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スイスの旅三日目の午後は、クライネ・シャイデックから小雨の中ショートハイキングコースを続ける、ここのお花畑には前回の2001年6月にも訪問しているが、その時の天気は最高であった。平成26年7月22日(火) 15:00ファルボーデン湖から更に登り、アイガーグレッチャーのお花畑へ。雨も降ったりやんだりでどうにかもち、助かるリンドウ科の「コッホ・エンツィアン」ツツジ科の「アルペンローゼ」ダクテュロリザ・マヤリス:ラン科アンテュッリス・ウルネラリア:マメ科アルプス・アネモネ:キンポウゲ科霧の中にお花畑が広がる上には氷河が迫っているピュテウマ・オルビクラレ:キキョウ科以下の写真4枚は、2001年6月撮影したものです。アイガーをバックにブルーが鮮やかなリンドウメンヒ下の氷河。時々轟音と共に崩れ落ちていたこの写真は2001年6月撮影あれから19年経った現在、氷河はどのあたりまで後退しているのかユングフラウ鉄道の登山鉄道をバックに今回の旅の写真は雨に濡れてリンドウ科ラン科の1種黄色トリカブト雫が着いた花毛ナデシコ科の1種サクシフラガ・パニクラタ:ユキノシタ科マツムシソウの仲間:マツムシソウ科リンドウとサクラソウサクラソウ科の1種残雪が残るが山は見えずこの方向の上にはメンヒが見えるのだが。ここまで小雨が降ったりしていたが風がなかったのが幸いであった15:46山の上に、アイガーグレッチャー駅がある。天気が良ければ登って行けば眺望が最高なのだがチョウノスケソウ:バラ科黒キャベツの球左側の黒い花で、保護植物指定!マンテマの1種:ナデシコ科チシマゲンゲ:マメ科ダクテュロリザ・マヤリス:ラン科黄色のアンテュッリス・ウルネラリア:マメ科と・・・・・黄色のアンテュッリス・ウルネラリアと紫色のバルツィア・アルピナスミレ科の1種アルニカ・モンタナ:キク科キク科の1種の「アルパイン・ムーン・デイジー?」イブキトラノオ:タデ科スミレ科の1種16:16ファルボーデン湖へ戻る。湖畔の左奥に小さな教会に似た建物があるが、内部では代表的なアイガーの登拳のルートを紹介展示している。アイガーやメンヒが湖面に映るミラーレイクとして観光客とハイカーの人気を集めている。正面にあるアイガーは霧の中湖畔にある、この看板は何を説明しているのか!いろんな花が咲いているがハマカンザシの1種:イソマツ科16:26クライネ・シャイデック駅は霧の中16:40クライネ・シャイデック駅そばのホテル登山列車はユングフラウヨッホから下山してきた。小雨の中約3時間のトレッキングであったが、風もなく寒くなかったのが幸いであった左側の時刻表は「jungfraujoch」方面、我々は「Lauterbrunnen」方面へ乗車。17:01発へ乗車することにする。最終電車を確認してじっくりトレッキングできるのがよい17:20車中から、ウェンゲンの町を見下ろす17:59ウェンゲン駅前へ到着町中には土産物店があり、ウインドーショッピングしながらホテルへ戻る。また、夕食も各自でする必要があるので夕食を購入ウェンゲンには約1,300人の居住者がおり、夏は5,000人、冬は10,000人に膨れ上がる店先のフラワーボックスに飾られた花ゼラニウムも軒下からぶら下がり木造のホテルが立ち並ぶカフェ、レストランもツアー仲間から紹介され、ここでお土産用のチーズを購入した。日本に比べて安かったので、3種類のチーズを300g、200g、200gと購入したが 21.8 SFr.18:26宿泊ホテルの「ビクトリア・ラウバーホルン」18:26ホテル前の庭にはバラが咲きスイス三日目の歩行数は、15,000歩でした。 スイスの旅-続く
2020.08.31
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スイスの旅三日目ミューレンからウェンゲンへ戻り、午後は自由行動でクライネ・シャイデックから雨の中「ショートハイキングコース」へ。平成26年7月22日(火) 11:36ミューレン駅構内ミューレンの街並みホテルの場所が記されていた今回見れなかったが左から、アイガー(3970m)、メンヒ(4107m)、ユングフラウ(4158m)ユングフラウヨッホにある『スフィンクス展望台』、後方にアレッチ氷河。ここへは最初のスイス旅行で行っているので、今回の午後のOPツアーには参加せず。OPツアーは『ユングフラウヨッホ・スフィンクス展望台観光(夕食付)』33,000円と高価BLM(ベルク)鉄道車内から、ベルナー・オーバーラント三山は最後まで雲に隠れ見えず12:06グリュッチアルプからロープウェイで下るラウターブルンネンの家並み12:12ロープウェイのラウターブルンネンへ到着12:21登山鉄道のラウターブルンネン駅へ移動。駅の前方に豪快に落下する『シュタウプバッハの滝』が見えるインターラーケン・オスト(東)駅行きの列車が出る12:30この登山鉄道に乗車する。急勾配を上るのでアプト式になっている駅を出るとすぐに『シュタウプバッハの滝』ラウターブルンネンの谷にはさまざまな大きさの滝が約70本あるが、なかでもこの滝は落差約300mでヨーロッパでは第2の規模を誇るミューレン方面からの雪解け水が垂直に落ちる美しい姿は、町のどこからでも眺められる登山鉄道は大きく曲がり、先程のグリュッチアルプへのロープウェイが見える登山鉄道は急勾配を上り眼下に『シュタウプバッハの滝』が見える。右崖上はミューレンで、正面の山の頂上にはまだ雲12:47ウェンゲン駅へ到着。ここで午前中のツアーは終了して解散、午後は自由行動に。駅には「k:kiosk」の看板乗車してきた登山列車がクライネ・シャイデックへ次の列車 13:24に乗車することに乗車券は、ウエンゲン ⇔ クライネ・シャイデックを購入 二人 86 SFr.駅横の広場、時間があるので昼食をとることに近くのコンビニで食料を調達して駅横で食べる13:24クライネ・シャイデックへの列車内から先程のロープウェイの頂上駅グリュッチアルプをズームアップ標高1275mのウェンゲン駅ラウターブルンネンの谷の上に位置するウェンゲンは、ユングフラウを美しく見渡せる小さな村霧の合間からメンヒ下の氷河をズームアップアルメントフーベル展望台、ケーブルカー、BLM(ベルク)鉄道のミューレン駅を見下ろす13:51クライネ・シャイデック駅へ到着、標高2061m 気温は10℃。ユングフラウヨッホ(Jungfraujoch)行きホームユングフラウ地方を代表するビューポイント、ユングフラウ登山観光に際して、ラウターブルンネン経由の西回り・グリンデルワルト経由の東回りルートの登山電車が合流する地点を指す。「小さな峠」が、クライネ・シャイデックの語源。天気が良ければ、アイガー、メンヒ、ユングフラウの三山が並ぶ壮大な景観が広がる自由時間は「アイガーグレッチャー ⇒ クライネ・シャイデック」のショートハイキングコースのトレッキングに。クライネ・シャイデック駅を見下ろす。左方向が、ラウターブルンネン、右方向がグリンデルワルトへと下るこのコースは、アイガーグレッチャー駅の前にアイガーの氷河が迫るコース。気軽に歩けながらも雄大な景色を満喫できる。アイガーグレッチャー駅の周辺と尾根からクライネ・シャイデックへ下りる牧草地には花々が咲き誇る。ナデシコ系の1種小雨の中、アイガーグレッチャー駅へ緩い坂道を上る。花の名前がわからず図鑑からだが?コース脇には高山植物が咲く。リンドウ科の「コッホ・エンツィアン」。スイスアルプスの代表的な3つの花のひとつで、高山の草原に咲く、花の長さは4~5cm。代表的な3つの花は他に、「アルペンローゼ」、「エーデルワイス」があるツツジ科の「アルペンローゼ」。これも3つの花のひとつで、標高1500~3000の斜面に群生している。雨に濡れて鮮やかに咲いていた雲の下にクライネ・シャイデック駅スイス2回目(2001年6月撮影)の時もこの辺りをトレッキングしたが、その時は天気が良くアイガー、メンヒ、ユングフラウの三山が良く見えたラウターブルンネン方面から登山電車が登って来る。線路沿いの牧草地には牛が放牧されているクライネ・シャイデック駅下の線路は、ユングフラウ鉄道で、標高3454mのユングフラウヨッホ駅へ上る岩場に咲く、リンドウ科の「コッホ・エンツィアン」ヒメハギの仲間:ヒメハギ科タイムの1種:シソ科キク科系の1種リンドウ系の1種14:44ファルボーデン湖ユングフラウ鉄道の登山鉄道は急な斜面へと。アイガーグレッチャー駅はこの上にあり、駅から先はトンネルになり標高3454mのユングフラウヨッホ駅へと登る。ユングフラウヨッホ駅からの下山時に、クライネ・シャイデック駅の一つ手前のアイガーグレッチャー駅で下車してショートハイキングコースをトレッキングする。この上のアイガーグレッチャー駅の標高は、2320m前回、2001年6月撮影。左から、アイガー、メンヒユングフラウヨッホ駅、アイガーグレッチャー駅からの登山電車が下って来る橙色の作業着を着た作業員が山肌に。ここから急斜面を登るとアイガーグレッチャー駅がある。線路はアプト式ファルボーデン湖は天気の良い日はコバルトブルーの湖。この湖は一見美しいオアシスのように見えるが、実は冬のスキーシーズンに人工雪をつくるために設置された貯水湖ファルボーデン湖から更に登りお花畑へ。リュウキンカの1種:キンポウゲ科、がきれいに咲いていたこの写真も前回の写真です。西洋キンバイ(シナノキンバイの仲間):キンポウゲ科紫は、バルツィア・アルピナ:ゴマノハグサ科アザミ系の1種14:58花をバックにアイガーを撮影したかったがイブキトラノオ:タデ科 スイスの旅ー続く
2020.08.30
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スイスの旅三日目。今日も残念ながら朝から天気は雨模様。午前中はツアーだが午後はOPツアー or 自由行動で、我々は自由行動でお花畑を選択。平成26年7月22日(火) 8:14宿泊したウェンゲンはラウターブルンネンの谷の上に位置する小さな村で、ユングフラウを美しく見渡せる。谷の逆斜面にあるミューレンからは、アイガー、メンヒ、ユングフラウの三山が望める。これから午前中のツアーで向かい側のミュ-レンへ行く8:31ホテルで朝食後、小雨の中ホテルを出発8:52ウェンゲン駅にて。前回の13年前は少なかったが中国人観光客も多くなったクライネ・シャイデック方面の登山鉄道線路は急斜面でアプト式9:21ウェンゲン駅から、昨夜バスで着いたラウターブルンネン駅へ下る。標高1275mのウェンゲンから標高797mのラウターブルンネン駅へ。ラウターブルンネンは登山鉄道の乗り換え駅になっている谷間の町である。アルメントフーベルへはここからロープウェイでグリュッチアルプへ上る所要時間であろうか9:35ラウターブルンネンからロープウェイで標高1481mのグリュッチアルプへ。ここから、BLM(ベルク)鉄道でミューレンへ小雨の中電車は、ミューレンへ、線路沿いには放牧された牛。ミューレンはスイス二度目の時(2001年6月)に3連泊してトレッキングした懐かしい場所標高1500m辺りから見下ろす9:41途中、ヴィンターレック駅ですれちがう。ここで途中下車すれば、氷河によって削られたU字谷の美しい姿やラウターブルンネンの村が一望できる。また鉄道路線に平行するハイキングコースからユングフラウ三山の絶景が楽しめる9:50標高1634mにあるミューレン駅。ミューレンは、スイスのベルナー・オーバーランドにある伝統的なウァルザーの山村で公道は通じていない。年間通じて観光客が訪れ、村の周囲に聳えるアイガー、メンヒ、ユングフラウの3つの山の視界が有名である。村の人口は450人で、2,000人分の宿泊施設があるミューレン駅近くからアイガー方向前方斜面に、アルメントフーベルへのケーブルカーこの設備は何であったか?ケーブルカーで上るが展望台も雨であろう道端に「エーデルワイス」の大株エーデルワイスは純白の美しい花を咲かせる、スイスアルプスの妖精。エーデルワイスの花言葉は「初恋の感動」「大切な思い出」。キク科ウスユキソウ属のエーデルワイス。ウスユキソウ属は世界に30種類ほどあるようで、ヨーロッパでは1種類しか咲かないと10:00ケーブルカーのミューレン駅10:30頂上駅アルメントフーベルは標高1907m。ここから「メルヘンハイキングコース」になっており、天気が良ければ、谷をはさんでユングフラウ、メンヒ、アイガーが連なる景観が広がるコース小雨の中展望台へ、道端には花が咲き誇る露に濡れたキキョウ科の花アルメントフーベル駅を見下ろす雲海も、小雨の中、傘をさして撮影いろんな高山植物が咲く天気がよければ山々も見れ最高なのだがシルトホルン(2967m)へのロープウェイ展望台の遊技場雨の中、高山植物は目を楽しませてくれた残雪が残る山々、頂上は雲に隠れアルメントフーベルの山道からの三山。前回は毎日天気が良く、自由時間でトレッキングしたが三山がよく見えた(2001年6月撮影)。左から、アイガー(3970m)、メンヒ(4107m)、ユングフラウ(4158m)天気が良ければこのような光景が見えたのだが。前回のトレッキングでの写真、アルメントフーベルの牧草地からの三山10:54天気が悪く約30分の散策で、アルメントフーベル頂上駅へ戻る11:00ケーブルカーでミューレン駅へ下りる山小屋風の家が並ぶミューレン年間を通じて観光客が多く訪れ、2,000人分の宿泊施設がある家々は花で飾りヤナギランも咲き誇る19年前に来た時3連泊した、アルペンホテルもあった家畜の水吞場11:15シルトホルンへのロープウェイ乗り場。アルプスの壮麗な眺望が楽しめるシルトホルン山頂の展望台からは、ユングフラウの三名山をはじめ、スイスアルプスからフランス、ドイツまで四方に広がる200峰を超える山々が見渡せる。また007映画の舞台でもある回転レストラン「ピッツ・グロリア」があるシルトホルン観光は今回のツアーではコース外。天気が良ければ午後の自由時間に上る人もいたのであろうが前回来た時、シルトホルンから撮影した写真を二枚(2001年6月撮影)左から、アイガー(3970m)、メンヒ(4107m)、ユングフラウ(4158m)。左下には岩の上に「ビルク展望台(2677m)」が見える標高2967mの雪の中でロープウェイ乗り場から引き返す街角でいろんな果物を売っていた天気が悪く心配そうな添乗員の庄司さん教会も建つ軒下に薪が積まれアルメントフーベルへのケーブルカーを振り返るシルトホルンからのロープウェイ。ミューレンの下の谷に、シュテッヘルベルク乗り場がある谷をはさんだユングフラウ方向11:36外装工事中のミューレン駅 スイスの旅ー続く
2020.08.29
