全18件 (18件中 1-18件目)
1

藤田宙靖「覚え書き - 集団的自衛権の行使容認を巡る違憲論議について」(第一法規『自治研究』92巻2号(通巻1104号、平成28年2月)pp3-29)以下は当ジャーナルにおいて要約整理したもの。なるべく原文の表現を生かしたが、縮約する上での論理展開の明確さなどのため、一部で用語を置き換え、或いは語句を補っている。1 問題の所在昨秋189通常国会で成立した新安保法制とりわけ集団的自衛権行使は、政権が憲法9条改正手続を取らず、内閣法制局に解釈変更させた上で、政府解釈の閣議決定を行い、改正案を国会に提案したものだが、これは多くの憲法学者にとって言わば想定外。従って、この事態を阻止するための憲法理論が前もって十分に積み上げられたとは言えないだろう。それだけ、「立憲主義」を前提とする憲法学者の想定を越える「非常識」な政治行動だが、しかし、それが実定憲法に反するかの法規範論理上の問題は、それとは別に、そして正に実定法学としての憲法学が詰めるべき点だ。憲法学者の9割が違憲を主張することが重みを持つというのは、(数が9割だからではなく)専門家として理論的かつ詳細な検討の積み重ねの上に表明する見解であることが前提にあって初めて言えることだろう。とすると、行われるべきことは、事態(1)=内閣法制局による従来の政府解釈の変更(事態(1a)=それに付随する内閣法制局長官のすげ替え人事)事態(2)=政府解釈(現行憲法で集団的自衛権行使は不可)を変更した閣議決定事態(3)=改正法案の国会提出の国家行為がいかなる意味で憲法に違反するか、明確で精緻な理論的説明である。ところが、憲法学者や法制局長官OB等のこれまでの説明は必ずしもそうではない。その一因は、実定法解釈論の大前提たるべき法規範論理上のルール(公理)を踏まえた理論的展開がなされていないから。2 議論の出発点に置かれなければならない法解釈論上の「公理」公理とは以下の通り。(1)法解釈である以上、仮に従来の解釈が誤っていれば改めるのは当然。変更が許されないということは法理論上あり得ない。(むしろ、誤った解釈を認識しながら放置すれば憲法違反とも。)従って、解釈の変更が許されるかは、従前の解釈が誤っていたか否かの点に(のみ)掛かるはず。(2)国家機関は、法を適用するにあたり自ら法の内容の確定が必要だから、第一次的判断権を持つ。その際、明確な最高裁判例が無ければ、さしあたり自らの解釈によるしかない。内閣の場合これを助けるのが内閣法制局だが、同局は内閣を助けるにとどまり、内閣が内閣法制局の見解に法的に拘束される法理は現行法制上存しない。(3)憲法法規の内容について国家としての最終判断権は最高裁に属すから、他の国家機関の解釈は暫定的なものであり、ましてや内閣を補助する内閣法制局が憲法の守護神であるはずがない。この意味で、「解釈改憲」の語は誤解を招く。内閣や内閣法制局の憲法解釈が誤っていると考えれば、立法府は政府提案の法律を成立させないことが可能だし、立法が違憲と考えれば裁判所が無効を判断できる。(閣議決定をもって改憲行為や法の破砕行為とみる(石川健治)のは規範論理的に誤り。)これら(1)(2)(3)は何ら立憲主義に反せず、むしろ忠実。そして、これら枠組との関係で見る限り、上記1記載の3つの事態は理論的に悖るところはない。安倍総理が憲法違反はないというのも、まさに理論的根拠がある。従って、3つの公理を否定せずして違憲を指摘しようとするのならば、3つの事態において何故にこれら公理が適用されないのかを理論的に明確にしなければならない。以下に順次検討。3 「公理(1)」に関して仮に間違った解釈だとしても、一度確立した解釈の変更は許されないということが、いかなる理由のもとにあり得るのか。違憲とする見解がこれまで挙げた論拠は、憲法によって縛られる政府が自ら従来の憲法解釈を変更するのは立憲主義に反するという理屈。しかし、それだけでは余りに粗雑だ。国家権力を抑制するための法規の内容を、拘束される側の国家機関が自らに有利に(拘束緩和の方向に)解釈変更することが許されるかの問題は、行政法では例えば、課税要件の解釈を重課に変更する通達が租税法律主義に反する「通達課税」にならないかとして、古くから議論の積み重ねがある。すなわち、本来の法規範論理からすれば、行政機関の法解釈である通達は対国民、対司法では一切拘束力を持たないから、新通達に基づく課税処分の適法性は、すべて、法律の規定自体の解釈如何に係るのであって、通達とは無関係に国民は課税処分の違法性を争うことができるし、裁判所は自ら考える解釈に基づいて判断できる。とすれば、通達の変更とそれに基づく処分自体が違法となる理屈は本来ありえない(公理(1))。ただし、旧通達を前提に経済活動をしてきた納税者に及ぼす事実上の影響が大きいから、納税者の信頼保護の見地から、法的効果に(例えば信義則を引いて)何らかの制約をかけることが理論的に(どこまで)可能かが問われる。ここで重要なのは、本来、租税法律主義(法律による行政の原理)の中には、行政庁が予め一般的抽象的に定められた法律に従うことによって国民の信頼保護(法的安定性)と民主的正当性が担保されるという構造が存在することが大前提とされていること。従って、問題は、この基本原則を貫くこと自体が逆に信頼を破ることになるケースがあり得ることを(いかなる場合に)認め得るかに存することになる。最高裁は、まずは租税法定主義の遵守を出発点にして、納税者の信頼保護を個別的に図るという解決方法を選択している。租税法定主義と通達変更の関係を、立憲主義と憲法解釈の変更に相応して考えれば、行政法学(租税法学)では公理(1)の例外を上記のように理論的に導いているのであり、政府の憲法解釈変更もそれが本来可能であること(公理(1))を明確に認めた上で、例外が認められる場合と理由を詳細に詰めなければならない。行政法の世界では、例外を認める根拠は国民一人一人の信頼保護だが、憲法9条の政府解釈の場合は直接そのような理論的構造にはない。従来論拠とされる「法的安定性」は、誰に対するいかなる意味の保護なのか。憲法尊重義務を負う国家機関が自ら誤った解釈を正しい解釈に改めようとする(まさしく立憲主義に忠実な)所為を制約するほどの「法的安定性」とは、具体的にいかなる要請か明確にすべきだ。この点、長谷部教授は、従来の政府解釈を一内閣が勝手に変更するのは「法的安定性」を害するとした上で、この「法的安定性」の意味は、政府解釈に対する信頼が揺らぐ(その内閣限りの考えに過ぎないという不安感を与える)という。規範論理的意味が理解しにくい主張だが、さしあたり3通りの理解の仕方が考えられようか。(a)政府が一度憲法解釈を示すや、直ちに不可変更的効果が生じる。(政府の憲法解釈は、現在又は将来の国民や諸外国を名宛人として約束したもので、これを改めるのは合意は拘束するという近代法の根本原則に抵触する。石川健治) --> しかし、国家機関が一度行った行為を自ら変更できないというのは、裁判判決の自縛力のように特別の任務を与えられた場合に限られる(なお判例変更が認められる)。契約にも、例外的に事情変更法理がある。(b)従来の政府解釈は、ある内閣が一時点で示した(可能な中の一つの)解釈というにとどまらず、長期にわたり広く承認され、それに基づいて法的社会的に一定の秩序が形成されてきた。(内閣法制局長官OB達の指摘。阪田雅裕。確立した憲法解釈で、憲法習律といっても良い(宮崎礼壱)。従来の解釈が9条の規範として骨肉化(山口繁)。) --> 一定の説得力あるが、事実の積み重ねによる正当化は、規範論理的には限界が残る。例えば、前提状況が全く異なった場合にも変更が許されない(法的安定性が国民安全確保に優先する)のか。また、仮に解釈が行政府立法府の一種の内部規範になっていたとしても、直ちに憲法9条の内容そのものになっていたというためには、理論的根拠が不足する(司法部の判断は全くなされていない)。とすれば、従来の解釈は、通達のように一般的に内部ルール化されたと考えるべきであり、行政府立法府が自らこれに反する行動を取ることは法的安定性を自ら破壊すると言えるとしても、直ちに憲法の規定の意味するところであるとの論理を導かない。(例えば、このような拘束に反した法案が国会で法律として成立した後に、司法が法律の合憲性を審査する場合、上記の事実から当然に司法独自の憲法解釈を禁じられることにはならないだろう。)(c)「法的安定性」とは実は、従来の解釈こそが内容的に正しく、新解釈は誤りであるという実体的判断が既に前提にされている。(変更後の解釈が憲法9条の下では許容されないから、閣議決定でなし得る範疇を超えた措置であり、内閣の権能を越えたもの。大森政輔) --> とすると、結局、旧解釈は誤った解釈かという(後述の)問題に帰着することとなる。違憲の論の主張の趣旨を推し量るならば、(主張される「法的安定性」の実体は;おだずま注)実質的に、国会における審議の積み重ねで確立した政府解釈には、正しい解釈であるとの推定が働く、或いは、それを誤りという場合にはそれなりの十分な立証が必要である、という主張として理解することができるかも知れない。