡さん(2007/02/25 06:28:58 AM)玖保キリコの挿絵で有名な「動物占い」によると、自分は<コアラ中のコアラ>だとか。あれは四柱推命の翻案だと聞いたが、実のところどうなのだろう。亞さんが読んでたら何か教えて貰えるのだろうか。いずれにせよ、絶倫とは縁もゆかりもない速射砲みたいなものだ。ところで、「鈍い」というネガティブな徳目を「霊的ななにか」と結びつけて考えたことは今まで無かった。杉山先生のご指摘で、その辺を考えているのだけれど、どうも分からない。鈍いのは、所詮鈍いのではないかという気がしてしまう。意思が強すぎて頑固になりがちです。自分本位の姿勢は努めて慎みましょう。自分ではなかなか気付かないものです。理不尽な周囲の反発を感じたらよく振り返ってみることです。私は大丈夫と高を括っているあなたが一番危ないかも。ただし、あなたの周囲への影響力は強いので、考え次第では自分の思い通りに物事が運びます。焦らずじっくり判断することです。四柱推命から送られてくるメールマガジンが、今日の運勢だと言って来る。こういう状態は、ビジネスの経験などからでは良し悪しだ。短期的にはともかく、長期的にはロクなことをもたらさない。たとえば滋賀で、栗東市だ。栗東には、全国的に有名な栗東トレーニングセンターがある。あの中央競馬会、JRAが誘致合戦の果てに栗東へやってきた。当時、この誘致に成功をした栗東市長は、得意満面であった。ところが、その後滋賀県南部の広域流通に栗東市は、ことごとく協調性を失う。滋賀をクルマで走ればすぐに分かる。名神栗東周辺の道路事情の悪さ、都市設計上の陳腐さと時代遅れ感が如実だ。草津や野洲、大津側がどれほど整備がされていても、栗東側の遅れが足をひっぱっている。その起源は、栗東トレセンの誘致に成功した結果の理不尽な周辺都市に対する翻弄が、この情けない結果をもたらしたと言ってよいだろう。トレセンがもたらす中央競馬会のテラ銭が、市に潤沢な財源として流入。他の町村の活性化や経済発展に耳を傾けなくなったのだ。 昨今、そこに俄かに話題提供している感があるあの新幹線新駅建築騒動だ。そんなこんなで、実行されたデタラメな土地取引。わざわざ所有者から廉価で調達できる地所を、市側の内通者とつるんだ不動産業者を経由して高値で購入するなど、天を恐れぬ不届きなふるまい。ここまでくると「鈍い」を通りこして傲岸不遜というしかない。
2007年02月28日
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↑クリックからJTの缶コーヒー、RootsのCMはあれは一体なんなのだろう。要するに受ければいいという仕儀のCMも、いよいよここのところ意味不明で美術監督の脳みそに無理やり消費者が連行されるみたいなのがいま、やたらに氾濫していて気味が悪い。知らないうちに鼻歌になってしまったりするので始末に悪い。実は、JTの缶コーヒーはおろか、UCCもサントリーもともども缶コーヒーは飲まないことにしている。職場で、缶コーヒーを飲んでいる40代以下がどうしても人間的に信用できない。理屈ではなく、直感的なものだ。↑クリックから↑クリックから
2007年02月27日
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レーガン政権(1980-87)は冷戦を終わらせ、次のパパブッシュ政権は(88-91)は、ドイツ統合やEU統合を推進した。この2つの共和党政権が行った多極化に対し、次のクリントン政権(92-00年)は、旧東側も含めた全体が市場化された冷戦後の世界で、米英が「市場の中心」になるという「経済グローバリゼーション」を推進した。 これは、証券、金、石油、穀物などの相場商品について、世界の主要な市場は必ずアメリカ(ニューヨーク、シカゴ)とイギリス(ロンドン)にあるという「市場の米英中心主義」である。国際金融の儲けの多くが米英に入る仕掛けになっており、これで資本家も満足して多極主義の推進を控えると、米英中心主義者は考えたのだろう。 クリントン政権の戦略は、世界経済の発展の中心が、先進国から旧東側諸国など発展途上国に移ることを是認した上で、発展途上国の方が儲かるようになっても、その儲けの一部が市場を通じて米英の側に転がり込むようにするという「ピンはね」の作戦である。 地球温暖化問題も、このピンはね作戦の一つである。発展途上国は、これから工業化して発展する際に二酸化炭素を多く排出する。先進国は、すでに産業の中心がサービスや金融、ハイテクなど、二酸化炭素の排出が比較的少ない産業になっているし、省エネ技術も進んでいる。温暖化対策として二酸化炭素の排出が世界的に規制され、排出が多い途上国は、排出が少ない先進国に金を払って排出権を買う必要がある。日本や欧州は、ハイテク技術を途上国に売って儲けることもできる。発展途上国は、先進国から新たな税金を取り立てられるようなものである。 人間は、カネが絡むと必死になり、何でもやる。ゴアやブレアが米英のナショナリストだとしたら、途上国から新たな税金を取り立てるために地球温暖化問題を誇張するのは当然だし、誇張や歪曲は、愛国心に基づいた作戦として正当化できる。昨今、インターネット利用者のあいだでもロイターや共同通信以上に信奉者の多い田中宇だが、その予想が当たらないのでも有名だ。しかし、彼の冷静かつ緻密な告知姿勢は、かねてから傾聴に値すると注視してきた。先日も述べたが、地球温暖化=炭酸ガス主犯説そのものが怪しい。怪しい。きわめて怪しい謀略的なものだ。昨今の環境屋のように、無邪気に既出の炭酸ガス温暖化主犯説にくみせず地球温暖化仮説をはめて「一丁上がり」のコンテンツを垂れ流さない姿勢は好ましい。ハリウッド映画に、渡辺謙が受賞しようが菊地凛子なる女性がヘアーヌードになろうが所詮は「ユダヤ資本」のプロパガンダ、その手先になること。そんな謀略宣伝に加担することの一体何が名誉なのか私には理解を絶する。せいぜい、ハリウッド映画資本の仕事をこわけして貰いうけ飯を喰っている手合いが歓迎し、無邪気なミーハーが喝采しているだけだろう。田中宇は、冷静にそれを突いている。見識ある言動だと思う。地球温暖化のエセ科学 2007年2月20日 田中 宇
2007年02月27日
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子どもをゆりかごに入れた親は保護責任者遺棄罪に問われないのか。筑波大学の土本武司名誉教授(刑法)は「赤ちゃんが生存するために適切な措置をする病院に置いてくるので、通常、発見されないような山に捨てるなどとは違い、同罪には当たらないと考えられる」。 その上で「今回の設置が法的に認められ、全国の病院にゆりかごができたら、苦労しても育てるという通常あるべき力を放棄してしまう可能性がある」と懸念も示す。こちらは熊本の無名のノータリンと違い、少しは知名度がある土本だがくだらないことを「懸念」する奴だとつくづく嘆息だ。ご存知ない方に、解説すると土本武司は、元検察官だ。1960年 検事任官 東京地方検察庁検事 東京高等検察庁検事 法務総合研究所研修第三部長 最高検察庁検事 1988年 筑波大学教授 筑波大学社会学類長 筑波大学名誉教授 ライデン大学客員教授 ユトレヒト大学客員教授 帝京大学法学部教授 白鴎大学法科大学院教授、帝京大学客員教授 各種報道や刊行物から考えての話、いまの日本の検察官はみな例外なく「税金泥棒」だ。調査費などと称して国民の税金を永年にわたり常態的に詐取して、飲食や不純な異性交遊の支出にあてしめてきた。最高検察庁検事などというのは、そんな検察組織の反国民的な性格にもっとも重責であり、かつ驀進していた張本人であることは間違いない。あの三井環元大阪高検公安部長などの指摘では、時の検事総長や法務大臣に至るまでこの詐欺犯同然の低劣な権力犯罪に関与していると考えるしかない。土本は、そのこともあろうに日本の検察権力のスポークスマンとしてマスコミなどへ頻出している。その程度の人物だ。かつて司法試験を現役大学生時代に合格するという、特筆すべき秀才だったとしても、法務行政職の上級監督職能者であるという以上の意味があるとは到底思えない。いってみれば、せいぜい「日本の検察組織を、まっとうな国民と社会に寄与貢献する営為へ誘導する苦労にも育てる努力も放棄してきた」というような手合いでしかない男。なにを偉そうに国民の育児や子育て姿勢にコメントを放っているのだ。自分の職場の浄化もできなかったロートルの検察OBが、国民経済や社会規範に向けて識者顔してえらそうな口を叩くなというものだ。今回、自衛隊のイラク派兵に反対して、その旨のビラを立川駐屯地の自衛隊宿舎にチラシをポスト投函したことで住居不法侵入によって逮捕、拘留、起訴されて、一審判決で無罪が言い渡された「立川反戦ビラ訴訟」について特集していた。ビラを投函してから40日以上過ぎていきなり3人を一挙に逮捕し、必要性があるとはとても思えないが実に75日も拘留し、日6-8時間の取り調べ、1人150万円の保釈金(庶民には極めて大きな金額である)でようやく保釈されたというたいへんひどいケースである。自由な市民社会を弾圧するために意図的に行われた極めて問題の立件であった。 欧州各国はもちろんのこと、あの米国でさえチラシ配り(Leaf letting)は最大級の保護を受ける精神的自由権の一つ。表現の自由、思想信条の自由、政治的活動の自由など多くを含む極めて重要な市民社会で保護された行動様式であり、道路の使用許可がいるデモ行進や、拡声器を使っての街頭演説よりもさらに保護の度合いが強い。しかも、ドミノピザや宅配寿司、粗大ゴミの片づけ、果ては住友不動産や三井のリハウスに至るまで、この種のチラシはだれでも当たり前のようにポスト投函配布を行っている。それで取り締まりを受けたということは聞いたことがない。風俗産業についてのピンクチラシは全く話が別である。 今回は、この投函先となったアパートの住民である自衛隊でさえ、同じように隊員募集のチラシを配布しており、それが公判段階で裁判官の前に提出され、なぜ平和運動のチラシだけが立件されるのかと指摘された。裁判官もさすがにこれが異常な立件だと言うことを指摘するリーガルマインドと司法的良心は持っていたようで、無罪判決を出したのであるが、何と検察は控訴した。恥の上塗りもいいところである。これでさらにまた3人の人たちは経済的にも極めてしんどい暮らしを余儀なくされる。 私はもうこれは完璧に政治弾圧だと思うが、これについて土本が番組内でとんちんかんなことを言っていたのでご紹介しておきたい。彼も今回の逮捕そのものには疑問を呈していた。たかがこれほどのもので逮捕するなどということは行き過ぎで、こういうことはやってはいけないのだよということを本人達に伝えて諭す程度で良かったのではないかとコメントしている。果たしていちいち捜査刑事が「諭す」必要性すらあったのか、大いに異論があるが、とりあえずそこまでは良い。土本にしては珍しくまともなことを言っているなと思ったくらいである。 ところが、土本は今回75日前に出された無罪判決については問題ありだというのである。ひとたび起訴した以上はやはり必ず有罪に持っていくべきであり、裁判官は有罪判決を出すべきだったという。そうしたからといってこれで全国の警察が同様のケースについてあちらこちらで取り締まりを始めるということは 「全く考えられませんし、・・・」 言論の自由が制約されるとも思わないとコメントしていた。逮捕の必要性すら疑問だったというのに、それを起訴した以上は絶対有罪にすべきだというのは何を言っているのだろうか??? 土本は頭がどうかしている。その「全く考えられません」ことを警視庁がやったのだから、それに対して人権の最後の砦、憲法の番人、立憲主義の擁護者たる司法府の裁判官が正面からそれを否定して無罪と判ずることこそが三権分立というものである。 ただでさえ現在、検察が今回のできごとで逮捕したこと、しかも今なお控訴していることで全国的にチラシ配布の行動は大きく萎縮し、制約されている。もちろん、3人が受けている経済的、物理的、精神的打撃と人権侵害は著しいものである。こういうニュースを聞いて「Chilling effect」とはまさにこのことを言うのだと大学時代の憲法論人権編を思い出した。「ぞっとして凍りつくような恐怖感による萎縮効果」ということ。岩波書店の芦部信喜「憲法」で読んだ法学部生も多いはずだ。
2007年02月26日
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では、ゆりかごに収容された後の赤ちゃんの法的位置付けはどうなるのか。 熊本県子ども家庭福祉室によると、現行法では「捨て子」の場合、発見者が警察などを通じて二十四時間以内に市町村長に連絡。同時に児童相談所に通告する。市町村長は二週間以内に赤ちゃんの名前をつけて戸籍をつくる。児相は乳児院などへの入所措置を決める。 また、母親が判明した場合でも、児相が乳児の状況や家庭環境などを踏まえて、乳児院など施設入所の措置をとるのが多いという。 吉田勝也・同室長は「置いていった母親が保護責任者遺棄罪に問われないのか、という問題もある」と話す。その上で「効果や是非については何とも言えない。推移を見守りたい」。吉田勝也というのは、県の職員なのだろうか。熊本県子ども家庭福祉室とある。面白いことを言う男が、いるものだ。子供を病院が、善意で預かるというのは保護措置だろう。保護措置が、保護責任遺棄罪幇助にあたるといいたいらしい。アホ。いや、昨今めずらしくないアホだ。顔がみたい。そうとうなものだな。人間の生き死には緊急避難に決まっている。母親が、保護責任遺棄だの放棄だのシャラクサイ。保護責任がまっとうできないから、保護措置にすがるのだ。保護措置のどこが罪になるというのだ。そういう馬鹿な判決を出しかねない日本の裁判制度を踏まえているのだろうが、行政職の吉田がアホな日本の裁判官に協調し、あたかも同伴するような論旨を述べるに至っては呆れてものが言えない。こういう折々のアホは、豆腐の角で頭をうって逝って良いよってものさ。むかしは、こんなもの制度にしなくても社会が健常だったので市民感覚、町民、村民感覚の裁量の中で粛々と対処されてきた。隣国の中国に、日本の残留孤児がどれほどたくさんいたか記憶をされていないのだろうか。あれらは、みな日本の開拓民らがさっさと責任を放棄して逃げ出した日本軍の犠牲になり、最愛のわが子をかの地において「保護責任遺棄」を強いられた。それを中国人社会が、まずまず受け入れて育ててくれていたわけだ。個々の孤児からすれば、ほかに選択肢のない生存権に直結する。そんなものを行政側の都合やメンツで、こしゃくな罪状をひきあいにして制度的な不備をいいつのるような内容か。まず、われわれの社会の実定法などせいぜい数百年の歴史年限しかない。まあ、よくて数千年だろう。われわれ人類の生命とその尊厳は、文字にする遥か有史以前から存在するのは人としての共通感覚だろう。えらそうに、行政職面するのならば日本中の青テント、行政が遺棄しっぱなしの都市棄民はどうなんだ。野垂れ死にを平然と看過するつもりか。生きている人間を遺棄するのが行政職というセンスは、通底しているものだな。98年以後年間3万人を越える気が遠くなるような自殺者の群れを少しは救ってからモノを言え。
2007年02月26日
