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歩いて近代歴史館に行く。1930年代建築の元殖産銀行だったところだ。展示物の中で、映像で戦前の大邱の町中を再現していた。少し満足する。大邱はサムソン(三星)の社長の故郷らしい。また、朴大統領の出身校があるらしく、それのせいかどうか、それなりの発展を遂げているようだ。後で町中を歩いて気がついたが、電気製品が豊富で、大学が豪華なのである。日本建築らしい名残もすこしあった。隣の公園では木を菰でまいていた。韓国でもそういうことをするんだ。啓明大学行素博物館に行く。あまりにも広くてやはり迷ってしまう。着いたのが閉館の40分前。想像以上のりっぱな博物館だった。今まで行ったどの大学博物館よりもりっぱだった。展示も年代別に遺物を豊富に並べていて、非常に充実していた、。日本語の説明は無いが、例えばこの節文土器文様をすべて写真で比較している展示は色々と感じることがあった。これと同じ様な展示は他の文様でも行っており、日本の江戸時代に尾形光琳が完成させるいわゆる「意匠」のデザインの基礎がここにあるのかもしれない、という気がしてきた。その他、古墳発掘の様子の珍しい写真やここは慶州隍城洞(ファンソンドン)遺跡の発掘をした大学らしく、鉄の溶解操作、鑿の鋳造操作の解説も分かりやすくしていた。慶尚北道金泉の青銅器時代の松竹里遺跡の発掘はここがしたらしく、その遺物の解説が非常に充実していた。住居が完全に建物になっている。日本の弥生時代の住居と違うのは何故か。蔚山の有名な壁画を時代ごとに色分けして復元していた。面白い試みだと思う。ロッテでコーヒーを飲みながら少し休む。こういうときに日記をつけるのであるが、全てを書ける訳じゃない。時間を見つけてまた書き足していくのである。そのロッテの前にタイソ「大韓民国代表生活センスストア」と大げさな名前を謳った韓国ダイソーの三階建てのビルがあった。このダイソーの店は時々見かけて気になっていたのであるが、こんな大きな店は初めてみた。日本でもダイソーに入れば必ず想定以上のものを買ってしまう私です。入って気がついたのは、ここは1,000w均一になってはいない。1,500w、2,000w、3,000w、5,000wと色色あって全部値札がついている。もうひとつ気がついたのは、実用重視より遊び心重視だということだ。素行博物館でも見た文様の「諧謔」精神がここにもある。このメモイットなんてかわいい。左下の丸い顔シリーズを買った。本へのメモに重宝した。これは携帯ストラップを自前で作るためのキッドである。イヌと熊を買った。姪に対するお土産である。(←安すぎるで)その他色色買ってしまい、やはり想定以上になった。夕食は大学前で食べた。安い店が多いだろう、と思ったからである。しかし、あにはからんや、少ない。ともかく肉料理が食べたかったのでソコギ汁飯4000wというのに連れられてこの店に入る。ソコギクッパと焼酎を頼む。出てきたおかずがこれ。いかにも学生街といったオカズだ。案外美味しかった。なくなるとお代わりしてくれた。驚いたのは、この店にいかにもみすぼらしいおばあちゃんの行商がやってきたのである。地下鉄での行商はよく見るが、食堂では初めて。お店も黙認。買う人もいた。国の習慣といえばそうなのだが、「階層社会」というようなものを前提にした習慣のような気がする。私は一度も買ったことは無い。ソコギクッパはどうやら素コギ(肉)汁飯だったようだ。ホルモンの破片らしきものがあるだけの簡単な汁飯だった。もうひとつ気がついたのは、上の写真はいかにも学生男3人女1人のグループであるが、彼等はみんなスマホのしかも薄い奴(高い)を持っていた。この大学は見た目もそうなのだが、きっといいところの坊ちゃんお嬢さんが来るところなのだ(キッパリ)。女性はあの小さいサツマイモの皮をむいて食べていた。これはいいところのお嬢さんがする行為である(キッパリ)。当然彼等は一人前8000wする焼き飯のほうを食べていた。地下鉄を乗り継いで帰った。今日は段取り不足から、朝ボーとした時間や、迷いに迷って時間合計4時間ほど浪費してしまった。反省。コーヒー1,500 バス9,200 地下鉄5回6,000 昼食8,000 コーヒー1,200 ダイソー8,500 夕食7,000 宿代25,000合計 66400w歩数 19849歩
2012年07月31日
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韓国旅行に行く前に、去年の年末の旅行レポートの片をつけておかないといけないですね。あと4日分残っていました。出来るかどうか分りませんがやって見ます。12月27日(火)晴れ 旅の5日目。朝7時、オンチョンジャン(温泉場)旅館をあとにする。知らなかったが、西部バスターミナルは大幅改装していた。ピカピカになったターミナルに行くと、大邱行きの一番バスは7:00だった。次は8:40。しまった、こんなに間が開いているとは思わなかった。段取りで大失敗。仕方ないのでマックでコーヒーを飲みながら時間を潰した。きっちり8:40のバスに乗る。バスは思ったより時間がかかった。ナムチとチャンニョンに寄ったからである。チャンニョンでは立ち席が出るほどに人が入ってきた。隣におばあさんが座る。ちょうどチャンニョンの古墳群について聞きたかったので「一つ質問いいですか」「うん」「チャンニョン古墳群知っていますか」「知ってるよ」「バスセンターからどれくらいかかりますか」歩いて、というのが伝わらなくてタクシーでと言い換えた時に30分といわれた。タクシーで30分ならば相当遠い。諦めなくてはならないか。大邱に着いたらもう一度聞いてみよう。おばさんと上手く会話できなかった。「アボジはいるか」と聞いてくるので、韓国に親戚はいるかと聞いているのだと思い「観光です」と答えた。私の持っている韓国語の料理の本に興味を持っていそうだったので「どんな料理が好きですか」と簡単なことを聞いたのに答えてもらえなかった。発音が悪いのか。すっかりしょげる。大邱西部バスターミナルに着いた。ターミナル横のテアジャンモーテルに入る。25000wというので即決。部屋はシャワーだけだけど、まあ満足。先ず観光案内所に行って地図をゲットしないとどこにもいけない。去年池山古墳群に行った時に聞いた大邱駅前の案内所へ地下鉄で直行。女学生がなぜかドーモくんの手提げを持っていた。大邱の地下鉄もやはり値上げしていた。駅に着くと、前あったところに案内所がない。駅の構内の移ったのかと思い、聞いてみると観光案内所と言いながら観光地図がひとつもない。地下のインフォメーションでも聞いたが、地図は無いという。30分ほどウロウロして、仕方ないので1330の日本語通訳電話にかけてみる。4-5回かけてずーと不通だった。昼休みで席を外しているとか。業を煮やして繁華街であるはずの半月堂駅にいってみる。しかし、駅構内に詳しい地図は無い。外に出たところでこんな簡略地図があった。遠くに百貨店は見えるが繁華街じゃない。最終手段は本屋を探して地図を買うことだと思いながら、とりあえずは歩いていると、カン・トクソン殉教記念館というのがあった。たぶんキリスト教徒の有名な人を記念した資料館だろうけど、ひらめいたのは、ここのパンフに観光地図が載っているのではないかということ。展示物は全く興味なかったけど、パンフは当たりだ。すぐ近くにヤクチョンコルモク(薬局横丁)がある。初めて大邱にきたとき其処に観光案内所があったことを思い出した。おお、やっぱりここだ。暫く歩くとだんだく思い出した。これは薬令市展示館。この博物館の横に確かあった。やっぱりあった。大邱に来て既に2時間が過ぎていた。ここで大邱の博物館情報とチャンニョン情報を聞く。30分はやはり「歩いて」30分だった。これなら、明日は12時大邱出発でOKだ。30分くらい色々聞いた。朝から何も食べていない。近くの食堂でカルビ定食を頼む。てっきり牛肉定食だと思って頼んだのだが、煮魚(カルビ)だった。コストパフォーマンス的にはそれなりのオカズだった。可も無く不可もなく。生牡蠣が出たのが嬉しかった。
2012年07月29日
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今度の韓国旅行は8月7日出発に決まりました。少なくとも20日以上は行くつもりです。予算は15万(努力目標です)。よって、いつものように関釜フェリーで2-3万の^部屋を探しての貧乏旅です。Wi-Fiを借りれば、iPhoneでインターネットが出来るというのですが、課金されるのではないかという疑いが晴れないし、釜山で借りる方法もわからないということで、いま一生懸命データをiPhoneのEvernoteに流し込んでいます。果たしてどうなることやら。ということで、図書館からせっせと本を借りては気になるところはPDF化して流し込んでいるのです。「旅行ガイドにないアジアを歩く 韓国」梨の木舎いわゆる日本の戦争責任を問うガイドブックである。目次だけをみると、定番のパゴダ公園やら西大門刑務所やらナヌムの家やらで、一通り見たような処ばかりだったのであるが、よく見ると、知らない事も多かった。びっくりしたのは、パゴダ公園のレリーフは3.1独立運動を公園から始めて逮捕されるまでの「物語」だとばかり思っていたのであるが、なんと一枚づつ各地域の独立運動の説明文だったのである。よって有名な柳寛順の凛々しい姿は7番目の忠清南道天安のレリーフのみに登場する。高宗が日本軍の包囲から脱出してロシア公館に逃げ込んだ(1896)事件の旧館の場所にも行ってみたくなった。今度の旅は、幾つか閔妃(明成皇后)ゆかりの地を巡る旅にもなりそうだ。2012年7月20日読了「小さな駅を訪ねる韓国ローカル鉄道の旅」イム・ビョングク 平凡社純粋に鉄道マニアの(しかも駅舎マニア)ための本。しかし、巻末に駅から歩いて行けるお勧めの食堂一覧というのがあり、鉄道路線の簡略地図もあった。それだけはiPhoneに落とし込んで持って行こうと思う。2012年7月26日読了「マッコルリの旅」著者: 鄭銀淑 東洋経済新報社 / A5 / 2007-07-26ISBN: 9784492042847価格: ¥1,890実際はなかなか行っても、ヘビーな処ばかりなので参考になる処は少ない。けれども、プヨの近くの江景(カンギョン)にはぜひ行ってみたいと思う。百済の都の当時の姿は案外こんな処にあるのかもしれない。青洲に行ったなら、三味(サンミ)チブも良い。ちょうど青洲大学向かいだそうだ。マツコルリ(やかん)3000w、へムルパジョン5000wらしい。なんやかんやと行きたい処は増えて行く。2012年7月20日読了
2012年07月28日
