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雑学本の新しいやつで読んだ。身体測定ではかっていた「座高」は、戦前は徴兵のために内蔵の成長度合いを見る目安にしていたのだが、実際は無関係とわかり、もともと活用もされていない指標だから、平成27年度から文部科学省では測定をやめたという。ところで、宮城っ子は座高が全国でもトップクラスだったはず。平成27年度の学校保健統計(宮城県)をみる。たぶん、座高のデータがある最後の年なのだろう。宮城県は、幼稚園から高校3年まで、男女ともすべての学年で全国平均値以上。女子の幼稚園、中2、高2の3階級(学年)で堂々全国第1位だ。男子も13階級中の11で順位ヒト桁。なお、平成26年度(宮城県)では、女子の中1を除き、幼稚園から高3まで各学年、男女とも全国平均を上回る。男子小3、女子幼稚園が堂々全国第1位など、男子で7つの学年、女子で8つの学年で順位ヒト桁だ。(ちなみに身長はバラツキあるが、体重は全階級で10位以内!)ちなみに、座高の低い県はどこだろう。平成27年度の17歳男子でみると、全国92.1cm、宮城92.5に対して、栃木91.4が最低。17歳女子は全国85.9、宮城86.2に対して、最低は沖縄85.1cmだ。座高測定の導入の経緯からすれば、全国でトップクラスの宮城っ子は、内臓の健全な成長を誇って良いのかも知れない(?)が、そんなこと考えたこともなかった。それより、宮城など東北は、肥満傾向が指摘されており、こっちの方を色々な角度から検討したり対策を考えたりすることが必要だと思う。ともあれ、(小さい声で→学力、進学率、不登校など全国的にあまり芳しくないわが宮城県が)全国に誇る(数少ない?)高順位データの「座高」が、測定廃止で、まぼろしとなる...の巻。■関連する過去の記事 肥満児割合の高い東北(2015年1月24日) 宮城っ子の体格(08年12月15日) 体格の良い東北っ子たち(07年7月19日)
2016.10.31
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声優の肝付兼太さんが亡くなられた。スネ夫などの声で著名だが、我が家の子ども達にはアンパンマンに出てくるホラーマンが一番馴染みだったと思う。ご冥福をお祈りしたい。ところで、肝付さんのお名前をテロップで見て、仙台人の怠惰の気質を指摘した薩摩藩士の肝付兼武と関係があるのだろうかと、ずっと思っていた。■関連する過去の記事 見透かされた「大藩仙台」の空虚なる風土(06年4月2日) 仙台・宮城の気風を再び考える(06年7月3日) 肝付兼武のこと(06年6月13日) 仙台・宮城人怠け者論を考える(09年11月11日)(明治末年の出来事)ネットでみると、本名は兼正さんというのだそうだが、揖宿郡喜入(きいれ)村の出身。肝付氏の末裔とある。肝付(肝属)氏は、大隅の戦国大名で、郡名からこの名を名乗ったが、のちに島津氏の家臣となる。仙台藩を評した肝付兼武は、日置郡串木野の肝付氏から分家して鹿児島城下の家臣となったものの末裔のようだ。兼武の子の兼行は、海軍中将、大阪市長などを歴任。声優の肝付兼太(兼正)さんは、大隅肝付氏の庶流となる喜入肝付氏の末裔となるようだ。
2016.10.29
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昔ばなしの結句(語り納めの語句)は、仙北にあって仙南にない。仙南に固有の結句は皆無で、理由は定かでない。たまに知っている人もいるが、仙北出身者が嫁入り道具と一緒に持ち込んだものだ。仙北では、地区毎に、「こんで、えつこ、さげだ」「よつこ、さげだ」「えつこ、まあんま」「土瓶こさげでお茶飲まれねえ」など核となる結句があって、それぞれ伝承圏を形成。昔ばなしの伝承度も仙南より高く、50話や100話クラスの語り手も仙北に偏在する。宮城独自の昔ばなしは少ないが、他県のものと大筋は共通しながらも細部にはかなりの差異がみられて、そこに宮城の独自性もある。日本昔話の型は約700種もあるとされるが、本県には全国的に分布のまれな古く光った昔話も、ほぼ完璧な形で幾つか残存している。■参考 佐々木徳夫『みやぎ昔ばなし百選』本の森、2006年(まえがき部分から)
2016.10.24
