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わたしのなかには神話的私も重複的に内在しています。わたしはヴィジョン的に何度か神話的な私と出会っています。神話的な私を垣間見るには、神話的私が出現しなくては見ることができません。それは、幾重にも重なったたまねぎみたいな感じかも。内側がより上位の私であるとしてその上位の私はその上位の存在まで開いている人に会うと開くことができるのですがこれは私だけのパターンなのかも、知れません。というのはわたしは7ハウス5天体。水星月火星太陽木星だから。他の人の場合は別の方法でこの高次の自我と出会うことになるのかも知れないです。そうだ。忘れていたけどわたしは今、五色の布のついた鈴が欲しいのでした。神話的存在の私が、欲しいと思っているのでした。
2006.02.28
いつもの世界に戻れたみたいで、良かったです。H6は死にます。わたしは行きたくありません。*「ひとつの花がある、その意味とはなんでしょう。禅にはブッダの教えについてのこんな話があります。ブッダは弟子たちの前にただ黙ってひとつの花を持ち上げて見せた。すると、弟子たちのなかにひとりだけ、ブッダが何を言おうとしたかわかったことを目で示した人がいたそうです。さて、ブッダその人が「こうして来た人(如来)」と呼ばれています。意味なんてありません。宇宙の意味とはなんでしょう。ノミ一匹の意味とはなんでしょう。それはただそこにある、あるいはいる。それだけです。そしてあなた自身の意味とは、あなたがそこにいるということです。(中略)結婚とはなんでしょう。神話はそれを教えてくれています。それは分離されていた二者の再統一です。もともとあなた方は一体だった、今この現世で人は二つに分かれているけれども、精神的にはやはり一体だと認識することが結婚の本質でしょう。(中略)私たちはまともな相手と結婚することによって、人間の姿を取った神のイメージを再構成する。それですよ、結婚のいちばん大事なところは。(中略)結婚とはひとつの関係です。結婚において犠牲を払うとすれば、おたがいに相手に対して自分を犠牲にするのではなく、関係の一体性に対して犠牲を払うのです。(中略)あなたはもはやただひとりの人間ではない。あなたの真の存在は相互関係の中にある。(中略)中世のいろんなものによく出てくるイメージに運命の輪があります。中心の軸と、その周りを回転する縁からできている。例えば、もしあなたが運命の輪の縁に取りついたとすると、あなたは頂点から下がるか、底辺から上がってゆくかのどちらかです。でも、もし軸に取りついたなら、常に同じ位置にいる。結婚の誓いの意味はそれですね。健やかなときも病めるときも、豊かなときも貧しいときも、つまり上昇するときも下降するときも、あなたと共にいる。あなたは私の中心であり、私にとって無上の喜びである。あなたが私にもたらすかもしれない富ではなく,社会的地位でもなく、あなた自身が至福なのだ。無上の喜びを追求するとは、こういうことです。」(『神話の力』より ジョーゼフ・キャンベル他 早川書房)
2006.02.27
それにしてもおかしいです。わたしはH6体験したいなんて、思っていないのにどうして包み込まれている気配が破れてH6を垣間見なくてはならないのでしょうか?スピリチュアルなものへのつまりそれは上位の存在への限りないあこがれをわたし自身持ち続けていると思いますし、そういうことに強い関心を持っていたりそういうことに敏感だったりはすると思います。だけど、自分がH6体験をしたいとは全然思っていないです。「禅」だからそういうのかな、と思ってしまいます。十牛図にしろ和尚にしろ。「禅」ではなくて「密教」だったらどうなんでしょうか。「密教」にもH6体験、あるのでしょうか?かつて、菩提寺の禅宗のお坊さんに「あなたは禅宗じゃなくて密教だよー」と言われたことを思い出しました。わたしはH12のままが良いです。H12に、ぜんぜん、まだまだ飽きていません。
2006.02.27
占いとかスピリチュアルなものをうさんくさい、と感じる「人」、もしくは、感じる「場合」があると思いますが、それは「その時」「その人」にとってその占いやスピリチュアルなものが「必要ないもの」であったりいまはまだ「その時ではなかったり」するからだと思います。無理をすることはないと思います。その人の今回の人生のテーマがもっと「現実的な」とか「実社会の中での」ものなのだと思います。
2006.02.27
なかなか言葉にできない感じ。??一番ぴったりなのはアマテラスが天岩戸に隠れた感じ。大切な何かが無くなっている。喪失感。オショウ禅タロットをひいてみた。出てきたのは「火のナイト」。INTENSITY「激しさ」。「どんなガイドもなく道案内の経典もなくあなたは独りで自分のもっとも奥深い核を見いださなければならない。それは暗い夜だ。」これってH6体験のことではないですか。そう神と共に居ない感覚です。
2006.02.26
次回の新月は、2月28日(火)朝の9時33分に魚座10度で起きます。魚座10度のサビアンシンボルは「雲の上の飛行家」。まるで、サン=テグジュペリのような度数ですね。ということは、次回の新月においては「物質的なリアリティよりも神話的自己像への同一化がテーマとなる」ということになります。この新月のアスペクトを見てみると魚座11度の天王星とコンジャンクション。魚座11度のサビアンシンボルは「光を探している男たち」。なので、超越的イメージの他の人とは違う覚醒した「わたし」が強調されます。そしてなおかつ、アスペクト的には双子座6度の火星とスクエアー。双子座6度のサビアンシンボルは「油田の掘削」。これは、他者との競争でライバルを出し抜く度数。天体配置的には太陽と月の新月と天王星のコンジャンクションは11ハウス。スクエアーの火星は1ハウス。ですので、次回新月を総括してみると、1)サークル活動(もしくは未来ビジョン)的には「神話的自己像」を持ち、2)なおかつ「超越的イメージを持った」他の人とは違う「わたし」が存在し、3)その「わたし」という自己像は、「わたし」を強力に押し出すために協調性には欠けるけれど個人としての能力には優れてゆくことと、葛藤関係にある。つまり、個人としての能力をライバルを出し抜いてでも押し出したい「わたし」と、そうは言っても、仲間に対して(もしくは自身の未来イメージとして)、神話的超越的に雲隠れしてしまいたい自己イメージとの間に、葛藤感があることになりますね。なかなか、複雑な新月と私はよみます。*個人としては、個人のチャートに置きかえた時に、それが何ハウスで起きるのかが重要なこととなりますので、関心のある方は、専門的な占星術のリーディングを受けられることを、ぜひおすすめします。*そして、この読みは細かすぎると思われる方は魚座の新月ということで「海のような広い心や愛」というテーマで新月のお祈りをされると良いと思います。魚座は「水」のサイン。「水」とは心理や愛情の通い合いを意味します。魚座は、「水」のなかでも「海の水」を意味しますのでわけ隔てなくすべてを飲み込むような寛容さをあらわします。
