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秋になると、さまざまな展示会が一斉に各地で始まる。これに出展される側も、取材に回る側も相当大変だ。東京にせよ、大阪にせよイベント会場は、とんでもなく辺鄙な場所が多い。東京のビッグエッグは知らず、晴海にしろインテックス大阪にしろ、移動するだけでもうんざりするような地域だ。現地に到着するとたいがい、雑踏でしかも同じ事業に関係する業界なので緊張感もある。おおむね技術系の展示会には、オヤジが群がっていて根暗な応酬が続いている。出展側は、あまりに大勢が押し寄せてくるので集中力を欠いている事もあるが、なかなか商談の場として適切なところではなく、せいぜい名刺交換して後日改めて電話や、メールの交換でも開始できればよい方だ。なぜか、相思相愛の企業同士が遭遇することは滅多にないような気がする。インターネットの時代とても、現物とリアルな商談が可能だと展示会にはかかさず出向かねばならないのだけれども、その一方で展示会の現場や雰囲気自体はどう考えても最適な交渉の場というわけではなさそうだ。相互にもっとも固有なものを出し合わねばならない場が、なぜか毎回雑踏のような混乱した、実に野蛮な環境下でなされることになる。実直な人間は、あまり近づきたくない場所なのである。
2007年09月30日
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「女体盛り」などというパフォーマンスを耳にしたのは何時ごろの話だろう。ごく最近、ニューヨークタイムスでこれが取り上げられたという。ニューヨークタイムスで取り上げられたから、良くて日本の三流週刊誌が取り上げているのは良くないというわけではないが、これはアメリカでも衝撃が強かったらしい。たぶん意表を突いているからだ。たしかに初めて週刊誌のグラビアで、こういう趣向があるのをみかけたときに思考停止になった記憶がある。善悪を越えた結構なインパクトがあって、いわゆる俗説的な意味あいでいうセクハラとか、女性差別だとかいう発想を凌駕していると思った。どこかの料亭やら、クラブやらで悪ふざけでやっているとしても、平素見かける人は少ないだろうし、実際に女体盛りの現場にいあわせた経験のある人も、滅多にいないように思う。言葉として流布しているけれども、このパフォーマンスの存在自体が一種の都市伝説のようなものだ。ニューヨークでは、これを寿司屋が、余興という意味よりも一種の反響広告のような意味合いでぶちあげた宣伝としてだろうと思うが、日本円で14万円ほどで提供すると言い出したらしい。これは実行されたとしても、維持するのが難しい。儲かる儲からないという問題ではなく、採算は到底とれない実現してもきわめてニッチなビジネスに止まるだろう。所詮は、都市部の大規模な大衆の願望世界を出版流通の都合で画像にしただけのものに過ぎないと推量する。まにうけたアメリカが取り込んだだけのことだろうと読む。ただ、そういう背景やいきさつを越えてこの余興、趣向はインパクトがある。かなりなスケベイおやじですら、このような座興で歓待されたとか接待されたという経験はないはずだ。つまり冒頭から、伝説の悪ふざけ。幻の余興だとわかっていても、なおこのような秩序紊乱な発想で視覚的な具体化を試みたヤカラがいるのが面白い。しかも、この余興はかならず寿司とワンセットのようだ。ステーキや、インド料理ではこうはゆかない。食文化の中でも、和食の中でも寿司のみがパフォーマンスとして成立可能だというきわどさだ。つまり女性は人類にとってついに究極の食器として存在することが、その本質だったのかと。瞬時、立ち止まらせるほどに意表を突かれた。はじめてみたときには悪ふざけとみえたが、よくよく考えると判断停止。有無を言わさぬ説得力に、悪趣味であることを認めつつもたじろぐわけだ。モデル女には、ご苦労さまというしかないが、一種の思考訓練のようなものだと思う。われわれの脳のどこかを抉ってみせている。聞けば、脳の辺縁系で性欲に関与する組織と食欲に関与するそれとは、わずか3ミリほどの距離間隙しかないそうだ。食の中枢と隣接する究極の執着を具現化すると、とうとう最後には女性に食器になってもらうしかないのだろうか。モラルを越えてわれらの願望をまんまと掴みだしてくれているものらしい。アメリカ人も、これを英字でNYOTAIMORI と綴るらしい。
2007年09月29日
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TBS「報道特集」で、あのオーム真理教の現在形、アレフ京都道場が登場した。驚いたのは久世橋に程近いことだ。実は、先月まで所用で毎日のように通っていた。向日町に遺跡発掘の現場があって、そちらの作業に関与していたからだ。遺跡発掘の現場としては、滋賀に較べれば面白くもなんともなかった。しかし、久世橋にあのオーム真理教の道場があるとは、驚いた。以前、大阪に本部があったのは知っている。あの時は、大阪のアパートに近かった。よくよく彼らのアジトと縁があるものだ。報道によれば、タントラバジャラヤーナという麻原のテーゼや、ポアなどという懐かしい術語が完全復活しているという。上祐の一派と暗闘を繰りかえしたたき出した新主流派がまだ荒ぶる麻原路線を踏襲するつもりらしい。どこまで本当かどうかは、別にして組織が瓦解しかけても、12年もすれば殺戮の記憶も失せ、組織名を隠せば勢力拡大も夢ではないと幹部連中が思っているというのは、興味深い。それはそうだろう。かつて武装共産党時代に山林地主を誅殺指令だしていた連中がほっかむりして、はては堂々と衆議院議員になって公党幹部で天寿まっとうできるというような国の出来事だ。地下鉄サリン事件を起こした武装カルトを、与党自民党と組した巨大カルトがかばって温存したあたりから、こういう事はある程度予感もできた。まあ、歴史は何度でも繰り返すということだろうな。今日も、上の地図をクリック願います。今回は、多少は笑える動画です。
2007年09月28日
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パソコン通信で、最初に漂着したのはビジネスフォーラムだった。記憶を辿ると多分94年の春だと思う。前年の暮れMacが20万円台で買える環境になった。それまで高級機だったものが、手が出るイメージになってきて友人の医師と電話で長話をしていて、そろそろでしょうと揃って購入した。LC520の廉価版だった。いまから考えると虚仮のような道具だが、あの年の暮れには眩く安い買い物だと思えた。CPU 68LC030(25Mhz) RAM 24M (16M SIMM増設済) Hard Disc 160M CD 2倍速(キャリー式) あらためてスペックを眺めてみると、嘘だろうと思わずにいられないのだけれども当時はこのパソコンでできることが未来を予感させるような実にスリリングなものだった。事実、自分が現在にいたるすべての人間関係や友人たちをその不思議の小函がもたらしてくれたと思う。通産省産業政策局の課長とメールでバトルしたり、大手レンズメーカーの開発者に質問を浴びせたり、のちのち日米同時上場を果たした青年と知り合ったのもこの小函だった。 自分がビジネスフォーラムで自己紹介ができるようになった95年の春先に、彼がパソコン通信で新しいフォーラムをつくりましたと挨拶したのだ。その掲示板を、新発想ビジネスヒントフォーラムと言う。彼の直後で挨拶した自分は、即座にまっさらのフォーラムに出向いた。利用者が皆無で、フォーラムとよばれる掲示板がすべてガラガラ。のちにプレジデント社の編集部員だった石井伸介氏に聞いたのは、ビジネスフォーラム本家で一週間にパソコン通信の利用者でおよそ7000人程度の巡回があったという。自分のような新参もので、ログ多産者。内容もご存知のとうり厚かましく心臓に毛がはえているようなのばかり。パソコン通信の黎明期とはいえ、当時の利用者の状況を思い起こせばひとりで離れのフォーラムとはいえ空部屋で毎日ログを多産していたのであるから大方の失笑をかっていた筈だ。ふりかえって思い出すたびに汗顔の至りである。日本の企業で、営業職は冷遇されているのではないかという素朴疑問が共有されていてビジネス系フォーラムでは結構話題になった。長い長いディベートが続いて、さまざまな角度から企業組織の中のおける個人を話題にした記憶がある。当時のモチーフは今だにひきづっているとも言える。さまざまな人達と意見交換ができたが、ものごとを詰めて考えるに際し思考に必要な枠組みはほとんどその重層的な対話の中で出尽くしたと思う。会議室と呼ばれたBBSは、常に沸騰して一日で発言のコメントチェーンが1000を超えることはザラだった。実は、いまも当時のパソコン通信でのあの対話の流れでものごとを把握して理解し、読み解く癖が身についている。自分の語る営業職としてのテーマは大手企業の営業マン諸氏には実感から離れていて理解を絶しているという風に言われた。ログでの意見交換だけではなく、現実にオフ会で繰りかえし出会っても何を言っているのか理解できないという風に正直に言われたことも多い。相手が嘘を言っていないのは、出会えば流石に分かる。それはそれで自分にも衝撃だった。最近、ようやく鈍い頭で当時の齟齬、というのか噛みあわなかった理由が次第に氷解してきた。自分も少しは成熟したのだ。ビジネスフォーラム(当時は、ニフティーサーブと言ったパソコン通信内部のBBSだ)で、盛り上がった営業部員らは原則として消費財の流通に論点を絞っていたように思う。自分は、当然消費財も取り次いでいたのだが、企画性と開発要素が極めて多く含まれている特注品に日常が傾斜していたため「目方でなんぼ」と売り買いされる自由経済に基本的に怒りがあった。当然、視点の中に生産財営業の感覚が忍び寄っている。これは無茶である。相当大きな飛躍だと当時気づかなかった。野暮なものを持ち込んでしまっていたのだ。激しい舌戦をくりかえしていたが、いまにして思えばこれで議論が噛みあう筈がない。自分のような不器用なバカものは、こんなことに気づくのに10年以上もかかってしまう。当時の会議室参加者には遅まきながら、深く謝意を述べておきたい。
2007年09月27日
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麻生太郎が、福田康夫に勝てなかった理由は麻生自身の「自爆」という面があるらしい。9月10日、所信表明演説のあと首相から辞意を漏らされた直後に麻生は慰留し、安倍元総理が麻生太郎の言動に素直に従ってに麻生が実力をつけるまでの相当な期間安倍元総理が続投続けるという風な、甘い見通しを抱いていたのだという。安倍から、辞意をまっさきに受けていた。にもかかわらず、このチャンスを活用できなかった。活用どころか、自己過信にも安倍が麻生を多少とも持ち上げて実力をつけるまでの猶予期間首相に踏みとどまり相当な期間頑張って麻生に後継を委ねるまで頑張り続け、最終的に総理の座を麻生に「禅譲」するべく努力するという見通しを持っていたというのである。本当ならば大甘な楽天家である。いずれにせよ最初の辞任の意思は、麻生太郎に向けて安倍元総理は切り出した。ところが、12日。大島理森国対委員長が、小沢一郎民主党代表より党首会談が拒否された旨の報告があると同時に安倍元総理から辞任の表明が生じて驚いた大島により自民党幹部側へ速攻で異変の通報があったときに、麻生は愚かにもつまらない自己顕示を発揮しちまった。つまり、「俺は幹事長なので、他の奴より安倍総理は敬意を表して2日もはやく俺に打ち明けていた」などと、うっかり口をすべらせてしまった。これは、その発言につづく周囲の反応を見事に読み間違っている点で特筆ものだろう。ひとつは、安倍元総理の読みについての浅はかさ。つぎに、この空気の読めなさ。その度外れた間抜けぶり。このふたつは麻生の「自爆」として歴史に残る粗忽さだとされている。つまり、麻生はこの二日を個人的な理由で消費したと自民党の大多数の幹部連中から受け止められた。麻生が、たいした動きをしていなくとも、麻生以外はみな一斉に次期総裁選の裏工作を麻生はまる二日早く仕掛けて出し抜こうとしたはずだと読まれた。果物の木の下で冠をいじるなという諺がある。そう、「李下に冠をたださず」というアレをやっちまったわけだ。他人の嫌疑を受けやすい行為は避けるようにせよとの教えを踏み破った。しかも、その自覚がなかった。苦労しらずのバカ殿らしい。敵が多すぎる、というのか敵をつくる天才と言うべきか。福田康夫は、早稲田大でエロ拓こと山崎拓と1936年生まれで同窓。きわめて怩懇だと自民党では広く知られている。山崎拓をからめるのが常道と、谷垣偵一が山崎拓と「野合」する。これが大島の通報直後に連鎖反応のように生じる。谷垣は、一年前の総裁選で山崎が支持にまわって恩義があると、山崎拓に貸し借り計算をした。今回は山崎に谷垣票を委ねる。それを合算して山崎から福田へ走ってくれと。こうなる。まっていましたと古賀が合流する。九州で麻生が磐石になられてたまるか、と反九州麻生連合を固める布石は早い。麻生アレルギーで、古賀、山崎がてきばき動く。山崎と加藤紘一は盟友で動きは早い。古賀は、野中広務の援護射撃でガンガン突っ込んでくる。この動きは化学反応のようなもので、事情がわからない小泉チルドレンよりも遥かに早く秒速で福田の出馬意思を固化させる。小泉純一郎は、まんまと今回は出馬しないと森親分に確約する。福田、野中の「親中国派」連合が固まる速度は、ひとつには麻生自身の過去。古い差別発言で積年の遺恨に燃える外野に火をつけた。外野にいた野中広務は、萌えないで恨みで燃えた。不覚にも恨み確執をつくってしまった麻生の人徳のなさが、時限爆弾のように野中広務を「触媒」に駆り立ててしまった。野中の子分の古賀は今回、サクサクと裏かたで奔走できたわけだ。
2007年09月26日