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スイスの旅二日目ルツェルンの市内散策後、途中昼食をとりベルンへ。スイスで最も軍事力のある州として君臨してきたベルンは、1848年スイス連邦の首都となった。その歴史の重みは、ユネスコの「世界遺産」にも指定された旧市街の街並みに感じられる。平成26年7月21日(月) 14:44高速道路を走りベルンへ15:27高速道路沿いの鉄道と田園風景15:35グランドでは子供たちがサッカー15:40ベルンへ到着『バラ公園』へ旧市街からニーデック橋を渡り左に折れると、小高い丘の上にバラ公園がある。その名の通りのバラが多い公園で、花の見頃は5~6月。旧市街の眺望を楽しむビューポイントであるバラ公園からのベルン旧市街アルプスから流れ出た清冽なアーレ川が大きくⅤ字に湾曲して、半島のように旧市街を取り囲む。市街を少し外れれば、豊かな緑が広がる自然環境もベルンの魅力。学園都市でもあり、博物館、美術館も多い。旧市街は1983年に世界遺産に登録された旧市街にある大聖堂の尖塔バラ公園入口にある「ニーデック橋」、右側が旧市街下流側の「コルンハウス橋」バラ公園内には約220種類のバラが咲き誇るしばしバラを追う15:51バラ公園から旧市街を見ながらバラを楽しんだ16:03道路標識インターラーケンまでは約40kmベルンの町を歩いていると、どうも気になることがある。熊のぬいぐるみに、熊のチョコレート熊模様の小物・・・と、「熊グッズ」がやたらショーウインド―に目立つのだ。町を見まわせばそのほかにも熊のオブジェがゴロゴロ。頭上に目をやれば、トラムの架線にまで熊が。ベルン州の旗にも熊が描かれている。因みにドイツのベルリンは「小熊」。トロリーバスの架線で熊飾りが綱渡りアルプスから流れ出たアーレ川の上流側。川の左側が『熊壕』ベルンの象徴は熊。深い壕があり覗き込むと中に熊。1994年に新しくなったという彼らの「家」は、プールもあって住み心地が良さそうだ毎年4月ごろには、その年に生まれた子熊がデビュー、市民の前にお目見えする16:16ニーデック橋を渡り世界遺産の「旧市街」へ入る。トロリーバスの架線旧市街の散策小雨の中、傘をさして右の「バラ公園」から下り左方向の「時計塔」へ巡る旧市街はトロリ―バスが走る16:24グレヒティッヒカイト通りベルン市内には100を超える噴水があり、なかでも有名なのが11基のルネサンス様式の噴水。噴水の上には、イスラエルの英雄サムソンやモーゼといった伝説の人物の像が据えられている前方に、噴水、『時計塔』が見える、人力車正義の女神の噴水目隠しをしているのは、先入観を持たず公平な目でものを見よという意味ビルの壁には飾りが他のビルの壁にもクラム通りは、ベルンのメインストリートで道の両側に石造りのアーケードが連なる。ここにも噴水モーゼの噴水「十戒」の銘版を手にしたモーゼは旧約聖書の予言者として知られている人物大聖堂スイスで最も高い100mの尖塔があり、1421年に着工された後期ゴシック様式の大聖堂で完成したのは1893年正面玄関上部には16世紀、エルハルト・キュング作の「最後の晩餐」の聖像(コピー)がある聖堂への入場は無料で、尖塔へは3Sfr.。尖塔からはベルンの旧市街が一望できる絶好のポイントベルンの町を築いた王様(ツェーリンゲン家ベルヒトルト公爵)が、最初の猟でしとめた動物が熊だった。王様は最初にしとめた動物を町の名前にしようと決めていた。それでベルンという名前になったと。熊とは、ドイツ語でベールベルンの旧市街は石造りのアーケードが連なる商店街が名物。デパートもファッションブティックも古風な同じ造りの建物の中に収まっている。なかでもユニークなのが、半地下に設けられた店舗。この入り口は、はて?アーケードの外側、道路に面して斜めにドアーがついた入口がある。階段を下りると、そこが店。秘密めいた雰囲気を生かしてか、個性的なブティックや画廊、小劇場やライブハウスなどに使われているところが多い。穴ぐらに入っていくような、ちょっと不思議な構造だアーケードの商店街にはスイーツもサムソンの噴水ライオンの口をこじ開けている巨人。戦争で活躍した男たちの力強さを象徴するもの時計塔はベルンの旧市街のシンボル的な存在。17時にからくり人形が動くと、手前に「ツェーリンゲンの噴水」ツェーリンゲンの噴水甲冑をつけた熊の兵士。ベルンの創始者であるツェーリンゲン家を象徴しているクラム通りを振り返る。噴水は約100m毎に存在する16:45クラム通りの時計塔を過ぎコルンハウス通りトラムが走るコルンハウス通りの北方向ここにも噴水が建つ子供食いの噴水子供の頭にかぶりついている食人鬼。子供に危険を警鐘する意味があったとか噴水には、熊熊熊時計塔は1191年に建造され、1250年まで町の境界を守る門として使われた。何度か修復が加えられているが、旧市街を象徴するベルン最古の建物だ。時計が取り付けられたのは1530年のこと建物にはフレスコ画三輪の人力車16:59仕掛け時計のカリヨン(組鐘)は、毎時4分前からなり始める。時計塔の下には多くの観光客が群がる鐘の音に合わせて鶏の時報、小熊のパレード、道化師などが次々と現われる様子は一見の価値あり。月や星がデザインされた時計盤も美しい17:10時計を見上げている間にツアー仲間の人がスリに遭遇。ショルダーの中の財布が盗まれたと。スリの女性は折からの警邏中の警官に逮捕添乗員と被害女性が警官に説明。被害は5万円と5万円相当の財布とか17:15約一時間半のベルンの旧市街を巡った後、バスに乗車して約62km先のウェンゲンヘ。19:12ラウターブルンネンからは、車が入れないため登山鉄道を利用して標高1275mのウェンゲンヘ19:25ウェンゲンのホテルへ到着、このホテルへも2連泊。20:00夕食はホテルのレストランで「ビーフ料理」夜もビールを飲む 4.8 SFr.スイス二日目の歩行数は、17,000歩 スイスの旅-続く
2020.08.28
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スイスの旅二日目は、チューリッヒ市内観光後、ルツェルン観光へ。ルツェルンの観光と言えば、「カペル橋」「旧市街」が定番で二度目の訪問である。ルツェルンは中世の面影を残す旧市街、湖から流れ出るロイス川に架かる屋根付きの橋、かなたに望む山々。ルツェルンはスイスでも指折りの風光明媚な町。ドイツ語ではルツェルンだが、フランス語ではルセルンと呼ぶ。平成26年7月21日(月) 11:30ルツェルンへ到着バスから降り、観光案内板右側にバスから降り立ち、「カペル橋」を渡り時計方向に散策四森州湖(フィーアヴァルトシュテッテ湖)がロイス川に流れ出るところに架かる「カペル橋」。 左側が四森州湖で、ロイス川には白鳥カペル橋はいつも花で飾られている四森州湖がロイス川に流れ出るところに架かる屋根付きの木橋。ゼー橋という大きな近代的な橋が駅前広場からのびているが、カペル橋はそのすぐ隣に位置する。14世紀初頭に建造され全長は約200m。ヨーロッパでは、最長、最古の木橋である。その優雅な姿は、ルツェルンのシンボル橋の途中に八角形の屋根をのせた水の塔があるが、これは灯台もかねた防衛の塔。カペル橋自体も、湖側からの敵の進入を阻むために建造された屋根の梁の部分にはルツェルンの守護聖人の生涯を描いた100枚余りの板絵がある。1993年に火災に遭い、旧市街側の一部を残してかなりの部分が焼失したが、翌年に再建された回廊を想わせるカペル橋。火災のあと再建された部分はまだ新しいが、板絵も忠実に復元されている。玉葱の尖塔は『イエズス会教会』カペル橋の上から旧市街地方向旗がなびく『旧市庁舎』カペル橋の下流側にある『シュプロイヤー橋』ロイス川に架かるもうひとつの屋根付き橋。近くに粉ひき場があったことから、粉ひき橋とも呼ばれる。建造されたのは1408年だが、嵐で崩壊し、1568年に再建されている1568年に再建されたとき、橋の中央に小さな礼拝堂が建てられたカペル橋と同じように、屋根の梁に板絵が飾られているので、渡るときに頭上に目を!17世紀に描かれたカスペーク・メークリンガーによる「死の舞踊」と呼ばれる連作で、疫病の流行に題材をとっている。ドクロの姿をした死神などが当時の死生観を彷彿とさせる1993年の火災の後で再建された新しいカペル橋よりも、中世の雰囲気がより伝わってくる年期の入った木組みシュプロイヤー橋からの上流側。四森州湖からの水量が多い、川にはいろんな施設が造られていた玉葱型の尖塔が特徴的な『イエズス会教会』。スイスで最も古い歴史を持つバロック様式教会で、1666年に完成施設の一つがパネルで紹介水力で水車を回して動力を得て・・・・・・・・・別の施設も水盤を回して歯車を回す水盤を回して動力を作りゲートを上下させるのか?散水車12:00旧市街地へ入るルツェルン市内の中心を流れるロイス川の北岸一帯が旧市街である。石畳の街並みは、中世の面影を色濃く残しているフリッチの泉が目印のカペル広場、旧市庁舎がある穀物市場広場、壁画が描かれた家々が美しいワイン市場広場など、いくつかの広場をつなぐのがカペル通りというメインストリート商店も多いのでショッピングがてらのそぞろ歩きが楽しい界隈ヒルシェン広場にも壁画の家々が建ち並ぶヒルシェン広場の噴水家の入り口には装飾品ヒルシェン広場の壁画中世の面影を色濃く残しているカペル広場カペル広場のフリッチの噴水噴水の下には花が飾られいりくんだ小径に迷ったら、とりあえず川に出るといいフレスコ画を見ているだけでも見飽きたらないワイン市場広場の壁画と噴水中世の面影を色濃く残している商店の壁画とベランダ別の商店の壁画とベランダ。今回の夜の晩酌用にワインを一本購入 11.5 SFr.穀物市場広場の旧市庁舎穀物市場広場のフレスコ画夏には川沿いのレストランやカフェが外にテーブルを並べており賑やか旧市庁舎のマークであったか?ロイス川に出、向かい側の『イエズス会教会』先程この前を歩いてきたカペル橋を見納める左側にゼー橋があり渡るとルツェルン駅がある。塔の向こう側に『カぺル橋』約一時間の市内観光で、バス乗車前にトイレへ12:35ゼー橋の上から「カぺル橋」、バスの車窓から。約112km先のベルンへ向かう12:45車窓から13:02途中、レストランで昼食バタージャガイモビール(500㎖) 6 SFr. を飲むメインはラクレット13:40デザートのアイス スイスの旅ー続く
2020.08.27
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スイスの旅二日目はチューリッヒ市内観光後、ルツェルン → ベルン → ウェンゲンヘバス移動(約230km)チューリッヒは、スイスの経済、商工業、文化を担うスイス最大の都市でチューリッヒ州の州都。スイスの空の玄関口、チューリッヒ国際空港をかかえ、ビジネス客、観光客が集まる国際都市である一方、中世の建造物も数多く残っており、古さと新しさがみごとに融合している。バーンホフ通りには金融機関やブランドショップが集まる。街は、チューリッヒ湖から流れ出すリマト川を中心に、東岸と西岸に分かれる。平成26年7月21日(月) 9:15市内にはトラムが走るバーンホフ通りを走るトラム9:25リマト川リマト川沿いでバスを降り市内観光橋の上をトラムが走るチューリッヒ湖遊覧の桟橋、中央の塔は『グロスミュンスター(大聖堂)』川沿いに歩き「グロスミュンスター(大聖堂)」リマト川沿いに、中世の雰囲気が残る歴史的建造物が点在。中央に市庁舎ミュンスター橋そばに建つ像(HANS WALDMANN)と、左奥にグロスミュンスター(大聖堂)市街地を散策中世の雰囲気が残る歴史的建造物が立ち並ぶホテル前にスイス国旗を掲揚たばこ屋のショーウインドー「葉巻」葉巻のケース?サングラス&アクセサリー店所々に出窓路地の奥に『聖ペーター教会』13世紀に建てられたロマネスク様式の塔に1534年に取り付けられた時計は、直径8.64mのヨーロッパ最大の文字盤を持つ出窓にはシンボルのライオン?チューリッヒ最古の教区教会『聖ペーター教会』リンデンホフの丘小高い丘にある展望スポット。リマト川沿いの街並みや教会群が眺められる。既に中国人観光客が訪れていたリンデンホフのビューポイントから撮影。手前に「市庁舎」、奥に「グロスミュンスター(大聖堂)」グロスミュンスター(大聖堂)62mの双子の塔は15世紀に建造され、焼失のため18世紀に再建されたもの。塔の上は展望スポットになっている。手前は市庁舎リマト川沿いに、中世の雰囲気が残る歴史的建造物が点在上記右側の教会をズームアップ丘にアジサイが咲くバラも咲き建物の壁には、フレスコ画『聖ペーター教会』を見上げる建物の窓ぎわには花を飾りショーウインドー9:59印象的な美しい尖塔の『フラウミュンスター(聖母聖堂)』853年建立された尼僧院が前身。礼拝堂にはシャガールが手掛けた美しいステンドグラスがある。残念ながら撮影禁止になっていたフラウミュンスターの壁面の飾りフラウミュンスターのファサードフラウミュンスター前のビル街パラデ広場近く、トラムが走るパラデ広場中世の雰囲気が残る歴史的建造物写真は往年の景観フラウミュンスターの尖塔、奥に双子の塔のグロスミュンスター幼稚園児が手をつなぎSAVOY HOTELフラウミュンスター(聖母聖堂)リマト川の向こうにグロスミュンスターロータリーにバスフラウミュンスター(聖母聖堂)壁面の縦の開口部(3か所)はシャガールのステンドグラスだが外からの警備は?チューリッヒ湖へのボートを係留約一時間の市内観光後、バスに乗車してチューリッヒを後にする10:40車窓からの『フラウミュンスター』、『聖ペーター教会』。次の観光地「ルツェルン」まで約55km10:55高速道路を走り、ルツェルンへ向かう。チューリッヒから20km地点、席は最後部席郊外の田園風景牧歌的な田園が広がる11:13ルツェルンまで近くなる スイスの旅ー続く
2020.08.26
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今回のシリーズは、6年前の平成26年7月に妻と行った3度目のスイス旅行です。花中心の長いシリーズになりますがよろしくお願いします。外出自粛と長梅雨でブログネタもなくなり、この旅行はブログアップをしていないので、写真を取り出し整理して二度目の旅を楽しみました。今までスイスへの旅は妻と二度行っており、1回目:1999年7月、2回目:2001年6月で、この頃の写真はまだフイルムカメラで、帰国後の写真代が約5万円と高価であったことを思い出した。今回は、カメラ(デジカメ)を三台持参して妻との撮影。ツェルマットからの「マッターホルンの朝焼け」この写真が撮りたくて!ツアー会社は、阪急交通社『trapics』trapicsから届いた「最終旅行日程表」旅行期間:2014年7月20日(日) ~ 29日(火) 10日間出発のご案内集合時間は成田空港、8:25と早いスイス全図と動線。成田空港とチューリッヒの往復直行便を利用。スイス国内は、チューリッヒから左回りにバス移動(ピンク色)、途中2つの絶景列車に乗車平成26年7月20日(日) 1日目のスケジュール集合時間が成田空港 8:25と早いため、5:40に自宅を愛車で出発して成田の駐車場へ。時間が早いため渋滞もなく順調に走り成田空港の「J2パーキング」へ 7:10 到着、駐車場から送迎してもらい第一ターミナルへ 7:20 着、集合時間の1時間前に到着した。左のページには、高山病の注意書きが書かれていた!7月20日(日) 8:40旅行会社のカウンターで受付を終え待合室で出発を待つ9:03今回のツアーはホテルへ8泊、機中泊1泊の10日間。参加者は、女性19名、男性11名、内夫婦10組の総勢30名と大所帯であったが、やはり女性が多く、男性1名が一人参加であった。ツアー代は、296,830円(サーチャージ込み)。成田空港待合室9:34搭乗機は、スイスインターナショナルエアラインズ、10:25発、LX-0161 便。スイスへは直行便を利用、所要時間約12時間25分でチューリッヒ空港へ成田国際空港を10時25分に出発し、機内食を2度食べる。15:30チューリッヒ国際空港へ到着。スイスと日本との時差はマイナス7時間(この時期はサマータイム)。入国審査後、手荷物を受け取る17:00(日本時間 24:00)ホテルは、チューリッヒ空港に隣接する『ラディソンBLUエアポート』。日本時間は深夜であるため早々にベッドへ。今日の歩行数は移動日で、約6,000歩であった。このホテルへは、帰国時の八日目(7月28日)の夜にも宿泊するスイスのホテルは枕銭が必要で、各人1 SFr.(約117円)スイスは雄大なアルプスの山々に抱かれた、おとぎの世界のような国。美しい山々の景色だけでなく、古い歴史を色濃く残す各都市の魅力に惹きつけられ、世界中から多くのツーリストが訪れている。正式名称:スイス連邦、首都:ベルン、面積:4万1,285k㎡(日本の約1/9)、人口:約804万人、通貨:SFr.(約117円)、言語:公用語はドイツ語(65%)、フランス語、イタリア語、ロマンシュ語、日本との時差:-8時間(3月最終日曜~10月最終日曜のサマータイム期間中はー7時間)。スイスの旅二日目7月21日(月) 7:41朝食を食べ、宿泊の『ラディソンBLUエアポート』前にて。今日の天気は曇り空、今まで二度のスイス旅行は天気は最高であったが、今回は曇り&雨の予報ホテル前の庭先に咲いていた花今回の旅は自由時間が多いので、アイガーの麓他をトレッキングしながらの花撮影空港は、ホテルのフロントから屋内でつながっている2階からホテルのフロントを望むフロント前のロビーに立つモニュメント空港前のタクシーロビーのカウンター夜はアルコールが飲めるのか、いろんなウイスキーが並んでいた照明の中をズームアップすると「ワイン」か?このあと、9時にホテルを出発してチューリッヒ市内観光へ。 スイスの旅-続く
2020.08.25
