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私たちは波に浮いているたとえば舟だとイメージしましょう。ぷかぷか。そこに天体エネルギーという波がきます。大波を立て続けにもろに何度も受け続けるとどこかに流されてゆきます。この時に海底深くに碇 いかり を下ろしておけたらそこから流されずにすみます。ジオセントリックとヘリオセントリックの解釈は人それぞれかとは思いますがわたしはある意味このように受け止めています。舟の錨 いかり はどこまで深く降ろせるだろう。地球の中心にまで降ろせると良いな。*ジオセントリックは地球からお空に太陽を見る方法。天動説。ヘリオセントリックは宇宙的視点から太陽を見る方法。地動説。*地上で太陽を追いかけて飛び続けたら果てしなく地上を移動しなくてはならなくなります。太陽は天空に輝いている永遠に手に入らないあの輝きだけでは無いよ。わたしたちひとりひとりの胸の中心にも同じ太陽は輝いている。それはいまここに私といっしょにあります。不動の太陽です。*もちろん地上での自己実現の太陽がジオセントリックの太陽。宇宙に飛び出してのつまりスピリチュアルな太陽がヘリオセントリックの太陽です。この言い方のほうがストレートで一般的です。先程の私の言い方はもうひとひねりひねってありますが同じことを表現しています。反転しているけど同じことです。*そしてまた、地上でお空の太陽を見失うことはむかうべき光を失うこと。そうなると私たちは子羊たちのように闇にさ迷うことになってしまいます。どの太陽もありがたい存在です。
2006.08.31
今日は自由が丘でスピカさんを講師に招いてのオーラリーディングの練習会をしました。全部で6人の人が集まりました。とっても楽しかった!ひとり神道系の霊能力者の人も参加しました。すばらしい霊能力の持ち主でした。いろいろなことをずばずばと言い当ててわたしははぁ~っ。上には上が居るのだなとさえ思いました。上には上というのは実は参加者の一人の人がとてもパワーの強いNASAが開発した防御のためのペンダントをしているのです。私は以前その人のスピリチュアルリーディングをしようとしたら全く見えなかった。何でだろう?しばらくアクセスしていたら「彼女の方にメッセージが行くから」ということでははぁ。こういうことはお水のように上から下に流れるところがあるので彼女の方が上の人なのかもしれないと思ってそのことを彼女に伝えたのです。そうしたら「いや!違います。これのせいです。」と言ってそのペンダントをしていることを話してくれて、そのペンダントを外したら通常通りリーディングできた、ということがあったのでした。それを今日みんなに言ったら「じゃぁ、やってみて」ということになりその実験に。すると神道系霊能力者はしばらくするとペンダントはつけたままなのにすらすらとリーディングをし始めたのです。リーディングを開始するまではものすごい龍のエネルギーがアクセスできる接点を求めて部屋中を渦巻いていましたが。「じゃあ、外したら」そのペンダントを外したらそれ程凄いエネルギーは使わずにアクセスできるらしく場のエネルギーが低下して穏やかになりました。このことから私に来たメッセージは上には上がある。餅は餅屋。このことは数日前からわたしの霊的宇宙存在とバトルを展開していることに通じるのです。なぜなら霊的宇宙存在は君はお絵かきをメインにすべしということで霊能やボディーを使うことを快く思っていないのです。どうしてもと言う時に補助で使うのなら良しなのだそうなのです。それで先日はボディーのことをブログにアップしたとたんにお腹が急激に激しく何の理由も無いのに壊れて下痢をしたのです。
2006.08.29
朝おきたら言葉が少しふり降りて来ました。良かった!夜寝ているあいだに私たちの中身は肉体という容器から抜け出してどこかに行ってそして翌朝また戻ってくるわけだけどその眠りのあちら側の世界では見えない本質となったみんなはひとつに交じり合うらしくこの眠っている時の共時的な影響力は膨大なものがあるのだと思います。シュタイナーはだからみんなが寝ている時に寝たほうが良いというようなことを言っていたと思いました。たとえば昨日の私の日記を読んで「えんどうさんが再び受信できるようになりますように」という祈りを捧げてくれた人が居たとするとそれは眠りの世界に行ったときに「はい。えんどうさんにお手紙来ていますよ。」と手渡される感じなのではなかろうか、と思います。それでそのエネルギーをもらってこうして翌朝起きてみたらまた言葉が振ってきているようになっているのでは。けさは何日ぶりかで気持ちの良い朝にやっと、なりました。どうもありがとうございます。それはお天気にも同調して現われているように思えます。*それで今朝降りてきているおはなしは地球と人間の共通点です。子どものおえかきのことについて前から何度か7歳くらいまでの子どもはむき出しの太陽状態だ、と書きました。それが小学校に入る頃になると少しずつ地殻が出来てきます。剥き出しの元気の周りに覆いが出来てきます。これは成長にともなう頭蓋骨の変化とおそらく関わりが深いことなのだろうと思います。それで大人の人にアクセスしたときにそのコアの部分に触れることができると誰もがすばらしい神様のような輝きを持っているのをおととい再確認したばかりなのだけれどそれはこれなんだなと。つまり子どもの時に発していたこの輝きなんだ。これは生きているあいだ中私たちの中心に存在している。地球もそうらしい。人体で言ったら丹田と胸なのだろうか。エネルギーとか気としては丹田だと思うけど血液循環で言ったら心臓。心臓の鼓動を聞く。心臓は何故動いているのか?一体誰が動かしているのか。まさに心臓は太陽なのですね。よおくみるとひとつ先の次元の秘密への抜け穴があるわけなので。そして頭の先は宇宙へ。すばらしい!人間存在ってなんてすばらしいんでしょうか!*このような意識体験の中でも晴れた朝を迎えるとそのために闇とか夜とか迷いとか悩みとか、があるようにさえ思えてきます。全ての存在に感謝ですね。闇とか夜とか迷いとか悩みがないとこの洗い流された後の台風一過の翌朝のようなすがすがしい意識のシフトはできません。
2006.08.29
どうもね。後ろの人が天の雷 いかずちを落として激しい下痢をした時あたりから上位の存在との関係性が不調和になっていてブログに書く言葉を降ろしてくれないのだと思います。受けて書いているから。上の人に対しては嘘はつけないからね。全部お見通しだから。というより私よりも私のことわかっているからね。言われていることは良くわかっていてもっともだと思うのだけど自分の中でちゃんと統合ができていない部分がまだあって。困ったものです。アクセス停止状態はおしおきみたいなもの。わたしの上位の存在は激しくて厳しいからね。ずっと前にゆうかちゃんに「よくもまあこれだけタイプの違う上の人と」と驚かれたのだっけ。わたしは河童ちゃんだからアクセス停止は頭のお皿の水が干からびてからからになってしまうのだ。*あっ!こういうことを書くということはもしやと思って確認。やっぱり逆行中の海王星は水瓶18度に。「仮面がはがされた男」秘密暴露の度数です。
2006.08.28
今日自分自身再確認できたことはデリケートな傷つきやすい純粋な魂ほど実は汚れて傷ついて苦しんでいるという事実です。感謝!です。このことを再確認できて感謝です。なるほど千と千尋の神隠しの湯屋ですね。
2006.08.27
バルドについて再び考えました。バルドつまり中間生のことです。この世に生まれてこの世の生が終わって死にますが死んだ後に行く世界。再び地上に生まれるまでを過ごす世界。精神世界や宗教の世界ではこの時のことを書いた本とかもいくつかあります。でも今回思ったのは自分自身のヒプノ(過去世退行)セッションの時に何度も見えたバルドのこと。みなさんはバルドというのはどのような世界だと想像しますか?私にビジョンとして見えたバルドは天国のような雲の上の白い光の世界でした。恐ろしく変化の無い音の無い世界でした。このバルドをヒプノのセッションで見たのはもうだいぶ前。20年近く前だと思います。それでこのバルドの世界はつまらなかった。無色。無音。変化が無い。変化は全く無いのではないのでしょうが少なくともセッション中にアクセスしている間はほとんど動きが無い感じでした。けさはこのバルドの世界から現世を見なおしています。楽しいね。森羅万象全てが光も闇も色も形も音も笑いも涙も苦しみも喜びも全てが存在しています。この世界はこんなに良いところだったのかとあらためて生きていることが違った視線で見られます。