2006.02.23
日没までの時間がほんとうに長くなってきました。白くて少し青みがかった時間が静かにゆっくりと過ぎてゆきます。こんな時に托鉢のお坊さんがチィ~ンとかねの音をゆっくりと響かせながら歩いている気配をわたしは家の中に居たまま感じたことがありました。この季節になるとのりくんのことを思い出します。知的障害児といわれているのりくん。のりくんと遊んでいた時間は私の人生の中で最良の時間のひとつでした。のりくんは何もしない人なので、あちらの世界とダイレクトに繋がっている人です。そばに居るとわたしもその響きの中に包まれます。限りない幸せ。のりくんと遊んでいた時間とこの春のたそがれ時の白くて青くて永い時はとっても良く似ているように思います。
2006.02.22
カフカの小説のように朝目覚めたら、虫になっていた、という感じ。朝、目覚めたらきのうと違うわたしになって居る。けさは、「愛の不在」の人になっていました。どうして、突然自分が「愛の不在」の人になったのか、かいもくわかりませんでした。真っ暗の闇の中をさまよっていました。何故かが、わからない。それで、上位の存在にアクセスして返ってきた答えは、自分でも意外なものでした。いやぁ、でも、そのことは占星術のお勉強を通してかなり意識化することができるようになったと、思っていたのですが。それは私自身が自他との境界がとっても希薄な存在である、ということ。どこまでが「わたし」でどこからが「あなた」なのかはっきりとした線引きが希薄なのです。「愛の不在」はきのうのリーディングのお客さんでした。あの人はこんなにも暗い闇夜の世界で苦しい思いをしながら生きているのか。どうかどうぞ渦巻きが底をついて反転することができますように。
2006.02.22
今日の夜空も、なかなかすごかったな。なんで最近、夜空がこんなにすごいのだろう。今日は、龍は、昼間の空に居ました。今日の夜空は言葉に転換できない。しゅーるるるるるぷぁーしゅぱっ!あえてやってみたら、こんなのになりました。*そういえば、ここ数年、わたしは白か黒のモノトーンの世界を生きています。色とりどりのカラーがありません。これが、冥王星スクエアー。そう、言えなくも無い。夜空の、世界かも。月に続けて火星太陽。けど、この世界を生きている。良いも悪いもそういうことはまったく無いよ。ただ、生きています。*先日「刺された」経験のある若い女性のお話を聞く機会がありました。出血死する直前まで行ったのだそうです。こういうことは普通からしたら不幸なことなのかも。彼女も、そうか、わたしは、そうなのか、と言っていました。でも、その人が言うには、「出血死は安楽死だよ。」全く音の無い静まり返った湖と山が出てきて自分自身が「それ」になったのだ。そう、言っていました。
2006.02.21
こどもたちと土粘土遊びをした後のテーブルです。きのうは小学校一年生の女の子だけのクラスです。今回は「魔女ごっこ」に展開しました。魔女のお料理づくり、です。土の粘土にお水を加えてどろどろにして、ぐちゃぐちゃにして。はい、はい、どんどんやってください。こどもたちは前歯が生え変わりでぽこっと無いお口とかを大きく開けて、けたけた笑いながら「悪い」魔女になっていました。「悪い」魔女になれることがここではとても大切です。なぜなら、「良い子」であることを普段、とてもたくさんしている子どもたちだからです。糸巻きに糸が巻かれていってゆるみが無いようにきつくきつく。それが、彼女達の日常です。ここでは、それをいったん緩めます。いろんなことが吐き出されます。いじわる。これは心の中でされたり、したり、傷ついたり。言ってはいけない言葉。これは、封印の重石の役目を果たしているのでこの言葉を言うことが許されている場であることが彼女達の心の開放に繋がっているみたいです。その言葉を口にすることは「おねえさん」ではなくて「赤ちゃん」。「赤ちゃん」に帰る。おえかき教室では良く起きることです。周りの普段の大人の居ない開放の場。そこで思う存分吐き出して子ども達はすっきりして、そして、だけど、普段はとっても大人な子どもたちなのでぱっ!と切り替えておうちに帰ります。ああ、楽しかった。すっきりしたぁ。と元気になって帰ります。*吐き出すだけでもかなり効果はあるのですが、それだけだとまるで肉食恐竜の世界のように露骨でワイルドな世界のままなので上方向に転化もしたりします。どろどろを吐き出した後、わたしが関わりの中で昇華させて行きます。この時、お話の力を使います。そのために粘土のいろいろな不思議な人達が登場して、かかわりを持ちます。弱虫なゴーストちゃん。あたまに洋梨をのせたきつねちゃん。食いしん坊の河童ちゃん。不思議な登場人物との関わりの中で子ども達はいろいろな心理を体験してゆきます。
2006.02.21