4 「公理(2)及び公理(3)」に関して内閣法制局が憲法の守護神というのは誤りだが(上述)、そうした主張の根源は、抽象的違憲審査が認められていない我が国では成立した法律の違憲を裁判所が判断する可能性が実質上極めて限られているところにあると思われる。加えて最高裁の従来の考え方では、安全保障については統治行為との判断を受ける可能性が大きい。この意味で内閣法制局が事実上護憲の砦として機能せざるを得ないという現実は否定できない。とすると、制度的制約を踏まえた上で、内閣法制局に行為規範の内容を法理論上論じることは可能かも知れない。例えば、内閣による憲法解釈変更に際しては法制局見解を踏まえる法的義務がある、法制局の憲法解釈変更に際しては最高裁判例変更のように手続上の加重要件を求める、などの法理が導けるか。長官の人事に関して何らかの制約(山本一。おだずま注:「本」原文ママ)も検討の余地あろう。今回の政府の憲法解釈変更は閣議決定の形式。これを、本来よるべき憲法改正手続回避の便法で権限の濫用から違法違憲とする主張ある(石川健治)。個々の行為は違法でなくとも組み合わされた一連の全体では違法と評価されるのではないかとの問題は、行政法の分野ではしばしば論じられる。例えば、行為形式の選択の自由の濫用(行政手続法適用を免れるため敢えて契約形式)、不当結合(行為の結果もたらされる事実上の結果ないし派生的法効果を利用)。これらは、本来の政策的狙いと選択された法形式との乖離が、広義の権限濫用とされる。とすると、閣議による憲法解釈の変更と法案提出が、当初9条改正を、次いで96条改正を狙い、それが困難であるため解釈変更の手法を用いたという経緯に鑑みて、改正手続回避の「形式の濫用」として違法(違憲)とできないかの問題提起も不可能ではなかろう(石川の主張)。ただし、その議論の際には他方で、一般に行政機関には手段の選択の余地も広いことを踏まえなければならない。本来法律改正で要件効果を明確に定めるのが望ましい場合でも、従来の法制度の運用で処理できる場合は敢えて法改正を求めない行政手法は珍しくなく、その全てを違法と決めつけることは、ほとんど不可能である。憲法9条についても、自衛権の行使が認められ、自衛隊が軍隊ではないとされてきたのは、まさにこの種の解釈運用によるもの。すなわち、権限の濫用が違法と一般的には言えても、何が濫用に当たるかは精緻な議論を必要とする問題なのである。結局、既存の法制度の解釈運用が許される範囲や余地の如何の問題なのであり、新解釈がその余地に納まるのかという内容の問題に帰着する。今回の閣議決定を、上記の経緯からのみ権限の濫用として違憲と断ずるのは、規範論理的に粗雑に過ぎると言わざるを得まい。5 閣議決定並びに(おだずま注:「並びに」は原文ママ)法案の内容の合憲性について結局、今回の事態をめぐる憲法問題は閣議決定及び法案の内容自体が正しい憲法解釈かという実体法上の問題を抜きには論じえない。この見地からまず検討されるべきは、安倍政権が言う従来の憲法解釈の「変更」とは、理論的には性格に何を意味するか。おそらく3通りの考え方があり得る。(変更1)旧解釈(集団的自衛権行使認められない)はそもそも間違っていたので、これを否定して改めて正しい解釈を行うもの。 --> 政府与党が砂川判決を引き合いに出して主張するところを見ると、この可能性も全く無いではない(変更2)旧解釈はかつては正しいが現在は状況の変化により誤ったものとなったので、新解釈を行うもの。 --> 安倍政権が国際的安保環境の変化を強調するところを見ると、この理論的可能性は明らかにある。(変更1)と解釈置換えの理論的根拠は異なるが、法的安定性は正面からは後退する結果になることは共通。(変更3)旧解釈は現在も基本的に誤っていないが、現状により則したように内容を一部解釈し直すもの。いわば(憲法の内容についての新解釈ではなく)解釈についての新解釈。 --> 従来の政府解釈(三条件前提とする限り集団的自衛権行使認められない)に対し、今回の閣議決定内容は、三条件は引き継いだ上で、その下でも必要最小限のものであれば集団的自衛権行使も認められる場合があるとしたもの。理論的は、旧解釈の内容を全面的原則的に否定したのではなく、例外的に極く絞られたケースにおいては例外も認められることを言うものに過ぎない。このように置換えでなく修正であればこそ、新解釈が従来政府解釈との連続性が断たれ法的安定性が損なわれるのでないかの問題が生じるのである。上記の3つの論点が明確に区別されないで議論されているため、違憲合憲の両主張がすれ違い、政府与党の「言い抜け」に利した感もある。論点を明確に整理し正面から理論的に詰める作業が法律学者に求められている。以下に考察の結果を示す。(変更1)について。政府自民党が理論的根拠を砂川判決に求めるのは全く的はずれの議論である(同判決が集団的自衛権行使を排除していないのは問題とされなかったからであって、容認しているのでは全くない)が、その理屈は、(1)9条の下でも自衛権に基づく武力行使は許される、(2)武力行使は国家存立を守るために必要最小限のものでなければならない、(3)その範囲内で集団的自衛権行使も許される、との論理に立った上で、砂川判決は(1)を明確に認めているから、(2)の要件クリアされる限り(3)も論理必然的に導き出しうる筈であるから、同判決は(3)の内容を含んでいると読むべきである、との考え方だろう(特に高村副総裁)。しかし、この理屈は、最高裁判決は具体的事案を離れて一般的に妥当する理論や命題を定立する目的でないことを全く理解しない初歩的な誤りを犯している(石川も)。ただ、最高裁判例のこの性質は学者においてもしばしば十分理解されていないと思われ、高村氏等の砂川判決論を批判する学者の側にも自覚が必要だ。(なお、今回専ら問題とされたのは、旧解釈から新解釈への変更の是非であって、違憲側の論者において旧解釈の正しさは大前提とされていたようだが、憲法学者の中にはその前提自体に疑念を抱くものもある。例えば大石眞は、予てより集団的自衛権は明文をもって禁止されてはおらず、立法経緯に照らしても9条制定に際してこの問題を考慮されていたとは考えられないと指摘する。ごく最近では棟居快行が個別的/集団的自衛権の二項対立的図式を批判して、合憲論は「芦田修正という9条の限定解釈」へ回帰すべきと主張。これら見解に対する違憲論側からの反応は不明だ。)(変更2)について。旧解釈が国際的安保環境の変化により「誤った解釈」に至ったのか否かが問題。誤っていると主張する側に説明・立証責任があるが、個別的自衛権行使で十分対処できるとの批判に政府が十分説得的な反論できていない。ただし、その判断は基本的に国際政治論や安保政策の問題であって、その判断の適否を法律学の分野でどう取り上げうるかは、それ自体十分な検討を要する困難な問題。政策的判断の適否をどう法的コントロール下に置けるかの問題は、行政法の分野では裁量処分の司法審査の可能性に関して(とりわけ判断過程のコントロールの視覚から)学説判例上議論が進展。かりに憲法学でもこれに類した手続法的アプローチを試みるならば、「ある政治的判断を行うために不可欠の事項について検討・説明を全く行わない(or極めて不十分な)ままに立案されている」場合に、これを法の問題として扱う余地がないか、が検討されるべきである(最大判平成16.1.14補足意見2を参照。おだずま注:参院非拘束名簿式比例代表制の合憲性に関する。立法裁量を尊重する補足意見1に対して、藤田氏を含む補足意見2は立法裁量の適正行使義務を果たさない場合は違憲判断も可能とする)。(変更3)について。この適否が、今回の違憲論議で究極的に重要な問題。政府の新解釈が旧解釈の枠組みを大きく踏み越えるものではない(基本的躯体を残した上での部分的修正に過ぎない)と言えるか否かが問題の枢要。ところで「旧解釈」による自衛権発動の要件について、従来の考え方は、(1)我が国に対する急迫不正の侵害があること。すなわち武力攻撃が発生したこと(2)これを排除するため他の適当な手段が無いこと(3)必要最小限度の実力行使に止まるべきことであり(阪田)、集団的自衛権行使は他国防衛であり、要件(1)「我が国に...」を満たさないとして、憲法9条の下で許される自衛権の行使に当たらないとの論理を採用してきた。安倍政権は、この解釈を修正して、要件を絞った上で集団的自衛権の行使も認められるというものに変更するのであるが、その際、「旧解釈」の変更であることを認めつつ、しかしその大枠から離れるものではない(その基本は踏まえたもの)と説明をしている。その理由は、新解釈の下で容認される集団的自衛権行使は、我が国の平和と安全を守るため必要最小限度に限られるから、という。しかし、要件(3)は武力行使に関わる要件であって、自衛権発動の前提条件に関わる要件ではない(阪田)。従来、集団的自衛権が許されないとされたのは、あくまで要件(1)を満たしていないとの考え方による(阪田)。