2006.08.27
地震 じじん雷 かみなり火事 かじ親父 おやじというもはや死語がありますがこの言葉はまるで冥王星を象徴しているかのようです。戦前までの父性イメージかと思います。これはもはや時代遅れとなって現代の日本においてはこのようなお父さんは居なくなってしまったようにも思います。こういう父性像に対しては今の私たちは「傷」を負っているかも知れません。つまりそれは苦手なものであったり嫌悪するものであったり否定するものであったりするのかもしれないと思います。このエネルギーにアクセスすると容赦が無い感じです。父性的な大空とか宇宙につながる大きな愛はあるのですが一方的で独断的で相手の言い訳に耳を傾けて理解しようとはなかなかしてはくれないと思います。先程も私はそのエネルギーの逆鱗に触れたらしく急にお腹が痛くなってお腹を壊しました。天の雷 いかずち逆鱗に触れた理由は自分でわかって居ます。*西暦が2000年になってということはつまり西暦1000年代はお亡くなりになってあちら側の黄泉の国に行かれたわけですが数霊的にはあくまで1あっての2と痛切に思う今日この頃です。あなたあってのわたしという感じです。1と2は対極なので1を否定したところに2は存在しているのかも知れないですが1と2は常に向かい合っています。それは冥王星とカロンのようにです。1に象徴される男性性を忘れてしまっては女性性は鬼婆化するだけだと思います。(鬼婆つまり女性の冥王星。)確かに冥王星は現在の地球を生きる私たちの意識から今までとは違う「段」にシフトした感じです。それは今を生きるというライブな全人類的な意識状態の中からは(つまり西洋占星術というひとつのワールドの中だけのお話ではなくて天文学も含めた全人類的意識状態の中からは)やはりある意味ひとつ外れたのでしょう。でもそのことによって虚の世界においてはより純粋に強力なパワーを働かせることが可能になったと言えるのは確かだと思います。今日お腹を壊した感じからも体感的にそんな感じがものすごくします。2は2だけで単独では存在しません。女性は女性だけの世界ではある意味女性ではなくなります。1とか象徴的に男性性をわたしは評価して生きてゆきたいです。それが私の2000年代の生き方だと思います。*2000年代の生き方はますます多様化して行くことでしょう。それはお空ににコンセントが一個だけではなくなった感じ。お空のコンセントはどこまで増えてゆくのでしょう。ひょっとすると無限大に増加してゆくのかも知れません。自分のプラグをどのコンセントに差し込むのかそれは個々人の自由なわけなのですね。
2006.08.26
宇宙というのは地球の対義語なのかも知れないです。つまり地球を実とするなら宇宙は虚です。それで宇宙的な意味においてレスポンスの速度が加速し始めましたね。つまり私が誰かのことを思いその人のためによりよきエネルギーを送るとします。そうするとそのエネルギーはまわりまわっていつかは自分のところに戻ってくるわけなのだけどその速度が今までよりも加速しました。加速したというより瞬時に起こるようになってきました。西洋占星術的に私のアンチバーティクスは魚座20度。夕食のために用意されたテーブルです。
2006.08.26
だけど冥王星は今まで外宇宙からの影響力を一身に背負って地球の私たちを守ってきたりしたのではなかろうか?ビジョンとして見えてきた黒い星空のドームのことを思うとわたしはそのようにも思います。今のわたしたちは本当に外宇宙に対して全開にしても大丈夫なだけ成熟しているのだろうか?とも思います。冥王星との直接的なつながりは私は知りませんがギリシア神話ではこんな感じでしょうか。アトラスという巨人のお話です。大海原を目の前にしてどこに行っても良いよという自由が与えられた時にその自由が謳歌できる人はすばらしいと思うのですがそれでは私にそれができるかというとわたしはそれはできません。冥王星の強制力が無かったらわたしはわざわざこんなしんどい生きかたはしなかったかも知れません。しかしスピリチュアルな意味では進化の道でした。宇宙的進化という意味においてはそれこそ「悪にでもなる」冥王星はじつは「愛」の姿とも言えるのだと思います。それを冥王星の強制力無しに選択できたか?というとそれだけの自主性主体性は私はまだ持ちえていないように思えます。でも、冥王星の持っている深い愛の力に感謝なのかも知れないです。カラスの羽根を拾ってから日常的に感じているけどそれはとりもなおさずとても深い宇宙的な愛なのです。これはグルジエフに通じるような父性の厳しさも伴なった愛のようにも思えます。そういえば数年前のすどう美術館の「ライフシンボル展」でのわたしの冥王星の絵はこんなのでした(写真)。私のネイタルの冥王星の度数は乙女座2度。「掲げられた大きな白い十字架」なのです。
2006.08.25
ゆうべは2時くらいまで起きていてけさは6時に目が覚めました。いつもは必ず8時間以上は寝ているのでわたしとしてはこれはめったにないことです。けさは、目が覚めても暗くて雷がなりました。強い雨も降りました。しばらく経ったら雨が通り過ぎて止んだらしくいっせいに蝉が鳴きだしました。そうしたらその頃には何故かとってもすっきりしました。私の中で何かが洗い流された感じがしました。イメージ的に頭の上のお空の上に黒い星空のドームがあるとしてその一番遠いところにポツリと針の穴のような冥王星が外宇宙との接点として一点あったのだけど今回のことでドームが開くようにその冥王星の一点から全解放した感じ。冥王星だけではなくて全てが外宇宙に解放された感じ。鍵が開かれてドームが開いた感じ、がします。それでゆうべは涙が止まらなかったようにも思います。これはやっぱり冥王星レクイエムなのかも知れないのだけどわたしはやっぱり冥王星今までどうもありがとうと言いたいです。ここに書いたのはあくまで私の感じのおはなしです。
2006.08.25
2006年8月24日日本時間の23時くらいにとうとうこのようなことになったことを、知りました。冥王星は死と再生の星だからいつの日か不死鳥のようによみがえっていただきたい。冥王星レクイエムです。どうして涙がこぼれるのだろう?わかりません。涙があふれて止まらない。冥王星は一個でなくてはいけなかったというのでしょうか。カイパーベルト天体の新しい書き換えがなされていくことを希求したいです。何度も書くけどこれは遠いはるかな見たこともない太陽系の果てのお星様の世界の出来事なだけでなく今を生きる私たち人類全ての人たちの問題でもあるのです。共時的にこれはみんなの=三人称複数形私たちの=二人称複数形もしくは一人称複数形あなたの=二人称単数形私の=一人称問題でもあるのです。わたしはぜひとも冥王星たちを孤独な一人ぼっちの天体で無くしたいものだと思います。こんなにも共感して今を生きている人たちはたくさんになったよ。一度消えた冥王星はたくさんのなかまたちと再び甦るのではないでしょうか。太陽系と銀河の接点はこれからとてもにぎやかになっていただきたい。こんな日が来るなんて夢にも思ってみなかったです。*しばらくの間マジで泣いていましたがそこに訪れたスピリチュアル・メッセージとしてはこれは「ホロフェルヌスの首を持つユディット」のプロセスであるよとのことです。
2006.08.24
それで今一番の関心事。惑星の定義についてですがそこのところについてホットな話題が飛び交っているのはやはりこちらでしょうか。ミクシィの中の西洋占星学というコミュニティの中のトピックです。
2006.08.24
このブログを見つけて今、鳥肌が立ちました。なぜならこのブログにアップしてあることはまさしくけさがた目覚める前に私が夢に見ていたこととそっくり同じだったから。それはこちらのブログです。とは言っても夢はひとりで見るものだしその証拠はどこにもありません。でも少し前から日光と宇都宮の二荒山神社が良く出てきたことは私の日記を読んでくださっている方は良くご存知のことと思います。それにしても私は正夢を良く見るほうですが正夢にも西洋占星術的な順行と逆行があります。つまり夢で見た順序がその日、逆行するように鏡のように時間反転して起きる場合。これは目覚めに見た夢が朝すぐに現象化する。それと順行のように夢を見た順序に現象化して行く場合。この場合は目覚めに見た夢はその日の眠りの直前に現象化します。今日のこれは順行のパターンでした。新月の未明にこのような夢を見たということは満月までに日光二荒山にお水取りに行けというメッセージなのかな。けさがたの夢を忘れていたら駄目だしするように夢とそっくり同じブログと出会いました。次回満月とはつまり9月8日(金)の月食の日になります。それではご縁のある方々その日に日光二荒山神社でお会いしましょうか。という感じでしょうか。
