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映画 マケドニア、ボスニア・ヘルツェゴヴィナ、クロアチア、スロベニアの監督 5
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ジェーン・カンピオン「ピアノ・レッスン」パルシネマ 半年ぶりでしょうか、久しぶりにパルシネマにやって来ました。2本立てですが、お目当てはジェーン・カンピオンというニュージーランドの女性監督の「ピアノ・レッスン」です。 1993年の作品で、カンヌでも、アメリカのアカデミー賞でも高く評価された映画だということは、ちょっと知っていましたが、見るのは今回が初めてでした。 ストーリーは、あちらこちらに見かけることができるので追いません。イギリスのスコットランドあたりから、太平洋の真ん中にあるニュージーランド入植者のもとに、父親の命令で嫁がされる、自ら「ことば」を音として「発声」することを拒否しているシングルマザーである女性エイダと、彼女の「ことば」を理解する娘、小学生くらいの少女フローラの親子の話でした。 この女性にとって「音」としてのことばはピアノの響きなのでしょうね。 映画は、彼女の心の声によるナレーション で始まります。 嫁入り道具にはピアノがありました。ところが、ニュージーランドの新夫は、これを拒否するのですね。 他の荷物は現地人の人夫たちにはこばせたのですが 大きな波の打ち寄せる海岸にピアノがポツンと残されていました。 この映画で最も印象に残ったシーンです。住居までの泥道をせかされる主人公の女性が、丘の上から海岸に打ち捨てられたピアノを振り返り見るシーンには、もう一度胸打たれました。 それから、数日後だったでしょうか、土地と交換にピアノを手に入れたベインズという男の道案内で、エイダが娘のフローラと二人、海岸のピアノと再会し、そこでピアノを弾きます。それが、上のシーンです。 ボクにとって、この映画は、この三つのシーンがすべてでしたね。 そこから後は、何となくな、つけたしというか、べインズとの情事のシーンも、夫による指の切断のシーンも、ハラハラ、オロオロしながら目を瞠る思いで見るには見たのです。その展開で繰り広げられた、愛のドラマの深さにも、充分、胸打たれもしたのです。とても美しいドラマだったことに感動したことも事実です。 にもかかわらず、この、三つのシーンの衝撃 というかは、言葉ではうまく説明できませんね。のこりのシーンが、みんなつけたしだったような感覚になってしまって見終えたのでした。 邦題が「ピアノ・レッスン」とつけられていますが、この映画は「The Piano」でないと変ですね。エイダのホリー・ハンターとフローラのアンナ・パキンには、もちろん、拍手!でした。しかし、男たちもよかったですね。 言葉をしゃべらない結果でしょうかホリー・ハンターの表情のすばらしさ には、言葉を失いましたね(笑) 監督・脚本 ジェーン・カンピオン撮影 スチュアート・ドライバーグ美術 アンドリュー・マッカルパイン衣装 ジャネット・パターソン編集 ベロニカ・ジェネット音楽 マイケル・ナイマンキャストホリー・ハンター(エイダ・口を利かないシングルマザー)アンナ・パキン(フローラ・娘)ハーベイ・カイテル(ベインズ・入植者)サム・ニール(スチュアート・夫)ケリー・ウォーカージュヌビエーブ・レモン1993年・121分・R15+・オーストラリア・ニュージーランド・フランス合作原題「The Piano」2024・08・06・no100・パルシネマno081追記 ところで、このブログをご覧いただいた皆様で楽天IDをお持ちの方は、まあ、なくても大丈夫かもですが、ページの一番下の、多分、楽天のイイネボタンを押してみてくださいね。ポイントがたまるんだそうです(笑)
2024.08.11
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レベッカ・ミラー「ブルックリンでオペラを」パルシネマ お久しぶりのパルシネマでした。 で、多分、「音楽映画」で括った2本立ての1本でした。主人公の一人がオペラの作曲家というわけで、そっちを期待しましたが、シッチャカ・メッチャカ・ラブ・コメディでした(笑)。 演技派のワンちゃんはじめ、異形のオペラ作曲家スティーブン(ピーター・ディンクレイジ)さんと超美女の精神科医パトリシア(アン・ハサウェイ)さんのご夫婦は医者と患者の出会いのようだし、パトリシアさんの連れ子のジュリアンくんと恋人テレザちゃんのカップルは、高校生のくせに(笑)、覚えたてのセックスに夢中で、こちらもシングル・マザーでテレザちゃんを育てた、マグダレナ(ヨアンナ・クーリグ)さんは、偶然、パトリシアさんの医院の掃除婦さんで、彼女の今のパートナー、だから、テレザちゃんの義理のパパは、何それっていう感じの南北戦争フェチのトレイさん。そこに、女だてらに引き船の船長で、かつ、恋愛依存症だかで、ストーカーのカトリーナ(マリサ・トメイ)さんが絡んで、もうシッチャカメッチャカでした(笑)。 ええっと、遅くなりましたが、見たのはレベッカ・ミラー監督の「ブルックリンでオペラを」でしたが、「She Came to Me」の原題のままでよかったんじゃないかという作品でした。 中でも、美女のアン・ハサウェイさんは歌劇場のプロデューサーと精神科医という別人の二役で、とどのつまりは患者の前で全裸!(笑) を披露したうえで、なんと修道女の道へという大活躍で、いや、ホントご苦労様でした(笑)。 アメリカの人って、こういうの、面白がるんですかね。ボクは、ちょっと、ポカーン でしたが、とりあえず拍手!でした(笑)。監督・脚本 レベッカ・ミラー撮影 サム・レビ美術 キム・ジェニングス衣装 マリナ・ドラジッチ編集 サビーヌ・ホフマン音楽 ブライス・デスナー音楽監修 トレイシー・マクナイトキャストアン・ハサウェイ(パトリシア・精神科医)ピーター・ディンクレイジ(スティーブン・オペラ作曲家)マリサ・トメイ(カトリーナ・船長)ヨアンナ・クーリグ(マグダレナ・家政婦)ブライアン・ダーシー・ジェームズ(トレイ・裁判所の速記者)エバン・エリソン(ジュリアン・パトリシアの息子)ハーロウ・ジェーン(テレザ・マグダレナの娘)2023年・102分・G・アメリカ原題「She Came to Me」2024・08・06・no101・パルシネマno082追記 ところで、このブログをご覧いただいた皆様で楽天IDをお持ちの方は、まあ、なくても大丈夫かもですが、ページの一番下の、多分、楽天のイイネボタンを押してみてくださいね。ポイントがたまるんだそうです(笑)
2024.08.08
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アキ・カウリスマキ「マッチ工場の少女」パルシネマ 2024年は新年早々カウリスマキ監督の「枯れ葉」が満員御礼で入場できないという珍事(?)で始まりました。どうなってるの? だったのですが、ほぼ、同時にパルシネマが企画していた、同じ監督の「マッチ工場の少女」は、予想通り、まあ、ボクとしてはこっちのほうがいいのですが(笑)、ノンビリした観客数で、実にゆったりと見ることができました。 実は、パルシネマでは1990年ごろの「コントラクト・キラー」と「マッチ工場の少女」という2作を朝パル・夜パル企画で特集してくれていたのですが、結局、見ることができたのは「マッチ工場の少女」だけでした。ザンネン! 映画はマッチ工場の製造ラインの丹念な映像から始まりました。ナルホド「プロレタリアート三部作」の 一作ですね(笑)。好き好きですが、こういう始まり方、ボクは好きです。 で、展開ですが、マッチ工場の労働者で、何故か帰宅しても家事一切を強制されているらしい、実に無愛想な働く若い女性のわびしい日常生活を淡々と写した作品でした。 なにしろ、登場人物たちが、ほとんどしゃべらないので、見ているこちらがわも「ふーん、そうなんか???」 という態度で見続けならが「それで、どうすんの?」 と思っていると、まあ、なんともいえない結末で映画は終わりました。 で、ボクの結論ですが「それでいいのだ!」 でしたね(笑)。ストーリーとしては悲劇という範疇らしいのですね。たしかに、現実的な事件として考えるなら悲劇以外のなにものでもないのかもしれませんが、ボクの中に残ったのは、主人公の終始一貫している行動原理に対する共感というか、肯定感でした。涙なんて出ませんね(笑)。「それでいいのだ!」 ですね。ほかにいうことはありません。 まあ、それにしても、これだけ淡々と描きながら、かなりクッキリとした印象を刻み付けるフィルムを撮るカウリスマキという監督はスゴイ!ですね。文句なく拍手!です。それから、なに考えているのかわからない無愛想な表情でやってくれるじゃないの! の少女イリスを演じたカティ・オウティネンという女優さんも印象に残りましたね。拍手!です。監督・脚本 アキ・カウリスマキ撮影 ティモ・サルミネンキャストカティ・オウティネン(イリス)エリナ・サロ(母)エスコ・ニッカリ(義父)ベサ・ビエリッコ(アールネ・行きずりの男)シル・セッパラ(兄)レイヨ・タイバレ1990年・70分・フィンランド原題「Tulitikkutehtaan tytto」2024・01・23・no008・パルシネマno80
2024.02.01
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今敏「東京ゴッドファザーズ」パルシネマ 元町映画館のクリスマス企画「スモーク」の感動の勢いで、パルシネマのクリスマス企画「東京ゴッドファザーズ」を頑張って朝パルで見ました。今敏という、ボクは知りませんでしたが、2010年に、若くして他界されたマンガ家のアニメーション作品です。 予告編で絵柄と音楽に惹かれてやって来ました。映画は教会で合唱されている「きよしこの夜」で始まりました。 博打で身を持ち崩して家を捨てた中年の男ギンちゃんとゲイ・バーで唄っていたゲイのオバーちゃんであるハナちゃん、かわいがっていたネコを捨てられて、逆上し父親を刺して家出した、多分、高校生くらいの少女ミユキちゃんの三人の「ホームレス・野宿者」が、クリスマスの夜に赤ん坊を拾って「親探し」のドタバタの中で、三人の「家を捨てた」来歴が語られていくお話でした。 生田武志の「野宿者襲撃論」(人文書院)が出たのが2005年ですが、2000年くらいの東京に「ホームレス・野宿者」を対置させたセンスが俊逸でした。 大掃除と称して彼らを襲う若者も登場して時代に対する鋭さも感じましたが、三人それぞれを、「家」や「家族」を捨てたことに対する罪の意識の中に生きさせているニュアンスには、まあ、それが常識的なのだと思いますが、少し首をかしげました。 で、この映画の面白さは、絵柄と音楽でした。 絵柄は、アップで描かれる小汚い人物たちと、遠景に美しい背景としてある東京という組み合わせの見事さですね。 音楽は「きよしこの夜」に始まって、ハナちゃんの「ロクデナシ」(越路吹雪ね)の絶唱、それから、何といっても、鈴木慶一とムーンライダーズの「歓びの歌」(ベートヴェンの第9ね)は歌詞も歌も絶品でした。 学校で習う出だしはこんな感じでしたね。晴れたる青空 ただよう雲よ小鳥は歌えり 林に森にこころはほがらか よろこびみちて見かわす われらの明るき笑顔 学校ヨイ子だったボクは今でも歌えますが、映画の歌はこうでした(笑)。鞭で打たれるのは もう いやだよ地獄がなければ 天国もない蒸発したいよ この世は闇だでも 隠れる場所は 人でいっぱいだ黄昏時は 悲しくてやだよどうせ生きるのなら この夜がいい明日はいらない 未来はナシだでも 金で済むなら それで結構だクズにはクズの 死に場所があるよクズにはクズの 生きるところがあるこの空の下で なんとかなりゃいいでも 忘れられない 事がいっぱいだお前と俺とは赤の他人ださあ カリブの海で ラムを一杯やろう お前と俺とは赤の他人ださあ カリブの海で ラムを一杯やろうひとつ屋根の下に いると思うなさあ カリブの島で 煙草いっぱい吸おう ね、とりあえず一番から覚えようと思っています。徘徊のテーマソングですね。まあ、ボクには家も家族もいますけど。 しかし、まあ、納得のクリスマス企画でしたね。パルシネマに拍手!でした。監督・原作 今敏脚本 信本敬子 今敏演出 古屋勝悟作画監督 小西賢一 安藤雅司 井上俊之美術監督 池信孝撮影監督 須貝克俊編集 瀬山武司音楽 鈴木慶一 井上俊之アニメーション制作 マッドハウスキャスト(声)江守徹梅垣義明岡本綾2003年・92分・日本2023・12・28・no161・パルシネマno79 !
2023.12.29
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リチャード・リンクレイター「バーナデット ママは行方不明」 パルシネマ 今回は「妻って何?母って何?私って何?」ということかなと、勝手にテーマをつけてやってきたパルシネマの2本立て、1本目はケイト・ブランシェット主演のコメディ、「バーナデット ママは行方不明」でした。監督はリチャード・リンクレイターという人で、名前に聞き覚えがあるのですが、作品は知りませんね。 実は、この2本立てのお目当ては、この作品に出ているケイト・ブランシェットという女優さんでした。 今年の夏に「ター」という作品で、クラッシクのオーケストラのマエストロ、女性指揮者を演じていらっしゃったのを見たのですが、なんだかなというか、辟易するというか、とても印象が悪かったのですが、それを口にすると、知り合いの映画好きの皆さんから「????」の反応で、結局、ボクの中では「?????」の方になってしまったでした。 で、この上映企画です。「ター」の前に撮られた作品のようですから、見ないわけにはいきませんね(笑)。 というわけで、やってきたというわけですね(笑)。ああ、もう1本は「エリザベート1878」で、そっちの感想はもうアップしています。 で、ケイト・ブランシェットさんですが、見終えてどうだったかですよね。ナルホド、お上手ですね! というのが、まあ、二度目の印象ですね。「妻って!母って!私って!」 という、役柄の素直な演技が好印象で、楽しい作品でした。でもね、ボクには新しい疑問が湧いてきちゃったんですね。あの、リディア・ターの印象は何だったんだろう? ですね(笑)。 女優としての振幅の広さということなのでしょうかね。2つの作品に共通しているのは「天才的な才能の持ち主」という人物を演じるということなのですが、この作品で彼女は「妻」、「母」、「私」という、内実が定かでない「空虚」を演じながら、それを充填していくための足掻き、まあ、それが、普通の人生なわけですが、それを実に真摯に表現していて、笑えるし、泣けるし、思わず拍手したくなったわけです。だって、天才が凡庸な「世間」相手に苦労しているんですからね(笑)。 ところで、あの作品で、彼女が演じていたのは天才的音楽家だったのですね。つまり、「音楽」に対する「空虚」が、映画の物語の前提として充填されているという設定でした。で、彼女が演じなければならなかったのは、「音楽」を天才として体現する人の「空虚」への転落だったわけですが、ボクが引っかかったのは、その音楽の天才の演技だったんですね。あまりに通俗! しかし、今考えてみれば、それは女優ケイト・ブランシェットの罪ではないかもしれませんね。彼女は、腹立たしいほどなインチキぶりを実に見事に演じていたともいえるわけで、お上手だから、よけいに引っかかったんでしょうね。 でも、まあ、今回の印象を加えても、大好き、二重丸! とは、まだいきませんね。というわけで、結局、また、出ていらっしゃると聞けば見に行くしかなさそうですね(笑)監督 リチャード・リンクレイター原作 マリア・センプル脚本 リチャード・リンクレイター ホリー・ジェント ビンス・パルモ撮影 シェーン・ケリー美術 ブルース・カーティス衣装 カリ・パーキンス編集 サンドラ・エイデアー音楽 グレアム・レイノルズキャストケイト・ブランシェット(バーナデット・フォックス・主婦)ビリー・クラダップ(エルジー・夫)エマ・ネルソン(ビー・中学生の娘)クリステン・ウィグ(オードリー)ゾーイ・チャオ(スーリン)ジュディ・グリア(カーツ先生)ローレンス・フィッシュバーン(ポール・ジェネリク)ジェームズ・アーバニアク(ストラング捜査官)トローヤン・ベリサリオ(ベッキー)2019年・108分・G・アメリカ原題「Where'd You Go, Bernadette」2023・12・12・no153 ・パルシネマno77 !
