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大企業の10年前のトップ経験者には、ブラックな人が多い。相手が夜中でも、海外の人ならOKだろうという感覚である。海外の若い人は期待できるなどと言いながら、お相手の生活時間を無視したやり取りにはハラハラさせられる。日本だったらブラックというレッテルを貼られるだろうに、海外では敬意が働くのかそれなりに動いてくれるので、どうにも扱いようがない。ここ10年ぐらいで、日本の働き方変革は激しく変化してきている。昔のリズムやテンポで仕事をすると大変な問題が起こるだろう。その分だけよくよく熟慮した活動が求められる。最近の若い者はどうしようもないとのたまうが、考えてみれば韓国の労働時間はOECDでも断トツであり、日本企業が普通の仕事の仕方をしていれば韓国企業のスピードにはかなわない。純情な戦略で考えていては勝負にならないので、それ以上の感性の商品を生み出してゆかねばならないという若い世代の苦労を知らねばならないだろう。そんな意味でも世代交代は大事であるのだろう。
2014.11.30
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昨今、内向き志向が問題視されている。とりわけ韓国や香港、台湾をはじめ、中国も含めて東アジアの海外留学生派遣が増え、海外における日本人留学生の地位が低下していると言われる。これに対応するために大学は海外への交換留学を織り込むことが普及してきている。しかし、大学の授業に入り込み、諸外国の留学生と対等に討議しようとすると大学に入ってからの語学力では不足するので、高校生からの交換留学にも焦点が当たってきている。1年の交換留学が一般的である。しかし、はじめから高校に入学させて、現地で有力大学の入試に挑戦する留学生もあり、もっともグローバル度が高いかもしれない。つぎには1年プログラムで交換する場合である。交換プログラムでもホストの義務はないほうが今までは優秀な学生が集まりやすかったようだ。しかし、海外留学する人間生と家庭環境という点から見ると、受け入れ義務がある留学生の方が異文化交流の実をあげるのではないかという指摘も出てくるようになってきた。いずれにせよ、海外留学は知的レベルだけの話ではなく、生活態度や人間性を求められるということは言えそうである。受け入れてくれるホストを多く持つ団体が、交換で派遣する力も持つことになる。その意味では受け入れ義務をもつプログラムのほうが発展性があるのではないかと考えられる。自分がホストをしないでも、近親者でホストを見つけるなどの義務を課すプログラムへのシフトが起こりそうである。プログラムが競争によってより優れたプログラムに磨き上げられる行くのは良いことだと思う。
2014.11.29
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ヒューマンキャピタルのセミナーに参加している。人材育成・採用のプロが集まるセミナーで、企業の経営者・総務担当者が集っている。講演者は組織の改革・活性化のプロで、その経験をかいつまんでプレゼンテーションしてくれる。短い時間の中で、簡潔に本質に触れる話は、よくよく考え抜かれたものであり、1日数十万円の講師のお話しが無料で聞けるので、宝の山である。年配者として聞いていて、「あるある」「そうだそうだ」の連続である。こんなに素晴らしい話に、参加者はそれほどあふれんばかりというわけではない。若い人たちは忙しいのである。参加できないなんてもったいないと思う。熟年世代のスピーカーが多いが、一筋に工夫を重ねてこられたアプローチには、味と力が宿っている。このようなプロにはいかんなく力を発揮してもらいたいものだと思う。
2014.11.28
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Innovate, or,die!とは、欧米でよく言われる言葉である。しかし、日本では伝統を守り伝承しようという言葉の方がポピュラーである。改革はナカナカ進まない。グローバル化に接触する場面が多いことと、やはり日本の外の海外では年齢が若いだけあってダイナミックに変革するし、技術の変化を捉えての変革のスピードが速い。テレビで、携帯で、スマホで、タブレットで、ウエラブルでその力をまざまざと見せつけられている。そんなわけで、学生時代のうちに海外経験を積ませようと国際交流の働きかけをするが、海外経験させるのには、その反対に受け入れを行うという話、ホームステイを受け入れる段になると尻込みが始まる。これは、社会が高齢化するにつれて著しくなってきている。働き盛りの人が、一杯いっぱいに働き、介護に負われるようになってきたからだ。こんな点でも活力を奪っている。高齢になっても子供や孫と一緒になって受け入れるような元気を出さないと、国際交流は発展しない。国際交流という側面だけでも高齢化は活力を奪っているように思える。国際交流のみならずいろいろな方面で、なんとしても活力を維持・向上する様に高齢者にも頑張らねばならないだろう。