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続日本100名城「No.152 小机城」でスタンプを捺印後、帰路の途中綾瀬市にある「城山公園」へ立寄った。カーナビを「綾瀬市の城山公園」にセット、小机駅を9:10に出発。城山公園は市役所の西側に位置しており、鎌倉時代源頼朝の御家人として活躍した渋谷重国のの居城跡と伝えられ、県内でも遺存状態の良好な数少ない城跡の一つであり、大規模な堀切と土塁が現存している。平成13年6月1日に再整備された、市内で2番目に大きい公園。令和2年8月18日(火) 9:38県道45号線を走り綾瀬市へ、所要時間は目的地までは約38kmで50分9:45保土ヶ谷バイパスの「下川井インタ交差点」高架下を直進。この辺りは交通の要衝地で渋滞10:08県道45号線は横浜市から大和市に入り車線が片側一車線になり渋滞、車は直進して「茅ヶ崎・綾瀬」方面へすすむ。国道467号線と交差する大和市の桜ヶ丘交差点。ここを左折して南下すると江の島へ10:17県道45号線の右側は「米海軍 厚木航空施設」で広大な敷地が広がっていた。この先の、綾瀬大橋入口交差点を左方向へ進む県道45号線(中原街道)を進む、手前にスポーツ公園があり以前野球の試合で訪れたこの先の早川交差点で右折して綾瀬中央通り(県道42号線)を北上。10:25市役所前を過ぎ、この先の城山公園入口交差点を左折10:31城山公園所在地:神奈川県綾瀬市早川城山3-4-1公園は住宅街にあり、無料駐車場も112台で8:30~18:00まで利用できる城山公園案内図幹線道路から一本奥に入った住宅地一角にある。幼児から小学生まで楽しめる遊具広場。大人は日本庭園やバラ園見学に竹林や湿地帯の散策。平日限定予約制のBBQ広場。そして、公園の中心に芝生の桜の広場が広がり、老若男女がくつろげる公園入口広場から公園内へ古代の城山古墳時代の終わり頃から奈良・平安時代にかけて、早川城跡周辺には大きなムラが造られます。市立城山中学校から早川城跡にかけての台地上からは、100軒を超える竪穴住居址が発見され、目久尻川を挟んだ対岸の宮久保遺跡(県立綾瀬西高等学校)からも、150軒の竪穴住居址が発掘調査されています。古代と呼ばれるこの時代、都を中心に律令国家が確立し、地方には国府、郡衙が設けられました。律令体制を支えた人々は、竃を備えた竪穴住居に住み、収穫した穀物は、掘立柱建物と呼ばれる倉庫に蓄えていました。住居址内からは、土師器と呼ばれる土器とともに、須恵器と呼ばれる陶器が出土するようになります。また、鉄製の農耕具類や文字の書かれた土器(墨書土器)が出土することから、この当時、庶民レベルまで鉄製品や文字が普及し始めたことが分ります。早川城跡や宮久保遺跡からは、都で作られた奈良三彩と呼ばれる珍しい陶器も出土しています早川城跡早川城跡は、地元では古くから「城山」と呼ばれ、鎌倉時代の御家人渋谷氏の城と伝えられています。しかし、文献資料がないことから、その実態は明らかではありませんでした。そこで、綾瀬市教育委員会では平成元年度から平成6年度にかけて、早川城跡の学術調査を行いました。発掘調査によって、堀切・土塁・物見塚・曲輪等、多くの城郭関連遺構が発見され、県内でも有数な保存状態の良好な中世城郭であることが明らかになりました。また、城郭が構築される以前には、縄文時代や古代の集落が営まれていたことも明らかになりました渋谷氏と早川城跡渋谷氏は平安時代の末期、綾瀬市域を中心に渋谷荘(吉田荘)という荘園を支配し、勢力をもった武士でした。『吾妻鏡』によると平治の乱(1159年)に敗れて奥州に落ち延びていく源氏の重臣佐々木秀義を渋谷重国が保護したとの記事があることから、この頃までには綾瀬市域一帯を支配下に置いたものと思われます。鎌倉時代になると、渋谷重国は源頼朝の家臣である御家人となり、その子高重が後をつぎました。高重は早川次郎と名乗り、早川に拠点を置いて一族を統率していたものと思われます。1213年の和田合戦では高重は和田義盛に組したため高重はじめ多くの一族が討たれましたが、1247年宝治合戦の後、その軍功により薩摩国入来院ほかに所領を得、地頭となり、その際多くの一族が移っていきました。しかし、室町時代の初め頃までは綾瀬市域に渋谷氏の支配が続いたと思われ、その一族が早川城を築城したものと考えられます渋谷氏略系図(「入来院氏系図」により)レクリェーション広場樹の幹に「これ何の木?」ヒント 1、北米原産の大高木で、街路樹に多く見えます。 2、葉がハンテンの形をしています。 3、花はチューリップそっくりの形をしています。そういえば街路樹でよく見かけるが????答え「ユリノキ」モクレン科 百合木堀切と土塁鎌倉時代に築城されたと推定される早川城跡は、天守閣を持つ江戸時代の城と異なり、自然の地形を巧みに利用し、堀切と土塁を周囲に巡らした「砦」的な要素の強い城郭であることが発掘調査によって明らかになりました。堀切とは外敵の侵入を防ぐため、城の周囲に巡らされた堀のことです堀切と土塁堀切の内側には、堀切を掘った土を利用して、土塁と呼ばれる高い土手を築き、さらに堅固な防御施設を作り上げています。早川城の場合、東西及び南側は急峻な崖に囲まれ、自然の要害となっています。しかし、北側は平坦なため、幅約11m、深さ5m以上という大規模な堀切と土塁を築いて敵の侵入を阻んでいます堀切と土塁早川城は、有事の際に周囲に暮らす武士たちが集結して、外敵の侵入に備える防御施設として、また、領民に対しては、権力を誇示するシンボルとしてそれぞれ機能していたものと思われます公園の中心に芝生の「桜の広場」が広がり3月下旬から「かながわの花の名所100選」に選ばれた桜が観賞できる桜の広場の周りの遊歩道に「東郷元帥祖先発祥之地」の石柱が建つ桜の広場のすみにある物見塚物見塚と東郷氏祖先発祥地碑早川城本郭の西側に位置するこの塚は、物見塚と呼ばれています。南北21m、東西23m、高さ約2mの塚です。発掘調査の結果、表土直下に宝永火山灰(1707年、富士山の噴火による火山灰)が見られることから江戸時代初期以前に築かれていることは明らかです。また、塚の作り方が土塁と同様の版築(黒土と赤土を交互に敷きつめて突き固めたもの)であることから、城郭の関連遺構の一つであり、外敵の侵入を見張るため築かれた塚であると思われます。物見塚の上には、昭和7年に祖先発祥地東郷会により建てられた「東郷氏祖先発祥地碑」があります。この碑は日露戦争で有名な旧海軍元帥である東郷平八郎の先祖の地であることを記念して建てられたものです。東郷家は、早川城主であったと伝えられる渋谷氏の末裔の一つでした物見塚の上に「東郷氏祖先発祥地碑」が建つ東郷氏祖先発跡地碑左側に「??乃木??????地」の石碑桜の広場の南側下に「腰郭と竪堀」腰郭と竪堀早川城跡西側の斜面からは、腰郭と呼ばれる防御施設が2ケ所発見されました。腰郭とは、斜面を人工的に切り崩して平坦面を作り出したもので、敵の侵入を見張り、いざ敵が攻めてきたときには、第一線の防御施設として機能していたものと考えられます。早川城跡の西側斜面は、東や南側の斜面に比べ緩やかであり、外敵が侵入しやすい地形です。このため、要所に腰郭を配して敵に備えています。早川城跡では、いずれの腰郭からも柱穴が発見されており、小規模な建物が建てられていたようです。竪堀とは、城郭の斜面に直交して掘られた堀のことをいいます。要所、要所にこうした竪堀を設けることによって、敵の進入を防ぎ、より堅固な防御施設を作り上げています。早川城跡では、北側堀切の両端部、及び南端部からこうした竪堀が発見されました。南端部の竪堀内からは、当時の貨幣として使われた渡来銭(中国の銅銭)が出土しています腰郭と竪堀の下に「日本庭園」があるがまたの機会に!日本庭園の隣のわさび田跡地では、6月初旬からホタルが見られる花木園の「バラ園」定期的に消毒をしており、この日も消毒中でバラ園は休止中。バラが見頃になる時期は、毎年、5月中旬頃・10月中旬頃で66種類約500本のバラが香る園内で清掃業者が作業、「ブロワーで落ちた葉を飛ばしている作業」最近は作業状態を動画に撮影して市へ提出するようだこのような看板を立て、作業者も入れて撮影。私も現役時代は、もの造りで写真を撮影して提出したが動画はなかった。役所の担当が立会をしなくてもこのような動画で確認するのだ湿生園についてこの湿生園は、早川城山地区の雨水調整池を利用し整備したものです。雨天時は多量の雨水が流れ込み、池の水位が上昇するため大変危険です。雨天時には近づかず、雨が降り始めたら、ただちに避難してください 綾瀬市樹の幹に「これ何の木?」ヒント 1、山地に生えるブナ科の常緑高木です。 2、生垣や防風林に利用され農具の柄にしました。 3、カシの仲間で、材が白いのでこう呼ばれます。木を見上げる葉はあまり大きくない答え「シラカシ」ブナ科 白樫縄文時代の城山早川城跡の発掘調査では、早川城が造られる以前の縄文時代や古代における生活の様子も明らかになっています。台地平坦部からは約5,000年前にあたる縄文時代中期の竪穴住居址二軒が発見されました。いずれの住居も使用後ごみ捨て場として利用されており、多量の土器や石器が出土しています。出土した土器は「勝坂式土器」と呼ばれる、関東地方の縄文式土器の中で最も装飾性に富んだ土器で、土器に施された文様から、縄文人の創造性の豊かさを知ることができます。台地上にはさらに多数の竪穴住居址が存在するものと思われます。周辺には、早川天神森遺跡や道場窪遺跡など、同時期の縄文時代のムラが隣接して作られており、当時、早川城一帯は、豊かな自然に恵まれ縄文人にとってとても住みやすい場所であったことが想像されます蓄霊之碑10:56城山公園の西側に位置する、幼児から小学生まで楽しめる遊具広場11:10朝が早く食事をとっていなかったので城山公園入口交差点の角にある「かつや 神奈川綾瀬店」へ立ち寄ることに。旧東海道の弥次喜多道中以来の「かつや」での食事定番 カツ丼(梅) 税抜き 490円をオーダー昼前であったが、店内は三密を避けた営業で繁盛していた11:36綾瀬中央通り(県道42号線)を南下、左側に「コナズ珈琲 神奈川綾瀬店」看板の色が違うが一瞬ライバルの「コメダ」かと思ったが明日からは、6年前に行った平成26年(2014)7月の「スイス旅行」をアップします。 綾瀬市の城山公園ーEND
2020.08.24
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小机城跡を続けて巡る。小机城は、別名:飯田城、根古谷城、城地種類:平山城(丘城)。令和2年8月18日(火) 7:20冠木門(かぶきもん)西曲輪の南側部分。手前に空堀がある冠木門(かぶきもん)模擬復元された冠木門をくぐると本丸広場になっているつなぎ曲輪の土塁西曲輪と東曲輪の間にあった南北に細長い小曲輪、土塁が現存する空堀(からぼり)堀は土塁と共に城の守備・攻撃のための重要な施設で、人工的に作られるものや地形を利用したものがあります。この堀は水をはらない堀で空堀と呼ばれ、水をはるために堀勾配のゆるい水堀よりも堅固な施設と言えます本丸の西側に「富士仙元」小机城の西側を走る第三京浜「富士仙元」へ向かったが、アップダウンがあり途中で引返す土塁を東へ向かい根古谷へ。小机城址市民の森は綺麗に整備されていたが、日頃から清掃、草刈、間伐などの管理作業を、地元の方々でつくられた「市民の森愛護会」が行っていると竹林の下草を刈り取り「竹林 育成中」7:25根古谷の入り口へ下りる、トイレもあり遊歩道に枯れた紫陽花時間が早く散歩をする人とも会わなかった民家の門前に飾られた「盆飾り」東の方向に、日産スタジアム7:30JR横浜線の城山踏切小机駅構内車を止めていた、「曹洞宗 金剛寺」へ戻るが、まだ7時半過ぎのため次の場所へ行くことに7:44日蓮宗 長秀山 本法寺所在地:神奈川県横浜市港北区小机町1379鐘楼門鐘楼門から本堂境内に入り鐘楼門横浜市指定有形文化財(石造建造物)『石造龍吐手水鉢』手水鉢は、水穴の底にわだかまる龍と、側面に胴体をからませて首をもたげる龍を鉢と一石彫成し、上方の龍の胴体に管孔を通して龍口から水を吐く構造になっています。すべてを一石彫成したこの手水鉢は、巨石材を用いた大作であり、意匠性にすぐれ、伝統的石彫技術を誇る近代石造物の優作として貴重です 平成7年3月石造龍吐手水鉢製作時期は、明治35年(1902)日蓮宗 長秀山 本法寺 本堂本堂の回廊下から境内を望むサルスベリが咲く夏の暑い時期は、芙蓉、サルスベリが咲き乱れる四基の碑について 一、飯田華頂女句碑 「雨寒く土に染みゆく草紅葉」 二、佐藤惣之助自筆の詩碑 「魚を釣って詩を逸す」 三、俳画塚 四、親子短尺塚俳画塚、親子短尺塚右が、飯田華頂女句碑 「雨寒く土に染みゆく草紅葉」左が、佐藤惣之助自筆の詩碑 「魚を釣って詩を逸す」名木古木指定「サルスベリ」 横浜市本堂をバックに7:52山門、鐘楼門わずか10分程の滞在であった8:02小机駅前城郷小机地区センターへ行くが、まだ開館前で時間を持て余す8:47近くのコンビニで時間を費やす民家の間に日産スタジアムが見える、サッカーの試合がある時は騒々しいのでは横浜市城郷小机地区センター所在地:神奈川県横浜市港北区小机町2484-49時ちょうどになり玄関があき、ようやくスタンプ城郷小机地区センターホール内9時前から女性の高齢者が多く訪れて2階の地区センターへ。1階:ケアープラザ 9時前には、施設のマイクロバスが送迎にでる2階:受付、ロビー、図書コーナー、プレイルーム(赤ちゃんから就学前の幼児の部屋)、 グループ室(中学生以上の方が自習室として利用)、体育室(卓球・バトミントン等)3階:娯楽コーナー(囲碁・将棋・オセロ)、中小会議室、和室、工芸室、音楽室(合唱サークル・ カラオケ等)、料理室9:101階エントランスにある「小机城スタンプ置き場」続日本100名城のスタンプ捺印は9時からの場所が多いので、登城者にとって辛いNo.125 小机城デザインは、空堀と孟宗竹(モウソウチク)スタンプ台の横にあったガイドマップ願わくば、このガイドブックは駅の改札近くか、駐輪場に置いてほしい。改札口へ行かなかったので、あったのかもしれないがパンフレットから9:34カーナビを「綾瀬市の城山公園」にセット目的地までは約38kmで50分県道45号線の、ひかりが丘交番前交差点 小机城ーEND
2020.08.23
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スタンプ置き場が9時開館のため、小机城址の散策へ。令和2年8月18日(火) 6:59小机城専用の駐車場が無いので、「曹洞宗 金剛寺」へ失礼して駐車させていただく。ここから歩いて「小机城址・市民の森」へ向かう7:02JR横浜線の踏切、小机駅東神奈川駅行きの電車 横浜市の汚水マンホール市章が入った蓋で、鉄蓋メーカー(日之出水道機器)の方によると、地紋はYokohamaの「Y」と「O」をイメージしたデザインとのことだが横浜市は下水と雨が分流化されており、雨水専用の雨水マンホールここを左折して西方向へ入る7:05前方の高架は第三京浜。この辺りに駐車場があればよいのだが、民家が建ち込めスペースが無い小机城址・市民の森民家の間の坂道を上り「小机城址・市民の森」へ竹林に覆われた「小机城址・市民の森」小机城址・市民の森入口にある「根古谷広場(ねこやひろば)」根古谷は城の麓にあった城主の館や家臣の屋敷地です。城主は平時には麓に居住し、戦闘時には城に詰めるという形は中世後期の全国の山城でよく見られたスタイル小机城址市民の森市民の森では、市内の緑を守り育てるとともに、市民の憩いの場としてご利用いただくため、土地所有者の方々のご厚意により山林を使用させていただいています。また、「市民の森」の清掃、草刈、間伐などの管理作業は、地元の方々でつくられた「市民の森愛護会」が行っています小机城想定図城址内の南北の仮想線は第三京浜道路綺麗に整備された遊歩道を登る。草むらから嫌なヘビが出ることを心配しながら登る遊歩道の両側には、立派な孟宗竹(モウソウチク)緩い坂を登ると標識杭、右に「二の丸広場」、左に「本丸広場」右側の二の丸へ行くことに小さな祠があったが空堀(からぼり)空堀(からぼり)堀は土塁と共に城の守備・攻撃のための重要な施設で、人工的に作られるものや地形を利用したものがあります。この堀は水をはらない堀で空堀と呼ばれ、水をはるために堀勾配のゆるい水堀よりも堅固な施設と言えます面積は、4.6 ヘクタール(46,000㎡)東京ドームが約4.7ヘクタール(46,755㎡)であるのでほぼ同じ面積、東京ドーム一個分の面積井楼跡(せいろうあと)遠くの敵を見つけるために造られた見張台や武器を保管する兵器庫があった城址にはいたるところに孟宗竹が生い茂る櫓台(やぐらだい)へ登る櫓台(やぐらだい)一城には、数箇所の櫓台が置かれています。この櫓台跡もその一つで土塁と連続して作られていました。現在は畑地として土塁は取り去られていますが、昔は井楼跡より二の丸広場へ通じる散策道の上に土塁が作られていました二の丸広場土塁(どるい)土塁(どるい)土塁は堀と共に城の防備や攻撃に重要な施設で、堀を掘った土で築き上げた防備壁を言います。土塁の基底幅は5.0メートル、上底幅は2.5メートル、高さは2.0メートルです。一般に中世初期に築られた城の土塁は、塁線に屈曲が無く、塁の上もしくは、外のりには、必要に応じて、棚・塀・逆茂木(さかもぎ)を設けています矢倉跡(やぐらあと)小机城址市民の森西曲輪跡から東曲輪跡方向を望む。雑木林や竹林の中に空堀や土塁が残るモウソウチク(孟宗竹)中国の原産で沖縄、鹿児島を経由して現在は日本各地にみられます。また日本にある竹類で最大のものです。孟宗竹は中国名でなく冬に母の為筍(たけのこ)を掘り採った孝行な子供の孟宗にちなんで名付けられました。横浜のモウソウ竹林も年々少なくなっています空堀の竹林が整備されているので、春先には立派な竹の子が出るのであろう空堀から二の丸広場へ登る遊歩道空堀(からぼり)から登る空堀(からぼり)堀は土塁と共に城の守備・攻撃のための重要な施設で、人工的に作られるものや地形を利用したものがあります。この堀は水をはらない堀で空堀と呼ばれ、水をはるために堀勾配のゆるい水堀よりも堅固な施設と言えます本丸広場にはゲートボールの枠本丸(ほんまる)本丸は一城の中心になり、主将のいる所で、合戦中には戦闘の指揮が置かれます。縄張りを行う時、最も防備に主点が注がれます。城址の調査等実績の少ない小机城については、現在地が本丸跡とは断定できません西曲輪からの「冠木門(かぶきもん)」本丸広場に「小机城址」の石柱二の丸広場、井楼跡の道案内本丸跡近くにあった説明板「小机城について」築城の年代は明らかではありませんが、おそらく、この辺りがひらけた12世紀以降ではないかと思われます。その頃は、この辺りは上杉氏の勢力下にあり、西方には、その支配下の榎下城があったことから、それとかかわりのある城と思われます。その後、山内上杉家の家臣長尾景春が、家督争いに端を発して反乱を起こした時、景春に味方した矢野兵庫助らが城にたてこもり、北方の亀之甲山(現在の新羽町亀ノ?橋付近)に帯陣した上杉方の太田道灌の率いる軍と戦いました。城は文明10年(1478)攻め落とされ、上杉氏もやがて北条早雲に追われ小田原北条の領地となり、40年間廃城となっていました。大永4年(1524)一族の北条氏堯の城となり、笠原越前守信為を城代として再興しました。小机は地理的に、江戸、玉縄、榎下などの諸城を結ぶ位置にあり、この地は以後軍事、経済の両面で極めて重要な役割を果たすことになります。豊臣秀吉が小田原城を攻め落とし、やがて小田原北条氏が亡び、4代目城主の弥次平衛重政が徳川家の家臣として200石の知行を与えられ、近くの台村(緑区台村)に住むことになり、小机城は廃城その歴史を閉じることになりました小机城の縄張半島形の突出た丘陵の上部を大きく平に削り、一列に三つ程度の曲輪を置き、その並んでいる曲輪の側面に腰、帯曲輪を築きます。また、城郭全体を二重の土塁を空堀でぐるりとめぐらす縄張で後北条氏特有の築城法と言えます。類例より後北条、後半の築城方式で、東京都、埼玉県など戦国期の丘陵城郭の多くがこの型で県下では、茅ヶ崎城も典型といえます。縄張と曲輪について縄張とは、目的が定まった地で決定した後その広さを決定し、曲輪の配置、道のつけ方、門の開き方、水の便などを定めることであります。この地取と縄張を総称して「城取」といい、城取は武士が行いました。曲輪とは城を構成する区画、すなわち削平された地、それぞれ防備地帯、兵営の場、館の立地される場をいいます願わくば、この二枚の案内板は入り口に立ててほしいものです。 小机城ー続く
