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自由、博愛、平等という。このフランス国旗の三色が示すシンボルには、それぞれ意味があると耳にしたが自分には、不二家のキャラメルの絵柄のように舌でとろけて甘くても後味が良いものと印象したことがないのは、どうしてだろう。資本主義の世の中で、金は大手をふって自由闊達伸びやかに往来して自己増殖をはかっているが、消費するわれわれが自由で伸びやかだったことは体感上あまりない。ひとくちに平等というが、小所有者同士、わずかばかりの金員を平等に押し並べて同じ多寡に整えようとするなどありえない。そこには、やはり巨大な行政組織が徴税権を背景に強力に富のかたよりを調整するというイメージがある。ヒラの市民は、しぶしぶ納税の義務にこたえて社会平等の理念が世に実現するようにと恨みながら、稼ぎだしたわずかばかりの金員と涙の別れを余儀なくされる。稼ぐは自由であっても、その使用は格差社会の是正のためであっても厳しく制限を被っているかのようだ。一方で、われわれの社会関係に眼をやれば、われわれがおのおの両性の合意とやらで任意で自由に婚姻をなされた一対の男女のあいだに産まれたことになっており、あまねく平等に普及しているものは男女の対だと言うことになっている。その男女の下で生まれて、育つなかふたたび平等に保証されているのは、配偶者に遭遇してあらたな対の形成がふたたび任意(自由)である、という月並みなほどの平等さの保証であった。この消息を、主題に追い求めた大作家がいる。ほかならぬ明治の文豪、夏目漱石である。漱石は、その実名を夏目金之助という。千円札に選ばれたのは、けして偶然のことではなかったのだ。彼こそ、自由、博愛、平等に悩みぬいた生涯だったように思う。彼はついに、この世は「金と女」につきるのだろうかと問い詰めた。彼は、生まれて里子にだされ、金と男女の仲には、翻弄させられる孤独な魂の、その自我の内面描写にとりわけ長じたのである。彼も、博愛の理念に現実に具現化されにくい困難さを意識していた人のようだ。 私が両親を亡くしたのは、まだ私の廿歳にならない時分でした。いつか妻があなたに話していたようにも記憶していますが、二人は同じ病気で死んだのです。しかも妻があなたに不審を起させた通り、ほとんど同時といっていいくらいに、前後して死んだのです。実をいうと、父の病気は恐るべき腸窒扶斯でした。それが傍にいて看護をした母に伝染したのです。 私は二人の間にできたたった一人の男の子でした。宅には相当の財産があったので、むしろ鷹揚に育てられました。私は自分の過去を顧みて、あの時両親が死なずにいてくれたなら、少なくとも父か母かどっちか、片方で好いから生きていてくれたなら、私はあの鷹揚な気分を今まで持ち続ける事ができたろうにと思います。 とにかくたった一人取り残された私は、母のいい付け通り、この叔父を頼るより外に途はなかったのです。叔父はまた一切を引き受けて凡ての世話をしてくれました。そうして私を私の希望する東京へ出られるように取り計らってくれました。 私は東京へ来て高等学校へはいりました。(中略)当時私の月々叔父から貰っていた金は、あなたが今、お父さんから送ってもらう学資に比べると遥かに少ないものでした。(無論物価も違いましようが)。それでいて私は少しの不足も感じませんでした。のみならず数ある同級生のうちで、経済の点にかけては、決して人を羨ましがる憐れな境遇にいた訳ではないのです。今から回顧すると、むしろ人に羨ましがられる方だったのでしょう。というのは、私は月々極った送金の外に、書籍費(私はその時分から書物を買う事が好きでした)、および臨時の費用を、よく叔父から請求して、ずんずんそれを自分の思うように消費する事ができたのですから。 何も知らない私は、叔父を信じていたばかりでなく、常に感謝の心をもって、叔父をありがたいもののように尊敬していました。叔父は事業家でした。県会議員にもなりました。その関係からでもありましょう、政党にも縁故があったように記憶しています。父の実の弟ですけれども、そういう点で、性格からいうと父とはまるで違った方へ向いて発達したようにも見えます。父は先祖から譲られた遺産を大事に守って行く篤実一方の男でした。楽しみには、茶だの花だのをやりました。それから詩集などを読む事も好きでした。書画骨董といった風のものにも、多くの趣味をもっている様子でした。家は田舎にありましたけれども、二里ばかり隔たった市、――その市には叔父が住んでいたのです、――その市から時々道具屋が懸物だの、香炉だのを持って、わざわざ父に見せに来ました。父は一口にいうと、まあマン・オフ・ミーンズとでも評したら好いのでしょう。比較的上品な嗜好をもった田舎紳士だったのです。だから気性からいうと、闊達な叔父とはよほどの懸隔がありました。それでいて二人はまた妙に仲が好かったのです。父はよく叔父を評して、自分よりも遥かに働きのある頼もしい人のようにいっていました。自分のように、親から財産を譲られたものは、どうしても固有の材幹が鈍る、つまり世の中と闘う必要がないからいけないのだともいっていました。この言葉は母も聞きました。私も聞きました。父はむしろ私の心得になるつもりで、それをいったらしく思われます。「お前もよく覚えているが好い」と父はその時わざわざ私の顔を見たのです。だから私はまだそれを忘れずにいます。このくらい私の父から信用されたり、褒められたりしていた叔父を、私がどうして疑う事ができるでしょう。私にはただでさえ誇りになるべき叔父でした。父や母が亡くなって、万事その人の世話にならなければならない私には、もう単なる誇りではなかったのです。私の存在に必要な人間になっていたのです。夏目漱石「こころ」
2007年07月31日
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この参院選挙、なんでこのタイミングで実行されたのだろう。どことなく謀略めいている気がしないか。明朝は、日本株またまた売られて暴落するのだろうか?
2007年07月29日
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NY株、一時245ドル安に 26日のニューヨーク外国為替市場で円相場は急反発。円は一時1ドル=118円96銭を付け、約3カ月ぶりの水準に上昇した。米株価の急落を受けて米長期金利が低下し、円買い・ドル売りが進んだ。円など低金利の通貨で調達した資金を高金利通貨に投資する「円キャリー取引」を解消する動きが出ているとの指摘もある。(01:31)一昨年、東京三菱UFJが強く薦めるので外貨預金をスタートした。ユーロ建て預金を実行して観察した。当時、ユーロが130円台だった。昨今、180円台だから賢明な勧誘だったとするべきだろうか。いや、ばかばかしくて二度と外貨預金などする気がなくなった。ほとんど、銀行の手数料収入として取り上げられ預金者の金で東京三菱UFJが手数料収入を荒稼ぎしただけの結果である。しかも、換金する手続きが複雑で信じられない屈辱的な手順と、長い待機の果てにようやく日本円に戻すことができるというふざけたものだった。この酷い仕打ちに頭にきて勉強をしてみた。このドル安、円高は過渡期のことだろう。3年越しに述べているように円はかならず円安に振り戻されるのは必至だ。この円高のタイミングで、ドルとの為替差益とドル運用金利を頂戴しようではないか。それも外貨預金を使わずに。その妙手がある。外国為替先物取引だ。FXといわれるもので、よく見かける。自分は、証券会社にFXの口座を設定している。東京三菱UFJに騙された経験から、この瞬間の来るのを満を持して準備していたのである。外国為替先物取引では、不安を抱くかたもおられると思う。それは先物取引のリスクをとって、ハイリターンを狙うからだ。しかし、レバレッジをかけず(つまり、ノンレバと呼ばれるポジションで)円をドルに換えて、ドル建て運用金利を頂戴するのである。これならば、外貨建て預金しているのとかわらない。この方法が、東京三菱UFJの勧誘する外貨預金よりも遥かに優れているのは、銀行に高額で法外な手数料を取られない。そして、現金が必要になれば、迅速に円に戻すことが可能だということだ。しかも、証券会社は、その手順の中で銀行とは比較にならない手数料、ほぼ無料に近いほど無視できる維持費で日本の金利とアメリカの金利の差益を取れるのである。証券会社によっては、取り扱い手数料ゼロというところもある。そして、ふたたび円安がやってくる。これは間違いない。その瞬間に円に戻してやる。この為替差益と金利。これを頂戴して生活防衛にあたろうではないか。
2007年07月27日
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テレビをみていたら、神戸大学出身の日本共産党の参議院議員候補者が政見放送を流していた。聞いていると、一昔前の民青同あがりのキャラクターとは少し変わった印象もする。日本共産党という党は、現役の参議院議員候補とてその来歴と下部の現実を掌握することは難しいだろう。まして、30代半ばではとてもとてもあの伏魔殿のような日本共産党を代表してモノをいうことはできる筈がない。善意で共産党から国政へ打って出るなど、かえすがえす気の毒だ。惜しい。無党派が、彼のようなパーソナリティを国政に送り出すという「機制」が存在しないことを惜しむばかりだ。日本共産党は、彼が思いを託しているような政党ではないし、現実にあの党を取巻く環境が劇的に変わるとは思えない。過ぐる日、一人の老いた共産党員が他界した。ほかならぬ宮本顕治である。訃報に接して、おもわず単身者の暮らしながら赤飯を炊こうかとすら思った。しかし、次の瞬間このような人物に赤飯など勿体ない。黙殺して淡々と過ごすべきだと思いなおした。宮本顕治(みやもと・けんじ) 1908年~。山口県出身。31年東大経済学部卒。在学中に芥川龍之介を論じた『「敗北」の文学』が雑誌の懸賞論文に入選して名を知られた。卒業直後に共産党入党。プロレタリア作家同盟で活動、32年中条百合子と結婚。33年党中央委員。同年末、治安維持法などで検挙され、終身刑の判決をうけた。45年に釈放。12年間の非転向をつらぬいた。党政治局員、統制委議長、理論誌『前衛』主幹などをつとめたが、徳田球一らの主流派からは疎外された。50年のコミンフォルムの日本共産党批判による党分裂のさいは、徳田らの所感派にたいし国際派と呼ばれた。