ひまじんさろん
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「ハナミズキのみち」という絵本をご存じですか?最近、新聞やテレビでも話題になっていて、昨夜のNHK「ニュースウオッチ9」でも紹介されているので観た方もいるかも知れません。 “ぼくは、どこにいるんだろう うすももいろの花の中で ねむっているのかな 津波がきたとき、みんながあんぜんなところへにげるめじるしに ハナミズキのみちを作ってよ 町の人たちが津波でかなしむことがないように ぼくは、はなみずきといっしょに みんなを、まもっていきたいんだよ いのちをまもる、ハナミズキのみち うすもも色にけむる、春のけしきが目にうかぶよ”その絵本の作者浅沼ミキ子さんは、東日本大震災の津波で長男・健(たける)さんを亡くしました。消防団員だった健さんは、市民を避難所に誘導していて犠牲になったものです。子どもを失った母親の喪失感や悲しみから立ち上がるために書いた本が「ハナミズキのみち」です。夢枕に出てきた徤さんの言葉にしたがって、津波の避難路にハナミズキを植え、いつかもし津波に襲われてもその道に沿って逃げれば、みんな助かり、自分のような悲しい思いをしなくてすむだろうという願いを込めたあらすじが叙情的な絵とともの描かれています。その浅沼ミキ子さんが心を少しでも癒すことができればと、訪れたのが晩秋の信濃路。同行案内したのが及川修一さん(陸前高田市議・広域連合議長)です。及川さんは「全国太鼓フェスティバル」の元実行委員長。陸前高田市の町おこしのリーダーとしても活躍してきた人。人望を買われ、現在は政治家としても現地の復興に全力を挙げています。その及川さんが育ててきた「全国太鼓フェスティバル」は津波で中止に追い込まれていました。その復活を支援してきたのが信州・伊那の「まつり工房」の北原永さん。以前にもこのブログで紹介しましたが、「まつり工房」の昨年の公演料のすべての4百万円余や現地での無料公演、用具の修理などさまざまな支援をしてきて、今では及川さんなど陸前高田の方々との信頼関係や友情で結ばれた仲となっています。昨夜はその二人を囲む会が「あのとき… あれから…」と銘打って「まつり工房」で行われました。ぼくも、現地公演などに同行しているというだけでなんの力にもなっていませんが参加して、歓談してきました。実はこの旅は、心の傷を癒したいと思って来るのだからごく内輪で静かに…、とはクギをさされていたのですが、知人の新聞記者(女性)に「ぼくの友だちということで同行して、許して貰えるようだったら取材したらどう」と誘ってあったので、「またアイツは!」と、叱られるのではと内心ヒヤヒヤでした。案の定、「S新聞の記者です」と名乗られた代表の北原くんの顔色がさっと変わるのを見逃しませんでしたが、すぐにニコニコと太っ腹、大人の対応。(だから、若くて美人なのはトクなんだよナ~)。浅沼さんの、絵本出版にいたるまでの葛藤と気持ちを整理するお話。及川さんの、過去の陸前高田の街と3.11の日、そしてその後などのDVD映像を挟んでのお話など、貴重なお二人の話に、いちどは水を打ったように静まりかえった会場でした。お二人との話のなかで、とくに印象に残ったのは、自分たちのことのみならず今のフィリッピンの惨状や福島の現状に憐憫のこころをもって言葉をすすめていたことです。その会の途中で、偶然にもNHKの番組のなかで埼玉の中学生たちが「ハナミズキのみち」を演劇にして取り組んでいる様子が流れたのには驚きました。その後、大太坊のメンバーが「まつり工房」稽古場で練習と称するミニ公演を披露。これには浅沼キミ子さんも大喜び。日本一を何度も極めてきたメンバーたちの秘技を加えた演奏に目を丸くして、身体を揺すって見入っていました。これも北原くんのさりげないもてなしの演出ですが、浅沼さん、及川さんのお二人もこれには興奮とと感激の面持ちで、メンバーたちに感謝の言葉を述べられておりました。実は浅沼さんは49歳とのことですが、スタイルもよく楚楚として、とてもその歳にはみえない女優のような顔立ち、北原くんも発憤させたことでしょう。(若くなくても、美人はトクなんだよナ~)と、蛇足はともかく、浅沼さんは絵本としてだけでなく、本当に「ハナミズキのみち」を実現すべく活動を始めていると、報告がありました。もちろん北原くんも(及ばずながらぼくも…)協力できることはしてゆこうと、応えたように思いました(って、言っちゃっていいのかな~)。付け足しのようでナンですが、「まつり工房」関係者の方々がそれぞれに持ち寄ってくれた煮物や漬け物などの料理もおいしく、どれほど会を和ませたことか…(けして美人でなくても、料理の上手な人はトクだよナ~)。ぼくも先々週は、友人と北海道から東北にかけて5日間ほどの旅をしてきました。東北の地に足を踏み入れるのは、今年は4回目になります。青森、岩手、宮城、福島…、現地での夜はなるべく地元の人が経営する居酒屋に入ります。そこで隣り合わせた地元の人や店の主たちと酒を酌み交わしながら、さまざまな話を聴かせてもらいます。被災者となった方々とも何人も知り合いました。人々の感情は地域によって温度差はありますが、その中でどことなく感じたものは、ひと頃の悲しみや怒りから虚脱感や喪失感、明日への不安や絶望感、疎外感のようなものです。虚脱感や喪失感は当人にしか埋めようがないものでしょう。しかし、不安や絶望感、とくに福島の放射能汚染地域の疎外感などを軽減してあげる努力は、政治はもとより、同じ国に住む人間としての努めのようにも思います。大きな災害があった後の一時の行動には誰もが駆られます。しかし、大なり小なりいつまでも現地に心を留めてこそ、本物の支援であり絆となってゆくものであろうと、「まつり工房」と北原くんの行動をみていて、つくづく思うのです。蝶クリック
2013.11.15
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