2023.12.19
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マリー・クロイツァー「エリザベート 1878」パルシネマ 今日のパルシネマは、まあ、なんというか、妻って何?母って何?私って何? という感じの2本立てで、1本はケイト・ブランシェット熱演のコメディ「バーナデット ママは行方不明」で、もう1本がこの作品でマリー・クロイツァーというオーストリアの、多分、女性の監督で「エリザベート1978」でした。ハプスブルク帝国の最後から二人目の皇帝、フランツ・ヨーゼフ1世の皇后さんが主人公のお話でした。 原題は「Corsage」で、普通、髪なんかを飾る花飾りのことだと思うのですが、この映画の場合は、女性の胴体を締める「コルセット」のことらしいですね。 で、邦題にくっついている「1878」というのは、映画の中でもスーパーが流れるのですが、エリザベートさんが40歳になったのが西暦1878年というわけで、その一年間の顛末が映画のお話でした。 40歳に、どんな意味があるかというと、当時の女性の平均寿命が、まあ、この映画の場合、史実かどうかは疑わしいのですが、その年だという設定ですね。ちなみに、エリザベート皇妃という方は、その「美貌」で歴史に名を残している人らしくて、映画や、マンガ、それから宝塚の主人公とかで有名な方らしいのですが、ボクは知りませんでした。 で、映画の主人公であるエリザベートさんが何をするのかというと、まあ、ボクの見立てにすぎませんが、逃走! でしたね。上のチラシのエリザベートさんは「かかってきなさい!」 のポーズを決めているようですが、ボクの目にはひたすら逃げまくったように見えましたね。まあ、いってしまえば彼女をコルセットで縛るあらゆるものからの逃走映画だと感じましたですね。 風呂桶に沈み込んで、侍女に時間を測らせているシーンから映画は始まりました。このシーンの映像水にただよう女! まあ、そんなイメージが、唐突に焼き付けられる印象ですね。水の女というコンセプトが、その昔ありましたね(笑)。風呂好きの女性の湯あみシーンでのお遊びではありませんよ(笑)。 歴史が彼女をいかに美貌の皇后として物語り、宮廷画家が皇妃としてふさわしい姿に描き、王宮の人々が、宮廷の主人公らしさを求め続けるとしても、それらはすべて幻影であって、エリザベート自身は、彼女自身の変幻自在の生を生きるほかはありません。 で、この作品の女主人公はコルセットで締めあげられた、押し付けられた「物語」からあくなき闘争の女を生きるのですよ。幻影としての現実から真実の生へ、どうやって逃げ延びるか、これは、それを映し出した作品ですよ! まあ、そういうふうに監督自身が最初に宣言したシーンが、あのシーンだったんだなというのが、最後の最後に、美しい海原に向かって見事に跳躍し、コルセットの人生の幕を閉じるラストシーンを見ながら気付いたことでした(ホンマかいな?)。 というわけで、水のイメージを随所に織り込みながら、主人公に死と再生、あるいは、自由への逃走のドラマを生きさせようとするマリー・クロイツァー監督のアイデアに拍手!でした。 映画の中のエリザベートは41歳になることを拒否して青い海原に跳躍します。そのシーンは、桎梏の現実から再生の夢への飛翔であるかのごとく美しく描かれているわけですが、再生した現実のエリザベートは60歳まで生き延びて、なんと、暗殺というか、所謂、暴漢に襲われて、不慮の死を死んでしまうという歴史的現実があるわけですから、ままなりませんね(笑)。 しかし、まあ、白い豪華客船の舳先から海原に向けて飛翔するまでのエリザベートを執拗に描いた監督マリー・クロイツァーの意図は、まあ、ボクが勝手に想像したにすぎませんが、とても面白いと思いましたね。拍手! 最後に、ちょっと余計なことですが、チラシの作り方とか、キャッチ・コピーとか、フェミニズムを、商品のネタとして、薄っぺらく煽っているかの宣伝の仕方はやめた方がいいと思いますね。 ああ、それから、最後に映された豪華客船が、どう見ても現代の船であったのは何故なのでしょうね。一応、歴史映画の体裁で作られていたはずなのですがね(笑)。監督・脚本 マリー・クロイツァー撮影 ジュディス・カウフマン美術 マーティン・ライター衣装 モニカ・バッティンガー編集 ウルリケ・コフラー音楽 カミーユキャストビッキー・クリープス(エリザベート・皇后)フロリアン・タイヒトマイスター(フランツ・ヨーゼフ・皇帝)カタリーナ・ローレンツ(マリー・フェシュテティチカ)ジャンヌ・ウェルナー(イーダ・フェレンツィ)アルマ・ハスーン(フランツィスカ・フェイファリク)マヌエル・ルバイ(ルートヴィヒ 2 世・バイエルン王)フィネガン・オールドフィールド(ルイ・ル・プランス)アーロン・フリース(ルドルフ)ローザ・ハジャージュ(ヴァレリー)リリー・マリー・チェルトナー(マリー・両シチリア王妃)コリン・モーガン(ベイ・ミドルトン)2022年・114分・PG12・オーストリア・ルクセンブルク・ドイツ・フランス合作原題「Corsage」2023・12・12・no154 ・パルシネマno78 !
2023.12.15
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瀬々敬久「春に散る」パルシネマ 2023年の夏に封切られた瀬々敬久監督の「春に散る」を見ました。封切のときから佐藤浩市の白髪頭の写真が気にかかっていました。チラシを見れば、ボクシング映画だとわかりますが、トレーナー役の佐藤の姿勢が、まあ、ボクがそう思うだけかもしれませんが、不自然で、なんとなく見ないまま終わったのですが、パルシネマが「ダンサー・イン・パリ」との組み合わせで上映していたのですが、ボクは「夜パル」の「ションベン・ライダー」との2本立てで見ました。「ションベン・ライダー」が本命だったので、封切で見た「ダンサー」はパスしました。三本立ては、もう無理ですからね(笑)。 「ションベン・ライダー」の、いわば前座で見たのですが、まあ、こっちの方は、納得でしたね。「日本映画史上最強の胸熱ドラマ」というコピーですが、「極熱」ってどう読むねん! と突っ込みたくなりますが、それ以前に、チョット持ち上げすぎでしょうね(笑)。佐藤浩市くんを見ようと思って行ったのですが、よかったのは片岡鶴太郎の動きと、窪田正孝の眼つき、それとボクシングの試合シーンの横浜流星でした。 沢木耕太郎の原作ですから、所謂、「人間ドラマ」は予想していましたが、そっちでウルウルはしませんでした(笑)。それよりも、クロス・カウンター!でしたね(笑)。 元ボクサーの老人、広岡仁一(佐藤浩市)とやさぐれているボクサーくずれのチンピラ青年、黒木翔吾(横浜流星)の出会いのシーンで一度。黒木と東洋チャンピオン大塚俊(坂東龍汰)のスパーリングと、タイトルマッチで、それぞれ一度づつ。黒木と世界チャンピオン中西利男(窪田正孝)のタイトルマッチの試合の中で、多分二度、最後には黒木が中西相手に決めますが、もう、目が離せませんでしたね。 そうなんです、ボクは「明日のジョー」でボクシングを知って、それしか知りませんからね。ボクシングといえばクロス・カウンターなのです(笑)。 いやあ、もう、最初に広岡仁一が黒木青年にかました、そのシーンから、もう、ドキドキ、ワクワクでした。 沢木流の人間ドラマを支えた広岡佳菜子(橋本環奈)、真田令子(山口智子)、黒木の母(坂井真紀)の女性陣も悪くなかったですが、元ボクサー佐瀬を演じた片岡鶴太郎の動きにはしびれましたね。彼はボクサーとしてプロだったと思いますが、トレーナーとしての練習場での、なにげない動きはさすがだと思いました。ズブの素人目でいうことですからあてにはなりませんが、リング上での窪田君の動きとともに目を瞠る思いでしたね。まあ、横浜君と佐藤君は、ボクシングについては素人なのでしょうね。 で、窪田正孝という俳優さんですが、「愛にイナズマ」という作品で佐藤浩市と共演していて、ヘンな奴やな?! だったのですが、今回は、所謂、敵役だったのですが二重丸でした。拍手!でしたね。地味なのですが面白い役者になりそうですね。 で、久しぶりに「あしたのジョー」を思い出さてくれた監督瀬々敬久に拍手!でしたね。最後の試合、まあ、黒木君びいきで見てしまうわけですが、ホントにどうなるのか、ドキドキでしたね。映画の試合でドキドキしてどうすんねん! いやあ、ホント、ドキドキしましたよ。もう一度、拍手!監督 瀬々敬久原作 沢木耕太郎脚本 瀬々敬久 星航撮影 加藤航平照明 水瀬貴寛編集 早野亮音楽 田中拓人主題歌 AIキャスト佐藤浩市(広岡仁一・元ボクサー)横浜流星(黒木翔吾・ボクサーくずれ)橋本環奈(広岡佳菜子・広岡の姪)坂東龍汰(大塚俊・東洋チャンピオン)窪田正孝(中西利男・世界チャンピオン)片岡鶴太郎(佐瀬健三・元ボクサー)哀川翔(藤原次郎・元ボクサー)山口智子(真田令子・真拳ボクシングジムオーナー)松浦慎一郎尚玄奥野瑛太坂井真紀(黒木の母)小澤征悦2023年・133分・G・日本2023・12・08・no150・パルシネマno75 !
2023.12.10
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相米慎二「ションベンライダー」パルシネマ 先日、京都まで出かけて見た相米慎二「台風クラブ」がワッチャー?! だったので、神戸のパルシネマでやり返してやろうと勇んで出かけてきたのが相米慎二「ションベン・ライダー」です。 パルシネマという映画館は通常2本立ての名画座です。で、朝と夜に1本立ての「夜パル」「朝パル」という、なかなかディープなというか、シブイというかのプログラムを上映しておられるのですが、先日まで「朝パル」だった、お目当ての「ションベン・ライダー」が、今週は「夜パル」、午後7時50分くらいに始まって、終わるのが10時くらいの番組に変わっていて、ちょっと怯んだのですが、「まあ、昼の2本立てプログラムの「春に散る」と2本見ればいいや。」 と、勝手な2本立てを計画して挑みました。もちろん別料金です。とほ・・・・。 で、あえなく返り討ちでした(笑)、トホホ・・・。 まあ、きいたふうなことはやめておこうと思いますが、この、やたらの、とっちらかり方には、やはり 、監督の意図があるのでしょうね。 かっこよく意味不明な言い方をすれば、語ってしまえばステロタイプ化する物語からの逃走! とでもいえばいいのでしょうが、40年前に衝撃だったしっちゃかめっちゃかが、今見ていると、なんだか、ただ、あほらしいだけというか、かえって、息苦しい感じさえするんですよね。 映画があの「時代」を上手に映しているとはとても言えないのですが、終わってしまった1980年代という時代の映画 ということを強烈に感じさせられた2作でした。 それにしても、主役らしき藤竜也こそ、最近、尾道の豆腐屋さんで見かけましたが、桑名正博とか財津一郎、ケシー高峰、ああ、それから前田武彦、今は亡きなつかしい方たちのお顔がなつかしいような、そうでもないような、で、中学生三人組の一人の辞書くんとかを演じているのが、今時では、バラエティの司会かなんかやっているインチキ臭いおっちゃんの坂上忍だったりするわけで、時がたちましたね(笑)。 イヤー、相米慎二監督は、もういいですね。ノックアウトでした! 今のボクには歯が立ちません(笑)。監督 相米慎二脚本 西岡琢也 チエコ・シュレイダー原案 レナード・シュレイダー撮影 たむらまさき 伊藤昭裕美術 横尾嘉良音楽 星勝編集 鈴木晄キャスト藤竜也(厳兵ごんぺい・極竜会のヤクザ)河合美智子(ブルース・中学生)永瀬正敏(ジョジョ・中学生)坂上忍(辞書・中学生)デブナガ(鈴木吉和・誘拐された中学生)原日出子(アラレ・英語の教員)桑名正博(山・誘拐犯ヤクザのあんちゃん)木之元亮(政・誘拐犯ヤクザの兄貴分)財津一郎(島町・名古屋の組長)村上弘明(金太・島田組のヤクザ)寺田農(木村・すぐに夫婦で殺される)宮内志麻(木村の妻)伊武雅刀(横浜の巡査)きたむらあきこ(知子・ヤクザのあんちゃん山の姉)倍賞美津子(郁子)前田武彦(デブナガの父親)ケーシー高峰(金貸しの中年男)1983年・118分・日本配給:東宝劇場公開日:1983年2月11日2023・12・08・no151・パルシネマno76 !
2023.12.09
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タナダユキ「百万円と苦虫女」パルシネマ どなたかと結婚されて、お子さんもいらっしゃるらしい、女優の蒼井優さんの15年前の映画です。新開地のパルシネマが「朝パル」でやってました。最終日だと知ってあわてて出かけました。タナダユキという、多分、女性の監督の作品です。題名は「百万円と苦虫女」です。 多分、未決犯で拘留されていただけですから、刑務所じゃなくて、拘置所だと思いますが、若かりし日の蒼井優ちゃんが、まあ、刑務所風の門から出てきて、「シャバダバダー♪♪、シャバダバダー♪♪」 と歌いながら塀に沿って歩くシーンから始まりました。 で、まあ、ケーキと手巻き寿司の出所祝いを用意して待っている、明らかにウザイ両親と、コマッシャクレタ小学生の弟と暮らしている「家」に帰ってきます が、まあ、そこでブチギレて宣言します。「百万円貯まったら出ていきます!」 で、そこから、今いる場所を出ていくために、短大を出たばかりの佐藤鈴子(蒼井優)さんが、くりかえし、奮闘努力し、百万円貯めては、その町を出ていく映画でした。今いる場所を出ていく! なかなか、いい響きですね(笑)。出ていく先はあの世しかないのではないかという老人には懐かしい響きですね。でもね、足止めされる理由があれこれ、ポコポコわいてきちゃうんですよね、そこで暮らしちゃうと。で、そのポコポコが映画のお話になっているというわけです。まあ、ある種のロード・ムービーなのでした。 見ていて楽しかったのは、なんといっても、困ったような顔しかできない蒼井優でした。まあ、それが見たくて朝一番にやってきたわけですからね(笑)。で、思ったのですが、彼女の表情のポイントは「泣かない」でしょうね。 映画の結末ですが、これまた若き日の森山未来くんがバイト先の大学生中島くんとして、足止めの定番、恋の相手役で登場します。なかなか、いいヤツで、「オッ、これはどうやって終わるのかな?」 と危惧したのですが、結局、ホッポラカシて、やっぱり、次の町へ流れていく鈴子さんに拍手!でした(笑)。 前科者(?)の姉のためにイジメられる弟拓也(齋藤隆成)くんとの、虐げられた者同士の絆とか、桃農家の跡取り春男(ピエール瀧)さんの不思議な存在感とか、ポコポコ出てくるエピソードも悪くありません。しかし、まあ、蒼井優のあの表情なしにはあり得ない作品でしたね(笑)。ナットク!でした。監督・脚本 タナダユキ撮影 安田圭音楽 櫻井映子 平野航主題歌 原田郁子キャスト蒼井優(佐藤鈴子・姉)齋藤隆成(佐藤拓也・弟)森山未來(ホームセンターの中島くん)ピエール瀧(桃農家の春男)竹財輝之助(海辺のユウキくん)笹野高史(喫茶店の白石さん)佐々木すみ江(桃農家の絹さん)2008年・121分・日本配給 日活2023・11・20・no142・パルシネマ74!
