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ある人とわたしの頭が合体してその合体した頭はお水の入った水槽でもあってお水がぐるぐるとかき回されていてその中には赤い金魚が泳いでいた。という夢をおともだちが見たそうです。そのおともだちがこの夢をみた日にもちろんそんなこと全然知らなかったのだけどわたしはたまたま赤い金魚の携帯ストラップを買いました。最近はものをなるべく所有しないようにしているのでめったにお買い物はしないのですがその日はどうしてもこれが気になって買いました。赤いちりめんのような布で木目込み細工のようになっている携帯ストラップです。
2006.07.29
今のわたしが変化すると未来のわたしも過去のわたしも変化できるのです。この水星逆行の絶好の機会を生かさない手はありません。今日の朝のわたしの日記にコメントくださったみなさん、どうもありがとう!わたしは新しいセッションをひとつ思いつきました。水星逆行の時にわたしを書き換えるお絵かきセッションをします!1)過去のことにアクセスして書き換えたいテーマを浮上させるための絵を描きます。2)そのあと絵の分析とホロスコープチャートのリーディングをします。3)わたしの書き換えのためのフィードバックの絵を描きます。時間は2時間30分料金は 3万円日にちは 水星の逆行の時。A)2006年10月29日~11月18日 B)2007年2月14日~3月8日 C)2007年6月16日~7月10日 D)2007年10月12日~11月2日 少し先ですがA)10月29日からの逆行時期のご予約をうけたまわります。メールにご連絡ください。
2006.07.28
水星逆行は何かとトラブルも多くて困ったものでもあるのですが有効な使い方を発見しました!それは過去の体験の書き換えです。過去の体験と現在のわたしのあいだに視点の変化などがあった場合は過去の体験をその時のわたしが理解して意味づけしたものを現在のわたしが解釈しなおして書き換えることができるのです。なんとすばらしい時期なのでしょう!言葉に置きかえにくくて変な難しい表現にしかできないのだけどこれはある意味生き直しに近いところがあります。わたしが変わると世界が変わる、とはよく言われていますがわたしが変わるとそく未来も変わる、ということに最近気がつき始めていました。でもそれだけではなくてわたしが変わると過去まで変わるのですね~。感動です。ただし過去のわたしと現在のわたしが同じところに存在しているとその書き換えは不可能かもしれないです。でも、その場合でも書き換えは不可能だとしても水星逆行の時期は過去のことに回帰して懐かしい体験に浸ることのできる時期にはなると思います。それでもってやはり逆行度数が進むにつれて深い過去に移行するみたいですね。書き換えは見事なくらいすばらしいです。意味づけが根本から変化します。こういう一番伝えたい大切なことほど言葉に置き換えられないもどかしさを感じます。言葉のほうが荒くて伝えたいことの方が粒子が細かくてうまく変換できない感じ。それとこのこととはまったく別なことなのだけど水星がらみではこれも私の場合ですがトランシットの水星が蟹座に入ると「すみません」をメールの文章とかにたくさんくつけるようになるので自分で見ていてもおもしろいです。*ちなみに来年いっぱいまでは水星逆行はほとんど水のサインで起きるのでこの時期心理的な部分での過去の体験の書き換えができる時になる可能性が。わたしは最大限利用したいです。いちおう水星逆行の時期をアップしておきます。現在の水星逆行は明日7月29日の正午くらいまで。2006年10月29日~11月18日 蠍座2007年2月14日~3月8日 魚座→水瓶座2007年6月16日~7月10日 蟹座2007年10月12日~11月2日 蠍座→天秤座
2006.07.28
