まいかのあーだこーだ

まいかのあーだこーだ

2021.08.11
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カテゴリ: 政治
オリンピック開催前の最大の懸念は、


とりわけ、
来日したオリンピック選手や関係者が、
海外からウィルスをもちこんで市中にばらまくのでは?
ということが恐れられました。

そこで当局は、
いわゆる「バブル方式」を採用して、
オリンピック施設内の感染を抑え込むと同時に、


これは、いうまでもなく、
国内での感染増大を防ぐための「手段」だったのですが、
いつしか、その手段そのものが「目的化」し、
しまいには手段と目的が完全に逆転していきました。

その結果として、
五輪施設内の感染は相対的に抑えられているのに、
市中では感染が爆発的に増えるという転倒した事態になりました。

IOCのマーク・アダムスは、
この状況を「パラレルワールド」と呼んだのですが、

こうして手段と目的が逆転した結果、
読売新聞の橋本五郎などは、
「施設内の感染を抑え込めばオリンピックは成功である」


これは、
常識的な観点でいえば、
とんでもない詭弁というべきですが、

まさにこれこそが 「五輪ファースト」 の実態だったといえます。


大会そのものを成功裏に終えることさえ出来れば、
国民社会が危機に瀕しても知ったことではない…という考えです。



現在の急激な感染爆発は、
オリンピック開催前の不安をも超える規模になっています。

しかし、たとえば三浦瑠璃は、
「反対論者の漠然とした不安に反して、オリンピックは成功裏に終わった」
かのように書いています。

恐るべき本末転倒です。



かりに、
五輪施設内におけるウィルスの蔓延を、
いっさい外部に漏らさなかったというのなら、
それは「バブル方式」の成功だったと言えるかもしれません。

しかし、
市中で感染が爆発してるのに、
施設内の感染だけを抑え込んだところで、
それは「勝利」でもなければ「成功」でもない。

たんなる「敗北」です。

さながら、
小さな実験場の中では成功したものの、
現実の社会ではまったく失敗した、というのと同じであり、

その場合の「バブル方式」とは、
市中での感染拡大から遮断して、
ひたすら大会の運営だけを守った…というジョークでしかない。





ここで思い出されるのは76年前の状況です。

日本は、太平洋戦争のときに、
2つの原爆を落とされたのですが、
軍部は、それでも戦争をやめようとしませんでした。

なぜなら、
たとえ原爆と空襲と総動員によって1億が玉砕し、
国民社会が完全に崩壊してしまったとしても、

いわゆる《国体》さえ守ることができれば、
それが軍部の「勝利」であり、戦争の「成功」だと思っていたからです。

軍部にとっての《国体》とは、
天皇中心の政治体制のことであり、
けっして一般の国民社会のことではありませんでした。

つまり、それは、
国体ファースト であり、
軍部ファースト であり、
戦争ファースト だったのです。

恐るべき本末転倒。

奇想天外な価値観。

目的と手段の完全なる逆転。

・・・

さすがに昭和天皇は、
それが「まったくの本末転倒」だと分かっていたので、
ようやく天皇の一存によって戦争は終わったのですが、

そうでもなければ、
日本は本当に1億玉砕するまで戦争を続けていたのです。





国内の感染者はかつてない規模に膨らんでいます。

そうした状況にもかかわらず、
「オリンピックの成功」「主催者側の勝利」などと、
奇想天外な主張をしているのは、いったい誰なのか?

なぜ、誰ひとり、それを「本末転倒」とは言わないのか?

それを明らかにすることが、
この 五輪ファースト の実態を解き明かすための要件です。



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最終更新日  2021.08.12 07:51:38


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