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ここの日記の特徴だろうか。二三日ぐらいアップを滞っていても、結構な読者数だ。大変恐縮に思う。おなじみの諸兄が、足跡を残してくださっている。話題についての関心も読み解きできるので、ひとつご提示させていただく。この書では、もはや現代人の基礎素養に浮上してきた「原子力政策の明日」を予測する上で欠くことができない知見を得られることかと思う。中曽根康弘の背後にいるものは、正力松太郎であるとか、どうとかはともかく。いずれにせよ日本が抜き差しならない「カンヌキ」にはめられてゆく過程が描写されている。
2007年03月30日
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今年は、懐かしい人が続々他界します。
2007年03月29日
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「警視庁人脈で固めたから読売は伸びた」と自慢した正力「失業インテリ」や「アカ」の反抗を防ぎながら、安くこき使うためには、それなりに社内の労務支配体制をも強化しておかなければならない。『伝記正力松太郎』では、正力が、「社務の統括をする総務局長には警視庁で当時特高課長であった小林光政、庶務部長には警視庁警部庄田良」を、「販売部長には警視庁捜査係長をしていた武藤哲哉」を任命するという具合に、いわゆる本社機能の中心部分を「腹心をもって固めるやり方」をとったとしている。そのほかにも、警視庁以来の秘書役だった橋本道淳、警視庁巡査からたたき上げて香川県知事にもなったことのある高橋雄豺、「説教強盗」こと妻木松吉の逮捕で知られる元警視庁刑事の梅野幾松などの警視庁出身者を、つぎつぎに引き入れた。 以上の最後の「梅野幾松」は、わたしがいた当時の日本テレビでも、正力の側に必ず控えていた。身辺警護の忍者といった雰囲気の小柄な老人であった。日本テレビには、ほかにも何人かの元警察官がいた。その内の一人は労働組合のある職場の委員に選ばれていたが、当時は執行委員のわたしの耳元で、「木村さん、元警察官を信用してはいけませんよ」とささやいたことがある。「わたしたちは組合の会議や行動をすべて会社に報告しなければならないんです。昔からのしがらみで、逃げることはできないんですよ」というのであった。 もちろん、元警察官のすべてがそうだと断言する気はない。だが、読売に乗りこんだ当時の正力が、社内の要所要所に配置した元部下から常に社内情報をえて、労務支配を有利に進めていたであろうことは想像にかたくない。http://www.jca.apc.org/~altmedka/yom-10-7.html電網木村書店 Web無料公開『読売新聞・歴史検証』以前にもご紹介した「巨魁伝」などの素晴らしい仕事のおかげで、視力の乏しい自分のような人間ですら、正力松太郎が、少年少女野球ファンに長嶋茂雄を与えた好々爺などではないことが読み解きできるようになった。正力が読売新聞社を、徹底して警察人脈で固めたというその中に香川県知事経験者という高橋雄豺の名をみて驚いた。高橋雄豺は、戦前には内務省で警保局警務課長という要職を経験している。あの日本版ゲシュタポ、特別高等警察(いわゆる特高警察)の事実上の指揮指導者だったのだから、おだやかではない。太平洋戦争時代には、読売新聞副社長と兼務しながら主筆として戦争をもっぱら鼓舞する立役者だった。わが妹が生まれる55年には、再び読売新聞社で副社長兼務の主筆に復帰している。この頃に、高橋と呼応するように巣鴨刑務所から読売新聞社主として正力は、日本の野球、読売ジャイアンツの戦後史に圧倒的な存在感を示すことになる。2006.2.16日号週刊新潮は、早稲田大学の有馬哲夫教授の「CIAに日本を売った読売新聞の正力松太郎」記事を掲載した。同教授は、米国公文書館の公開された外交機密文書からみつけ、「正力松太郎がCIAに操縦されていた歴史的事実」を明らかにした。 1954.3.2日、中曽根康弘によって日本の国会に始めて原子力予算が上程された。4月に成立すると、日本の原子力政策は巨額の税金を「利権として吸い上げる」構造的汚職の巣窟と化して行った。この時の原子力予算は235億円。 中曽根のこの動きを背後で操っていたのが読売新聞の社主・正力松太郎である。正力は、戦後、戦犯として訴追され、政治生命を断たれた。その正力が戦犯解除されるに当たってCIAとエージェント取引したことが考えられる。同じような経緯で取引した者に戦前の特務機関系右翼・児玉誉士夫がいる。岸にもこの臭いがある。ここでは、まったくの余談であるが高橋雄豺の娘はある有名な人物に嫁いでいる。ほかならぬあの薬害エイズ、元殺人未遂容疑者こと安部英そのひとである。
2007年03月28日
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植木等は、日本が産み出したスーパーマンだった。彼の全盛時代を懐かしいと思う人は、すでに少ないかもしれないが抜けるように青い空が日本の未来と重なっていた時代に本音で生きて、やりたいことが必ずやれるという力強いエネルギー波動をスクリーンから観客である我々に送り続け絶大な支持を得た。歴代総理大臣のいかなる人物よりも、60年代植木等こそ遥かに大衆の圧倒的支持を受けたと思う。東宝の女優で、小学生時代の自分がおきにいりだった浜美枝がかならず同伴して不動のマドンナだったのが心地良かった。 親鸞は父母の孝養のためとて、一返にても念仏申したること、いまだ候はず。そのゆゑは、一切の有情はみなもつて世々生々の父母・兄弟なり。いづれもいづれも、この順次生に仏に成りてたすけ候ふべきなり。わがちからにてはげむ善にても候はばこそ、念仏を回向して父母をもたすけ候はめ。ただ自力をすてて、いそぎ浄土のさとりをひらきなば、六道・四生のあひだ、いづれの業苦にしづめりとも、神通方便をもつて、まづ有縁を度すべきなりと云々。 『歎異抄』母親は、なにか事あるごとに親戚の誰れそれに世話になった、感謝せよと言う。いわば感謝の強要を繰り返し述べるのだが、自分からすればこの世に生を受け他者に世話にならぬなどという事は絶対にありえない。われわれは、好むと好まずにかかわらず他者の圧倒的なお世話さまによって生きている。とりわけ、植木から被ったエネルギーは自分の人生の中でも有数の感謝で応えねばならないほどのものだったと思う。いかなる近親者よりも、それは透徹したものだったと思う。彼のおかげで、人生を悲観して過ごすことを無為だと断じることが可能になった。冥福を祈りたい。
2007年03月27日
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さて、科学技術庁がかつてとりまとめた「大型原子炉の事故の理論的可能性及び公衆損害に関する試算」は、精読なさったかな。そうなのだ。日本が、原子力発電所をめくらめっぽう作り始めたのはあの「三丁目の夕日」時代なのである。皆懐かしがって、涙を流しているあの映画「三丁目の夕日」のあの世界こそ、われわれに無慈悲なカタストローフをもたらしかねない災禍のタネをこの国土に撒き散らし始めた時代でもあったのである。そのことは、あだやおろそかに忘れないようにしよう。過日、わたしは以下のように述べた。運動エネルギーは、速さの2乗に比例、速さにするとおよそ千倍ということ。日常生活の中で、私たちが道具を使わずに出せる速さの千倍もの速さのものが飛んでくることを少しは想像てみよう。クルマの運転をしていればセダンぐらいにしか乗ったことがなければ、せいぜい時速140kmぐらいの体感だろう。カローラがいまかりに時速14万kmで高速道路を走行し始めたらあなたは運転ができるだろうか?時速140キロで走るカローラの制禦ができないわれわれには、秒速40キロ(つまり時速14万キロ)の速度など到底乗り物と呼び難いだろう。くわえて制禦の体系には、まっとうすべき持続が同時に問われる。原子力発電所の燃料は、ペレットという粒で構成されている。このペレット一粒はひとりの人間が、一年間使いたいだけのたっぷりな電気を、まんまと生産できるほどのパワーを帯びている。なるほど魅力的である。だが、その一粒のペレットが、死の灰に化けることは今どき小学生だって知っている。この死の灰は、ご希望ならば数万人程度を軽々と死傷させるほどのパワーも持ち合わせているのだ。これも広島、長崎を体験した日本人は、馬鹿でなくまともな人ならばみな知っている。つまり、ひとりの人間に電気を一年間与えるというご褒美に数万人の墓を「交換」してもかまわないという社会だけが、このエネルギーを用いるべきなのである。それは人間の社会ではありえない。それがわれわれの社会の根源的なまでの原則である。話を続けよう。毒ならば、毒でなくなるまで薄めようではないかと誰かが考えた。それは私でもあなたでもいい。とりあえず放射性物質の死の灰を水で可能なかぎり薄める。なんとか安全と呼べるまで死の灰を薄める。それはひとりの人間に一年間電気を与えるという、あの一粒のペレット分である。なんと驚くことに100万トンの水がいる。ただし、これは直後に必要なのは当然だが忘れてはならない。1千年後にも同様に1千トンの水がいる。さて、われわれの骨も、皮も朽ち果てた百万年後だ。人類が生存しているや、否やという時代だ。その時代が来てすら、そのペレットの毒性を薄めて環境から排除するためには10トンの水がいるのである。このような低劣な技術が「制禦の思想」と馴染むなどという馬鹿どもを、科学者と呼ぶに値するだろうか。
2007年03月26日
