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四十四 曽根信也の所属するアジア・エンタメは大変な騒ぎになった。新企画「天国の黙示録」が始まろうというときに、内部抗争と思える第三の殺人事件が起きた。目下警察による現場検証が行われており、夏は警視庁に任せることとして、アジア・エンタメを出て、いったん神奈川県警へ戻った。事件を聞きつけた蜜柑が夏の帰りを出迎えた。「アジア・エンタメ系の芸人さんが殺害されたということは、対立抗争グループがどこか別の事務所にあるということかしら」応接室で、父親を迎えた蜜柑が言った。「内部抗争かもしれないが、皆目わからなくなったな」夏がコーヒーをすすりながら言った。「アジア・エンタメは、力づくで新企画を大坂のワールド・エンタメから奪い取ったのではないかしら。君川敏夫社長が殺されたのも、この新企画の利権の奪い合いに端を発しているとしか考えられないわ」「君川敏夫は、アジア・エンタメの社長の弱みを握っていたのだろう」「ええ、そう思うわ。じゃ何をつかんでいたのかしら」蜜柑が聞いた。「アジア・エンタメ、当時のワールド・エンタメは、カネで新企画を大坂のドリーム・エンタメから買おうとしたのではないだろうか。大阪府警の調査では、ドリーム・エンタメは、当時多額の借金を抱えており、倒産のうわさも流れていたという。山城は、傾きかけた事務所に見切りをつけ、かねてから東京の大学へ移り、女性タレントとしても一世を風靡したいという願望があったという。大坂にいたのでは、研究者としても、タレントとしても限界は見えているわけで、手土産を持って、東京の大学へ移籍され、タレントとしてトップに立ちたいという野望にとりつかれていた。何らかの機会をとらえて、天国の黙示録という土産持参で東京に一気に地盤を創ろうとしたのかもしれないな。あるいは、政界へ足を踏み入れたいという野望もあったのかもしれない。これはさる野党の筋から聞いた話なんだが。彼女は何でも極左とまではいかないにしても、常軌を逸した思想の持ち主だという噂がある。」夏は、自分が仲村教授だったら、こう推理するだろうという筋書きを言った。「あら、パパ、その推理当たっているかもよ。最近の政治家を見ていると、その辺の芸能事務所のタレントと少しも変わらないものね」蜜柑が茶化していう。「おい、俺は刑事だぞ」二人は、声高らかに笑った。 真佐子は、山口県湯玉の自宅でテレビを見ていた。母親は、このところ体調を崩して寝たり起きたりを繰り返している。とくにこれと言って悪いところはないのだが、喉に痰が絡んで息苦しく、流動食を取るのがやっとで、介護ヘルパーの手助けで、何とか生を支えている。嫁が母親の面倒を見てくれるので、真佐子が家事の一部を負担し、老々介護の重圧を何とか跳ね除けながら、母親を支えていた。東京でずいぶん遊んできたという負い目があって、しばらくは仲村のことは考えないようにしていた。真佐子は、犬の散歩の係を受け持っており、夕暮れ時、昔元気だった亭主と仕事に励んだ漁港を歩いていた。この日は夕焼けがきれいに海を染めて、元気だったころの亭主と魚の荷揚げに励んだことを、つい昨日のように思い出していた。しかし、亭主は天国に召され、真佐子の心の隙間に秋風が吹くようになった。その時、仲村と出会った。何か不思議な「運命のいたずら」のようなものを感じる。亭主が元気で生きていたら、傷心を海で癒すため、島根の海へ出かけることもなかっただろう。そこで仲村を見つけることもなかっただろう。亭主の死が仲村との出会いへ導いた。愛犬もだいぶ年取ってきた。孫がすくすくと成長していることがせめてもの慰めだった。埠頭の先に犬をつなぎ、真佐子は、今日届いた仲村からの手紙を取り出した。仲村は、よくこうして手紙を書いてよこしてくれる。最初は、家のものが不審に思うことを避けるために、道の駅のほうへ送るように、中村に頼んでそうしてもらっていたが、何もやましいことをしているわけではない、堂々と付きあえばいいと思い、強く心に言い聞かせて、自宅へ手紙を送ってもらうことにした。仲村も同意してくれた。差出の住所は大学の研究室になっている。「真佐子さん、寒い冬がやってきます。くれぐれも体に気をつけてください。コロナもまた感染拡大の危険があります。南アフリカで、また新種の変異体が表れて北半球のベルギーや香港で感染者が出ています。ところで、この秋の東京での探偵ごっこ、とても面白かったです。目まぐるしく事態が進展して、山口県の萩まで犯人の痕跡を追うことになるなんて、思いもかけないプレゼントでした。夏警部から、近いうちに会いたいと言ってきました。芸能界のことは苦手で、僕に大胆な推理を頼むというのです。それに、蜜柑さんがあなたにぜひ会いたいそうです。嬉しいニュースがありますよ。瑠偉さんがライブを開くらしいです。横浜の高級ホテルで、なんと『よみがえる黙示録―お笑い芸人より愛をこめて―』というライブです。歌手の藤堂麻里矢さんがよくやる同じホテルです。藤堂さんの友情出演もあるかもしれませんよ。なんでも、横浜市のウイズ・コロナ実験事業との協賛ということで、ワクチン接種、PCR検査などが条件になっています。チケット二枚がsyowa-entertainment事務所から僕のところに届いています。アジア・エンタメが天国の黙示録の権利を手に入れて、企画が動き出そうというところへぶつけてきていますね。なんだか風雲急を告げる事態になってきました。一気に捜査が進展しそうな気配がして、僕はライブにどうしても行きます。真佐子さんにも、やりくりをつけて、ぜひ来てくれるようにお願いします」 仲村にしては事務的な内容だった。真佐子は胸がどきどきしてきた。日本では、現在は感染者が下火になり消えてなくなりそうな気配だ。しかし、この不気味さは、新たな感染拡大の序曲なのかもしれない。今行かないとまた感染拡大で移動禁止にもなりかねない。真佐子の気持ちは勝手な理屈を作っている。「また、東京へ行かなくちゃならなくなったの」真佐子は、息子の嫁の啓子に相談した。「仲村さんでしょ。この界隈じゃ有名よ。行ってらっしゃいよ」啓子は笑いながら言った。「悪いわね。でもそんなんじゃないの」真佐子は照れながら言った。「分かってますよ。お母さんを信じていますよ」テレビを見ていた息子が言った。真佐子は、嫁の啓子には一切を隠さずに話していた。「でも、東京や横浜は怖いところよ。気をつけてくださいね。私ついていこうかしら」 嫁は笑いながら言った。「おいおい、それって野暮なおせっかいだよ」 息子夫婦の気の使いように、真佐子は涙が出る思いだった。
2021.11.27
四十三 第三の殺人「大丈夫かしら?」 山城愛子はいつもの横浜のラウンジで、曽根信也の肩にもたれかかって言った。「面倒なことになったな」 曽根信也は、ハイボールを口に運んで、気だるそうにつぶやいた。二人の関係はもう五年になる。曽根信也は、芸能事務所に山城を引き抜いてから、テレビ大阪の新企画については「凍結」を装って、慎重に事を運んできた。新型コロナの感染拡大ということもあったが、事務所始まって以来の大きな仕事に、勝負を賭けたのだった。彼はこれまで芸能界では辛酸をなめる経験を幾たびかしてきた。もともとは歌手を目指していたが、芽が出ず、タレント、お笑いへ転向し夜の仕事をしながら芽が出るのをじっと待った。 才能がないではなかったが、有名になりたい貪欲なピラニアみたいな芸人の誹謗中傷やら、妨害工作、さらにはスキャンダルの捏造など、あらゆる卑劣な行為によってその芽は摘まれていった。元来が他人を蹴落としてまで自分の保身・出世を組み立てるほど器用な人間ではなかったのがかかる運命をたどらせたのかもしれないと、彼は思っている。そうして中年の域に達し一握りの金の卵をスカウトし、デビューさせたことで、事務所は活気づき、中堅どころの芸能事務所にまでのし上がった。リーマンショック以降の不況が収束し、経済がエンタメ化の方向へ舵を切ったことも後押しになったのだろう。曽根信也の事務所を支えたのが、横浜港で殺害された澤田研一、瑠偉など恵まれた才能の持ち主だった。ここに強力なタレント、山城愛子を獲得したことで、山城の古巣のドリームエンタメに来た仕事が濡れ手に粟で手中に出来た。 黙示録はもともと大阪のドリームエンタメへ発注された企画ではあったが、芸人の派遣で協力関係にあったドリーム側から、協力して進めたい旨の提案があり、潮の流れは変わってきた。山城愛子はこの新企画に絡んで、曽根自らがドリームエンタメから強引に引き抜いたものだった。 しかし引き続く足の引っ張り合いに、ワールド・エンタテーメントを解散して、アジア・エンタメに改称し、できるだけこれまでの痕跡を抹消することに成功した。警察の影はいまだ彼のもとには及んでいない。曽根信也の胸中には、業界でのどん底の地位に甘んじてきたことへの、限りない屈辱を晴らしたい執念があった。怨念と言ってもよいこの感情が今の彼のレゾン・デトルになっていた。