2006.08.24
世界が滅亡する時は必ず来ることでしょう。というとみんなびっくりするかも知れない。けれどこれは「あなたは必ず死にますよ。」と同じことです。死なない人はいません。たぶん。たぶんということの中には精神世界においては人は死なないことになっていることも含みます。某教団がハルマゲドンを予告していてその予告されていた時を同じくしてその教団の滅亡が始まった、という有名なお話があります。つまり滅亡したのは世界ではなくてその教団だった。同じことが1999年滅亡説にも言えるように思います。1999年滅亡説を唱えた人は滅亡したのだと思います。これはつまり数日前から書いているミクロコスモスとマクロコスモスの共響のお話にリンクするお話です。個人が対社会的に滅亡することはすなわちその人にとっては世界の滅亡であったりするわけです。1999年代までに数霊1の世界で活躍していた価値観の持ち主は西暦2000年代の価値観にシフトすることは難しいです。なぜなら1と2の世界はある意味反転の世界だから、です。西暦を使っている世界においては四桁のトップの数字が入れ替わることは千年に一度の大イベントなのです!カバラの四階層のアツィルト界が切り替わったということと同じ意味なのです。現行の宇宙のお終いは必ず来ます。それは、始まりがあった以上避けることはできないし避ける必要性も無いことです。そう。西暦1000年代から2000年代への変化は背伸びは済んだ天気はのんきだね。という感じでしょうか。
2006.08.24
海にたとえたら波は来るね。波をかぶるたびにだけど洗いなおされて居るようにも思います。大切な金色の球を胸のところに抱えているような気もする。この球を手放してしまいたくは無い、と私は思っているらしい。*陸にたとえるなら大きな地震が来て立っている星のサイズまで変化してしまった感じだ。私の身の上に起きた大地震は天体の衝動を全て使い果たしてくれただろうか?その後も余震は時々続いているのかも知れない、という感じなのではないのか。*お馬鹿なサイズまで広大に広げた視点が好きです、と思います。この宇宙の始まりと終わりを思ったりしています。
2006.08.24
わたしが変わると世界が変わるという良く耳にする言葉がありますがマクロコスモスとミクロコスモスの共響においてそこのところはやはりとても似ているものがあると思います。私、つまり一人称単数あなた、つまり二人称単数みんな、つまり三人称複数形においてのお話ですが私が自分自身のオーラフィールドを浄化するなどして変化することはそれはとりもなおさず二人称単数形を変化させることにつながりそのことはとりもなおさず三人称複数形の世界を変化させることにつながるのだと思います。そうはいっても集合無意識はなかなかにすぐに変化はして行かないものでしょう。それと宇宙は自由意志を尊重しているところもあるので誰もが好きに生きる自由がおおいに与えられているのだと思います。闇を光に変えてゆくこと。これはわたしたち個個人の課題でもあるし人類全体の課題でもあるわけです。闇は光に反転します。善人なおもて往生をとぐ。いわんや悪人をや、ですね。
2006.08.23
そのグループの名前をはじめて耳にした時「はぁ?」一回ではわからなくて聞きなおてそうしたら確かグループの一員でもあるMさんが直接その名前の由来を説明してくれたのだけど実は、本音を言うとそれでも良くわからなくて私としては何となく「カブトガニ」見たいだなぁと思った記憶があります。確か少し昔の夜。カーサでの水曜日。ライフシールの帰りにみんなで寄ったモスの帰り道でのお話だったような気がします。カブトガニそういえば、私とえにしの強い佐賀の北の海はカブトガニの棲息地でもあるのでした。で、今日そのカブトガニっぽいグループの講座に出席してその時にお昼に出されたお弁当の入れ物です。(写真)ねっ。これもカブトガニっぽいでしょう?
2006.08.23
行って来ます、とおうちを出ます。再びここに帰ってこられるかどうかは保障はありません。帰ってきたとしてももはや前のままではなくなっていることが多いです。「それを恐がっては変化の乏しい成長の少ない人生になります。しかしどちらを選ぶかは本人の自由意志です。」わたしは元気なのかな。太陽と火星のコンジャンクション持っているし。そこにトランシットの冥王星がずっとスクエアー。太陽火星に対しての破壊と再生がくり返されているようにも思います。古い私から新しい私へ。変化を恐れなければこのことは感動でもあるけど。「タロットの13.死神をとても恐れる場合はそれはとりもなおさず自分自身の中にその恐れを持っていることが多いです。柔軟さが自身の中に育ってゆくと恐れなくなる。自信がついてくる。」カッコの中の言葉は伝わってきたメッセージ。柔軟さか。竹のイメージかな。そうだ。恐がることは何にもないのだ。
2006.08.23
今日の天体配置では獅子座に5個の集合天体。太陽月水星金星土星。あついです。火の固定宮。私の場合それらは9ハウス射手座の土星とトラインを形成します。思想哲学に対して燃え上がって放出されることを待っている火のエネルギーが過剰なくらい強まっています。太陽回帰でも9ハウスの天秤座に5天体も入るし。それでこれだけせっせと毎日ブログに9ハウス射手座のお話をアップしているのだな、とつくづく思いました。
2006.08.22
グラウンディングという言葉は2000年に入ってから使われることが多くなったと思いますが最近このグラウンディングということと再びむかい合い始めました。グラウンディング地上化すること地球という惑星で生きること肉体を持って生きるということ。現実的なリアルな世界で生きること。色のイメージは抽象概念的には、赤色。連想イメージ的には、大地の茶色・植物の緑などのアースカラー。それでわたしのなかでこのグラウンディングということがどのように変化しているかというとかならずしも「ねばならぬ」ではないのではないかという見方が育ちつつある感じです。あんがい疑いもしないシンプルさで無意識のうちに「ねばならぬ」の大前提になっていることもあるように思えてきました。グラウンディングのなかにもバリエーションがはしからはしまで幅広くあって旧来の社会性から逸脱しない保守的なグラウンディングもあればスピリチュアルなグラウンディングの生き方までさまざまですが。写真のネガとポジのように双方向性とか両義についてのダブるなものの見方・考え方を同時にできる柔軟性を育んでゆきたいものです。
2006.08.22
ゆうべはとてもメッセージが降りそそぐ日でブログにアップした文章の後もまだ言葉が来ていました。もう寝ようと思ってパソコンの電源を切った後も言葉が降りそそいでいたのでこれは忘れないようにと思ってメモをしておいた言葉は「悪にでもなる」でした。そうしたら今日、「ペルセポネ」という言葉からハーディスとの関わりが浮上してきて「どうしてあなたはこのようなことをしているの?」という、ペルセポネの問いに対して冥界の王ハーディスは「誰かがせねばならぬからだよ」と答えている事を知りました。このことはある意味最近書き換えられているユダの存在にも通じます。つまりユダはキリストの一番の理解者であったという解釈です。ユダやハーディスのように一番の闇をその存在の重要性を認識した上で行為として行えるということは一番の愛=光でもありますね。これを行為として行った時ユダを理解できたのはこの世にただひとりキリストだけだったことと思います。ユダの福音書によるとキリストが「君ならできる」と言ったということになっているらしいです。その一点の凝縮した光のためにユダはその行為を行えたとも言えるのかも知れません。悪にでもなる究極の愛です。受信して、翌日の今日もリンクしたことが浮上するのでこうしてブログにアップしましたがもちろん私自身はとてもこの究極な行為を成し得ることはありません。
2006.08.21