55年の6全協で指導部に復帰、58年の大会で極左冒険主義の51年綱領を廃棄、書記長に就任し、以降、30年余にわたる宮本指導体制を確立した。70年中央委員会幹部会委員長、82年中央委員会議長に就任し、不破現委員長らを育成した。77年~89年参議院議員。その路線は、外国の共産党にたいする「自主独立」と、国内での「議会主義」「自由と民主主義」などへの転換によって特徴づけられる。現在は共産党中央委員会名誉議長。この50年代の暗闘で、共産党を叩き出されたのが読売新聞社主の渡辺恒雄だったりするから面白い。ほかならぬ宮本顕治と対立して、ほりだされたくちだ。同じ時代には、俵孝太郎なども、日本共産党からナベツネ御大と一緒に叩き出されているはずだ。ネットで以下のような、紹介文を見つけ出した。しかし、12年間に渡り非転向(共産主義思想を捨てない)完全黙秘を貫き、敗戦によって網走刑務所から出獄。戦後は火炎瓶闘争を行なう共産党主流派と一線を画し、武装闘争によって幹部が亡命し壊滅的打撃を受けた共産党のトップとなって建て直しをはかります。一貫して武装闘争とは一線を隔したため、共産党の左派は袂を分かち、多くの左翼諸派(いわゆる過激派)を生み出します。一方で、多くの野党が政治資金難に苦しむ中、赤旗を売って党の資金源にする(すなわち党が商売をする)という、共産主義政党が資本主義活動をするという裏技?を編み出します。さらに本来の革命階級である労働者のみならず、資本家に入るべき農家・中小企業主を取り込んで、大企業と対抗するという政治手法は、高度成長期以後1980年頃まで倍々ゲームで勢力を拡大し、一時期は政権党を倒す勢いさえありました。どうやら、かなり熱心な日本共産党支持者の手になるらしいダイジェストである。宮本顕治への礼賛モードというべきであろうか。私見ながら、自分はこのような宮本顕治像には、まったく加担するつもりはない。宮本顕治こそ、まさしく武装共産党時代以後そのテロ組織の残滓を束ねる事実上の最高指導者だったと確信している。そして、70年代の赤軍派や爆弾テロに走る極左地下組織とまったく大差ない運動を展開してきておきながら、共産党という組織特有の秘匿性、隠微なまでの秘密結社性をフルに活用して、当時の軍事指導を実行した極小なグループに権力を集中する。レーニン主義者なのだから当然といえば、当然なのである。その正体の分からない元武装闘争主義者グループの指導者たちは、一切その責任を取ることも無く、まんまと無邪気なまでの武装蜂起主義に凝り固まる左派を積み残し、自分たちだけは出自を秘匿しながら、「資本家に入るべき農家・中小企業主を取り込んで、大企業と対抗するという政治手法」を実現するべく、大衆組織の拡大に委ねて平然と議会政党として日本共産党を編成しつつ「憑依」し続けたのだ。このタタリは、あの政党の下部末端にいまだに宿痾のように広がっている。しかし、もともと一部の秘密結社グループが党組織全体を牛耳ることができるという特異なシステムに阻まれて、加盟の一般党員や党支持者には、最後の最後までその正体がわからないようになっている。共産党支持者で、ギャング団同然のお仲間に取り囲まれていたわが父親。その父親と、宮本顕治が、同じ年に他界したのはまったくもって奇遇である。つくづく慶賀の至りと言うほかない。
2007年07月25日
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滋賀に暮らして、まだ2年である。この楽天ブログを始めたときには、大阪城公園を自分の散歩道にしていたので環境は激変しているのだが、今は快適だ。大阪も市街地の便利のいい場所だったのだが、大阪のビジネスのスタイルは、自分には退屈なものが多かった。企業も公務員も、口から出る言葉は先読みが可能で、万有引力の法則をなんども実証されているようなもので、利発な人間ならば小学生時代から降りたくなる。滋賀だって、そういう意味では大差がない筈である。凶悪犯罪も勃発するし、中国人女性は幼稚園児を刺し殺したりもある。時折、湖西道路でも暴走族は、爆音あげて走っているのである。とはいえ、滋賀というより湖西は、実にシンプルである。なにしろメインの往来は、JR湖西線と161号線を行き来するだけである。こういう地域では、ほんとうに悪いことができない。たとえば、カーディーラーにクルマのことを尋ねる。懇切丁寧に教えてくれる。不具合を隠して、走行距離を改竄して売りつけるなどという事は、見事に心配しないで済む。営業マンの顔にも、それがみえかくれする。大阪では、そういうわけには行かない。大阪でも、まじめ一方で実直な営業もいるが、その対極的なやからもうんざりするほどいる。滋賀では、少ない。もしくは、滋賀では、とても大阪流儀では持続できない。なにしろ地域が狭いのである。とりわけ湖西は、狭い。先日、知ったが織田信長が安土に城を作ったのは上杉謙信が上洛してくるとすれば湖西を通る可能性が少ない。激戦地は、やはり安土に城を据えなければ闘いおおせないとの判断があったようだ。この際、猛将上杉謙信は、どうでもいい。湖西を通過していたのでは、天下が取れないという事情があったのだろう。山が迫って、目前に琵琶湖がある。狭隘な空間に、閑散とした風景で、比叡山の麓には、少々剣呑なのもいて、遠征する軍も危なくてリスクに行軍を躊躇するような面があったのだ。滋賀県人でも、湖西というと心底バカにした言い方をするのも多い。早い話、父方も母方も東海道線側の在である。ただ、自分のように両親が滋賀県人で、自身が大阪生まれの大阪育ちでこの方生きてきたような場合、湖西は実に快適だ。複雑で錯綜した考え事は、空間的な地勢が(知性ではない、地勢である)あらかじめそぎ落としてくれるという面がある。そういう視点で眺めると、大阪や京都はかなり病的な都市である。二代、三代続くとその病的な環界が肉質に及ぶので、対象化することが困難になる。早い話、自分の同窓の仲間らは、当時もそうだが、最近わたしの言うことが(十代の頃から何を言っているのか理解できないと言われていたが)昨今ますます難解だとか、よほど親しくなければ最初から取り合わないという風である。一方、自分の側は彼らの正体がますます際立って見えてくる。自分は、湖西に暮らしてふと国道を走りながら思い出したことがある。比叡山が、京都や大阪の喧騒を嫌ったのは権力から一定の距離を取りたかったからだろうと思うのだが、物事を捉えるときに、シンプルな構造の思考から眺めることが機能的だ。自分は、野ざらしの骸(むくろ)のように無機的なまでに明快で、余計な夾雑物の混じいらないいまの自分の生活感覚が心地よいと思う。それを維持するのに湖西の間合いは、実にありがたいと思う。
2007年07月23日
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今週は、結構肉体的にきつくて土曜日は3時ぐらいまで寝ていた。空をみれば比叡山は雲がかかり、霧雨である。大津市内へバイクで、所用で出かける。なんと安倍晋三の声がするではないか。よりによって大津警察署の目の前で演説している。県警本部長も、そわそわしているのだろう。なんだかくだらない社会保険庁が、どうたらこうたら言っている。自分は、個人的に岸の孫らには最初から期待してはいない。彼の兄の三菱商事で中国支社長をしている安倍寛信氏も、むかしギャンブルめいた投資をコゲつかせてしまい何とかごまかしたいとしてご学友に泣きついていた。それが、まわりまわっても関西に依頼が走りもみ消したことがある。自分が、まだ三十なるやならぬ頃だ。ひさしぶりにテレビでみて、有識者顔になっているので驚いたが、あいかわらず縁故情実で、つまらぬ噂に絡んでいる。当時貰った名刺には、麦酒部門となっている。ご学友には、世話になったがくだらない始末の奔走は、拙生にとり痛恨の屈辱だ。ちなみに、安倍寛信氏の義父はあの牛尾治朗元経済同友会代表だ。ちょっと風変わりなベンチャーキャピタルを舎弟らに指示して始めてしまい、うっかりシャルドネの会社に投資実行しちまった。ほんらいならば、恩義に感じて遺恨を捨てても仕方がないという「巡りあわせ」だったのである。だが、旧ニフティーサーブ、ビジネスフォーラムの各位が今ここで読んでおれば言いたい。オリックスの末端の部課長にもあたまがあがらないようなベンチャーキャピタルならば最初から始めるなといいたい。彼らがやった真似は、残念ながらマチキンよりも無茶だったね。まあ、一度あれだけの経験をさせてもらったら盃はかえす気にはなるぜ。衆議院議員田中真紀子は、平沢勝栄が「頭が悪くて勉強が嫌いで口が軽くて。コネでもなんかすれば慶大くらい入れるだろうと思ったら、それもダメだった」と話していたとしている。たくさんの政界、財界の守銭奴仲間の口利きのオカゲで、アッと言う間に保釈されちゃった村上ファン怒の村上容疑者だけど、その村上ファン怒はと言えば、大口の投資家がどんどん資金を引き上げてはじめてて、もはや、風前のトモシビ状態だ。そんな、資金の引き上げを検討してる企業の中に、ナナナナナント! あの「ウシオ電機」も入ってた。ウシオ電機と言えば、会長の牛尾治朗の長女、幸子が、安倍晋三の実兄の寛信と政略結婚して、今や安倍晋三を全面的にバックアップしてるベタベタの身内企業だ。安倍晋三と村上容疑者の癒着ぶりは、ライブドア事件の時から知れ渡ってたけど、安倍晋三の最大の後援企業のウシオ電機が、村上ファン怒に巨額の出資をしてたってことは、その橋渡しを安倍晋三がやったことは火を見るよりも明らかだ。オマケに、このウシオ電機の会長の牛尾治朗ってのは、コイズミが内閣府に設置した売国組織、「経済財政諮問(しもん)会議」の民間メンバーなのだ。他にも、イノシシ被告や村上容疑者の大親友、元経団連会長の奥田碩もメンバーだし、何よりもワンダホーなのは、この会議を仕切ってるのが、ニポンに住民税を払いたくないからって、アメリカに住民登録をしてるほどの売国奴、竹中平蔵なのだ。イノシシ被告と仲良く写真を撮り、自民党お墨付きで出馬させたコイズミ。イノシシ被告をベタボメした上に、広島まで選挙の応援に駆けつけた竹中平蔵。安倍晋三の身内にして、村上ファン怒に巨額の出資をしてた牛尾治朗。そして、売国企業のトップに立つ奥田碩と、これほどの大悪党どもが顔を合わせる会議だなんて、全員がそろってるとこに、金正日に頼んでテポドンを落としてもらいたくなる。そうすれば、それだけで、この国の経済が見違えるほど良くなると思う今日この頃、皆さん、いかがお過ごしですか?↑クリックまあ、いずれもあたらずといえど遠からずだろう。そうか、牛尾の旦那らの一派はシャルドネに愚かにも出資するほどの誤爆をやらかしただけで懲りずに、村上世彰のファンドもやっていたのか。リクルートではよほど懲りたと日経新聞連載コラムで綴っていたが、どうも根は鷹揚な人らしい。安倍総理誕生後にあわただしく動いたのは、既設の文化会館、婦人会館、中央公民館を取り壊してつくるという社会教育複合施設(20年間で総事業費155億円)である。初めから三菱商事が取ることに決まっていると語られていたが、今月中旬、地元の原弘産グループを排除して、安倍首相の兄・安倍寛信氏が中国支社長をやる三菱商事グループに落札させた。安倍首相の実兄がからむと、ふつうの神経では遠慮するところ、逆に縁故優先をやるというのであるから、相当の独裁者ぶりである。 ピンハネするだけで丸投げするほかない商事会社に建築事業をやらせることも異常だが、入札額は地元勢が10億円も安いのに、江島市長は高い方を選んだ。地元企業グループは公文書公開と法的手段も辞さないとしているが、江島市長は落札金額や審査内容を伏せ続けている。社会保険庁問題も、へったくれもあるもんか。岸の孫など、どいつもこいつも良く似たもんだと思っている。独裁者もなにも、爺さまの膝の上で覚えた快適さをそのままひきづって棺おけに這入るつもりなのだろう。ご勝手に、というところだ。霊感商法、インチキ壺売りの頭目 文鮮明カルト教祖(左)とご怩懇だった安倍晋三の祖父、岸信介元首相。(右)
2007年07月21日
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排気から放射性物質=柏崎刈羽7号機、地震と関連か-人体や環境に影響せず・東電(時事通信) 東京電力は17日午後、新潟県中越沖地震で自動停止した柏崎刈羽原発7号機(改良型沸騰水型、定格出力135万6000キロワット)で同日午後1時ごろ、主排気筒の定期測定をしたところ、通常は検出されない気体状のヨウ素の放射性同位体や粒子状の放射性物質クロム51、コバルト60を検出したと発表した。 検出された放射能に基づき、原発敷地境界で一般人が被ばくした場合の線量を計算すると、年間被ばく限度の1ミリシーベルトに比べて極めて低く、周辺環境への影響はないという。 東京・内幸町の本社で記者会見した鈴木良男原子力運営管理部部長は「地震と何らかの関連がある可能性が高い。原因を調査している」と述べた。 ここでさりげなく、怖ろしい事実が述べられている。まず、放射性ヨウ素だ。これは猛毒だといっていい。このガスをすったら子供は、甲状腺に見事にダメージを受ける。半減期は短い、短寿命核種ってやつだけれども危険性は短寿命核種だから少ないというわけではない。ヨードは、原子力施設の事故ではもっとも危険なファクターを呈するもののひとつ。つぎに、コバルト60だ。もう、自分らの世代では絶対恐怖の象徴的な金属だといって良い。コバルト爆弾核爆弾の一種で、原子爆弾又は水素爆弾のまわりをコバルトで包んだもの。具体的には、核反応が充分に進行しないうちに核物質が四散して爆発が不完全に終わるのを防ぐ「タンパー」と呼ばれる重金属の覆いにコバルトを用いる。コバルトの原子量は59であるが、核反応により放出される中性子を取り込んでコバルト60が生成され、これが爆弾の爆発と共に広範囲にまき散らされる。コバルト60は半減期5.3年でガンマ線を放射するため、コバルト爆弾は放射線兵器となる。中性子爆弾と共にSFの第三次世界大戦など核戦争による世界破滅するジャンルでよく使用想定されていたが、中性子爆弾と違って、コバルト爆弾では半減期の長いコバルト60による汚染のため味方にも被害が及び、被災地の占領も困難であるなどの理由で実用性に乏しく、理論上の兵器に終わった。JFケネディ大統領が、海上封鎖でキューバへの持ち込みを実力で阻止したが当時この世の終わりを確信して自殺する男女がアメリカや日本で続発した。カストロは、ともかく。当時、あの革命家エルネスト・チェ・ゲバラは、フルシチョフ首相にコバルト爆弾のキューバ持込を強く切望した可能性は高いと、自分は思っている。CIAがグリーンベレーをボリビアに送り込んで、チェ・ゲバラを暗殺したのは正しい選択だったと今でも思っている。自分は、当時わずか10歳だったがあの事変の怖さは並大抵ではなかった。まさか、こんなところでコバルト60をふたたび耳にすることになろうとは夢にも思わなかったというところだ。最後に、クロム51とコバルト60が粒子で検出されているということを強く危惧する。金属が、粒子(球形)で登場するというのは危ない兆候だ。金属は、蒸気になると丸く冷える。逆にいえば、この怖ろしい金属が一旦蒸気化したということを想像したまえ。バカでなければ何を言っているかわかるだろう。現在、ニッケル・クロム・モリブデン・タングステン、あるいはタンタルやニオブを添加したコバルト合金は高温でも磨耗しにくく、腐食にも強いため、ガスタービンやジェットエンジンといった、高温で高い負荷が生ずる装置などに用いられているほか、溶鉱炉や石油化学コンビナートなどでも十分に役割を果たす。またステライトに代表されるコバルト・クロム・タングステン(あるいはモリブデン)・炭素を使った4元系の合金は、磨耗に強く表面強化が必要とされた工業分野において幅広く利用され始めている。この合金は、鋳型として使用するほか、粉末として吹き付けることや溶射して利用することも可能であり、利用技術の発達によって、航空機の表面にコーディングすることなどをはじめ、広い分野で実用化が始まっている。コバルト-モリブデン-ケイ素合金は、耐摩耗性を有し摩擦係数が小さい(滑らかな)性質を示し、ベアリングの特徴を併せ持つなどなど有用な特性を持った合金も開発されている。またコバルト-クロム-モリブデン合金とコバルト-クロム-タングステン-ニッケル合金は腐食しにくいため歯科医療や外科手術などでも使われている。近年では飛躍的に進歩したものとして、ニッケル-コバルト-モリブデン鋼の大幅な特性向上があげられる。非常に強い強度と高い靭性を持ったこの合金は、多くの分野での応用が期待されており研究が進んでいる。こんな「強い強度と高い靭性を持った」金属が、一旦沸騰して蒸気(気体)に化けたのだ。それが、瞬時に外気にふれて固まった。それが球形の粉になったという意味だろう。われわれは、すでに同じ現象を86年に体験している。それは、最初スゥエーデンの原子力機関が発見した。自分たちの施設に球形の放射線核種が散乱しているのに気づいたのだ。いうまでもなく、それはスゥエーデンを遥か離れたソビエト連邦の原子炉から飛散してきたものだった。
2007年07月17日
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三連休は、へとへとだった。クルマの移動では、400キロ近く走っただろうか。大阪、滋賀往復。伊丹、滋賀往復。雑用が多いのは、致し方が無いが伊丹のバーミャンの昼食の不味いのに呆れた。10年前には、もう少し緊張感があったと思うのだがJR伊丹のダイアモンドシティの隆盛で商圏に異変が生じたのだろうか。阪神大震災の復興の象徴みたいなタミータウンも、阪急側の精彩なさに影響を被っているかもしれないと印象する。阪神大震災は、大事件だった。温泉の湯煙みたいだと、あの筑紫哲也がのたもうて大顰蹙をかった記憶があるが神戸を襲った震災は、防災関係者の中では関西電力の電力復旧の拙速さに関わるものとの意見が強かった。あまりに電気復旧が早すぎると破断した電力線が濡れた瓦礫の内部で火を放つという事例が多かったらしい。これは、しかし公然と語ることはタブー視されている。うっかり口をすべらせれば、企業社会ではめったに味わえないキツイ教訓をいくつも味わうことになるだろう。柏崎原発が、核暴走を回避できたのは本当に偶然に過ぎないだろう。平然と、活断層の上に原子力施設を建造してしまうゼネコン。そんな妄者か悪霊同然の企業が存在することも呆れるが、それを認可する役人も、中央官庁。誘致する自治体、補助金を歳費に組み込む0財務省。どいつもこいつも国賊みたいなものだ。
2007年07月16日
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↑クリック毎日眺めていて、腹が立ってしかたがない。たった5日前に、アップした画像がこれだ。7月10日読み物の方は、「こんなバカな!」7月10日わずか一週間で、5万円の価値増殖というのが不思議でならない。先日、生活保護を打ち切られた男性は肝臓に障害があった。本人の日記に、生命線ともいうべき生活保護の打ち切りを平然と実行した役人に対する怨嗟の言葉が残っていたという。当然だろう。役人がテレビで、まさかそこまで追い詰められていたとは気づかなかったと述べている。こいつもバカな奴だ。そういうお役目ですと言えば叩かれるのであろう。しかし、「私はバカでした。無能でした。仕事はしてません。人間的にも非道な仕打ちをしました」とは絶対に言わないものなんだね。(詳細は、上の画像のクリックから)その男性の生活保護は、月額3万円強の金員だ。われわれは、犬でも猫でもない。れっきとした人間だ。肝機能障害をわずらって床にふせている男性を、人間の社会ならば庇護する義務がある。国家も行政も資本主義もこの「義務」を逃れることはできないのだ。これは倫理を超越した宇宙の原理なのである。こんなシンプルな原理が維持できない人間社会は、早晩終わるのだ。これも北九州の木っ葉役人などの冷え切った人間味などよりも遥かに冷徹なかたちで、この世の原理は早晩我々の社会を襲ってくる。これは超歴史的な「われわれの現実」で間違いない。私は、この際予言者でもなんでもない。それは自ずとこの地上のわれわれすべてに向けて貫徹した原理だ。たまたま「あなた」や「わたし」が、多少鈍くてそれに気づかないというようなことがあっても、この義務だけは逃げることができないのである。この原理。別名を「人間の条件」という。私の実験でも、わずかの金員が堂々と金を増殖している。一週間で、5万円の金を産むのである。わが大日本。世界でひとつの神の国。半死半生の男性に、生活保護を打ち切らねば維持できないような国家経営ならば、止めてしまえ。■第二章 保護の原則 (申請保護の原則)第七条 保護は、要保護者、その扶養義務者又はその他の同居の親族の申請に基いて開始するものとする。但し、要保護者が急迫した状況にあるときは、保護の申請がなくても、必要な保護を行うことができる。(基準及び程度の原則)第八条 保護は、厚生労働大臣の定める基準により測定した要保護者の需要を基とし、そのうち、その者の金銭又は物品で満たすことのできない不足分を補う程度において行うものとする。2.前項の基準は、要保護者の年齢別、性別、世帯構成別、所在地域別その他保護の種類に応じて必要な事情を考慮した最低限度の生活の需要を満たすに十分なものであつて、且つ、これをこえないものでなければならない。(必要即応の原則)第九条 保護は、要保護者の年齢別、性別、健康状態等その個人又は世帯の実際の必要の相違を考慮して、有効且つ適切に行うものとする。(世帯単位の原則)第十条 保護は、世帯を単位としてその要否及び程度を定めるものとする。但し、これによりがたいときは、個人を単位として定めることができる.。
