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暦の語源は、「日読み」から来ていると以前、聞いたことがありました。わたしは、記憶を遡ってみると30歳の頃にはもうすでに「日の良し悪し」には、とても敏感でした。その理由は、最近になってとても良くわかりました。つまりそれは、私がそのサイクルに同調したのです。つまり、「日の良し悪し」という透明なメガネをかけた、ということになるわけです。「日の良し悪し」というのはカレンダーや手帳には仏滅とか大安という書き込みがしてありますがつまり、それのことです。仏滅とか大安とか言う不思議なサイクルがあってそれにシンクロしている流れがあります。その流れは、暦通りのこともあれば暦から微妙に一日くらいずれることもあります。このサイクルのおおもとの原理は私は知らないのですが手帳の書き込みを元に占星術とすりあわせをしてみようとしたことがあります。しかしながらいまだにうまい具合に整合性は取れていません。両方見つめてゆくうちにこの仏滅とか大安とか言う暦のリズムは日本という土地固有の持つリズムのように思えてきました。そして、そのリズムが出来上がって今でもそれが生きているそのわけはとりもなおさず手帳やカレンダーにそのサイクルが記されてたくさんの日本人の人たちが毎日毎日何度も何度も目にしてたとえ意識的に把握はしていないまでも無意識的には見ている、ということの影響の大きさがあるように思えてきました。この仏滅や大安は少し先の予定を決定する時に無意識的に刷り込まれてゆく可能性がとても大だと私には思えます。たとえば、誰とかさんが来週お付き合いをしている人と会う予定を立てるとします。それはまだ、付き合い始めて間もないどきどきする関係で相手の前では上手に振舞いたいそんな関係性だとします。候補の日にちが、AB二日あるとしてひとつが仏滅もうひとつが大安の日で別にどちらでも良いような時。なんとなくゲンをかついで大安の日を選ぶ心理が働くことは容易に推測することが可能だと思います。こんなふうに、暦の力の無意識への影響は、とても大きなものがあるように思えます。なので、少なくともわたしは来年、つまり明日からは自分自身が日常的に使用する手帳とカレンダーからこの仏滅とか大安の暦は実験的に排除してみることにしました。
2006.12.31
ゆうべは、そうとう深い意識もしくはそうとう遠い意識にアクセスしてとんでもないようなあまりにも驚くようなメッセージがたくさん来ました。その中のひとつはやっぱりエリスに関係したことでした。でもその内容は驚くべき内容過ぎてまだ誰にもお伝えできていません。なぜならその内容にわたしはまだ同意していないからです。もうひとつ私に来た大切なメッセージはなんと!大公秀吉の正妻のねね、についてのメッセージでした。これもまた奇想天外なメッセージでまだ誰にもお話できていません。
2006.12.30
人生、良いときばかり続くとは限りません。どうしてこんな状況ばかり続くのかという試練の時を、もし迎えている人が居るとしたらその時は、精神性を豊かにして行く時と考えることにしましょう。自分の立たされた状況から自分自身の運命的なものや持って生まれた性格的なものや周囲の人達の言動をネガティブに受け止めるのは止めにしておおもとの価値観を180度変えてみます。そうすると冬には冬の過ごし方がきっと見えてくるのに違いありません。今現在、春を迎えている人夏を迎えている人いろいろ居るわけだけどそういう人からは冬を迎えている人の気持ちはなかなかわかってもらえないものかも知れません。考え方がネガティブなんじゃない?もっと前向きに明るく生きれば。いろいろ言われたとしてもただ、それだけ、ではなくやはり、「冬は冬」なところはどうしてもあったりするかも知れないのです。冬には冬のすごし方を楽しみたい。透き通ったようなカキーンとした空気を今しか味わえないものとして体験してゆくのも良いものかも知れません。
2006.12.30
水星逆行を使った書き換えのための次回のワークは2月14日から3月7にちまでとなります。これはある意味、2.女教皇のトーラの書物を自ら読むことと言うことが出来ます。自分自身の過去の書物を直視しないと、本質的な書き換えをすることは難しいことのように思えたりします。そのかわり本質的な書き換えがなされればなされた分だけ今までの拘束から解放されて明るく楽しく自由になれるところがなんともいえないメリットです。
2006.12.29
1月1日のお正月は社会的な暦の上での新年です。これは太陽暦が採用された時に決まったはずだから明治以降でしょうか。それ以前は旧暦が使われていたので2月3日の節分2月4日の立春が次の年への境目になっていました。そのあと占星術などで重視されている春分が訪れます。今年は3月21日となっています。この三段階のシフトが毎年起こっていることが体感されます。太陽暦の1月1日は対社会的新年の切り替え。旧暦の2月4日の切り替えは地層としてもうひと段階古いところでの切り替え。春分点の3月21日は地層としてはさらにもっと深いところのでの新年への切り替えとなっています。何度も書いているけどトランシットの冥王星は太陽暦の1月1日の少し前くらいから未体験の未知なる度数に進んで行きます。そして太陽が春分点を過ぎる頃逆行に入って、その未体験のものをより地球に定着され実行するための時間が始まると考えることも可能です。冬の間、風邪と呼ばれる身体の不調が蔓延しますが私はそのことと、この冥王星の経過度数とはとても密接な関わりがあると考えます。冥王星が持ち込む未体験の未知度数に身体が同調するのが風邪なのだと思うのです。溜まった疲れは排出し、新しくなって未体験の未知度数を身体が受け入れるのが風邪なのだと思います。