芸人たちの不祥事とマスコミ・メディアの業界を小ばかにした、さげすんだ目で見る屈辱に甘んじることと決別するべく、この大仕事にかけていた。「蛍雪大学の鮫島はどうしてる?」「どうしてるって? まだしつこくなんだかんだと言い寄って来るけど、相手にしてないわ」山城は、長い脚を組んで残りのワインを一気に干した。「倉橋はいいんだろうな?」「ええ、あのおばさんは、私の言いなりよ。あなたのアジア・エンタメさんの仕事に満足しているから、心配ないわ、逃げはしないわよ」 山城は、曽根からワインを受けてから言った。「それにしても、瑠偉を引き逃げしたのは誰だろうな。俺たちがやろうとした矢先にひき逃げをするなんて、だれかは知らんが本当に渡りに船だぜ」「そうね。瑠偉を蹴落としたい奴のしわざね。おおむね推測はできるけど」「黙示録の利権が絡んでいるからな。大坂の君川敏雄が死んでから、実質第一テレビと俺たちとの独占で企画が進んでいる。君も気をつけるんだな」 曽根信也は、山城の胸をまさぐりながら言った。横浜駅西口からさほど遠くない位置にあるホテルが、山城と曽根信也の逢引の場所だった。曽根信也は一人でホテルを出て、自宅に向かった。山城は眠い眼を閉じて眠りに入った。明日はこのホテルから、大学へ向かう。山城には後に引けないミッションがあった。 夏警部は娘の蜜柑とともに、アジアエンタテーメントの社屋の前に立った。「急な用件で申し訳ありませんが、社長さんにちょっとお伺いしたいことがあります」蜜柑は警察手帳を見せて用件を伝えた。寝込みを襲うのは、証拠が不十分な場合の捜査の定石だった。対応に出た女子事務員は、顔色を変えて奥に消え、しばらくして社長の曽根とともに現れ、二人を応接に通した。曽根の動きは明らかにぎこちない。蜜柑はその挙動を観察した。横浜港での水死体殺人事件以来、早いもので1年半近くが経過している。事件直後に、殺害された澤田研一のことで話を聞きに来て以来だ。「その節は、十分なことをお話しできなくて・・・事件解明は進んでいますか?」と曽根社長は探りを入れてきた。「まったく霧の中に入ったような状態で、コロナが追い打ちをかけて捜査は全く進展しておりません、ところで」と、夏は本題に入った。「黙示録のお仕事は、もうそろそろ動き出すのでしょうね」いきなり核心を突いた。曽根信也の目線が動揺し始めた。「よくご存じですね。コロナの患者数が急減しており、ワクチン接種も一巡し、ブースターへ移ってきているので、ご案内の通り活動を開始する予定です。このことが何か」曽根は落ち着きを取り戻していった。警察がどこまで知っているか、把握したいのだろう。 この時、夏の携帯が鳴った。「失礼」と言って、質問を蜜柑に譲って、夏は席を外した。「もしもし」夏は部屋の外で電話を受けた。通話は殺人事件の連絡だった。「分かりました。いまアジアエンタメにいるんです。詳細はここが終わった後に聞きます」警視庁からだった。夏はいったん電話を切った。アジアエンタメ所属のタレント芸人阿部慎之助が自宅で殺害されたということであった。同居の芸人が帰宅して発見し警察に通報したという。警視庁からの連絡だ。さっそく現場検証が始まっており、一連の芸能界をめぐる事件との関連があるようなら、詳細を連絡するとのことであった。「アジアエンタメさんの阿部慎之助さんが、自宅で殺害されました」曽根信也のところへはまだ連絡がないらしく、曽根が大声を上げた。「安倍君が・・・殺された、本当ですか」声になっていなかった。社内に動揺が広がった。そして大騒ぎになった。「捜査の都合で詳細は話せませんが」と言って、夏は社員を椅子に座らせ、反応をうかがった。続く
2021.11.21
四十二 アナログへ DVDは最後まで見たが、山城教授と同伴の男が写った個所は一か所しかなかった。二人はカメラに気付いただろうか。気づいていれば瞬時に顔を隠すだろう。サーチライトが観客を照らし、そこをカメラが捉えたのなら、逆光になってカメラには気づかなかったに違いない。道の駅ではカメラを避けた。萩のビジネスホテルでも、偽名を使っているし、部屋も別々に取っている。おそらくどちらかがサングラスをかけていただろう。お忍びは周到に計画されたもののようだ。しかし、イベント会場で一台のカメラにとらえられてしまった。不用意なことではあったが、言い逃れはできる。 二人の写真は、DVDの画像を写真に撮ったもので、不鮮明ではあったが、受け取った夏警部は、藤堂麻里矢が所属する芸能事務所のかぐや姫の社長と、藤堂麻里矢、そして彼女のマネジャーである幸田友里恵宛てに画像を転送した。反応は早かった。「アジア・エンターテーメントの社長さんじゃないかしら?」と返信が返ってきたのは、幸田友里恵のメールだった。幸田友里恵は山城は知らない。堂々麻里矢からも、よく似ているとの返信が、またかぐや姫の社長も、「山城さんと一緒ならアジアエンタメの社長さんでしょう。曽根信也さんに間違いないです」と、三人の証言が一致した。 夏警部は、DVDとの照合はDVDの到着を待って行うことにして、さっそくアジア・エンタメ、旧ワールドプロダクションへ乗り込むことにした。しかし、一連の事件との関連が全くない、任意の事情調書、「参考までに」という訪問でしかない。夏警部は迷った。下手に動くとガードを固められてしまう。「山城さんとなら、仕事で行っただけです。それがどうかしましたか」と言われると、どうしようもない。所属事務所の社長とタレントが仕事の下調べで現地調査をすることはよくある。ほかにも同行者があったのかもしれない。蜜柑にも相談したかった。蜜柑は、今日は休暇を取って自宅にいる。 時計の針は昼前を指している。仲村は今日中にいったん自宅にかえらなければならなかった。週明けの月曜日には東京へ戻り、秋学期の第一回目の授業がある。人数の多少と教室の収容人数によって対面、遠隔の区別が行われて、仲村の授業は80名収容の教室で30名の受講者であったから、対面ということになった。 仲村は、オンライン授業はあまり得意ではなかったから、ありがたい授業形式だった。考えるところがあって、仲村は今年からプロジェクタやインターネット接続、メール配信などのデジタル環境の授業から、昔懐かしい古風な授業方式へ戻ことを考えていた。いわばアナログ形式への復帰であった。春学期に学生に断り、意見も聞いたうえで、教科書を中心に、チョークを使っての板書、手書きのレポート提出という、50年以上前の仲村が大学で受けた授業そのままのやり方で授業の成果を出す方法へ復帰した。 学生の評判もまずまずで、何よりも教科書に焦点を絞って、重点的な教授を行うことが、教授内容の習得、今風に言えば授業の到達目標が向上したと判断した。秋学期もこの方式で行くこととした。そういうわけで、自家製の教科書の手配や半年間の進行スケジュールなど、あらかじめ考えておく必要があった。「山城とアジア・エンタメの社長のその後の足取りを捜査します。ここからは山口県警との協力になりますので、私に任せてください」瀧川刑事は、別れ際に仲村と真佐子に言った。「またお会いできるといいですね」 仲村は瀧川に言った。「今度お会いできる時は、中華街も接種証明書を見せれば、きっと自由に食事ができるでしょうね」 真佐子は瀧川の車に手を振りながら言った。事実新型コロナは、接種率の増大と若年者への接種、ブースター接種への以降ともに、沈静化の兆しを見せていた。第6波は懸念されてはいるものの、波の高さは小さいと、人工知能を駆使した専門家の分析結果が出されている。新幹線山口駅で、真佐子は駐車場へ車を預け、ホームまで仲村を見送った。「体に気をつけてね。私のことを忘れちゃだめよ」「真佐子さんも」 車両が入線するのを見ながら仲村は言った。「奥さんの家事を手伝うのよ。それと、私が標準語をしゃべる理由が知りたいのでしょ」「ええ、知りたいです。でもまた今度でいいです」「そうね、きっと早く呼んでくださいね」「ええ、今度会ったら世田谷の歌謡酒場で、一緒に歌を歌いませんか」「いいわ。コロナが収まれば、瑠偉さんのコンサートにも行きたいし」「約束します」「きっとよ、待ってるわね」「ええ」 振り返りざまに言った言葉を遮るように新幹線のドアが閉まった。その頃、東京では血なまぐさい事件が起きていた。続く
2021.11.18