そこで、自衛権行使が許される場合に関する要件(1)を厳密に考え、1ミリたりとも例外は認められないという考え方を前提とすれば、安倍政権の新解釈がその例外を認めようとするものであった場合には、新旧解釈の間には(量的ではなく)理論的に質的差異が生じていることになる(この点最も明確に指摘は宮崎。集団的自衛権は留保無しに、論理的帰結として否定されてきたとする)。長谷部が新解釈は従来の解釈の枠内では説明できないので許されないというのは、この意味で初めて理解されうる(長谷部の「法的安定性」確保には、先に指摘した点とならび、この意味での法解釈の連続性も含意されていると思われる。内閣法制局OBら(阪田、大森)のいう先に取り上げた主張も、法解釈の連続性という「修正の限界論」の一種とみることもできよう)。以上から、問題は新解釈の量的な連続性(安倍政権)があれば良いか、質的連続性も要するか、の点に帰することになりそうだが、もう1つ看過できないのは、政府与党の新解釈も原則(集団的自衛権行使は許されない)を全否定しているのではなく、ごく限られた例外のケースにおいては可能性も排除されないという論理に立っていることで、これを理論的に質的連続性欠くものと決めつけうるかの問題はなお残されていると思われる。まず、集団的自衛権が国連憲章51条に導入された背景等に照らし、自衛のための権利ではなく暫定的に認められた「同盟による私的解決」に過ぎない(宮崎)ことが前提とされるべき(石川は、同盟政策(集団的自衛権)と安全保障政策(個別的自衛権)とでは規範論理的構造が全く違うと指摘する)。その限りで、両者の大きな違いは否定できないが、「密接な関係にある外国に対する武力攻撃がなされていて実質自国に対する武力攻撃と同じ意味を持つような場合」或いは「引き続き自国に対する武力攻撃が確実である場合」にどう考えれば良いかは非常に微妙な問題である。集団的自衛権違憲説を徹底して貫くならば、これらケースでも先制攻撃にあたる武力行使は絶対に許されない、となろう(高見)。論理的にも実際的にも十分理由があるが、ただその場合にも「先制攻撃」とは何かの問題が残る上に、一般に法解釈論上、ある原則におよそ例外は一切認められないという硬直性を欠いた議論は(おだずま注:ママ。硬直性を貫徹した、或いは、柔軟性を欠いた、と換言すべきか。)むしろ稀有なことである。例えば、公明党は例外の要件を厳しく限定する形で旧解釈の修正を図ったが、一般的にあり得ない訳ではない。元長官の大森も、閣議決定が要件として掲げた「...我が国の存立が脅かされ、国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険がある場合」との要件について、素直に判読するとかなり限定的な表現だと発言している。しかし、例外を認めたとしても、今回の法律は、厳しく絞った筈の要件が実質的に底抜けではないかとの問題が残る。大森は表現上は限定的でありながら(ホムルズ海峡機雷掃海は認められる、自衛隊派遣の地理的制約はない、などの答弁から)新三要件は現実にほとんど制限的作用を果たさないとする。定式化された文言と定式化した政府の意思の間にずれがある(長谷部)ことを問題にする。換言すれば、法律の文言、立法者の意思、背景など、様々な立法事実の何を重視するかの解釈方法論の問題でもあるということだ。例えば、木村草太が、提案者発言から独立して法案文言の緻密な分析が必要との見地から、閣議決定で解釈変更したと説明されることも多いが、それは憲法論的には取り得ない解釈で、あくまで、ある武力行使が個別的自衛権としても集団的自衛権としても国際法上説明可能な場合に限り許されるに過ぎないと理解すべきと主張するのは、一例だろう。(閣議決定や法案の目的は木村の言う範囲に止まるものではない。安倍政権の解釈変更は、従来の政府見解では個別的自衛権しか認められないから解釈を変更したのである。)法解釈論として考えるとき、改正法が集団的自衛権の発動要件とする「存立事態」などの概念が余りにも抽象的すぎて、内閣の裁量判断の余地を広く認め過ぎているように見えることに、どのような規範的意味を与えるかが、何より検討されるべき。意味の確定が不明で無効とされるのは自明だが、有意味な文言で要件効果が定められている場合は単純な問題でない。例えば行政法上、裁量処分に関して法規裁量の概念が学説上生み出されたことからも容易に理解されるが、憲法の分野でも、合憲手限定解釈の手法がある。新三要件が、文言を素直に判読してかなり限定的な表現のはず(大森)と評価しうるものならば、問題は容易でない。法律制定を阻止するための戦略的な違憲論に止まらず、法案成立後に後始末をどうするのかまで視野に入れた場合には、問題は一層複雑となる。この点において、「憲法の枠内での法整備を実現させるには、提案者の発言から独立して、法案の文言を緻密に分析が必要で、そうでなければ実際に自衛隊が活動する段階で政府の勝手な法解釈を許し、法治主義による権力統制を不可能にしてしまうだろう」との木村の指摘は、極めて重要と思われる。6 結びに代えて安倍内閣の政治的な所作に対する怒りや、法制が真に日本の安全保障に必要かどうかの疑問があるとしても、憲法学が法律学であろうとするならば、政治的思いをそのまま違憲の結論に直結させることはむしろ足元を危うくするものであり、憲法学(者)もルールとマナーを踏まえるべきである。憲法学が何に答えており何に答えていないかを整理する作業だけは、誰かがやるべきである。同じ公法学者としてやむにやまれず筆を執った。本稿の公表に際しては、当初は日本法律家協会の「法の支配」に掲載を希望。しかし、現職の裁判官検察官を会員とする協会として当面掲載はできない。元最高裁判事という地位の影響力の強さも考慮された結果という。それでは、日本法律家協会と法の支配が泣く。真に情けない話と言わざるをえない。『自治研究』の寛容さと良心に深く感謝。■関連する過去の記事 安保法制をめぐる立憲主義や違憲の論議を考える(その1)(2016年5月22日) 気仙沼の九条(2015年9月19日)(安保法案成立に寄せて) 新安保法制と憲法学者(2015年6月6日)
2016.05.30
コメント(0)
安保関連法が施行されて2か月近く。この間、以前なら相容れないはずの小林節と樋口陽一の両氏共著の本が話題になったり(新聞に書評があった)、小林氏にいたっては参院選に打って出るという、まさに憲法学者や学界にも大きなうねりが起きているのか、と勝手に感じていた。ところで、安保法制をめぐる憲法学あるいは憲法学者の姿勢という意味では、3月末の読売新聞の特集記事がずっと頭に残っていた。(登場する3氏がみな東北大法学部ゆかりの先生という点も印象深いのだが、そのような側面はまったく別にして、)端的にいえば、学者の良心という意味であるべき姿勢なのではないか、という感覚で受け止めていた。どのような論議だったのか検証してみたく、あらためて新聞縮刷版を読んでみた。概ね次のようなものだ。(当ジャーナルで要約しました。)------------「論点スペシャル」立憲主義とは何か(読売新聞2016年3月30日東京版11ページ)(解題)安保関連法や政府憲法解釈変更を違憲とか立憲主義に反するとする声が今もある。では、そもそも「立憲主義」とは何か。政府の憲法解釈変更は許されないのか。2人の憲法学者に聞いた。■大石眞教授(京都大学大学院)(末尾に笹森春樹編集委員の名がある。聞き手or文責の意か)○ 立憲主義=憲法に則って国政を運営すること。その要素としては、国民権利保障と権力分立が強調されてきたが、現在は、憲法の最高法規性と合憲審査制が加えられることも。○ 安倍内閣の解釈変更を立憲主義に反するという人いるが、(1)およそ憲法解釈の変更が許されないとの議論はありえない。状況変化あれば解釈変わるのは当然(だからこそ判例変更も認められる)。(2)9条に絡むから解釈変更はいけないという人多いが、防衛力や自衛隊を保持しても平和主義の基本原理を捨てるわけではないし、9条解釈には国際的安全保障環境が大きく左右する事実を無視できない。(3)有権解釈権は政治部門の国会や内閣も持つ。法令制定や法案作成するから憲法適合性を判断する権限と義務を持つのは当然で、その解釈の変更もありうる。具体的争訟事件ない限り司法審査行われないから、内閣法制局の解釈が重要な働き。(4)そもそも元の憲法解釈が唯一で正しいという保証はあるのか。この問いかけないのが不思議。○ もちろん、野放図な解釈変更はよくない。国民生活上の予測可能性から、一定の安定は必要。○ また、解釈には一定の作法がある。例えば天皇の国事行為は7条列記以上の拡大解釈は趣旨を損ない許されない。また、どの要素が変わったのでこう解釈変えるときちんと説明が大事。○ こうした作法を守り丁寧な説明で必要な解釈変更を行うのは、むちゃなことではない。特に、防衛や安保は一種の保険。保険は事後に掛けても遅い。事前の手当ては立憲主義を守るならむしろ必要な作業だろう。