2006.12.29
ゆうべの内容とは反転して地球生活で地上に生きることに根付きながら人間以外の形無き、つまり神と呼ばれる存在と接触する生き方としてイメージとして沖縄のユタさんのような生き方が上げられると思います。(ちなみにわたしは、ユタさんとノロとの言葉の区別は良くわからないのですが。)わたしが沖縄で出会った神に使える人たちは結婚して子どもを産んでいました。生まれたばかりの赤ちゃんと親たちとの関係性は、お互いにそれこそ純粋に神と人間の関係性の投写されたものと考えることも可能かと思います。赤ちゃんにとって親たちは、神と同じ存在。親たちにとっては赤ちゃんは、神と同じ存在です。古い古いイメージ。中世の禁欲の時代の以前にはそのようなスタイルも自然だったのではないかそんなふうに思ったりもします。この場合、女たちの精神世界は霊能師的であったりすることが多いように思います。受信能力を使ったチャネラーやヒーラーとしての役割です。大地の自然の豊かさとも密接に結びついていた精神世界であったことが想像されます。大地の恵みに感謝して肉体を持った限りある時間を楽しむのも良いものです。*今チャートを見たら気持ちの良いくらい大きなグランドトラインが火のサインで、できていました。月と土星と冥王星のグランドトラインでした。
2006.12.29
ここのところ、しばらくずっと私自身のテーマになっている「白い骨になる」ことについてですが、象徴的に「骨化する」という場合これはつまり活き活きとして、みずみずしい「肉」を失うことであるわけです。神主さんやお坊さんや神父さんや牧師さんや錬金術師や占星術師や巫女さんや尼さんや修道女たちが現世的関わりを捨ててスピリチュアルに生きるイメージ。さて、ではこの時に異性との関わりが全く無くなるか、というと消してそういうわけではないのだと思います。たとえばプラトンが主張したという「失われた半身(=理想の異性)」や「仏母」という言葉が象徴しているようなスピリチュアルな幸福へと導く力を持った女性の存在は地球での生殖活動というグラウンディングの方向性とはある意味正反対の方向へ導く女性存在を、男性のスピリチュアルな道を求める人たちが思い描いてきたことを凝縮して物語っていると言うことが出来ると思います。要するに「失われた半身」や「仏母」とは「魂のパートナー」であると言うことが可能かと思われます。良寛と貞心尼の関係もこうしたもののひとつでしょうか。しかし、ここのところは良く混同されることが多いようにも思います。スピリチュアルに導く異性は必ずしも地球での生殖活動を共にして行くパートナーでは無いわけなのです。スピリチュアルに導く異性は十牛図第四図におけるアニマやアニムスの投影さえも厭わないかも知れません。だけどそれは、ルシフェルやデビルのように誘惑する者たちでもあるという影を持ちます。「失われた半身」や「仏母」たちが時にその甘い香りを漂わせながらも導く先は足下の地球ではなく頭上の宇宙なのだと思います。「魂のパートナー」と「赤い糸の結びつき」を混同しない方が良いこともあるとわたしは思います。いや、そうではない。「魂のパートナー」は、すなわち「失われた半身」や「仏母」であると同時に、「赤い糸で結ばれた」地球での日常生活をも共にするパートナーなのであると言い切ることができる人は、たいへんな幸せものであるように私には思えたりもします。
2006.12.28
富士山に行きたいです。やっぱり。きのうは風がとても強く富士山がはっきり見えました。富士山が見えるとどきどきします。はるかな憧れを感じます。やっぱりとてもスピリチュアルな存在です。
2006.12.28
眠りのままの人生を生きたとしてもそれはその人の自由なのだと思います。その人が名も無き、眠りのままの人生を生きて、死んでいったとしても季節は巡り、時は経ち宇宙は、予定調和的なサイクルを経過してゆくのに、違いありません。そこのところには大きな安心感と信頼感があります。人は許される範囲の中で自由意志を与えられ、許されない範囲においてはどうにもならない何かに従って生きているわけなので。☆スピリチュアルなものやオカルティックなものをどんな秘教的な場で学んだとしてもそこから卒業し旅立つ時にはもはや「今」という時間の流れの中ではおおかた時代遅れのものとなっていることが多いです。そこから先は、各自のオリジナリティーが、問われることと、なって行きます。ここのところは、血縁的親子関係に、とてもよく似ています。つまり、親子間の子育てと、同じだと思います。
2006.12.27
わたしはこんなとてもよく晴れた日のすみわたった冬の空の光の中の雲がとてもすきです。
2006.12.27