四十一 同伴の男 仲村、真佐子そして瀧川刑事の三人は、観光協会の応接室に通された。ここへ来る道すがら、瀧川刑事には、これまでの事態の推移について概略話しておいた。状況証拠に過ぎないが、以前、ドリーム・エンタテーメントに所属していた山城教授とそのグループが、大阪第一テレビが打ち出したテレビ番組構想の利権をめぐって、内部抗争に発展していることが背景にあるのではないかと、仲村は瀧川に告げた。瀧川は同意した。観光協会では、この推理に間接的に絡む情報が得られるのではないかと、二年前のイベントについて聞こうということになった。事務局員が応対に出た。ほかに、女子事務員が二年前のことを覚えているというので同席している。「あの時のイベントは、海その愛と試練という題で企画し、大阪のドリーム・エンタテーメントに世話になったものです。趣旨は日本海と環境をテーマに、歌、踊り、芝居などを織り交ぜた三時間ちょっとの企画でした。すでにご案内のように、ドリームを通じて東京の歌手の風吹翔馬さんと瑠偉さん、それにタレントのマリン・スターズ7、お笑いの立川健吾など、文化庁の補助金もあって、豪華キャストで、地元テレビ局と大阪第一テレビの協力で行ったものです。人気スターの登場とあって、大盛況でPR効果抜群でした。ご覧になりたければ、DVDをお貸しします」と、事務局長は自慢げに話した。「ありがとうございます」と言って、瀧川が受け取った。仲村はこのDVDに何か手掛かりになるものが写っていることを期待した。「今、少し再生していただけませんか」仲村が注文した。「そうよ、私この辺に詳しいから、DVDの中に何か見つかると思うわ」と、真佐子が援護した。イベントの開会式に続いて、まずダンスが始まる。マリンスターズ7が海をイメージさせる青の基調の衣装で登場して派手に踊る。そこへ会場の中に風吹翔馬が立ち上がり、万雷の拍手喝さいを浴びて、舞台へ駆けあがる。司会者は観光協会のスタッフらしく、ぎこちないが翔馬がうまくエスコートしている。カメラは三台あるらしく、プロ並みの技を見せる。テレビ局専属のスタッフだろう。 イベントは淡々と進行していく。客席も時折写し出されるが、逆光で鮮明には判別できない。「ちょっとストップ、ここをもう一度巻き戻してください」仲村が言葉を挟んだ。「はい、この辺ですか?」事務局員が反応した。「そうですその辺、ハイストップ」仲村は食い入るように画面を見た。「どうしたの、あなた」真佐子も顔を大型液晶画面に近づける。「この女性は山城教授ですね。彼女の大学のホームページで見ているのですが、間違いないと思います」仲村の発見に、「横にいるのは誰かしら」真佐子は反応早く画面に指さした。しかし誰も知る者はいなかったが、道の駅で目撃され、後ろ姿ではあるが、中年男女の男性であることは間違いない。「仲村さん、ついに見つけたわね」真佐子が仲村の肩をたたいた。「このDVDと一緒にさっそく手配しましょう。芸能関係をあたればわかるのではないでしょうか」瀧川が言った。「いやまだそうと決まったわけでは、他人かもしれないし・・・確か、山城教授は独身だったような・・・」と、仲村が言った。「ここのホテルで、偽名を使っているのよ、怪しいわ」真佐子が好奇心に満ちた目をしていった。瀧川が、山城と同伴で写っている男性の写真を撮り、神奈川県警へ送った。「芸能・事務所関係、大学関係をあたればわかりますよ」瀧川刑事は自信たっぷりに言った。続く続く
2021.11.16
四十 海のカンバス 翌朝、真佐子はいつもより目が覚めるのが遅かった。時計を引き寄せて針を見ると、7時を指していた。仲村との楽しい会話に、どこか、もやもやした気持ちが吹っ切れるところがあったのか、ぐっすりと眠った。年のせいか夜中に必ず一度は目が覚めるのに、布団にもぐりこんだまでの記憶はあるのに、眠りに入るまでの記憶がない。熟睡とはこういうことなのか、自宅での母の世話や家事、孫の世話に近所づきあい、仕事、どれをとってもストレスのたまることばかり。調子に乗ってはいけないと自制するのだが、仲村の寛容さにかまけて甘えると、つい日頃のストレスを忘れてしまう。カーテンを開けると、まだ明けやらぬ夜の静寂が、ひんやりとした空気の中に漂っている。「これから観光協会へ乗り込む」 昨晩の仲村の言葉が、窓の外の木々の梢の間を駆け抜ける。 真佐子は、いつものようにタオルを首にかけ、水道の蛇口をひねって、じゃぶじゃぶと顔を洗った、空腹で目が覚めたのだと分かった。仲村は起きただろうか。窓を開けると、秋のすがすがしい空気が部屋に入り込んできた。名もない小鳥が、つがいでやってきて仲良く餌をついばんでいる。軽い嫉妬の気持ちが真佐子の感情の片隅を駆け抜けた。「いいなあ、小鳥は自由で・・・」真佐子は、独り言を言った。遠くに朝日を受けて白く輝く海があった。亡くなった亭主と漁に出て見る海は職場だった。今日見る海は、仲村と見る海、海のカンバスに自分がいると感じる。仲村は、青谷という海水浴場で子供たちと遊んだことを、昔の記憶を手繰り寄せて話してくれる。「真佐子さんは体調が悪かったのか、海に入れず、宿泊した寺院の本堂の縁に腰かけて、つまらなそうにしていましたよ」 仲村が嘘を言うはずはない。真佐子は、一人で何度も青谷海水浴場を訪ねた。しかし記憶は蘇らない。 松林の間にゆっくり動く人の影が見える。真佐子には、すぐに仲村だと分かった。真佐子は大急ぎでパジャマを脱ぎ捨て、着替えてホテルの表に飛び出た。フロントのスタッフが不思議そうな顔をしている。小走りに走って、あっという間に仲村の前に出た。「早起きね」の言葉に、仲村は、「真佐子さんこそ、よく眠れましたか」と笑う。「いよいよ、今日は勝負ね。一気に犯人を突きとめましょ」「真佐子さんは若いなあ」仲村は笑っている。「瑠偉さんは、何か言ってたかしら」 真佐子は、仲村の背中をつつきながら言った。「ええ、瑠偉さんも気になるところがあって、新しい事務所で聞いてくれたらしいです。風吹翔馬は、どうも何かよからぬやり方で、黙示録の配役を手中に収めたらしいのです。瑠偉さんと風吹は、この萩で行われたイベントで、偶然、山城教授を見かけました。ということは、瑠偉さんと風吹翔馬は、山城がこのイベントに来ることを知らなかったのでしょうね。むこうは気付かなかったようですが、山城教授と一緒だった男性は、見られてはまずい人だったのでしょうね。これはあくまでも推測ですが、その辺が瑠偉さんがひき逃げされ、そして、今度は風吹が銃で殺害されたことにつながったのではないのでしょうか」 仲村は、回りくどい言い方をした。「私も、あなたと同じことを考えていたわ。でも、見られたことが、ひき逃げや銃で殺害しなければならないほど重大なことだったのかしら」と言って、真佐子は両手を後ろ手に組んで、仲村の前に出て振り返った。「そうですね、例えば不倫相手の男性といるところを見られて、山城教授が彼らの口を封じなければならないほど重大なことだったのはなぜか、また同伴の男性にとっても重大なことだったのか、その辺がよく分かりませんね」「瑠偉さんは、私の勘ですけど、人を脅すような人じゃないですね。あの人は純粋でいい人よ。風吹翔馬という人は全然知らないけど、何か企んでいたとして、それが原因だったような気もするのよ」「僕も今それを考えていたのです。どうでしょうか、風吹の身辺を詳しく洗ってもらうよう夏警部に頼みましょう」仲村が言うと、「あら私たちじゃダメなの? 推理をしたのは私たちよ。追及する権利は私たちにあるわ」 真佐子は不満げだ。「そう思いますけど、ここはいったん警察を立てたほうがいいのではありませんか」 仲村がなだめると、「そうね、警察にもメンツがあるものね。一応メンツを立てたことにして、その先を行くのね」「どういうことですか?」「コロナも収まる気配が見えてきたし。あなたも大学で忙しくなるでしょうから、しばらく様子を見て攻撃開始っていうわけでしょ、ね、そうでしょ」 真佐子は仲村の腕をつかんで詰め寄る。散歩の若い人が珍しそうに二人を見ている。「まいったなア、真佐子さんにも。朝ごはんにしましょうか」 真佐子は仲村のシャツの裾をつかんであとをついていく。 萩の観光協会は市役所の近くにあった。昨日の電話で、午前九時に行くことになっていた。朝食をとり、二人は一階のロビーでテレビを見ていた。真佐子の携帯が鳴った。しばらく話し込んでいたが、携帯をたたむと真佐子は言った。「蜜柑さんからだわ。私たちの推理を話すと、向こうも同じだって。さすが警察ね。それで、観光協会への聞き込みは鳥取県警も同伴するのでよろしくだって。瀧川刑事一人だけど、九時前に来るって。それで、風吹翔馬の身辺を、怪しい人たちを中心に洗ってほしいというと、了解ですって。それから・・・えーっと、終わり」真佐子がもったいぶって携帯をしまうと、「なんですかその、それからっていうのは」と、仲村が読んでいた新聞を置いていった。「女だけの秘密」と、真佐子は悪戯っぽい目をして答えた。「そうですか、まあいいでしょう。それでは着替えて八時四十分にここへ集合ということでどうでしょうか」「いいわ」続く
2021.11.11