今年のわたしの太陽回帰はなかなか、です。9ハウスに5天体も、入ります。獅子座の土星は21度。にわとりばたばたの飛びたい度数です。これは12ハウスの射手座冥王星とトラインで8ハウスです。12ハウスの冥王星かぁ。セドナだのシャスタだのといろいろ言い出すのもとっても納得な天体配置です。モンロー研究所の幽体離脱にまで関心を持ちました。太陽回帰はお誕生日の三ヶ月前からぼちぼち影響が出始める、と言われていますが体験的にはそのあとお誕生日の三ヵ月後ぐらいまで変化がとても意識化しやすいです。そのあとの6ヶ月はけっこう馴染んでしまってそれは当たり前になったり、という感じです。土星海王星のオポもからんで年内いっぱいなかなかな感じになりそうです。なかなかというのは色彩に例えると濃い紫色やマジェンダ色の日々が続きそうな気がします。これは8ハウス獅子座のにわとりばたばたの土星あたりの色。9ハウスに意識のウエイトを置くならもう少し沈着な色彩もプラスされて青紫色かも知れません。
2006.07.27
なにげなく色彩を選ぶというただそれだけのことにとても深い意味が隠されていることにあらためて気がつきます。そしてなおかつ複数の色彩を配置する場合そこには自分自身で気がつかない無意識からのメッセージがたくさんこめられています。無意識を意識化する。このことにはふしぎな魅力が隠されています。意識と言う明確だけど限定された世界から深くて広い無意識の世界への正しい橋渡しを色彩はしてくれるのかも知れません。カラーライフシンボルもこのような色彩を使った意識と無意識の橋渡しのひとつのメソッドです。こどものおえかきでは日常的に使っているのですが自分自身で使うことを忘れていたことに気がついたのできのうやってみました。カラーライフシンボルのリーディングの内容はある程度知ってはいるもののどうしても色彩に対してはあんがい人は嘘はつけないものかも知れません。現在の自分に同調して配色しようとするとそこに置ける色と置けない色がはっきりとあります。意識化していない「無意識のわたし」からの深い声を耳にしたように思いました。
2006.07.26
水星は7月5日から逆行に入っていました。これは7月29日土曜日に順行にもどります。わたしが体感して来たところでは水星逆行は逆行の度数が進行するにつれて現象化は濃厚になる感じがします。つまり順行にもどる直前の方が水星逆行の影響は現実におきやすいように思います。メールの送信ミス。メールの文章の内容が相手にきちんと伝わらない。忘れ物をする。過去の体験の物思いにふける。などなど。水星逆行に入ったとたんに影響が出る場合もあるみたいなのでいちがいには言い切れないのかも知れませんが。山手線に乗っていると周りの人たちからそういう感じがよみとれるので失礼な言い方かもしれませんがおもしろいです。きのうはあきらかに行きの山手線の車内の雰囲気と帰りの山手線の車内の雰囲気は全く違うものでした。帰りのほうがみんな元気でした。おおっ!獅子座3度の新月の影響みたい。でも行きも帰りも共通していたのが乗り過ごしそうになる人の数の多いこと。新宿についてもう人が乗り降りしてドアが閉まりそうになった頃「あ!新宿!」と気が着いてあわてて駆け下りるような人がいつもより多かったです。
2006.07.26
今日は、獅子座新月の日。正確な時間は13時31分。度数は3度。「髪型をボブにした女」ルディアだと「長い髪を肩に流しノーブラの若い格好をした中年女性」。内面の活性化にともない目立つこと、突飛なことがしたくなる度数。この太陽と月は他にアスペクトのない孤立天体。ということは、暴走の可能性も、有り。9時25分までは蟹座のボイドタイム。それもあって、今はしっとりとした気分。どちらかというと非活動的な気分と状態。ということはつまり今日は朝からお昼にかけて激変を体験できる日になるかも。何が激変するか?それは自分の気分なのか周りの空気なのかお楽しみ。*そういえばきのうのあけがた盛大な打ち上げ花火の夢をみました。あの花火は何だったのだろう?と思っていたのですがその前日トランシットの太陽が獅子座入りしていたのでした。その影響だ。獅子座1度「脳溢血の症例」。獅子座2度「おたふく風邪の伝染」。その無意識の衝動に突き動かされるように私はきのう現実世界で心理的な意味での打ち上げ花火をあげました。夜空の打ち上げ花火にふさわしい行動をドカ~ンととりました。それは衝動的に行動したことで周囲の人を巻き込んでゆくこと、でした。*気がついてみるとやっぱり、このように占星術のライティングをするようになってから天体影響は確実に前よりも強く受けるようになっています。現在、ライティングは12サインの日運と月運を出しているのでいちおう全サインの天体影響を網羅していることになります。そして、その内容については、書いてしまうと、当然ですが忘れます。何故ならその日に書くのではなくて前もって書くからです。このように、いちど意識に上らせてそして忘れる、ということの影響力はとても大きいです。この「忘れる」ということが影響力をとても大きくしていると思います。