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またまた韓国長期一人旅をしてきます。前回、段取りの悪さで苦労したので出来るだけ準備しようと思って色々見ているのです。こういう本を読むこともその一つです。「韓国歴史地図」韓国教員大学歴史教育科 平凡社高い本なので、韓国旅行の下準備で韓国古代の復習のために借りたのだけど思った以上に良い本だった。古代の処しかみていないが、韓国の博物館によくある古代文献をそのまま歴史的事実の様に表示する様な事はせずに、良心的な記述になっていた。ビジュアル的に作ってくれると、複雑な古朝鮮から三国時代に移る様子がやっと頭に入った様な気がする。細かい戦闘も、地図に落とし込んでいるし、近い将来買ってもいいかな。ただ、遺跡の場所が大まかに地図に落とし込んでいて、地名もわからない。よって、この本で遺跡巡りは到底無理。そこは(他は変に詳しいので)詳しく書いて欲しかった。 【送料無料】韓国歴史漫歩 [ 神谷丹路 ]旅の案内かと思いきや、「日帝」か行って来たことをルポする本でした。本気で行きたいと思った統営・道南にある「岡山村」(戦前、岡山県の住民が沢山住んでいたという処)は、いくら韓国の優秀なサイトNAVERで調べても出てこない。明成皇后ゆかりの地、驪州は、行けるかもしれない。2012年7月19日読了
2012年07月27日
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今年も国民平和台行進を歩きました。16日に岡山入り。その日に梅雨明け。あとはずっと炎天下での行進だったようです。今日は広島入りです。笠岡市役所で通し行進者の渡辺さんの挨拶。このコースか私が一番好きなコースです。なぜなら、半日ですむし、古い町並みを歩くことが出来て、興味深いし、めがね橋で有名な菅原神社での休憩は気持いいし、城見幼稚園の幼児達の可愛い応援が毎年あって元気つけられるし、ソーメンの振る舞いがある。今年は三杯も食べることが出来ました。広島に入ったとたんに、横断幕でお迎えしてくれました。大門の公園で引継ぎ集会です。あと8日、広島平和公園までがんばってください。
2012年07月26日
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「安曇族と徐福」亀山勝 龍凰書房著者は、民間の郷土史家ではあるが、乱暴な論を立てる人が多いなかでかなり実証的に論理を進めていてびっくりした。著者は本来は安曇族という中国からやって来た海の一族が、弥生時代初期の文化を担ったことを証明しようとしたのだろう。私の関心領域は、弥生晩期にあるので、その辺りはいずれ機会がある時にゆっくり読むとして、とりあえずその前提として、韓半島と中国大陸の海の交通を黒潮の流れから推理し、順構造船が出来る前は、釜山から福岡に渡るには、丸木船では無理があり、中国遼東半島からの流れによって来たのだという推理に大いに唸った。一方では、日本から釜山に渡るのは可能だと云う。その辺りに、いろいろとドラマを感じるのは、私だけかもしれない。黒潮を高速道路の様に表現しているのは、なかなかでした。
2012年07月25日
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8月韓国旅行の事前準備の一つである。(←あまり準備にはならなかった)「倭国史の展開と東アジア」鈴木靖民 岩波書店一冊10500円もするので、当然買うことは出来ない。今年の2月刊行、最新の情報が得られると期待していたのであるが、主には2000年代の論文が中心だった。基本は文献史家。資料批判が何処迄なされているか、さっぱりわからないので、あまり参考にならなかったが、一応、彼は日本の書物だけではなく、韓国刊行の書物も一通り目を通しているらしく、アジアの視点からみようみようとしており、刺激を受けた。帯方郡、楽浪郡の成立から滅亡に至る数百年は、そのまま私の目指す弥生動乱、倭国統一の時代でもある。これからもうしばらく考えていきたい。以下防忘録二世紀初頭の107年、倭国王師升等が、生口多数を献上し、安帝に会見を願ったという。(「後漢書」)しかるに倭国王師升とは、倭の面土、すなわち面土=末盧か、イト国かの首長であり、彼が北部九州の小国群の統合体を代表して後漢に入すたのである。奴国を代表する統合体は楽浪郡の後援の元に成立していたので、面土国王は、奴国の側近にして使者という立場で後漢に赴いたのである。(3p)「魏志」東人伝に見られる祭祀での共通部分。ト占は、朝鮮、日本共によく見られる。殺牛(扶余)は、六世紀新羅の迎日冷水碑、等に記され、日本でも「続日本紀」以下の史書に記される。渡来人の影響があったと思える。鬼神(馬韓、弁辰)は先ず農耕祭祀。他に多様な祭祀。(1)春の種下し、秋の収穫、労働感謝(馬韓、弁辰)(2)祖先(祖霊)祭祀(馬韓)、(3)星まつり(高句麗)、(4)社稷(土地神、穀霊)(高句麗)、(5)祭天(高句麗、サイ、扶余)天神(天体)(馬韓)、(6)軍事(戦争)(扶余)、(7)大穴(高句麗)、(8)山川(サイ)、(9)虎(動物神)(サイ)1-4、8は、東アジアの普遍的民俗である。6の例は「日本書紀」で、蘇我物部戦争で、厩戸皇子が四天王像を作り、祈願戦勝をしたという。(71p)楽浪郡、帯方郡の滅亡(312)の後、金海での鉄器の集中と倭系遺物の出土から、既存の流通ルートが変わった。金海は、人的・物的流通センターとなった。(91p)239-247年、魏の公孫氏駆逐を契機として行われた倭国王の帯方郡、楽浪郡との外交は、生口・布・錦・白珠(真珠)・青大勾玉などの特産品を献上し、代わりに各種の高級品を回賜されるという交易の側面を濃厚に帯びていた。当然、経由する弁韓にも外来の物資が行き交い、流通した。金海の大成洞墳墓群や少し時代を遡る良洞里墳墓群で出土した中国東北系の遺物、おおが木槨墓が受容されたルートの一つだろう。(92p)180年の倭国争乱頃、弁韓南部でも同金海の鳳凰洞などの高地性集落、大成洞墳墓群などでの鉄ていの集中的な出土、昌原・城山の製鉄遺跡、義昌での鉄状鉄製品の出土、加えて洛東江下流域での鉄鉱山の分布、などを考え合わせると、鉄を巡る覇権洗いの起こった可能性は十分に考えられる。例えば、「三国史」列伝の脱解王の居道が居漆国とキト?王国を攻略した説話を、キト?王国を蔚山地方に比定し攻略の目的を鉄生産を巡る争いと解釈する説かある(李賢恵1998)。2012年7月11日読了
2012年07月25日
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「咲、白磁の小さな壺があったな。あれを持ってきてこの手に握らせてくれないか」 すっかり熱は下がったようなおだやかな表情であった。咲が巧の手に小さな八角壺を握らせた。巧はそれを頬に当てた。「冷たくてとても気持ちがいい」 そつ呟くのを聞いて咲は、巧の熱がまだ高いことをさとった。「白磁というのは本当にいい。こんなに冷たくて気持ちがいいのに、見つめていると心は温かくなってくる…」(まるであなたの人柄そのものじゃあないですか、白磁の温かさは) 咲は巧の呟きに対して、心の中で答えた。 巧の病症は一時回復の兆しを見せた直後、再び悪化した。(148p)「白磁の人」二宮隆之 河内書房映画「白磁の人」を観て、今も韓国の人たちの敬慕の対象であるという稀有の日本人、浅川巧について興味を覚えた。興味を覚えると、いろいろ知りたくなるのが私の悪い癖で、先ずは原作を読んだ。ついでに言えば、八月の韓国旅行の準備でもある。浅川巧の墓参は一つ決定している。映画は見事にこの原作を換骨奪胎、脚色していることを知った。悪軍人小宮中尉は、原作では途中で心を入れ替える事になっているが、映画では敗戦時に朝鮮人によって袋叩きにされる。映画では最も感動的だった巧の母親のエピソードは、原作では全く入っていない。著者も書いているが、巧の態度は「クリスチャンだったから」というよりも「巧という人間が持っていた心の純粋さ」からきたものだと私も、思う。浅川兄弟や柳宗悦の民芸運動は、朝鮮民芸の発掘に貢献したかもしれないが、当時の日本の植民地政策に何の痛痒も与えなかった。むしろ、武断政治から文治政治に移る時に利用された感さえある。個人は時代を変える事のできない事の証左でもあった。しかし、一方では、個人は人を変える事が出来る。それは、一粒の種かもしれないが、40年後の日韓新時代の一衣帯水に花開く事もあり得るのだとも思う。まだ、それは道半ばではある。
2012年07月24日
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22日、「オスプレイは岩国にも沖縄にもいらない配備反対緊急岩国集会」に行ってきました。岡山からはバスや自家用車、電車などで76名が参加しました。行きのバスの中で、平和委員会名誉会長の中尾元重氏が分厚い資料を用意して、じっくりと学習をしてくれまました。幾つか知ったこと。●オスプレイは96年より、15年間配備計画の噂はあったが、明確にされないまま隠ぺいされていた。沖縄の反発を恐れていたのだと思われる。●6月27日、低空飛行訓練は公表されている6ルート以外に、中国山地を縦断するブラウンルートでも実施されることが明らかになった。●7月19日、全国知事会は「MV-22オスプレイの配備及び飛行訓練に関する緊急決議」を採択した。●日米地位協定を見る限りでは、確かにオスプレイの様な「合衆国軍隊とその装備の日本への配置、合衆国軍用機の飛来」等は「事前協議」の例外とされていて,この協定がいかに屈辱的ななものかがわかる。●オスプレイの能力は、現在配備されているCH-46と比較して、最大速度は約2倍、当裁量は約3倍、行動半径は約4倍になる。米軍がこだわるのは、当然、周辺諸国への脅威にもなる。●オートローテーション(自動回転)能力は欠如していることが、元幹部軍人より暴露されている。「配備強行の背後に米議会や軍需産業の圧力がある」と言っていた。●米軍の資料(環境ビュー)には、「地上500フィートの高度で訓練飛行を実施する」と明記している。完全に低空飛行である。たった150m上空だ。その後、その150mも無視してオスプレイは62mで飛ぶこともありうることが集会に中で明らかにされた。2時から集会は始まった。主催者あいさつで吉岡光則実行委員長は冒頭青森でF16が落ちた、と紹介。「米軍はやけくそになっている」明日はオスプレイ配備予定だ。抗議行動が予定されている。「たとえ陸揚げされても、粘り強い戦いで、飛べない状況を作りオスプレイを錆びつかせよう」とあいさつした。参加は1100名で成功した。大学生の挨拶もありました。デモに出たら、沿道の人たちの拍手、声が聞こえる。こんなに周りが暖かいデモも久しぶりだ。帰りのバスで参加者の声。「沖縄の発言、かんどうした」「初めてデモに参加した。大変だったけどよかった」「集会は30数年振り。アメリカは日本を守らない。低空飛行にしても日本の法律を無視している」「岡山の行進が一番元気が良かった」「歴史的な戦いの第一歩だ」「きてよかった。なんだか、私たちやれるんじゃないかなという気がしてきた」等々興奮冷めやらぬようでした。オスプレイは翌朝岩国港に入港した。
2012年07月23日