スピリチュアルな衝動に身を任せて突っ走りたい傾向が強いのは、私の場合、アセンダントの影響があるのかな。魚座7度。「岩の上に横たわっている十字架」。仏教の説話の中に炎の中に身を投げて死んでしまって「わたしを食べてね」といったウサギの話が出てきます。それとそっくりの夢をけさ、起きがけに見ました。スピリチュアルなレベルというのは人の生死など軽くはるかに越えてしまっているところがあります。人は寿命が来れば誰でも死ぬしね。重心をどこにおいて生きるのか、という問題なのだと思います。霊的生活において生きるのか、社会生活において生きるのか、個人生活において生きるのか。それが、問われることはよくあります。それを選ぶ自由は人にはあると思います。もしくはすべてを統合した生き方をめざすこともきっと、可能です。ライフシンボルの9分割のマトリックスを思い浮かべます。浮きと重りの比重で言ったらその重心をどこに置くかはひとりひとりが選択する自由を持っているのだと思います。個人生活にウエイトを置く人。社会生活にウエイトを置く人。霊的生活にウエイトを置く人。そのウエイトを置く場所は、同じ人の中でも年齢とか状況によって当然、変化するものでしょう。わたしは、どうするかなぁ。すくなくとも、今日、どうするかなぁ。社会生活を優先するかなぁ。霊的生活を優先するかなぁ。今日という一日をどちらを選択して生きるかなぁ。普通の社会では、「長生き」は「幸福」とみんな思い込んで生きているところがあります。なので、長く引き伸ばした生き方をします。明日のために、今日を犠牲にしたりします。そういう横のばしの生き方ではなくて、縦に生きる生き方に「気づきなさい」とスピリチュアルなものは言っているところもあります。今、というこの瞬間瞬間をせいいっぱいいきいきと生きるその積み重ねとして人の人生は存在する、という考え方。このふたつはどちらかひとつはありえなくてクロスしているものなのだろう、とも思います。選べる自由があるということ、自由は難しい。自由を目の前にしてそれを自在に使える人はすばらしいと思います。そういう人はなかなか居ない、とも思います。限りない自由を目の前にした時わたしは喜びよりも恐れを感じます。逆にどうして良いのかが、わかりません。自分が「無」になってしまった感覚を持ちます。
2006.02.19
今日は粘土のセッションの日でした。おかげさまで、とても有意義な、充実した時間を持つことができました。駅からの帰り道、夜空に、白い銀色の龍のお腹が正南から正北に向けて太く横たわっているのがみえました。夢と同じで観たものを観たままに何の解釈も加えない方法もあります。逆に、解釈することで、意識化する方法もあります。今回は後のほう、自分で見えたものを自分で解釈すると、太い龍の腹が正南から正北に横たわっているのを見たということは私は自分では「喜ばしい現象」と、よみます。14.節制のように自分のできること自分のしたいこと自分のせねばならぬことのあいだに前よりも、より揺らぎが無くなったその証とよみます。近頃は「頑張る」という言葉はたいへんその価値を低落させていて「頑張りすぎてはいけない。」とよく人からも言われます。だから、時代遅れになるのかもしれませんがでも、わたしは「頑張りたい」です。お仕事を「頑張りたい」です。なぜならば、わたしは、お仕事が大好きでどうしてもがんがんやりたい人だからです。
2006.02.18
占いと言うのは、ある意味、はちすの花、つまり、蓮の花なところがあります。蓮の花は、泥水の中から咲きます。そして、あれだけ清らかです。占いと言うのも、似ているところがあります。いちど泥水の中にもろともに入り込みます。そしてそれだけでは終わらずに、そこから蓮の花を咲かせます。蓮の花は彼岸を象徴する花でもあります。
2006.02.16
すこうし春めいてきて日も、思いのほか長くなってきました。日没の時間が長くなって白いような、少し青いような春のたそがれの時間がしばらく続きます。今日はじめて「にしんそば」を食べました。「にしんそば」をはじめて食べながら整体の、今は亡きS先生のことを思い出していました。S先生は「にしん」が好きでした。先生は、京料理に精通していた食通でもありましたので「にしんそば」のお話もかつて先生のお話の中にときどき出てきたようにも思います。S先生は、もうお年寄りでもありましたのでわたしはよくお買い物をたのまれました。先生にたのまれたお買い物をするときは必ず、信号はぱっと青になりエレベーターはさっと開き山手線はさぁっと到着して、ドアがぱあーっと開きました。S先生に「にしん」を買ってきてくれ、とたのまれたことがあったのですが、先生がそう言い出したのが夏だったのであちこち探したけど、手に入らなかったこともありました。S先生は、そういういろいろなことをも読んでいました。たぶんなのですが、その時に動くエネルギーの質と量を読んでおられたのではないかと思います。先生が亡くなる直前は先生が何度も何度も言ったものがどうしてもどうしても手に入りませんでした。そのことを話すと、先生はただ「そうか。」と言いました。はるかを見つめる目をしてただ「そうか。」とだけ、言いました。
2006.02.16
自転する天体の「自転」とは「独立性」を意味するのだそうです。なので、たとえば水星はほとんど自転しないので言いなりになる天体。水星と金星は太陽の近くをいつもちょこまかと移動するので太陽が親分だとすると水星と金星は、その子分。それでは、自転する惑星は?独立性も持ちながらでも核になる天体の周りを回り続けている存在。つまり、地球とか私とかもきっとそんな感じ。
2006.02.16
「青菜に塩」のように元気が無くと言うより、またまた、ゼロの感じでしょうか。この感覚は、ネイタルの月に対するトランシットの冥王星のスクエアーがもっとタイトにきいていた時にも何度と無く、訪れました。それは私の場合、2003年頃から始まりました。これはね、きっと体験しないとわからないと思います。「生きると死ぬ」ということに簡単に接触してしまう世界です。とか書くと、「えっ!」と思われてしまうかもしれないので、きちんと書くと、「生きると死ぬ」という現代においては日常的世界では口にされることの無い、ディープな世界に常に接触している、感覚です。占星術をお勉強して良かったと思うのは、占星術を知っている人なら、共通言語として「冥王星スクエアー」を「ああ。」と理解してもらえること。そうでなかったら、「どうしちゃったの?」で、理解の外の現象として周囲の人をとまどらせ続けていたことでしょう。自分でも理由がわからずにとことんさまよってしまったことでしょう。さっき、まるで「16.タワー」の夢を見て目を覚ましました。16.タワーは15.悪魔の後に来ます。16.タワーのあとには17.星のカードが来ます。15.悪魔のカードの「悪魔」は上位の存在。けれど、階層的には人間のすぐ上くらいの上位に位置する、存在。16.タワーの崩壊の後17.星で輝くのは、「恒星」。「恒星」は「悪魔」よりもはるかに、上位の存在。このような解釈も成り立ちます。火星太陽はエゴ。胸。そこの部分の大改造。極端にエネルギーが集中しているかもしくは無、か。それが冥王星スクエアー。私のこの日記は冥王星スクエアー体験記の実況中継になってしまっていますね。。。