どこにでもある普通の水仙の花。冬の光の中で風に揺れていました。普通である水仙はしかしかけがえのない時間と空間の中に今、光をあびて存在していました。
2006.12.27
夏のあいだに花をつけたゆりの花の根もとの種。それがカラカラの茶色いドライフラワーのようになって冬の斜めの光の中で輝いていました。
2006.12.27
きっと、白い花が、いちまいいちまいと落ちていって土に返り緑の葉が茶色く枯れて風に飛ばされそして残ったゆりの立っている姿。冬の中にすっくりと立っている。
2006.12.27
最近の私の夢はまるで天体配置がドラマを演じているような夢になっています。毎晩天体テレビを見ているようです。けさがたの夢はOLのような定期的なまじめなお仕事を続けるかどうか迷っている友人に、わたしが「止めちゃいなよ」という夢。するとその人に「私が会社勤めを止めることになったらあんたは退職パーティーを開いてくれるのか?」と尋ねられます。それに対して「わたしはもうしばらくそういうまじめな暮らしはしてないからわたしはできないよ」と答えるというもの。夢の中では、そのあとで電線に並んでいる雀のようにはみださずに、きちんと、歩調を合わせてという堅苦しい遊びをしている人たちにわたしが「もっと自由な創造性を楽しむ遊びをしましょう」と言っていました。*射手座も終盤になってくると社会の中で役立つ人を意識し始める度数になって来るのでした。次の山羊座の到来が徐々に色濃くなって行くわけです。そうはいっても現在は、まだまだ射手座が強い状態でそれに対して獅子座などはトラインの関係性。火の示す精神性や 創造性や、 飛び出す元気さがあふれている時だと思います。
2006.12.27
四季の流れを上手に使って精神世界的な世界と、現世的な世界を住み分けてみるのも、良いのではないかと思います。穀物の育成サイクルのように、一年を利用してみようという、試みです。秋分から冬至に向かっては、冬至という陰の極みに向かって徐々に日照時間が減少しそれに伴なって精神性が深まってきます。天文歴で調べてみるといつの時にも必ずということではないみたいのですがここ数年は、前にも書いたように四季のサイクルと冥王星の進行度数はちょうど合致しています。冬至の頃に、冥王星は未知のの度数に経過してゆきます。そしておよそ、春分の頃まで順行してゆきます。この期間は、新たな精神性を取り込むのにとてもふさわしい時期ということができると思います。春分から夏至に向かっては冥王星は逆行を始めます。夏至で陽の極みを迎えたあと秋分を迎える9月の初旬に冥王星は再び順行に戻ります。ちょうど冬至を迎えた、今頃の過ごし方としては自然のサイクルに、精神サイクルを合致させるならひきこもりとか、0.愚者や12.吊られた男のような世界のなかで精神的に高尚な世界に同調するのにとてもふさわしい時と、言うことができると思います。この世界の持っている豊かさは陽の社会生活にしか人生価値を見出さない人からは想像がつかないものなのだと思います。
2006.12.26
ようやく、左肩から腕にかけての痛みの意味が、わかりました。左側は、受容する側。左腕や手は、具体的なことを受け取る手。そのおおもとの肩。私は「五十肩」かと思っていました。でも整体の先生は、そうではないと言っていました。五十肩という言葉があるくらい五十歳くらいになると理由がわからず肩が痛むことがある人が多いのだと思います。理由はひとつではないのかも知れません。運動不足。無理な生活習慣。食生活の偏り。などから来る体のサインであることもあるのだと思います。でも、わたしがさっき腑に落ちた左肩の痛みのスピリチュアルな理由は「あちらの世界に戻りましょう」のサインである、ということ。五十歳になったら現世的生き方に執着しているだけではなく精神性を取り戻してゆきましょう、というあちらの世界からのメッセージ。それが五十肩のもつスピリチュアルな意味だと思いました。タロットの7.戦車の御者の甲冑にも肩のところに上に対して受容的であることを示している月のマークがついています。☆ 今季洋の占い鑑定・占いレッスンは、どうぞ《こちら》をご覧ください。☆ アトリエえんどうまめのHPは、《こちら》です。
2006.12.25
沖縄には、現在の日本が喪失してしまった神とのお話が残っていたと言われています。けれどもそれももはや、現在においては、それは大半喪失してしまっていると思われます。沖縄に残っていた自然とそれに密着した生活と精神性。沖縄は、日本の対極として日本を写しだす鏡としての機能を持っていたところがありました。まえに「神島」というのが日本のあちこちに存在している、というお話をこのブログでも書いたことがあります。沖縄は、日本の神島だったのだと思います。神島は、対極でなくてはなりません。「陸」での日常に対し「島」は非日常の聖域です。このことに気がついてその後、天岩戸の神話を思い出しました。岩戸に閉じこもってしまったアマテラスが最初に見たのはアメノウズメが手に持った「鏡」です。アマテラスが精神性の象徴存在であるのに対してアメノウズメはある意味、現世的肉体性の象徴存在です。西洋占星術的にも7の数霊的天秤座や7ハウスは「他者」を表します。他者とは、わたしを写しだす鏡です。天秤座や第7ハウスは始まりの数霊1の牡羊座や1ハウスの対極です。対極というのはつまり主体を写しだす鏡なのだとつくづく思いました。
