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昨日NHKのニュースを聴いていたら、栗原市で軽トラックがトンネルの入り口に衝突して、運転していた方が亡くなったという。トンネルの幅が車一台分で狭いということだが、気になったのは、栗原市瀬峰新田沢という場所の説明だったが、あの辺りに「トンネル」はあっただろうか。トンネル事故というと、天井板落下や壁の崩落、あるいは換気の問題などの安全性が問われてきた。それほど長大トンネルが瀬峰にあるはずはなく、今回は入り口というから、道路の構造上の問題や誘導や案内標識に欠点はなかったのだろうか。瀬峰といえば、中心部の中学校や県立病院などは確かにうず高い場所にあり、南に行けば渡辺採種場などがある丘陵の美しい田園地帯。また北には東北新生園付近のなだらかな丘陵が広がる。しかし、道路にトンネルを掘るほどの場所はあっただろうか。東北本線は瀬峰駅の北で切り通しになっており、長沼や佐沼に至る県道はこれをオーバーパスする。■関連する過去の記事 我らが準秘境駅 梅ヶ沢駅(2011年8月14日)今朝の河北新報の記事。見出しは、「高架下の壁に衝突、軽トラックの男性死亡」とあり、JR東北本線高架下のコンクリート壁に衝突したという。栗原市瀬峰新田沢の市道。見通しの良い直線道路という。なるほど。市道が線路のガード下をくぐる場所なのだろう。確かに地図で見ると、上述の県道のオーバーパス(サンドビックや介護施設のあるあたりが新田沢というようだが、それよりやや南(瀬峰駅方向)で、土地が低くなっている場所で市道が線路をアンダーパスするようだ。五輪堂山公園にやや近い。そして、道路の幅員に対して、ガード下部分は狭くなっているように見える。高架下の許容幅以上に道路を拡幅した経緯があるのだろう。対向車があるときは、手前で待たねばならないようだ。さて、これをトンネルというだろうか。いわゆるボックスカルバートで形成されたアンダーパスのようだ。東北本線は土盛りされた上を走っており、道路との交差部分だけは土盛り部分の代わりにカルバートの上を線路が走り、カルバートの中が道路だ。たしかに、内部から見れば、両端以外は密閉された空間であって、幼児ならトンネルと言うかも知れない。よく「ガード下」という場合は、典型的には鉄道の高架橋梁の下を指しており、橋の金属構造物を天井に仰ぐような場合だろう。ガタガタと鉄道の音が響いてくるイメージだ。カルバートの密閉空間まで、「ガード(下)」と呼んで良いかどうかは微妙な気もする。それにしても、(大人が)「トンネル」と呼ぶにはやはり隔たりがあるように思われる。トンネルというからには、どうしても、自然の山をくり抜いたり、地下を潜行する場合だと思う。今回のように、人工構造物による立体交差に過ぎず、距離の点でも数メートルしかないものは、トンネルというべきではないと思う。事故の社会的影響の点からしても、道路構造の問題や運転上の事情などが検証されるべき可能性があるが、その意味でも、(通常の)トンネルの場合と一緒にはできないだろう。たぶん、NHKのライターは、消防か警察から取材した情報で、そのままトンネルと流したのでないか。高架、ガード、トンネル、アンダーパス、などなど様々な表現が考えられるが、たまたま取材源の人物がトンネルと表現して、ライターは(通常のトンネルを想起しつつ)トンネルと書いたのでないだろうか。かりに現場を見ていたら、ライター氏自身がトンネルと書いたかどうか。これも想像だが、土地勘がなくて、気にも留めなかったのだろう。せめて地図くらい確認する想像力が欲しいと言いたいが。なお、今日は日曜で時間があって図書館で各紙を読んでみた。朝日や毎日には出ていないが、読売の県内面にはこうあった。(見出し)軽トラが壁に衝突/運転の85歳死亡(現場の表現)JR東北線の下をくぐるトンネル入り口の壁に衝突した...読売の場合は、東北線の下をくぐる、としているからイメージが具体的にわく。本来「トンネル」は一定の長さを伴うものだとしても、「鉄道の下をくぐる」だけの、トンネルみたいなやつのことだな、と合点がいく。「アンダーパス」では解らない読者もいるだろうし、都市部のような橋梁ではないから「高架下」もピッタリ来ない、ということで、こういう表現にしたのだろうと推察。