吉本興業など 芸人の不祥事 大阪VS東京戦争 みなさん方、今回の反社会的勢力と関係した不運で不幸なお笑いさんと吉本との確執は、どたばた劇にすぎないのか、はたまた熟考すべき社会問題なのか、確かに反社会的勢力と芸人との結合関係は暴対法強化以降の社会的問題だ。FRIDAYのスクープもこの延長上にある。芸人二人の落ち度は明らかだ。嘘をついたことも、5年前の曖昧な記憶が災いしているとはいえ、責められてしかるべきだ。 とは言え、果たして吉本から契約解除されるべきかいなかは難しいところだ。マスコミはその後の吉本の対応(23日の5時間の社長記者会見)に非難ごうごうの質問を浴びせかけた。「冗談で言っただと、ふざけるな」「今の時代にパワハラを冗談で済ませるのか、アホちゃうか」「よれよれ会見だ」とういう訳だ。実はこの問題の背景には、芸人と事務所、テレビ局、暴力団の「社会=分散化」を繋ぐ構造変化があるように思える。この構造変化は、スポーツ界にも言える資本主義の構造変化だ。公取委はスポーツ界の競争制限行為についても軽く指摘した。この問題について暫く考察を加えよう。 その前に、吉本社長の5時間に及ぶ7月23日の「ぐだぐだ」記者会見をじっと見た後、翌日のテレビ報道を見ると、まず23日ののっけから東京系の羽鳥慎一率いる報道番組に続いて、「ひるおび」はこぞって激しい、かつもっともらしい吉本批判をエアコンの効いたスタジオから繰り出した。 私は、22日はちょうど横浜のマッカーサーの「ニューグランドホテル」へ仕事で泊まって、帰宅途中、夕方まで車の中でテレビを見ることができたので、「ごごすま」をはさんで、「ミヤネ屋」まで4大報道番組を見ることができた。一見して分かるように、前2社が激しい、根拠に乏しい吉本社長攻撃を繰り出したのに対して、ミヤネ屋は吉本それ自体の擁護論を展開した。「競争制限行為を公取委に取り上げさせろという」バカなコメンテーターもいる。そんなことをしたら、ジャニーズも無傷ではいられないよ。元ジャニーズの若いタレントの中にも、公取委や局ががジャニーズに忖度しているという人がいる。 もともと、吉本や阪神タイガースの人気は、東京の権威主義への反抗であり、議論がかみ合わない。桂三枝が巨人ファンから阪神ファンに変わるのに、10年かかったという。反社にまみれた横山やすしが関西お笑い文化に受け入れられる理由は、東京の頭でっかちのコンプライアンス主義者には理解不能だ。わずか数年六法全書をかじっただけの司法人の屁理屈では、今回の問題は到底理解できない。いわれのない吉本批判は、ギャラ欲しさの「ギャラ飲み」とレベルにおいてたいして変わらない。 かと言って、やすしやノックのお笑い文化が踏襲されてよいわけではないが。時代は明らかに変わっている。文中指摘したように、スポーツ、芸能関係の不祥事の多くの問題は、現代の資本主義の構造変化の問題なのだ。この点は、小出しではありが追って説明してゆく。 今日のところはここまで。 地獄の双六 吉本興業の不祥事 7月24日段階での報道番組が伝える、吉本芸人二人の反社会的勢力との金銭授受疑惑に対する吉本興業代表のパワハラまがいの不適切対応に関して、エアコンの利いたスタジオでの芸人タレントを含む吉本興業関係の芸人たちの反応を彼らの言葉を借りてまとめると以下のようになる。「地獄の双六」芸人「加藤の乱」民法TV局 極楽とんぼの加藤が吉本に直訴したことを表現。「売れてるから言える 自主路線」吉本興業教育関係者「吉本牧場」吉本興業教育関係者「契約解除は死刑宣告」吉本興業売れっ子芸人「下請け法違反だ」民法TV局「自称吉本」Nスポーツ「寝不足芸人いっぱいやろな」HM吉本興業芸人「5990人の芸人はファミリーと思ってない」吉本興業芸人「黄金の方程式の副作用」大崎会長が当時25才の若さで、東京事務所開設後、ダウンタウンを師匠なしで有名にしたビジネスモデル。ワイドスクランブルコメンテーター「タレントの倍働けでやって来た」「退職高齢者を再雇用せよ」吉本もとマネジャー「アメリカの職種別の組合を作る」評論家「吉本が誰のために何のためにあるのか」をはっきりさせる 評論家「研修講師になりたいから吉本の看板がほしいと言う人もいる。6000人の中にいる」元吉本マネジャー(羽鳥のモーニングショー、ワイドスクランブル、ミヤネ屋等7月24日を参考にした) 今回の事案は、不謹慎だがまるで吉本新喜劇を見ているようで面白い。反社会的勢力との疑惑は論外だが、起承転結の最後は笑いと涙のハッピーエンドであってほしいと願っている。 吉本興業失態事件に群がるピラニア芸人たち 一国の首相が吉本新喜劇に登場して人気を博する時代だ。政治がお笑い化しているが、この事については別の機会にゆずります。ヒョーロン家や売れない弁護士、事務所に籍を置くキャスター崩れのコメンテーターたちが、ピラニアの如く「闇営業」のエサに群がっている。これに各省庁が入り乱れて、新喜劇を演じている。 これに特任○❌なる冠をかぶったお笑い教師が加わって、まことしやかな他人批判や自己弁護劇を演じている。特任○❌にとってはお笑いの世界はうってつけのアルバイト先なのだ。 そう言えば、2011年の東日本大震災直後にも、売名行為見え見えの売れない芸人や消費期限切れのタレントが、被災者の不幸にかこつけて出てきたが、良くできたもので、このピラニアたちの中で生き残ったものは一人もいない。震災ただ乗り一発屋だったのだ。 バカの一つ覚えのように「ガバナンス、コンプライアンス」「契約」をおうむ返しする落ち目のヒョーロン家の言葉をよく聞けば、口約束で自分の仕事がなくなるのが心配なだけだ。また「契約解除は死刑宣告に等しい」というキャスターは、自分の仕事がなくなる夢に魘されるのだろう。また胸に手を当てると「過去に反社会的勢力と関係があったかもしれない」「捏造された写真で脅されるかも知れない」、はたまた「現に付き合いがあるかもしれない」ギャラ飲みのお笑いさんにとって、このお笑い騒動の裏で眠れぬ毎日を送っていることだろう。火の手はジャニーズの領域をなめ尽くすかもしれない。 そしてこのような世界とは全く縁遠い世界にいるサラリーマンや一般庶民はTVや週刊紙を見て笑い転げていることだろう。新喜劇は終わることのない儚い夢なのかも知れない。 芸人商品の属性研究序説 ここでいう「芸人」とは、「芸」を生計の資として売って生きるあらゆる階層の人びと、誤解を恐れずに言うと、資本主義の発展によって、実体経済に機械や、さらにはコンピューターが導入され、それらがAIと結びつくようになると、サービス経済化が進み、「笑い」や「芸」「感動」「躍動」「美」「情動」等を自らの身体表現の結果としての「商品」を売ることを使命とする、資本の自己増殖の結果としてのあらゆる形態の利潤、その派生形態の税収によって養われる、自営的存在の不生産的階層としての人びとー芸能人的職種、タレント、ライター、クリエイター、弁護士、タレント議員、首長、コメンテーター、フリーアナウンサー、大学に寄生するエセ教員等が「芸人」資本主義の担い手として登場し、行き場所を失った資本は、更なる増殖を求めて芸能プロダクションやスポーツクラブ、養成学校などへ流れていく。資本主義のこのような発展段階を芸能資本主義と規定し、グローバルな角度から分析する経済学の分野を「グローバル情動資本主義」と呼ぶ。。 既存の経済学は、近年急速に拡大し影響力増している、これら社会集団に関する分析を著しく欠いている。 これらの階層は、テレビ、雑誌等のマスメディア、小屋掛け、ライブ会場、劇場等で芸を披露し、ギャラという対価を得るのみならず、番組等の制作者の意図を満たすべく、芸を磨き、反転化した自己を観客(聴衆)に提供する。それは一見して「美」を売るビジネスに見える。しかしその「美」は性フェロモンが充満する、「官能」産業とも言える。 私は大学教員だが、このような舞台芸術を日々大学の教室の教壇で演じている芸人(役者)である。私の友人で、今有名私立大学の学長をしているM教授は「大学教授は役者だ」を口癖にしていたが、別な意味でまったくその通りになった。以下は「芸人」全般に当てはまるわけではないが、少なくともいくつかは当てはまる性格特性だ。1 自虐的人生観 笑を売る 媚を売る 脱羞恥心 ↔ ポジティブ2 自己顕示欲 ↔ 内省的 ニヒリズム3 オプティミズム ↔ 厭世観(悲観主義)3 虚栄心 ↔ ブランド志向 ↔ 高級マンション 外車4 義理人情 ↔ 宵越しのカネは持たず5 センセイションシンキング ↔6 自己愛性パーソナリティー障害 ↔7 ナルシズム(自己愛) ↔ 8 マザーコンプレックス ↔9 積極的 ↔ 消極的10 攻撃的 ↔ 防衛的11 開放的 ↔ 閉鎖的↔の右側には対義語が入る。共生、清貧、自他一如、勤倹誠実、虚心たんかい、といった性格特性は今後検討する。 8を除いて、すべての芸人(商品)に当てはまる性格特性だ。芸人は「商品」だということは誰も否定しないだろう。芸人商品は資本家によって原料として仕入れられ(オーディションやエントリー、昔は路上での引き抜き)、訓練とPRによって商品としてテレビ局や劇場に売られていく。芸人商品は会社に所属しない「モノ」としての商品であり、彼らが人間であるのは「専属マネジメント契約」と「専属エイジェント契約」の文言の中においてである。真に人的でありたいなら、インディーズであるしかない。