2006.12.25
前にも書きましたが、新しいSGには天体Xとして、エリスの位置も出せるようになっています。さきほど、わたしの出生図でエリスは、どこに位置するのか、出して見ました。牡羊座10度。すばらしい!わたしのネイタルでは、その度数を埋めると火のグランドトラインが天秤座の木星で、カイトを形成します。オーブがほとんど無いとても正確なカイトです。ハウスは1ハウスなので、「私がエリスです」と、いうことにもなるかと思います。わたしはこれからエリスとともに生きてゆこうと思いました。天体は意識してエネルギーを送り続けると必ず向こうからもエネルギーを送り返してくれます。惑星年齢域的にはその火と風のカイトには木星土星天王星が絡んでいるのでちょうどこれから生きてゆくのにもとても都合が良いです。
2006.12.23
悩みがある時は家の中に居てこまめに整理整とんをする。そんな習慣が、いつの間にか、できあがっています。占星術的に、ネイタルで月も水星も、乙女座なので私の場合はこの方法はとても効果があります。生い立ちの中で、読んだ本の中にこういうお話がありました。ある精神科医(ユングとかだったかも)のところに主婦のクライアントが悩みを告げに来る。だらだらととりとめも無く話をするクライアントに精神科医は言います。「奥さん。家に帰って、まずお針箱の中の整理をして、ごらんなさい。」その主婦のお針箱の中はとても乱雑であることを精神科医は見抜いたのだ、というお話でした。日常的に目にするものや、住んでいるところは無意識にぼおっとするところでもあるのでそのことが与える絵影響は大きく自分自身の思考回路に予想以上の変化を与えます。そこのところが整理されると頭の中も整理される可能性はとても大です。もうひとつ、似たようなお話も耳にしたことがあります。皇室の現皇后の美智子妃の生家のお母さんの話。この人も、悩みがあると良く庭に出て草を一本一本抜いていたのだそうです。悩みを抜けるには、積極的方法としては自ら考え抜いて答えを出す場合もあるでしょう。また、消極的方法としてはひたすら時期が過ぎるのを待つという方法もあるでしょう。これはどちらかひとつということは無く両方が同時に起きるようにも思えます。でも、それよりも一番効果があるのは「もう悩むのはやめよう!」と自分で決めること。悩みを手放すこと。悩みという行為は放出先の無いエネルギーが閉ざされた頭の中でぐるぐる回っている状態。それは、本人は苦しいといいながらも実は最も生きている実感を体感しやすい状態でもあるのだとも言われています。実は、そのことを求めている自分自身が居ることに気が付いたりもします。気分を変えて目を上げてみたら外はとてもよく晴れて良いお天気!さぁ、それでは、もう、地球生活を楽しんで良い時に切り替わっていることに同調して行きましょう。
2006.12.23
とつぜん『ジャックと豆の木』も精神世界のお話だったことに気がつきました。『ジャックと豆の木』はみんなが良く知っているお話ですが調べてみたらイギリスの童話となっていました。なので、諸説あるかと思いますがジャックは、食べ物が無くなって家に居た確か牛か何かを売ってお金を作り、それで豆を買います。食べ物が無くなってということはふたつのことを、象徴として読むことが可能です。つまりA)ジャックは、ほんとうに現実の世界で対社会的にとか金銭的に恵まれない生活をしていた。聖書に、「貧しいものは、幸いである」という言葉が、あるらしいです。お金持ちなど経済的に豊かな人は、天国には程遠く、貧者には、天国の門は近いという考え方も、かつてはありました。もうひとつの考え方としてはB)「食べ物」という象徴を現実的な肉体が摂取する物質的な食料とは考えずに象徴的に、「精神的な食料」を意味していると見ることも可能です。少し前にブログに描いた、妖怪「二口女房」伝説もこのことを象徴しています。つまり、物質的な食料を摂取する顔についている口のほかに頭に、知的なことを摂取する別の口を持っている女性のことをこのお話は、象徴しています。ジャックの豆の木はぐんぐん育って雲まで届いて、彼はそれを登ってゆき大男のお城に行きます。ここの部分は、何の解説も必要の無いくらい、スピリチュアルなお勉強の状況を描いていますね。その後、ジャックは諸説あるけれど、黄金の竪琴などをゲットして地上に帰ってきます。古事記の日本神話の中にも似たような状況が展開されています。オオクニヌシがスサノオと会うあたりです。オオクニヌシは最終的にスセリヒメの協力を得て琴とスセリヒメをゲットして帰ってきます。いずれのお話にしても地上に戻るところが興味深いです。どうして地上に戻ったか、というとそれぞれ配偶者をゲットしたからでしょう。ジャックと豆の木では黄金の竪琴は「女性である竪琴」と表現されていたりもします。陰陽活動が始まると地上化するといわれているけれど、最近はその逆の陰陽の、つまり男女の出会いによってスピリチュアルに上昇してゆこうとする新しい流れも始まっているようにも思います。やはり西暦2000年代はすべて双方向からの視点でものごとを捕らえてみると良いように思います。