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90年代前半に日本の中小企業庁キャリアだった連中、具体的には東大法学部出身の係長クラスがどこへ雲がくれしたやらは知らないが、彼らが「敵前逃亡」して涼しい顔をしている理由が分からない。当時、新規事業法だの創造的活動を促進するだのの謳い文句がすべて国民に向けての詐欺行為同然の仕儀であったことは、このグラフひとつをみていても痛感するところだ。当時、20代後半。いまならば40歳そこそこになっているのだろうか。パソコン通信時代に、怪気炎だったが、その後この国の製造業がどうなっている?釣瓶落としではないか。まあいい、彼らとて当時弱冠20代で良かれと思い懸命に頑張ったのだ。このシャルドネに、まともにとりあってパソコン通信でメール交換までして意見を求める姿勢があった。その理由は、やはりこの社会を何とかしたいという思いからだったのだろう。それは認めてあげなくてはならない。だが、結果は彼らのやりっぱなしに対応して見事な顛末を示している。この国の国力基盤である製造業そのものに、最終的に法学部秀才が責任を取ろうということが土台間違っているのだ。391万人の「失職」は、実はテレビで騒がれているいかなる大事件よりも大きな禍根をこの国にもたらすことだろう。 いまの安倍政権、続くネクスト保守政権は、これまで同様に舵取りを必ず失敗すると私は思う。となれば、製造業就業人口は、軽く1000万人を切る。これは、私が行うカルト的な株価予測よりも遥かに確度が高い。工業立国ニッポンの内部空洞化の量的指標として、もっとも素朴体感レベルなものと合致する。ようするに工業立国とは、照れ隠しにも届かない大嘘となりつつあるのである。以前から、この日記では繰りかえし巨大災害の可能性を予言してきた。 あのJR尼崎の電車転覆事故についても、その2005年4月の1ヶ月のこの日記をお暇な折にじっくりと再読いただきたい。その中でももっとも中心になる呼びかけはこの桜井淳氏についての論評だったと記憶する。(桜井淳氏は、その後もっぱらその当人の発言について人格的陶冶が欠落しているとWEB上で痛烈に指弾されてサイトが閉鎖しているようだが、自己顕示欲の赴くまま多少本当のことを言い過ぎるキライは、80年代以前から顕著だった。すべての言説を封じ込めるのは、少々勿体無い気がしないでもない。)日本での超絶規模な巨大災害の可能性は、刻々近づいていると私は感じる。 2005/04/26市民的危機無関心 実は、彼の20年前からの論旨に基調をなしているものは先の日本航空のトラブルや今回のJR西日本などの40年ぶりの大災害などが多発し始める時期には産業界などにおける状況的なものが必ず背後にあって日本のような先進工業国のシステム運用の地力低下として、その巨大システム運用についての技量を総合的に吟味判定を行なってゆく必要があるという技術評論家と併走する文明批評家的視点からの危機感があるものらしい。たまたま昨日の日記「おっぱいの悲哀」以降 で、チェルノブイリ原発災害の悲惨さを背景に話題を始めようと思っていた矢先に懐かしい桜井淳氏の顔がテレビに登場し、よりによって彼の過去一貫して危惧していたようなまさかの鉄道脱線事故というようなありうべからざる大災害についてのコメントで遭遇するとは内心ヒヤリとよぎるものがある。
2007年02月26日
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マリージョーさんに教えられた。あの渡辺淳一 が書いている本らしい。なら、ブックオフで100円になるまで買わないだろうと思う。しかし、奇遇だ。杉山巡氏から、霊的に強いとかなんとか言われているが、要するに周りがみえないというイメージではないか。それならば、他者に強いとは思わないけれど周囲に影響は与えている可能性はあると思いますね。さかさまに考えてみると教祖などといわれる人の中には、俊敏とは反対極の人も多そうです。たとえば、親鸞なんてスゴイですね。息子まで義絶しちまうというような頑固さ。およそ信仰生活者といわれるような人たちも、ちょっと鈍いところがありそうです。
2007年02月25日
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おやおや、桜井淳が叩き出されたみたい。WEB上で、aquarianと称する人物が桜井淳氏の旧知だったらしい。知人として当事者同士の内側から桜井淳の急所めがけて干戈を交えた様子。その集約が以下の「言い過ぎだよ、桜井淳」というログに求められるようだ。おお、ついに知人側から撃墜されちまったのか。2006/12/31言い過ぎだよ、桜井淳第3パラグラフについて、多少経緯を耳にしている。明かしてもいいだろう。電力界、原子力産業界は、当時原発安全問題について、いわゆる反原発派の論客に悩まされていた。広瀬隆、高木仁三郎などである。原研などにいる安全問題専門家が対応したが、しょせん原発推進派とのレッテルを貼られていて、旗色が悪い。反原発でもなく、推進の色も付いていない、いうなれば中立の評論家を育てて、毒の強い反原発派の論客に対抗させよう。森一久はそのように考え、すでに頭角を現しつつあった桜井を使おうとしたようだ。マスコミも、反原発論者のあまりに旗色のはっきりしたコメントよりましと、桜井を便利に使いはじめた。彼もその流れにうまく乗って、原子力界にとって比較的無難な役割を演じてきた。そんな流れで今日まで来ている。 彼自身から聞いた話だが、電力会社は事故・トラブルがあると、幹部クラスが技術の専門家を連れて、いち早く彼の自宅に直行してくるそうだ。マスコミが彼のコメントを求めに来る前に、電力側の言い分を彼の耳に入れておこうというわけだ。あるいは彼を事故現場に招き、現場を見せる。こんな関係が、電力会社と彼との間にあるようだ。それをどう判断するか、読者におまかせしよう。 私がここで特に問題としたいのは、引用した彼の文面の第1パラグラフである。私は、彼が組織の中で、どのような立場にあったかをかなり知っている。その私の目からすれば、「日本でも代表的な巨大科学を推進する日本原子力研究所に就職し、10年弱、研究論文を書く過程を通し、組織のメカニズムだけでなく、監督官庁・大学・主要企業との相互作用メカニズム、さらに、欧米の政府機関・大学・研究機関・企業とのメカニズムも把握いたしました。」とは、いくら何でも書きすぎだろう、といいたい。私は彼の直接の上司だったことはなかったと記憶するが、ある程度の事情は知っている。私がその組織にいた時期に、彼は「研究員」だったことはない(その後、そのようになったのかもしれない。それが彼の書く「10年弱」だろうか)。研究所だから、研究員という職能的な身分は明確である。彼は別の職種で雇用されていた。そのような職種を、研究員と差別し、見下していっているのではない。それはそれで重要な役目を担っている。ただ職能は明らかに違うのだ。したがって、彼が研究グループのリーダーであったり、上位の責任ある立場にあったこともない。彼が組織内で重要な企画を提案したり、決定に関与したことはないだろう。また組織の立場で、監督官庁や主要企業と対したことも、おそらく一度もないだろう。ここで、書かれていることは87年頃にダイヤモンド社主宰で対談を実行した際に撮影されたビデオを見ながら当時、印象したことと重なる。これほど懇切丁寧に開示されなくても市井の市民だって、それほど間抜けというわけではないので桜井淳の発言には相当彼固有のと言って良いのか、御多分に漏れずというのかコンプレックス臭が濃厚だったのは見逃してはいない。当然、彼が当時の講演の席でぶつけられた広瀬隆らが相当強敵だったのは間違いない。原子力界が「桜井を便利に使いはじめた」のだろうという件も、「彼もその流れにうまく乗って、原子力界にとって比較的無難な役割を演じてきた」というのも、ダイアモンド社のVHS一巻をみているだけでも、ほぼ何人にも見抜けるところだったと思う。ただ、世間的には桜井淳はあのJR尼崎の列車転覆事故でふたたび妙に御座敷が増えてしまった。彼は、期せずして浮上した出番につい80年代の御座敷芸を多用し過ぎたのだろう。なにせ市民的無関心は、あの時代よりも一層深化している。警鐘を乱打したぐらいで世の中が、動くような事態には既になくなってきているようだ。
2007年02月25日
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親父は、晩年に億の規模の財テクやらかしていたかもしれないが息子の自分には関係のない話で、冷蔵庫をみても使い忘れた豆腐が一丁。ジャスコの火曜日特売で、売れ残りを買ったままになっているキノコが、2つほどあるだけだ。キノコには、長野県産の信州ひら茸とか書いてあった。もうひとつは、まい茸かなんかだろうか。どちらも、赤いシールで50円とか貼ってあったから無造作に購入した。とりあえず、なにか腹にほりこまないといけない。そこで、ひらめいたのが30ぐらいの時につきあっていた女性のお母さんが言っていた、豆腐のステーキとやらだ。豆腐のステーキって、なんだろうと永年気がかりだった。この際、実験と検索でトライしてやろう。25年ぶりのチャレンジに、悪戯気が湧いてきた。さっそく、豆腐をフライパンで焼く。下地に塩コショウ。パンには、ゴマ油で、少しバターも落とした。まあ、料理趣向というよりも冷蔵庫の残り物活用作戦だから。裏返して、上には七味をふる。赤々と50円のシールがはってあるキノコをこまかに刻んで焼きあがりつつある豆腐の上にこんもり盛り上げて。昆布だし系醤油と日本酒と、すこしみりんをぶっかけて。まあ、いつもの手筋だわな。それと、このあいだフライ麺についていた出汁入り片栗粉のパックがあったので、これを水で溶いて程よいところで垂らしてやる。冷蔵庫に、このあいだつくった豆ご飯の凍らしてあったのを電子レンジで戻してと。まあ、旨いもんだなあ。腹減っているとなんでも機嫌よく食えるものだ。
2007年02月25日
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親父が、損をしたか儲けたかは別にして昨年売り払った株式、投資信託、CB、外債の規模は妹が驚くほどのものだった。自分は、財務担当者から薄々株式運用の規模を耳にしたことがあったので、漠然と桁を読んでいたが実勢では一桁上だった。母親や、妹からすれば株式は「我が家のご法度」だった筈なのに、まさかの株式運用だというような気分があるのかもしれない。なにせ昔、株式で大損をしている。滋賀の出身校の先輩に買い付けをコンサルティングされて買ったもの。確か昭和三十年代のこと。杉山巡氏の日記によくおみえの、くれどさんのご指摘では田中清玄が絡んでいたそうな。あの丸善石油株である。この時に、大損をして以来実家では一切株式には手を出していなかった筈だった。まあ、そんな約束など家族に対して実行する理由もなく、財テクとして株式や、投資信託をやっていても別に自分はとがめだてすることもないし、本人もそんな必要をまったく感じていなかっただろう。問題は、その買い物だ。こちらは、親父が死んでようやく法的資格が発生したのでその内容をつぶさに検証できるようになった。しかし、その詳細な内容をみて、どうかんがえてもプロの仕事としか思えない履歴にまたしても驚いた。それはあらゆる角度からみても所謂機関投資家クラスの仕事だと思われた。多国籍に渉り、株式、投資信託、金融商品のオンパレードだった。また顧問財務職の意見とも微妙に違っており、ここ数年は運用益を相当更新している。親父の仕事である筈がないのである。まあ、事実は事実だけに語らせれば良いことなので、早晩妹側が解明することだろう。株は、自分も預貯金金利のか細さに憤懣を抱いてやっている程度だからお遊びの域を出ない。いまのところ年間数十万円程度のプラスがでているだけで、銀行金利よりはマシという程度だ。株式投資の面白いところは、みな儲かると思って買う。が、買った瞬間から、心細くなり心配が募り始める。自分の心配を埋めるためには、判断の根拠になった情報を洗い出しする人もいるかもしれないが、そんなことをすればするほどむしろ不安は嵩んでくる。望む情報の数に比べてその不安を払底する情報の数は、圧倒的に少ないのが普通だ。クラウゼビッツもその「戦争論」の中で、軍事的天才はそんな「乏しい光(希薄な情報)」の中でも正しい活動方針を割り出し為すべきことを為す勇気を持ち合わせていることを求められる、と言っている。だが、そんな天才が、大勢いる筈も無い。悲しいかな軍事的天才以外は、不安を埋めるために科学的分析をひっぱってくるか、さもなくばオカルトへ走る。後者が圧倒的に多い。株式のテクニカルチャートなども、一件合理的な科学的根拠がありそうにみえているが、自分にいわせればカルトと実態で大差ないシロモノばかりだと思う。そもそも分析手法を科学的に退けるなどということは、難しい。科学的に分析できれば確実に予測ができて、的中するのならばそれもありえよう。そんな科学的手法など存在しないのだ。それゆえに、株式投資を客観的に語るということが成立しようがない。そのために科学的な装いをいくら厚化粧しても、それは客観的に語るという域には届かず、結局はカルトと大差ないという事例にことかかない。また、統計手法を多用してより合理的、妥当な解説を行い敷衍した、関数構造を導いて株価推移を描写したとしよう。そうすると、合理的な解釈の系にそって、実績が編成されてしまう。つまり、あたったかのような現象が、実績の中から浮かびあがってくるのである。ズバリ言おう。オカルトでも、若葉マークの株屋でも、早い話自分のような夢遊病患者系評論家ですら、株式投資の予測は当たる。いや、当たるような話をするそぶりだけでも、確率的には半分は、当たるのである。それも、たまたま偶然に5回、6回的中することなど不思議でも、何でもない。しかし、そのあいだに間違いなく予言を耳にしていた連中と、予言する自分との間には、カルト的な妄信の構造が発生していることだろう。まぐれでも儲けてしまうということがあるのだ。なんなら自分が主宰する株式セミナーを実行してみようか。午前と午後で、まるで反対の事をいって、午前に大損させても、午後は大儲けさせることも可能だろう。だが、間違いなく自分は大先生になっているに違いない。大体予想屋とは、すべからくそういうものだと思う。
2007年02月25日
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自分が、古いアルバムをくっているので皆さん昔を懐かしがっていると勘違いする。また、心療内科へかよっている人たちのように心が疲弊して、「自分捜し」をしていると間違って理解される事も昨今少なくないだろう。とんでもない。自分を捜さなければならないほど、暇人ではない。そもそも1歳から自分の内面を記憶している、この自分とは実に妙な野郎だ。捜しているのは、その時代の自分を取り巻いた「状況」という奴である。とくに、いま我が一家では先に他界した親父という複雑なキャラクターが仕込んだ笑うしかない「手口」に振り回されている。間違っても遺産相続などというめでたい話ではない。生きている女房、子供を振り回すためにものすごく緻密な設計を行っていて、次から次へとサスペンス小説も呆れるほど複雑怪奇な事件が勃発しているのである。どうも80年代ぐらいから暇と金にあかせて趣味のように家族イジメを計画していたらしい。嘘のようだが、本当の話である。なにせ、繰り返すがわが両親は生前筆舌に尽くしがたいほど不仲であった。なんで夫婦のままで棺おけに這入ったのかも分からないほど、反目していた。こんな不仲な両親のあいだにも、自分のようなノー天気な野郎が生まれるというのも面白い。とにかく、鈍いというのもひとつの才能だろう。子供の頃から、自分は横にしておいたら夜になるまで横になったままみたいに鈍い子供だったらしい。なんだかコアラみたいだが、そういう証言を何人からも聞いたので間違いなさそうだ。なるほど墓の上で寝ていても、平気な理由が分かる。いわゆる霊的感受性は、ものの見事に皆無なのだ。両親は、なにかというと神だ、仏だ、霊魂だとうるさかった。そんなものを介在させるから、不仲になるのである。自分にとっては、親父は可愛くてならない存在なのだが一方親父の方はといえば、少なくとも最晩年になるころには「ふざけやがってこのガキが」と一杯イジメ方を考案し、工作するのに余念がなかったのだ。事実が物語っている。幸運だと思わずにいられない。感受性の鋭敏な人間だったら、十代で自殺する人もいる。人間、多少鈍いぐらいのほうが気楽に過ごせていいのかもしれない。妹がいつも呆れていた。子供の頃、何を喰っても旨そうな顔をして食べているこの兄は、並大抵のアホではないと思ったそうだ。もしかしたら、若い夫婦の画像からこのまんま「三丁目の夕日」の世界へ滑り込もうと思うそそっかしい人も多いだろう。なかなか、どうしてどうして。それほど三丁目の夕日が眩ければ今の日本がこんなにだらしなくなっていないという風にも考えてみるべきだろう。しかし、考え方ひとつだ。 「これ」ぐらい鍛えられてこないと、コケた達磨さんのままで満足しかねない。
2007年02月24日
