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最近の私は、毎日、スピリチュアルメッセージを受け取る生活です。先程も、大きなメッセージを受け取りました。でも、それはなかなか言葉にはできにくいものです。粒子の大きさがスピリチュアルメッセージと言葉では極端に違うのです。とうぜんスピリチュアルメッセージの方がはるかに細かいのです。*プラトンの「洞窟の譬え」というのはたぶんこのことなのではないか、と自分で思うところがあります。深海魚の一種に、自分自身が作り出した風船の中で一生を過ごすお魚が居るのです。それと、私たち人間は、同じなのではないか、と思うのです。人間にとって自分自身の周りを取り囲む風船は内側が鏡になっています。そして、人間にとってのその風船は半透明で外側の世界と重なり合った映像となっても居ます。つまり、私たちは自分自身が作り出した映画をいつもその球体のスクリーンには写し出して外側の世界に重なり合わせて見ています。なので自身が発したものが結局自身に帰って来たりもします。
2006.03.30
月は、ひるまお日さまの光が輝いている時には自らはひかえめに姿を隠し、そのエネルギーを吸収しますが、夕方になりお日さまが沈むとひるまチャージしたエネルギーを周りの者達に放出します。家庭の主婦というものはまさにこの月のようなところがあって今は春休みということもあり月は、この放出の時を迎えていますね。*そして、月は、おひさまが輝いている昼間はリラックスと休養とエネルギーチャージの時間を過ごしますが、お日さまがかなたの地平線に姿を隠すと月だけが地平線に沈んだかなたの太陽の光をみずからの姿の上に輝きとして写し出します。*そして、人は太陽を目で直接見ることは、できません。人は自分が「したい一番のこと」を直視し続けることはできないようにできているのかも知れません。それが大切であればあるだけ直視し続けることはしにくいことであったりもします。
2006.03.30
今日買った別の絵本。矢崎節夫、作。長新太、絵。『せいくんとねこ』フレーベル館寝る前に読んでみた。う~ん、良い本だぁ。桜咲く今の季節にぴったりな感じ。意味はないけどそんな感じ。*そしてきのう読み直した『個性化とマンダラ』第一章からわかったことは、ユング曰くの「生まれ変わり」を切に望む人にとっては占星術上の冥王星スクエアーは一生に一度のまたとないチャンスだ、ということ。何故なら冥王星は「死と再生の星」に他ならないからです。
2006.03.29
明日4月29日水曜日の19時18分に、牡羊座で新月が起きます。これはドラゴンヘッドとコンジャンクションの日食でもあります。なので、明日の新月の影響は半年間有効のものとなります。新月が起きる度数は牡羊座9度。サビアンシンボルは「水晶を凝視する人」。なので、明日の新月は、牡羊座の特性から考えると「何か新しいことを始めること、新しいことに飛び込むこと、新しい動きをつくりだすこと」に関わることをイメージすると良いことになります。サビアンシンボルの意味から考えると「占い師が水晶球を凝視して全体像を把握するように、まずは、全体像を傍観者的に把握する」ということにウエイトがあることがわかります。新月のアスペクトを見てみると獅子座5度の土星とトラインのみ。なので、牡羊座の火の元素の要素は同じ火のサインである獅子座からのトラインの影響を受けてより強調されることになります。火のサインは、精神性を表しますので明日の新月は、「精神性が強調された能動のエネルギーに満ちたもので、なおかつ何かをスタートさせることに関するもの」で「主観的に対象に埋没することなく全体を把握する客観性を持つこと」という特性を持った新月ということができます。これをひとりひとりの個人に置きかえた時にはこの新月がその人にとっては何ハウスで起きているか、ネイタルの天体に対してどのような影響を及ぼすか、がとても大切なこととなります。
2006.03.28