2016.07.31
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相模原市の障害者施設津久井やまゆり園の事件で、神奈川県警は被害者の名前を公表しない方針を貫いている。これに対して、新聞メディアは批判をしている。例えば、産経「主張」では、なぜ新聞が実名発表を求めるかを説明している。その論理は、こうだ。●報道側が求めるのは実名報道ではなく、実名の開示だ。●実名報道の当否は取材の結果で決める。●取材ができなければ真実に一歩も近づけない。●個人情報保護法は報道目的の提供は適用除外とする。だから、同法を根拠とする被害者実名非公表は、誤りだ。●メディアスクラムに批判があり、反省すべき点もあるが、取材をやめるわけには行かない。その基本論理は、「まず公開せよ」、しかも(報道の当否は自分たちが決めるというのだから)一般向けにでなく報道機関に対して公開せよということだ。そして、報道の当否は、新聞みずからが決めるという。それは形式としては当然のことだが、しかし、メディアが「正しい」判断のできる神様だとは、どれだけ読者や国民が思っているだろうか。本当に報道するべきと新聞社が考えているなら、すでに名前くらいは情報持っているだろう。警察が公開するかしないかは、何も関係ないはずだ。自分たちの報道(あるいは報道の是非の判断)が阻害されていると言いながら、実際は「警察が公表した」という事実の形で報道したいだけではないのか。(さらに言えば、事件の真実を報道するに際して「実名」が必須なのかどうか。仮名のルポなどで問題を訴えることは、メディアがよくやるだろう。告発者の利益を守るために仮名が許されるとして、不幸にして亡くなった被害者は実名しかないのか。それはおかしいだろう。このあたりの説明がメディア側から行われていないのが不思議だ。)さらに、産経の論理では、警察がの実名非開示によって、(報道を阻害するのみならず)取材活動じたいができなくなっている、と訴えたいようだ。これも奇妙なことだ。どこに取材の自主性や報道の責任があるというのか。昔のことだが、私も個人情報を扱う立場でマスコミ対応で苦慮したことは多い。あの時の記者の言葉が忘れられない。匿名とする理由などを何度も何度も聞かれた後に、記者はこう言う。「公開しないのはおかしい。報道するかどうかはこちらで判断することだ。」「それは●●(個人名)だろう。皆言っているよ。」被害者が特定されないために匿名が必要なケースとしていたが、絶対の自信はなかった。今なら判断は違うかも知れない。ただ、この記者に対しては、だったら自分の責任で報道したらいいじゃないか、と内心思ったものだ。もちろん、この新聞社も実名報道はしなかったが。真実の報道の自由、読者や国民の知る権利、などと言いながら、その実態は自分たちが楽をするためと責任転嫁。そんな浅ましい姿が、浮き上がってくる。今回の神奈川県警の方針は、その是非について議論はあるだろうが、私自身は誤ってはいないと思う。犯罪被害者の配慮は、たしかにこれまで軽視されていた。障害者だからという点が特に考慮されたとされており、この点についても、障害者もひとしく命の重さは同じだし、差別的扱いはあってはならないが、そのことと被害者側への配慮は全く別の話だ。もちろん、いくら家族の意向があっても、開示すべき場合はあるだろう。だが、警察は真実の捜査とマスコミへの材料提供だけが任務ではない。被害者への適切な配慮も、責任ある行政活動の一部とみるべきだろう。マスコミが自分たちに都合悪くなることを嫌うのは、わかる。しかし、誤解を恐れずに言えば、警察の情報取扱方針くらいで、取材や報道ができないなんてことはないだろう。真実報道の名の下に小さなことにケチつけるよりは、犯罪被害者と報道の問題をみずから解説したり読者・国民の意識を探るなど、もちろん警察の対応を徹底論議してもいいのだが、そのようなことに、それこそ真の自主性や責任を発揮して欲しい。■関連する過去の記事 石巻殺傷事件の実名報道を考える(続)(2016年6月25日) 石巻殺傷事件の実名報道を考える(2016年6月16日)