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女優夏目雅子は、生前あまり関心を抱くことがなかった。理由は、日本映画のフレームからあふれてしまうような独特の生気が映画の調子をはずしそうな危うさをいつも感じさせられたからだ。あの「鬼龍院花子の生涯」で毎日のように派手なきめセリフを浴びせられて食傷きみになった。はっきりいってこの女優が嫌いだった。しかし、そこが伝説の女優である。一瞬で気持ちをもってゆかれた作品がある。いまは亡き夏目雅子が「なめたら、なめたらいかんぜよ」と啖呵を切る。この啖呵には、その前がある。「わては高知の侠客鬼龍院政五郎の、鬼政の娘じゃき、なめたら、なめたらいかんぜよ」。 CFでもさんざん流されて一世風靡した啖呵だし、夏目雅子がこのあと死んでしまったので、よけいに滲みる女の啖呵のシンボルのようにもなったけれど、実はこれは原作にはない。松岡正剛 / 鬼龍院花子の生涯「千夜千冊」それが松本清張原作小説「空の城」を底本としたテレビドラマ「空の城」(くうのしろ)である。このテレビドラマは、実は松本清張の原作にない人物を造形している。その役柄が、ほかならぬ夏目雅子演じるピアニスト松山真紀 だ。脚本家である大野靖子がでっちあげたものらしい。演出は、あの和田勉だった。原作に存在しないヒロインを配することで、この作品の雰囲気が劇的に変わる。主人公には、実は最後までこのヒロインは関わらない。関わらないヒロインが、「空の城」の空漠感を際立たせるという趣向だ。夏目は、こういう配役では俄然はまる。瞠目させられた。
2007年09月25日
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1997年11月21日、記憶もかすれかける10年目がやがて来る。言うまでも無い山一證券倒産。あの仕組まれた自主廃業劇だ。あれから、もうまもなく10年たつのだ。実は、山一倒産の直前、山一證券関連のファンドから出資を受ける予定になっていた。この手順で雑務をこなしている最中に、頓挫したわけだ。「過去」をふりかえってあの時代を、起こらなかった歴史の沈殿物の側の視点を言わせてもらえれば、世間評価などつくづく砂の城のようなものだと思う次第だ。松本清張原作小説「空の城」を読み返すとき描写されている「ありえたはずの石油精製事業」が語られることの虚しさ。悲痛さ、無念さ。読み手の肺腑に滲みわたり空気が凍える。だが、経験してみれば小説家の手になる描かれた世界は嘘偽り無くどこにでもあまねく遍在する。この世のもうひとつの姿だ。今にして思えば実感できるのである。実行されなかった出資。それもよりによって自主廃業の幻の巨大証券山一である。絶対つぶれないといわれていた金融機関、証券会社が陸続とつぶれていった。つぶれるのが必至だと笑われていた芥子粒のような泡沫ベンチャー事業者がつぶれるのは物理現象のようなものだ。結果をみれば誰でもそれぐらいの事は言える。信じれらない事態の中で、では一体何人の人たちが闘った経験があるのか。それだけを問いたい。有名企業に勤め、人生の目標とし、成功して漠然と定年まで同じ会社に勤めるものだと思って過ごす。そんな人々が、自分の目の前でまず先を切って血祭りにあがったのだ。彼らの内面は、観察していた自分にもよく理解できる。有名企業に勤めるエリートサラリーマンであればあるほど、自分の所属する組織がよほど他より秀逸で優れたものだと信じ込みがちだ。眼は滅多に周囲には向かない。ほかならぬ鉄鋼大手に就職した従兄は、内臓ガンで倒れる最晩年まで徹頭徹尾尊大なままだった。つきあうのは社内の人間ばかり。彼の人物評価も社会をみる視点も、当事者がいくら真面目くさっていても自分にはすべて借りもののようにしかみえなかった。組織の上下、出世の階段のどのあたりかをさぐる閉ざされた身振り手ぶりの独演に見えた。山一證券の倒産やその前後の金融破綻の連鎖で勃発したのは、そんな従兄の同類たちが一斉に企業社会から放出され生活の基盤を失う羽目になったことだ。実は、ほどなく自分自身も彼らの群れの渦中に後続して放り出されることになったのだが、終始彼らに対して自分自身の境遇を棚にあげて冷徹に一線を画して眺め続けた。彼らの中で、まっさきに転職し、人生をリセットしていた連中は面白いことに巨大組織の内部で傍流だった連中が少なくない。つまり事業にとって要素的であり、主流とは到底考えられなかった部門の連中ほどさっさと円滑な転進劇を演じていたのだ。システム設計で情報管理をやっていた人物。国際格付け機関の対応窓口。株式公開部門。M&A担当・・・組織の指揮指導のラインから外れているキャラが、世間評価が予想外に高かったのを何度も見かけた。つまり組織のどこに属していたのかの意味と価値において、本人の評価よりも世間の求めるものが倒錯的なほどに違っていたのだ。これは痛烈だったと思う。しかし、97年を魂の体験として通過していない人は、いまも大勢いる。
2007年09月25日
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いったん発行されたお札は、法令に基づく特別な措置がとられない限り、通用力を失うことはありません。そうした特別な措置は、過去3回発動されたことがあります。(1) 関東大震災後の焼失兌換券の整理(昭和 2年<1927年>)、(2) 終戦直後のインフレ進行を阻止するためのいわゆる新円切替(昭和21年<1946年>)、そして(3)1円未満の小額通貨の整理(昭和28年<1953年>)です。 日本銀行は明治18年(1885年)に第1号のお札を発行してから現在まで、実に53種類のお札を発行しています。しかし前に述べた3回にわたる整理により、31種類のお札が通用力を失っていますので、今使えるお札は22種類です。昭和21年に預金封鎖があった、という話は母親から何度も聞いた。自分が生まれる前、団塊の世代が、産声をあげている時代だ。すでにイギリスでは銀行に長蛇の列ができたりして、日本にも恐慌の可能性はたっぷりある。恐慌が始まるのをおそれている人たちは、事情がわかっていないと言われている。すでに日本は広域経済に巻き込まれているために、いくらでも粉飾ができるのだと覚悟しなければならない。例のサブプライムローン問題だって、プロやエコノミストだって断定できるような内容ではなく、分かったようなふりを演じているだけだ。当事者が、騙されているという自覚すらないというところが凄い。古典的には、強制預金と預金封鎖ということになるが一方の強制預金はすでに始まっているという見方もありだという。もともとデタラメに円札を日本銀行が刷りまくって悲惨な事態にあることについて、90年代パソコン通信のオフ会でも繰りかえし話題になっていた。パソコン通信と侮るなかれ。オフ会参加者は、旧帝大法学部から某巨大放送局に在籍しているのもいれば、同工学部から大手都銀にいて情報量が多い人、それに政府系金融機関のキャリアエリートとか、ゴロゴロいた。板の間の厨房(いわゆるチューボー、パソコン通信時代の勉強会は都心のマンションが多く、厨房の板の間にすわっていた連中でも今や個人資産数億円というのがザラ。2ちゃんねる用語の「厨房」はここいらに起源がある。)に、ごろ寝している連中でも今では中央公論の論者になっているのやら、中東問題の評論家になっている外務省OBの方とか、某巨大掲示板のオーナーになった青年とかで埋まっていた。仲の良かった営業さんクラスですらも、イラン国営放送局に資材を売っているとか、とかく話がデカい。そんな中に潜り込んでいると頭の中がパチクリするわけだけれども、話題になっている情報の質は日経新聞よりは遥かに精度が高く進んでいた。「貸し渋り」景況に突入して、失われた十年の真っ只中でありながら、日本政府は豪快にも日本銀行の天井がぶち抜けるほど日本円を大増刷していた。にもかかわらず、市中には一切漏らさないという反国民的な暴走を行っている。以来、日本円はいつでもハイパーインフレをおこして不思議がないほど刷られている。これらは結果として、日本国債に化体し、米国国債に化体し、最終的にはアメリカ政府に踏み倒される運命である。同じ踏み倒されるのならば、イージス艦やら、次期主力戦闘機に交換して貰っておけという発想もありかと思う。それほどデタラメな一国の財政事情である。みなさん、ご承知のとうり。いまは、ドイツやアメリカが円を買い付けに入って対ドル防衛を画策するなどという話題が飛び交っているが、ようするに通貨不安があることが顕在化してきたわけだ。お札が紙切れに化ける、化けつつある、馬脚を曝け出しつつあるわけである。通貨などあてにならないと、言われ続けてきた。いま現物で信頼できるものは、やはり金、銀、農作物がつくれる田畑ぐらいのものだろう。まちがっても築年数のいったマンションなど住んでいるだけでリスクである上に、資産価値などないと思い知るべきだと思う。金がいやならば、銀でもいい。あのビルゲィツが、個人資産を金、銀のインゴットに移し変えていると囁かれている。そういう時代なのだ。次に円高にふれたら、ユーロよりも現物へ走る。ラストチャンスか?
2007年09月24日
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最近、二十代の工学博士たちと仕事で組んでいる。自分にすれば息子ぐらいの年齢の兄ちゃんらと仕事しているわけだ。それもよりによって理系バリバリのエンジニアばかり。何で呼ばれたのか戸惑いがあったが、理由は以下のようなことらしい。高電圧でプラズマ発生させて無機材料を固める装置が頑張っているのだけれど、何ができるか分からないという。そういう不確定な要素が最後まで付きまとうらしいのである。樹脂加工品の業界に踏み込んで色々目撃してきた時にも感じた事なのだけれど、工業製品というのは、実態で手づくり工芸品と大差ないという印象だ。人間の手感触でコツコツと作られているものは、事情が分からないとロウテクで、コンピューターが数値制御して巨額な装置が動き回っているとハイテクだと勘違いしてしまう。だが、人間が手作りしているものがロウテクだと思っているのは、技術に対する根本的な誤解だろう。このところ中央官庁の役人ですら次第に気づきはじめて、最近では巨大な箱=ハイテクだなどという誤認をしたままなノータリンは少しづつ減りつつあるのではないだろうか。なまじ凄い設備を導入してもいざ製造を開始してみると、経営側は予想外に製品の安定した出力や、それよりも何よりも販路について、事前に正しく目論見していなかった事に気づく事があるらしい。しかし、考えてみると販路をあらかじめ予定して素材加工ができるわけではないという技術段階にあるプラント。これを回しているのだから、販路が身近にみえる筈がない。そこで、どんな素材や構造材が飛び出してきてもそこそこ販路に誘導できるという、これまたムチャクチャなキャラクターである自分が評判になって、声がかかってきたのだ。地元の名士や経済団体が、リレーして私を呼び出した。普通の事業者ならば大抵の場合自分の職務経歴をみて思うらしい。まっとうなメーカーの縦割り構造の下では、使いものにはならないと。それはそうかもしれない。ところが、今回のように販路イメージが描けない、もしくは販路イメージが刻々変化するというような特異な状況にある製造者には、いわば全天候戦闘機のような自分のキャラクターにはまるのだと言う。研修を一週間ほど受けたが、知ればしるほど自分の正体不明な過去、活動履歴、尋常一様ではない人脈がそのまま活性化できそうな印象が湧いてきた。資源の無駄遣いはやめよう。こういう人間の持ち合わせているスキルや人脈が、なぜかピタっと当てはまるような事例は、ほんとうに珍しい。出し惜しみしても、そのまま棺おけに仕舞わなければならない程度のものばかりだ。ならば、役に立ちそうだと思っている事業者に、丸ごとぶちまけた方が世のため人のためというものだろう。というわけで、しばらくハイテク設備装置と同伴しながら、ベンチャー道を極めることにしようと思う。いや、ベンチャー事業者だと勘違いされると困る。世間的にはすでに立派な優良中小企業なのである。であるのに、どうしてこんなにリスクの多い事業を始められたのか。もしくは、予期せず理解しがたい展開にはずれてしまうことがあるのだろう。そのつもりがなかったのに、ついはずみでベンチャー事業始めてしまいましたみたいな事例も世の中にはあるものだ。企業には企業内部に諸事情があるものらしい。
2007年09月23日
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福田康夫氏の政治団体、朝鮮籍企業から献金受ける2007年09月21日19時47分 衆院議員の福田康夫元官房長官が支部長を務める自民党群馬県第4選挙区支部が96年と03年、朝鮮籍の会長(故人)とその息子らが株式の6割以上を保有するパチンコ店経営会社から、10万円ずつ計20万円の寄付を受けていたことが分かった。政治資金規正法は、外国人や外国人が株式の過半を持つ企業からの献金を原則禁じている。 同支部の政治資金収支報告書によると、03年の寄付は11月5日で、衆院選投開票日の4日前。群馬県高崎市にある福田氏の地元事務所は「いろいろな人から寄付をいただくなかで、一つひとつ国籍までは確かめられなかった」などとコメントしている。96年分、03年分とも3年の時効は成立しているが、「禁じられているものは返金したい」としている。 会社側は「会長が個人的にやっていたことで、会社は関係ない。会長が亡くなっており確認できない」と話している。 いや、別に政治資金をどこから貰おうと仕方がないのかと思う面もあるけれど貰い方には一応は気をつけて貰わないとなあ。いまどき半島系在日から資金を貰っていない自民党政治家なんて、いるわけないんだから。自民党の政治秘書の多くは、統一教会から送り込まれているって公然の秘密。いまや秘密ですらないし、秘書でなくても選挙支援者のグループから、ポスターはり、チラシ配布なんか統一教会員の支援なしに、自民党が立ち行かないという事態にあるのは少しは党県連にかかわっていれば、皆知っていることだろう。昨今、与党公明党の「本体」である巨大宗教団体が統一教会と極めて円満かつ友好的な関係にあるというし、福田康夫先生さまが半島系在日から資金貰っているのを、ことさらのように言い出したら、とても日本の保守政権維持できないだろう。むしろ、お金をもらっちゃいけないよ、という政治資金規制法が、どこでどう間違ったか、カマトトじゃああるまいし「原則禁止」していたことの方が驚きだろう。もう、日本って相当昔から星条旗と半島系在日の植民地みたいなもんじゃないの?
