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黒井千次「群棲」(講談社・講談社文芸文庫) 2024年、お正月早々読み始めた小説集に唸っています。黒井千次「群棲」です。 1981年から1984年、文芸誌「群像」誌上に連載された短編連作集です。現在では講談社文芸文庫にはいっていますが、ボクは、元の単行本、1984年4月27日第1刷で読みました。何年か前に、元町の三香書店の店先に100円で置かれていた本です。 庭と呼ぶより家屋と塀の間とでも言った方がふさわしいほどの奥行のない土地の真中にブロックを二つ置き、その上にコンクリートの板を渡しただけの低い棚に並べられた盆栽達が、時折自分をじっと監視しているように思われることがあった。定年を前にした尊彦が釧路の系列会社の役員になって移るとき、東京の家に残ると言い張り続ける静子に対して最後にいった言葉が盆栽のことであったからかもしれない。 俺の盆栽を枯らさないでくれよ。その一言で彼女は今の暮らしを手に入れた。そしてしばらく黙っていた後、この歳になってから独身生活をするとは思わなかったな、と夫はぽつんと呟いたのだった。(「水泥棒」P185 ) 唸ったというのは、こういう一節でした。「群棲」と題されて描かれている作品群の舞台は東京の近郊、最寄り駅からは歩いて帰ってこられる住宅地の一角の路地のなか、向かい合わせの四軒の住居です。時は1980年代の始めころですが、その四軒に住む家族のありさまが描かれています。 上に引いたのは「水泥棒」という、定年間近の夫を単身で送り出し、東京で一人暮らす妻静子の生活のありさまを描いた作品の一節ですが、静子の内面がこんなふうに描かれています。 子供もそれぞれ独立して出て行ったのだし、寝たきりの老人を抱えているわけでもない夫婦だけの家庭なのだから、どこから見ても静子は夫についていくのが自然だったろう。家は親会社が社宅に借りあげ、将来東京に戻る時にはいつでもあけるようにするとの話もついていた。にもかかわらず、彼女はどうしても夫と共に北海道に行く気になれなかった。 引っ越しが面倒だとか、冬の寒さが身にこたえるといった気遅れがあるのは事実だったが、それが本当の理由ではないことを静子は知っていた。ひとつなにかを諦めれば、これまでと同じように口ではぶつぶつ言いながらも結局は尊彦について行ってしまいそうな自分をすぐそこに感じていた。だからこそ、彼女はそんな自分にこだわりたい気持ちが一層募るのだった。 昔のことがひっかかっているのかい、と夫は気弱げに訊ねもした。 そんなことなら今までの暮らしだって出来なかった筈でしょ、と彼女は夫の疑いを無造作に押し返した。自身にも気持ちの底はよくわからなかった。未亡人になった時の練習をしておくのもいいんじゃないかしら、とは口には出しかねた。今のうち少し不自由に馴れておけば私が死んだ後あまり苦労しないで暮らせるわよ、とだけ彼女は答えた。どちらの言い方が夫にとってより酷いものであるかを考えるゆとりはなかった。 一度だけ我が儘を言わせて下さい。言葉とともに突然涙が溢れ出た。なぜか自分が可哀そうでならなかった。可哀そうな自分を妻に持つ夫も気の毒だった。そして静子自身も予期しなかったその涙が、おそらくは尊彦から盆栽についての言葉を引き出したのだった。 あんた達、枯れないでよ。私が困るんだから。(P186) 作品は、一人暮らしをしている静子の家の玄関先の水道が、誰かに使われていて、いつの間にか水が出しっぱなしになっているという「事件」をめぐって描かれているのですが、ボクが唸ったのは、1980年代に50代の女性とその夫といえば、ちょうど、1920年代から30年代に生まれた世代なのですが、それは、まあ、ボクたちの親の世代でもあって、その世代の、その年頃の、だから、結婚生活を30年暮らした、そういう女性に「なぜか自分が可哀そうでならなかった。」 と言わせているリアルとでもいうべきところでした。 