2006.12.22
毎年今くらい、冬至が近くなってクリスマスを迎える時には私はよくやっぱり「愛」について考えるみたいです。「愛」と言う言葉に置き換えるとなんか気はずかしいけど、この言葉にしか置きかえようの無い心理的なエネルギーについて良く考えます。それはきっと天体配置的には、毎年今の季節は射手座が強まる時期でもあることと関係しているのかも知れません。つまり、精神的に飛ぶ時期。そしてまた昼間の日照時間が短くなって精神的に内向的になる傾向がやはり強まっている時期であることも関係しているのかも、と思います。「愛」と言っても男女間の愛もあれば親子間の愛もあるし人類の愛もあります。でも、さっき「愛」というのは存在の肯定だな、と思いました。そしてそれはこの世という限定をはるかに越える可能性まであるのだということ。つまり愛を感じ愛を送る対象はこの世に今存在していると言う時間と空間の限定をはるかに越える可能性を持っているということ。すばらしいです。
2006.12.21
お絵描きの、小学校4年生の男の子達がメインのクラスでギリシア神話のトロイア戦争を少しずつ読んで、先日ようやくちょうど二学期お終いの日に読み終わりました。こどもたちは私の朗読を聞きながら自由画のお絵描きをしました。お話の具体的な細かい登場人物の把握はこまごまとしているので難しいとしてもこども達にはお話の持つエネルギーはダイレクトに伝わるのでみんなとてもおもしろい絵を描いていました。やはりお話の内容の影響で描かれた絵は戦いのシーンが多いのですがそれが不思議と龍が登場してくるものが多くなっています。戦いのシーンということでサッカーのコートを描いた子もいてその子は少年サッカーチームに入っていてサッカーが大好きな子なのですがギリシア戦争の戦いのシーンはそのままサッカーの対戦イメージに結びついたのだと思います。龍の方の絵は絵画を深くリーディングすると「お母さんからの心理的独立」が深層心理的に垣間見られたりするので日々成長している様子がうかがわれて頼もしく思われたりしました。
2006.12.20
年末になると、忠臣蔵。どうしてか、というと吉良亭への討ち入りが12月14日だったから、なのでしょう。しかしながらそれは旧暦でのお話。現在の新暦に直すと2月ですが。それてさておき忠臣蔵に今年の展覧会で発表したタロットのコートカードを置きかえて考えることが可能です。日本的コートカードとしては、次のようにしてみてもおもしろいかも。キング王様 = 浅野内匠頭 = H6クイーン王妃 = 瑤泉院 = H12ナイト騎士 = 大石内匠頭 = H24ページ小姓 = 四十七士 = H48 もちろんこれは断定的限定的なものではなくてページを当時の庶民とするなら配列は順次変則的に変化して行きますが。H6H12H24H48H96というに見えない透き通った物差しを自分の中に育てて森羅万象を見てみるのもおもしろいです。
2006.12.19
春・夏・秋・冬のキャンドル作りを思いついた背景には今年の展覧会での、タロットのコートカードの制作、があります。コートカードというのはタロットの小アルカナの一部で四大元素火=ワンズ (棒)風=ソード (剣)水=カップ (杯)土=ペンタクルス(金貨)にそれぞれ四つの階層が擬人化されて表現されているものです。キング( 王)クイーン(妃)ナイト (騎士)ページ (小姓)ですので、コートカードは4×4で全部で16枚あります。一年間コートカードと向かい合って描いてきたわけですが展覧会間近ではわたしのなかでコートカードの四大元素と東洋の四方の考えが不思議と重なってきました。カップ =水=東=春=青龍ワンズ =火=南=夏=朱雀ソード =風=西=秋=白虎ペンタ =土=北=冬=玄武。このテーマの流れの中でわたし自身一年間を四分割した春分夏至秋分冬至に関心が強まっています。なので四季のろうそく作りをする時には占星術も使ってそれぞれのチャートを出してこれから訪れる四季の時間に参加者全員で同調する、というのも作りながらやってみようと思います。春分図夏至図秋分図冬至図を出してリーディングしてそのこれから訪れる四季の天体配置に自分自身の同期を取ってゆく瞑想もやってみようと思います。
2006.12.18
先日開いた瞑想用のセラピーキャンドル造りの講座がわたしとしてもとても楽しくそのあとずっとキャンドル造りを続けてやっています。キャンドルを造りながら春夏秋冬の季節のキャンドルを造ったらすてきだろうな、と思いついたらどきどきしてきました。春分の日夏至の日秋分の日冬至の日の近くにそれぞれの季節をイメージしてキャンドル造りをする。☆久しぶりに材料の蜜蝋粘土を取り寄せたら知らない間にずい分と値上がりしていました。なので講座を開くとしても前回と同じ値段設定ではちょっと厳しいのですこし材料費は上げなくてはならない。時間も、もう少しゆとりを持って5時までにしようかなと思ったりします。来年は、ぜひ春夏秋冬の季節のキャンドル作りをしてみたいです。
2006.12.17