2006.02.15
厳しい御神託です。「巫女が浮気をしたら、それは、もはや巫女ではない。」つまり、霊統からお外に出るな、と。さっきお風呂に入っていたら降りてきたメッセージ。いつもながら、厳しいなぁ。H12の意識レベルを保つことはわたしは大好きなことなのですが。私は、今、蠍が強いからね。蠍は、固定宮だからね。プログレスの太陽はこれから、ますます蠍の一番太ったところに向かって行くし。ディープな蠍の世界です。蠍は、というか8ハウスは、「お話の世界」を生きてゆきます。ある意味、心霊的な「お話の世界」です。つまりこのことは、よそのワールドのご飯を食べてはいけない、と、いうことです。これは神話的領域についての、お話です。巫女を生きるなら、神様あっての、巫女となります。この領域はすべてはパラレルワールドの世界で、透き通ったパイ生地の層が幾重にも重なった感じに関連して響きあっています。胸のチャクラにダイアモンドの恒星を。そこを不動のものとしたい、です。わたしは、これからも、自分自身の「愛」を育ててゆきたいです。
2006.02.13
良ぉ~く思い返してみると、自分自身の人生の中にはずいぶんと守られていたことがあったことに気が付きます。それは、自分自身でどうしても必要なものを自分自身の人生の中に出現させてきたといえるのかも知れませんし、何者かが出現させてくれてきたのかも知れません。それは、まるで『星の王子様』の中に出てきた砂漠の中に井戸のお話みたいです。で、わたしがついさっき気がいたことは、「鬼子母神」のご加護です。わたしはこの神様に呼ばれてこのあたりに長い間住んでいるのだなぁ、ということになんと、はじめて気がつきました。わたしのふたりの子どもたちも「鬼子母神」の境内で遊び、境内の中の駄菓子屋さんのおばちゃんと仲良くなって育ちました。わたしは、今でもときどき、お散歩がてらに「鬼子母神」には行きます。下の娘の卒業とともに鬼子母神のすぐそばの小学校が廃校になったのも決して偶然ではないことに気がつきました。その子の入学とともにある美術の先生が転勤でやってきてその子の卒業とともに、また、その先生は転勤でどこか他の小学校に行きました。その美術の先生には「いやぁ~、僕も長い間、美術の教師をやっているけれど父母に絵描きが居たのは初めてだなぁ~」と言われました。わたしも、「いやぁ~、長い間父母をしてきたけど、美術の先生が絵描きなのは初めてだなぁ~」と思いました。その人は、現在の日本の現代美術界において第一人者的な存在の絵描きでした。そういえば、最初の大学に、しぶしぶ入ったときもわたしが当時本当に必要としていた美術の教授が、フランスから帰ってきて、教わることができました。フランス帰りの絵描きが、とってもめずらしかった時代でした。だって、まだ、一ドル360円の時でしたから。懐かしいですねぇ~。後のほうの、美大に行った時も実は予想に反してがっかりしていたら絹谷先生が来ました。絹谷先生が来たときは、ぱっ!っと目の覚める思いがしました。それはわたしひとりではなく、当時の学生みんながそうだったので、やんや、やんやの拍手喝さいでたくさんの学生達が、絹谷先生のことを迎えました。ありがたいなぁ、と思います。とっても、感謝します。こんなにも守られているんだね、わたし達は。ずっと前に、上野の動物園に行った時、パンダの住環境に憧れて、いいなぁ~、パンダは。と、思ったことがあったのだけど、いやいや、地球上の人間の環境も冷暖房完備に近い状態で、こんなにも守られていたのか、と最近は思います。すごいことだね、やっぱり、わたし達は、生かされているのですね。
2006.02.11
この作者の人は私の世界を知っている人だ、そうおもうマンガと出合いました。漆原友紀という人の『フィラメント』です。講談社 アフタヌーンKC幽霊あり、精神世界系としてはみんなが知ってる「軍艦島」そっくりの背景あり。わ~あい!むかし『ツゴイネルワイゼン』が大好きでした。鈴木清純の映画だよ。それで、ペンデレッキという作曲家のオラトリオ「ウトレンニャ~キリストの埋葬」が久しぶりに聞きたくなって今、かけています。でも、この手の音楽をかけるたびに思うけど、再生装置をどうにかしたい。この手の音楽を聴くには、再生装置をどうにか、したい。この音楽を聴いてこのマンガを読むとわたしの血が騒ぎ出します。どの血かな?限りなくあちら側に近い、血。お彼岸のお中日生まれの、血。占星術的には、魚アセンの血。1ハウス、魚のリリスの血。アセンのルーラー海王星が8ハウス蠍の血も入っているかな?でも、このふたつ、つまりこのマンガとこの曲は「正しく」あちら側に近いと思います。「正しく」って、自分でも、おかしい(笑)。うん、別にそれは宮崎アニメでも良いわけだけど。
2006.02.11
最近、モノトーンのまだらもようのの動物を目にすることが多いです。白と、黒と、灰色のまだら模様の鳩がたくさん道を歩いていてこんなに、めずらしいなぁ、まだらちゃんばっかりもと思ったり。白と黒と灰色の名前の知らないでもすばしっこそうなシャープな、つがいの鳥を見たり。ネイタルの太陽火星のコンジャンクションにひし、ひし、ひしと冥王星スクエアーがしのびよっていて、それは~したいという能動の意志と意欲集中力、やる気への根本改革を意味するわけなので。冥王星スクエアーは私の場合、2000年頃が水星に2003年頃が月にきたわけですが、いずれにしてもある意味、宇宙サイズにされてしまう感じかも。宇宙サイズというのは地球の、それも普通の日常や社会生活のサイズからしてみたら「無い」も同然。し~んとした、ゼロの世界。で、そこから新たな今までとまったく違った方向性が生まれ出ます。破壊と創造。それはやっぱり人間存在にとってはある意味究極の。そう、色に譬えるとしたらやっぱり、白と黒ですね。グレーもありなのかな?白黒はっきりつけない限りグレーなのかな、いつまでも。なんせ、冥王星は、極端なのです。(涙。。。)棄てようかなぁ、太陽と火星を。これはたぶん、十牛図八図。で、白丸○。「わたし」を手放して、生きる。逆にとことんこだわる。「わたし」に執着する。これが、十牛図七図。これは黒丸●。こちらの選択をした時、それが成功すれば、「大ブレーク」。白黒はっきりさせないといけないのかな?なにせ冥王星だから。