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「石川県って、まずいところに地震が行くんだねえ。」スカイプで、たまゆら1/fの旦那がのたまわく。いや、石川県に限らないだろう。地震語る前に、みなこれを読んでおきなされ。以下、「大型原子炉の事故の理論的可能性及び公衆損害に関する試算」といわれるもので、既に「古典の域」の書面だ。プリントアウトして精読されよ。そうだなあ、自分が中学生か、高校時代か。当時もはや電力会社は、この認識を持っていた。半世紀近く秘匿してきたわけでもなく公開情報になっていたはずだが、世間は関心を抱かなかったわけだ。かなり小規模な原子力発電所の事故を想定して、その被害推定をしている。これがなんと東京オリンピックの時代で、すでに被害総額一兆円規模だというのである。いま、大規模災害がいったん生じれば日本国が債務超過どころか、世界の最貧国になっても不思議がないほどの被害規模になるのは必定である。アメリカですら、政府機関がとりまとめた報告書で原子力発電所での事故が発生すれば軽く10万人ぐらいが死亡すると述べている。被害総額は、数十兆円規模を下回らないというのだ。人口密度を考えると、日本では壮絶な規模の被害になるのは予想できる。また、事故頻度についての研究では世界でほぼ3000炉年、つまりひとつの原発を10年動かせて10炉年、10の原発を1年動かせて10炉年という考え方を採用して、3000炉年に一度大事故が起きるという推計がなっている。それを過ぎれば、ますます事故の発生確度が高まってゆくのだ。いま世界に400基弱の原子力発電所がある。となると、大体8年おきに原子力発電所は、巨大災害を引き起こすリスクがつのってくる。これが実勢に近いようだ。スリーマイル島から、チェルノブイリのあいだに7年。むしろこの間隔が狭くなりつつある。20年前に日本では、33基ぐらいしかなかった。ところが、いまや55基もある。また、1万回に1回の事故を想定していたスペースシャトルが、25回目で大事故を経験した。つまり、8年間なにもなかったら、そろそろだと思って身構えよう。
2007年03月26日
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反原発運動家でない人でも知っている有名な話だが、アメリカで一度原子力発電所の開発時期に実際に事故が起きたらどうなるか、とばかりに原子炉をとりあえずひとつ爆発させたことがあるのである。まあ、古きよき牧歌的な時代だと思わずにいられない。これは、オフィシャルに記録として残っている。当然、もの凄く小さな奴だ。実験現場は、砂漠の上である。ご存知のとうり、蒸気爆発というやつが生じてものの見事に爆発はした。原子炉のふたが、吹き飛び水素爆発、蒸気爆発、そしてメルトダウン(炉心融溶)も実地検分されたのである。無論、原子炉は格納容器に覆われていた。まあ、電力会社はすべて知っているはずだ。格納容器などというものが何の役にも立たないのだという現実は、その実験からはっきりしている。瞬間に数十気圧がかかって、ものの見事に壊れるのである。格納容器というのは、深刻な事故以前のための安全配慮だという。炉心融溶するような大事故になると、もはや原子力発電所は、だれの手にも負えないのだ。つまり、原子力発電所の安全審査というものはそれら事故が発生しないというかぎりにおいて、機能する。そういう議論なのである。
2007年03月25日
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石川県志賀町の北陸電力志賀原発2号機(改良型沸騰水型炉=ABWR、出力135万8000キロワット)をめぐり、16都府県の132人が、同社(本店・富山市)を相手取り、運転差し止めを求めた民事訴訟の判決が24日、金沢地裁であった。井戸謙一裁判長は「電力会社の想定を超えた地震動によって原発事故が起こり、住民が被曝(ひばく)をする具体的可能性がある」として巨大地震による事故発生の危険性を認め、住民側の請求通り北陸電力に対して志賀原発2号機の運転を差し止める判決を言い渡した。(3月24日付朝日新聞)暇ネタで、楽天ブログを更新しようとしていたら地震だ。また、地震か。部屋掃除しなくて良かったのだろうか。棚が倒れてきたら大事だ。テレビで、北陸だという。やばい。あそこは、活断層(地震エネルギー往来の中心)の直上に原子力発電所をこさえて昔から日本壊滅の原因づくりに熱心な県だと思っていた。狂気の沙汰だ。だが、そういう怖ろしいものを平気で多産する国なのだ。いまや55基も全国展開中だろう。無邪気なものである。いよいよ危ない。
2007年03月25日
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そうだ。昨日、移動中に一度楽天ブログで取り上げようと閃いた。今、思い出したので取り上げておこう。本をよく読む人がいる。本を読まない人から、一種の敬意を寄せられる傾向があるようだ。だまって敬意を示しておればいいが、ついついお追従のつもりなのか「読書家ですね」だとか、「たくさん読まれていますね」だの、「博識ですね」とか口にする。余計なお節介という気がする。自分は、さほど本を読んでいるとは思えない。だいたいロクな本が部屋に転がっていないのである。個人的には、視覚的にはポルノも大好きで保管している画像の大多数は、動画も含めてインターネットで拾ってきた怪しげな画像はDVDで軽く数枚はある。しかし読み物としてのポルノは当然邪魔臭いだけ。皆目興味がない。昔から、春本、ポルノ本の類は嫌いで興味が湧かない。例外は、宇野鴻一郎ぐらいだ。ビデオショップでも、アダルト系を借りたことは少ない。例外は、代々木忠のもの。だが、それも幾本かみたら飽きてしまった。よくよく読み物とは、相性が悪いように思う。しかし、脳みその中にガラクタみたいなものを沢山ためているということは間違いない。こちらが本を沢山読んでいるように錯覚するのは人の勝手で、おそらく当事者があまり本を読まれないので、自分の知識量よりも多そうな人(多そうに挙動している人物)に読書家だと推量しているに過ぎない。実は、子供の頃。両親が、本を嫌っていた。どちらも農家の出身だから、家に本があるなどということは大問題。本を読むことはおろか、本を購入するなどけしからぬことだったようだ。自分の小遣いで本を買ったのは、小学生時代に堀江謙一の「太平洋ひとりぼっち」だったと思う。それも親は、露骨に嫌がっていた。高校を卒業する頃に、クロガネのスチール製の本棚を購入したが、父親から結構長時間意見をされて、その主旨は馬鹿な買い物をするな、という風な事だったように思う。子供の頃から本屋には出入りしても買い物ができなかった。だから、立ち読みで瞬間に内容を読み込んで、理解する習慣になっている。当時は、書店主からハタキをかけられることも少なくなかった。立ち読みは歓迎されなかったのだ。読んだことは、忘れないように友人に話したりするが、何を言っているのか理解できないと言われたことも多い。毎日ブログを書いているのは、一種の多動性注意力欠格障害のようなものだろう。脳内のガラクタも時々陰干しをしておかないと、脳内でノイズを出し始める。そのために、出し入れしている。その程度のことだろう。
2007年03月25日
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このとき私が痛感したのは、この役人たちと我々との間には公益性という ことについての認識に大きなギャップがあるということです。役人たちは 公益性を定義するのは国家の側であり、国家の役人がやっていることが 公益に則することであって、民間の人間がこれに異を唱えるのは公益に 反するということを、ほとんど無前提に言うのです。40代の課長クラスか ら始まって20代の係官まで、ほとんど全員が平気で言うのには驚いてし まいました。 1997年といえば、動燃はいわば全社総ざんげのような形で、今までの 事故を隠してきたり、正確に報告してこなかったり、あるいは情報を 十分に公開してこなかったことについて、自己点検を行い徹底的に内部 の体質改善に心がける、ということが大きく宣伝されていた時期にあた ります。実はその真っ最中に、昔と何も変っていない虚偽報告が行わ れていたことが明らかになったので、私は大変に驚いたのです。 高木仁三郎「原発事故はなぜくりかえすのか」学生時代、お気に入りの女優ジェーンフォンダが突然左翼運動家になってしまったには驚いた。彼女は、イデオロギーなんかと生涯疎遠でのたりのたりとしてくれて欲しかった気がするが、時代の情況がそれを許さなかったのだろう。彼女が主演して話題になった「チャイナシンドローム」は、上映されたときにも相当な衝撃をもたらしたが、その直後にアメリカでは、昨今誰も記憶していない事件が起きる。スリーマイル島で炉心が溶けちまうぐらいの大事故があって、映画が予言的だとさらに騒然とした。いや、そんな記事を読まなくても映画をみれば、予言そのものだと誰もがわかる。それぐらい明瞭な予告に近いほどのものが観客の脳裏に刻印される映画だった。スリーマイル島での事件は、1979年3月28日となっている。新聞記事は、一面をその事件で埋めつくした。アメリカの東北部ペンシルバニア州で起こった深刻な大規模原子力災害で、この事件の深刻さは原子炉冷却材が見事に大部分喪失してしまうという事故が現実に起きるのだと事実で示してしまったことにある。日本では、反原発新聞という機関紙が創刊されて、いきなりこの事件だ。80年代を通じて、日本国内にも相当規模の反原発団体が澎湃と立ち上がった記憶もある。しかし、原発についての反対運動は根を張ることは無かったように印象する。エネルギーに対する「異議申し立て」とは、まさしくわれわれの世代にとっては自分の生存を真正面から否定するに等しい困難な選択だ。要するにそう言うことなのだろう。細部を端折っていえば、みなそのような困難を背負ってまで日々の生活を維持することが不可能だと悟る。ご多分に漏れず損か得かという素朴実感でいえば、そのような踏み込みは結局当面損なことの山積を自分にもたらすものだと直ちに判明する。大多数の運動参加者は、沈黙する。そこへ再び、チェルノブイリ原発事故が86年に勃発する。鈍い自分にも、事態がどこに向かうものかさすがに理解できた。個人的には、自分はあのソビエトの大事件のあとでは日々の生活についても、「これはもはや余生だ」という気分になった。人は笑うが、自分は結構本気だったりする。