2006.07.25
部屋の中の明るさが急に変化したように思えました。ある人が「次のレベルに到達できた時の私自身のエネルギー」を石に封入していた時。蛍光灯の明るさを確かルックスと言うのだと思いましたがそれが、何倍かになったように思えました。*モーツアルトの「レクイエム」の歌詞の中にもエット ルックス ペルペートゥアーとルックスという言葉が出てきます。*HPを開いた時にもそのHPから明るさを感じるようになりました。ときどき暗く感じるHPもあったりもします。*お絵かき教室に子どもが来ると部屋の中がぱあ~っと明るくなります。やっぱりこどもはすばらしい「かぐや姫」だと思います。*光り輝くもの西洋占星術で太陽。そして古事記のアマテラス。太陽意識。
2006.07.24
しばらく霊能的なものは封印したかったのです。そのように突然ネイタルの獅子座6ハウスの天王星の上で火星土星のコンジャンクションが起きた時にわたしは決意したのです。だけどおとといの金曜日の夜また開く流れに乗りました。霊能をひらくといろんなものが見えてきます。反転の虚の世界です。これから一年近く続く土星と海王星のオポジションの影響もあるのだと思います。このアスペクトはほんとうに人によって千差万別な現われ方をしているみたいです。霊能をひらくとネガティブなものもはっきり見えてしまうけど最近は前よりもネガティブの中に存在している可能性に気がつくことがだいぶできるようになったようにも自分では思います。試練はやみくもに恐れることは無いのだな。そうはいっても試練の最中の時は真夜中の嵐の海の中で翻弄されて苦しいのでそんなときに見守ってくれる人がひとり居るか居ないかはとても大きいように思います。シェアしてくれる仲間の存在もとてもだいじです。霊能をひらくとネガティブなものも見えてしまうけどそれ以上にポジティブなものも見えるのはとてもうれしい。すばらしくきれい。きれいな響き。色のような音のような。複雑で個性があって。たくさんたくさん手放してゆきたいです。
2006.07.23
絵を描く。スピリチュアルなことと関わった生き方をする。わたしが今までしてきたこと。これからもしてゆきたいと思っている生き方。それは「道を求める」とかある意味「求道者」としての生き方なのではないかな?とさっきあらためて思いました。ずいぶんとまじめな生き方かも知れない。これは9ハウスとか射手座的な生き方なのでしょうか?はるかとおくに限りない憧れを見出したりもしています。私の場合そこには土星があります。ただし、はるか遠くを目指すというだけではなくこのしようとしていることはそうとうな逆流力が必要な生き方のようにも思います。得るものも大きいのですが棄てるものも、大きいと思います。ときどきこのおおもとの部分は見失い、わからなくもなります。ここの部分を揺るがないものにして行きたいものです。P月が2年半ぶりにサインを移動し4ハウス蟹座に入ったことにここ数日振り回され過ぎた、と思います。振り回され過ぎた、とも思うのだけどゆはり、P月のサインの切り替わりは心理的にとても大きな変化です。大きな変化ではあるのだけれどP月を生き方の中心にしてしまうのは違うように思えます。ここ数日振り回され過ぎたのはそのせいだったように思います。されどP月なんだけどそれと同時にたかがP月の要素も忘れてはいけないな。
2006.07.22