2023.11.22
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三原光尋「高野豆腐店の春」パルシネマ パルシネマが企画した「父娘映画」2本立ての1本が「658km、陽子の旅」、で、もう1本が、この「高野豆腐店の春」でした。監督は三原光尋という方です。「陽子の旅」の熊切和嘉監督のちょうど10歳年長で、同じ大阪芸大出身のかたのようです。 映画の冒頭に、まず、紺のジャンパーに白い前掛けの高野辰雄さん(藤竜也)が水に浸けた大豆の水を切りながら、おそらく、蒸して豆摺りをする機械に入れる作業をしているところに、同じく白い作業着の娘の春さん(麻生久美子)が入ってきて「お早うございます。今日もよろしくお願いします。」 と挨拶をするシーンから映画が始まりました。このシーンがとてもいいなあと思ったんですね。で、その様子を見ていて、普段なら、あくびが出そうなホームドラマなのですが、なんとなく納得して、終始、寛ぎながらノンビリと映画を見終えました。まあ、そういう映画でした(笑)。 そろそろ、本気で体にガタがき始めてはいるのですが、相変わらず、頑固一徹な豆腐屋と、所謂「出戻り」で、父の仕事を律儀に手伝う看板娘、とはいえ、しかし、まあ、さすがに40歳は超えているだろうという娘の、父と娘の物語でした。で、舞台は、あの尾道です。なかなかな設定ですよね。 尾道を舞台に、頑固ジジイの辰雄の老いらくの恋と、春の再婚話がコメディタッチで重ねられて話は進み、無事、ハッピーエンドを迎えますが、ノンビリ見ていて驚いたことは、実はこの映画は「ヒロシマ」を描いた作品だったということでした。 映画の中で、辰雄は「あの雲を疎開先で見た。」という言葉を口にしますが、そうであるならば、2015年くらいがこの映画の現在であるとして、主人公の辰雄とその恋人は優に80歳を超えている年齢なわけで、さすがに、そのことに気づいて驚きましたが、同時に、三原光尋という、1964年生まれの監督が、2023年の、今、「ヒロシマ」を描くという勇気にも驚きました。 ただ、その結果、映画の筋運びが冗長になったことは確かで、いろいろ盛りすぎて、且つ、コテコテの笑いが、ノンビリ見ているボクでさえだるいのが難点でしたね(笑)。 辰雄と春が、毎朝、作業を終えて豆乳を飲むシーン、二人で体操をするシーン、ラストシーンで、もう一度、朝の豆腐作りが繰り返され、そこで、辰雄が口にするセリフ、まあ、ありきたりといえばありきたりなのですが、生活するということが「ありきたり」を繰り返すことだという真実を描いているともいえるとボクは思いました。 藤竜也を主人公として見るのは、なんと、あの「愛のコリーダ」とか、「愛の亡霊」とか以来ですが、彼は今年、なんと、82歳なのですね。だから、実年齢通りの役を演じていらっしゃったわけで、ちょっとびっくりでした。アクションまであるのですよ(笑)。もちろん、拍手!ですね。 相手役の中村久美さんも、春役の麻生久美子さんも素直な演技で拍手!でしたね。監督・脚本 三原光尋撮影 鈴木周一郎編集 村上雅樹音楽 谷口尚久エンディングテーマ エディ藩キャスト藤竜也(高野辰雄)麻生久美子(高野春)中村久美(中野ふみえ)徳井優(金森繁)山田雅人(横山健介)日向丈(山田寛太)竹内都子(金森早苗)菅原大吉(鈴木一歩)桂やまと(西田道夫)黒河内りく(田代奈緒)小林且弥(村上ショーン務)赤間麻里子(坂下美野里)宮坂ひろし(坂下豪志)2023年・120分・G・日本配給 東京テアトル2023・11・17・no141・パルシネマ73!
2023.11.19
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熊切和嘉「658km、陽子の旅」 パルシネマ 熊切和嘉監督の最新作、「658km、陽子の旅」を見ました。パルシネマが企画した「父娘映画」2本立ての1本でした。もう1本が「高野豆腐店の春」です。 両方とも、シネ・リーブルでの封切りが今年(2023年)の夏でした。その時、どうしようかなと考えたのですが、なんとなくパスしました。特に「陽子の旅」は、チョット贔屓にしている熊切監督の作品なので、かなり惹かれましたが、予告編を見て、「なんだかめんどくさそう・・・」 だったので躊躇しました。で、秋になって、早速のパルシネマ企画です。これは見ないわけにはいきませんというわけで、ホイホイやって来ました。 で、映画は始まりました。カーテンを閉めた暗い部屋で、パソコンのトラブルに舌打ちしたり、通販の荷物を受け取り、部屋に運び込みながらスマホを壊したり、ベッドでユー・チューブか何か見ながら寝てしまったりの女性が映っていました。この方が陽子(菊地凛子)さんらしいですね。 なんとなく、どこかで見覚えのあるお顔なんですが、よく知りません。で、なぜだかわかりませんが、ボクは、そのシーンで、白けてしまったのですね。 そこから従弟の竹原ピストルくんがやって来て、父親の死を知らせ、まずは彼の自動車で東京から青森に向かう、まあ、ロード・ムービーが始まるのですが、なんとなくノレませんでしたね。 見ながらよかったのは、たぶん弘前の山とか、おそらく、福島でしょうね、その堤防から見える海とか、時々俯瞰で挿入される高速道路とか被災地の風景、それから登場人物では、ヒッチハイクをしている、まあ、陽子と行きずりで出逢う少女見上愛が、その身の上について「いってもなあ・・・」 と言い切った、時の表情とその一言とか、被災地の老夫婦を演じた風吹ジュンの笑顔でしたね。まあ、ボクの好みですが。 菊地凛子さんが陽子を熱演していたことは認めますが、いいと感じたのは寝顔だけでした。結局、彼女自身に心情を語らせないと映画が成り立っていないのが、熱演を帳消しにしてしまった印象が残りました。 彼女が波をかぶる海辺のシーンも、時々登場する彼女の父親、オダギリジョーくんの幻影も、インチキ野郎との濡れ場も、上滑りしている印象しか残りませんでしたね。 物語を語るために、何が必要なのかというところで、ボクがズレているのかもしれませんが、映画の作り手は、現実の社会と、そこで生きている陽子の内面(?)について、リアル(?)な行為のシーンや、象徴的な夢や幻覚のシーンが必要だと考えておられるのだということが、透けて見えてしまうのがこの映画のつまらなさだと感じました。 たとえば、老夫婦との別れのシーンで、陽子が二人と手を握り合う美しいシーンがあるのですが、その後、やっとのことでたどり着くはずの葬儀場で、彼女がどんなふうに父親の遺体と出会うのかということを、あのシーンで暗示しているつもりで映画が作られているとすれば、陽子の「父との葛藤(?)」の深さに映画は届いていないとボクは考えますが、さすが熊切和嘉ですね、出会わせませんでした。語れないことは語らない! まあ、そういう覚悟のようなものを失って「わかりやすい」ことを求めているかの様相を呈している、今の日本映画を覆っている退廃現象の、なんとか、一歩手前で、ラスト・シーンになって、ようやく、踏みとどまったかに見える熊切和嘉には、「まあ、ぎりぎり、こらえたろ(笑)」 の拍手!でしたね(笑)。 ボクは、この監督に、わけのわからない無言のシーンや風景描写の美しさを期待しているのですが、むずかしいようですね(笑)。監督 熊切和嘉原案 室井孝介脚本 室井孝介 浪子想撮影 小林拓編集 堀善介音楽 ジム・オルークキャスト菊地凛子(工藤陽子)竹原ピストル(工藤茂・従弟)黒沢あすか(立花久美子・最初に乗せてくれた人)見上愛(小野田リサ・行きずりの少女)浜野謙太(若宮修・インチキ野郎)仁村紗和(八尾麻衣子・被災地で暮らす姫路の女性)篠原篤(水野隆太・黙って乗せてくれた人)吉澤健(木下登・被災地の老人)風吹ジュン(木下静江・登の妻)オダギリジョー(工藤昭政・父の幻影)2022年・113分・G・日本2023・11・17・no140・パルシネマ72まt!
2023.11.18
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クリスチャン・カリオン「パリタクシー」パルシネマ パルシネマのタクシー映画二本立ての二本目でした。もう1本がジャームッシュ監督の「ナイト・オン・ザ・プラネット」で、それを見たあとに続けてみたものですから、なんとなく「つづき」というか、もう1本、パリを舞台にしたジャームッシュを見ているような、変な気分で見始めました。 何というか、見終えての比較でいえば、ジャームッシュの才気あふれる作品に並べられると、カリオンという監督が、いかにも素直というか、素朴なのですが、チョット見劣りする気がしました。しかし、才気や新しさは感じませんでしたが、とても後味のいい作品でした。一人ぼっちの老婦人とうだつの上がらない中年男の出会いと別れのお話でしたが、かなり好感を持ちました。 90歳をこえた一人暮らしのマドレーヌさん(リーヌ・ルノー)が、いよいよ一人暮らしをあきらめなければならない境遇になって、老人介護施設にお引っ越しという、その日、タクシーを呼びます。呼ばれてやって来たタクシーの運っちゃんシャルル(ダニー・ブーン)は、金欠と免停、ついでに家庭の危機のなかで、イライラの絶頂です。不機嫌な老婦人と、これまた、不機嫌な中年男との出合いで始まる映画でした。 まあ、どうなることか? で始めて、メデタシ!メデタシ! で終わる定型なのですが、結局、このお二人、リーヌ・ルノーという人も、ダニー・ブーンという人もフランスでは誰でも知っている歌い手さんとコメディアンらしいのですが、このお二人の雰囲気がいいのですね。とてもいい後味で見終えました。 90年という、波乱万丈とはいえ、堂々たるとはいえ、始まりから今日まで、文字通り孤独な人生を、文字通り一人で歩いてきた女性が、しがないタクシー運転手に心を開く機微が、パリ名所見物というべき風景を時間旅行の様に通り抜けながら、他人同士が背を向けて座っている狭い車内で、視線の演技として繰り広げられていく二人芝居でした。 人が人と出会うことの暖かさを、素直に描いていて、お二人に拍手!でした。 まあ、好き好きですが、こういう話、ボクは好きですね(笑)。監督 クリスチャン・カリオン脚本 シリル・ジェリー クリスチャン・カリオン撮影 ピエール・コットロー編集 ロイック・ラレマン音楽 フィリップ・ロンビキャストリーヌ・ルノー(マドレーヌ)ダニー・ブーン(シャルル)アリス・イザーズジェレミー・ラユルトグウェンドリーヌ・アモン2022年・91分・G・フランス原題「Une belle course」2023・11・07・no138・パルシネマno71!
2023.11.09
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ジム・ジャームッシュ「ナイト・オン・ザ・プラネット」パルシネマ パルシネマのタクシー映画二本立ての1本目はジム・ジャームッシュ監督の1991年の作品で「ナイト・オン・ザ・プラネット」でした。数年前にシネ・リーブルの特集で見て感想を書きました。今回、自分の書いた、その時の感想を読み直しましたがアホなことをやっていますね。というわけ、今回のお目当ては二本目の「パリタクシー」なのですが、せっかくなので、両方見ようとやって来ました。 映画館の前のポスターを見ていて、「なんか変だな?」と思いました。上のポスターですが、ハンドルのところに写っているのが運転手のコーキー役のウィノナ・ライダーなのですが、イメージと違って妙に老けて写っていて、往年の松岡きっこさんとかいうタレントさんのように見えたことにひっかかったんです。「こんな顔やったかなあ?」 と、しげしげと見入っていて、後ろの座席に座っている女性が、ジーナ・ローランズだと気付いてびっくりしました。実際のポースターもぼやけている野にです。昨年から、カサヴェテス映画の彼女を繰り返し見たせいですね。「へぇー、ジーナ・ローランズが出てたんや!」 で終わりでしたけど、こうやって映画館をウロウロしてると、ボクでもそういうことに気づくようになるんですね(笑)。 で、ウィノナ・ライダーの方は、映画を見ながら再確認しました。「な、やっぱり、もっと若いやんな。まあ、それにしてもようタバコ吸うなあ。」 ロサンゼルスからヘルシンキまで、それぞれ、バカバカしいっちゃあバカバカしいのですが、おもしろいですねえ。それにしても、ローマのジーノ君、あんなところに、神父さん、ほっぽらかしてしまって大丈夫なのですかね(笑)。いや、ホント、ようやるわ! ですね(笑)。それにしても、もう、30年以上も昔の映画なのですね。そのことが、一番不思議な気がしますね。いや、ホント。(笑)監督・脚本 ジム・ジャームッシュ撮影 フレデリック・エルムス編集 ジェイ・ラビノウィッツ音楽 トム・ウェイツキャストロサンゼルスウィノナ・ライダー(運転手コーキー)ジーナ・ローランズ(ヴィクトリア)ニューヨークアーミン・ミューラー=スタール(運転手ヘルムート・グロッケンバーガー)ジャンカルロ・エスポジート(ヨーヨー)ロージー・ペレス(アンジェラ)パリイザック・ド・バンコレ(運転手)ベアトリス・ダル(盲目の女性)ローマロベルト・ベニーニ(運転手ジーノ)パオロ・ボナチェリ(神父)ヘルシンキマッティ・ペロンパー(運転手ミカ)カリ・ヴァーナネン(客)サカリ・クオスマネン(客)トミ・サルミラジャンカルロ・エスポジート(客アキ)1991年・129分・アメリカ原題「Night on Earth」2023・11・07・no137・パルシネマno70!
2023.11.08
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渡辺一貴「岸部露伴 ルーヴルへ行く」パルシネマ パルシネマのマンガネタ2本立ての1本は「ピンポン」でしたが、もう1本は、2023年、今年の夏(?)だったと思いますが、封切り当時、結構、評判だった渡辺一貴「岸部露伴 ルーヴルへ行く」でした。 荒木飛呂彦という人のマンガは絵柄がついていけないので読んでいませんし、NHKだかで実写のテレビ・ドラマ化した、まあ、その続きらしいのですが、テレビは全く見ないので、これも知りません。ようするに、はじめてお目にかかったわけですが、マア、はっきりいって白けました(笑)。 「黒」という色をテーマにして、「絵画」とか「ルーヴル美術館」、「江戸の絵師」とかをくりだしての、まあ、ボクの目には、上から目線のうんちく映画だったのですが、模写による贋作作りとか、檜の樹液の黒い顔料だとか、マンガだから、まあ、仕方がないかなと思ってみていましたが、とどのつまりにフェルメールの謎の実作を登場させて、岸部露伴君(高橋一生)が、「真作だ!」とのたまうに至って、座席からずり落ちて(落ちてませんけど)しまいました(笑)。 持ち出したのがフェルメールというあざとさも「ちょっと、あんたらねえら・・・」 なのですが、「黒」という色の、他の色との違いのうんちくに始まって、映画に、見ている人の常識をこバカにした態度が漂っているのですよね。そういえば、似たような音楽映画を見たような気がしますが、「リアリティー」とかいうセリフを連呼するこけおどし的・超絶能力の主人公を造型する発想に、ある種の大衆蔑視を感じるのは、老人の僻みなのでしょうかね(笑)。マンガなら気にならないのですが、実写の映像には、そこに、たとえば、高橋一生の顔があるわけで、引っかかってしまうのですね。 もう、終わりかなと思っていると、あにはからんや、主人公のナレーション的な謎ときが延々と続いて、「ああ、テレビやな…」 という、まあ、勝手な偏見に浸っていると、エンドロールで、白石加代子の名前に気づいて「ああ、やっぱり、そうでしたか、お元気そうで何よりです(笑)」 と、こっそり手を叩いて、その後、音楽が菊地成孔だったことを発見して、まあ、ボクはこの人の音楽論(?)にはまったことがあるのですが、本でしか知らない人の音を初めて耳にしたのがうれしくて、「うん、あんたの音はよかったで!」 とか何とかつぶやいていると、場内が明るくなりました。 こてこて作り上げた、現代映画に辟易して、20年前の単純素朴にカンドーしちゃってるのは、やっぱり年のせいですかね。なんだか、さびしい新開地本通りの夕暮れでした。秋ですねえぇ!監督 渡辺一貴原作 荒木飛呂彦脚本 小林靖子撮影 山本周平 田島茂編集 鈴木翔音楽 菊地成孔 新音楽制作工房キャスト高橋一生(岸辺露伴)飯豊まりえ(泉京香)長尾謙杜(岸辺露伴・青年期)白石加代子(おばさん)木村文乃(奈々瀬)2023年・118分・G・日本2023・10・23・no128・パルシネマno69!