2006.02.11
試練の訪れは、やみくもに恐れない方が良いよ。と、これは誰にでもなく、自分自身に言っています。それよりは、「災い転じて、福となす」。そこに、本人の努力や認識の変化つまり「成長」や「変容」があるはず。チャートを見ると、いつ頃試練が訪れるかの予想が立ってしまいます。よく占いに来るお客さんのなかには未来は決まっているもの、と思い込んでいてそれを教えてくれ、という人がいますが、決まっているのは半分、決まっていないのも半分です。と、思います。チャートに現われいてる試練の訪れを避けて通れる人はいないのだと思います。むかし、独学で占術のお勉強をしていた時、「人間的なレベルを上げてゆけば占いは当たらない領域に入ってゆく」と書いてある本があって、本気でそれをめざしたい、と思ったことがありました。でも、「それはどうかな」とわたしは、今は、思います。だって、その人それぞれの(やっぱりある意味その)レベルにおいて現象の現われ方が、変わるわけなので、それは、当たらなくなるのとは違う、と思うからです。運命的に決まっている未来も確かにあってだけど、その中でさえ自ら切り開いてゆく未来もある。なので、未来は運命的に決まっているのが半分、決まっていないのが、半分。それで、わたしは2003年頃から、なかなかハードな星のめぐりになっていてこれはまだしばらく続くわけですが、この運命で良かったな、と思えるとしたらそれは、「真剣に生きられる」ことかな。「楽に生きられる」のであるなら、わたしはこの文章を毎日生み出すことは、しません。他の人のブログを見て思うことは、大きくカラーがふたつに分けられること。それは、どちらかというと、ライトで明るく開いた色調ともうひとつは、暗くて重くてまじめな色調。このベースのカラーを、わたしは、それぞれの冥王星のサインの特質とみます。最初の方は、天秤冥王世代、後のほうは、乙女冥王世代です。わたしは、もちろん(笑)、後のほうです。これだけ毎日ブログを書いてようやくわたしは、自分自身の「水星」の特質が自覚できるようになってきました。認識できていなかったわたしの「水星」の影をだいぶ認識できるようになって来ました。それは、乙女座13度「政治運動を制圧する強い手」、カリスマ政治家の度数の「水星」です。それが、ここにはとてもよく現われています。わたしは今まで、この水星が嫌で、あまり使って来なかったのかも知れません。まさに「水星期」において、この「水星」を擬人化したような人にわたしは育てられたのでした。「水星」は土星とスクエアー。土星が象徴するところのお年寄りに押さえ込まれた「水星期」でした。影になったものは、統合をせまって人生の中で現象化します。「水星」の系列を自分自身の中から捨てて「金星」の系列で生きてきたので、今までは、受動的で主体性が無い巫女さんのような「わたし」でした。今取り戻そうとしているのは、周りにいうことを聞かせてしまうカリスマ的で意地悪な「水星」。その系列の「自主性」と「主体性」。でも、最終的には、その両方の統合をめざしていることには間違いはありません。「水星」の系列と「金星」の系列の統合です。開かずの間であった「水星」。少なくとも、全開にして使ってはいなかった「水星」。ここを開けたので、いろんなものが飛び出していてちっとも洗練されていなくて、自分でも嫌になる。格好をつけることができない。ただ、爆発的なエネルギーだけは、噴出している。なるほど、醜いものはエネルギーを持ったものなのだ、と納得する。それで、アメジストなのかも、と思います。「浄化作用」。
2006.02.10
先日のカタルシスブレスのセッションの時に『もののけ姫』のたたり神が出現したお話は前にここに描きました。その時に、指導者からわたしの中にもののけの系譜が眠っていることへの指摘がありました。それは瀬戸内寂聴が先日のテレビドラマによれば自らの中に認めているのと、同じものなわけです。型破りな人達が根底に内在させているもの。リビドーと呼ばれるものとも関わりがあると思います。それをチャート上に求めるとトランスサタニアンその中でも「冥王星」とのからみ、ということになるでしょう。でも、わたしのネイタルのチャート上、冥王星とのアスペクトはメイジャーアスペクトとしては海王星のセクスタイルしかありません。もっともわたしのネイタルの天体配置は「バンドル型」とか呼ばれている集中型なのでアスペクト自体、豊富に成立はしにくいのです。人生を50年近く生きてみるとマイナーアスペクトの効力もなかなか無視できないと思います。わたしのもののけ度をあらわしているのはネイタル太陽に対する海王星と冥王星のセミヨドです。セミヨドはヨッドと同じ効果があるとされていたりします。冥王星は金星とキンタイル。キンタイルの持つ意味は松村先生の『完全マスター西洋占星術』P.298によると「スタンドプレー、個人の可能性の強力な押し」。ふむふむ、納得です。冥王星がキンタイルのわたしの金星はドラゴンヘッドとコンジャンクション。これで金星をとことん使ってきたのだと思います。*恐い夢を見て、目を覚ましました。恐い夢を見ることに、いろいろ意味づけをする人達もいるけれど、私の場合、もっと単純です。それは、食べ過ぎ。なんて、単純なんでしょう。でも、わたしはこのことをシュタイナーを学んでいる時に、教わりました。胃の中に食べ残しの未消化なものが残っている時人は悪夢を見るのだそうです。なので、眠る3時間前からは何も食べないほうが良いとのことでした。夜、食べ過ぎたのです。食べ過ぎるまで食べたのは、とっても久しぶりのことです。
2006.02.09