(以上の性格特性は検証中であり詳細は上書きして公開します) これらの性格特性は、最近高速道路等で危険な煽り運転を繰り返し暴行に及んだ犯人の性格特性に通じるほか、煽られたとして、隣国に煽りをかけ、煽り合戦を演じている某国の官邸政治に似ている。この煽り政治家の周辺には煽りを煽る「同乗者」がおり、上に挙げた芸人的役割を果たしている。(2019年8月22日)「商品」としての芸能人 タレント(政治家)、芸人、アスリート 経済学として芸能資本主義を扱うさいに基本的視点となるのは、彼、彼女らが芸能「資本」によって、労働力「商品」として雇用されるのではなく、資本の循環に必須な「原材料」としての生産手段、厳密に言うと、「不変資本」として利用、消耗されるということである。ここが重要なので、繰り返し読んでいただきたい。労働力商品として雇用されるのは、芸能プロダクションの社員、テレビ局のアナウンサーたちだ。 この芸能資本主義の資本によって原材料商品となるのは、雇用形態従って契約形態(専属マネジメント契約か専属エイジェント契約か)によって内容規定は異なるが、現状で、固有の芸能人、タレント、ジャーナリスト、タレント議員、アスリート(現役か退役かを問わない)たちだ。芸能資本主義に必要なパソコンや消耗品と同じ位置付けの原材料商品だ。インターネットで、アメリカで活躍しているアーチスト(アクター)が自らのことを商品として位置づけ、自ら輝くことを使命としているといっていたが、まさに核心を付いていると思った。 一方、芸能資本に位置付けられるのは、いわゆる芸能プロダクション、映画会社、テレビ局、インターネットTV及びこれら芸能資本と取引関係にある関連会社、サプライチェーンである。 資本主義は実体経済での譲与価値生産が行き詰まり、相対的な縮小を余儀なくされるに従って、「芸能資本主義化」せざるを得ないというのが、ここでのエッセンスだ。芸能資本主義には、前夜すなわち歴史があり、「芸能資本主義に先行する諸形態」が考察されなければならない。静御前、河原芸人、小屋掛け、興業ヤクザの世界だ。しかし、この検証のためには人生がもうひとつ必要になる。あるいは「芸能経済学会」が必要なのかもしれない。 芸能資本主義「商品」の性格特性に関する試論は、このブログですでに示した。お笑いに関しては、いわゆる反社会的勢力との黒い癒着が取りざたされているが、以上にのべたようなことが解明されて、初めて浄化の道が開けるのではないか。 私はお笑いが好きだ。アホの坂田ややすしのようなお笑いさんが現れないことを寂しい思いでテレビを見ている。議論が健全な方向に進み、そして笑いながら死にたいと思っている。演歌に挑戦したい これまでPOPsを中心に作曲してきましたが、これからは演歌にも挑戦したいと考えています。演歌と言えば、「義理」「人情」「酒場」「失恋」「恋」「兄弟」「母」「別れ」「出会い」「旅」など、人と人の心の触れ合いの、奥深い部分を表現してきた歴史があります。 しかしその歴史は古く、 最初は、19世紀末の自由民権運動の時代に遡り、藩閥政府に反発する公開演説会に対する当局の監視が強くなった時、圧力をかわすために政治を風刺する歌(プロテストソング)として「演説歌」が生まれたとされています。(wikipedhia 以下wikipedhiaによります) 有名なものに、ダイナマイト節や川上音二郎のオッペケペー節があり、オッペケペーは私も小さいころに聞いた記憶があります。やがて、20世紀に入るころには、自由民権運動も一段落し、演説歌の内容にも変化が訪れ、題材が政治に対するプロテストから社会問題に関する風刺に代わってゆくとともに、ヴァイオリンでの伴奏が導入されるなど、芸人の要素を強めていきました。 また、担い手も政治運動を生業とする壮氏から書生によるアルバイトに移行するなど、より商業的な存在にもなってゆきます。大衆娯楽として変質したということでしょうか。この時期の作品としては、しののめ節、ラッパ節、ハイカラ節などがあげられますが、私は聞いたことがありません。 やがて、昭和初期にレコード歌謡の市場が完備されると、演歌師の活動も打撃を受け、盛り場で「流し」をして生計を立てるのが一般的になるとされ、私がはじめて出会った演歌は、酒場演歌でした。私は東京の大学生だったころに、新宿の酒場でアルバイトをしていたのですが、その酒場横丁でよく流しのギター弾きを見かけました。また、そのカッコよさに憧れたものでした。 この昭和初期の演歌については、実証的な研究は少ないと言われ、同時代の演歌師であった添田唖蝉坊とその息子、添田知道の著作が、主要な情報源として用いられているとされています。一方でその政治的な態度についての証言に対しては、倉田喜弘や西沢爽が実証的な批判的研究を行っているとされ、これは今後の課題としたいと思います。 演歌は艶歌とも言い、独特の節回しとギターや三味線による心の銀線にふれる日本的な曲と歌い方が特徴です。演歌には、ビールやワインよりも日本酒や焼酎が似合うと言われ、それはいわゆる「酒場」の「流し」によって奏でられる曲をイメージするからでしょう。 J-POPがどちらかというと、ひとの感情を控えめに表現するのに対し、艶(演)歌は、極限まで人の感情を背景となる風景描写に投げかける日本独特の曲の構成と歌唱方法ではないでしょうか。 以上をまとめると、演歌はもともと政治・社会的な主張を「歌」に乗せて届ける、日本的なコミュニケーション手段で、それがJ-POPなどの洋楽と棲み分けを求める中で、今のような歌謡曲になったということでしょう。「演歌」はいつも「何か」を主張し続けてきたと言う点で洋楽に卓越した存在だということはできないでしょうか。今に求められる「何か」とは一体何なんでしょうか? 芸人は労働者か? 子供タレントの合法性に関連して 近年、子どもがCMをはじめ、古くからある「子役」に加えて、様々な場で芸能者として活躍する機会が増えている。同じことは、アマチュアスポーツにおいても、早くから芸能事務所に所属し、メディア等への「露出」を通じて、ファンを獲得し、スポーツを盛り上げる手段として、「少年少女」の起用が増えている。このことは、好ましいことではあるに違いないのだが、加熱しすぎると、社会問題にもなりかねない。そこで、ここでは「芸能人」が労基法上の労働者であるのか、労働者でないとすると、いかなる働き手なのか、根源的な問いかけを行ってみたい。 まず、労働基準法第9条では「職業の種類を問わず、事業又は事務所に使用される者で、賃金を支払われる者」と定義されている。使用者の指揮命令を受けて労働力を提供し、その労働の対価として賃金を支払われる者は、本条でいう「労働者」に当てはまる。契約の形や名称にかかわらず、実態としての雇用契約(民法第623条)が締結されていると認められるかどうかが基準となる。私は、長年大学教授であったが、引用した雇用契約の下で働いてきたわけで、まぎれもなく労働者として働いてきたわけである。だから、この小論の問いかけは、芸能人は「サラリーマン」と、労働法とは別に、経済学的にどう異なるかということになる。 したがって、小中学校の児童・生徒としての子どもが芸能活動を行う場合、「労働者」と認められる場合、それは労基法によって深夜労働が禁止されることになる。「労働者」でない場合は、禁止されないことになる。しかし、ここでは、まず「子供タレント」が労働者かどうかは一応置いておき、芸能人が労働者かどうかを考えよう。 労働省(現在の厚生労働省)が、1988年(昭和63年)に発した通達「昭和63年7月30日基収355号」の一般的な呼称で、芸能人が、うえにみた労働基準法第9条でいう「労働者」に該当するかどうか(芸能人の労働者性)の判断基準を示した「芸能タレント通達」をwikipedhiaからの引用を交えながら考察しよう。当時の人気アイドルグループ・光GENJIの活動が時代背景としてあったことから「光GENJI通達」とも俗称されたようである。 1988年当時、光GENJIは、たびたび夜の生放送番組に出演していたが、当時の光GENJIには、中学生のメンバーが2人いたため、15歳未満の者の深夜業を禁止した労働基準法第61条5項に照らし合わせると、彼らの活動は、同法に抵触するのではないかと疑義が出された。こうして、労働基準監督署が、同年6月に光GENJIの所属するジャニーズ事務所へ調査に入った結果、「報酬面」「税法上の取り扱い」「事業所所得として課税されている」などの実態があり、光GENJIのメンバーは「(労働基準法上の)労働者とは認められない」(=労働基準法は適用されない)という判断を下したのであった。つまり、個人事業主としての契約実態が示されたということであろう。 実は、それもそのはず、これに先立ち、1985年(昭和60年)には、労働省内の「労働基準法研究会」が「労働基準法の「労働者」の判断基準について」という報告書を出しており、これによれば、「労働者性」の有無は「使用される=指揮監督下の労働」という労務提供の形態及び「賃金支払」という報酬の労務に対する対償性、すなわち報酬が提供された労務に対するものであるかどうかということによって判断され、そのうえで「専属度」、「収入額」等の4つの要素をも考慮して、総合判断することによって「労働者性」の有無を判断することとなっていた。