2016.07.30
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どうも引っかかっていることがある。新聞が政治や政治家をどう評論するか。もちろん自由で良くて、なにも形式上の公平性を常に重視しろと考えているわけではない。しかし、仮にも米国大統領選挙で二大政党の一の候補者に指名されようとする人物やその陣営を、あからさまに非難するような論陣を展開している事実に、やや大げさに言えば、愕然とした。7月22日の読売新聞「編集手帳」だった。その大要はこんな感じだ。「政府が何をしてくれるかではなく、自分たちが何をできるかを考えよ」とは、ケネディの演説と思われているが実は29代ハーディング大統領の演説。ケネディが盗用したかはともかく、拝借したい誘惑を起こす名言だったろう。トランプ候補の妻が党大会で行った演説が盗用と判明して、陣営が謝罪。文章を書くことを「ものす」というが、「に」を加えた「ものにする」(盗用)はダメだ。「に」の字を、"暴言"三昧でここまで来た夫君に進呈する。その人が11月の本選後に謳うのが「がい歌」でなく、「に」を加えた「苦い歌」になるよう祈りを込めて。「に」の有無をモチーフとした言葉のシャレも、美しくもなくウィットも効いていない。そして、何より、敗戦すれば良いさ、自業自得だとばかり、ケチをつけた物言いで、たいへん品が悪い。大新聞の論説委員がこんなこと書くのだろうか。わざと悪文をものしたとも思えるような、文章作法の下品さとは別に、その政治的な反響の狙いも重大だろう。他国のこととはいえ、これから国民の審判を受けようとする一方勢力を落とそうとしている、つまりは、読売としてはトランプが当選しない方がいい、と言ったに等しいのだから。まさに、ペンによる政治そのものだ。何らかの配慮か圧力か。昨年の今頃は、一過性のブームであって党の指名を受けるはずはないというのが、評論家の相場だった。しかし、指名を受けた。読売直系の中央公論は8月号でトランプ現象を特集している。だいたい、「世界を蝕むポピュリズムと排外主義」と煽動的に銘打っているあたりが、悪と決めつけているのだが、この中で大変面白かったのは、トランプを支持する複数の人物の談が載っていることだ。このあたりは、ジャーナリズムの良心か。これによると、トランプは法外なことをぶち挙げているようだが、実業者としてのキャリアにおいて発言は一貫しており、現実主義的でもある。外交政策などの発言の過激さは、指名を得るまでの周到な作戦という面もある。そもそも氏は酒もたばこもやらない。節度と丁寧さを備えた好人物との評がある。グレン・フクシマ氏は、日米のビジネス文化の違いから、米国の日本に対する見方は、好意的と否定的の両極端に分かれて中間がないと指摘する。日本相手に成功した人と、苦杯をなめた人に分かれるのだ。そして、日本はアメリカから一方的に恩恵を受けているとか、日本の繁栄が米国の雇用を奪う、あるいは自国に不利な通商を導く米国内の政治リーダーが無能だなどと、わかりやすい図式に衆人の関心が寄せ集まっていく。予測不可能の語でくくられるトランプ氏の存在だが、躍進の先には、一皮もフタ皮もむけてバランスのとれた見事な政策を提示する時がやってくるのかも知れない。ヒラリーが安泰とは決して言えない。まさに、予測できない。それにしても、どうして読売「編集手帳」はああなのだろう。ポピュリズムに自ら飛び込んだような書き方。読者は、トランプをこき下ろす薄っぺらで一時的な快楽?よりも、なぜアメリカは選択肢としてトランプを選び出そうとしているのか、選挙の論点はどうか、日本にどう影響するのか、などを知りたいだろう。教養ある我が国が世界に誇る大新聞。盗用はけしからん、選挙にまけやがれ、などと小学生の喧嘩のあとの悪態のような「社論」でいいのだろうか。苦々しく思った国民は、私だけか。
2016.07.28