曼陀羅お絵描きを描いてみて自分自身、気がついたことはやっぱり無意識からの汲み上げなだけに自分でも予想だにしなかったことなのですが自分自身の個性の単一性に対する、不満でした。つまり私は絵を描いても文章を書いても占いのリーディングをしても同じようなのです。それは個性と呼ばれるものかも知れませんが単一的で、つまらない、とも、言えるものです。そのことに、この絵を描くことで気が付くことができました。やっぱり絵を描くことは自分自身の無意識と向かい合うには相当有効な手段ですね。改めて、そのことを感じます。*ユングのこの本の今まで難しいのでパスしていた第一章の論文の部分を今日、読みました。びっくりしました。これはまさに2003年ごろから私の身の上に起きていたことそのものではありませんか。私が「霊的宇宙存在」と名付けて読んでいたものはユングのこの第一章に書かれているものそのものです。それとの統合です。ユングはそれをこの第一章において「生まれ変わり」という言葉の表現を使って延々と述べています。今日は久しぶりに9.隠者のぶっ飛びの宇宙の世界を旅したような気がします。*そういえばけさがたの夢でわたしは「生まれ変わり」の象徴夢をみたのでした。
2006.03.28
昨日、松村先生の曼陀羅おえかき講座に参加しました。その時描いた絵です。まだ途中です。中心に+☆△+▽とかいろいろ見えてどれにするか迷ったのですが、結局△×3=9にすることに決めました。それが太陽の光のように輝きだして画面を9分割、しました。9分割の画面の中にそれぞれ浮んだ絵をこれから描きたして行こうと思います。すこし時間をかけて描きたしてゆこうと思っています。
2006.03.26
占星術的に現在の天体配置で魚座の天王星と水瓶座の海王星はミューチュアルレセプションだからどっちがどっちよ、って良くわかんないところがあります。魚座の天王星また、霊的な絆を持つ交友関係が成立しやすいでしょう。純粋な資質の共鳴によって人との縁ができるので、他人から見てどうしてこの人たちが仲間なのか理解できないという風変わりな関係も増加します。水瓶座の海王星海王星は、水瓶座に対する過剰な期待感を生み出します。たとえばインターネットを活用する中で、人と人の結びつきが最大限に広がっていくでしょう。(『完全マスター西洋占星術』説話社より。)こういうあたりの発展はここ数年目覚しいものがありますね。そしてネット上で知り合う人たちとの不思議なご縁を感じます。たくさんの出会いの中でもなぜか気になる人っていて出生データーを教えてもらったりすると驚きます。相手の人はわたしと同じ誕生日だったり別の人とはグランドセクスタイルに近い相性が成立したりします。
2006.03.24
ふたたび「試練」についてです。つらいことや大変なことが人生の中で起きることを「試練」と言います。「試練」は体験して超えることで自分自身成長する、という考え方もあります。これは占星術では「土星」の役割であるように私は思います。およそ30年で一周する「土星」はコンジャンクションしたネイタルの天体をプルプルプルとゆすぶって弱いところを表面化してそこを補修しまた30年使える天体に変身させる定期メンテナンスの星と言われています。弱いところがプルプルプルされるときは痛みを感じるけれど必ず補修しているところに気がつくことが、大切です。じゃあ、冥王星は?冥王星スクエアーとかは「試練」とはちょっとニュアンスが違うようにも思います。では何か?というと冥王星が「死と再生の天体」であるだけに「生まれ変わり体験」なのではないか、と思います。たとえばネイタルの月に対するトランシットの冥王星スクエアーは食う寝るところに 住むところ、が1回死んで 再び生まれ変わるプロセスの体験のように思います。
2006.03.23
冥王星からのスクエアーは、今までやっていたことがぱたっ!と継続できなくなる瞬間が突然訪れて、足元に亀裂が入り、その亀裂を覗き込むととんでもなく暗い奈落の底が見えたりする。その奈落とはどこなのかと眺めてみたら地球の下の宇宙だったりして。。。だから一生懸命一生懸命生きなくては、ならない感じ。過ぎてしまえば笑えても、その渦中に居る時はなかなかに引きつることも多い、です。
2006.03.22