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昨日の朝、のどが発赤した。久しぶりの風邪引きらしい。滅多に風邪で寝込んだことがないし、2月でも半袖で暮らしている。汗をかいても、すぐに着替えるし思い当たることもない。ただ、前夜に風呂に入って着替えする前にメールチェックに手間取って、からだが冷えた。そういえば寒気がしていたように思う。 のどのイガイガは、風邪の兆候のさきがけだろう。 小林製薬ののどヌールスプレーを以前購入したのを思い出した。ご近所のドラッグストアへ行って、さがしたがふと浅田飴が類似品を作っているのを発見する。こちらは、のどクールスプレーというらしい。いかにも、小判鮫商法という印象がする。 しかし、小林製薬とどこが違うのかと好奇心が湧いた。そこで、この浅田飴のスプレーを購入した。使ってみた。 決定的な違いを発見する。これは凄い。のどの内部に、綿棒や他のスプレーを使ったことがある人は、所望の箇所に薬液を塗ることに相当苦労されたご経験があると思う。この浅田飴の製品は、素晴らしい。のどの中のすべての箇所にみごとに「全弾命中」である。不器用な人でも、2度3度反復してノズルをプッシュすればまず確実に薬液がのどの中に的中する。龍角散も、のどがむせるので一度で購入をやめた。トローチも、飴玉を口にするのがうざい。スプレーが登場したときは、すばらしい知恵だと思った。しかし、思うように薬液が届かない。綿棒は、えずきそうになる。これだけ正確に薬液がのどに届くとはまったく思わなかった。これは容器の形状が、実現したものだろう。スプレーノズルにも工夫がされているフシがある。まず、形状があごを固定して照準をはずさないようになっている。しかもノズルから噴出する薬液は、適量で余計な消費をしないように薬滴は、適正量しかでない。ノズルの角度は指先で自由に選べる。これがすべてのどの適正位置に薬液を命中させるということにだけ集約して編成されているのだろう。 実は、数年前この種の薬液や化粧品の容器をメーカーに搬入する商社に関与していた。量産品であるこれら容器が、どれほど人間の職人芸と呼ぶべきアナログな世界を通過しているのか。いやというほど思い知った。まず金型。金型設計。そして、設計どうりに製品が機能するのかを、試作品で補正する。金型を削れば緩いものは締まる。しかし一度削った金型は元に戻すことができないのだ。ギリギリでの追求が進む。その果てのこれらの製品容器の基本性能が決まる。たとえばペットボトルの開栓だって、簡単にねじ切れるものもあれば、堅くて開きにくいものもある。大手メーカーだって、社外に依頼しているのだ。その向こうには、無名の日本人職人たちが黙々と動いている。 今回、たまたま浅田飴ののどクールスプレーを利用しただけだが、このモノづくりマインドがまだまだ冴えを失っていないのだと嬉しくなってきた。こんな凄い出来ばえはアジア製品では、ここのところ日本製が最高だろう。昇竜の勢いだといっても、中国製品ではこうは見事に決まらない。浅田飴をほめているのではない。この容器をつくった業者、職人を絶賛したい。どうせ浅田飴は、この容器を外注にして原価を叩きまくっているに決まっている。その外注先が凄いのだ。少しはモノづくり日本の凄さをささえるこのような外注業者の技倆を正しく評価をしてやれ、と言いたい。のどクールは、楽天でも売っていた。次回から、楽天で買ってもいいのだろうか。考え中である。
2007年02月24日
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古いアルバムを精査してみた。子供の頃から、何度もみている筈だがこの年になってから眺めてみるとまた新鮮だ。今回驚いたのは、自分の一番古い記憶は2歳頃のものだと思っていたのだが、どうも1歳頃の記憶も相当ある。以前、どこかで人間の記憶は3歳以前には存在しないというように聞いたのだが、写真の前後の1歳頃の記憶はいくらでも思い出せるので自分が、もっとも古いと思っている記憶はもしかしたら1歳未満の夏の頃の可能性が出てきた。花火の見学の記憶なのだが、強い印象がある。2月の生まれだから6ヶ月頃という事になるのだろうか。良いことか、悪いことかは分からないが4、5歳ごろの記憶の方がいい加減だ。自分は、1歳、2歳頃の楽しかった記憶や、なにかにつけておどおどした自分の臆病さについて明瞭に自覚している、その「自分」をこれまたきちんと覚えている。当時、卵は高級品でお店で一個売りしていた。店の前で、卵ばかり眺めていたような記憶がある。ご飯に、卵がついているとご機嫌だった。父方の祖母の記憶というと卵を自分のために朝から焼いている姿だ。食べ物のこと以外興味がなかったらしい。画像の女性は、隣家のさよちゃんだ。お気に入りのガールフレンドで、いつも後ろから追いかけていたらしい。この写真では想像できないかもしれないが、近隣で評判の美形でこちらが大きくなる前にさっさと18歳で嫁に行ってしまった。たしか日本航空かなんぞで客室添乗員になったとたんにパイロットにかっさわれたと耳にした。軽く4歳ぐらいは年上だっただろう。
2007年02月23日
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初老の方の口から、問わず語りに出た言葉。「守山駅の南側に、むかし煉瓦工場があって・・・」なぜ、不意にそんな言葉が自分の前に現れることがあるのだろうか。天佑というものだろう。今日の午後の出来事だ。「その煉瓦工場は、いつなくなったのですか?」その人は、言葉につまった。「そりゃあ、もう相当むかしで。もう、終戦直後にはなくなったもんかなあ。いま、そのあたりは公団住宅になっているあたりで・・・」国鉄守山駅の南にあったという、煉瓦工場のことは子供の頃から何度聞いたことか知れない。その工場の壁に助けられて母親は、助かったという。いや、正しくはその煉瓦壁に人々が殺到した。ほかに何も頼みになるものがなかったのだろう。さまざまな手記を読むと、太平洋戦争末期アメリカの艦載機からの機銃掃射ほど怖いものはないという証言がみつかった。その説得力は、自分にとって低空の戦闘機に襲撃されるという事の意味を、改めて思い知ることになる。プロペラ機といえど、戦闘機の速度で狙い定められたときにはほぼ非戦闘員には逃げ場がない。いや、逃げ場がない人が狙われるのである。つまり、撃ち殺せると思い定めた人員に対して戦闘機は上空から攻撃を仕掛けてくる。その瞬間に、逃げおおせるのか撃ち殺されるのかはもはや神のみぞ知る。運不運の世界に突き落とされるのだ。音がした瞬間に、逃げるの物陰を探すなどという事はほぼ余地のない瞬間である。いかなる規模の大量爆撃よりも、はるかに航空機の機銃掃射が恐ろしかったと手記にあった。母親は、3度も上空から戦闘機の機銃掃射を被り我れ先かちに逃げ惑う人を寸でのところで追うことを思いとどめ、列車内に留まった。隣席に座っていた兵士の強い助言に助けられたのだという。兵士は、戦場からの帰還兵で内務班経験者程度ではない。戦場で敵にさらされた経験のある人で、敵機の挙動を冷静に勘案しながら、リスクを最小にするための方針を手短に18歳の母親に命じたという。列車を離れた人たちは、11名の死傷者の多数派だった。列車内にあっても、血だらけで跳弾の餌食になった人も多い。車輌内は血だらけだったという。その老人は、自分が守山駅の事件を覚えていることが不思議でならない様子だった。「母親が、その煉瓦工場の壁で助かったといってます。20年7月30日の4時の空襲です」と告げると、本当に驚いた様子だった。「あんた、その時生まれていたのか」と、のんきなことを言う。「母親は、看護婦で勤務先の京都からの帰りですよ。そのとき、やられていたら私は生まれてませんて」と、笑って答えた。老人は、遠い昔の話が合点がいったと嬉しそうだ。ふところから氷砂糖の塊をとりだして私にくれた。「そうか、あの時の事件にあんたのお母さんが出会うたてかあ」と、惚けたような面持ちで「なんでそんなときに、わざわざ列車にのっておりんさったんかいのお」という。「だって、うちの母親は野洲の人間ですからねえ。京都に毎日通ってたんですわ」「ほお、そんでいまどこにくらしてらるや」とたたみかけて聞く。聞けば、老人は母親より二つ三つ若いようだ。記憶が、とりもつ人間のつながりも愉快だ。
2007年02月22日
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高齢の母親が、事務的なことが昔から苦手の上に頭から出来ないとなんでもかでもこちらに投げてくる。まあ、社会訓練がまったくされていないのだから仕方がない。諸手続きの必要で、親父の出生関係の戸籍謄本までいるのだというが、実に大儀なものだ。たまたま自分が、両親の郷土滋賀に住んでいるが、これは偶然のようなもの。この際、この偶然を最大限に活かして、この地を学習してやれと達観した。だから、煩瑣な作業も我慢できるというものだ。親父の戸籍は、生まれて初めてみる。驚くこと、知らないことが多い。高祖父(曾祖父の父親)が、Tだというのは最近聞いて知った。最新の野洲町史にも登場する。明治に、郡長(いまの野洲市長にあたる)だった人物だ。この生まれが安政だというので、なるほどと思いながらも驚いた。安政4年、あの山岡鉄舟が22歳ぐらいの感覚だ。Tは、そのぐらいの生まれだと距離感が分かった。安政元年(1854)1.16 ペリー、軍艦7隻を率いて江戸湾に進出 2.10 ペリー、幕府役人と神奈川で会談 3.3 日米和親条約(神奈川条約)を締結。下田と函館が開港 3.24 下田奉行を再設置 3.27 吉田松陰、金子重輔、下田のペリー艦隊で密航を企てるが失敗 5.25 日米和親条約附録(下田条約)締結。蘭、露とも締結 6.11 土佐藩、開国を主張した参政・吉田東洋を解任 6.30 函館奉行を再設置 安政二年(1855) 1.16 江川英龍、没 2.5 講武所を設置 3.22 破損したロシア軍艦の代わりを日本人が完成させる。プチャーチンが乗船し帰国 5.14 松前藩、北蝦夷地久春古丹のロシア人陣営を焼く 5.16 村田清風、没 5月 桂川甫周、和蘭字彙完成 7.29 海軍伝習所を長崎に設置 10.2 安政の大地震。死者7000人以上。藤田東湖、没 10.9 堀田正睦、老中首座になる 12.4 蝦夷地を上知とし、松前祟広に陸奥梁川などを替地として与える 12.10 千葉周作、没 安政三年(1856) 7.12 水戸藩、軍艦・朝日丸を完成 8.5 アメリカ総領事・ハリス、下田に着任 9月 長州藩、吉田松陰に松下村塾の再興を許可 10.17 堀田正睦、外国事務取扱になる 安政四年(1857) 3.7 越前藩、横井小楠を招く 5.26 日米下田協約を締結。長崎が開港 6.17 阿部正弘、没 8.5 咸臨丸、日本へ回航される 9.16 薩摩藩主・島津斉彬、湿板写真を撮る 10.16 越前藩主・松平慶永など、徳川慶喜を将軍継嗣にと建言 12.29 将軍・徳川家定、諸侯に外国との通商を開始させる 安政五年(1858) 1.6 薩摩藩主・島津斉彬、徳川慶喜を将軍継嗣にと勅命を奏請 4.23 井伊直弼、大老となる 5.1 将軍・徳川家定、紀州藩主・徳川慶福を継嗣とする内意を示す 6.19 日米修好通商条約を締結。神奈川、長崎、新潟、兵庫が開港 6.25 将軍・徳川家定、徳川慶福を継嗣と発表 7.6 将軍・徳川家定、没。徳川家茂(慶福)、第十四代将軍に就任 7.15 島津斉彬、没 8.8 朝廷、条約締結を違勅とする勅諚を水戸藩に下賜する 9.2 梁川星巌、没 9.7 安政の大獄。梅田雲浜が捕縛される 10.23 橋本左内、捕縛される 12.5 吉田松陰、野山獄に入牢 安政六年(1859) 6.4 イギリス総領事・オールコック、江戸の東禅寺を領事館とする 7.6 ドイツ医師・シーボルト、長崎に再度着任 9.14 梅田雲浜、断罪。以降、頼三樹三郎、橋本左内、吉田松陰など刑死 9.24 佐藤一斎、没 9.27 奥羽六藩に蝦夷地を分割し開拓させる 10.21 川手文次郎、金光教創始 10.17 頼三樹三郎、橋本左内、没
2007年02月22日
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最近、ハガキに嵌っている。いや、別段竹田氏の著書「小さな会社は『1通の感謝コミ』で儲けなさい」 の影響というわけではない。実は、竹田陽一氏の著書に90年代のはじめ書店で購入して以来ハガキの感謝状を実行していた。予想以上の反響だった。それは経験として持っている。素晴らしい名著だと思う。楽天にやってくるまえからの読者なのである。実は、e-mailが嫌いなのだ。万年筆が、やけに懐かしくてハガキにはボールペンではなくもっぱら安物でも万年筆を使っている。ちょっと儲けたら万年筆にも金をかけたいものだ。いまはパイロットの使い捨てのペンを使っている。相手は、どんな顔をしているのだろうか。まあ、にわかにハガキの効用を求めはしないが多分は、e-mailよりはよほどましだろう。パソコンは、好きな方だがe-mailにはつくづく呆れた。くだらないスパムを山ほどあつめやがって、いまだにゴミ箱にほりこむのに仕分けをさせられて辟易する。迷惑メールをつくっているやからの脳みそが低劣なのか、時代に沿っているのかは知らぬが、こんなメールを連日数百も貰いつけるなど生き地獄というものだ。下手なひとりよがりかもしれないが、これからは手書きの直筆ハガキで活きかえることに決めた。自分の性格をご存知の方は、実効性の無いことをご提案しないのをご承知だと思う。記憶では、購入したのは下記の方だったと思う。当時、素直に実行しただけで大手製薬会社の複数支店長から、当方のハガキについて絶賛され継続受注を戴けた記憶がある。本を読んでも実行しない人は、多い。自分はただ実行しただけだ。この種のビジネス本の中では、特段効用が高いものだと思った。今も思っている。
2007年02月21日
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最近、ハガキに嵌っている。いや、別段竹田氏の著書「小さな会社は『1通の感謝コミ』で儲けなさい」 の影響というわけではない。実は、竹田陽一氏の著書に90年代のはじめ書店で購入して以来ハガキの感謝状を実行していた。予想以上の反響だった。それは経験として持っている。素晴らしい名著だと思う。楽天にやってくるまえからの読者なのである。実は、e-mailが嫌いなのだ。万年筆が、やけに懐かしくてハガキにはボールペンではなくもっぱら安物でも万年筆を使っている。ちょっと儲けたら万年筆にも金をかけたいものだ。いまはパイロットの使い捨てのペンを使っている。相手は、どんな顔をしているのだろうか。まあ、にわかにハガキの効用を求めはしないが多分分、e-mailよりはよほどましだろう。パソコンは、好きな方だがe-mailにはつくづく呆れた。くだらないスパムを山ほどあつめやがって、いまだにゴミ箱にほりこむのに仕分けをさせられて辟易する。迷惑メールをつくっているやからの脳みそが低劣なのか、時代に沿っているのかは知らぬが、こんなメールを連日数百も貰いつけるなど生き地獄というものだ。下手なひとりよがりかもしれないが、これからは手書きの直筆ハガキで活きかえることに決めた。
2007年02月21日
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太平洋と世界の大気循環に責任があるのは、日本だけではない。たちが悪いことに、隣国の大国がエネルギー消費にただいま狂奔中である。それは仕方がないにしても、その効率の悪さがお粗末に劣悪なのである。アジアのお手本にもなって貰わないといけない大国が、お世辞にもお手本とは到底言い難い「おそまつ君」なのだ。すでに日本の1.5倍程度の電気消費だが、そのレベルで遠慮がちにいって日本の1.5倍の規模の膨大な排熱を地球環境に垂れ流しだろうと思う。実は、そんなおだやかなものではない。 現実を、つぶさにみれば中国では粗悪な石炭をつかい発電をし工場生産にあたっている。上海から蘇州の高速道路をなんども走ったが、高速道路は直線であってもその上のトラックたるや黒煙をまきちらかして道路を過積載で塞いで走る。大多数の国民の頭の中身が、きわめて非効率な思考法で地球環境配慮とは隔絶したセンスのままなのだから当然なのだが、推量で日本の2倍以上の規模の排熱を地球環境に吐き散らかしていると考えてさほど間違いないだろう。 すでに94年時点で、エネルギー消費の規模において日本は中国に追い抜かれている。この排熱は、ものの見事に東シナ海に流れ出て日本に向かって北上していると考えてよい。中国は、ほぼ7年から8年で日本一国全体の発電量を越える規模の排熱を発電時点での排熱で達成してくれている。この恐ろしさは、国家安全保障の中心的課題になりうるほどのものだと思わずにいられない。ここにインド、韓国、台湾、ことと次第ではブラジルだって地球の裏側でがんばると言っている。事実、楽天ブログの諸兄は彼らの国の産業拡大のために株式投資を実行しているではないか。胸に手を当てて考えてみてもらいたい。それらの投資で得た金を、エネルギー消費に投入するのは必至だ。諸兄も、それで一儲けしたいと願っている。2007/02/20排熱地獄がやってくる。 2007/02/19目覚めなければ熱で死ぬ。 2007/02/18諸君!眼を覚まされよ。2007/02/17琵琶湖底の悲惨
