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映画 マケドニア、ボスニア・ヘルツェゴヴィナ、クロアチア、スロベニアの監督 5
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山崎貴「ゴジラ−1.0」109シネマズハット 見ちゃいましたよ(笑)。山崎貴監督の「ゴジラ−1.0」です。ゴジラ映画70周年なのだそうです。 東宝映画の初代ゴジラと同い年なのを理由にゴジラ老人を自称しているシマクマ君としては、「ゴジラ」と題がつけば見ないわけにはいかないわけで、なんだか評判らしくて、少し億劫だったのですが出かけました。ハット神戸の109シネマですが、やっぱりいい映画館ですね。500人ほど座れそうなホールに20人ほどのお客が座っての鑑賞で、もちろん、ゴジラを見るには、画面も音響もデカイですし、鑑賞環境はサイコー!でしたね(笑)。 で、映画ですが、1945年、敗戦直後の東京を踏み潰す陸のゴジラ、不思議なことに大海原で立ち上がったかに見える海のゴジラ、大きな画面に納得の姿で登場していて堪能しました。 題名は「ゴジラ・マイナス・ワン」と読むそうです。なんで、そういう題なのかは、まあ、わかったような、わからなかったようなですが、久しぶりの和製ゴジラの雄姿には心躍りました。もっと暴れろ!もっと踏みつぶせ! まあ、そんなふうな気分が盛り上がってしまうのがゴジラ映画を見るときの常なのですが、何だか、ずっと怒っているゴジラの表情が笑えましたが、青い放射火炎のエネルギーを充填する新しいアイデアのシーンも、それなりに面白く見ました。 1945年以前、まだ戦争中だった南の島の海軍基地に「原ゴジラ」というべき、チョット小ぶりのゴジラを登場させたのが、まあ、このゴジラ映画の新機軸で、その島で日本人としては最初の「ゴジラ体験」をした特攻帰りの青年にまだ、終わってない戦争 をいかに清算させるかというのが、人間側のメインプロットでしたが、青年を演じた神木隆之介君といい、ヒロインとして登場する浜辺美波ちゃんといい、ゴジラ駆除!(映画の中で、実際に口にされた言葉ですが駆除!ですよ、駆除!ゴキブリじゃあるまいし! の計画を立てる元帝国海軍の技術将校を演じた吉岡秀隆君といい、大根の王様のよう俳優さんたちと、子どもも夫も喪った戦災未亡人を演じた安藤サクラさんや、吉岡君とゴジラ駆除作戦のコンビを務める元海軍将校を演じた佐々木蔵之介君という、どっちかというと達者な俳優との激突で、チョットのけぞりました。 最後の最後に、大日本帝国海軍、最後の切り札、幻の戦闘機「震電」とかが登場して飛ぶところなんて、特撮得意の監督さんとしては、飛ばして撮りたかったんでしょうねえ(笑)、という感じでしたが、結局、体当たりなのですね。それって、脱出シート付きならいいんですかね。何とも、まあ、安易というか、アホか! と言いたくなるような、意味の分からないマンガ的ご都合主義ですよね。 で、頭が吹き飛んでしまって、水没していくゴジラに、作戦に参加した元帝国海軍士官だった復員兵たちが最敬礼するシーンを、結構、長々と入れたのはどういう意図だったのでしょうね。 南方の戦場で無念の戦死で亡くなった日本兵の荒魂(あらみたま)の化身とかいうゴジラ論も読んだことがあるような気がしますが、復員兵たちの「オレたちが日本を守る!」というセリフには、ドン引きのゴジラ老人でした(笑)。 吉岡君に「一人の死者も出さない駆除作戦!」 と叫ばせはするのですが、日本とか、日の丸とか、なんとなくクローズアップされる筋立てと、自衛隊が登場する以前の、戦後社会の描き方に、ちょっと違和感の残るストーリーでした。 しかし、まあ、お堅い話はさておき、ゴジラのあの足音! あの咆哮! で締めたラスト・シーンには拍手!拍手!でした。ゴジラは永遠に不滅!でした(笑)。監督・脚本 山崎貴撮影 柴崎幸三照明 上田なりゆき録音 竹内久史特機 奥田悟音響効果 井上奈津子VFX 山崎貴編集 宮島竜治音楽 佐藤直紀キャスト神木隆之介(敷島浩一)浜辺美波(大石典子)山田裕貴(水島四郎)青木崇高(橘宗作)吉岡秀隆(野田健治)安藤サクラ(太田澄子)佐々木蔵之介(秋津清治)2023年・125分・G・日本配給 東宝2023・11・14・no139・109シネマズハット35!