2007年07月15日
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毎日眺めていて、腹が立ってしかたがない。たった5日前に、アップした画像がこれだ。7月10日読み物の方は、「こんなバカな!」7月10日利殖で投資信託を買っておいて、評価額がアップして怒っている自分もヘンな奴だがどう考えても腹が立ってしかたがない。実験として購入した金額は、自分には大金だがおそらく世の資産家には、ティッシュペーパーのようなものだろう。一億円も、二億円も投資信託を購入できる人間も組織もあるのだろうと思う。その人達の資産が、わずか二ヶ月ほどでなにも労せず数千万円増えているのだろうと思うと腹が立って仕方がないのである。実は、わが父親はこういう評価額がグングン騰がってゆくのを眺めて目じりをさげる人物であった。いや父親にかぎらず、資産価値が騰がって喜ばぬ人はいないのかもしれない。自分は、眺めているだけで気味が悪い。血を吸われている、血を吸っているような気分だ。どだい、人間が働いていないのに金だけが自己増殖するなど「この世」にとってロクな事はないと思う。このあいだも、ネット証券が動画配信している勉強会で講師のおやじが口にした言葉が我慢できない。機関投資家にとって、「四億円、五億円はハシタガネ」という偉そうな語り口である。こういうやからを、生きているあいだにダイナマイトで吹き飛ばしてやりたい気分が湧く。機関投資家とやらは、それらの金を、ただひたすら増殖させるためだけに動かしているのである。その功績で、ランキングを貰い。ランキングの上位を占めていればいくらでも運用を委託する金が湧いてくる。そう言いたいのだろう。その規模たるや何千億円にもなり、当然そういうセンスからすれば四億円、五億円は「ハシタガネ」という事になるわけである。この感覚が、病的だということははやく気づいた方がいい。金は、生きているあいだに生きている「あなた」や「わたし」の最大幸福のために使われてこそ価値がある。ほんらい、それが金員という特殊な商品が持ち合わせている最大の使命なのである。ところが、この手の機関投資家という連中の村社会では、金が金としての運用規模が大きくなること、そのことが最大の目的にばけている。ばけている理由は、金が本来の目的を何者かに抑圧されて、価値を蓄積することを勝手に自己目的として暴走しているからだ。これが、間違いなく我々の生命の脅威となっている。ここまで一気に理解できない人たちが、いっせいに投資信託へ預貯金を移し替えているのであろう。そうでなければ、こんなに病的に投資信託屋がデカイ顔していられる筈がない。日本国内の餓死者や、自殺者をひとりでも助けてからものを言え。ハシタガネの一部なりとも、弱者のためにつかってみろ。ビルの屋上からカネをばらまく人の気持ちが分かるような気がする。
2007年07月15日
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2004/12/28 読売新聞朝刊中央競馬 売り上げ15年ぶり3兆円割る(解説) ◆息の長いファン獲得へ努力必要 中央競馬の今年の売り上げが十五年ぶりに3兆円を下回り、最盛期と比べ、1兆円以上も減少した。(運動部 小島雅生) 今年の売り上げ2兆9314億円は、4兆6億円だった一九九七年の約四分の三。ショックな数字には違いないが、日本中央競馬会(JRA)関係者は安堵(あんど)の表情を見せた。その理由は、前年比2.6%減にとどまったためだ。過去五年間、前年と比べた平均減少率が5%近かったのを考えると、大健闘ともいえる内容だった。 象徴的なのが、最終日二十六日の有馬記念(G1)。入場人員は0.8%増加、売り上げは515億円強と昨年比99.9%を記録した。今年九月から全国発売した新馬券、3連単(1―3着を着順通り当てる)が全体の27.4%を占めた。落ち込み分を新馬券が埋めた計算になる。JRA広報部は「高額配当が期待できる新馬券が売り上げ減少の歯止めになった」と分析する。 ただ、九九年以降に発売された四種類の新馬券が、売り上げカーブ上昇を実現するまでには至らなかったのも事実で、「防戦」の感は否めない。来年一月一日の競馬法改正で、複数レースの結果を予想する重勝式馬券の発売も可能となるが、現時点で発売の具体的計画はない。競馬人口が、激減しているのは薄々感じていた。あんな難しいバクチをやれるのならば、シンガポールの主婦のようにパソコンを孫にでも買ってやって、eワラントでもやればいいのである。よほどリスクが小さくて儲かることだろう。農林省役人の天下り先JRA銀行に大量に「預金」したままあの世に逝ってしまうオヤジたちがこれまであまりに多すぎた。ところが、長引く景況の低迷でとうとう地方競馬に続いて公営ギャンブルの花だった中央競馬会JRAにも、じわじわと凋落感が忍び寄ってきているもののようだ。2004年の読売報道どころか、2007年は、さらに減少傾向が如実だという。なにしろ日本の中央競馬は、1000円馬券(勝ち馬投票券というらしい)を買うといきなり750円に化けてしまう。そう思った方がいい。つまり本人は1000円買ったつもりだが、馬券に化けた瞬間に250円巻き上げられているのだ。まあ、お人良しばかりがわんさかあつまって、オグリキャップだのディープインパクトだのと騒いできたわけである。ところが、さすがに競馬ファンの足が遠のいて農林省OBの木っ葉役人どもが青くなり最近では控除率を改善しようとしているらしい。しかし、いくら控除率を減らそうが影響を受けるには、ノミ屋(非正規馬券取次業者)とか駅前の立呑み酒屋ぐらいのもので競馬に嫌気してしまったファンがにわかに復帰するとは思えない。単に、競馬ばなれしているだけではなく、やはりパソコンをつかったギャンブルがいくらでも増えていることも大きいのではないだろうか。ネット株も最近はあまりプロが大きな顔できなくなり、かつては肩で風を切って兜町や北浜に高級外車で乗りつけていたような仕手筋の旦那方も個人投資家を騙してひとり浮き相場を形成するのが相当難しくなってきているらしい。その証拠に、無料のメルマガで自分らが仕掛けている銘柄を一生懸命無償提供してまで、相場形成に余念がない。変わればかわったものである。なにしろ明星食品や、ブルドッグソースまで外国資本が狙ってくる時代。パチンコ屋にも、かたっぱしから外資の株式買占めの猛攻がかけられているらしい。もともとギャンブル性の高い市場経済の勢力地図は、いまや日本のお役人が温存してきたギャンブル性の高い産業の足下まで買占めにかかっているように思える。詰まるところ、日本人の投機性癖そのものが外資の標的になりつつあるのだろう。もはや、公営ギャンブルも国際化の波に曝(さら)されるということは避け難いことだろう。
2007年07月14日
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シンガポールの主婦、eワラントの取引コンテストで優勝 [ 2007年07月05日 14時13分 ] [シンガポール 4日 ロイター] シンガポールの主婦が、eワラントの取引コンテストで、メリル・リンチなどトップバンクのトレーダーたちを打ち負かし優勝した。4日、地元紙『スレイツ・タイムズ』が報じた。同紙によると、優勝したのはチュワ・チュイ・コックさん(64)。コンテストの前はeワラント債のことは何も知らなかったコックさんは、8週間で投資金を10倍の100万シンガポールドル(約8000万円)に増やし、MBA取得者など2000人の競争相手を打ち負かした。コンテストには現実の金は使用されていない。コックさんは賞金8000シンガポールドル(約64万円)を獲得した。eワラントは、株式、債権、指数、貨幣、商品などの資産を、期限日前に特定の権利行使価格で買う、または売ることができる権利のことだ。コックさんは息子からパソコンを使ったeワラントの取引と指標の読み方を教わった、コンテストでは香港株のハンセン指数を扱うワラントの取引を行った。また、ゴールドマンサックスのプロパガンダだろう。一応、そのように受け止めている。しかし、これは有り得る話なので64歳をバカにしたものではないと思う。難しい術語、テクニカルタームで覆いつくしているがあれは結局丁半ばくちの修羅場潜っている人ならば、瞬時に理解できるのかもしれない。
2007年07月13日
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豪快なマネをしてくれるじゃないか、社会保険庁さんよ!いま国民の電話が殺到しているというが、その窓口があなたや私の周囲にいる臨時雇用のお兄ちゃんやおネエちゃんだったりするらしい。職 種 : --------------------------------- オープニングコールスタッフ大募集!------------------------------------- 国民年金、厚生年金保険に関する電話でのお問合せにお答えするお仕事です。 官公庁から委託されるお仕事なので、安心して始められますよ。●「ねんきんダイヤル」の受電対応をして頂きます。年金受給者からの、年金の お受け取りに関する手続き、制度や加入記録に関するお問合せ等に対応。 ☆150名の募集です。●勤務地 : 大森●勤務時間 : (1)(2)a/8:30~13:00 b/13:00~17:15 c/8:30~17:15(休憩80分) ★a.b=時給1050円 ★ c=時給1100円 (3)8:30~17:15(休憩80分) ※週3~5日で曜日応相談しかし、凄いねえ。オープニングスタッフと、来たもんだ。なんだか、居酒屋の「和民」や「ソフトバンク」携帯ショップ店員並かよ。ああ、その詳細は上の画像をクリック。もう募集は締め切られたようですよ。あしからず!