2007年09月21日
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20:00 関西特集「 めざせお笑いスター▽過酷なオーディションに完全密着▽苦悩のネタ作り▽涙の結末」 帰宅して、ローカル局のドキュメンタリーを眺めていた。 漫才師の真剣さが、つたわってくる。思わずみいってしまった。同世代から、笑いを取ることの意味と重みをまっすぐに引き受けるということの厳しさ。みている側のこちらも緊張が伝わってくる。笑いをとるという命懸けのジャンプに、笑っていられないような切実さがある。素直に笑いを刺激されるということの、奇跡的な有り難さというものを目撃する。
2007年09月21日
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自分が中学時代、校長の浜口は毎週月曜日に朝礼で演説をぶった。中々の熱弁家で鼓舞される面白い話題が多かった。なにしろ四十年たった今も覚えているのだから、浜口の雄弁ぶりが偲べるというものだ。たしかに思い返して、かなりデタラメな内容もあったのだけれども、そもそも彼の朝礼の弁舌が興味深くなければ、その内容を反芻して私が折々に思い返したりすることもないし、内容を吟味精査することもなかったわけである。だから、自分は浜口の朝礼には懐かしさと感謝の気持ちが湧く。浜口の面白いところは、いくら従順な中学生とはいえ「映画を見るな、タバコを吸うな、色気づくな」などという説教を垂れていながら、われわれにそりゃあそうだ、と納得させてしまう説得力ある畳掛け。話題の展開、その語り口の上手さだろう。中学生も二年、三年になれば男子生徒の大半は毎晩のように指づかいして自涜する奴ばかりだろう。これは生理だから留めようが無い。いまどき、教師や学校長にそんな演説をぶぱなされただけで諾々と従うような学生は払底しているに違いない。また実際の話、当時のわれわれだって、耳では浜口の朝礼で薫陶されても、だれもおのおのの生活スタイルを諾々と曲げたりはしなかったに違いない。そんな中学生に、浜口はくりかえしストレートに「映画などみるとバカになる、映画館では君らをせっせとバカにするための細工がされているぞ。タバコを吸えば脳みその細胞がジャカスカと死んじまう。脳の細胞が死ねば、バカになるのは避け難い。あとで悔やむのも愚かだから、タバコはやめろ。色気づくんじゃない。世間には、お前らが色気づくような誘惑と刺激に満ちているがすべてそれらは謀略だ。そんな謀略を仕掛けている奴らがいるのだ。そのうち自分が言っていたことが本当だと分かるときがくる。分かったときにはおそすぎる、だから絶対早まるな。悪いことはいわない。色気づくな。セックスは強い刺激に決まっている。おまえらの年齢で強い刺激にさらされれば、当然ひとたまりもないだろう。それを分かっていて、強い刺激で包囲してくる勢力がある。いうまでもなくそれは謀略だ」と、まあこういう調子なのである。しかし、校長の語りは面白かった。当時朝礼の場で、校長の言っていることは、どこか真実味があると思った。分かっちゃいるけど、やめられない・・・としてもである。すでに小学校時代、登下校のコースにピンク映画のポスターが張られていた。実のところ、その内容たるや昨今のそれとは違い、まあ生ぬるいものだったのである。はっきりいって期待に反してその中身はこのごろの週刊ポストや夕刊新聞よりも遥かに淡いものが多かったと証言できる。到底ハードコアとは呼びがたいシンボリックなものばかりだった。しかし、当時はそのシンボリックな表現が権力にとっての挑戦と受け止められていたのである。そして、その旗手。筆頭に位置していたのは、やはり武智鉄二。彼に続くのちの若松孝二、そして日活ロマンポルノだったのだろう。つまり映画「黒い雪」(1965年)などのインパクトは、それなりにあったと思うわけである。そして、中学校長浜口の危惧は、やはり空疎な杞憂などばかりではなく、現在から振り返ってみても謀略の忍び寄る気配を彼なりに推量していたものと思っている。わたしにとっての謎解きは、意外なところから立ち上がった。月刊「関西文学」の最新刊、7月号にそれは記載されていた。ほかならぬ武智の近親者からの証言である。武智鉄二を、いわゆる「武智歌舞伎なるもの」へいざなったもの。市川雷蔵、扇雀(三代目 中村雁二郎) そして、若手歌舞伎陣を武智の下に参集させた「怪力」。それはなんとまさに浜口校長の危惧したとうりだったと思い知った。戦後、占領政策を押し進めていたあの極東米軍、いわゆるマッカーサーの占領軍らは、文化政策として仇討ちだの実子を殺害してまでの果てに貫徹される主君への忠信にまつわる逸話などに含まれる退嬰的な美学を不気味がり、日本の古典芸能を根絶やしにするべく大仕掛けを目論んだ。その尖兵として占領軍が選んだ男。それが武智鉄二だったのだ。ほかならぬ近親者が、それを吐露している。なるほど武智鉄二の「怪力」の謎の一端、積年の疑問たちが一気に氷解する思いがした。
2007年09月20日
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日本に40年近く住まいしているインド人の知人が、いろいろ困窮している事情があって相談にのってきたのだけれど彼の困窮の仔細を聞いてみると、必ずしも日本社会が排他的だとか、寛容でないというような展開ばかりでもないように思える。それほど日本社会が、排他的だとばかり決めつけるのも問題である。意外や意外、彼にはさまざまな手がさし延べられて来ているのだけれど、彼の側がその価値や意味を理解せず、ぞんざいに突き放しているという事例も多いようだ。昨日今日、日本に来たわけでもなく、40年も過ごせば立派に、日本社会に顔もしれ、人間関係も生じている。日本人社会の関係づくりにも多少の実体験を踏まえて少しは教訓も得ている。にもかかわらず、いまだに日本人が排他的だとか、外国人差別だとか言われても、周囲も困惑するばかりだ。 ただ、彼が日本流儀ではない視点で述べる日本人論は傾聴に値するかもしれない。 日本人は、謙虚なものでただの我侭なインド人の視点、論点からも立派に学び取れる。考えてみれば、日本人は我慢強いし向上心は並大抵ではない。不思議なことに、破綻した倫理感覚というのか、支離滅裂なインド人すらちゃんと遇していける。日本社会は、ステレオタイプ的に貶められているよりも遥かに開かれた社会ではないか、と思っている。彼の憤懣やら、いきどうりを聞いていると我とわが身に照らして、むしろ日本人の社会がずいぶん立派なものだと思えるほどだ。日本へやってくる異国の方々は、自身の存在の不条理さ加減について言及しているのをあまり見かけない。しかし、かつて生魚を食べないとさんざん教えられた中国人ですら、寿司を好んで食べるようになったという事態は、彼らも日本人社会について羨望も抱き、学習もしてきた。そういうことなのではないだろうか。インド人の彼は、学生時代にはじめて大学の学生食堂でカレーライスを食べてこの世にこんな美味しいものがあるのかと感激したそうだ。初心を忘れないでいて欲しいと思う。
2007年09月19日
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学生時代、2年間、武智鉄二先生の講座に一度もさぼらずに出席しました。(なぜか、非常勤講師で来てくれたのですね)この方は、比較的金をかけずに、原理主義を徹底した人だと思ってます。金をかけるとその道の大スターを起用することになりますが、彼の場合は、常に二流とか若手とかを起用したので、常に自分自身が 「絶対的存在」 であられました。で、彼の原理主義とは要するに何に即していたのかということですが、それがよくわからんのです。もしかして、近松だったのかなあ。tak-shonaiさん(2007/09/17 10:49:32 PM)私のように野次馬にすぎない資格で武智鉄二を任意で語ることをゆるされているのは有難いことだ。たぶん大多数の武智鉄二の弟子や孫弟子、関係者は、最初から彼を迎角で論じて、話題にする際には、なんらかの敬意をいだくことが暗黙の了解になっている。そういう世界なのだろう。驚いたことに直接、武智鉄二の謦咳に接して、よりによって皆勤で授業に参加されたというtak-shonaiさんがご登場。なんという現代的な、あまりにも現代的な。相互にブログを介して現代史の一部を回想まじえてシェアーさせていただけるとは、本当に幸福な時代相を感じるものだ。私にすれば、武智鉄二とは結局のところ他界した古い映画監督のひとりに過ぎない。飛び切り謎めいた、不思議な不思議な人。「比較的お金をかけず原理主義を徹底した人」というtak-shonaiさんからの素晴らしい要約がいただけたけれども、まさしくその「怪力」ぶりを指し示していると私にも思えた。誰もが恋焦がれて果たせないスーパーな力を、いずこから得ているのだろう。謎また謎が、なぜがつねに漂う人だった。私は、彼が反権力、反米の人だとくりかえし語られることを、額面で信じたことがない。なぜならば、そんな権力的な記号をたくさんもちあわせている人物の演じる反権力などは、どう考えても「反権力のようなもの」に過ぎないからだ。33年に、あの滝川事件の闘争を京都大学内で闘いながら沈潜することもなく、44年頃から実家の資産を背景にして伝統芸能鑑賞会を主宰する。多くの日本国民がヒロシマ、ナガサキで蒸気にされた。その余韻も痛覚も消えやらぬまま塗炭の苦しみにあえぐ時代に、すでに扇雀(現中村雁治郎)や市川雷蔵らの並み居る歌舞伎界の若きサラブレッドたちををひきいて武智歌舞伎の名を恣いままにしていた。映画制作にあたっては多くの良識ある映画人が、その制作費の捻出に奔走し、多くは収支のバランスを崩しふたたび作品制作のチャンスすら得られないという趨勢が厳然と存在する戦後に、失礼ながら私の眼からみてエログロナンセンスのピンク映画に過ぎない程度の作品に東宝、大映、松竹、日活、東映が配給権獲得に競いあう。はたまた1974年、第10回参議院議員通常選挙に自由民主党公認で出馬するなどとし、田中角栄から選挙資金を数億円規模で得ておりながら借財返済に転用、狙いすましたように落選する。 田中角栄をして、まんまと一杯喰わされたと言わしめた人物とは。私は、自身の天性の猜疑心ゆえかあの元中核派と公言して平然としているハーバード大学院卒の行政修士なる「先の安倍内閣官房長官殿」やら「舌だし作曲家」と同類の臭いを嗅ぎ付けてしまうのである。
2007年09月18日
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武智鉄二は、自分には理解を絶している。突然のように脳みそに飛び込んで来たこのオヤジは、最初から世間的な意味でビッグな存在だった。小学生時代に、映画「黒い雪」が封切されて自宅から小学校へ往復する順路に延々おどろおどろしいポスターが貼られていた。いわゆる成人映画なのに、あれだけ映画会社が前面に押し出す監督作品とは一体なんなんだろう。小学生なりの違和感が湧いた。いきなり映倫と激突するし、メデアは芸術だか、ワイセツだかで論議が沸騰していると書き立ててゆく。だが、こちらの気持ちは冷えたまま。そもそもそんな作品が、なぜメジャーになるのだろう。不思議だ、といまだに思っている。なにしろあの国土交通大臣、扇千景の亭主、中村雁治郎が扇雀と呼ばれていた若手の時代から武智鉄二は師匠だったのだ。市川雷蔵、鶴之助らの育ての親だという。ますます理解できない。武智は、京大経済学部出身。武智の父親は、著名な建築家だ。いくら実力があるといっても、この怪力ぶりには何故か謎が多い。多すぎる。たとえば、比較する事例としてあの伊丹十三監督をあげてみよう。皆さんは、伊丹がすでに戦後を代表する大監督だと思っているかもしれないが、自分が小学生の頃には彼は、まだ一映画俳優でしかなかった。父親がこれまた有名な映画監督であって、彼自身相当恵まれた二世だったわけだが、彼のスクリーンでの存在感は圧倒的で、海外へ打って出てもハイウッド俳優にひけをとらない実力を示して光るものをそなえていた。これは小学生でも理解できる。違いはプロだけが分かるというものではない。差異を言及できないまでも、感覚的には子供は途轍もなく鋭敏なのである。そんな伊丹が、映画の興行成績を相当緻密に狙い澄ませて社会信用を固めてゆく。映画「お葬式」の成功は、極めてきわどい幸運に恵まれたものだったように思う。マーケティングセンス抜群の伊丹監督が、少ない制作費でありながらもハンデをものともせずに根暗な計算の果てに獲得した大成功だったように思う。それに較べても、武智鉄二の映画制作は、いくら天才にしても無造作な印象が湧いたのだ。そもそも芸術などというものを、客観公正に評価することなど難しい。武智が、どれほどの偉大な芸術家だったのか私には論じる術が無い。とにかく社会的評価の高い人達が、つぎつぎと武智鉄二を賛美し讃えるので、門外漢の野次馬である自分は言葉を見失うわけなのだ。しかし、どうしても武智鉄二の偉大さを、自分の耳目で痛烈に感じ取るということがこれほど難しいのか。くりかえしにはなるが、私には理解できない。あの松岡正剛大先生の「千夜千冊」を読んでも歯切れが悪い。わかったのは松岡呉服店のご贔屓さまで、買い物に姿をみせる武智鉄二をご尊父の肩越しに眺めている松岡青年の眼からみても、相当な人物と映っていたことが分かるだけだ。自分が知りたいのは、なぜ武智鉄二が反米、反権力、美の変革者などと大げさな話題を常に振りまいて平然としていられたのか。その一点だけである。 とくに晩年、『白日夢』や『黒い雪』などの裸の女が走り回ったり、痛めつけられる場面ばかりが話題になった映画を撮って、猥褻罪で起訴されたりしたため、それまでは多少の武智ファンだった者ですら眉をしかめたはずだった。この眉がゆるむにはまだけっこうな時を要することだろう。 そんな毀誉褒貶の激しいその後の武智について、父だったらどう言うだろうかと思うけれど、父は『黒い雪』が猥褻罪に問われ、いよいよ裁判というときに死んだ。そこになんとなく妙な符合を感じるのだが、本書はその裁判の無罪判決が出た日に校了した一冊である。「武智鉄二『伝統演劇の発想』 松岡正剛 / 千夜千冊
2007年09月17日