2007年03月23日
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あの東電福島第一の「臨界事故」は、なんとスリーマイル島の前だ。昨晩は、腹をかかえて笑ってしまった。87年に、広瀬隆が「われわれがなにも考えずに過ごしていられるのは単なる偶然に過ぎない」と主張していたことは、あながち根拠ない危惧ではなかったのだ。やはりと言うしかない。自分は、ラジオ関西で当時広瀬が直接ラジオのマイクロフォンから訴えているのを仕事中に聞いて、彼の主張のいくばくかにリアリティを感じた記憶がある。すべてとは言わない。しかし、彼の嗅覚に妥当と思えるものが多々感じられた。あれから、また20年たった。ますます、広瀬隆の一連のキャンペーンが懐かしくなりかけたころ露呈し始めてきたこの不祥事。今回も、本気でこの国が動いているとは思えない。深層で何が起きているのだろう。
2007年03月22日
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ミスプリは、誰でもあるが「科学」の「科」と「化学」の「化」には大きな相違がある。このあいだブログで見つけたミスプリは致命的だった。論旨が、化学と科学ではまるで対極的なところに運ばれかねない。それほど化学と科学とでは、人間にとって総体にかかわるほど関係性が違うと思う。そんなことを、遺構発掘の実務を眺めながら考えた。たかだか自分たちが毎日踏みしだいている地面を、わずかばかり掘削しただけでこれほど大きな変化があるとは実体験してみないと分からないものなのだと痛感する。化学の思考法と我々の活動の象限としての位置づけは、この地面の層構造とアナロジーがきかないだろうか。掘削しながら考えた。アスファルトをほどけば、大地が露出する。少し削れば遺構のあるぐらいの地域はさまざまに変化する。掘れば掘るほど、無機的な世界に辿りつく。表層は、むしろ人間に関わって久しい。それが歴史年限を示せば示すほどに無機的な自然とは遥かに今生のわれわれの世界と近いのである。科学は、この掘削するレベルの時間軸を超えた思念に導かれる活動の総体だ。それは、対象的自然にすら留まるものではない。一方、化学はもっと遥かに人間臭い。その対象には、人間の実務が絡んでいる限りでの加工された自然、加工されうる自然がテーマだ。そう理解している。化学のテーマと対象は、宇宙の生成にかかわるほどのものがあったとしてもあくまで人間の社会への貢献を直截に想定できない課題には、慎重に身を引いてゆくというような機制があるように思えてならない。土が、ただの石や砂のような無機的なものではない理由は当然ながら人間の生きた活動が色濃いからだ。それを掘削と精査の実務を通じて如実に知ることができる。科学の視点は、それに比べれば遥かに冷徹なものだと言う気がする。
2007年03月21日
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考古学に興味のない人も、実務として遺構発掘作業に関与するとテキメンはまる。なぜか。面白いからだ。土に触れると、人間の脳のどこかが起動するらしい。そういう話を聞くことが多い。心療内科でも「箱庭療法」というのがある。実務で、遺構発掘の作業労働に関与してみた感想をいえば噂にたがわず面白い。労働としては割りがあわないが、レジャーとしてはなかなかのものだ。ずばり、土方人足。苦力そのものである。土木建設作業経験者は、あごをだすというぐらい体力的にはキツい。3Kで有名な土木作業よりもキツいのでる。なのにどこの遺構発掘現場も、志願者がわんさか寄ってくる。はまるのである。泥まみれ、土まみれの作業である。酷寒も酷暑もものかわ、アルバイト学生の中にも、呆れるほど綺麗な女の子が混じっていたりするのがこの作業の不思議なところだ。土というものは、さわってみて初めて分かるものが多い。つまり、ただの無機物だというぐらいで思っていた都会人が、テキメン土の魅力にひきつけられてしまうわけである。生産労働として「土」に絡んでいる人たちも、遺構発掘にははまるらしい。それは生産財としての田畑とは、まるで違う土の表情と接することが多いからだ。土地を掘削して、掘り下げるとどんどん土の層が変化する。これはあたりまえだ。まず、表土を剥ぎ取る。これで土の表情がいっぺんする。この土が刻々変化する。これが、また面白い。同じ土が、雨が降る、風が吹く、雪が降る、また乾く。この変化の中をかいくぐって遺構発掘は続く。ある一定の古い地層がやがて露出する。ここからは、謎解き探偵団である。まず容疑者探しだ。これは、ブランと呼ばれる土壌のシミである。このシミが、千変万化なのである。疑わしい奴、わざとらしい奴、そらとぼける奴、さまざまあるがいずれも遺物隠ししている容疑者のように、次々に現れる。この直下を掘削して宝物(歴史的文化財)を見つけ当てる作業なのである。肉体的には相当キツいのに、みな黙々と作業に集中する。この集中させるということが、この作業の魅力を語ってあまりある。なぜ面白いのか?それは土の変化に、人間の気配が濃厚なのだ。それが次第に作業を通じて読めてき始める。もう、その頃には日常から脳が離脱して、はまり始めている。まあ、考古学マニアというのも山師の一種に思えてきてしまうかもしれないが、脳が魅せられてしまう何かがあるのだ。
2007年03月20日
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猛烈な忙しさ。(笑)仕方がないなあ。アップしたかった事柄がいっぱいあるんですが、雑務に専念します。では、では。
2007年03月19日
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土曜、日曜とバイクで500キロ以上走った。よりによって厳寒の中で明石海峡大橋をみたくなったのである。知る人ぞ、知る。五色塚古墳というやつである。まあ、騙されたと思って1度は訪ねてみられよ。滋賀から大阪へ、大阪から須磨、明石をご丁寧に2往復もした。道中あちこち寄り道もしたが、バイクは渋滞しらずだから快適である。まる2日で、バイクに15リッターも補給したのだから呆れる。燃費は割合良いやつなので、リッター20以上走れるはずだ。路上の気温表示はだいたい5度以下。京都で2度ぐらいだ。しかし、滋賀坂本は京都どころではない。逢坂山から比叡山に入ると氷温の実感だ。バイクの性能などどうでもよくなってくる。ここで本当にスゴイと思うのは、コートの断熱剤である。芯地というのだろうか。まる2日バイクで走っていて寒いと思った瞬間が1度も無かった。日本の元気印は、こういうところにこそあると思う。
2007年03月18日
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北陸電力志賀原子力発電所(石川県志賀町)1号機(沸騰水型軽水炉=BWR、出力54万キロワット)で1999年6月、定期検査中に原子炉の制御棒が外れて起動し、臨界に達する事故があったことが15日、分かった。自動停止装置も働かず、原子炉は約15分後に手動で停止した。同社は国への報告も行わず、日誌にも事故を記載していなかった。外部環境への影響や、作業員の被曝(ひばく)はなかった。 同社は同日、経済産業省原子力安全・保安院に報告。保安院は臨界事故とみて、志賀1号機の運転停止を命じるとともに、原因の調査を指示した。 同社はこれを受け、同日午後6時から原子炉を停止し、定期検査を前倒しして安全を総点検する対策を発表。また、4月13日までに再発防止策を報告すると発表した。 北陸電力の電力量ベースに占める原子力への依存率は、通常で約4割。しかし、志賀原子力発電所2号機(改良型沸騰水型軽水炉=ABWR、出力135万8000キロワット)は蒸気タービンの損傷によって、2006年7月から営業運転を停止しており、現在は約2割まで低下している。 1号機も運転停止となれば、日本原子力発電敦賀発電所(福井県敦賀市)から購入した分だけになり、全体に占める原子力の割合は約1割まで落ちる。2号機は5月上旬の営業運転再開を目指している。 その間は火力によってカバーするが、原油価格が高水準のため、コスト増は必至の情勢だ。 事件の深刻さに、呆れ果ててしまう。北陸電力についてではない。日本国民についてである。99年に、我々はとんでもない大惨事に遭遇していた可能性は、神のみぞ知るだ。制禦不能ということは、無誘導ということだ。15分もの長い時間この国の国民は、原子爆弾などより余程遥かに危ない装置が暴走する可能性に晒されていた。いや違う。前言訂正。当時、北陸電力の原発は、間違いなく15分間暴走していたのだ。隠されていたなどということは、自分にとっては些事だ。どうせ隠しているに違いないと思い続けてきた。こちらのブログにやってきてから、一年に一回はこの話題を取り上げてきたが、なんと楽天に自分がやってくるまえから北陸電力さんが、やらかしてくれていたではないか。同様の事態は、等しく日本の原発に通底する「状況」だろう。 原油高騰のおりから、コスト増は必至だと。笑えてくるというものだ。生きていられるだけでも、儲けものだとぐらい悟れよな。