2007年02月20日
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原子力発電所が、製造したエネルギーの70%を大気中に排熱することで成り立つプラントであることは相当有名で自分のような情報に疎い人間でも、70年代から知っていた。ところが楽天ブログのアクティブな諸兄が、これを知らないというのはこの社会が相当病んでいるという気がする。悪しき「兆候」である。であれば、多少おさらいすることにも意味があるかもしれない。新潟には、柏崎原発がある。これは、日本でももっとも優秀な熱効率の原発だと喧伝をされている。ここでも6号機、7号機が、ウランの生産する熱エネルギーの3分の1が、せいぜい利用できている程度なのである。裏返せば、3分の2が、排熱として大気に流れ出る。一次的にいえば、日本海を油たんぽにしているのである。夏になれば、みな一斉にエアコンを使用する。柏崎は、新宿のたまゆら1/f氏の職場にも電力を送ってゆく。そのあいだに、まず電線で、70%もの電気が熱に化け大気環境を熱くする。届いた電力で、エアコンは大気を加熱する。これで東京が、涼しくなればお慰みである。まあ、ものはついでであるから多少驚いて貰おう。この熱量の規模は、年間16億バレルの石油を輸入している日本の、その原油の4分の1を燃やして製造した電力ぐらいの規模なのである。大気を熱くしておいて、届いた電力でさらに大気を加熱しているのだ。暑いのはあたりまえである。しかも、クルマ社会である。クルマも、曲者でそのエネルギー効率はガソリン車で15%。ディーゼル車で、24%なのだ。ガソリンの発生するエネルギーは、76%も85%も大気中に排熱されてわれらが国土を加熱してくれる。昨今、熱帯夜は30日ほどあるので、一年のうち一ヶ月まるまる加熱強化月間である。これで、涼しくなれば不思議である。忘れて貰っては困るが、加熱強化月間のあいだも太陽は燦燦と輻射熱を地上にふりそそいでいる。実は、冬は冬で悲惨なのである。夏は、それでも室内の空気を外へ吐き出す作業にエアコンが使われている。冬は、エアコンがする仕事は室温を高める作業がまず先にくる。つまり、温水シャワーも風呂も冬は多量の熱を必要とする。がんがんエネルギー消費をする。実は、夏よりも冬の方が地球温暖化が進むのである。これを避けようとすれば、炭酸ガスを削減するよりも排熱削減をメインに据えて取り組むべきだということがすぐに分かる筈なのである。暖房を入れるよりも、セーターを着る。これが環境配慮の基本である。2007/02/20排熱地獄がやってくる。 2007/02/19目覚めなければ熱で死ぬ。 2007/02/18諸君!眼を覚まされよ。 2007/02/17琵琶湖底の悲惨
2007年02月19日
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地球温暖化問題にからんだ、路線対立のようなものが環境テーマで各地で取りざたになっていることかと思う。なんのことはない、MSK222さんの日記でも原発推進派と風力発電推進派のような構図で応酬されているのが話題になっているのを拝読して、驚いた。問題の構図は、私にはきわめて脆弱基盤にあるとの印象が湧く。つまり、どちらが良いのかという応酬の原則にほかならぬ炭酸ガス削減テーマや、地球温暖化=温室効果ガス主犯説が底流にあるからだ。なるほど、ここのところあまねく何人も疑うことを忘れた占領国家の市民らしい。そんなこと、一体だれが科学的根拠を示して啓蒙しているのだろうか。もう一度述べるが、ビニールハウスのような構造で地球が温暖化しているのならば地表の温度差がこれほど露骨な理由を説明して欲しい。大阪と、滋賀湖北だけでも、極端な温度差である。炭酸ガスの温室効果は東京大阪だけで頑張っているのだろうか。笑わずにはいられない。人口の多い東京や大阪は、すなわち大都会ほど暑い夏や蒸し暑い暮らしを経験しているのだ。自分も、ここに暮らす直前は大阪府知事公舎の近所で住まいしていたので都市の便利さを満喫していた。一年中、アメリカンバイクで用事を済ませている。湖北では、そんなことは一切不可能だった。この現実を説明してくれたまえ。炭酸ガス主犯説の諸兄よ。普通に考えれば、わたしなどは「大阪高気圧」を生じていると冗談を言うほど高レベルの排熱が存在するという事実に突き当たるはずだ。台風だって、まともに大阪へ直撃をしたことがない。気象庁は、毎年近畿圏直撃などと大騒ぎさせるが台風がそれるのは日常繰り返し目撃している。いかにビル乱立と排熱が凄いかだ。なにか、地球温暖化で優等生づらをしているらしい原子力発電所であるけれども実は排熱についてはむしろ主犯格である。とかく、日本人は水や海を汚すことに躊躇がない。原子力発電所の冷却水は、放射能核種をいっぱい吸い込んで日本海に垂れ流し。なにしろ日本海側の原子力関連施設が廃棄する冷却水というもの。汚染物質だけではなく、熱までも捨てている。この廃熱たるや膨大なもので日本海全体の海温を2度も上げる力があるという。ほかならぬ田原総一郎の「原子力戦争」という本に書いてある。この本が発刊されたのは1973年だ。日本のジャーナリストも、垂れ流し体質は変わらない。2006/07/13「水にながそう」リターン 関西電力は、大阪へ電力供給を行うに際してその送電線でつくったエネルギーの70%も80%も無駄にしている。無駄にしても、すべて電気料金支払いを消費者に課している。消費者は大気に消えてゆくこの無駄な電力をまるごと支払いさせられているのである。(電気事業法)その発電効率がまた壮絶に悪い。もともと無駄な排熱で能力を抑圧しながら湯を沸かして、タービンを回しているのが原子力発電所という施設なのである。理由は、簡単だ。もともと原子爆弾だったものを、無理やり平和利用しようなどという既知外科学者らが、日本中に増設し続けたために石油燃料をもちいて都市部で電気を起こせば良いものを僻地にわざわざ国民の税金を撒き散らして設営したのが原子力発電所という代物なのである。msk222さんなど、まだ騙されて眼が覚めないらしい。その電力会社が、深夜電気を大幅値下げして消費拡大しようとしてきた。「大幅値下げ」だと?笑わせるのではない。世界で一番高い電気料金を、大幅値下げが聞いてあきれる。夜中には、作らなくてもよい電気をつくってしまうのが原子力発電のヤクザな素性なのである。だから、わざわざ24時間風呂などという奇形なものを消費者に買わせようとしてきた販売会社がゴロゴロある。奴らは、電力会社の「手先」なのだ。ずばり、地球温暖化の主犯は原子力発電所を含む都市排熱に相違ないと私は確信する。2007/02/20排熱地獄がやってくる。 2007/02/19目覚めなければ熱で死ぬ。 2007/02/18諸君!眼を覚まされよ。 2007/02/17琵琶湖底の悲惨
2007年02月18日
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昨日は、所用で滋賀県の環境保全課のボランティア活動には参加できなかった。われわれの活動の中心は、滋賀の国土景観にかかわるものが大半だったが、滋賀の課題としては琵琶湖の湖底も由々しい事態になっていると聞く。 たまたま、サイトを眺めていてもこんな記載があった。驚くべきゴミがゴロゴロでてくるというのは、滋賀の県民がこれまでの半世紀にそれほど環境保全の意識が十分ではなかったという証左だろう。戦前まではともかく、滋賀の戦後世代はやはり地球環境の保全という意味合いでは、むしろ後ろ向きだったと思わずにいられない。昨今、急速に意識改革が進んできているのだが、いまの現役の環境ボランティアらの嘆息しきりである。 『琵琶湖湖底クリーンアップ作戦!』清掃作業報告 作業実施日 平成16年10月29日(金)30日(土)31日(日) 当日の天候 29日 曇り 22℃、水温 16℃ 30日 雨 21℃、水温 16℃ 31日 晴れ 23℃、水温 17℃ 清掃ポイント 29日 浜大津港南釣り桟橋周辺 30日 浜大津港南釣り桟橋周辺 31日 大津プリンスホテル周辺 作業内容 湖底に放置されたゴミの回収作業 潜水回数 延べ潜水 36本(回) 作業スタッフ 潜水班(ダイバー) 延べ 18名 陸上班、船舶監視班 延べ 18名 使用監視船:『 タイガーIII 』 回収ゴミ結果 自転車 7台 126,000g バイク 1台 60,000g ベンチ 2台 30,000g フェンス 1枚 6,000g タイヤ 5本 34,034g 空き瓶類 2,800g 空き缶類 41,790g ワーム・ルアー類 14,600g 可燃物 84,742g 不燃物 5,310g 大型不燃物 5,806g 合 計 ( 3日間 ) 411,082g 実のところ、琵琶湖の湖底は関西人が想像している以上に悲惨な事態になりつつあると聞いている。実は、これらポイ捨て以上に深刻なのが「温暖化」である。 琵琶湖の湖底は、暖冬で確実に汚染が進行するという構造になっているらしい。琵琶湖の水質は、冬の冷気で冷やされた水が湖底をさらえてサーキュレーションして循環し、結果汚濁した水が押し流されるという仕組みを何万年も実行してきた。ところが湖水がこのところまともに冷やされないために湖底に届かない。しかして琵琶湖の湖底は汚濁進行し、ヘドロだらけという事態になる。 では、この現下の地球温暖化の正体はなんだろう。世間常識的には、温室効果だ。いわゆる炭酸ガス、メタンなどの地球の上層を包んでいる保温性の高い温暖化ガスが宇宙への熱放散を抑止するマントとなって一種の園芸農家におけるビニールハウスのような機能を生じ地球全体が「温室」化してきている、というあの風評である。 本当にそうか? 経験的に、各国政府が過去40年ほどのあいだデタラメな科学知識を垂れ流してきたことを小学生時代から眺めてきた。科学者などというのも、怪しい徒輩が多い。ビニールハウスの中に這入って見ればすぐわかる。ハウス内は、どこに移動してもほぼ内部の温度は一様に暖かい。つまり、温度上昇は一様にあがってゆくのである。ところが、大阪育ちの自分はよく分かる。昨年は湖北に一年住んだ。大阪は冬でもバイクで生活。湖北の冬は、氷点下である。東京に至ってはヒートアイランドとまでいわれている。つまり温度差はわれわれの体感レベルではないか。つまり温室効果という比喩的な効果を形成するというメカニズムは仮説に過ぎないのである。地球温暖化という事実性の追求にくわえて、そのメカニズムの「温室効果仮説」の信憑性は二重に検証する必要がある。 なぜならば、その対策と社会意識の形成が錯誤にもとづく場合にはむしろ環境を悪化させる可能性さえあるからである。 2007/02/20排熱地獄がやってくる。 2007/02/19目覚めなければ熱で死ぬ。 2007/02/18諸君!眼を覚まされよ。 2007/02/17琵琶湖底の悲惨
2007年02月17日
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先週から、滋賀守山の空を見上げて悄然とするきらいがあります。どこまで行っても、この国はクビにわっぱのかかった「ポチ」でなりわいする以外に方策がないのでしょうか。栄耀栄華とは、この国で筆頭ポチに成り上がることだけを意味するのでしょうか。遺跡発掘現場の指導員さんも、この国から逃げたいと言って笑っていました。およそ経済社会から隔絶している世捨て人みたいな境地の人たちですら、今の日本が借金漬けでアメリカに朝貢し続けて尾羽打ち枯らすまで、国民の眼が覚めないという事情をよくご存知だったので笑えました。二千年も三千年も前の祖先の生活相だけを思い巡らせているような人たちですら今の日本にはつくづく慨嘆するものがあるようです。韓国では、いま遺跡発掘のブームだとか。民俗学や考古学の隆盛には、どうも遠まわしに祖国愛を喚起するようなルートがあるのかもしれませんね、
2007年02月16日
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指導力不足教員等の人事管理に関する各都道府県・指定都市教育委員会の取組状況について 学校教育の成否は、学校教育の直接の担い手である教員の資質能力に負うところが大きく、教員として適格な人材を確保することは重要な課題である。このような中、児童生徒との適切な関係を築くことができないなどの指導力が不足している教員の存在は、児童生徒に大きな影響を与えるのみならず、保護者等の公立学校への信頼を大きく損なうものである。このため、各都道府県・指定都市教育委員会においては、いわゆる指導力不足教員に対し継続的な指導・研修を行う体制を整えるとともに、必要に応じて免職するなどの分限制度を的確に運用することが必要である。 文部科学省においては、このような人事管理システム作りを促進するため、「指導力不足教員に関する人事管理」に関する調査研究事業を、平成12年度には16府県・指定都市教育委員会、平成13年度及び平成14年には、全ての都道府県・指定都市教育委員会へ委嘱した。この委嘱事業を受け、各都道府県・指定都市教育委員会においては、協力者会議等を設けて検討を進め、調査研究の成果をとりまとめて頂いたところである。民間教頭に3人合格-県教委4月採用 (2006.12.27 奈良新聞) 県教育委員会は26日、今年初めて実施した民間教頭採用試験の合格者3人を発表した。いずれも50代の男性で、研修を経て来年4月に採用される。 合格したのは、大手金融機関役員の村内俊雄さん(54)=奈良市=、航空自衛隊航空システム通信隊副指令のあき田雅彦さん(55)=横浜市=、エス・サイエンス教育事業部高校部長の表野哲さん(53)=大阪府吹田市=。村内さんは中学校、あとの2人は高校を希望している。奈良県教委は9月下旬から企業などの管理職経験者を対象に、来春採用予定の公立小中高校・養護学校の5校の教頭を全国公募。主に教頭2人の大規模校に配置し、家庭や地域とのパイプ役などに期待を込める。3年間の任期付き(2年延長可)で、締め切り1週間前での応募者はわずか5人だったが、最終的には55人の応募があり、担当者は胸をなでおろした。 校長先生を民間人からというのは最近ではよく聞くが、教頭先生を民間人からというのは余り聞いたことがなかった。調べてみると、学校教育法施行規則が今年の4月から改正され、これまでの校長に加え教頭にも民間人任用の道が開かれたらしい。 三セクなどの場合、役人がトップをやってつぶれそうになったのを民間人出身者が立て直したという話をよく聞く。教育の分野でもそれを取り入れようということなのだろう。 しかし、校長なら基本方針を示して学校経営を行っていくこともできるが、教頭はあくまで校長の補佐であるし、雑用も多い。また、現場の教員への細かい配慮が必要な難しい立場だ。 社長は若旦那でも務まるが、番頭は老練なたたき上げでないと務まらない。教育現場での経験のない民間人で本当に大丈夫?と心配してしまう。 とりあえず教頭2人制の学校に配置して様子を見ようということのようだが、せっかく応募してくれた有能な人材を早々につぶしてしまわないようお願いしたいところだ。 奈良県天理市の市立西中学校の教頭が今月上旬、エアガン2丁を校内に持ち込み、夜間に職員室で撃っていたことがわかった。(中略)教頭は「不審者対策の目的で購入し、有効性を確かめようとした」と説明。(中略) 同校によると、教頭は拳銃タイプとライフルタイプの電動式エアガンを自費で購入。5~7日、教職員が全員帰宅した後の夜間、職員室の自席から約30メートル離れた壁に向かって撃っていた。その都度、自宅へ持ち帰っていたが、回収しきれなかった弾を教職員が見つけたことから、12日に学校側に事情を説明した。(以下略)文部科学省という役所は、まったく信用ならない。実は、この一連の動きを靜に観察していた。中学時代からの友人だった男が、奈良の教育委員会に叔父がいるとのことでコネで奈良の中学教諭になれたと言っていた記憶がある。中学時代から歴史の成績が自分よりも悪いという奴で、よくぞ平気で中学教諭になれたものだと感心していたのだが、本人も同じことを言って照れていた。かたや国立教育大学を卒業しても、教員になれないという不公正を温存して内部のヒキや情実で縁故採用を多産しておきながら、「指導力不足教員問題」もへったくれもあるものか。これはすなわち国の文教政策にあたる現場役人のモラルハザードの問題なのだ。こんな腐れ役人に、人事権を与えているかぎり奈良県教育委員会のような愚劣極まりない腐臭にみちたトラブルは今後も多発するだろう。実は、母親の知人の娘も中学教諭になるに際して、当初どうしても採用されないため手を尽くして縁故採用で教員になったという話を聞いた。特異な事例だとは思えない。耳にする教員採用者は、みな正直な連中で縁故採用だったと公言していた。それほどノンビリした時代が、70年代以前にはあったものだ。そのツケが、ここに来て一気にでてきたという印象がしてならない。不適格教員問題の原因は、文部科学省という役所の体質、そして教育委員会が人事権を「裁量情実」でまわしているあいだは、なんどでも多発すると思わずにいられない。今般、民間登用された奈良県での民間教頭の顔ぶれをみても、まともに面接試問されたフシもない。つまり出来レース採用だ。教頭は雑用も多い。また、現場の教員への細かい配慮が必要な難しい立場だ。社長は若旦那でも務まるが、番頭は老練なたたき上げでないと務まらない。教育現場での経験のない民間人で本当に大丈夫?と心配してしまう。心配されている方の気持ちは、よく分かるがこれは教育委員会が人選をしているかぎり同じことだ。つまり「老練なたたき上げ」を採用しているのならば今までに採用している。文部科学省とその意思伝達組織である教育委員会が、現場を知らないまま行政に指揮指導するという明治以来のしがらみと踏襲を放棄させるには、彼らに与えられた人事権を剥奪するしかない。 昨年、採用された3名の民間教頭なるものは、おそらくまたしても奈良教育委員会が自分たちの意思伝達の欲しい儘に動くダミーを招き寄せたに過ぎないと私は思っている。公募に、2ヶ月近くもかけ応募にわずが5名ほどだと言及しておきながら、その5名ほどの対象者に面接通知もださないのである。つまりは事前に、教育委員会が採用者の腹案を持っていたといことではないか。過去に陸続と続く縁故採用でつまづいた彼らが、ついにパペットの目先をかえた。それだけのことだ。