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■前回(仙台厚生病院が市議を提訴した件について考える)に続く河北新報の独自取材と書いたが、翌日(23日)の読売と更にその次の日(24日)の朝日のそれぞれ県内面に出ていた。● 読売 都計審での発言「評価低下」/厚生会が仙台市議提訴● 朝日 「名誉毀損発言」仙台市議を提訴/仙台厚生病院運営法人いずれも、直接市議にあたったのだろうが、市議のコメントも掲載して双方に配慮した形。例えば朝日新聞は、言論の自由に軸足を置くかとも想像したが、そうでもない。とりあえず、「特落ち」というほどではないにしても、仙台市民の知る病院だし雨宮地区再開発は関心が高いから、報道だけはしておくという程度の感覚だろうか。朝日新聞は、日曜の紙面を埋めた事情もあってか、提訴したというだけで、日付を明記していない。これから、背景を巡る解説記事や、市長定例会見で質問するなど、問題をどうメディアが切っていくのか、多少関心を持っている。もっとも、前回書いたように、提訴のような足引っ張りよりも、雨宮地区をどう再開発するのか、医療と福祉の施設とはどのようなものか、そのような「前向き」な論議を本当は期待するのだが。
2016.07.25
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数日前の河北新報に出ていた記事だ。他のメディアでは報道されていないようなので、河北の独自取材、つまりは、厚生病院から河北新報に持ちかけたネタだろうと読める。記事の概要はこんなものだ。・仙台厚生病院の母体である厚生会は、仙台市都市計画審議会委員の斎藤範夫市議に慰謝料を求めて提訴した。・また、これに先立ち、名誉毀損罪で県警に告訴を行った。・厚生会は、東北大学農学部キャンパス移転後の再開発に関して、イオンモールと連携して厚生病院を移転整備することとなっている。・この土地利用を審議した今年2月の審議会の場で、斎藤市議が、厚生会は県内の医療界に混乱をもたらした、ダッチロールをする問題ある団体だ、という趣旨の発言をしたという。・厚生会としては、この斎藤市議発言が、同会の医学部構想が場当たり的で一方的に撤退したとかのような発言であり、社会的評価を低下させるものだとする。・なお、斎藤市議コメント。審議には実現可能性に言及する必要ある。法的手段に訴えるのは、他の委員や他の審議会にも萎縮の悪影響ある。農学部移転後の再開発に関しては、すでに土地を東北大学の落札で7者のうちイオンが220億円で落札しており(2014年1月)、イオンの土地利用の計画では、全体10haのうち、西側の4ha余りを医療福祉エリアとする。ちなみに、東半分は、商業系と住宅エリア(北側)となる。おそらく、計画は淡々と進んでいるのだろう。2017年度中に農学部施設が解体されてイオンに土地が引き渡されるのだそうだ。仙台厚生病院は手狭で老朽化していることもあり、移転新築は厚生会としても宿願というところではないだろうか。斎藤市議の発言を、仙台市公式サイトの都市計画審議会議事録(第192回、2月3日)で読んでみた。担当課長の説明のあとで最初に発言している。(当ジャーナルで要約)・地区計画決定にあたっては、その実現可能性が重要な視点だ。・病院開設にあたっては医療法上の許可が必要だが、県や市に確認しても厚生会の話はないという。・より具体的に説明できないのか。(担当課長から、土地利用の制限を議論するのもので、特定の施設の協議状況などはわからない、との趣旨。)・それで良いのか。仙台は病床過剰地域だし、どんな医療施設か、福祉もあるいうがどのような施設か、それが示されないと判断できない。(担当課長から。決定を持って建築物の内容が定まり、実際に協議ができる状態になるもの。)・まず地区計画を決定してくれと言うのでは審議にならない。(医療法上の)許認可監督官庁に話もない状態で審議できない。(担当局長から。用途地域としては第二種住居地域で今でも病院はできる。さらに、地区計画によってこれ以外のものはできないようにするという趣旨だ。