今朝の未明、トランシットの太陽は牡羊0度つまり春分点を通過しました。トランシットの太陽はみなさんはどのように体感されていますか?わたしは周りの空気として感じることが多いです。春分点通過と同時に周りの空気は、何となく元気に力強くなったような気がします。春がしっとりとした少し神秘的な気配としての春からいっきに力強い春へと変身した感じ。そうですね。勢いのよさ元気さは感じられますね。牡羊座の春です。春分点通過直後は射手座の月と獅子座の土星と火のグランドトラインを形成していたのでよけいに元気の良さは強いのかも知れません。春分図に火のグランドトラインが刻まれたということはしばらくはこの元気さが続く、という読みになるわけですね。冥王星はこの太陽に射手座の終わりからスクエアーをかけています。火の同一元素の中のスクエアーです。元気さにときどき過剰性も見られるかも知れません。そのくらい元気な春になりそうですね。
2006.03.21
今日おえかき教室で読んだ本です。長新太の絵本。『だくちる だくちる』とってもシンプルな内容なのだけどすばらしいものがたっぷりあふれるくらいにつまっている本。長新太の絵もとっても、すばらしい。今日は入園前の星の王子様のような幼児さんの親子のおえかきのときにそのお父さんもたまたまお仕事がお休みだったから、といらしていて幼児さんとおかあさんとおとうさんと三人で、粘土遊びをしました。その時読んだのがこの本。それでおとさんが粘土で恐竜を造ったので幼児さんはそれをとっても大切そうにとってもうれしそうにおうちにもって帰りました。子どもが子どもで居るかけがえのない時間は刻々と過ぎていってそれはとてもうれしいことでもあり、そして、またちょっぴりせつないことでも、ありますね。
2006.03.20
朝から何ですが、ここにもわたしは前から何度か書いたようにあまり生きて居たい人ではなかったのです。ふう~っ。特に若い頃は(みんなそうなのかも知れませんが)「長生きはしない」ことにあこがれました。でも、そうは言っても少しずつ歳はとってゆくし。で、30歳の後半ぐらいにため息混じりに入ったデパートの中の占いブースの占い師さんに「あんたは、歳取ったら、良くなるね~」と言われたのです。「!」そうなんだ。わたしは歳をとると、良くなるんだ。このひとことがわたしを変えました(笑)。そうか、歳をとってから良くなるということは若い時の今は良くない、ということだ。それならどんなに良くなるのか長生きして実際にこの目で見てみたい。何人かの占い師さんに同じようなことを言われました。占術は東洋の四柱推命。それで、「どれどれ」と独学で四柱を勉強したりしてみました。でも、良いと悪い。実はそれって何?と思います。何が良くて何が悪いの?良くわかりません。西洋占星術でネイタルの月太陽に冥王星からスクエアーって「あなた、よい運勢ですね~」とはあまり言わないと、思います。あまりでなくてぜんぜんかも知れません。この星配置は順風満帆な航海にはたとえることはできません。大嵐に襲われて海に放り出されてうううっ、何で生きいてるのよ~。あっぷあっふ。でも、生きてゆかなくちゃあ!あっぷあっぷと、いう感じ。でも、生きてる実感だけは強力に、あります。うれしいなぁ~(涙)。これは良いことなのか悪いことなのか。良いとか悪いとかのレベルを越えているんじゃあ、ないの?けさも、空っぽの夢をみて目を覚まし、しばし寝床の中で「うううっ、こうなったら冥王星スクエアーで死んだら損だ。何が何でも冥王星トラインになるまで生きてやる。」と底力に火をつけたのでした。東洋でいうところの晩年運吉、ってこのことなのかも、とふと昔の占い師さんからのひとことを思い出したのでした。うん、「嵐を越えたら」というおまけ付だったんだね、実は。きっと。冥王星=底力だからということはわたしはここで荒波にもまれながらたくましく生き抜く人に変身するのかなぁ?はははっ。
2006.03.19
きのうの私の一枚は、いつもの和尚禅タロットでUNDERSTANDINGでした。(これは普通のタロットのカップのページに相当します。)意味は「鳥かご」のように見える柵は本当は無いんだよ。それは幻想。自由に生きたいところに飛んでゆきなさい。と、いうようなものです。確かにわたしはピーちゃんなところがあるので、「へっ!?」と、思いました。鳥かごは、無いの?ガガ~ン!蠍座8ハウスが強い人に「鳥かごは無い」というは実は「あんたの居場所は無いよ」と言われているような印象を持ってしまうところがあります。蠍座8ハウスが強い人はわざわざ鳥かごを探してそこに入るのです。周りの人がいくら「鍵はかかってないよ出たければ出られるよ」と言っても「ううん、閉じこめられているの」と否定して頑固に出てこないのです。