まあ、今読むからそう感じるのかもしれませんが、1980年代の始め、すべてがご和算になる直前の、戦中から戦後という50年の時代を普通に生きてた親たちの世代の、社会に対する実感というか、崩壊に対する予感というか、まあ、何を考えて生きているのかというようなことについて、前を向くことに夢中で気づかなかった世代、まあ、小説のなかの「子供たち」が、いつの間にか、親たちのその年頃を越えて、フト、手に取って読み始めて「ああ、そうだったんだ!」 と、唸るという感じでしたね。 さて、今の、だから、崩壊感覚が空気のように広がっていると老人は実感する今の、この小説の現在から40年余り経った今の、二十代、三十代の方が,こういう作品をどう読まれるのか、ボクには、もう、見当もつきませんが、一度お試しになられてはいかがでしょうね(笑)。 著者の黒井千次さんは90歳をこえられて、「老いのゆくえ」(中公新書)とか、なんとか、老人生活を綴ったエッセイでご健在のようです。ボクの場合は、そっちを読むのが本筋かもしれませんね(笑)。目次(数字はページ)オモチャの部屋 5 (1981年「群像」8月号)通行人 31 (1981年「群像」10月号)道の向うの扉 53 (1982年「群像」2月号)夜の客 75 (1982年「群像」6月号)2階家の隣人 97 (1982年「群像」9月号)窓の中 123 (1982年「群像」11月号)買物する女達 151 (1983年「群像」3月号)水泥棒 177 (1983年「群像」6月号)手紙の来た家 201 (1983年「群像」8月号)芝の庭 227 (1983年「群像」10月号)壁下の夕暮れ 251 (1983年「群像」12月号)訪問者 279 (1984年「群像」2月号)
2024.01.25
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週刊 読書案内 古井由吉「雛の春(「われもまた天に」所収)」(新潮社) 2月18日で、作家の古井由吉が亡くなって1年が経ちました。ぼくにとっては中年にささしかかったあたりから、発表される作品に引き付けられ続けた作家でした。 ちょうど「槿(あさがお)」から「仮往生伝試文」を経て、微妙に「文体」が変化し始めていく過程にめぐり合わせたこともあり、「小説とは何か」をいう、解ける当てのない疑問に対する「こたえ」として差し出され作品のような気分で、読み続けてきました。 小説において、今この時を生きている、ただの、例えば、老人である「私」に対して、作品中に描かれる「私」、小説を書く「私」と、三相の「私」が出現することは容易にわかってもらえると思うのですが、古井由吉の、特に、晩年の作品では、その三相に、作品中の「私」に現れる、何相もの「記憶」や「夢」が重なり合うことで、書いている「私」がいる場所がきしみ、やがて、作品が、いま生きている「私」にフィードバックしてゆく。そんな感じの中で、読み手であるぼく自身の意識も少しずつゆがみ始めながら、作中の時間と場所に引き込まれていくのです。 古井由吉の晩年の作品を読む体験は、作中に描かれている「記憶」とか「夢」とかの記述を読みながら、その記憶をたどっている登場人物の「意識」へと溯っていくという、当たり前のルートをたどるのですが、最後には書き手によって書かれている、生きている古井由吉はどこにいるのだろうという不思議な疑問にとらわれることになるのです。 彼がなくなった2020年の秋に出版された「われもまた天に」(新潮社)に収められている「雛の春」という作品の一節に、こんな「記憶」の連鎖が描かれている場面があります。 天袋の中で顔を覆われたまま煙に、やがて炎に巻かれていく雛の笑みが、青年の頃から何かのはずみに、見たはずもないのに仔細なように浮かんだところでは、あの空襲の未明に、防空壕から飛び出して、家の内は軒から白煙を吐きながらまだ静まっていたが、二階の屋根の瓦のあちこちに鬼火のような炎のゆらめくのを見あげて、火急の時にはあらぬことを思うもので、二階の天袋の中で炎上寸前の雛たちの顔へ瞬時心が行って、後の記憶の底に遺ったものか。 