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あの日、君と Boys (集英社文庫) (文庫) / ナツイチ製作委員会/編 伊坂幸太郎/著 井上荒野/著 奥田英朗/著 佐川光晴/著 中村航/著 西加奈子/著 柳広司/著 山本幸久/著「今まであちこちの学校に通ったけどさ、どこにでもいるんだよ。『それってダサい』とか、『これは格好悪い』とか、決めつけて偉そうにする奴が」「そういうものなのかな」「で、そういう奴らに負けない方法があるんだよ」僕はその時はすでにブランコから降り、安斎の前に立っていたのだと思う。ゲームの裏技を教えてもらうような、校長先生の物まねを伝授されるような、そういった思いがあったのかもしれない。「『僕はそうは思わない』」「え?」「この台詞」「それが裏技?」(「逆ソクラテス」伊坂幸太郎)安斎くんや僕や優等生で美少女の佐久間さんは、いつも担任の久留米先生に貶められる様な扱いをされる(結果的にクラスでいじめを受けている)草壁くんへのみんなの先入観を打ち破る為に、様々な仕掛けを画策する。大津のいじめ自殺(殺人)事件が喧しい。イジメで自殺した教室に、安斎くんは必要だったかもしれない。伊坂幸太郎は、参考文献に「超常現象をなぜ信じるのか」(菊池聡)をあげているが、この題名の権威と言えば、安斎育郎氏が有名な事は、伊坂幸太郎も知っているだろう。だから、隠れ主人公に安斎くんと名付けたのだと思う。更に言えば、これをきちんと理論だてて何度も言及していたのは、安斎育郎も敬愛していた加藤周一である。事実認定は科学の領域である。しかし、価値認定は文学や思想や「個々人の思い」の領域であって、それは明瞭に区別されなければならない、とずっと言っていたのである。イジメは価値認定を事実認定であるかのように押し付けられる、クラスの中の一つの運動だろう。更に加藤周一は、ベトナム戦争で「なぜ文学者や素人の市民が結果的に正しい判断をしたのか」という事も言っている。政治学、あるいは歴史学の場合には、学問が進めば進むほど歴史的な現象が現在起こっていることの必然性を理解することになるので、進めば進むほど批判力が低下する。そう考えると、なぜヴェトナム反戦運動が数学者と英文学者から出て政治学者から出なかったかが説明できる。(『私にとっての20世紀』)この「あの日、君と」という短編集、夏休みのためのオリジナル文庫である。伊坂幸太郎は今回この文庫のために、書き下ろしの短編小説を書いた。専門家が跋扈する「原発」時代の少年少女や我々に必要な「文学」を感じているのかもしれない。「僕はそうは思わない」それは、イジメから脱出するためにも、独りデモに参加するためにも、有効な呪文になり得るだろう。さて、この文庫、結局みるべき短編が載っているのはこの伊坂幸太郎と、奥田英朗「夏のアルバム」、西加奈子「ちょうどいい木切れ」だけだった。あと五人も中堅どころの作家がかいているのだが、なんだか小説家志望の作文の様に感じた。奥田英朗も、西加奈子も、初めて読んだが、やっぱり有名な作家は有名なだけはあるのだ。2012年7月8日読了
2012年07月22日
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「近藤義郎と学ぶ考古学通論」近藤義郎 青木書店近藤義郎は、考古学を学び出して佐原真と並んで私の最も尊敬する先生であるが、この本を読んでその感を更に強くした。これは、近藤教授が定年退職して96年に一年間行った市民講座の内容を纏めたものである。目次だけをみると、大学の概論と全く変わりない。しかし内容は、例や閑話として話される内容は、ほとんど文明論であり、思想書である。まさに日本考古学の「資本論」といった趣がある。マルクスも、難しい経済理論の中に彼の凡ゆる思想をぶち込んだのである。ある時には、毒舌の様な、世の考古学徒批判も述べる。「神がかりで歴史を書いたり喋ったりしたら、どうしようもない。(7p)」「このビルの前に本屋があるでしょう(←紀伊国屋のこと)。あの三階に考古学の本がありますね。あの本のうちの八割までが迷論珍説の類です(笑)。(略)いろいろな物が氾濫し、世の中グチャグチャになっているわけですね。(74p)」日本の歴史的な誤りもきちんと批判する。「日本が朝鮮を植民地にした時の「略奪的発掘」も「考古学者もどき」が行っている。遺物の返還をしないといけない。「北朝鮮には全く返還しておりません」(27p)」しかも、応援の証として、近藤教授は、定年の時に自分の蔵書のほとんどを釜山大学に寄贈しているという。(65p)こういう指摘もきちんとしてくれている。「岡山市と倉敷市は、発掘にあまり一生懸命になっていない岡山県下の地方公共団体の両雄です(笑)。(72p)」ホントつくづく思うが、岡山県ほど郷里の文化的価値について自覚していない県はないのではないか。近藤教授は、物事を批判的に見る目がものすごくあった人だと思う。それは、文明や文化を見る視点でも同じだった。ノコギリだけでも、日本には数百種類もあった。それが現代ではチェンソーという単純で画一的に機械化された一つの物に凝縮されている、という例を見せながら、近藤教授は「これははたして進歩といえるのかどうか」という深刻な「問い」を発している。(88p)日本には沖縄と北海道という違う文化があったことは知られているが、近藤教授は更に八重山列島文化とオホーツク文化の存在も指摘する。「現代の日本文化の中にオホーツク文化も、八重山文化も、沖縄文化も、アイヌ文化も、少しづつ生きている。どこか生きているんです。やはり我々はそのことを大事にしなければならないだろうと思うわけであります。」(156p)最も発達した戦いの道具として、核兵器が出てきた。核兵器が人類の進歩を示すのかどうか、「万歳万歳、人類の進歩万歳」といえるのかどうか、僕らは考えなくてはなりません。何千年もの人類の歴史を見ることによって、「それじゃ人間はどこで間違えたのか」という問題を考えなくてはなりません。(228p)その他にも近藤教授は、食糧汚染、大気汚染、温暖化、いじめなどの若者の考え方が荒んだ方向に行っていることなどを「現代の課題」としてあげている。「そういうなかで、我々人類が確信もてる思想は一つしかないと僕は思うんです。民主主義の思想だけ、だと。(241p)」2012年7月13日読了
2012年07月21日
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「初つばめ」藤沢周平 実業之日本社文庫 町を横切って堀ばたに出たところで、目の前をすいと掠めすぎたものがあった。そのものはあっというまに白く濁ったいろをしている春の空に駆け上がり、陽射しをうけてきらりと腹を返すと、今度は矢のように水面に降りて来た。 ーおや、つばめだよ。 となみは思った。立ちどまって、水面すれすれに下流の八幡橋の方に姿を消すつばめを見送った。今年初めて見るつばめだった。今年どころか、何年もつばめを見たことなどはなかったようにも思う。(202p「初つばめ」)「松平定知の藤沢周平を読む」選という副題がついている。松平定知が朗読番組で紹介した作品を集めたという。ほとんどは今まで読んだことのある短編のアンソロジーである。けれども、こうやって買ってみなければ、案外再読の機会は無いのだと思い知った。次は何が出て来るのか、という愉しみもある。本棚の奥に眠っている文庫の再読では、読む前に読んだ気になる短編も幾つかでてくるので、興が削がれる事があるのである。人が選んだものならば、ほとんど最後までラストを思い出さない。藤沢周平の短編は、設定が全く同じでもラストが違うという作品が多いからである。松平定知が朗読を始めたキッカケになった「踊る手」は、最初から最後まで全く記憶になかった。藤沢の市井ものは、全部読み尽くしたと思っていたが、もしかしたら目こぼしがあったかもしれない、とかえって嬉しくなった。久しぶりに読むと、やっぱりなんという透明な文章なんだろ、と思う。「踊る手」は最初から最後まで子供の視点での話だった。途中で大人になったりはしない。それでいて描いている世界は、大人の貧困の世界で、しかもラストはなんとなく明るい。成る程、名作だと思う。「初つばめ」の場合は、まるで短編の教科書のように、「つばめ」の文字を借りて、弟の為に苦労し通しだったなみの人生が好転する萌しが鮮やかに描かれていた。どのように教科書なのか。‥‥‥それを説明するのはやはり「やぼ」である。ただ、「何年もつばめを見たことがなかった」やえの半生を想うばかりである。2012年6月21日読了
2012年07月20日
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今月の労働組合機関紙に載せた私の映画評です。これで34回目の連載。来月から四年目にはいります。今回の分使用には少し力を入れました。何しろ、去年のベストワンですから。でも、実際はこの倍以上の文章があるんですよね。削りに削ってしまいました。『マイ・バック・ページ』 昨年観た114本の中でマイベストワンです。例によって、マイナーな部類に入る作品です。でも、どうしてこれが各賞を逃したのか、私は不思議でならない。緻密で無駄の無い脚本と緊張感のある演技。そして主演は妻夫木聡と松山ケンイチなのです。 ただ、扱っている素材が70年代学生運動と有名では無い朝霞事件(過激派が武器を盗むために朝霞駐屯地に入り自衛隊員を殺害した事件)なので、敬遠されたのかも知れません。映画評論家川本三郎(映画では沢田)が朝日ジャーナル記者だった時に関わった事件の告白本が原作になっています。運動家に憧れる学生(梅山)が、嘘と弁舌で周囲を騙しながら抜き差しならない処へ入っていきます。 観た直後は、力作だと思いながらもむしろ作品に反発を感じていたのです。松ケンのマヌーバーな雰囲気は良く出ていたけど、結局は当時の過激派に寄り添う作品ではないか、と。しかし、後になればなるほど気になるセリフと場面があり、正直、この一年ずっと頭から離れなくなってしまいました。 沢田と映画デートした女子高生(忽那汐里)が云います。「私は男の人が泣くのを見るのは、好き。『真夜中のカーボーイ』でダスティン・ホフマンが、怖い、怖いって、泣いていたでしょ」沢田「泣く男なんて男じゃないよ」女子高生「そんなことない。私はきちんと泣く男の人が好き」。 忽那汐里(くつなさおり)は、最近でこそドラマCMで引っ張りだこですが、この時はまだそうでもなかった。私は初めて彼女の真っ直ぐな瞳に魅力を覚えました。 果たして、ホフマンはどう泣いたのか。私は『真夜中のカーボーイ』を二回観てみました。ホフマンは全く惨めに死ぬのが怖い、と言い死んでいきました。しかし、本当に惨めに泣くべき人間は彼のすぐそばにいて、彼はその事になんと最後まで気がつかなかった。そんな映画でした。 その構造がそのままこの映画にもシンクロしている。映画で、惨めに泣いたのは沢田だった。(それは、この作品の一番の見どころです)しかし、梅山は見事に何が悪いかに気がついていないのです。私は原作も読んでみた。すると、川本三郎は、確かに朝霞事件については反省している。しかし、当時の過激派の運動については、未だに間違いに気がついていない。よって、本当に反省していないと私には、思えました。現実で惨めに泣いたのは、学生運動が壊滅した後に大学に入った私たちなのかも知れません。 「きちんと泣く」ということはどういうことなのか。私はこの一年ずっとこのセリフに引きずられているのです。
2012年07月18日