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信号のない横断歩道を渡ろうと、歩行者が車の切れ目を待っている。こんな時、もちろん車は停止する義務があるのだが、仙台の場合、止まってくれる車はむしろ少数だ。私自身は(言い訳に聞こえるかも知れませんが)停車させたいとは思うのだが、対向車線の車が減速もしないで続々走ってくるし、自車線の後続車がイライラして追い越しにかかると一層危険になるから、歩行者に心の中で謝りつつ、全体の流れに任せて横断歩道を走りすぎる、ということが少なくない。ほかに車が無い状況なら、ちゃんと停車している。立派なのは、歩行者の方で、小学生や犬の散歩の人など、よく車の流れを注意しているから、とりあえず安全が確保されるという状況だ。当然、それで良いわけではないのだが。最近、TVニュースで、信号のない横断歩道で9割のクルマが止まらないことを取り上げていたので、実態調査をしたというJAFのサイトを見た。今年8月に全国94か所で調査。一時停止した車は全台数のわずか7.6%で、94か所のうち48地点で停止率が5%未満という。既に、6月にネットによるアンケートを行っており、信号機のない横断歩道で歩行者が渡ろうとしているのに一時停止しない車が多い、と思う人は86.2%もいた(「とても思う」と「やや思う」の計)。これを実態調査したのが、上記の結果ということのようだ。6月のアンケートについては、都道府県別の結果も示されている。全国 とても思う=43.7% やや思う=42.5% (合計86.2)青森 44.0 43.1(87.1)岩手 39.4 44.4(83.8)宮城 40.5 43.1(83.6)秋田 40.7 41.2(81.9)山形 43.8 38.4(82.2)福島 44.0 43.4(87.4)ちなみに、「とても思う」が最大なのは徳島の52.4%で、50%以上は、埼玉、徳島、香川、佐賀。「やや思う」も加えると、香川県の92.2が最高のようだ。愛知90.6や埼玉89.9、佐賀89.7あたりがトップクラス。別の設問で「信号のない交差点では、歩行者が横断歩道を渡ろうとしている場合には一時停止すべきことを知っていましたか」というのがある。全国の状況は、(1)知っており行動している 70.7%(2)知っているがたまにしか行動しない 27.8%(3)知らない(行動しない、忘れていた)1.5%である。東北は、この順で、青森 68.4 28.4 3.2岩手 74.7 23.7 1.5宮城 70.2 27.5 2.3秋田 67.0 31.2 1.8山形 66.5 32.5 1.0福島 67.1 30.9 2.0全国を見渡すと、(1)が8割超と素晴らしいのは、静岡、長野。(3)が2.5%を越えるのは、青森、富山、福井、和歌山、山口、香川、沖縄。要するに、意識調査では、知っていて実行に移している人は多いというのだ。なのに、実態調査すると、ほとんどが停車していない。ところで、6月のアンケートは他にも設問があって、ウインカー出さずに車線変更や右左折が多いか(「とても思う」岡山と香川が5割超えで抜きんでている)、青信号前に発進する車多いか(「同」香川が18.1%で他を引き離す)、運転中に携帯使用が多いか(「同」三重、大阪、京都などが高率)、など。面白いのは、自分の住む県の交通マナーをどう思うか、の問いで、「とても良いと思う」「良いと思う」の回答が岩手県が大変素晴らしい。全国 「とても良い」0.9% 「良い」1.04%青森 1.1 6.1岩手 2.1 27.1宮城 0.3 8.7秋田 1.8 20.1山形 1.0 14.8福島 1.1 14.6これは、自分ではなく、自分の県についての印象だから、県民性の自意識の度合いといえよう。岩手県人はマナーがよい県民だという自意識、宮城と青森の県民は、自分たちはマナー悪い県民と意識している、ということになるだろうか。逆に、「悪いと思う」「とても悪いと思う」が多いのは、香川(80.0)、徳島(73.5)など。東北は、青森が48.8で最高だ。全国で最も低い(良い)のは、島根の16.8で、岩手の18.1が次ぐ。以上、香川が頻繁に登場したが、祖父江の県民性分析にある香川の女性ドライバーを思い出す。何か関連があるだろうか。■関連する過去の記事女性ドライバーの少ない宮城(2015年12月01日)