○ 集団的自衛権行使に関しては憲法は解答を与えていないから、当然に違憲でなく推奨もされない。○ ある時代に作られた憲法があらゆる事を想定し答を書いていると考えるのは無理(だからこそ憲法改正手続に意味ある)。憲法の無謬性や完全性を強調すると、何でも取り込んで解釈しなければいけなくなる。○ 9条の解釈で戦争や侵略の歴史が強調されるのは解釈の作法としてあり得るが、それなら(尚更のこと)、憲法制定当時に意識されていなかった集団的自衛権の問題に、現行憲法が解答を与えているとは言えないというべき。■山元一教授(慶応大学大学院)(末尾に舟槻格致調査研究本部主任研究員の名)○ 国際標準に基づけば、立憲主義=憲法に政治を従わせること。裁判所が憲法違反と判断すれば、政府は政策を諦めるか憲法改正するかだ。○ 憲法改正反対の人たちの間では「どうしても必要なとき以外は改正すべきでない」との意見も。しかし、国際的に仏などそう考えられていないし、立憲主義は特定の政策に反対するために使う概念でない。○ 現在の日本では、立憲主義が統治の品格(政治家がわきまえるべき権力行使への畏怖心をもつこと)のような意味で使われる。例えば、安倍内閣が法制局に勤務経験のない人物を長官にしたのは好ましくないという見方は可能だが、それが法律に反したわけでも立憲主義が崩壊したわけでもない。そんな意味で立憲主義の語を使うと、結局好き嫌いの問題に帰着するから注意すべき。○ 政府の新3要件は少なくとも論理的には成立。ただし、実際に当てはまる事例が起きるかは疑問。9条解釈変更は本当に必要だったのかと思う。今後、選挙や国会審議で争点となり国民の判断を仰ぐことになろう。○ 法律の解釈は親子鑑定のように絶対的ではないが、あまりにはずれた解釈は認められないとの意味で相場観がある。9条に関してはその幅が極めて広い(自衛権すら認めていないという人から、個別的自衛権までは認められる、さらに、集団的自衛権まで全部、核武装も可能、と全く収拾つかない)。残念ながら戦後に防衛政策のコンセンサス得られなかったことに起因。○ だから、9条の議論はどうしても政治性帯びる。9割の憲法学者が違憲と言ったから学理的に違憲という言い回しは妥当と思わない。学説は戦後大きく変容した。自衛隊違憲論が主流 → 政府による合憲との解釈が市民権得た。国民的熟議のたまものとも言われる。日本では解釈変更により合意形成が積み上げられてきたとも言え、多くの憲法学者が個別的自衛権や自衛隊を容認するのは、学者も合意形成のプロセスに参加してきたということだ。現実に対応しながらラジカルでなく緩やかな変化で済ませることも可能になった。これによって自衛隊への信頼が高まり戦後の日本が安定して繁栄したことをプラスに評価しないのはフェアでない。○ 集団的自衛権は戦後発効の国連憲章で弱小国守るために認められた側面あるから、集団的自衛権が認められない世界は恐ろしい面も。そして、その行使を認めることは、憲法をはじめとする戦後レジームからの脱却ではなく、戦後レジームの追求そのものとも言える。■上記2氏の記事に挟まれた格好で、舟槻格致氏の署名の解説記事がある。○ 昨年6月4日衆院憲法審査会で、長谷部教授ら三人が法案を違憲と指摘。長谷部氏は「集団的自衛権の行使が許されるというその点について憲法違反と考える。従来の政府見解の基本的な論理の枠内では説明がつかない」と語った。○ 学界では、集団的自衛権行使を違憲とし、政府が憲法解釈を変えたことを立憲主義に反すると批判する声が強い。○ 一方で、新三要件により厳しく行使を限定したことに一定の評価を示す見解も。元内閣法制局長官の阪田雅裕弁護士。井上武史・九州大準教授。○ 元最高裁判事で行政法権威の藤田宙靖東北大名誉教授が、総合月刊誌「自治研究」2月号に寄稿した論文が関係者で注目されている。論文は、「政府が従来の憲法解釈を変更するのは立憲主義に反するという理屈は、それだけではあまりにも粗雑」との評価を示し、「従来の法制度の運用で処理できる場合には、あえて法改正を求めるのではなく、従来の法規の解釈運用によって済ませるという行政手法は決して珍しくはなく、そのすべてを違法と決めつけることはほとんど不可能」とする。○ 藤田氏は、読売新聞に、「どの党が政権を持っても通用する解釈の議論をしたかった。憲法解釈も法解釈の一つ。議論を通じて憲法学の足腰が鍛えられればいい」と語った。○ 安保関連法制定の背景には、日本の安保環境の悪化がある。多くの国や外交安保の前面に立つ当局者達が法制を支持している。むしろ従来の憲法解釈との整合性を重視したため内容が不十分になったとの意見も多い。国家と国民をタテの関係で捉え、憲法で権力の暴走を防ぐという近代の発想は重要でも、それだけでは現代社会を捉えきれないとの指摘もある。学説は現実にどのように向き合うのか、今後の議論見守りたい。------------大石教授の説明は極めて論理的で、政治的政策的な価値判断を前提とせずに、憲法の存在意義や機能の点から立憲主義の意義と憲法解釈のあり方を説得的に示していると思う。もっとも、集団的自衛権に関して現行憲法が(制定当時から)解答を与えていないという点は、学界では異論が多いのだろう。山元教授の説明は、戦後日本の進路の評価や集団的自衛権の現代史的意味なども取り上げ、その点で「政治」に向き合うようにも感じられるが、防衛政策のあり方を憲法解釈の幅の中で国民的熟議で決めていくべきことは、(これまでのプロセスの評価も含めて)政治のあるべき姿とも重なり首肯されるように思う。また、立憲主義を特定の政策や政治姿勢の好き嫌いのために持ち出すべきでないことは、説得的だ。「政府解釈を変更するから違憲だ」式の議論は、ナンセンスだと思ってはいた。9条を破壊するからいけない、というのも何か教条主義的で、国際情勢や国民生活の現実をあえて考慮しようとしない硬直思考だと感じていた。今回の読売の特集は、憲法の解釈運用の範囲として改正法が許容されることを支持ないし示唆するもので、さらに言えば、舟槻氏の解説も含めて読売の社論を鮮明にしたものとも見られるかも知れない。注目されているという藤田名誉教授の雑誌論文。「自治研究」2月号の冒頭に掲載されている。私も、昨日読んでみた。内容は次回に譲りたいが、熱意や使命感がほとばしる論文で、次のような部分が印象に強く残る。安倍内閣の政治的な所作に対する怒りや、法制が真に日本の安全保障に必要かどうかの疑問があるとしても、憲法学者たとえば長谷部教授が「従来の政府解釈を一内閣が勝手に変更するのは法的安定性を害する」とかする発言に規範論理的な意味があるのか。法律学たるべき以上、憲法学(者)もルールとマナーを踏まえるべきで、憲法学が何に答えており何に答えていないかを整理する作業だけは、誰かがやるべきである。同じ公法学者としてやむにやまれず筆を執った。本稿の公表に際しては、当初は日本法律家協会の「法の支配」に掲載を希望。しかし、現職の裁判官検察官を会員とする協会として当面掲載はできない。元最高裁判事という地位の影響力の強さも考慮された結果という。それでは、日本法律家協会と法の支配が泣く。真に情けない話と言わざるをえない。こんな事が論文の中に、書かれている。大石教授が集団的自衛権について憲法は特定の姿勢を示していないことを指摘して以後、学界から反論がないことなども指摘されていた。山元教授らの学説も登場する。読売が言うように、どれだけ学界の波紋となっているのか解らないが、極めて興味深く重要な一稿であろう。もとより憲法の素養も知識もうすいが、藤田論文の内容についてじっくり考えてみたい。(次回に続く)■関連する過去の記事 気仙沼の九条(2015年9月19日)(安保法案成立に寄せて) 新安保法制と憲法学者(2015年6月6日)
2016.05.22
コメント(0)
大型連休の終盤、5月7日夜の新幹線北上駅付近での人身事故について。人がどのように線路上に立ち入ったのか、そして今後の対策はどうか。続報を調べてみた。北上署の発表として、遺体のDNA鑑定などの結果、足利市の40代男性と判明したこと、引き続き監視カメラ映像を分析して事故と自死の両面で捜査を続けること、が報道されている(14日)。この事故は、人の死亡という重大な問題であると同時に、不特定多数の人々を巻き込む困難な社会的問題でもあると思っている。つまり、大量輸送機関がストップすることによる膨大な不利益を、どのように分配させるのが適正なのかという観点だ。個人の挙動を制止する観点(そしてその対策経費は誰が負担するか)。個人とJRの関係(損害の賠償を遺族に求めるのか)。事業者として何らかの保険制度があるのか。そもそも乗客や出迎えた家族が損をかぶる(つまりJRは払い戻さない)仕組みで良いのか。ザックリと言えば、この手の事故は仕方ないと観念するのか(としても現状のコスト負担で適正なのか)、誰かの負担で対策を追求していくのか、ということにもなる。高速文明の(言い方が昭和チックだが)コスト分担の問題だ。経済学的にはゲーム理論か。法学的には民事法の原理に社会的な観点を入れた立法政策に出るのか。もちろん、社会学的なアプローチもあろう。遅延が頻発して改善運動が生じるようだと、政治過程論的なテーマにもなるかも知れない。まずは、駅構内の管理をどうすべきかという初歩の部分の問題意識から、線路にどう入ったのかの解明状況が報道されるのを見守りたい。コストのかかる対策が求められるのを恐れて、JRは続報を望まないかも知れないが。■関連する過去の記事 東北新幹線事故 続き(2016年5月9日) 東北新幹線が北上で人身事故(2016年5月8日) 昭和58年の東北新幹線小学生死亡事故(2015年1月31日)
