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先日の日曜日に、津山に行った折に洋学資料館を訪ねました。最近、前野良沢や高野長英、そして中江兆民と江戸時代、明治時代と続く洋学のことを書いたので、少し興味を持ったというわけです。改めて、岡山県津山市は日本の洋学者を輩出し、育て上げたところなのだということを痛感し、同時に1774年「解体新書」が刊行されて以来、明治にかけて日本の「洋学」を育てた基礎を作ってきたところなのだと思ったのです。一つは、津山藩の松平藩主が代々洋学者を大切に扱ったということがある。それが、津山藩においては宇田川家、箕作家ともに身分制度の中で優秀な洋学者を輩出した土台ともなっている。宇田川玄随(1755-1797)が1793年に「内科選要」(初めての内科の医学解説書)を刊行した時に津山藩は援助している。(←つまり、「解体新書」より20年後に内科解説書を難なく翻訳できる実力を日本の洋学者はもったということです)この資料館では、有名な洋学書が一通り見ることができる。山脇東洋の日本で初めての解剖書「蔵志」(1759)のは小腸と大腸の区別がついていない。そもそも、ほとんどの臓器は描かれていない。一方、「解体新書」の木版画を初めて全部見た。驚くほどの詳細さである。数ページに渡って、リンパ腺まで描かれている。当時の人々の驚きは幾ばかりであったか。「解体新書」の翻訳は3年の月日を必要としたし、誤訳や充分でないところもあった。これを一通り発展させて解剖・生理・病理学を分かりやすくまとめた解剖書を作ったのは、宇田川玄随の養子宇田川玄真(1769-1834)であった。「医範提綱」(1805)には、「解体新書」で訳された「厚腸、薄腸」を「大腸、小腸」に変えていたり、リンパ腺の「腺」、膵臓の「膵」などの文字を国産文字として考案している。「ハルマ和解」(1797)という初の蘭日辞書の編纂に携わっていたということももうそんなにまでなっていたのか、と驚きでした。その宇田川玄真の養子は宇田川榕庵(1798-1846)。彼は日本初の植物学書を発刊。その後、日本最初の化学書「セイミ開宗」(1837)を発刊。科学の元を作る。彼が翻訳した語としては「酸素」「窒素」「炭素」「水素」などがある。「珈琲」も彼の翻訳らしい。宇田川家は代々江戸詰めであったが、津山の地で洋学の勉強をしていた医者の系統があった。箕作家である。たまたま箕作元甫(1799-1863)が江戸詰の時に蛮社の獄(1839)が起こり、小関三英が自殺する。外交文書の翻訳に差支えが出たので、元甫を登用。その後、蛮書調所(1856-)の教授になる。洋学弾圧の時代を実にラッキーにかいくぐり、最後は旗本にまでなっている。しかし、彼の翻訳は確認されているだけでも160冊、まことに洋学の基礎を作ったとはいえるだろう。時代の要請にあわせて、ロシア使節のプーチャンが来たときに、長崎に随行したりしています。娘婿の箕作省吾は「神製與地全図」という世界地図を発行している。(1844)これは吉田松陰や坂本龍馬も愛読した。私もその実物を見たが、実に良くできている。中江兆民だけでなく、当時幕末の志士たちは驚くほどに世界情勢を「知って」いたが、こういう基礎文献なしにはそういう認識には至らなかったろうと思う。ただ、幕府側の洋学者は、それを元に日本の将来はこうあるべきだというはっきりとした意思を述べるものがいなかった。それは明らかに蛮社の獄の影響であり、それが明治維新が薩長の主導で進んだことの要因になっているだろうと思う。お抱え洋学者の中から橋本佐内や横井楠南のような人物が出ていたら、高野長英が生き残っており復活していたら、歴史はまた別のものになっていただろうと思う。
2012年06月30日
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昨日は県北に用事があって、途中、日本の棚田百選に選ばれている大併和西(おおはがにし)の棚田を見ました。場所が、ずーと山奥に入っていって人里離れて迷ったのではないかとふと思ったところの山の上に突然現れるのです。まるで雲の上の神仙郷みたいな雰囲気がある里でした。地形に合わせて一つ一つが小さく、そして形が違うのです。長い間の人々の労働の結晶ですね。ちょっと前の日曜日に、「非正規で働く仲間の全国交流集会」というのに行きました。そこの分科会で学んだことを少し。私が行ったのは最低賃金の分科会。ここ最近、生活保護を与えすぎだの、切り下げろだの、遂には消費税を段階的に5%もアップするだの、庶民の生活を無視した政策が決められつつあるのですが、彼らに一度だけでいいから最賃生活を体験させてあげたいとつくづく思います。一ヶ月11万-12万で生活させてみて、それを公表すればいいのです。ものすごい国民教育になって、生活保護切り崩しとか、年収200万以下のワーキングブアが四人に一人とか、若者が就職難を苦に自殺するとか、というのが劇的に改善されると思うのです。日本の賃金は異常事態、なんだそうです。1997年から下がり始め、2011年までに年間収入が55万円も下がったのだそうです。グローバル経済のせいではありません。国際競争の激しい先進諸国のうちで、賃金が伸びていないのはなんと日本のみです。97年を100とした場合の2011年の賃金の国際比較をします。日本は 89.5ドイツは 134.4フランスは 149.6スェーデンは150.8あのアメリカでさえ 155.7イギリスは 158.4ユーロ危機のスペインは 158.4オーストラリア186.1(OECD統計より作成。民間産業の賃金(時間外手当・一時金含む)を物価指数で調整せず名目で示したもの。日本のデータは毎月勤労統計調査による)こうやって、最賃生活ギリギリ生活をしている人たちは、実はほとんど人間としての生活ができていないのです。それを作ったのは自公政権であり、さらに決定的な一撃を与えようとしているのがあの鵺のような顔の野田というわけです。普通の最低限の生活にはどのくらいのお金が要るのか、それをはじき出してみたのがこの前の分科会でした。(←前振りが長すぎまっせ)「最低限の生活」とはなにか。それは人ごとに違うのではないか。とは思う。しかし「つつましくても人前で恥をかかないような生活」をキーワードにパンツ一丁から必要なものを数え上げて作っていく方法はあるのではないか。と、いうことで全国で試みが始まっています。今回私たちは食費、交際費、住居費、交通費・通信費、家具・家事用品、水光熱費、被服、教養娯楽費、理美容費、身の回り品、などに分けて班に分かれて検討していきました。私は被服費のところにはいったのです。例えば、背広は価格を最低の14500円で計算し、耐用年数を4年、たいていセールで2着買うのでそれで計算すると、一ヶ月の必要経費が604円と出ます。それで必要な被服、36品目について全部検討しました。ワイシャツは参考価格3200円は高すぎると判断し、990円耐用年数2年消費量3枚と計算したら、他の人たちから大きなブーイングが出ました。その他、靴下を100円で買えると算出したり、靴を3980円としたり、かなりブーイングをもらいながら一ヶ月の被服費を4006円と出したのです。そうやって、出した一ヶ月の最低生活費は、最賃を大きく上回る211300円になったのです。年収は2535598円です。女性は2648455円でした。最賃を一ヶ月12万とすると、148万円ですから、100万円以上の開きがあるということです。でも、本当に必要なのです。最低!!!食費の最低必要経費は、36784円と出ていました。これに仮に消費税5%がさらに余分にかかるとなると、1839円を節約しないといけないということになりそうです。もうどこからも節約できるわけではないので、二日飲まず食わずをしろ、ということなのだろう。それは非現実的なので、現実的な手段としてはさらに非人間的な生活をする、ということなのだろう。政治に望むことは、簡単なことなのです。人間として生きさせてほしい。生活保護を「施し」として認識しているような議員諸君に何を言っても無駄なんでしょうが。
2012年06月29日
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録画していたNHKアーカイブス「チッソ・水俣工場技術者たちの告白」(1995)を見た。フクシマとの類似性を正面から見る、いい番組だった。チッソは朝鮮での繁栄にこだわり、ダムを作り発電所作りにこだわる。それが失敗し、借金が残る。その頃海に異変がおきる。昭和31年奇病の発見。患者のほとんどは漁民とその家族。「工場が疑わしい。僕らは思いました。」当時の附属病院の医師が言う。海の異変を工場長に伝える。水俣工場新聞は云う。「チッソはドル箱、市の税金のほとんどはチッソが出している」工場長は海の異変を見ても無視。「アセトアルデフトについては、注目したが、戦前から使っている。今更異変が起きるはずが無い」西田工場長(天皇という異名)は、排水を流し続ける。突然、排水口を変更、不知火海全体に広がる。更に生産を広げる。昭和34年、一挙に社会問題に。熊本大学の有機水銀説を発表したのである。チッソは反論。「原因はいろいろある」しかし、技術部の中にチッソが原因だと確信していた人もいた。アセトアルデヒドを作る過程で、有機水銀が出来ることを証明していた。昭和26年の技術者の改善策を会社は取らなかった。その塩出さんは、それ以上声をあげることはなかった。昭和34年ごろ、附属病院はネコ実験で、水俣病の原因を確信していた。西田工場長は本格的反論を考えていた。ネコ実験を心配して黙る様に要請する。「まだ実験は一例のみ。」と、。附属病院の医師は「それは正しかった。」反論は海軍爆薬説を持ち出した。しかし、証拠は見つけ出せない。医師はその後はネコ実験を続ける。あまり大きな症例が見られない。証拠として公表されなかった。医師は「ホッとしました」という。後にこれは水俣病の症例だったと証明される。水俣の漁協以外は生活の死活問題として、工場排水を続ける様に要請。漁民は30万円のお見舞い金で黙らせる。官僚は言う。「あの頃、止めろと言われて、はっきり言って止めれなかったね」新人技術者が微量の有機水銀の検出に成功する。昭和36年暮れ、メチル水銀の検出に成功。上司に言う。「冷静に受け止めていた」上司は公表は考えなかった。「魚に残ることと立証しないといけない」チッソ労働争議が起きる。新人技術者は工場をさる。研究は幻になる。技術部長は「(研究の総括について)むつかしい質問」。官僚「高度経済成長の真っ最中。産業性善説、謝るしか無い。確信犯だね。こう云う事言うと怒られるけど」S48裁判。地裁の判決。西田工場長の死は、秘められた。戒名もつけられなかった。「責めは全部自分が負う」といったらしい。東電会長よりもいいけど、なんだかなあという感じもする。ナレーション「高度経済成長に酔いしれていた日本の姿だった」番組終わり。「はずが無い」「そうで欲しく無い」という事が被害を大きくした。組織の論理、経済の成長にマイナスになることは避けようという構造は、今も続いている。と、アーカイブスを見た姜尚中さんは、云う。今年7月末で、患者認定の申し込みを締め切る。「210万円を差し上げるが、生活保護は打ち切り。おかしいのでは無いか」医師でこの前亡くなった原田正純さん「水俣で失敗したことを活かそう。放射能の健康被害は一般の健康被害と同じ。水俣よりむつかしい。水俣は殺人事件。事件の記憶が消えないことを願っています」姜尚中さん、「教訓は、自然は変えられない。しかし社会は変えられる。ということ。あと一歩までいった人はいた。そういう人と手をつなぐことが必要だった」