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6月に見た映画は全部で7作。全体的に力作ばかりだった。毎年6月、つまり春休みと夏休みの端境期に好い映画がやってくる。7日(木)inMOVIX倉敷『ミットナイト・イン・パリ』いっとき、ウッディ・アレン映画を寅さんの代わりにしようと決意した事があった。毎年毎回失恋して終わるので、癒されると思ったからである。しかし、試みは失敗に終わった。所詮ニューヨークのブルジョワ知識人と自分とでは住む世界が違うと、悟ったからである。そうは言っても、日本の某喜劇監督よりは、よっぽどこちらの方が好みではある。可笑しくて哀しくてチョット人生の機微を見せてくれる監督の作品をこれからも観て行きたい9日(土)inシネマクレール「別離」イラン映画ではあるが、戦争や貧困の話ではない。宗教がバックボーンにあるが、多分どの国でも共感し得る所がたくさんある。だから、ゴールデングローブ賞&アカデミー賞で外国映画賞を獲ったのだ。普遍的な「家族」の話である。 * 監督、脚本:アスガー・ファルハディミステリー的な要素もあるから、最後まで目が離せない。イラン独特の宗教生活と男性社会を折り込みながら、まさかの法廷劇に移っていく脚本は流石です。ふた組の家族は、一方は進歩的、一方は貧困層、対象的なようではあるが、相手を嫌いじゃないけど上手くいっていない様子が良く描けていた。そして、なんと全員少しづつ嘘をついている!全ては愛する人を守るために。全ては自分のエゴと弱さのために。前作「彼女が消えた浜辺」は見逃した。今度観てみようと思う。アルツハイマーのお爺ちゃんが喋らなくなったのは、もしかしたら「演技」だったのかもしれないね。11日(月)inシネマクレール「ポエトリー アグネスの詩」詩作教室の先生は「今、詩は死につつある」という。しかしながら、ソウル郊外でまだこのような詩の朗読会が盛況を博していること自体、日本と「水準」が違うということが分かる。66歳のミジャも、中学三年の孫も、娘アグネスが同級生に乱暴を受けて自殺してしまった母親も、みんな言葉に出来ない想いを抱えている。ミジャや詩作教室の生徒たちは、一様に詩作は「難しい」という。呟く様に俳句や短歌をものにする我々にはまた違う次元の「言葉」が彼の国にはあるのだろう。聖書は神との約束であり、それとの葛藤を前作「シークレット・サンシャイン」で描いた監督は、今度は「主体的」に紡ぐ詩によって、自分と世界との葛藤を、あらゆる美しさ、醜さ、移ろいゆくもの、確固としたものとの葛藤を描こうとしたのであろう。最後の場面をどう捉えるかは、観客に委ねられてはいるが、私はミジャの採った行動はひとつしか無いと思う。監督・脚本:イ・チャンドン出演ユン・ジョンヒ:Mijaイ・デヴィッド:Jongwookキム・ヒラ:M. Kangアン・ネサン:Kibum's fatherパク・ミョンシン:Heejin's mother14日(水)in TOHOシネマズ岡南「外事警察 その男に騙されるな」国際テロを未然に防ぐためには法を侵すぎりぎりまであらゆる手段を使い、時には民間人まで引きこむ、日本のCIAとも言われる諜報部隊・外事警察のベールに包まれた姿を描くサスペンス。麻生幾の『外事警察 CODE:ジャスミン』(NHK出版刊)を原案としている。監督はドラマ『ハゲタカ』の演出で注目された堀切園健太郎。徐昌義が「その男」住本に云う。「思い出した。その目を見た事がある。公安が人を騙す時の目だ。何が目的だ?国益か?」住本はすべての希望が潰えそうになっている状況で、韓国のI公安に行動原理を聞かれる。「俺は人と人との信頼を信じたいだけだ」。絶体絶命の場面で、果たしてそれを言うのか?とは思う。しかし、それはもしかして、彼の本音だったのかもしれない。民間人をもスパイに利用し、味方をも騙し、上司の国益のみに振り回される状況からをも逸脱し、手段を問わずに彼が守ろうとしたものは、その時点での最大のテロ行為を防ぐこと。多分この一点であり、それは、「国益」や「家族の絆」をも超えてだれをもが、信じる事の出来る「大義」である、と彼は人間を「信頼」しているのだろう。それは、「神の居ない国」日本で、あり得るべき男の生き方なのかもしれない。尾野真千子の久しぶりの映画出演ということで、期待したのだか、住本を相対化する役割しか持たされていず、ちょっと甘ちゃんで、残念だった。真木よう子は良かった。最後のセリフなんて、彼女の人生がよく現れていた。見事なのは、田中泯である。最後の最後で、住本の嘘を見破ったのは当然としても、そうではないかもしれない状況で、よく思いきれた。という様な役を存在感持って演じ切った。ちょっと見応えのあるサスペンスだった。「ハゲタカ」もこれ位の水準でやってくれたら良かったのに。渡部篤郎:住本健司キム・ガンウ:真木よう子:奥田果織尾野真千子:松沢陽菜田中泯:徐昌義イム・ヒョンジュン:北見敏之:金沢涼雅滝藤賢一:久野秀真渋川清彦:森永卓也山本浩司:大友遥人豊嶋花:奥田琴美イ・ギョンヨン:キム・ウンス:パク・ウォンサン:遠藤憲一:倉田俊貴余貴美子:村松久美石橋凌:有賀正太郎14日(水)in TOHOシネマズ岡南「道 白磁の人」林業技師として朝鮮半島に渡り、多くの荒れ果てた山林を生き返らせ今でも敬愛され続ける浅川巧の生涯を描いた江宮隆之の『白磁の人』(河出文庫)を映画化。監督は高橋伴明。この日、偶然にも二つ、日本映画でありながら韓国語が半分くらい飛び交う映画を観た。「外事警察」と本作である。どちらの映画にも「このチョッ○リが!」という言葉が出て来る。「外事警察」では、説明も無くカタカナで出て来たが、本作では「く○日本人」と訳していた。これは日本人の蔑称。豚足のチョッパルに人を意味するイがついてチ○ッパリ(豚足人)とのこと。これは足袋をはいて下駄とかわらじをはく日本人の足を豚足に例えてのことだそうだ。大体に於いて、日本人が韓国との摩擦を描く時、努めて公平に描こうとする。韓国映画では、そういう映画はなかなか作られない。そういう意味では、この前のオダギリジョーが主演した「マイウェイ」は貴重だった。日韓共に転けてしまったのは、もしかしてものすごく残念なことだったのかもしれない。この映画は、「マイウェイ」ほど金をかけて居ないので、なんとか採算が取れるのではないか。質は悪く無い。「自虐史観だ」と嫌韓派は言うかもしれない。しかし、努めて公平な事実のみ描いている。唯一オーバーなのは、威張り散らす軍人のメイキャップが少し歌舞伎調になっていることであるが、わかり易くする為に仕方なかったのだろう。巧の母親役の手塚理美は朝鮮人の葬式の列を見て「どうしてあんなに泣き叫ぶのかねえ、みっともない」と嫌悪感を示すが、息子の巧の葬式の時にふと列を離れて独り小屋で嗚咽する。その時朝鮮人のオモニがやぅてきて「泣けばいいんだよ」と背中をさするのである。この時、日本人も韓国人も「分かり合える」映画が出来たと、かんじた。主演 吉沢悠:ペ・スビン:酒井若菜:石垣佑磨:塩谷瞬:黒川智花:大杉漣:手塚理美:19日(火)inMOVIX倉敷「スノーホワイト」世界中で愛されているグリム童話「白雪姫」を大胆にアレンジした、白雪姫と女王が死闘を繰り広げるアドベンチャー。(ネタバレ全開です)シャーリーズ・セロン様とクリスティン・スチュワートじゃ最初から勝負にならないわな。スノーホワイトが城内に攻め込んだあと、いとも簡単に城の頂上に上がれたのは、ラヴェンナに勝算があったからで戦術的なものでした。「物語」が決まっているので、あんなことになっているけれども、どうしてスノーホワイトが勝てたのかは「意味わかんない」状態ですな。ともかく、最初から最後までセロン様の方が美しく、表現豊かで、存在感がありました。処でスノーホワイトはあの鏡をどうしたか。壊したならば、映像に残しているはず。残していないので、保存しているのだとみなければいけない( ̄ー ̄)。げに恐ろしきは、美への女の業。さて、映像はなかなか凝ったものでした。特に素晴らしいのは、森の小人たちが住んでいる妖精の森。「アバター」と「もののけ姫」にインスパイアされた映像が続きいろいろ愉しませてくれた。西洋人が「もののけ姫」を作るとこうなるのだな、ということもわかって面白い。森の神さまがスノーホワイトにお辞儀をするのである。西洋では、あくまで英雄は一人であり、神から宣託されないといけないのである。ラヴェンナにとっては「美」と「力」はイコールであった。でも何故一番でなければいけないのだろうか。ア・プリオリにそうきめつけているのが、脚本的に何か気になった。監督:ルパート・サンダーズ衣装デザイン:コリーン・アトウッドキャスト クリステン・スチュワート、シャーリーズ・セロン、クリス・ヘムズワース、サム・クラフリン25日(月)inシネマクレール「シェイム」一応設定を見ていたので、本当の「シェイムー恥ー」は見当がついていたし、ほぼ実際そうだった。何故、「ほぼ」なのかと言うと、シシーのほうはどうなのか、ということがなかなか判断できなかったのである。しかし、完全にブライアンだけの事情ということも分かる。まあ、男はこんなもんだと思う。ブライアンが映画的に映えるのは、ひとえに彼が「勝ち組」でかつ表が良い為に、金があっていくらでも金で買えるし、時にはめちゃくちゃモテるというだけなのである。彼のような心の事情が無くても、男は(時には)つまらない意地の為に、ト○コ通い(古い!)することは、良くあっただろう。普通のOLとの普通のデートがものすごくゆっくり撮ってかつ退屈なのは、意識してやっているのだろうが、本当に退屈だった。現代ニューヨークの風景を旨く切り取っている。そういう意味でのみ記憶に残る映画だった。監督 スティーヴ・マックィーン出演マイケル・ファスベンダー:Brandon Sullivanキャリー・マリガン:Sissy Sullivanジェームズ・バッジ・デール:David Fisherニコール・バハーリー:Marianne 「公式サイトより」男は、仕事以外のすべての時間を〈セッ○ス〉に注ぎ込んでいる。アダルト○イトを閲覧し、ビデオを収集し、行きずりの女性と、プロの女性と、その場限りのセ○クスを重ねている。彼の名はブランドン、上司に期待される有能な社員だが、現代社会が生んだ病、セッ○ス依存症を抱えている。それでも、一人で暮らす洒落たマンションで、毎日勤勉にセッ○スに集中していた時は、ある意味一貫性のある人生を送っていた。そんな確立されたシングルライフの均衡を破ったのは、突然転がり込んできた妹シシーの存在だ。人との心の繋がりを一切求めず、感情を排して生きてきたブランドン。他者の愛を渇望し、激情の塊となって生きるシシー。対極にある二人は、激しく衝突し、想いはすれ違い、それぞれの孤独をさらに色濃くさせていく。 妹への抑制の効かないイラ立ちをぶつけるかのように、無意味な快感だけを追い求めるブランドンを見続けるあなたは皮膚感覚で、得体のしれない不穏な空気を感じるだろう。(略)
2012年07月17日