2016.05.21
コメント(0)
週末の河北新報に、18歳選挙権の実施に関連して、宮城県教委が県立高校内の取材を規制する通達を出したこと、そしてそれを問題視する論調の記事が出ていた。変だなとまずは感じた。次いで今日(16日)には各紙が報道。昼や夜のNHKTVでは、県教育長のインタビューも含めて全国ニュースとして流れて、驚いた。と同時に、納得できた部分もある。私の場合、何を変だと思い、何を納得したのかというと、規制の是非そのものではなくて、メディアの姿勢だ。まず、河北新報の最初の報道(5月15日が最初だと思われる)は、要点はこうだ。○ 県教委は、生徒に対する校内のメディア取材の規制を求める文書を、10日に県立高校あて送付していた○ 通知では、メディアの取材に対して個人の思想信条や政治課題への賛否などを回答することが生徒にとって過剰な負担となると指摘○ また、学校が特定の生徒を紹介することで、(生徒が)回答せざるを得ない状況を作ることは不適切○ 生徒が校外で政治活動や取材受けることは問題ないとしている○ 識者の声「生徒が政治について発言できる機会を奪うのは問題。教員に規制を迫る内容で、現場の萎縮に。」おかしいと思うのは、生徒の発言を封じる趣旨の通達と記事は言い切っており、「校内では一切メディアに対し回答をしてはならない」=「(校長は)生徒に校内でメディア向けの回答をさせてはならない。すなわち取材させるな。」という趣旨の通達をしたと言いたげだ。しかし、常識的に考えて、一切の学校内の取材をダメという通知は考えられない。この謎は、16日の朝日や読売の記事(いずれも宮城県内だけだろう)で何となく解け、NHKニュースで納得できた。すなわち、両紙の見出しのように、県教委が不適切としたのは「取材対象の生徒を学校が紹介すること」なのだ。NHKで報道しているように、ある報道機関が若者の投票意識を調査するために生徒を紹介するよう学校に求めたのだそうだ。県教委に相談して、仲介は不適切だが、生徒を公募する形なら対応適当、としたものだ。仲介を不適切とする理由は、その生徒が学校の代表となることになり過剰な負担になる、というもの。県教委の判断には理由があると思われるし、学校内の取材を一切禁止という趣旨でもない。趣旨は、生徒を学校が仲介することを不適切としたもののようだ。どうやら、取材対象者を生徒の仲介を学校に頼んだ「報道機関」が、仲介を断られて、意趣返しとばかりに「取材規制だ」と報道したということのようだ。そもそも、取材対象者を学校にあっせんさせること(詳細はわからないが極めて安易の印象受ける)が、客観的で公正な報道をする(と信じたい)メディアのすることかとも感じる。生徒を選ぶならメディア側が、学校側の選択によらず自己責任で選ぶだけの話だろう。その点こそ責められるべきでないか。しかし、最初の報道ではこのことはあえて隠して、虚勢を張っているようにも感じられる。なお、県教委の判断の是非はどうだろう。上に理由があると記したが、実際に考えてみる。先生が、「○○新聞からこんな取材の申し入れがあったから、○○君対応してやってくれないか」と言うとする。その生徒はやる気満々になるかもしれないが、他の生徒や保護者はどう思うだろうか。また、意見の多様性や公平性の担保はだれがどう確保するのか。やっぱり、教育現場の配慮としては、学校側が仲介するのは困難だろう。公募の形も一法だし、教育活動の全体を取材する中で、マスコミが生徒にインタビューする(多様性を客観的に報道するかどうかはマスコミの信用に依拠だが)、などもやり方として考えられるだろう。読売新聞とNHKでは、東北大学の准教授が「取材を受けるかどうかは校長が判断すべきことなのに教委が過剰に介入」「学校にマスコミ来ると萎縮するという判断はわからなくはないが、取材拒否は生徒が表現の機会を失ってしまう。取材を受けるかどうか含めて学校や生徒に委ねるべき」というような趣旨のコメント。正論ではあるが、これも県教委は取材を広汎に規制する趣旨であることを前提にしているようで、多少ズレている。また、規制を極小化すべきという価値判断は、表現の自由や民主主義の実現を踏まえれば当然ではあるのだが、未成年者に対する一定のパターナリズムも必要だ。戦争責任や国旗国歌など、教員の教える自由や生徒の知る権利などをタテにして野放図で無責任な「教育」活動が一部に存在したことを思い出す。選挙権が18歳に引き下げられて、成年制度の再検討の機運もあった。だが、高校生がいまだ未成熟であることは事実だろう。確固たる自己を確立して、すべて自己責任で対応すべし(できる)という人間像を観念するのは、虚構だ。どうしても、流されるとか、暴走するとか、いう面はある。介入や統制ではなく、適切な教育的配慮は常に必要だ。従って、重要なことは、生徒や(未成年である以上)保護者の考えも受け止めながら、学校内での政治教育のあり方や取材に対応する仕方などの調和点を探っていくことだ。東北大学の准教授がいうように、学校の判断、つまり学校毎に異なってももちろん良いと思う。マスコミが取材活動をなるべく自由にすべきことは、現代社会において高次の価値である。萎縮をもたらすような不必要に広汎な規制や、一律的な規制は、すべきでない。それはまず認めなければならない。しかし、それは、マスコミ自身の自由を通じて究極的に国民市民の表現の自由を確保するためだ。決して、マスコミ自身の「取材の段取りのやりやすさ」を保障するのではないだろう。ただし、問題は学校現場のとらえ方にもある。学校長の判断と言われても、新しい事態に直面して何らかの他律的な規準を求める本音もあって、それに県教委が配慮したという実情もあるだろう。学校側では、「校内の取材は一切だめ」と理解している可能性もある。文書にどう書いているのかわからないが、報道では、「校外で生徒の意思で取材を受けるのは構わない」という趣旨の記載はあるようだから、生徒の自主的な意思であっても、「校内」では一律にダメだというように理解されるような内容なのだろうか。(もっとも学校管理者として行きすぎた取材は当然断るべきだが。)
2016.05.16
コメント(0)

しばらく前から洗面台の排水がうまく行かない。U字トラップ部分はこれまでも年に1度程度、はずして掃除していたので、今回もやったが、それでもダメ。一応、ステッキ管もはずして、床下の配管部分にワイヤーをつっこんでゴシゴシしたが、改善しない。家人がさわぐので、天気の良い朝のうちに作業。画像のうち、U字トラップ管をはずして、その先の部分(形状からステッキ管と呼ぶらしい)を抜き出して、屋外の明るい場所で、徹底的に洗浄した。(画像は、わかりやすいようにトラップ部分を、よじって撮影しました。U字の下にちょうど背後のガラス瓶が映っています。なお、U字部分は水漏れ対策として、6年くらい前にホームセンターで購入し交換しています。)ここで、症状を記しておく。洗面台に水がたまってしまい、流れない。3分くらいかけて徐々に吸い込まれていく。最後にはボッボッと気泡が出てくる音が配管内から聞こえてくる。U字管の髪の毛などは除去したし、床下配管にも問題がないとすれば、やはりステッキ管が問題だろう。さて、抜き出したステッキ管に、ワイヤーを入れてみると、ワイヤー自体はすんなり進んでいくのだが、ヘドロのようなものがワイヤーの先にくっついて顔を出してきた。ジャバラになっている管の先からよく覗いてみると、どうも内側に随分付いているようだ。ステッキ管は、U字管と一緒になって全体でS字のトラップを形成しているのだが、水の流れが、2番目のカーブ以降、すなわちステッキ管の区間で詰まってしまい、U字区間を遡って洗面台にまで滞留するのだ。そこで、ステッキ管とワイヤーをもって屋外に移動。庭の放水ホースで管内部にジェット水流を流し込む。ワイヤー君にも働いてもらう。すると、管の先から、管の内径と同じ太さで紫黒色のものが出てくる。チューブから絞り出された感じと言えばいいだろうが、わかりやすく言うと、ウンチが出てくる感じだ。ジャバラのステッキ管が大腸みたいなもので、ジャバラの内壁にくっついて「成長」したのだろう。管内部の黒さが、出口から覗いてほとんど見えなくなるまで洗浄。ステッキ管の水気を取って、屋内に戻り管を連結。やはり排水はスッキリ。元にもどった。なお、しばらくはトラップから水が漏れないか注視したい。(U字の下に、小さなタライを置いてあります。子ども達が幼少の頃に使ったアンパンマンのタライです。)我が家も20年。DIYでやるべきことが色々ある。今回は、20年分の便秘の解消、でした。■編集長の最近のDIY活動です 蛇口のパッキンを交換する(2016年4月30日) ホームタンク設置と銅管接続しました(2015年12月5日) 大震災の日に感じるご支援の絆(2015年3月11日)(台所水道栓カートリッジ交換)