2020.08.22
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新型コロナウイルスの関係で4月頃から自宅待機、このためブログネタが無くなり以前に行った海外旅行のスペイン、南米の旅をアップ、この後2014年のスイスをアップ予定。そんな中、新しいブログネタを求めて以前から行きたかった、自宅から約35kmの横浜市にある続日本100名城の小机城へ行った。続日本100名城も昨年の8月以来入っておらず、まだ16城しか登城していないこともあり、久しぶりに早朝5時過ぎに我が家を愛車で出発した。表紙のお城は「No.158 福知山城」令和2年8月18日(火) 5:22国道1号線の城南交差点現在この交差点は、横須賀方面への地下工事を進めているが完成はいつになるのか?5:36いつものように一般道を優先にしたため、横浜新道、第三京浜を走らず、国道1号線へ。JR東海道本線、横須賀線の跨線橋を越える。天気が良ければ日の出が良かったのだが国道1号線の不動坂交差点カーナビ、小机城への到着が6時と早いので着後どうするか旧東海道(国道1号線)を進み、空き地にこの木が立っていなかったのにきずく。かながわ名木100選『益田家のモチノキ』この写真は、旧東海道を弥次喜多道中の平成30年(2018)11月14日(水) 11:27 撮影かながわ名木100選『益田家のモチノキ』東海道沿いにそびえ立つ二本のモチの大木。どちらも樹齢は推定約300年。県の天然記念物で神奈川名木百選にも選ばれている不動坂交差点近くにあったが。老木だけに養生しても難しいかったのでは5:41国道1号線の信濃口交差点時間が早くまだ渋滞にはならず順調に進む、小机駅への到着も6時東戸塚駅入口交差点ここの交差点も、旧東海道を弥次喜多道中の平成30年(2018)11月14日(水) に横切った。権太坂を登り下ってきたことを懐かしく思いだしながら進む5:43国道1号線の平戸立体交差点を左折して環状2号線へ入り新横浜駅方面へ保土ヶ谷区に入り、環状2号線の環2境木交差点環状2号線(県道17号線)を北上する5:48片側三車線の幹線道路各高速道路への幹線道路である丘の上まで住宅が建つ右側を東海道新幹線が走り新横浜駅も近い5:57環2田島橋交差点岸根を左折し、県道12号線へ車内のカーナビ6:00この交差点を右折してJR横浜線の新羽踏切を渡り日産スタジアムへ小机駅前交差点6:03JR横浜線小机駅舎到着時間が早いためまだ通勤者も少ない駅前にしては質素な感じ正面に駐輪場、交番駅前には、祝 小机城「続日本100名城」選定電柱にはキャラクター駅舎の西側にある建物が「城郷小机地区センター」小机城のスタンプはここで捺印するのだが、開館が9時からのためそれまでどうするか小机駅付近案内日産スタジアム中心の案内図で小机城の案内図はなく駐輪場の係員に聴くが解らず、交番へ行くが閉まっていて駅前の「すき家」小机城の方向はわかるので車でいくことにする6:27県道12号線の小机辻交差点を右折し狭い道を進む。左手に大きなお寺があり駐車場へ曹洞宗 金剛寺所在地:神奈川県横浜市港北区小机町952金剛寺の本堂本堂の扁額「醫王山」本堂から東にある「日産スタジアム」を望む境内が小高いところにあるので見晴らしがよい本堂の裏の小高いところには墓地大きな「慈しみ観音」境内に咲くユリ6:33別の観音像6:40金剛寺からJR横浜線の踏切を渡り、小机城の入り口を探し山を回って西側へ来るが入口はなく。トンネルの向こう側は先程渡った踏切再度同じ道を戻り、右側の電柱に「小机城址市民の森 入口」を見つける。ここを左に入り西方向へ進むが道が狭い6:48小机城址の入り口まで車で行くが駐車場が無く。先程の金剛寺の駐車場へ行くことに 小机城ー続く
2020.08.21
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残暑お見舞い申し上げます!南米の旅九日目、十日目の最終ブログです。平成21年6月13日(土) 6:43リマ空港を深夜の、0:05 に出発したが機内では疲れから熟睡した。約8時間45分のフライトでロサンゼルス空港へ到着。ペルーとロサンゼルスとの時差は2時間。入国審査で指紋採取があったが今回は片手のみ入国審査後ターミナル内出発まで4時間位ありそれまでどうするか思案7:40出発ゲートを確認ロサンゼルス空港発、11:40 KE0002便で成田空港へターミナル内でビールを飲み、朝食をとりながら反省会をすることに昨夜もリマで寿司を食べたが、すしバー「Sushi」で弁当を購入Mさんご夫妻を交え反省会ロサンゼルス空港成田までの飛行時間は約11時間25分で、途中日付変更線を通過するAmerican航空機搭乗する大韓航空機どこの航空機か11:08搭乗ゲートロサンゼルス空港発、11:40 KE0002便で成田空港ーSEOUL行きペルー時間:14:47機内に入り昼食を配るペルー時間:15:24来るときにも食べた、「ビビンバ」を要求日付変更線を通過、日本時間:6月14日(日) 12:37(ペルー時間:22:37)二回目の食事が出る6月14日(日) 15:27(ペルー時間:6月14日 1:27)成田空港へ到着第一ターミナル入国審査へ手荷物受け取りスーツケースを受け取り、ツアー仲間、ツアーディレクターの森山さんに御礼を伝えバスへ。同行のMさんご夫妻とも再会を約束して別れる成田空港からは、16:20 発のバスで戸塚・藤沢・辻堂・茅ヶ崎方面へ。茅ヶ崎へは18:50 に到着11年前の南米の旅にお付き合いありがとうございました。私にとっては当時を思い出しながらの二度目の旅でしたが、地球の反対側で移動距離の長い旅であった。毎日のようにホテルへは深夜に到着、出発は早朝とハードなものであった。しかしながら、世界三大瀑布のイグアスの滝、ペルーのマチュピチュ遺跡、ナスカの地上絵と欲張りな旅であった。ペルーのクスコでは高山病にもならず無事帰れたことに感謝。ペルーには人気のチチカカ湖もあるが、あれから11年も経ちもう長距離旅は無理であろうと思いながらこのブログをまとめました。なお、今回写真を使用させていただいた旅友に対し感謝します。帰国後は折からインフルエンザが流行していたので、会社へ出社前に近くのクリニックへ立ち寄りインフルエンザのチェックをし「陰性」とのことで出社したのであった。今回の旅の動線はおまけ!私のパソコンを開いたら、この写真が一瞬日本の富士山かと思いどこから撮影したのかと、伊豆半島にしてはと思いきやチリの南部にある『オソルノ山』であると、この山はチリのシンボルとされている山で標高2660m。山頂には富士山と違い氷河があると 南米の旅-END
2020.08.20
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南米の旅八日目の後半は、昼食後ナスカから再度、450km離れたリマ空港へ北上、夜の便でロサンゼルス空港へ。平成21年6月12日(金) 11:17パンアメリカン・ハイウエィへ入るパンアメリカン・ハイウエィは、南北アメリカ大陸の国々を結ぶ幹線道路網である。 ハイウェイの整備構想が最初に提唱されたのは、1923年チリのサンティアゴで開催された第5回米州国際会議である。構想を受け、道路整備のための具体的な調整の場として、関係国をメンバーとするパンアメリカンハイウェイ会議が設置され、1925年の第1回会議以降、道路整備の進捗に合わせてこれまで不定期に開催されてきた。各国の道路整備については、計画・建設から建設費に至るまでアメリカが大幅な支援を行っており、特にその動きが顕著であった1940年代から50年代にかけてその整備が大幅に進んだハイウェイは南北アメリカ大陸のすべての国を結ぶ国際高速自動車道路。北はアラスカのフェアバンクスから南は南米最南端のフエゴ島に至る全長20万8933kmで、ほぼ全線が開通しているパンアメリカン・ハイウエィの前方に、『ミラドール(展望台)』。地上絵の研究家として有名なドイツ人女性考古学者、故マリア・ライヘ女史が地上絵の観察のために建てた20mほどのやぐらであるナスカの地上絵は、1994年12月17日にユネスコの世界遺産(文化遺産)に登録された11:30リマへのバス移動の途中、パンアメリカン・ハイウエィの横にあるミラドール(展望台)に立ち寄り、ここに昇ったが。チョット華奢な感じがし、登るのが怖い、高所恐怖症の私は尻込みしたが人数制限は10人だが重量制限が無く、使用部材も細い、基礎も大丈夫?南のチリ方向北のリマ方向やぐらの上からは「木」と「手」の地上絵の一部分が真下に見えたやはり上から見ないと分かりずらい。最近ではドローン撮影をしているのではなかろうかツアーバスやぐらの上から降りる午前中、我々もセスナ機に搭乗しこの上まで飛来したこれからリマ空港までパンアメリカン・ハイウエィを北上、ひたすら450km走る西側の太平洋側11:42リマ空港へ向けて出発11:49ミラドールを出発してから7分、水が流れている数少ない川を渡る12:56ミラドールを出発してから1時間経ち、道路に警察官が立ち取り調べ?途中ハイウエィの道端に『KEIKO FUERZA 2011』の看板が点々と。人権侵害や汚職などで刑事訴追されているペルーのアルベルト・フジモリ元大統領の長女で国会議員のケイコ・フジモリ氏(32)が新党を結成し、2011年の大統領選挙への出馬をするとのこと。新党の名前は「フエルサ2011(Fuerza 2011)」で、自身が党首を務めるという宣伝ポスターなのであった。立候補の理由について「父が無罪で、国民も父を懐かしんでいると確信しており、世論調査でもそれが証明されているため」と説明、「正当な大統領候補がアルベルト・フジモリなのは明白だが」と帰国後の2年後に選挙があったが、ケイコ・フジモリ氏は決選投票で僅差で敗れた。13:22道路沿いには祠が沢山あったが、交通事故死か?道路脇に、サヤエンドウのような実がぶら下がり、赤い花が咲いていた13:40イカの町地上絵のためのフライトのもうひとつの拠点となる町イカは、リマから南へ行くこと約308キロのところにある。砂丘と渓谷と太陽という土地だが、農業地帯で、綿花、アスパラガス、柑橘系の果樹園、そしてブドウ畑などがある。市内の見どころとしてはアルマス広場に面して建つカテドラル、ラ・メルセー教会などのコロニアルな町並みがある13:58道路脇の標識は、ミラドールから2時間20分走りLIMA 276KMPISCO 44KM砂漠の中のパンアメリカン・ハイウエィを走る15:24この辺りは交通量も少なく片側一車線16:04この辺りは片側2車線で砂漠地帯が続く16:30途中、警察によるスピード違反検問に我がバスはひっかかった模様で、停車すること20分。もちろん添乗員からの説明はなくリマへの道を進めたのであった。道路脇には、露天商が立ち並ぶ警察官となにやら交渉・・・・・・16:44パンアメリカン・ハイウエィ沿いのガソリンスタンドへ立ち寄りガソリンを補給16:57太平洋岸が見える道路沿いの塔は何?砂防用か?16:58砂漠の中に養鶏場18:10ナスカで昼食を終え、出発してから7時間でリマへ。夜のリマの名所をバスから眺めた18:45そして夕食のために日本料理店の『富士』へ。ペルーには日系人口が数十万に達しており日本食のレストランも多いと久しぶりの「にぎり寿司」の夕食を楽しんだ。寿司のほかに、茶碗蒸し、味噌汁が出たがどれも美味しかった。この後は、帰国まで機内食の連続であった19:39夕食後、リマ空港へ向かう20:15リマのホルヘ・チャベス国際空港へ到着。21:02LANの出発カウンターでチェックイン22:22リマ発、0:05 LA600便でロサンゼルス空港へ。所要時間は、約8時間45分で、また日本への長い旅が始まるのだ 南米の旅-続く
2020.08.19
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南米の旅八日目、ナスカの地上絵を遊覧飛行後、ナスカ市内観光へ。平成21年6月12日(金) 7:52約30分の遊覧飛行後ナスカ空港の滑走路へ進入。最前列のためこの角度がいい着陸し左側に管制塔我々が搭乗した6人乗りセスナ機7:55かなり右に、そして左に旋回しながらの急降下の繰り返し。昨日のアルコールが残っていたのかやや酔いの症状が出てきたが、30分の遊覧飛行を大いに楽しむことが出来た。天気により、そして見る角度によりいろいろな色の地上絵が鑑賞できるのであろう。そして見えてくる絵の順番も座席の左右、そして当日の気流等により変わるのであろう滑走路を後にする。この日は快晴、地上絵は初めはもっと太い線で見えると思っていたが、かなり細い線で出来上がっているのでなかなか確認することが難しいことを実感した。いつまでも大切に子孫に残しておきたい世界遺産であったが、砂漠地帯であるので保存も大変ではなかろうか待合室内へ、まだ8時頃で観光客はまばらナスカの地上絵搭乗証明書を頂く飛行場前の土産物店、まだ観光客もまばら。店の間から出番を待つセスナ機が見える8:20ナスカ空港を出発。セスナ機への搭乗待合時間が短かったため、予想外に早くナスカの地上絵観光が完了したパンアメリカン・ハイウエィの「LIMA」「NAZCA」標識バスのフロントガラス越しのナスカの街並み街角に露天商が立ち並ぶナスカの観光は「地上絵の遊覧飛行」と「アントニーニ博物館」だろう。アントニーニ博物館は1982年からナスカで発掘を続けるイタリア発掘班の博物館で、展示品は発掘されたナスカ文化の土器、織物、楽器など。中庭にはナスカの水路や墓のレプリカがある8:30街中に入りバスから降り散策。ロータリー内の公園公園の芝生も地上絵の「サル」の図柄で植栽されていた水のない噴水ロータリー横の教会リサイズの関係で多少縦長になっておりますツアーディレクターの森山さんも旅の終盤になり多少お疲れ気味ではベンチにもナスカの地上絵このおじさんは、リマからの現地添乗員の大上氏8:38地下の洗濯場。路地裏では、数メートル下がった地下水路を利用して洗濯をする主婦の姿があった洗濯後の水を流すと、水が汚れ下流の人は使用できないのではなかろうかと8:45バスに乗車車窓から、ここの住宅も三階、四階と増設パンアメリカン・ハイウエィを走り次の観光地へ8:50現地添乗員の知り合いがやっているという、インカの土器の製作工場へ立ち寄った。真っ赤なブーゲンビリアが咲く工場へ入ると、相撲の高見山とフセインを2で割ったような顔の人の良さそうなオジサンが、土器の製作工程を丁寧に説明してくれたのだ。現地添乗員の大上氏が同時通訳で説明器も製作花瓶であろうかオジサンの作品のインカのマスク値段札は、150 Sol。1ペルーソルは約31円で4,650円と割高、値引き可能であろうが、値引き交渉は半値からか? 値段札×0.5×0.8が目標値このマスクの値段札も、150 Sol、他に 70 Sol もあったユニークなこれは何?9:20土産物店内には他にもいろんな土器類があった、約30分間の工場見学9:25建築用の日干し煉瓦であろうか時間が早いが昼食会場へ。木陰の芝生の中にはテントがいくつも張られていたがキャンプ場か?9:30昼食は中庭に花の咲く小綺麗なレストランでここにも、巨大なサヤエンドウのような実がぶら下がった木があった。現地添乗員は『ポンセアニ』と呼んでいるとのことであったが、ネットで調べてもヒットせず上記の木の葉はシダのようで涼しさを与えてくれる庭には名前は判らないが、日本のハゼに似た葉が真っ赤になっていた。日本なら紅葉だが上を見ていると、腹と頭の上が真っ赤な小鳥が飛び回っていたが鳥の名は「???」10:04昼食会場時間は早いが、今日の朝食は5時過ぎであったのでお腹も空き、ビールを飲みながら食べる前菜はオムレツ風カットすると中には肉であったか?そしてメインはハヤシライス風10:46食事を終え再度見上げると別の種類の鳥? 南米の旅ー続く
