まいかのあーだこーだ

まいかのあーだこーだ

2023.04.09
XML
さほど坂本龍一を熱心に聴いてきたわけでもないのに、


…第3弾ですw

ジョビンの話。これは外せない。



考えてみれば、
わたしがアントニオ・カルロス・ジョビンを好きになったのも、
坂本龍一の影響だったのよね。

…と言っても、

むしろ『時の輝き:坂本龍一選曲集』の影響です。
つまり、坂本龍一がセレクトしたボサノバ作品集。



坂本龍一自身も、
「ジョビン=ボサノバという観念を取り払うべき」
みたいに言ってましたが、

わたしも、このコンピレーションを聴いて、
ジョビンの音楽を、ボサノバじゃなく、
むしろクラシックの観点で聴くべきと理解しました。

そして、それはとりもなおさず、
「クラウス・オガーマンを軸にジョビンを聴く」
ということでもあった。




ジョビンのセレクションというより、
オガーマンのセレクションといったほうが正しい。
ほとんどの曲に、
オガーマンのオーケストレーションが入ってるからです。

小室敬幸と伊藤ゴローも以下の動画で話してますが、

どちらの作品と見なすべきか判断しがたいところがある。

おそらくは、
ジョビンの本来のクラシック的な素養が、
オガーマンによって引き出されて成長したのでしょう。


思えば、
わたしと音楽惑星さんの関わりも、
いまは斉藤由貴のことが中心になってるけど、
いちばん最初は、
「オガーマンを軸にしてジョビンを聴く」
みたいな発想で共鳴したのでした。
音楽惑星さんのサイトにも、オガーマンのページがあります。



ちなみに、
坂本龍一の作品や演奏スタイルには、
ジョビンの作曲の影響も、ピアノの影響も、
オガーマンのオーケストレーションの影響も、
それほど感じられないとは思うけど、

大貫妙子の2ndアルバムに入ってる「振子の山羊」は、
かなりジョビンっぽい(あるいはオガーマンっぽい)と思う。


その昔、坂本龍一と大貫妙子が、
「ジョビンのアルバムをふたりで正座して聴いた」
みたいなエピソードがあって、
それがいつの話だったのか知らないけど、
たぶん、この「振子の山羊」の頃じゃないかしら?

そして、
その後の大貫妙子のアルバムには、
宮田茂樹がプロデューサーとして加わり、
いわゆる「ヨーロッパ三部作」などが作られ、
さらに宮田茂樹は、
ジョアン・ジルベルトに繋がっていくわけです。

宮田茂樹が書いた以下のコラムを読むと、
http://music-calendar.jp/2017120801
1994年、ジョビンが死ぬ直前に、
大貫妙子とジョビンが共演する可能性もあったそうです。


ジョアン・ジルベルトは2019年に亡くなり、
宮田茂樹も去年亡くなっています。



ところで、
アルバム『CASA - Morelenbaum2/Sakamoto』は、
モレレンバウム夫妻の演奏は素敵なのだけど、
坂本龍一のピアノがやかましくて、あまり好きじゃない。

ただ、あのアルバムを聴くと、
坂本龍一が、
ジョビンの曲をボサノバとしてではなく、
サンバカンソンとして捉えているのが分かります。


そうでなければ、
ジョビンのトリビュート盤を作るときに、
1曲目に「誰もいない海岸 /As Praias Desertas 」は選ばないでしょう。
これってエリゼッチ・カルドーゾの曲ですから。



実際、ジョビンは、
当初はサンバカンソンの作曲家でした。
ヴィニシウスと一緒に、
ジョアン・ジルベルトに曲を提供して以降は、
「ボサノバの作曲家」として認知されるようになったけど、

本来は「想いあふれて /Chega de Saudade 」も、
エリゼッチ・カルドーゾに歌わせたサンバカンソンだし、
それ以降にジョビンが書いた曲も、
たとえば「愛の語らい /Falando De Amor 」であれ、
たとえば「無意味な風景 /Inútil Paisagem 」であれ、
たとえば「白い道 /Estrada Branca 」であれ、
一貫してサンバカンソンだったと思います。




ジョアン・ジルベルトは、
「俺はボサノバじゃなくてサンバをやってるんだ」
みたいに言ってたけど、
それなら、さしずめジョビンは、
「ボサノバじゃなくサンバカンソンを作っていた」
といっていい。

かたや、ヴィニシウス・ヂ・モラエスの音楽にも、
もともはといえば「黒いオルフェ」のような志向があって、
バーデン・パウエルとの共作などを聴いても、
けっしてボサノバの枠には収まらない野性味や野蛮さがある。
上品なボサノバだけを作っていた文人ではない。

先に挙げた動画では、
宮田茂樹と伊藤ゴローが、
「ジョアンの発想がジョビンに曲を作らせた」
みたいなことも話していますが、
いわば相互作用の産物としてボサノバが誕生したのでしょう。

ただ、基本的には、
ジョアンやヴィニシウスが強烈なリズムの人だったのに対して、
ジョビンは叙情的なメロディの人だったと言えるし、
そういうジョビンの音楽性は、
後輩のシコ・ブアルキやエドゥ・ロボにも受け継がれていて、
やはり彼らにもサンバカンソンとして聴くべき側面がある。





じゃあ、
最初にジョアンの音楽を「ボサノバ」と呼んだ犯人は、
いったい誰だったのかといえば、
これはまあ、ジョビンだったことが実証的に言えますw

そもそも、
ジョアンに「ヂサフィナード /Desafinado 」を歌わせたのも、
オデオンのレコードの宣伝文句として、
「ジョアンの音楽こそがボサノバだ」みたいなことを書いたのも、
ほかならぬジョビンですから。そこは疑いの余地がない。

しかし、その後のボサノバは、
やや安易なスタイルとして広がった面もあるし、
ブラジル本国では「米国に媚びを売った金持ちの音楽」と罵られ、
しだいに「ボサノバ」と口にすることさえ憚られるようになった。

ジョアンが、
「俺はボサノバじゃなくてサンバをやってるんだ」
と主張した背景にはそういうこともあるし、
ジョビンも「ボサノバ」からは距離を置くようになりましたが、

そういう政治的な背景は抜きにしても、
ジョアンやヴィニシウスの音楽を「サンバ」として、
またジョビンやシコやエドゥの音楽を「サンバカンソン」として、
さらにはジョビン&オガーマンの音楽を「クラシック」として、
角度を変えて捉えなおしていく発想は大事だし、

たぶん坂本龍一にも、そういう観点があったでしょう。


にほんブログ村 テレビブログへ ジャンル関係無しなんでもレビュー 映画ブログ・テーマ





お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

最終更新日  2023.04.09 14:25:48


【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! -- / --
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x
X

PR

キーワードサーチ

▼キーワード検索


© Rakuten Group, Inc.
X
Design a Mobile Website
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: