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宮崎駿「君たちはどう生きるか」 見ました。82歳の宮崎駿の、おそらく、最後の作品だろうという思いで見ました。「君たちはどう生きるか」です。ボクにとって、宮崎駿は、なんといっても腐海の果て、風の谷に降臨した少女ナウシカの人なのですが、その宮崎駿が、繰り返しですが、最後の仕事で主人公に何を言わせるのだろうというという、まあ、高齢とはいえ、元気に大きな仕事をなさっている方に、失礼極まりない興味でやってきた109シネマズ・ハットです。 で、物語の終盤、冥界に迷い込み、世界の崩壊を目の当たりにした主人公真人の叫びを聞きながら、涙が出ました。「ぼくは、あっちの世界で、ともだちのアオサギと生きていく!」 物語は敗色漂う1940年代の日本を舞台にしています。主人公は物語の序盤、病院の火災のために母を失ってしまう小学生の牧真人君です。作品全体に、ある種の終末観が漂い続けていて、決して明るく夢のある物語とは言えないと思いましたが、1945年、敗戦の結果、軍需工場の経営者であった牧一家が疎開先のお屋敷から東京に帰る、その日に、お屋敷の玄関で両親に手を引かれて、腹違いの兄の真人を待っている幼い少年の姿が描かれていました。作品全体のなにげないラストシーンです。「あっ、この子、宮崎自身や!」 時代を画したアニメーション作家が、おそらく生涯最後となるであろう、長編作品の題名として選んだのが「君たちはどう生きるか」です。いったい誰に問いかけているのか定かではありません。しかし、作品を見れば感じるのではないでしょうか? 問いかけられているのは、今、この作品を見ているボク自身でした。「ボクはこう生きてきた。君たちはどう生きるか?」 この作品について、あれこれ言う気は全くありません。ボクは納得でした。今更、どう生きるかと問われても困るのですが、なにはともあれ、見てよかった。やっぱり宮崎駿に拍手!です。どうか、長生きして、あれこれ、つべこべ、文句を言い続けてほしいものです(笑)。監督 宮崎駿原作 宮崎駿脚本 宮崎駿主題歌 米津玄師製作 スタジオジブリ2023年・124分・G・日本2023・07・24・no93・109シネマズ・ハットno30追記2024・03・25 アメリカのアカデミー賞で長編アニメ賞とからしいですね。よかった!よかった! まあ、そういう感じですが、この映画って、他所の国の人、わかるんですかね?ボクは、現代日本の20代30代の人だって・・・という気がしたんですが、まずは好評でらしいですからね。よかった!よかった!でした(笑)。追記 ところで、このブログをご覧いただいた皆様で楽天IDをお持ちの方は、まあ、なくても大丈夫かもですが、ページの一番下の、多分、楽天のイイネボタンを押してみてくださいね。ポイントがたまるんだそうです(笑)
2023.07.25
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宮崎駿・池澤夏樹 他「堀田善衛を読む」(集英社新書) 宮崎駿の新作アニメ映画「君たちはどう生きるか」が、今年(2023年)の夏前に公開されて、さっそくでかけて愕然というか、唖然というか、あらためて、宮崎駿にカンドーしてきました。「ボクはこう生きてきた、君たちはどう生きるか?」 69歳のボクにさえ、イヤ、その年齢だからこそなのかもしれませんが、その問いかけが鋭く迫ってくる傑作だと思いました。 映画については、他にも書きましたから、ここでは触れませんが、そうはいっても、これが最後の仕事だろうというのが、ボクの率直な感想でした。宮崎駿は1941年生まれですから、今年82歳です。ボクは、この作品を彼の最後の作品として見ましたという気分でした。 ところが、2023年の9月の月末、「映画製作会社のジブリ・スタジオが日本テレビの子会社になった。」というテレビ・ニュースがながれて、その中で、宮崎駿自身は自作のアイデアを練っているという鈴木敏夫の言葉があって、もう一度、唖然としました。「ジブリが日本テレビの子会社になる?!」 本当はこれだけで、現在の日本という社会の鬱陶しさについてあれこれ言いたいところなのですが、引っかかったのは宮崎駿の新作? という言葉のほうでした。 で、この本を思い出したのです。「堀田善衛を読む」(集英社新書)です。 本書は、「ゴヤ」(集英社文庫)、「方丈記私記」(ちくま学芸文庫)の作家、堀田善衛の生誕100年を記念して、2018年に富山県の高志の国文学館で開かれた「堀田善衛―世界の水平線を見つめて」という展覧会での、インタヴュー、講演の書籍化で2018年に出された本です。 今回、この本を思い出したのは、この中に宮崎駿のこんな発言があったとこを思い出したからです。(上に、所収されている文章についてか行きましたが、ここで引用する宮崎駿の文章は、2008年の講演の転載のようです) 堀田さんという人は、私にとっては非常に大事な人です。(中略) 堀田さんが芥川賞を受賞された「広場の孤独」という本と、「祖国喪失」という短編集の中に入っている「漢奸」を、ちょうど二〇歳過ぎぐらいの時にたまたま読んだのですが、この体験が、その後ずっと長い間、自分のつっかえ棒になってくれました。(中略) ボクは一九四一年、昭和でいうと一六年、太平洋戦争の始まった年に生まれました。戦争が終わった時は四歳でした。父親に負ぶわれて逃げる中で、B29が落とす焼夷弾が降ってくるのを目撃した最後の世代だと思いますが、戦争に負けて、小さい子どもなりに屈辱感に満ちていたのです。 同時にそれは,自分のいる日本という国が、何という愚かなことをして周りの国々に迷惑をかけたのだという、恥ずかしくて外に出られないような感覚でもありました。何を支えにこの国で生きていけばいいのだろうと。そういうことで日本がすっかり嫌いになって行ったのです。 「広場の孤独」という作品は、朝鮮戦争が始まった時期の東京で、ある新聞社を舞台に、そこで働く主人公が歴史の歯車にいやおうもなくまき込まれ、いやおうなくコミット―参与してしまう中で、どう生きるか苦しむ姿を描いています。アメリカの資本主義下で戦争に加担するのか、共産党やソ連なのか・・・・。 結局、最後に主人公は、日本からが逃れて亡命するという道を拒絶する、という筋なのですが、この作品から僕は、たとえ日本について嫌いだと思うところがあっても、”それでも日本にとどまって生きなければならない“という実に単純化したメッセージを受け取ったのです。 で、「漢奸」に関しての話が続きます。長くなるので、省略しますね。そして、彼が大切にしている三つの作品の話になります。 もう一つ僕が大切にしている堀田作品に、「方丈記私記」があります。これは昭和二〇年三月、東京大空襲の最中に堀田さんが「方丈記」を読み、自身の体験と重ね合わせて、そこから新たに発見したことについて書かれたものです。 「方丈記」。 そう、今日はこの話をしなきゃいけないんですけど・・・・(中略) その堀田さんが、何かの機会にお会いした時に、「方丈記私記」を映画にしないかとおっしゃっていました。「あげるよ」と。 僕は「方丈記私記」を初めて読んだ時、夜中に寝床で読んでいたのですが、まるで平安時代に自分がいるのではないかと思えて、立ち上がって思わず窓を開けてしまったほどの感覚に陥りました。外には火の手がほうぼうに上がる平安時代の京の町があり、その上、見たはずのない東京大空襲の時、3000メートルの高さまで下りてきて焼夷弾を落としていくB29の腹には地上の火が映って明るかった、といろんな人が書き残していますが、それがいっぱい見えてきそうなぐらい、リアリティのある小説でした。 「そういうものを、ちょこちょことやればいいんだよ、劇画で」とおっしゃるのですが(笑)、「いや、それは難しいです」と。