第十惑星のことを追いかけていてミクシィの中を泳いでいたら天体の作曲をしている人のコミュを発見しました。おもしろいなぁ、と思って足跡を書き込んだら今日レスが書いてあって「遊星ペルセポネ」について占っていただきたいものです、と書いてありました。遊星ペルセポネそんなのがあるんだ。ペルセポネの神話は有名ですが私自身の今ともまたまたリンクしていることが輝いていたのでとってもうれしいです。美女と野獣の原型のひとつでもあるのでしょうね。美女と野獣のお話はギリシャ神話ではプシュケとエロスのお話にもリンクしますが。
2006.08.21
今朝の空気の重さは仏滅とかボイドとかだけで無く独特のものがありました。連休明けの月曜日ということも関係していたのでしょう。日食が大型の新月のようにお盆休み明けの今朝の「月曜日の朝」は半年に一度の大型の「月曜日の朝」。10時くらいになったらその感じは解けました。たくさんの人の集合無意識への想念の影響とはこれほどのものであるのかと体感した感じです。10時くらいになったら変化した感じからはお休みからお仕事への切りかえの時の一時的な重さだったことがわかります。会社とかに行っちゃったら行っちゃったでスパッと切り替えてさあ!やるぞ、という感じでしょうか。日本人の(と言っても私がキャッチしていたのはおもに東京圏だと思いますが)柔軟さとたくましさと元気さを感じます。
2006.08.21
そして、私のねらいは冥王星とカロンの関係性をも超える意識に到達することです。最近発見が相次いでいる天体のどこかにそこのところの鍵は隠されていると思います。つまり冥王星とカロンの関係性に縛られないそれをも越えて調和させる天体=意識の発見です。なぜならごくごくシンプルにわたしもあなたもみんなももっともっと幸せになって良いと思うからです。なぜならば幸せ=光だからです。幸せが存在すること=ビーイング=月として生きる行為すること=ドゥーイング=太陽として生きる、のいずれにしろです。ある意味冥王星はカロンと出会うことによってはじめて陰陽が統合されて次なる次元の扉が開かれるのかも知れません。このことはいにしえからの道を開く神=道祖神が男女つまり陰陽合体の姿をしていることに通じるわけです。つまりそれはとりもなおさずさるたひことあめのうずめの関係性を象徴していることになります。これを超える必要性があるわけは対極として向かい合う以上は一方が善になる時はもう一方が悪にならざるを得ないからなのです。このことは天と地の統合ということになります。それが人ですね。あめつちはつまり男性性と女性性です。これが天地人の意味です。昨日の甲府の曼陀羅講座において「ピンク色の蛇」の絵を描いた人が居ましたがそれはとりもなおさず「銀色の龍」と同じ意味になります。それは西暦2000年の象徴です。このことは「ダ・ヴィンチ・コード」あたりからクローズアップされつつあるキリストとマリアの関係の書き換えとも同じことです。地球に生きる人々は今を生きている人も今は死んでいる人も今はまだ生まれていない人もみんな同じひとつの舟に乗る人たちだよ。だれひとり落ちこぼれるはずはありません。なぜなら私たちはみんな共に生きる存在。ひとつのネットワークによってつながったものたちだからです。*ここに書いたことはわたしが今晩霊的宇宙存在よりチャネリングした言葉の数々です。
2006.08.20
2000年になって冥王星が単体ではない、ということがわかったことはすばらしい予定調和的な宇宙のプログラムですね。冥王星はカロンという天体と二重天体になっています。冥王星についてくわしいHPはこちらです。カロンについてくわしいHPはこちらです。カロンにリモートビューイングしてその波動に同調したような映画があることもわかりました。それはこちらです。これらのことを総合するとカロンのキーワードはつまりA)性的関与の不在のパートナーシップ。B)私生活へのお互いのノータッチ。C)経済活動におけるそれぞれの自立。ということになるかと思います。先行してもしくはシンクロしてこのような関係性を結んでいるパートナー同士の方々はあんがいもうすでに多いのではないでしょうか。そしてこの映画に象徴される三人の夫とは三層構造そのものを示しています。つまり月に象徴される日常性=本屋の店員と太陽に象徴されるエゴや主体性=作家と冥王星に象徴されるトランスサタニアン的、霊性=極道です。*「夢だけで終わらないこと」をわたしもあなたもみんなもまだまだたくさん持っているよ。何故なら私たちは生きながらにして書き換え続けている存在たちだからです。わたしもあなたもみんなも誰もが命を懸けて書き換えながら生きている存在なのだよ。これはけして大げさな言葉では無いのだよ。
2006.08.20
ゆうべはまたうさん臭さについての話題になりました。うさん臭いと思うということはそのことに対して自分自身の無意識が防御しているのだと思います。そのものに接した時の影響の大きさを無意識的に感じ取ってそれに対して開かないように防御しているのです。開いてしまったら今までの自分ではもはや居られないということでもあると思います。無理に開くと自我の崩壊を呼び起こすこともあるよ、という意見も出ました。
2006.08.20
きのうの甲府の曼陀羅講座では人生を大きく四つに分けてそれぞれを絵で表す、というテーマでお絵かきをしました。季節にたとえたら春にあたる「成長期」夏にあたる「活動期」秋にあたる「林行期」冬にあたる「遊行期」の4つのシーンを書きます。それぞれの人の無意識の中に内在している人生イメージが手に取るように見えてきてわたしはとても興味深く見させていただきました。それぞれの人が抱えている問題点も絵には明確に現われます。あらためてつくづくそのことも感じました。変わろうと思ったら人は何歳であろうと変わってゆけるすばらしい可能性を内在させているよね。
2006.08.20
きのうとあるお坊さんとお話しをしていてとてもよいお話を聞いたので独り占めしておくのはもったいないのでそのお話を書いてみようと思います。それは千手観音のお話なのですが千手とは人間の持つ可能性のようなもの。千手観音はたくさんの手にいろいろな物を握っているけれど何も握っていない手もある、とのことです。その物を掴んだ時は覚えている。けれどもしばらく経つと自分がそれを掴んで離さずに握り締めていることを忘れてしまっている。だからときどきは自分は千の手に何を掴んで離さずに居るのかひとつひとつ見てみるのも良いのでは。見てみていらないと思ったら手放す。それを手放すことで新たなものを掴める可能性がはじめて生まれる。というようなお話しだったと思います。自在に生きるということなのかなと思いました。
2006.08.20
額にある第三の目と呼ばれているチャクラのあたりに懐中電灯のようなものを設置したものをイメージしてみると炭鉱夫とかが地中に潜る時の頭部に懐中電灯のついたヘルメットの感じとか。山登りする人もそんな頭部に装着する懐中電灯を持っていましたが。人間の意識はそんな感じに周辺の闇の中で意識を向けたものだけが存在するしくみになっていますね。意識を向けないものは存在していないのと同じことになります。意識を向けないものは再び闇の中に眠ります。ほんとうに意識は光ですね。それでわたしは最近はその頭部の懐中電灯の光をはるかかなたのオールトの海やカイパーベルトに当てています。いろんなことが少しずつ見えてきていておもしろいです。射手座に冥王星が居る時間を利用してなぜなら射手座の冥王星はロケットのようにわたしを「はるか遠くに」飛ばしてくれるからもっと遠くまで太陽系を脱出してはるかかなたの恒星にまで行ってみたいです。そういえば一ヵ月後にお誕生日なのだけど太陽回帰で9ハウス5天体の年回りでした。
2006.08.19
セドナへの意識が再び強まった理由としてセドナの神話の中のお父さんを土星として鳥男とセドナを海王星としてみる読み方が成立するからなのかも知れないと、思ったことがあげられます。お父さんは太陽として読むことも可能です。その場合はこの神話の中に出てくるお父さんはジオセントリックな太陽=地球のエゴの強さを強調している存在のように思います。トランシットで土星海王星のオポジション太陽も獅子座を運行中。まさに今はセドナの神話にぴったりの天体配置のようにも思います。トランシットのセドナは牡牛座を運行中であるらしいのでそうすると海王星土星のオポと蠍座の木星とで固定宮のグランドクロスができるのかも知れません。
2006.08.18