2016.05.15
コメント(0)
中央公論6月号の特集だ。発売日の今日の読売朝刊に出ている。発行部数低迷の同誌を買わせる作戦なのは、見え見えだが、私は学生時代から30年は読んでますけどね。(途中何度も文藝春秋に切り替えようと...)こういったランキングは、順位自体がキャッチーになりすぎて(それを意図している場合が少なくない)、複層的な問題の局面が見失われたりしがちだ。ただし、だからと言ってランキングを止めよというのも筋が違う。数字は客観的事実だからそれを開示すること自体は問題ではなくて、要するに自由で公正な論評がなされることが重要なのだ。(その点で、学力テストの学校や市町村別の結果を出すべきかどうかの議論と同様。私見。)そういえば一昨年、増田グループの消滅自治体ランキングを載せたも、中央公論だったな。それはともかく...全国の二次医療圏別の「がん死亡率」だ。国際医療福祉大学の埴岡教授の名で発表されている。■「全がん」標準化死亡比(その地域の実際の死亡数とその地域の人口構成で死亡発生が全国並みとした場合に見込まれる死亡数の比)のワースト順位男性1 津軽地域(弘前市、黒石市。主な都市を示す。以下同じ)123.42 能代山本 122.53 下北(むつ市)121.54 青森(青森市)121.45 南渡島(函館市)120.66 田川(田川市)120.67 大阪市 120.18 遠紋(紋別市)119.69 釧路 119.210 南檜山 118.613 西北五18 東京区東部22 大館鹿角28 庄内29 堺市女性1 釧路 119.32 大阪市 117.23 田川 115.64 五島 115.05 津軽地域 113.86 熱海伊東7 北九州8 下北9 有明10 湖西11 後志13 西北五16 青森17 東京区東部19 堺市22 東京区中央部23 東京区東北部29 泉州(和泉市)30 札幌都道府県単位では、年齢調整死亡率(年齢構成が異なる集団を比較するために年齢階級別死亡数と年齢階級別人口から算出)が一般に比較に使われるが、二次医療圏では年齢調整死亡率が出ていないため、標準化死亡比を用いたそうだ。全国値が100なので、これらの地域は、全国並みより死亡率が高いということになる。上に見たように、津軽や下北などが登場するのは、医療提供体制の遅れかと直観的に思われるが、しかし大阪市などの大都市部も含まれている。分析では、さらに、がん種別でもワーストが示されており、例えば津軽地域は男性の大腸がんの標準化死亡比が全国で一番高く、胃がんも8番目に高いので、消化器系のがんへの対策が急務であろうとされている。回りより値の悪い、いわばホットスポットとなった地域ではすぐにでも対策を協議せよ、あるいはそのような地域どおしがサミットを開催して対策を練ること、などが提案されている。地域分析から何を学び取るかは、実は難しい。胃がんのデータが有意な地域は、塩分など食生活の見直しが必要だなどということは一応言えそうな気がするが、果たしてどうだろう。例えば罹患後どれだけの年数生存したかというデータ(医療提供体制の充実を示すと考えられる)ならともかく、あるいは、がん検診を受けた場合のがんでの死亡率が減っている(がん予防政策の効果)ならともかく、人は必ず死ぬのだから、その死亡原因として「がん」が少ないということだとして、それだから良かったというのか、あるいは脳卒中や自死が多いからその対策を考えるべきではないのか、という気もする。時間があれば、のちに詳しく考察してみたい。
2016.05.10
コメント(2)
(前日記事 東北新幹線が北上で人身事故 に続きます。)河北新報は、今日(9日)朝刊では、連休終盤に未明までのダイヤ乱れで疲れた乗客の声などをのせている。事故の内容については、岩手日報の報道。北上署への取材で、遺体は成人男性、駅から数百メートル北で見つかったが衝突地点は見分中、事故後にホームで所有者不明のカバン発見、防犯カメラ分析やDNA鑑定を予定。なお、事件性は低いという。なお、河北新報でも、事故についての新しい情報がある。北上署によると、として、午後9時25分頃北上市「大通り1丁目の」を走行していた列車の運転士が異常音に気付き、北上駅から約5キロ北高架上で緊急停止、とあった。停止地点は、昨日の報道(NHK)で「二子町」だ。大通り一丁目とは、北上駅のド真ん前。要するに新幹線の北上駅新幹線構内部分で異音を感じたことを叙述するに際して、何でも客観的な地点を記録する警察らしい地理的表現に変換したのだろうが、ということは、駅構内を通過した際に異常音を聞いたということになる。駅の前後ではなく、構内なのだ。構内通過線だから、夜とはいえ明るかっただろう。しかし300キロ以上だから衝突の対象物じたいは見えなかったかも知れない。事故の生々しさに興味関心を抱くわけではない。運転士が通常の注意で確認できるものかどうか、ということが気になるのだ。本当に異常音がきっかけで、駆動装置や車体のトラブルの可能性から(マニュアルどおり)緊急停止したのだろうか。それとも、構内だから明るくて(何かは判然としないが)何かが見えていて、衝突したという認識はあったから、停止したのか。だとすれば、どのようなケースで緊急停止するマニュアルになっているのだろうかと気になる。いずれにしても、問題は、(かりに願望だったとしてもできる限りの)人命保護とダイヤ混乱の回避のため、なぜ立ち入ったのかの解明と対策が重要だ。対策は難しい。ホームドア設置なども考えられるだろうが、乗り越えるなどの意図的進入を完全に防ぎ切れない。冷静に考えてコストの問題もあろう。運賃増を覚悟するか、ある意味で社会的合意形成の問題とも。
2016.05.09
コメント(0)
昨日(7日)夜9時20分頃に、新函館北斗(秋田)行き下りはやぶさ・こまち33号が異音に気づいて、点検のため緊急停止。北上駅から数百メートルの線路上に遺体があり、列車は駅から約5キロ地点に停止した。北上市二子町の高架上で緊急停止したとNHKは報じている。警察の検証のため、仙台と盛岡の間で上下線が5時間にわたって見合わせとなった。午前2時25分頃に運転再開。遺体は大人と見られるが痛みが激しく、性別年代は不詳という。警察は身元確認とともに、線路内に立ち入った経緯などを調べている(NHKニュース)。乗客(約430人)にけが人はないようだが、新幹線の死亡事故は多くないはずで、人がなぜ入ったか検証と対策をすべきだとか、ダイヤの乱れによる影響とか、報道すべき点は多いと思われたが、朝の河北新報は意外なほど小さい扱い。岩手日報の報道では、JR盛岡支社によると岩手県内での東北新幹線の死亡事故(駅構内を除く)は1985年9月に盛岡新花巻間で保線作業員2人が死亡した事故以来とのことである。また、この人身事故では下り1本が運休、上下8本が最大5時間の遅れで、1250人に影響した。岩手放送のニュースでは、警察は北上駅構内またはその付近で通過中の新幹線にはねられたと見ている、と報道している。■関連する過去の記事 昭和58年の東北新幹線小学生死亡事故(2015年1月31日)さて、警察やJR東日本がなぜ人が線路内に入ったのかなどを解明するのを待ちたいが、素人考えで推察するに、投身願望であったとすれば、北上駅のホームから人目を忍んで線路内に立ち入ってやや盛岡方面に歩いて待っていたのだろうか。北上駅に停車する新幹線下りは、21時台は21時20分着で24分発のはやぶさ103号のみだ。ここで4分間と長い時間停車するのは、ちょうどその間に本線を、昨夜の事故に関係したはやぶさ・こまち33号が通過するからだろう。はやぶさ103号の乗降のタイミングに合わせてホーム北端から侵入したとも考えられる。あるいは、はやぶさ103号に乗ってきたのかも知れない。待ち合わせ列車があったことを考えるならば、投身願望もありうるが、転落事故も考えられなくはない。構内で衝突したと見られるとする報道もある。北上駅は開業当時からの駅なので、ホームと離した通過線があるかわりに、新花巻駅のようなホームドアがないのだろう。ところで、人身事故は多くないと書いたが、よく言われる新幹線の安全神話は、列車運転そのものに起因する死亡事故がないことを指しており、つまりは脱線とか衝突とかだろう。線路内に立ち入った人の死亡や、作業員がひかれる事故、あるいは車内での事件などはこれまでにも起きてきた。1995年には三島駅ホームに降りていた乗客が、出発した列車ドアに手を挟まれた状態で転落死亡。これが運行に関係する乗客死亡の最初のケースとされている。東北新幹線では「乗客の死亡事故」としては、昭和58年古川駅での事故(上記の記事)が最初とされている。
2016.05.08
コメント(1)