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ガソリン代はいよいよ140円を超えた、でも自宅からの利便性は捨てがたい…そんなドライバーに朗報です。大津市浜大津公共駐車場(浜大津駅隣接・バスターミナル上)または明日都浜大津公共駐車場(浜大津駅正面)にクルマを止め、京阪電車にお乗り換えください。 「京都地下鉄・京阪大津線1dayチケット」はもちろん、浜大津駅から京都市営地下鉄の各駅への普通乗車券をお求めの場合にも、通常1日あたり1,000円の駐車料金が半額の500円になります。京都・大津の観光に、ビジネスに。浜大津は大津ICから約5分。駐車料金やガソリン代を考えると、渋滞しやすい京都南ICを利用して、都心で駐車場を探すよりも、車内で本も読めて、時間に正確な京阪電車をご利用になる方が、圧倒的におトクでスマートです。環境の観点では、鉄道が人を1km運ぶのに必要なエネルギー消費量は自動車の8%、CO2排出量は自動車の10%。このCO2排出量は、自動車の走行が時速20km/以下、つまり渋滞時にはさらに増加します。クルマの運転中に仕事などはできないわけですから、日本全国の渋滞による経済的損失は12兆円(国土交通省)、つまり1日あたり328億円と試算されています。さあ、パーク&ライドでサクサク移動しましょう!たまたま必要があって、京阪電車のサイトをぐるぐる周っていた。そこで見つけた面白いフォーカスだ。たしかに、一理ある。京都府警は既知外じみたマイカー弾圧に余念がなく、四輪といわず二輪といわずスルスルとしょっぴくのである。まったく周囲に迷惑をかけていない駐輪だと思われても、すかさずデジカメで撮影して平気で一万円請求してくる。こういう反国民的な権力が跋扈している京洛の地は、疫病蔓延で崩壊しちまえと呪いをかけたくなるが、そうもゆかず。京都に所用があるときには、どうするべきか思案に暮れることも多い。たしかに大阪や、神戸から京都に大渋滞で四苦八苦するよりもあっさり浜大津へ出向き、電車で引き返すという策は面白いような気がする。愛知側からは一層このアイデアの利便があるのではないか。浜大津は、京都にそれほど遠いわけでもないのに閑散としている。山を越えれば山科、岡崎、三条とあっという間だ。京都の地下鉄も行き届いて、目的地へのアクセスは昔にくらべれば良くなったと思う。しかし、大津にはほんとうに何も無い。みやげ物店ひとつ探すのも大騒動だろう。琵琶湖の水が満々とたくわえられているのが眺められるが、こんなものみやげに持ち帰るわけにも行かない。ただただ景色が良いだけである。一日クルマをとめて500円というのは凄い。早い話、絶望的なゴーストタウンではないか。
2007年09月17日
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暑中お見舞い、申しあげます。西宮冷蔵、水谷でございます。一年でもっとも多忙な猛暑のこの季節。少人数で奮闘しておりますため、定期的な更新やメッセージなどに、返答できず、誠に申し訳ございません。おかげさまで、経営はなんとか、社員が食べていけるまでに回復しております。皆様方のご支援とご声援あっての、復活です。お礼、申しあげます。↑クリック自分は、二十代に竹中労の著作を多少は読んだ。結果、いろいろ示唆を得た。あんな極左の親分みたいな竹中から、なにか学び取ることがあるのかと驚く人は、まともに人生と直面されていない証左だと思う。つまり、驚くという程度にしか自分の肉体と生涯と社会に関わっていない。残念ながら、自分らの年齢のオヤジにはそのように思えてしまう。良い悪いをいわず、そういう事になるのだ。彼は、91年に死んだのだからウィンドウズ95も、その後に続くインターネット環境の到来も知らず他界したわけだ。だが、自分はインターネットを使い込みすれば使い込むほどに、竹中労から教えられた世界が具現化してきつつあると感じたものだった。彼などは、「草莽崛起」ではなく洒落めかして「傾斜崛起」だと言っていた。極左だと言われていた彼らが、なぜに吉田松陰なんだと訝しく思われるかもしれないが、竹中は特別左翼であることに恋々としていたとも思えなかった。背中に、九紋龍の文身(タトー)をいれたりして気分は、任侠系だったのかもしれない。追い詰められてヤクザに身を寄せたという事でもなかったのだろう。さっこんの企業舎弟ばやりの時代に、はやらない古式豊かな侠客、任侠家のたぐいを志向するなど錯誤的ですらあったのだが、本人はいたく真面目腐って引き受けていたのではないかと思う。竹中労が、なにをやりだすのかには、つねに興味が湧いたが、さりとて彼の流儀に時代の閉塞感を打ち破るほどのものがあるのだろうか、と。正直当時はそう思った。毛沢東は、マルクスなんざあ読んじゃいねえよ。そうだ、毛沢東の教養ではマルクスはきつかっただろう。毛沢東が読んだのは、施耐庵や羅貫中の「水滸伝」がせいぜいだった。いや、水滸伝こそが毛沢東という唯一屋台骨だというのである。なるほど、真面目にマルクスなど読んでいたはずがないのだと知れた。自分なりに竹中の本意を、読み解けばこうだ。水滸伝とは、暴力をメデアとしたインターネットなのである。一度、駒井信二でも北方謙三でも、かまわないので読みすすまれればいい。吐き気がするほど、過剰な夥しい暴力描写の連続である。生きることは、暴力だとでも言うような内容だ。こんなくだらないテキストを、実在の人物だと思い込みしながら読んでいたような革命家。それが毛沢東の正体なのだという。水滸伝も、徒党を組んでいるようでは義賊と呼びがたい。首領はいるが、読めば読むほどくだらない人物が梁山泊の首領、宋江という人物だ。しかし、到底暴走族の頭ほどに統率力があるわけでもない。この小説、主人公。実は、暴力の連鎖そのものだ。つまり、暴力沙汰という国土にあまねく存在した時代の現実を、ひとつのメデアとして牽引されている「大きなうねり」が化体した嵐のように世直しの機運を具現化するという見立てなのであった。まちがっても吉田松陰が、「草莽崛起」などと期待を込めてありがたがった理念などではない。むしろ、冗談めかして「傾斜崛起」ドリフト などと彼などが言っている理由は、多くの個人が義憤を連ねているものが、結果としてそれぞれがオーソドックスから「脱落」「すっこけ」て行くことが、結果として相互の社会関係を生じてゆくという発想だ。あらかじめ陰謀団が、ソビエトなる組織を地下につくり権力を一気に転覆させようというような、おなじみの左翼の典型的な謀略的政治革命とは違い、祭りと頻発するイベントで為政者が権力の維持総攬を持ちこたえ難くなるというのである。まあ、荒唐無稽なことはこの上ないのであるけれども、彼の没後20年近く経過して、インターネット世界にさまざまな掲示板やブログで勃発している「炎上」や「お祭り」を目の当たりにすると、竹中労が予言していたものは、あながち人間学を外してはいなかったな、と苦笑を禁じえないのである。さて、竹中労については手短にあの松岡正剛の「千夜千冊」に紹介されているのでご覧いただきたいと思う。竹中労『ルポライター事始』1981 みき書房・1999 ちくま文庫ともかく何でもやったといえば、何でもやった。まさに時代を斬る獰猛な怪物だった。テレビ番組もいくつも手を出している。しかし、竹中労といえばやはりトップ屋第1号、ルポライター第1号なのである。(松岡正剛)千夜千冊↓以下をそれぞれクリック
2007年09月16日
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70年代に、同志社大へ竹中労がやってくるというので出かけた。当時すでに、小太り気味だったが、歌舞伎役者にしてもいいだろうという程器量のいいオヤジが早口でありとあらゆる話題を時間一杯まくし立ててさっさと帰っちまったので、主催者も聴衆もあれよあれよと煙にまかれ茫然と立ち尽くすような濃密時間だった記憶がある。すでにガンで他界してから16年以上になるようだ。さいわい、彼の最晩年のメッセージが残っている。彼の最後のメッセージは、間違っても塩崎恭久や、坂本龍一、舛添要一ら(あるいは、栗本慎一郎なども射程だったのかもしれない)には届きはしないが、ガンの告知を受けて竹中自身死期を悟っていた最晩年の竹中の語りには明らかに彼らへの怒りがあると私には思えた。竹中労は、世間からは極左の教祖のような言われ方をしたがいつも個人で徒党を組まなかったことを鮮やかだと思った。折々に党派に潜り込みはしたが、結局いかなる党派も作りはしなかった。恐喝まがいのことも山ほどやったようだが、常に国内でも最高権力者とサシでの闘い。取り分け、いまでも印象に残っているのは長期政権で並ぶものなき内閣総理大臣、佐藤栄作夫人との熾烈な応酬だ。彼は、喧嘩屋の名に恥じず喧嘩っ早いが堂々としたもの。お手本にしたいような様式美ほどのもので、周囲を惚れ惚れさせるものがあった。上掲画像をクリックいただければ、例によって他界する直前の竹中労の姿がみられるのでご笑覧を。
2007年09月16日
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政治家の本棚 - 51インタビュー:朝日新聞編集委員 早野 透 Hayano Toru G・バタイユも読んだ政策新人類 ◎----塩崎さんは衆院から参院、そしてこんどの総選挙で衆院に戻ったんですね、小選挙区の候補者調整で。以前、参議院に移ったときには・・・・・・。塩崎--抵抗しましたよ。朝日新聞の見出しに「私の人生設計に参議院はない」というのがドーンと出て、松岡利勝さんが「おまえ、かっこいいよなあ」とか言って、それ以来親しくなった。(笑)また衆議院に戻ってきたのは、歴史上初めてということでね。◎----そういう調整はけしからんという議論もありますね。塩崎--ただ、僕は参議院を経験してよかったんじゃないかと思っているんですよ、ほんとう言うと。衆議院時代、松山市などの自分の選挙区より外に出るなんて絶対しなかった。石鎚山という四国で一番高い霊峰、行ったことなかった。時間がもったいなかった。全県区の参議院になっていろいろ回って、例えば作物の違いがわかる、南予や東予の人たちとのつながりもできて、選挙でお世話になる。南予の町長さんから物を頼まれたりして、一緒に悩んだりするなんていうこともありました。◎----生まれ育ちは?塩崎--大阪で生まれて、ほどなく東京に。公立の小中学校、そして新宿高校。姉が戸山高校に行っていて、成績がめちゃめちゃよかったんです。それで新宿にした、比較されるに決まっていると。この姉がまた激しい読書家で勉強家でね。戸山は革マルと民青が強かった。姉はデモなんかにも行ってました。その姉が「これ読みなさい」というのは、暗めのものが多かったんだな。太宰、芥川。◎----いずれも自殺したな。塩崎--そこへいくと新宿高校は明るい。新宿御苑の隣でね。目の前に木賃宿があって、夏なんか窓があいていてスリップ姿のおねえさんが出てきたりする。一泊四百円とかで、わけのわからない人が泊まっているところでね。僕は高校一年から社研ですよ。社会科学研究部。これが中核派なんだ。砂川にデモに行きました。そこに先生もいるんだよね、新宿高校の先生が。◎----だけど、お父さんは大蔵省の要職じゃありませんでした?塩崎--主税局長でした。でも、姉は「ケネディはかっこいいけれども、ケネディこそベトナム戦争を始めた」などと僕に家で言うわけですよ。ただし、僕の原点は小学四年だったかな、おやじが広島に赴任するときについて行って、原爆資料館を見たことにある。母親から空襲で逃げ惑った話を聞き、八月十五日が近くなるとテレビのドキュメンタリーを見て、『きけわだつみのこえ』を隅から隅まで読んだりして。学徒出陣の学生が「天皇陛下」 と言わずに、「お母さん」と言って死んだ場面とかをイメージして、戦争はやっぱりいかんと思ったんですね。◎----で、社研では?塩崎--文化祭で、その木賃宿がどういう問題を抱えているか、四谷警察へ行って調べて、模造紙に書いて発表したりね。泊りがけでやって、夜はプールで素っ裸で泳いだり。で、高校二年のときにアメリカへ行ったんですよ。◎----留学ですか?塩崎--AFSで。サンフランシスコのすぐ郊外、金門橋を渡ってちょっと行ったところなんだけど、ちょうどベトナム戦争最盛期で、僕は反戦集会に行きましたよ。メーンスピーカーはモハメド・アリ、当時はキャシアス・クンイといっていた。クラスメートの女の子のお兄さんがきのうベトナムで死んだとか、身近に起きるわけですよね。そしてロバート・ケネディ、キング牧師が暗殺された。僕はキングのビデオを持っていますよ。「アイ・ハブ・ア・ドリーム」の名演説がありましたね。いわゆるヒッピーの最盛期だった。LSDとか大麻とか、学校の駐車場でも取引されるぐらい。パトカーがいつもいるんだもの、学校の駐車場に。飛行機持っているんだよあいつ、とかいう金持ちの息子がキャデラックの後ろで大麻を売っている。アメリカが一番自由なときでもあったかな。カルチニラタンの学生反乱の年ですよ、パリでは。◎----一九六八年ですね。で、新宿高校に戻ってからは?塩崎--やっぱり自由なアメリカの教育を見ちゃうと、日本は制服制帽で、授業はいかにもガチガチでしょう。アメリカでは彫金の指輪をつくる授業まであったり、スクールカウンセラーもいた。車いすの女性ですよ、僕の相談に乗ってくれたのは。みんなで語り合う、そういう教育が何で日本にできないんだと思って、生徒会長にいきなり立候補した。十月から三月までの任期だったんだな。その一月に東大安田講堂事件があった。お茶の水あたりに見にいきましたよ。◎----一九六九年だ、あれは。塩崎--生徒会の仲間がよくうちに集まって、夜遅くまでギリギリいろんな議論をしましたよ。教育のこと、われわれは何で生きてるのみたいなこともね。宇宙観からしてすごくしっかりした人がいてね、後でわかったことだけど、その人、創価大学に行ったんですけど。制帽は廃止した。制服は事実上、僕は学校に置きっぱなし。そのときに同じクラスだったのが坂本龍一なんですよ。あいつと僕とさぼりまくっていた。もう一人、馬場という石川さゆりの前のだんなが同じクラスでね。授業に出ないから、超低空飛行で胴体着陸寸前だった。◎----ただのエリート国際派じゃないな。どんな本を読んでいました?塩崎--高橋和巳の『憂鬱なる党派』とか、吉本隆明の『共同幻想論』とか。坂本と僕とお互いに刺激し合いながら、いろんなものを小わきに抱えて小難しい顔をして、朝は新宿のピットインというジャズ喫茶で、一、二時間目をそこですごして、たばこを吹かして。三時間目に出て、四時間目には早弁して、五時間目からもういない。 塩崎やすひさ生年月日 昭和25年11月7日(寅年) 学歴 昭和50年3月 東京大学教養学部教養学科アメリカ科卒業 昭和57年6月 ハーバード大学行政学大学院修了(行政学修士) 経歴 昭和50年4月 日本銀行入行 平成5年7月 衆議院議員当選(旧愛媛1区) 平成7年7月 参議院議員当選(愛媛選挙区) 平成9年9月 大蔵政務次官 平成12年6月 衆議院議員当選(愛媛1区) 平成15年11月 衆議院議員当選(愛媛1区) 平成16年10月 衆議院法務委員長 平成17年9月 衆議院議員当選(愛媛1区) 平成17年11月 外務副大臣 平成18年9月 内閣官房長官・拉致問題担当大臣 平成19年8月 内閣官房長官・拉致問題担当大臣退任 ご存知、安倍晋三内閣総理大臣の前官房長官殿だ。元中核派だったと公然と自分の選挙区のサイトで披露するこの「余裕」をいかがわしく思う人は少ないらしい。その後の栄達に選挙民は眼が眩む。そこが怪しいといつも言っている。自分は、彼の親友である坂本龍一やら塩崎やらのような連中を、散々見てきた。日本の護憲派といわれる連中も、新左翼も、結局こういうヤカラが組織の上で少数支配しているのだろうと。そういう風に達観している。自分らの高校も、紛争校で自治会は、新左翼で締められていた。つまり、過去に塩崎恭久やら、坂本龍一やらのミニチュアに掻き混ぜられて育った世代だと思っていただければ理解が早い。塩崎が、「心情三派」というのか「お嬢さん極左」の姉の影響を受けて育ったというのは笑えた。そもそも、まじめに中核派をやっていれば東大から日銀などというコースが展開する筈はない。コピーライターの糸井重里が、中核派の追跡に裸足で下宿から飛び出して逃げたという昔語りの方がよほどリアリティがある。ことの善し悪しをこえて、このようなジャンプを何度も人生で経験してきて恥じないヤカラは、本質的に魂の内側に「詐欺師」を養っていると考えてよいのである。坂本龍一なども、雑誌の対談で新左翼のヘルメットをかぶり演説しながら、歓声をあげている集会参加者に心の中で舌を出していたなどと放言していた。驚きもしない。自分は、このような連中を山ほどみてきたからだ。まさしく、日本の60年代の学生叛乱期は、いずこともなく湧き上がっては学生指導層に滑り込んで来るにこういう「お嬢さん極左」や「舌だし作曲家」のオンパレードだったのだ。安倍は、自身の血筋の良いのに眩惑され、同じく血筋が良いことを臆面もなく行使して生きてきた塩崎恭久のような手合いを周囲になんの躊躇もなく配して、大いに油断していただろうことは想像に難くない。ちなみに日銀あがりの塩崎が、古巣の日銀で刷られている膨大な通貨の規模について、知らない筈もなく、責任を担っていないとは到底思えない。つまり来るべき途轍もない物価高騰とインフレのA級戦犯のひとりだろうと確信する。自分は、60年代から日本の護憲派なるものの正体は、この塩崎やら坂本やらと大差ない存在だと強く疑っている。当たらずといえど遠からずだろう。