恒星のことを意識し始めてからパワーストーンに再び関心がでてきました。不動のもの、もしくはより永遠に近いものでしょうか。時間の速度が気が遠くなるほどはるかです。パワーストーンが大天使に対応されるというのも良くわかりますね。それはきっと、恒星にも対応できると思うのです。シュタイナーによるとたしか大天使は言葉の天使でもありました。同一の言語を使う国家は同一の大天使の所属となります。パワーストーンと恒星はわたし達人間からするとはるかにゆるぎない存在ということができると思います。
2006.02.09
子どものお絵描きでは毎回、お絵描きの始まりに、絵本を読みます。先日は『だいくとおにろく』を読みました。このおはなしは、知っていますか?昔、あるところに、とても流れの速い、大きな川がありました。あんまりながれが早いので、なんど橋をかけても流されてしまう。こまりはてた村人は、このあたりで一番名高い大工に橋をかけてくれるように頼みます。大工はひきうけたものの、困り果ててしまう。すると、そこに鬼が現われて「お前の目玉をよこしたら橋をかけてやっても良い」という。大工は「俺はどうでも良い」といい加減な返事をして、家に帰る。すると、橋はできていて鬼があらられ「目玉をよこせ」と言う。大工は「まってくれ」という。そのやり取りがなんどかあったのちに「俺の名前を当てれば許してやっても良い」と、鬼が言う。大工は、あてもなく、山に逃げる。するとしばらくすると子守唄が聞こえてくる。その歌の中に鬼の名前が隠されている。翌日、現われた鬼に、最初はとぼけて違う名前を何度か言ったのちに、正しい名前を告げる。鬼は悔しがって消える。という、おはなしです。これと同じおはなしがグリム童話の中にあります。「ルンペルシュティルツヒェン」というお話です。これらは、名前や言葉が持つ力をとても端的に表しているお話なのですごいです。山の中に樹が生えていてそれは緑色をしています。もし、言葉や名前が無かったら山の樹木はすべて山の樹木と言う緑色のカオスの中に溶け込んだままです。名前という言葉の力によってそれは種類別に分別され、認識されてゆきます。言葉と言うものが持つ霊力にはさまざまなものがあると思います。響きとしての質もあります。お~う~などの、響きの持つ、質のことです。この絵本が示している言葉の持つ霊力はそれとはまた別のタロットのソードの持つ力だと思います。意識化する力。分別する力。識別する力、だと思います。でも、それだけではないのだと思います。このおはなしが持っている「秘密」はまだまだこのお話の中には隠されていそうです。「鬼」も「小人」もものすごい力と能力を持った存在なわけですから、ぜひとも、この秘密に気付いてゆきたいものだと思います。
2006.02.08
毎週月曜日の午前中は、ちいさな4歳になったばかりの男の子と、そのお母さんと一緒におえかきをしています。無心に粘土で遊ぶ姿と、思わず微笑んでしまうような大人からすると意外でもある発想と言葉のかずかず。星の王子様だ、と思いました。彼の、まだ地上に生まれて4年の魂は星の王子様そのものです。*赤いクレヨン一番先に箱の中で目を覚ました。おはようおはようおはよう僕は誰かな?赤い赤い赤いそうだトマトかも知れない。わたしがまだ子育てをしていた頃テレビのみんなの歌でやっていた曲です。よく子どもと歌っていたので覚えているのだけど誰の曲だったのかは忘れてしまいました。*わたしは誰かな?それをわたしはずっと占星術のチャートとにらめっこをしながら探してきたように思います。そしてそれは自分の中でずっと今も続いているのだと思います。*誰もが、星の王子様ですね。どこからかこの惑星に、来た人。そして、いつかここから去ってゆく人。
2006.02.08
けさの雪景色の中二羽のカラスが、みちばたのフェンスの上にとまっていました。兄弟もしくは夫婦のカラスだと思いました。頭部のあたりが、とっても似ていました。でも、このからすはまえに書いた「わたしのからす」ではありません。「わたしのからす」はもっと陽気で王様のようで神様のようでつややかで「愛」を感じる存在です。品位が高いとか、霊位が高い、としか言いようの無いとくべつの気配を持っているカラスなのです。一緒にいるだけでとっても幸せ、です。「わたしのからす」といってるけどそれは、わたしにとっては特別な「わたしのからす」なだけでもちろん「みんなのからす」でもあると思います。最近、「わたしのからす」には、会えていません。けさのみちばたのカラスにアクセスしていたら完璧に「とんでいた」自分に気がつきました。あ、ここはどこ?わたしは、だれ?だから、カラスは昔から魔女や死者との関わりのある動物とされてきたのだな、とあらためて認識しました。カラスの住んでいる世界は境界です。この世とあの世。彼岸との境。ほんとうに、そう思いました。他の良く見る鳥はどうかというと雀は、サザエさんの世界です。ファミリーの間の愛情がとっても強いです。鳩は、日本のサラリーマンのようです。ある意味、かつてエコノミックアニマルと呼ばれたようなたくましさも、持っていたりします。そして、集団性がとても強いです。カラスはカラスによるのだけれど、だからつまり、雀や鳩に比べるととても個性がはっきりしているので、なので、さまざまな意識レベルの住人がいます。不良化したイメージのハスに構えているカラスも居ます。それは、だいぶ昔の言葉で「まちのごろつき」というような、雰囲気です。ちょっと獅子冥王世代の不良のイメージの中にある「あつさ」がカラスの中には、あります。って、こんなに鳥の観察しているわたしって・・・。でも、ちなみにもちろん、あたりまえのことだけど猫の観察もしています。少し前にオーラを見ることを仕事にしている人に驚かれたことがあって「あなたのオーラは猫とつながるのね!」そこの家の猫とつながったところをしっかり見られちゃったことがあったわけですが、動物とつながるととても楽しいです。人間存在としてはとても行けない世界に連れて行ってもらうことができます。猫もカラスもとってもすばらしい豊かな世界を生きているなぁと思います。
2006.02.07