2007年02月16日
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「シャルドネさん」と、声をかけられた。オフでHNを呼ばれるのは、96年の経済同友会(牛尾治朗代表時代)年次総会に召集されて赤坂プリンスホテルで待機していたときに、日経BP社の女性記者に声をかけられて以来だ。日経BPの記者は、ニフティーサーブのビジネス系フォーラムのROM(パソコン通信の聴衆)だったのだろう。面白がって声をかけられたという以外の意味はなかった。今日声をかけられたのは守山空襲の検索からだろう。なんのことはない、自分が守山空襲の話題を振ったのである。検索エンジンは、万人に平等にヒットする。するすると自分のHNが割れたわけだ。そこで、また触発された。逆に守山空襲にかかわるWEBコンテンツをもう一度精査してみるべきではないかと。帰宅後、早速とりかかった。たちどころに新たな収穫を得る。なんと、ほかならぬ守山駅の地上から確保されたF4ワイルドキャットの機銃弾と薬莢である。これが偶然WEBに転がっている筈がない。実は、この機銃弾と薬莢はまがうことなく滋賀守山駅周辺から。被害者の遺族が執念でみつけだしたものだ。発見者は、KS氏である。KS氏はあの守山の空襲でお母さんを殺されている。氏は、昭和20年7月30日時点では、小学3年生だったという。母をなくしたKS氏は、守山駅周辺を踏査して見つけ出したのだろう。多くは語られていないが、KS氏の万感の想いがこの一葉の画像に託されてているかのようだ。偶然に触発され、自分も抜き差しならぬほどこのテーマに追い込まれてゆく思いがする。くりかえすが、同型の機銃弾が母親を捕らえていたならば、私はこの世に生まれていない。「人は、戦争で死ぬために生まれてはこない。 」2004年5月5日↑クリックでジャンプします。「捜せるのだろうか? 」2005年7月04日 ↑クリックでジャンプします。「7月30日守山空襲」2005年8月08日 ↑クリックでジャンプします。「滋賀県新知事の裁量だのみ」2006年7月10日↑クリックでジャンプします。 「45年7月の殺人事件」2007年2月12日↑クリックでジャンプします。「日本の空襲」全十巻」2007年2月14日↑クリックでジャンプします。「なんと氏名が・・・ 」2007年2月15日↑クリックでジャンプします。
2007年02月15日
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私のお墓の前で 泣かないでくださいそこに私はいません 眠ってなんかいません千の風に千の風になってあの大きな空を吹きわたっています秋には光になって 畑にふりそそぐ冬はダイヤのように きらめく雪になる朝は鳥になって あなたを目覚めさせる夜は星になって あなたを見守る 私のお墓の前で 泣かないでくださいそこに私はいません 死んでなんかいません千の風に千の風になってあの大きな空を吹きわたっています 千の風に千の風になってあの大きな空を吹きわたっています あの大きな空を吹きわたっています Do not stand at my greave and weep/Words by Mary FryeDo not stand at my grave and weepI am not there, I do not sleepI am in a thousand winds that blowI am the softly falling snowI am the gentle showers of rainI am the fields of ripening grainI am in the morning hushI am in the graceful rushOf beautiful birds in circling flightI am the starshine of the nightI am in the flowers that bloomI am in a quiet roomI am in the birds that singI am in the each lovely thingDo not stand at my grave and cryI am not there I do not die1905年11月13日、メアリー・エリザベス・クラークはオハイオ州デイトンに生まれる。3歳で孤児となり、12歳の時にバルティモアに居を移す。正式な教育を受けていないにもかかわらず、メアリーは優れた記憶力と熱心な読者であった。1927年に衣料業を営むクラウド・フライと結婚、メアリーは自ら花を育て販売も手がける。メアリーは折々に動物のチャリティー団体のために詩を書き続けたが、どれも彼女の一作目には遠く及ばなかった。彼女は自作の詩を出版する事も、著作権を取る事もしなかった。このことが長年に渡り、原作から派生作品が生まれる要因にもなった。一女を儲けるが、1964年に未亡人となる。メアリー・フライ 主婦、詩人。1905年11月13日生 2004年9月15日没 享年99移動中に携帯電話へ連絡が入った。今日のこの日だ。なんと市立図書館の司書が、その後もこの件で資料を精査してくださっていたらしい。ありがたい。実は「守山市史」の中に、さらに別の稿としてさらに空襲事件に踏み込んだ言及がされている箇所があったというのだ。さっそく出先から春の雨降りしぶく中図書館へ。資料のくだんの箇所に。母親が遭難した空襲事件で目撃者の談話が掲載されていた。昭和二十年七月三十日午後四時九分、三機編隊の四編隊構成。十二機のグラマンが三度にもわたって非戦闘員に向けての機銃掃射があったと言及されている。言及されているKH氏は、母親よりも三歳若い。当時、十五歳だ。今朝お話した住職が、当時十七歳。相当数のティーンエージャや赤ちゃんたちが戦闘機に襲われたのだということが如実にわかる。通勤列車ということは上空からも分かっただろう。KH生も、グラマンのパイロットがコックピットで笑っているのをみたとある。実は、母親もこのことを強く記憶をしている。浜大津で遭難されたご住職も、今朝の電話で同じことをおっしゃっていた。ただの空襲などではない。これは軍事行動のすがたをかりた、人間狩り。楽しみでアメリカ人が実行した殺人事件だと皆がほぼ同じ思いで60年心の底に思いを抱いておられたのだと感じた。母親が、目撃した頭部を打ちぬかれた赤ちゃんの名前が記述から判明した。その幼い赤ちゃんの名前は、高橋すみ子ちゃんとある。可能ならばぜひ一度墓前に花をたむけたいと思う。自分は、彼女になりかわり生を受けたのだから。なんとその後、八月十一日まで病院で重篤なまま看護されていたらしい。敗戦のわずか四日前に他界したとのことだ。大腿切断を強いられた銀行員の女性は、橋本某というが後日他界されたらしい。「人は、戦争で死ぬために生まれてはこない。 」2004年5月5日↑クリックでジャンプします。「捜せるのだろうか? 」2005年7月04日 ↑クリックでジャンプします。「7月30日守山空襲」2005年8月08日 ↑クリックでジャンプします。「滋賀県新知事の裁量だのみ」2006年7月10日↑クリックでジャンプします。 「45年7月の殺人事件」2007年2月12日↑クリックでジャンプします。「「日本の空襲」全十巻」2007年2月14日↑クリックでジャンプします。
2007年02月14日
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ついにK氏と電話でお話ができた。 K氏は、市内の真宗の寺院で住職をなさっていた。日曜日にお電話をいれたが、会合へ出席されており不在。御内儀からは、書籍のセールスマンと勘違いされてしまった。三省堂から刊行されているご当人の手記が、まずご当人のものか知りたかったのだが、本のことを話題にしたために書籍の売り込みだと印象されたらしい。怪訝な思いで電話口にでられたので、まずかったと思った。先ほどようやくご本人が電話口にでられて、手記のK氏その人だとわかった。嬉しかった。氏がいうには、グラマンF4など鈍足で航続距離も短い艦載機だ。しかもコックピットを開いて低空で掃射するなど日本を舐めきっての仕儀。つまり、爆撃だの空襲だのという域になく、ようするに日本の非戦闘員を空のピクニックがわりに射殺する遊びのようなものだったのだろうと言う。つまり、F4という二軍落ちのような戦闘機とそのパイロットの姿勢から分かるというのだ。自分の引き金で死んでゆく日本人の血しぶきもみえる。それほどの視認性の下で実行された虐殺行為なのだとK氏は語る。この認識は、わたしが母親の語りから聞きうけた印象と合致する。つまり軍事行動というよりは、非力で軽装備、片手間に日本人の非戦闘員を虐殺して恐怖心を喚起するという一種の宣撫行動だとみる。 K氏は、師範学校をご卒業後地元の小学校の教諭をなさりながら後年住職になられている。地元の情勢にも明るい。なんと実家は、あの空襲のあった守山市だという。隣町の父親の実家、母親の実家にも御詳しい。懐かしいと打ち解けてくださった。 いつぞや再訪して、詳しく御話をお聞きしたいと申し出た。母親も、たぶん重い腰を上げることだろう。「人は、戦争で死ぬために生まれてはこない。 」2004年5月5日↑クリックでジャンプします。「捜せるのだろうか? 」2005年7月04日 ↑クリックでジャンプします。「7月30日守山空襲」2005年8月08日 ↑クリックでジャンプします。「滋賀県新知事の裁量だのみ」2006年7月10日↑クリックでジャンプします。 「45年7月の殺人事件」2007年2月12日↑クリックでジャンプします。
2007年02月14日
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ウィスキーは、好きな酒だ。オヤジは、飲まなかった。小学生の時、炊事場の奥に転がっているサントリーオールドを、開栓したら強烈な匂いがしたのでそのまま一口飲んでみた。痛烈だった。あの刺激は、忘れられない。旨い、不味いを越えている。以後、水割りは嫌いで常にストレート、ダブル、もしくはオンザロックで呷ることにしている。いまは、オヤジが飲み損なって形見わけになったシーバスリーガルを飲んでいるが、平素はニッカのモルトクラブあたりにおちついている。ビールよりも、ウィスキーが多くなった。実は、ウィスキーは日本でも密造酒が予想以上に流通している。80年代以前に大阪の繁華街でサントリーオールドやリザーブは、侮りがたく密造酒だった。群馬県の友人の所に遊びにいったら、密造酒をご近所で製造しているところがあって貰い物だとばかりに晩飯にだされたオールドに仰天した。偽物の密造酒だというのだけれど、まったく遜色なかった。友人は、大阪ミナミのバーやクラブでボトルに入っているものが少なからずこれだとまじめくさって言っていた。なにしろボトル瓶はなんども再生利用されて中身だけがこの液体に詰め替えられるのだという。あのボトルの開栓を経験した人は、封緘をどうするのだろうとクビを傾げるだろう。実は、封緘に用いる専用の工具がある。この工具が、密造酒利権の集約という面がある。かつて神戸の高級ホテルで某広域組織のナンバー2が白昼射殺をされるなどというような事件があった。自分は、あそこの組織が、この利権を取締っていたのではないか、と推量している。あるいは射殺された組長が、この利権などで駆け出しの時代に荒稼ぎしてきたのかもしれないと空想して愉しんでいた。実は、オヤジがわが母親と結婚する以前の二十代このウィスキーの密造にかかわっていた。滋賀県庁の職員でありながら、二束のわらじというのだろうか。儲かることには何でも手を染めてワクワクする。そのワクワク感が好きだったのだろう。モラルなど、わがオヤジに求めても詮無いことだ。生涯最後で、それから後には会わなくなった90年代の終盤ごろ。生きているときの私に向けての最後のオヤジのメッセージは、「伊藤寿永光ぐらいのワルになれ」という豪快な言い切りだった。「ケチなワルになるな。やるならば徹底したワルになれ」と、息子に言い放つというのは、その是非はともかくも多分本人もどこか巨悪に憧れていたところがあったのだろう。現実には、もっと姑息なわらじ拾いだったとしても・・・オヤジの生い立ちを語るならば、ひとつの理解の手立てがある。坂本博之である。70年生まれの坂本が極貧でザリガニを喰らったというのであれば、大正14年生まれのオヤジはどんなものだったのだろうか。少なくとも就学以前の時期は、坂本並みの虐待体験。ほかならぬ祖父(自分からすれば曾祖父になる)から受けていた。色々な人たちの証言から間違いない。しかしオヤジは、われわれ兄妹にはまったくといって暴力をふるわなかった。 当時僕はひとつ違いの弟・直樹と福岡の和白青松園という児童養護施設で生活していたんです。僕が生まれてすぐ両親が離婚して、しばらく乳児院で育てられました。その後、母親と一緒に暮らしていたんですが、いろんな事情で弟と一緒に遠い親戚の家に預けられました。僕が6つのころです。しかし、その家では僕ら兄弟は完全に邪魔者扱いされました。 僕らはトイレを使わせてもらえなかったり、ご飯もたまにしか食べさせてもらえませんでした。だから、小学校に上がると一日の食事はお昼の給食のみ。その給食も残して持ち帰って、夕食にしてました。土日は学校がないから近くの川に行ってザリガニやトカゲを捕って食べてました。とにかく毎日腹を空かせてましたね。あまりにも空腹状態が続くと拒食症になっちゃうんですよ。食べたものを胃が受け付けなくなっちゃって。よく学校で吐いたりしてました。 預けられた家のおじさんから虐待もずいぶん受けました。何かにつけてブン殴られてましたからね。殴られ続けて顔が大きくはれてね。死を思ったこともありましたよ。「ああ、俺、もうここで死ぬんだな」って。だからもう、つらいという次元は超えてたね。
2007年02月13日