2007年07月13日
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深夜に、64年の映画「5月の7日間」についての雑感をYAHOOムービーのユーザーレビューを書き終えて投稿したばかりだ。だからこそ翻って足下の映画「ダイハード4.0」を語るべきなのだと思っている。まず、映画「5月の7日間」という古くて新しいアメリカのテーマを踏まえて頂けるだろうか。実は、アメリカには諜報工作やテロに傾斜する下地が相当あって第2次世界大戦後繰りかえしその芽は地下水脈のように沸々と湧き上がってきていると印象する。(小説「ジャッカルの日」では、フランス大統領暗殺未遂劇が描かれている。それは、未遂事件であるから軽いのだろうか?アメリカでは実行されて、JFケネディー大統領は、まんまと屠られてしまった。この大きな差を、日本人はなんとも重みを感じないでいるように思う。)当然、そのような絵空事のごとき秘密軍事地下組織が実在したとしてマスコミや、ジャーナリストが捕捉できない筈はないと思われがちだ。しかし、よく考えてみて欲しい。あのJFケネディ暗殺実行部隊は、いまだに歴史の表層にすら浮かび上がってはいない。「5月の7日間」のレビューにも書いたが、歴史には手厚く覆われてけして世間に知られること無く気配を掻き消されている存在があるものだ。情報テロの可能性が皆無だと信じることは、かまわないが、裏をかえせばいかに情報操作には気配すら示されないかという事でもある。アメリカで勃発したハリケーン騒動で不思議な事が露呈した。合衆国連邦緊急事態管理庁 Federal Emergency Management Agency of the United States いわゆるFEMAである。これが、実態でまったくモノの役に立たず巨大災害に無能ぶりを曝け出してしまった。ブッシュ大統領の支持率低下にも大貢献である。しかし、FEMAを冷静に観察して貰おう。この連邦緊急管理庁というお役所、アメリカ東部のマウントウェザーに所在地する。なんと巨大災害防止に特化した組織だと対外的には信じ込まされていた組織が、木偶の棒同然でなんら機敏にハリケーン災害に対処できなかったためにさんざんな貶められかたをしたわけなのだけれども・・・60年代から、この映画「5月の7日間」オタクを決め込んできた私などのようなウォッチャーは、この組織など詰まるところ、あの人気テレビドラマだったナポレオン・ソロ The Man from U.N.C.L.E の秘密組織 UNCLE本部が、なぜか洗濯屋さんの足下、地下要塞にあるようなものだと踏んでいたわけである。彼らが洗濯もので飯を喰っているわけがない。彼らは雑巾も洗えないのは当然といえば当然だった。FEMAがハリケーン騒動に出動して、実力が発揮できないなどと責めるのは実のところ野暮なのだろう。実は、映画「5月の7日間」の隠れた主人公ECOMCONの所在地にみごとに重なる。まさしくFEMAこそアメリカ連邦軍備局の設営した影の政府、ECOMCONのモデルともなる組織だったのである。映画「ダイハード4.0」では、荒唐無稽な冒険活劇の娯楽映画という仕立ての貌の裏に、かかる大国アメリカがサイバーテロの実力の前にはいかに無力であるのという現実を重ね合わせて描写しているのだ。その点で今日的課題を担っているといえなくもない。興味深く愉しめた。
2007年07月12日
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中学生時代、世は東京オリンピックの熱気で舞い上がっている時代だ。映画館にあの初代「コレクター」などがかかっていた時代。この映画はハリウッド映画として日本に登場した。マイケル・ダグラスの父親カーク・ダグラスという当時の人気俳優が顔を見せるが、なんと地味な映画だろうと思った。原作を読んでからみたのだが、たぶん映画をみた観客が、この小説と映画の重みが理解できたとは思えない。当時は、日本の映画館にもフランス、イタリア、ロシア、北欧などの洋画が平等にかかっていて今のようなアメリカ一辺倒という病的な事態にはなっていなかった。ハリウッド映画とて、けして興行成績を約束されているわけでもなかったのだ。この映画の地味さは、その内容の壮絶さを否定しない。この映画で描かれているのは、まさかと思われるかもしれないが現実に巨大大国アメリカでクーデター計画が存在したという事を踏まえている。いまWEB上でこの映画を完全なフィクションだと断定される解釈をみかけたが、それは少々間違っていると思う。この映画に登場するアメリカの秘密地下組織ECOMCON の蠢動を描写している部分は、いまなおアメリカ人の中でその存在を確信している一部の人達がいるほどだ。それは、Emergency Command and Control の略称で、軍事組織の主要な活動が、情報統制と麻痺戦を担う時代の始まりにあって冷戦時代のアメリカに、大統領のあずかり知らぬ軍事行動を組み立てようと謀る。歴史には、起こらなかった事は語られないという。その気配すらも。現実に、アメリカ大統領であったJFケネディがダラスで暗殺され半世紀近いにもかかわらず、その実行部隊が一切歴史の表舞台に露呈せぬ御国柄なのである。この原作の冒頭で、アィゼンハウワー大統領の退任演説が引用されている。陸軍の英雄にして、大統領だったあのアイクが畏れを抱いて後任のケネディに託したメセージとも読めた。はっきりと詠われているものこそ、アメリカの軍産共同体の脅威だったのだ。いま当時わたしが読んだ小説「五月の七日間」を図書館に予約してみても、近畿圏いずこにも見つからない。唯一、大阪府下南部の図書館に所蔵されていることを知った。古書店にも払底している。かつてベストセラーだったこの図書は、復刻される気配もない。歴史から掻き消されたかのように。政治をテーマにした映画は成立が難しい。これはその数少ない試みとして銘記されるべきだ。秀作である。なぜ私はこの映画に憑かれたか・・・ecomconを知っていますか?
2007年07月12日
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昨日、みなさんにご披露した「実験画像」だから、ご記憶だと思う。以下に、一日違いで同じ某ネット証券の同じ情報コラムの経過を示す。わたしが、「こんなバカな!」と口走る気持ちが理解いただけると思う。わずか一晩で、10853円の利益増殖をしているというのだ。これをみて、「シャルドネ氏、要領よく資産運用しているな」などと思われる方がおられたらばおめでたい。私は、そういう人に放つ言葉を持ち合わせていない。地上にあってはならないことは、あってはならないという倫理性を欠落してまでも資産を増やしたいという発想は私にはない。それは、言うなれば生きながら死霊となっているようなものだ。わたしは、なにか思いつきで「蛤女房」の民話を挿入したのではない。蛤女房は、異類(ばけもの)なのである。恩返しとはいえ、鍋に屎尿をはなち猟師の怒りを買った。猟師とは、たとえであっていうなれば我々の生得な筋肉のみを根拠として生活と社会を担うという健常な価値観の象徴なのである。それがいかに舌がとろけおちる美味な汁気であったとしても卑しんで退けるという気概があったのだろう。社会にそういう合意が成り立ちえたがゆえに民話が機能している。そうでなければ、猟師は蛤女房にほほ摺りをして生涯添い遂げようとしたに違いない。それでは、落語の世界に成り果てる。落語の世界ならば、秋のススキを美女と勘違いして自分の閨(ねや)に招きよせる与太郎が登場する。われわれは、かつてそれを笑い飛ばすだけの胆力をそなえていた。
2007年07月11日
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お金の流れが妖しくて仕方がない。とにかくこの時代のお金の流れは異様な気がする。それを体感しようと思い、学習効果にはまず論より実践と某ネット証券で投資信託を実験的に取り組んでみた。上の図の、2銘柄をやっている。証券会社をかえて別の証券会社では、去年から少額の投資信託をやっていた。しかし、当時の価格帯では、もう手に入らない。なんだか損をしたような気分がしたので、あらためて買いなおしたのだ。投資信託は、購入直後にマイナスがでる。購入していきなり資金にマイナスがでるのである。これは、はなはだ気持ちが良くない。気になって毎日のように眺めていた。ちなみに上の銘柄は、今年の2月。下の銘柄は今年の5月である。正直、ばかばかしくなってくるような評価益である。さっさと売り払ってやろうかと思うのだけれども、元本保証されていない投資信託とはいえ、これだけ竹の子のようにムクムクと利回りを伸ばしてくれると見切りのタイミングをどのように取ればいいのか判断に迷う。わずか数ヶ月で、14%も、9.75%も利益が増えるという金融商品は、自分のような実直なだけのヒラの小市民には心臓に悪い。お気づきの方もおられるだろう。この2銘柄の投資信託は、BRICSを専らとした海外投資のファンドに供される資金に向けられたものだ。いまや怖ろしい勢いで、日本円が海外へ向かっている。購入資金が125万円だったわけではなく、手数料をさっぴかれているのである。にもかかわらず、現時点で売却すれば150万円程度にはなるというのである。もっとも売りそこなうと元本割れ。さりとて、日本円に戻せば、つるべ落としの円安である。一体どうすればいいのか頭が痛い限りである。どうやら、日本から円借款している国々もまともに国内投資したりせずに、さっさとこれらBRICS諸国へ直接、間接投資していると言う。なんだ、この投資信託が急騰している理由は、結局日本円の非力さではないか。日本国民として、実に情けない思いが湧く。このバブルは、かならず破裂する。ちなみに他社の方で購入した同じ投資信託が昨年購入しただけあって、評価益が22%を越えていた。これが怖ろしい。いくらBRICS諸国とはいえ、このような利回りを背負わされながら稼ぎ続けていられる筈がない。日本円が化体して地表を駆け巡る。そのことで、つむじ風を起こしているようなものだ。続くわけがない。早晩止まる。
2007年07月10日
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古書店で、20年以上も前になろう呉智英の「宝島」に書き散らした文章を読んでいて驚いた。あの謹厳実直を絵に描いたような柳田國男先生が、猥談ネタ並の民話に言及しているという。題して、「蛤女房」。自分は、傾倒する南方熊楠の評価と昭和天皇への好意的な仲介の労などから、かねてより柳田國男のシャドーワークについては、瞠目している。左翼だらけの高校教師らからは酷評されていた柳田國男だが、原則的に柳田は性的な話題、天皇にからむもの、被差別部落についてのものこの三つは慎重に距離をおいていると聞き及んでいた。柳田が、好んで取り上げたところをみればよほど感銘度が高かったに違いない。そう思った。昔々あるところに、1人の男が住んでいた。あるときに男が海で漁をすると、とても大きな蛤が獲れた。男は、この大きさまで育つのは大変だったろうと、蛤を逃がしてやった。しばらく後、男のもとに美しい女が現われ、嫁にもらってほしいと言った。女はとても美味しい味噌汁を作ったが、なぜか料理を作っているところを決して見ないよう、男に堅く約束させた。しかし男は好奇心にかられ、どうすればこんな味噌汁が作れるのかと、ついに料理をしているところを覗いてしまった。女は鍋の上にまたがり、何と鍋に小便を注いでいた。男は怒って女を家から追い出した。女は海辺で泣いていたが、やがて元の姿の蛤となって海へ帰って行った。 一〇 蛤女房 昔、長者に蛤汁を上手にたく女中があつた。蛤汁とは言ふが蛤は一つも入つてをらない。しかし舌が落ちる程美味しいのである人が不思議に思ふて見ると、女中は鍋の中へ小用を足してゐるのであつた。皆の者はそれを聞いて驚き、蛤汁に実がない事も初めてわかつたと言つたさうである。 (話者 三豊郡麻村の老人とある)底本の書名 全国昔話資料集成 9 岩崎美術社 西讃岐地方昔話集 香川 武田 明編 責任編集 臼田甚五郎 関 敬吾 野村 純一 三谷 栄一装幀 安野 光雅 底本の編者名 武田 明 底本の発行者 岩崎美術社鶴の恩返しが悲話で「良く」て、蛤の恩返しのなにが悪いのだろう。これは大いに謎だ。鶴の報恩が、格が高いのはなぜだろう。一方、蛤のそれには、なにかしたり顔の説教めいた雰囲気がある。鍋に、美女とはいえ小便をする。このエピソードに揶揄を印象するわけだ。蛤汁を美味だ、舌がおちると持ち上げておきながら鍋に小便だと突き放す。この呼吸は、まるで落語のようで鶴の恩返しだと、国内外で演劇賞を受賞して、歌劇だのクラシックにまでなったりする。鶴の恩返しには、「労働価値説」のマルクスの影が見え隠れしないか? 鶴は、鶴の労働に自己疎外を媒介として恩をかえす、という構図だ。蛤女房は、おんながとりどりに持ち合わせているあのお値打ちものが、それ自体そのものが実態で価値であるという思想があっても言いと私は思うのであるが、断固それを許容しない村落の側の都合が透かしみえる。「たわけ」を戒めるマッコウ臭いしみったれた世話焼きな坊主の禿頭が板の間でふんぞりかえっているというイメージ。違うか?たとえば、蛤女は遊女だ。遊女は、なにかゆえあって漁村で屈強な猟師の侘び住まいにころげこむ。遊女といっても、夜鷹同然の最下層のルンペン(不可触賎民)級の酌婦と思えばいい。返すものがなければ、お定まりの報酬を男に与えるしかないだろう。ときに、漁にでるのも繰り延べして房事過多に陥ることもあるやもしれない。これは、たわけであろう。村のくちさがないあたりが、鍋に小便ぐらいの誹謗中傷は盛り上がって不思議はない。労働は価値であり労働から距離のあるものを卑しむという「価値観」がここのところ人間を刻んできた、しかし所詮はややまだまだ日の浅い歴史が反映しているのだ。柳田は、それらをけどり慎重に遠ざけようとしたのだろうか。