2012年06月27日
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昨日の続きです。その後、午後から、戦争中の水島亀島山地下工場以外にあった飛行機工場の疎開地、松工場あと(浦田)、鶴工場あと(龍の口)を見学した。水島亀島山地下工場については、以前何回か記事にしたことがあります。朝鮮人強制労働問題も含んで、保存運動がずっと続いています。その後研究が続いていたようで、本土爆撃が始まった頃から、飛行機工場の疎開は真剣に考えられていたようで、亀島山の他にそこから数キロしかはなれていない、浦田と龍の口に半地下工場を作っていたのでした。今では建物も無いし、木が生い茂ってイメージわかないが、プレス機の台石が残っていた。山裾に作ることで、目くらましになると思ったのである。これは、そこから少し離れた山の中腹にある貯水槽である。今でも充分使える頑丈な作りである。完成間際に終戦になったので、一回も使われなかったらしい。何故、貯水槽が必要かというと、機械油を洗うのと、コンプレッサーを冷却する為に、大量の水が必要だったらしい。この変電所の所に、飛行機の組み立て工場があった。山が周りを囲んでいる地形なので選ばれたのだろう。しかも、変電所の向こうに見える山をくり抜いて、地下工場を作っていたのでした。これは組み立て工場の土台。ミカン畑の間にひっそり残っていた。ここで、8月15日まで紫電改の整備をしていたという人からお話を聞いた。86才。6月22日、水島空襲があったあとは、ここでずっと整備したらしい。4号からはじて、5号の上で玉音放送を聞いたらしい。「その頃は、グラマンに対抗し全ての飛行機は紫電改に変えていた。これの量産が成功していたら、アメリカには負けなかった」と彼は言う。水島といえば、今流行りの「平家物語」関係でいえば、水島合戦がある。合戦は1183年11月17日に海上戦が繰り広げられ、平家が勝利した。鎌倉時代の軍記「源平盛衰記」には「天にわかに曇り日の光も見えず、闇の夜のごとくなりたれば、源氏の軍兵ども日食とは知らず、いとど東西を失って…」と記されている。金環日食があったことで有名である。そして、その合戦ゆかりの地名が連島という所にある。平安時代はここは海に浮かぶ島であった。合戦の矢が流れ着いたというので「矢柄」というちょっとした海岸がある。今では一つの部落を構成している。実は、この部落、戦中は一面田んぼだった。それが戦争末期に「国策」でもって突然住宅地に変貌するのである。言うまでも無く、三菱航空機製作所の為の社宅として一つの村を作ったのである。もう一つ、現代の水島寿町も同様に作られた。矢柄には、私の知人が多い。そう言えば、道は全て四角に区切られ、家の作りは統一され、公園も整備されている、村にしてはモダンな所だった。写真の地図は戦前の連島の地図。丸を描いているところは、この地図では全部田んぼであるが、戦後になると一面住宅地になる「矢柄」である。つまり、飛行機工場の疎開といい、飛行機整備の彼の言葉といい、矢柄という工場社宅といい、日本は本気で最後の最後まで戦争をやる気だったのだ。玉音放送はその流れを、包丁で小松菜を切るみたいにスパッときった、ということなのであろう。貴重な話が聴けて面白かった。来る29日は、岡山空襲があった日である。荷風や谷崎潤一郎が焼け出されたので、割りと有名ではあるが、岡山の空襲はそれだけでは無い。6月22日は、水島空襲があり、三菱航空機製作所めがけて603トンの爆弾を投下したという。この日の地元紙の手記には「妻の上半身が見つからない」と近所の人が言っていたというのもあった。平和を祈る夏がやって来る。
2012年06月26日
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亀島山地下工場を語りつぐ会主催の「6.22水島空襲と亀島山地下工場を考える集い」に参加しました。岡山戦跡についての学習は遅れて行って聞けなかったのですが、戦争時に、旧笠岡高等女学校から学徒勤労動員で、水島三菱の飛行機工場で勤務した時の体験を聞いた。勤労動員、よくドラマで出て来るが地方の実体を具体的に聞くのは初めてだし、こういうのを記録するのは、とっても貴重だと思う。もう彼女たちも80代である。時間はもうない。メモを元に幾つか。Iさん。s19年10月から翌年8月まで働いた。勉強したい時に出来なかった。それが一生の後悔に繋がっている。二年生の時に英語廃止、なぎなた強制、軍隊行進の授業、出征されている家の勤労奉仕、夏休みの課題はどくだみの採取、正味女学校の三年半のうち半分は勉強していない。S20年9月から大学受験で猛勉強したが、英語がちんぷんかんぷん、受験惨めなものだった。「勉強がしたかった」勤労動員は、県下13の女学校から来て、白菊寮で生活、ボール盤に穴を開ける作業をえんえんとした。あるひ、休憩時間、全員工場から出ないといけなかったのに、穴の直径について友達と工場の地面に図を書いて話していたら、憲兵に突然殴られた。それ程に勉強に飢えていた。寮生活では、灯火管制のもと、実家から持ってきた胡麻を啄んでいた。ひもじい体験をした。7月くらいから「数をこなせ」から「ゆっくり丁寧に」になった。8月15日は、朝から片付け、部屋で玉音放送を聞いた。「どうも負けたらしい。僕もようわからん。」と男の人。悲しかったか、嬉しかったか、記憶がない。Sさん。ノギスとマイクロメーターとスッパナとハンマー、それだけで作業していた。部品が無くても工夫していた。女学校の時は、奉安殿の前を通る時ではなく、門を通る時には必ず最敬礼しないといけなった。体育は体力作り。4キロの砂袋をおぶりはしるとか、八幡巡りを水筒一つで回るとか、なぎなたや消火訓練、麦刈り田植え稲刈りなどの勤労奉仕、勉強はできなかった。質問「志願制だったのか。賃金は出たのか。何故市内の女学校が来ていないのか」強制的で全員で行った。みんなで行ったから強制という自覚ない。賃金も思いもよらなかった。あとで、貯金通帳に入っていたのがそうだったのか。勤務は7:00ー15:00、15:00-23:00。思えば三学期と一学期の学費を払っていない。18円から25円は要ったと思う。通帳は親に渡したのでみんな詳しいことばわからない。市内の女学校は自宅から他の工場にいっていた。寮に入ったのは、自宅周りに工場がないところのみ。午後からは、飛行機疎開工場の実地見学に出かけた。
2012年06月25日
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だんだんと近代思想史シリーズになりつつありますが‥‥‥。 12.8平和のつどい或いは「坂の上の雲」 なぜ「坂の上の雲」か 「坂の上の雲」を観た 去年三年がかりの上映が終わったNHK「坂の上の雲」を、私がなぜあんなにも何度となく取り上げたか、と言うと、靖国史観「勢力」のある意図を感じたからである。 意図とは何か。私見ではあるが、?中国侵略、太平洋戦争は正しかった。という史観は戦後教育で通用しなくなっている。?日露戦争までは日本は健全だったということは、司馬史観のお陰で、まだ通用する。?明治を理想化する事で、改憲、特に9条改定の地ならしをする事が出来る。?資本主義の黎明期を理想化する事で、新自由主義の思想的バックボーンを強化する事も出来るだろう。と、いうところだろうか。 結果はどうだったか。それを検証するためには、?NHKの番組そのものがどうだったか?連動キャンペーンの広がりはどうだったか?キャンペーンを批判する運動の広がりはどうだったか?キャンペーンの受けてはどうだったか。特に視聴率、本の売り上げ等?前と後では、世論調査に変化はあったか等々を分析しないといけないだろう。 残念ながら、その全てで、私には準備がない。(誰かやっていないかしら) 印象のみを述べたい。番組は、事前の一定の批判の元であからさまな明治礼讃にはなっていなかったと思う。私は原作は読んでいないが、原作に忠実に映像化しようという努力は感じられ、明治群像の英雄視や歴史的事実の改変は気がつかなかった。しかしながら、私はあまり熱心にはこの番組を観たわけではなかったけれども、肝心要の処で私はこの主人公たちの行動原理が理解出来なかった。兄の好古は福沢諭吉の「一身独立して一国独立す」を信条に青春時代を生きる。それが何故「軍人」なのか、説明されない。(福沢諭吉の歴史的評価は、また別問題だとは思うが当然展開されない)真之もやはり何故「軍人」なのか、さっぱりわからない。子規は病気のために従軍記者になれなかった。それを大変悔しがる。その思想的説明も、やはり一切されない。日清戦争は淡々と描かれるが、反対に言えば、どうしようもなく始まったという印象しか残らない。また、ミンピ殺害事件や日韓併合の批判的視点は見つからない。結局視聴率は15%前後だった。悪くもないが、良くもない。国民的ドラマになったとは言い難い。一つは戦争場面に、女性子供から「避けられた」という意見がある。また、第三部は大震災があり、余計そうなった、という意見がある。後者は製作者の誤算だっただろう。それでも「古き良き明治」のイメージは少しは向上したかもしれぬし、しなかったかもしれない。その辺りの検証はこれから成されるべきである。このドラマの対局にNHK「日本人はなにを考えてきたか」シリーズがあるかもしれない。前半明治の四作は、「坂の上の雲」が無視していた処を掬っていたと思う。
2012年06月23日
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前野良沢、杉田玄白、渡辺崋山、高野長英、と続く洋学の思想は、明治に至りて、二人の巨人を生む。福沢諭吉と中江兆民である。福沢諭吉と中江兆民が、近代国家建設の出発点にあたり、どのような文明論、国家論を構想したか、それを見据えることで、内政、外交ともに息詰まっている現代日本の課題が浮き彫りになる、そういう本だと思う。「福沢諭吉と中江兆民」松永昌三 中公新書諭吉は日本の独立発展のためには、西洋文明の受け入れは必要不可欠と見ていた。文明を善、正義、力、進歩と見ていて、野蛮→半開→文明の発展段階説をとっていた。衝突があった時に、善や正義は常に文明の側にある。文明化が他の地域の植民地獲得をまねくことも、一定の批判は持っていたが不可避と見ていた。西欧列強の植民地支配を避けるためには、西洋文明を受け入れ一刻も早い国家的独立を達成し、さらには他の地域の植民地獲得に進む以外にないのである。その意味では、富国強兵は必然的選択であった。さて、中江兆民はどうか。兆民は進歩史観は持っていなかった。思えば、進歩史観は世界史的に見ても19世紀の産物である。それまでも現状批判とか現状改革ということはあった。しかしそれは、古い時代を理想とみて、旧に復す、復古という観点から、現状批判するのが普通だった(ルネサンス、王制復古、聖人治世)。ルソーの社会契約論も、過去に神と民の約束ということで、自由平等友愛が保証されたのである。兆民は中国古代三代の治世を理想状態にとらえていた。そこから見えるのは、「文明開花」は理想社会ではない。兆民はヨーロッパ人のアジア・アフリカ人への態度を厳しく批判しているが、同様に日本政府のアイヌ政策も厳しく批判している。兆民は「開花をむしろ悪とさえみているのである」。一方、福沢もヨーロッパ人のアジア、インド人への蔑視の場面を見て記しはいる。しかし、彼はだから早くヨーロッパ波に文明開化し、「勝ち組に入るべきだ」という主張になるのである。福沢は、国家間の交際(外交)は基本的には力関係で決まるのであって、一個人の道徳と一国の道徳を混同すべきではないことを強調する。その帰結が「脱亜論」であった。兆民も文明と侵略は一体だと考えていた。しかし、国家の道徳と個人の道徳を分離してはいけないと考えていた。兆民が目指していたのは、富国強兵ではなく、道義立国であった。それはつまり、福沢の功利主義、実用主義への批判にもなるだろう。福沢の実用主義は、「西洋近代化が国際社会で生き残れるか、否かを決める鍵」だと信じられている時代にあって、確固とした現実的方策を示したもので、時代の要請に応えたものだっただろう。問題は、福沢の言う実学の精神が真に近代日本人の血肉になったか、ということだろう。山県有朋は富国と強兵は相互い矛盾する事を承知して強兵を選択していた。福沢は結局その言い分に乗っている。「東洋の政略果たして如何せん」(明15)で、情勢の逼迫のために、増税も朝鮮強硬策も、「国民が選択しなくてはならない」と説く。つまり賛成している。兆民はその時どう論じたか。ひとつ「論外交」がある。富国強兵策を批判、富国と強兵は矛盾する、「富国は為政者の目的だが、強兵は結局万止むを得ない時の一策に過ぎない」と説く。日本のような小国が進む道は、スイス、ベルギー、オランダよような小国・中立主義を取るべきだと説く。福沢の言う富国強兵の道。兆民の言う小国主義。明治の始めに2人の思想家が二つの日本の進む道を示していた。これは、現代日本にも未だ突きつけられている「課題」なのではないか。