節句の前後に悪いことのあった年の重なったばかりにやがて雛を飾らなくなったのにも、炎に包まれる雛の影が落ちていたせいもあるのだろう。雛段を枕に病人のふせるのを見て、これは吉くないことだと思った覚えがある。ところが、雛を飾らなくなったその頃から、能面のようなものに惹かれるようになったものだ。古い能面の展示されている所へ、わざわざ雨の日に、足を運ぶこともあった。人のいない展示場でひとつの面を眺めている。熱心なようで、逃げ腰でもあった。とりわけ臈丈けた女人の面の、苦悶の際を想わせてかすかにひらいた口もとから、見覚えのあるような笑みがひろがりかかるのを、待つようでもあり、避けようとするようでもあり、結局は見えそうで見えないことにほっとして立ち去ることになる。ある日、表へ出ると雨はいつかやんで白く霞む空に細い月が掛かっているのを眺めて、あんなことはもうやめよう、吉くない癖だ、自分は所詮、恍惚の器ではない、とつぶやいた。 暗い夜道を一人来て、向かいからやはり一人で来る見も知らぬ女に出会うほど、おそろしいこともない、と老人がふっと洩らしたのを若い頃に耳にした。(後略) 長くなるのでこの辺りで切りますが、この作品はここまで、2019年の二月の初旬から三月の初旬にかけての、作品の語り手、一人称の主語はありませんが、おそらく古井自身の入院や、病院での生活が書き綴られています。 引用したパラグラフは、三月の初旬、入院していた病院の一角に「雛段」が飾られていることを語り始めたところから、「語り手」の記憶が「雛」の思い出へと書き進められて、たどり着いた一節です。 この三つのパラグラフは「戦争末期の空襲で焼けた雛の顔」、「女人の能面」、「見知らぬ女との夜道でのすれ違い」と、あたかも「歌仙」の付け筋を追うように楽しんで読み進めればいいようなものなのですが、読んでいると、どうしても、展開を追いながら、病院のベッドで語っている「語り手」、退院してそれを書いている「作家」、「記憶」や「夢」を語り手である主人公と共有している「古井由吉」という三人を思い浮かべて呆然とするわけです。 しかし、この体験は、ひょっとすると至高の体験かもしれませんね。言葉で書き記された「世界」に入り込むという体験にはいろいろあるのかもしれませんが、「意識の塊」のような、ありえない「存在」を思い浮かべ、その後を追うように、語られる「ことば」を追うのですから。 本作でいえば、引用の後、語り手の記憶が「雪の夜道で女人とすれ違う」話へ進むのですが、それから、どんな方向へ進んでいくのか興味を持たれた方は本作を読んでいただくほかありませんね。 本書には、他に「われもまた天に」、「雨上がりの出立」の二作と、絶筆となった「遺稿」が収められています。感想はまた書きたいと思いますが、いつになることやらという気分です。追記2022・03・25 いつの間にか春になってきました。今年の2月18日も、いつの間にか過ぎてしまっていますが読み返そうと思っていたはずの古井由吉を手にとり直すことはありませんでした。そういう日々を送っているということなのです。仕事があるわけでもないヒマな日常なのですから、できれば、今年こそ、一度立ち止まり、一つづつ読み直したいと思っています。日差しが明るくなって、意味もなくホッとしている3月も、もう終わりの朝です。
2021.02.23