医療法との関係では、まず土地利用が先で、手続面では問題はない。)・医療法の許可が前提と言っているのではなく、どのような施設が検討されているのかを判断に際して確認したいのだ。単に厚生病院の移転だというだけで判断できない。・厚生会は医学部新設構想と関わっていた。当初は東北福祉大学と連携して構想され、今審議の場所を検討した。一転して栗原市と一緒にやろうとして、当地は医療センターともされた。そして実現が難しくなったと構想を撤回しており、ここ数年宮城県の医療関係で大変混乱をもたらしている。ダッチロールを繰り返して今に至る非常に問題のある団体だ。今移転と言うが本当に可能か大変疑問だ。この程度の話で実現性は判断できない。このほか、委員からは、交通渋滞、景観などの質問。病院の全面移転の実現可否についての質疑もあった。終盤で、会長から、斎藤委員の疑問を再び取り上げて「今日決めないとどうなるのか」と問われて担当課長が、「これが決まらないと施設設計が進まない。また、イオンが大学から土地を取得しているので時期までに事業を進めなければならない制約がある」と説明。これに対して、斎藤市議は、しっかりした材料を提供して次回の5月の会議で決めても影響はないのでないかと発言。担当局長は、逆に3か月で具体的な許可の見通しは立たない、今が最善の時期だと説明。まず、本日採決することについて、挙手採決で賛成多数。次いで、賛否の採決の前に、会長が意見を促す。まず、斎藤市議が、判断材料不足で反対と表明。他の委員から、個別の個人や法人について踏み込んで審議するのかの確認や(これを会長は否と説明)、意見書の扱いはどうするのかの確認もあった。木村委員からは、厚生病院の移転については聞かれれば情報が小出しに出ている状態で、わかることわからないことを最初から説明するのが基本でないか、との意見。採決は多数決で承認。斎藤市議の求めで反対者2名(斎藤市議、男澤委員)を議事録に記載している。斎藤市議の意見は、市民感覚的にはもっともだという気はする。ただし、仙台市の都市計画当局が説明するように、都市計画審議会の場においては、(事業者や当局がもつ情報は極力適時に提出されるべきだということは当然としても)移転の可能性や施設内容の詳細の点は、制度的に論議されるべき必須の事項とまでは言えないということなのだろう。しかし、奇妙なのは、厚生会の対応だ。公の論議なのだから、さまざまな意見があって良い。かりに斎藤氏の言い方が気にくわないとしても、その「言葉狩り」をするよりも、「医療法上の課題は現在こう考えている、当局には事前にこう説明している、見通しはこうだ」などと説明するのが先だろう。医療を提供する社会的存在として、何より患者さん達や地域住民のために、そうあるべきだ。新しく医療福祉の施設を形成するというのだから、市民や県民にその概要や手順を語るべきことは、なおさらではないか。あるいは、斎藤市議との間に何らかの経緯があるのか。いずれにしても、提訴とは異常だ。政治家が公正な論評を心がけることは当然だが、この程度の発言であれば、自由な論評の保障が優先して当然だ。河北新報の報道の仕方は、あくまで事実だけの形で、厚生病院の訴えに理があるとも、斎藤市議の萎縮効果の反論に理があるとも言っていない。ただし、提訴したことを見出しに掲げてややセンセーション感を醸し出したのは、関係の深い厚生病院への一応の配慮だろうか。東日本大震災のちょっと前に、仙台厚生病院は東北福祉大学と連携した医学部構想を打ち出した。震災の後で、河北新報は、東北再生に向けた3分野11項目の提言の一環として、医学部構想を取り上げた。地域重視、臨床重視という厚生病院サイドの「理念」に河北新報社が共鳴、追随した形だ。厚生病院が医学部を公言した頃には、すでに東北薬科大学(現在の東北医科薬科大学)は医学部設置に向けて準備を進めており、その実現可能性はともかく、医学教育界や病院関係者では周知のことのようだったが、薬科大学はあくまで周到に実現のためのステップを進めようとしていたのだろう。その後、厚生病院側は、表面的には突然のようにみえる構想の撤回。