2020.08.18
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南米の旅八日目は、今回の旅の最後の観光である『ナスカの地上絵』。ナスカの地上絵観光後、リマへ戻るので今日も早朝出発。平成21年6月12日(金) 6:28今朝も5時にモーニングコールで起き、ホテル内で朝食。今日も天気は快晴6:45ホテルを出発してナスカ空港へ向かうナスカ空港へ6:55ナスカ空港、駐機場にはセスナ機が朝日を浴びて出を待っていたバスにてナスカ空港まで20分で到着。空港には、幸い時間が早いため観光客はまだ少なかった。添乗員から余り時間を待たずに乗れそうだと。通常は2~3時間待ちは驚くことでは無いという。利用するセスナ機会社はAERO CONDOR社待合室には時間が早く他のツアー客はおらず待合室で待つこと15分ほどで搭乗出来ることにここにも、マリア・ライヘの図荷物検査の後、滑走路へ地上絵遊覧のフライトはおもにナスカ発。セスナ機で旋回するうちに、酔ってしまう場合がるので、フライト前の食事の量は少々加減するといいだろうと私にとってセスナ機に乗るのは今回が初めてであるので酔いが心配。そのため搭乗する前に一服飲む滑走に降り機の前でパイロットが待っていた。現地添乗員のアドバイスでチップを各自1ドル支払う。上空でのサービスが違うという?そして搭乗機の前でパイロットを交えて記念撮影。パイロットはベテランそうで一安心。撮影者を含めて客5人での搭乗7:23搭乗して動き出す。私の席は最前列右であるので、機の前は見えずかなりのプロペラ音の中 離陸ナスカの地上絵は、ペルーのナスカ川とインヘニオ川に囲まれた乾燥した盆地状の高原の地表に描かれた幾何学図形、動物絵であるナスカの山並みは緑が無く砂漠化下にパンアメリカン・ハイウエィが見えて来た緑の田園風景が広がるセスナ機の前方からの視野は視線が上で空ばかり、右の窓から見降ろす砂漠が広がるパイロットから「LEFT、RIGHT」と言われ、右下を見下ろすが地上絵は、初めもっと太い線で見えると思っていたが、かなり細い線で出来上がっているのでなかなか確認することが難しいことを実感した水が流れていないナスカ川であろうか。飛行高度は150メートル前後?離陸後1分を待たずに丘の斜面に「宇宙飛行士」が見えた。他の絵と違って小高い丘の斜面に描かれていた。上空から眺めると、丸い目をした人間が右手をあげて「ヤー」と挨拶しているように見える不思議な絵だ。ところでこの絵が描かれた時代に「宇宙飛行士」という言葉があったか、発見後の命名?線が薄いが「サル」を確認。丸い同心円状の尾の部分の上部が雨水の流れにより?、かき消されてしまっている別の角度から「サル」天気が悪いとなかなか確認できないのでは次に「イヌ」を確認。手足と尾がやけに長い感じがする平らな大地の上に「ハチドリ」が見えてきた。ズームアップして撮影。荒涼とした風景の中で、蜜を吸う長いくちばしをもったハチドリの姿が確認できた。最も保存状態の良い地上絵の一つでよく見えた機は右に左に旋回しながら飛行、下向きの「コンドル」が見えてきた。両翼を広げたコンドルの姿は雄大である。ハチドリと同様、輪郭が鮮明に残っている地上絵のひとつだ。他の線も交差しておりよく見ないと右斜め上に「クモ」の頭のみ写っていた。予備勉強していないと難しい次に「オウム」の嘴が写っていた。翼を広げたオウムと呼ばれているが、コンドルと呼ぶ人もおり、何を描いたかはっきりしない絵の一つであるとこれも他の線と交差しているが「フラミンゴ」パンアメリカン・ハイウエィ脇の砂漠の中に立つミラドール(展望台)。左側に「木」、右側に「手」が見えた約30分の飛行でナスカ空港へ旋回民家の周りに緑の田園ナスカ市街地地上絵の見学の拠点となるナスカは、標高約620メートルでリマから約444キロ。人口は約2万3000人で町自体は大きくないサッカー競技場、手前にパンアメリカン・ハイウエィが走る高度を下げ着陸態勢に7:52ナスカ空港沿いの、パンアメリカン・ハイウエィ 南米の旅-続く
2020.08.17
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南米の旅七日目、ペルーの旅と言えば、一に『マチュピチュ遺跡』、二に『ナスカの地上絵』といわれる、今回の旅の最後の訪問地へ。リマの『パチャカマック遺跡』を見学後、パンアメリカン・ハイウエィを走りナスカへ。平成21年6月11日(木) 13:25パチャカマック遺跡パチャカマ文化は600年ごろにペルー中央海岸地帯に発生したといわれる。太陽の処女の館、太陽の神殿などがあり現在も発掘が続けられている。太陽の神殿の上から太平洋を望む太陽の神殿入り口を振り返る遺跡の周りには畑も観光案内板Museo de Sitio PACHACAMACこの遺跡の見学のための遠足とのことで、現地の子供達が歓迎してくれた大きなサボテンも砂漠の中を道が続くパチャカマック遺跡の観光ルートこの像はパチャカマック遺跡の側をパンアメリカン・ハイウエィが走る13:40ツアー人数が17名のため中型観光バスでナスカへ移動これからの移動ルート。高いツアーはリマから飛行機で行くのであろうが、我々はこれからバスで約450km南下。クスコからはアンデス越えになるが道が無く、大きく迂回してナスカへ。黄色線は「パンアメリカン・ハイウエィ」パンアメリカン・ハイウエィからの太平洋に浮かぶ島タンカーも浮かぶ14:32片側二車線の道路が続く民家の集落があったが砂漠地帯なのか山には木がない14:38車窓から、砂漠の中に白い小屋が連なっていたが養鶏場とのこと丘を削ってハイウエィを整備これも養鶏場か14:51ひたすら砂漠の山をぬいながら、バスは走り続けるのであった15:02飛行機の遅れで、遅い昼食をとるためにレストランへ飛行機が大きく遅れたため、レストランでの昼食は、予定のレストランからの仕出し弁当に変わっていた。海鮮入りパエリアの如きもので、サラダ付きで非常に美味しかったデザートはフルーツの盛り合わせと豪華15:24暑いのでレストランでビールを購入しバスに持ち込み食後酒としたのであった。本来はバス車内での飲食は「ノー」であるが今回は了承してくれた。このような交通機関の遅れ等の非常時用に、食事に関するリスクマネージメントも確立しているのだと、またまた感激したのであった。この辺が現地添乗員の腕の見せ所であろうか。砂漠地帯の中を流れるこの川は?砂漠の中に建物が分散しているが17:16ガソリンスタンドでトイレ休憩ガソリンスタンドの前に巨大なサヤエンドウのような実がぶら下がった木があった。実は幅30mm、長さ400mm。現地では『ポンセアニ』と呼んでいるとのことであったがガソリンの値段は???19:38そしてバスで450kmの長旅も終わり、ナスカのホテル『HOTEL NAZCA LINES』に到着したのであった。今日一日は飛行機の遅れもあり長い旅であった。リマ空港から約7時間を要したホテル内には「ナスカの地上絵」の位置図拡大してマリア・ライヘ(1903.5.15~1998.6.8)ドイツ出身の数学者、考古学者。ペルーのナスカの地上絵を研究した。1932年に29才でペルーに渡り、クスコにあるドイツ領事の子供たちのナニー兼家庭教師として働き始めた。彼女は5か国語が話せた。ナスカの砂漠の上空を飛行中に直線と図形を発見したナスカの地上絵の研究に生涯をかけた「マリア・ライヘ女史」の肖像画測量をするマリア・ライヘ女史19:42ホテル内にはプール19:54今夜の部屋もトリプル20:13夕食はホテル内のレストランで食べる。今日は同行のMさんが誕生日前夜祭とのことで添乗員から記念品を頂くメインディッシュは「パスタと野菜の炒め物」デザートはケーキ夕食後、我々の部屋で昨夜はクスコの高地であったため飲酒できなかったので、今夜が南米の旅最後の夜でもあったので同行のMさんご夫婦を交え5人で宴会。今朝は早起きで移動距離も長く疲れていたのであろうが、24時ごろまでワイン、ウイスキーを飲み大いに盛り上がったのであったこの後、3人のいびきのコーラスで熟睡したのであった。明日も移動時間が長く、モーニングコールは5時と早い。 南米の旅-続く
2020.08.16
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南米の旅七日目は、高地のクスコから空路低地のリマへ戻りバスでナスカへ。平成21年6月11日(木) 6:44モーニングコール4時に起床、ホテルで朝食を取り誰一人遅れることなく、5:30 にホテルを出発してバスに乗車しクスコの空港へ向かった。皆さん旅慣れた方達でまだまだ元気である。疲れたとは言いながら、見逃してはならじの貪欲さを持ち続けているのであった。空港にてチェックイン後待合室へ我々のフライトは、7:35 発 LAN LPE024便を電光掲示板で確認7:13ところが7時を過ぎてもスポットに飛行機が到着しない。その内アナウンスがあり、濃霧によりリマからの便が着陸できず、上空を旋回中のため30分程度遅れる模様と。折角朝早く起きてきたのにと思いながら待つことに7:48やむ無しと待っているとその内係官がパネル表示を取り替えた。パネルには『Delayed』の下に『Canceled』と8:10この後の我が添乗員のMさんのリアクションのすばらしさに感激。全員のパスポートとeーTICKETをとっさに集め出した。次の便を予約するのは早い者勝ちなのだ。そしてカウンターでなにやら真剣に交渉。お陰で2時間遅れの 9:30 LP115便に登場できるとの情報。なにせツアーであるので18人全員が同じ便に乗る必要があるのだ。やはりクラブツーリズムは日頃の訓練が行き届いている。やれやれと一安心表示板はLP115便の案内。出発は2時間遅れの 9:30。この辺が添乗員の能力の見せ所であると実感したのであったが、やはりこの便も1時間遅れの 10:30に漸くリマに向かって離陸したのであった11:40約1時間でリマにある、ホルヘ・チャベス国際空港へ到着、ターンテーブルで荷物を待つホルヘ・チャベス国際空港ターミナル内の搭乗カウンターペルーの案内板はスペイン語と英語を併記11:52搭乗便の変更は、既にリマ空港で待つ現地添乗員には連絡が入っていた模様で無事到着を歓迎。このあとバスに乗り450kmの移動が開始されたターミナル前で今回同行されたMさんと12:14ペルー市内を移動。スケジュールでは、リマ市内観光があったが約3時間遅れたので、一路ナスカへ向かう。リマはペルーの首都で、ペルーの人口のおよそ3分の1が生活するロータリーに各国の国旗が掲揚されていたが何か大会?国際空港から市内までは車で30分ほど。リマには、旧市街のリマ地区(セントロ)と新市街のミラフローレス地区、サン・イシドロ地区がある。かつては旧市街がリマの中心だったが、オフィスが集まる中心地は新市街へと移ってきている。旧市街の古い町並みは、ユネスコの世界文化遺産に登録されている。トヨタ、ホンダ、三菱自動車のディーラーも建つペルーリマでは、お金がたまると3階を増設すると車窓からの建物教会も建つ。予定では、旧市街、マヨール広場を車窓から見る予定であったがスルーバスは太平洋側を走る、パラグライダーが舞う太平洋海岸。はるかかなたには日本が・・・・・・・。昭和35年(1960)5月24日早朝来襲したチリ津波もここより南から日本へ12:41バスは海岸道路を南下。途中バスの車窓から、『恋人たちの公園』。この辺りは高級住宅街にあるミラフローレス地区。園内には恋人が抱き合っている巨大なモニュメントが有名ビル街で道路工事中一風変わった色のビル海岸沿いの丘の上にビルが建つ。リマは、チャラと呼ばれる海岸砂漠地帯に位置する都市で都市圏人口は1,095万人(2016年)道路沿いのモニュメント住宅地は丘の上にあり大津波が来ても大丈夫であろうが、地肌には木が無く砂が飛散するのではと思いながら12:45この付近はミラフローレス区。断崖絶壁の僅かな空地に高速道路が走っているそしてこの砂地とも思われる法面を、剥き出しの断崖上に大きなビルが建っているのであった。日本では安全上考えられない光景であったここにも大きなモニュメントが建設中。彼女を見上げる男性であろうか太平洋岸の海岸、小さな船が、釣り船?12:51リマの下町へ入る砂山の上には鉄塔が林立海岸沿いの砂山?の上には市民住宅が建ち並んでいた。余計な心配だが上まで道路があるのか、また電気、水道のインフラは砂山?には市民住宅が建ち並ぶがペルーには地震は?ネットで調べると2001年以降、M.5.6以上は7回発生しているが死者数が少ない(MAX596人)この辺りの建物も増築中が多い13:03高速道路へ入る13:07砂丘の斜面には植栽13:15途中、時間に追われながらも『パチャカマック遺跡』に立ち寄るこの建造物群は、ペルー海岸地帯の最も重要なスペイン期の聖地であったとのこと。当時全国各地から常時巡礼者が訪れた場所とのことであったリマから南東へ約30kmの海岸近くにあり、現在でも発掘が続けられている。インカ帝国に侵略される前にあった、イシュマ文化時代に作られたとみられるピラミッドです。この時代のピラミッドには、スロープが付いていた砂漠地帯にあるので緑が無く。一本の道がずっと続く壁は日干し煉瓦でできている現在でも発掘が続けられているたくさんの遺跡が残されている、スペイン人が宝物を探すため壊されてしまった。廻りには民家が立ち並ぶ右奥には太平洋が見える太陽の神殿13:24太陽の神殿の入り口 南米の旅-続く
2020.08.15
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オリャンタイタンボの観光後、バスで高地の町クスコへ。平成21年6月10日(水) 15:48マチュピチュからクスコの途中にあるインカの大要塞・オリャンタイタンボの村へ立ち寄る。ここまでは観光バスも来れるので、我々のバスもここで朝から待機していたインカの大要塞・オリャンタイタンボの村を観光石畳の住宅地一階部分は石を積み上げていた。石畳は中央を下げ水路に狭い通路を進む村の中の小路で少年がインカの歌を歌ってくれた一階部分の石積みは暖房対策?石積みの民家ある民家の中へ入れてもらった。ここではモルモットを食べているという。室内ではたくさんのモルモットが餌を食べていた屋根裏から、トウモロコシなどの穀物がつるされていたおまじないか?室内には祖先の頭蓋骨が祭壇に置かれていた民家の庭先には黒い鳥村の小路で土産物を売る女性と、現地添乗員の鈴木さんお土産の人形スペイン軍に侵略される中、ここオリャンタイタンボを要塞としたインカは一度も敗れなかったという。階段状のものは段々畑。これもインカを印象づける遺跡で、インカの壮大さを存分に物語ってくれていたこの建物は穀物倉庫といわれる遺跡見張り小屋と段々畑段々畑の上に、オリャンタイタンボの要塞があり多くの観光客が登っている山肌の断崖にある見張り小屋オリャンタイタンボの村の廻りの山には段々畑、要塞がある16:21オリャンタイタンボの村を約30分観光後、バスに乗り込む。この像はスペインと戦った将軍であろうか?16:31オリャンタイタンボからクスコへ向けて走る。所要時間は約62kmで1時間半16:43遠く谷底に白い棚田が見えてきた! マラスの塩田だ。バスのドライバーが現地添乗員に説明してやれと。アンデスの渓谷から突如流れ出す湧き水は高濃度の塩水であったことから、太古の昔、これを渓谷の斜面に作った塩田で天日干にすることで、塩の生産が始まったと。一見、山の残雪のようにも見えた。海から遠く離れたアンデスで唯一生産された貴重な塩は、インカ帝国時代、その生産を帝国が一括管理して、広大な領土に分配していたと伝えられているという標高3300mにある『マラスの塩田』(ネットから)クスコからの観光ツアーもあるようだ「マラス塩鉱山とモライ考古遺跡」この辺りの標高は約3000メートル。ペルー旅行で気にかかる高山病。高山病にかかると頭痛、なんとなく息苦しい(酸素が足りない感じ)、ふらっとする、手足がしびれてしまうなど。徐々に高度を上げていけば体が慣れていくが、2500メートル以上の高地など、一気に標高の高いところに移動したときに発症しやすい。予防策としては、 ①疲れないようにする ②お酒・タバコをひかえる ③ゆっくり行動する ④水分やコカ茶を多く取るようにする などが挙げられる峠に向かう途中、雪を頂いたアンデスの山々標高3500メートルクラスの山々富士山のような山が17:22峠の手前で停車して小休憩バスを降り各自撮影アンデスに沈む夕日標高は3500メートル17:29そして峠越え。旅友の腕時計の高度計は3829メートル18:57クスコのホテルへ入る。トリプルルームホテルの客室前の廊下に飾られていた絵画19:13夕食を食べながら、民族衣装に身を包んだショーを見る。高地のためアルコールは禁止と!!!料理は、ペルー名物の地鶏料理民族衣装に身を包んだインディヘナの演奏するフォルクローレの歓迎を受けた。ここで『コンドルは飛んでいく』を聴く民族衣装に身を包んだ女性若い男性も民族衣装に身を包み激しく踊っていたが、ここは高地だが馴れているのか19:26約20分のショーを見る夕食後、明日は4時にモーニングコール、5時半に出発との添乗員の声。高地であるためアルコールは控えるようにとのことで部屋へ帰り早々にベットヘ入る。明日はいよいよ今回の最後の観光地、ナスカの地上絵へリマから片道450km以上のバス移動が始まるのであった。 南米の旅ー続く