グルジエフは「人間どうしが理解し合えると思っているのは妄想だ」というようなことを言っていて確かに、グルジエフの言っていることに耳を傾けてみると、なるほどと思うところがあります。それは、発信者と受信者の差異の部分であると思います。伝言ゲームを続けてゆくと内容がどんどん変化してしまう、という部分です。「江原さんの言っていることは本当なのですか?」という質問に答えてゆくためにはまず、相手が「本当」という言葉で表現しようとしていることはどのようなことなのかが理解できていなくてはなりません。つまりは、相手の人の霊的な成熟度みたいなものを私が把握していないと返答することができないわけです。相手が「本当のこと」といった時=土星の場合もあれば実は、=海王星のこともあります。そこが難しいと思うのです。このお話を先日のブログにアップした時は「本当のこと」を=土星と書きました。単純にはそれで良いのでしょうがほんとうは、必ずしもそうとは限らない。「本当のこと」という言葉を土星の意味で「対社会的に歴史的に承認されたような確固たるものなのか?」という意味で使っているのこともあれば、海王星の意味でいわゆる「あちらの世界の真実なのか?」という意味で使うこともあります。はたまたこの人の中ではそのふたつは区別されていないこともあります。あちらの世界のことを理解するのにこちらの世界の私だけではそれは不可能です。あちらの世界のことを理解するのにはあちらの世界の「私」がいなくてはならなくてわたしはグルジエフはこのことを「アストラル体」という言葉で表現しているように思います。グルジエフのことはまだ良く知らないのでとりあえずわたしは今はこのように理解しています。私のほうにグラデーションのように全色彩の階層に対する対応力がないとそれに答えてゆくことは難しいのです。それと同時に相手がどのレベルのどのような理解を求めているのか瞬時に見抜く力も必要になって来る。これができる人はそんなに多くないです。わたしが出会った中でおよそ3人くらいしかいません。でもその人たちは全方位的にどのような色彩のグラデーションに対しても瞬時に対応することができていました。すごいことだと思います。30人を同時に相手にしている時でもそれが可能でした。どうしてそのようなことができるのか私にとってはいまだに謎です。十牛図的には少なくとも8図の体験者でないとこれはできないと思います。7図的な固定的価値観や固定的視点の持ち主は自分自身がそのような視点しか持ちえていないことにさえ気がついていないことがおおにしてあります。というよりもそれは一般的な普通の視点です。ごく普通で当然なのでその正当性を対社会的には主張して当然の視点です。このことはお絵かき日記のたまねぎの絵ともリンクする内容だと思います。
2006.07.20
テレビの映像でその女性を見たときにずいぶんとはみだしている人だなぁ、と思いました。人間存在の肉体以外の虚体の部分そちらのほうを、わたしは実体であると把握しているひとりなのですが、その目に見えないほうの実体が波打ってはみだしていました。それでもってとどまる中心点を持っていませんでした。こどもというのは100パーセントの愛を携えて生まれてくる存在だと思います。100パーセント、周りの人間(それは特に生み出した母親)に自身の命を託したかたちで生れ落ちてきますので。さきほどの実と虚、ということで言うなら生れ落ちた赤ん坊というのは肉体と虚体が大きな差異がある感じ。肉体は自身だけで生きることはできない育ててくれる人が必要つまり100パーセント身をゆだねた状態。見えない本質は愛に満ちている。新生児が存在する空間は竹の中にかぐや姫が輝いていたように光に満ちていますよね。わたしもその親に殺されてしまった女の子のお母さんに対する「愛」を強く感じます。それはやはり私を殺したおかあさんへのその行為を全く否定していない愛として感じられます。『蟲師』という漫画があります。漆原友紀、アフタヌーンKC、講談社。私も買って、読んでみました。人間存在を器のみとしてただの空洞にした場合、どうしても上位の霊統との強いアクセスが必要であると思います。それに対立する生き方が近代自我を確立させて中心に「私」の柱を立てた生き方。自灯明と法灯明、という部分なのでしょうか?この部分は、人によって得意不得意があると思うし同一の人間でも時期によって自灯明寄りの時と法灯明寄りの時があるように思います。
2006.07.19
先日、とっても難しい質問をした人がいます。「テレビで江原さんが言っていることは本当なんですか?」という質問です。えっ!わたしはいまだにこの質問に対する的確な答えが見つけ出せずにいます。江原さんが言っていること=海王星本当のこと=土星、ですね。もう、トランシットの影響が出始めているのかも知れません。獅子座の土星と水瓶座の海王星が180度になってきます。正確には8月と来年2月ですが。でも、この影響は長期にわたり来年の夏ぐらいまで続きそうです。