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古井由吉「ゆらぐ玉の緒」(新潮社)より「後の花」 眠りの浅瀬にかかるたびに、まだ夜道を歩いていた。それをまた端から眺めている。 昔深い縁のあった人らしい影がやってくる。背を丸め、うつむきこみ、小刻みに足を送って近づき、息をひそめて見まもる目の前へ通りかかると、はるか行く手へ顔を上げて、何を見たのか、ほんのりと若返った笑みを浮かべてうなずき、それきり背も若やいで、しなやかな足で遠ざかり、また微笑むように背が照ったかと思うと掻き消された。 その時になり、人の行くのを目で追っていたその背後から、もうひとり、こちらを見ていた者のある気がしてふりむけば、木の下に人影が立つかと見えて、そのあたりだけが花でも散るように白んで、夜が明けかかり、何もかも知っていたなと目を瞠ったが、姿は現われなかった。 古井由吉の短編集「ゆらぐ玉の緒」(新潮社)の中の、最初の作品「後の花」の末尾です。ここまで、読み進めてきて作家の脳裏に現れた、いや、現れなかった人影を思い浮かべながら、作中に語られていた和歌のくだりに意識は戻ってゆきます。 見ぬ世まで 思ひのこさぬ 眺めより 昔にかすむ 春のあけぼの 今年の花も終わりを迎えた、四月の末に藤原良経の風雅集で目にとめた、この歌が、一月ほどたった五月の夜更けに思い出される。 それがいまさら、息とともに吐かれるようにあがってきてもどうにもならない。見ぬ世まで思い残さぬ眺めとは、後世のことは思い及ばぬところなので、今生の涯までもというぐらいにとるとしても、そんなはるばるした眺めは、今の世に生きる人間にはとうてい恵まれるものではない。末期に近く見れば、もう思い残すこともないとは、自身を慰めるために、あるいは残される者たちの心をいくらかでもやすくするためにも、口にするかもしれない。心底から出たの出ないの、そんな分別を超えて、死に行く者たちに共通の言葉の一つとも考えられる。しかしこの歌は末期の、切り詰まった境にはない。かりに死に至る病のひそむ観であり、世の無常をその一身に受けとめてていたとしても、歌のかぎり、のびやか自足のうちにあり、恍惚に包まれている。 しかも、見ぬ世まで思い残さぬ眺めが、そこからというよりもほとんど同時に、そのままに昔に霞む。その昔も後の世にひとしくはるか彼方へ、過去の記憶も通り越して、さらに前の世まで及ぶ。昔に霞むとは、ほのぼのと明けてくるように、今生では見えぬ前世までが見えかかるということか。思い澄ました諦念の前句を、後句が恍惚へ、蘇生の恍惚へ、花咲かせた。後の世まで渡る諦念と、前の世まで渡る恍惚とが、永遠の今を束の間現前させた。 和歌をめぐる、この一節は、三月から、四月へと移り変わる季節の日常の、夢、うつつの中で、浮かび上がる焼け野原になった町の記憶がたどられた、つい、そのあとの出来事です。 小説末尾の記述は、外出先から電車に乗り、下車駅を気にかけながらも、おもわずのうたたねから覚めて、駅からの夜道を歩いて、どんどん遠ざかるように見える自宅へ、なんとか帰宅し、寝付けないまま、想念に浸ったのか、寝付いた夜明け方の夢の中でのことなのか。 「何もかも知っていたな」と、作中の「わたし」が目を瞠るその先に見えたはずの、こちらを見ていた「人影」。読んでいる「わたし」の中に、時間が重なりあい、わだかまって、不思議な永遠が浮かび上がってきます。 すでに語られていた和歌のイメージが、描写の底に、確かに流れていて、正体不明の感覚が立ち上ってくるのです。 ゆっくり、ゆっくり読むことだけを要求しています。そうでないと、この正体不明の気配を読み落とすことになりそうです。たどり着く先は、「至福の不安」とでもいえばいいのでしょうか。 これが、今の「古井由吉の世界」です。追記2020・10・21 古井由吉が、この次の年の「春の終わり」を迎えられなかったことを思っています。「言葉」で錯綜する意識のほつれを、執拗に解きほぐしていく「文章」が、新しく書き加えられことはもうありません。 なくなって、半年がたちますが、喪失感は深まるばかりです。追記2022・03・25 友人から「古井由吉のどの作品がお好きですか。」と尋ねられて、そういえば案内を書いたことがあったと探し出した記事です。なにを書いているのかわかりませんね。感想を書くとそうなる古井由吉が、ぼくは今でも好きです。ボタン押してね!にほんブログ村
2019.12.26
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