2023.10.25
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曽利文彦「ピンポン」パルシネマ パルシネマの2本立てです。もう1本は岸部露伴でした。マンガが原作の映画セットですね。松本大洋のマンガに、この年になってハマっていますが、彼のマンガに登場する独特なキャラクターとか、空間を超越したような動きが実写ではどんなふうになるのか、そこが見たくてやって来ました。見たのは曽利文彦監督の「ピンポン」です。20年前の作品です。「I Can Fly!」「You Can Fly!」 映画が始まって、おばかなK察官(松尾スズキ)に励まされて、窪塚洋介君がいきなり空を飛びました。 で、ボクは思わず泣いてしまいました。うれし泣きです(笑)。アホですね。でも、ヒーローは空を飛ぶのです。窪塚君、その後の実生活でも空を飛んだような気がしますが(笑)、元気なのでしょうかね。 松本大洋のマンガの登場人物たちは、時々空を飛んだりしますが、我々凡人は、残念ながら空は飛べません。ペコくん(窪塚洋介)が空を飛ぶシーンを見て、涙を流すことができるだけです。スマイルくん(井浦新)もドラゴンくん(中村獅童)も、ああ、それからチャイナくん(サム・リー)とかアクマくん(大倉孝二)とかも、空を飛べるペコくんが大好きで、見ている69歳の老人のように、思わず涙を流したりせずに、拍手するのです。だって、空を飛んでいるのはヒーローなんですから。 ヒーロー見参! シンプル、且つ、シンプル、あくまでも単純にヒーロー誕生の物語が繰り広げられ、少年たちはみんな拍手して(しませんけど)ヒーローを称えるのです。松本大洋の世界を飛び越えて映画の世界に飛び込むのです。そのあたりに、脚本を書いた宮藤勘九郎のセンスが光っているのです。それでいいのだぁ! まあ、ヒーローになるための石段上りとか、妙に現実的な鍛え方が、実写ならではで笑えますが、ドラ ゴンボールなら亀仙人かカリン様の役まわりのオババを演じる夏木マリが、エッというほどお若い(笑)とか、この人といえばという、毎度のクサイ演技炸裂の竹中直人とか、もう、なつかしいというか、なんというか笑うしかなかったですね(笑)。 ああ、そういえば、最近見た福田村事件で苦悩する中年男(?)だった井浦新が、まあ、若いのなんのって! なのに、キャラはおんなじ印象で、ルービック・キューブかなんかをいじりながらヒーローを待ち続ける、実は天才カットマンなのだをやっていたのも笑えました。 こんな時代があったなあ、と、まあ、しみじみ拍手!でした。 しかし、染谷將太と石野真子が出ていたようなのですが、どこにいたんですかね?染谷君、まさか、子役?気づかなかったですねえ(笑)。監督 曽利文彦原作 松本大洋脚本 宮藤官九郎窪塚洋介(星野裕ペコ)井浦新(月本誠スマイル)サム・リー(孔文革チャイナ)中村獅童(風間竜一ドラゴン)大倉孝二(佐久間学アクマ)荒川良々(太田キャプテン)松尾スズキ(警官)夏木マリオ(ババ)竹中直人(小泉丈)染谷将太石野真子2002年・114分・日本2023・10・23・no127・パルシネマno68!
2023.10.23
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マイケル・モリス「トゥ・レスリー」パルシネマ 「アフターサン」との2本立ての、もう1本はマイケル・モリスという監督の「トゥ・レスリー」という作品でした。 ロトという宝くじが、日本にもありますが、子持ちのシングル・マザーだったレスリー(アンドレア・ライズボロー)という女性が大当たりをひいたというのが、映画の前提で、くじで手に入れた19万ドルというあぶく銭のせいで、酒浸りの生活で、無一文、とうとう、住んでいたアパートから追い出されるシーンから映画は始まりました。 すべてを失ったらしいレスリーが頼るのは、息子のジェームズですが、彼はレスリーが生活を失っていく過程で捨てられた息子です。ジェームス自身は、まだ10代のようですが、建築現場の作業員として自活しています。ジェームスは、まあ、息子ですから、行き場を失って転がり込んできた母親レスリーを受け入れようとしますが、息子と暮らし始めても、息子にも禁じられた酒が、やはり、やめられない母親を、結局、追い出さざるを得ないのが、見ているこっちにもよくわかる展開で追い出します。 で、レスリーは住んでいた町にUターンするのですが、このままではうまくいかないでしょうね。見ているこっちも疲れるのですが、レスリー役のアンドレア・ライズボローの演技は、まあ、チラシの写真にも写っていますが一見の価値があります。自暴自棄とか、下品とか、だらしがないとか、その境遇に陥って、酒にすがるほか生きていくすべを思いつかない人間、それも女性の顔や姿態の醜態を、これでもかといわんばかりに演じています。見ていて、正直、うんざりします(笑) ウンザリしながらですが、彼女が身を持ち崩すことになった19万ドルという金額が、日本円に換算すると、2000万円くらいだと気づいて、唖然としました。なんという貧しさでしょう! もちろん、ボク自身にとって、2000万円という金額は大金です。そんな金はどこにもありません。あれば、うれしいに決まっています。しかし、何とか生き延びていく生活の未来を見失う額だとはとても思えません。にもかかわらず、現代アメリカを生きている一人の女性が何とか生き延びていく道を見失っている姿が、かなりなリアリティーで、目の前に描かれているのです。これを、貧しさといわずに、何といえばいいのでしょう。他人ごとではありません。おそらく、現代日本だって、この貧しさを共有しているに違いありません。 映画は、スウィーニーとロイヤルという二人の人間との出会いによって、レスリー自身の自己肯定の意思、すなわち、酒をやめる意思が芽生えてくることで、ホッとする結末を迎えます。見ている誰かを励ますに違いないヒューマン・ドラマの結末というわけです。 しかし、ボクは納得がいきませんでした。レスリーが酒におぼれたのは彼女の個人的な問題でしょうか。レスリーが生きている、イヤ、ボクもそこで生きている、現代社会に充満している「貧しさ」について、この映画はどうして問いかけないのでしょう。 レスリーの回復の過程でクローズアップされるのは「自己決定」の意思の芽生えだったといっていいと思いますが、その、心温まるシーンでの、アンドレア・ライズボローが初めて見せる美しい表情を見ながら、「自己責任」という嘘くさい流行言葉が浮かんできてしまったのですが、どうしたらいいのでしょうね(笑)。 ぶつくさ文句を言っていますが、何度もいうようにアンドレア・ライズボローという女優さんは、なかなかでした。拍手!ですね。しかし、マイケル・モリスという監督さんには???でした。やはり、チョット、突っ込み不足で、納得がいきませんね(笑)。監督 マイケル・モリス脚本 ライアン・ビナコ撮影 ラーキン・サイプル美術 エマ・ローズ・ミード衣装 ナンシー・セオ編集 クリス・マケイレブ音楽 リンダ・ペリー音楽監修 バック・デイモンキャストアンドレア・ライズボロー(レスリー 母)オーウェン・ティーグ(ジェームズ 息子)スティーブン・ルート(ダッチ)アリソン・ジャネイ(ナンシー)マーク・マロン(スウィーニー)アンドレ・ロヨ(ロイヤル)2022年・119分・G・アメリカ原題「To Leslie」2023・10・03・no122・パルシネマno67 !
2023.10.07
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シャーロット・ウェルズ「アフターサン」パルシネマ パルシネマが今週(2023年・10月・第1週)「アフターサン」と「トゥ・レスリー」という二本立てのプログラムを組んでいました。2本とも封切で見損ねていたので、何の気なしにやって来ました。 見ていて、プログラムの意図に気づいて笑いました。共通する鍵言葉は「親子」だったんです。もっとも、それに気づいたのは2本目の「トゥ・レスリー」を見終えようとするあたりでしたから、自慢になるわけではありません。 で、1本目が「アフターサン」です。「アフター」と「サン」のあいだがあいている二つの言葉かなとか、もの知らずなシマクマ君はそんなことをを考えながら見ていたのですが、日焼け止めという意味なのですね。「あのね、アフターシェーブローションをアフターシェーブというようなものよ。」「ああ、そう?」「で、おもしろかったの?」「うーん、微妙。」 帰宅して、同居人に教えられて納得しました。さて、面白かったんでしょうか? 館内が暗くなると、画面には「ビデオを再生してますよ」的なごちゃごちゃした映像が映り、やがてノーマルな画面になって、父カラム(ポール・メスカル)と娘のソフィ(フランキー・コリオ)という二人が、トルコか、そのあたりらしいリゾート・ホテルにやって来て、最初は、部屋にベッドがないという苦情のシーンで始まりますが、やがて、プールの傍に寝転がっている娘の背中に、父親が「アフターサン」を塗るシーンとかがあって、なんで、日焼け止めクリームを塗るシーンがわざわざ、それも繰り返し映るのかわからないシマクマ君はポカーン! 父親と母親は離婚しているようで、いつもは母親と暮らしているらしい、で、11歳ですから、小学生の娘が、まあ、夏休みを利用して、父親とすごすためにリゾートにやって来て、数日過ごすという話のようです。だから、まあ、父親がスキン・シップしたがっているのであろうか、と見ていると、今度はハンディのビデオカメラをとりだして、娘の様子を写したり、娘がそれで父親を写したりします。で、その映像の再生画面を誰かが見ているというお話の仕組みのようです。フーンそうか。 まあ、そんな感じ見ていると、ビデオを見ているのが、実は、ビデオの中で父親と一緒にいるソフィ自身で、あの時から20年の歳月が流れていて、ビデオのなかの父親と同じ年になっていることが、まあ、わかっていきます。 ビデオを見ている31歳のソフィには、赤ん坊がいるらしいのですが、同じベッドで寝ているのは女性です。再生している部屋には、あの時、金のない父親カラムがためらいながら買った、かなり高額な絨毯が敷かれています。なぜ、あの絨毯がそこにあるのでしょうね。だいたい、ビデオカメラは、バカンスが終わって二人が別れるときに父親が持っていたはずですから、ビデオを再生しているという、「映画の現在」に、ソフィがそれを見ているということにも、絨毯が彼女の部屋にあることと共通した、何かわけがあるはずです。 そのあたりが、一切説明されないのが、この映画の特徴ですね。で、ソフィが見ているビデオの画像が「映画」なのかというと、実は、それも曖昧で、映画館でボクが見ているのは、二人以外によってしか撮ることが出来ないシーンが、実は、ほとんどなのです。 今、31歳のソフィが見ているのは、父親か、彼女自身によって撮られた、互いの姿以外ではありえません。それに対して、観客のボクは、今、ビデオを見ている31歳のソフィの不機嫌な表情と、11歳だった彼女の前では明るかった31歳の父親カラムが、実は、かなり深刻な精神状態であることを暗示する複数のシーンを見ているわけです。 いったい、何を見ればいいのでしょう?💦💦 だから、まあ、受け取ればいいんですかねという困惑のなかで、やっぱりポカーン! なのでした(笑)。 おそらくヒントの一つは、31歳のソフィのベッドにいる、もう一人が女性であることと、時折、フラッシュバックの映像のように挿入された、父親カラムが踊っているらしいダンスホールのシーンで流れるUnder Pressureという曲ですね。フレディ・マーキュリーとデヴィッド・ボウイの歌です。 空港でソフィと別れて、ビデオ・カメラをリュックに仕舞って、向こうのドアに向かって廊下を歩くカラムの後姿が消えてゆくドアの向こうに暗いダンスホールが、ほんの一瞬ですが映るんです。でも、こんなの、ふつう気づきませんよね。 まあ、気付こうが気付かなかろうが、ボクにはそのあたりにビビッド(笑)に感応できる下地がありませんから、やっぱりポカーン! でした。 ただ、ほかのシーンですが、二人が眺めていた海面に水中の魚影か!? まあ、そんなふうに勘違いするような、空中のハングライダーの影が映っていたシーンなんかを思い出して「父と娘」の、届かない「愛(?)」の幻影に思いをはせるばかりでしたね。 題名の「アフターサン」=「日焼け止め」もそうですが、少々、思いれ過剰で、めんどくさいと思いましたが、シャーロット・ウェルズという監督の名前は覚えそうです。拍手! それから、11歳の少女を演じたフランキー・コリオちゃんですね。よく頑張りました(笑)。拍手!監督 シャーロット・ウェルズ脚本 シャーロット・ウェルズ撮影 グレゴリー・オーク編集 ブレア・マクレンドン音楽 オリバー・コーツキャストポール・メスカル(カラム 父)フランキー・コリオ(ソフィー 娘)セリア・ローソン=ホール(20年後のソフィー)2022年・101分・G・アメリカ原題「Aftersun」2023・10・03・no121・パルシネマno66!