何故ならそれが蠍座8ハウスだからです。グリム童話にたくさんの秘儀が隠されていることについてはいろいろの人が触れているところですが、わたしはグリムの「ヨリンデとヨリンゲル」を思い出します。魔法使いのお城があってお城まであと百歩というところまで近づいたものは魔法で姿を鳥に変えさせられて鳥かごの中に閉じ込められてしまうのです。ヨリンデはわかいむすめヨリンゲルはその恋人。ヨリンゲルは鳥に姿を変えさせられてしまったヨリンデを助け出します。魔法使いもたいへんだったと思うのだけどなにせ7千羽の鳥たちに餌をやらなくてはならないのだから。グリムのお話の中には中世のキリスト教の弾圧の元で「魔女」の異端の宗教として抹殺されたそれ以前の古い信仰がたくさん隠されていると思うのですがそのグリムのお話を語り継いだのは「魔女」ではなくて「民間の普通の暮らしをしていた人」なので必ずといって良いほど「普通の暮らしにもどる」という落ちがついてめでたしめでたし、となる傾向があります。「赤ずきん」ちゃん、しかり、です。しかしながらスピリチュアル=魔女、おおかみ、その他なところがありますので、そのことを考えた時にはスピリチュアルな魔女の生き方のままを良しとするそういう存在もありなはずなのです。ほんとうは柵の開いている鳥かごの中にわざと好きで閉じ込められて、魔法使いのために毎日歌が歌えたらわたしは実はとっても幸せなのかも知れませんね。
2006.03.18
よし!わたしはせっかく西洋占星術のお勉強をしたので自分で自分の金運を開運して行こう。ネイタルの金星蠍11度とアセンダント魚座7度に誰かの蟹座7~10度あたりの天体を持ってくる。そうすると水のグランドトラインができます。アセンダントは「感受点」なので「天体」のほうが強力であることを考えると魚座7~10度に何かの天体を持っていてなおかつ蟹座7~10度に何かの天体をトラインで持っている人ならなお、可。生きてゆくのがしんどいのはアセンダントに土星スクエアーを持っているからなのでこの配置の相性がつくれる人との関わりを深めてゆくとわたしは生きてゆくのが楽しい人に変身するはず。スクエアーを緩和してくれるからね。よっしゃあ!ということは、この天体配置を持つ人といかに出会い、なおかついかに深い関わりをつくってゆくかが次なる課題となりますね。そこらへんをお願いするのはやっぱり出雲大社の神様たちにでしょうか。*おおっ!居るではありませんか。その度数の人。ジャジャのオーナーのK子さん。やっぱしね!
2006.03.17
きのうは一日の大半を占星術のライティングしていたのでそのせいもあるのでしょうが、夜中、夢か目覚めていたのか良くわからない眠りの中に8ハウス蠍の金星が出てきてさかんに「もらい運だから」「もらい運だから」と言っていました。それですてきなパトロンが何人か出てきて一ヶ月ひとり5万円ずついただく。それが、何人かいる。いいなぁ~そんな暮らし。(笑)。絵を描くことと生きてゆくことをどのように両立してゆくかはとても難しい課題かも知れません。絵はなかなか売れないと思います。という自分の中に確立している思い込みをほんとうは完全に解除すれば良いだけなのかも知れないですが。わたしにパトロンは居ないのか?というと絵を買ってくださる方は昔、居ました。知らない人なのですが、お抱え運転手といつも行動を共にしていたのでお金持ちの人だったのかも知れません。もうひとりお医者さんの奥様で何度か買ってくださった人も居ます。画廊のオーナーは驚いていました。「お知り合いの方?」「ご親戚なの?」なにしろ油絵は当然一点ものなので値段が高いです。売れないのが当たり前に近い世界なのです。日本画のほうではもともと岩絵の具が高いのでパトロンがつくのは当たり前の世界なのかも知れません。岩絵の具屋さんに岩絵の具を買いに行ったときにいろいろお話をしていたら「早くいい人がつくとよいですね~」と当たり前のように言われて驚いたことがあります。油絵の世界では日本ではあまりパトロンというのは聞いたことはありません。(ちなみにイタリアではそうではないとイタリアに行っている友人が前に言っていました。)今年は秋まで蠍に木星も居ることだしぜひぜひもらい運が発動して欲しいものです。去年木星が蠍座入りをしてしばらくはグランドクロスの影響でとてももらい運どころのお話ではなかったです。現在金星のある蠍座に木星がいる影響は私の場合弁財天(芸の上達+財)へのアクセス、蛇革のお財布の購入、という抽象的でじつにつつましい現象となって現われているように思います。