9月8日(金)に部分月食が起きます。そのことについてのHPはこちらです。西洋占星術としては乙女座16度の太陽と乙女座22度の水星のコンジャンクションに対して魚座16度の月と魚座13度の天王星のコンジャンクションがオポジションの関係になります。それぞれのサビアンシンボルは太陽の乙女座16度は「オラウータン」自己管理に対しての予想外の転覆の度数。水星の乙女座22度は「王家の紋章」品質の高いブランド達成の度数。月の魚座16度は「ひらめきの流れ」在野に飛び込む度数。天王星の魚座13度は「博物館にある刀」特権的力の獲得の度数。この満月のオポジション天体に対しては蠍座15度「五つの砂山のまわりで遊ぶ子供たち」集団的集まりの頂点に立つ度数の木星がミディエーションに。水星に対しては射手座25度「玩具の馬に乗っている小太りの少年」応用的ひとり遊びの度数の冥王星がスクエアーに。ドラゴン・ヘッドは魚座26度。「影響を分割する新月」関係性からの決別と純化の度数。13度のオーブまでが食となるので今回は月食となります。天王星食というのもあるのですね。天王星に影を作るのはやっぱり地球なんでしょうね。すごいスケールです。ちなみに天王星についてはこちらのHPが詳しいです。
2006.08.18
第十天体発見か、と騒がれているカイパーベルトなどの天体たちの西洋占星術的な天体位置を表示しているHPはこちらです。2003 UB313 (これを仮符号といい)ゼナ Xena(これは命名提案と言うらしいのですが)のデーターはまだ載っていません。*先程8月から載せると表記されました。・セドナ Sedna 2003 VB12・クワイワー Quaoar 2002 LM60・オルクス Orcus 2004 DW・ 2002 AW197・イクシオン Ixion 2001 KX76・ベルーナ Varuna 2000 WR106の6天体についてのデーターが出ています。
2006.08.18
すべてのことがすばらしくリンクし合っている世界にわたしたちは生きているのだな、と思います。けさ訪れているメッセージは「少し前まで、とかひょっとすると現在も間違った女性性が強調されているよ。」というものです。これは「私自身の中にも内在しているし今を生きる全ての人たちの問題でもある」とのことです。*数日前からゆうがたの太陽に引かれて何枚も写真を撮っていますがそのこともこのことと関わりがありました。なのでそのことについて書きたいのだけど一回にひとつの写真しかアップできないので下に続くようにきのうの日付に前にもアップした二枚の写真を二回に分けてアップします。
2006.08.18
この写真は数日前の目白駅前のゆうがたのお日さまの写真。携帯の写メで撮ったこともあって太陽が出ている感じは写真には撮れていません。というよりもそもそもが太陽というものは「太陽系の中で唯一無色の絶対の原理」です。
2006.08.17
先程の写真と同じ時間のもう一枚の写真です。先程の太陽の光が建物に当たっています。こちらの写真の方が太陽の光が存在していたことが良くわかると思います。つまり、これが「月」です。原理としての「月」です。三位一体の精霊の存在です。この光を受け止める建物がないと太陽は自らの光を虚空の闇の中に放出し続けるだけなので太陽自身も自らの光を認識することは難しいのだと思います。*男性性と女性性の両方は肉体を男性として生きている人も肉体を女性として生きている人もそのどちらにも同じように内在しています。通常肉体を男性として生きている人は太陽や火星としての役割を演じることが多く肉体を女性として生きている人は月や金星としての役割を演じることが多くなっています。眠らせて使われていない天体はお互いにパートナーに投影し合っています。このような通常の認識されたシンプルな使われ方のことではなくてわたしが今日ここに書いているのは誰の中にも存在している「太陽」についてです。お父さん=太陽という役割分担の中でのお話ではなくてつまり存在そのものの持つ光のことです。原理としての「月」は太陽自身も独りでは見ることのできない(太陽=意識とするなら太陽自身も知らなかった)自分自身の中に内在しているすばらしい最高の姿を写し出して見せてくれます。
2006.08.17
これは先程のHPからの転記文の続きです。*セドナの伝説 むかしむかし、白人たちがやってくる前、イヌイットは狩りや漁をしていた。このとき、一人の優れた狩人がいた。その妻はずっと前に娘を残して死んでいた。その狩人は自分で子供を育てた。 その子供は非常に美しい娘となり、多くの求婚者がその手をとろうとした。狩人は娘を誇りに思っていた。娘はよい衣を織ることができ、だれもそんなにうまくはできなかった。やがて狩人は誰が娘と結婚すべきかを決め、娘を傍らに呼び、「娘よ、私は夫を選ぼう。それはこの男だ」と告げた。 娘は同意せず、選ばれた男のところに行こうとしなかった。狩人は恥じて怒り、こう言った。「お前は俺に恥をかかせたな。俺が選んだ男を認めなかったからだ。だからお前は俺の犬のものになれ。父親の名を汚す娘にはそれがぴったりだ」 その夜、狩人の犬は家に入って娘のもとを訪れ、その夜、夫婦となった。優れた狩人は何が起こったかを知り、またもや恥ずかしく思って叫んだ。「娘よ、お前は犬と一緒になって俺にまた恥をかかせやがった。お前は一人になるがいい」 そして狩人は娘を連れて行って隔離した。もうこれ以上娘に恥をかかされないようにするためだ。 しかし、犬の夫は娘を愛した。娘は優しかったからだ。そしてその愛するひとと腹の中の子供を守るために、犬は島に泳いで渡り、食べ物や毛皮の詰まった包みを運んだ。そして、娘は生き残り、何人かの人間と何匹かの犬の子供を産んだ。 狩人はこのふるまいを知って怒り、犬に気づかれないように包みの中に思い石を詰め込んだ。そして、犬はそれを運ぼうとして泳いでいった。しかし、その包みはあまりにも重く、海は荒れていた。犬は海の底に沈んで死んだ。 数日後、狩人は一人娘について後悔し、カヤックに乗って食べ物を運んだ。しかし、深く悲しんでいた娘は、自分の犬の子供たちに父親を襲わせたので、帰るしかなかった。父親からの報復を恐れて、娘は自分の子供たちを守ろうとし、犬の子供たちを海の皮のブーツの中に入れ、空の神々が安全に守ってくれることを祈りながら海に流した。そしてその犬の子たちは海に流れていって、白人の祖先となった。もう一方のブーツに娘は人間の子供たちを入れ、また神々に祈って海に流した。その人間の子供たちは流れていって、インディアンの先祖になった。 こうして娘は一人になり、狩人の食糧もなくなった。狩人のもとに戻るのは恐ろしかった。狩りの前に毎日、狩人は海と娘を眺めようとしていたが、もう一度会いに行く勇気はなかった。 ある日、狩人が見ると、娘はそこにおらず、姿を消していた。というのも、狩りに出かけている間に、カヤックに乗ったハンサムな男が現われ、美しい娘を見てそこに止まったのだ。「娘さん、私と一緒に来なさい。私は優れた狩人だから、食べ物や家を確保してあげますよ」 男が言うので、娘は付いていった。 新しい遠く離れた家へ向かう途中で二人は止まり、ハンサムな男は上着を脱いだ。太陽が高く昇っており、カヤックを漕ぐのは大変な仕事だったからだ。娘はいきなり泣き始めた。目の前にいるのはハンサムな男ではなく、北のフルマカモメ(鳥男)だったからである。目は黒く、筋肉は盛り上がっていた。人間の着物を着る必要がなくなって、カモメはすばらしいスピードで漕いでいき、まもなく二人は巣のテントに到着した。 時が経ったが、カモメの言葉には嘘はなかった。食べ物も、暖かい家も与えられており、娘も不足はなかったのだ。そして子供が一人できた。 父親の狩人は後悔して娘を捜し続けていた。そして何年も旅した後、カモメの土地で娘を見つけた。父親が到着したときカモメは不在で、娘を見たとたん父親は泣き出した。「娘よ、許してくれ。家に帰ろう」 そういって父親は娘を抱き上げ、カヤックに乗せて家に帰り始めた。 カモメは家に帰って、妻がいないのを知った。そして妻を救い出そうとし、鳥の姿で飛んでいけば妻を取り戻せるだろうと考えた。カモメが父親を引き換えさせようとして舞い降り、その翼が水を打った。波が大きくなってカヤックをひっくり返しそうになった。父親は死ぬのを恐れて娘を投げ込んだが、娘はカヤックに指でつかまった。 狩人は恐怖におののき、ナイフを取り出した。そして指を切り落としたのだ。それは海に落ち、アザラシになって泳いでいった。狩人はもう1本の指を切った。それはセイウチになった。狩人は3番目の指を切った。それはアゴヒゲアザラシになった。指を切るごとに、それは海の動物になった。 ついにカヤックをつかむことができなくなって、娘は海の底に沈んでいった。海に沈むとき、月の精霊(タトケック)と空の精霊(シラ)が一緒になって言った。「あなたの苦難のために、私たちは力を与えてあげましょう。そして、イヌイットの守護者になることでしょう」それと同時に、セドナは生まれ変わって海底の王国を築き、そして犬の夫と再会した。 父親は逃げることができたが、ある日、娘のことを思い出して後悔し、岸辺に横たわって娘に許してほしいと訴えた。狩人が眠ったとき、潮が満ちて、娘と再会することとなった。そしてみんな海の底で暮らすようになったのだ。 今、イヌイットが他のイヌイットや大地に逆らったとき、セドナは海の哺乳動物を供給しなくなり、海は荒れ、空は嵐となり、怒りを人々に示す。そうすると、シャーマンが海底の王国に潜っていき、その問題の原因を発見して、人々にそれを解決し、改めるよう告げる。そうすればセドナはなだめられ、天候は落ち着き、海獣たちも現れるので、イヌイット族は飢餓に陥らなくて済むのである。 場合によっては、シャーマンはセドナを訪問するような状態のトランスに入ることもあるし、水の中で呼吸する能力が与えられることもある。セドナは櫛をもっている。シャーマンが訪れたときにはその櫛で髪を解かさなければならない。セドナは指がないので櫛を自分で持てないからだ。