2023.10.06
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小津安二郎「お早う」パルシネマ パルシネマが小津安二郎の「お早う」とヴィム・ヴェンダースの「パリ、テキサス」という2本立てをやっていました。 なんか、笑いだしそうなプログラムですが、笑っている場合ではありません。SCC、シマクマシネマクラブの第10回例会です。 「覇王別姫」を見た前回の第9回では「監督の人間性を疑わせる悲惨なシーンが見るに堪えない!」と否定されてしまったわけで、一応、案内人のシマクマ君はかなりうろたえています。「なかなか、あたり!の作品には出逢えないものですね(笑)」とかともおっしゃっるのですが、それを聞いているシマクマ君は、満塁のピンチに、どこに投げたらストライクなのか、マウンド上で立ちすくむノーコン投手の気分です(笑)。 で、お誘いしたのが「お早う」と「パリ、テキサス」でした。どうだ、文句あるか! なかなかないセットのプログラムで、パルシネマもやってくれるじゃないかと思ったんですが・・・。 というわけで、今回は、まず、「お早う」編です。「いかが、でしたか?」「うーん、これって、いい映画なのですか?」「ははは、吉本新喜劇ばりの小津ダイコン劇場だったでしょ。」「そうですね。これって吉本新喜劇なんですか。」「さあ、新喜劇かどうか、それはわかりません。でも、例えば、笠智衆って、見た目、何にも演技しない、あるいはできないんですが、寅さん映画の時の御前さまの役だって『トラはいるか?』とか何とか、彼にしか言えないイントネーションというかでしゃべるだけでしょ。そのあたりどう思われます?」「小津のロー・アングルとか、見てて分かりましたけど。場面は作り物にしか見えないし、俳優たちの所作は、おっしゃる通り、ダイコンというか、なんだかわざとらしいし、セリフの口調は教科書みたいだし。なんだかなあですね。」 どうも、またもやハズレだったようで、会話が途切れてしまいました。 というわけで、ここからは、やっぱり独り言ですね。まあ、誰に語り掛けているのかわからない語りですがご容赦いただいて、喋ります。 何というか、小津というと、という感じでアングルの話とか出てましたけど、カメラの位置や角度が映画のシーンを見る人間にどんな印象を与えて、どういう表現を受け取るのかなんてことは、正直なところボクにはよくわかっていません(笑)。まあ、そういう所に小津なら小津の作品の特質を見たいのであれば、彼の作品を10本くらいご覧になって、共通するものが何かということに納得されての話じゃないでしょうか。 ダイコン劇場って揶揄したようなことをボクはいいましたが、構図へのこだわりがこの監督の特徴の一つで、登場人物たちがとまってしまうような印象をボクは持つのわけですが、ビビッドな動きが印象的な黒沢明の画面なんかと比べて、ダイコン畑のようになるんですね。もちろん黒沢の画面だって構図ですよね、映画なのですから。でも、、何というのでしょうか、登場人物がはみださない印象の小津の画面って、やっぱり独特なんですね。演出風景を想像するとこんな感じですね(もちろん、ボクの思いつきのデタラメですよ(笑))。「あのーここに座っていればいいんですか?」「そう、顔上げて。」「このシーンで顔をあげるのは?」「いいの、で、チョット、カメラと反対の遠くを見て。」「えっ?相手じゃなくて?」「そう、それでいい。」 だから、この映画でも、子役たちはともかく、杉村春子とか三宅邦子とか、名うての芸達者なはずなのですが、突っ立っている印象で、眼と口の動きだけのように見えるのですね。とても、中学生の母親には見えません。 登場人物たちの暮らす住宅の様子や、まあ、堤防の上を歩く子供たちのやりとりのパターン化の印象も、多分その「構図」の強調あたりに原因がある気がします。 しかし、だから、つまらないのかというと、なかなか簡単にはいえないところが、小津映画なのですね(笑)。 あの日、ボクは家に帰って、まあ、いつものように同居人に「お早う」という映画の様子を説明し始めて、驚きました。次から次へとシーンが浮かんでくるんです。 たとえば、兄弟二人がお櫃を持ち出して、近所の土手に、並んで座って、手づかみでご飯を食べながら「おいしいね」といったり、薬缶のふたでお茶を飲みながら、「おかずを持ってくればよかったね」とか何とかいい合うシーンだけでも、ボク自身の子ども時代の体験や、我が家の愉快な仲間たちの子ども時代の思い出まで引き合いに出して、どんどんおしゃべりになっていって、聞いてる同居人をあきれさせたのですが、その、ボクのなかに勝手に湧いてくる「豊かさ」はどこからくるのでしょうね。 漱石だったかが「I LOVE YOU」というセリフは「月がキレイですね」と訳すんだといったという話をどこかで聞いたか、読んだかしたことがありますが、この映画の最後のプラット・ホームでのシーンで佐田啓二が久我美子に「天気がいいですね。」とか何とか、陳腐なセリフをいいますが、漱石の指摘した含意が、あのシーンのセリフだけじゃなくて、映像全体に充満しているといってもいいかもしれませんね。 見ているこっちが、勝手に、しかし、いつの間にか、受け取っているんですね。そう考えてみれば「お早う」という題名も、「男はいらんことをいうな」という父親のセリフも、中学生の実君の「大人はいらんことばかりいっている」というセリフも、小津映画的には、相当、意味深ということになりそうですね。 同じ日の2本立てで「パリ、テキサス」を見たヴェンダースが笠智衆を撮った「東京画」というドキュメンタリーを見たときに驚いたのですが、笠智衆って、口調とか抑揚とか、普通の老人として話せるのですね。その笠智衆が、小津映画ではワン・パターンの置物化するのは何故かということですね。ねっ、深いでしょ? 今日見た「お早う」なんて、小津の作品群では、それほど評価の高い作品ではないと思いますが、思いがけなく面白かったというか、ボクは納得でしたね。映画の感想では、きいたふうなことはいわないでおくというのが、ボクなりの心構え(?)のつもりなのですが、なんか、調子に乗ってしゃべってしまいましたね(笑)。まあ、ということで、独り言を終えたいと思います(笑)。 監督 小津安二郎 脚本 野田高梧 小津安二郎撮影 厚田雄春美術 浜田辰雄音楽 黛敏郎編集 浜村義康キャスト笠智衆(林啓太郎・民子の夫)三宅邦子(林民子・啓太郎の妻)設楽幸嗣(林実・兄・中学生)島津雅彦(林勇・弟・小学生)久我美子(有田節子・林家同居・民子の妹)三好栄子(原田みつ江・きく江の母)田中春男(原田辰造・夫)杉村春子(原田きく江・妻)白田肇(原田幸造・中学生)竹田浩一(大久保善之助・夫)高橋とよ(大久保しげ・妻)藤木満寿夫(大久保善一)東野英治郎(富沢汎・職探しの夫)長岡輝子(富沢とよ子・妻)大泉滉(丸山明・テレビを持っている近所の人)泉京子(丸山みどり・明の妻)佐田啓二(福井平一郎・失業中)沢村貞子(福井加代子・自動車のセールスウーマン)殿山泰司(押売りの男)佐竹明夫(防犯ベルの男)桜むつ子(おでん屋の女房)1959年・94分・日本配給 松竹劇場公開日:1959年5月12日2023・09・25・no118・パルシネマno64・SCC第10回!
2023.10.05
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パトリス・ルコント「仕立て屋の恋」 先日、「メグレと若い女の死」という新しい作品をパルシネマで見ながら、パトリス・ルコントという、今では高齢の監督に興味を持ちました。 さすが、パルシネマ! 「夜パル」という企画で「仕立て屋の恋」という、ルコント監督の、1989年らしいですが、古い作品を、ほぼ、同時期にやってくれていて、午後8時45分上映開始で、終わるのは10時過ぎでという時間設定が問題なのですが、まあ、仕方ありません。やって来ました。パトリス・ルコント監督、「仕立て屋の恋」です。 殺された若い女性の死体が横たえられた姿が映り、頭の禿げあがった中年男が、明りを消した部屋の窓から、通りを隔てて正面にある、隣のアパートの明るい部屋で、下着になってくつろいでいる若い女性の姿態をじっと見ているシーンへと画面が変わります。この辺りで、もうドキドキです。 殺されたらしい、最初のシーンの女性と、男が覗いている若い女性が同じ人物なのだと思い込んで見ていましたが、やがて、その二人の女性は全くの別人だと気づいたあたりから物語の輪郭が浮かび始めました。 仕立て屋の男は、女性殺害事件の容疑者として疑われていて、くり返し警官に尋問されているのですが、アパートの部屋に戻ると覗かずにはいられないのが二人目の女性ですね。二人の女性は別人でした。 で、今、覗かれている女性アリスは、覗かれていることに気づかないまま、生活のすべてを、もちろん、部屋にやってくる男との情事も含めて、覗いている、今風い言えばストーカー男である仕立て屋イールに、すべてさらけ出しててしまっていたことが、この映画の肝でした。仕立て屋の男は何を見て、何を考えているのか。 先日のメグレと同じくジョルジュ・シムノンの推理小説が原作ですから、これ以上筋は追いません。しかし、「覗き男が見ていたものはなにか?」という「謎」を、殺人事件をめぐる「謎」をたて糸として「愛」の物語に仕立てたのは、原作者ジョルジュ・シムノンなのかもしれませんが、一人の孤独な男の哀切な破局を、静かな、しかし、圧倒的なエロスと死の物語として描いたのはパトリス・ルコントのお手柄というか、才能でしょうね。 傑作ですね。仕立て屋を演じたミシェル・ブラン、覗かれた女アリスを演じたサンドリーヌ・ボネールの二人の表情の演技の応酬、心理戦に拍手!拍手!、監督パトリス・ルコントも凄い!、拍手!。イヤハヤ、まったく、納得、満足、夜の映画の遊び時間でした(笑)。 で、余談ですが、女が覗かれていることに気づいた雷雨の夜、稲妻の光の中に、仕立て屋の部屋のガラス窓に男の姿が浮かび上がるのですが、その瞬間に思い出しました。アッ!この映画見たことある! ホント、人間の記憶ってどうなってるんでしょうね。そこから、後半のお話に対する。自分自身の呑み込みの良さに(当たり前ですが)、我ながらカンドー!でした。(笑)監督 パトリス・ルコント 製作 フィリップ・カルカソンヌ ルネ・クライトマン原作 ジョルジュ・シムノン脚本 パトリス・ルコント パトリック・ドゥボルフ撮影 ドニ・ルノワール美術 イバン・モシオン編集 ジョエル・アッシュ音楽 マイケル・ナイマンキャストミシェル・ブラン(イール:仕立て屋)サンドリーヌ・ボネール(アリス:恋人)リュック・テュイリエ(アリスの恋人)アンドレ・ウィルム(刑事)1989年・80分・フランス原題「Monsieur Hire」2023・08・01・no101・パルシネマno63
2023.08.02
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パトリス・ルコント「メグレと若い女の死」 三カ月ほど前にシネ・リーブルでポスターを見て思ったったんです。「そうそう、この探偵、この探偵!この探偵が見たい!」 で、なにを、どう勘違いしたのかリーアム・ニーソンのフィリップ・マーロウを見たのです。で、なんか、勘違いしていることに気づかないまま、その映画のフィリップ・マーロウにも、今一納得がいかないままだったのですが、パルシネマの予定表を見ながら思い出しました。「こっち!こっち!」 レイモンド・チャンドラーのマーロウにはまっていた40年ほど前、こちらは早川ミステリー文庫だけじゃなくて、河出文庫とかからもたくさん出ていて、読みました。 ジョルジュ・シムノンのメグレです。 身長180cm、体重100kgの大男、常に3本のパイプをいじっているパイプ・フェチ。お酒が好きで、食いしん坊、料理好きの奥さんは名前がルイーズ。たしか娘がいたんですが、幼い頃に亡くなっていて、どことなくなくさみしい二人暮らし。 まあ、そういう男なのですが、名探偵の常で、もちろん、偏屈もの。フランスではテレビドラマの人気者らしいのですが、ポスターの黒い影は、優男のマーロウとちがって、メグレは武骨でデカい、全くの別人なわけで、ボクは一体何を勘違いしていたんでしょうね(笑)。 で、やってきたのがジョルジュ・シムノン原作で監督がパトリス・スコットの新作、「Maigret」でした。邦題は「メグレと若い女の死」です。 納得でした(笑)。ジュール・メグレというベテラン警視のキャラクターを丁寧に描いている印象で、ジェラール・ドパルデューという巨漢の俳優も奥さんのルイーズを演じているアン・ロワレという女優さんもとてもいい味の作品でした。 幼くしてなくした娘さんと、目の前の事件で亡くなったり、田舎から出て来て壊れかけている、二人の若い女性が、武骨なメグレの中で重なっている様子が、実に哀切で優しく伝わってくる物語でした。パイプやビールに対するこだわりや、めんどくさい亭主を愛している奥さんの何気ない言葉もよかったですね。 メグレとルーズの夫婦に拍手!です。で、思ったのですが、この作品の監督は、かなりな手練れですね。テンポと人物描写が自然でリアルでした。拍手!ですね。 で、この日パルシネマで見たもう一本が「幻滅」というフランス映画だったのですが、その映画にジェラール・ドパルデューという俳優さんは出ていらっしゃったんですね。帰り道で、チラシやネットをいじりながらようやく気付くという迂闊さなのですが、イヤ、ホント、役者というのはやるもんですねえ。思えば、「幻滅」でもいいお芝居をしていらっしゃったんですが、、まあ、当たり前すぎるバカなことをいいますが、全く別人でした(笑)。 それから拍手したパトリス・ルコントという監督さん、「仕立て屋の恋」という作品で有名らしいのですが、ずーっと昔に見たことがあるような気がするのですが、気になります。 で、パルシネマは「夜パル」とかいう、終わるのが午後10時を過ぎるプログラムで、その映画をやっているんですね。最近、そういう夜遊びが億劫なので、決心がつかないのですが、たぶん、見るんじゃないかと思いますが、どうなることやらですね(笑)。監督 パトリス・ルコント製作 ジャン=ルイ・リビ原作 ジョルジュ・シムノン脚本 パトリス・ルコント ジェローム・トネール撮影 イブ・アンジェロ美術 ロイック・シャバノン衣装 アニー・ペリエ編集 ジョエル・アッシュ音楽 ブリュノ・クーレキャストジェラール・ドパルデュー(メグレ)アン・ロワレ(メグレの妻)クララ・アントゥーン(ルイーズ・ルヴィエール:死体の女性)ジャド・ラベスト(ベティ:万引きの女性)ピエール・モウレ(ローラン:ヴァロア夫人の息子)メラニー・ベルニエ(ジャニーヌ:ローランの婚約者)オーロール・クレマン(ヴァロア夫人)アンドレ・ウィルム(老人)エルベ・ピエール(解剖医)ベルトラン・ポンセ(メグレの主治医)エリザベート・ブールジーヌ(ダレスのレンタル屋)フィリップ・ドゥ・ジャネラン(裁判官)2022年・89分・G・フランス原題「Maigret」2023・07・26・no96・パルシネマno62
2023.07.28