「路上の人でもいいよ」だとか(笑)、いろいろなことをおっしゃるのですが、以来、「方丈記私記」が何とか映画にならないかと、とにかく考えています。 それには、実は知らないければいけないことや、分からないことが、まだまだいっぱいありますから、折りに触れて何か拾って、ひょっとしたらこれは映画になるかなとか、ここが骨になるかなとか、そういうふうに探してはいますけれども、なかなか実現には至っていません。 鴨長明がどういうまなざしで生きていたのかについて、もう少し深く立ち入らないと、簡単に映像にはできないだろうと思うからです。 見た人が、鴨長明と堀田さんと同じように生きた気分になって映画館からよろよろ出てきて新宿の町を歩く時、実は自分は平安時代の京都をさまよっているんだと思える―そんな映画だったらつくりたい。 「方丈記私記」を読むと、そういう気持ちになるのですから。しかし、だからこそ、これは映像になかなかできないだとも思うのです。 長々と引用しましたが、ご理解いただけたでしょうか?宮崎駿の最終作は堀田善衛の「方丈記私記」だ!? どうでしょう、スクープになるでしょうか?(笑)ボクとしては、かなり期待を込めて待ちたいですね(笑)。 まあ、1998年に亡くなって、25年経ってしまったのですが、堀田善衛なんていう作家が、今読まれるのかどうか、よくわかりません。宮崎駿が私淑している作家であることは結構有名ですが、彼の読みは素直で、深いと思います。ボクにとっては「ゴヤ」(集英社文庫・全4巻)、「ミッシェル」(集英社文庫・全3巻)が宿題として残っていヒイキ作家なのです。 で、本書で堀田善衛を論じている方々に関心をお持ちの方には目次のラインアップが参考になるかと思いますので載せておきます。じゃあ、また。目次 はじめに 『方丈記私記』から第1章 堀田善衞の青春時代 池澤夏樹第2章 堀田善衞が旅したアジア 吉岡忍第3章 「中心なき収斂」の作家、堀田善衞 鹿島茂第4章 堀田善衞のスペイン時代 大高保二郎第5章 堀田作品は世界を知り抜くための羅針盤 宮崎駿終章 堀田善衞二〇のことば年表 堀田善衞の足跡付録 堀田善衞全集未収録原稿―『路上の人』から『ミシェル 城館の人』まで、それから…
2023.06.07
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「100days100bookcoversno12」宮崎駿「風の谷のナウシカ(全7巻)」(アニメージュコミックス) KOBAYASI君の「夜の蝉」で日高敏隆さんの「ネコはどうしてわがままか」 (新潮文庫)という本を思い浮かべていました。初登場のERIKOさんが困ったらそのあたりかなと思っていました。 この文庫の中に、生涯一度だけ作った高校入試の問題文に使った「セミはなぜ鳴くか?」というエッセイがあって、思い出深かったわけです。ERIKOさんの方がシャレてましたね。「蝉」より「蝶」でした。 さて、日高敏隆です。 日高敏隆という名前を聞いて最初に浮かぶのは、ムツゴロウこと畑正憲ですね。「われら動物みな兄弟」(角川文庫)だったか「生きる」(ちくま文庫)だったかに、アメーバーをいじっていたムツゴロウのそばで蝶の蛹をすり潰している、若き日の日高敏隆が登場します。 東大の動物学教室の先輩・後輩だったんですね。それが、日高敏隆の名を知った最初です。彼は当時、岩波書店の編集者だったはずです。 フフフ、日高つながりならこれで行くかと思っていると、女性の書き手がどうのとか、ユクスキュルに始まってローレンツも、ファーブルも話題になっているじゃないですか。 あわわ、オイオイです。 それでは「虫愛づる姫君」の路線もあるなあ。それにしても「堤中納言物語」はどこにあったかな。と、まあ、あれこれ思案に暮れていて机の横の積み上げた小山の上にありました。(写真を添えたいくらいです) 同居人が20年間押し入れの奥に秘蔵していたこれです。書き手は、いかつい男性ですが、主人公は「蟲」を愛し、「蟲」達と生きる少女です。 女性の著者ではありませんが、「マンガ」は初登場ですよね。ふふふ。 宮崎駿「風の谷のナウシカ(全7巻)」(アニメージュコミックス) ぼくはアニメの「風の谷のナウシカ」を見た方が先でした。1983年に劇場公開された映画ですが、見たのは90年を過ぎてからですねきっと。劇場ではなく、ビデオかテレビです。まだ小さかった「ゆかいな仲間」と一緒に見て感動しました。 やたら感動していると「マンガの方が面白いよ。」 という一言を隣で見ているチッチキ夫人に言われて、カチンときた記憶が今でもありますから。 我が家にある第7巻の発行日は1995年1月15日ですが、日付的には阪神大震災の二日前です。 それから25年、ついに読み終えました。それが昨晩の午前2時過ぎなのです。発売以来1200万部売れているシリーズだそうで、今頃読んで感動しているぼくもぼくですが、映画は「トルメキア戦記」の一つのエピソードに過ぎなかったのですね。「その者青き衣をまといて金色の野に降りたつべし」 今でも、時折ふと口ずさむことがある、あの映画の、あの「名セリフ」は、マンガ版では第二巻に出てきました。それは「風の谷」の大ババさまの口からではなく、「土鬼ドルク」の異教の僧が唱える「黙示録」というべきか「創世記」というべきか、とにかく、大きな物語の始まりにを予言する言葉でした。 そこから最終巻まで、戦いに次ぐ戦いです。マンガは戦場のナウシカを描き続けます。巨神兵とナウシカの関係も想像を超えていました。トルメキアの王女クシャナ姫と王国の行く末も映画では予想もできない結末でした。 第7巻の最後の最後でした、「蟲使い」たちが「再生の舞」を舞い、読者のぼくの中に、もう一度この言葉が戻ってきます。なんともいえない、揺さぶられるものを感じました。「その者青き衣をまといて金色の野に降りたつべし」 宮崎駿は渋谷陽一のインタビュー(「風の帰る場所(正・続)」ロッキン・オン)でも、司馬遼太郎、堀田善衛との鼎談(「時代の風音」朝日文庫)でも繰り返し、思い通りではなかったアニメ版について語っていますが、マンガ版を読み終えてみると、なるほどそうかと納得がいきました。 それにしても腐海の剣士ユパのこんな言葉がさりげなく心に残るのです。「すすめ いとしい風よ」 遅まきながらでお恥ずかしいのですが、傑作でした。(2020・05・28 SIMAKUMA) 追記2024・01・20 100days100bookcoversChallengeの投稿記事を 100days 100bookcovers Challenge備忘録 (1日目~10日目) (11日目~20日目) (21日目~30日目) (31日目~40日目) という形でまとめ始めました。日付にリンク先を貼りましたのでクリックしていただくと備忘録が開きます。ボタン押してね!ボタン押してね!
2020.07.17
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宮崎駿インタビュー「風の帰る場所」(文春ジブリ文庫)「ロッキン・オン」社の渋谷陽一がネット上で、自社の雑誌に掲載した「中村哲」のインタビューを公開しているのをのぞきながら思い出した本です。 渋谷陽一が編集長をしていた(多分)「CUT」とか「SIGHT」という雑誌に、その時、その時、掲載された、「宮崎駿」のインタビューを、雑誌掲載時には、やむなくカットした部分もあったらしいのですが、完全ノーカットで収録した「風の帰る場所」と題されたジブリ文庫です。 2013年に出版された本ですから、もう、かなり旬を過ぎているかもしれません。2013年といえば、「風立ちぬ」を作った宮崎駿が長編アニメーションからの、何度目かの引退を宣言した年ですが、宮崎駿に今でも興味をお持ちの方にはお薦めです。 この文庫には、5回のインタビューが入っています。