まいかのあーだこーだ

まいかのあーだこーだ

2020.12.28
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冬吾には、自殺願望があります。




冬吾は、
空襲で家屋の下敷きになったとき、
桜子に「俺はもう死ぬ」と言いました。

あとに妻子が残されることなど考えもせずに、
平気で「俺は死ぬ」などと言うのです。

妻の存在は、

二人の子供でさえ「生きる理由」にはならなかった。

唯一、桜子の存在だけが、
冬吾にとって「生きる理由」になりえたのです。
桜子だけが、冬吾に生き続ける気力を与えていました。



冬吾と桜子は、
たがいに愛し合っていたはずですが、

その抑えきれない想いを、
冬吾は絵に込め、桜子は曲に込めることで、
なんとか一線を踏み越えずにとどまっていました。

その純愛は、

戦後の冬吾が、妻や家族ではなく、
唯一、桜子のためだけに生きていたのは間違いない。

笛子も2人の相愛に気づいていました。

達彦とかねを亡くした (と思っていた) 桜子にとって、

そんな桜子を支えようとする冬吾の心情も理解していました。

そして、
冬吾の芸術にとっても桜子の存在が必要なのだということを、
笛子はちゃんと承知していました。

もちろん、そこに嫉妬はあったし、
そのフラストレーションを吐き出すためにこそ、
戦後の笛子は、まるで銭ゲバのように振舞ったりもしました。

それぞれの止むにやまれぬ心境は、それなりに理解できます。



しかし、それでも、
どうしても解せないことがあります。

そもそも冬吾は、
なぜ愛してもいない笛子と結婚したのでしょうか?

そして、
それは彼の自殺願望の結果だったのでしょうか?
あるいは、それこそが、
彼の自殺願望の理由になってしまったのでしょうか?

さすがの笛子も、
冬吾の自殺願望には気づけなかったと思う。

冬吾は、かろうじて桜子の存在によって生きているだけです。



太宰治も、
正妻と3人の子供がいたにもかかわらず、
なんども愛人との自殺未遂を繰り返しました。

「純情きらり」の原作者は、その娘です。

もしかすると津島佑子は、
父の自殺願望の「謎」を解くために、
この物語を書いたのかもしれません。

しかし、
すくなくともドラマを見るかぎり、
冬吾の自殺願望の謎は、
結局のところ、最後まで分からないのです。

愛してもいない女と結婚したせいだったのか。
それとも、もっと本源的な厭世観のためだったのか。
あるいは、自分自身を憎んでいたためだったのか。

この「謎」は、
物語の構造の外側にまではみ出しています。

やはり、
このドラマには、ちょっと怖いところがあるのです。




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最終更新日  2021.01.05 18:56:30


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