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もうだいぶ前になるが「地球サミット」で、日系カナダ人少女の演説が大きな反響を呼んだことがあった。まずは下の写真をクリックして演説を聴いて欲しい。12歳は、十分に大人だと感じた。ところで、日本の21歳は、この子とくらべどれほど大人になれているのだろうか?その子も今ではすっかり大人になって…。
2013.08.21
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中川村の成人式南信州の中川村の曽我逸郎村長の言動は、ときどき新聞にもとりあげられ物議を醸す。そのたびに村内の一部の人々から反発され、議会で糾される。しかし、この人は村外からのIターン移住者にもかかわらず、これまでの選挙ではつねに村民の強い支持を受けて再選されている。それは村長の言葉が、為政者にありがちな虚飾にみちた上辺の言葉ではなく、信念に基づき心の底から村民を大切に想い、言葉を吐き続けているからであろう。僕はこの人ほど、村民、国民に対し、人類普遍の理想を真剣に説いている首長はいないのではないかと考えている。中川村戦没者・戦争犠牲者追悼式 式辞 中川村戦没者・戦争犠牲者追悼式を挙行いたしましたところ、ご多忙の中、上伊那地方事務所長様はじめ、ご来賓各位、ならびに大勢の方々にご列席を賜り、真にありがとうございます。 明治以降、幾多の戦争、事変があり、人が消耗品として扱われ、多くの人命が失われました。中でも昭和期の日本軍においては、兵站も無視した精神主義の杜撰な作戦が繰り返され、おびただしい数の兵士が、餓えや病気で命を落としました。食料等の現地調達を強いられた兵士たちは、現地の人々と争い、恨みをかい、殺された兵士もいました。反対に、必要物資調達のため、あるいは軍事情報保持のため、戦地の一般住民を殺害した兵士もいます。兵士のみならず、内外のおびただしい一般住民が、戦禍の巻き添えになって命を失い、人としての尊厳を踏みにじられ、暮らしを破壊されました。 なんとか命を永らえて1945年の敗戦を迎えた人たちは、新しい憲法の平和主義、戦争の放棄を心の底から喜びました。戦争の悲惨さ、愚かさを骨身にしみて痛感していたが故の喜びであったに違いありません。 であるのに、敗戦後68年が経とうとする今、日本国憲法前文において国家の名誉にかけ全力をあげて誓った崇高な理想と目的を忘れ、我が国を、現実妥協的に戦争をする、ありふれた、普通の、凡庸な、志のない国にしようとする人たちが現れています。外交力、政治力で問題を解決する自信を持てずに、軍事力に頼ろうとする人たちであり、戦争の悲惨さ、愚かさを忘れた、まさに平和ボケの人たちだと言わざるを得ません。 のみならず、集団的自衛権という聞こえのよい言葉によって、日本の若者を、外国が自分の都合で始める戦場へ下働きとして差し出そうとしています。かつて鬼畜米英と呼び、「生きて虜囚の辱めを受けず」と叩き込み、兵士たちにバンザイ突撃を強いた、その相手の軍隊の指揮命令の下に、我が国の若者を送り込み、戦わせようとしています。沖縄を筆頭に、我が国の国土がその軍隊の好きに使われているのに、我が国の政府は唯々諾々とその意向に従っています。 戦争の犠牲にされた方々は、今のこの状況をどのように感じておられるでしょうか。自分たちは一体何のために故郷から引き剥がされ、戦わされ死なねばならなかったのか、と憤っておられるのではないでしょうか。自分たちの犠牲が、忘れ去られ、まったく教訓にされていないことに、歯ぎしりをして悔しがっておられるに違いないと思います。 日本国憲法前文に謳ったとおり、日本国民のみならず「全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認」し、その実現を真摯に目指すことこそが、戦没者・戦争犠牲者となった皆さんの心に適うことであり、日本を自ら誇れる国にし、世界中の人々から敬愛される国にすることであると信じます。 本日のこの式典が、戦争によって命を奪われた方々がどんな想いで亡くなっていったのか、もう一度じっくりと想いを巡らせ、今の私たちの有り様を冷静に振り返ってみる機縁となることを心から願い、式辞といたします。 中川村長 曽我逸郎読了感謝
2013.08.14
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