経済学的に言えば、資本によって雇用される「労働力商品」の販売者としての労働者である。 この報告は芸能タレントに限ったものではないが、「労働者性」について包括的な判断基準を示したものだった。現在においても、芸能タレントの芸能プロダクションとの間における労働者性についての判断基準は基本的にこの報告に拠っている。繰り返しになるが、芸能人は芸能プロダクションによって雇用される「労働者」ではなく、芸能という労務を提供する個人事業主であり、芸能プロダクションサイドから言えば、テレビ等に「芸能商品」として販売する「商品」である。芸能プロダクションにとって「労働者」は、同プロダクションの社員である。この「芸能商品」を考察するのが『資本論』の未開拓の仕事であると、筆者は考えている。 こうした背景があって、労働省は都道府県労働基準局からの問いに答える形で1988年7月30日に上述の「芸能タレント通達」をだしたとされる。内容は1985年の「労働基準法研究会報告」を受けて、以下の4要件を全て満たす者は、労働基準法第9条の「労働者」に該当しないとするものであった。①当人の提供する歌唱・演技等が基本的に他人によって代替できず、芸術性・人気等当人の個性が重要な要素となっていること。②当人に対する報酬は、稼働時間に応じて定められるものではないこと。③リハーサル、出演時間等スケジュールの関係から時間が制約されることはあっても、プロダクション等との関係では時間的に拘束されることはないこと。④契約形態が雇用契約でないこと、以上である。 以上の4要件によって、労働基準法第9条の「労働者」に該当しないとなれば、労働基準法で定める種々の規制(労働時間、深夜業を含む年少者保護等)は適用されないことになる。したがって、これらの条項にとらわれずに活動することができる。ジャニーズの少年2人は労働者ではなく、深夜労働も違法では二ということになった。 ところで、実際の運用は上の判断に示されたような芸能人としての「人気」や「個性」といった属性は画一的な基準で測れるものではなく、通達発出後も実際の芸能タレントが「労働者」に該当するか否かは、その都度個々の事情に応じてケースバイケースで判断するしかないとされたようである。 こうしているところへ、1999年(平成11年)12月に当時15歳の女性タレントが深夜の生放送ラジオ番組に出演したところ、所属事務所と放送局の関係者が書類送検されるという事案が発生した。所属事務所と放送局の関係者は当該タレントを「表現者に該当する」と考えていたが、労働基準監督署は労働者であると判断した。この判断については国会でも取り上げられ、当該タレントについて「余り売り出しがまだできていないような方」「労働基準法上の問題に抵触する可能性がございました」とした。 こうしたことが契機となり、現在では各放送局ともに概ね「たとえ“表現者に該当する人”であっても、15歳未満の芸能人は21時以降に生出演させない」という自主規制を定めている。こうして、規制改革の流れの中で、2004年(平成16年)に通達が発出され、「演劇の事業に使用される児童」については、労働基準法第61条5項の「厚生労働大臣が必要と認める場合」として、当分の間「午後8時から午前5時まで」を「午後9時から午前6時」とすることとなった(平成16年11月22日基発1122001号)。つまり、午後9時から午前6時までの深夜労働は禁止されたのである。 以上をまとめると、現行法規においては芸能人は上述の4要件を満たす限り労働者ではなく「表現者」、つまり、筆者の規定では芸能プロダクションがテレビ等メディアに販売、提供する「芸能商品」であり、子ども芸能人も「21時から翌朝6時まで」の時間制限を設けて労基法の例外とする、つまり大人と同様に「芸能商品」となり得るというものである。子役タレントの活躍は社会を映す鏡?最近、テレビなどを見ていると、「子役」が活躍する場が増えていることがわかります。子役のメディアへの登場は、今に始まったことはないが、子どもが「鑑賞」や「CM」の主体(対象)として登場したのは、古い時代からのことであり、その意味を歴史にさかのぼって考察する必要はあるが、現時点での「児童労働」としての現状や問題点を、考えてみる必要があると思う。 児童労働が禁止されてから久しいが、今なお一定の条件の下で許されているのが「芸能」の世界だ。芸能の世界は、果たして前近代的な世界なのだろうか。それとも社会の進化をリードする先進的な世界なのだろうか。筆者は、今、だれも考えたことのない世界へ踏み出して考えてみたいと思う。 人間の欲望には限りがない。一度味わった快感は忘れることができず、次なる、さらなる快感を求めて、快感源を探し求める。このニーズを満たすために新たなサービスがうまれ、提供されていく。そのようなところへ「カネ」と「情報」そして「モノ」と「ヒト」が流れていく。児童労働はなくならないばかりか、資本のさらなる剰余価値の源泉として、搾取対象となっていく。「搾取」という言葉が適切でないなら「人的資源」でよい。この「芸能資本主義」連載では、この仮説を検証していきたい。 芸能人をめぐるいわゆる「不祥事」が後を絶たず、かなりステレオタイプ化されて続いているところをみると、組織的に仕組まれているか、あるいは業界全体にビルトインされている、発生メカニズムが温存されているのではないかとさえ疑いたくなるのは、私だけだろうか。「反社との付き合い」「不倫」「覚せい剤等危険ドラッグの使用」など、枚挙にいとまがない。 引用したサイトを一読すればわかるように、適切な契約のもとに行われる子役の活躍は、何ら問題ではないし、親子のきずなを深め、社会の見本にすらなり得る存在だ。しかし、、、である。https://www.bengo4.com/c_18/n_115/東出の不倫発覚を一人個人のせいにしてよいのか?東出昌大、不倫発覚で相当落ち込んでいることが伝えられている。(下記サイト)莫大な損害賠償を抱える可能性がが報じられ、芸能界をあまりよく知らないものにも、ちょっと行き過ぎではないかとさえ感じられる。スポンサーから言わせれば、事務所からとんだ欠陥「商品」を押し付けられたと言うことになり、倍返しに近い賠償を請求することになるだろうが、それは契約に明記されているのなら致し方ないことではあるだろう。でも「カネ」の問題ではない。しかし、問題なのは、人間だれしもあるこのようなまちがいが、繰り返し繰り返し芸能界では「再生産」されており、過剰に反応することだ。うまくできすぎた不倫ストーリーとして、どこかで台本ができていたのではないかとすら疑ってしまう。また「影の役者」が存在していたのではないかとも考える。実に迂回タイミングで出てくるものだ。「不祥事」がまるで順番を待っているかのようだ。覚せい剤しかり、反社との付き合いしかりである。これは、公正取引委員会が指摘するように業界の古さゆえの反作用なのか、したがって克服されるべき課題なのか、それとも業界の内部構造に深く根を下ろした構造的な問題なのか。筆者は、いわゆる「芸能資本主義」を資本主義的生産関係の新しい展開として、腰を落ち着けて考察していくつもりだ。筆者は、新喜劇を見て育ち、チャンバラ映画や月光仮面から「正義」の尊さを教えられて育ち、旧御三家の歌声には散々励まされて、大人に成長してきた。優しい「兄貴」がいつもそばにいた。性フェロモンの塊ような今の操り人間とは違う「芸能人」がそこにはいた。「愛と死を見つめて」からは愛の尊さを教えられた。かつでの「夢」と「愛」と「正義」に育まれてきた芸能界は一体どこへ行ったのか。https://news.livedoor.com/article/detail/17838158/新型コロナは芸能界を直撃する4月になってからとはいえ、ジャニーズ所属の人気グループ・嵐の予定されていた北京公演が中止の運びになった。実に早い決断だ。このところ、コンサートなど芸能人が活躍するコンサートやライブの中止や延期が相次いでいる。 こんどの新型コロナウイルスは、とにかく閉鎖空間で「抜群の」感染力を持っている。そのように改造されたウイルスであって、誰かが意図的に遺伝子組み換えを行ってばらまいたのではないかとさえ疑ってみたくもなる。現にそのような情報もネット上で散見される。 デモンこと閣下も、熊本でのライブが中止になったとテレビで漏らしていた。2月25日、厚労省が新型コロナ対策の「基本方針」を発表し、「イベントの自粛」を盛り込んだものだから、この流れはさらに加速すると思われる。この基本方針、内閣の支持率の低下に気をもんでの「苦し紛れの思い付き」との憶測が乱れ飛んでいる。 