宮崎駿の作品のアーカイブにそっていえば、『風の谷のナウシカ(1984)』・『天空の城ラピュタ(1986)』・『となりのトトロ1988』・『魔女の宅急便1989』後のインタビューが「風が吹き始めた場所」(1990年11月)です。ジブリ・スタジオの設立から、宮崎アニメの特質まで、かなり基本的なポイントがつかれています。 『紅の豚1992』の公開直後がのインタビューが「豚が人間に戻るまで」(1992年7月)です。 このアニメは珍しく「大人向け」なんですよね。もともとは日航の機内サービス用の短編の計画だった辺りから、大人向けの「宮崎」の本音が面白いインタビューですね。『もののけ姫1997』の公開後が「タタラ場で生きることを決意したとき」(1997年7月)ですが、この辺りから、いろんな意味で「超」がつき始める、ジブリなのですが、宮崎本人の苦悩も深い、そんな感じですね。 「ナウシカと千尋をつなぐもの」(2001年7月)・「風の谷から油屋まで」(2001年11月)の二つのインタビューは、それぞれ『千と千尋の神隠し2001』の公開のあとですが、特に、後者は出発からの回想風に構成されています。 渋谷陽一は本書の「はじめに」で「なんでこんなに喧嘩腰なのか、自分でも呆れる」と書いていますが、インタビュアーとしての遠慮会釈なしの構えが、宮崎駿を刺激しているのでしょうか、率直で正直に自分をさらけ出している感じがして、「破格」に面白いインタビューになっていると思いました。 当時、一番旬の時代の、世界の宮崎駿に、媚びることも怖ることもない渋谷陽一もかっこいいですね。 あれこれ引用し始めるときりがないので、とりあえず、宮崎アニメの肝ともいえる「風」について一つ引用しますね。あのー、ただ自然という現象を描く時に、例えば空気というものも、それから植物も光も全部、静止状態にあるんじゃなくて、刻々と変わりながら動態で存在してるものなんですよね。 ええ それを見ている人間も歩いている自分も、その感受性も刻々と変化するでしょう。いつもなら「いいなあ」と思える気色が、今日は条件が全部揃っているのに全然目に入ってこないとかね。それから、何でもない下らない状況なのに、やたら気色がよく見えるとかね(笑)(笑) それは、みなさん経験していることだと思いますよ。そうすると、こう「いい景色ですね」って言うときに、ただ一枚絵を書いただけで済むっていうものではないはずだっていう、そういう強迫観念はありますね。 ふーん「魔女の宅急便」の冒頭に風が吹いているなんていうのは、あったかいポカポカした風景で「わあ、ステキね」っていうんじゃなくて、騒がしくて、それでちょっと冷たい風が、僕は吹いててほしいっていうふうに思ったんです。ええ、ええ、それが、「行こう!」っていうふうに決める時の、そういう彼女にとってふさわしい風景じゃないかと思ったもんですからね。だから、湖も立ち騒いでてほしいとかね。あんまり立ち騒がなかったですけど(笑)ははははは。(風の吹き始めた場所) なぜ、ここを引用しているのか、わかっていただけたでしょうか。「映画の時間の中で、『風』がとまるのはおかしい。」強迫観念として、そう考える宮崎にぼくは感動しました。背景は「書き割り」として止まっているものだと思い込んできた、ぼくは、初めて動く「風」を彼のアニメで見た時に「ヘンだ」と思いましたから。映像がすごかったんですね。 次は「ナウシカ」の結末についてです。「ナウシカ」にはコミック版がありますが、結末はちがいます。渋谷陽一が、そのあたりを聞いています。渋谷 アニメーション版「ナウシカ」のラストなんですけれども、あれは非常に宗教的な終わり方をしていて、それに対して、以前、反省があると宮崎さんはおっしゃってたんですね。僕はすごくよかったと思うんですけどね。宮崎 いや、あれは宗教的に終わらざるを得ないんです。今やってもやっぱりね、そういうところに持っていくだろうと思うんですよ。だから、それに対しての自分の備えがあまりにも浅かったっていうことですよね。