2006.03.17
トランシットで双子座の火星になっているせいかなんとなく世の中の周り中がものすごい速度で動いていて忙しそうです。天秤冥王の世代の人たちはもろ影響を受けてものすごいスピードになっているようにも思います。ヒューヒュークルクルクル。わたしはひーひーしてしまいます。水星逆行の影響を受けて通信エラーとかも目立っていますね。
2006.03.16
今日タロットの絵を描くセッションに来ている人が星の王子様についての雑誌のような本をを持ってきてくれました。それを見たらサン=テグジュペリの奥さんはとってもとっても美しかった、です。写真は2枚だったのですが、この世にこれだけ美しい人が存在するのか!とわたしはまじに思いました。ドッキドッキの美しさです。星の王子様のお話の中の薔薇の花から私が勝手に想像していたのの百倍とか千倍とか一万倍ほんものの彼の奥さんは美しい人でした。ほんとうにほんとうに美しい人でした。この女の人の出生データーをぜひぜひ知りたいものです。いったいどのような金星の持ち主だったのでしょうか?お金に不自由はしない暮らしをしていたようなのでよほどこの世のものとも思われない金星の持ち主だったに違いない、と思います。
2006.03.14
自分自身の個性と周りの空気がどことなくちぐはぐで自分の持っている「オーラとか電波とかエネルギーとか」呼ばれているものが周囲のそれと色が合わないと感じる時があります。ゆうべから今朝にかけてがまさしくそうでした。ぎーぎーと不協和音の壊れたバイオリンが聞こえているような感じ。占星術のチャートで検証するとネイタルの「水星がもともと土星とスクエアーなところ」に現在の魚の天王星と双子の火星がグランドクロスをつくっています。双子のここはわたしのウイークポイント。このあたりを天体が通過すると壊れたバイオリンの気持ちの悪いさび付いた音がいつもいつもギーギーって聞こえます。そんな時はじっと我慢。砂嵐の過ぎるのを待ちます。ゆうべよりは少し楽になってきました。微妙に小数点以下でですが通過したからなのでしょうか。とにかく良かった。
2006.03.14
わたしはへそ曲がりなところがあるのでみんながたくさん歩いている普通のところはあえて避けて通る習性が実は、あったりもします。なので今日も江ノ島でまっすぐに行かずに途中にあったわき道に誘われるように入ってみました。人がやっと通れるくらいの細い道です。そしたら、道の向こうの下り坂を一匹の猫が歩いてきてお目めとお目めがぱったり合いました。こういう時はむやみやたらに動かないことが猫どうしの礼儀です。なのでしばし立ち止まってじっと見詰め合ったら、相手の猫ちゃんがかわいい声でにゃ~と鳴きました。なので私も、にゃ~と答えました。そうしたらその猫ちゃんはこっちだよにゃ~と案内してくれようとするのです。でも、その猫ちゃんの「こっちだよ」はたぶん猫の道なのだとは思うのですが普通の人間はちょっと通れない道でした。なのであきらめて勘を頼りに回り道をして弁天様のところへたどりついたら、なんと!さっきの猫が先についていたのです。それで、まるで私を待っていたかのように入り口の向かいの陽の当たるところにすわっていました。そばに行ってまた無言の猫語を交わしたらそのあとふっと元居たあたりに戻ってゆきました。とっても良い猫でした。温かくてやさしくて気品があるメスの猫でした。今から思うと江ノ島の弁財天様みたいな猫でした。白毛の中にきれいな明るいグレーのまだらのあるおおらかな猫でした。お腹に赤ちゃんがいるようにも思えました。乳房がふくらんでいたからです。とっても、うれしいなぁ。そして江ノ島の弁財天をお参りしてわかったことは江ノ島の弁財天は龍に守られている神様だということです。ああ!と思いました。こういうことは時間と空間の制約の外のことだったりするので良く順番が地上のそれとは違うことがありますね。私が思うに江ノ島一番の聖地と思うところにも今年も行きました。江ノ島に居たあいだはぽかぽかと日が照っていてとても温かかったです。江ノ島詣でをして一番変化したことは弁財天なだけに自分が「えかき」だったことを思い出したこと。そういえば最近ちょっと忘れていました。えかきの魂が目を覚まし出しました。それで残りの小アルカナのキャンパスの木枠をとんとんと組み立てています。今日中に全部組み立て終わることでしょう。