2020.08.14
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約3時間のマチュピチュ遺跡観光を満喫し、シャトルバスで下山、アグアスカリエンテス駅から列車&バスを利用して今夜の宿泊地クスコへ移動。平成21年6月10日(水) 13:01麓のマチュピチュ村マチュピチュ村の土産物店インカ風模様生地など並べたショップを覗いてみた。総じて原色が多用され、ちょっと派手目いろんな絵柄のバックアグアスカリエンテス駅発、13:58の高原列車に乗車。来る時は乗車券の合計は、39US$であったが、帰りは32US$と何故か安い乗車賃 :US$ 26.89Tax 19%: 5.11 観光の税金が高いTotal : 32.00線路沿いを流れるウルバンバ川、この川は我々が訪れた翌年豪雨で線路も流されたとウルバンバ川沿いのこの設備は、下水処理設備か浄水設備?ウルバンバ川の堰帰りの高原列車の車窓からもいくつもの遺跡が確認できたインカ道はこの上にあるのだろうか渓谷の中を流れるウルバンバ川、アグアスカリエンテス駅方面を振り返るウルバンバ川の上流側列車はゆっくりとウルバンバ川沿いを進む15:00遠く雪を頂いているアンデスの山ズームアップ前方に吊り橋が現れる民家も見える川沿いに新しい民家、衛星中継のアンテナも立つ山肌には木が無く15:06山もウルバンバ川に浸食されウルバンバ渓谷へと進む農家の建物が現れるこの辺りの山の標高は富士山並みか牧草地も広がる15:28線路沿いの田園風景農作業は冬も近くなり麦の収穫かオリャンタイタンボ駅へ近くなる15:36約1時間半でオリャンタイタンボ駅へ到着オリャンタイタンボ駅構内15:39オリャンタイタンボの街をショート散策 南米の旅-続く
2020.08.13
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マチュピチュ遺跡の後半。平成21年6月10日(水) 10:34建物越しに、『日時計(インティワタナ)』中庭越しにインティワタナが頂上に見える遠く見張り小屋と街並みが一望段々畑にはリャマを放牧草をきれいに食べていた。リャマ、ラマ、ジャマは、偶蹄目ラクダ科の動物である。体高約1.2m、体重70~140kg。南アメリカのアンデス地方に多く住む、姿はラクダと似ているが背中にコブはなく、全身が毛で覆われている。白い毛のものと茶色の毛のもの、白と茶色がまだらになったものがいる。足から頭までの体長は1m程度。寿命は20年(野生)見張り小屋と背後の山はマチュピチュ山?小屋入り口の門。倒壊を恐れてか、上部に木材が使われていたこの辺りで青銅器や土器が多く見つかったことから、この地域は技術者の居住区と言われている。そこに建つ小屋のひとつには、内部中央に丸い石がふたつあるが、使用目的ははっきり判っていない。ハイラム・ビンガムが発見した当時、彼のガイド役を務めた地元の少年がこれを石臼にして食事の準備をしたことから、石臼と呼ばれる根拠になったと言われている。最近では、これに水を張って直視出来ない神である太陽を、間接的に見るための水鏡であると説明したり、夜間の天体観測を行ったと説明したり、各種説明がなされているようだ居住区から見張り小屋、マチュピチュ山覗き窓から見張り小屋からはマチュピチュ遺跡が一望できるコンドルの神殿と牢獄のコンドルの石。盗まない・怠けない・だまさないの掟を破ると刑が下されたと右上に「見張り小屋」があり、段々畑が連なる背後はマチュピチュ山、中腹にはインカ道石壁の間を歩きリャマがのんびり草を食べていた一部家には屋根が葺かれていた遠くアンデスの山には残雪水くみ場。街の中には16の水くみ場があるという石の溝を伝って水が流れていた石段に沿って水が流れていた。水のシステムはかなり発達していたと思われ、ところどころに水くみ場がある。灌漑用水路が完備され高地にありながらも水を供給できる仕組み。石に溝を刻んだ水路や、木をくりぬいた水管がある段々畑への灌漑に利用されている太陽の神殿。マチュピチュ遺跡内で他の建物とは、明らかに違うカーブを描いた石組みの建物、それが太陽の神殿だ。よく石という素材でこんなにきれいな曲線を描けるなと感心する人も多い。石がすき間なくびっしりと積まれた太陽の神殿には、東に向いた台形の窓が2つある。ここが実際にどのように使われたかは分かっていない。神殿の下の部分は陵墓と名づけられ、ミイラの安置所だったといわれている神殿の中は工事中とのことで入れなかった。作業員は石をブラシで洗っていた遺跡の後方にワイナピチュマチュピチュ遺跡の出入口方向段々畑の通路から見張り小屋を見上げる。下から見ると傾斜は緩い感じがする段々畑では、ジャガイモ、トマト等が栽培されていた居住街が一望でき、右側に『太陽の神殿』左にマチュピチュの最高地点にある『インティワタナ』、遺跡の中に広場ワイナピチュを望むマチュピチュ遺跡をバックに最後の記念写真出入り口方向、屋根を葺いているので事務所であろうかマチュピチュ遺跡からの下山道を見下ろす11:11約3時間の散策で、マチュピチュ遺跡出口へツアー会社から「登山証明書」10.06.09 をもらう観光案内図我々は、約3時間マチュピチュのフルコース(赤+青のルート)を巡った。左斜め上が入り口、そしてワイナピチュの峰に向かい右の赤い道を歩き、そして青の道を戻り、再び赤の道に入り帰ってきたことになる12:00昼食は唯一遺跡内にある「サンクチュアリーロッジ」にて。レストラン内は満席であった12:33遺跡内で昼食後、シャトルバスで下山ホテル「サンクチュアリーロッジ」の看板 南米に旅-続く
2020.08.12
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ナタマメも成長。8月1日(土) 待ちに待った花が、ようやく咲く。白い花と思っていたが8月8日(土)開花後1週間で実が大きくなってくる ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・マチュピチュ遺跡の散策を続ける。平成21年6月10日(水) 9:36街の入り口を見下ろす街の入り口脇から、マチュピチュ遺跡の東側の段々畑を見下ろすより下を望み、渓谷を流れるウルバンバ川。山肌の傾斜角は45度以上か北東方向の山々街の入り口手前の下り石段(西側)9:38街の入り口の扉の内側には、色々な防衛の工夫がなされていたとの説明現地添乗員の鈴木さん街に入り、前方にそびえるワイナピチュ見張り小屋の下(西方向)には段々畑が続く。インカ人は段々畑ではジャガイモ、トマトを栽培していたと多くの観光客が、『3つの窓の宮殿』から左上の『日時計(インティワタナ)』へインティワタナは、マチュピチュの最高地点にある。下は『3つの窓の宮殿』街の中には石段が連なる建物は石を積み上げて、屋根は廃墟となりマチュピチュ遺跡入口方向の『農業地区・段々畑』遺跡から下に向って幾重にもつづく階段状の段々畑。その数には圧倒されるはずだ。段々畑のシステムには2つの働きがあるのではないかといわれている。ひとつはもちろん作物を育てるためで、もうひとつは、激しい雨による山肌の崩れを防ぐためとのことマチュピチュ遺跡内の大広場北東方向の渓谷と段々畑本神殿の右側の石が下に傾いている。地盤沈下が発生しているとのことで日本の大学の教授がこの地盤沈下調査を行っているとのことだ。途中、地盤沈下測定のワイヤーが張られていた地盤沈下が激しい箇所石組みにすき間三つの窓の宮殿。これらの岩石は、綿密に磨き上げられ積み重ねられていた三つの窓の宮殿から、見張り小屋を見上げる、左側にインカ道。後方は、標高3060mのマチュピチュ山。ワイナピチュのチケットが取れなかった人は、マチュピチュ山の登山をしていると。往復で3時間から3時間半ほど時間がかかる。山へ登るためには受付で名前を記入して、帰りも再度名前を言って受付をします。登山は午前7時から8時の入場と午前9時から10時の2回に分かれている東側の段々畑南十字星。この長斜方形の形は南十字星を表しているとのこと。旅友が腕時計の磁石を近づけてみると、東西南北を正確に指していたと。研究者の中には、ここで天体観測を行ったと考える者もいるようだ北東方向の渓谷を見下ろす南東方向の渓谷西方向の街10:05マチュピチュの入り口側九十九折の坂道は駅からから上って来た道日時計(インティワタナ)。突き出た角柱の高さは36cm。それぞれの角が東西南北に向いている。当時は太陽が消えないように、太陽を繋ぎとめるものとして、太陽信仰の重要な礼拝所であったと考えられていて、角柱の影の組み合わせで春分・秋分、冬至・夏至を判断したと推測されているとのことマチュピチュ遺跡市街区域で一番高い場所に造られたという点を考えると、当時のインカの人々が太陽に近い場所を神聖な場所と考えていたのであろうか。インカの人々は太陽暦を利用していたといわれ、種まき、収穫、祭事の日などをこれで知ることができたのではないかといわれるアンデスの山には残雪が残るワイナピチュ、この山は断崖絶壁で急勾配のため、上級者向きの登山コースとなっている。この山は「若い峰」という意味を持ち標高2700mの山近年NHKが世界で初めて高精細映像の4Kによる生中継を、2日間にわたって行った。この時二日目に、俳優の満島真之介がワイナピチュ山へ登山したが頂上付近では命綱を装着していたワイナピチュ山登山の管理センターか?聖なる岩。向こう側の山の形を写しているとか、猫を象ったとか色々言われているようだ。そう言われると、傾斜こそ違うが良く似ているようにも思えたワイナピチュ登山への入り口。ワイナピチュに登るのは登山人数の制限があるので、朝早くこないと登れない場合が多いという10:33中庭越しに、『日時計(インティワタナ)』が頂上に見える 南米の旅-続く
2020.08.11
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南米の旅六日目は、行ってみたい世界遺産ランキング 人気度トップ『マチュピチュ』へ!因みに、1位:マチュピチュ遺跡(ペルー) 2位:モンサンミッシェル(フランス) 3位:サグラダファミリア(スペイン) 4位:アンコールワット(カンボジア) 5位:ピラミッド(エジプト)平成21年6月10日(水) 午前よく見る「空中都市マチュピチュ」8:14バスを降りレストランを潜りマチュピチュ遺跡へマチュピチュの背後にそびえる峰がワイナピチュ。この山は断崖絶壁で急勾配のため、上級者向きの登山コースとなっている。この山は「若い峰」という意味を持ち標高2700mの山ズームアップすると多くの登山者が見える。近年NHKが世界で初めて高精細映像の4Kによる生中継を2日間にわたって行った。この時二日目に俳優の満島真之介がワイナピチュ山へ登山したマチュピチュ遺跡が見え始めるマチュピチュとは「老いた峰」という意味で、「空中都市」または「失われた都市」と呼ばれている。15世紀前半スペインによりインカ帝国が征服されると、スペイン軍はインカの都市をことごとく破壊し尽くしたが、標高2400メートルに造られたこのマチュピチュは、スペイン軍に見つかることなくほぼ無傷のまま残されたのだ。神秘的で幻想的で夢の世界。宮崎駿監督の作品「天空の城ラピュタ」のアニメはここマチュピチュをモデルにしたのだ今回の同行者。Mさんの奥さんは昨年スペイン旅行でお嬢さんと出会い、今回の旅となった先輩と記念写真マチュピチュの総面積は5キロ平方メートル 、そしてその3分の2が山の斜面を利用した段々畑の農地になっている。背後にワイナピチュがそびえるマチュピチュの街の最も高い位置にある見張り小屋マチュピチュは、クスコからウルバンバ川に沿っていくこと約114キロメートルのジャングルの中にある。標高およそ2280メートルの断崖の上にあることから、スペイン人の征服者の目に触れることなく残ったのであろうといわれる急な段々畑を進む。遺跡の発見はアメリカ人の考古学者ハイラム・ビンガム。1911年、ビンガムはインカの都市ビルカバンバの調査に来たところ、廃墟と化したマチュピチュを発見した。残念ながら、幻のビルカバンバではなかったが、いずれにせよすばらしい発見であったことには間違いないなぜ、わざわざ山の頂に建造したのか、どのようにして石を運んだのか、何の目的で造ったのか、どのような人々が実際に生活していたかなど、まだまだ謎多き遺跡である周辺のジャングルと合わせて、1983年にユネスコの世界複合遺産に登録された。遺跡保護のため「遺跡内には食べ物は持ち込まない」などの見学上の注意事項がいくつかあるマチュピチュ遺跡の後方の山旅行のガイドブックで見るマチュピチュ遺跡の全景前方に見張り小屋9:07天気もよく風もなく最高の天気。しばしこの辺りで休憩一般の観光ルートでは一番高い場所石に座り、爪切りを出し長く伸びた爪を切りながら遺跡を見下ろす採石場とその下に段々畑が見える。段々畑はかなりの勾配であり足がすくむ東側の渓谷を見下ろす。この急勾配によく石垣を造ったものだと感心街の入り口(右下)には多くの観光客右前方に、見張り小屋廻りの山並みを見渡す右下の「街の入り口」のすぐ左側は崖っぷち見張り小屋へこの石は葬儀用の石とのこと。この不思議な形の石台は墓地の近くにあり、人間あるいは動物がこの上で生け贄にされたのではないかと言う説があるようだ見張り小屋クスコへのインカ道インカ帝国の端から端までをつなぐ幹線道路がインカの時代に造られ、カパック・ニャンと呼ばれた。その道に沿って等間隔に設置されたのがタンボと呼ばれる旅籠で、チャスキと呼ばれる飛脚が情報を運んだといわれている。首都クスコを拠点に海抜0メートルの砂漠地帯、アンデス山脈など、国中に張りめぐらされていた「インカ道」。旅籠とか飛脚と書くと、この3月に「東海道53次」を完歩したことを思い出す石畳のインカ道その中には、ビンガムが追い求めたビルカバンバ=インカの幻の都へと続く道もあったのだろう。文明の滅亡とともにさまざまな謎も閉ざされてしまったのは残念だ。現在はガイド同行でインカトレッキングも催行されているインカ道への反対側は、見張り小屋東側にある段々畑を望むが、余りにも急斜面で写真を撮りながら足がすくむ見張り小屋から望む、南方向見張り小屋の内側、茅葺屋根であろうか。屋根の傾斜が急だ見張り小屋から南西方向を見下ろす見張り小屋からマチュピチュ遺跡の全景を見下ろす西側の渓谷マチュピチュ遺跡の全景を目に焼き付けて下る街の入り口には多くの観光客9:36街の入り口手前の段々畑 南米の旅-続く
2020.08.10