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グザビエ・ジャノリ「幻滅」 この日はパルシネマで二本立てです。見たのはグザビエ・ジャノリという監督の「幻滅」です。一月ほど前にシネリーブルでやっていて、ちょっと気になっていましたが、なんとなくパスした一本です。 まあ、バルザックって苦手なんですね。冗長というか、作品によるのですが、ダルくなって読み続けられないんですね。原作の「幻滅」は20年ほど前に藤原書店が出した「バルザック・セレクション」で、鹿島茂とかの新訳の1冊、まあ、上・下本ですが、で出ていて、チャレンジした記憶はありますが、内容は全く覚えていません。 さて、映画です。原作がバルザックですから、まあ、映画も人間喜劇ということですね。始まった物語の舞台ですが、時代は19世紀の前半、日本だと江戸時代の末期、フランスなので、まあ、思いっきり大雑把に言えばナポレオンのあとですね。ようするに「近代社会」、「国民国家」の始まりの時代というわけです。 田舎町の印刷工の青年が、年老いた夫との満たされない生活をしている貴族の女性と禁断の恋に落ちます。 一応、時代劇なわけで、映し出される衣装とかの生活風俗、印刷技術なんか、結構面白いですね。平民の文学青年が「詩」を献上して貴族の女性と恋に落ちるなんていうのも、時代劇ならではなのでしょうね。 で、バルザックですからね、駆け落ちして、舞台がパリに移ります。二人が迷い込む世界は「貴族のサロン」、「劇場」、「新聞社」です。で、その三つの世界が「新聞」が報道する「記事」をめぐって、まあ、今風に言えばどんなふうに「炎上」するのかという展開で、「サロン」=旧来の政治権力、「劇場」=金権社会、「新聞記事」=フェイク情報と読み替えれば、映画は、そのままリアル現代劇の様相です。 「新聞」という新しいメディアをネタに小説を書いたバルザックが、旧来の価値観の底が抜けた新たな社会の到来のインチキを見破る慧眼の持ち主であったことに異論はありません。そこから現代という時代を批評的に描こうという、この映画のグザビエ・ジャノリ監督の意図のようなものも納得です。 ただ、なんとなく見ながら浮かんできたんです。 現在の眼から見れば、あの頃からの繰り返しの連続で、そこで失われたのが「純愛」とか「文学」とかだったと言われてもなあ・・・・。 時代という意味では、とても面白い舞台で、描かれている社会相は文学史のみならず、近代社会の成立ということを振り返る上でも興味深かった作品ですが、物語としては、まあ、そんな感想でしたね(笑)。 で、インチキ・ジャーナリズムの親玉役で、この日見た、もう1本で主役のメグレをやっているジェラール・ドパルデューが、打って変わって暑苦しい金の亡者のような役を好演していたのですが、メグレを見ながら、同じ俳優だとは気づきませんでしたね(笑)監督 グザビエ・ジャノリ原作 オノレ・ド・バルザック脚本 グザビエ・ジャノリ ジャック・フィエスキ撮影 クリストフ・ボーカルヌ美術 リトン・デュピール=クレモン衣装 ピエール=ジャン・ラロック編集 シリル・ナカシュキャストバンジャマン・ボワザン(リュシアン・ド・リュバンプレ)セシル・ドゥ・フランス(ルイーズ・ド・バルジュトン)バンサン・ラコスト(エティエンヌ・ルストー)グザビエ・ドラン(ナタン)サロメ・ドゥワルス(コラリー)ジャンヌ・バリバール(デスパール侯爵夫人)ジェラール・ドパルデュー(ドリア)アンドレ・マルコン(デュ・シャトレ男爵)2021年・149分・R15+・フランス原題「Illusions perdues」2023・07・26・no95・パルシネマno61
2023.07.26
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ウベルト・パゾリーニ「いつか君にもわかること」 封切で見損ねて、うーんと思っているとパルシネマが2本立てで並べてくれて、まあ、一日に2本見るのがしんどい歳ではあるのですが、「生きる」と、予告編から気になっていた本作、ウベルト・パゾリーニ監督の「いつか君にもわかること」なら仕方がないですね。 で、見終えて思いました。二本とも「父子もの」でしたね。「生きる」を「父子もの」と感じるのは、ボクの年齢のなせる業だと思いますが、こちらはどなたがご覧になっても、純然たる「父子もの」でした。 余命を宣告された30代半ばの父親がまだ幼い息子をこの世に一人残すとなったらどうするのかというお話です。 母親は存命ですが、出産後、夫と子供を置いてロシアだったかに帰ってしまっていて、乳児のときから父親が一人で子育てをしてきた、文字通りシングル・ファーザーです。お仕事は、窓とかの清掃作業で、個人事業で請け負っているようです。名前はジョンです。 子どもは4歳で、名前はマイケルです。まあ、チラシを見ていただくだけでもおわかりいただけると思うのですが、なんというか、とてつもなくカワイイ! まあ、それだけで、泣けてしまいますが、映画は、パパがいなくなった後の、みなしごになってしまう、幼いマイケルの養子先をさがすというのが本筋でした。 市の福祉センターのソーシャル・ワーカーの人たちと父子の関係や、候補として登場する養子縁組を希望する人たちと父子の出会いのシーンが現代社会の姿を映し出すエピソードとして描かれています。 ジョンの34歳の誕生日に35本目のろうそくをマイケルが渡すところとか、ソーシャル・ワーカーのショーナという女性の献身的な仕事ぶりとか、いよいよ「死」についてマイケルに語り掛けるジョンの姿とか、印象的なシーンは山盛りです。いつもなら、涙もろい徘徊老人はハンカチぐちょぐちょのはずですが、泣きませんでした。(まあ、ホントはこぼれましたけど(笑)) というのは、徘徊老人が気をとられたのが清掃作業員の父親ジョンが、毎日出かける仕事場のシーンだったからです。 ジョンが梯子を上り、建物の外壁の汚れた窓を洗剤で洗います。モップでその泡を吹きとると透き通ったガラス窓の向こうに、それぞれの建物の室内が映るシーンが繰り返し映るのです。いろんな室内があります。で、泡をモップがぬぐうと、その内部が見えてきますが、ジョンと室内は、当然ですが、見事に透き通ったガラスで遮られています。このシーンが、なぜ、印象に残ったのかはよくわかりません。しかし、美しく透き通ったガラスにさえぎられた「二つの世界」を、毎日作り出すことを仕事にしながら生きてきたこの男が、本当のところ、ガラスの向こうの側の世界に幼い息子を住まわせたいと心配しているとは思えなかったのです。 35歳を迎えられなかったこの男のプライドは、透き通ったガラスの外で輝いていて、それを伝えきれない「父」としての姿が丁寧に描かれている作品だと思いました。で、それは、胸を打つのですが、涙することではないというのがボクの実感でした。 なにはともあれ、マイケルとジョンの父子に拍手!本気で仕事をしていたショーナとマイケルを引き取ってくれた独身の女性に拍手!でした。監督 ウベルト・パゾリー脚本 ウベルト・パゾリーニ撮影 マリウス・パンドゥル美術 パトリック・クレイトン衣装 マギー・ドネリー編集 マサヒロ・ヒラクボ サスカ・シンプソン音楽 アンドリュー・サイモン・マカリスターキャストジェームズ・ノートン(ジョン)ダニエル・ラモント(マイケル)アイリーン・オイヒギンス(ショーナ)2020年・95分・G・イタリア・ルーマニア・イギリス合作原題「Nowhere Special」2023・07・03・no82・パルシネマno60
2023.07.13
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マーティン・マクドナー「イニシェリン島の精霊」パルシネマ パルシネマで、「プラン75」を見終えて、2本目がマーティン・マクドナー監督の「イニシェリン島の精霊」でした。1本目の「プラン75」で、まあ、ひたすら疲れましたが、気を取り直して座りなおしましたが、こっちは、なんというか、暗いし、説明不能で意味不明なところがあっちこっちあったのですが、映画としては、なぜか、納得でした。 とりあえず、見たままを説明すると、アイルランドの近所にあるらしい孤島、イニシェリン島の住人たちの暮らしを描いた生活ドラマというと、まあ、的はずれもいいところなのでしょうが、ボクにはそう見えました。 海の向こうでは戦争が続いていますが、弾が飛んでくるわけではないこの島では、午後の2時になるとパブ(?)に集まってビールとか、シェリー酒とか、ああ、アイリッシュでしょうね、ウィスキーも飲んでいました。男だけではなくて女もお酒を飲んで踊っています。だいたい黒ビール、ギネスばかりを飲んでいますが、食べるシーンはほとんどありません。島の道は、風よけでしょうか石垣で囲われていて、分かれ道にはマリアなのか、イエスなのか、聖像が立っていて、日曜日には島中のみんなが教会にお参りしています。カトリックの島のようです。 映画の出だしから、その島の風景がすごくて、教会もそうですが、パブであれ、友人の家であれ、どう考えても、ちょっと行ってくるというような距離ではないところに歩いて出かけていきます。道が1本しかなくて、歩いている人同士が、お互い出会わないで歩くことができない社会です。海の眺めもすごいのですが湖もあるようで、なんというか、映画の世界の距離感が別世界です。ついでに言えば1920年代という時代設定で、暮らしの灯りはランプで、乗り物は馬車、海を行くのは帆船です。もちろん、映画ですからドラマがあります。で、そのドラマを演じるのは、三人の男と一人の女、そして、一頭のロバと一匹の犬です。まあ、パブに集まる男たちとか、預言者風のばあさんとか、ちょっと、どうかという警官とか、手紙を盗み読む郵便局のおばさんとか、馬とか牛とかもいるのですが、まあ、その4人と2匹が主人公たちです。 一人は海辺の小屋のような家に住んでいる音楽家コルム(ブレンダン・グリーソン)で、もういい年のおっさんです。一人は警官の息子で、ちょっと足らない感じの青年ドミニク(バリー・コーガン)で、バカの代名詞のように名前を呼ばれています。あと二人はしっかり者の妹シボーン(ケリー・コンドン)と人のいいおっちゃんパードリック(コリン・ファレル)という兄妹です。ロバはジェニーという名前でパードリックの友達です。ワンチャンは、名前は忘れましたが、コルムの相棒です。 パードリックとコルムは親友ですが、ある日、何の理由もなくコルムがパードリックに絶交宣言します。それが、ドラマの始まりです。「お前の話はくだらない。今後、俺に話しかけたら、そのたびに俺は自分の指を切る。」 これが絶交宣言です。不条理というべきなのかもしれませんが、ほとんどコメディの展開なのです。 人の好さの塊のようなパードリックには、まあ、そりゃあそうだろうと同情しましたが、コルンこの宣言が、全く理解できません。 で、何とか仲直りしようと話しかけるものですから、いこじなコルンが、実際に、左手の5本の指を羊の毛刈りばさみで切ってしまうというというこじれ方です。唖然!ですね。 この間、まず、妹のシボーンが村の暮らしに愛想をつかして島を出ます。シボーンをこっそり愛していたバカのドミニクが湖に落ちて死んでしまいます。で、コルムがパードリックの家のドアに投げ捨てた5本の指の1本をのどに詰めたロバのジェニーが死んでしまいます。それを見たパードリックが、ついに切れてしまい、ワンちゃんだけは助けて、コルムの小屋に火をつけて焼き払います。 火中から、まあ、なんとか逃げ出したコルムは、翌朝、パードリックと海岸で再会し、和解を申し出るのですが、パードリックが言うセリフがこれです。「終わらない方がいい戦いもある!」 上のチラシのシーンです。映画の筋としては、ネタバレをみんな書きましたが、これで、奇妙に面白かったこの映画の説明になっているとはとても思えません。例えば、アイルランドの内戦のメタファーだとか、まあ、いろんな解説がありますが、ボクにとっての面白さを納得させてくれる解説には出会えませんでした。 ボクの記憶に残ったのは、最初の指をコルンに返しに行ったシボーンに、コルンが「パードリックはくだらない。」 と言うのですが、それに対して答えたシボーンのこの言葉でした。「最初から、ずっと、くだらないわよ!」 ボクにとっては、この言葉がすべてでした。そうなんです、人間のやってきたことは最初から、ずっとくだらないのです。そして、くだらないことから、何とか抜け出すための戦いは終わらないに違いないのです。 映画館徘徊を始めたころ見た「スリービルボード」で唸ったマーティン・マクドナー監督ですが、期待どおりでしたね。拍手!拍手!です。 4人と、二匹、いや、ヤギも牛も馬も、みんな拍手!でした。なかでも、ロバのジェニーと妹のシボーンを演じたケリー・コンドン、とてもよかったですね。拍手!でした。監督 マーティン・マクドナー 脚本 マーティン・マクドナー撮影 ベン・デイビス美術 マーク・ティルデスリー衣装 イマー・ニー・バルドウニグ編集 ミッケル・E・G・ニルソン音楽 カーター・バーウェルキャストコリン・ファレル(パードリック・スーラウォーン)ブレンダン・グリーソン(コルム・ドハティ)ケリー・コンドン(シボーン・スーラウォーン)バリー・コーガン(ドミニク・キアニー)ゲイリー・ライドン(ピーダー・キアリー)パット・ショート(ジョンジョ)ジョン・ケニー(ジェリー)シーラ・フリットン(ミセス・マコーミック)2022年・114分・PG12・イギリスパルシネマno57
2023.04.13
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エマニュエル・クールコル「アプローズ、アプローズ!」パルシネマ つい先日、ナショナルシアターライブの「かもめ」でガッカリして、「やっぱり映画でええわ。」 とかなんとか思いながら、これといって期待したわけでもないままやって来たパルシネマで演劇がらみの二本立てプログラムと出会ってしまいました。で、その二本ともが納得!だったからすごいですね。さすがパルシネマ! と感心することしきりでした。 プログラムは2020年のフランス映画「アプローズ、アプローズ!」と1998年の、イギリス映画の味なのですが実はアメリカ映画「恋におちたシェイクスピア」でした。 で、エマニュエル・クールコル監督の「アプローズ、アプローズ!」です。原題は「Un triomphe」で、フランス語のようですが、いずれにしても「拍手、喝采!」くらいの意味なんでしょうね。 囚人たちの更生プログラムで「ゴドーを待ちながら」という、ベケットのお芝居をやらせるという計画の顛末を描いたお話でした。 刑務所に風采の上がらない中年男がやって来て、刑務官に案内され、所内の廊下を、なんだか不安そうに歩いているシーンから映画は始まりました。 男の名前はエチエンヌ(カド・メラッド)、売れない俳優でした。前任者が、たとえば、ウサギと亀のような寓話風(?)のお話を、参加している数名の囚人に暗唱させるという、いかにもな更生プログラムをやっていたようですがエチエンヌが選んだプログラムがベケットの傑作戯曲「ゴドーを待ちながら」の、刑務所の外の舞台での上演という計画でした。 囚人による演劇、しかも演目が「ゴドーを待ちながら」でした。つい先日、チェーホフの「かもめ」の舞台ライブで空振りしたばかりです。「ええー、ゴドーなんて出来るのかよ?」 ところが、ところがでした。ここから6ヶ月の練習風景が、まず、やたら面白かったんです。集まっているのが文盲のプッツン青年、ロシア人の掃除夫、アフリカ系移民、シャバの妻がやたら恋しい老人、エトセトラで、まあ、多士済々とはこのことでしょうね。彼らが犯した犯罪が具体的に示されなかったことが残念でしたが、その面々が腹式呼吸から始まって、発生、発話、そして演技です。 あのベケットの、読んでも意味不明なあの戯曲のあのセリフが、お芝居としては切れ切れですし、これはという有名(あるのかないのかよく知りませんが(笑))なセリフというわけでもないのですが、彼らの中で血が通った言葉になり始めるのが映し出されていきます。 考えてみれば、囚人に「ゴドーを待ちながら」なんて、ピッタリすぎて怖いようなものですが、ベケットのこのお芝居のセリフをこんなふうにリアルに聞いたのは初めてでした。 映画は、そこから舞台公演のシーンへと続きますが、映画ということを忘れて、本物の囚人ワークショップを見学している錯覚の中に入り込みながら、ドラマとしては切ない気持ちで(だって彼らは、やっぱり囚人なのですから)、見ていたことは確かで、最後のどんでん返しを見ながらおもったのが、「ああ、あんたら、そんなんしてええんか?」 でした。 実話だそうですが、実話である必要はありませんね。マア、そうはいっても、このストーリーを実話に頼らず考えるのは、やっぱり難しいでしょうね。 なにはともあれ囚人諸君に拍手!でした。一人一人、いい味出てましたよ(笑)。で、演出役のエチエンヌさんも、よく頑張りました。拍手!ですね。 映画を観終えて、昔見た「柄本家のゴドー」というドキュメンタリーを思い出しましたが、あの映画での柄本明の演技はともかくとして、柄本家の息子たちよりこの映画の囚人たちの方がうまかったですね(笑) ハハハ、囚人たちを演じていたのは、れっきとした役者たちですから、当たり前ですね(笑)。監督 エマニュエル・クールコル脚本 エマニュエル・クールコル ティエリー・ド・カルボニエ撮影 ヤン・マリトー編集 ゲリック・カタラ音楽 フレッド・アブリル主題歌 ニーナ・シモンキャストカド・メラッド(エチエンヌ)ダビッド・アヤラ(パトリック)ラミネ・シソコ(アレックス)ソフィアン・カーム(カメル)ピエール・ロッタン(ジョルダン)ワビレ・ナビエムサワビレ・ナビエアレクサンドル・メドベージェフ(ボイコ)サイド・ベンシナファ2020年・105分・PG12・フランス原題「Un triomphe」2023・02・22-no025・パルシネマno54