2006.03.13
明日、湘南に行こうと思います。お仕事はお休みにしました。春の湘南に行くのは今年で3回目です。ひとりでゆくのは今年が初めてなのですが聖地めぐりも目的にしているのでひとりのほうが良いのかもしれません。海に行くのはほんとうに久しぶりです。ひょっとしたら一年ぶりになるのかも知れません。このあいだに過ぎた時間はたった三年なのか、と思います。もっともっとすごい時間がぎゅっと詰まっているようにも思えます。ひとりというのはみんなといても独りな時もあるしひとりでいても独りでない時もあるし。おいしいさざえ丼のお店を知っているのであそこでお昼を食べよう。ひたひたひたと一歩ずつ足音が聞こえるのはたぶんプログレスの月。7月になると私のそれは蟹座に入ります。未来の方から今までとは違う何かが近づいてくる気配がもうすでに感じられています。それはもういいかげん双子座には飽きてきたそういう感覚かも知れません。双子座の山の極みを登りつめてその山の頂きからはこれから向かう蟹座の池が予感として感じられ始めた、というところでしょうか。わたしの双子座体験はもう下り坂に入りはじめました。
2006.03.12
中世ヨーロッパのタペストリーに出てくる一角獣と貴婦人のモチーフはたいてい花を背景にするか塀で囲われた園に座っているのだそうです。(『マグダラのマリアと聖杯』 英知出版 マーガレット・スターバート)そして同書によるとこの一角獣は貴婦人の膝の上に心地よさそうにヒヅメを載せているようすなどから「聖婚」と「失われた花嫁」というふたつのテーマを背後に隠しているということです。わたしが何度か天空の城ラピュタに譬えて表現している世界はこの塀で囲われた園にとても似ている世界かもしれないと思います。塀で囲まれたあちらの世界はタロットでは19.太陽で描かれています。レオナルド ダ ビンチのモナリザはものすごい響きを持った絵画ですね。あらためてそう思いました。響きが神の創造の領域にまで達していますね。この本の帯の部分のモナリザの絵を見てそう思いました。ちなみに写真は同書の図版25貴婦人と一角獣のタペストリー『視覚』です。
2006.03.11
肉体という目に見えるものの中に魂や心や精神とかいう目に見えないものが宿っているという。そしてなおかつ肉体というものは、生命力というまたもや目に見えないもので動かされているらしい。朝になると目覚め夜になると眠る。眠った後どこへ行くのかはおおかたの人はみんな知らない。知っている人もなかにはいるらしいのだがもちろんそれはわたしも知らない。たぶんどこかへ。そして、夢の世界へ。肉体は、眠りの時もこのまま生命力と共にこの世界に留まりなので呼吸は続ける。目に見えない私は魂やこころや精神と共にどこか知らない世界を旅するらしい。朝になると必ずもどる。不思議だ、と思う。・。どうして男と女が居て愛し合うのだろう。・。どうして人は仕事というエネルギーの放出をしながら生きてゆくのだろう。・。この世って何なのだろう?わたしはこの世というのは不思議の世界だとどうしても思ってしまう。・。生れ落ちた瞬間に私という個性が発生する。もしそれが少しずれると違う個性になる。私って不思議な存在です。私って一体何者なんだろう?・。良くわかんないけど誰でも生まれて必ず死ぬ。やっぱりこの世は不思議の世界だな、と思う。・。わたしのこの文章はまるでへたくそな小学生の文章みたいだな。・。
2006.03.10
きのう家に帰ったらさっそく本が、来ていました。折口信夫の『死者の書』。なかを見て、びっくり!難しい。しばらく手に取ったままながめたりページをめくったりいろいろしていましたが、わかりました!この本は一語一語声に出して読むと良いのです!ゆうべは20まである小節の1だけを読んだのですが、凄いです。さっそく、今朝めざめた時に1と同じになりました。*先日のゆりさんのセッションでは先日書いたこと以外にもとても大切なことが見えていました。そのことがけさぽこりと浮んで来ました。良いセッションはこのようにあとからあとからいくつも浮んできたりしますね。ヒプノのセッションの中でわたしはまだ子どもでした。自然児のような子どもでした。まだ、育っている途中なのだなぁと思いました。わたしが町に降りてゆくのはもう少し先のことになりそうです。山ほどの高みにいるわけではないのです。少し小高い見晴らしの良い黄緑色の草の生えた丘の上。そこでのびのびと暮らしています。宇宙には龍がいます。