2007年03月16日
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地球上で起こるさまざまな「物質変化」その最小単位は、基本的には原子アトム。これは、人間活動によって起きる産業のプロセスも含め、この地球上で様々な物質ができたり壊れたりするのは、およそ原子から分子ができたり結合したり、逆に、分子が壊れて分離して原子や他の分子になったりして、原子同士の組み替えが任意に起きることによっているわけだ。つまり化学反応の世界は、どれほど複雑であれそのステージだといえる。 それに対して、宇宙、特に,恒星の中で起きていることは,原子を構成している原子核ができたり壊れたりしているそれは怖ろしいほど強烈なエネルギーレベルの核反応の世界。これは、われわれ生物個体をとりまく春風駘蕩な化学反応の世界に比べて、エネルギーにすると10の6乗倍の大きい世界の出来事なのだ。運動エネルギーは、速さの2乗に比例、速さにするとおよそ千倍ということ。日常生活の中で、私たちが道具を使わずに出せる速さの千倍もの速さのものが飛んでくることを少しは想像てみよう。クルマの運転をしていればセダンぐらいにしか乗ったことがなければ、せいぜい時速140kmぐらいの体感だろう。カローラがいまかりに時速14万kmで高速道路を走行し始めたらあなたは運転ができるだろうか?エネルギーが、化学反応の世界にとって,いかに存在感のでかいものであるかが瞬時にイメージできると思う。原子力は、核分裂反応を利用する。当たり前ののことだ。、いかにわれわれ凡庸なひらの人間に手に負えない技術であるかが分かろうというものだ。生命活動は、元来、核の安定性の上に成り立つ。これが15分間ものあいだ、暴走した。少なくとも人類の手から制禦不能の状態にあったのだ。日本の国土が一度に疲弊するほどの大博打。その怖さを北陸電力自体が理解しているのかも怪しい。 わたしは、このブログでなんども巨大災害の可能性を示唆してきた。やはりという気がする。
2007年03月15日
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さて、われわれ日本人の顕著な特徴をひとつだけ指摘してみよう。世情語られている、いわゆる「倫理観」というものは取ってつけた用語であって現実の日本人は過去現在いわゆる倫理観とは疎遠な民族である。たとえば、他人から後ろ指をさされようが、我れかくかくを信じるなどという精神的な態度を維持する人間など見たことが無い。「内的な堅牢さ」というものは、歴史的に日本人がもったことがない。おそらく今後も、日本人にはついぞ疎遠なままであろう。それは日本人にとって、不足なのではなく積極的ななにかであるという気もするほどだ。倫理性の根づきとは、私見ながら「一神教的伝統」が、可能ならば千年ほどの規模でわれわれの生活と意見に対して宗教的な環境として訓導することがないかぎりにおいては、社会に基盤を形成することは期待薄である。誰もが指摘するように、日本人の道徳とは「他者視線」といわれるものだ。道徳教育とは、偉そうにご託を並べているが詰まるところ自分と同じ共同体(村)の構成員(メンバー)の目線に晒され標準化されることが与える影響がその内実を占めているだけで、せいぜい箇条にしただけのものなのである。村を離れれば、なんでもやれる。それが日本人だ。そんな日本人の兵士が「買われた命」の悲哀で、同じく買われた命の韓国人売春婦と「なんでもやった」という歴史があったとして、われわれ日本人が一体どのようなとがめだてを行えるというのだろう。かりに従軍慰安婦の置屋に長蛇の列で押し寄せた日本兵士の現実があったとして、ではこれを倫理的にとがめだてできる日本人が存在するとは到底わたしには思えない。自分は、二十代に高島平の団地で自殺者が多発するという話を聞いて当時それは当然だろうと思った記憶がある。マンモス高層団地が、心霊スポットに転化するという必然性は、われわれ漂流する実存の座標感覚の喪失とその情況の指示向線上にぼんやりと浮かんでくる物理と言って良い。そこには、「仲の良い家族」が存在していても、すでに家族はすでにバラバラに集散している吹き寄せのようなもの。個室テレビと個室電話、いまや個室電話から携帯電話である。個化、孤化は、いまや情況として固化してしまっているではないか。早い話、親の目線をいくら鋭敏に研ぎ澄ませてみても実の娘や息子の挙動と情報接触を救い上げる術は存在しない。この郊外的な日常。郊外的現実は、完全に日本人の心象を包囲しているとみる。それは私には、結局あの秋葉原、日本橋に横溢しているとめどないサブカルチャーの進撃の根拠だと思われた。親の意見、価値観など遠い昔に遠景へ退き、せいぜいならば擬似的な「マスコミ的心象」「マスコミ的世間」が居座っている程度。それすらも存在感はいたって怪しいと思う。
2007年03月14日
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薬師丸ひろ子が、好きだ。まちがってもおつき合いしたいなどと思ったりはしないが、あの透き通った歌声が小気味良い。映画「セーラー服と機関銃」は、かならず映画館でみたいと封切当時長野県の善光寺に程近い映画館で出張中の多忙な中観た記憶がある。なんと艶っぽさを感じさせない大根足かと失笑しつつ、薬師丸に求めているものが他の女優に対するものと大きく違っている事を確認した記憶がある。映画で、星泉が歌う。涙じゃないのよ 浮気な雨にちょっぴりこの頬(ほほ) 濡らしただけさここは地の果て アルジェリヤどうせカスバの 夜に咲く酒場の女の うす情け唄ってあげましょ 女(わたし)でよけりゃセイヌのたそがれ 瞼(まぶた)の都花はマロニエ シャンゼリゼ赤い風車の 踊り子の今更(いまさら)かえらぬ 身の上を貴方も女(わたし)も 買われた命恋してみたとて 一夜の火花明日はチュニスか モロッコか泣いて手をふる うしろ影外人部隊の 白い服従軍慰安婦も、兵士も所詮は「買われた生命」なのである。雨のしょぼしょぼ降る晩にガラスの窓からのぞいてる満鉄の金ボタンのばかやろう上るの帰るのどうするのはやく精神きめなさいきめたらゲタ持って上がりなさいお客さんこの頃紙高い帳場の手前もあるでしょう五十銭祝儀をはずみなさいああ騙された 騙された五十銭金貨と 思うたにビール瓶の栓だよ 騙された雨のしょぼしょぼ降る晩にガラスの窓からのぞいてる満鉄の金ボタンのばかやろう 朝鮮人娼婦が騙されたならば、日本兵だって二銭五厘で天皇陛下に騙されたのだ。五十銭金貨をつかまされたと思った女も、いい夢をみたかった。いい夢をみれなかった女は、騙されたことを恥じただろう。雨のしょぼしょぼ降る晩にガラスの窓からのぞいてる満鉄の金ボタンのばかやろう触るは五十銭見るはただ三円五十銭くれたならかしわの鳴くまでぼぼするわ上るの帰るのどうするのはやく精神きめなさいきめたらゲタ持って上がんなさいお客さんこの頃紙高い帳場の手前もあるでしょう五十銭祝儀をはずみなさいそしたら私も精だして二つも三つもおまけしてかしわの鳴くまでぼぼするわ
2007年03月13日
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映画「モロッコ」である。大昔、NHKが世界の名画をシリーズで紹介していた。歴史を辿るという程度の興味でみたが衝撃を受けた。これは感動の名作というものだろう。イングリッド・バーグマンもいいが、マレーネ・ディートリッヒもいい。特に有名なのが映画のラストシーンだ。事前に聞いていても気合がはいる。いうまでもなく、文字どうり酒場の女が、外人部隊の愛人の後をおって砂漠に続いて後を追うのだ。絵に描いた最高に麗しい「従軍慰安婦」である。かつて西洋世界が、軍に女が伴うことに美学すら持ち込んでいた。映画は批評家から絶賛され、200万ドルもの利益をもたらす空前のヒットを記録。この作品の成功によってハリウッドでは外人部隊を扱った映画が量産さるようになった。第4回アカデミー賞ではディートリッヒの主演女優賞、監督賞、撮影賞、室内装置賞の4部門にノミネートされたが無冠に終わっている。日本では、田村幸彦による日本語字幕をフィルムにスーパーインポーズした最初の映画として公開され、この映画の大ヒットによってそれまで主流だった活動弁士による解説よりも日本語字幕が好まれるようになった。 今わが国は、自分が学生時代に千田夏光らがプロパガンダした「従軍慰安婦」という図書のタイトルどうり政治テーマをぶつけられて翻弄されている。もとはといえば商業主義な映画界が火をつけて、扇情的に始まったカンパニアに日本の左翼が反応しただけに過ぎないものを、日本の巨額の債権を踏み倒そうという世界的な謀略の同盟がふたたび再生資源の無駄遣いに猛威を振るいそうな勢いだ。従軍慰安婦問題の本質とは、なんだろう。ようするに従軍慰安婦などという特異なフレームアップをされた売春婦に、女を不本意に売らせたという咎(とが)が国家的な規模であったか、なかったかということらしい。そんなものあるわけがない。人類最古のビジネスだといわれる売春だが、そもそも売春が倫理的に悪だという決めつけをしたところで国土から一掃できたためしがない。理由は、売春行為が女の実現だという部分を残しているあいだは、従軍慰安行為が映画「モロッコ」に化けちまう機制(メカニズム)が残ってしまうからだ。そんなことはアメリカが一番良く知っていることだろう。自尊心が少し低い女性が「あたし、この仕事が好き。男の人が、あたしの身体の上でだんだん幸せそうになってゆくのをみるのが好き」という種類の証言をする事例は、世界中にある。つまり、問題になっているのは、暴力的強制があったか、なかったか。軍の関与があったか、なかったか。国家が賠償請求を被るほどの強権的な売春強要があったのか。日本は、国をあげて管理売春を軍事装置の一貫として組織したのか、どうかという点にしかない。ばかばかしい、そんなことをやった国もやれる国もありはしない。組織や行政の末端で私物化するヤカラは今に至るも有象無象存在するが、国や歴史的に隔絶したわれわれが倫理的に胸を痛めるような問題である筈はない。