伊達政宗には、伊達家の系図に記載された子として10男4女がある。うち、十男で多田氏側室との間に生まれたのが伊達兵部宗勝(1621-78)である。政宗50代半ばの子ということになり、最初の子である長男秀宗(宇和島藩主、1591-1658)とは30年の年齢差であり、第二代仙台藩主となる次男忠宗(1599-1658)との間も20年以上離れている。のちに一関藩主となる宗勝だが、その墓は高知市の吸江(きゅうこう)寺にあるという。なぜか。忠宗死によりその子の3代綱宗が次ぐ(1658年)が、不作法により21歳で隠居(1660年)となり、綱宗嫡男で2歳の綱村が家督を相続。この間、宗勝は領地一関を分知されて立藩し(1660年)、田村宗良(忠宗三男、62年岩沼藩主)とともに後見役にあたっているが、長年の家臣の間の対立を背景として、宗勝の専横を訴え出た場での寛文事件(1671年)が発生。一関藩は改易の処分を受ける。遊興にふける3代綱宗には厳しく諌言したが聞き入れられず、伊達家と姻戚関係にある大名や幕府老中と相談して隠居に追い込む。しかし、綱村の代になると実権を掌握して、家中を我がままにしようとした、というのが一般的な宗勝の評であろう。山本周五郎の作では、伊達安芸に斬りかかった原田甲斐は、宗勝一派としての怨恨や評定の不利を理由に行動に出たのではなく、老中酒井雅楽頭と兵部の間で交わされた仙台藩解体の計画から仙台藩を守る忠義の臣であった。伊達の関係者達を死に向けたのは、密約の露呈を恐れた雅楽頭の仕向けである、としている。いずれにしても、兵部宗勝は権勢欲にかられた悪者と見られているだろう。一関藩のあった当の一関地方としても、藩主といえば、後で入った田村氏が連想されて、一関の町や学問奨励の気風を形作ったとして顕彰されているような気がする。伊達兵部宗勝のことは話題に上らない、いや、悪役の歴史をあえて語ろうとしない風潮があるようにも思われる。高知市の公式サイト(高知市指定史跡 昭和42年 伊達兵部宗勝墓 高知市五台山)には、このような説明がある。騒動の責任を問われた兵部は土佐藩山内家預かりとなる。延宝7年(1679)に58歳で死去。(吸江はギュウコウと読むようだ。)■関連する過去の記事 江戸時代のビッグな御家騒動(2011年11月6日)(伊達騒動) 天下の三大お家騒動(2011年11月3日)(伊達騒動)
2016.05.07
コメント(0)

長井線は楽しい。市役所すぐわきのホームや住宅地真ん中のおりはた駅ホームは面白いし、乗っていても街並み、建物、田畑をまじかに感じることができる。踏切に興味をもったので、いくつか紹介する。まずは起点赤湯駅から最初の踏切。第一長井街道踏切。JRと一緒の踏切のためか、踏切名の表示板も新しい。R113蒲生田交差点から北に折れて入ったところの第2長井街道踏切。踏切北側から、南陽市役所方面を撮影。この踏切は、すぐ県道赤湯宮内線(小滝街道)につながり、丁字路にはセブンイレブンがある。宮内地区ではいくつか踏切を見てまわった。市街地の中を単線で縫う鉄路が面白くて、ついつい捜索してみたのだ。セブンイレブンから県道を少しだけ北に進み、旧道に入ってから西に向かおうとすると、「桜田踏切」に出る。赤湯駅から数えると第2長井街道踏切の次になろう。宮内駅南にある南陽高校や変電所から見ると、東に向かった場所の踏切だ。その次に位置するのが、第1宮内踏切。変電所角から北上すると登場。宮内の市街地の側から見れば、交流プラザ蔵楽の東口に面した道につながっている。(車で通れるものとしては)宮内駅の東の最寄りの踏切。宮内駅の西は、第4宮内踏切と表示されていた。住宅の立ち並ぶエリアだ。第1と第4とあるから、間に踏切がある、若しくはあった、のだろう。車道踏切としては、宮内駅の東西はこの2つの踏切が最寄りだが、さらに、人が通れるものがあるのかも知れない。宮内駅の正面(北側)からやや東寄りは、狭い道路が入り組んでいるようで、人の通る通路が遮断機もない踏切として機能していたのではないだろうか。さて、次に西に位置するのは第2池黒踏切だ。宮内と漆山(西宮内)の市街地に挟まれて畑や果樹園が広がるエリアだ。鉄道をまたいで歩いて農作業をしている人がいた。第2と称するからには、第1がある(あった)はずだ。地図でみると、第4宮内踏切との中間地点にクロスするように通路があるようにも見えるが、工場があって進むことはできなかった。次に訪れたのは、第2漆山踏切。住宅が立ち並ぶ場所で、おりはた駅のホームに続いている。狭い道の下をくぐって水路が走っていて、水の音が響いている。街を作る際に先人が苦労して水を引いたのであろう。かつて商店だったと思われる建物脇から、「おりはた駅」ホームに上がってみた。ホームに沿った長い屋根付き待合室があってこれまた長いベンチ。なお、ホームの出入口はほかにはなかった。昨日乗ったフラワー長井線の列車の中に、線路の歴史が書いていたが、この駅はかつて西宮内駅として設けられたと書いていたように記憶。この第2漆山と、先ほど訪れた第2池黒の間には、第何池黒や第1漆山がある(あった)ことになる。いったんR113に出たので立ち入らなかったのだが、地図では織機川そばに遮断機のある踏切もあるようだ。ところで、なぜ踏切に関心を持ったかに触れておく。上の最初の画像にあるように、「第何長井街道踏切」をみて、田名部のことを思い出したのだ。■関連する過去の記事 第一田名部小学校、第一川内小学校、第一田名部街道踏切(2013年7月5日)ひょっとして、この地は、下北に並ぶ「第N+地域名」の文化の地か、などと早とちり。「第何田名部小学校」とは違い、第何○○(街道)踏切とか、第何○○トンネルは全く普通の呼称法だろう。それに気づいてからは、宮内地区の楽しい踏切探訪に切り替えたのだった。
2016.05.04
コメント(0)

国道113号を西へ。「道の駅いいで」の交差点から北に折れて、椿の市街地を経由し、役場を左手に過ごして、農道を一路走り、散居集落の展望台をめざす。開拓地と思われる台地の水田地帯を進むと、辻に小さな標識があって左に小径を入る。ホトケヤマなる場所のようだが、お堂もあるようだ。駐車場に留めると、先に来ていた一台から降りてきた方が、展望台なら車で入っていけますよと教えてくれた。整備された段を駆け上がって展望台に登りつくと、誰もいなかった。宝くじで整備されたらしい新しい四阿があった。(一枚目は左手。長井市寄りを望む。)(二枚目はその右手に続く方向。地図でいうと萩生地区だろうか。)朝に赤湯を出るときは深い霧に覆われていたが、この時間には晴れ上がって気温も20度を越えていた。とはいえ、遠望した先は多少モヤがかかったようで見えにくい。展望台から降りる途中でもう一枚。
2016.05.04
コメント(0)

日本三熊野の一つ。東北の伊勢と呼ばれ、再建1200年の歴史を誇る。風情のある宮内地区の道を折れ曲がって、石畳の広くて長い参道(宮前通り)は、車で進んで行ける。大社すぐ下に駐車場。幹回りの太い立派な杉が林立する中の石段を駆け上がると、本殿が見える。朝早かったが、すでに境内には十数名の客。本殿裏側の彫刻には、三羽のウサギが隠し彫りされているという。凝視したが、一羽しか見えなかった。願は叶わない。宮内は、かなり集積した市街地で、伝統をつたえる町並みもすばらしい。明治22年町村制で郡内では唯一の町になっているようだから、東置賜郡役所は高畠にあったというが、市街地の集積は抜群だったのだろう。南陽なる市名から想像していたが、赤湯の駅前に説明版があったように、昭和42年の合併で、中国の故事から新命名されたものだ。宮内と赤湯が双方譲らなかったと推察される。市役所の位置も中間に置かれたのだろう。遡れば、奥羽本線駅の位置や長井線のルートなども地元の政治問題だったのかも知れない。宮内地区は、熊野大社の宮町という賑わいがあったろうが、製糸業なども盛んで、地域の商工業の中心だったと思われる。宮前通りを進むと、大社の手前に役場庁舎のような建物がある。南陽市役所が昭和57年に現在地にできるまでは、合併後の市役所として使われたようだ。また、南陽高校は平成3年創立だが、その以前は県立宮内高校が町の北側の方にあったようだ。
2016.05.04
コメント(0)
きのう運行が始まった。1週6分間で400円。初日は2666人が楽しんだ。則本投手も乗ったそうだ。今朝の新聞によると、昨年8月閉園の仙台ハイランドの名物だった観覧車を生まれ変わらせたという。当時のアルバイトだった方が紙面に登場。ハイランド閉園のあと海外に転売される話があったが、球団が買い取った。広島県の工場で再整備、塗装。ゴンドラと駆動装置は新品とのこと。つまりは転用するのは骨材部分ということか。ハイランドは、懐かしい施設だ。調べたら、私が数度訪れた時代には仙台ハイランドと改称していたはずだが、なぜか「西」仙台ハイランドと呼んでしまいたくなる。仙山線の駅もなくなった。
2016.05.04
コメント(0)