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南米の旅六日目は、いよいよ今回の旅のメインディッシュである『マチュピチュ』へ。昨夜は高度順応の為、クスコより標高の低い2800mのウルバンバにて宿泊。3000mを切ると高山病らしき弱い症状もだいぶ楽になった。ちなみにウルとはケチュア語でミミズを意味し、バンバは谷なので直訳するとミミズの谷の意。平成21年6月10日(水) 3:05モーニングコールが3:15であったが、早めに起き日本から持参のカレーを食べる旅友の腕時計は、標高 3040m、時間 3:32 3:50ホテルの外へ出暗い中「HOTEL ROYAL INKA PISAC」の看板を見上げるホテル前には近郊の観光写真またホテル内には、ピサックからマチュピチュまでのルート図が描かれていた。数字はCUSCO(クスコ)からの距離、PISAQ(ピサック)の、32kmはクスコから?OLLANTAYTAMBO(オリャンタイタンボ)これからバスで、オリャンタイタンボへ向かうが、距離は、97-32=65kmMACHUPICCHU(マチュピチュ)オリャンタイタンボから高原列車でマチュピチュへの距離は、110.5kmホテル内の暖炉バスは約一時間悪路の中走ったが、早朝出発のため皆さんバスに揺られて気持ちよく熟睡。5:30ホテルを4:30に出発、オリャンタイタンボ駅へ到着。重いスーツケースはバスに預け、必要なものだけを持ちバスを降りる。駅舎内には早朝のため人影はなくペルーレイルの時刻表時刻表を見るとクスコ ⇔ マチュピチュ間は、3本あり所要時間は約3時間。オリャンタイタンボ ⇔ マチュピチュ間の本数は、多数ある、所要時間は約1時間半。乗車賃は高価でネットでみると、往復料金で安く買えて約6,000円、通常価格は約12,600円チケット売り場クスコ ⇔ マチュピチュ間は車は走れないので、列車か徒歩になる。マチュピチュ行きの列車3種類。2003年から新しく導入された豪華列車ハイラム・ビンガム・トレイン、観光客向けのビスタドーム、シンプルな車両のバックパッカー。クスコからマチュピチュまで約114キロ。長距離バスはなく、列車を利用するのが一般的だ駅前にはカフェがあり、ピザ、エスプレッソを販売駅構内はまだ薄暗い5:48山の上には満月がディーゼル機関車ペルーレイルはビスタドームと呼ばれる列車で、オリャンタイタンボ駅からマチュピチュのふもとにあるアグアスカリエンテス駅まで乗車列車内の座席は向かい席の4席席に座りホテルからの弁当を食べる6:10チケットの確認に、列車は予定時間に出発乗車チケットには、各自の名前&パスポートナンバーが記載されていた。乗車賃 :US$ 32.77Tax 19%: 6.23 観光の税金が高いTotal : 39.00当時は英国系の企業が経営していたが6:19オリャンタイタンボ駅を出発して、最初はのどかな畑の風景と雄大なアンデスの山の景色が続く雄大なアンデスの山には雪6:36高原列車はマチュピチュに向ってゆっくり走る。この辺りから川を渡りインカ道を歩いてマチュピチュへ向かう人もいる6:40西の空には満月を過ぎた月、今日も一日天気が良さそうでひと安心6:46この駅で下車してインカ道へ向かう人が多くいる。線路が単線のため、停車してオリャンタイタンボ行き列車を待つオリャンタイタンボ行き列車とすれ違う線路脇を流れるウルバンバ川この川はこの旅を終えた翌年?に豪雨被害で線路が流出したと。今年2020年も豪雨被害があったと高原列車はウルバンバ川沿いをゆっくりと進む7:40約1時間30分ほどで目的地のアグアスカリエンテス駅に到着。列車はここで折り返すのでディーゼル機関車は方向転換するのか?マチュピチュ村にある、アグアスカリエンテス駅標高2000mにある村駅前にはお土産物屋、レストラン、マッサージ屋さんなどが軒を並べるお土産のペナントマチュピチュ村の中央に川が流れており、なんだか雰囲気は日本の温泉宿場のようだ!? ホテルから20分ほど歩いて山の中に入っていくと、露天風呂の温泉があるという7:42アグアスカリエンテス駅からマチュピチュ遺跡へのバス料金。遺跡へのアクセスはシャトルバスで登る麓からマチュピチュ遺跡を見上げるがこの辺りからは見えず8:06満員のシャトルバスは、ハイラムビンガムロードと呼ばれる九十九折の坂道を登る左前方にマチュピチュ遺跡そばにそびえる「ワイナピチュ」が見える。この山は「若い峰」という意味を持つ標高2700mの山8:13標高2280mのマチュピチュ遺跡入口。ここまで乗車したシャトルバス、麓から約20分で到着入り口にあるレストラン、いよいよマチュピチュ遺跡へ 南米の旅-続く
2020.08.09
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クスコの市内観光後、マチュピチュへ向かうために今夜の宿泊地へ。平成21年6月9日(火) 14:21クスコの中心地・アルマス広場の北東部に建つカテドラル(大聖堂)。インカ時代のビラコチャ神殿の跡に建てられたもの。1550年から建設がはじまり、完成に百年を要した。右の大塔には1659年につけられた南米で最大の鐘マリア・アンゴラがあり、その深い響きは、20km先にまで達するという。 カテドラル前からの、アルマス広場アルマス広場に面したラ・コンパーニャ・デ・ヘスス教会この教会は、第11代インカ皇帝ワイナ・カパックの宮殿だったとのこと。この教会はインカ時代の宮殿跡に建てられた教会で、1650年の大地震で一度崩壊しているという自由時間になり各自動き回るアルマス広場左:カテドラル、右:ラ・コンパーニャ・デ・ヘスス教会別方向から、ラ・コンパーニャ・デ・ヘスス教会アルマス広場街角に「マクドナルド」私は食べずらいのであまりマックは買ったことがありませんが、おなじみの赤地に黄色の文字ではなく黒字のマクドナルドの文字Mのみ。黒の地味な看板で営業をしているのは 景観保護のためとのことカテドラルインカ時代のビラコチャ神殿の跡に建てられたもので、使用されている石材は近郊のサクサイワマン遺跡から運ばれた。中にある画家マルコス・サパタ作の「最後の晩餐」には、なぜかクイ(クスコ名物のテンジクネズミ)が描かれている。まさにこの国ならではの最後の晩餐このような絵であったのか、見学しなかったので???カテドラルを正面からアルマス広場越しにラ・コンパーニャ・デ・ヘスス教会アルマス広場でのんびりする観光客。広場の周りには土産物店、旅行会社が立ち並ぶ14:50約30分間の自由行動の後、アルマス広場を後にする15:18クスコから今夜の宿泊地ウルバンバへバスからの車窓15:23道路下は「サクサイワマン遺跡」サクサイワマン遺跡をズームアップ15:56クスコ観光終了後、今晩の宿のあるピサックの村に向かう。突然前方の山の斜面に段々畑が現れるピサックはクスコから北東30キロメートルの山々の谷間に小さく拓けた村である。昔と変わらないインカの人々の生活を垣間見ることができるという。ピサック村の背後の急な斜面にある遺跡は、太陽の神殿や段々畑などがあり、マチュピチュの遺跡に似ていると下を流れるのが、ウルバンバ川山の斜面に段々畑とインティワンタナ遺跡がある。インカ皇帝や地位の高い僧侶などが宿泊した場所で、神聖なる儀式が行われていたのではとインカの聖なる谷「ウルバンバ渓谷」インカの聖なる谷には、ウルバンバ、オリャンタイタンボ、ピサックの遺跡やマーケットなどのインカ帝国の遺跡や村々がある。中でも、クスコから約88キロのところにあるオリャンタイタンボ遺跡は、高さ4メートル級の6個の巨石がすき間なく並んだ壁のようなものがあることで知られている。また、インディヘナたちが集まる日曜市場が有名な(火曜・木曜にも市あり)ピサックは、民族衣装に身を包んだ女性などもやってくるので地元の雰囲気を味わえるこの川はマチュピチュ方向へ流れる盆地には牧草地が広がる16:17バスは丘から下り、ウルバンバ渓谷のホテルへ到着アメリカの国旗が掲揚されていたが何かあったのか?今朝はモーニングコールが4時で、リマの出発が早かったので早めにホテルへ到着ホテル内の中庭には花が咲き誇り、遠く日本から来た我々を歓迎!ホテル廻りに咲くブーゲンビリア天気もよく明日も好天であろうか中庭に建つ像、衛星放送のアンテナもホテル入口ホテル内のホテルのペナント部屋の壁色はペルーらしい色合い。この日はツイ―ルームであったか?室内の水廻りをチェック、異常のないことを添乗員へ連絡17:35夕食はホテル内のレストランでとる。部屋に入り、日本食が恋しくなり、ホテル内での夕食前に旅友が日本から持参した味噌汁を飲むことにした。南米のホテルには電気ポットが置かれていないとの事前情報から持参の鍋でお湯を沸かす。しかし、ここは高度3000m、沸騰温度85℃。ややぬるかったが久しぶりの日本の味を満喫した同行のMさんご夫妻を我々の部屋に招待し、ワインを飲み多いに盛り上がったのであった。このあと、現地添乗員の鈴木さんからホテルの中庭から南十字星が見えるというので、千鳥足で中庭に出てみた。この南十字星は、天の川の中に位置している。たくさんの星が輝いているので、見つけにくかったが 添乗員の説明により、漸く肉眼でもハッキリ見ることができた。南十字星を見たが写真が無くアップできないのが残念。そしてまた明日は、3:15 モ-ニングコール、4:30 出発の指示が下されたのであった。 南米に旅-続く
2020.08.08
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クスコの市街地観光を続ける。平成21年6月9日(火) 12:20現在はサント・ドミンゴ教会となっているが、インカ時代には「コリカンチャ」と呼ばれる太陽の神殿があった。16世紀、征服者のスペイン人たちは神殿にあった黄金製品を本国へと持ち去ったのち上部を壊して教会を建てた。コリカンチャは、ケチュア語で「金の場所」という意味です(コリ=金、カンチャ=場所)サント・ドミンゴ教会の中庭真ん中に井戸があるが、この井戸はカテドラルの地下にある水源まで地下でつながっているとのことだ。昨年のスペイン旅行で訪れたアルハンブラ宮殿の中庭にもにていたカラフルな幕を飾り。1950年の大地震後はインカの建築を尊重するようになり、考古学調査が行われ観光公開されるようになり、インカ文化とカトリック修道院文化を違いを楽しめる16世紀、征服者のスペイン人たちは神殿にあった黄金製品を本国へと持ち去ったのち、上部を壊して教会を建てたその後の大地震でスペイン人の建てた部分は崩れたもののインカの石組みは残ったという。開口部は窓で、インカの精巧な石組観光客が触って色が変わったのか、最も小さな石組み(一遍1cmほど)。欠けた部分を補修するためだったのか、詳しいことは分かっていませんが、ここまで繊細な仕事をするインカの人に、ただただ脱帽です!現在は、観光客が触るので透明のパネルで覆われているとのこと、我々が最後であったか?ここの石組みもスペイン人征服後は、ほとんどの建物や塀は壊されましたが、残った神殿跡を修道院の一室にしたり、土台にして修道士たちが生活をしていましたインカの世界観を表した黄金の壁画。インカの人々は文字をもたなかったため、絵にすることで表現した。三層に分かれており、上にある楕円のものが太陽の神だそうだ サント・ドミンゴ教会から外を望むサント・ドミンゴ教会の外庭かつてここは金のリャマ、金の泉、金のとうもろこし等、金でできたもので覆い尽くされていたサント・ドミンゴ教会の外庭インカの建築物は地震に耐えるような見事な耐震構造になっている。例えば、壁はまっすぐではなく内側に10度傾いている、また、石を単に重ねていくのではなく石に凸凹の細工を施し、それをパズルのように組み合わせることにより、より強固な造りとなっているサント・ドミンゴ教会の外を歩き標高が3400mあるのでゆっくりと歩くサント・ドミンゴ教会の外庭クスコの山並み12:53サント・ドミンゴ教会12:58アルマス広場へアルマス広場に面したラ・コンパーニャ・デ・ヘスス教会。 第11代インカ皇帝ワイナ・カパックの宮殿だったとのこと。この教会はインカ時代の宮殿跡に建てられた教会で、1650年の大地震で一度崩壊しているというカテドラのそばを通り昼食会場へ前方に教会がそびえる13:16昼食はレストランへこの料理は「???」、この頃はあまり料理の写真は撮っていなかったクスコ名物は「クイ」の丸焼き、クイとはネズミ(テンジクネズミ)のこと。ペルーへ来たら是非食べてほしいと、ペルーの人々が食する好物(ネットから)13:54食事を終え路地へ14:05石畳の路地と石積の基礎路地には土産物店も14:12路地にある「12角の石」インカの石組みの特徴は「カミソリ一枚通さない」こと。ここクスコの街中の道に残る石組みはまさにその象徴的存在。いったいどうやって造ったのか。12の角の複雑な切り込みだけでなく、その周りを固める石組みも注目であるここの石組みも、石を単に重ねていくのではなく石に凸凹の細工を施し、それをパズルのように組み合わせることにより、より強固な造りとなっている路地をアルマス広場へスペイン風ベランダ14:21アルマス広場に面したラ・コンパーニャ・デ・ヘスス教会 南米の旅-続く
2020.08.07
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南米の旅5日目は高地のクスコ観光、標高が約3400mあるので急激な行動は控えめに。平成21年6月9日(火) 10:55タンボマチャイの沐浴場近くの草原に咲く花カラフルな絨毯を販売幼児を子守しながらの販売11:16サクサイワマン遺跡へ下りて来るクスコの町を見下ろすサクサイワマン遺跡町全体がピューマの形をしているといわれるクスコ。市内にいるときにはわからないが、空からの映像で確認できる。その頭の部分にあたるのがサクサイワマン。サクサイワマンの建築は第9代皇帝パチャクティの時代からといわれているものの、要塞なのか、宗教的な儀式のためのものなのかなどの詳細はいまだに分かっていない大小の石を積み上げているここの特徴は、なんといっても人間の背丈以上の巨石を積み上げた石組み。いったいどのようにして、3層も石を積み上げたのかと考えると非常に興味深い。また、ここの石組みもカミソリ一枚通らず、形も大きさもばらばらでありながら、パズルのようにうまく組み合っている広場に咲く茎無しタンポポ添乗員は「首無しタンポポ」と言っていたがサクサイワマン遺跡近くの丘の上に「巨大キリスト像」現地添乗員の鈴木さんここの特徴は、なんといっても人間の背丈以上の巨石を積み上げた石組み巨大キリスト像の下に多くの人が登っていたここの石組みもカミソリ一枚通らない石積みである推定360トンの巨石形も大きさもばらばらでありながら、パズルのようにうまく組み合っているこの広場で、南米3大祭りのひとつ「インティ・ライミ」が行われる。冬至の日に行われるので、時期としては6月半ばすぎ。クスコの太陽の神殿から祭りは始まり、その後、サクサイワマン遺跡にて行われる。カラフルな民族衣装とアンデスの音楽が楽しめる。「インティ」とは太陽のことで、トウモロコシで造った酒「チチャ」を太陽にささげる。皇帝がいけにえのリャマの心臓をえぐり出し、太陽にさらし、翌年の収穫を占って幕を閉じる形も大きさもばらばら山の上には鉄塔が林立サクサイワマン遺跡で記念写真急な山肌に民家が立ち並ぶズームアップ、急な傾斜に建っている民家?サクサイワマン遺跡広場11:47サクサイワマン遺跡の案内板案内板の傍に立っていた値段表?クスコ象徴の花と言っていたが花の名前は?11:55バスに乗り市街地へ12:11サクサイワマン遺跡からバスで下り市街地観光へ12:15バスから歩いて、この建物は?鐘楼を見上げる12:17サント・ドミンゴ教会(太陽の神殿)南米3大祭りのひとつ「インティ・ライミ」の開会式が行われるインカの神殿跡サント・ドミンゴ教会(太陽の神殿)現在はサント・ドミンゴ教会となっているが、インカ時代には「コリカンチャ」と呼ばれる太陽の神殿があった。16世紀、征服者のスペイン人たちは神殿にあった黄金製品を本国へと持ち去ったのち上部を壊して教会を建てたサント・ドミンゴ教会の中庭 南米の旅-続く
2020.08.06
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南米の旅5日目は、標高約3700メートルのインカ帝国の遺跡観光。街の東方を守る要塞があった『サクサイワマン城塞跡』へ。平成21年6月9日(火) 9:56左上まで観光バスで来る『ケンコー遺跡』インカの祭礼城跡と言われており整備されていたカラフルな縫製品を露天販売クスコ市街地を見下ろす狭い石組の中へ入る一枚岩をくりぬいて現地添乗員の鈴木さんが説明一枚岩の洞窟の中には石のベッドが置いてあった。これはミイラを作る台であったらしいと横穴もありいろんな設備があったのであろう洞窟から出る岩場の下をくりぬいてクスコの町を見下ろす次の遺跡へと移動10:09サクサイワマン町全体がピューマの形をしているといわれるクスコ。市内にいるときにはわからないが、空からの映像で確認できる。その頭の部分にあたるのがサクサイワマン。サクサイワマンの建築は第9代皇帝パチャクティの時代からといわれているものの、要塞なのか、宗教的な儀式のためのものなのかなどの詳細はいまだに分かっていないここの特徴は、なんといっても人間の背丈以上の巨石を積み上げた石組み。いったいどのようにして、3層も石を積み上げたのかと考えると非常に興味深い。また、ここの石組みもカミソリ一枚通らず、形も大きさもばらばらでありながら、パズルのようにうまく組み合っている方々で土産物店が営業広い広場10:22プカ・プカラ赤い要塞の意味。赤みを帯びた石灰岩を用いているためこの名前があるが、インカ時代オリジナルの呼称は伝わっていない民芸品を売る女性インカ帝国の幹線道路であったインカ道が首都クスコに入る際の関門の位置に立地し、関所および首都防衛のための軍事要塞の役割を果たしていた。約1キロメートル離れた谷の奥にタンボマチャイがある眺望がよく見張り台がある城壁に囲まれ焼きが甘い感じがするが陶芸品10:30丘を登り、標高3765m地点富士山の頂上より少し低いポイントであり、添乗員から「ゆっくり歩いて」とTAMBOMACHAY(タンボマチャイ)アルパカと手編みをする女性10:40この女性は土産物店の?折角持ってきたので杖を使用石組の間から水がわき出ていた雨期・乾季にもかかわらず、一年中水が出ている丘を登ると、両脇に民芸品を売っていた絨毯であろうかサクサイワマン遺跡からさらに丘を登る値段表がついていないので都度交渉になるそれにしてもカラフルである10:48タンボマチャイの見張り台クスコ近郊で「聖なる泉」として知られる遺跡・タンボマチャイは、サクサイワマン遺跡からさらに丘を少し登る標高3800mの遺跡ですタンボマチャイの沐浴場この泉は、インカ時代から絶えることなく流れ続け、またその水源がどこにあるのかは今でも謎のままです。インカ以後500年が過ぎても、当時のように泉は水を湛えます。周囲の丘の上には川はなく、サイフォンの原理で水をくみ上げていると言われます遺跡の中心部では、インカならではの非常に入り組んだ石組を見れます。石組が精巧であればあるほどに、その場所が聖地であったことを意味します暑い日などは飲みたくなるが、快適な旅を続けるためには手で水を感じるくらいにとどめたほうがいいと「タンボ」は宿泊施設を、「マチャイ」は休息所を意味します。かつて王族の「宿場」を兼ねた「沐浴場」であったのではと言われます 南米の旅-続く