2014.11.27
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もうグローバルな人材という言葉は珍しくもない言葉になった。留学経験は当たり前。海外の大学を卒業するために高校から海外に留学するという人も少なくない。ところが海外の教育に適応しすぎると日本に帰ってこなくなってしまう。それでも本人の能力の限界まで挑戦できるのなら、日本人という枠には囚われないでよいのかもしれない。それでこそのグローバル人材ではないかということができるかもしれない。しかし、「グローバル人材」を声高に叫ぶ人は、日本の国益・日本企業の発展に寄与するという期待が込められており、その意味では日本から離れてしまい、必ずしも日本の国益レベルを超越してしまうことは期待していないかもしれない。それでも韓国が生んだパンギムン事務総長などは典型的なグローバル人材であろう。グローバル人材育成にあたっては、単なる国益・自分企業の発展という枠を超えて世界・地球レベルの発展に貢献してほしいという心意気が必要なようだ。
2014.11.26
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東南アジアからの留学生が韓国からの留学生落ち込みをカバーしている。最近は学生間の情報交換が盛んなので、大学の特質をとらえて留学してくるようだ。入学後の進路指導が行き届いている大学。入学までの手続きが迅速で、入国管理局に対して効果的な対応ができる大学。もちろん研究内容がグローバルに進んでいる大学。留学中のアルバイト探しなどの支援がしっかりしている大学。などなど、それぞれに自分の将来方向に合わせて最適な選択をしているようである。わたくしも支援にかかわっているが、それぞれの留学生が大志を抱きながら、現実的な選択をする逞しさに日本の学生にないダイナミズムを感じている。なんとか将来大きく羽ばたいてもらいたいものである。しかし、一方で留学生に完璧を求めすぎて期待外れなどとぼやくホストファミリーや支援者がいたりするが、若者はそんなに完璧ではなく、発展途上だということを理解してほしい。自分の子供を考えてみればわかることなのだが。このように留学生支援にかかわるのは、将来の彼らの活躍に楽しみがあるのだが。
2014.11.25
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中国米国の接近で、日本のプレゼンスが下がってきたことが問題視されている。しかし、世界第3位のGDP規模になったことや、若者が生み出す勢いという面でもじりじりとプレゼンスが低下することは現実である。プレゼンスが下がることを問題視して指摘する人たちが、嘆くばかりで対策を述べ実行しないのはおかしい。それならば、日本ならではの世界への貢献策は何かを示す必要があるだろう。少子高齢化社会はどうなるのかという点では、確実に世界の注目を集めているのだが、それ以外でも省資源・省エネなどのエコでクリーンな生き方なども解りやすい形で提起したいものである。「方丈の庵」などの生き方は世界に注目されるべきライフスタイルになるだろう。現代の方丈はカプセルハウスかもしれない。欧米のバックパッカーたちにも人気があるようだ。今のままのカプセルホテルでは訴求力が弱いかもしれないが、いろんな共通生活空間を活かした合理的なライフスタイルなども生み出し、定期してほしいものだ。
2014.11.24