2006.03.08
水に浮んだ泡のように消えやすくはかない。けれどそれははなやかで美しくて活き活きとしていて。生きているよろこびにあふれて。色とりどりできらきらと魅惑的。水の流れには深さもあるから深くなればなるだけ時空を越えた普遍的な原理により近づいてゆくわけだけど。色は水色青から紺色そして濃紺から黒へ。鳥がさえずり百の花が咲き誇り蝶が飛び交う世界からぐう~ん、と音の周波数が落下してゆくように低音の水底の世界へと。このことをつまり「不易流行」と言うのかぁ。ふう~ん。なるほど。きょうは朝、家を出るときに東風がふいて沈丁花の花のにおいがしました。うぐいすいろのメジロの夫婦がつぼみの膨らんだボケの木の枝の中で細いすずやかな声でさえずり合っていました。きょうは空気は少しどんよりとしたお日柄ですがそれもまた春です。ちなみにお花を買って開運してゆく「花買い開運法」がMizuki shionさんのページにアップしてあります。わたしは桃のお花を買おうと思います。
2006.03.07
そうそう、これです。今日の、和尚禅タロット。わたしが直視したくないのでときどき忘れること。闇の深い夜。でも、予感として反転の可能性が。反転というのは光であるとして、それは実に重みの無い光であるようにも思います。太陽・火星のコンジャンクションに冥王星スクエアー。時間がかかります。この変容には時間がかかります。可能性として「愛」が無くなるということではないのです。そのことが少しわかりかけてきています。大きな変容なのでくりかえしくりかえし少しずつ少しずつ。暗闇に突き当たり迷いながら。
2006.03.06
毎日毎日がこれでもか、というくらいすばらしい充実した一日を過ごしています。たぶん、おかげさまで。おかげさまというのはどのような存在に対しておかげさまでと、言っているのかはわかっているようなわからないふりをしているような。*目白に住んでいて良かったぁと思えるようなイタリアンレストランに行きました。少し前に長女と行ったことはあったのですが、今日は早い時間の夕方にひとりで行きました。きょう精神科医でもある浜野ゆりさんのヒプノのセッションを受けました。ゆりさんのHPはこちらです。ゆりさんは、とてもおおらかなすてきな女性です。それでわたしはこの世における今回の人生においては生身の部分において開き直ってしばらくは独りの暮らしをすることをオープンにしようと決めました。なのでこれからはひとりでイタリアンレストランに行くこともオープンにしてゆこうと思います(笑)。ひとりでレストランに行くことは寂しいことと決め付けられることも多いのですが本人としては今はそのようなことは実はありません。誰かと一緒のときは体験できないような至福の時が体験できます。これは他の人にはなかなかわかってもらえない時間だと思います。わたしもかつてはひとりでレストランに行くときは寂しい時だったのでとても今のように究極ともいえる幸福感に包まれた時間が過ごせるなどとは思っても見なかったことなのですが。*占星術的には何度も書いているわけですが、ネイタルの月・太陽・火星に対するトランシットの冥王星のスクエアーの砂嵐のような時期が地上を吹き荒れている限りわたしはそこのところをあきらめることを受け入れて生きてゆかざるを得ないのだと思います。そこのところというのは7ハウスの月・太陽・火星コンジャンクション。この3天体はここだけで孤立してもいます。なので、こう見えても実は配偶者=命 な、ところがあるのですよ。そこのところが冥王星からスクエアー。結婚していたら相手と離婚する死別するなどという現象が起きてもしかるべきアスペクトかも知れないと思います。だからわたしは今はとてもグラウンディングできない。地上に存在すればするだけ砂嵐の中に巻き込まれてしまう。なのでわたしは最愛の虚体の配偶者霊的宇宙存在と究極の人生を生きています。天空の城ラピュタにふたりで棲んでいます。そのことを受け入れて生きてゆこうと思いました。今日、ゆりさんのセッションを受けてひとりで早い夕方の時間のイタリアンレストランで食事をしてそしてそのように決めました。では、あるのですがこの時間を過ごすことはとりもなおさずわたしにとっては究極の幸福体験でもあるのですよ。*そしてこの「究極の」という言葉がいつもいつも出てくるような体験の連発、これこそがネイタルの月・火星・太陽へのトランシット冥王星のスクエアーなのだと思います。