2006.07.18
自分自身の存在を結晶化させるということはなかなか意識し続けられることではありません。しょっちゅうこの部分から外れます。瀬戸内寂聴が「出家とは生きながら死ぬこと」と言ったこととかはここの部分だと思います。H12以上の意識を保持し続けられないと意識の中から喪失してしまう意識だと思います。生身の人間として女としてこの世を生きてゆく上でやり足りない事があるとすぐにそのことに足を引っ張られてしまいます。ひとりではできないと思います。グルジエフもそう言っていたみたいです。シュタイナーはひとりでもできるように本を書いている、と確か言っていました。つまりシュタイナーはグルの存在の危険性を十分に認識した上で本によって可能であるようにしようとしていたみたいです。ここに書いたことはH24までの意識には全く理解されない部分です。いわば精神世界に行っちゃっている変な人のわけのわからない言葉です。私自身長い間の絵画の制作とシュタイナーのお勉強の体験が無かったらこの弱弱しいもやしのような微細なとかとても粒子の細かい意識にはアクセスできなかったと思います。自慢したり優民意識を持ったりしてこう書いているわけではないのだけれどこういうことは時におうにして良く誤解されます。とても誤解されやすい部分でもあります。グルジエフはこの部分を「アストラル体」という言葉を使って表現しているみたいです。前にも書いたけどシュタイナーの「アストラル体」とは異なる要素があるようにも思います。私自身上がったり下がったり当然しています。ここの部分の繊細なアンテナが飛び出ている時にはどうしてこのようなことが秘儀として古代から存在し続けてきたのだろうかととても不思議に思います。武士がしようとしていたことも同じ部分があると思います。泉岳寺の赤穂浪士のお墓にあふれているものでもあるし、現代にもまだ残る城郭跡地に行くとそれを強く感じます。絵描きがしていることの中にもこの部分は内在していると思います。最近、インスタレーションのことを思い出すことが多かったらインスタレーションをやっていたという人と知り合いました。前から知っていた人なのですがその人がインスタレーションをしていたということは知らなかったのです。土屋きみおが、かつて残るものと残らないものがあるのは偶然ではない、と言っていました。そのこともこのことを言っていると思います。やはりH6まで行った人は数少ないと思います。H6のことがわかる人も少ないと思います。胸のダイアモンドは大切にして生きて行きたいです。
2006.07.17
とても気に入った音楽と出会えました。それは、シベリウスという人の交響曲です。西洋占星術的に金星8ハウスの蠍座でドラゴンヘッドとコンジャンクションなので好きなものにはどんどん深くはまって行くところがあります。臭いをかぐようにどのCDを買おうかと勘を働かせました。アマゾンを使いました。これだな!と思ったのは仲介者が海外のものだったので注文してから到着までにしばらくかかりました。とても良いCDと出会えたと思います。シベリウスという作曲家のことは何も知りません。曲を聴いていると北のほうの広大でとても豊かな自然が目に浮んできます。その視点は地上的なものでなくてハングライダーで風にのりながら上空で移動しながら見ているような感じがします。8枚組みなのだけど気に入ったものはとことん味わいつくしたいので一枚ずつをじっくりと聴いています。去年はグラズノフでしたが今年は、シベリウスの夏になりそうです。
2006.07.17
きのう、お絵かきに来ている人が「個展の絵は、全部一度に描くのですね」と驚いていました。たいてい一枚ずつ描いてゆくものと思っておられる方が多いですね。でもそうすると最初の絵と最後の絵は時差ができて違ったものになってしまうのでよっぽど意識的にそれを狙った制作をしない限り油絵の場合は全作品を同時並行して制作して仕上げてゆきます。今日は明るい雨がふっている朝です。
2006.07.16