楽しみにしていた本が届き、さっそく読み始めています。それは『神話の力』という本。ジョーゼフ・キャンベルという人とビル・モイヤーズという人の対話形式の本。1992年に早川書房から、出ています。この本のことは、私のこのブログからもリンクしてある(ヴィ)さんのブログで知りました。その「第一章 神話と現代の世界」の書き始めの文章からして、ころっと、まいりました。以下、その引用文です。「人々はよく、われわれは生きることの意味を探っていると言いますが、人間が本当に探求しているのは、たぶん生命の意味ではありません。人間がほんとうに求めているのは、<いま生きているという経験>だと思います。純粋に物理的な次元における生活体験が、自己の最も内面的な存在ないし実体に共鳴をもたらすことによって、生きている無上の喜びを実感する。それを求めているのです。」もう、何かコメントを書いたらどんな言葉も蛇足でしょう。*人というものはそれこそ星の数ほどの言葉の中から今、自分にちょうど必要な言葉を栄養として吸収して行くものなのだと思います。
2006.02.06
これから読みたい本があることと、受けたい講座があることは、私の場合生きてゆく上での一番の楽しみです。9ハウス紺色うんちくの最高の幸せです。最近はそれに加えておいしいものを食べるという楽しみが強まっていてたぶんそのせいで少しずつおでぶさんにも実は、なっています。出家の、世捨て人で無い部分はそこのところかな。おいしいものを食べる。これが私と生な現世をつなぎとめている感じ、かも。牡牛的感覚の世界も、やっぱり偉大だ。
2006.02.06
占星術的に、今、わたしは、プログレスの太陽9ハウスさそりプログレスの月4ハウスふたご。このふたつはインコンジャンクトつまり150度の関係性なわけですが、インコンジャンクトは元素的にもスクエアーに匹敵するかも。火と、水もしくは土風と、水もしくは土水と、火もしくは風土と、火もしくは風。「苦しいけれどメリットの高いアスペクト」なんです。松村先生の説話社『完全マスター西洋占星術』の301ページ。「資質の違う要素を意識的に調整しなくてはならないことを意味します。つまり、二点間が調和的な関係を作るまでは互いに縛りあう。天体の持つ原始的な資質を訓化し、能力を磨くので、」これだなぁ、紺色のうんちくが強まっているのと、大衆性との葛藤感は。自分自身の中で統合しきれていない大衆性とか集合無意識的なことが、わたしのこと影になっているよ~わたしのことも統合してね~と、迫ってきているわけです。プログレスの月は今は双子座ですが半年後には蟹座に入ります。ますます「数霊4」は強まってゆくことになるのだと思います。プログレスの太陽の資質ということはこれからますます紺色うんちくになって行くということみたいです。こちらは「数霊9」。孤独な哲学者です。ネイタルの土星も9ハウス射手座だし。それにネイタル水星スクエアーもきいているはずだ、と思う。ときどき、自分自身の紺色うんちくに嫌気がさすときがあるのだけれどこれは、どんどん吐き出したい。吐き出して吐き出して嫌というほど吐き出すとその底にぴかぴかきらきらが隠されていたりするものです。というふうに、私は今まで絵を描いて描いて描きまくってきました。こんどは、言葉なので、書いて書いて書きまくりたい。もしくはしゃべってしゃべってしゃべりまくりたい。最初は、荒いもの変なものどうでも良いものがたくさんでてくるのだけど、それをどんどん吐き出しつくしたい。ポンプで無意識から吸いださせちゃうわけです。絵の場合は左の脳の回路を使い言葉の場合は右の脳の回路を使うのだと、思います。
2006.02.05
夕方から、急に寒くなったせいか、駅からの帰り道、何となく夜空が不思議に見えました。不思議に見える夜空を見ながらずっと歩いていたら、少し前にUちゃんと交わした会話を思い出しました。「それは、UFOを見たことがあるか?」私は自分ではUFOを見たことは無いと思います。でも、Uちゃんと話しているときにふと、思い出して「UFOは見たことないけど、むかし、物置小屋の上に物置小屋の屋根くらい大きな流れ星なら、見たことあるよ」と、言ったらUちゃんは、「違うよ違うよ。それは流れ星じゃあなくてUFOだよ。」と、言いました。Uちゃんは、そんなに大きな流れ星は無い、というのです。あれは、巨大な流れ星でした。たしかに思い出してみても、あれだけ大きな流れ星は無いかもしれない、と思います。あれをみたのは、確か中学生の時だったと思います。今日みたいに、寒い日だったように思います。時間は、夕方から夜にかけての時間だったように思います。不思議な感覚と一緒に、その流れ星もしくはUFOの記憶は私の中に残っています。色は白に近い銀色でした。とっても、光っていました。*今日、オショウ禅タロットをひいたら、「虹のクイーン」が出ました。これは、普通のタロットのペンタのクイーンに相当します。そこには、次のような和尚の言葉が書いてあります。*あなたの生はほかの人達に届かなくてはならない。あなたの至福、あなたの祝福、あなたのエクスタシーは、種のようにあなたの内側に包み込まれたままではいけない。それは花のように開き、その芳香をあらゆるものたちに広めるべきだ。友人だけではなく、見知らぬ人たちにも。これがほんとうの慈悲だ、これが本当の愛だ。自分の光明を分かち合うこと、彼方なるものの、あなたのダンスを分かち合うことだ。*私は今までこういう感覚は持ったことが無かった、と思いました。これは、すばらしいことだ、と思います。
2006.02.03
ホロスコープのチャートも曼陀羅だとわたしは思います。占星術は道具だと思うので、使い方は人それぞれだろうとは、思いますが。すくなくともわたしは、ホロスコープを曼陀羅としてとらえています。自分自身のチャートとにらめっこをしながらしばらくのあいだ瞑想します。その時間を持つと今のわたしに必要な部分がチャートの上に立体的に立ち昇ってきます。冥王星というものは10天体の中で最も無意識の深い部分をあらわしていますので、たとえば、そこからのスクエアーということは普段は閉じている信じられないくらい巨大なゴミ箱の蓋がぱかっと開いてそのなかに溜め込んだいろいろなものが逆流してくる時、ということもできるように思います。スクエアーということはつながりっぱなしでむかい合っているオポジションなんかと違ってある日ある時、突然に過激に流れ込んでくる感じです。それで、人生は急激な方向転換が迫られたりします。変化を恐れ、今までにしがみつきたい場合は、それは恐怖かもしれません。