2007年03月12日
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結局、この世は「説明」の迷宮のようだと思うときがある。自分らが小学生時代、科学万能の時代で理系に進まぬのは非国民だとまで言われかねない雰囲気だった。鉄腕アトム全盛の小学高学年期。「上を向いて歩こう」で、明けて「こんにちは赤ちゃん」で鼓舞された。今なら考えられないだろうが、生まれてくる赤ちゃんには手放しで明日を明け渡すんだといういさおしが国民の肺腑に満ちていたのだ。そんな科学と理系羨望の時代の子である自分には、科学は「未知の」「未解明の」事柄を既知の既得の知恵で説明するのだろうかと思っているようなところがあった。自分は、ついに理系には進めなかったが、科学の本質についての議論には耳を傾けてきたつもりだ。実態で、科学の本質は、既得、既知の「未知との遭遇」などではないと思う。科学は、実のところ説明の摩天楼のようだ。説明の摩天楼が、雪崩をうって現実を覆ってゆく。誰もが常に現実が語ることを聞き取るような冷静さがあるとは思えない。日常から遥かにへだたった論理や感性が、現実の今われわれの理解を超えていることも多い。
2007年03月11日
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雑用が多い。雑用を避けていれば、また日々が混迷するので、片づけなければならないのだ。我々の社会はちょっと雑用を増やし過ぎるのではないかと常に思っている。国民に雑用を強いているのは、この国の政府や行政が非効率を好んで来たからだ。薄々みな思い思いに推量している。だが、誰も猫に鈴をつけようともせず、結果人口が激減している。まもなく毎年、堺市ぐらいの住民規模で国民が減ってゆく。国の非効率さが、国力を見事に削いでいる証左だ。日本は、素晴らしい国だという人が多いけれども、日本が急激に国力を落としている国でもある、ということについては駁論しない人が多い。住みやすくて良い国だという人は、この国においてその当人が「住みやすく居心地良いグループに属している」という表明以上の意味はない。この国は、非効率で病んでおり、間違いなく貧困に向かっている。いわゆる「勝ち組」とても、この国の国民が怒涛のように疲弊して視野から消えてゆけば、本当になにを勝ち誇っているのか、という気持ちになる瞬間が来るだろう。 個人についてと同様に、この国も結構ばかばかしい雑用を片づけてきていない。 アメリカについては言うまでも無く、世界中にカネをばら撒き結果世界中から債務を踏み倒そうと仕掛けられている。軍事大国アメリカを始めとして、世界には、数え切れず日本の債務を背負っている国がある。だから、奴らは見事に結託する。日本の債務を帳消しにできる可能性は、日夜考案されて日本を陥れるためならば、肌の色を越えて見事に一瞬で結託するという具合である。たとえば従軍慰安婦問題など、その典型だ。ヒラリークリントンなどがアメリカ大統領などになったならば、そのあたり。あの共産中国と結託して、やれ南京虐殺だのとセットに口やかましく責め立てシコタマ日本の債務を踏み倒してくることだろう。 雑用が、多いというのはひとつひとつを確実にかたずけてこなかった事のツケだとつくづく思う。いま日本が世界中にばら撒いた金があればわが国の非効率な役人とそのシステムを廃止しても十分やっていけるぐらいの余裕。間違いなくこの国に生じていたことだろう。本質的なことを、きちんと片づけないということがどれほど怖いことか。 話は、変わるが自分の身の回りの雑用を片づけていて思う。 世間では、炊事洗濯家事掃除と配偶者に押し付けるオヤジが多いそうだ。滋賀などでは、タテのものをヨコにもしないというオヤジが今だに大勢いる。自分が炊事、洗濯、買い物を一手に実行しているというだけで仰天してなさる。まあ、男尊女卑県だとは聞いていたが、60代、70代はこのままあの世逝きするつもりのようだ。自分の身の回りのことながら、日々こんなくだらない雑用に忙殺されながら済ませているのは必要に迫られているからだが、世のご家庭。夫婦とはいえ、家庭内で他人の世話を黙々やっていられる女性の気持ちがよく分からない。賃金労働ならば、理解しないでもないが、たかが亭主だという程度の相手によくぞ本気で甲斐がいしく世話が出来たものだと感心するほかない。 こちらは幸いか不幸か、団塊の世代の一群から取り残されて脱落してしまった。寝ているあいだにワイン瓶で頭をかち割られるのも困るわけで、やはり雑用は自分でこまめに処理してゆこう。
2007年03月10日
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NHKのご贔屓番組のひとつ、「ザプロフェッショナル/仕事の流儀」だが昨晩の第四十四回は頂けないと思った。登場人物は、南場智子という社長さんだ。個人的に、興味を抱いて以前少し調べたことがある。南場社長は、優秀な人のようだし、好感度も高い印象がある。1962年生まれ 新潟県出身 津田塾大学卒 米国ブリンマー大学留学 1986年4月、マッキンゼー・アンド・カンパニー・インク・ジャパンに入社。1988年、マッキンゼーを退職し、ハーバード大学へ。1990年にはハーバード大学にてMBAを取得し、その後マッキンゼーに復職。1996年、歴代日本人女性で3人目のマッキンゼーパートナー(役員)に就任。1999年に株式会社ディー・エヌ・エー(以下:DeNA)を設立。同年、マッキンゼーを退職し、DeNA代表取締役社長に就任(現任)。2003年、内閣IT戦略本部員に就任し、2004年には規制改革・民間開放推進会議委員に就任(現任)。 今回は、これまでこの番組に登場した人物の中でももっとも掘り下げが浅薄だ。いうまでもなく南場智子の問題というよりも、NHKという組織の問題だろう。視聴者を舐めるのもいいかげんにしろ、というものだ。 すでに彼女とその事業のスタイルは、日本の優良中小企業にあたるものだ。これをベンチャー事業として捉えるという「視座」が、どだい間違っている。番組の中で、南場智子がやっている経営視点や決済のあり方は、なんら新規なものでもなく月並みなほど中小企業経営者のそれだ。目新しくもなんともない。やるべきことを粛々とやっている方だろう。ただし、優良中小企業の社長の仕事としてだったらもっと優秀な方がいくらでもいる。南場智子と、その会社DeNAの一体どこが「ベンチャー事業」なのだ。ぼくらは位置について 横一列でスタートをきったつまずいている あいつのことを見て本当はシメシメと思っていた誰かを許せたり 大切な人を守れたりいまだ何一つ サマになっていやしない相変わらず あの日のダメな ぼく 横一列でスタートをきったはずがない秀才の女性経営者を引き出した瞬間、この番組がただの月並みな広報誌同然に転落したのだ。この番組の制作ディレクターは、まともに経済紙も読みぬけないボンクラだろう。 番組のなかで、南場がこだわった部下の坂東某についての視点をNHKはなにやら評価してみせたいらしい。ばかばかしい。坂東某についての南場の動機づけはプロフェッショナルでもなんでもない。単なる過度な憐憫のようなものだ。つまり日本の大多数の企業ならば、とても予算づけなど試みているような余裕など与えられていない坊ちゃん芸と呼ぶ域のものだ。あんな企画書を会社代表に上申した段階で、普通は辞表を懐に忍ばせるだろう。「倒れる時は、前のめり」だと。笑わせる。ならば、企画担当者には全員100%満額で予算をつけてやれ。そのかわり受取人を会社代表とする生命保険にでも入り、失敗したならば切腹自殺でもしろ、というのだ。それが日本の本格的なベンチャー事業の日常というものだぜ。NHKという組織は、ビジネスや企業を語るために必要な感度は皆無と断じてよい。
2007年03月09日