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今日の「さようなら原発17万人集会」では、市民のタテカンとともに労組の旗も目立っていたという。確かに労組が全国から結集している。けれどもそれは動員とは少し違う。そもそも労組の動員だから市民の行進とは違うと考えるほうがオカシイ。関東圏では交通費も出ない手弁当参加は多いだろうし、地方でも相当あるだろう。交通費は出ても貴重な祝日を潰して参加するのである。そこには『怒り』があるのだ。さて、この前読者モニターで珍しい本格労組小説なる物を読んだ。以下は、ブログ読者宛というよりか、講談社編集者と作者に向けて書いた文章である。ちなみに現在は労組とはひとつ機関紙に映画評連載を抱えるだけで大きく手を切っています。「ともにがんばりましょう」塩田武士 講談社 なにを隠そう、私は91年から05年にかけて連続14年間労組の中央執行委員という役職をこなして来た者である。別に好きでやっていたわけじゃない、好きでやるはずがない。毎月まる一日会議で潰れ、下手をすると関連会議や合宿、労働交渉、集会等々で、休みや仕事が終わった後の半分以上が潰れるのである。「私の青春を返せ」と言いたい。(←それでも何故やっていたか。成り手がいなかったのと、使命感、そして世界が広がる面白さである) この小説は無謀にも、そういう労組活動そのものをまるまる描いている。労組員500人と言えば、私の所も正規(1番多い時は)500人、パート800人だったので、似ているとも言える。ここでは、執行委員は一年交代だと云う。まあ、そんな所もあるだろう。しかし、いかにも非現実的な処が散見する。ろくな専従もいないのに、あまりにもスムーズに引き継ぎが行われる。新執行委員はみんなベテランのように労組の仕事をこなしている。それから、一般的に非労組員は、労組活動に無関心だ、この小説にもそういう記述はある。しかし、一般労組員があまりにも労組に協力的だ。新聞社社員となれば、忙しい仕事の代表選手だ。労組活動に見向きもしなくて当たり前だと思えるのであるが、なんと毎月の央委員会の前に支部長会議が成立し、中央委員会が実出席でほぼ全員で成立して、物凄く活発に意見が出るなんて、私の処ではあり得なかった(100人に6人の役員配置は妥当。本来は分会がないといけない。それにしても、分会長会議でも100%近い出席率は凄い)。こんな戦闘的な労組が果たして存在するのか。 また、これは提案ですが、回答がでてからやっと職場の声を経営にぶつけて事態が進展する場面がありましたが、団交は提出団交の時に「現場の意見」を最も出すべきです。私の処では、提出時に800人団交をした事もあります(←今は昔)。経営者の対応や、交渉の推移もあんなもんだと思います。小説で読むとひつこいぐらい同じようなことを議論しているようにみえるが、労組対経営では、力関係では最初は情報量、人事権、等々で経営の方が上なのだから、あとは「団結の力」しか武器はないのです。ひつこいぐらいの議論がなくては、勝てないのが現実。(労使協調の労組とはそこが違う)普段、表に出る事のない労組活動をよくぞ小説にしてくれました。そのことだけは、感謝します。 これは、秋季闘争でしたが、最もきついのはいうまでもなく春闘です。是非とも春闘編まで頑張って下さい。ともにがんばりましょう。
2012年07月16日
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現説(現場説明会)に行ってきました。場所は、緒現方洪庵や木下利玄の故郷足守の足守中学校裏手です。大森遺跡と言います。縄文時代晩期中葉の土器が思いがけずたくさん出てきたので、わりと大きなムラが一時的に住んでいたことがわかりました。多分今回の大分の様な洪水で、ムラごと流されて放棄したのだろうということです。何故分かったか。川辺にあるムラなのですが、川に流木がたくさん出てきたのです。また、弥生、平安時代の土器は出てくるが、量が少しなので、言わばアウトロー的な人物が住んでいただけだろうということです。そして、何よりも、河岸段丘が流路へ張り出した部分で、ポキンとと折れた石棒が一点出土したのです。長さが38センチ。岡山県では、最も長い方になります(5センチとか13センチとか11例出土はしているようです。東北と違い西日本では少ないのです)。折れていなければ、全長70センチになっただろうとのことです。石棒の存在は、以下のことを物語ります。(1)そういう精神活動が可能なほどに余裕のあるムラだった。(2)精神的支柱が必要なほどに大きなムラだった。(3)河岸にあることで水の祭祀を担っていた可能性がある。新聞報道では「 市教委によると、石棒は東日本では縄文中期以降に大型化し、集落の水くみ場にお守りとして祭られていた。水辺での発見例は県内初で、西日本でもほとんどないという。(略)「西日本でも水の恵を守るシンボルとして石棒を崇拝する信仰があった証明だ」と言います。(4)洪水からムラを守れなったことで、石棒に全ての責任を被せ、折ったのだろう、そしてそのままムラは他に移ったのであろう。とのことです。折れた片方は、見つかっていません。多分もう一方は男根の形をしていたはず。生のをみたことがないので、少し残念でした。この当時鉄は当然ありませんから、石でこれを磨いたのでしょう。先ずは石斧でおおまかな形に削る。そして砥石で磨くのです(とのことでした)。手間はかかります。鉄屑も見つかっていました。実は南へ山を一つ隔てると、最古の製鉄遺跡千引カナクロ谷があるのです。縄文時代からずっと途切れることなく、この周りいろんな処に人は住んでいたのでしょう。この足守川流域は、弥生時代から大きなムラがたくさん栄えています。それがやがて弥生晩期に楯築に結実する。(→それが大和政権に飛躍する。)そういうルーツの一つを見た気がしました。
2012年07月15日
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「楊令伝13」北方謙三 集英社文庫「第一、戦いをやめようと思ったら、やめれるのか。やがて、戦いは起こる。その準備を梁山泊はしている。いいか、いずれ交易は、商隊を出さなくても出来るようになる。西域の国々から、隊商がくる。日本からも、南の国からも、交易船がくる。物が梁山泊に集まり、散っていく。梁山泊には、金銀がのこるだけだ」「なるほどねえ」「そんな国を周囲が許すと思うか。税が安く、商いが自由な国を。よってたかって、潰しにかかる。それは、楊令殿も呉用殿も、よくわかっているだろう。どう凌ぐか。楊令殿の頭は、それで一杯のはずだ」「凌ぎきったら?」「周囲は、自然に梁山泊になる。そうなるために流れる血は、童貫戦の比では無いだろうが」「凌げなかったら、潰れるだけかい?」「その時、私に何が出来るのか。ほかの商人は知らず、紡鵺盛栄に、なにができるか。いまは、そればかりを考えているのだ、私は」「楊令殿は、北京大名府を、呼延陵に占領させたよ」「戦をやりたがっている連中を、宥める意味もあったのだと思う。いずれ、周囲が梁山泊と同じようになるか、試しているのだとも思う。呉用殿の考えが大きいだろうが」「いずれにせよ、戦はある、とあんたは思っているんだね?」「思っているよ。生きるか死ぬかの戦いを、梁山泊は通り抜けるしかない」「底なし沼を、掻き回さなくてもか」「沼が、口を開けて嗤っているだろう。人の愚かさや醜さを飲み込もうとな」「わからないよ、あたしには」「酔っているものな」「素面だって、わかりゃしないさ」(159p)梁山泊、金国、斉国、南宗、入り乱れての混沌の中で、岳飛は僅かに蕭珪材に辛勝する。先が見えない戦乱。楊令の理想は、果たして実を結ぶだろうか。梁山泊から、一番に裏切り者が出るとしたら、戴宗、韓伯竜、そしてこの盛栄を予想していた。処が、この巻で彼らは一様に「漢」を見せる。意外にも最初の裏切り者は「あいつ」だった。思うに、若いということは、こういうことなのかもしれない。2012年7月3日読了
2012年07月14日
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「わが母の記」井上靖 講談社文庫母の頭を毀れたレコード盤が回っているだけの場所のように考えていたが、そのほかに何か小さな扇風機のようなものでも回っていて、それが母にこの人生から不必要な夾雑物を次々に払い落させているかもしれないのである。(82p)映画を見て興味を覚えたので、20年ぶりぐらいに井上靖を読んだ。小説のようなエッセイのようなこの連作を読んで、やっぱり井上靖は上手いなあ、と感心した。乾いた文章の中に隠しきれない叙情性がある。映画では、樹木希林の演技に総てを負っているが、小説では、「頭の中の消しゴム」や「レコード盤」等の絶妙な比喩を使いながら、耄碌していく頭を見事に描いていて、私の読んだ中て一番説得力のある認知症小説になっていた。単に病状の描写が素晴らしいだけでなく、毀れた頭を理解することで、自分の母親の人生を理解するようにななる。おばあちゃんの時のことを思い出した。驚いたのは、映画では一番涙を搾った「あの場面」が、じつは映画的創作だった、ことである。
2012年07月13日
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「司馬遷の旅」藤田勝久 中公新書司馬遷は生涯に少なくとも七回中国大陸を広く旅した。二十歳のときには、長江流域の史跡を辿り、曲阜で孔子の礼を学び、影響を受けること大であった。その旅で、どの様なことを見聞きし、学んだのかを想像する事は、「史記」を読む以上に波乱万丈の司馬遷の人生を髣髴させるだろう。まろさんに教えられて、この本を紐解いたが、「史記」の研究者でもない私はとりあえずあまり紹介する文章はない。しかし、豊富な地図は、いつか中国を旅するに十分である。まさに幾千万の旅ポイントがあることをしったのである。今回の読書記録がちょっと淋しいので、この前棚田を見て、津山洋学資料館を見たときの旅の記録をあと少し付け加えます。あの棚田を見た後は県北津山に行きました。用事を済ましたあとは、すっかり観光気分。津山城下を散策です。城下町なので、やっぱり京都みたいに玄関の間取りで税金が決まっていたのでしょうか、全ての家が玄関間取りは狭くおくに細長い家の間取りになっています。隣が空き地になっているここなんかはその様子がよくわかります。出雲街道が通っていたここは、昔は栄えていたらしい。表通りはこんなに綺麗にそろえています。なぜかほとんどの家にこの可愛らしく不気味な人形がぶら下がっています。なんだったんだろ。出雲街道を一本外れれば、昔の面影がいまだに残る道があります。狭い道です。その狭さを利用して、ちょうどここの場所が寅さん映画の最後の作品第48作において、ひろしとサクラの息子が後藤久美子の花嫁行列をじゃまして、後藤久美子をさらっていく場面が撮影されました。普通の道だけど趣のある道、映画の人たちはやっぱり目の付け所が違います。
2012年07月11日