これに対し、芸能プロダクションや、イベント会社などの経済的ダメジは測りがたいものになるだろう。インバウウンド=観光業界では、ホテルの倒産に追い込まれたケースも出ている。そうなってくると、イベントやライブに関係する芸人さんたちの経済的なダメジも懸念される。「コロナウイルス禍」はスポーツ・芸能界においても深刻な影響が予想され、休業補償など「基本的」対策が求められよう。https://www.asahi.com/articles/ASN2K5VTRN2KUCVL031.html 新型コロナウイルスの攻撃対象は、もはやスポーツビジネスから芸能界へと向けられてきている。厚労省のウイルス撃滅作戦は「ウイルスの巣になるクラスターをつぶす」だが、まるでこの作戦を読んだかのように、次から次へと新たなクラスターを見つけては襲い掛かっている。IQレベルで、新型ウイルスのほうが官邸よりもはるかに勝っている。 私は、芸人さんが利用するスタジオを何度か訪問したことがあるが、そこはまるで密室そのものだ。当たり前の話で、防音のためだ。そこには、コロナウイルスが好むマイクやアンプ、ドアやロッカー、各種機材などがあり、空気の流通がない密室なのだ。テレビ局での生番組や収録にも何度か行ったことがあり、そこは風通しの良い大学の教室とは違いやはり密室空間だ。すでにギャラリーなしの放映や収録を実施した番組もある。ギャラリーなしの開催はゴルフからプロ野球にも及んでいる。昨日、駅前の居酒屋に行ったが、駅前は閑散としており、居酒屋には私しかいなかった。 アーチストのダイゴは、なかなかしっかりしているし、よく観察している。無能な政治家や御用学者より、よっぽどしっかりしている。あ、彼はそういえば有名な総理大臣の孫だったか。政治資金集めのパーティーは予定通り開き、「同僚の政治家だってやったじゃないか」と、責任転嫁。生活のかかっている芸人さんには自粛をなかば強要し、休業補償すら払わない。 こんな政治を何とかするように、芸人さんたちもユニオンを作って戦ってほしい。どうせ仕事がなくなるんなら、反対運動をイベントで展開してファンを繋ぎとめよう。下手するとテレビの制作局、芸能プロダクション、キャスティング、日銭稼ぎの芸人、タレント、モデルさん共倒れになっちゃうよ。司会は、「桜を見る会」を断った千原ジュニアがいい。彼はなかなかしっかりしている。これから気候が良くなって屋外で大規模コンサートもできる、ギリギリ対策をして、corona撃滅一大コンサートを開いたらどうか。 いや、やっぱり小規模な集会が良い。場所はいくらでもある。賞味期限の切れた歌手や、アーティスト、タレントさんを集合させ、「コロナ不況ぶっ飛ばせコンサート」を開く。尾藤イサオやチェリッシュさんたち、公演にかける費用が200~300万円だって。一人当たり2,3万じゃないの。裏方さんも同じ程度のギャラしかもらっていないというじゃないか。政治資金パーティーはよくて芸人のファンサービスはやめろなんて、ウイルス対策はどうかしてる。https://www.excite.co.jp/…/article/SportsHochi_20200227_OH…/トランプ劇場とコロナ過で芸人化した大学教師私はウイルス学者でもなければ、感染症学、公衆衛生や特定の医学分野に精通した医者でもない、あえて言わせていただければ、長い間大学で経済学を教えてきた一介の教師に過ぎません。いや、もっと遜って言えば、生活のための給与を受け取るために、諸規則に従順に従うことを生業としてきた、いち給与所得者に過ぎません。 長い間学生相手やや講演・研修での聴衆を前にして話をしてくると、上から目線で知識を見せびらかし、多少あやふやなことでも「見てきたようなうそを言い」、自分を尊大に見せるいかさま詐欺師に近いと、自虐的に思うことがある。 学生や聴衆を前にして話をする商売は、落語家や講談師に近い習性を身に着けており、舞台の上やカメラの前で気取って演技をする役者と言えば聞こえがいいが、見世物小屋の芸人に近い。昔の私の友人で、いま私立大学の学長をやっているA君は、退学教師は芸人だと常々言っていた。毎回の授業で、何回学生を笑わせるかが生きがいだと言っていた。 とすれば、皿回しの皿と棒を「本」に変えただけだ。現役の大学教授にはすまないが、本質的に大学教師は「芸人」に近い。テレビに出ることを生きがいとしている大学教授はごまんといるが、その目的はギャラと、自己顕示欲の自己満足的充足だ。また大学の管理者も、大学のPRになる教師を競って雇う。 2020年1月末から、自宅のテレビで、嫌というほどこれらの見世物小屋=大学教師の演じる舞台劇を見てきた。それでも、テレビは手っ取り早くコロナ情報を提供してくれるから、自分と家族の身を守るために、嘘と真実を問わず、メディアの情報を頼りに1年を過ごしてきた。 今から30年近く前に、中央アフリカで人類を席巻したエボラ出血熱感染を、経済学的視点から研究したことがあるので、今次の新型コロナウイルスに関しては、2020年初頭の武漢ウイルスの蔓延からの事態の推移を、ある程度系統的に追うことができ、山師的報道に惑わされることなく、自分の防護だけでなく、ワクチンの接種から集団免疫、経済の再建の課題を冷静に分析することが出たように思う。『新型コロナウイルスの影響を考える』を昨年4月、緊急事態宣言が発令されたのと同時に出版して、黙々と情報収集と分析を行ってきた。いかんせん、この道の専門家ではないので、とんだ間違いや早とちりがあったかもしれない。年が明けて2021年の年初、「ゆるい」緊急事態宣言が8日に発令された。解除の条件は東京都の場合500人を下回ること、医療施設のひっ迫状況などだ。 第2次緊急事態宣言が発令されて、1月23日(土)、東京に限れば、新規感染者数ではやや落ち着きを見せ始めた。政府は新規感染者が500人を切ったら「緊急事態」は解除すると言っている。 しかし、医療提供体制はひっ迫から崩壊への兆候を見せ始めている。命の選別(トリアージ)さえ行われていると言って過言ではない。いや筆者の目には「命の選別」どころか「命の切り捨て」が始まっていると映っている。 徹底したPCR検査と封じ込め(ロックダウン)で対応した諸国は再感染の波に対しても、多少暴力的だが、即座に減少に転じさせるすべを心得たように思えるが、日本ではいまだに、初動対応の失敗から何も学んでいないばかりか、だだらとした「感染対策と経済の両立の」予定調和世界から脱出できていない。犯罪の捜査に「初動捜査」が重要であることは誰もが認めることだ。しかし、現政権はこの初動対応の遅れを認めたがらないばかりか、打つ手を心得てさえいない。 太平洋戦争勃発直前、真珠湾攻撃の情報を察知され、ミッドウエー攻撃では暗号を解読され、南雲中将の空母を失ってからは、「飛び石作戦」によって、マッカーサーのフィリピン奪還を許し、フィリピン、沖縄と負け戦、それでもソ連の仲介によって講和へ持っていけるという判断ミスによって、広島と長崎への原爆投下を許してしまった、あの失敗を今も繰り返しているのが、今次、新型コロナへの対応だ。 ①情報戦・リスクマネジメントにおける失敗=科学的思考の欠落、②巨艦大砲主義の失敗=積極的疫学調査(クラスターへの執着)、③言論弾圧と④情報隠蔽改竄(コロナムラの利権構造)が太平洋戦争の失敗であり、敗戦へ導いた要因であるとすれば、カッコの中が新型コロナに勝てない日本的要因である。with corvid2019 というウイルスとの「講和」が可能であるかのごとく、能天気に感染沈潜化を期待しているのが現状だ。 一方、アメリカでは大統領選挙に敗北したトランプの挑発で、議会制民主主義のシンボル・ホワイトハウスに暴徒が乱入し、上院の17名が反旗を翻した場合、トランプは弾劾訴追を受け、公民権をはく奪されかねない事態になっている。この期に及んでもなおトランプを擁護する大学教授が多数いることは、コロナ禍の中で、限りなく芸人化する大学教授の、もう一つの一団を見ることができる。この場合の大学教授には、非常勤・客員講師等さまざまなタレント的肩書を持った大学教師を含む。一昔前のタレント教授とは性格特性が異なる、劣化した大学教員のクラスターを、いま画面の中に見ることができる。 特任、客員、特別招聘、非常勤などの肩書の教師は、弁護士や公認会計士と同じく、教師としての収入では食っていくことができないから、芸能事務所に所属し、メディアに登場する。「この世界で生き残っていくには、このはげー」くらいのことは言えないとだめだとMCに言われ、転落していった元政治家もいる。政治家がタレント・芸人化しているのは周知の事実だ。弁護士に国際の冠がついても、弁護士業務で食っていけるのはごく一握りの弁護士に過ぎない。こうして弁護士の芸人化が進む。(2021年1月25日)エージェント契約は芸人の質を向上させるか 森七奈さんのケースYahoo知恵袋に投稿された「今はやりのエージェント契約とは何ですか?」