2012年06月22日
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まるで三題噺のような題ですが、とりとめもなく書いていたらこうなりました。いちおうカテゴリーは「読書」に入れます。先日「今日は考古学出発の日」ということで、急遽蔵書を探した。奥の方から「大森貝塚」を奇跡的に発見した時、懐かしい本も探し当てた。この「華山・長英論集」(岩波文庫)である。大学の二学年、日本思想史研究室に入った私の受けた必修最初のゼミがこれだった。約20人が順番を決めて数ページづつレポートを提出しそれに沿って議論していく。教養学部では、授業形式しかなかったので初めての体験だった。というか、ゼミの本質は、大学を卒業したあとに後悔とともに初めて思い知ったのだと思う。私は年二回しかなかったレポートを「宿題」感覚でやり過ごしただけだった。現代訳を付け、ポイントを述べただけだった。問題意識もない。ましてや、解説の佐藤昌介氏の意見に対して新説を述べるような勇気も無かった。その年の五月だった。哲学者の真下信一氏を新聞会が呼んで新歓講演会をした。氏は「私たちはどう生き、学ぶか」という極めて本質的な話を極めてやさしくお話した。私は会のメンバーの端くれとして時間待ちの時に氏と暫く話をした。ほとんど覚えていないが、氏が「ほう、日本思想史をしているんですか!今何をしているのですか?」と聞いてきたので華山・長英論集を読んでいると、さも「読んでいる」かのように言ったのだと思う。「うん、それならば高橋慎一君の「洋学思想史論」が参考になると思うよ」と言ってくれたことだけは覚えている。なぜなら、本当にその本を探し買ったからである。しかし内容を全く覚えていない。読んだ覚えはあるが、頭の上を通り過ぎただけだった。もう一つ、氏のことで覚えていることがある。ともかく、何がかは覚えていないが、優しく穏やかな人だった。この人が本当に京都の反ファシズム戦線の中心で闘い、獄舎にも繋がれても(1939京都人民戦線事件)、転向もせずに頑張れた人なのか、そのギャップに不思議に思ったことを覚えている。ともかく、ゼミを通じて鳥居耀蔵がいかに悪い奴か、というような下世話なことだけが頭に残った。今回ざっと目を通してみた。例えば、長英の「夢物語」ではこんな記述がある。乙の人曰く、西洋諸国にては、殊の外、人民を愛憐つかまつり、人命を救い候は何よりの功徳と存じつかまつり候ことにて、既に先年、デネマルカ(デンマーク)と申す国とイギリス争戦のおり、イギリス水軍、デネマルカの都コーペンハーガと申す処へ押し寄せ候処、同都防御の備え、はなはだ厳重にて、イギリス人大いに敗北つかまつり候。その節、一軍艦、石火矢のために大いに破損つかまつり、既に覆没溺死に臨み候ところ、イギリス急に一詭計を考えだし、船中にデネマルカ人数十人捕らえおき候あいだ、(以下略)。つまり、華山・長英たちは、モリソン号打ち払い事件を見て、「その外交政策ではやがて西洋諸国に侵略される。先ずは開国をするべきだ」と主張したいわけであるが、西洋の「捕虜制度」の紹介をすることで「人民を憐れむ」仁の国でないといけないと、武士の泣き所を突く政治的発言をしているわけである。ここら辺の事情を知っていたということは、相当西洋事情に詳しくなければならない。いろんな西洋書物を読んだに違いない。実際彼等の知識は、不正確な所も一部あるが、下手な歴史通よりも詳しいのである。蛮社の獄が1839年。前野良沢、杉田玄白が「解体新書」を著して63年目である。その間に江戸の知識人の海外知識は、長足の進歩を遂げていたのだということを今改めて私は驚き共もに知った。この後、たった30年弱で明治維新を迎えることは、すでに言及した。いつの世も「言葉」は理解の窓なのである。ハングルと中国語を理解する人口はこの10数年で急速に増えたはずだ。それは、おそらく、必ずや東アジアの相互理解と平和に繋がっていくだろう。
2012年06月21日
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「冬の鷹」吉村昭1774年(安永3年)8月、 オランダの医学書の訳本「解体新書」が出来上がった。 しかし、この本には後に我々が常識のように知っている前野良沢の名前は無い。前野良沢が訳者に自らの名を出すのを拒否したからである。杉田玄白、中川淳庵、桂川甫周との共同作業の中で1番オランダ語に通じていたのは前野良沢だった。しかし彼は「未完訳稿ともいうべきものを出版すること自体が、私の意に反する」と云う。いや、不完全でも医学の進歩のために早く出版するべきだ、と云うのが杉田玄白の考えだった。つまり、2人はたまたま志を同じくして大事業を成したが、性格は正反対だったのである。(この辺りの事をまろさんが4月18日の日記で詳しく述べている) 吉村昭はあとがきで、「良沢も玄白も同時代人として生き、同じように長寿を全うしたが、その生き方は対照的であり、死の形も対照的である。そして、その両典型は、時代が移っても、私をふくめた人間たちの中に確実に生きている。」と書く。 前野良沢は学究肌で一生名誉栄達とは関係無く貧しさの中で亡くなった(しかし不幸せだとは私には思えなかった) 。杉田玄白はプロデューサー的資質に富んでいて、人当たりも良く、医者として栄達を極め、金も儲け、人々に囲まれ亡くなった(しかし決して悪辣なことはしていない)。その2人の対比が面白かった。 今回この本を読んだのは、50歳近くになって、オランダ語の学問に目覚め、つきすすんで 行ったという前野良沢になにかしら共感を覚えたからである。この本を読むと、めらめらとハングル学習欲が湧いて来た(^_^;)。 また、人嫌いの前野良沢が何故か急進的な尊皇思想家・高山彦九郎と交流があり、それとは関係無く良沢は択捉(エトロフ)の地理書を翻訳している。完全にノンポリであるにも関わらず、その90年後の激動の思想的準備をしていたことに、何かの「歴史の必然」を、私は思うのである。 その後、つくづく思うに自分は杉田玄白タイプだった。未完成でも、世に注意を喚起することの方を選ぶ。名誉や金銭欲はあまりないが、名を後世に残したい、世の中の為に成りたいという欲はある。前野良沢は、名誉や金銭欲とは全く無縁なので、ついつい自分と重ねあわせがちではあるが、完璧主義の姿勢はやはり私とは無縁だと思う。
2012年06月20日
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今月の労働組合機関紙連載の映画評です。ホントは別の作品を準備中だったのですが、新藤監督死去の一報を受け、急遽変えました。この一文を書くに当たって「裸の島」(1960)を見ました。ユーチューブで全編見ることが出来ます。まさに名作です。「一枚のハガキ」5月29日、新藤兼人監督が老衰で亡くなった。享年100歳、大往生である。歳もそうだけど、作品的にもきっちりと「仕上げ」をして逝かれた、と思う。今回は急遽、監督の最後の作品で集大成、昨年度キネマ旬報第一位「一枚のハガキ」について述べたいと思う。 上官の引くくじ引きで100人いた部隊で6人のみ生き残り、戦後も居場所がなくなってしまったひとりの男と、最初の夫も戦地で死亡、直ぐに弟と結婚させられるも招集されて死亡、その両親も死亡し、独りになった農家の嫁。二人が最初の夫に託されたハガキが縁で出会う話である。 監督の体験が元になっているとは言え、リアリズムでは無い。戦中の農村の出征と葬式の場面を四回、全く同じアングルで同じように描いている。その他、わざと前衛舞台のようなオーバーで激しいセリフのやり取りもある。かなりいろいろな試みをこの作品でしているのである。 毎朝のように孫に「生きてる?」と言われながら起こされ、やっと撮影・監督した作品なのであるが、しかし出来上がった作品は、驚くほど若々しい。 戦争に翻弄され、ボロボロにされながらも、それでも強(したた)かに生きる「庶民」。監督が一貫して追求してきた貧しくても助け合う「家族」の姿と「反戦」、二つが分かち難く強烈に観客に突きつけられる。 他人の引いた 「くじ運」で生き残った男は、「くじ運」が悪くて寡婦になった女と生活することを自らの意思で決意する。「これがワシの最後のくじじゃ」と。 「ここを畑として、一粒の麦を蒔こう」掘っ建て小屋の前に広がる黄金の麦畑。夫婦二人で運ぶ小川の水。最後はこの場面で終わる。これは映画好きならば直ぐに連想するのであるが1960年の「裸の島」(モスクワ映画祭グランプリ受賞)の冒頭の場面のオマージュだ。瀬戸内の島を舞台に、夫婦と2人の息子との厳しく辛い労働と暖かい家族の日常を、一切セリフを無しに描いた名作である。主演は乙羽信子。最後の場面を、自らの独立プロの代表作と最愛の妻の作品に回帰する形で終わらし「これで良し、これで良し」と監督は呟いたのではないか。まさに見事な「おわり」でした。(11年新藤兼人監督作品、大竹しのぶ、豊川悦司主演、レンタル可能)
2012年06月19日