(中略) ただ僕は、あのとき映画の大ラストのところで絵コンテは進まなくなっちゃたんですよ。なぜ進まないかっていったらね、王蟲を一匹も殺したくないんですよね。「もう殺したくない!人間は殺しても王蟲は殺したくない」っていう気持ちが強くて(笑)。それで最後、パクさんが、「殺しャアいいんだ!」って怒鳴ってね。「じゃあ殺す!」って、それであっという間に絵コンテができたんですよね。とにかく自分は偉大な生き物だと思ってるんですよね。だから、「殺したくない。そんな映画の手管のために殺したくない」って(笑)。逆上状態って言うんでしょうけど、そういうふうなことを自分が生きている上で、一番大事な問題だと思い込んじゃうんですよね。だけど、映画って逆上状態になって作るものですからね。だからもう初めから。ああ云うふうに終わるのは予感としてあったんですけれども、最後の最後は迷いました。(「風の谷から油屋まで」) 「ナウシカ」は、結局、一番好きな作品なのですが、なんか、すごいことを言ってると思いませんか。実は、もっといろいろ言ってるんですが、その結末についてのこの葛藤は初耳でした。ちょっとうなりました。 これ以外にも、「紅の豚」について語っている「豚が人間に戻るまで」のなかにも、大人向けアニメの「豚」ファンには、なかなか必読の発言がありますよ。ほかのインタビューにも、随所に宮崎駿の自意識のありようや率直な自己暴露が、笑える発言が山盛りなのですが、そのあたりは本書でどうぞ。 実は2013年には、このシリーズの後編「続 風の帰る場所」が出ています。それについてはまたいずれということですね。 ボタン押してね!ボタン押してね!
2020.02.16
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鈴木敏夫 「禅とジブリ」 (淡交社) この本を案内しようとと思ったのは表紙をスキャナーで写真にとってみると、手抜きの構成のようなんだけれど、これが結構面白い。たった、それだけ。「禅とジブリ」、この写真ネ! 鈴木敏夫という人は、知る人ぞ知る「スタジオジブリ」のプロデューサー。宮崎駿や高畑勲の仕事を支えてきた人。もともとは徳間書房の編集者だったらしい。その鈴木敏夫が三人の僧侶と出会う。 ぼくは、基本、この手の学者やタレント、経営者の「人生論系の本」は読まない。だって、めんどくさいじゃないか。世間では、本屋の棚を見る限り氾濫していて、よく読まれているらしい。この本も、そういうめんどくさい系の一つであることは間違いないが、ジブリの鈴木敏夫という名前に惹かれた。 読みはじめると、宮崎駿が2018年現在の、今、準備している作品があるらしい。ここ数年、社会現象化しているあの「君たちはどう生きるか」だという。 やれやれ・・・ 「プロデューサが参禅のおしゃべりで、監督は超ハヤリの人生論かよ。」 なんとなく、時代の黄昏を感じて、ついでに思い出に浸ってしまう。 ジブリの、宮崎駿や高畑勲のアニメーションは「風の谷のナウシカ」以来ずーっと、我が家ではハヤッテいて、そういえば、ドアを開けて入ってくると暗いだけの玄関の壁ではナウシカとチビのオームが、あの頃からズット散歩している。「ナウシカ」はジブリ以前の作品で、「天空の城ラピュタ」から「トトロ」がスタジオ・ジブリの仕事の始まりだったと思う。 今は30歳をはるかに超えている、ヤサイクンやサカナクンたちが小学生だった。みんなでトトロの歌を歌っていた。 あるこう あるこう わたしはげんき♪♪ あるくのだいすき♪♪ これって人生論じゃないよね。でもまあ、徘徊ソングなわけで、「君たちはどう生きるか」って、まあ、宮崎駿がどう描くか、やっぱり興味はあるけど。 さて、その鈴木君が禅宗のお坊さんと会ってしゃべる。黙って座禅を組めばいいようなものだが、それでは本にならないからおしゃべりをすることになる。登場するお坊さん、どなたの名前も知らないなと思っていると、最後の一人は玄侑宗久、芥川賞作家である。