夕方6時ごろ長井駅に着いて、町歩きをする。車は走っているが、あまり人が歩いていない。駅前も寂しかった。駅前の通りをさっそく歩き出すと、右側に、見えた。けん玉の町長井の「スパイク」だ。長井線に乗って長井の町を訪ねようと考えて実行に移した今日だったが、それまで色々と長井に関して興味を持ってきたはずなのに、けん玉プロジェクトのことを自分でも忘れていた。青い看板が、雷鳴のように気づかせてくれた。さっそく中に入ると、女性の方が忙しそうに片づけをしている。もう時間が過ぎましたか、と問うと、御自身はけん玉関係ではない、けん玉の担当者は帰っているらしい。構わないだろうか、聞くのも申し訳ない気がしつつも、中を数分見させていただいた。けん玉の展示、実演コーナー、競技の解説、顔出しパネルなど。長井の中心部の町歩きはおもしろかった。市役所、病院、グンゼ、など。市役所向かいの駐車場には、山形交通のバスが留まっていた。山形行きのようだ。荒砥を通り、小滝峠を経由して行くのだろうか。暗くなってからは高校や警察署の方にまで歩いてしまって、南長井駅を過ぎてしまったことに気がつかず、コンビニで聞いてあわてて戻った。
2016.05.03
コメント(0)

赤湯駅から17時08分発の列車に乗ろうとホームで待つと、到着した2両編成の列車から、高校生らしき数名が降りてくる。また、関東方面から観光に来た女性達だろうか、車体のもっちぃのイラストを気に入っていたようで、ホームに降りたってしばらく見とれたり、撮影したりしていた。(画像を撮った際に女性が写りこんでしまいました。すみません。)さて、私は車窓の景色を眺めていた。建物や畑などがすぐそばを流れていく。宮内駅では南陽高校だろう、高校生が大挙して乗ってきた。今泉駅で米坂線に乗り換える人、また米沢方面から来るのか乗り移ってくる学生が若干。多くの乗客は南長井駅や長井駅まで行くようだった。長井駅で降りて、町歩きをして、最後の赤湯行きである20時08分発電車に南長井駅から乗り込んで戻ったのだった。夜の南長井駅には、女子高校生が2人だけ。一人はホームに腰掛けて足をレールの上に投げ出して待っている。やがて初夏の暗闇にカンカンと警報機が鳴り出すと、長井駅からやってくる列車のライトが見えてくる。すると、長井高校の生徒だろう、ガヤガヤと田んぼ脇の道を歩いてホームに上がってくる。時間感覚も手慣れたものだ。■関連する過去の記事 日本最古の荒砥鉄橋(2011年2月13日)
2016.05.03
コメント(0)

先月ブログに書いたように、本当に伊佐沢小学校の校庭に続く一角にあり、周囲には木道。トイレもあった。花は過ぎていて、長井市と書かれたトラックで乗り付けた人たちが、期間中の設営物の撤去作業をしていた。■関連する過去の記事 日本三大桜 長井市伊佐沢の久保桜(2016年4月11日)小学校のすぐ脇は、最上川の支流が大きくえぐったような段丘になっていて、久保桜は段丘の反対側の県道方向を臨むような位置になっている。写真は小学校側から撮ったが、中央に久保桜、遠方は川向かいの県道など(解りにくいですが)。静かな風景だった。
2016.05.03
コメント(0)

昨日は午前中に仕事を片づけて、思い立って山形をめざし、昼過ぎには南陽市赤湯に居た。もう15年ほど前だろうか、瀧波さんに泊まって、宮内の夕鶴の里や高畠に足を伸ばした。子もまだ小さくて、記憶にないだろう。市営の公衆浴場がいくつかあると聞いていたが、早速「あずま湯」に出くわした。ちょうど1時から始まっているようなので、100円で入浴する。やや肌寒い日だったのに、車に戻ってみると、すっかり体が中から温まっていた。その後、宮内や長井市の久保桜などをめぐって、再び赤湯温泉に戻り、4時頃に今度は「えぼしの湯」におじゃまする。どちらもそうだが、地元の常連さんの様なご老人を中心としながらも、連休利用の観光客のような人もいて、意外と混雑していた。自分にとっては非日常のひとときだが、地域の人には日常の生活だろう。まだまだ日は高い。仙台と置賜は近いな、などと実感。
2016.05.03
コメント(0)
従来言われる経緯は(貞山公治家記録)、天正18年(1590)4月5日、会津黒川城内の母義姫の館で、小田原の陣立ちの祝いに招かれた政宗が、母の用意した膳に箸を付けたところたちまち腹痛、急ぎ自分の館で投薬を受けて一名を取り留めた。政宗は、母が弟小次郎に家を継がせようとしたこと、背後に母の実家最上家の陰謀があることを感じ取り、7日に小次郎と傳役の小原縫殿助を手打ちにする。不憫だが母を手にかけるわけにはいかないためである。その晩、義姫は兄である山形城主最上義光のもとに逃げる。母や最上家の陰謀説に対して、政宗が弟擁立派を一掃するために仕組んだ一人芝居との説もある(海音寺潮五郎)。17年前〔おだずま注:出典の下記2014年の文献の表現のまま〕に、貞山公治家記録の誤りを正す決定的な史料が発見された。岩出山の虎哉和尚が京都にいた政宗大叔父の大有和尚に当てた文禄3年(1594)11月27日の手紙(仙台市博物館保管)。虎哉は、義姫が同月4日夜に岩出山城を出て最上氏のもと出奔したと伝えている。天正18年4月7日夜とされた従来説が否定されたのである。母は事件後も4年間、政宗とともに米沢を経て岩出山と、一緒に生活したことが明らかになった。この間、母子は音信を交わしている。文禄2年に朝鮮の陣中から母に宛てた手紙も含まれる。このことから、貞山公治家記録の他の部分も疑う必要がある。母が毒を盛ったとするなら、その後の音信も理解に苦しむ。小次郎を殺害したのも本当か疑問がわく。正史として母と最上の関わりを強く印象づける作為ではなかったか。小次郎の生存説がある。東京都あきる野市横沢の真言宗金色山吉祥院大悲願寺には、元和8年(1622)8月21日付けで政宗が13代住職海誉上人に当てた書状(白萩文書)が伝えられている。政宗が以前訪問した際に印象を受けた白萩の株分けを所望したものである。ところで海誉上人の弟子で後に15代住職となる法印秀雄(しゅうゆう)がいるが、寺の記録では政宗の弟とされており、政宗が寺を訪れたのも弟に会うためだったと伝えられる。白萩文書の包み紙には、秀雄が輝宗の末子で政宗の弟、幼名鶴若と称したと記されている。24代住職如環の書という。寺に伝わる金色山過去帳(東京都指定文化財)には、秀雄の没した寛永19年7月26日の条に、俗生は伊達大膳大夫輝宗の二男、陸奥守政宗の舎弟なり、とある。さらに過去帳には、政宗が没したとき、住職であった秀雄が兄の回向を執り行ったと記されている。直後に、秀雄は大悲願寺を去って中野の真言宗宝仙寺に移り、第14代住職を務める。秀雄については伊達家の系図や記録にはいっさい出てこない。輝宗の異腹の落胤とする説(五日市町史)もあるが、大悲願寺の過去帳のように小次郎の可能性があるのでないか。貞山公治家記録の記述は見直しが必要であり、もし政宗が小次郎を殺していたなら、その後の母との間の情愛あふれる手紙のやり取りは理解に苦しむ。小次郎殺害は、政宗と母義姫の共謀による偽装と考えられる〔おだずま注:出典文献の佐藤氏の見解〕。もちろん、母による政宗毒殺未遂も存在しない。当時、政宗には実子がまだなく(秀宗誕生は翌年)、命を懸けた小田原参陣を前に、血統を絶やしかねない弟殺害は考えにくい。手打ちにしたことにして密かに逃し、小原縫殿助に託したと考えられないか。とすると、なぜ事件から4年後に母は岩出山から山形に出奔したのか。また、小次郎処分をめぐって政宗と母の間で、どう話し合われたのか。最上氏に逃げ帰った母が、最上家の改易にともない仙台に身を寄せることとなり、政宗と再会するのは28年後の元和8年(1622)である。貞山公治家記録の付録の中に、毒殺未遂事件の直後に政宗が茂庭綱元に事件の経緯を知らせる手紙があり、政宗は、毒を盛ったのは母と思われ、背後に弟を擁立する勢力があり、弟に罪はないが家内が二分するおそれがあるため、やむを得ず弟を手討ちにしたこと、母の命に別状ないよう願うこと、このようなことは自分の口から言えないのでそなたが斟酌して良いと思うことは世間へくどき広めてほしいとしている。この手紙を見る限りでは、母は自分が悪者になることを了解していたと考える他はない。世間にくどき広めよとの政宗の意向は、政宗が岩出山城を留守に京都や朝鮮に行っている間に徐々に噂となって広まったと考えられる。伊達成実の成実記にも噂が家臣に広まったことを窺わせる記述がある。覚悟したとはいえ、日々大きくなる周囲の疑惑に耐えきれなくなって母は逃げ帰ったのでないか。あるいは、山形に逃げることが噂を自ら肯定する最良の方法と考えたかも知れない。28年ぶりに仙台で再会した2人の心中はどうか。当時の贈答歌から想像すると、母の返歌には、政宗の母としての誇りも感じられる。仙台に移った9か月後、元和9年7月16日に母は76歳で亡くなる。■佐藤憲一『伊達政宗謎解き散歩』(KADOKAWA新人物文庫、2014年)を読んで記しました。■関連する過去の記事 再び政宗毒殺未遂事件を考える(07年10月12日) 政宗毒殺未遂事件を考える(07年6月28日)
2016.05.02
コメント(0)
全18件 (18件中 1-18件目)
1