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今日は考古学出発の日である。1877年6月18日,アメリカの動物学者E.S.モースが来日。来日直後,横浜駅から新橋駅へ向かう汽車の窓から露出した貝殻層を目撃し,発掘します。この大森貝塚の発見により,日本の考古学は第一歩を記しました。モースの報告書『大森貝塚』(岩波文庫)を少し紐解いた。文庫青 432- 1大森貝塚/エドワード・シルヴェスター・モース/近藤義郎/佐原真昔読んだ時は、まだお二人とも元気だったのであまり価値が分からなかったのだが、編訳が私が敬愛する近藤義郎、佐原真の両氏なのである。解説はどちらが書いたか明らかにしていないが(多分、佐原氏)、普通の解説には無い情熱のこもった名文であった。例えば、以下の通り。 「大森貝塚」をいまの水準でみれば、物足りない点や部分的な誤りは容易に指摘出来るかもしれない。しかしそのことは、この書物の価値をいささかも減じることは無い。 この研究報告書は決して分厚いものではなく、図版をのぞいて英文で39ページ、日本文で80ページたらずのものである。モースはその中で、貝塚・土器・石器・骨角器・装飾具・土版・動物遺体・人骨・貝類等について、簡潔で要を得た記述を行い、また見事な測図をしめしたが、それだけでなく、ほとんどあらゆる事柄について類例を求め対比を行い理解し解釈しようとする態度を、執拗かつ全面的に展開した。とくに諸遺物の解釈から描き出そうとした大森原始種族および貝類の進化について繰り返し述べる情熱的な叙述は、読む者を圧倒さえする。この書物がなお深い感銘を引き起こすのは、すべてを焼きつくさんとするが如き彼の精神のもっとも鮮やかな表現がそこにあるからにほかならない。 いま日本考古学は年間数百冊厚さ数メートルに達する発掘報告書を生み出し、資料の大海に自ら溺れさせようとしている。加えられているあらゆる状況を考慮せずに述べれば、そこでは画一化と技術主義が支配しようとしている。調査報告とは何かを、いまや「大森貝塚」についてふたたび学ぶ時にきているように思う。(187p)誤りとは、ここでは縄紋人の「食人習慣」が主張されている。出て来た人骨の跡がそうとしか見えない、というのである。解説によると、追加資料がみいだされず、「いずれとも決定されないまま」になったらしい。「大森貝塚人は、プレ・アイヌ人である」という主張もいまではあまり言われない。モースの報告書の図版は、現代でも充分通用する正確さを持っており、同時に美しいのである。やがて、モースが居なくなったあとに、この報告書を超える報告書がでてくるのは、不幸にも50年を待たなくてはならなかった。完成形の土器のみ製図したり、数を数えなかったり、本格的な学問はレベルが下がる。しかし解説者は言う。「モースの方針をそのまま受け継がず、その刺激を間接的に受け止めて独自の熟成を待ったからこそ、良い意味でも悪い意味でもアメリカのものでもヨーロッパのものでもない、日本独自の考古学が育って今日に至っている、ともいえるであろう」1929年、品川区大井六丁目に「大森貝塚」の碑が建てられた(発掘者は全員ここを大森だと勘違いしていたのである)。遺物の多くは現在大田区立郷土博物館にあるはずだ。12年ほど前に訪れた事がある。驚くほどきれいな、典型的な縄紋土器だった。付けたしとして、大森貝塚は、現代犯罪捜査に欠かすことのできない「指紋」の発見にも一役買っている。以下05年に読んだ本の感想の冒頭。「指紋を発見した男」主婦の友社コリン・ビーヴァン 茂木健訳スコットランド人医者ヘンリーフォールズは、宣教師として日本に滞在中、友人モースを手伝い大森貝塚の発掘に携わっているときに、土器に付いている指のあとの筋から『指紋が犯罪捜査に使えないか』と発想する。指紋が犯罪捜査に与えた役割はとてつもなく大きいものがあったが、それが証拠として採用されるまでにはいろいろなドラマがあった。
2012年06月18日
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昨日から今日にかけての日本の動きを見ていると、日本の政治体制が瓦解してもおかしくないような無様な様子を呈している気がしてならない。しかし「革命」は起きない。それをになう勢力が育ってはいないからである。いわば今の日本は、かつて手塚治虫が幕末の日本を称して言った「陽だまりの樹」状態なのではないか。平和に大木が立っているけれども、内実は虫やら病気やらで空洞、或いはぐずぐずになっている、のである。昨日から今日にかけてリツィートした呟きをまとめてみる。俵屋年彦 ?@tawarayat 1960年6月15日、新安保条約批准阻止の統一行動で全学連主流派が国会に突入し警官隊と衝突。東大生・樺美智子が死亡しました。という記念日のことをこの人は忘れない。そしてこのようなことを呟いた。加藤登紀子 (@TokikoKato)12/06/15 17:05今日は1960年6月15日から52年。あの安保反対運動も、安保条約の強行採決から、盛り上がったのでした!今回も、再稼働決定から、不満の声が吹き上げてきてる、と思う!何が違うか、と言えば、学生組織がない事と、労働組合が、動かないこと。一人の声を力にする方法が必要だ!あのときの雰囲気を同じようなものを加藤登紀子も感じているようだ。この日の朝、先ずはオウム最後の手配者高橋逮捕というニューズが流れた。多くの人間が同じことを感じた。それで私もこんな風に呟いてみた。くま ?@KUMA0504 公安委員長「高橋の逮捕は何日にしましょうか」内閣官房長官「15日に決まっているだろ。マニフェストうっちゃって消費税増税決める日だし、大飯原発再稼働もどさくさで決めたい」公安委員長「確認まで。マスコミも号外出して、TV特番組んで大騒ぎしてくれるそうです」そういう感想に対してこう言った人もいる。Masaya Ookawa ?@rabeat07 高橋容疑者の逮捕は、消費税や原発再稼働といった問題から目をそらさせる意図があるのではという声が多い。真偽は分からない。ただ、「逮捕のニュースに惑わされず、税金や原発にも注目すべきだ」という意見が多いのは、坂本龍一氏が語っていた「日本人は変わりつつある」という言葉の証明であろう。もう見え見えなのである。そういう喜劇みたいな茶番を、平気でやるようになっている、というところが「内実は腐っている大木」という感じがするのである。Noriaki Watanabe (@bootcampus)12/06/15 20:588時過ぎに首相官邸前に到着。すごい熱気。労組が仕切るこれまでのデモと違って、一人ひとりが自主的に集まって1万1千人ってすごい! RT @herobridge: 11000人だって!RT @eda_neko: わあ、いまツィートみた。すごいことになっているんだ、首相官邸デモ。すごい加藤が予想したとおり、政府が「社会保障と税の一帯改革」とは名ばかりの大企業を生き延びさせるためだけの消費税増税のための仕組みを、自民、公明、民主の密室協議で決めていたころ、大飯再稼動に対してはかつてない盛り上がりを示し始めていた。しかし、同じ日にこれを強行したところに、既に民主の政権感覚は瓦解しているような気がする。大方の予想通り、NHKを始め、大手新聞マスメディアはこの首相前の一万人を越えた人々を無視するか過小に報道した。それに対してはこのような呟きがあった。小林 順一 ?@idonochawan 「日本の大手メディアが日本社会に貢献していると考えている市民は34%、悪影響を与えていると考えている市民は63%」【 拡大を続ける日本の反原発世論、信頼を失い続ける大手メディア、うろたえる日本政府 】ワシントン・ポスト - 全文翻訳 → http://kobajun.chips.jp/?p=2801きっこ ?@kikko_no_blog 官邸前に2700人集まった抗議行動は報じたのに、1万1000人集まった抗議行動は報じないNHK。これは完全に明朝の福井県知事と野田首相の会談からの強引な再稼働へのシナリオを死守するために、政府がNHKに圧力をかけたとしか思えないね。案の定、次の日には福井知事が大飯原発の再稼動を求めて野田首相が「感謝する」という儀式を行なった。保坂展人 ?@hosakanobuto 「消費税増税」と共に「原発再稼働」が決められた。「3・11」からこの国は何を学び、どこへ行こうとしているのか。ふたたび「3・11」以前に戻れとの強烈な引力を生んでいるものの正体は、既得権益にまみれた旧体制。昨日で疑似「政権交代」の時代は終わり、民主主義の力が試される時期を迎える。保坂さんの言うとおり、日本が変わろうとしている。という予感を私もする。2012年の6月15日は「まだ序の口」であろう。
2012年06月16日
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この前映画館に行くと、ますむらひろしの絵による宮沢賢治「グスコーブドリの伝記」映画のチラシがあった。なるほど、と思う。確かに今こそこの名作を映画化すべき秋(とき)である。 ある日おとうさんは、じっと頭をかかえて、いつまでもいつまでも考えていましたが、にわかに起きあがって、 「おれは森へ行って遊んでくるぞ。」と言いながら、よろよろ家を出て行きましたが、まっくらになっても帰って来ませんでした。二人がおかあさんに、おとうさんはどうしたろうときいても、おかあさんはだまって二人の顔を見ているばかりでした。 次の日の晩方になって、森がもう黒く見えるころ、おかあさんはにわかに立って、炉に榾ほだをたくさんくべて家じゅうすっかり明るくしました。それから、わたしはおとうさんをさがしに行くから、お前たちはうちにいてあの戸棚とだなにある粉を二人ですこしずつたべなさいと言って、やっぱりよろよろ家を出て行きました。二人が泣いてあとから追って行きますと、おかあさんはふり向いて、 「なんたらいうことをきかないこどもらだ。」としかるように言いました。 そしてまるで足早に、つまずきながら森へはいってしまいました。二人は何べんも行ったり来たりして、そこらを泣いて回りました。とうとうこらえ切れなくなって、まっくらな森の中へはいって、いつかのホップの門のあたりや、わき水のあるあたりをあちこちうろうろ歩きながら、おかあさんを一晩呼びました。森の木の間からは、星がちらちら何か言うようにひかり、鳥はたびたびおどろいたように暗やみの中を飛びましたけれども、どこからも人の声はしませんでした。とうとう二人はぼんやり家へ帰って中へはいりますと、まるで死んだように眠ってしまいました。 (青空文庫より。以下引用は全て同じ) 「グスコーブドリの伝記」は、このどうしようもないリアルな「貧困家庭の悲劇」の場面から始まる。少年の時や、まだ世の中のことをあまり知らなかった青二才の頃は、ブドリの視点で物語を読んでいるので、両親の気持ちはまだよくわかっていなかった。「そうは言っても、なにもせずにほっておくなんて」などと思っていたかもしれない。この描写の少し前では、ブドリにはネリという妹があって、二人は毎日森で遊びました。ごしっごしっとおとうさんの木を挽ひく音が、やっと聞こえるくらいな遠くへも行きました。二人はそこで木いちごの実をとってわき水につけたり、空を向いてかわるがわる山鳩やまばとの鳴くまねをしたりしました。するとあちらでもこちらでも、ぽう、ぽう、と鳥が眠そうに鳴き出すのでした。等々と、ささやかだけと幸せな描写がしっかり描かれているのである。それが一回の気象異常で、ブドリの家族はすべり台を落ちる様に病気も治せず飢餓状態に陥るまでになってしまう。両親を責めることは出来ない。せめて子供を道連れにしなかったことを良しとしなければならない。この作品では、イーハトーヴの世界がおそらく1番細かに描かれている。ますむらひろしの絵では、岩手県の形をした全体地図まで描かれていた。イーハトーヴは農業国である。しかも、気候を調整して雨を降らす技術まで発達している。その機械の作業を雲の上でしている描写のなんと神秘的で美しいことか。イーハトーヴがどの様に描かれるか、あの雲をどの様に描かれているか、映画ならではの楽しみはあるのである。構想7年と書いていたから、脚本段階で大震災はまるきり頭にはなかっただろう。しかし、内容を賢治の世界を忠実に再現するものにすれば、それはそのまま現代に対する素晴らしいメッセージになるだろう。
2012年06月15日