東北福祉大学の側に課題があったと言ったり、今度は東北学院大学との関係が言われたり、栗原市が出てきたり、実態はよくわからないが、とにかく迷走だと言われても仕方ない印象はある。事態はさらに混迷して、厚生病院の断念を受けた形で、急に宮城県が県立大学方式で設置を表明。なお、この直後に厚生病院の土地と建物が民間会社に売却されたことが、後に報道でわかっている。医学部新設の方は、郡山市に本拠をおく医療機関も構想を提出して、結局は、これらと薬科大学の三者の応募主体のうちから、文部科学省の審査会によって薬科大学が選定されたのが、2年前のことだ。振り返ってみれば、西高東低の医師養成や充足の状況の中で、根強く伏在した仙台・東北への医学部増設論議(反対論や慎重論もあったろうが)が、大震災を機に現実のものとして滑り出した。岩盤規制に風穴を開けたのは、村井宮城県知事や関係国会議員らによる政治の力が大きいと評したいが、東北の声を形成・喚起した河北新報の役割も重要だったと思われる。厚生会は、医学部構想と断念についてどう公に説明したのか、何らかの報道はあったかも知れないが、あまり記憶がない。迷走を指摘されて過剰に反応するよりも、「ダッチロールではない」というなら経緯や理由などを説明することが大事だろう。迷走かどうかの評価は、市民県民が行うものだ。今回の件は、あまり気持ちの良い話ではない。足引っ張りの仙台文化が、またぞろ発露しているようで。何と後ろ向きなことか。
2016.07.23
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午後はふらりとイーグルスの2軍の試合(対DeNA)を見に。夏空の下、利府球場は満員だった。ボブさん川井の好投で6回無失点。打線では、まず2番ジャフェット・アマダー。とにかく大きい。防具を入れたアンパイヤかアメフトの選手、いやそれより太いだろうか。そして、3打席連続で引っ張ってレフト方向に鋭いヒット。1番松井稼頭央さんは、初回ヒットで出てアマダー安打でホームインしたほか、相手の守備が乱れて2ど出塁。5回は、やはりアマダーの2塁打で一気に1塁からホームに走るなど、活躍を見せてくれた。同様に1軍復帰が待たれる嶋は7番で先発だが、打撃の方は併殺と邪飛で、6回から川本に交替。そのほか、福田、哲朗、内田、中川、岩崎など、ファームの良さだろうが、肉声の聞こえるほどの眼前でみることができて良かった。目立ったのは、8号となる2点本塁打でパワーを見せつけた内田。そして、8回に声援の中代打で登場してみごとにダメ押しの2号本塁打の栗原だ。
2016.07.18
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定員が1に減って現職2人の決戦となった、わが宮城選挙区。若い自民現職が押し切るか、知名度の高い民進現職が野党統一の力で逃げ切るか。現職梅雨明け前の熱戦。結果は、民進候補の勝利。だいぶ水をあけた。事前評では、民進が先行、共産などの野党の助勢も効果が生じているなどと伝えられたが、一時的には自民公明中心に保守系組織がテコ入れで、横一線とされた。しかるに、事後のマスコミ評では、民進候補の逃げ切りには終盤のフル回転と巧妙な共産色隠しがあったとか、自民の敗退には、候補者自身の浸透の薄さや組織のバラバラ感など、「やっぱり」感が出ている。結果をみて書ける要因を探す式の論評のようにも思えるが、いずれにしても、接戦だったことは間違いない。1週間たったが、ここで当ジャーナルとしても振り返ってみたい。