2007年09月16日
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安倍晋三の父親は、政治記者あがりだったことは有名だ。しかし安倍晋三の祖父安倍寛は、山口県議から、戦前衆議院議員になっている政治家の血筋で、政治エリートであることは間違いない。父親安倍晋太郎氏の毎日新聞政治部記者時代は、やはり通過点だったのかもしれない。ちなみに、バンソウ膏の赤城徳彦元農林水産大臣殿の父親は、赤木宗徳で晋三さんの祖父安倍寛と戦前衆議院議員で同期だったとか。お友達内閣のルーツは、1937年の衆議院議員選挙以来のよしみというものだろう。ただ、岸信介の秘書として政治家見習いを開始したという晋三の父親だった安倍晋太郎がマスコミ人だったのは、たまたまのこと。もともと政治家秘書にマスコミ人がはいるのは余程政治的に大物の場合にのみ、たまにある特殊なパターンのようだ。つまり、青木元参議院幹事長の後建てあの舛添要一先生が、無派閥で奮戦できているというようなかたち。自民党の長老が、手先としてテレビ妖怪や気鋭の学者を使うという伝統になっているらしい。存命の時期にはテレビでよく顔をみせていた政治評論家の伊藤昌也氏は、自分らが小学生時代の顔。高度経済成長ご本尊にして、所得倍増計画をぶちあげた池田勇人の元秘書。やはり相当な大衆受けを狙った池田勇人が世論形成の第一歩に自分のファンだった政治記者の伊藤昌也を、可愛がって秘書にしたものらしい。田中角栄も、マスコミあがりの秘書を二人。日本列島改造論は、秘書そのものがゴーストライターをやれるだけの筆致と構想力があったということかもしれない。学者好きだったのは、大平正芳で彼は自身では弁がたたない代表のように言われ続けたためか周囲には、多数の学者を配して政治記者に依存する姿勢はあまり巷間には流れてこなかったような記憶がある。自分の育った時代を思い返すと、権力者中の権力者が学者あがりやマスコミと構造的に癒着というのか、野合というのか、併走というのか、協働というのか、いずれにせよ相補的な関係性にあるという事がよく見えてくる。おそらく中途半端は駄目で、飛びっきりの実力も兼ね備えた論客が、権力的な中にも権力的な実力者に融合したときに、相互に実力を開示できる機会をかたちにできるらしい。この消息については、多少普遍的なものがあるのだろう。ところで、次期内閣総理大臣と嘱望されている福田康夫君はどうだろうか。彼の場合には、最高権力者というよりも森、小泉の「アメリカ都合構造再編」派の利益代表という印象がどうしても強い。そもそも秘書に、長男でマスコミからも毛嫌いされている福田達夫ジュニアを配している。あの飯島勲が、小泉の福田擁立にぶち切れてトウトウ小泉純一郎の秘書を辞職するという展開も興味深い。飯島がいいとか、悪いとか。野次馬には到底理解ができない世界だが、福田一家が、反マスコミというのか、役人官僚と中国の使いパシリであることを青テント国民は銘記しておこう。
2007年09月16日
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安倍が、慌しく仮病で小学生同然に保健室へ逃げ込んだ一件。テレビで朝からさまざまに取りざたしている。しかし、何のことは無い。ズバリ、仮病退陣の安倍を痛撃したのは今日土曜日発売の、週刊現代9月29日号だろう。保健室へ逃げ込まなかったら、国民も首を傾げるだけですんだかもしれないが、安倍総理自身がこの週刊誌の内容と信憑性に大きく太鼓判を押したようなものだ。これが真相だと受け止めて間違いないだろう。
2007年09月15日
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安倍晋三内閣総理大臣が、慶応大学へ潜り込んで消息を隠している。まさに今日、週刊現代が発売された。最近の出版技術は、凄いもので15日発売の週刊誌は、なんと14日に印刷するのだそうだ。刷り上る尻から大型トラックに積み込んで全国に輸送されるのだろうけれども、昔のように出版物を法的に仮差し押え処分して、押収することも難しい。気が遠くなるような規模の印刷物をわずか数日でリリースできる流通機構は、権力者にも脅威だろう。今週の週刊現代を、自分は比叡山のコンビニ店で早朝入手したが都市部でも売り切れ必至だと思う。これは、それほどのスクープ記事だ。しかも、毎日新聞が動揺しながらも、援護射撃している。朝日、読売、産経は、どうも総理周辺のファクシミリ攻撃で沈黙させられたそうだ。側近が、揉みつぶそうと恫喝しても、肝心の週刊誌を裁判所が差し止めしてくれるという幸福な時代では、なくなっているのだ。これは厳しい。しかも、上掲のように手回しよく週刊現代は、国税当局の相続税担当窓口の主務官に「事実ならば脱税だ」と、インタビュー取材しているらしい。これはディジタルメデアで収録されているとみて良い。チェスでいえば、チェックメイト。将棋でも、投了モードだろう。
2007年09月15日
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[ロンドン 14日 ロイター] 14日序盤のロンドン株式市場で、英住宅金融大手のノーザン・ロック(NRK.L: 株価, 企業情報, レポート)が資金繰り問題に直面し、イングランド銀行(中央銀行)から金融支援を受けることになったことを受け、金融株が軒並み急落している。 0700GMT(日本時間午後4時)過ぎの時点で、ノーザン・ロックが18.6%急落しているのをはじめ、HBOS(HBOS.L: 株価, 企業情報, レポート)が2.5%安、アライアンス&レスター(AL.L: 株価, 企業情報, レポート)が3.5%安、バークレイズ(BARC.L: 株価, 企業情報, レポート)が2.1%安などとなっている。2007年 09月 14日 16:43 日本の銀行株は、連休前に相当作為的な上げを演じた。なにせ、ディトレーダーが売り浴びせするのを織り込んでいるせいもあるけれども、みずほフィナンシャルホールディングスなど、引け直前のわずか数分で644000円ぐらいから、一気に657000円まで暴騰した。不思議な動きが続く。いずれにせよ、非力で丸腰同然の日本の個人投資家が、ここしばらく海外のハゲタカファンドに翻弄されているという恒例の構図になりつつある。さて、このような事態がいつまで続くのだろうか。一方で、信じられない勢いで稼いでいる日本の個人投資家が存在しているように株式のスキルが、パソコンの使いこなしの力量に依存しているのも「格差社会」急拡大時代のシンボリックなエピソードとして、昔語りされることがあるのだろうか。これからの日本の経済はどちらに動いて行くのか、実のところ誰も分からないと言っていいのだろう。一流大学出身のエコノミストも、我々とさほど大差なさそうだ。ここは、超歴史主義者の妄想的な嗅覚だけを独白しておく。個人資産は、郵貯やら預貯金にたんまりと温存されているような神話があるけれども、現実には国民が引き出したならば即座に金融凍結したいほど、国のバックグラウンドで使い込みされている。個人に国債を買えとは、よく言ったもので、まともに国民の金融資産など残っているものやら、政府系が一番危ない組織だということは、社会保険庁の一事だけでも分かろうものだ。いまは、まだ郵貯に個人資産家が、預け入れしたままの資金も、次第に物価高騰、インフレが進んでくれば、「カチカチ山」となる。そもそも企業も、株式の持ち合いを解いて、急速に資産株は売り込んできている。この動きは、まもなくピークになるだろう。株式市場で、これまで主役だった生命保険だの、投資ファンドだの、外資だのといった、おなじみの面々が次第に、日本の個人資産の株式市場シフトの進展で、次第に包囲されるほどになるのではないだろうか。政府系が、民営化しますよと言われれば個人資産は、焦げつく可能性ありますよと言われているようなものだ。郵政民営化に賛成をしておいて、預貯金が焦げつくのは嫌だ、とは言っていられなくなる。ところが、時代はインフレだ。物価は上昇する。すでにガソリンは、一リットル140円もし始めている。まだまだ騰がるだろう。野菜も雑貨も、ジリジリ騰がっているが、ノートパソコンが安くなったので消費者物価の統計をごまかしているのだ。役人の計算する統計が、いかに怪しいかというものである。インフレになり、物価が高騰してゼロ金利同然で預貯金を残しておける日本人は、おめでたい。それも立派な生涯の姿だと思うが、大方の人々は耐え切れずにリスクを承知で株式市場に流れてくるだろう。物価があがるのならば、製造メーカーの株式を買い、資産を手厚くしながら好業績企業の配当を楽しみにするしかないではないか。時折、売り買いした株式で年利7%程度の運用をするのは、素人でもさほど難しくはなくなっている。それをわざわざ銀行の高額な手数料を取られの、無償奉仕のようなゼロ金利に甘んじている人たちは次第次第に戦列に加わることだろう。しかし、こちらも先に到着して運用のスキルを持ち合わせている人達が優位となるに違いない。もはや、歯止めが利かなくなるのは必定という気もする。そのうち、義務教育年限に金融商品の授業が登場するかもしれないのである。
2007年09月14日
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年金問題が、しばらくメデアで話題になっていたけれども言ってみれば、まだ先の話。社会保険庁を叩いているけれど、しばらくすればバッサリ話題にもならなくなる。国民の眼をひくためには、社会保険庁ぐらいが手ごろだという事でしかなさそうに思う。財務省も、国土交通省も、みな一巡したのでホッとしているといった処だろうか。警察も、検察も酷いもんだから、どこが話題になっても、もう皆なれっこになってしまった。九州のノンキャリアの出世頭元厚生労働局長だったおやじが、退職金返還させられてオシマイ。キャリアがほくそえんでいる図だろう。そこで考えるのは、現下のほんとうの脅威とはなんだろう。スマトラ沖地震の大津波の記憶も薄れていないいま、またぞろインドネシアでマグニチュード8に近いような大地震だ。この国で、明日明後日も読めないのに年金生活の時代を杞憂しても仕方がなさそうな気がしてしまう。将来不安もいいが、「現にいまここにある脅威」って奴を、どうするつもりだろう。自分の関心事は、阪神大震災以来一貫して防災テーマだ。耐震偽装事件もさることながら、姉歯設計事務所の構造計算書偽造事件よりも、さらに大きな異変が身近なものになっている気がしてならない。 国土交通省としては、構造上耐震性に大きな問題のある可能性が高い建築物の居住者等の安全確保を第一に考え、本日付で国、関係都県及び関係特定行政庁からなる構造計算書偽造問題対策連絡協議会を設置し、当面、偽造の可能性の高い21件の対策を優先して、以下の対応を行うこととしています。 構造計算書が問題になるというレベルのビルを含めて、ほんとうに大都市圏のビル、マンションは大丈夫だろうか。北攝のマンションで経験した阪神淡路大震災は、神戸から離れた吹田千里丘陵ですら、巨大な亀裂を瞬時に掻き裂いた。あの規模は、震度7。エネルギーは800ガルといわれている。しかし、識者の声を聞くと81年以前建築の建物はほとんどダメだという話だ。このあいだの世論調査の話題(世論調査は嘘八百)と同じで、統計をデタラメにいじって耐震強度の基準を複雑にこみいった指標で拘束しているだけで、現実に800ガルに耐えられるのか、イエスかノーかというシンプルな問いただしをすれば、ダメという建物だらけらしい。むしろ戦前からの木造住宅のほうがよほど堅牢だったりするそうだ。その理由は、50年代の建築基準法や、80年代の新耐震基準法では国土交通省(国側)が、現実の地震の調査をして、目撃したはずの被災率を低くしてつくっているからだという。消防庁が、神戸中央区、灘区、東灘区に立ち入った際には、10万棟全壊と報告している。その同じ地域が、国土交通省(旧建設省)側では、震度7の地域で、81年以前の建物は倒壊と大破が、9%と報告されているのだという。82年以後の建物は、2.4%だったというのだから驚く。消防庁と旧建設省建築研究所のどちらかが本当の事を言っていない。実は、日本の建物は、この旧建設省の基準でいまだに隆々と高層ビルやマンションを建てている。当時、震災の現場を見た人は大勢いるだろう。消防庁と建設省とどちらの数字を信じられるだろうか。いま我々が暮らしている住居、住まいが、この建設省時代から変わらぬ基準で建てられていることを恐れる人は少ない。二十年後、三十年後の年金生活を不安がるのも、いかがなものだろうか?