2007年07月09日
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パソコン通信以来、インターネットに至るまでまあ「ポチ」の多いこと。呆れるばかりだ。確かにこのようなこの時代には生き易いことは間違いない。その安易さが多数派であるが故、いまの日本の閉塞感を倍加させている。これも間違いない。ネット上で、ポチの分布をみているとぼんやりと裏づけなしの印象だが、東京と案外福岡、大分が多いように思う。理由は、景気向きが昨今のグローバル化で、いびつなため地域格差があることが背景のある。まず北海道は、悪い。なにしろ北海道電力経済研究所が、最悪宣言しているぐらいだ。彼等の綿密な調査によれば、90年から10年間で北海道からは1兆1千億円もの規模で資産損失が発生したという。以後、その軌道にそって急速に事態の悪化が進んでいると推量できる。富の縮小モデルの典型な地域経済だ。実は、これをぶち抜いて悪化しているのが大阪だろう。大阪で景気がいいのは一部大企業とその系列ぐらいのものだと思う。近畿は、もはや北海道を笑っていられる余裕がなくなり、景気回復先陣組は脇目もふらず勝ち組の後を追っているというあたりの実情だろう。四国、山陰ともども青息吐息という程度の差。つまり、視野が広くてよくみえているというよりも今の小康状態的な景況の幕間でたまたま景気向きが良いために「判断停止エポケー」に陥っている手合いが、ネット右翼の正体だろうと思っている。つまり、筆頭ポチの遥か下でビックリマンの自覚なしに、中国、韓国叩きで鬱憤を晴らしているわけだ。雇用情勢でも、有効求人倍率が1.35倍になったなどというが東京を含めてその数はせいぜい15県。増えても20県に満たないだろう。ここいらでは、ポチでお利巧にふるまっているほうが過ごしやすい。ただ東京は5倍を越えていて加熱ぐらいの機微がある。大阪も、劣悪な労働市場が後ずさりするほど求人は増えているが、せいぜい2倍。それも非正規雇用が襲いかかって人さらいのように貧困に追いやっている。これも厚生労働族に巣食う親米ポチの仕掛けだということに気づいている人が、あまりにも少ない。正社員のクビを斬り、アルバイト、フリーター、契約社員、雇いどめなどの非正規雇用者が急増し大阪の統計をつりあげているだけだ。むろん、これを仕掛けているのはアメリカである。正体をいえば、こういう人物がそうだ。楽天でも、シャルドネのブログを読んでいる人たち以外は生涯その存在を知ることはないだろう。日本の筆頭ポチを頂上で牛耳っているスーパーヴァイザーだ。温和そうな笑顔のうらで、日本の企業風土を破壊し、治安を悪化させる真因である厚生労働官僚の利権に加担し、「週40時間以上労働している人々」に、多額の社会保険料の納付義務づけ。律儀なポチたちに、星条旗のご威光を根拠に押し付けたその工作者。張本人だと自分は推量している。最終的に、日本企業の経営も逼迫し、これにつづく日本企業の大規模M&A(日本買い叩き大作戦)の前哨戦を実行している知の「文化占領軍」の実務コマンドだと思って間違いない。※2006年11月13日のアーカイブスです。↓クリック
2007年07月08日
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明け方に「ジャッカルの日」をみて、寝ぼけまなこの一日だったがこの映画についてあらためて反芻してみた。過去に何度か、そんなことを思いめぐらせた記憶があるが、ふと気づいたのは、今がインターネットの時代である。しかも、我々には往時とは比べ物にならない検索エンジンという得物(えもの)がある。このこだわりを、深耕することが生きていることの倫理性なのである。さっそく関心からGoogleに「炸薬弾 + ジャッカル」と入力してみた。これはショックだった。本当にショックだった。自分のGoogleに対する信頼を根本的に揺るがすようなショックである。なんと明け方自分がこの楽天ブログに記入した「2007/07/06 ジャッカルが登場した時代 」が、Google検索の3位に数え上げられているからである。みなさんの中には、自分のブログの発言がGoogle検索の上位に牽引されていたらば喜ばれる方がおられるのかもしれない。それもひとつの態度だ。しかし、自分は違う。自分は、明け方睡眠時間を抑えてまで、あの古い映画につきあった。それには、動機も理由も目的も必ずある筈である。不定形で、まだきちっと輪郭を出してはいないが、知の深耕に予感があるからこそ今どき誰も取り上げないかもしれない旧作のテレビ放映につきあっていたのである。しかるに前提を揺るがすのは、自分の楽天ブログが検索の上位にあるということから瞬時に知れる。つまり、小説か映画かは別にして「ジャッカルの日」と「炸薬弾」というフォーカスでWEB上で言及しているものが日本語ベースでは極めて少ないのか、もしくは、検索エンジンが記事の内容に対して、独自のアルゴリズムで勝手に格づけをしているのか、いずれかだろう。Googleは、0.04秒で10件の発言を寄せてきた。この10件の発言の3番目にわたしの朝の発言が位置している理由はたんなるGoogle検索アルゴリズムの「偏見」のようなものだろう。そう思っても、さほど直感が歪んでいるという気がしない。しかし、「試みるものは幸いなり」だ。新しい知見を得た。いや、新しい情報はないのだけれども、自分とほぼ同じ視点でこの原作と映画を繰りかえし追いかけている方のブログを発見した。これは幸運という気がする。 シネマらかす #7 :ジャッカルの日 - 読んでから?自分の名刺に「現代の名工」などと謳う京都の馬鹿鍛冶屋がいるかと思えば、WEBの何気ない映画評に行き届いた視点を頂戴することがある。世の中捨てたものではない。実は、このシネマらかす氏のブログは、ほとんど自分がこの映画と小説について抱いた印象と重なる。ここまで見事に重なる視点は、おそらく同年輩の方だろうと思う。他の映画評を拝読していると、時期タイミングがそっくりなのだ。おそらく学年で一年も差がないのだろう。彼と、わたしとの違いはフランス大統領ドゴールに対する捉え方の違いだ。わたしは、ドゴールという存在を肯定的にみるつもりはない。どう考えても暗殺計画を実行した、マルク・ロダン大佐らの陣営に共感が湧く。彼らがアルジェリア独立運動を腕力で撲殺同然に潰し続けていた理由は、祖国フランスの繁栄と発展の礎になると薫陶され、刷り込みを受け、自身も確信になるまでの人生を歩んできたからだろう。彼らも命懸け。それを、翌朝陽が登るようにアルジェリア民族自決だ、などと言われて承服できるはずがないだろうと思う。 原作は、当時のドゴール大統領を取り巻くフランスの政治、社会状況をみごとに切り取ってみせる。 当時フランスは、植民地の独立運動に直面していた。第2次世界大戦後に世界を覆った「民族自決」の流れがフランスの植民地にも押し寄せたのである。1954年、ディエン・ビエン・フーの戦いに敗れてベトナムを失う。アルジェリアの独立運動も激化する。フランスはやむなく、次々と植民地を手放していく。これが国内対立の導火線になった。 いつの時代にも既得権益が存在する。この時代、植民地は既得権益の固まりだった。植民地の解放は困惑、喪失感を生み、反感、怒りを燃え上がらせた。 だが、富と権力を手中にした連中は、反感、怒りを募らせようと、自らの手を汚すことはない。過激な行動に走るのは、特権階級の手駒にすぎなかった連中、テーブルから落ちたパンくずを拾っていた連中である。 連中は考えた。 我々は、ベトナムで、アルジェリアで、血みどろになって祖国フランスの栄光と利益を守り続けてきた。なのに、軍隊内部で偉くなるのは座学の経験しかない若造ばかりではないか。何故だ? シネマらかす #7 :ジャッカルの日 - 読んでから↑click映画「アルジェの闘い」におけるマルク・ロダン大佐。実在の人物であるかどうかは別にしてこの映画での軍人描写は秀逸である。小説「ジャッカルの日」では、無名の暗殺者ジャッカルを雇用する地下軍事組織の作戦指揮者として登場する。
2007年07月07日
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金曜日の深夜、寝ようと思っていたらテレビで往年の「ジャッカルの日」を流していた。記憶を辿って眺めていたら、ついにエンドまでつきあってしまった。この映画は、今では知られていないかもしれないが大ヒットした小説「ジャッカルの日」の映画版だ。当時この小説が、ヒットした理由を今上手に説明することが少々難しくなっているという気がする。「面白いから読んでみたまえ」と、推薦するのも躊躇する。いま、この小説を読み通すのには多少の我慢とタフさが必要な気がするからだ。自分が読んだのは、二十代で「たかが小説ごとき」を読んだだけで異様に興奮できるという最後に近い貴重な体験だった。鮮明に覚えている。サスペンス小説は、この原作者フレデリック・フォーサイス登場以前と以後に分断されるのではないか、と思われるほど、その作風は画期的だった。彼の作品が次々と角川書店で発売されるや恒例のようにヒットし、満を持して書店から羽が生えて売れるというような雰囲気はちょっと当時も類例を感じさせる事例はなかった。簡単にいえば、失敗したドゴール暗殺事件なのである。日本の馬鹿な小説家が、プロットだけをいただいて、失敗したスターリン暗殺などを小説にすることを試みたことがあるが馬鹿馬鹿しくて情けなくなった。当時、フランス大統領のドゴールの存在感が、今では想像できないという事もあろうかと思う。この小説では、さまざまなことを学んだ。作品の中では、主人公である暗殺者も一切内面の描写をされない。いや、正確にいえばただの一箇所を除いて。それは、小説を通して読まれて見つけ出して貰いたいと思うが、見事なまでの冷徹なプロのテロリストの行為描写に徹底している作風なのである。その描写が徹底している。そのためにあらかじめ読者らに、中途半端な感情移入を峻厳に拒否しているという面があるのだ。この小説のリメイク版がハリウッド映画で「ジャッカル」として、よりによってブルース・ウィルスという俳優で試みられている。いまどき、アメリカ大統領などに当時のドゴールが備えていたカリスマ的な「時代精神の体現」というような神話を背負わせることは不可能だろう。レジスタンスのフランス解放という壮大な大嘘の構築が前提にあって、当時は戦後の気分として圧倒的多数の矜持を託する存在だった反ナチス祖国防衛戦争の英雄のひとりとして祀り上げられていた生き神さまとでも言うべき、ドゴールに対して弓引く無名のテロリストという存在。この衝迫力は、とてもとても今から追体験することは難しい。それは、言ってみればシャーリーズ・セロンがいくら美人であっても、マリリン・モンローにはなり代われないのと同じことなのだ。そして、この映画のもうひとつの隠れた主役は暗殺者が用いる工芸作品のような狙撃銃と特注製作された六発の炸薬弾だろう。原作は、この銃器に関連して相当丁寧に描写している。映画では、この描写を視覚化することにかならずしも成功していない。だから、原作を読んだ読者たちと、映画だけをみた者とでは暗殺実行の現場での粟立つような興奮の度合いが違うと思う。それは決定的に違う。また、暗殺者を追いかけて未然にテロ実行を阻止できなかったフランス警察の敏腕警視の描写と、その権力内部の複雑な構造についての言及は、日本の読書人を違った意味で唸らせたと私は思っている。これは余談だが、あの暗殺計画を阻止するために奔走したフランス秘密警察。その組織こそ、ドゴールを権力の高みへ引き上げた巨大なクレーンそのものだったのだと思っている。そして、秘密警察 SDECEといわれるものが、実のところ後日名作映画「フレンチコネクション」で描かれるトルコ麻薬利権を基盤にアメリカ浸透までを鉄壁のかためで実行しつづけたあの秘密の巨大組織、イタリアに留まることなく多国籍化したマフィアと実のところ近傍にある存在だったのではないか。つまりはマフィアのフランス駐在、それがあの秘密警察組織そのもの。そういう風に、私は踏み込んで疑義を抱いている。なんのことはないまさしく「祖国防衛」の体現者なるもの。「救国の英雄」として戦後象徴的存在だった人物と取巻きそのものが彼らマフィアの権力機構へ化体した姿に他ならないからだ。ドゴール大統領とは、つまりは戦後約定された見えざる利権の頂上に据えられた風鎮のような存在だったのではないだろうか。