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《岩波文庫》アリストパネース著 高津春繁訳女の平和 【中古】afb「性的ストライキでもって、ギリシャの女たちは平和を勝ち取った。」 ギリシャ時代初期の戯曲にして、史上初の平和思想を謳った書物だとも云われる。有名な古典である。しかし、それだけで読んだ様な気持ちになって未読のままだった。しかしやはり読んでみないとわからない事は多い。 最近「テルマエ・ロマエ」という「ローマのお風呂」という映画が大ヒットしている。その中でも、戦争で疲弊しているローマ兵士の疲れをいかに癒やすかということが大きなテーマになっていた。 男たちは戦争を始める。それが大前提になっている。そして女たちは間違いない無く全員戦争がなくなればいいと思っているのである。喜劇だから、表明できたのだろう。しかし、その表現の素晴らしいこと! 提案者が「戦争を終わらせるにひと肌脱いでくれる?」と聞くと、女たちは一様に賛成する。「私はね、平和が見えるというなら、ターユゲトスの頂上にだって行く」この山は2407mらしい。ちょっとした大登山である。カロニーケの反応が最も面白い。「私はね、まるでカレイの様に身をふたつに割いて、半分を喜んで提供するわ」さらにもう一度念を押す。「やりますってさ、たとえ死ななくちゃならないったって」で、性的ストライキを提案すると直ぐに意見を翻す。「ほかのことなら、なんだっていいけど、必要とならば火の中だって歩くわよ。(性のストライキだけは勘弁してということらしい)」でも、説得されて本当に平和がくるの?と段々本気になって行くのである。「暴力で無理矢理やってきたら?」この答えがいい。「仕方ない、しぶしぶ従うのよ。暴力で得たものに楽しみはなし」「なあに、すぐにやめるわよ。女と協力しなければ、男は決して愉快になれないんですからね」ローマ市民たちが大笑いしているのが目に浮かぶ。 お風呂文化と云い、この様な観劇文化と云い、人類は果たして「進歩」しているのか。 読んで分かったのは、彼女達の戦略はこれだけでは無かったのである。アクロポリスを同時に占拠して、戦費の凍結を図っているのである。 役人との問答で、戦争を止めるにはどうしたらいいか。紡錘の糸の喩えでもって説明している。「第一に、洗い桶で生の羊毛を洗う様に、このポリスから油脂と汚れを洗い落として、台の上で無頼漢どもをたたき出し、アザミを摘んで取り除き、政権を求めて党をなし羊毛の中の塊みたいになっている奴らを梳きほぐし、その核を抜き取らなくてはなりません。それから市民、在留外国人、外国人、それから国庫の債務者も、みんないっしょに混ぜ合わせ、全体に共通の善意という糸巻き籠の中へ梳き入れる。それからこの国の植民都市を一つ残らず、これは別々に引き出した糸と同じに考える。次にみんなから糸を取り、ここに集め、一つにまとめ、それから大きな糸玉をこしらえあげて、この玉から国民の外套を縫ってあげなくちゃなりません。(49p) 昔も今も平和を実現するためには、畢竟、内政を良くし、外交で勝ち取るしかないのだ。
2012年07月10日
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ISEP編「自然エネルギー白書2012」(七つ森書館)が届いた。(特別価格。詳細は以下のリンクをご参照ください。 isep.or.jp/jsr2012)飯田哲也は「はじめに」でこのように書く。(3.11以降)原子力の是非にとどまらず「エネルギーシフト」のキーワードのもとに、自然エネルギーが日本のエネルギー政策の最前面に出てくることになりました。とはいえ、今なお、国の原子力・エネルギー政策は、混乱・混沌として行方が定まりませんが、国民は違います。3.11以前には、国民のほとんどが、原子力・エネルギーに関する知識もないまま、事実上、「洗脳」されていた状況にくらべれば、3.11以後は格段に国民の原子力テリラシー、エネルギーテリラシーが高まり、原子力ムラの空洞や電力会社の独占の裏にある様々な問題などをしっかり理解した上で、およそ7-8割もの国民が脱原発を望んでいるという、不可逆な現実があります。過去の二度の地球規模の原発事故(スリーマイル島原発事故、チェルノブイリ原発事故)が世界史を変えたという史実、日本にとって三度目の大規模な放射能汚染であり、三度目の「敗戦」(明治維新、太平洋戦争)という大きな歴史の転換期にあり、同時に原子力・エネルギー政策の転換から歴史が変わるとも考えられます。この歴史的転換期にあって、これまでも、そして今後とも、原発にも化石燃料にも依存しない、民主的で地域自立型の持続可能なエネルギー社会を実現してゆくことは、ますます重要になっています。(11p)「三度の敗戦」には、異論があるが「歴史的転換点」というには、異論は無い。これから詳しく読んでいきたい。飯田哲也が山口県知事選に出馬した。山口県はおかしなところで、強固な保守王国ではあるのだが、一方では高杉晋作、吉田松陰等々変革の志士が出てきたところではあるのだ。その証拠に宮本顕治もやはり山口県出身である。他にもいたはずなのだが、思い出せない。飯田さん、想像以上に頑張っているようだ。山口知事選 脱原発候補が大躍進(ゲンダイネット)選挙プロの票読みはこうだ。「飯田氏は橋下徹・大阪市長のブレーンとしてエネルギー問題を担当、大飯原発の再稼働を目指していた関西電力が唱えた電力不足の“ウソ”を論理的に指摘して、知名度を高めた。この実績から『大阪維新の会』の“基礎票”が見込めるのに加え、脱原発の社民、共産票が入るのも確実です。飯田氏は聖教新聞でエネルギー問題の連載をしたこともあり、公明党票もある程度切り崩せる。民主党県連は自主投票で、民主票の半分くらいは期待できます。自民党支持者でも、飯田氏が唱える『再生エネルギー普及拡大に伴う雇用創出』に理解を示す人が多い。相当な票が出そうです」彼が勝てたら日本が変わる。
2012年07月09日
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「地球を活かす 市民が創る自然エネルギー」伊藤千尋 シネ・フロント社大震災が起きて、ジャーナリストの伊藤千尋は先ずどうしたか。なんと先ず一週間後に上関の祝島に行っている。私の場合は、たまたま祝島に行ったのであるが、ほとんど入れ替わりぐらいで伊藤さんがいったということになる(←残念だ)。内容は今では随分と知れ渡った島民30年の闘いをコンパクトにまとめている。この本の大きな特徴は、富士山演出場をやめさせて巨大な露天風呂を作ろう、地熱発電を本格的に始めようという提案である。彼の発想の源はアイスランドにある世界一の露天風呂にある。日本の地熱発電の技術は世界一なのだそうだ。6月には、日本最大の地熱発電所を見学に大分に行っている。伊藤は、幾つか問題はあるが克服可能だ、と思う。むしろ、ガイドの「自然エネルギーは原発の添え物に過ぎません」という控えめな説明ぶりに苛立ちを覚える。この本は、「脱原発にむかう世界」の解説本にもなっている。ドイツの脱原発宣言の背後には、強力な反原発の世論がある(緑の党の役割)こと、今のところ2050年までに80%の再生可能エネルギーを目指しているが、実質は100%が可能で、雇用が100万人になる見込みなどを書いている。自然エネルギーに転換する欧州(オーストラリア、イタリア、スウェーデン)の動きを取材、アメリカ、中南米の動きにもめを配り、今自然エネルギーに舵を切らないと、ホントに日本は、世界から取り残されるだろうということが解るようになっている。高知県梼原(ゆすはら)町の赤字財政からの転換を自然エネルギーに掛けた取り組み(一度行ってみたい)も取材している。もちろん伊藤さんは、マスコミに猛省を促している。しかしマスコミの中にいて、市民にも訴える所が他の人とは違う。メディア批判をよく耳にするが、メディアはその時代の民度を象徴する。ジャーナリストは神様ではない。メディアに期待するなら、メディアを市民の側に引き寄せる力が必要だ。メディアを変えたいと思うならば、市民が市民運動を盛り上げて社論を変えるのが一番の近道だ。(114p)現に9.19脱原発集会で6万人集まった時に新聞やメディアはいっせいに大きく取り上げたと、伊藤さんは言う。(←果たしてそうか、という疑義は私にまだあるが)ただ、今回の20万人集会にいたって、初めてマスコミは取り上げだした。その感度が正常なのかどうかと言うと異常だとは思う。しかし、結果的には伊藤さんの言うとおり、世論の声が大きくなれば、マスコミは取り上げるのではある。最後の章は水俣市の取材だった。最悪の公害都市から最高の環境都市へ、そこにはこの50年の多くのジレンマ、地域差別との闘いが書かれていて、この後の福島への提言にもなっている。あとがきに書く。「サザエさん」の漫画に、セントラルヒーティングで完全に電化した家が登場したのは1968年だ。その家の主婦は大いばりだが、カーテンの陰では一人寂しく食事するおばあさんが「昔のほうがずっとあったかだった」とこぼす。(略)経済や生活の発展は、人間を幸福にするために考えられたのではないか。逆に人を不幸にするのだったら、いったい何のための発展だろうか。(155p)
2012年07月08日
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先日、国会の事故調査委員会が出した原発事故の調査報告書が出た。そこにはこの事故をしっかりと『人災である』と規定しているという。国会内の調査委員会なので、実はそこまでは期待していなかった。これから概略だけでも目を通すべきだと思っている。その前の、五月実は民間が出した事故調査報告書を読んだ。この中のものを読んだだけでも、あの原発事故が非常に構造的なものから起こったもので、それは大飯原発が稼動しようが野田がなんと言おうが全然改善されていないということが明らかである。私は全国民がさわりだけでも読むべきだと思った。というような感想を読んだ直後に以下に書いた。「福島原発事故独立検証委員会調査検証報告書」ざーと読んだ。疲れたが、いつかやらねばなぬ事だと思ったので、兎も角、細かい所は飛ばしながら読んだ。急いでいる人は、冒頭の北澤宏一委員長のメッセージだけでもいい。結論の多くはそこに書かれている。あと少し余裕がある人は、最終章「福島第一原発事故の教訓」がいい。此処に所謂全体の結論が書かれている。この報告書全体を通じて、課題、調査内容、結論という風に分けて書いているので、所々むつかしい文章はあるが、総じてわかり易い報告書だったと言っていいだろう。Webで読む事ができるので、多くの人はそこだけ読んだ方がいいかもしれない。検証内容を私は検証しているわけではないし、米国評価には不満がある。しかし、エリートパニック、絶対安全神話、SPEEDI、最悪のシナリオ、原子力ムラ等々の問題にキチンと切り込んでいるのは、評価出来る。この大部の報告書をWebで読むのは、限界があるので、私は少し高いが一家に一冊持っていても良いと思う(せめて、1000円以下にはするべきだ)。これから新たな知見が加わった時、それが全体の中でどういう意味を持つのか考え易いからである(例えば東電幹部の証言は拒否されてこの中には入っていない)。疲れた。例えば、この様な記述があり、私は暗澹とする。福島第一原発は、レベル7の大災害であったにもかかわらず、そして約11万人の人々が今も避難生活を余儀なくされている悲劇であるにもかかわらず、急性被曝による犠牲者はこれ迄存在していない。官邸中枢スタッフは我々のインタビューの中で「この国にはやっぱり神様がついていると心から思った」と思わず漏らしたものである。事故から時間が経つにつれて、事故のシミュレーション解析が進み、高温で溶解した核燃料の大半は、原子炉圧力容器を突き破って、格納容器のコンクリート床にまで沈みこんでいることが推定されている。「最悪のシナリオ」にきわどいところまで向かっていた可能性は十分にあった。(396p)そのときには、3000万人の首都圏の住民の避難が始まる。その時日本がどうなるのか、想像が出来ない。岡山にいる私も、おそらく今の生活はなかった。一年経って、日本が何も変わっていないのに、暗澹とするのである。