2007年09月13日
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どうしても安倍晋三を病人にしたいらしいのが二人ほどいるようだ。与謝野と麻生。彼らの口裏が合っているのが面白いと印象する。磔(はりつけ)にされて身動きできなかった総理が、とりあず萎え気味の動かせる足で蹴飛ばしたのはこの二人なのかな?もしかしたら、麻生には次期総理の目が後退したかもしれない。小沢とボス交渉なんて、実効性があったのだろうか?ありなしに関わらず、やりたかった。ところが、磔になってしまって小沢が相手にしない。もしくは相手にして貰えないと諭したのが与謝野と麻生だろう。与謝野は、記者会見でそんなことを言外で暗示していた。健康の懸念ならば、小沢一郎のほうが遥かに重篤だ。いつ救急車で病院にほりこまれても不思議ではない。これまでも国内病院をさけて、海外の病院を隠密行動で複次渡航を繰り返している。理由なしには、総理総裁を投げ出さないだろう。 [東京 12日 ロイター] 与謝野馨官房長官は12日午後の記者会見で、安倍晋三首相の辞任表明の背景に、健康問題があったことを明らかにした。 辞任の理由に関して与謝野官房長官は「会見で、(安倍首相が)ただひとつ言われなかったこことは、健康状態だろう」と指摘。「病名などについては詳しく言えないが、(総理としての)相当な仕事と自分の健康の両立に深い苦悩の中にあった」と説明した。特に8月下旬のアジア歴訪から「健康状態は大変厳しいものがあった」と語った。 さらに、首相自身が会見で健康問題に触れなかったことについては「(辞任決意の理由として)健康問題に逃げ込むことはいやだとの美学だと理解している」と述べ、「途中で投げ出したような格好で、そのことについてお叱りを受けている。お叱りは当然だとしても、そういう事情(健康問題)があったことを頭の片隅においておいて欲しい」と述べ、首相を弁護した。
2007年09月12日
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仙波敏郎巡査部長がテレビに出てきたときには近頃になく驚いた。月の石が、吹田万博に来たときにも、バカにして行かなかった自分だが、仙波巡査部長が講演を開いたらぜひ足を向けたいと思う。戦争で弾丸撃って人殺しするだけが英雄ではない。仙波巡査部長のような身体を張った闘いこそ、真の英雄と呼ぶに値するのではないだろうか。報道によれば、彼の実年齢が55歳だとか表記によれば58歳だとか、ばらばらだ。だから、日本の報道がデタラメだと腹を立てるのだ。くだらない世論調査ばかりやらかして、嘘八百垂れ流しの朝日、毎日、産経、読売の記者たちはまともに記事の裏づけもやらないのだと、このあたりでも苛立たしさを感じる次第である。彼が、49年生まれだとすると58歳だ。年代的には少し上で、高校時代に柔道部でシゴかれた思い出の先輩たちのまだ上ぐらいになる。いうまでもない学生叛乱期の渦中に警察官を志向した人だ。それだけでも自分には深い思いが湧く。彼の堅い表情は、意志的で真っ直ぐなものを感じる。辛い虐待の現場を不条理に通過してきた人ならではのものを強く印象する。 仙波敏郎・愛媛県警巡査部長 1949年愛媛県生まれ。愛媛県警生活安全部地域課鉄道警察隊分隊長。57歳。1973年、その年の最年少者として24歳で巡査部長の昇任試験に合格。直後に配属された三島署で初めて上司からニセ領収書を書くことを要求されたが拒否。それ以降に配属された警察署でもことごとく拒否し続けたために30年以上も巡査部長より上に昇任することができなかった。2005年1月20日、現職警察官として初めて実名で警察の裏金問題を内部告発する記者会見を行った。会見から4日後、地域課通信司令室への配置転換を内示、27日付で異動。仙波氏は愛媛県人事委員会へ配置転換の取り消しを求める申し立てを行った。同委員会は6月7日「鉄道警察隊から通信司令室への配置転換は人事権の濫用に当たり、これを取り消す」という裁決を下した。 彼は、きわめて優秀な警察官だったのだ!四国でも有数の進学校で、成績も最上位の秀才だった。それが大学進学ではなく、警察学校でも首席で卒業したという。そんなとびっきりの秀才を警察機構はまともに受け入れることが出来なかったという事は、今となっては頭で理解できるが自分らの年代の情報過疎な半生を振り返ってみるとき、強い感慨を抱く。柔道部には、自衛官になった先輩も、警察官になった先輩もいた。60年代後半に彼らが自衛官、警察官を選んだことには格別な思いを抱くわけだ。彼を待ち受けていたのは、その嘱望される優秀さゆえに「警察機構の強いる犯罪加担」だった事は、注目に値すると思う。彼は、彼が選んだ警察官という職務に殉じてでもなにかを貫徹したのだろう。これは分かるような気がする。間違っても彼は、反体制の人ではないと私は思う。彼は、ただの「正しい日本人」なのだ。◇支える会 〒791-0212 愛媛県東温市田窪1145-5 TEL・FAX 089-964-0164 (祝祭日、夜間はFAX)◇年会費:1,000円 振込先:伊予銀行本店(普)4495394 仙波敏郎さんを支える会 郵便振替 01640-4-129996 仙波敏郎さんを支える会◇カンパ:振込先は年会費に同じ (会報送付の都合上、銀行振り込みの場合は住所をお知らせ下さい)
2007年09月12日
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世論調査などというものは、ほとんど信じていない。安倍内閣の早期総辞職を求めはしないが、さりとて今安倍総理の支持率が高くなったなどという調査は、かなり恣意的。つまりご都合主義だろうと思う。恣意的だという意味では、やってもやらなくてもいいようなもので、要するに2ちゃんねるの煽りと大差ない。天下の大新聞社が、国民に煽りをやって平気なのだから、情けない。というか、もうこれは何十年も変わらないメデアの姿勢だ。明治、大正からそうなのだろう。扇情とか、センセーショナリズムというのは、あてにしていると手も無く騙されるので、国民はおのおの決して傾斜してはならない。こころして肝に銘じるべきだろう。【朝日新聞】改造内閣支持33%、不支持なお53% 本社世論調査2007年08月28日22時48分【読売新聞】改造内閣支持率44・2%、参院選後比12・5ポイント増安倍改造内閣(2007年8月28日21時27分 読売新聞)【毎日新聞】毎日新聞世論調査:内閣支持33%、不支持52%毎日新聞 2007年8月29日 3時00分 (最終更新時間 8月29日 3時20分)【産経共同】安倍改造内閣、支持率40.5% 共同通信調査 (2007/08/28 19:09)【日経新聞】安倍内閣支持率41%、首相続投「反対」49%・日経世論調査ここに、まだNHKまでが朝の番組で独自の世論調査を実施して安倍内閣の支持率が3%向上したなどと臆面もなくアナウンサーが宣言していた。ご冗談でしょうだ。あなたがたの世論調査の支持率と、信憑性をきちんと格付け機関に査定して貰ってからお話をお聞きしたいものですなあ。この連中は、自分たちの支持基盤というのかファン層に向けて記事を書いているのでそれが収益をささえているという圧倒的に切実な「都合」の上に生きている。だから、科学的な統計調査手法をぜったいに使わないのだ。その証拠に、自社で実行している世論調査の方法を開示しない。つまり、豚肉を切り刻んで食品添加物を混ぜれば牛肉で売れるぜ、と嘯いたあの北海道の社長さんと大差ない精神の持ち主が、朝日、毎日、産経、読売という会社にはゴロゴロ巣食っているということだろう。彼らが統一して、社会的に信憑性の高い世論調査を実行しようなどという気持ちは、さらさらないに違いない。所詮、世論調査など客引き宣伝の一部なのだと思うべきだと痛感する。1980年代ごろからRDD方式という電話世論調査が日本に入ってきた。いち早く飛びついたのは朝日新聞。RDDとはRandom Digit Dialing (乱数番号法)の略で、コンピューターが不 作為に固定電話番号を抽出してくれる。あとは電話で調査票に答えて貰えば良い。手間も省けるし、カネもかからないとあって、爆発的にRDD方式が世論調査の主流となった。RDD方式の良い点は、電話帳に掲載されていない番号までコンピューターが選んでくれることであろう。従来方式では電話帳に番号を掲載しない人々が、調査対象からもれてしまうので、全国の「有権者の縮図」としては不適切という欠点があった。ついでながら朝日新聞は「朝日RDD方式」をとっているが、800万読者に限定した抽出方法には批判もある。しかし携帯電話が爆発的に伸びた現在では、RDD方式にも欠陥があるという指摘が出ている。今の若い世代は、固定電話をほとんど使用していない。ところがRDD方式では携帯電話は対象から洩れている。携帯電話の使用族である若い世代が調査対象から外れてしまう世論調査の信憑性が今回の選挙で試されている。今までは携帯電話の使用族は棄権率が高いので、無視してきたといえる。しかし今回選挙の投票予測では、携帯電話の使用族も選挙に参加し、それが投票率を押し上げる可能性が高くなっている。その新しい層に対する調査は、今のところ間に合わない。そこで新しい層が民主党に流れるとみる読売新聞と小泉自民党に流れるとみる産経新聞の判断が分かれてきた。朝日新聞と毎日新聞も子細にみれば、朝日が従来型、毎日が新しい型という違いがありそうだ。また台風の選挙に与えた影響は、コンピューターでも測れない。いろいろな意味で、今回選挙は面白いと思っている。渡部亮次郎のメイル・マガジン 頂門の一針 第164号な、なんだと!朝日新聞の世論調査は、朝日のご都合ファン800万人だけに無作為抽出をかけているというわけか。どうりで50年以上も生きているが、朝日、NHKから一度も電話でアンケートを受けたことがないわけだ。しかも、携帯電話番号を除外している!コラ、コラ。いまどき、置き電話で生きているなど自分のまわりでは八十になろうという実家の母親ぐらいのものだ。この流儀でいけば、母親が電話口にでれば日本国民の世論が形成できるということではないか。ふざけるのも、いいかげんにしろ。
2007年09月11日
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長崎も「5年後破たん」 再建団体転落 知事が厳しい見通し 長崎県の金子原二郎知事は7日、佐賀県が2010年度にも、国の指揮下で財政再建を進める「財政再建団体」に転落する可能性を示したことに関連し「長崎県も2012年度には佐賀県と同じになる。再度、財政の見直しが必要だ」と語り、長崎県も財政が破たんしかねない厳しい状況にあることを明らかにした。 同県佐世保市であった県商工会議所連合会議員大会のあいさつの中で述べた。 金子知事は「県はこれまで2回、財政を見直し、行財政改革もやってきたが、今後は(収支不足のために取り崩す)県の貯金(基金)がなくなってしまう」と述べ、このままでは財政再建団体になる恐れがあるとの見通しを示した。 長崎県は、04年9月に発表した05年度から5年間の中期財政見通しで、07年度に収支不足を補う財源調整3基金がマイナスとなり、08年度には財政再建団体転落の可能性があることが判明。このため、04年度に収支改善対策、05年度に行財政改革プランを策定し、管理職手当削減などの人件費抑制や県有地売却促進、県債の償還を先送りする借換債の発行などで、当面の危機を回避してきた。=2007/09/08付 西日本新聞朝刊= バイクで走り、舐めるように日本の地方を眺めてみると、そこかしこに箱物行政の遺物が立ち並び、その一方で歩道に草茫々のぺんぺん草。アスファルトが割れても平気というようなダラシナサが丸見えだ。その正体は、こんなニュースにもかいまみれる。最近は、整備新幹線問題で長崎県知事の金子原二郎は、佐賀県知事の古川を訪ねていったりするそうだ。財政再建団体転落を泣きつく首長とは、ようするにサイテーの仕事をしてきましたと、露呈したようなものだ。だが、この男。そのサイテーの仕事で全国県知事の6番目の高額給与報酬を取っているのは話題になっていない。裏金し放題で、ついに発覚するや一部返還に応じざるを得なくなるまで、放漫な経営手腕ぶりだが、ここにきて国に泣きついて新幹線誘致だと、国民の税金の無駄づかいに期待をつないでいるらしい。なんのことはない、長崎県の財政破綻の元凶は、金子とこの古川こそ揃ってA級戦犯だろう。長崎県知事、古川康こそ、佐賀県知事金子原二郎の「股肱の臣」で、元長崎県商工労働部長さまだった男だ。怒れ長崎県民、というところだろう。長崎県の商工労働部長という重責あるポストを、ひたすら佐賀県知事立候補運動のために踏み台にして、頭ごとそちらにもってゆかれていた。どだい、長崎県の財政など考えていなかった証左と言うべきか。金子など、観光立国だの、国内観光振興だと動いてはみたが、あまりの無能さに誰もやってこず。いたしかたなく、産業奨励だ、モノづくりだなどと路線をコロコロかえて風をみていたのだろうか。ところが、アメリカで航空機テロが勃発、全国から修学旅行生徒が殺到して、雲仙温泉が隆盛になるのをただ茫然と立ち尽くしていたような手合いである。社会保険庁など、舛添やらなにやらで話題沸騰しているが、生活者の目線でそれぞれの自治体の偉いさんが何をやらかすのか、しっかと両方のマナコで眺めていないと危なくて仕方がない。その点、滋賀のおばさんの方は朗らかでいいよねえ。
2007年09月10日
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これまで聞いた事がなかったが、糖尿病で歯周病を併発するという論ではなく、逆に歯を磨かずに、歯茎を虐待するとどうも歯茎のまわりの歯周病菌が大量の死骸ともども、体内にもぐりこみ、それが糖尿病発症の原因になるのだという見通しが最近できてきつつあるそうだ。なぜ、糖尿病の人は歯周病になりやすいのでしょうか。まだこの詳細な仕組みは解明されていませんが、血糖値が高い状態が続くと、体の免疫機能が低下してさまざまな感染症にかかりやすくなったり、糖分を多く必要とする歯周病菌が増殖しやすくなるためではないかと考えられています。 さらに最近、歯周病になると糖尿病の症状が悪化する、という逆の関係も明らかになってきました。つまり、歯周病と糖尿病は、相互に悪影響を及ぼしあっていると考えられるようになってきたのです。 この関係が明らかになってきた背景には、歯周病が、糖尿病だけではなく、その前段階と言える「肥満」とも密接な関連があると分かってきたことが挙げられます。ある調査では、肥満の人に歯周病が多いということも報告されています(参考記事:肥満の人は歯周病にかかりやすい)。 肥満の人の内臓脂肪には「TNF-α(腫瘍壊死因子)」という物質がたくさん発現しています。この物質は、白血球の一つ、「単球(マクロファージ)」からも分泌されて、炎症反応を活発化させるのに重要な役割を果たしていることが分かっています。 つまり、肥満の人は、常に体内が炎症状態にあると言えるのです。こうした場合に何らかの感染症にかかると、さらに全身の炎症がひどくなるとみられています。歯周病も感染症なので、より炎症が悪化するというわけです。なぜこうしたことが起こるのか、はっきりとは分かっていませんが、私が診ている患者さんの中にも、「風邪のときにハグキの腫れがひどくなるようだ」と話す人もいます。 歯周病菌が、歯とハグキの間の溝である「歯周ポケット」から簡単に血液中に入り込んでいくことも大きな問題です。歯周病菌が血液中に多量に存在すると、致命的な感染症を起こすこともあります。
2007年09月10日
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ただただ、くたびれました。土日で、ざっと600キロ走って来たかんじ。台風がいったあとで風が荒くて、雨にはたたられるしで、バイクは、やっぱり疲れます。ひと風呂浴びて寝ます。でも、純米大吟醸「満寿泉」でいただいた富山湾のばい貝は絶品でした。割烹あら川さんの腕の冴え感動ものでした。
2007年09月09日
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台風の風をさけて待機していましたが、出張してきます。
2007年09月08日