朝ご飯を食べながら「愛を使い果たしてしまった時」のことを考えていました。たとえば、結婚して間もない新婚さんはすばらしい、この世のものとも思えない愛の中に存在していたりもします。新鮮な喜びにあふれ生きていることが輝きます。ところがそれが永遠に続くかと言うとたいてい3年を過ぎる頃から変化し始めます。この状態をジョーゼフ・キャンベルは『神話の力』のなかで「愛を使い果たしてしまった時」と言う表現を使っていろいろと書いていました。それをもう一度読んでみたいと思ってこの本を手に取りました。久しぶりに見てみて、やはりすばらしい本だと思います。神話的ななかなか言葉に換言できない世界を的確な表現の中に落とし込んで語っています。たまたま開いたページに書いてあったことに引き付けられて、しばらく没頭して読んでいました。愛を使い果たしてしまった時。この言葉はこの本のどこに書いてあったかまだたどり着いていませんがこのことについては、じっくり考えてみたいと思います。この愛を使い果たしてしまった時から本当の愛が始まるのだと、私は思うのです。それは地道な世界の創造なのだと思います。世界中どこにも存在していない自分達だけのオリジナルな世界を生み出してゆくことになるのだと思います。
2006.12.17
女性の看護士さんがつぎからつぎに干からびたようなお年寄りの死体を運び込んできます。遺体を焼く係りの男の人がひとりいてつぎからつぎに焼いて行きます。焼きあがった白い白骨を骨壷の中に女性の看護士さんが詰め込んでゆきます。こんな夢を、目覚める時にみました。象徴的メッセージを受け取るなら精神的本質がよりクローズアップされるということになるかと思います。骨は本質。焼かれて白いということはそれ以外の物が排除されたということ。夢の中に漂っていた死の雰囲気はいきいきとした生の反対。あちらの世界とか、精神性。白衣を着た男の焼く係りの人は、H6。その周りの複数の女の看護士さんたちは、H12。夢の中で、印象的だったのは、腰の骨。腰の骨だけ、偽物を骨壷に入れていた。それが本物以上に本物のようなとても美しい腰の骨だった。うれしいな。腰の改造だ。*この夢の影響で病院で生まれ、病院で死に生まれることと、死ぬことが戸籍や国家によって管理されている今の社会システムのことを思った。人間の、目に見えない本質の中身が肉体という目に見える装置の中に浸透しておぎゃあ!と生まれ目に見えない本質の中身が肉体という装置から離れておそらく元の世界に戻ってゆくことで、死ぬ。現在の日本の社会システムの中ではいつ生まれ、肉体の父と母は誰々でどこに住みいつどのような形で死を迎えたかはとても明確な線引きがなされているわけだけどそうでない時代もかつてはあったであろう。その時は生まれるということ死ぬということがもっと曖昧な境界線によって区切られていたに違いない。筑波の峰にはふたつの頂上の間に窪みがあって、かつて祭りの夜にはそこで夜の暗闇の中とりおこなわれていた風習があったことをかつて耳にしたことがある。そうして生まれた子どもたちは神様からの授かり物だったに違いない。こどもはいつの世も神様からの授かりものだと思うけど。生まれるということ。死ぬということ。生きているということ。みんなすごい神秘だと思う。だけどどれも、とてもあたりまえなところがとてもすごい。
2006.12.17
全てのことに愛を感じながら行為をしたい、です。それがわたしの日常的な修行なのかも。修行というと苦しいイメージを持つ人も居るかも知れないけどそではなくて。だから、そうか。修行ではなくて私のテーマなのか。ゴミの分別をする時も。占星術のライティングをする時も。駅からの道を歩いている時も。人と会う時も。絵を描くという行為の中にも。自分自身が行う行為の中にいつでも愛を見つけたい、です。
2006.12.16
瞑想する方法はたくさんあります。ものを造ること絵を描くこともひとつの瞑想の方法です。集中してゆくといつもと違う状態になります。頭のてっぺんが開きます。中から自分自身を曇らせているゴミがたくさん出てきます。たくさんたくさん出てゆきますがそれが出尽くしてくると頭のてっぺんから光が入ってくるようになります。光は内面に満ちてきます。きのうの瞑想用のキャンドル造りでつくづくこのシステムを再確認することができました。
2006.12.16
今日は、音霊の力を使いました。わかったかな?ただ音読しているだけでは無いのだけど。いつも読んでいる時は音霊の力を使っています。
2006.12.15
射手座を表すキーワードのひとつは「旅」です。射手座が強調されると人生を旅ととらえて実際に世界中にあちこちを旅したり精神的により優れたビジョンを求めて内面の旅をしたりします。今は、旅する射手座が強まっている時です。
2006.12.15
明日館は問い合わせてみたけど費用と日程の面で調整が難しいかも。そうしたら池袋の芸術劇場のギャラリーかな。申し込みは6ヶ月前でなおかつ抽選らしいです。まだ場所は決まりません。
2006.12.14
すこし眠ったら目が覚めてどうも大倉山記念館ではないらしいというメッセージが。それではどこかな?自由学園明日館はどうかな?今度見学に行ってみようと思います。このスペースも、なかなかすてきです。
2006.12.13
そうしたら来年展覧会に使いたい第一希望のギャラリーは横浜の大倉山記念館ですね。とても気の良い場所でギャラリーは回廊になっていて全員の絵が平面に展示できます。リンクを張ってますのでぜひHPを見てみてください。とても素敵な場所です。