2016.10.19
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親に似て何かが抜けている高校生の娘。ある朝電車に乗ろうとしたらsuicaも財布も家に忘れたことに気づき、たまたま駅にいた中学の同級生にお金を借りたという。その同級生にお金を返してお礼をしなければならないのだが、携帯番号も聞いていないし、どうしようか。だいたいこの時間の電車だろうからというので、何日かの間、朝すこし早めに駅に行って、改札の前のあたりで立っているようだ。いまだに念願を果たしていないようだが、駅舎の隅の方でボーッとたたずむ姿は、なぜか昔話の「みそかい橋」を思い出させた。炭焼きの長吉が夢のお告げで、町に出て「みそかい橋」に立っていると、何日目かに奇妙に思った人に話しかけられる。長吉が正直に訳を話すと、その人は、なんだそんなことか、それなら自分も某村の長吉という家の杉の根っこに大金が埋まっているという夢を見たが、と大笑い。長吉は村に飛んで帰って大金を得る。こんな話だったと思う。私は子どもの頃、昔話の比較や分類をしてみたことがあった。子どもといっても、専ら聞き手である幼少の頃ではなく、小学校高学年か中学の頃だが、全国の昔話を見渡して、話の筋の類似性、笑い話か、教訓か、悲劇伝承か、意外性をつくストーリーか、など勝手に類別したりしていた。(なお、大人になってからは、南方系の説話など日本人の起源にせまる分析や、天皇家や豪族などの歴史と関連する神話や記紀の研究などにも興味を持っています。日本の文化の基層をどう理解するか。大きなテーマに対して、私などは生半可な興味だけですが。これらに関する過去の記事も多少あります。)中でも、「みそかい橋」は岐阜県あたりの昔話というが、何かが「凝っている」と感じていた。だいたいの昔話は、自然な流れで展開するか、あるいは意外性が聞き手を引き付ける場合も多いが、「みそかい橋」のように夢のお告げを偶然で重ね合わせるというダイレクトな反射は、異彩を放つような気がしたものだ。今朝多少調べてみたら、柳田國男が、味噌買い橋の話の由来を研究しており、ドイツに同様の話があり、さらに古く10世紀頃のアラビア人の記述にも同様の話があるという。最近になって、地元高山の研究者の方が明らかにしたところによると、昭和初期に地元の先生がグリム童話を参考にして創作し、郷土教育資料に発表したというものだそうだ。私が聞き手だった幼少のころは、大正生まれの祖母が語ってくれた。話の結句は「どんどはれ」だった。あまりレパートリーは少なかったが、郷土に固有の由来譚などではなく、全国的によく知られた話が多かったように思う。祖母が聞き手だった大正や昭和初期には、すでに童話の全国的な普及や画一化が進んでいたのかも知れない。ともかく、昔話の世界は、世界とつながり、歴史を反映して、奥が深いと思う。我が家の娘はいつ「どんどはれ」を迎えるのか。
2016.10.16
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町制最後の昨夜も記事にしたのですが(さらば富谷町...そして「字」も(2016年10月9日))、新しい歴史の1ページを開いた今日も、富谷市のことを書きます。全国には、市内に鉄道駅の全くない「駅なし市」がいくつかあります。東北では、十和田市が該当します(十和田観光電鉄が廃止されたため)。もっとも十和田市に今は駅はなくとも、鉄道だけなら、東北新幹線が市域を疾走しています。■関連する過去の記事 駅なし市 いまむかし(09年11月7日)では、駅どころか、市域を鉄路が全く通過していない「鉄道なし市」はどうか。それも全国には結構あります。武蔵村山市、坂東市、富里市、大川市など。首都圏や福岡県の都市が該当するのは意外な気もします。しかし、これまた意外なことに、東北地方には全くありません。つまり、現在の東北6県の市には、すべて鉄道が走っているのです...いや、実はそうは言えません。今日から例外が誕生しました。富谷市です。これまで何度か記しました。なぜ東北本線の仙台以北は、奥州街道沿いの吉岡や古川や築館を通らないのか。このため宮城県北の発展にどんな影響を及ぼしたのか。明治13年にジョセフ・クロフォードが松木荘一郎を従えて測量した際には、すでに現在のルートとなっている。