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今日は高校留学生の7か月時点での日本語習得試験が行われた。7か月経つとほとんどの学生が日本語を自然に話すようになる。この機会にホストファミリーやお世話係が集まって親睦会を開いた。親睦会の主役は留学生で、記者会見のようにそれぞれが試験の作文に書いたものをベースに1分足らずで話し、参加者が関連質問をする記者会見スタイルで懇談した。海外留学生の論点は、「日本の高校生は授業中に眠る」「ペットの楽しみ」「体重の減量」「翻訳通訳」などであった。その中で、会場が一番湧いたのは、「授業中に眠る」と「体重の減量」であった。それぞれに日本と本国との違いが浮き彫りになり、考えさせられるところも多かった。授業では、先生の生徒を授業に巻き込むサービス精神の違いがあると指摘された。化学に関連するような、いろんなお菓子を持ってきたりして生徒の授業への参画や発言を促し、まとめに持ってゆく力には相違があるようである。一方では、日本の食事と部活での毎日の体操と練習が体重減少に役立ち、7か月で10Kg以上痩せられたというのには奥様方も大いに参考になっていたようだ。しかし、本国に戻ると脂肪の多い食事でリバウンドしてしまうだろうと予感していた。少し、違った見方が入ると日本の課題や良さも浮き彫りにな。楽しいひと時を過ごさせていただいた。
2014.11.23
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NPOの運営は難しい。特にボランティア団体の場合は、ボランティアで支えられているだけに、事務局員の処遇が難しい。事務局員までボランティアとはゆかないので、多少の給与を支払うが、この水準が難しい。そして、この団体が赤字に陥った時こそ、大問題になってくる。昔は、事務局の仕事もボランティアでやっていたという人も多いが、今や労働力不足で、趣旨には賛同してもタダ働きしようという事務局員はいなくなってきている。ボランティア事務局員というのは、高度成長期の専業主婦が多くいたころの幻と考えるべきだろう。事務局員の仕事も職務評価を行い、しかるべき市場価格の処遇が必要であり、そのためには基金に手を付けながらでも体制を整備し、継続発展の道筋を作り上げねばならない。基金に手を付けるという事は、徐々に活動を縮小することを意味するが、団体の本当の趣旨が社会に評価されているならば、いつまでも縮小均衡ということにはならないはずだ。この辺りは、事務局員がこれまでに蓄積した意義とやり方を結集して、リスクを恐れない改革を行ってゆく必要があるのだろう。概ね、問題が表面化する場合は、改革についても相当なリスクを覚悟しなければならない状況に陥っているのだろう。どうせ消滅する運命にあるのなら、最後のリスクを賭けて改革に取り組みたいものである。
2014.11.22
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解散が決まった。2期連続のマイナス成長などは、11月17日の速報値発表についてエコノミスト全員の想定外だった等というが、概算値などは政府・官僚には十分解っていたはずである。東京のエコノミストは現場を知らないのだとあきれるばかりであり、これも政府側から口裏を合わせるように徹底されていたのではないかと思う。争点ははっきりしないというが、1.景気条項を付けずに2017年4月に増税する。2.議員定数削減を先送りする。というあたりで、官僚と政治家との間で落とし前がついたように伺える。賃上げ、株高で目くらましさせて、勢いでこれらを乗り切ろうとするのである。この2点は、国民総意だということで国会論戦にもならないようにするあたり、永田町の腹の中は大変なものだと感心させられるし、国家のリーダーの見識が重要なことが再認識できた。このような知恵を本当に日本と世界の平和と繁栄に向け、党利党略・省利省益を克服した活動をしてもらいたいものである。
2014.11.21
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HRコンファランスに参加した。団塊の世代の競争は、ガンバリズムやモーレツだった。努力の量が競争力を生むというモデルだった。しかし、ダイバーシティーの時代、女性の参画が当たり前の社会になると、努力の量より質に変わってきて、量については節度を保つようにルールが変わる。残業制限・年休消化が当たり前になるというのが大方の流れである。高度成長期を支えた大企業でも、バブルがはじけて赤字・リストラするときにも組合は年休消化に走っていて感じた違和感が、今のダイバーシティーの流れの中にも感じる。しかし、以前よりも会社の経営実態は社員が共有する様になってきているので、危機感も早い段階から共有され、年休消化の妨げにならない上手な働きを見せてくれるのだろう。このような取り組みが先行する欧州企業でも競争力の高いところがかなりある。ここしばらくは北欧型のスタイルがどっと押し寄せてくるようだが、うまく取り込んで創造的・革新的な頭で、新しい商品やサービスを生み出し続けられるようになるのを観たいものである。
2014.11.20