2006.12.13
今日連絡があって今年展覧会をした熊谷守一美術館は来年はお借りできないことがわかりました。とても残念です。かけがえのないすばらしい空間だっただけにとても残念な思いがしました。また、来年の発表に向けてふさわしい場所とめぐり合いたいです。気の良い場所でできたら全員の絵を壁面に展示出来るだけのスペースのゆとりがあると良いと思います。
2006.12.13
知り合いのミクシィのブログを読んだらおもしろい記事がアップしてありました。でも、ミクシィのニュースなのでこちらのブログにリンクしてもたぶんミクシィに入会していない人は見られないと思います。わたしは少し前までミクシィに入会していない人はリンクを開けないと知らなかったのでばんばんリンクを張っていたのだけどある人から「開けないですよ」と教えてもらって「そうだったのか」と思いました。それで、おもしろい内容というのは世界一長寿の女性が亡くなったという記事の中に出てきた子孫の呼び名です。なので、それをここにピックアップしておこうと思います。子供 7人(このうち今も生存しているのは2人)孫が 40人、ひ孫が 75人、ひ孫の子(玄孫=やしゃご)が 150人、ひ孫の子の子(来孫=らいそん)が 220人、ひ孫の子の子の子(昆孫=こんそん)が 75人。ちなみにミクシィのニュースはこちらです。
2006.12.13
頂き物の里芋を茹でてシンプルにお醤油をつけて食べてみました。夢のようにおいしい!このシュトーレンも!気持ちのこもっている食べ物は夢のようにおいしいです!そういえばずっと前にいただいた茹でた生の落花生も夢のようにおいしかった!どうもありがとう!
2006.12.11
いただきものの手づくりのガラス器にのせた林檎です。このガラス器を造った人から、先日いただきました。いつもの普通の林檎が特別の林檎になったように見えます。わたしは、自分の携帯の写メにズームがついていたことをきのう発見!3年間使っていたけどずっと気がつきませんでした。急に世界が豊かになったような気がしました。
2006.12.11
今日は、きのうとはうってかわって晴れの日の美術館。あっという間の一週間でした。とても楽しかったです。お越しいただいたみなさんどうもありがとうございました。来年の展覧会に向けてまたこつこつ作品を制作したいと思います。
2006.12.10
今日は雨降りなのにはるか遠くからわざわざ夜行バスで来てくれた人が居てたくさんお話できてとても幸せでした。どうもありがとうございました。近くに住んで居る人ともふだんなかなかゆっくりお話できなかったのだけどいろいろなお話ができてとても幸せでした。とても楽しかったです。あした展覧会終わってしまうのだなぁ。とっても楽しかった、です!おかげさまでとてもすばらしい時間が過ぎてゆきました。
2006.12.09
展覧会会場に来てくださった方がたがみなさん、空間の良さに驚かれて満足されて帰って行かれるのが何よりうれしいです。来年の展覧会の仮予約もしました。来年もここで出来ると良いと思います。写真は花霞さんが持ってきてくださっていけてくださったお花です。手前と後ろ両方です。まだ少しせきは出ますが風邪はおかげさまで日に日に良くなっています。夕方からお客さんがみなさんお帰りになってひとり何もしない時間がありました。ひとり何もしない時間は久し振りでした。とても贅沢な時間のように思えました。窓の外の空が少しずつ暮れて行くのをずっと見ていました。
2006.12.07
今日は、展覧会の搬入の日でした。みんなのおかげでとどこおりなくとてもうまく行きました。窓からは大きな木の色づいた葉っぱが見えます。鳥たちが来て一日中実を食べながら遊んでいます。午後からお越しいただいた方せっかく来ていただいたのにお話が出来なくて申し訳ありませんでした。風邪を引いてしまい夕方から整体に行きました。
2006.12.05
トランシットの集合天体のうち金星太陽木星は射手座に入っていますがまだ火星と水星は蠍座にいます。たぶんこの蠍座の火星と水星の影響を受けてだと思いますが先程ビジョンの中に出現したのは、遭難して小舟の中で漂流していた男の人の記憶。数年前のニュースをにぎわせた出来事でした。記憶にある人も居るのではないかと思います。ひょうひょうとした単身者でした。日本には精神世界的にはそのような今生の終わり方を選択する方法も過去には存在したらしいです。その男の人の場合は事故による漂泊だったわけですが。どうも日本的タロットを意識すると日本的生死観に容易に行き着くところがあります。シュタイナーは、たしか自殺をすると死んだのちに大天使と出会わないというようなことを言っていました。でも欧米の自我観を中心にした生死観と日本のそれは、少し違うようにも思います。日本の歴史をさかのぼるとそのように思います。死を意識することはタブーな事では無くやはり生きる事と密接な関わりを持った事だと思います。死を意識した時にそちら側から生が見えてくる感じでしょうか。蠍座の水星らしい話題です。そう、それでわたしが書きたかった一番の事はその人の「ひょうひょう」とした感じ。というよりも他者が想像したらこの世の地獄としか思えない状況の中で実は、その男の人は非常に「平安」であったこと。つまりはこれが、浦島太郎にも共通点を見つけ出せるというタロットの0.愚者の境地なのだろうと思うわけです。わたしは、また次なるスタート0.愚者のスタートラインに循環して立っているみたいです。