やはり、野蒜築港の構想と塩竈港の存在が大きかっただろう。ルート決定の基準としては、大都市を結ぶこと、野蒜(後に塩竈)、八戸、青森の各港を結ぶこと、トンネルをなるべく避けること、などがあったと言われるが、宮城県北部については、やはり港の物流を考えたことが大きく、これに対して古川や吉岡など街道筋の地域運動が弱かったこと、反対に小牛田の強い誘致運動なども要因として指摘される。(下記の過去記事を参照下さい。)結局、古川や涌谷などは後に本線と連結する横断線実現に力を入れることになる。鉄道会社は当初、吉岡、古川、築館を計画したが、丘陵地の三本木や金成が難工事だから小牛田や瀬峰を通るルートにしたという説明もある。かつての宿場をつないで北上するルートは、コストの点から避けられたということになる。そして、例によって、稲作や養蚕に害が及ぶとか、徒歩の旅客が来なくなって宿場が廃れるからという反対論も援用されるが、これらは大概のところ後から付け足した理屈というところだろう。もっとも、鉄道の利便は認識されていたとしても、自分のところだけは買収されたくないという意識はあった可能性がある。結局、港の物流、地形(コスト)の要因に加えて、地元の賛否の熱力学が相まって、今の東北本線ルートは形成されたように思われます。以上からは、富谷を鉄道が走る可能性も、薄かったということになります。しかし、小さい可能性としても、歴史上どんなルートが「あり得た」のでしょうか。● 仙台から北仙台、七北田、富谷、吉岡と北進するルート北仙台駅から西古川(陸羽東線)まで、762ミリ軌間の仙台鉄道が営業していたが、台風の被害により全線廃止となった(昭和35年)。そもそも「仙台から古川に至る鉄道」は改正鉄道敷設法(大正11年)の予定路線とされており、仙台鉄道を継承充実させる形で仙台古川間の鉄道敷設の地域運動が高まってもおかしくないのだろうが、そのような歴史は(不勉強にして)あまり聴かない。もっとも、仙台鉄道は、陸前大澤(今の東北道泉IC付近)から北は、現在の泉ヶ丘とパークタウンの間(谷間のような)の市道に沿うようなルートで北上し、黒川小野駅(ハーモニータウン杜のまちの西側)を経て、富谷駅につながるのだが、この駅の所在地は現在の大和町小野地区(山下橋のあたり)。そこから北上して、富谷市二ノ関地区を経て国道4号沿いの志戸田駅に至る。つまり、富谷市域のほんの北の端を通過して、吉田川を越える手前の志戸田に一駅があっただけ。旧宿場のあった中心地や現在の住宅団地群から大きく西にそれたルートだった。● 岩切から七北田を通って富谷、吉岡を経由するルート岩切駅から七北田川北岸を経由して、松森、七北田、富谷と結んでいくルート。台原や荒巻の丘陵地で建設コストが過分となるのであれば、早期に開業していた岩切駅から延伸するという考えもあり得たのではないか。● 利府から吉岡に至るルート日本鉄道が塩竈まで開業(明治20年)した後、岩切から分岐して利府、松島(反町)を経由して一関に通じる鉄道が明治23年開通。しかし利府線の勾配緩和と複線化のために塩竈側の建設運動が高まり、昭和19年に海岸線(塩釜、松島、品井沼を通る現在の東北本線)が開業して、「山線・海線」が並立。その後、昭和37年に海岸線が複線化完成し、利府線は利府駅以北が廃止された。このとき、黒川郡を挙げて鉄道誘致の機運が高まっていたら、利府駅から西北に向かい、鶴巣、富谷、吉岡などに向かう新線建設がありえたかも知れない。もし、富谷が「駅あり町」だったら、大正、昭和を通じて事業所や学校なども集積していたでしょう。いまのような郊外型住宅団地の発展とは異なる歴史があったのではないでしょうか。■関連する過去の記事(東北本線のルートなど) 仙台以北の東北本線・仙石線ルートと「松島電車」(2016年2月11日) 石巻線と金華山軌道(石巻-女川)の歴史(2016年2月6日) 仙山鉄道 3つのルート(2015年2月13日) 小原新道と白石人車軌道(2014年8月8日) 松山人車と白石人車軌道(2014年8月7日) 幻の鉄道計画 改正鉄道敷設法の予定線(その2)(2013年4月20日) 幻の鉄道計画 改正鉄道敷設法の予定線(その1)(2013年4月19日) 仙台駅の予定地について(その9)(2012年5月23日) 宮城県北部の東北本線ルート(何度目でしょうか)(2012年1月1日) 