そこにこんな会話がある。鈴木:高畑さん、宮さん、この二人を見ていて、年齢を重ねても、二人共いまだに映画を作りたい。ぼくの想像では、たぶん死ぬまで「枯れる」なんて考えない人たちだと思うんですよ。ギンギラギンのまま。玄侑:なるほど。禅で言う「枯れる」とは、どちらかというと「余白の美」に近いと思います。(略)特に高畑監督は映画の中で余白とか、虚の部分を重視されていますよね。鈴木:していますね。単純に絵だって、年を重ねてからの作品には必ず余白があります。玄侑:だから、作品の中で枯れておられるんじゃないですか?高畑監督の「かぐや姫の物語」なんてまさにそうだとおもいます。あの、月から使者が迎えに来るラストの光景と音楽はちょっと忘れられないですね。鈴木:仏教の来迎図ががモデルです。高畑さんは、来迎図の菩薩たちが持っている楽器全部調べて、それぞれの音色を再現して演奏してもらった。最後の曲はそういう曲ですね。 宮崎駿の引退宣言については「問答後談」のなかでこんなことを書いている。 宮崎駿は「今、ここ」の人である。加藤周一さんに倣うなら、明日は明日の風が吹くし、昨日のことは水に流す人だ。(略)だから、引退宣言を繰り返してきた。 あまり知られていない話を披露するなら「風の谷のナウシカを作った直後にも「二度と監督はやらない」と宣言した。質の向上のために仲間たちに罵声を浴びせなくてはいけないのが監督の役割。「もう友人はなくしたくない」が、その理由だった。 あれはもう三年以上前になる。盛大な引退記者会見を開いた。それを再び、去年放送のHKスペシャルでひっくり返した。監督への復帰宣言だった。まさに「終わらない人宮崎駿」である。 「これまで等身大の自分をさらけ出した作品は作ってこなかった。最後はそれをやりたい」 宮さんとしてはやり残したことがあると言い出した。おいおい、これまでだった、十二分に自分をさらけ出していると言いたかったが、ぼくは失笑をこらえつつ同意した。 ―略― で、問題はこの先だ。宮さんは、この正月で満七十六歳になった。宮崎家は親戚を含めて八十歳を越えた人は皆無らしい。去年の秋、長兄が七十七歳で亡くなり、宮さんのお父さんは享年七十九歳だった。 「作っている途中で死ぬかもしれない」 その気持ちが彼を駆り立てる。ぼくの老後の楽しみはどこへ行ってしまうのか。しようがない。宮さんと共に生きてきた人生だ。協力せねばと覚悟した。 高畑勲は、この本が編集されている最中、2018年四月五日に亡くなった。 宮崎駿は、新作アニメに没頭しているらしい。三月二十一にに書かれたプロローグに、三年がかりで出来上がった絵コンテに対する鈴木敏夫の批判と宮崎駿の反応が書かれている。「‥・・・詰め込み過ぎですね」「自信作です」「要素はいずれも面白い。しかし、お客さんが置いてけぼりを食らう」 一か月半の後、新しい絵コンテが完成し、それを読み終えた鈴木は、その時の心境をこう書いている。 目の前の宮さんは、天才以外の何物でもなかった。七十七歳にして成長を続ける、この老監督のどこにそんなエネルギーが残っていたのか、ぼくは、宮さんのその強靭な精神力に対して恐れおののいた。 読み終えて、プロローグに戻ってみる。宮崎駿の新作を心待ちにする気分になる。今度こそ、最後の作品になるかもしれないんだから。 それにしても、表紙の写真の僧と鈴木敏夫の配置、やっぱり、かなり工夫されているんじゃないだろうか。 2018/12/17 追記2019・07・13今現在、宮崎駿の新作は、まだ公開されていない。数年かけての完成らしいから、まだまだなのだろう。それにしても、結局、仕事に戻ってくる宮崎駿はエライ!にほんブログ村にほんブログ村天才の思考 高畑勲と宮崎駿 (文春新書) [ 鈴木 敏夫 ]仕事道楽新版 スタジオジブリの現場 (岩波新書) [ 鈴木敏夫 ]
2019.07.19
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