2006.12.04
一歩前に踏み出して、占星術の使い方をわたしなりに探して行く必要性が出てきたみたいです。目指すはタロットの21.世界の境地かな。上からの影響も下からの影響も直接流れ込むことの無い存在の独自性を手に入れること。タロットの21.世界の、花輪のばってんクロスの開閉弁を自在に開閉できること。占星術は一度同化し、必要と有らば使い、そして最終的には、「無禅の禅」のように手放すべき道具(ツール)とわたしは考えたい、です。もちろん敬愛の意を込めてです。
2006.12.03
去年の大アルカナ展の22枚の絵を出して今年の絵と比べてみました。今年への流れがずい分と去年のうちから芽生えていたことに気がついて我ながら驚きです。つまり今年の絵になる要素のカケラが去年の絵の中のあちこちに見られます。それと同時に去年の絵は若いです。若くて元気。今年の絵はもっとこなれてきている。どっちが良いのかわかりません。一年しか違わないのにこんなに違うのか。驚きです。醸し出している香りとか臭いとかが去年と今年では違ってきているように思えます。
2006.12.03
この私の日記はお絵描き教室に来ているお子さんのお母さんがたの中にも読んでますよ、とおっしゃってくださる方がおられるので日々のお絵描きの中から気がついたことを書いてみたいと思います。今日はその中から集中することについて。このことは先日のお母さんとの面談の中でも出てきたことなのです。その時、子どもの安定した成長と中心点の内的な静けさは密接な関わりがあるのではないかという話題になりました。中心点の内的な静けさというのは具体的には先生が絵本を読んでいる時静かに絵本に集中できるかどうかこれは対象のお子さんの年齢にもよって違いますが小学校2年生になってこの姿勢が育成されていないのはかなり違和感があります。現在の皇室の皇后の美智子さまが皇太子を育てて居る時のお話として「ひとり遊びに集中している時は話しかけてはいけない」というルールがあったという有名なお話がありますがこのお話もこの部分の育成に深く関わるものだと思います。子どもが何かに集中している時にむやみに話しかけて気をそらすのは良くありません。むしろ、そっと見守っていた方が良いです。黙々とひとり遊びをする中で子どもの中の静かな中心点が育ってゆきます。ここの部分がかき乱されると落ち着きの無い不安定な子どもになってしまう可能性があります。子どものためには、ゆっくりとひとり遊びができる時間と空間を作ってあげたいものです。
2006.12.03
気の良い場所にはたいてい神社とかがあったりします。神社が無くても気の良い場所もあります。気の良い場所の基本的なルールは土地のそのあたりで高い場所であること。古くからの樹木が生えていること。などがあげられます。日常生活を送るうえで土地の高低差にはあんがい気付いていないことも多いのでちょっと気をつけてみると土地の高低差が精神や心に及ぼす影響がわかったりします。
2006.12.03
キャンドルの火には浄化力があります。☆絵を描いたり製作に没頭している時には、ある部分が全開になります。そこが開くと自分自身が知らないうちにため込んだ、重たい思いなどが解放されるのですがその時にキャンドルに火をつけていると、そのため込んでしまっていた想念自体が軽くなって、浄化されて行くことがわかります。☆そして、なにより自分が作ったキャンドルはとてもかわいいです。
2006.12.02
2008年の1月に、冥王星は、ほぼ13年の射手座滞在から、山羊座入りをします。この2008年は木星もほぼ同時に山羊座にイングレスします。過去をふりかえってみると、前に冥王星が射手座に入った1995年1月も、木星は射手座に滞在していました。つまり前回も、冥王星のサインが移動する時に、木星のサイン移動も同時に起きていたことになります。木星の公転周期が12年なので、13年目には、今居るサインの次のサインに移る、というサイクルがあって、それがたまたまこの2回は、冥王星のサイン移動と重なっているわけです。☆木星は、滞在しているサインが持っている性質をおおらかに、増やしたり、拡大したりする天体です。なので来年2007年は冥王星も射手座木星も射手座なので、射手座っぽさが強まる1年に。その次の2008年は冥王星も山羊座木星も山羊座なので、山羊座っぽさが強まる一年になるでしょう。
2006.12.02
来週の火曜日から展覧会をする熊谷守一美術館に行って来ました。とても久しぶりです。最寄駅からは西武池袋線の椎名町駅にしても地下鉄有楽町線の要町駅にしてもやはり15分くらいは歩きます。交通の便は悪いのですが美術館の空間はとても良いです。何とも言えない良さです。不思議な癒し力です。熊谷守一の人柄でしょうか。ああ、ここに決めて良かった、と心から思いました。
2006.12.01
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