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「米海軍第五空母群のマシュー・モフィット司令官は、キティホークの機動部隊がイラク戦争中、海上自衛隊から間接的に洋上で約80万ガロンの燃料補給を受けたことを報道陣に明らかにした。」 (京都新聞 2003年5月6日)「石川亨統幕議長は8日の記者会見で、イラク戦争に参加していた米空母「キティホーク」への間接的な燃料補給について「キティホークが2月25日に米補給艦から受給する前に、海上自衛隊はその米補給艦に補給している」と述べ、その可能性を認めた。 統幕議長はキティホークがアフガニスタンのテロ掃討作戦に参加していたことを理由に、間接的な燃料補給の正当性を強調したが、米軍がイラク戦争のためにキティホークをペルシャ湾に派遣したのは周知の事実。防衛庁内でも「キティホークがテロ掃討作戦に参加していたとは初耳」との声がある。」 (日経新聞 2003年5月9日)補給艦「ときわ」が「イラクの自由作戦」に参加中の米給油艦「ジョン・エリクソン」にペルシア湾で給油している写真を掲載(米海軍海上輸送団の機関誌『シーリフト』2003年6月号)「海上自衛隊艦船がイラク戦争から帰還。海上自衛隊の曹長が「『ときわ』は同盟軍の艦船に230回以上の給油を行い、600人以上がイラクの自由作戦に参した。『加きりしま』、『はるさめ』が持つ高度な通信能力は、イラクの自由作戦の期間中、同盟軍の艦船を大いに助け、高い有用性を証明した」と述べた。」 (米海軍横須賀基地の機関紙「シーホーク」2003年5月23日号)「5月22日に米海軍横須賀基地機関紙『シーホーク』は、「ときわ」の給油活動、「きりしま」「はるさめ」の通信能力が「イラクの自由作戦」で同盟軍の艦船を大いに助けた、との自衛隊曹長談話を掲載した。翌日、この記事は不注意に基づく誤りだったとの米軍からの緊急発表があった。」 (毎日新聞5月23日)海の上で漁船を装って、麻薬や拳銃の密輸入するのは広域暴力団の得意技だと思っていたが、どうやら自衛艦も平気で、国民の眼が届かないのを良いことにコソコソやるものらしい。よりによってアフガニスタンのテロ制圧に出向くぞ、などと言いながら実のところは、ブッシュ政権のイラク派遣の空母に油を運んだりするのが主務ということのようだ。正直なものでアメリカの第5艦隊の正式なオフィシャルサイトには露骨かつ詳細に表示されている。なんと「日本からインド洋に出ているイージス艦が給油をしている油の85パーセントにあたる8662万9675ガロン(約30万キロリットル)がアフガン戦争ではなく、イラク戦争に送られている」というもの。えっ、みんな知っていたの?どうも知らないのは自分だけだったみたいだな。↓clickできます。
2007年09月07日
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Re:オペラを使ってみる。(09/06) ぼ@んさらさん Opera使いづらいのと、表示は速いんですが、CSSの解釈が他のブラウザとも異なっている場合が多くて、難儀です・・・(笑)FireFoxですかねぇ・・・、IEの次によく使うのは。(2007/09/06 08:07:41 PM)オペラが使い難いという意見は、よく分かります。まさしく、そこがリスクを減らしてくれている理由でもあるのかもしれません。わたしは、オペラをウェブブラウザーのメインとして使っているわけではなくてIEからインポートしておいた「お気に入り」を、駆使してモニター横断的な作業を日常、頻発するような瞬間の私には便利です。行動予定を立てるとき、行き先の地図をMapionやGoogle地図などで眺めながら予定のアポイント先を確認しながら、路線図を表示させて、移動経費を予算するなんて、使い方は結構に皆さんもなさるのではないでしょうか。オペラは、こんな常習的なコースメニューに、スピードダイヤルというものがあってこれで交互に必要情報を眺めながら、エディターで文書作成したり、エクセルで表計算ができるのですが、これをインターネットエキスプローラーでやると書いた文書が吹き飛ぶとかエクセルが隠れてどこにいったのか分からなかったり大変手こずりました。それに、ネット上の複数の資料もマウス移動するだけでモニター切り替えなくても小窓で一瞥確認できるので、これも自分のセンスにぴったりです。ただ、メインでこれを使い続けるというわけではありません。マイクロソフト社のいじわるで、使いにくくなるのは分かっています。過去にたっぷり学習していますから、そこはいいとこ取りなんですね。だから、ブラウザーを毎回選ぶようにしています。やはり、IEは危ないブラウザーだと警戒したほうがいいと思いますよ。
2007年09月07日
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台風に疲れたら、英語でも勉強してひと休み。画像をクリックすると、飛べます。
2007年09月07日
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オペラを、フルに使っているわけではないが探しものをするのはこれで出てゆく。IEは、怖いし、不便だから。使ってみて、オペラの便利な点をひとつ。自分は、バイクで移動している。ところが、あるクライアントが経費精算はJRでかまわないと言われて請求させてくれている。富山も、福井も、姫路などもすべてバイクで移動している自分だ。JRと在来線とバスの旅費で請求してよい。これはありがたいのだけれども、計算は物凄く煩雑な作業だ。これを、IEでやるとほんとうに骨がおれる。ところが、オペラだと、まずGoogleで地図をあけながら、ウィキの路線地図やらを開き、ジョルダンで移動経費をルックアップしながら、エクセルに入力する。どんな凄い移動方法で自由自在に移動しても、これであっというまに経費で、集約できる。マルチタスクに強い。IEの使いにくさは、よく研究されていて仕事によっては、時間の節約が5分の1ぐらいになった。
2007年09月06日
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オペラをご存知だろうか。あのオペラではない、もうひとつのオペラだ。われわれのパソコンで、普段インターネット・エクスプローラーを使っている人は、多いと思う。パソコンのおまけでついて来るので、みな黙って使っているようなもので、当然使っている人は多い。これが、実に始末に悪いのだ。危ないおまけと言うべきだろう。世の中には、善人ばかりではないがWEBに横行する悪さは、入り口にインターネット・エクスプローラーが使われているがゆえに、生じる悲劇が大半ではないかと思う。個人情報を盗むヤカラ、暗証番号や、個人情報を土足で掴みどりしてゆく悪漢どもは、その手がかりを勝手しったるインターネット・エクスプローラーを手がかりに悪さを仕掛けてくるという次第だ。以前から、どうもスパイウェアとやらも実に憂慮すべき事態になりつつあるように印象している。メールに届く、怪しいスパムメールも留まるところを知らない。一説によれば、あと数年でパソコンの性能が飛躍的に向上するために、およそ既存の暗号という暗号が無力化するという見通しもあるらしい。つまり、われわれは、インターネットを使っているがために、事実上、すっぽんぽん。銀座や、心斎橋で、フリチンで走り回っているような状態になりかねないというのである。オヤジはまだしも、女性には気味悪いことも多いだろう。普通の生活者は、そりゃあ困るというものだ。まあ、ご披露して恥ずかしいものはさほど無いとはいえ、たまには預かっているものもあるし、そもそもこちらがご披露しているのに、相手様のコンディションが分からないというのもシャクに触るというものである。それも、これもビルゲィツが悪いとは思わないが、当面このインターネットエクスプローラーには、少し用心するにこしたことはないと思った。デスクトップ版対応OSはBeOS、Linux、FreeBSD、Solaris、Mac OS X (Intel Mac) と、16ビット及び32ビットのWindowsの各オペレーティングシステム。単一ウィンドウ上でタブ切り替えを行うことで複数のWebページを閲覧できるタブブラウザの草分け的存在でもあり、また、IEコンポーネントやGeckoとは異なる独自開発のHTMLレンダリングエンジン(Prestoエンジン)を搭載(このためInternet Explorer、Netscape/Mozillaに続く「第3のブラウザ」と呼ばれることがある)、Web表示の際の動作は軽快かつ拡大縮小表示が可能、Internet Explorerのセキュリティホールを心配せずに済むという面を持つ。10年前のパソコンでも動くことを目指し、プログラムコードをある程度小さくまとめることで高機能と高速化の両立を図っているため、スペックの低いマシンでも比較的高速な動作を実現できるという点もある。このオペラは、とりあえず無料で使えるがかなりな程度は危ない橋を渡らなくても済みそうだ。IEが便利なときには、IEを立ち上げるが、少し調べ者などしてあちこちをネット上で探訪するときには、もっぱらオペラを使うことにした。意外に、使いやすい。普段、カローラを使っている人が、休日にセルシオに乗って遠出したような気分がする。↓いつものように、お節介であるがこの絵をクリックするとタダでoperaが手に入る。
2007年09月06日
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大恩人である。彼の名は、ティム。ティム・バーナーズ・リー氏という。たまたま自分の周囲では誰も知らなかったりするが、どっこい我々の大恩人である。また女王陛下からとびっきりの勲章を何度も貰っているらしいので、無名の人でもない。われわれが恩知らずにも名前を銘記していないだけなのである。あまりお世話になりすぎるほどの、大恩人には皆酷い不義理でこたえるものらしい。彼の恩着せがましくない上に、人知れず健常な市民で過ごされているのは、近頃資本主義の権化とか称して、ふんぞりかえっているホリエモンやらの亜流や、村上ファンドの親分らに彼の爪の垢でも煎じて飲んで欲しいものだと思う。億万長者になることも、軽く蹴飛ばしたのだと断じていいだろう。彼は、いまから20年ほど前に今われわれが空気や水よりも酷使している、インターネットの基本的な仕組み、HTTPやら、URLやらを規格として開発した。開発した以上は、立派に知的財産なのであるのだが、これを地上の法として存在している特許により権利化しなかった。一口で、しなかったというけれども、これは大発明である。大発明であるからには、われわれが日常これを用いずに一日も暮らせないほど、依存体質になっている一事をよくよく省察してみればただちに識れる。もっと、言えば仮定法で彼がPCT国際出願などしておれば事と次第では楽天も、YAHOOも、おそらくはGOOGLEだって存在していなかった可能性だってあるのだ。同じくイギリスのバイロン卿は、気がついたら有名になっちまっていたなどとおとぼけを言うが、この先生は「次」を見ているらしい。それも稀有壮大というのか、同じ視点に立つと腰が抜けるほど、凄い未来に向かってその頭脳はワープしているらしい。あっ、このわが妹と同年の紳士。そのプロフィールは上の画像をクリックしてくだされば詳細に至れるように細工しておりますのでご利用くだされば幸いです。
2007年09月05日
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海好きのバイロンならではの俯瞰だが、「陸の上」と突き放した中には当然自身の貴族として多少の血筋の良さも含まれているのは当然だ。地球温暖化か、排熱地獄だか、知らないけれど迫り来る現下の全般的危機に際して、おのおのの預金通帳の残高にゼロがいくら続いてみても、コップ一杯の冷水と最終的には交換できなくなれば価値は、やはりないに等しいのではないか。無敵艦隊が、大西洋の藻屑と成り果てたのも、バイロンの世界観へ大きな影響を与えたのは想像にしくはない。大海原の上に跡とどめず、とは歴史と自然の前に刻印できる人間の仕事とはほぼ皆無だと、虚無的なまでの突き放しだ。これは革命思想にしばしば同伴する特徴的な感慨だと思う。CLXXIX Roll on, thou deep and dark blue Ocean -- roll! Ten thousand fleets sweep over thee in vain; Man marks the earth with ruin -- his control Stops with the shore; upon the watery plain The wrecks are all thy deed, nor doth remain A shadow of man’s ravage, save his own, When, for a moment, like a drop of rain, He sinks into thy depths with bubbling groan, 土井晩翠の訳詩を具体的に、読み進むと土井自身はバイロンをある種の社会革命思想家の先駆的な姿として了解していたフシがあることに気づいた。ここのところ尋常では、バイロンは女子供の読む恋愛詩人的に取り扱われていて、まともな男は手を出さないような印象がある。だが、これは20世紀冒頭の社会状況が強いたものではないだろうか。ただ、現実にバイロンは日本では遊興の徒、蕩児で散財好きなイメージ。身を持ち崩した旗本御家人みたいな印象で、多少文才があったがだらしなく女好きのカサノバ程度のフォーカスで収容されている。それだけでも、明治大正期には、破格の横紙破りと受け止められたのかもしれないが、、、あまりにもご都合主義なつまみ食いだと自分などは思う。果たして彼は、詩才をひけらかさんがための単なるレトリックとしてこんな不思議なコスモロジーを得たのだろうか?1801~1809 3代大統領トマス=ジェファソン(独立宣言の起草者)1801~1901 ハノーヴァー朝グレートブリテンおよびアイルランド連合王国 都:ロンドン 1805.10 トラファルガーの海戦(英ネルソンvs仏・スペイン) 1805.8 第3回対仏大同盟 1805.10 紀伊の医師華岡清洲が麻酔剤を用い乳癌を手術。日本初の麻酔手術。 伊能忠敬が幕命により伊勢・紀伊・山陽・山陰地方の測量に向かった。 1801 反連邦派が連邦派を圧倒 1803 ルイジアナ西部を仏より買収 1807 フルトン、実用的な蒸気船を建造 1812~1814 米英戦争(英の海上封鎖により経済的自立が進む) 1812 ロマン派詩人バイロン『チャイルド=ハロルドの巡礼』 江戸・浅草龍泉寺村より出火。吉原遊廓が全焼。 1815 杉田玄白『蘭学事始』 1817~1825 5代大統領モンロー 1819 フロリダをスペインより買収 1823 モンロー宣言(ヨーロッパ諸国のラテンアメリカ独立の干渉を排除) 1829~1837 7代大統領ジャクソン(民主党、初の西部出身大統領) 1830 インディアン強制移住法(先住民をミシシッピ川以西の荒野に追放) 1830s 産業革命始まる 1845 テキサス併合(fromメキシコ) 1846~1848 アメリカ=メキシコ戦争 1848 メキシコよりカリフォルニア獲得 1848 カリフォルニアでゴールド=ラッシュ
2007年09月05日
