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2019.10.18
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​内田樹「レヴィナスを通じて読む『旧約聖書』」(新潮社「考える人」)

​​​ ​ ​​​​ 「考える人」 という ​新潮社​ が出している季刊雑誌がありました。その雑誌の 2010 年・春号 「はじめて読む聖書」 という特集を組んだことがあります。その中に哲学者で武道家の ​​内田樹​ ​の ​「レヴィナスを通じて読む『旧約聖書』」​ というインタヴュー記事があります。そこで、彼が、語っていることにうなってしまいました。​​​​​​​​​

 ホロコーストの後、生き延びたユダヤ人の多くは信仰の揺らぎを経験しました。なぜ神は私たちを捨てたのか。民族の存亡の時に介入しないような神をどうして信じ続けることが出来るだろうか、と。多くのユダヤ人がユダヤ教から離れてゆきました。
 その民族宗教の危機のときに、 レヴィナス は若いユダヤ人たちにこう説きました。
 では、いったいあなたたちはどのような単純な神をこれまで想定していたのか、と。
 人間が善行すれば報奨を与え、邪な行いをすれば罰を与える。神というのはそのような単純な勧善懲悪の機能にすぎないというのか。もし、そうだとしたら、神は人間によってコントロール可能な存在だということになる。人間が自分の意志によって、好きなように左右することが出来るようなものであるとしたら、どうしてそのようなものを信仰の対象となしえようか。
 神は地上の出来事には介入してこない。神が真にその威徳にふさわしいものであるのだとすれば、それは神が不在の時でも。神の支援がなくても、それでもなお地上に正義を実現しうるほどの霊的成熟を果たし得る存在を創造したこと以外にありえない。 神なしでも神が臨在するときと変わらぬほどに粛々と神の計画を実現できる存在を創造したという事実だけが、神の存在を証し立てる。
神は、幼児にとっての親のように、つきっきりで人間のそばにいて、人間たちの正しい行いにはいちいち報奨を与え、誤った行いにはいちいち罰を下すのでなければ、ことの理非も正邪の区別も付かないような人間しか創造し得なかった―そう言い立てる者は、神をはじめから信じていないのである。
 神は、神抜きで、自力で、弱者を救い、病者をいたわり、愛し合うことができ、正義を実現できるような、そのような可能性を持つものとして、われわれ人間を創造した。だから、人間が人間に対して犯した罪は、人間によってしか贖うことができない。神は人間にそのような霊的成熟を要求するのである、と。 レヴィナス はそう告げたのでした。
​ 人間の住む世界に正義と公正をもたらすのは神の仕事ではなく、人間の仕事である。世界に不義と不正が存在することを神の責めに帰すような人間は霊的には幼児である。私たちは霊的に成人にならなければならない。 レヴィナス はそのように述べて、崩壊の瀬戸際にあったフランスユダヤ人社会を再構築したのです。
 ぼくは異教徒ですけれども、この レヴィナス 「霊的な成人のための宗教」 という考え方に強い衝撃を受けました。

​​​ ナチス・ ​​ ドイツ 600 万人を超えるユダヤ人をはじめとして、障害者、同性愛者など 1000 万人以上の人間を ホロコースト ( 焼き尽く ) した 歴史事実についてはご存知でしょうね。 ​エマニュエル・レヴィナス​ は、自身も家族や友人をホロコーストされたユダヤ人で、フランスの宗教哲学者(?)です。 
​​ ​「なぜ神はユダヤの民を救ってくれなかったのか?」 ​​
という素朴で哀切な、生き残ったユダヤ人たちに共通した問いに対して、ユダヤ教の信仰を基礎づけよう=信仰にあたいすることを証明しよう=とした人だと思います。
エマニュエル・レヴィナス
は難解きわまる論考で有名な人ですが、 内田樹 はその論考の日本への、ほぼ最初の紹介者の一人です。ぼくにとっては彼が訳した、 ​レヴィナス​ によるユダヤ教のタルムードの講義を手に取ったことが、 内田樹という名前 との初対面でしたが、全く歯が立たなかったことだけ覚えています。 1980年代 のことです。
​​ さて、 内田樹 がここで話している神はユダヤ教の神のことです。では、ぼくのような無神論者が 「倫理」 ということを考える時の基準として
考えることは出来ないのでしょうか。そう考える事が出来れば、 「人間とは何か」 という問いに、もっとも積極的な答えの一つがここにあるのではないでしょうか。​​
 例えば、ぼくが長年働いてきた、学校という場を想定してみることも可能なのではないでしょうか。あまりにも単純な連想ですが、
​​ ​​「生徒諸君は教員という監視者の元においてモラルを育てるのではない」​​
​ ​​ というふうに。
 ぼく自身は
​「校則とかルールとかで「道徳心」とかが育つのではないのではないか」​ と疑い続けながら、とうとう、退職してしまったわけなのですが、生徒も教員も、もう一度、 ​「人間」​ という場所に、お互いが戻ることができれば、それぞれが生き方として成熟を目指すことが響きあうということもありえるということではないでしょうか。
 共通する、あるいは共有する神に対する信仰がないことが前提ですから、とてもむずかしいことだとは思います。しかし、 「人間である」 ということの可能性が 「人間」 にはあるのではないでしょうか。
 あんまり興奮して、こういうことを言うと妄想ということになってしまいそうなので、これ以上は書きません。それにしても ​レヴィナス​ という名前、心に残りませんか ? (S)​​  初稿 2010・ 06・ 09 ​​( ​改稿2019・10・18)
追記2019・10・18

​​​​​​ 教員が教員をイジメていたという事件の報道がありました。災害の最中、「ホームレスお断り」の看板をあげた 公共の避難所 があったという報道もありました。暗然としました。次には、きっと「人間として」を枕詞にした反省の言葉がきっと報道されるのでしょう。
「人間の住む世界に正義と公正をもたらすのは神の仕事ではなく、人間の仕事である。」 ということを受け止めるが、それほどたやすいことだとは、ぼくには思えない出来事が続いています。皆さんはどうお考えになるのでしょうか。
  ああ、それから ​「考える人」​ は、ネットで探せば、今も続いています。 内田さん の上記の記事が、単行本で読めるかどうかは、ちょっとわかりません。

追記2022・04・13

 上記の記事は、その昔、高校生に向けて本や著者を紹介していたときのものです。読んでくれていた高校生たちは、若い人でも、ほぼ、20代を通過し始めているのですが、新たな戦争や虐殺を目前にして、どんなふうに考えていらっしゃるのでしょうか。70歳を目前にした老人は、結局よく分からないままです。ただ
​​ ​​ 「考えることをやめるのはイヤだ。」 ​​​
​ ​ ​​ という、いつまでたっても子供のような、ありは、まあ、コケの一念のようなものにうながされ、こんな記事を投稿しています(笑)。

​​​​​​​​​​

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最終更新日  2024.08.25 12:18:41
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