2006.03.04
『海女の珠とり』の絵本が来ました。片山清司・文 岡村桂三郎・絵アートダイジェスト社・発行なかなかにすごい絵本です。古い日本にはこんなに究極のお話があるのだなぁ、と思います。ここにあるお話からいろいろの要素をフィルターにかけて濾過してゆきます。長い時代を生き延びてきたお話なだけにさまざまな要素が絡み合っていると思われます。まず、社会教訓的な要素を、濾過します。つぎに、時代的な女性差別の要素を、濾過します。そのまた次には、仏教賛歌的な要素も、濾過します。そうしてみるとなかなかに純粋な結晶体としてのお話の「珠」が輝き始めます。ほそいほそいシルバーコードで。うん、これはやっぱり、H6体験のことを言ってるのだと思う。すごいすごい。*すごいといえば私自身の7ハウス太陽火星への冥王星スクエアーの影響なのだと思うけどなかなか最近出現する男の人達がすごいです。ジャジャに来るお客さんとか。ジャジャは通常女の人が多いのだけどたまに来る男の人に過激に極端な人が何人かいておもしろいです。お話を聞いているとまるで映画を見ているような気分になります。へぇ~っ、て。普通じゃない、というか枠からはみだしているというかもともと枠という存在自体を、たぶん知らない人たち。こういう世界を生きている人もいるのだなぁ、と不思議な気分にさせられます。鎮魂されない自由な人たちなのだと思います。*お話を戻してこの絵本の絵がすごいです。龍の絵はよく日本画の絵描きがチャレンジします。でも、若いとやっぱりなかなかだめだよね。葛飾北斎も確か最晩年に龍の天上画を描いていたと思う。この絵本の絵描きは「描かないこと」によって描くという手法を一部に取り入れていておもしろい、とおもいます。確かな技術と詩情性を兼ね備えた絵描きだと思います。うん、やっぱし絵が良いです。
2006.03.04
龍とは、なにか?がわからなくなってしまいました。今までわたしのなかに「龍とは」というかつての定義がそれなりにあったとして、その定義の枠のようなものが消えてなくなり、それとともに「龍」という概念自体が霧の中に広がってしまった感じがします。ことのはじまりは空の中に銀色の龍のお腹が見えたあたりから。あのころから龍の流れが始まりました。やたらに「龍」に関したことが現実の世界の中に出現します。そしてところで「龍」って何ですかぁ?*ところでちょっと笑える記事を発見。リンク張れるのかな?試してみます。こちらの記事です。笑っている場合ではない本当は深刻な記事なのだとは思うのだけど、すごい冥王星がらみの世界なんですねぇ。「ガンダムの映像」と「ドリフターズの音楽」のダウンロードというあたりが何とも、その隊員さんの実はまじめでほのぼのとした人柄を表しているように思えました。
2006.03.03
これがわたしの母子手帳。西洋占星術のリーディングをする時とっても重要になる母子手帳。出生時間はたいせつです。おかあさんはたいてい出生時間に関してはアバウトです。そういうもんです。けっして責めないであげてくださいね。
2006.03.01
今日は朝からしとしとと冷たい雨が降っていますがそれでも、もう気配は春の雨ですね。冥王星がネイタルの月にスクエアーをかけてから日常性の中だけに留まれずに生と死の向こう側にまで意識が旅をすることも多くなってきましたが、これはこれで生きているということとしてはひょっとしたらとってもスペシャルに贅沢なことなのではないかしら、と客観的には思えるようにもなってきました。ありきたりの世界から大きく逸脱してスケールの大きな世界を垣間見せてもらっているようにも思います。写真はけさのシトリンとアメジストです。
2006.03.01
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