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不思議な表現があるものだ。どうも死んだオヤジが、留守に母親の持ち物をこそっと持ち出していたらしい。もっとも実家は、オヤジの所有物だし、母親の持ち物とてオヤジが持ち出して悪いというものばかりではない。私物といってもほんとうに個人の持ち物というような繊細なものではなく、こまごましたものが持ち去られてオヤジの居宅から発見された。他愛ないものばかりなのだけれど、遺族の我々の失笑をかっている。たとえば、身の回りの身づくろいをするような糸針のたぐいだ。いまどき、百円均一のショップででもコインで買えるようなものをわざわざ交通費をかけて、母親の留守のあいだに立ち入ってこそ泥並みに息をひそめて持ち出すという感覚が可愛い。どうしてそんな糸針、指貫のたぐいにこだわりがあるのだろう。母親の解説によると、祖母が常々言っていたらしい。女郎買いの「拾いわらじ」というのだ。 江戸時代から、つたわる俗諺らしい。博徒や遊興にうつつを抜かす遊蕩三昧の遊び人は、性根が腐っており遊郭で女郎と閨房事には大枚をはたくことに躊躇がないが、その帰路夜道で落ちている朽ちた草鞋を片足だけでも勿体無いとばかりに拾ってかえり、自分の耕している田圃にほり投げて穀物のための肥やしにしようなどというさもしい行いをするものなのだという。なるほど、わがオヤジは百姓農家の長男惣領でありながら、野良仕事を嫌い都会出奔。商売で一時期儲けたがその金をひたすら酒宴と、艶福をために蕩尽し、家族をかえりみずにひたすら俄かに戦後派新興大尽ぶりを極めんばかりの散財ぶりだった様子。これはわずかに残った資料や郵便物などをもとに推量できる。いわゆる富裕層の定義をいえば、可処分所得が手厚く有価証券等金融資産が5000万円を越えるものとされるそうだが、それならばなるほどかろうじて合致するのかもしれない。しかし、その身の回りの衣料品や下着、ウエアのたぐいの趣味の悪さには格好の哄笑の的であって、しばらく残された家族もたっぷりと笑いのめして愉しめる。わが父親ながら、可愛い人だったのである。しかも侘しくその身づくろいをちまちまと下手な針仕事で手直しをしていて、道具箱ごと母親の住む実家から無断で持ち出ししているのだから、拭いがたい貧乏性というものは滲みいって肺腑にまで至っていたのだろう。よく言えば、戦中派内務班体験者なのだから自助精神を備えていたとも言える。しかし、俚諺とはいえ痛烈だ。
2007年02月12日
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以前から気がかりで、実行したかったが出来なかったのが大津市立図書館での調べ物。昨日は、2連休を利用してやっと予定のアクションが取れた。守山空襲の資料を文献レベルで洗おうと思ったのである。さっそく大津市立図書館へ電話。守山市立図書館は休館日だった。大津市立図書館は、長浜の図書館に比べても古色蒼然とした古い建物だけれども図書館の胆力、技倆というものはその「はこ」の大きさや景観ではないのは自明である。いかに検索力が高いか、だとかねてから思っている。その点、こちらの大津市立図書館は、侮れない。毎回、調べ物では事前に電話をいれてスクーターで走る。館内で、敏腕のサーチャー顔負けで司書の専従者がてきぱき蔵書を洗い出してくださる。参考文献の取り寄せなど、大阪府下の地方図書館からも見事に取り寄せを実行していただいた事例もある。以前、話題にした「五月の七日間」というアメリカのミステリーの翻訳が届いた時は感激したものだ。今回も期待は大きい。なんと、半時間もしないうちに到着した大津市立図書館には蔵書の中で可能性濃厚なものを十冊近く候補としてご用意いただけていた。これが凄い打率だったので、仰天した。守山空襲は、どうやら過去の呼称では「守山駅列車掃射事件」とされていたらしい。これはひとつの知見だ。さっそくこの記事検索のキーワードでもりやまのミニコミ誌の記事掲載が拾えた。しかし今なおWEB上では、私以外にこの空襲を追いかけている者はいないように思える。もっと驚いたことがある。あの松浦総三、早乙女勝元のシリーズ刊行物「日本の空襲」第六巻の手記の中に、母親が殺されかけた空襲と同じ戦闘機による襲撃を受けた方のものがあるというのである。なんという凄いサーチ力だろう。ここまでくるとgoogleよりも、大津市立図書館司書の属人的な技倆のスゴさが際立ってくる。初めて知った。母親の記憶とは違い、母親についての殺人未遂者はグラマンF4ワイルドキャットの搭乗員だったのだ。12機もの編成で、3度にわたって守山駅上空で非戦闘員への殺戮を繰り返した。「人は、戦争で死ぬために生まれてはこない。 」2004年5月5日↑クリックでジャンプします。「捜せるのだろうか? 」2005年7月04日 ↑クリックでジャンプします。「7月30日守山空襲」2005年8月08日 ↑クリックでジャンプします。「滋賀県新知事の裁量だのみ」2006年7月10日↑クリックでジャンプします。
2007年02月12日
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先日、自分の目の前で発見された紡錘車は頁岩(ケツガン)で出来ていた。学術担当の指導員が動揺しているのが如実に分かったのだが、次第に大きなことになっているそうだ。なにせ滋賀は、琵琶湖を汚しまくって工場排水と有毒ガスを満喫しながら大正時代には東洋レーヨン誘致、工場拡張を狂奔した県である。繊維メーカーとの連携は、県産業政策の要だった時代がある。なにせ昭和四年当時では、日本国内の全国人絹生産量の60%は滋賀県産出だったとのレポートがある。ほかならぬ琵琶湖という巨大な資源をストレートに活用した地域だ。あの日商岩井の前進、鈴木商店が人造絹糸部を独立させたのがいわゆる帝国人絹株式会社、いわゆるテイジンである。それほど繊維テーマは、近江商人と深い関わりがある。旭化成だって、いまは従業員が忘れているだろうが日本窒素の野口遵専務が、この動きに瞠目し日本綿花株式会社の喜多又象と協力してつくったのが、大正十一年、旭人造絹株式会社の発展として旭絹織株式会社となり、昭和八年旭ベンベルグ絹糸株式会社とご隆盛になったわけである。東洋レーヨンは、三井物産が設立した。昭和八年には、日産六十五トンという極東の一大工場となる。東洋紡もしかり。県下に八万坪の工場をもってする。これが滋賀の雇用と経済を押し上げた。繊維テーマと深いかかわりのある、その地域の古墳時代すでにこのような繊維についての深い踏み込みがあったという一件は、滋賀の地方新聞社にとどまらぬ大きな衝撃があるようだ。ことと次第では、全国紙にも記事掲載される可能性もあるらしい。しかし、遺跡発掘現場の指導員も仰天だろう。ど素人が、お遊びのように遺構をさわっていていきなり掻き出した石ころが、まさかの「大発見」である。小学生が、親にユニフォームを買ってもらってバッターボックスにでたトタンに満塁ホームラン打ったみたいな話だ。自分が第一発見者の区画をさわらず、良かった。自分が触っていたら、間違いなく石ころと思い込んでゴミで捨てていただろう。年代的に平安前期ではなく、古墳時代ならレアものだとか。破損もなく、なかなかの逸品らしい。
2007年02月11日
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スカイプからメールが届いたので、早速試してみた。難しい。大変難しい。ひとつには、操作になれるのに難しいのがあるが、これはパソコンではいつもの事。慣れればなんとでも使いこなせる。音声チャットで、人間関係を維持しようというのは文字チャットと同様にやはりさほど簡単な作業ではないと痛感した。予想外に、60代のオヤジが多数群がって来たのに驚いた。まあ、よくバランスが取れて面白い人もいるが、なかには自己チューな方もおられる。事前に予想したとうり、やはり既存の人間関係が形成できているネットワークをメデアの活用で展開するのには向いていると思うが、新しく何か人間関係を形成するのにどこまで向いているのか、少々疑問に感じるところもある。予感としては、新しい出会い系のフィールドがまたぞろ拡張したという印象だ。だが、果たしてこれがほんとうに面白い創造的で濃密な人間関係に寄与するものとなるのかは今のところ判断を保留せざるを得ないと思う。とりあえず疲れる。
2007年02月11日
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スカイプが、いよいよ音声ブログをめざし始めたようだ。もともとスカイプは、便利に利用してきたがこちらの方では電話の延長との認識でしかなかったと思う。ここに至っていよいよキーボードのいらない声のチャットが実現できるようになった。文字どうりチャットの本来の姿になったわけだ。あまり知らない人の機嫌をとりながら話そうとは思っていないので、この日記を読まれている方はお立ち寄りいただきたいと願っている。スカイプでは、Chardonnay_99 とか表示されていると思う。
2007年02月11日
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この暖冬は、異変と呼びがたい。もはや異常気象が常態となりつつある気がする。昨年の夏は、バイクで滋賀の国道を走っているときに落雷をみたが空恐ろしい気がした。あれは落雷というようなものではなかった。数え切れないほどの落雷が空から連打され続けた。なにか祟り神が怒っているのではないか。心底そう思った。 滋賀の暮らし、そのおかげで大阪時代では意識せずともすんだ大気のコンデションや、雲の動き、風の流れ、霧、雨、雪、ありとあらゆる天候の物語を直裁に感じることができるようになった。地球温暖化が認知されたとか、疑義があるとかは正直よく分からないのであるが、天候の眺めていてどう考えても自分の生まれ育った時代から、修復し難い異変へ次第に向かっているのではないか、という胸騒ぎが次第に募ってくる。 テレビでは団塊の世代がどうの、こうのと教室の学級会のような話題を交わしている。危機の時代に、あの連中がまだ社会に負荷を強いて行くのかと思うと暗澹とする。変革の意味と質を低徊させて恥じないで今なおなに喰わぬ顔で企業社会にすがって生きようとしている、あのおなじみの面々が、この不安の時代になにを為そうというのだろう。どうか何もなさらずに、靜に企業社会から退場して貰いたいものだ。ご期待するものは何もありませぬから。
2007年02月10日
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問題を整理しておきたい。一九七二年九月二五日、田中角栄は北京を訪れ、同日夜の歓迎宴において、日中戦争について「わが国が中国国民に多大なご迷惑をおかけしたことについて,私は改めて深い反省の念を表明するものであります」と述べた。これは「我国給中国国民添了很大的麻煩,我対此再次表示深切的反省之意」と訳され、謝罪の言葉としていかにも軽すぎると中国内外で大きな波紋を呼んだ。ここで田中は日中戦争について「多大なご迷惑をおかけした」と事実を確認し、この事実について「深い反省の念を表明」したのであるから、田中スピーチのキーワードは「迷惑、反省」の四文字である。 この晩餐会が夜八時半に終わったあと、中国の関係者たちは緊急の会議を開いたといわれる。その会議で「迷惑」問題が議論になった。これは謝罪として認めがたいと声高に主張したのは、文化大革命から復活したばかりの中日友好協会名誉会長兼全人代副委員長郭沫若であったと聞いた記者がいる(当時『読売新聞』北京特派員だった釜井卓三の回想)。 このとき、最も当惑したのは周恩来その人であった可能性が強い。なぜか。周恩来はこれまでの水面下のやりとりを通じて、田中のキーワード「迷惑」の真意を納得し、それで納めようともくろんでいたフシが見えるからだ。たとえば田中は訪中を前にして九月二一日午後首相官邸で内閣記者会と懇談したが、翌日の各紙はいずれも一面トップでこれを報じている。たとえば『朝日新聞』(9月22日付)一面トップの見出しは<互譲の精神で合意へ、過去の関係率直に「迷惑かけた」>である。『毎日』の見出しは<田中首相決意を語る、戦争終結政治的に、過去素直に「迷惑かけた」>である。『読売新聞』の一面トップは<日中復交、共同声明で発効、互譲で合意確信、過去、素直にわびる、首相表明>である。この記者会見は訪中四日前に、訪中に臨む気構えを語ったものであり、中国側も注視していたはずのものだ。 ただし、さすがの周恩来もこの「迷惑」が「麻煩」と訳されて人民大会堂にひびきわたったときの反応までは予想できなかった。この意味では、誤解の原因は実に些細なところから起こったとも言える。田中スピーチの中国語訳文をあらかじめ周恩来に見せて、すり合わせをやれば済むことなのだ。現在の外交交渉ならば、日常茶飯事的に行なわれている意見交換が齟齬を来したのは、やはり初体験で不慣れのためであろう。 田中角栄は、「舐められた」と語り日本の謝罪外交のはじまりだと指弾する人物がいるという。その人の名は、的場順二。「座して待つのか、日本人」という著作の中で、中国が被った大戦の被害は、到底「迷惑」などという表現では謝罪にあたらないと、毛沢東が大平正芳外務大臣に、では我慢ならないという中国人民の総意を「楚辞」の献呈で示したのだというのだ。 田中総理と同行した大平外務大臣が毛沢東に会ったとき、『楚辞 』という本をもらったものの、これは正義を主張したあまり、国を追われて汨羅の淵に身投げして死んだ楚の屈原をモデルにしたものだ。一国の首相にそんな本を渡すのはたいへん失礼な話で完全になめられていたのである。 的場順三著「座して待つのか、日本人」 実は、この人物滋賀の出身である。画像では、安部の後ろで精彩のない男がそれだ。 1957年京都大学経済学部卒業後、大蔵省に入省。同期に保田博(大蔵事務次官)、内海孚(財務官)ら。東京税関長、大蔵省主計局次長、内閣官房内閣審議室長(内閣内政審議室長)、国土事務次官、国土庁土地政策審議会委員、総理府阪神・淡路復興対策本部参与、中小企業金融公庫副総裁等を歴任。 1995年から大和総研理事長を務める。 田中角栄のアラはみえるらしいが、「女は子供を産む機械」の柳沢厚労大臣の失言迷走以来さんざんの安部政権だが、その台所役の的場がいまトンでもないところで話題になりつつある。 内閣官房副長官というのは、官僚機構のいちばんの要(かなめ)役といっていいポストだから、ここに人を得るかどうかで、その内閣がどれだけ官僚機構をうまく使えるかが決まるといってよい。 ところが安倍首相は、ここに的場順三という、大蔵官僚OBで国土庁事務次官経験者ではあるが、民間に出て長く(大和総研理事長ほか)、現役の官僚たちにニラミがきくとも思えない人物を、単に個人的によく知っているというだけの理由で抜擢してあてたため、官僚を使うどころか官僚に使われる内閣になってしまっている。立花隆お粗末大臣のクビを切れない安倍内閣の「弱さの理由」 より↑クリック
2007年02月09日
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滋賀にからんで、あちこちに顔を出しているが大阪とは違った面白さがある。昨日、守山の遺構からでた「紡錘車」は、最終的には遺失物届けされても警察が困るだろう。持ち主は、古墳時代の人でおそらく1600年も前の方。早晩守山市の資産になるのだろう。紡錘車にも色々あるようだが、以下の画像は自分がよこで眺めていたそれに近い。ご当地は、大手製造メーカーが用地買収してやってくるので県も自治体も税収確保として誘致に熱心なのだろう。いきおい遺構の精査や、遺跡発掘は名ばかりで体裁だけの作業に終始しやすい。遺跡発掘の美名のもと、土器や遺品を破壊する行為も横行しているようだ。しかし、それでも素人のおそろしさ。このような「大発見」を、たくまず実現してしまうこともある。プロでも遭遇することが難しいものが1600年の時をへて、地上に姿をあらわすに際してわれわれ素人が立ち会うというのはなんとも不思議な幸運という気がした。 紡錘車は、中央の穴に軸をさして回転しながら糸をよりあわせて強度を確保するものだということで高度な技術が背後にうかがえるものなのである。糸が多用できれば、意匠性の高い造形力が表出できるのは、女性ならば先刻ご承知だろう。その工作精度も相当なもので、穴の穿孔も特殊な工具とその任にあたる専門職の存在をうかがわせる。つまり単純な穴あけなどではできない道具なのである。回転にかかわる道具なので、中央穿孔には繊細な持具と根気のいる工作、そしてその際の研磨剤などの知見が必要だ。その水準をささえる社会が、古墳時代にあったことをいまさらながらに驚いて眺めてみる。われわれの現代の都市流通だって、まだまだ最適化の途上である。古墳時代当時に、海外からの高い水準の生活文化が流入してきて、それをこの国土ではぐくみ根付いていたことがこの遺構から飛び出した一アイテムからも伺える。