2020.08.05
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南米の旅5日目からは、今回の訪問国最後のペルー。日本とペルーとの時差はマイナス14時間でサマータイムは実施していない。言語は、アルゼンチンと同じでスペイン語。平成21年6月9日(火) 4:54モーニングコールは4時で起こされたが、前夜遅く着いたのでほとんど寝れず。暗い中、ホテルを出発6:16リマ空港へ到着、朝食はホテルからの弁当出発ロビーのカウンターへ搭乗機は7:40発のクスコ(CUSCO)行き、LP019 便セキュリティー検査を受け6:59搭乗ゲートへペルー国内もラン航空が就航リマからクスコへは約1時間15分の飛行7:58予定の7:40に離陸クスコ観光後はマチュピチュへ。人気のあるペルー・ボリビアの『チチカカ湖』へはクスコから南方へ約400km。ブラジルのイグアスを交えたツアーがなかったので残念!アンデス山脈を越えクスコへとアンデス山脈は南アメリカの西側に沿って走る世界最長の山脈のひとつです。氷河、火山、草原、砂漠、湖や森といった大自然が多様な地形を作り出しています湖をズームアップ男性アテンダント国内線だが機内食の朝食がでる山頂には氷河のような残雪8:31高度を下げ始める山並みの間にクスコの町標高約3,400mのクスコ空港クスコはインカ帝国時代の都である。標高約3,400mにあるクスコ。11~12世紀ごろ建設され、太陽神を崇拝するインカ帝国の都として栄えた。クスコはケチュア語で「へそ」の意味。帝国内のあらゆる地方から人が集まっていたとのことで世界の中心とされていた16世紀にはスペイン人による征服がクスコにも及び、インカ帝国は崩壊してしまう。征服者たちは神殿や宮殿を破壊し黄金を略奪し、インカが築いた精巧な礎石の上にスペイン風の教会などを建設した搭乗機から荷物を下ろしインカ帝国の遺跡というとマチュピチュが有名ですが、その都は300年以上にわたってペルーのクスコにあり、マチュピチュへの玄関口でもあります。現在の町並みは、スペインに征服された後に建設されたものですが、その下地となっているのはスペインの征服者たちが破壊したインカの都の街並みです。現在の人口は42.84万人(2017年)8:56到着ターミナルへ入ると民族衣装を着て歓迎。郷愁漂うアンデスの民族音楽、フォルクローレは楽器も個性的豊か。サイモンとガーファンクルの「コンドルは飛んで行く」でもなじみ深いアンデスのメロディー。そのフォルクローレの演奏に欠かせない4つの楽器がある縦笛式のケーナ、長さの違う細いパイプのようなものが2層式になっているサンポーニャ、和太鼓のようなボンボ、ウクレレのような小型の弦楽器チャランゴ。前ふたつはインカ以前からアンデス地方に伝わる楽器。ボンボ、チャランゴに関しては、スペインから持ち込まれたのではないかといわれ、このアンデスの地でさらに独自のスタイルを築き上げ今に至る民族音楽のCDを$10で販売インカ帝国の?ターミナル前には観光バスが出迎え高度が高いので酸素が薄く息苦しい感あり添乗員から「激しい動きはしないように!」と注意勧告廻りの山は富士山を超える高さバスに近づいて、お土産を売る子供、手・頭にも品物が、体以外は売り物子供は土産物店から売り出しに9:15アレハンドロ・ベラスコ・アステテ国際空港の管制塔。空港名は、ペルーのパイロットの名を冠して命名された滑走路は、3,397m×45mの一本インカ帝国は、南アメリカのペルー、ボリビア(チチカカ湖周辺)、エクアドルを中心にケチュア族が築いた国。文字を持たない社会そして文明であった。首都はクスコ。世界遺産である15世紀のインカ帝国の遺跡「マチュピチュ」から、さらに1,000m程高い3,400mの標高にクスコがある。1983年12月9日、クスコの市街地は世界遺産となった9:35市街地からバスで山へ登るクスコの町を見下ろす家並みの屋根は日干し煉瓦方向を替え山肌に書かれた文字が二つズームアップ左は VIVA EL PERUとは「ペルー万歳」と書かれています右はペルーの「国章」が描かれています。一番上の丸く見えるのがオークの枝の冠であり勝利と栄光を象徴。盾の左上にはペルーを代表する動物であるビクーニャ。これはペルーの生態系を象徴、盾の右上には国花であるキナが。盾の下部には溢れだす金貨が描かれているのだと。これは豊富な地下資源を象徴先住民とアルパカ各自1ソル(約30円)支払い、アルパカと記念写真。紫外線が強いのでおばさんは陽に焼け真っ黒、流石の私も負ける黒さ9:47クスコの町を描くおじさん抽象的な絵だが別の絵も見せてくれたが、これも抽象画後ろの丘に建つ『巨大キリスト像』 南米の旅ー続く
2020.08.04
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南米の旅4日目は、ブエノスアイレスの市内観光を続ける。平成21年6月8日(月) 15:26往時の繁栄を忍ばせる建築群15:285月広場に面して建っている大聖堂『カテドラル・メトロポリターナ』18世紀中頃から建設が開始され、1827年に完成したネオ・クラシック様式の大聖堂。12人の使徒をを表す12本の柱、その上のモチーフを5月広場側からじっくりと眺めて中に入りたいと5月広場からの『カテドラル・メトロポリタ-ナ』鐘楼の時刻は15:30、5月広場へ移動5月広場からカテドラル・メトロポリターナを振り返るブエノスアイレスの中心地といえば、5月広場周辺。16世紀に作られた町は、この広場を中心にして、徐々に栄えていきます。カサ・ロサーダ(大統領府)の正面に位置することもあって、革命、大統領の演説、大規模なデモなど、様々な歴史の舞台として重要な場所となりました。周辺には、カサ・ロサーダの他にも、カテドラル・メトロポリターナという大聖堂やカビルドといわれるう市議会など、ブエノスアイレスの象徴ともいえる建造物が周りを取り囲んでいます塔の座には「25 MAYO 1810」5月広場は、1810年5月25日の独立運動のきっかけとなった五月革命に由来する。塔の上の像は、アルゼンチン独立運動の指導者の「マヌエル・ベルグラーノ将軍」で、アルゼンチンの国旗を作った将軍としても知られている“ピンクの家”の愛称で親しまれる大統領府1873年から94年にかけて建設されたスペイン・ロココ調の建物。カサ・ロサーダ(ピンクの家)とも呼ばれている。もともと要塞の役目を果たしていたもので、今でも屋上にはヘリポート、建物のいたるところにレーザーセンサーが張りめぐらされ、武力こそ持たないが近代的な要塞としての威厳を保っているペロン元大統領夫人エビータが演説したバルコニーや衛兵交代式が見ものであると。映画「エビータ」で、エバ・ペロン扮するマドンナが、この建物のバルコニーに立って「アルゼンチンよ泣かないで」を歌ったシーンで有名である15:37モンセラート地区(MONSERRAT)の治安はかなり注意が必要な地区2階建ての観光バス露天商では「甘い落花生」を販売15:44バスに乗り込み車窓からの街並み車窓から16:00バスを降り自由時間になり、ボカ地区を散策。ボカ地区は「治安が悪いことで有名」であるが、カミートの観光だけであれば、観光客が多く警察や警備員に守られているので問題は起きにくい。だが、カミートを除くと貧困層が集まる場所もあり、銃器を使った外国人観光客への強盗被害や邦人への首絞め強盗の被害などの報告。場所によってはスリも多いので注意と!ブエノスアイレスで最も有名な観光地といえばカミニート。カミートとは港沿いの下町、ボカ地区にある小さな通りのことですが、赤、青、黄、緑など、カラフルにペインティングされた家が並びますもとは、この地に生まれた有名な画家キンケラ・マルティンのアイデアによって作られた通りだとか。通りには土産物を売る屋台が並び、広場ではタンゴダンサーたちが客寄せをかねて踊ったり一緒に写真を撮ったりしているのも名物のひとつ。しかしこの日は出会わなかったボカ地区はアルゼンチンタンゴの発祥の地といわれ、中でもカミートはタンゴの名曲「カミート」の舞台となった路地。通りを囲むカラフルな色彩の家々は必見アルゼンチンのサッカーシャツ10番を着たおばさんも港には新旧の橋VUELTA DE ROCHA路線バス鉄塔もアルゼンチンカラーアルゼンチン独立戦争?カミートには、赤、青、黄、緑など、カラフルにペインティングされた家が並びます土産物店もカラフルな色彩で入り口の上には土産物店の犬吠えもせず静かに歓迎してくれたアルゼンチンの10番は、やはり、1986年のメキシコワールドカップ優勝に導いたレジェンドのディエゴ・マラドーナ、いまでもカリスマ的な人気を誇る。その後は、オルテガ、リケルメ、メッシ16:44集合場所で待つツアー仲間、土産物を路地販売16:50約45分の自由時間でボカ地区の観光を終え、バスに乗り車窓からエセイサ国際空港への途中、車窓から。ブエノスアイレスともお別れ17:33エセイサ国際空港:正式名称 ミニストロ・ピスタリーニ国際空港ラン航空カウンターへ18:37電光掲示板には、チリ、ブラジルのリオデジャネイロ、サンパウロ、米国のニューヨーク、マイアミ、アトランタ、ヒューストン、ドイツのフランクフルト、スペインのマドリードと世界各国へ飛ぶ。我々は、LP 2428 Lima 20:10発 に搭乗21:45搭乗後、1時間半で夕食の機内食が出る23:57(アルゼンチン時刻)ペルーのリマへ向けて飛ぶ飛行時間約4時間45分で、リマ空港へ到着。現地時間、23:41(アルゼンチン時間 6月9日 1:41)到着ロビーへ、多くの出迎え者が。リマの時差はブエノスアイレスより2時間あとのため2時間戻す23:54バスへ乗り込む6月9日(火) 0:4424時にホテルへ到着、明朝は出発が早いため4時にモーニングコール。この夜はツインルームへ、先輩は別の部屋へ。早々にベッドへ入るが寝つきが悪く 南米の旅-続く
2020.08.03
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昼食後、ブエノスアイレスの市内観光へ。平成2年6月8日(月) 14:23バスから降り『レコレータ墓地』へ。大きな犬を7、8匹連れたこの人は、犬の散歩を商いとしていると鉄柵で囲まれた大きな木レコレータ墓地近くの彫像この建物は「レコレータ墓地の入口門」この界隈の案内図下が『レコレータ墓地』、上が『アルゼンチン国立図書館』14:27レコレータ墓地の配置図1822年に建設されたレコレータ地区にある墓地で、彫像が施された墓が並ぶ。特に独裁政権で名をはせたペロン大統領の妻、「エビータ」ことエバ・ペロンの墓が有名だ。他にも多くの著名人の霊廟があり、豪華な墓石は一級の芸術品といえるブエノスアイレス有数の高級住宅街にある墓地で、5.5ヘクタールの土地に、4,000以上の納骨所があり、そのうちおよそ90はアルゼンチンの国家歴史モニュメントに指定され保護されている彫刻で飾られた大理石の墓など、アール・ヌーボー、バロック、ゴシック様式など様々な様式が見られ、建築的、芸術的にも高く評価されています墓地内には歴代のアルゼンチン大統領、ノーベル賞受賞者、大富豪などが埋葬されている敷地内にいっぱいに霊廟が建つ世界で最も美しい墓地の一つに数えられており、ブエノスアイレス観光のビューポイントになっている墓地内は番地になっているエバ・ペロンの墓の入り口にある男性のプレート。この男性は、エバの妹エリサの夫で「アルフレド・アリエータ(Mayor Alfredo J. L. Arrieta)」彼は1938年に軍を引退し、1946年から1950年に死去するまで、ブエノスアイレス州の上院議員を務めた人物現地添乗員から、ペロン大統領夫人 エビータについて説明を受けるEVA PERON エバ・ペロン1952 ~ 26 DE JULIO ~ 1982死去は、1952年7月26日(33歳没)だが、1982は?独裁政権で名をはせたペロン大統領の妻、「エビータ」ことエバ・ペロンの墓。人気があり、いつもバラの花が飾られているペロン大統領夫人 エビータの墓死去:1952年7月26日(33歳没)エビータの墓には多くの人が訪れており、御墓には慈善活動に熱心であった彼女を讃える多くのプレートがはめ込まれている敷地はとても広く、お墓の多くが個性的、芸術的です。彫刻の多くは、アルゼンチンの著名な彫刻家(ロラ・モラ、ルイス・ペルロッティなど)による作品です世界でも有数の美しい墓地というだけあって、まるで美術館か博物館を訪れているように感じる等身大以上の彫像犬を連れたブロンズ像足元に猫が2匹彫像が並ぶ14:46レコレータ墓地を約20分見学して、バスへ向かうバスの車窓から14:54ブエノスアイレスの中心にある7月9日大通り、世界で最も幅が広い道路である大通りの中央には白く巨大な「オベリスク」がそびえ立っている道路脇の街路樹に大きな実がついているがこの実は?現地語でパロボラッチョ(palo Borracho)と呼ばれる木、日本語訳すると「酔っぱらいの木」で並木になっていた。沖縄で「トックリキワタ」と呼ばれている木と同じ。実が徳利に似て来るので「酔っぱらいの木」と呼ぶと現地ガイド?が言っていたと14:55車窓から『コロン劇場』世界3大オペラハウスのひとつ。観客3,000人、奏者600人を収容でき、ミラノのスカラ座をしのぐ規模。バレエや演劇、コンサートなどさまざまな公演が催されている14:58ラバージュ広場に建つ『ファン・ラバレ記念塔』、建物は『州政府事務所』公園側の「コロン劇場」は工事中正面壁面に『ESCVELA PRESIDENTE ROCA』昔の大統領の名前の付いた「大統領ロカ學校」15:00州政府事務所、ファン・ラバレ記念塔塔の上の像は独立戦争の英雄「ファン・ラバレ」15:15ラバージュ広場から歩いて移動大聖堂『カテドラル・メトロポリターナ』の横に建つ『ブエノスアイレス市議会』15:165月広場に面する大聖堂『カテドラル・メトロポリターナ』1753年に崩壊後、1823年に建て直された大聖堂。アルゼンチン独立の英雄、サン・マルティン将軍が眠る棺が安置されている。大聖堂は毎日開いており、入場料は無料で定期的に無料のコンサートが開かれている大聖堂内フレスコ画彫刻の像主祭壇は19世紀に造られた木彫りの作品。その横のマリア像も見ておきたいとガイドブックにステンドグラス見上げればドームステンドグラスに照らされた教会内は広く、厳粛な空気が漂う 南米の旅-続く
2020.08.02
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今日から八月、新型コロナウイルスの感染も全国各地で広がり第二波到来。テレビでは「GO-TO キャンペーン」の賛否を報道。感染に関して政府から方針を出してほしいとか、言っているが、基本的には各人が責任を持ち、以前から言われている『三密(密閉・密集・密接)』に心掛けて行動することではないか!関西では梅雨明けしたが、関東では来週には梅雨明けに?、そろそろ出かけたいものです!夏野菜もこの長梅雨で生育が悪いのでは!そんな中、今年4月頃から我が家を飾ってくれた「胡蝶蘭」の植え替え作業を行った。胡蝶蘭は以前努めていた会社から貰い受けたもので、もう10数年来栽培している。二年に一度は植え替えする必要があり、梅雨空で出かけることもできないので・・・・・。4月23日の玄関先を飾る、紅白の胡蝶蘭胡蝶蘭は、咲いている期間が長く徐々に咲き6~7輪咲く赤の胡蝶蘭我が部屋でも、香りがすれば最高だが残念ながら7月13日4月から3か月玄関先を飾ってくれた胡蝶蘭。まだ一ケ月は楽しめるが、株の疲れを考え早めに切り落とし花瓶へ玄関先では、胡蝶蘭とカサブランカの競演で香りが漂い今年は7月中旬になっても毎日のように雨が降り、外出自粛で遠出もできず『胡蝶蘭の植え替え』。植え替え前日に、水苔を一昼夜水につける7月14日(火)胡蝶蘭の植え替え作業。一晩漬けた水苔は、しっかりしぼり水を切る。ネットで植え替え作業を事前に勉強植え替えの鉢は花茎を切り落とし古い水苔を取り除き、駄目な根は切り落とす。はさみは火で焼き(約5~10秒)消毒をして使用新しい元気な根は大事に取り扱う。白い根は元気なもので、古い根は黒くなっている葉は4枚以上にする。根の下に新しい水苔を巻き付ける鉢の大きさは小さめにし、植付は鉢の中央に置くようにする。鉢底には軽石or発泡スチロール新しい水苔で植付ける。植付は、株元を上げヘリを下げる、外に伸びた根はそのまま外へ植え替え後は、葉が固く丈夫なものは、根を切っているので、一週間水をやらない。葉が柔らかく弱っているものは水を控える屋外の温室へ入れ夏を越す。夏場は温度が上がるので通気をよくするいつも太陽光線で葉を焼くので今年はしっかりと寒冷紗をしたい日差しが強いと葉焼けするので寒冷紗を設置夏場は定期的に水(水肥)を与えて管理、12月初めには室内へ取り入れる。7月15日ヒマワリも咲き始める7月31日(金)旅友Kさんから頂きました。小玉スイカ、デンスケ、カボチャは、2kgと大物ナタ豆もようやく咲き始める。花から糖分が出るのかアリが群がる END
2020.08.01
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