その土地が持つ独特の雰囲気というものが、やはりあると思いました。あの場所は、おだやかで明るくて、陰陽が和合されていたように思います。富浦はとても良いところです。ある意味、癒しの力の強い聖地です。ガタンゴトンと電車に揺られて行くとそれがきっと体感できるはず、です。その土地に行くだけで体験できるものがあると思います。*アートシルバークレイの体験を初めてしてみて私が何よりもおもしろかったのは自分が存在の極限に挑戦していることでした。もちろん、無意識で、なのですが。アートシルバークレイという素材の持つ存在と非存在のぎりぎりの境界線を目指して制作してしまう「わたし」に気がつくことができてそれが何よりも一番おもしろかった気付きです。つまりこれ以上薄くすると「造れない」とか「壊れてしまう」という限界に挑戦してしまう資質が「わたし」の中には存在しているということを自覚することができました。これはひとりで制作しているとあまりにも根底の当たり前すぎる資質なので逆に自分自身で意識化することは不可能だったと思います。やはり一緒に造ったなかまたちと一次元の高いところからの指導の両方があってはじめて意識化することのできた「わたし」という存在の根源的な資質、でした。
2006.07.10
「神棚」みたいに自分自身の「体」をよりしろとする。なので食べ物を食べるということは私の体を通してはるかかなたものに感謝する行為。私自身が今ここに存在できることに対する感謝の気持ちを上にも下にも響かせてゆく行為。と、なぜかけさご飯を食べながら思いました。どうも《きのう自分で造った「螺旋」の形》の無意識への影響のせい、みたいです。今までに無い不思議な感覚です。これが「愛」なのではないかと思います。「存在の肯定」ということもできるように思います。それでもっておおいなるものにつながっている感覚です。存在できることに対する感謝の気持ちでしょうか。
2006.07.10
自分でもとても気に入っています。中空構造で筒抜けなのがすばらしい!
2006.07.09
自分で造ったものはやっぱりかわいいですね。携帯の写メなので鮮明に撮影できていないのですが。すてきな時間を過ごすことができてとても楽しかったです。
2006.07.09
名前がわかってしまうということがあらわしていること。グリム童話の『ルンペルシュティルツヒェン』と日本のおはなしの『だいくとおにろく』は同じような内容のお話です。*先日花買い開運法の原理のシステムが解明できてしまったらとたんに効かなくなってしまいました。ちょっと涙↓です。つまり名前がわかってしまった、ということ。この点については知らないままでいたかった、かも。きっと、このわかったことをまた忘れてしまえば良いのでしょう。*どうして、今このことが浮上してきたか?気になるので、考えていました。そういえば今日、タロットのお絵かきが7.戦車から8.裁判の女神 です。疾走する戦車に人間的判断でブレーキがつけられるというのが8.裁判の女神。疾走する戦車の御者はビナーの力を受けて走ります。これは自然界からのエネルギー的保護。つまり、名前がわからない状態が発動しているということ。*もはや私の場合偶然に外界でものごとが起きる世界にはすんでいなくてでは、どういう世界に住んでいるのか?というと、上位の存在との関わりの中で体験させられている世界。そして私の周辺で起きることは全て私にリンクしている世界。開閉弁のコントロールは私がしているのではなくて上位の存在がしているのでした。さっきここに「自分で創り出している」と書いたらさっそく「そうじゃあない」という出来事が起きました。*「究極、普通が一番」の考え方のとあるおっちゃんからは隔離されてしまいました。普通が一番じゃあない、ですよ。きっとあの人は本当に普通ではない存在が存在することを知らなかったのかも知れないです。*だいぶ前ですが天使存在とお話できる人の本を読みました。その人曰く。天使に「いいよね、天使になれて。早く私も、天使になりたいよ。」天使は「そうかなぁ。天使は天使でつらいんだよ。どうしてかというと天使は人間存在を見守ることしかできないから。あれこれ手出しはできないから。人間がつらいと、天使もつらい。」とのことでした。*結局カラスの羽根は箱の中にしまうことにしました。これが私の出した答え。とたんに部屋の空気がマイルドになったように思いますよ。これからもこの関わり方で行こうと思います。ダイレクトはきつすぎるから。でもカラスの羽根はとても大切にしたいです。