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正義感といっても様々ですね。シャルドネ。さんのご家族の話題、自分のものを考える上でもとても興味深く拝読してます。Re[1]:千人千様の正義(03/07) オダギリチガさん オダギリチガさんが、率直に「性欲」を語っている・オダギリさんが語っているのは性欲の「物理」だ。物理というのが理解しにくければ、「質料hyle(ヒュレ)」である。質料が語れれば性欲の本質が理解できるというものではない。理解できるのは、われわれに固有の体験があり、類推が可能だからだ。類推を可能とするほどの、圧倒的な体験感覚の共有がなければ、けしてわれわれが性欲の話題に参加し、相互に理解を行えたという了解には届かないと思う。実は、わたしが語っている家族の描写はオダギリチガさんと逆照的な語りを行っているかもしれないが「性欲」について言及しているのである。自分は、あるいは性欲の不可能さを描写しているのかもしれない。しかし主題は、まさしく「性欲」の実存形態(固有性)についてなのかもしれないと思う。msk222さんのようにセックスをなにかコミュニケーションのように語る口吻は、60年代から山ほどの言説で耳にしてきたがまるで興味がない。冒頭から固有性への視点が欠落しているからだ。偏狭であろうが、理解を絶しておろうが固有性を語りきるという度胸も覚悟もなしに、セックスや性欲を語って何の意味があるのだ。それならば、いっそ潔く「不立文字」でゆこう。 30代に、親父が傾倒している易占家のところにつれていかれた。親父が連れてゆくところは、ロクなところがない。その先生も、こちらの顔色をみながら言い難そうにポツリと自分を読み解きした。なんでも自分は、他者に理解がされにくく、誹謗中傷を被りやすい星に生まれているのだそうだ。山の上の松の木のような星の下に生まれているとも言った。何を言っているのか、理解できなかったが要するに山の上で誰も水を運んでくれないが、松の木という事で虫も寄せつけず遠くで眺めているほうがいいという。そういうさまざまな因縁機縁がめぐり合せになって、凝り固まったのが自分なのだという。まあ、いい加減なことをいう占術者だと思ったが、そういうキャラクターなのだと言われて否定もできないかもしれないと思ったものだ。親父などにも、なにも言わないで座っているだけで鬱陶しい奴だと思わせるような嫌味な息子だったのかもしれない。こういう星の下に生まれて育った自分は、原則的に性欲やコミュニケーション論を下敷きにそれを語るという手合いとはあらかじめ隔絶していると思う。「物理」を語り合って交歓できるということは、すでに拓けた沃野に居住しているようなもので、向こう岸では未開未踏の隘路に迷い込んでばかりいる人間らの事を想定されてはいない。つまりは、ハミゴのようなものなのだ。さりとて、当人はさほど困惑しているわけではない。最初からそういう状況で終始しているのだから、最後まであまり拓かれた社会関係とは、遭遇することもないのである。かつて森崎和江が、吉本隆明の「対幻想」を有難いと述べていたように、自分は、どうやら「個幻想」という退屈な構成内に封じ込められているのかもしれない。
2007年03月08日
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『歎異鈔』第2条 おのおの十余か国のさかいをこえて、身命をかえりみずして・・・ もししからば、南都北嶺にも、ゆゆしき学生たちおおく座せられてそうろうなれば、かのひとにもあいたてまつりて、往生の要よくよくきかるべきなり。 親鸞におきては、ただ念仏して、弥陀にたすけられまいらすべしと、よきひとのおおせをかぶりて、信ずるほかに別の子細なきなり。念仏は、まことに浄土にうまるるたねにてやはんべるらん、また、地獄におつべき業にてやはんべるらん。総じてもって存知せざるなり。たとい、法然聖人にすかされまいらせて、念仏して地獄におちたりとも、さらに後悔すべからずそうろう。 そのゆえは、自余の行もはげみて、仏になるべかりける身が、念仏をもうして、地獄にもおちてそうらわばこそ、すかされたてまつりて、という後悔もそうらわめ。いずれの行もおよびがたき身なれば、とても地獄は一定すみかぞかし。弥陀の本願まことにおわしまさば、釈尊の説教、虚言なるべからず。仏説まことにおわしまさば、善導の御釈、虚言したまうべからず。・・・ 詮ずるところ、愚身の信心におきてはかくのごとし。このうえは、念仏をとりて信じたてまつらんとも、またすてんとも、面々の御はからいなりと云々 昨今、わが国では平然とカルト教団を基礎とした政党を政権与党として国民が甘んじているという末期的なことになっており(かたや、卑近なところ我が本願寺教団も拝金カルトのようなもので、大谷派の親父の実家ですら、浄土宗は立派だと本願寺教団に辟易していると耳にした。)世間では、もはや既成の巨大宗教教団とはことごとく集金マシーンのようなものだと心底広く認識されているのではないか。 親鸞の教えを伝える歎異抄も、自分らが学生時代教科書で紹介されたのは日本の左翼文化の洗礼を受けた人たちが棄教ともいえる「転向」の渦中で刑務所の中で読んだというようなエピソードばかり。「なんだ、歎異抄とは世間で後ろ指さされる人の救済の書か」と事情が分からない高校生時代には思っていた。 昨晩の「千人千様の正義」は、想像どうりこちらの日記でも興味をいだかれなかったらしい。アクセス数に如実にあらわれている。意味が分からないだろう。当然だ、みなその個々にお持ち合わせになられている「正義」、まあ言ってみれば小僧の神様を後生大事に生きている。ひとさまの正義に思いを馳せる余裕も、手間隙もかけはしないのだ。 さて、わが国の政権与党に参画している某巨大カルト教団の地方組織でふんぞりかえっているご婦人が私に言ったことがある。「門徒は、一家離散の憂き目にあう」などなど。面白い、よく研究しているじゃないか。門徒はいざしらず、親鸞の教義は本質的に「一家離散も辞さず」という、一徹さの欠落した高度な思想収容性が身上なのである。 金儲けもよし、金儲けを忌避するもよし。金儲けに念仏を代入すれば、「金儲けをとりて信じたてまつらんとも、またすてんとも、面々の御はからい」となる。もって銘すべしだ。
2007年03月07日
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「鈍さ」についての話題に、いたく囚われている。自分ら、家族の本質を衝いていると思うからだ。わが一家は、ひとつ特徴的なのは大阪の中でいずれも固有の鈍さを持ち合わせていたことだ。まず滋賀から大阪へ流入した夫婦の子供だから当然、大阪の町とのソリューションはまったく配慮されなかった。それはそうだ。両親そのものが大阪で、西も東もわからない。大阪の地名の呼び方を親から教えられた記憶がない。親にも大阪は、不思議な謎、また謎の都会だったのだ。おのぼりさんの両親の子供は、地域にも街にもなじみがなく、可愛がってくれる大人や気さくに声をかけてくれる同年の子供たちの中でつねに学び取るしかなかった。鈍いのは、もとよりその状況がもたらしたものだ。これは小学校、中学校にあがるまで延々続いた姿勢だと思う。妹も自分も、さほど大阪に愛着がなくさっさと現住所を大阪から離れて平然としているのは、そういう幼年期の体験も影響していると思う。家族の四人に、もうひとつ共通点があると思う。四人とも、それぞれの固有性から発した違いがあるのだけれども尋常ならざるほど正義感が強いのである。問題は、その正義感が、それぞれの生い立ち、思想、社会関係の違いから天と地ほど相違する。まったく重なりあうことはない。とてもとても。いわゆる「同志的なもの」ではなかった。父親は、以前にも述べたが反権力的ではあっても、拝金主義的な人間でいわゆる社会主義者とは似ても似つかないそれであったと思う。金が大好きな男が、税金を絶対に払いたくないという奇怪な正義を抱いていたと思う。母親は、自己中心的なコスモロジーの僕であって、彼女の正義は、本人は気づいていないが彼女の美意識である。息子の自分には、彼女の美意識の背後にはやはり彼女の自己中心的な尊大さが濃厚だと思われてならない。理由は、よく分からない。いや、分かっても理解を絶している。とにかく、結論として尊大なまでに自己愛の強い人なのである。彼女の美意識は、相対化されることはけしてない。彼女の発言の大多数は、大なり小なり自慢話である。さもなければ他者への罵倒だが、要するに畸形な自己愛の持ち主なのである。親切心も豊富で、慈愛に満ちた行いを多々行うがそれは彼女の美意識にかなった行為だからである。妹は、父親に似てリアリストだが、生活中心主義者で、間違っても社会性から発した正義感は、まったく持ち合わせがない。つまりイデオロギー的な正義感にはまったく関与しない。生活実感主義者だ。もっとも世間知に長けているということだ。あくまで庶民感覚に根ざしたものだが、父親に似て偏執的な追求を実行することも辞さない。正義感は徹底して護持されている。自分は、子供の頃から彼女を眺めているが、早見優に似ていることもあって、中学生時代から男の子たちから相当モテていた。バス停でバスを待っているとクルマを停めて乗れという奴がいつもいると言っていた。多分本当なのだろう。そのうちわずらわしくなって、幾人かの男の子に対して断りのメッセージ届けるようにと理不尽にも兄の自分にあずけられたことがある。なかには気の毒になるほど誠意に満ち溢れ、実に人間味のある良い男の子もいたりしたが、わが妹は、冷徹無双である。果断というのだろうか、なんの躊躇もみせずに突き放すのに呆れたことが何度かある。さて、自分のことになる。自分は、家族の中で一番鈍いと思う。何度も死にかけた話をするが、本当に死にかけたのだから仕方がない。いつもスルスルと死に損なって生きているが、産まれるときに自分は、造化の神さまと命と引き換えにこの鈍さと取引したのではないかと思う。自分の正義感は、どこか片足が形而上的なテーマに突っ込んでいるために、万人には到底理解されるものではないといわれる。どちらか言えば嫌われることが圧倒的に多いように思う。ようするに鈍さの反動形成とでもいうのだろうか。大学時代の友人たちは、わたしの正義感は難民の義憤のようだと評した。当たっていると思う。きわめて状況的なものが、世間的なロジックよりも常に優越しているからだ。自分自身も、言っていることに普遍妥当性があるなどとは、まったく思っていない。
2007年03月07日