2012年07月07日
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堀田善衛は結論は自ら持ってはいるが、押し黙り書かずにそれを提示する文体である。実際に会えば、難しい爺さんだったかもしれないが、色々考える処あり、好きである。ある文が目に止まった。 かつて1945年の日本敗戦のとき、8月15日から一週間ほど過ぎたころ、当時上海にいた日本人の間に、どこからともなく、ひとつの流言が伝えられてきた。 それは広島と長崎に投下された原子爆弾によって、当の広島と長崎はもとより、広島から始まって、中国地方及び近畿一帯、また長崎から始まって、九州全部に、じわじわと放射能が広がって、人々は全滅するであろう、というものであった。 当時として、放射能に付いての知識や情報なども、ほとんど皆無の状況にあって、それは胸に重い錘鉛を打ち込んでくるような、暗く重い経験であった。 そうして、その流言を流言として、明白に否定してくれる人も情報もまた、皆無であった。かくて、敗戦後の10日目ほどのある夜、故武田泰淳が、十枚ほどの原稿用紙にしるしたものを持って、日僑ーそれは外国にいる中国人を華僑と呼ぶことと相対する言い方であるー抑留地区の、ある家にいた私を訪ねてきた。武田氏も私も、同人雑誌『批評』の同人で、私は詩人ということになっていた。ー詩をひとつ書いたから見てくれないか。と武田氏が言った。対して私は、ー見るというより、あなた自身読んでくれないか。と答えた事を覚えているが、奇妙なことに私は、武田氏のその詩が漢詩であろう、と早合点していたのであった。武田氏が、中国文学の専攻者からでもあったが、武田氏は、私のすすめに率直に応じてくれて朗々と朗読を始めたのであった。それは長い、長い、長詩であった。 その冒頭だけがいま私の耳裡に残っていて、しかもそれは私の耳裡に残っているだけであって、そのあとの数十行、あるいは数百行は、武田氏の引き上げ帰路の混乱の間に、一切失われてしまったのである。 その冒頭の一行、 かつて東方に国ありきそれが武田氏の長詩の開始一行であった。 かつて東方に国ありき その国には、その国に固有なものと、中華大文明との混淆と相互醸成による、一つの確かな文化があった。しかしいま、その文化が、原子爆弾による放射能によって滅亡するとなれば、幸か不幸か、中国の地にあって敗戦を迎えた、われら日本の文学者は、中華大文明の庇護のもとにあって、かつて東方の島国にあった文化を、営々として継承しなければならなぬ運命にあるものではなかったか‥‥‥。 武田氏の長詩は、おおむねかかる趣旨を、堂々かつ悲傷を籠めた調べの、文語体によるものであった。 当時、私たちはまだ若かった。私は28歳で、武田氏は33歳であった。(268P)これは、堀田善衛「天上大風」(ちくま学芸文庫)の中にある「国家消滅」(1990)という文章の一部である。 堀田善衛がこの文を書いたのは、原発のためでも反核のためでもないが、現代の私たちには、あったかもしれない、あるかもしれない或る風景が目の前に広がるだろう。実際、「そのようなこと」になれば、私たちは、国内にいても国外に逃れる可能性が高い。その時感じるのは、ひとつはここにあるような哀しみにも似たどうしようも無い「喪失感」であるに違いない。想像しただけで、私は自分自身を失ったような気分に成る。しかし、考えてみれば、福島の或る人々は、永遠に「ふるさと」を既に失っているのである。まだ私は目にしていないし、それが形になるにはまだ時間がかかるのかもしれないが、いつか武田泰淳の長詩みたいな詩に私たちは、出合うことになるのだろう。
2012年07月06日
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現説(遺跡現地説明会)にいってきました。場所は、永瀬清子の故郷熊山駅の近く、不思議なピラミッド遺跡のある熊山遺跡の北側、赤磐市の辺谷・成ル遺跡です。すぐ北側を吉井川(一級河川)が流れていて、南から注ぐ和田川が作り出した谷底平野の出口あたりの比較的平坦なところに立地しています。弥生から江戸時代にかけての複合遺跡というので、弥生に興味がある私は散漫な遺跡だろうなとあまり期待はしていなかったのです。処が、中心は弥生時代、しかも古墳時代の製鉄関係もかぶっているという、私にとっては非常に興味深い現説になりました。先ず驚いたのは、6世紀後半の住居のカマドから「フイゴの羽口」が出土していたという事。製鉄か、鍛治職人であった可能性がある。もし製鉄ならば、日本一古い製鉄遺跡(千引カナクロ谷遺跡)と同年代である。実は、谷の西側の山で辺谷製鉄遺跡という7世紀前半の製鉄遺跡が見つかっている。そうなると、総社が製鉄の最新地域だったと思っていたが、吉備の国で6世紀に入った途端に一斉に製鉄が始まったということになるかもしれない。或いは、カナクロ谷で製鉄が成功し数十年の内に一挙に吉備国全体に広げたか。それは金官伽耶の滅亡と関係しているのか。想像は膨らみます。この辺りの住居跡は焼失した跡です。弥生後期の住居が五つ見つかっている。他には、弥生後期の土坑がまとまって出土していた。丸く無く角の取れた四角である処が「後期」なのだそうだ。興味深いのは、弥生中期(一世紀あたり?)の木管墓が出ていたという事。簡便な板だったらしい。(写真では分りにくいが、少し色が変わっているところが板のあった跡らしい)身長は130センチくらい。小学生くらいだったのではないかとの説明です。腰のあたりに石の矢じりが16個もまとめて出たらしい。これは岡山県では四例目。直ぐに思い出したのは、真備の清水谷遺跡で胸の辺りに矢じりが出土し、身体全体に矢じりを打ち込んで埋葬されたのではないかと言われている例。しかし、こちらは量が一カ所に纏まりすぎているので、その可能性は薄い。枝は付いていない。墓が閉まらないからである。もしかしたら、男の子で勇者だったけど、事故で亡くなり、お母さんが悲しんで生前に仕留めた獲物(小さいので戦争用ではないと私は思う)の数だけ矢じりをいれたのかもしれない。(と、説明している人に言ったら「わかりません」と興味無いという返事。分かるけど、もっとロマンを持とうよ)弥生時代、田んぼ面積も小さくおそらく小さな集落に過ぎなかったこの村は、交通の便と背後に控える豊富な森林、そしてなんらかの人材を得て(朝鮮系土器は出土していない、朝鮮系地名もなし)、急に製鉄集団になって行ったのだろう。川上の月の輪古墳との関係も興味深い。(と、私は思う)
2012年07月05日
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今回の20万人デモについて、思う処は幾つかある。ツイッターで気が付いたことを羅列的に書く。これは「違うだろ!」というツイートが幾つかあった。生駒 (@motizukinosilo)12/07/01 9:19もうとっくに話題になっているかもしれませんが 今朝の関口さんの番組で「デモというのは今までイデオロギーのぶつかり合いだったので 新聞は 中立 という立場からデモ自体は報道せず 逮捕者や負傷者が出た場合事件として報道するという形をとっていた 今回の官邸前のデモは今までにないもので 対応を誤った こちらのミスだ」 報道に携わるコメンテーターの方がこんな発言をなさっていました或いは、あの池田香代子さんまでもがこんなツイートをしていた。@ikeda_kayoko: 「世に倦む日日」さん@yoniumuhibi の至言「市民はイデオロギーのためには闘わない」は、60年安保闘争も米ソの戦争に巻き込まれる事を拒否した命のための闘争だった、反原発も命のためだ、と続く。市民が立ち上がるのは命のため、抽象的な何かのためではない。うー、しびれます(続その元は、「世に倦む日々」のこの発言らしい。@yoniumuhibi: 60年安保がイデオロギーの闘争だったというのは間違った認識。右翼による歴史修正を刷り込まれている証拠だ。60年安保に市民が立ち上がったのは戦争を避けるため。米vs中ソ間の戦争に日本が巻き込まれるのを防ごうとしたため。戦争だけは二度と御免だったから。60年安保は反戦平和の運動だ。@yoniumuhibi: 60年安保も命を守る闘いであり、今回も命を守る闘い。二つとも市民が命を守ろうとして立ち上がった政治運動。市民はイデオロギーのためには闘わない。反戦というのは思想だし、脱原発というのも思想。その意味では、二つの市民運動にも思想はある。命を守る闘いには思想はある。右翼に騙されるな。この発言自体に大きな異論は無い。「思想」と「イデオロギー」をこの様に区別することに若干の異論はあるけれども。問題は、「イデオロギー」という言葉が独り歩きして、あたかも「今までデモがもりあがらなかったのは、イデオロギーのデモの為だった」ということが人々に刷り込まれないかと危惧するのだ。(←思い過ごしならばいいが)今回のデモは、ツイッターなどで情報を得た市民達が参加した「普通の市民」のデモだという。では、何故今までのデモに市民が集まらないで、今回は集まったのか。その検証はこれからしていかないといけないが、今までのデモは、決して「イデオロギーの為」のデモでは無かった。私も行ったが、全労連が主催したデモで、医療費が1割から2割になる時、主催者発表で10万人デモになった。正に「命を守る闘い」だった。代々木公園は、周りの林まで人が一杯で、身動きとれなかった。しかし、マスコミはほぼ一切無視したのである。(←皆さんの記憶に無いのがその証拠)確かに労組動員が全国からあったからこそ出来たデモだった。しかし、それ以降10万人デモは実現すること無く、五万、二万と落ちていったのである。あの時の10万人は、人々の燃える願いが、闘いが無ければ、決して実現しない数字だっただろう。あれは間違い無く「普通の市民」が参加したデモだった。「デモの内容」をきちんと取材していたならば、きちんとしたニュースが作れたはずだ。その後も医療費改悪、消費税と、改悪は続き、デモは起きたが、マスコミは一切無視した。関口さんはそれをどうやら「イデオロギー同士の対決」という風に捉えていたらしい。違う。今回の場合と、「根本」では、なんらかわりがない。冒頭の発言の後、関口さんはこうも言ったらしい。生駒 (@motizukinosilo)12/07/01 19:15@vergil2010m(__)m 「安保闘争のデモは どちらか一方の肩を持つことになるからでも事態の報道はしないということで来た そしてその後大規模デモが殆んど無くなったからそのまま…だから一寸困っちゃって」 というような発言でした →その「どちら」とは何なのか。私は全くわからない。こういうツイートもあった。実事求是 (@fkmild2011)12/07/02 21:27今回の脱原発運動の新しい点1。●参加している多くの人は普通の政治素人、女性も多い、●60年安保・70年全共闘運動のようにマルクス主義→階級闘争理論等の近代思想で武装しているわけではない、●むしろ無思想・無関心の意識潮流の中から立ち上がった、●動機は命を守れという素朴な潜在思念発。実事求是 @fkmild2011今回の脱原発運動の新しい点2。運動スタイルとして●ネットを通じて運動が拡がっている、●ネット中継を通じて多くの国民・世界中の人々から注視されている、●参加者はとても礼儀正しい→旧運動のように一部の過激派→暴力的運動に発展する可能性は小さいが国民的運動に発展させるには認識転換が必要この分析は多くは参考になる。しかし、この人も結局「旧運動」とは「過激派」だという認識なのだ。結局「どの団体に属しているか」どうかだけで「デモの内容」を判断し、マスコミは「団体主催のデモは報道しない」という方針を出していたらしい。しかし、繰り返すが、「デモの内容」は、その「主張の内容」にある。しかしマスコミは、デモが起きても条件反射的に内容を見ないから、今回45000人のデモを無視したのである。20万人になってやっと見えたのだ。関口さんもそもそも「そしてその後大規模デモが殆んど無くなった」という認識だから、今までの労組主催の10万人、5万人デモは視界から完全に外れていたのである。実事求是さんも言っているがまだ「国民的運動に発展させるには認識転換が必要」だ。1968年、フランス五月革命で1人の女学生が言ったという。「これはまだ序の口」。(加藤周一「言葉と戦車」より)