の質問に対するベストアンサーはこうなっている。「メリット:やりたい仕事や仕事量を自分で決めることができる。ギャラが増える。デメリット:事務室(所)が勝手に仕事を持ってくるこれまでの契約とは違うので、自分自身でしっかりとしたビジョンがないと、仕事を継続的に続けられない。また人気・知名度がないと仕事が得られない。基本的にエージェント契約にする人は、自分がどんなビジョンを持って仕事をやるのかが分かっている、かつ自分自身の力で仕事をとってこれる能力がある人が結ぶと思います。」 契約の形式は、当該芸人さんと事務所との間で交わされるので、ケースバイケース異なるだろうが、伝統的な「専属マネジメント契約」とは違って、主体的に芸能活動をしたいという芸人さんにとっては、自主性を伸ばす契約形式だろう。これまでの、ベテラン芸人さんの独立事例を見た限りそう思える。「SMAの発表は、エージェント業務提携ということですが、どこまでの業務を行う契約になっているのか外部からは詳しくわかりません」と言っている人もいるようだ(THE PAGE 1月25日)。 しかし、仕事を選り好みできるほどマーケットは大きくはないので、コロナ禍の中でどれだけ有効かは、定かではないが、吉本興業が2019年に始めたこの選択的エイジェント契約は、極端に仕事量が減少した現在は、言われるほど芸人さん主導で進めるための切り札とは必ずしも思えない。下手をすると独立したものの、仕事が来なくなって干上がってしまうことになるかもしれない。 筆者は、芸能界全体のためには、エージェント化が望ましいと考えるが、旧来の専属マネジメントへ時計の針が戻るのか、ウイズ・コロナの時代にふさわしい方式として今後も増え続けるのか、しばらく見守らなければならないかもしれないと考えている。 芸能界で長きにわたり仕事を重ね、裏も表も熟知しているベテラン芸能人にとっては、実効性のある望ましい契約形態ではあろうが、2-3年マネジメント契約で仕事をもらって有名になり、給料が安いからと言って、エイジェントに切り替えても、事はそう簡単にはいかないだろう。大分県で中学時代にスカウトされ、高校時代は東京へ通う形で芸能活動を行い、有名になって「さあエイジェント」と、母子ともども上京してきたタレントの森七奈さんのケースでは、FRIDAYの1月22日号(森七菜 移籍の裏にあった「仁義なき争奪戦」の深層)がこのケースを取り上げてから、様々な意見が寄せられているようだ。日刊スポーツは、おおむね好意的に受け止めた記事を出している。 SMAの公式ホームページでは次のように掲載されている。「平素より大変お世話になっております。この度、株式会社ソニー・ミュージックアーティスツは、森七菜さんに関しましてエージェント業務提携を行う事となりました。今後とも、変わらぬご支援を賜りますようよろしくお願い申し上げます。 この度はファンの皆様、関係者の皆様にご心配をおかけしてしまい申し訳ありません。感謝の気持ちを忘れず、皆様に笑顔を届けられるよう努力してまいりますので引き続き応援頂ければ幸いです。 今後ともよろしくお願いいたします。森七菜」 零細事務所から大手事務所(SMA)への移籍であるので、とりあえずは「おめでとう」と言いたいところだが、この業界については素人の私にも、この新たな船出が七奈さんの輝かしい未来を必ずしも保証していないことだけはわかる。サイゾーウーマンでは、七奈の母親が旧事務所から出演料を搾取されていたことなどの事情があって、様子見のエージェント契約になったという関係者の言葉を紹介している。 どうやら、母親がエージェント機能を担うのだろうが、コロナでパイが縮小している現下の状況の中、仕事を選り好みし、しかもお付きのマナジャーが離れることになれば、糸の切れた凧になりかねない。逆風の中、切れた凧が、試練に耐えて新たな境地を切り開き成長することを願う。(2021年1月26日 記)京都八坂神社の小屋掛け・見世物小屋 ノスタルジア筆者が静岡大学から東海学園大学へ移籍して間もないころ・・・1996年ころのことだったと思う。東海学園大学は、愛知県で女子短期大学を創設、この短期大学を母体にして東海学園大学経営学部を開学したのが1995年のことだった。その後、経営学部大学院修士課程、文学部、人間健康学部、教育学部を矢継ぎ早に創設し、中堅総合大学に成長した大学だ。京都の浄土宗・知恩院が経営するこの学園では、創設以来、入学者を新入学オリエンテーションの一環で知恩院へ連れて行き、入学報告をする日帰り恒例行事があった。 バスを何台も連ねて知恩院詣でをするこの行事は大変なことでもあり、大変意義深いものでもあった。爾来、私は定年退職する2019年まで23年間、この知恩院詣でを皆勤した。今回の「芸能資本主義」のタイトルは、「京都八坂神社の小屋掛け・見世物小屋 ノスタルジア」だが、この小論を書くことにしたいきさつを少し披露したい。ノスタルジアというのは、もう身近には見ることができなくなった、過去の日本芸能文化に対する郷愁といった意味で使う。 大学を挙げての知恩院参拝は、年によっても違ったが、だいたい4月の第1週の平日であったと記憶している。1995年ころは、まだ、そんなに地球温暖化の猛烈な影響が顕在化していなくて、桜の咲き始めるのが、京都では第1週過ぎたころではなかったかと思う。それが現在では、年によって異なるが、3月の下旬には咲き始める。円山公園中央の満開の枝垂れ桜に彩られた知恩院界隈は、平日ではあっても、人でごった返し、コロナ禍の今では考えられないような賑わいだった。 知恩院参拝が始まって間もないころのことだった。参拝終了後自由散策の時間があって、私は仲のいい教授仲間を連れて、周辺を散策するのが常だった。円山公園の枝垂桜、清水寺、少し遠出して四条河原町方面へと、散策範囲を広げては自由時間を楽しんだものだ。 そんな、知恩院詣での中で絶対に忘れることのできない光景があり、それが知恩院下の「見世物小屋」なのだ。何気なしに、下の大通りのほうに向かっていた時に目に入ったのが、小屋掛けの見世物小屋で、隙間から垣間見えたのが猟奇性のある見世物の風景で、木戸銭を払わなければ見ることはできないが、垂れ下がった筵の隙間から見えたのが、それらしき見世物の実態だった。「名だたる寺院や仏閣が並ぶこのような聖地になぜ」という素朴な疑問と違和感が脳裏をかすめるのだが、学生を引率しての年度初めの緊張に、そのような不協和音はすぐに打ち消された。寺院や神社が参道や境内でこのような興行を行っていたことは、よく承知していることではあったが、猟奇性のある見世物の堂々たる興行には違和感よりも、蔑視の念のほうが勝っていた。見世物小屋と縁日をごちゃまぜにすることはできないし、縁日はフーテンの寅さんの営業の場所であり、どこでもやっている日本の風物詩である。しかし猟奇性のある見世物の興行となるとちょっと話が違う。 最初は知恩院の地続きで知恩院の経営かなと思い、あまり気にせずに数年が過ぎたころ、知恩院の土地で見世物小屋をやっていることが気になって調べ始めたところ、実は知恩院ではなくて、もっと西の八坂神社の境内(土地)での見世物小屋だと分かった。同じような記憶を持っている人が、何人かブログやsnsで投稿しており、八坂神社の興行だと分かった。 それならば合点が行くはずで、東海学園大学を定年退職して、自分が八坂神社の見世物小屋を見ていたことを確認することになった。それが、いつ頃廃止になったのかは定かではないが、最後に知恩院へ行ったのが2018年、その時には見世物小屋はなかったと思う。でも、つい最近まで見世物小屋はあったのだ。見世物小屋は、私の故郷の津山市が江戸時代の森・松平藩だったころ、今の翁橋付近、たぶん泰安寺付近で小屋掛けが立ったことは、歴史に刻まれている。寺院や神社と見世物興業とが密接につながっていたことは、我われから親の時代の記憶を遡ってみれば鮮やかに蘇るだろう。 私はここで、現代の様々な芸能活動、芸能ビジネス、さらにスポーツビジネスも、中世のこの見世物小屋にルーツを持っているのではないかとの仮説のもとに、分析を始めた。移動を経営形態とする見世物小屋とは異なり、能、歌舞伎など継続性を特徴とする芸能は、江戸では、常設子屋での営業だったようである。相撲も縁日形態で行われていたとされる。岡山県の津山市の西部に、相撲の土俵を備えた寺院がある。 とすれば、現代資本主義の最高の発展段階の特徴として描き出すことのできる「芸能・スポーツ資本主義」と、そのグローバルな展開こそ現代の経済学が分析を深めなければならない分野だと言っても過言ではない。京都八坂神社の見世物小屋ノスタルジーから、趣旨がそれてしまった。中世の芸能に関する文献を多数買い込んだので、少しずつ分析を深めて後日披露したいと思う。(2021年5月14日)
2021.11.05
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