2007年02月09日
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数年前から、滋賀県の環境ボランティア活動に参加していることはすでにご承知のとうり。実は、母親がアメリカの戦闘機にあやうく殺されかけた守山市の空の下、いま市教育委員会の関与する区画で遺跡発掘作業に参加したりしている。今日、たまたまYさんらと遺跡発掘の実務に参加をしていたら、強い運気のYさんがいきなり壮絶にビッグアイテムを掘り当てた。今日の話である。粘土層の整地に、農具をつかうがそこにガリっとひっかかった。とりあげたものをみていきなり「大発見だ」と関係者の絶叫だった。そういうこともあるものだ。どのようなものかというと、「紡錘車」と呼ばれる遺物である。 発掘現場で、学芸指導員の人たちが永年の現場歴でも過去にみたことが滅多にないという珍品なのだそうだ。自分だったら、たぶん遺物だと思ってはいてもゴミと区別がかなかった可能性が高い。
2007年02月08日
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5000年前に埋葬された若い男女の遺骨は、近代都市にあって多少魂を病んでいながら暮らすことを余儀なくされていてさえ、なお我々が辛くも「健常」でありさえすればおそらくさまざまなファンタジーを脳裏に惹起させるものがある。皆さんは、今から5000年前というイメージで、どんなことを思い浮かべるだろう。自分は、5000年という時間についてあまり悠遠な隔たりという月並みな感覚を生じない。すでに往時エジプトではピラミッドが熱心に建設されていた頃だし、チグリス、ユーフラテス川に挟まれて生活したその時代のシュメール人は、大麦・ヒヨコマメ・ヒラマメ・雑穀・ナツメヤシ・タマネギ・ニンニク・レタス・ニラ・辛子を栽培していたらしい。家畜として、すでにウシ・ヒツジ・ヤギ・ブタを飼育された。 生活の近隣には、雄牛を飼い、農耕に土木に活用した。これは自分が小学生ごろに父母の実家に出向いた頃の風景と大差ない。つまり、五十代の我々の幼少期は江戸時代と地続きな風景を間違いなく見聞きしてきた。5000年前の社会は、すでに我々が体験したあの中世の起源ぐらいの近さなのである。、主要な輸送用動物としてロバを使役した。なんだロバかと思われるかもしれないが、都市の生活に輸送手段を確保していたことの意義は、大きい。ロバがトヨタのカローラになろうとその行く先にバザールがあるのか、ジャスコがあるのかだけの差異ではないか。また、シュメール人は魚や家禽を狩った。彼らの脳裏にある意識活動が現代人のそれと同じだとは言わぬが、都市を形成し始めた人類の文化的錬度は、どうしても類人猿らのそれよりも、遥かに現代人の我々に近いとわたしは思う。埋葬された男女については、個人的にさまざまな推量、ロマンチックな投射もできるがそれについては多少の含羞もあり、わざわざ披瀝することもいらないだろうと思う。しかしここで注目すべきは、むしろ埋葬に際し関与したこの男女の周囲の近親者の思いのほうだろう。なんと優しい。この若い男女へのいたわりの気持ちだったのだろうか。いや、そうではなく何か他の社会関係のもたらしたものがが自ずとこのような埋葬スタイルを結果したのだろうか。実は、その二系統でさまざまに思い巡らせた。A 生前この若い男女は、傍目にも麗しい心の疎通の行き届いた相愛のカップルだった。それを周囲が認知し、なんらかの事情や疫病で夭逝した際に近親者が「あの世」での愛の成就を祈念して埋葬に心遣いをした。B ある都市の貴人、もしくは富裕な分限者の子弟だった男子にはいつもつきそう同年代の卑女がいた。身分は違うが、幼馴染であるこのカップルは兄妹のように育った。身分が違いすぎるために婚姻は遂げられないものの、双方はもっとも心を許せる主人と従者という風に村では見做されていた。もしかしたら男子は一人っ子だったかもしれない。ところが、男子は長じて体の健康を崩し病床に伏せた。女は、だれよりも男子の快癒を願い看護に世話に昼夜かいがいしく立ち働く。不幸にも男子はその若さにもかかわらず息をひきとり、卑女は疲労困憊し世を儚み男子と同じ墓に埋葬されることを懇願した。卑女は生前婚姻は遂げられなかったが、近親者は埋葬に際してはその願いを満たすことにした。 まあ、ざっと思いつくことを2系統ぐらい昨晩からイメージした。多少の可能性はあるイメージかもしれない。いずれにせよ、都市生活が社会規範や個人の願望に喰いこんで次第に類人猿のオスメス式のようには立ち居振る舞いがナイーブには参らぬ時代が、すでに5000年前に始まっていたのではないだろうか。かつて所有=非所有の発生についてこのブログで取り上げたことがある。ご関心があれば、そちらを通読いただきたい。 ↓クリック「不倫と経済社会」
2007年02月08日
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ご覧をいただいている画像は、若い男女が何ゆえか抱擁したまま埋葬されたという遺骨なのだという。ただ、尋常ではないのがこの遺骨が5000年、6000年以前との年代測定がされているところにある。事実とすれば、我々に強い心的な「動揺」を与えるだけの衝撃力があるような気がする。どんな理由で、夭逝したのだろうか。また、周囲の人たちがなにゆえ抱擁させてあげてまでの埋葬をしたのだろうか。この一対の男女は、愛し合う若い恋人たちだったのだろうか。理由は、分からないがなんともいえない気分にさせられる。あのイエスや釈迦、モハメットよりも遥かに遠い人類史のかなたで、それでも人と人が強い心の結合を祝福されて埋葬されるという事件が存在した。これは過去についての出来事であることは言うまでもないのだけれども、遺骨の埋葬者にとっての「未来」について、ひとつのメッセージなのだとして考えれば、21世紀の我々にとっても身震いするような「体験」でありえると思う。2月6日、イタリア北部のマントバ近郊で5000─6000年前に埋葬されたとみられる抱き合った男女の遺骨が見つかった。提供写真(2007年 ロイター/Enrico Pajello) (2007年02月07日 15時24分)
2007年02月07日
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冬になると、つい店頭で水菜(みずな)を手に取ってしまう。親父も、みずなが好きだった。一人で暮らしているときも、鍋の中にみずなを煮炊きしているのをみた記憶がある。家族が、まとまりを持っていた時代にはハリハリ鍋で夕餉を迎えたことが思い出される。冬の恒例だった。さっこんのサラダみずなではない。鯨の油と馴染むあの繊維が手ごわい往年のみずなである。最近、品種改良をしてサラダ感覚で食べるようになったのを知って驚いた。鯨が高級品になった今は、贅沢な食べ物だったように言われるが当時は庶民中の庶民の食べ物だったのである。さらに貧しかった我が家では、ツナ缶を多用していたように思う。最近、滋賀で自炊しているのは手にはいるサラダみずなであるから手早く調理をする。まず豚バラ肉を適当に切って、フライパンで炒める。味付けは塩コショウーだ。皿に取り置きして、フライパンを洗わずにそのまま適当なサイズに切りそろえた水菜を炒めて、しんなりしてきたら鶴橋のキムチを加える。最後に豚バラ肉を戻し仕上げにはゴマ油と醤油を少し。皿に盛ったら、鰹節削りをまぶしたりすることもある。キムチとみずなは、異種格闘技系である。
2007年02月06日
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39歳の青年と親しくなった。39歳で青年か、どうかはここでは議論しないが本人が気にしているほど彼はおやじ臭くはない。若い時期に、好きにして暮らしていて、いまだにフリーターだ。彼に、会うと私がいつも「会社を始めろ」というので気になっているらしい。彼の年齢から今後5年程が、たぶんその後取り返しようがない貴重な時代だとふりかえって思い至ることだろう。やりたいことが50歳前になって出てきてもそのときに会社がなければ、ほとんど手がつけられはしない。いま会社をつくり、基礎になる与信とキャッシュフローをかたちにしておく好機だ。もしここをはずして景気後退局面がくれば、会社をつくり基盤整備を行うのにまた10年近く待機しなければならない。となると日本の凋落ぶりは悲愴な域となっているだろう。ようやく自分のライフワークが見つかったとしても、他者にどかんと依存するスタイルになる。体力は衰え始め、気力もうせ、事業の基盤を整備していなかったために、始めたビジネスプランはことごとく他者に依存し、依存どころか丸ごともってゆかれて御仕舞いということも想像できる。この展開を読めれば、いま彼はやっておかねばならない事が多く包囲されているぐらいの気分でいなければならない。そんなことを言うと、少し考えてからやっぱり分からないと首を傾げて笑う。余裕があるのではなく、体感で何を言われているのが理解できないという意味なのだろう。分かったときは遅すぎる。
2007年02月06日
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あの江原啓之が、個人雑誌を発刊しているらしい。驚くばかりである。題して、「あの世」というらしい。新潮がチョウチン持ちしてでっちあげた雑誌らしい。宜保愛子の登場あたりから、霊能者が開けてリベラルな雰囲気を演出しているのは、ひとつには、彼らの存在そのものがテレビという媒体の解体散開期にあるという過程に深くかかわっていると思う。過去つぎからつぎと霊能師を持ち上げては消費してきたのが黎明期以来つとめて小まめだったのがほかならぬテレビという媒体なのである。オーム真理教だって、テレビが徹底的に味をしめた教団だった。カルトであれ、武装ゲリラであれ、稼げるネタにして恥じないテレビというメデアが駆逐されるまでこのような烏雄が今後も輩出してくることは間違いないと思う。「ある雑誌が、年末年始に放送された江原と細木の特別番組の視聴率を比較する記事を企画しました。この雑誌は取材などで江原にお世話になったことがあるので、一応、江原にお伺いを立てた。すると江原は霊能師の私と占い師を比べるとは何事だ。くだらない記事を書くなら、今後そちらの雑誌には一切協力しないとカンカンだったそうです。女性誌は、江原を登場させると売れ行きが一気に5万部増えるといわれる。この雑誌は泣く泣く、企画をオジャンにしたそうです」(マスコミ関係者)江原が激怒したのは、年末年始の特番の視聴率と無縁ではなさそうだ。実は、いずれも細木に軍配が上がっているのだ。江原はでっぷりと太っていて寛容な印象がある。デンと構えていればいいものを。意外に神経質な人なのだろう。雑誌などといっても、いきなりゾッキ本必定のようなしろものだが、驚いたのは特集記事の中にあの脳科学者、茂木健一郎が登場して対談をやらかしている。江原の質問に答えるような導入だが、次第に江原の霊能について科学者としての立場から「権威づけ」を演じなければならなくなる。そこで着地点を印象して読み進んでいったが、茂木は面白いことを言っている。ようするに江原の放言、ファンタジーは、脳科学からみても、異議申し立ての余地なしというのである。あの大槻教授とは対極的だ。妄言も電波も、江原系霊能もなんでもアリというのが脳みそだというのである。まあ、それはそうだろうが少々テレビ頻出の茂木先生、江原の電波的影響行使にポリティカルすぎるんでないの?どちらも炭水化物大好きおじさんのようだ。思想的はもっともっとダイエットされんことを期待したい。
2007年02月05日
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折れたらあかん。 NTTドコモとバトルだ。バトル大好きおじさんであるシャルドネを怒らせたのが間違いのもと。個人情報保護法解釈でもめた。 実は、この話には前段がある。父親の死去に伴い、過去の通話記録が必要になった。交際範囲に最新の知見がいる。挨拶も連絡もしなければならない。事前にドコモに連絡をいれたら、大阪府下どこにでもあるドコモショップの窓口で対応できるという言質をとっていた。だから今週妹が実行して、ふたたび個人情報保護法を楯にとるとは夢にも思っていなかった。 実は、妹からの電話で通話記録をださないと窓口で言われたというのだ。妹にすれば、悔しいという。ドコモの窓口で、父親の了諾なしに通話記録は出さないというのである。これだから電話屋は信用できない。社会信用が高い企業に勤務しているからといって、電話屋ほど、たちの悪い人種はいないと内心思っている。みなさん、ご存知ないだろうけれども電電公社時代から、電話屋の中はどいつもこいつも公私混同のこそ泥まがいの人種ばかりだと経験的に知っている。 妹の嘆息から、俄然闘志が湧いてきた。 むろん、根っからの紳士であるから胴間声で恫喝するなどというようなスタイルではない。理路整然と抗議した。 1、事前に確認すみ。2、顧問弁護士に遺書もつくるという用意周到の故人の意思を受けてのもので委任状すら用意できる。これをもって通話記録がだせると言明したのはドコモ側である。回答では大阪府下どこのドコモショップでも対応できると聞いた。3、妹は、錯誤により、つまりドコモショップが過去通話記録を提示できると誤認させたために電話を解約している。これは店の窓口側が妹の錯誤をさそったものだ。つまりは騙されたようなものである。私も、事前にドコモに確認をいれている。私もドコモに騙されたという認識である。4、個人情報保護法には、きちんと法令の中にたとえば22条第1項のように「適用除外」を規定しているではないか。法を楯に取り、わざわざ妹にせでもがなの解約までさせた担当者は、きわめて不当なサービス姿勢である。 この程度のことを述べるのに、電話を2度も、3度もやりとりした。馬鹿ばかしい。 電話も、3度目になるとシャルドネも生地が出てくる。こちらの論旨にロジカルさは、ますます研ぎ澄まされるが、むかし使いまわしに多少おぼえのある河内弁全開だ。たまに使うと語彙に刃こぼれがあるかもしれないが、所詮組織の末端のショップ責任者など、圧倒的な論陣(語気)の前にほどなく白旗。全面降伏である。 なんと、委任状の提示もなしにいきなり郵送で個人の通話記録を送ってくるという。笑えてしまう。法律解釈など、このように組織の窓口の保身か、自己都合で猫の眼のようにかわるものだ。簡単に折れてはならない。妹に、早速連絡したが通話記録がでるという事を聞いて、逆に怒り出した。女だからと、舐めている。電話口に男がでただけで態度を豹変させるドコモの窓口とはなんという不公正なセンスの持ち主なのだと。 所詮、この社会はこういう「退嬰的な感覚」でまわっているのである。大人しくしているわけには行かない。
2007年02月04日
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スパインといっても、なんのことか分からないだろう。spineとは、普通ならば脊椎とかいうような意味なのだけれど、脊椎のイメージで突起とか、棘とか訳されるときには今この意味合いに新たに付与されて用いられる固有の特段な世界が生じた。それは分子生物学の新しい発見が、スパイン様の細胞組織の存在として判明し「もうひとつのスパイン」とでも呼ぶべきなニュアンスがもたらしたのである。 難しそうだと思わずに、冷静にながめて欲しい。われわれの記憶、ひいてはわれわれの人格、その個性がここを「根拠地」にしているのだ。ついに人類の視野が、そこまで及び始めた。成熟した脳の錐体神経細胞の樹状突起には無数のスパインがあり,グルタミン酸受容体や,シナプス後部肥厚タンパク群,アクチン細胞骨格タンパク群が階層的に集積している。我々は最近,樹状突起フィロポディア内のドレブリン結合型アクチンの集積が、シナプス後部肥厚タンパクの集積を引き起こし、スパイン形成を制御することを見いだした。スパインアクチン細胞骨格の形成こそが、興奮性シナプス成熟の本質であると述べたい。大脳皮質錐体ニューロン上の樹状突起スパイン(棘突起)は、活動依存的な構造変化を起こし、これが記憶・学習の細胞基盤であると提唱されている。しかし、そのような構造変化と長期増強現象のようなシナプス可塑性がどう関係するのか、また、そうした可塑性が1個の樹状突起スパインレベルの入力特異性を持つか、といった問題は未解明である。今回、海馬CA1錐体ニューロンの単一スパインに、ケイジドグルタミン酸を2光子励起法で光分解して投与することで、長期増強の構造基盤を解析した。量子的放出に相当するグルタミン酸の光放出を繰り返すと、刺激されたスパインに選択的にその頭部が急速に増大した。スパイン容積増大は大型のキノコ型のスパインでは一過的だが、小型のスパインでは持続的だった。さらに、スパイン容積増大は、刺激されたスパインに選択的なAMPA受容体を介した電流の増加を伴っており、またNMDA受容体とカルモジュリンとアクチンの重合に依存していた。これらの結果は、棘が1個ごとに個別にヘッブの学習法則に従うことを示している。さらに、小型のスパインが長期増強の好発部位であるのに対し、大型のスパインは長期記憶痕跡の物理的実態である可能性が示唆された(Nature 429: 761-766, 2004)。実は、このレーザー光線の刺激によるマーキングで現認され始めさらにその活動がグルタミン酸(あの味の素のようなものだと思えばいい。カツオ昆布の旨み成分だ)受容体による肥厚誘導される脳組織の微細単位が、たとえば個別に空間認識の感覚形成などを踏査するとなんと女性ホルモンが大きくその形成と集積度に寄与しているという事がわかってきたらしい。そもそも男は、女に生まれた胎児の一部が内分泌系で誘導されて分離した人類。だから体験蓄積には女性ホルモンが誘導する。そういうことなのだろうか。むかしから巫女に代表されるように、憑依トランスするのが圧倒的に女性が多いのもなにか根拠性、普遍性があるのではないかと自分は子供の頃から推量してきたが、このスパインが断然女性ホルモンにより空間的な具体感を形成しているのとも疎通しているのかもしれない。