■宮城県選挙区 投票率(%)県計52.39(前回50.75)市区町村別 最高七ヶ宿町69.84 最低南三陸町46.61(投票者数1,020,380 投票総数1,020,370 有効投票数998,847(無効21,523))■同 得票数桜井充 民進党 510,450くまがい大 自由民主党 469,268他に1人あり■比例代表 投票率(%)県計 52.38(前回50.75)(投票者数1,020,293 投票総数1,020,276 有効投票数980,294(無効39,982))■同 得票数(得票総数、得票率)1 自由民主党 359,528 36.68(得票数のうち政党等273049 名簿登載者86479)2 民進党 248,990 25.40(政党等200119 名簿登載者48871)3 公明党 131,545 13.42(政党等52776 名簿登載者78769)4 日本共産党 97,890 9.99(政党等92055 名簿登載者5835)5 おおさか維新の会 38,950 3.976 社会民主党 35,483 3.627 生活の党と山本太郎となかまたち 22,363 2.288 日本のこころを大切にする党 11,685 1.199 支持政党なし 10,363 1.0610 新党改革 9,218 0.9411 国民怒りの声 7,525 0.7712 幸福実現党 6,743 0.69単純にいえば、100万人のうち、比例で自民と公明に投票したのが50万人。これに対して、民進、共産、社民の計は、40万人に満たない。比例では、自民、公明、維新などに入れている層が、選挙区では桜井に投じた行動が少なくなかったと言えるのではないか。〔仮説1〕別の見方。共産支持層が野党共闘で桜井に入れたと考えて良いだろうが、もし共闘なかりせば、熊谷がトップになったという可能性はたしかにある。〔仮説2〕この仮説を検証するには、客観データを集めなければならない。(前回との変動を動態比較することも有用かも知れないが、まずは、)市区町村別の投票結果をクロスセクションで比較することになる。■以下はまもなく記します(現在作成中)
2016.07.16
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戦前の仙台で最も広い道路は、市電循環線の走る南町通。それでも幅員23mに過ぎなかった。終戦の年の暮れに県土木部に復興建設課が置かれ、素案が短期間で策定される。事業は仙台市建設部に移されるが、すでに県の素案で、青葉通、広瀬通、晩翠通、東二番丁通などの広い道路や、県庁前、駅前、西公園などの公園構想が含まれていたという。東一番丁は、8mから15mに拡張する案に商店の反対もあった。最後まで意見が分かれたのは、復興事業の目玉である青葉通と広瀬通の2本の幹線道路のどちらをより広くするか。当初は、区画整理で全く新しくできる青葉通は、駅前で切れるが、将来を考えると駅東に連動する広瀬通を広くという考えで、復興院(のち建設省)は、予算の関係から、50m道路は広瀬通ではなく、青葉通の駅前から東二番丁通までとの意向が示されたが、結局は、東二番丁通以西の青葉通と広瀬通全部は、ともに50mから36mに縮小された。公園緑地帯は、予算の関係で14か所から9か所に削られた。惜しいのは、市役所前から広瀬川まで、幅60mの緑地帯を設けて、勾当台と西公園を結ぶ広大な緑地構想が実現しなかったこと。ただし、幅4mの定禅寺通の中に12m幅の緑地帯が設けられた。青葉通や広瀬通の名称は本来の名とは別の愛称。新憲法公布を記念して河北新報社が、戦災復興事業の代表である、2つの道路と2つの公園の愛称を募集した。6000通を上回る応募があって、青葉通、広瀬通、西公園、中央公園(勾当台公園)と決まる。事業は昭和35年に完了するが、その間、街路樹はどう選ばれたのかとか、駅前の青葉通の「直曲論争」、それに(ご破算になったが)仙台駅舎を160m後退させて駅前を広げる計画などが論議を呼んだ。司馬遼太郎は、仙台と横浜は戦災復興事業が全国的にもてもうまく行った方だという友人の解釈を紹介している。いずれも、超法規的な権力をもった米軍の進駐期間が長く、不法建築や不法占拠者の一掃が進んだというのだ。例えば、仙台の裏五番丁(日之出会館付近)は、不法建築とヤミ商売が横行したが(東北の上海)、武装警官やMPも動員して仙台市が強制立ち退きを行った。仙台は米軍が昭和32年まで駐留した。■石澤友隆『流行歌「ミス・仙台」-郷土・仙台の近現代史散歩-』河北新報社、2005年 を参考にしました。
2016.07.12
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