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目次 文庫サイズの小さな本ですからポケットに入れて出かけています。 「其句其人」 と 「三句の覚書」 は、それぞれ、 飯田蛇笏、加藤楸邨 という、まあ、名だたる 俳人 について、句をひいての解説風エッセイですが、 「四季百句」 は古今の俳句から著者が選んだ、一句ごとの解説で、読んでいて楽しいことこの上ありません。なんとなく、繰り返し取り出して読んでいます。
其句其人 P4(飯田蛇笏集成第四巻月報)
わたしの選ぶ「四季百句」-芭蕉から現代まで P9(「太陽」昭和62年三月号)
三句の覚書 P106(加藤楸邨全集第5巻解説)
元日や手を洗ひをる夕ごころ 芥川龍之介 とまあ、こういう調子で、おっしゃっていることに対する理解の程度はともかく、文章のテンポと心地よい言い切りに引き込まれます。
「夕ごころ」がうまい。元日の手を洗ひをる夕かな、では唯の記録になってしまう。造語という程でもないが「夕ごころ」は前に記憶がない。夕情(慕情)の和訳でもあるか。とはいえ、中七文字を「弓をひきをる」「葱きざみをる」あるいは「田村を謡ふ」などと作り替えてみると、中七の意味のうるささが邪魔して、物事の始終や心の旦暮(平常心)に働くそっちょくな興は現れてこない。どれでも句のさまにはなるが、それは別の「夕ごころ」だ。夕ごころは元日に勝るものはない、と読みとらせる仕草の無意味(「手を洗ひをる」)がよく利いた句である。「澄江堂句集」
ふーん、そうか! という体験もあるわけで、その一つがこんな所でした。
頬白やそら解けしたる桑の枝 村上鬼城 こういう本を持ち込んで、座り込んでいるわが家の某所の壁には、新聞の俳句や短歌の欄に載っている句や歌がポストイットにメモって貼ってあります。 チッチキ夫人 の仕業ですが、その中に
「小鳥(小鳥くる)」という仲秋の季語がある。秋になると、渡鳥のはかに漂・留鳥も入混って里に姿を見せる。晩秋ことに、人家近くで見掛ける印象がつよい。昔の人が頬白・四十雀・眼白・山雀などをいずれも秋の季に部類しているのは、漂・留の生態区別がよくつかめていなかった時代のせいばかりではないのだろう。今の歳時記は、右のうち頬白を春(囀による)、その他は概ね夏(繁殖期による)に分類する。虚子の「新歳時記」ではどれもまだ秋である。鬼城のこの句や「頬白や雫し晴るる夕庇 川端茅舎」など、秋として詠んだものだ。これらを囀る頬白(春)の例句に挙げている歳時記があるが、よろしくない。「そら(空)解け」は紐の結び目が自然に解けること。言葉の面白さも与って出来た句のようだが、「桑くくる」という晩秋の季語があるから、「そら解け」も応用と読んでよい。乾いた土一色に枯葉の条々許、という殺風景のなかでまぎらわしい色をした小鳥が動いている、スズメかと思ったらホオジロだった、というちょっとした発見は一株の空解の面白さによく似合う。(P76 ~77)
ケアマネのあゆみさん来る小鳥くる 加藤節江(1929生) という句があって、それを見ながら、この本を読むということになりますが、
へえー、この句は夏か!? なのでした。貼った当人は
春ちゃうの?小鳥がよく鳴くのって、今ごろでしょ。 ケアマネさん の ピンポンの響き で、
うん、でも、今ごろは、たぶん、夏やで(笑)。
きた! と、 こころ と一緒に、お住まいになっている おうちの 空気 が軽やかにうごくのを感じていらっしゃる 加藤さん といっしゃる方の様子が浮かんで、覚えてしまった句なのですが、季節と時間は 初夏の午前中 なのでしょうかね。
「すべての実作者へ」 とか腰巻で謳っていますが、ボクのようなただの素人読者にも、読みでがあって、おもしろかったですね。
さすが安東次男! まあ、そういう感じでしたね。
追記
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