2007年02月03日
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妹から連日レポートが来るが、けして主婦の仕事ではない。長年法律事務所に勤務して実務を担当していた妹なので網羅的で、緻密に詰めて親父の晩年を検証してくる。兄妹で慨嘆するのは、周囲に取り巻く女の数の多さだ。どうも親父は、いかにもという風に思えるのだが、女については質よりも量という人だったと思える。養子だった祖父は、ともかくも曾祖父、高祖父の頃からの血筋なのだろうか。よくもこまめに女をコレクションしたものだと思う。それが、どれも安っぽいのである。ひと口、ほりこんだら吐き出すような手合いが多い。たまにまともげなのがいるかと思っても、せいぜい曽根崎新地のお姐さんで、債務保証にまわって焦げ付かせているのを弁護士をいれて請求しているのやら。 つまり女とは、すべてカネにからんでの絆であると、達観していたフシもある。どうやら親父にとってみて、ついに女はどこまでいっても所詮請求書印刷機のようなものだ、と割り切って暮らしていたのではなかろうか。そう思うしかないほどなのである。それでも妹によれば、それぞれの女性についての格付けがあるらしい。もっとも本人にとって重きをおいていたらしきは、タンスの底から写真が沢山まとめて出てきた女性だろうという。そうすると病床で、死に水を取るとわれわれ遺族の前で豪語していた某女性は、結局便利屋さん。せいぜい入念な身の回りの世話を託すための介護医療関係者のチャーターぐらいの位置づけだったのかもしれない。周囲の人たちは、その女性を実のところ二号さんだと思っていた人もいて、知らない人は親父の後妻だと信じていたそうだ。しかし、兄妹には分かっているが、絶対に離婚届に捺印しなかったのも父親である。ひとつには、自由になる金が半減することと、国に税金を取られるのが絶対に嫌だったというのがありそうだが、われわれ兄妹には分かっている。生きているあいだに女房に、つまり母親に対して自由になる金を渡したくなかったのだ。世間では、こういう因業オヤジが存在することをまったく知らずに生涯を終える人もおられるのかもしれないが、自分の父親がそういう奇矯な人格であることは人性の本質的な部分を理解するためには大変寄与するものである。親父のおかげで、親鸞などの読解がたいへんよく進んだ。親鸞は、このようなわが親にしてすら「往生を遂ぐ」と言明したのである。普通の親ではないが、可愛い親父だったと思う。善良な世の父親たちが、往生できるのであればこのような無茶な親父が極楽往生できない筈がないと思う。家族には冷淡に限りなく近いスタンスでありながら、地域社会や飲み仲間、遊び仲間には手厚く金をばら撒き続けた。ばら撒くほど金が続いた筈が無いのだが、とりあえず家の外では金を撒く相手から鴨扱いを受けていてさえ、その自覚もありや無しやひたすら金を撒き続けていた最晩年だった。また、あるとき、「唯円房は、わがいふことをば信ずるか」と、おほせのさふらひしあひだ、「さんさふらふ」とまうしさふらひしかば、「さらば、いはんことたがふまじきか」と、かさねておほせのさふらひしあひだ、つつしんで領状まうしてさふらひしかば、「たとへば、ひとを千人ころしてんや。しからば往生は一定すべし」と、おほせさふらひしとき、「おほせにてはさふらへども、一人も、この身の器量にては、ころしつべしともおぼえずさふらふ」と、まうしてさふらひしかば、「さては、いかに親鸞がいふことをたがふまじきとは、いふぞ」と。「これにてしるべし。なにごともこころにまかせたることならば、往生のために千人ころせといはんに、すなはちころすべし。しかれども、一人にてもかなひぬべき業縁なきによりて、害せざるなり。わがこころのよくてころさぬにはあらず。また、害せじとおもふとも、百人千人をころすこともあるべし」と、おほせのさふらひしは、われらが、こころのよきをばよしとおもひ、あしきことをばあしとおもひて、願の不思議にてたすけたまふといふことをしらざることを、おほせのさふらひしなり。親鸞「歎異抄」第十三条またあるとき、聖人は「唯円房、私の言うことが信じられますか?」と仰せられたので、「はい、信じます。」と申し上げたところ、「それでは、私の言うことに決して背かないか?」と重ねて仰せられたので、謹んでお受け申しましたところ、「それでは人を千人殺してみなさい、そうすれば必ず浄土に往生することは間違いがありません。」と仰せになりましたが、その時私は、「お言葉ではございますが、この私の器量では千人はおろか、一人も殺せそうにはありません。」と申したところ、「それではどうして、親鸞の言うことに背かないと言ったのですか?このことによって思い知らねばなりません。どんなことでも心に思うままになるのであるならば、浄土往生のために千人を殺せと言われたら殺すことができるはずです。しかし、殺さなければならない業縁がない以上一人も殺せないのです。自分の心が良くて殺さないのではありません。またその反対に、殺さないつもりであっても、百人・千人の人を殺してしまうこともあるのです。」と仰せられました。これは自分の心が良ければ往生ができて、自分の心が悪ければ往生ができないと勝手に思い、不思議なご本願により往生させていただくということを知らないためにおこる誤りへのおさとしのお言葉であります。記憶では、親父が母親について「殺してやる」ぐらいのことは口走ったように聞く。だが、兄妹はそんなことを実行できもしないし、やれっこないのを知っている。そもそも自分たち兄妹の前でそんなことを口にしたことは、一度もない。つまり、親父は母親に認めて貰ったことが一度もないということが不満でならなかったのだ。親父は、一度ぐらい本気で母親に感謝されたかった人なのではないだろうか。そのように思われてならない。親父が、母親を殺すことが絶対にないというのは、そもそも女房に認めてもらいたいという動機で生きてきた男が、その相手を殺せる筈が無いからである。入れ替わり立ち代り女を漁っていたのも母親が嫌がるのが愉快でならなかった、という面が必ずある。つまり、女房離れがついに終生できないままだったのが当該のわが親父なのである。さらに、親父も母親も滋賀の人である。双方、大家族で村ひとつ離れていない近隣同士。相互にその近親、縁戚が地域社会で見事に複雑な交際が重なり合っている。こんな関係で、どうして殺し合いなどできるものか。旅客機の中で発砲するような真似ができる筈がない。自暴自棄になることがあっても、ぜったいに母親を殺すなどできないのが親父だったと思う。夫婦が、殺しあってバラバラ殺人が実行できるのも都市生活がもたらした固有の悲劇だ。わたしがこのブログで繰り返し「運気」だといってきたのは、そのようなものを包含して述べている。左翼には、このような運気についての基本洞察がない。だからリンチ殺人などで、思想上の同志をまんまと刺し殺せるのだ。
2007年02月02日
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*** 様 お世話になります。NHK「日本の、これから」のK生(匿名とする)と申します。この度は番組のアンケートにお答え頂きまして、誠にありがとうございます。アンケートの内容につきまして、いくつか補足的にお伺いしたい点がありまして、本日、お電話しましたがいらっしゃらなかったのでメールを送ります。改めてお電話する際、ご都合のよい日にち時間などございましたらお教え願えませんでしょうか。時間は15分から30分ほどをかかると思います。何とぞよろしくお願い致します。NHK「日本の、これから」 K生〒150-8001 東京都渋谷区神南2-2-1TEL 03-3467-6883 FAX 03-3469-1799 こんにちは。以前、クローズアップ現代コメンテーターY教授の紹介ということでNHKのディレクターと称する方から電話で質問を受けたのですが、あまりにも取材対象のテーマの練度の低い方で失望した記憶があります。Y教授は、仕事でしょうからNHKのご機嫌をとるために腐心されるのはご自由ですが、紹介されたといっても私がNHKにリップサービスせねばならない動機も義務もあるはずもなく、簡単な初歩的質問を逆にさしあげましたが黙殺されました。このような失礼な真似をなさる方の電話であれば、申し訳ありませんがご辞退いたします。私は、8時以後には部屋におります。仕事中には、電話でお話は難しいと思います。シャルドネ ***様メールありがとうございます。以前、NHKの番組取材の際にご不快な点がございましたことをお詫び致します。私どもの番組につきましてご説明したいと思います。「日本の、これから」は一昨年の春から2ヶ月に一度放送している市民討論番組です。テーマはこれまで「格差社会」「人口減少」「増税」「男女共同参画社会」「若者」「米軍基地」「アジア外交」「医療」「ネット社会」など日本が抱える問題について取り上げ、3時間に渡り討論する「市民が主役」「予定調和無し」をスローガンにした生放送番組です。番組に出演する市民は基本的に番組ホームページのアンケートにお答えいただいた方の中から、まずは電話でアンケートの内容を補足的にお聞きし、直接お会いした上で、ご出演いただく市民の方全体の世代、性別、意見のバランスを精査して、正式にお願いするという過程で選考しております。アンケートにお答えいただいた***さんの団塊の世代に対する意見、そして「きれい事の多いNHKだから、きれい事で流れるだろうと思ってみている」という点が気になり、連絡をとってみようと思い至った次第であります。具体的なご質問をする前に、まず以上の点をご理解頂き(生放送のご出演をお願いする可能性があるといいうこと)その上で、お話しをお伺いできるのであれば、改めましてお電話させていただきたいと考えています。よろしくお願い致します。NHK「日本の、これから」 K生〒150-8001 東京都渋谷区神南2-2-1TEL03-3467-6883 FAX 03-3469-1799 K生(匿名とする)さま前回電話で質問した方は、Nと自称されていましたが彼の携帯電話番号は090********となっていました。私が知るところは、これだけですが少なくとも紹介者のY氏は、リアルビジネスの実態的な側面を記者に知って欲しいという願望から紹介されたのではないかと推量します。ところが、N某は自身のイメージしているベンチャー事業についてきちんと個人としても定義をもっておられず最初から話が噛みあわないと危惧しました。ついに定義を明確にいだかずに番組を維持し続けたもののように思われます。当然このような番組に価値があるとも思っておりませんし、拝見したこともありません。まず、なぜ彼がベンチャー事業に自身なりの定義も抱かずに取材活動を続けられるのかをお聞きしたかったわけです。今回もそのような蒟蒻問答になるのであれば、別段メデアに関心はありませんので他の方をあたっていただいて結構です。昨今、個人ですら数十万アクセスのブログを保有することはさほど難しいことはありません。発言の機会がマス媒体である必要は、こちらにはさらさらないという時代になりました。従って、生放送に出演できるとかできないとかは私にとって格別意味がある事とは思っていません。むしろ、取材される皆様の裁量範囲で無意識に出来合いの予定調和へ誘導されるという危惧を払底できるのかどうかです。私などを本気で生出演させると大変でしょう。逆に、お立場を斟酌いたします。ベンチャー事業の件でもそうですが、出来合いのステレオタイプから逃れられない番組制作者の諸兄が、結局はあの「あるある発掘」と大差ない真似を日常で常套とされているのは、ご心配をいただかなくても大多数の国民は気づいております。シャルドネ ↓クリック
2007年02月02日
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妹から電話があった。実は、妹と2時間近く話をしたのは30年ぶりぐらいだ。親父の葬式以前には皆無で、わが家がいわゆる家庭としてはかなり奇怪なものだという「共通感覚」が疎通できるのは、唯一兄妹二人だけしかないという現実が、妹をして数十年ぶりの長電話を余儀なくしたものだと思う。妹は鋭敏で、もう十代から相当家について構えていたように思う。自分は、その点昼行灯みたいや奴なので、最近ようやくその所在なげな我が家の特異性について言及ができるようになった。その証左が、この楽天ブログの基調にある。勘のいい読者は、もしかしたら私の迷走するログの底流にあるその部分を多少は察知されているかもしれない。妹は言う。父親が、やはり普通の人ではなかったし、母親がまた歩く超常現象みたいな人だという風に描写している。逐一もっともだと思う。自分が、父や母を描写するよりも彼女の方がまんべんなくその持ち味を見通しているような気もする。実は、彼女の方が自分よりも遥かにロジカルだ。なるほどと、彼女の枚挙する判断の根拠に、たじろぎながら耳を傾けている。ああ、なるほどそうだったのかという気づきも多い。彼女の話を聞いていると、どうも自分の関係認識がつねに皮相であるような気がしてきた。生物としては、わが親父の方が遥かに尋常な個体だったような気がする。良い悪いは別にして、生得的な人間の感度にはストレート。良い意味でも悪い意味でもナイーブだった。一方わが母親は、あの幼少時の三島由紀夫のように実母がいるにもかかわらず大勢の姉妹の中から隔離されて祖母に育てられた。彼女は、そんな我侭放題の祖母の後ろ盾で、猛烈な自己中心主義に自分自身を最適化するというような面があるというのだ。なるほど、悪意はないし、猛烈に親切な人なのだけれども、どこか押し付けがましいという点がある。これに親父は皆目馴染めなかった。性格の不一致という以前、もともと近づいてはいけない男女が不幸なことに、婚姻関係にあった。しかもその婚姻は、当初から破綻しているにもかかわらず60年続いた。間違っても結婚してはいけなかった男女が離婚もせずに戸籍上の婚姻関係を維持し続けたために、滑稽なことが沢山生じた。妹は、実に明快だ。わが両親は、少なくとも80年代以前に離婚するべきだった。親父は、不思議な見栄体裁と実利のために、母親は、これまた固有の機会主義のためについに離婚の機会を逸した。これが、思えば両親それぞれにとっての不幸だというのである。当時、双方離婚について相当考えを巡らせるチャンスが何度かあった。結果、主に母親の優柔不断と父親の楽観からかついに離婚することがなかったが、終生相互に憎しみあっていた。これもよくよく考えれば不幸なことだ。自分らは、当時三十代で、両親の離婚選択がむしろ正解だったと思っていた。いま考えてみても、人間の晩年として、もう少しまともげな演じかたも可能だったのかもしれないと思う。ただし当事者の問題である以上、最終的には子供がなんとも口の差し挟みようがない。
2007年02月01日
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