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「フィッシュストーリー」伊坂幸太郎 新潮文庫「英語で『fish story』 ってのは、ほら話のことだ」(205p) 伊坂は「ほら話」の力を信じているから、ほらの中に真実があると信じているから、 小説を書いていられるのだろう。 「だいたいさ、正義なんて主観だからさ。そんなのふりかざすのは、恐ろしいよ」「おまえはいつも難しいことを言う」と父が苦笑した。「だから、結婚できないのかね」母がまた言う。(148p) そして、多分「正義」を信じている。(私と同じように)ずいぶん捻くれた信じかた 、だけど。 「フィッシュストーリー」他三遍の中編含むこの本、伊坂ファンとしては珍しくこのの作品を見落としていた。同じような題名が多いので、読んだものと思っていたみた いだ。今回映画「ポテチ」上映を記念して読んでみた(これを書いている時点ではまだ未鑑賞)。帯に出演者の名前に、濱田岳、木村文乃、大森南朋、石田えりの名前がある。主人公今村に濱田岳は決定しているだろう。となると、ちょっと捻くれた恋人大西は木村文乃という新人なのか。多分黒澤は大森南朋だろうな。脳内映写をしながら読み進めていったのだけど、途中で話の大筋は分かってしまって、何処に落ちるのかだけが関心事だった。木村文乃の出来が総てを決めるような気がする。結局「ゴールデンスランバー」のような多くの伏線を回収する爽快感は無い。一体これをどうやって二時間の映画に仕上げるというのか、私の関心はそちらに移って行った。 「これ、いい曲なのに、誰にも届かないのかよ、嘘だろ。岡崎さん、 誰に届くんだよ。俺たち全部やったよ。やりたいことやって楽しかったけど、ここまでだった。届けよ、誰かに」五郎は言って、そして清々しい笑い声を上げた。「頼むから」(200p) そして伊坂は「希望」を信じている。(私と同じように)ずいぶん捻くれた信じ方だけど。 そして、映画を見た。配役予想は全員合っていた(←流石、私)ところが、想定外だったのは、映画作品には珍しい中篇映画だったのです。見終わった直後に書いた感想をそのまま載せる。評価は五点満点で四点。原作を4日前に読んだばかりだった。こんな中編を何処まで膨らませるのかと思いきや、どんどん進んで行ってあっという間にラストへ。後で確かめると、たった68分の中編だった。 いつも通り、原作通りだ。若葉さん役の木村文乃があんまりすれっからしじゃないのは意外だったけど、これはこれで良い。本で読むより展開が速くて、ついついラストでは、若葉さんと同じで「たったこれだけのことなのに」泣いている私がいた。結果を総てわかっている筈なのに…。いや、一つだけ。中村監督が重要な役で出ていて、初めてお姿拝見したけど、名前と作風からしてもっとスリムな人だと思っていました(^_^;)。
2012年06月14日
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世の中には、勘違いして世の中を認識している人は多々いる。小さくは「ふるさと」という唄の「うさぎ追いしかの山」を「うさぎ美味しかの山」と勘違いするとか。私のブログも誤字間違い含めて、いつも多くの人に指摘して頂いているというのは、ご存知の通り。しかし、組織のトップにある人や、政策を作る人が、まさに関わっている問題で「勘違い」していることが多々あって、それは大いに反省、改めて貰わないといけないし、我々も批判しないといけない。2002年、大分県の日出生台の軍事大演習の時、反対集会の前を、たまたま陸上自衛隊の九州・沖縄地域のトップである松川正昭・西部方面総監か車で通ったらしい。彼は車を止めさせて、つかつかと降りてきて、「演習は国益のためのもので、反対のための集会をやるのは利敵行為である。すぐに解散しなさい」と言った。ところが、集会を開いている市民の中にしっかりしている人がいて、「松川さん、憲法を知っているんですか。憲法では、ちゃんと「集会・結社・表現の自由」が21条で保障されているんですよ」と言ったので、総監のお付きの人が「これはやばい」と思ったのか、総監を車に押し戻して、立ち去ったそうだ。今回の芸人の母親の生活保護受給問題で、ある人が自民党の生活保護見直しプロジェクトの世耕弘成議員事務所に電話したら、出てきた女性秘書は、「親一人養うのはそれほどお金かからないでしょう」「生活保護はおにぎり一個食べられるかという人がもらうもの」「それぐらいなら養えるはず」「生活保護は国からの施し」と対応したらしい。決して少し言葉が滑ったという段階ではなく、「施し」って連発してたという。とにかくより恥ずかしくしたいらしい。「より恥ずかしく」「より家族間格差を反映し」「より少ない額を」という言葉も出たという。これは独り秘書の見解ではなく、少なくともその議員の見解だとみていいだろう。いや、独り世耕議員の見解ではなく、自民党の見解だとみていいだろう。生活保護法見直し策を自民党が発表している。http://www.jimin.jp/policy/policy_topics/recapture/pdf/062.pdf●生活保護費の10%引き下げ。●「就労の義務化」。単純!作業・清掃!を生活保護受給者に提供するという。 彼らの頭の中では強制労働のイメージなのか。●現金給付を止め、「食費回数券」などを導入して食費や衣服の現物支給へ 。つまり「施し」なわけです。●生活保護を3年で打ち切る「有期制」にする 。病気や老人は三年の内に死ね、ということらしい。●生活保護受給者の医療費の自己負担、医療費扶助の大幅な削減 全く勘違いしている。感覚としては江戸時代まで遡って「御布施米」だと思っているらしい。人間らしく生きる権利を求めて、憲法25条を作って60年間やって来た日本は長い間に次第と劣化している様だ。
2012年06月13日
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昨日6月10日、沖縄県議選があった。結果は引き続き自民、民主、公明の与党が過半数を取れずに野党の勝利に終わった。『琉球新報』の社説は次のように書いた。野党・中道系が過半数の県議会の継続で、国が仲井真知事に期待する「辺野古回帰」の可能性は完全についえたと見るべきだろう。 野田佳彦首相は県議選の結果を重く受け止め、実現不可能な辺野古移設を断念すべきだ。普天間の県外・国外移設や閉鎖・撤去へ向け、対米交渉をやり直すのが筋だ。(もっと詳しい沖縄情勢はとりあえず社説全文を読んで欲しい)沖縄でオスプレイの配置に決定的にNOを突きつけるその直前の9日に、なんと本土の岩国市は配備に結びつく搬入を了承したという報道が飛び込んできた。沖縄の『争点』は辺野古だけではない。高江のヘリパッド問題もあるし、何よりも『世界一危険な戦闘機』オスプレイの普天間基地配備問題もある。なぜ沖縄があんなにも強固にオスプレイを恐れるのか、本土の自治体首長は分っているのか。分っているとは思えない。この沖縄と本土との認識の違い岩国で世界一危険なオスプレイがくるということは、即ちその近隣の県も危険にさらされるということである。たまたま、10日に総会を行なっていた岡山県平和委員会が、この報道を受けて声明文を出している。問題の説明文にもなっていると思うので、そのまま載せる。(声 明) オスプレイの岩国基地への搬入中止を 2012年6月10日 岡山県平和委員会 2012年度総会 新聞報道(山陽新聞6月9日など)によると、日米両政府は沖縄の米海兵隊普天間基地に配備する垂直離着輸送機MV22オスプレイについて、今年7月に米海兵隊岩国基地に先行して搬入し、安全確認する方針とのことです。 MV22オスプレイはこれまでに何度も墜落しており、今年4月にもモロッコで墜落したばかりです。この墜落事故について、米側は6月8日に「機体に不具合はなかった」との調査結果なるものを発表していますが、墜落原因が特定できない段階での岩国基地への搬入及び普天間基地への配備は許せません。 しかも、今年3月にはオスプレイを本土の基地にも配備するとの報道もあったため、今回の岩国基地への「搬入」が「配備」につながる可能性も否定できません。普天間基地へのオスプレイの配備については、沖縄県議会が全会一致でその配備に反対する決議を採択し、宜野湾市議会はじめ8割を超す県の自治体が反対決議を採択するなど沖縄が県民ぐるみで反対しており、この配備強行の地ならしを、岩国基地を使って周辺住民を危険にさらして行おうとするものです。また、航続距離の長いオスプレイを日本の米軍基地に配備することは、東アジア全体に新たな緊張関係をもたらす危険なものです。 岡山県内では、昨年3月2日に米海兵隊岩国基地所属のジェット戦闘機が県北一帯を低空飛行して広範囲に爆音被害を及ぼし、津山市内の土蔵を崩壊させた事件の補償手続きが行われているところですが、米軍は土蔵崩壊被害者や県北一帯の住民に一切謝罪していません。 また、岡山県だけでなく、岩国基地に起因すると見られる米軍機の低空飛行訓練は、中国四国近畿地方の広範囲に及び、先日開催された中国5県の知事会でも政府に対して低空飛行訓練中止の要望が出されており、これ以上の岩国基地の強化や危険の増加は地元の岩国市だけの問題では済まされません。 日本国憲法と平和を願う主権者国民の意思を無視し、岩国基地を取り囲む広範な地域の住民の危険と不安を大幅に拡大し、東アジア全体に危険をもたらすオスプレイの岩国基地搬入を私たちは断じて許すことができません。私たちはオスプレイの岩国基地搬入の即時中止と、普天間基地の無条件撤去をはじめ、海兵隊の沖縄・本土からの撤去を強く求めます。
2012年06月11日
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「親米と反米」吉見俊哉 岩波新書日本社会は、特異なまでに親米社会である。それが、どのように形作られてきたか、戦前戦後に渡って、大衆的レベルでの構造を明らかにしようとする。しかし、記述は、表層を小難しくなぞるのみ。がっかり。例えば、以下はまあ、表層的にはその通りだとは思う。こうして50年代半ば以降の東アジアでは、社会主義圏に対する軍事的基地の役割を韓国と台湾、そして沖縄が負い、日本はもっぱら経済発展の中枢としての役割を担って行くことになった。(略)この時、日本の中の「アメリカ」は、ある構造的な変質と隠微の構造を含んでいった。すなわち、軍事的な暴力と消費的な欲望が表裏になった占領者としてのアメリカが、ナショナルな消費生活のイメージを全面に出しつつ日常生活に深く浸透していくアメリカへと変容を遂げたのである。(15p)しかし、そのように「しかけた」アメリカ並びに日本政府・財界を無視しているか、見えていないので、そういうアメリカを支持した国民が、「主体的」にそれを選んだ事になってしまっている。占領期の天皇とマッカーサーの「抱擁」が予感させた二つの帝国の談合的な関係が、60年代までには広範な国民の日常意識によって積極的に支えられる様になっていたことを示しているのである。(206p)全然「主体的」ではなかったとは言えないかもしれない。しかし、それを批判的に見るのか見ないのかでは、天と地程の差があると私は思うのである。さて、今夜何度目かの日米関係における結節点、沖縄において、世界一危険なオスプレイの導入を大きな争点にして、沖縄県議選の結果がわかる。このことに付いては、他で述べたい。
2012年06月10日
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「平成23年版まんがで読む防衛白書 ~東日本大震災における自衛隊の災害派遣活動~」防衛省オールカラー72pのまんが版防衛白書です。500円。こういう本を出す事自体は、政府の政策を子どもにも伝えるという意味で大切なことだと思う。しかし、防衛省しかこの手の本が本屋になかったのは、問題。そして中味ですが、自衛隊の災害派遣活動をまとめたものとしては「普通」だと思います。が、まるで防衛省の活動が「これのみ」だという様な印象を与えるのは、如何なものかと思う。しかも、このうち10pも割いて、わざわざ他国アメリカの支援活動について書いているのは、異常だと思います。しかも、此処に描かれていない重要な事は、あまりにも沢山ある。例えば、「演習に参加予定だった米空母ドナルドレーガンなどの艦艇も予定を切り上げて」来てくれた、と書いているが、横須賀にいた原子力空母ジョージワシントンが震災直後引き潮であと3mとで座礁の危機にあって、原発事故では、自治体より早く情報を貰ってずっと日本の外へ避難していたことは、書かない。それよりも、災害派遣活動はあくまでも自衛隊の側面活動であって、あくまでも主要任務は戦争に対する「備え」であることは、書かない。大きく防衛戦略の変更があり、膨大な予算が必要であることは、もちろん書かない。
2012年06月09日
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「楊令伝12」北方謙三 集英社文庫「何もかも、『替天行道』が悪いのじゃよ、宣賛」 「おかしなことを、言われますね」「いや、悪い。悪いということにしておこう。宋江殿はあれに、新しい国を作る夢まで書かれてしまった」杜興の言葉に、冗談を言っている響きはなかった。 「腐敗した権力を倒すべし。それだけが書かれていたら、宋を倒して、梁山泊の闘いは終わりであった。新しい国は、誰か別の者が作ればいい。梁山泊で闘った者は、人民の海に消えていくだけで良かったんじゃ。そしてまた、権力が腐敗すれば、 『替天行道』 を読み継いだ者が、立ち上がればよい。闘いの輪廻はあっても、闘う者たちはそのたびに変わる」「新しい国を作ることは、間違いだと言っているのですね」「そんなことは、言っておらん。そこまでできるのだろうか、と言っている」「おかしなことを、言われます。現に、この梁山泊は」「うまくいっておるのであろうな、多分」「まだ、この世に顔を出したばかりの国ですが」「難しいな。ここは国なのか?」「国です」なんという話だ、と思っても、杜興は途中でやめない。「わからんのう」(213p) 大いなる不安の中で、梁山泊は苦しんでいた。杜興は小さな綻びを直す為に、自ら命を落とす。古株たちも水滸伝の英雄に負けない見事な最期を遂げたが、 私はこの古狸の死に方が1番心に残った。思えば、楊令が初めてみんなの前で新しい国つくりの理想を語ったとき、一番冷静に沈思して聞いていたのは、この杜興だった。 「のう、宣賛。いま梁山泊はいい夢の中じゃ。夢は醒める。醒めた時、いい夢が現実になっておる。そうするのは、おまえたちの仕事じゃよ。わしは、もうきつい仕事はできん。おまえたちが、やれ」 いま日本は、外面は穏かな大木だが、中味はグズグズに腐っている陽だまりの樹なのではないか。真の意味で、憲法が暮らしの隅々まで活かされている国、そんな未来は果たして来るのだろうか?もし出来た時、私たちはもしかしたら、途方に暮れるのではないか。そんなことさえ、思ったのである。私は、杜興の立場か、宣賛の立場か。
2012年06月08日
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ホームレス歌人のいた冬/三山喬【RCPsuper1206】<雨降れば水槽の底にゐる如く図書館の地下でミステリー読む>私が1番好きな公田耕一氏の歌である。それは、一般的なホームレスの生活を見事に映し撮って居るのと同時に、「インテリ」の公田耕一氏の人物を色々想像させるし、何よりも私自身の失業者生活も想起させるという意味で、やはり表現力豊かな歌なのである。 「水槽の底にゐる」は単なる比喩では無く、ホントにそういう図書館なのだということも明らかになる。 2008年の暮れ、朝日新聞の「歌壇」に突如として「(ホームレス)公田耕一」と記された投稿が掲載された。リーマンショック、派遣村で騒がれていたあの冬である。 <(柔らかい時計)を持ちて炊き出しのカレーの列に二時間並ぶ> 「柔らかい時計」とは、サルバドール・ダリの代表作「記憶の固執」に描かれたぐにゃりと溶けた時計を指す。今までと異質の時間が流れている。新参のホームレスだったのかもしれない。入選が重なった意味の☆マークがついていた。 公田は週1、2回のペースで投稿し、28首が入選、2009年の最多入選者となった。彼にまつわる歌も次々に投稿され、紙面には「ホームレス歌人さん 連絡求ム」という記事も掲載された。しかし、公田は名乗り出ることはせずに、9か月の投稿を経て突然姿を消す。その在り方まるで「写楽」の如し。本書は、横浜・寿町のドヤ街を中心に幻のホームレス歌人を探し歩いた記録である。 私自身は、二回目の朝日新聞の「連絡求む」記事は覚えているが、それ程熱心な朝日歌壇の読者では無い。しかし、ここが世の投稿歌壇の最高峰だということは知っている。<百均の「赤いきつね」と迷いつつ月曜だけ買う朝日新聞>。寿町のあるホームレスは「金を新聞に使うなんてしない」と言い切る。しかし、だからこそ公田耕一氏にはリアリティがあるのである。<哀しきは寿町という地名長者町さえ隣りにはあり>。著者は公田耕一を捜しながら、やがては「自分だって、一歩間違っていたらそうなっていてもおかしくはなかった」という実感から探す。著者は一つつまづくと直ぐホームレスに落ちる「すべり台社会」の矛盾等を告発する気はさらさら無く、現実ホームレスの心の「虚無感」を取材過程の中であぶり出す。それはそれで、またリアルだった。そして、最後の方で「表現するという行為には、計り知れない力があることを改めて知ることが出来た」と勇気をもらう。 このルポ自体、まるでミステリーのようだった。公田耕一を巡るどんな「謎」があるのか、先ず明らかにし、 それを解こうとする本である。 しかし、ルポなのでネタバレをするが、結果的に公田耕一氏に会う事は叶わなかった。(公田はくでんと読む。本人が一度だけ福祉施設に連絡してきた時にそう名乗った)。ただ、著者が推論する「公田耕一の その後」を、私は「正解」だと思う。 公田耕一氏を求めながら、現代のドヤ街の現実を生き生きと映したルポであり、その周りにうごめく「現代の不安」をも見事に映し撮って居ると思う。 <親不孝通りと言へども親もなく親にもなれずただ立ち尽くす><胸を病み医療保護受けドヤ街の柩のやうな一室に居る> <辞書持たぬ歌作りゆゑあやふやな語句は有隣堂で調べる><ホームレス歌人の記事を他人事のやうに読めども涙零しぬ><野毛山を下れば汗の吹き出してドン・キホーテへ涼みに入る>
2012年06月07日
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今日から二十四節気は芒種、七十二候では螳螂生 (かまきり しょうず)です。稲穂の種を蒔く頃だと言われていますが、最近は早いので田植えの時期になったということですね。蟷螂の卵からうようよ赤ちゃん蟷螂が出てくるのもこのころです。蟷螂の食欲は旺盛で、小さな昆虫を食べる食物連鎖では上位の方にいます。時には蛙さえ食べるらしい。特にメスは食欲があってオスをも食べる、というのは有名です。私にはその姿が、自分の食欲に自らをも食い殺される現代世界の『資本』の動きのように見えます。さて、昨日の続きです。『ポテチ』「ゴールデンスランバー」など、伊坂幸太郎作品の映画化で定評のある中村義洋監督が、伊坂の中編小説を原作に、別々の人生を歩んできたプロ野球選手と平凡な青年が辿る数奇な運命を描く。出演は、中村作品の常連の濱田岳、そして木村文乃、大森南朋。 原作を4日前に読んだばかりだった。こんな中編を何処まで膨らませるのかと思いきや、どんどん進んで行ってあっという間にラストへ。後で確かめると、たった68分の中編だった。 いつも通り、原作通りだ。若葉さん役の木村文乃があんまりすれっからしじゃないのは意外だったけど、これはこれで良い。本で読むより展開が速くて、ついついラストでは、若葉さんと同じで「たったこれだけのことなのに」泣いている私がいた。結果を総てわかっている筈なのに…。いや、一つだけ。中村監督が重要な役で出ていて、初めてお姿拝見したけど、名前と作風からしてもっとスリムな人だと思っていました(^_^;)。 ラストの変更が素晴らしい。良い「キャッチボール」している(^-^)/。「キラー・エリート」久しぶり、硬派のドンパチ映画です。なんやかんや言っても、なかなか観れない硬派の男三人組の三つ巴になるのかと思いきや、ロバート・デニーロが早々に軟弱になっていて、基本ジェイソン・ステイサム主演映画みたいになっていました。別に悪くはなかったんだけど、この三人が出る以上はもっとヒリヒリする様な騙し合いの頭脳戦か、息もつかせぬ撃ち合いを期待していました。その両方を見せながら、あと一歩足りないといった背中が痒くなる様な作品でした。「事実を基にしている」という制約があったのでしょうか。 あと、終わり近く裏の組織の正体が割れる場面があるのだけど、それは前半で既に割れている。あれはちょっと失敗では無いか。 久しぶり!クライヴ・オーウェン。ちょっと顔が浮腫んでいる様な感じなのは、苦労したんでしょうか。「トゥモロー・ワールド」の銃撃戦の美しさは一部マニアが語っているだけで、なかなかメジャーになっていませんが、もっと活躍して貰いたいものです。 (以下資料)冒険家として知られるラヌルフ・ファインズの原作を、本作が長編デビューとなるゲイリー・マッケンドリー監督が映画化。引退を決意した凄腕の殺し屋が、かつての相棒を救出するために新たなミッションに挑むサスペンス・アクション。出演は「ブリッツ」のジェイソン・ステイサム、「ザ・バンク 堕ちた巨像」のクライヴ・オーウェン、「昼下がり、ローマの恋」のロバート・デ・ニーロ。 1980年、メキシコ。極秘ミッションに駆り出された殺し屋のダニー(ジェイソン・ステイサム)は、師匠でもあり良き相棒でもあるハンター(ロバート・デ・ニーロ)とともに、いつものように厳重な警戒を潜り抜け、リムジン内の標的を暗殺。しかし、同乗していた目撃者である10歳の少年に向かって引き金を引くことがどうしてもできなかった。自身の限界を悟ったダニーは、危険な稼業から足を洗う。1年後、オーストラリアの農場で恋人と静かに暮らしていたダニーの元に、ハンターのポラロイド写真が届く。ハンターは“SASの精鋭を事故に見せかけて殺せ”という危険な仕事に失敗し、捕虜となっていた。ダニーはやむを得ず、ハンターが遂行するはずだったこの不可能なミッションを継ぐため、仲間たちを招集。だが、元SASの隊員スパイク(クライヴ・オーウェン)は彼らの不穏な動きを敏感に察知していた。その背後の存在があり、ダニーへの包囲網は確実に狭まっていく。そして、影で暗躍する謎の“エージェント”の存在。敵の予期せぬ奇襲。徐々に動きが制限される困難な状況下、ダニーは決死の行動に出るが、その先には予想もしなかった事実が存在していた……。 監督:ゲイリー・マッケンドリー脚本:マット・シェリング ジェイソン・ステイサム:Dannyクライブ・オーウェン:Spike ロバート・デ・ニーロ:Hunterドミニク・パーセル:Daviesベン・メンデルソーン:Martinイボンヌ・ストラホフスキー:Anne ドミニク・パーセル:D 「ファミリーツリー」監督 アレクサンダー・ペイン出演 ジョージ・クルーニー、シャイリーン・ウッドリー、アマラ・ミラー そうは言っても、アカデミー賞脚色賞である。