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変革とリーダーシップのセミナーに参加している。この変化の激しい時代に、おとなしくしていてはチャンスを逸してしまうというのが、私が感じた点だった、完璧主義にこだわらずに、ドンドン思ったことを発信しよう。問題があれば周囲の人たちが課題は指摘してくれるので、チームメンバーの意向をよく聞きながら取り組み全体を共有しながら進むのがリーダーであり、スピード感十分に取り組むことが大事だと。どうやら情報通信機器の社会では、このようなリーダーシップで物事が進んで切るようだ。最近求めたタブロイドPCには、薄さと軽さのためにRGB端子はついていない。したがって、プロジェクターなどにつないでプレゼンすることはできない。使ってみるまでこのような課題は解らなかった。また、これに対応するデジタル・アナログ変換装置を購入したが、この操作方法は解りにくい。デザインのために電源スイッチが棒状の先端に隠れていたりする。万人に理解されやすいのではなく、パッと見のデザインの良さという設計者のエゴが優先し、どうやらこれにブレーキをかける人はいなかったようだ。ますますスピードアップしてゆくが、このようなスピード重視の設計者などのクセを読みながらフォローしてゆかねばならない現代人の苦労は大変である。リーダーシップは大切であるが、顧客まで「良きフォロワー」であることを求められてきているようだ。
2014.11.19
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首都は政治の中心である。政治は自分が勝ち残ることを意味するが、大義なしに居残るのは見苦しい。さて、解散は与党有利のおりに行うものなど、戦略の競争となっている。民主主義と言いつつ、永田町の論理で戦われるのには、やや食傷気味である。これは議会のことだけかと思ったら、どうもいろいろな日本の組織が同じような大義が明確にならないままに、権力闘争で反対派の追い落としを外圧まで使って行われるようであり、日本の社会の気味悪さを覚えるようなことも、しばしば出会うのは悲しいことである。地方はというと高齢化で無理が効かなくなってきているが、それなりに工夫を重ねてやれる範囲での活動を行ってはいるものの、全体の仕組みづくりは中央で決まるので、なかなか地方の現場の事情が反映される政策は生まれない。それでも、地方の意見を交換し、全体の繁栄のための意見を集約できる取組を進めてゆく必要があるのだろう。全体を集約できなかった場合には、潔く引き下がることなのだろう。いずれにせよ、閉塞状況を打破する民意を出し切る努力は必要なのだろう。
2014.11.18
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昨日は、家内の義理の叔父の葬儀に参列した。農村地帯で地域の風習が残るところなのだが、斎場は葬儀場と斎場を併設して、葬儀、骨上げ、初七日と丁重になつ効率的に執り行われた。親子の間で濃密な摺合せが行われた大往生であり、恙なく行われた。はて、団塊の世代の我々の葬儀はこんなに丁重に行えるのだろうか。デイサービス・お泊りサービス・ホスピスという流れは農村ならではの込み具合であり、今終末を迎えられた故人への羨望の気持ちはある。さて、大きく眺めてみると中国社会などもこれから大変な高齢社会を迎えようとしている。日本は第界の世代に向けた施設充実などを行っても、団塊の世代以降は施設余りが予想される。そこで、日本は日中協力のもとでこれらの余剰施設については中国の高齢者を受け入れるということにすれば、余剰は気にならないのではないだろうか。過疎地域、日本という狭い範囲で見ていると難しい問題も、枠を外して考えれば明るい展望が開けてくるのではないだろうか。そうすれば、中国人の介護労働者に対しても、もっと親身に考えることができるように思う。戦略的互恵関係の中に介護問題を入れることで、人間の尊厳という共通の課題を異文化を理解しながら考え合えるというのは意義が大きいし、終末期に日中歴史を考えることができるのは重要なことではないかと思う。
2014.11.17