2006.08.17
第十惑星ということでセドナのことが再び気になり始めたのでセドナの伝説について書いてあるhttp://kotonoha.main.jp/2004/03/16sedna.htmlというHPからその伝説の部分を転記してみました。以下はその転記文です。全文を一度にアップできないので2回に分けてアップします。*「第十惑星セドナ(仮)」の名前のもとになった海の女神セドナについての伝説が各種ネットで発見できたので、3種類ほど訳してみました。ちなみにイヌイットとはエスキモーと呼ばれてきた人たちのことです。共通するのは、・娘が人間じゃない相手のもとに嫁ぐ ・父親と一緒に実家に帰ることになる ・追ってくる夫(鳥人間)が海を荒らす ・父親は恐れて娘を海に投げ出す ・娘はカヤックの端に手をかける ・父親がそれを切り落とす ・落ちた指はアザラシやセイウチやクジラになる ・娘は海に沈んで女神になる というパターン。どうしてこれが十番惑星なんでしょう?※2005年7月発表の「第10惑星」については「第10惑星」は冥王星より遠く、大きい。発見者による解説ならびに裏事情 [絵文録ことのは]2005/08/02を参照してください。関連記事⇒「第十惑星」セドナ(仮)の発見者は、惑星と考えていない--------------------------------------------------------------------------------2004年03月16日01:57|記事内容分類:サイエンス系|by 松永英明この記事のリンク用URL|コメント&トラックバック(7) はてなブックマークに追加 del.icio.us に追加 MM/Memo に追加 --------------------------------------------------------------------------------海の女神セドナの伝説 セドナがどのように海の女神になったかについて、北極圏全体に物語が伝えられている。その物語は地域によって違っている。しかし、どの話でも、若い女性がすべての海の生き物の母となっている。海の女神として、セドナは海の生き物たちを支配し、アザラシ、セイウチ、魚、クジラ、その他の海の動物たちをイヌイットの狩人たちに与えるかどうかを決めている。以下の物語は、多くのセドナ物語をまとめたものである。 そのむかし、セドナという名前の若い娘がいた。セドナは北極圏に両親と一緒に住んでいた。セドナは母親と父親を大変愛しており、非常に満足していた。その父親は優れた狩人であり、家族をちゃんと養っていた。セドナは多くの食べ物と暖かい毛皮を持っていた。両親の家の快適さが気に入っていたので、結婚を拒否していた。多くのイヌイット族の男たちがセドナを妻にしたいと思い、両親に結婚の許可を求めた。しかし、セドナはそのすべてを断った。両親がもう結婚しないと言ったときにも、伝統どおりに親に従うのを拒否した。 それからしばらくたって、一人のイヌークがセドナのもとを訪れた。この男はセドナに、たくさんの食べ物と毛皮の服と毛布を与えることを約束した。セドナは結婚することに同意した。そして夫婦になった後、男は自分の島にセドナを連れて行った。島の上で夫婦二人きりになったとき、男はその正体を現わした。それは人などではなく、鳥が人の姿をしていたのだ! セドナは激怒したが、捕らえられ、そこで暮らすはめになった。男はもちろん優れた狩人などではなく、肉も毛皮も持って来れなかった。その鳥男が持ってこれるのは魚だけだった。セドナは毎日毎日魚を食べるのにうんざりしてしまった。 その島で二人は一緒に過ごしていたが、やがてセドナの父親が訪ねてきた。娘が不幸になっており、夫が嘘をついていたことを知るやいなや、父親はその鳥男を殺した。セドナと父親はカヤックに乗り、家に向けて漕ぎ出した。鳥男が殺されているのをその友人たちが見つけ、その死に対する報復をしようとした。友人たちはカヤックの上空に飛んできて、激しく翼をはためかせた。それによって、巨大な嵐が起こった。波は小さなカヤックに襲いかかり、ほとんどひっくり返りそうになっていた。 セドナの父親は、この嵐のためにカヤックが浸水することを恐れ、セドナを凍り付いた海に投げ出した。こうすれば鳥は羽ばたくのをやめるだろうと思ったのだ。しかし、そうはならなかった。セドナは海の中に沈みたくはなかったので、父親のボートの端をしっかりつつかんで離そうとしなかった。ボートがひっくり返るのを恐れて、父親はセドナの指を関節一つずつ切り落としていった。このとき、セドナの指の関節それぞれから、別々の海の生き物が生まれた。それは魚、アザラシ、セイウチ、クジラになった。 セドナは海の底に沈み、そこで力強い精霊となった。その家は今も海底にある。もしセドナに会ったなら、女性の頭と胴体で魚の尾の姿であることがわかるだろう。 セドナは海の生き物すべてを支配している。これらの動物に頼っているイヌイット族は、セドナとよい関係を保とうとする。そうすれば、セドナは狩人たちに海の動物を捕らえることができるようにし続けてくれるのだ。イヌイット族には、セドナを喜ばせるためにしなければならない掟がある。その一つは、アザラシを殺すとき、塩水ではなく真水を飲ませなければならないというものだ。 もし狩人が長い間何も捕らえることができないなら、シャーマンは自分自身を魚に変える。この新しい姿で、シャーマンは海の底まで泳いでいって、海の女神セドナをなだめるのである。そのシャーマンはセドナの髪のもつれを解いて、編み上げるのだ。こうすれば女神は幸福になり、怒りを和らげることになる。セドナは指を失ってしまったので、誰かに髪を解かしてもらい、編んでもらうと喜ぶのだろう。セドナが幸福であれば、動物たちを狩人に与えてくれる。動物たちは、イヌイットのための食物・着物・家になるために自らを犠牲にするのをいとわないのだ。(C) Lenore Lindeman, 1999.--------------------------------------------------------------------------------セドナの物語 セドナはイヌイットの海の女神である。 セドナはイヌイット神話で非常に重要な登場人物だ。セドナの神話にはいくつかの異なったバージョンがある。ここでは私の好きなものを紹介しよう。 伝説によれば、セドナは美しいイヌイットの娘で、お父さんと一緒に住んでいた。セドナは非常にうぬぼれが強く、自分は美人すぎるから誰とも結婚しないと思っていた。求婚するためにキャンプにやってきた狩人たちを、セドナは片っ端から断った。ついにある日、父親が言った。「セドナよ、わたしたちには食べ物がないから、じきに飢えてしまうだろう。お前は夫に扶養してもらう必要がある。だから、次にお前と結婚したいと言ってくる狩人と結婚しなさい」 セドナは父親の言うことを無視して、水に自分の姿を映して髪をとかし続けた。 まもなく、父親は一人の狩人がキャンプに近づいてくるのを見た。その男は優雅に毛皮の服を着ており、顔は隠されていたが、裕福なように見えた。セドナの父親はその男に話をした。「もし妻がほしければ、俺に娘が一人いる。料理もできるし、裁縫もできる。