期待していた。しかし、なんということはない、アメリカ映画によくある「家族の絆を確かめる」作品で、サプライズはなし。 彼らの顔は立派なアメリカ人なのだが、立派なハワイ育ちなのである。ジョージ・クルーニーが出演したのは、52番目の洲であるハワイの歴史と土地を初めてメジャー映画で取り上げたからだろうか。甘々だったけど。長女のシャイリーン・ウッドリーが美人でした。 「王宮の陰謀 判事ディーと人体発火怪奇事件」人体発火となれば直ぐに思い浮かぶのは「パイロキネシス」(←えっ?私だけ) 超能力ですよね。実際登場人物の能力は超能力級だし、洛陽の地下には怪しいもう一つの都があって六本腕の阿修羅像みたいな人が琴を奏でているし、機械じかけみたいな怪物も出て来るし、聞いた事もないような 仏塔“通天仏”は出てくるし、なんでも有りのファンタジーSFみたいな趣きで始まるので、そう思っても無理は無いのです。 処が何と、これを全て理詰めで説明しようとするのが、この作品の大いなる挑戦なのでしょう。ちゃんと伏線も張ってあるし、それは見事なものです。よくも彼処に落としたなあと感心しました(^-^)/。但し、はちゃめちゃを後半は封印したので 、少し勢いが削がれたかもしれません。 また、感心したのは、それぞれの登場人物たちのキャラが立っている事。前半捜査を進める三人組の一人司法官ペン・ドンライ(ダン・チャンライ) は白髪。この由来を説明しない。野心家でもありそうだし、チンアルに恋心を抱いていそうだけど、一切明らかにしない。則天武后の美しき側近チンアル(リー・ビンビン)も過去に何かあったみたいだし、それだけで一つ物語が作れそうなのに、一切明らかにしない。そして三人組はそれぞれがそれぞれを疑っている。しかもその奥では尊敬も恋心も持っている。しかもそれぞれが能力抜群だから、とんでもない危機でもとりあえず安心出来る。 しかも、重要なのは、全然こむつかしくなくて、見事なエンタメだということ。しかも、ともすると、空中分解しそうなこの話を着地させたのは、やはり中国三千年の「歴史」 だということなのではないか。国際都市洛陽の再現映像は見どころの一つです。 『少年と自転車』「ロルナの祈り」のダルデンヌ兄弟が、日本で開催された少年犯罪のシンポジウムで耳にした“育児放棄された子ども”の話に着想を得て作り上げた作品。出演は、「ヒア アフター」のセシル・ドゥ・フランス、100人の候補者の中からオーディションで選ばれた新人トマ・ドレ。カンヌ国際映画祭で、審査員特別グランプリを受賞。 「二時間も捜した。こんな事をするようじゃホームに返すぞ」「 あなたが言うことじゃないわ」「俺とこいつと、どっちを取るんだ」「…子供よ」 サマンサは多分、里親を引き受けたとき、理屈は分かっていたかもしれないが、感覚的には、仔犬の里親を引き受けるような感じだったのではないか。 サマンサは多分、聡明な女性なので直ぐに自分の誤りに気がつく。心に大きな傷を負っているのと同時に、まだ自分の気持ちを表現する方法を持たないだけの、シリルは聡明でやさしい普通の子供であるということを。 と、同時に彼の父親は「ある子供」がなんとか大人になったような責任能力の無い人間であ ることにも気がつく。 子供と恋人の二者択一を迫るような恋人は、当然別れるべきであった。しかし、子供を責任持って預かるということは、容易いことじや無い。シリルがその大変さに気がつくのはずっと後になるだろうが、サマンサの気苦労は大変なものだった。何しろ、たった数ヶ月で「少年の母親」になったのだから。だからこそ、彼女には喜びが与えられたのだろう。 今回は今までの作品ほどには、社会の悲惨度は少ない。それは、ひとえにサマンサが守ったからである。 「メン・イン・ブラック3」月面のルナマックス銀河系刑務所から、凶悪S犯のアニマル・ボリスが脱獄し、地球に逃亡した。超極秘機関“MIB”のエージェント“J”と“K”は、ボリスが関係する犯罪の捜査を始める。しかしある日、出勤した“J”は、相棒の“K”が40年前に死んでいると聞く。どうやら、ボリスは40年前に自分を逮捕した“K”を恨み、過去に遡って“K”を殺してしまったらしいのだ。“J”は40年前にタイムスリップし、若き日の“K”とボリスの阻止に乗り出す。と云う話らしい。監督バリー・ソネンフェルド出演ウィル・スミストミー・リー・ジョーンズジョシュ・ブローリン ともかく、ジョシュ・ブローリンが素晴らしい。だんだんとKに見えて来る。 話は、ほとんど100年前の科学空想小説と同じレベル。まあ、それだから楽しいのかもしれない。隙のない真面目なSFならば、疲れるのかも。ただ、人間や宇宙人の命があまりにも「ゲーム感覚」で描かれているのが、アメリカにとっても、日本にとっても、気になる。処で、結局Oとの間に何があったのか。
2012年06月06日
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5月はいつの間にか13作観ていました。文字数をオーバーしたので、2回に分けます。「ブライズメイズ 史上最悪のウエディングプラン」監督 ポール・フェイグ出演 クリスティン・ウィグ「宇宙人ポール」、マーヤ・ルドルフ、ローズ・バーン「X-MENファーストゼネレーション」、クリス・オダウド、メリッサ・マッカーシー ブライズメイズ(花嫁介添人)というのは、結局ウエディングプランナーを友人達が引き受けるということなのね。 全米では、大笑いの渦だったみたいだが、日本では、一部分受けに終わるだろうと予測します。とりあえず、私の感想はそうです。アメリカン下ネタジョークは日本には馴染まないと思う。 「ハングオーバー」女性版か、はたまた裏「セックス・アンド・ザ・シティ」か、という宣伝文句は全く正しい。途中で帰ろうかと思った映画は久しぶりだった。後半は無理矢理感動、恋愛もので終わらしたので、何とか見終えることが出来た。女性の感想はどうなんだろう。 シネマ・クレール2012年5月1日『愛しの座敷わらし』監督 和泉聖治出演 水谷豊、安田成美、濱田龍臣、橋本愛、草笛光子盛岡の夏は美しいねえ、特に舞台になった遠野?久しぶりの金子成人の脚本、職人監督和泉聖治のコンビで、可もなく不可もない家族映画を見てきました。あまりにも簡単に家族が仲直りするけど、これも座敷わらしのおかげだと思えば、納得がいくわけで…。水谷豊と安田成美、この二人で曲がった心の子供が出来るはずがない。冒険の全くない作品でした。2012年5月1日「わが母の記」監督 原田眞人出演 役所広司、樹木希林、宮崎あおい、三国連太郎、 劇場 Movix倉敷昔「しろばんば」は愛読書だった。中学生の時、少年の成長記は一通り読んだ。下村湖人「次郎物語」山本有三「路傍の石」。これもその一つだった。一つ特徴的なのは、あまり教訓的では無いこと、お祖父さんの妾と一緒に土蔵に住む少年の日々が何とも哀愁を帯びていたということだった。「母親に捨てられた」そう少年の心に染み付いた想いは、読んでいる私の心に傷とは残らなかったと思う。この作品執筆時期には、まだ実の母親のホントの気持ちには、井上靖は気がついていないはずなのではあるが。井上靖の自伝小説で追いかけたのは、疾風怒涛の柔道に明け暮れた大学時代まで。それ以降の話は全く知らなかったので、とても新鮮に観る事が出来た。 樹木希林のゆっくりと呆けて行く様があまりにもリアルで、かつ、洪作の母親としての存在感が素晴らしい。これで彼女に主演女優賞が行かなければ、どれで取れるのか、と私は思う。介護施設も整っていないこの頃、母親の為に女中を頼み、別荘地に一年ほど避難出来る境遇は特別な環境であって、「普遍的な話」ではないのだろうか。そうではない。母親の呆け方や、家族の右往左往は、多かれ少なかれ階層と時代を越えて、とても共感出来るモノに仕上がっていた。家父長的な作家の家族の姿こそいまはないが、一つの家族の典型を作っていたと思う。 役所広司は職人的な仕事をこなし、作家の視点だけでは平坦になる為、娘の視点も、宮崎あおいは単なる語り部に終わらないリアル感を出していた。 誰でも「思い出す」部分がある力作だった。2012年5月6日「おとなのけんか」監督 ロマン・ポランスキー主演 ジョディ・フォスター、ケイト・ウィンスレット、クリストフ・ヴァルツ、ジョン・C・ライリー原題は「CARNAGE」【名詞】【不可算名詞】大虐殺.用例a scene of carnage 修羅(しゆら)場.[イタリア語「死肉」の意]by研究社 新英和中辞典私は普通の犬も食わない「けんか」の意味かと思っていた。やはりそうじやない、「死肉」ですな。大ヒット舞台劇をポランスキー監督がオスカー女優男優を駆使して、飽きもさせぬ室内劇に仕上げた。CMを観た限りでは、二幕ものかな、と思っていたが、何と一幕もので一挙に見せてくれた。本来、一瞬にして攻守逆転、敵味方入れ替わるには、それなりの「間」が必要なはずだが、この四人には必要ない。偽善と傲慢、傍若無人とヒステリー、大人の様々な「嫌な所」をこれでもか、というくらい見せてくれる、いうなればそれだけの終わったらなんかスッキリするような作品です。ラストは大人のけんかに子供には出る必要はなかったという意味か。劇場 シネマクレール2012年5月7日『テルマエ・ロマエ』監督 武内英樹 出演 阿部寛、上戸彩、竹内力、北村一輝、市村正親、宍戸開、キムラ緑子、笹野高史 Movix倉敷平日なのに、なかなかの入りでした。始終笑いが起きていましたが、今のまでのコメディと違い、爆発的な笑いではなく、「ああ、昔のローマ人が現代のお風呂を見たら、こんな処が凄いと思うんだ」という「発見」の笑いなのです。昔の映画には、この様な「文明風刺」の笑いが多かったとおもうのですが、最近はとんと見ない。そういう意味で新鮮です。 基本的に原作通り。ローマの施設再現は少しちゃちぃ処はありましたが、まあ、コメディなんで許されるでしょう。上戸彩がかわゆく、少し色っぽく、大人になったんだなあと実感しました。いいコメディアンヌをしていたと思います。竹内力が「三途の川」と言った時にはドキリとしました。最後は、温泉に浸かれて良かったんじゃ無いでしょうか。2012年5月10日『宇宙兄弟』 とりあえず、JAXAの試験を受けてみたいなあと思っているひとにとっては、為になる映画だろうと思う。後、ほかに良いところは…、見っ、見つからない!監督 森義隆出演 小栗旬、岡田将生、麻生久美子、堤真一、濱田岳、新井浩文、井上芳雄 「幸せの教室」監督・製作・脚本・出演 トム・ハンクス出演 ジュリア・ロバーツ、学歴を理由にスーパーの店長をリストラされた主人公が、再就職の為に入学した学校でさまざまな人と出会い、世界を広げていく。という話らしいので、(色々参考になりそうで)ものすごく期待していたのだけど、 都合いい脚本とだらけた演出、意味不明のセリフ。トム・ハンクスって、こんなに才能無かったけ。 メリル・ストリープの次女 グレース・ガマーがトムのクラスメートとして出ていたが、全くのその他大勢。何の輝きも無かった(当たり前か)。 (注意 )私の映画評は基本辛口です。絶賛するのは、約1/5の割合です(多分)。悪口記事を読まされるのは不快だ、と思われる方は、遠慮無くコメント下さい。載せるのを控えるべきか、検討します。
2012年06月05日