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歴史小説はヒーローを扱うものが多い。ヒーローをロールモデルとして、自身に置き換えながら反省や前進を図ろうとする勇気が湧いてくるからだろう。近現代の歴史でも、明治維新、日露戦争、戦後の復興ドラマの主人公が取り上げられることが多い。これらは、日本人の視点で描かれており、外国人も目で日本の歴史を見る参考とする場合でも、日の当たる側面が描かれているところに歴史としては不十分さを感じる。その欠落した部分での過ちなどは、自身の力で認識するのではなく、外国から指摘を受けながら対応する形でしか取り上げられない。祖国を守るために命を投げ出された方への尊崇の念と祈りを捧げるというのは重いことである。自身にとっても認識は不十分であるが、その分、米国、アジア諸国の留学生にはできるだけのことは、身の丈に応じてベストをすくすと同時に、何があったかということは直視する勉強は重ねたいと思っている。靖国に祭られた人々の子孫として、そのリーダーだけに責任をかぶせるというより、「過ちは繰り返しません」という不戦の誓いを捧げたい。しかし、世界の情勢は人間の抑えきれない激情からの紛争を重ねている。これらにも過去の歴史を踏まえながら誠心誠意の不戦の対応は何かを考え続けてゆきたい。
2014.11.14
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日中関係が少し改善の方向に動き始めた。日本から中国に訪問する観光客は減少している。一方で、これだけ悪い印象を持っているはずの中国人は日本に観光にやってくるし、多くの留学生も変わらない。中国人留学生はやがて本国に帰るが、日本企業に就職して行ったり来たりすることを何とも思っていない。日本人は帰趨本能が強く、日本をベースにものを考えるから、平気で日本に居続ける中国人に違った印象をうけるのかもしれない。彼らに聞けば、中国に帰りたくないというホンネを吐く留学生も少なくない。団塊の世代は競争が激しかったというが、その10倍の規模で起こっている競争や生存競争社会に戻り、環境問題などに悩まされながら生活するより、穏やかな日本の暮らしのほうが快適だというのがホンネのところだろう。日本を敵対的に捉えるのは、放置すると大衆が日本に飲み込まれてしまう恐れもあるからと考えているのではと勘ぐってみたくもなる。クールジャパンは、あまり無理矢理に作らなくても、穏やかな社会そのものがクールであるともいえよう。時間をかけて日本社会の理解者を増やしてゆくことが大切だと思われる。日本にも大切なのはトモダチ作戦なのだろう。
2014.11.13
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女性活躍推進と諸手を上げての政策展開が進んでいる。これには企業の生き死にをかけた覚悟が必要である。かって倒産の危機を迎えた大手の企業に勤務していた経験からすると、企業風土が大きく変わったと感じた。企業が倒産の危機にあるというのに、組合は年休所得推進活動を行っているのである。企業が倒産すると年休の権利も消失するので、後顧の憂いをなくすために年休を消化させているというのだ。社員が倒産モードに入ってしまっていて、これでは再生・再建はならないのではないかと思った。しかし、思い切ったリストラで、年輩の従業員に守秘義務契約を締結したうえで勇退金を支払って、若手の女性活躍に軸足をかけた。そして、女性活躍の支店から、定石を重んじ無理をしない穏やかな経営へと転じた。北欧風の経営スタイルである。頑張リズムではなく、理詰めの経営スタイルなので、高度の経営力が求められるようになってきた。しかし、経営者には時々の実績が求められ、そのプレッシャーが現場に伝わるので、長期的な課題は視野での取り組みは先送りされる体質が生まれてしまう。骨太な人材育成とプレッシャーのかかる長期戦略の立案・推進というのがどれぐらい女性活躍推進の中から生まれるのかが課題である。世界の混沌の中から光明を導き出すという、やや荒々しい挑戦が生まれてくるのだろうか。もちろん、JCCPの瀬谷ルミ子氏のような人材はおられるが、民間セクターにこのような人材が多数現れるのだろうか。
2014.11.12
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今日は外交官の高官とお会いした。英国駐在経験がおありで、英語が達者な若い方で、気さくで実務家とお見受けした。しかし、日本語はお話にならない。若手の外交官が明日の日本との外交関係で重要になると考えられるので、若い高官には、大いに日本を理解していただいた上で、さらにご活躍いただきたいものである。幸い、お子様は日本の公立小学校に入れて教育しておられるという事。お子様にはしっかりと日本語をマスターしていただきたいと思う。日本語を話さないことで人脈が制限されることがあってはならない。どうも、日本語人材は日本語の枠組みの中に限られることから、自分で枠を作ってしまわれるように思えてならない。日本人も英語でもフランクに話しができて、相手国のグローバルな人材と対等に、かつ、創造的な話ができるようになってほしいものだと強く感じた。