2023.02.25
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ジョン・マッデン「恋におちたシェイクスピア」パルシネマ 「アプローズ、アプローズ!」との2本立てで観たのはジョン・マッデン監督の「恋におちたシェイクスピア」でした。 1998年だかのアカデミー賞総なめの人気映画らしいですね。テレビでも、何度もやっているらしいです。 初めて見たシマクマ君が「なかなか色っぽくてよかった!よかった!」 と騒いでいると「テレビで3度見たわよ。」と嘯いていたチッチキ夫人も「せっかくだから4度目に挑戦だわ。」 とかなんとか言いながら出かけました。で、シマクマ君は感想を書いていますが、今更筋を繰り返すのも気が引けますし、「ロミオとジュリエット」誕生秘話とでもいう以外に、これといって書くことがありません。 本筋を外して申し訳ないのですが、一番面白かったのはジュディ・デンチ演じるエリザベス1世でした。ジュディ・デンチはケネス・ブラナーの「シェイクスピアの庭」だったかではシェークスピアの奥さんだったと思いますが、この映画では女王陛下でした。多分、笑うところではないと思いますが、デーンと出てきた存在感に笑ってしまいました。 で、ほとんど、おしまいのシーンですが、劇場から帰ろうとする女王の足元に水たまりがあって、一瞬立ち止まった女王に対して、まわりの家来たちが躊躇していると「遅いのよ!」とか何とかいって水たまりをジャブキャブ歩くのを見て笑いました。 50年ほど昔の高校時代の世界史の授業で(いつの話やねん!)、エリザベス朝の話をしていたM先生が「馬車から降りた女王の足元には水たまり、その場に居合わせたサー・ウォルター・ローリー卿は着ていたマントをさっと脱いで水溜りを覆うや否や一言『さー、うぉるたー・らーれー』(さあ、わたられーのダジャレ)」 と教壇でおっしゃた姿を思い出したんですね。サー・ウォルター・ローリー卿はエリザベスの愛人の一人ですが、数奇な運命で有名な男ですね。 この映画は脚本がトム・ストッパードですから、いろいろ仕込んでいるにきまっているのですが、気づけないのだからしようがありません。 それから、ハロルド作石に『7人のシェイクスピア』というマンガがあるのですが、ぼくの場合エリザベス朝のロンドン劇場戦争ネタなんかは、みんなそのマンガのお世話になっています。で、今回の映画を観ていて、ハロルドさん、この映画で仕込んだんじゃないかというくらい、マンガのシェイクスピアとその恋人の顔立ちとかキャラとかが、この映画のジョセフ・ファインズ(シェークスピア)、グウィネス・パルトロウ(ヴァイオラ・デ・レセップス)という二人の俳優と似ているのに笑いました。 もっとも、マンガの恋の相手は女王の侍女ですから話は違います。でも、オッパイとかそっくりでしたよ(笑)。 マア、それにしても、ジョセフ・ファインズ(シェークスピア)、グウィネス・パルトロウ(ヴァイオラ・デ・レセップス)のお二人ですが、やたらキスシーンの多い映画でした。ご苦労様でしたね(笑)。ということで、とりあえず拍手!でした。 まあ、虚構なのでしょうが、上手に作ったお話でした。監督と脚本家たちに拍手!ですね。お色気の使い方も上手なものですね(笑)監督 ジョン・マッデン脚本 マーク・ノーマン トム・ストッパード撮影 リチャード・グレートレックス衣装 サンディ・パウエル編集 デビッド・ガンブル音楽 スティーブン・ウォーベックキャストグウィネス・パルトロウ(ヴァイオラ・デ・レセップス)ジョセフ・ファインズ(シェークスピア)ジェフリー・ラッシュ(ヘンズロー)コリン・ファース(ウェセックス卿)ベン・アフレック(ネッド・アレン)ジュディ・デンチ(エリザベス1世)トム・ウィルキンソン(ヒュー・フェニマン)マーク・ウィリアムズ(ウォバッシュ)1998年・123分・R15+・アメリカ原題「Shakespeare in Love」2023・02・22-no024・パルシネマno53
2023.02.24
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ヨアン・マンカ「母へ捧げる僕たちのアリア」パルシネマ パルシネマで「ショーシャンクの空に」との2本立てで、ヨアン・マンカという監督の現代フランス映画「母へ捧げる僕たちのアリア」を見ました。 なんだか、すごい題名だなと思って原題を見ると「Mes freres et moi」、英語での題は「My Brothers and I」で、まあ、ボクでも訳せますが、訳せば「僕の兄弟と僕」でしょうか。 実にまっとうな「家族」と「少年の旅立ち」の物語でした。中学生の「僕」ヌール(マエル・ルーアン=ベランドゥ)と三人の兄が、おそらく脳死状態のなのでしょうね、意識も、聴覚とか視覚とかいう身体能力も失っている母を、親戚の反対を押し切って在宅で看護しているという家族の姿が描かれていました。 舞台になっているのはフランスの南部のリゾート地帯ですが、彼らが住んでいるのは、明らかに貧しい人の暮らす公営の集合住宅でした。 見終えて、一番印象に残ったのは、フランス社会の「貧困」の実態です。以前見た「レ・ミゼラブル」では、確か、パリの巨大な集合住宅が舞台でしたが、共通しているのは、そこで暮らす人の多くが、どこかよその国からやって来た人たちだということです。で、その場所を覆っているのが貧困です。 この映画では、寝たきりの母の介護の家計費を兄弟の収入で支え合っていますが、兄弟に定職があるわけではありません。主人公ヌールは14歳の中学生ですが、アルバイトが見つかれば学校はやめるつもりのようです。兄3人は10代の後半から20代の後半のようですが、やはり、定職はありません。インチキなサッカー・ユニホームの売買、男女をとわない、観光客相手の売春、薬物の不法売買です。出口なしですね。やがて行き詰るのではなく、すでにどん詰まりで暮らしているのです。 で、希望はあるのか?「レ・ミゼラブル」では、どん詰まりの爆発が描かれていましたが、ここでは希望としての音楽が描かれています。ベルディやプッチーニといったイタリア・オペラの名曲が劇中で繰り返し聞こえてくるのが、この作品の救いです。 東洋の島国の文化感覚では、カンツォーネっていうのでしょうか、プッチーニの歌曲と14歳の少年がなかなかつながらないのですが、案外、そこのところは自然なのかもしれませんね。 少年を歌と出会わせる役を演じていたサラ先生(ジュディット・シュムラ)が、映画の終盤、舞台での独唱を披露しますが、ちょっと聞きほれましたよ。 まじめで、ナイーブな佳作だと思いました。ヌールとサラに拍手!でしたね。監督 ヨアン・マンカ製作 ジュリアン・マドン脚本 ヨアン・マンカ撮影 マルコ・グラツィアプレーナキャストマエル・ルーアン=ベランドゥ(ヌール)ジュディット・シュムラ(サラ)ダリ・ベンサーラ(アベル)ソフィアン・カーメ(ムー)モンセフ・ファルファー(エディ)2021年・108分・PG12・フランス原題「Mes freres et moi」英題「My Brothers and I」2022・12・27-no144・パルシネマno52
2022.12.29
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フランク・ダラボン「ショーシャンクの空に」パルシネマ 噂だけは知っていて、ずっと見たいと思っていた作品です。たぶんテレビ上映でも見たことがない作品です。パルシネマの年末2本立ての1本で見ました。フランク・ダラボン監督の「ショーシャンクの空に」です。 見終えた後で、まあ、いつものことですが、チッチキ夫人に、得意のネタバラシをしようとすると、いきなり言い返されてしまいました。「アンナ、今日、ええ俳優見たで。ショーシャンクいう映画な。」「ミス・デイジーの人やろ、ええっと、モーガン・フリーマン、それと銀行員の若い囚人が頑張るやんね。」「ええー。知ってんの?」「テレビで何度もやってるわよ。」 うーん、皆さんご存知の作品らしいですね。チラシには「死ぬまでに見るべき映画50選」と銘うっています。1994年のアメリカ映画です。 ああ、すごい!と思ったシーンがいくつかありました。その中で、一番は、刑務所内放送を使って元銀行員のアンディ(ティム・ロビンス)がモーツアルトの「フィガロの結婚」を流すシーンです。音楽が流れ、庭というか広場というかにおおぜいたむろしていた囚人たちが空を見上げます。それが、誰のなんという曲なのか、おそらく空を見上げている囚人たちの多くは知らないでしょう。しかし、音楽が、たしかに流れていることに囚人たちは反応しています。ドキドキしました。このシーンこそがこの作品の最高のシーンだったと思います。 その後、懲罰房から戻ってきたアンディがレッド(モーガン・フリーマン)に「音楽は希望だ!」と言い、ハーモニカを贈ります。しかし、期待に反して、レッドはハーモニカを吹こうとはしません。おそらく、レッドは万が一にも、自分が希望を持つことを恐れていたに違いありません。 しかし、ハーモニカはそれで終わりではありませんでした。40年の刑務所暮らしの結果、仮出獄を認められたレッドが、アンディとの約束の場所に向かうシーンのBGMに、ほんの少しだけ、か細く、静かにハーモニカの音が響きます。その音色を聴きながら、「どうか、アンディと再会できますように!」と祈ったのはもちろんですが、自由と希望を信じきれない老人を演じる、まだ、50代だったはずのモーガン・フリーマンの演技に唸りました。 看守や所長役の俳優たちの悪役ぶりも拍手!ですが、終身刑のレッドとアンディの「友情」の清々しさが胸に残り傑作でした。監督のフランク・ダラボンに拍手!ですね。 モーガン・フリーマンという俳優の、多分、映画俳優としては始まりに近い作品「ドライビング・MISS・デイジー」(1989年)と「ショーシャンクの空に」(1994年)の2本を立て続けに見ました。 それぞれ、神戸の地震があったころの封切り映画で、ぼく自身が映画館からもビデオからも離れていった時期の作品です。「あの頃に、この2本を見ていたら、映画館通いを続けていたかもしれないな。」 ふと、そんなふうに思う作品でした。少なくとも、モーガン・フリーマンの作品は追っかけていた可能性は高いでしょうね。 顔というか表情というか、そこに表れる内面の微妙な落差を演じ分けていることをハッと気づかせる演技は、何とも言えない味わいがありますね。当分、彼の名前を見つけた作品は追っかけるほかなさそうです(笑)。 マア、蛇足ですが、「The Shawshank Redemption」という現代のほうが、ずっとしゃれてますね。名作の誉れ高い、こんな作品にそんなケチをつけても仕方がないですがね(笑)。監督 フランク・ダラボン原作 スティーブン・キング脚本 フランク・ダラボン撮影 ロジャー・ディーキンス美術 テレンス・マーシュ編集 リチャード・フランシス=ブルース音楽 トーマス・ニューマンキャストティム・ロビンス(アンディ・デュフレーン 終身刑)モーガン・フリーマン(エリス・ボイド・“レッド”・レディング 調達屋・終身刑)ボブ・ガントン(サミュエル・ノートン 所長)ウィリアム・サドラー(ヘイウッド 囚人)クランシー・ブラウン(バイロン・ハドリー刑務官)ギル・ベローズ(トミー・ウィリアムズ 囚人 強盗 懲役3年)ジェームズ・ホイットモア(ブルックス・ヘイトレン 終身刑 図書館係)1994年・142分・G・アメリカ原題「The Shawshank Redemption」日本初公開1995年6月3日2022・12・27-no145・パルシネマno51
2022.12.28
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ブルース・ベレスフォード「ドライビング・MISS・デイジー」パルシネマ 1989年のアカデミー賞で、作品賞だった作品だそうです。アカデミー賞史上、作品賞だったのに監督賞にノミネートされなかった数少ない作品の一つだそうですが、ぼくは、そういうことは何ひとつ知らないで、初めて見ました。 見たのはブルース・ベレスフォードという監督の「ドライビング・MISS・デイジー」です。 はじまりは、1940年代の終わりらしいですね。冒頭で高齢の女性が運転を失敗する自動車が、確かに、でかいアメリカ車ではあるのですが、クラシック・カーとしか思えません。ああ、戦後すぐかなという感じでした。場所はジョージア州アトランタで、季節は夏です。 運転をしくじるのは、長年勤めた教職を退いた未亡人のデイジー(ジェシカ・タンディ)です。年齢は、おそらく60代の後半か70代くらいでしょうか。彼女の屋敷にはアデラ(エスター・ローレ)と呼ばれているかなり高齢の黒人女性のメイドがいますが、そこに運転を禁止されたデイジー専用の運転手として雇われてやってたのが、これまた、もう、老人というべき、黒人の運転手ホーク(モーガン・フリーマン)です。 デイジーは自分のことを、まだ運転なんてへっちゃらだと思っていますし、質素に黒人のメイドと暮らす貧しくてこころ正しいユダヤ人だと思っていますが、息子のブーリー(ダン・エイクロイド)は父親から受け継いだ紡績会社の社長で、ただの金持ちで、実は黒人に対しても、ただの偏見まみれの未亡人です。まさに、1940年代のアメリカの、成功したユダヤ人の女性そのものというわけです。 一方、雇われた運転手のホークは文盲であるにもかかわらず、新聞を読むポーズを上手にすることで生き延びてきたに違いないと思わせる、悪く言えば要領のいい老人ですが、どこかに、人が生きていくことに対する誠実さ漂わせている人物で、モーガン・フリーマンという俳優の十八番のような演技が光っていました。 で、最後のシーンは1970年代です。三人の老人が出会って、30年近くの年月が流れました。アデラは10年ほど前に亡くなりましたが、デイジーとホークは健在です。90歳と80歳のコンビです。 お屋敷は売りに出され、デイジーは老人介護施設で暮らしています。老人性痴呆を発症しているにもかかわらず、訪ねてきたホークの顔を見ると表情が緩み、ホークは「MISS・デイジー。」と呼びかけて、パンプキン・パイをスプーンですくって彼女の口に運びます。デイジーは口を大きく開けて笑って食べています。 チラシでは、30年かかって、今ここにある美しいシーンを「友情」と呼んでいます。「そうか、友情か!」 ジェシカ・タンディとアデラ役のエスター・ローレの鬼気迫る(ははは、まあ、何も迫りませんが。)老いの演技、モーガン・フリーマンのあたりまえの人間の演技、文句なしに拍手!でした。 68歳の老人に出会いの可能性を教えてくれる傑作でした。アカデミー賞では無視されたようですが、監督ブルース・ベレスフォードにも拍手ですね(笑)。監督 ブルース・ベレスフォード脚本 アルフレッド・ウーリー原作戯曲 アルフレッド・ウーリー撮影 ピーター・ジェームズ美術 ブルーノ・ルベオ音楽 ハンス・ジマー編集 マーク・ワーナー字幕 戸田奈津子キャストモーガン・フリーマン(ホーク・コバーン:運転手)ジェシカ・タンディ(デイジー・ワサン:女主人)ダン・エイクロイド(ブーリー・ワサン:息子)パティ・ルポーン(フローリン・ワサン:ブーリーの妻)エスター・ローレ(アデラ:家政婦)1989年・99分・G・アメリカ原題「Driving Miss Daisy」2022・12・19-no140・パルシネマno51
2022.12.23