2023.11.16
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吉野耕平「沈黙の艦隊」109シネマズ・ハット 見ちゃいましたよ(笑)。SCC第11回例会、12本目です。今回はM氏の提案です。映画は吉野耕平監督、かわぐちかいじ原作の「沈黙の艦隊」でした(笑)。 見終えて、道ばたの日陰に座って一服しながらの感想戦です(笑)。ああ、今時、一服するのはシマクマ君だけです。M氏はタバコなんて、もちろん、お吸いになりません。 「なんなんですかね、これって?」「えー?結構面白かったんですけど。」「特撮マニアの人たちって、やっぱり、こういうの面白いんでしょうかね?」「ボク、そういうとこ、まったく興味ないんです。でも好きな人は好きなんじゃないですか?いかにも東宝の映画っていう感じじゃないですか。ボクの、今回の興味は大沢たかおっていう人だったんです。キングダムという映画の王騎という役が、まあ、なんともいえずおかしかったんですが、服装が違うだけでおんなじで笑えましたね(笑)。」「続けてやるんですかね?」「やるでしょ。始まったばっかりじゃないですか。かわぐちかいじの沈黙の艦隊はお読みになりましたか?」「はい、昔、喫茶店かどこかで。」「あれって、というか、この映画のネタでもあるんですけど、アイデアというか面白いですよね。」「核兵器をチラつかせるとこですか。」「まあ、そうなんですけど、ぼくは、うったらうつぞというとうたないんだったら、はじめっから撃たない、持たないが可能なんじゃないかというのがかわぐちかいじのアイデアなんじゃないか、それって、まあ、マンガ的ではあるのですが、面白いなって思うのです。で、今日の映画もそこんところを強調してたんですが、問題は結論ですよね。」「というと?」「マンガが、まだ続いている気が、ボクはしているんですが、まあ、そんなわけはないのですが、海江田という主人公、最後、どうなるかご存知ですか?」「いや、忘れました。」「たしか、国連に行くんですけど、核所持がブラフだったことをばらして、撃たれて終わるんです。で、今日のところで、面白いなって思ったのは、乗組員たちはそのことを知っているんです。にもかかわらず海江田に付いてくるんです。そこはどうするのかな?それと、ボクはかわぐちかいじ自身が結論に困った結果、案外、凡庸なマンガになって終わったと思うんですが、そこをどう解釈するのかですね?」「ふーむ・・・、続編も、作られるとして、見ます?」「ああ、それはわからないですね。でも、見そうですけど(笑)」 M氏は今回も納得がいかなかったようですが、シマクマ君は案外面白かったですね。昨今の世相もあって、ある意味、鬱陶しい話なのですが世相に媚びるのかどうか、ちょっと興味ありますね。まあ、マンガの映画化というわけで、おおざっぱな印象は残ったんですけどね(笑)。監督 吉野耕平原作 かわぐちかいじ脚本 高井光撮影 小宮山充編集 今井剛音楽 池頼広主題歌 Adoキャスト大沢たかお(やまと艦長・海江田四郎)玉木宏(海自たつなみ艦長・深町洋)上戸彩(市谷裕美・記者)ユースケ・サンタマリア(たつなみソナーマン・南波栄一)中村倫也(入江兄弟・兄)中村蒼(やまと・副艦長・山中栄治)松岡広大(入江兄弟・弟)水川あさみ(海自たつなみ・副長・速水貴子)笹野高史(竹上総理大臣)アレクス・ポーノビッチ(第7艦隊司令官ローガン・スタイガー)リック・アムスバリー(米大統領ニコラス・ベネット)橋爪功(黒幕・海原大悟)夏川結衣(曽根崎防衛大臣)江口洋介(海原官房長官)2023年・113分・G・日本配給 東宝2023・10・16・no126・109シネマズ・ハットno33・SCCno12!
2023.10.17
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山田洋次「こんにちは、母さん」109シネマズ・ハット 毎月一度、お出会いしてコーヒーとか飲みながらおしゃべりをするお友達がいらっしゃいます。昔の職場で知り合った少し先輩です。「吉永小百合の映画を見たんですが、後姿がおばあさんになってましたよ。」「ああ、山田洋次ですね。」「吉永小百合とか綾瀬はるかとかは見ないの?」「綾瀬はるかとか好きですよ。でも、まあ、自分からは見ないかなあ?綾瀬はるかも見たの?」「見ましたよ。あなた、難しそうな本とかめんどくさそうな映画が好きやからね(笑)。吉永小百合とか綾瀬はるかも、やっぱりいいよ。」「ワッチャー(笑)」 で、見ました。山田洋次監督の92歳だかの新作「こんにちは、母さん」です。そうか、そうか、ナルホド!そうか! 吉永小百合の映画って、キューポラのなんとか以来、見た記憶がありません。湯村温泉の話とか、最近では、山田洋次監督の母ものとかに出ていらっしゃるのは知っていましたが見ていませんね(笑)。 で、見ながら、つくづくスゴイな! と思ったのは、山田洋次って、寅さん映画もそんなところがあるのですが「永遠のダイコン畑」みたいなところがあると思うのですね。で、今回の映画を見ていて吉永小百合さんが、ボクの大昔の記憶にある永遠のダイコン少女! のままだったことですね。