2014.11.11
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今日は、大学生の能・狂言の卒業舞台を観てきた。学生の部活と言えども立派な出来栄えで、このような活動を通じて伝統芸能が継承されているのだと思い知らされた。上司が不出来な部下に怒りを覚えたり、先代から引き継いだ年上の部下のやる気のないのを若手の部下に処分させるという生臭い狂言が室町時代から人々の間で楽しまれていたというのは面白い。あまりに現代的なので、本当かしらと思ったが、このあたりのやりにくさや若い部下にいやな仕事を押し付けるさまには生臭さも感じさせた。しかし、このあたりの狡さに対して、部下同士での思いやりやズルイ上司への仕返しのどんでん返しで観客を笑わせるあたりは大衆心理を掴んだ作者の鋭さを感じさせるし、演技する学生がひょうきんなしぐさでストーリーを浮き上がらせるのにも感心させられた。学生がこのような古典に触れるのは非常に意義深いと思ったし、日本の古典芸能の奥深さを感じさせられた一日であった。
2014.11.10
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今日は、家内がお世話になっているお茶の先生が亭主を務めるお茶会に参加した。素晴らしい先生というっだけあって、大盛況で随分待たされた。ほとんどの客は女性であり、年輩の女性が多いが、この先生に関する限り、若いお嬢さんが多かったし、お運びさんは皆美しい和服を着て、初々しい所作で奉仕してくれたので、目の保養になり、若返った。しかし、男性客は同年代の人が一人、大学生が一人と圧倒的に少なかった。待合では、年輩の男性が近づいてきて、定年後7年続けていると話してくれた。「日本文化をマスターする面白さにはまっています」とのこと。家内がお茶を学びながら私が学ばない理由をきかれたので、「お茶会い行くと、すぐに正客を進められ、教養のないことを暴露され、恥ずかしい思いをさせられる。」と応えたら、「慣れの問題で、少しやれば逆に楽しい会話ができるようになる。恥かいてナンボのものですよ。」と言われた。お茶会では、足が痛いでしょうからと一番最後の席を奨められ、そこならと家内と離れて座ったのだが、後で解ったのだが、最後は詰めと言って、器の拝見などの最後を締めくくる役割だったらしい。また、恥ずかしい思いをしたので、もうお茶会はこりごりと内心思った。しかし、さっきの男性の話を思い起こせば、状況を判断してその役割をとっさに果たせるようにすること、また、いろいろ短い会話をいかにウィットに富んだ返答をするかを楽しむようになることは、大いに勉強すべき課題だと思った。また、立ち居振る舞いについても、日本人らしい振る舞いを身に付ける必要があるようにも思えた。通常、満座で恥をかかされたということになると二度とこんな場所に来るまいと思うのが自然だろう。そこで男性がお茶会に来なくなってくるのだと思うが、よくよく考えれば恥をかいたことは是非矯正したいポイントなので、そこを逃げるのではなく、克復する様に努力する必要があるのだろう。その点、女性の方が自身に対する指摘に対してタフであり、伝統的な美風を身に付けようということに意欲的だということに思い至った。お茶会とは上手に付き合ってゆきたいと思った。
2014.11.09
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今日は留学生の入試相談に立ち会った。具体的には知り合いの学芸員経験のある博士号をもつ友人を紹介した。多分、近畿地方・関西では考古学・学芸員教育では最高峰になる学校の指導の実地を検分してもらった。楽しく生き生きと研究内容の展示を行っている様は、大いに参考になったように見えた。帰り道に当人に聞くと、大いに興味があるが、他の大学でとっている成績別奨学金にも強く惹かれているということだ。留学試験の成績が450点満点中350点以上だと授業料の50%を減免する。これに準じる成績者には30%、10%と成績別に減免されるので、これも非常に魅力的だというのである。国費留学生は逃したもののこれはそれに準じる扱いだというのである。学問内容、成績別奨学金など非常に解りやすく、日本人学生にもぜひ考えてほしいような内容だと思った。ある意味では、外国人留学生に対しては、より解りやすい配慮がなされているように思った。
2014.11.08