2006.07.08
きのう拾ったカラスの羽根はなにかありそうなにかありそう、と思っていたのだけれどやっとそれがわかりました。お空の上から「まった!」がかかった感じです。この黒色は冥王星的だなぁ、と感じていました。この黒い羽根を拾わなかったらグルジエフ曰くの眠り込んだ状態に知らず知らずのうちになってしまったことでしょう。ワタリガラスとヤタガラスだったのでそうとう古い意識なのはわかっていたのですが。黒い羽根にアクセスして生きて行くのはおそらくけっして楽ではありません。眠り込めない生き方です。なぜなら土星どまりでそれ以外を切り離したしまったいわゆる「常識の世界」をはるかに超えます。頭の上に色彩のグラデーションが限りなく続いてゆきます。だからおそらく常識的なという世界を創り出した「国家」というものが成立する以前は人間存在が地上に生きる意味というものはそのようなものだったのだと思います。ワタリガラスとヤタガラスの時代。カラスの羽根を拾わなかったらそのことを知らず知らずのうちに忘れてしまっていたように思います。
2006.07.08
道を歩いていたらカラスの大きな黒い羽根が一枚、落ちていました。どうしてこんなところに。ひろってしばらくたたずみながらどうしようかなぁ、と思ったのだけどいただくことにして持って帰りました。とてもきれいです。表側の黒は青緑色に光ります。カラスなので少し不思議などきどき感があります。でも手に持っていたときに頭に浮んだのがやたがらすとわたりがらすだったのでいただいて持って帰ることにしました。そういえば今日はたなばたでした。
2006.07.07
長い長い滑り台のような激流を滑って落ちてゆく夢をしばらく見て、そして、目を覚ましました。目を覚ます時にこれは私の木星のサビアンシンボル天秤10度「危険な流れを抜け安全な場所にたどり着いたカヌー」だ、と思いました。夢の中で女性の主人公はまだ安全な場所にはたどり着いていなくて「もう、嫌!」と言っていました。*けさがたの夢の中に出てきた上位の存在は女性でした。今までは、男性的な存在でした。わたしはこれから数霊的に「4」が強くなってゆくので上位の存在が女性に変わったように思います。奇数=男性的=能動的偶数=女性的=受動的。*蟹座的に集団が合体してその規模が大きくなってゆく夢も見ました。*そういえば先日、滝を見ました。滝を間近に見たのは二年ぶりくらいかな。滝が落下しているその真上の空に龍が立ち昇っているのを、見ました。これは、なんです。現実世界において落下しているので虚の世界においては反比例的に上昇しているのだと思います。滝が落下しないと反比例の上昇もありえないわけです。滝を見ていると、とっても気持ちが良いのはマイナスイオンが放出されているというだけではなくこんなところにも秘密が隠されていたのだな、と思います。*そういえば恋に「落ちる」と言いますが恋に落ちた瞬間はスピリチュアルな状態としてはある意味最高のところに飛び上がっているわけなのでちょっと、この恋に「落ちる」と言う表現も双方向性ということに関して滝にとても共通したところがあるような感じがします。
2006.07.06
野口整体というのは、おもしろい整体で体の不思議なつながりに着目しているところがあります。ダイレクトにその患部にアクセスするだけでなく見えないところでAという場所とBという場所がどのように関連しあっているかに精通しているところがあります。きのう『奇蹟を求めて』を読んでグルジエフにも、そういうところがあるように思えました。*吉祥寺ジャジャはとてもよいお店でした。占いハウスなわけですがお店全体が「慈悲の心」にあふれていました。わたしはあそこではじめて「慈悲の心」に触れることができたように思うのです。慈悲とはつまりこの世に生きる全てのものに対する哀れみの心=昇華した愛であるとして、わたしは、実はこれが長い間あまり良くわからずに居ました。鉱物植物昆虫動物は大好きだけど人間を大好きと言い切ることができるかなぁ?*きのう『奇蹟を求めて』を読み進めて全く違った角度からなのだけどそしてまったく意外な方向からなのだけどそれだけに余計に朝起きてみたら、わたしの中に不思議と、その「慈悲の心」がすこうし、芽を出し始めていることに気が付くことができました。グルジエフものぐちはるちかのようにこの奇想天外な「繋がり」に気がついていてそれを熟知していてそれを使っていた人、のように思えました。*わたしはグルジェフやのぐちはるちかと違ってものすごくストレートで単純なところがあります。西洋占星術的にはネイタルの天体に逆行がひとつもない、というのも関係あるかも知れません。なのでとても単純ストレートにこの「芽」を大切に育ててゆきたいなぁ、と思いました。グルジェフのおかげで肩の荷がストンと落ちて大いなる天体の響きの中に安心して存在できる可能性ができたような気がします。