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経験的な話ばかりで恐縮だが、自分が接触した電話屋、携帯電話屋のことごとくがヤクザか在日、裏ビジネス系だった。松島庸が新発想ビジネスヒントフォーラムをつくったとき、利用をさせて貰っていて、彼が携帯電話ビジネスに関与して仕事をしたいと述べた時に、たしか私の方から「怪しいヤクザみたいな人種とまみえるのか」と述べた記憶がある。その後彼が、重田らの光通信と絡んで大儲けしたのは耳にした。そのかわり、関わった彼自身も怪しい人士の戦列に深くかかわったかどで同じ人種になっているだろうという印象を持った人も少なくないと思う。関西では、電信柱に絡んでいるのはえてして朝鮮人だという暗黙の了解があった。はじめから不法占拠で、ながらくきて。しばらくするとそれが常態になって、いつしか認めさせているというのが圧倒的に多い。その典型が有線放送だろう。気のせいか、YUSENの無料動画配信で紹介されている新興ベンチャー事業者は、みな半島系の帰化在日。もしくはなりすまし系ばかりのような気がする。まず、あたらずといえども遠からずという気がしてしかたがない。彼らが日本でカネを集め、力を得るまでになりふりかまわないヤカラだったことをだれも記憶していないだろうと思う。自分と母親は、昭和30年代。自分が5歳の頃、生家を放火されて燃え落ちた際、その下手人が韓国人経営のパチンコ屋が手引きしたものだという確証に近い状況証拠を持っている。失火元は、近隣の魚屋だと消防署が断定したがその魚屋が、失火する可能性はわが家が一番知っていた。なぜならば自宅と隣り合わせていたからだ。その在日一家は、いま生駒の学園前に豪邸をかまえて大阪市内にパチンコ店チェーンを展開している。もとはといえば、保険金詐欺事件で財をなした「成金」だ。少なくともわが母子は、そう確信している。
2007年03月06日
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ここのところ、注目を浴びているらしい「よしの冊子」について現代語訳が待ち望まれる。あの有名な「鬼平犯科帳」の基礎歴史資料だという。いまでいえば公安調査庁のレポートのようなものか。「よしの」というのは「由の」で、「くだんの」「噂の」みたいな。このあいだ、msk222さんが、雑誌「噂の真相」を話題にされていたが、図書館で読んだという話で、ずっこけてしまった。雑誌の評価と裏腹に図書館で読んでしまうとは・・・発刊者である岡留安則に失礼だと思う。左翼でも身体を張って志を貫く姿勢は、あの作家田辺聖子も絶賛していた。自分は、当然ながらひたすら書店で内容を確かめつつ、購入してきた。「よしの冊子」が、江戸時代の権力版「噂の真相」だとすると興味も湧くが、歴史資料としてのお値打ちをながらく低くみられて捨て置かれたものらしい。昨今の再評価も、なんと日本国外からの仕掛けだという。噂というのは、常に真実を盛り込んでいるとはかぎらないが、えてして物事の本質を穿っている可能性は少なくないという気がする。-- ご著書『江戸の役人事情』を、大変興味深く読ませていただきました。本日は、本のテーマでもある、江戸時代の役人についてお話しいただきたいと思います。まず詳しく伺う前に、本にはさまざまな当時の面白話や逸話、考えさせられる話が満載されていますが、それらのネタは『よしの冊子』という史料に描かれているそうですね。水谷 『よしの冊子』は、寛政の改革を行なった人として有名な松平定信(別注参照)の手元に集められた、官界やそれらを取り巻く世間の内幕情報をまとめたものです。江戸後期の役人世界の本音や、役人の採用、昇進方法など、役所のルールはもとより、当時の世相を知るためにも有用な1冊です。-- 私も実際に、中央公論社から出ている『随筆百花苑』の第8、9巻に収められている『よしの冊子』を見てみたんですが、冒頭に「他に出すべからず」とありました。それだけ大事な情報だったんですね。水谷 定信の側近だった水野為長が隠密を使って集めさせた、まさに隠密情報です。彼が要旨をまとめてダイジェストにして、定信に渡していたようです。-- なぜ定信はそういった情報を集めたのですか?水谷 定信は、それまで政権を握っていた田沼意次の失脚により、1787年に30歳という若さで老中(表参照)になり、その翌年には、幼い将軍(第11代家斉)の補佐として政務を執り仕切ることになりました。多くの場合、京都所司代や若年寄などの要職を経た人が老中になるのですが、彼は田沼時代に横行した賄賂が好きでなかったこともあり、それまで政府の要職に就いたことがなかった。それだけにクリーンな人であり、8代将軍吉宗の孫にも当ることから、老中のトップに担ぎ上げられたのです。しかし、裏を返すと、政府の内部事情をほとんど知らなかった。 政府権力の内情を知らない最高権力者の誕生。歴史というのは、実に複雑怪奇だという気がする。この「よしの冊子」、ぜひ手元に取り寄せて読んでみたい。これほどの歴史資料が、現代語訳されていないというのも実に日本的だ。
2007年03月05日
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こちらの日記に父親が他界したことを繰りかえし述べているもので、お悔やみの言葉をいただく。有難いことだと思う。だが、母も妹も自分にしても、父親が他界したのは悔やまれるという事はない。本人は、あと10年ぐらいは生きていたかったらしいのでそれぐらいの希望はかなえてやりたかったと思うのであるが、死んでしまったこと自体を惜しむとか、延命してでも生きていたかったのかと言われれば、そんなことはまったく無い。父親本人が、延命治療は絶対にしないで欲しいと医師に繰り返し述べていたという。やりたいことを思う存分やり、心のこりなく好き勝手に生きた生涯を適正に消化したのだと思う。一方、滋賀の実家側では父親は相当立派な人になっており、里帰りのたびに持ち帰る金や「家族付き合い」(父親にとっては、家族とは実家との交流のことだったのである。われわれ大阪の一親統は、ようするに分家ぐらいの気分だったに違いない。いま私も、気づいた。父親の実家が、分家に対する処遇の冷淡さを重ね合わせるとよく理解できる。)の手厚さから、家長となっている叔父には手放しで絶賛されている。まあ、麗しい兄弟愛なのだから、ご自由にということなのだけれどこれまで生涯において家族旅行ひとつ実行したことのない父親に、滋賀の実家(父親の実家も母親の実家もともども、野洲市内にある)側が大阪にいる父親の家族を誹謗中傷し続けてまで、守るほどの名誉がわが父親にあるのかといえばおおいに疑問である。葬儀の式中、火葬場の往還に際しても繰りかえし「親らしい扱いをしていなかった」と、われわれ家族の父親に対する態度をとがめだてて演説してくれる叔父(三男)がいる。父親(長男)になりかわり、父方の家督を継いでいる男だ。いつも大阪のわれわれに対して、ことごとく空威張りで気色ばんでつまらない挑発をしかけてくる。ばかばかしくて相手にしていられるものではない。そもそも家族をまったくないがしろして、父親という役務が成り立つものだろうか。民主党が予算委員会で審議拒否しているようなのとは、訳が違う。家族を、まったく忌避して近づかなかった。四十代以降は、次第に酷くなり。五十代以降父親が、妻子に対して夫婦だ、親子だのという実態がどこにも無いのである。どうせ、実家に愚痴をこぼしに行った父親のわれわれ家族に対する誹謗中傷を額面どうりに受け止めているにせよ、贔屓の引き倒しというものである。父親の名誉をもっぱら維持しているのはわれわれ家族の方である。父親の名誉を傷つけるつもりならば、いくらでもその気があれば立派に放蕩の履歴を示すことが可能だ。まあ、そんな野暮なことをするような残ったわれわれでないから、父親はさも世間に通った人格者でいられるのである。父親が、生まれ育った実家にわれわれを誹謗中傷しに帰省している理由は、分かっている。なりふりかまわず自分の主張を通して、実家にデタラメを語りに帰っている姿は、まるで小学生並みである。昨日も、母親といろいろ打ち合わせていたらまたまたオハコの「お前ら(兄妹)を産むつもりはなかった」が飛び出してきた。最近、年をとって口走っているものではなく、自分が小学生時代から延々言い続けていたので、こちらも慣れっこで笑うしかない。親父の放蕩癖と狼藉は、結婚以前からだというのだ。当然こういう親父に子供は、滅相もない。断固避妊あるのみ、と懸命に避妊策を実行していたのだという。妹も、自分もあまりまじめに取り合っていない。避妊の失敗で、生まれた兄妹だと言われても妹ともども無視黙殺である。なにせ「鈍感力」を誇る自分である。実のところ、いまだに母親が何を言っているのかよく分からない。望まれず生まれた子供だと言われた幼い時代から、やはり鈍かったのだろう。妹の方はどうだか分からないが、自分にとっては孤立無援の孤独な心象は、両親の不仲から生じたものではないと思っていた。まのあたりにする社会の現実が、およそ「弥陀の本願の広大なる智慧」と縁もゆかりもない空おそろしい諸相を眺めての存在論的な不安のほうが遥かに深刻な問題だと思われた。だから自分は、一度も、自殺を考えたり父母の不仲で悩んだことは見事にない。些事に鈍いというのは、こういう境遇のわが身にとってはいたって重宝である。親鸞は父母の孝養のためとて、一返にても念仏申したること、いまだ候はず。そのゆゑは、一切の有情はみなもつて世々生々の父母・兄弟なり。いづれもいづれも、この順次生に仏に成りてたすけ候ふべきなり。わがちからにてはげむ善にても候はばこそ、念仏を回向して父母をもたすけ候はめ。ただ自力をすてて、いそぎ浄土のさとりをひらきなば、六道・四生のあひだ、いづれの業苦にしづめりとも、神通方便をもつて、まづ有縁を度すべきなりと云々。 『歎異抄』(5)私《親鸞》は、亡くなった父母への供養のために念仏したことは、いまだかつて一度もない。その理由(わけ)は、いま現に生きとし生けるものは、あらゆるいのちとつながりあって生きる父母兄弟のような存在だからである。どのような存在であろうとも、やがて仏の位に到ったときには、だれをも救済することができるのである。もし念仏が自分の努力でおこなえる善行であるのならば、念仏を振り向けて父母をたすけることもできよう。しかし、自分の努力でなんでもでき、ひとを愛せると思っている心に絶望して、すみやかに弥陀の本願の広大なる智慧をいただくならば、その智慧のはたらきによって、どのような苦悩多い境遇に埋没している存在であっても救われるのである。