仙台駅の予定地(その8)(2011年9月26日) やっぱり当初は角田か 東北本線ルート(2011年9月15日) 東北本線ルート 白石か角田か(2011年9月5日) 宮城県北の東北本線ルート(再び)(2011年8月24日) 宮城県北の東北本線ルート(2011年8月20日) 仙台駅の予定地(その7)(10年9月6日) 塩竈市内の仙石線と塩釜線の歴史(10年5月11日) 仙台駅の位置について(その6)(09年10月21日) 仙台駅の位置について(再び)(09年3月10日) 仙台駅の位置について(その4)(07年8月16日) 大河原の尾形安平 東北本線実現に尽力(07年1月5日) 仙台駅の位置について・続々(06年7月15日) 仙台駅のはなし・続(06年7月11日) 仙台駅のはなし(06年7月10日) 宮城県内の東北本線のルートの話(05年11月27日)
2016.10.10
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黒川郡富谷町(とみやまち)があと2時間で消滅します。いや、「消滅」は正しくなくて、普通地方公共団体である同町が、その公法上の法人格を維持したままで、町から市に名称を変えるというのが正確な説明でしょう。ところで、富谷市になると「黒川郡」からも外れるのですが、新市の中での住所の表記も変わるようです。例えば、富谷町役場(市役所)の所在地は、こう変更されます。●(従来)宮城県黒川郡富谷町富谷字坂松田30番地●(今後)宮城県 富谷市富谷 坂松田30番地つまり、従来の「大字」に付いていた「字」の表記を消すというやり方を選んだようです。なお、「大字」は町のサイトによると以下のものがあります。明石(あかいし)、石積(いしづもり)、一ノ関、今泉、大亀(おおがめ)、大童(おおわら)、穀田、三ノ関、志戸田、富谷、西成田、二ノ関「小字」の方は従来のものを大字の後に直接(「字」の文字を挟まずに)続ける事になるのですが、市制施行を機に小字名を変更するところがあり、●富谷町富谷字町...番地 →富谷市富谷新町...番地●富谷町富谷字町北裏...番地 →富谷市富谷北裏...番地などとされるようです。単に「字」の文字を消すと「富谷市富谷町...番地」となってしまうからでしょう。ところで、「字」の呼称を消すのはなぜか。おそらくは、「字(あざ)」という響きが田舎臭いから、市昇格に合わせて取ってしまおう、というシティ派感覚なのでしょう。簡単に言えば。■関連する過去の記事市町村合併と住所の表記(2007年8月25日)この「アザ消し」は、平成の合併でも一部に見られたようです。昭和の合併の際にも全国的には結構あったかも知れません。例えば、次の住所の表記をみてみましょう。●栗原市金成小迫高見山35番地の3(金成小学校、中学校)かつては、(栗原郡)金成町津久毛字小迫高見山 と称したものが、「字」表記を消すとともに「津久毛」まで取り去っています。しかし、どこが地域名の単位の区切れなのか、地域を知らない人にはよく分からない可能性もあります。もっとも、これならまだ、金成、小迫、高見山、の3つに分かれるとおおよそ見当がつきます。実は、同じ旧「津久毛」地区でも「小迫」以外の地域(岩崎、平形)は、津久毛の名称を冠したままです。そこで、こんな表記になります。●栗原市金成津久毛岩崎東谷地...番地(猿田彦神社のあたり)何とか切れ目は想像できそうではありますが、「津久毛」を知らない前提で、金成、津久(ツヒサ)、毛岩崎(ケイワザキ)なのか、と首をかしげる人もいるかも知れません。手書きで年賀状を書くときに、どこで改行するか心配しそうです。平成の合併前の表記は、「栗原郡金成町津久毛字岩崎東谷地...」ですから、昭和の合併か(或いは明治の合併か)の経緯で、既に「岩崎」と「東谷地」がシームレスになっています。平成の合併では、旧金成町を含めて、4段の地域階層(金成/津久毛/岩崎/東谷地)がすべて切れ目なく繋がってしまった事例です。シティ派思考でアザ消しをしたのかどうかは分かりませんが。私自身は、富谷の場合も含めて、せめてもの区切りの符号として「字」があった方が落ち着くという気がするのですが、この辺は地域の皆さんの考え方なのでしょう。
2016.10.09
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