でも、変化を望む場合は冥王星スクエアーはうまい使い道があるのではなかろうか?でもあったとしても、それはあまりにも深い無意識層へのアクセスなので対社会的な、つまり土星レベルにおける範囲は大きく逸脱していることには間違いはありません。*トランシットの冥王星が未知の度数を進行するのが今のところ12月の末くらいから。その後、3月の終わりくらいまで進行してそのあと、逆行になりますが、その、未知の度数を進行している期間1.グレゴリオ暦の新年、つまり1月1日を迎え2.今日、節分。つまり、旧暦での新年を迎え3.春分点。つまり、占星術上の新年を迎えます。4.新学期への切りかえがあります。うまくできているものだと思います。なんやかんや言ってもやはりシステムの浸透した世界なんだと思います。*そして、グレゴリオ暦つまり西暦においてはやはり1000年代から2000年代への変化というものがとても大きかったように思います。ユングも含めて1900年代までに書かれた著書は、時代の基調として、どうしてもこれからの時代にはそのまま適応できない部分があることを強く感じます。1900年代はある意味、方向性が単一であったのですが△↑。これからは双方向性の意識がどれだけ持てるかが大切なこととなると思います。△↑と▽↓の両方です。*そのもうひとつの大切な方向性▽↓とはたとえば星の王子様がバラの花の咲く自分の星に帰っていった、その後のお話となるはずなのです。
2006.02.03
ユングのマンダラの本を10年ぶりくらいに読み直しています。「卵」の持つ意味「卵」の象徴することそれひとつにしてもすごいなぁ、どきどきしちゃう、と思います。ユングのひとことひとことのもつとても深い意味は地域や文化や時代を超えて響きあっていると思います。普遍的なんだと思います。人類共通の普遍性。たとえばp.76に「この哲学の卵とは錬金術の作業の最後にホムンクルスをすなわち原人精神的で内的で完全な人中国の錬金術で言う真人(文字通り十全な人)を産み出す容器である。」とあります。クライアントの描いた「岩」の表現の中に「卵」をみつけ、そこからこれだけ普遍的な意味まで読み取ることのできるユングはやっぱり、すごいなぁ。そして、このクライアントの一枚目の絵からもうすでにユングは「無意識がいかなる解決を予見しているのかを見てとることができた。」とあります。やっぱりユングのこのマンダラの本に書かれていることはとっても広くて深い。p.270の訳者解説のところを読むと最近のわたしのヴィジョンもシンクロしていたことがわかります。つまり「ナチスのような無意識性を持った大衆社会現象」「大衆心理(集合無意識)」のことです。霊的宇宙存在は時間と空間を越えた存在なのでけっこうしょっちゅうこういうことをするので私はいつも驚かされます。でも、楽しいです。
2006.02.02
東洋の占術の先生に鑑定の依頼はしましたがまだ、見てもらってはいません。もう少し、先になります。どうしてか、というとその先生からメールでお返事が来た時に、Aの日と、Bの日と、Cの日のどれが良いですか?と書かれていたので、一日ずつアクセスしてみて、一番良い日を決めたからです。それは、候補にあったうちの一番最後の日だったのでおよそ一ヶ月後になります。まるで、金の斧と銀の斧と銅の斧、みたい。Aの斧を持った時とBの斧を持った時とCの斧を持った時では全然違ったビジョンが浮んできました。なのでわたしは、もちろん金の斧!にきめましたぁ(笑)だけど、わたしはこの時間が大切なのでは、と思いました。緊急を要する鑑定内容ではありませんので、時間はたっぷりとれます。何より、東洋の先生に見ていただくまでの時間自分自身の中で対話の流れが始まります。それこそが、大切なことなのではなかろうか、と、思いました。東洋の先生に鑑定していただくことが決まった瞬間まず、変化が起きました。「私は何故東洋の先生に鑑定してもらおうとしているのか?」という自問自答が起きました。そして、わたしは自分が、第三の視点をほしがっているということに気がつくことができました。二者間の、向かい合ったままの視点から、それ自体を客観視することのできる第三の視点を求めていた、ということに気がつくことができたのです。このことにまず気がついた後、自分の心の中の深いところの思いに触れることができました。それは言葉に置きかえたらやはり「愛」みたいなもの、でした。人間とは人と人の、あいだ。そこに立ちのぼるもの。同じAさんでもBさんとの間に立ちのぼるものとCさんとの間にたちのぼるものはまったくちがうものとなります。霊性ということ。体から、はみだしている。それがひとりひとりの「神話」なんだと、おもいます。だけど、反面、統合することの大切さを思います。霊性だけではない。そして霊性に間違って、使われては、いけない。主体としてのわたしも、わたしのなかには同時に存在しています。*なかなか人にわかってもらえない部分なのではないかと、自分で思い込んでいること。それは、自分ひとりよがりの勝手な思い込みなだけで実は共感できる人は、いるのだなぁ、ということがブログを通してわかるので、とってもうれしい。深い共感。それは、私の今の場合、やっぱりアメジスト色に輝いています。
2006.02.02
ブログをいろいろいじってみたら、全然ちがうものになってしまった。どうも、自分のブログじゃぁ無いみたいな感じが、します。HTMLって、初めて使いました。こうやるのか・・・*私は本当は、機械がすごく苦手なのでパソコンの操作も良くできないのですが、今日は、霊的宇宙存在が手伝ってくれていたのがわかります。あたまが、おまかせモードに切り替わっていたからです。霊的宇宙存在が手伝ってくれている時は体の一部にサインが送られてきます。それで、ああ、手伝ってくれているのだな、とわかります。*空気の虫についてわたしも見えますというメールが個人的に、何通か来ました。けっこうみんな見えていたんだね。仲間が、実は多かったことがわかってうれしいです。*ブログがこういう色彩になったわけはアメジストがうちの子になった影響が大きいように思いました。
2006.02.01
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