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オバマ人気で若者が盛り上がっていた米国社会も、複雑怪奇な利害の絡み合い集団によって権力を大きく制限されてきてしまった。世界中で独立の動きなど利害一致集団によるで既存の国家運営がゆさぶられる時代が到来している。これが平和裏に行われる限りでは民主主義の流れとして捉えることができても、軍事的な動きまで発展すると、またまた戦争の世紀に逆戻りしてしまう。どうやら21世紀のリーダーはシングルイッシューでは収めきれない多様なリーダーシップが必要なようだ。恐ろしいのは、集団指導になると誰が責任を取るのかが不明確になる可能性が出てくる。いくつかの要素を組み立てることになると、小泉首相の郵政改革が、民主党の反自民の動きの中で、わずかの議員の粘りで圧倒的多数で決められた法案がなし崩しになった。恐れるのは、少数意見が政治取引で多数派意見で立法されたものを潰しにかかると、民主主義とはいったい何なのかということにもなる。アメリカ式民主主義が世界のお手本となる民主主義を示せるかどうかである。また、少数民族の扱いなどでも世界のリーダーにふさわしい決断ができるかどうか、ワクワクドキドキするここ数日の動きである。
2014.11.07
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内向き学生を海外に目をむかせようという動きは盛んになり始めてきた。私のブログに高校留学AFSのバナー広告が載るようになってきた。最近のビッグデータ・クラウドアプローチのようである。私のブログに留学関係の言葉が多く使われてきているのを掴んで、バナー広告を戦略的に乗せているのだろう。たぶん、相当な経費を投じてのアプローチだと思うが、結構なことである。子育てのサークルに参加しているが、どうも能力の高いお言われる学生のアプローチが甘くなっているように感じる。有名大学というブランド志向であり、子供の方も小賢しく親の近くに住みたいなどという。一方、普通の子たちは稼ぎが安定している好きな職業を絞り込んで職業教育をチャッカリとしているように見える。学業が優秀な子ほど旅をさせようという、親の見識が重要である。果たして、この高校留学のバナーはこのような親御さんの目に触れて関心を呼び起こすことができるのだろうか。
2014.11.06
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お金の関係での国際収支は話題に上るが、人材の国際収支は「人材不足を外国人労働者に頼るべきか」という自己中な話題だけしか問題にならない。しかし、留学生にしても一方的な入超である。ましてや交換留学が中心の高校生留学などではホストファミリー不足で、派遣生とのバランスが取れないで四苦八苦している。大学生のホームステイのようにホストファミリーに生活費を支給すると、世界でみなボランティアで行われていることとのバランスが取れないというのは情けない。こうなったら派遣費用は同じでも、ホストファミリーを自分が関係する人が受け入れている場合に、大幅な割引をするという強硬手段に出ないと、ホストファミリーをやろうという気にならないのではないだろうか。孫たちのために、まだ体力のある爺婆がホストを受けて、孫たちが割引で留学できるというような道筋を作る必要がありそうである。大学生にしても受け入れ留学生と派遣留学生のバランスは極めて悪い。とりわけ中国との間で入超が著しい。ここは、日本側が中国政府に強く主張できると思うのだが、学校側は定員割れの防止対策に一役買ってもらっていて、強く言えないというのは情けない話である。欧米の大学では、外国人の留学生には本国生より高い授業料を貸しているのに比して、日本では外国人を優遇しているのだから入超になるのは当然のなりゆきだろう。外国人留学生に聞けば、日本人学生は頼りないが、先生は非常に優れていて授業は素晴らしいという評価である。特にビジネス世界を経験した実践的な講師が多いという評価は、唯一の救いなのだが。日本人学生ができるだけ多く海外留学してバランスを保てるようにしたいものである。
2014.11.05