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「心で知る、韓国」小倉紀蔵 岩波現代文庫編集者からのメッセージここ近年,日本と韓国の関係は急速に接近しあい,一方で衝突も起こしながら,しかし明らかに,これまでにない大きな転換期を迎えています.真に対等な立場で相互に向き合い,共に歩んでいくには,どうしたらよいのか――.課題は山積ですが,まず相手を「知る」,ということが大切なのは,言うまでもありません. そこで,NHK教育テレビ・ハングル講座の先生として評判を呼び,韓国哲学を専門とされる気鋭の学者,小倉紀蔵さんが,韓国の人びとの「心」を,私たちの「心」で感じ,学び,知るための,恰好のガイドを書かれました. 韓国人の心とは? 身体とは? 愛とは? 美とは? 人間関係とは? 言葉とは? 宗教とは? 等々,さまざまな角度から,「韓国ってそうなんだ!」と目から鱗のお話が満載です. 韓国をまるごと知りたい人のための小倉流・韓国小百科.どうぞご期待ください. 【編集部:渡部朝香】 第四章ぐらいまでが総論にあたり、韓国人の心について深く掘りさげている。それこそ、「目から鱗」がたくさんあった。幾つかメモする。 韓国ドラマは不幸を描いても明るい。何故か。「どんな人間でも原理的に100%上昇可能だ。その意味で、現実的に今、下位にいる者も、原理的には上位にいる者と全く同等な存在である、という強烈な信念を韓国人は持っている」(8p) 韓国人は日本人の本音と建前を嫌うくせに、昼と夜の顔が違うことが良くある。何故か。「それを解くキーワードが「理」と「気」である。」(略)「人間関係において、この「理」を前面に出すか「気」を前面に出すか、によって、「理屈っぽい四角四面の韓国人」と「感情的でハートフルな韓国人」というものが分離してくる。」(略)「いわば韓国人は、自分たちの二重性について全く気づいていないのである」(20p ) 何故整形手術が可能なのか。儒教では「孝経」に「身体髪膚はこれを父母に受く、敢て毀傷せざるは孝の始めなり」とあるではないか。(略)「孝の実践」よりも 「飯を食う」方がずっと重要だという人はたくさんいる。階層性の問題。しかも「孝経」自身も「身を立て道を行ひ、名を後世に揚げ、以って父母を顕すは、孝の終なり」とお墨付きを与えている。(34p) この「身体の十全性」が見事に破砕され、それゆえ韓国人の大いなる精神的傷となっている舞台がある。朝鮮半島分断。(略)ソ連の崩壊前、韓中国交樹立前には、多くの韓国人が「我々が共産主義から日本を守っているのた 」といっていたものだ。「日本が安逸でいられるのは、我々が犠牲になっているからだ。日本人は我々に感謝すべきだ」というのである。「反共の防波堤」。(略)ともかく彼らの痛みを少しでも理解しようとするのが日本人のなすべきことだろう。(38p) 日本の若い俳優は、公的な場所でも私的な欲望の言葉を平気で発し、その姿を見て子どもたちはそれを真似る。共同体があってこそ自分が存在する、ということなど思いもよらず、半径一メートルにしか関心を持たず、親や国を愛するなどということを口に出して発しようものなら奇人変人と思われてしまう、と信じている。(略)これに対して韓国の俳優は、家族や国家や民族といった共同体を愛し、公的な場所ではきちんと公的な言葉づかいをし、知的・主体的であろうと振る舞い、自分の所属する共同体の恥とならぬように行動する(ように見える)。(略)ただし韓国の俳優がそのような「優等生的」なふるまいをするのは、社会的に俳優という職業の地位が低く、そのため社会から道徳的なふるまいをしなければ、社会的に葬られてしまう可能性と常に隣り合わせにいるということだ。だから彼らはそういう意味で、実に良く訓練されているというわけだ。本当に共同体を愛する心を、韓国の俳優すべてが強く持っているというわけでは決してない。(40p) 韓国語ではこの二つ(愛と恋) を区別しない。恋人どうしの感情も、家族や国家への愛も、みな同じ「サラン」なのである。(41p) 四つの美意識がある。アルムダプタ 堂々とした完璧な様式美。コプタ 静的で内省的な美。イェップダ きれいだ。美しいときれいと可愛いを足して三で割った感じ。クィヨプタ 可愛いに当たる。若者言葉。日本と同じ「可愛い」の攻撃にさらされているが、「美しい」の価値を捨てまいとする教育やマスメディアや宗教の意思が強いのが、韓国の特徴。(60p) (司馬遼太郎は李朝が空理空論の朱子学を採用したので、党派争いに明け暮れて疲弊し、停滞し、近代化に乗り遅れたと主張したが) この様な朱子学観は、「近代」というイデオロギーにしばられたもので、私としては克服の対象と考えている。日本の江戸時代が決して停滞した閉鎖的な時代ではなかったのと同様、もちろんその社会の形態はずいぶん違うが、朝鮮社会も、決して停滞していたわけではなく、五百年間ずっと改革に次ぐ改革で社会を「儒教化」していったわけである。その方向性が「近代」とは逆だったからといって全部否定できるものではない。(184p) 歴史を見る目も大分違う。なぜ日本人は過去の糾弾 をしないのかということを韓国人はよく言う。過去の糾弾というのは、儒教的な意味でいえば毀誉褒貶の「春秋の筆法」によって、どれが悪くて、どれが良かったという、必ず善悪の価値を付けて歴史を描くことをいう。そういう歴史観こそが文明だと思っている。死ねばすべて仏なんだというような歴史観は、儒教的な意味では野蛮に見えるのである。(225p)
2012年06月04日
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いちおう、読書記録なので絶賛であろうが、酷評であろうが載せることになります。十津川警部ファンの人がいたなら、すみません。「十津川警部「吉備 古代の呪い」」西村京太郎 中公文庫初めて西村京太郎の作品を読む。決して決して十津川シリーズが読みたかったわけではない。当然のことながら、古代吉備について書かれた本なので、食指が動いたのである。内容紹介小説「吉備 古代の呪い」が好評を博した岡山県総社市在住の郷土史家が、招待された古代史研究会の前夜、服毒死した。そして招待状は偽物だった!?ビックリした。こんないいかげんな推理小説初めて読んだ。十津川警部の推理は、肝は全部「想像」である。根拠は無い。都合良く犯人があぶり出される。さて、「非常に面白い」と小説の中で絶賛される「吉備古代の呪い」であるが、温羅伝説と歴史の折衷案である。ほとんど小説の体をなしていなくて、単なるプロットに過ぎない。多分西村京太郎が本物の郷土史家によもやま話を聞いて、チャチャチャと作ったのが関の山である。一回ぐらい鬼の城と吉備津神社、吉備津彦神社に取材して、美味しい酒を飲んて、作ったぐらいの代物でした。この人は小説を舐めている。(←あまりにも酷いので、ちょっと見境なくなっています、すみません)
2012年06月03日
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5月30日、クローズアップ現代で「フィルム映画の灯を守れ」という番組があった。今年中にシネコンは100%デジタル化すると云う。デジタル化のメリットは加工が容易で、表現の幅が広がる、上映コスト(プリント代と人件費)が安くなる。しかし、もちろんデメリットもある。導入には1000万円ものコストがかかると云う。小さな映画館は潰れている。また、映写機の最大手も去年潰れ、部品が無くなっていく。技術も無くなっていく。「今映画は100年に一度の転換期にあると言われています」伊勢の進富座の館主、水野さんは言う。「此処でないと上映できない映画がある。過渡期の映画館として、(技術や作品)を引き継いでいく責任がある。」水野さんは今年5月11日フィルムが一本しか残っていない30年代の(おそらく)人情喜劇映画「羽織りの大将」の上映会を開いた。若き日の桂小金治も出ていて終了後に挨拶をしていた。多くの観客が満足して帰っていった。最近デジタル化の大きな弱点も見えて来た。デジタルジレンマと云う。数年おきに仕様が変わるために、その度にコピーしなおさなければならない。保存の安全も保証できないという。しかし、このデジタル化はもう止まらない。我々に出来ることは、フィルム上映を守っている映画館に出来るだけ出かけて行って、急激な「消滅」を無くすことだと思う。
2012年06月02日
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「沖縄」(製作山本薩夫、監督武田敦、地井武男、佐々木愛主演1970)観た。畳み掛けるような個人の闘いが、終盤に急速に全体の闘いになる。米軍が次々にでてくるし 、普天間の本物戦闘機も次々。一体どうやって撮ったのか。久しぶりに骨太な映画を観た。中村翫右衛門が米軍の脅しにも屈しない古堅村長を演じていて、全く顔を知らなかったのであるが、あとでキャストを見て『さすがだなあ』と思った。米軍と取引をする村長を加藤嘉が憎たらしく演じていて、それはそれで凄いのではあるが、それでも翫右衛門の存在感には負けていた。 最後の米軍戦闘機の演習の弾に当たって死んだおばあの葬儀の場面で翫右衛門は「此処は我等の土地だ。戦さで死んだ兄弟や子供たちの血と汗がしみついている。ひと坪づつでも取り返す」と決意を示す。第2部でもう翫右衛門は出てこなかったが、獲られた土地を本当にすこしづつ取り戻していたということが語られる。そのことが、最後の基地労働者の全員ストライキに繋がって行くのである。こういう映画にありがちな説教臭さはほとんどなく、若者の群像劇がいつの間にか、全沖縄、全国の闘いに結びついていくというラストが素晴らしい。このような映画が最近とんとなくなった。闘いそのものが、尻すぼみになったからなのか。そういう意味では、いまだに『凄い闘い』をつづけている最新の沖縄映画「ひまわり」は期待できるかもしれない。(あらすじ)〈第一部=一坪たりともわたすまい〉昭和三十年。「アメリカーナのものを盗むのは戦果だ」これが代々の土地を奪われた三郎の生活哲学だった。三郎は仲間の清と、基地周辺を金目のものを物色中、黒人とのハーフ・亘とその姉朋子を知った。真夜中のある日、米軍基地拡張に伴う平川集落の強制接収が威嚇射撃で始った。古堅らの抵抗は厳しく身体を張ってのものだった。演習場のそばで畑仕事をしていた朋子の祖母カマドが戦闘機の機関銃弾を受けて死んだ。だが、米軍は演習場の中で死んだとでだちあげ、何の保証も与えなかった。カマドの葬式の日、朋子は、米軍にとりいって資産を殖す山城の静止を破って、軍用地内の墓に向った。白旗ののぼりをたてて連なる葬列、それは抗議の列でもあった。智子は南風へ、清は南米へ行った。それから間もなく農民たちの闘いは全沖縄の闘いへと拡がっていった。 〈第二部=怒りの島〉それから十年。三郎は父親の完道と共に米軍基地に、朋子はドル買い密貿易などに、そして亘は軍用トラックの運転手として働いていた。ある日、三郎と朋子は米軍曹長より、模擬爆弾や薬莢の換金を頼まれた。朋子はここぞとばかり買いたたき、その度胸は三郎を驚かせた。完道が足に負傷してクビになった。軍労働者の怒りは、やがてストライキ闘争へと発展、米国は威信にかけて弾圧した。三郎は米兵に拉致され、朋子は山城の企みで逮捕され亘も解雇された。山城の息子、朝憲は、亘が軍用トラックにひかれて死ぬと、アメリカ民主主義のウソを、軍人法廷で糾弾、父とも訣別した。動揺する三郎たちに、反米破壊活動で独房入りした知念から、団結の叫びがとどいた。翌朝、沖縄基地にストライキが決行された。
2012年06月01日
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