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セレブリティ(celebrity)は、元来著名人・名士を表す言葉で、特別な権力や財力をもつ人間、もしくはそういったグループのリーダーや役職者を表した。時が経つにつれ、芸能・スポーツにおいて、こういった権力者に匹敵するほど権力や財力を持つものが現れ、メディアにより彼らに強く脚光が浴びせられるようになると、メディア露出の多い芸能界やスポーツ界においての有名人の事をいうように変容していった。現在、日本ではセレブと略され、金持ち、優雅、高級、などの意味合いで誤用されている。ばかばかしい。自分が、バイロンに深く傾倒する理由は彼がこのような著名人や、名士「であること」に価値を求めるという唾棄すべき感覚の対極にある生き方をしたことにある。彼バイロンは、れっきとしたイギリス貴族だったが、貴族であることをどこか突き放していたふしがある。CLXXVIII There is a pleasure in the pathless woods, There is a rapture on the lonely shore, There is society, where none intrudes, By the deep Sea, and music in its roar; I love not Man the less, but Nature more, From these our interviews, in which I steal From all I may be, or have been before, To mingle with the Universe, and feel What I can ne’er express, yet cannot all conceal. この詩篇は、彼を世界的に著名な詩人として決定づけた壮大な叙事詩「チャイルドハロルドの巡歴」の最終章にさしかかるあたりで、詩篇のタイトルとは別に「大海の歌」と、別称されることがあるほど有名なくだりだ。高校時代に、英語の時間に習った。The publication of his poem, "Childe Harold", prompted Byron to remark famously, "I awoke one day to find myself famous." 、、、ある朝、眼が覚めたら有名になっている自分に「気がついた」と。ほかならぬ彼自身が、紡ぎだした言葉によって彼の時代の賢者、紳士、淑女の魂を痛打したわけである。彼の詩は、ほとんどルポルタージュのようで小説とも、詩歌ともかけ離れている。とりわけ「大海の歌」と呼ばれるブロックは、ほとんど詩歌のかたちをかりた普遍哲学とでも呼ぶべきもので、個人的にはヘーゲル以上ではないかというほどの「気分」が込められている。わたしは、近代の文豪たちの訳詩の中では土井晩翠のものがもっとも好きだ。国内では、国立国会図書館ほか、全国主要図書館数館にしか現存していないのが残念である。Byron チャイルド ハロウドの巡礼 (英文譯註叢書 第三十四篇 ) バイロン 土井 晩翠 訳 外国語研究社 1932
2007年09月04日
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毎月電子メールでレポートが来る。あの澤上ファンドの月次報告書なのだけれど毎回呆れるのはこの社長の立ち回りの上手さだ。この投資信託は、あの住友金属工業をなんと600万株も保有している。トンでもないお金持ち投信だと思うのだけれども、それがあながちそう言うことばかりでもない。なぜならば、その600万株は、わずか3億6千万円程度で仕込まれたものだ。つまり、天下の住友金属工業を、よりによって株式市場でわずか60円で殺到して売りを入れた時代があるのである。澤上ファンドが、その瞬間にご馳走さまと600万株を仕込んでいる。よくよく考えると、酷い奴だが立派なものである。これから、株式市場は大暴落だろう。アメリカでFRPが金利を下げた。だからして、サブプライムローン債権問題は、片付いた。トンでもないと私は思う。いよいよ、これからだろう。また、9月、10月がやってくる。市場関係者でも、自信がないというシーズンだ。しばらく、下げにつぐ下げだろう。多少損をしても、現金をためちまうにしくはない。事と次第では、企業価値が420円ほどの超優良大企業を100円そこそこで買えるチャンスがやってくるかもしれない。こうなったら、我々貧乏人も居直って、大恐慌を愉しむ。それぐらいの鷹揚な気持ちで暮らすしかないだろう。
2007年09月03日
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不思議な表現があるものだ。どうも死んだオヤジが、留守に母親の持ち物をこそっと持ち出していたらしい。もっとも実家は、オヤジの所有物だし、母親の持ち物とてオヤジが持ち出して悪いというものばかりではない。私物といってもほんとうに個人の持ち物というような繊細なものではなく、こまごましたものが持ち去られてオヤジの居宅から発見された。他愛ないものばかりなのだけれど、遺族の我々の失笑をかっている。たとえば、身の回りの身づくろいをするような糸針のたぐいだ。いまどき、百円均一のショップででもコインで買えるようなものをわざわざ交通費をかけて、母親の留守のあいだに立ち入ってこそ泥並みに息をひそめて持ち出すという感覚が可愛い。どうしてそんな糸針、指貫のたぐいにこだわりがあるのだろう。母親の解説によると、祖母が常々言っていたらしい。女郎買いの「拾いわらじ」というのだ。 江戸時代から、つたわる俗諺らしい。博徒や遊興にうつつを抜かす遊蕩三昧の遊び人は、性根が腐っており遊郭で女郎と閨房事には大枚をはたくことに躊躇がないが、その帰路夜道で落ちている朽ちた草鞋を片足だけでも勿体無いとばかりに拾ってかえり、自分の耕している田圃にほり投げて穀物のための肥やしにしようなどというさもしい行いをするものなのだという。なるほど、わがオヤジは百姓農家の長男惣領でありながら、野良仕事を嫌い都会出奔。商売で一時期儲けたがその金をひたすら酒宴と、艶福をために蕩尽し、家族をかえりみずにひたすら俄かに戦後派新興大尽ぶりを極めんばかりの散財ぶりだった様子。これはわずかに残った資料や郵便物などをもとに推量できる。いわゆる富裕層の定義をいえば、可処分所得が手厚く有価証券等金融資産が5000万円を越えるものとされるそうだが、それならばなるほどかろうじて合致するのかもしれない。しかし、その身の回りの衣料品や下着、ウエアのたぐいの趣味の悪さには格好の哄笑の的であって、しばらく残された家族もたっぷりと笑いのめして愉しめる。わが父親ながら、可愛い人だったのである。しかも侘しくその身づくろいをちまちまと下手な針仕事で手直しをしていて、道具箱ごと母親の住む実家から無断で持ち出ししているのだから、拭いがたい貧乏性というものは滲みいって肺腑にまで至っていたのだろう。よく言えば、戦中派内務班体験者なのだから自助精神を備えていたとも言える。しかし、俚諺とはいえ痛烈だ。【2007年2月12日のアーカイブスです】
2007年09月03日
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CLXXVIII There is a pleasure in the pathless woods, There is a rapture on the lonely shore, There is society, where none intrudes, By the deep Sea, and music in its roar; I love not Man the less, but Nature more, From these our interviews, in which I steal From all I may be, or have been before, To mingle with the Universe, and feel What I can ne’er express, yet cannot all conceal. CLXXIX Roll on, thou deep and dark blue Ocean -- roll! Ten thousand fleets sweep over thee in vain; Man marks the earth with ruin -- his control Stops with the shore; upon the watery plain The wrecks are all thy deed, nor doth remain A shadow of man’s ravage, save his own, When, for a moment, like a drop of rain, He sinks into thy depths with bubbling groan, Without a grave, unknell’d, uncoffin’d, and unknown. CLXXX His steps are not upon thy paths, -- thy fields Are not a spoil for him -- thou dost arise And shake him from thee; the vile strength he wields For earth’s destruction thou dost all despise, Spurning him from thy bosom to the skies, And send’st him shivering in thy playful spray And howling, to his Gods, where haply lies His petty hope in some near port or bay, And dashest him again to earth: -- there let him lay. CLXXXI The armaments which thunderstrike the walls Of rock-built cities. bidding nations quake, And monarchs tremble in their capitals, The oak leviathons, whose huge ribs make Their clay creator the vain title take Of lord of thee, and arbiter of war -- These are thy toys, and, as the snowy flake, They melt into thy yeast of waves, which mar Alike the Armada’s pride or spoils of Trafalgar. CLXXXII Thy shores are empires, changed in all save thee -- Assyria, Greece, Rome, Carthage, what are they? Thy waters wash’d them power while they were free, And many a tyrant since; their shores obey The stranger, slave, or savage; their decay Has dried up realms to deserts: -- not so thou; -- Unchangeable, save to thy wild waves’ play, Time writes no wrinkle on thine azure brow: Such as creation’s dawn beheld, thou rollest now. CLXXXIII Thou glorious mirror, where the Almighty’s form Glasses itself in tempests; in all time, -- Calm or convulsed, in breeze, or gale, or storm, Icing the pole, or in the torrid clime Dark-heaving -- boundless, endless, and sublime, The image of eternity, the throne Of the Invisible; even from out thy slime The monsters of the deep are made; each zone Obeys thee; thou goest forth, dread, fathomless, alone. CLXXXIV And I have loved thee, Ocean! and my joy Of youthful sports was on thy breast to be Borne, like thy bubbles, onward: from a boy I wanton’d with thy breakers -- they to me Were a delight; and if the freshening sea Made them a terror -- ’twas a pleasing fear, For I was as it were a child of thee, And trusted to thy billows far and near, And laid my hand upon thy mane -- as I do here. Byron
2007年09月02日
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バイロンを、義務教育年限に習うことはない。しかし、自分らの世代でバイロンの盛名を知らぬものはいなかった。その理由は、ただひとつだろう。嗚呼、われダンテの鬼才なくバイロン、ヘイネの熱なくも石を抱きて野にうたう 芭蕉の寂びをよろこばず与謝野鉄幹「人を恋うる歌」与謝野鉄幹の唄は、ながく冗長だと思うが、バイロンとはなんぞやという謎だけが残った。いまの五十代は、ほとんどそういう経験があるのではないだろうか。芭蕉が劣り、バイロンがええぞという理由もよく分からない。しかし、自分はバイロンに嵌った。ハイネは、その著述を読むとどうやら左翼リベラルの原基のような精神の持ち主のようだ。一方、バイロンはかなり危ない。どうやらゲバラがお手本にしたのではないかというほど過激で、ほんとうに独立戦争に加担したりした。革命家と叛乱騒擾者のような真似事を実行していたそうだ。彼の伝記を読むと、生い立ちからかなり変わっている。彼は、海が好きでよく泳いだそうだが、足は不自由だったはずだ。それでも水の中では浮力をいかせて足をいたわりながらよく泳ぎ、海の形而上学ともいえる叙事詩を残している。自分らの世代に、レーニンから社会主義を入門するヤカラが多かったのが非常に残念だ。同じ社会叛乱を学ぶならば、ソビエトロシアの陰謀団の統領みたいなレーニンから学ぶよりも、もっと素朴直情径行なバイロンなどと心的同伴をする時代を抱いている方が、遥かに人間的に健常なのではないか、と自分は思う。あまり知られていないようだが、あのスタンダールの「赤と黒」や「パルムの僧院」に登場する主人公が作者に描かれているような行動は、すべてバイロンが先駆的にやらかしている。つまりは、バイロン自身がスタンダールなどの近代小説の下敷きのようなものなのである。バイロンの詩はどれも迫力満点だが、自分にいちばん影響を与えたのは以下の一節だ。彼は海で泳ぎながら、いつもこんなことを考えていたのだろうか。天才というべきだ。彼は、もしや心的体験として大英帝国などと海洋国家を誇示する自らの祖国に対しても、やや尊大なものを印象させられるほどの視点を抱きえたのかもしれない。 CLXXXI The armaments which thunderstrike the walls Of rock-built cities. bidding nations quake, And monarchs tremble in their capitals, The oak leviathons, whose huge ribs make Their clay creator the vain title take Of lord of thee, and arbiter of war -- These are thy toys, and, as the snowy flake, They melt into thy yeast of waves, which mar Alike the Armada’s pride or spoils of Trafalgar. Byron
2007年09月02日
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