2007年07月06日
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NTT株については、単なる利殖という風な意味以外でもさまざまに興味が湧く。電話にからんだベンチャー事業者が、浮かんでは消え浮かんでは消えする何十年を通過し、いま日本の国民が固定電話が古典的な意味での通信の表舞台から消えつつあるという事実をつかみ難くしているように思う。携帯電話と固定電話。同じ電話でありながら、天と地のような大差がありそうだ。NTTをみているともはや、固定電話とは「巨大な不良債権」のようなものと見える。プラザ合意以後の日本の経済の動態を眺めていると、つねにこの不良債権という奴は、国民の手かせ足かせになる。つまり、ツケは結局われわれヒラの国民に側にまわってくる。 こんな国賊会社は 2007/ 7/ 4 7:35 [ No.52182 / 52211 ] 投稿者 : jyouyou とっとと分割して正常化して欲しいね。菅は全くの期待外れ。人気取りだけの小心者。もっとも、NTTは投資先としても魅力ないから正常化してもよほど変身しない限り買う気はせんと思うがな。長い目で見て日経平均やtopixを上回ることは無いだろう。 大多数の国民は、おそらくこのYAHOO掲示板のJYOUYOU氏と大差ない気分なのだろう。しかし、彼などもそうだがNTTに対して我々が常に連帯保証させられてきたようなものだということにあまり気づいていないように思う。いとも簡単に「分割」することがNTTに対する最善の処方だと刷り込みをされてしまっている。だが本当にそうか?冷静に考えてみてはいかがだろう。NTTグループと、ひとくちに言ってももはや地上から消えてゆくべき運命のような固定電話会社の一群と、急成長も可なりといったインターネット関連事業者、そしてご存知携帯電話のドコモとが屹立している。今度、NTTの社長になった男も「人事屋」だ。こんな男に采配を預け続けている事は、ますます国民の眼からNTTの問題を分かり難くするのは必至。やれ出向だ、転籍だと人事屋の考えていることはこのガリバーを小手先でかきまぜて、グループ間で発生した赤字を成長する事業にふりわけるぐらいがせいぜい。すでに民間で、このNTTグループが抱える巨大な不良債権規模を背負える事業者は、存在しなくなっている。NTT株を政府が売却することも難しい。20年かかって半分も進まない。それは、上掲のレジメをみれば分かる。政府もババ抜きできないでいる。納税者は、いやでも背負わざるをえない。また、背負わされるに決まっている。すべて90年代、この巨大企業の内部に事業刷新の意欲も企図もないままに茫然と過ごしてきたことのツケだろうと思うのであるが、このババ抜きは、日本国民すべてがまたしてもあがなうという結着に辿りつくだろう。NTTを踏んづけるな! NTTいじめか謀略か。NTTの墓穴掘りNTTをガリバーにするな!NTT株はけしてお奨めできません。
2007年07月04日
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なぜ突然のように「森」の話題に憑かれたのだろうか?実は、森のことをじっくりと考えていると笑えてくる。他ならぬ、あの皇統連綿と言う奴である。ここオノゴロジマでイザナキ(伊弉諾尊)とイザナミ(伊弉冉尊)が大騒動のあげくに、黄泉の国から生還したイザナギの左眼からアマテラス(天照大神)が御誕生になられ、その栄えある御一族に、天照大神の孫だかなんだかの瓊瓊杵尊(ニニギノミコト)の、そのまたひ孫の磐余彦とやらが神武天皇となりてご即位されて以来、たかだか3千年満たず。なにが万世一系なのか、紀元前660年に初代の即位としても2700年にも足りない。葦原千五百秋瑞穂の国は、是、吾が子孫の王たるべき地なり。爾皇孫、就でまして治らせ。行矣。宝祚の隆えまさむこと、当に天壌と窮り無けむ。しかるに、この島を覆う森の歴史は軽く4億、5億年前から。なに、われわれの両の胸に控える肺臓を与え、両手両足をおつくりになられて、驚くべきことに億世一系なのである。わが母方が、15代応神天皇の5世孫であられる26代継体帝の臣下、大伴親松の末孫だのとか宇多源氏だのといわくありそうに述べても、所詮はせいぜい1500年。若狭国小浜藩城主浅野長政に仕えた父祖にしても、たかだか500年である。どうやら半島系帰化。1800年も前は、どこで何をしておられたものやら。ルーツなどというものは、わかってもせいぜいそんなものである。それを思えば、この両手両足、肺腑を連綿とわれわれの今に繋ぎ継いだその起源に位置するアカントステガacanthostegaやら、はたまたユーステノプテロンEusthenopteronやらのたぐいがいたくアリガタイ存在と思えてくる。DNAで、つながっているのかどうかも知らないが、左手、右手が存在しなければキーボードも打てやしない。はっきりしているのは、その血脈が天孫などではさらさらなく、海から齎されて、またそれを養ったのは地上に根を下ろした大地の森であるということである。なにごとの おわしますかは しらねども かたじけなさに なみだこぼるる(西行)※2006年2月5日のアーカイブスです。
2007年07月03日
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自分は、マイクロソフト社という企業が嫌いで、あの創業者のビルゲイツについては最低な印象しか抱いていない。しかし、カスタマーサポートで、マイクロソフトの日本法人と意見交換するのは、何度かある。概して好印象である。まあ、大儲けした悪漢ビルゲイツの子分らは、鷹揚で、さばけているのもむべなるかな。ゆとりなのだろう。他の企業では、無償サポート期間が終わるともう、ギスギスと有償サポートと連呼してくる。ところが、マイクロソフト社のカスタマーサポートのお兄さんたちは、暇なのかどうか分からないが、有償サポートの業務範囲で残念ながら公式には対応は出来ないが、と前置きして「世間話」に長々とつきあってくれるケースが少なくない。自分は、GETEWAYのパソコンでは、ここのところ酷い眼にあっている。実のところ、パソコンのあまりにお突飛な挙動に、大変腹を立てている。ただ、最近は、パソコンのトラブル体験が、あまりにも多いので、狎れてしまい、ある種すれっからし状態なのかもしれない。そこで、井戸端会議よろしくいかにGATEWAYが酷い挙動をするパソコンを売りつけていて、その実態でトラブル続きなのだろう、いとも簡単に初期不良を認めるし、ハードディスクも、多少チェックを終えるとあっさりと送りつけてくる。リカバリーを2度も3度もさせて、平然としているのであるから、最低なパソコンだと思う旨をマイクロソフト社の窓口との世間話で伝えた。彼らも、大状況としては責任のなしとはしない企業の社員だが、のびやかなもので親身に話を聞いてくれて、あくまで個人的な見解だと枕をいれながら、聞き及ぶ範囲での実勢を色々聞かせてくれた。私の方から、GATEWAYというのは短慮にも経営トップの軽挙で日本市場を一旦見切りをつけて退却しておきながら、ふたたび日本市場に中国本土で、叩き売りパソコンを大増産して「殴りこみ」に近い売り方を仕掛けてきているのは、余裕のなさの理由だろう。こんな無理な仕掛けかたをすれば、およそパソコンでなくても、大抵は不具合の頻発やら、たちの悪いディバイスを掴まされて、消費者を結局泣かせることになるんじゃないか、と推量まじえて意見を述べてみた。あっさり、認めた。なるほど、パソコンを取巻く環境では圧倒的に有利な独占的地位にあるマイクロソフトならではの、余裕だと感服した。とりわけ、さまざまな消費者が泣きついてくる頻度が高い。まさしく、そのメーカーの筆頭格らしい。どこのパソコンメーカーも、よく似たものだと思うのだけれど、その担当者の言うにはGATEWAYのリカバリーディスクそのものが、信憑性が極めて低いというのだ。XPの中身について、トラブルがあるのならば、マイクロソフト社として、結構世間話の延長で、なにやら有効なアドバイスを限界まで述べる余地もあるのだけれども、ことGATEWAYあたりになると、リカバリーディスクそのものが、どのような性悪を実行しているのか、という不安を抱くもので、到底面倒見切れないというのである。マイクロソフト社日本法人の窓口対応は、やや馬鹿正直なぐらい率直なところがある。対応マニュアルぽくないところは、好きだ。
2007年07月03日
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ご覧のように、到底このところのNTT株はお奨めできるような事態にありません。7月は、相当押し上げムードですがNTT株の先行きは不透明。トラブルつづきの報道にみられるように、なにか厄落としをお願いしたいほどのものがありますね。ただ、このままでジリ貧というわけにも行かないでしょう。もし、NTT株が50万円を割ることがあれば、これはちょっと長期視点から考えると絶好の仕込み時期という事になるかもしれません。KDDIが、90万台。先ごろ110万円を越えていたことなどを考えると、つまらない投資信託で額面割れする憂き目に遭うほどならば、あっさり日本のNTT株に清き一票という発想も賢明かもしれません。長期保有、余裕資金の積極活用としては一考の余地があるのではないでしょうか。 《85年4月、電電公社はNTTとして生まれ変わった。2年後に上場し、株価は2か月で一般公募価格の2・5倍以上の318万円を記録、財テクブームに火を付けた。新電電各社は86年から企業向けの専用線、翌年からは一般公衆回線の市外電話サービスを始めた》それにしても、バブル期に宮沢内閣時代。あれほど大騒ぎした同じNTT株なのでしょうか?国も大量に保有しているはずのNTT株。個人向け国債などに気持ちが行くぐらいならば、あっさりNTT株を底値で待ち受けているという選択肢は、ありのような気がします。かつてのNTT株売却益が、どこに消えてしまったのか?あの日本国民共有の資産だった筈の売却劇。少し追いかければその消息は分かります。当時、郵政大臣や通産大臣が、どれほど反国民的な挙動をしたことか。昨今誰も踏み込んで取りざたを致しませんが、私見ながらフランス革命並みの蜂起を二、三度実行して、宮沢ら当時の主要閣僚の位牌ごとギロチンにかけても飽き足りない。まったくもって、酷い私物化が横行した。国民は怒りもせず惚けていて本当に宜しいものか。改めて思うわけです。NTTを踏んづけるな! NTTいじめか謀略か。NTTの墓穴掘りNTTをガリバーにするな!