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バリー・レビンソン「レインマン」パルシネマ 「ドライビング・MISS・デイジー」との2本立ての1本だったので見ました。ダスティン・ホフマンと若き日のトム・クルーズの映画です。見たのはバリー・レビンソン監督の「レインマン」でした。劇場で見るのは初めてですが、チラシに写っている二人の写真には、さすがのボクでも見おぼえがあります。1988年の作品で、何度もテレビの洋画劇場で出会っていたようです。ラスベガスで大儲けするシーンを見ていて、そうやって、テレビで見たことがあることに気づきました。 最初と、最後のシーンが印象に残りました。空中から真っ赤なカウンタックか何か、イタリアあたりの高級車がおりてきて、「おお―!」と思っていると荷下ろしの波止場で、なんか、やり手っぽいのですが神経質そうなニーチャンが下で待っていて、それが、なんと、トム・クルーズでした。今年、トップガン・マーベリックのオジサンに出会ったこともあってでしょうね、思わず「若い!」と叫びそうでした(笑) マア、そこから後のストーリーは、今更、ぼくなんかが筋の話をしても白けるだけだろうなと思うくらい有名な作品ですね。いわゆる「サバン症候群」と呼ばれている症状の兄レイモンドを演じているダスティン・ホフマンの体全体というか、傾きかけた身体を使った演技とか、トム・クルーズのやんちゃな弟チャーリーのインチキぶりとか、なかなか見せてくれますが、やっぱり年の離れた、この兄弟の、20年ほどを隔てた二度の別れのシーンが泣かせます。 年の離れた兄レイとの別れのシーンで、まだ、おさない弟チャーリーが「バイ・バイ・レインマン」と手を振ります。あらゆる記憶を映像化して覚えこむ兄が、幼いころの兄の記憶なんか忘れてしまっていた弟に、歌を歌うことで思い出させる忘れられていた別れのシーンです。 で、それから、まあ、兄のレイモンドが、やり手の弟チャーリーに、呪文のように「メインマン!」と呼びかけます。「レインマン」と「メインマン」、この、微妙な語呂合わせが絶妙なのでした。 二人の間に共有された記憶が、つたない歌声によって想起されていく様子に、人の記憶の、最も重要な契機、なぜ、その時、そのシーンが想起されていくのかという意味が語られていると感じたのは穿ちすぎでしょうか。 喧嘩別れした親父の、莫大な遺産をめぐる、かなり乱暴な筋書きでしたが、やはり胸を打つ作品だと思いました。 マア、ありきたりで申し訳ありませんが、主役の二人に拍手!でした。監督 バリー・レビンソン原案 バリー・モロー脚本 ロナルド・バス バリー・モロー撮影 ジョン・シール美術 アイダ・ランダム衣装 バーニー・ポラック音楽 ハンス・ジマーキャストダスティン・ホフマン(レイモンド:兄)トム・クルーズ(チャーリー:弟)バレリア・ゴリノ(スザンナ:チャーリーの恋人)1988年・134分・G・アメリカ原題「Rain Man」2022・12・19-no141・パルシネマno50
2022.12.20
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バズ・ラーマン「エルビス」パルシネマ 予告編で、トム・ハンクスが出ていることに気づいて、見に来ました。エルビス・プレスリーは十代の終わりから、二十代にかけて、アメリカン・ポップスの代名詞だった人ですが、レコードを買ったりした記憶は全くなくて、とりわけ気に入った人ではありませんでしたから、この映画がどのくらい引き付けてくれるのか、興味津々でやってきました。 マア、どっちかというと、古典的な伝記映画でした。見ている当人が、エルビス・プレスリー役のオースティン・バトラーという人が、どのくらい似ているのかもよくわかっていないいい加減な奴なので、何とも言えませんが、最初のステージのシーンはよかったですが、あとは、「まあ、こんなものなのでしょうかね?」でした。知っている今日がたくさん聞こえてきてうれしかったのですが、どうしても、さわり集っぽくなってしまうのが残念でした。 ただ、ラストシーンの、これが実写のフィルムなのか、オースティン・バトラーの演技なのか、ぼくには見分けがつきませんでしたが、ピアノの椅子に座って歌っているプレスリーは感動でした。Can’t Help Falling in Loveだったと思いますが、ぼくより、少し年上のファンの方なら、きっと、「やっぱり、愛さずにはいられない!」と涙されるでしょうね。 それにしても、疲れました。理由の一つは、トム・パーカーという人物の重苦しさで、演じているトム・ハンクスが凄いのでしょうが、希代の天才アーチストを骨までしゃぶり尽くす興行師という演出に、なんというか、くたくたになるという鑑賞でした(笑)。パルシネマは2本立てで、実はもう1本は評判の「ロスバンド」だったのですが、1本でギブアップしてしまいました(笑)。 トム・ハンクスとオースティン・バトラー、二人の映画だったと思いましたが、好き嫌いを越えて、お二人に拍手!でした。 文句ばっかり言っているようですが、1950年代から70年代のアメリカの、実相を背景にしている「エルビス解釈」は発見でした。ちゃちなアイドル映画ではないことは確かで、ラジオから聞こえてくるヒット・ソングの向こうの世界を、あらためて思い知らせてくれたことには感謝ですね。監督 バズ・ラーマン原案 バズ・ラーマン ジェレミー・ドネル脚本 バズ・ラーマン サム・ブロメル クレイグ・ピアース撮影 マンディ・ウォーカー編集 マット・ビラ ジョナサン・レドモンド音楽 エリオット・ウィーラーキャストオースティン・バトラー(エルビス・プレスリー)トム・ハンクス(トム・パーカー)オリビア・デヨング(プリシラ・プレスリー)2022年製作・159分・G・アメリカ原題「Elvis」2022・11・28-no132・パルシネマno46
2022.11.29
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パーシー・アドロン「バグダッド・カフェ」パルシネマ 久しぶりにやって来たパルシネマです。見たのはパーシー・アドロンという西ドイツ、まあ、今はドイツ連邦の監督の「バグダッド・カフェ」です。90年ごろに評判になっていた記憶がありますが見るのは初めてでした。 「バクダッドカフェ」なんて言う題名ですから、イランだかイラクだかを舞台にした映画かなと思って座りましたが、アメリカの西部の砂漠地帯が舞台でした。 先日読んだ本に「自動車と男と女で映画はできる」と、ゴダールが言ったとか言わなかったとかいう話がありましたが、アメリカ旅行をしていて、「いざラスベガス!」とか言いながら、折りから始めた夫婦げんかの結果、妻ジャスミン(マリアンネ・ゼーゲブレヒト)が自分の荷物をもって自動車から降りてしまうという始まりでした。 夫ムンシュテットナー氏(ハンス・シュタードルバウアー)は頭が禿げ上がった中年男で、妻は妻で、砂漠の真ん中をトランクを引きずって歩くなんて、もうそれだけで「苦行ですね。」と声をかけたくなるくらい「デカイ!」中年の女性でしたが、まさか彼女がこのドラマの主人公だとは思いもよりませんでした。 で、そのデカイ彼女がよたよた歩いた末にたどり着いたのが「バグダッドカフェ」という、たぶんトラック運転手たちがお客なのでしょう、ガソリンスタンドとモーテルとカフェが併設されているドライブインだったというわけです。 黒人の夫婦が経営者のようですが、子供や夫を怒鳴り散らして、息まき続けているマダムがブレンダ(CCH・パウンダー)で、こちらも夫婦げんかの真っ最中というか、役立たずの夫サル(G・スモーキー・キャンベル)を追い出したばかりで、まさか、この女房がもう一人の主人公だとは、やっぱり予想できませんでした(笑)。 コーヒー・メーカーが壊れて修繕に出したのに、町まで、まあ、ほかの用事もあったようなのですが、出かけて行って修繕に出したメーカーを受け取り忘れてた上に、道端に落ちていた黄色いポット(実は、ジャスミンの夫が道端に放りだしたポット)を拾ってくるという頓珍漢な夫に怒り心頭のブレンダですが、コーヒーも出てこないカフェには閑古鳥が鳴く代わりに、貧相なピアノの音が響いています。で、これがバッハなのです。 「なんだこれは?」 ここからは、実に予想外の展開で、ヴィム・ヴェンダースの傑作「パリ・テキサス」を思い浮かべましたが、あれは、作られたのが1984年で、舞台がアメリカの砂漠の真ん中の「パリ」に意表を突かれたのでしたが、こちらは1987年の制作で、同じく、アメリカの砂漠の真ん中の「バグダッド」でした。 ジャスミンのトランクの荷物の謎、素人手品、大掃除、空き缶、バッハ、滞在ビザ、肖像画、ブーメラン、エトセトラ、エトセトラ、小ネタ満載で、こだわるのが好きな人には格好の作品でしょうね。 ぼくは、そうした小ネタ、ディテールで掛け算するように、人と人の出会いを、実に丁寧に描いていく手法に感動しました。 たとえば、砂漠の真ん中の貧相なカフェでバッハが聞こえてくるという、いってしまえば奇想なのですが、それに何の不自然も感じない自分が不思議でしたし、そのあとの、どこかの流行っているキャバレーのマジック・ショーのような、盛大な盛り上がりを描いていく展開の思い切りのよさと、最後の最後にジャスミンの口から出た一言に、いや、ホント、感心しました。 美人も男前も、ホント、一人も出てきませんが、出てきたみなさんに拍手!でした。 見ているときは、うかつにもアメリカ映画だと思い込んでいました。パーシー・アドロンという監督が、ニュー・ジャーマンシネマの時代の西ドイツの監督だと確認したのは見終えた後ですが、ナルホド、映画に漂う空気に、例えばヴェンダースとかと、どこか、共通するものがありました。時代的には、こっちが二番煎じだっのかもしれませんが、監督の個性というか、好みというかが印象的で、監督の遊び心とでもいうのでしょうか、小さな出来事をこまめに撮ったシーンにとても惹かれました。 いやあ、古い映画ですが、今これを見せてくれたパルシネマに拍手!でした。 「がんばれ!パルシネマ!(笑)」監督 パーシー・アドロン脚本 パーシー・アドロン エレオノール・アドロン撮影 ベルント・ハインル音楽 ボブ・テルソンキャストマリアンネ・ゼーゲブレヒト(ジャスミン:旅人)CCH・パウンダー(ブレンダ:女主人)ジャック・パランス(ルディ:看板絵師)クリスティーネ・カウフマン(デビー)モニカ・カローン(フィリス:ブレンダの娘)ダロン・フラッグ(サロモ:ブレンダの息子・ピアノ弾き)ジョージ・アギラー(カヘンガ:カフェの店員)G・スモーキー・キャンベル(サル:ブレンダの夫)ハンス・シュタードルバウアー(ムンシュテットナー氏:ジャスミンの夫)アラン・S・クレイグ(エリック:ブーメランの青年)1987年・91分・西ドイツ原題「Out of Rosenheim」2022・11・12-no126・パルシネマno43
2022.11.12
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ロブ・マーシャル「シカゴ」パルシネマ ここの所「ミュージカル映画」と聞くと気が騒ぎます。新開地のパルシネマで「シカゴ」と「天使にラブ・ソングを…」の2本立てがかかっているの見つけてさっそく出かけました。 パルシネマはコロナ騒ぎに負けず頑張っていらっしゃって、なかなか人気のある映画館です。プログラムも見落としていた最近の話題作と懐かしの名作の重ね方がお上手です。 最近、防災スプリンクラーの不備とかで消防局にいじめられているようですが、まあ、シマクマ君にとっては20代で映画を見始めた最初からある映画館ですから、何があろうと潰さないでいただきたいものです。 で、二本立ての映画でしたが、ロブ・マーシャル監督の「シカゴ」の方だけを見ました。最近見た「紳士は金髪がお好き」のマリリン・モンローのポジションがレニー・ゼルウィガーの演じるロキシー・ハート 、ジェーン・ラッセルのポジションがキャサリン・ゼタ=ジョーンズの演じるヴェルマ・ケリーでした。二つの映画の女性の組み合わせ方が、よく似ていると思いました。 映画の冒頭、金髪の美女をクローズアップして、カメラが瞳の奥まで迫っていくシーンが印象的でした。意識と現実の交互の映像化を暗示しているのでしょうね、うまいものです。 二人の美女と絡むのが弁護士のビリー・フリン(リチャード・ギア)と女性看守のママ・モートン(クイーン・ラティファ)です。なんで弁護士や看守が出てくるのかなというわけですが、美女二人が殺人罪で拘留中(笑)の方だからですね。 二人とも、れっきとした殺人の犯人ですが、金の亡者で口先三寸の辣腕弁護士ビリーの手によって、いかに無罪を勝ち取り、いかにキャバレーの女王として復活するかという、まあ、アホらしいお話ですが、最後の最後まで見せてくれました。 歌、ダンス、お色気、アホ・バカストーリーのドタバタ、どれも一流でした。顔を知っている役者といえばリチャード・ギアとハート嬢のバカ亭主役のジョン・C・ライリーくらいですし、流れてくる歌も全く知らない歌ばかりなのですが飽きません。主役のお二人とも初めてお出会いする女優さんでしたが、キャサリン・ゼタ=ジョーンズさんの「ギラギラ感がいいなあ」と思って調べてみると、映画は2002年のアカデミー賞の作品賞で、彼女は助演女優賞でした。納得ですね。ハリウッドって、こういう映画を作るのがホントにうまいですね。 全編飽きさせない監督ロブ・マーシャルに、まず、拍手!でした。レニー・ゼルウィガーのお色気、ゼタ=ジョーンズのギラギラ、リチャード・ギアのアホ演技もよかった、まとめて拍手!です。 筋立てと画面の切り替えが、いかにも舞台での演劇を連想させる気がして、ついでに調べてみるとボブ・フォッシーのブロードウェイ・ミュージカルの映画化でした。 ボブ・フォッシーといえば「キャバレー」、「オール・ザっと・ジャズ」ですが、ぼくにとっては「レイニー・ブルース」の監督です。シマクマ君はあのダスティン・ホフマンが好きなのです(笑)。監督 ロブ・マーシャル原作 ボブ・フォッシー フレッド・エッブ脚本 ビル・コンドン撮影 ディオン・ビーブ美術 ジョン・マイヤー衣装 コリーン・アトウッド編集 マーティン・ウォルシュ音楽 ダニー・エルフマン ジョン・カンダー振付 ロブ・マーシャルキャストレニー・ゼルウィガー(ロキシー・ハート)キャサリン・ゼタ=ジョーンズ(ヴェルマ・ケリー)リチャード・ギア(ビリー・フリン)クイーン・ラティファ(ママ・モートン)ジョン・C・ライリー(エイモス・ハート)ルーシー・リュー(キティー)クリスティーン・バランスキー(メアリー・サンシャイン)コルム・フィオール(マーティン・ハリソン)ドミニク・ウェスト(フレッド・ケイスリー)2002年・113分・アメリカ原題「Chicago」2022・03・24-no39・パルシネマno42
2022.03.25
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カロリーヌ・リンク「ヒトラーに盗られたうさぎ」パルシネマ 童話作家ジュディス・カーの体験記、幼い日の経験を描いた「伝記映画」でした。題名は「ヒトラーに盗られたウサギ」でした。 ヒトラーが政権を取った1933年、祖国ドイツから逃げ出さなければならなくなったユダヤ人の劇作家で、演劇評論家ケンパーという人の十歳の娘アンナの物語でした。 家政婦の女性ハインピーさんとアンナの会話、ケンパーの忠告を聞かず自国にとどまったユリウスおじさんの不幸、スイス、フランス、イギリスと逃亡生活、いや亡命生活というべきか?を続けるケンパー一家の暮らしぶりや、それぞれの土地で出会う様々な人間。それぞれの土地の風景や学校。ナチスによる迫害が深刻化していく社会と、その時代を生きる少女の成長。 ストーリーの運びは穏やかですが、たとえ10歳の少女であろうと、人間が歴史的な「存在」であることを誠実に描いた作品だと思いました。 自宅に残してきた「ぬいぐるみのウサギ」が、幼いアンナに取って帰りたい場所の象徴ですが、2019年に95歳で亡くなったジュディス・カーが、お孫さんたちに残した最後の作品「ウサギとぼくのこまった毎日」(徳間書店)という童話の主人公もウサギだったことを思い出して、戦後もイギリスで暮らしたらしいジュディス・カーが、時間を超えて、本当に帰っていきたかった「世界」のことを考えました。 出てくる子供たちが、アンナとマックスの兄妹だけでなく、溌溂としていて楽しい映画でした。拍手!監督 カロリーヌ・リンク製作 ヨヘン・ラウベ ファビアン・マウバッフ原作 ジュディス・カー脚本 カロリーヌ・リンク アナ・ブリュッゲマン撮影 ベラ・ハルベン編集 パトリシア・ロメル音楽 フォルカー・ベルテルマンキャストリーバ・クリマロフスキ(アンナ・ケンパー)オリバー・マスッチ(アルトゥア・ケンパー:父)カーラ・ジュリ(ドロテア・ケンパー:母)マリヌス・ホーマン(マックス・ケンパー:兄)ウルスラ・ベルナー(ハインピー:家政婦)ユストゥス・フォン・ドーナニー(ユリウスおじさん)2019年・119分・G・ドイツ原題「Als Hitler das rosa Kaninchen stahl」2021・06・01‐no50パルシネマno39
2021.06.20
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