まいかのあーだこーだ

まいかのあーだこーだ

2021.08.10
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カテゴリ: メディア問題。
スカパラはないわー。

スカパラで7曲はやめてほしかった…。
恥ずかしいを通りこして、惨めで悲しい。

37°Cの猛暑だというのに、悲しすぎて寒かったです。
見終わったときは、気力を奪われて立ち上がれなかった。
ほとんど国民的なトラウマといっていい。

こんなことなら、小山田圭吾を呼び戻して、
フリッパーズを再結成させたほうが、どんなにかマシだった。

海外にお見せ出来るレベルのものと、そうでないものがある。



そもそもスカパラって、ギャグでしょ。

せいぜい20秒ぐらい演奏させて、
「アハハ!なんちゃって!」で終わらせるべきものだし、
あとは他の音楽と適当なパッチワークにして、
笑って誤魔化せば事足りるような代物です。

ジャズでもなければ、スカでもない。
あんなに下手糞なジャズバンドは国内にもそうそうないし、
本場のジャマイカの音楽とは似ても似つかないし、
要するに、まがいものです。



といえば、たしかにそうなのだけれど、
まがいものなら、まがいものなりに扱わなければならない。
そうでないと、本気で世界からバカだと思われる。



たとえば、

東京ビートルズに7曲も演奏させようと考える人がいましたか?

いませんよ!

だって、あれはギャグだもの。
まがいものだもの。
まがいものなら、まがいものとして相対化しなくてはいけない。
たんに「東京」を冠しているというシャレで終わらせるべきです。

そもそもスカパラは、
新しい音楽でもないし、国民的な音楽でもありません。
日本人だって、ほとんど聴いていない。

ただ渋谷系をファッションとして消費した一部の音楽オンチが、
へんな勘違いで聴いていただけの音楽にすぎません。



伝統芸能やハイカルチャーに織り交ぜて、
通俗的なポップカルチャーも紹介しようという考えは、
けっして間違いだとは思わないし、それもアリだと思うけど、

かりにそうだとしても、
スカパラだけで7曲はないわー…。
あまりに情けなくて、終わった後にグッタリした。

「あの安っぽいジャズバンドみたいのは何?」
「あれが日本じゃ人気なわけ?」
「あれをスカだと思ってるのかしら?笑」
「日本人ってギャグと本物の区別がつかないのね」

もしくは、
「( ゚д゚)ポカーン。何の時間?何やってんの?」
としかならないでしょう。



たしかに現在の東京には、
いかにも「東京」らしいポップカルチャーがないから、
30年前の渋谷系をもってくるという発想は、
仕方のないものだったかもしれないけど、

だからといって「渋谷系」なら何でもいいというわけじゃない。

ピチカートファイヴやフリッパーズを再結成させるならともかく、
スカパラはないわー。スカパラだけで7曲はないわー。

あんなチープな渋谷文化をさらすくらいなら、
いっそ大野雄二に「ルパン三世」でもやってもらって、
アルセーヌ・ルパンにフランス国旗を返すほうが100万倍もマシだったよ。

大野雄二のバンドで「上を向いて歩こう」なら何とかなったと思うけど、
スカパラで坂本九はないわー。
ほとんど日本文化に対する自虐。
悲しくてやりきれない。



今回の閉会式は、全体的に、
演出の意図がよく分からなかったのです。

宮沢賢治や、小津安二郎や、
古関裕而や、武満徹や、ピチカートファイヴをもってくるのが、
けっして悪いわけではない。

しかし、その文脈が分からない。

武満徹の「波の盆」を追悼のために使ったのは理解できるけど、
小津安二郎を日の丸に結びつける意図は分からない。

古関裕而の古臭い音楽は、
あくまでも「古臭い音楽」として相対化すべきであって、
まともに現在の行進曲として使ったらズッコケるでしょ。

ピチカートファイヴをラウンジ音楽みたいに流すのも、
なんだかセンスがずれていて、うすら寒いだけ。

復興五輪の「ふ」の字もないのに、
唐突に宮沢賢治の歌を歌っても、海外の人には伝わらないし、
東北から見ても、いまさら「何のこっちゃ」でしかない。

そして、極めつけは、
本来なら「ギャグ」として扱うべきスカパラの音楽を、
まるで「本物」のポップカルチャーのように扱ったことです。



国際的な感覚をもっていなければ、自分の国を誇ることはできません。

国際感覚のない内向きのナショナリストが、
むやみやたらと自分の国を誇ってみても.
かえって自虐になるのが関の山。

そもそも今回の五輪は、
あまりにも国家主義的な傾向が強すぎました。

石原慎太郎や、森喜朗や、
安倍晋三や、竹田恒和なんかが前に出てきて、
お山の大将みたいなナショナリズムだけを振りかざした。

本人たちは誇らしいつもりでも、外から見ればじつに恥ずかしい。
国民的なトラウマを積み足すことにしかならない。

そのうえ、
世界的に知られた芸術家はリベラルな立場の人が多いから、
国家主義的な色合いが強まれば強まるほど、
すぐれたアーティストたちの協力は得られなくなる。

坂本龍一も、細野晴臣も、
是枝裕和も、濱口竜介も、
新海誠も、宮崎駿も、
あまりに国家主義むきだしのイベントからは距離をとる。

そういう人たちが参加しない時点で、
海外向けにアピールできる要素は少ないし、制約が大きい。

結果的には、
馬鹿なナショナリストたちの自画自賛大会になって、
とんでもなくこっ恥ずかしい自虐イベントになってしまう。
文化の低さと、民度の低さと、政治レベルの低さをひたすら世界にさらす。



今後はおそらく、
スポーツ選手だって、
国家の思い通りには使えなくなります。

いままでは、
各協会をとおした体育会的な上下関係をふりかざして、
スポーツ選手を国家のために利用することが出来ただろうけど、
今後はそう簡単ではなくなる。

自立した考えをもった選手が増えれば増えるほど、
国家の道具として利用することは難しくなるはずです。

だからこそ、国家のほうが変わらなければならない。


そのためにも、
旧世代の年寄りは早く死ななければなりません。
そうでなければ、この国はいつまでたっても変わらない。



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最終更新日  2024.06.18 01:02:02


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