2012年07月03日
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岩波文庫中江兆民評論集/中江兆民/松永昌三中江兆民の「論外交」(明15「自由新聞」)を紹介したい。「三酔人経綸問答」の様に問答形式ではなく、社説なので、そのまま兆民の主張になっている。外交問題について、現代に対しても、一つの問題提起になっていると思う。これは、発表の二週間前にソウルで起こった壬午の変に触発されての発言である。(福沢がこれに触発されて「脱亜論」を書いたのは有名)兆民は、「富国強兵策や文明優越意識を批判、道義外交論を展開する。」この論を一言で言うとそうなる。しかし、全体も大事だが、細部にこそ重要な部分があると私は思う。原文は漢文調子なので、完全に力不足だけど少し詳しい「意訳」をしてみたい。「外交を論じる」今も昔も為政者は富国強兵をいう。富国はいいけど、強兵は必要性がわからない。兵は「不仁の器」である。不仁の器を提げて不仁のことを行うこと。これが強兵の目的ではないか。不仁の器を蓄え、不仁の謀を巡らし、人を殺して野にみち流血千里の災いを行い、それを愛惜する所がない、これが果たして天の道だろうか。しかし、人は君子ではなく、殺人も起こす。追い剥ぎもする。あるいは、陰謀を企てて謀反を起こし欲をだす人もいる。およそこういう人は不仁の人です。よって、政治家は必ず軍備を蓄えるのですな。かつ、国々はみんな各々の利益を求めて、その国民の福祉を伸ばそうとします。けれど、いったん利益が衝突すれば軍隊を動かして雌雄を決めざるを得ない。よって、国を与(あずか)る者は平時において必ず軍事訓練をして軍備を蓄え侵略者に備えるのは、もちろん必要です。ところで、兵士を養うことは、経済の道にはなはだ反しますな。したがって、軍備を大きくすれば、税金は重くならざるを得ない。これは、為政者最も苦労する所です。しかしながら、前説の種々の原因により、国を与る者は軍備は必要である。ここで気がつきます。富国強兵この二つは、お互い相い認める事の出来ない事を。このふたつをそれでも、しばらくお互い認めさせて一時の政策を行うこと、これが富国強兵の二つの言葉が出る所以である。しかし、道理でもって考えれば、富国はまことに為政者の目的とするべきものですが、強兵は、結局万やむ得ないときの一策に過ぎません。人はあるいは、言います。国家財政が富むから軍備が大きくなるのだ、と。だから富国強兵は決してあい認める事の出来ないものでは無い、と。ああ、これは「純専の見方」と「比較の見方」を区別していない論理です。単純に比較すれば確かに富める国は多く兵を持ち、貧しい国は少ない。しかし比較をやめて道理で考えて見よう。もともと、国では軍備の為に犠牲になっているものがある。例えばフランスと日本、今の国力が日本の10倍とする。もしお互い軍備費用を他の事に使ったらどうなるだろう。国がさらに富むこと、今日の100倍になるだろう。だから強兵は窮余の一策なのです。(‥‥‥ここまで)(114p)すみません!まだ全体13ページの3ページを訳した処で挫折しました。「三酔人経綸問答」を現代語訳した桑原武夫さんたち京大チームは本当に凄かった。兆民の古典に対する素養の甚大なこと、それらを無視しながら訳して、なんかもう臆するばかりです。兆民が漢文調で書いたので、おそらく福沢諭吉ほどにはその主張が広まらなかったのかと思うのですが、しかし、古代政治に理想を見出し、「道義外交論」を論じる場合、必然の文体ではあったのでしょう。下線を引いたのは、私です。現代にもう一回吟味すべきことだと思ったからです。防衛費は、毎年5兆円の額が使われています。明治の頃に比べれば、確かに「万やむ得ないときの一策」である、と国民は認識している、と仮にして置いてもいいが、それにしても、本当に「万やむ得ない」のだろうか。もう一度突き詰める必要があるのではないか、と思うのである。「純専の見方」は、現代では沖縄で証明されつつある。沖縄経済は基地に依存している、と本気で思っている沖縄人は今ではほとんどいないのではないか。読谷基地の土地を返還後に上手く活用した自信が沖縄に広まっている。「戦争が無いほうが人類は栄える」この思想は、まだ世界全体のものになっていない。しかし、ものすごく大事な視点だと思う。これだけ訳しただけでも、現代にとって新鮮な視点が幾つもある。「三酔人経綸問答」は既に古典であるが、これもそれに数えて良いのではないか。特に、兆民が国のグランドデザインを「小国主義」に置いて居る事に注目したい。日本はその立地や資源から言っても本来「小国」なのでないか。そのことを日本国民は全員忘れてはいないか。小国のとる立場とは何か。没落しつつある某大国に金魚の糞の様に追随し、自らを「勝ち組」として振舞う事ではない。「信義を堅守して動かず、道義のある所は大国といえどもこれを畏れず、小国といえどもこれを侮らず。彼れもし不義の師を以て我に加ふるあるか挙国焦土となるも戦ふべくして降るべからず。隣国内訌あるも妄に兵を挙げてこれを伐たず。いわんやその小弱の国の如きは宜しく容れてこれを愛し、それをして徐々に進歩の途に向はしむべし。外交の道ただこれあるのみ。」(124p)大国との関係は、非同盟中立を旨とすべきことを別に明治21年に述べている。(「東雲新聞」での「外交論」)
2012年07月02日
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津山の洋学資料館には、ずらりと薬草になる花々が植えられていました。ベニバナはちょうど今の時期に咲いているようです。乾燥した花を薬草に使うということ。効用は血行促進作用。他に染料や食用油に使われることも有名。「三酔人経綸問答」中江兆民 岩波文庫時の政策を批判する時に、批判ばかりしていたのでは良くない。対案は持つべきではある。しかし専門家ではない市民の身、原発政策や経済面の複雑な論議に入っていくと埋没してしまって抜け出せなくなる。よって、一番根幹の論議とは何かを考える。根幹を押さえて置くと、結論は直ぐに出るだろう。すると、結局はアメリカとの関係をどうするのか、というところに行き着くのである。それは即ち日本の外交政策をどうするのか、というところに行くだろう。だから憲法9条をどうするのかということは、世の中ことを論ずる時には必要不可欠だし、中国脅威論云々というのは、基本的には決して無駄な論議ではない。しかし繰り返すが、専門家ではない市民の身、脅威論等の細かな軍事比較などしては居られない。良いのは、物事の最初に立ち返ること。グランドデザインを決めた明治の論議をみることだろう。格好のテキストがある。それが本書である。原文と現代語訳の両方があり、訳文は現在に至っても多分最高峰である。三者三様の立場から意見を闘わして方向を探るのは、空海の「三教指帰」から始まり良い方法である。私はかつて真似の戯れ言をしたことがある。紳士君は「民主政治」の立場をとる。(←共和主義に近い)そうなって「自由平等」になれば、軍備や戦争は必要ではなくなる。学芸も栄え、道徳も高尚になる。万一他国が攻めて来たら、主張すべきことは断乎として主張し、「弾を受けて死せんのみ」と答え豪傑君の失笑を買う。豪傑君はどうか。争いは動物にとっても人間にとっても避けられないものであるだけでなく、政治家や軍人にとっては楽しみである。恋旧家と好新家が対立するが、恋旧家は社会の「癌腫」だから、それらをアジアかアフリカの大陸に送り、小国を大国にする方法を構ずればよい。そのことにいま着手しなければ、欧州諸国はかならずアジア侵略を開始するだろう。という。詳しくは読んで頂くとして、現代の我々に最も傾聴に値する論は南海先生の論だと私は思う。専制から一挙に民主制にはならない。立憲制をとおるのが順序である。恩賜の民権を大切に扱い、回復の民権に変えていくのが進化の理法であるという。ここは、兆民自身が「いささか自慢の文章です」と書いているように、当時最も現実的なグランドデザインだったと思う。さて、外交である。「もし彼らの軍備拡張が小規模であるならば、あるいは爆発するかもしれないが、大規模に軍備拡張しているから、爆発することはあり得ないのです。」これは中国脅威論、昔ならソ連脅威論にあたるだろう。それでも、もし攻めてきたとしたら専守防衛に尽くすしかない。「わがアジア諸国の兵隊は、それで侵略しようとする時には不十分だけれども、それで防衛するには十二分なのです。」「二つの国が戦争を始めるのは、どちらも戦争が好きだからではなくて、じつは戦争を恐れているために、そうなるのです。」「要するに、外交上の良策とは、世界のどの国とも平和友好関係を深め、万やむ得ない場合になっても、あくまで防衛戦略を採り、遠く軍隊を出征させる労苦や費用を避けて、人民の重荷を軽くしてやるよう尽力してやること、これです。」この結論に対して紳士君、豪傑君共に「少しも奇抜なことはない。今日では、子供でも下男でもそれくらいのことは知っています」と笑ったが、果たして現代日本の若者はそういう水準だろうか。自衛隊は果たしてこうなっているか、知っているだろうか。(←じゃあ、お前は自衛隊を認めるのか、と聞かれたならば、私は「安保条約を廃棄し、自衛隊を一旦解体し本当の自衛隊になれば認める」と言おうと思う)専制から立憲君主制に移り、やっと民主制に移りつつある現代(移ったとは決して言えない)、最も現実的なグランドデザインはこうだ、と私も思う。現実的だけれども、未だ現実化されていないのが、日本の不幸なのである。
2012年07月01日
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