2007年07月02日
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「妻とは離婚し、飯はいつも一人。代わりたいやつがいればいつでも代わるさ。だけど、誰も代わるやつがいないんだ…」もはや、気分は松竹社員の給与賞与を両の肩に背負った寅さん俳優、渥美清の境地か。ダイハード4.0の無茶さ加減は、パトカーでヘリコプターは体当たり撃墜するわ、ターザンじゃあるまいし、素手でF35戦闘機に飛び乗って潰しちまうし、FBIよりもいち早く重要攻撃目標に到着しては、スワット隊員よりも軽装備で、ハイパーな叛乱者を鎮圧しちまうという荒唐無稽さに、定食メニューのようなお気軽さを付与してしまうほどの御恒例さ。馴染んでしまうと、もはやハリウッド映画が、どうのこうのという意欲を喪失してしまうのである。スパイダーマンのコスチュームを着ていれば許されて、ニューヨーク市警の刑事ならば許さないという、そんな不公正なことは言わないので、これからも活躍して貰えれば結構かと思う。ただ、もう次回からは観に行かないかもしれない・・・ダイハード4.0は、それなりに楽しめます。第1作の打ちのめされるような衝迫度は、少し減ってしまったかもしれない。
2007年07月01日
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ペドロ・アルモドバル監督は、自分より少し年上という事もあるのかもしれないが、やや世界観ともつかない、「この世」についての感触が近いと思った。映画は、2歳ぐらいからみている自分である。映画歴がたぶん監督と近いのだから、映画の放つリアリティについても多少近傍にある気がする。監督の幼少期に女性たちに囲まれて育ったということも、もしかすると大きいのかもしれない。映画の冒頭は、なにか退屈な映画を思わせた。もともとペネロペ・クルスという女優が好きではない。やけに豊満なバストの持ち主だが、あまりセクシーに感じない。自分が鈍いのかもしれないが、往年のソフィアー・ローレンに性的魅力を感じないのと同じ呼吸である。しかし、観ているうちに次第に、彼女が面白くなってきた。おそらく演じられている役柄に、強い妥当性を感じたからだと思う。実は、個人的に彼女の境遇について深いところで理解できるような体験がある。父親に裏切られた娘の気持ちは、まったく違った方法で裏切られた心的体験を持ち合わせている自分には、同じ暗箱の中を潜ってきたもの同士のよしみのようなものを感じてしまうからだ。そして、そこで反応する映画の役柄の大胆不敵な動きは、自分にも胸襟開いて「是、是、千度も是」と、喝采させるところがある。この女優、美人だが、本作品ではやることがまるで大阪、河内のおばちゃんなので笑えた。大阪生まれの大阪育ちの自分には、納得しやすい。このフォーカス、もしかすると大阪人には受ける要素の豊富な映画かもしれないと思ったほどだ。この映画のリアリティを感じ取れない人は、幸いである。生れ落ちてすぐに災悪にまみれて育つ人ならではの感じ方など知らない方がよほど生きていくに快適で、だからこの映画に不満を抱いた人を祝福してあげたい。一方、この映画にカタルシスを抱く私のような人間に向けて素敵な作品を届けてくれた監督と映画制作者には深い感謝を述べたい。今年、最大の収穫のひとつだという気がした。大変愉しく拝見させて貰えた。心からの感謝を述べたい。映画の予告編を何度みても、この展開は予想もつかないもの。秀作だと思う。 「ボルベール」 原題 VOLVER 製作年度 2006年 製作 スペイン 上映時間 120分 監督 ペドロ・アルモドバル 製作総指揮 アグスティン・アルモドバル 原作 脚本 ペドロ・アルモドバル 音楽 アルベルト・イグレシアス 出演ペネロペ・クルス 、カルメン・マウラ 、ロラ・ドゥエニャス 、ブランカ・ポルティージョ 、ヨアンナ・コボ 、チュス・ランプレアベ
2007年07月01日
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この迷走ともいえる挙動はNTTの巨大なガリバーさ加減がもたらした自爆だと多くの庶民には信じられているようだが、冷静に考えれば、これらはどう考えてもNTT側だけの瑕疵 mistake としては酷だという印象が湧く。少なくとも日本の政府、行政、中央官庁が、これらの「おまぬけ」に責任がないとは思えないのである。NTTは、強いられてこのような事態に遭遇している。ひとつには、NTT側も含めてとしても、官僚側や中央官庁の方針がそうであるように、かなり時代の先行きを読み損ねていることが大きいのではないだろうか。パソコン通信で、経験したことの付録とでもいうべきことだが、あのニフティーサーブを維持していた母体組織、富士通という会社には、その頑迷には毎回驚かされた。エリートサラリーマン達が、かつて焦がれて入社したほどの巨大企業が、これほど清明さにかけるものなのだと、知ったときには、組織にあって生きることの度し難さに懼れが湧いたほどのものである。ニフティーサーブが、組織として来るべきインターネットの時代を読み損ねたことは、あまりにも有名である。しかし、その頑迷さはひとえにニフティーサーブ、富士通にとどまるものなのではなかった。巨大な企業、組織を官僚制が模範とした時代は、かつて確かに存在したのかもしれない。しかし、今や犬の齢、ドッグイヤーで世界は地すべり的に変わりつつある。その舵取りは常に鋭敏にたたみかけるように迅速になされなければならない「第三の波」の渦中にあるのだ。情報の先進性というものは、つねに巨大なカネの流れ、人の流れ、モノの流れを浴びるように体感していなければ痛覚には迫ってこないものである。そういう痛覚からもっとも疎遠な存在。それが官僚機構ではないだろうか。つまり、この時代の舵取りにもっとも不適格なキャラクターたちが、官僚機構だという気がする。これは私があらためて述べずとも、日本国民広く識られたことだ。どうも、耳にする風評では電話時代の決済、判断を行っていた役人が、このインターネットの時代にまだ平然と担当官としてでばっており、しかも過去に懇意な事業者らとのヒヤリングで先を占うという旧態依然とした執務スタイルでいたらしいのである。あっさり、この木っ葉役人らが彼らの手元にある日本の先行きについての舵取りを、第三者機関にでも委ねておればもう少し日本のインターネット環境は整然と整備されていっただろうと思われるし、NTTとても縁の下の力持ちはいいにしても、そのシワ寄せをひとり背負うということも、なかったのではないだろうか。たとえば、いまネットでショップ営業を展開されている諸兄も、現在の経営コストで利益があげられている理由のひとつには、愚直にウェブの通信環境の変化をインフラ面で下支えし続けているNTTの負担にフォローされているという構図はある筈なのである。なれば、NTTに過酷な裁量を続ける官僚には、公正に意見を述べる機会を与えるか、もしくはさっさと市場の監督者から立ち去るべきなのであった。電話とインターネットの決定的な差異を理解できない程度の役人が、舵取りを行っている。これは日本にとり、もうひとつの国家安全保障に対する脅威であったと、いまさらながらに思う。具体的には、郵政省、総務省の担当部局である。しかも、この連中の雲の上でOBらが、NCC企業各社に「天下り」して行くのであるから国民は往復ビンタを喰らっているようなものだったのである。思えば、通信事業はいかんともしがたいほどの強い規制、規制でがんじがらめの業界である。ひとつには明治以来、強い国家を支える要素として通信事業は、治安と叛乱抑圧の立役者であった。あの秩父困民党叛乱の鎮圧に果たした電信の便益は圧倒的であったし、226事件における盗聴で、北一輝は死刑に追い込まれている。その後も日本の命運を左右するほどのものが存在したことは広く知られている。NTT民営化それ自体が、 一時代を画するほどの大刷新であったことは、それらわが国近代史の背景からも容易に推測できることであるが、さりとて、電気通信事業が、国民に対する単なる暴力装置であっていい筈がないのである。もはや未来を先取りするような高度資本主義社会の日本では、もはやそのような過去の遺制では到底斟酌できぬほど広汎な役務を担う基幹産業として、NTTは普通に健常な民間企業へと転生させねばならないのである。「強いNTT、弱いNCC」などの絵は、実態でかならずしも額面どうりではないことは各種の公開情報からも明らかである。ガリバーではあるが、リリパット国においては木っ葉役人に眼を突かれて失明しそうになるし小人に嫌われては食べてゆくこともできないのである。この企業を不良債権のかたまりにしてしまって良いのか、といえばぜったいに多数国民のためにはならないのである。NTTを踏んづけるな! NTTいじめか謀略か。NTTの墓穴掘り
2007年07月01日
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