2006.07.03
オーケストラの演奏がだんだん変化している感じってあったのですがなんかスケールが小さくなるような。それは楽団員が世代的に獅子座冥王星世代から乙女座冥王星世代に移っていた感じ、なのだということに今夜、気がつきました。絵画の世界もそうでしたけれども。お金のお札(おさつ)もそうだと思います。旧のお札のほうが獅子座的「絵」でした。スケールの大きさと気品と熱さがありました。新しいお札の絵柄の方が几帳面で少し息苦しいような内向的雰囲気があると思います。
2006.07.02
『奇蹟を求めて』を読みすすめています。案外いい加減におもしろくないところは駆け足で通り過ぎて興味のあるところにはじっとたたずんで。読んでいます。そして、時々恐れ多くもグルジエフの言っていることに時々、むかついたりもしながら、読んでいます。BGMはあいかわらずラフマニノフのピアノ協奏曲。アシュケナージ。でも、なんだなぁ、グルジェフの醍醐味は読み終わってしばらくするとスカッとした清涼飲料水を飲んだ後の爽やかな感じ。高気圧の夏の、スコーンとぬけた青空の下風が、気持ちよく拭きぬけるような。それでいて、あんがい馬鹿まじめでは無く「なんちゃって」の余韻が笑顔の中に醸しだされる、そんな不思議さがありますね。お空にグルジエフの顔が映し出されていてわたしに向けられるまなざしを感じる。そうか父性の愛、です。大きいなぁ~。これはロシアの大地の大きさ、なの?
2006.07.02
ホロスコープチャートに現われている「その時」を良くするも悪くするも、本人次第なのだと思います。グランドトラインを良しとしてグランドクロスを悪いとするような、一元的なものの見方は、もはや成立しない時になっていますよね。グランドトラインの中にも「悪い」は存在している。グランドクロスの中にも「良い」は存在している。この視点の導入がとても大切なこととなっていると思います。断定的な「占い」はかつての1900年代の一極的なものの見方に基づいていることが多いのではないか、と考えてみるのも良いのではないでしょうか。わたしは、断定はできない、です。それは「あなた」の使いかた次第です。わたしができることは「あなた」がそれを有効に使ってゆくためのお手伝いをすることだけだ、とわたしは考えています。
2006.07.01
以前にシュタイナーのお勉強をしていた時「霊的成長はこの地球での生の期間にしかありえない」という言葉と出会ったように思います。肉体をともなった現世での存在期間にしか霊的なシフトができる時期は無いのだ、と確かシュタイナーは言っていたと思います。上下が、地球上にしかないことを考えるとそのことはとても、納得です。霊的成長という魂レベルでのシフトには「逆流力」は欠かせないキーワードかも知れません。多くの人たちが生きている一般的な通常の当たり前の生き方とはある意味、正反対の川の流れを遡るような要素が、どうしても霊的成長と呼ばれるものにはつき物であるそのようにも思えた、今日いちにちでした。*そして、時代的背景の影響として霊的成長をすることとグラウンディングをすることの両方が、とても大切です。つまり地球から離れることと地球に降りて来ることの双方向、です。今日、気がついての事なのでわたしの中ではまだ仮説ですがスピリチュアルな能力の高い人ほど同時にグラウンディング力も強いように思います。スピリチュアルに飛ぶこととグラウンディングして現実の地球に着地することはあい反するようですけれど人によってはその人の中でとてもうまく両立していたりもすることに今日、気がつきました。
2006.07.01
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