2007年03月04日
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3月3日(土) TOS 19:57~20:54▽天才棋士・羽生善治の「先を読む頭脳」▽鳥たちのラブシーン!嶋田忠▽増田ユリヤのウラ偉人伝 出演 / 堺正章 くりぃむしちゅー 世界一受けたい授業▽鳥類写真家の嶋田忠氏は、密林で鳥が繰り広げる情熱的な求愛活動を紹介。天才棋士の羽生善治氏は、先を読み的確な決断を下すこつを教える。先を読む力は将棋界のみならず、ビジネスの世界などでも注目を集めているという。昨日、土曜日の夕方に忙しい時間帯だったが羽生善治がテレビに登場していたので手を止めてみていた。以前から、関心を抱いていたテーマについて彼がなかなか面白い主旨で発言を行っており番組は、彼の発言を検証するような組み立て方を行っていた。実は、羽生が語っていることはかつて自分がパソコン通信時代に非公開のパティオで発言したものと意見の一致が多い。彼は特別才能のある人だが、方向として自分の読み解きのが創造的な場面で間違っていなかったという感慨を抱いた。ここでも少し前に取り上げたがクラウゼビッツの「戦争論」の中に、軍事的天才という一種の理念のようなものに言及している部分がある。われわれが日常で、営業本部だとか、何とかセンターとかいう風に呼ばれる組織の構成は、実はクラウゼビッツが軍事的天才を研究するなかで個人の能力、とりわけ決断力の本質や構造を組織として可能な限り収容しようと試みて、発案した「参謀本部」というシステムの軟派な継承なのである。羽生善生は、高度に鍛え上げられた能力が勝敗の帰趨を求める局面で当事者が強いられる状況をどのように切りひらいてゆくのかについて実によく指し示してくれているように思う。彼、個人の脳の特異性とかを差し引いてみても、割合参考になるものが多いように思う。無論、特別新しいことを言っているわけではないもので、努力と研鑽で積み上げた膨大な蓄積を背景にして、閃きに躊躇なく迷いを払底させて従って行け、というような話題なのだ。表面だけを見聞きしていると何だそんなことかという風に思われてしまうような内容なのである。ただ興味深いと思ったのは、一手に80の選択肢がありこれをわずか2手で80X80=6400の謎の森に陥るのだということを言っている点だ。彼らが、わずか3手先をも厳密に読めているわけではなく彼らが「妥当さ」の感覚の海を泳ぐ名手だということを、改めて説得力のある形で分かりやすく述べていた点である。限られた有限の時間の中で、先読みを行う力は実は、経験値で裏支えされてノイズを切られている、もしくはノイズを切るスキルが高い方たちのみ実現できる無駄な思考の森に迷わないことなのだという事だ。つまり、組織論として経験値を排除する人事屋が、やっていることはかのクラウゼビッツの論旨にある筈の「軍事的天才の嗅覚」を組織内から排除しているに等しい。日本の中央本部、官僚機構がでたらめに恣意的なことをやるわりには一向に国力に反映してこない理由も、実はそこにあるのだ。そして、集中力だ。集中力については、個々人がそれぞれ自分の流儀でもっとも効果のあがる方法を選べるのではないだろうか。自分は、お気に入りの感触とか嗅覚などを利用することがある。特に、匂いについての神経の反射は秒速で人間に対して集中力を呼び戻してくれることが分かっている。たとえば、試験や問題解決に場面では、かならずお気に入りのマスコットや、お守り、パフュームなどを利用するのは無意識でわれわれが実行している合理的な方法なのだ、ということが改めてよく分かる。そして言葉の使い方もそうだが、言い切り、決断についての言及を繰りかえし行う習慣をつけておくべきだと思う。言い切りができない、その習慣がない人間は、やはり最後の最後まで、難局において立ち竦み判断留保のあげく最悪の事態を招きかねないものだと思う。
2007年03月03日
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親父の四十九日だ。妹も、自分もなんだもう忌明けかという程度の認識で、よりによって平日の金曜日を選ぶ母親の見識の無さを嘆息した。妹も、なぜ四十九日の法要をするのか理解に苦しむというぐらい、酷薄な家族である。まあ、酷薄といえば酷薄だが、家族を形成するのに失敗したのは父親の方で、われわれが薄情なのは他人扱いされるのを父親が一番望んでいたからではないか。法定相続人の母、わたしと妹には一切金員を残さないと実家に繰りかえし宣告をしていたらしく、相続らしい相続はまるで実行するつもりもなく、投資信託に限りなく近い生命保険の受け取り人を、同じく棺おけに片足をつっこんでいるような実家の叔父たちに書き換えしていた。もともとは母親と、自分の名義だったそうだ。親父の連帯保証人にされていたのだから、それは当然のような面があったが、保証に入っていた物件をバブル期の価格で売り抜けた瞬間に、生命保険の受取人名義をひそかに叔父に変えていたらしい。まあ、親父らしいのだけれどやるだろうと思っていた人が、やったわけで耳にしても驚かなかった。死者の霊は、(仏教では)亡くなった日から7週間(四十九日間)はこの世とあの世をさまよっているとされています。この期間は、死から新しい生へと生まれ変わる準備をしているのです。その間に遺族が丁寧に冥福をお祈りすることによって、亡くなった人は、初めて無事に極楽浄土に送り届けられる(浄土真宗をのぞく)とされています。 ※神式では死後50日目を「50日祭」として祭ります 。この期間は「忌中(きちゅう)」 といい、四十九日が過ぎると「忌明け(きあけ)」 となります。そして、忌明け法要は、親戚縁者を招いてお寺さんにお参りいただき、故人の成仏をお祈りします。四十九日は、いつも文句たらたらの叔父連中が来て遠まわしに厭味を山ほど言って帰ったが、高級マンションをひとつ購入できるほどの生命保険の受取人に名義を貰い受けて、厭味を言われても困惑する。叔父らは、その保険金で親父の墓を建てるとか言い出すのでまた驚いた。そもそも、母親や妹、そして自分と誰がそんな墓を維持するのだろう。個人的には、親父については知らないが、自分自身は散骨だと思っている。どこか民間で散骨が委託できるのならば、契約をしておきたいぐらいだ。親父の骨を、実家に託せばまた訳が分からない社交を強要されるだろう。個人的には、親父の骨は父方の実家へ託すことが故人の希望だろうと思うのだけれど、妹は絶対に反対だ。妹の意見も理解できる。父親の骨を父方の実家が、墓に納めた瞬間から、やれ顔をだせ、墓参りせよと陰に陽に圧力をかけてくるに決まっている。そんな強要された社交に、関与する気持ちは皆無だ。また、その義務でかりだされるような関係が、家族だとはまったく思えない。妹などは、そんな生活と意見の持ち主なのである。自分も、妥当だと思う。父親と、家族のあいだに尊敬とか憧れとまでゆかなくても相互に家族としての信頼感が前提になければ、「遺徳を偲ぶ」こともできない。親父は、むしろ母親や妹、自分に供養されるなど絶対に落ち着けない筈なのである。生きているほぼ全区間に、実の女房と子供には一切家族らしく関わりたくないとばかりに、ツッパリ続け。そして、赤の他人にお金を散々バラマキ続けたその父親が、亡くなったからといって、われわれ家族に供養されて喜ぶとは到底思えない。尋常な家族では、なかったのである。さりとて、妹や自分が父親を軽蔑していたわけでも、嫌っていたわけでもない。父親が、家族の中で暮らすということに終生馴染まなかっただけなのである。
2007年03月02日
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滋賀県の環境ボランティアで、一月に年次会があったが参加できなかった。日曜日の活動だから参加できるのだ。土曜日に活動をされて、参加できないのは当然。こちらは暇人じゃないんだからねえ。県の職員も、去年までは日曜日以外に日程をいれなかったのにヤル気が下がった証拠だと思っていたら、予算が切れたという。はて、ボランティア活動に予算ギレとは?面妖な。なんだ、ボランティア活動まで予算がつかないと維持できないのか。なるほど世話役に県の職員が動いておられる。たしかに行き届いていて、大変助かった。なんだ、あれも予算で動いていたのだな、と素人は気づく。だったら育てたボランティア活動を巣立たせて、NPOかなにかにすりゃあどうだろう。それを言うと、すかさず県の職員側が発言をかき消した。なんだ、本音では県の影響下にあるボランティア活動を管制しておきたいのだ。そんな贅沢な話がどこにあるのだろう。嘉田県知事は、「もったいない」というが、勿体無いと言いたいのは県民のほうだろう。この日記を続けている数年のあいだに、参加し始めてなかなか素晴らしい活動だというのは折々に報告してきた。内容は、素晴らしいのだ。けれど、絶対的な説得力が問われる段階に来たのだ。環境負荷を、どれぐらい低減できるのかを指標で示さねば、どうせ広く後半な社会的認知は得られない。そんなことは第一回の世話人会時点から、発言していたと記憶する。ただ、参加していて思ったのはそんな目盛りの小さな話ではなく県環境保全というのは相当壮大なテーマだと次第にわかってきた。やりかけたことを、中途半端でやめずにその価値ある中身をもっとしっかり要約して広く世に問うということが県の活動から離れても必要だろう。さて、明日親父の四十九日で実家へ。また週末、日記を再開します。
2007年03月01日
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