いい妻になるだろう」 激しく抵抗しながらも、セドナはその狩人のカヤックに乗せられ、新居に連れて行かれた。まもなく二人は一つの島に到着した。セドナは見渡した。そこには何も見えなかった。芝土の小屋も、テントもなく、ただむき出しの岩と崖があるだけだった。その狩人はセドナの前に立ち、フードを下ろしたとたん、声を上げて邪悪に笑った。セドナの夫は人間だとばかり思っていたら、実はワタリガラスが変装していたのだった。セドナは叫び声を上げて走ろうとしたが、鳥は崖の上の開拓地にセドナを引きずっていった。セドナの新しい家は、硬く冷たい岩の上にまき散らされた動物の毛や羽毛の山だったのだ。食べられるものといったら魚だけだった。夫のワタリガラスは、一日中食べ物を探しに飛んでいって、生魚を持って帰ってくるのだった。 セドナは不幸で、惨めだった。泣いて、泣いて、父親の名前を呼んだ。うなる極寒の風に乗って、セドナの父親は娘の声を聞いた。娘が悲しんでいることを知って、父親は罪の意識に駆られた。そして、娘を救いに行こうと決めた。カヤックに荷物を積み、数日の間、凍てつく北極海を漕いでいって、セドナの家に向かった。到着したとき、セドナは岸に立っていた。セドナは父親に抱きつき、それからすぐにカヤックに乗って、漕ぎ出した。何時間も旅を続けたとき、セドナが振り返ると、遠くに黒い小さな点が見えた。セドナは恐怖が込み上げてくるのを感じた。あの点は自分を探して飛んでくる、怒った夫だとわかったからだ。 大きな黒いワタリガラスは、海の上で揺れているカヤックに急降下した。セドナの父親はかいをとってワタリガラスを攻撃したが、その鳥は執拗に反撃してきたので失敗した。ついにワタリガラスはカヤックの近くに舞い降り、海の上で翼をはためかせた。恐ろしい嵐が起こった。穏やかな北極海にまもなく荒れ狂う豪雨が襲いかかり、小さなカヤックは揺さぶられた。セドナの父親は非常に恐怖した。そしてセドナをつかんで、カヤックの横から海に投げ込んだ。「お前の大切な妻はここにいる! 俺を傷つけるな! 娘を連れて行け!」 セドナは叫び声を上げて逆らったが、氷で覆われた北極の海の中でその体はこごえ始めていた。カヤックまで泳いでたどり着いて、指でボートの端をつかんだ。父親は嵐におびえて、自分だけのことを考えていた。そしてかいをつかんで、セドナの指を叩きつけた。セドナは父親にやめてと叫んだが、だめだった。凍り付いた指は砕け、海の中に落ちていった。恐ろしい夫の力に影響を受けて、海の底に沈んでいくセドナの指はアザラシになった。セドナは再び泳いでいって、父親のカヤックにしがみつこうとした。また父親はかいをつかんで娘の手を叩き始めた。北極の海の中で凍り付いたセドナの手は再び砕かれた。その砕かれた手は海の底に沈み、クジラなどの大きな哺乳動物に変化していった。セドナはもうあらがうことができず、沈み始めた。 自分の身に降りかかったことに苦しみ、怒り狂っていたがあまり、セドナは死ななかった。そして海の女神となったのである。セドナの仲間はアザラシ、クジラたちで、海の底で一緒に暮らしている。人間に対する怒りは、海の荒れや嵐となって現れる。狩人たちはセドナを大いに尊重している。伝説では、セドナを敬わなければならないと伝えている。世界中からやってきたシャーマンたちは、セドナの長い黒髪のもつれをとかすために、海の底まで泳いでいかなければならない。こうすればセドナは落ち着くのである。これがなされれば、海の恵みとして哺乳動物が解放され、イヌイットはそれを食べる許可が与えられる。狩人がアザラシを捉えた後、その口に水を垂らし、家族を養うことができるようにしてくれたセドナへの感謝を示すのはこのためなのである。 これがセドナの伝説である。
2006.08.17
けさ起きてみたら少し前にクローズアップされた新しい惑星にわくわくしはじめている自分が居ました。ゼナという名前がつけられたりしているみたい。アクセスしてみて情報をサーチしてみよう。2000年代の発見だからそれをきっと象徴しているはず。ルーラーにするとしたら天秤座かな。という感じがします。根拠は全くありません。スピリチュアル・リーディングを使ってアクセスたらそんな感じがする。なので今後大幅に変更の可能性ありますが。現在の占星術においてルーラーを共有しているサインは金星が牡牛座と天秤座。水星が双子座と乙女座。この4サインの中では一番天秤座に同調する感じがします。木星の現代版のような感じもする。つまり木星をトランスサタニアンにしたような感じ。2000年代の変化を象徴している。二極の意味と女性性の再評価。地球に生きることの意味。スピリチュアルな未来。わぁい!楽しいな~。るんるん。
2006.08.17
太陽系惑星についてのニュースを見つけたのでリンクしてみました。それはこちらです。太陽系には惑星はぽつんぽつんとあるわけでは無いらしいです。ゴミのようにたくさんのものがぐるぐるしていてその中の一定の条件を満たしたものを惑星としてピックアップしているみたいです。ゼナについての記事はこちらです。
2006.08.16
今日はランチの時にビールを飲みながらたくさんおしゃべりをして楽しいひと時を過ごしました。その帰り道に気が向いて、ゆうがた明治神宮に行きました。半年振りです。一雨降った後だったらしくたまじゃりも周りの木立も透き通った夕日に水滴を反射させて輝いていました。ひぐらしがかなかなと鳴いていました。玉砂利の参道をずっと歩いてゆくと海王星的にいろんな人たちが重なって見えました。8月のこの時期ということもあってなのか馬に乗った軍人とかもんぺ姿の人たちもたくさん居ました。人の雰囲気が現代の私たちとは違うのだなぁ、と思いました。現実の世界では参拝者はとても外国人が多かったです。今日は神宮外苑の花火大会らしく浴衣姿の日本人の若いカップルも何組か居ましたが。明治神宮の正殿のあたりはさすがに気が良いです。毎回うれしくなります。参拝がすんだらいつも帰りに立ち寄るテラスの売店でソフトクリームにするかビールにするか迷ったのですが少し前からずっとソフトクリームが食べたかったのでチョコレートとバニラのミックスのソフトクリームを買いました。外のテラスで食べていたら私のお隣の3人グループの外国人のおばさんが私をちらっと見てそれから席を立ちました。すこしたって帰ってきた時には彼女の手にも私と同じミックスのソフトクリームがしっかりと握られていました。この季節ソフトクリームは急激な速度で外側から解けてしまうのでいそいで外側から舐めていかないとポタポタ垂れてしまいます。そんなふうにソフトクリームを食べていたら目の前の道路を歩いていた欧米人のグループの人たちと目が合いました。ようするに彼らはみんな私を見ていました。そしてしばらくするとそのグループの人たち全員のひとりひとりの手にも私と同じミックスのソフトクリームが。写真は今日のゆうがたの空。場所は明治神宮ではなくてその帰りの目白の家のそばです。もっと光輝いていたのだけど写真では上手に撮れなくて残念です。
2006.08.16
胎盤を食べるというお話を知ってからあまりに驚いたので会う人ごとにこの話しをして見ました。あんがいみなさん「聞いたことある」と言っていてそれも私としては意外でした。私はこの話しをはじめて知人のブログで読んだ時自分が夢をみているような気分になりました。「という夢を見ました。」という最後の一文を彼女は書き忘れているのではないか、とさえ、思いました。私自身の二回の出産体験ではそういう話はちらっと小耳に挟むことさえありませんでした。私がこのことについて会話をした人たちの話では地方にはそういう風習が残っているところもあるらしい。ということでした。産後の肥立ちを良くするために食べる風習が残っているところもあるらしいとか。最近テレビで見た、と言っている人も居ました。人魚の肉を食べると不老不死になると言うお話がありますが胎盤は食べるとコラーゲンの宝庫なのでお肌がプルプルになるのだそうです。テレビを見た人の話ではこりこりとして赤貝のようでわさび醤油で食べたり・・・となかなかにリアルでした。植木に埋めると植木がぐんぐん育つのだそうです。いやあ、これだけお話を聞いても私にはやっぱり非現実のゆめの世界にお話にどうしても思えてしまいます。土星海王星のオポの世界な感じがします。
2006.08.16