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よく退職するとやることがなくて手持無沙汰という話がある。多くの人は宮仕え時代にできなかった趣味の世界に打ち込んだりして手持無沙汰にはなっていないことが多いのだが。趣味だけではなく、世の中には問題が溢れており、暇な人の手を借りたがっている。もちろん「暇だろうから○○を手伝ってくれ」という話も多くなる。話がかかるうちが花だということで、お役にたてる限りでは協力する様にしている。もちろん受け身的なだけでなく、時間ができたということは、現役時代に取り組めなかった根本的な社会問題にも取り組むチャンスでもある。もちろん根本的な課題というのは、インターネットでさがせば解ようにに整理されているわけではない。それだけに足を運んで実態を把握する必要もあるので、まさに時間がかかるがその分、現役時代には踏み込めなかったところにも行けるので面白い。高齢化社会では高齢者がいかに社会的価値を生み出せるかがカギを握っている。人生の棚卸を行って自分の特徴にあったテーマを掘り下げて活動を行うことが重要であり、退職したらやることがないなど考えられないのだが。
2014.11.04
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昨日は、現代のインドを考えるセミナーを聞いてきた。インドの政治経済の現状と、中国・イスラム社会・インドネシア・経済史の研究者がインドをどう見るかという視点を加えてのシンポジウムで締めくくられた。インドでは、2重3重の契約書が横行しており、GDPの2-3倍の裏金・贈収賄がまかりとおる民主主義社会。中国は経済至上主義の独裁国家で中国株式会社として運営しており、民主主義とは程遠い現状だが、香港問題の扱いで苦労している。インドネシアはイスラム人口が最大の国家であるが、原理主義とはことなる穏健な民主主義で若者が首相を選びあげた。日本では、団扇の配布で違法になるほどの民主主義である。それぞれに国民がどんな国家ビジョンを持ちながら国家運営をしていくのか、民主主義と言えども画一的に言えるものではないことが良くわかった。日本人の民主主義というのが、いかなる姿なのか、言いたいことを言える社会を保ちながら、投票行動で国家を方向付けできる社会ということしか言いようがないことが解った。地方創生の時代に個人個人の参加による力強い民主主義が求められているのだろう。高齢者が生き生きと力を発揮しようとする意欲が求められているのだろう。
2014.11.03
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この秋は、期せずして芸術・文化に関わりが多かった。といっても兄は3つの合唱団に属し、友人は5つの合唱団に属して壮大なオーケストラと歌うような活動を展開しているので、これらに比べると赤ん坊のような活動だったのだが。青春時代に挑戦した現代曲をどれだけ記憶していたのか、同窓会でぶっつけ本番してみての再現実験や、なぜそんなに記憶に残ったのかを考えてみるような体験をした。また、このような曲を取り上げる動機などを、50年の歳月で醸成してみてさらに体験した不思議などを語り合う中で、一貫して残ったキーワードが「祈り」であった。「平和」も重要な言葉のように思えたが、その中には安心・安全・安定を希求するあまり「安住」という危険が潜んでいて不十分な言葉と思え、最終的には望ましい生成発展を遂げてゆく人の営みを「祈る」ことしかできないし、誠実な祈りこそ訴えかける共感の基盤のように思えた。「祈り」を外れるところに傲慢が待っており、今日も誠実な「祈り」から一日をスタートさせたいと思う。
2014.11.02
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今日は大阪を中心として活躍してこられた作曲家の大御所の初演の演奏会を聞いてきた。もう80歳を越えている先生、アラエイティーの先生方が作曲された曲を文化功労者の秋山和慶氏の指揮で演奏された。長老級の方々の曲だが、全くの現代音楽であり、大河ドラマのテーマに使えるようなみずみずしい音楽で魅了された。戦中派ならではの模索と祈りに満ちた曲で、東日本大震災の鎮魂にも想いを寄せた曲もあり、演奏する方も作曲家への敬意と親しみにあふれていた。相当な難曲ぞろいであるが、全体を掴んで的確に表現しておられ、演奏終了後は高齢の作曲家が感極まって演奏家をハグする場面も見られた。ほぼ満席になった演奏が終わった後は、ロビーにファンや教え子たちが先生方を囲み、先生方も上機嫌で大いに盛り上がっておられたのは、微笑ましい限りであった。我々団塊の世代は文化に疎遠になっていたが、このように高齢の作曲家の方々が時代を生きる曲を世に送り、若手の音楽家も育成してきておられるところにも文化の奥深さと層の厚みを感じた一日であった。
2014.11.01
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