ひさしぶりにこのお茶漬けを買いました。このお茶漬けの中には安藤広重の東海道五十三次の版画のカードが以前は入っていました。今回全部中身を出してみて逆さにして袋を振って調べてみたけどカードは入っていませんでした。これを良く食べていたのは小学生の頃でしょうか。インスタントのお茶漬けを食べながら江戸時代の版画の絵はわたしを江戸時代に連れて行ってくれたものでした。安藤広重の版画にはそれだけのすばらしい威力が内在していますよね。つまり口にしているのはインスタントのお茶漬けなのだけど頭の中のイメージは江戸時代にまで時間旅行の旅をしていました。お茶漬けメーカーの誰が安藤広重のカードを入れることを発案したのかはわかりませんがお茶漬けと版画のカードという結び付きにはすばらしいものがあったと思います。つまりただのインスタントのお茶漬けが江戸時代にまで深く根っこを掘ってしまう。それがお茶漬けの味覚と一体化する。いま安藤広重の東海道五十三次を未来予知のフィルターをかけて読み直そうとする一冊の新刊書と出会ったのですがそこに立ち上がる世界はとてもシャープなだけに「恐い」です。優れた芸術作品がこの世界にアクセスしていることは否定できないことなので。この恐さの実感は人間より上位に存在に対する畏敬の恐さかも知れません。本の名前 ヒロシゲ・コード 広重の暗号 -東海道五十三次の謎ー著者 坂之王道出版社 青春出版社
2006.08.15
それで、きのうの続きの二荒山神社についてなのですが最近私のアトリエに栃木県にあるヒーリングのお店と関わりのある人たちがおいでになっているのですがその人たちが来る前の日とかになるとある神社がヴィジョンで必ず出てくることに気がついてそのおはなしをしたところそれは宇都宮の二荒山神社ではないかということがわかりました。石でできた長い階段を上がってゆく。境内には鳩がたくさん居る。それでその時そのふたつが同じ二荒山神社であることがわかったのです。それまで日光と宇都宮が同じ二荒山神社とはわからなかったのです。*宇都宮の二荒山神社には10代の頃に行ったことがあると思うのです。今では、どうしてその時宇都宮に行ったのかは覚えていないのですが。中学生だったか高校生だったかそのくらいの時。めったに子供たちだけで電車に乗ったりすることはない生活をしていたのですがその時は誰かお友達と一緒でだけど私はその神社の境内でひとりで居たような記憶があります。つまりお友達は何かの用事でどこかに行っていて私はそれまでの時間をひとり境内で過ごしていた。*ここから先のお話は先日このブログにアップした『おとなしいきょうりゅうとうるさいちょう』の絵本に通じるお話なのですが。その時わたしは長くて白くて幅の広いそして記憶では暑い宇都宮の二荒山神社の階段の左下のあたりでひとりの若い男の占い師に運勢を見てもらったような記憶があるのです。10代の感受性の鋭い時期だったのでその時の言葉はとても私にはしみこんだようにも思うのです。だけどその時の言葉の数々は私の未来を楽観的に明るい希望で満たしてくれるものではなかったように思います。たとえればとってもにがくて重たい言葉を受け取ったように思えます。その男の占い師はとてもまじめな人で真摯な態度で未来を占ってくれたと思います。*今思うとこの体験が私の占い人生の原点になっているのではないか、そのように思うのです。この時からおとなしい恐竜やうるさい蝶のような荷物を私は背負ったのだと思います。この受け取った運勢的な負荷はその後どのような方向付けを私にもたらせたかというといったい彼は何に基づいてそれをどのように解釈してあのような言葉を言ったのかそのおおもとのところを自分自身で確認したい、という探求の方向性へと変換されてゆきました。つまり自分で占いをお勉強して見極めたいという今から思うとこんなにもながい旅のその出発点になったのだな、と思います。
2006.08.14
あさ起きたらとても空気がまったりとしています。日本全国お盆休みなのですね。*ここ数ヶ月日光の二荒山神社が良くビジョンの中に出てきます。けさもまた出てきました。たしか十年くらい前のやはりこのお盆の時期にわたしは日光の二荒山神社に行ったのだと思います。その時からネガティブな方向へ落ちていた運勢がポジティブな方向へ逆転し始めました。底をついてけり返して起き上がる。まさに13.死神の体験でした。あの時何が何でも、という感じで日光に行きたかったのを覚えています。10年くらいの前を大きな視点でとらえなおすとそこのところに大きな反転があったことがわかります。いまこのような表現は使ったけどなぜならひとつの言葉に置きかえないと表現はできないから。でもネガティブとポジティブはこの文章の読み手によって受け取り方ががとても大きく違ってしまう使うのがとても難しい言葉だろう、とも思います。読み手の人が何をネガティブとし何をポジティブとイメージするかそれが鏡のように写しだされるのだろうと思います。
2006.08.13
わたしにとっての上位の存在はこのおはなしにでてくるおひさまです。おいしいおひさまおいしいひかり。わけてもわけてもビンの中のひかりは少しも減りません。絵本の名前 ふしぎふしぎ文を書いた人 片山令子絵を描いた人 長 新太出版社 国土社
2006.08.12
わたしにとっての占いのイメージはこの本の中に出てくるお話、そのものです。とくに相性緩和法はこのお話そのままのようです。絵本の名前 おとなしいきょうりゅうと うるさいちょう作者 ミヒァエル・エンデ出版社 ほるぷ出版
2006.08.12
わたしにとってのもうひとつの占い師イメージはこのお話に出てくるフレデリックというねずみです。おどろいたなぁ、フレデリック。きみって 詩人じゃないか!フレデリックは あかくなっておじぎをした。そして、はずかしそうに いったのだ。そう いう わけさ。絵本の名前 フレデリック作者 レオ=レオニ出版社 好学社
2006.08.12
私にとってのひとつの占い師イメージはこの絵本の中に出てくる「ゆめくい小人」です。ゆめくい小人ゆめくい小人子どもを おどかす こわい ゆめはやく はやく たべとくれけれども きれいで やさしい ゆめはたべずに のこしておいとくれゆめくい小人ゆめくい小人まねきを うけて きておくれ本の名前 ゆめくい小人作者 ミヒャエル・エンデ出版社 皆成会
2006.08.12
これから年末に向けての天体配置ではトランスサタニアンの冥王星と海王星の動きがかなり遅くなります。冥王星は射手座25度に今年の7月4日から11月4日まで3ヶ月間留まります。射手座25度は「玩具の馬に乗っている小太りの少年」ひとり遊びの度数です。海王星は水瓶座18度に8月28日から12月29日まで4ヶ月間留まります。水瓶座18度は「仮面がはがされた男」秘密暴露の度数です。どうしてこれだけ長期同じ度数の上に滞在しているかというと逆行して戻っていた天体が途中から順行にもどって運行してゆくため度数の移動が無いわけだけどそれにしてもひとつの度数に3ヶ月とか4ヶ月というのはなかなかに長いように思います。今年の秋はじっくりとこの度数の影響の中に浸ることになると思います。
2006.08.11
いわゆる霊能力について私はネイタルの月が土の乙女座なせいかビジュアル的には現実に存在しているものと非現実に存在しているものの区別がつかないことはめったに無いと少し前のブログに書きましたが現実と非現実の区別が一番つきにくいのが匂いです。現実世界においても匂いは頭部の中枢部において識別されます。聴覚は鼓膜で受信していると思われていますが実はそれだけではなくて全身を伝わる振動もシグナルを送っていることを考えるとやはり嗅覚は感覚世界の外界を認識する感覚器官としてはなかなか受容性が強い感覚であることがわかると思います。つまり引き込んで識別する。それに比べると視覚というのはあんがい攻撃的に外界に対して赤外線ビームみたいのを発信して能動的男性的に印象を奪い取ってくる感覚器官であることがわかります。オーラの匂いは現実のものなのか非現実のものなのか識別がとても難しい。それは理性的判断にお手伝いをしてもらわないと識別できなかったりします。つまりこの現実空間にはゆりの花は存在しない。なので先程の濃厚なゆりの花の匂いは虚の世界の匂いであったのだ、と言う感じです。それできのうの土星海王星のオポジションの真上で起きた満月の夜に私がみていた世界は1)ロマンティックな海王星的世界。 ↓2)妄想や想像や空想を一切排除した とってもリアルな世界。 現実的土星の世界。 ↓3)しかしながらその土星的現実世界も もう一歩踏み出すと 実はマーヤの世界。というものでした。
2006.08.10
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