永遠のがつくところがミソですよ(笑)。 今回の映画では東京の下町の足袋屋の、夫に先立たれた女房役だったのですが、ミシンを踏んでも、客あしらいをしても、ボクには足袋屋の女房には全く見えない、ただの吉永小百合なのですね(笑)。 で、その空気は映画中に充満していて、息子の大泉君も恋人(?)の寺尾聡も、みなさん、ダイコン大集合状態に見えて、まあ、それはそれで面白かったのですが、恐れ入りました(笑)。 こんなことを書いていると友達をなくしそうな気もしますが、まあ、感じちゃったとこは仕方ありませんね。それに、悪口を言っているつもりもあまりないのです。もちろん東京の下町(全く知らな町です)に吉永小百合はいない!とか言っているわけでもありませんので(笑)。ただ、吉永小百合に老いは感じませんでしたが、山田洋次には、さすがに年をとったと感じたことも事実ですね。チョット、さみしかったですね(笑)。監督 山田洋次原作 永井愛脚本 山田洋次 朝原雄三撮影 近森眞史編集 杉本博史音楽 千住明キャスト吉永小百合(神崎福江)大泉洋(神崎昭夫)永野芽郁(神崎舞)YOU(琴子・アンデション)枝元萌(番場百惠)宮藤官九郎(木部富幸)田中泯(イノさん)寺尾聰(荻生直文)2023年・110分・G・日本配給 松竹2023・09・14・no114・109シネマズ・ハットno33
2023.09.15
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三宅唱「ケイコ 目を澄ませて」シネリーブル神戸 「耳を澄ます」といういい方はありますが、「目を澄ます」といういい方はありません。そのあたりが気になってやってきたシネリーブル・神戸です。 観たのは三宅唱監督の「ケイコ目を澄ませて」でした。三宅唱という監督は、佐藤泰志の原作を映画化した「きみの鳥はうたえる」を観たことがあります。名前はかわいい(?)のですが、写真で見ると結構いかつい人だったことに好感を持った記憶があります。マア、映画とは関係ありませんね(笑)。 ぼくは最近の日本映画をあまり観ないのですが、この人の作品なら見ようかなと、名前を憶えている数少ない監督の一人だということもあって観に来ました。 耳が聞こえない少女ケイコ(岸井ゆきの)がボクシングに打ち込んでいて、彼女が信頼しているジムの会長が、この映画の中でたった一人だけ知っている俳優だった三浦友和でした。彼の、老いの演技に、「ああ、いい役者になったなあ。」と納得しましたが、彼がいなければ、この映画をぼくはドキュメンタリーだと思って見終えていたような気がしました。もちろん随所にドラマ的展開は仕込まれているのですが、ドキュメンタリーのリアルをぼくに感じさせたのは口がきけないケイコの演技でした。 「わかった」とか「はい」とかいう片言であれば発声できるらしいケイコという役柄を、岸井ゆきのという女優さんが無言で演じながら、ボクサーの修練を積む女性の深い内面をいかに演じているか、もう、見ていただくよりほかありません。 思わせぶりなアップも、意味ありげなセリフ回しも一切ない映像のシンプルさが、これほど爽やかな映画をぼくは知りません。 映画の終盤、様々な鬱屈を抱えながら試合を戦うケイコが、ついに、唸るように吠え、吠えた瞬間にカウンター・パンチを喰らうシーンがあります。 これが、泣かずにいられようかという、決定的瞬間でしたが、このシーンを撮った三宅唱に拍手!でした。「ケイコ、目を澄ませて!」 そのセリフが、三浦友和の口から発せられるのではないかと、勝手に期待して観ていましたが、とうとう、その言葉はありませんでした。マア、考えてみれば、映画の最初から最後まで、その言葉を唱えながらケイコに肩入れしていたのはぼく自身だったわけで、昂る気持ちのせいで、一瞬、視界が濁ってしまった瞬間のカウンター・パンチに、痛い目にあったのは、観ていたぼく自身だったのかもしれませんね(笑)。いい年をして困ったものです(笑)。 帰り道、脇道の路地を歩きながら、誰もまわりにいないことを見計らってシャドー・ボクシングの真似をしてみましたが、いくら腕を突き出してみても「シュッ!」という音はしませんでした。ぼくは、日本語字幕付きの上映でこの映画を観ましたが、ボクサーの突き出すパンチには、字幕にはない「シュッ!」という音がしていたと思いますが、ホントは、そんな音しないんでしょうね。もし、したとしても、ケイコには聞こえないんだというようなことを考えながら「目を澄ます」という言葉を噛みしめました。 上の写真はパンチを喰らった翌朝の顔ですが、目を澄まし続けていたからでしょうか、ずっと怒っている(ように、ぼくには見えた)ケイコをまっすぐに演じた岸井ゆきのに拍手!でした。監督 三宅唱原案 小笠原恵子脚本 三宅唱 酒井雅秋撮影 月永雄太キャスト岸井ゆきの(小河ケイコ・ボクサー)三浦誠己(林誠・ジムのコーチ)松浦慎一郎(松本進太郎・ジムのコーチ)佐藤緋美(小河聖司・弟)中島ひろ子(小河喜代実・母)仙道敦子(会長の妻)三浦友和(ジムの会長)2022年・99分・G・日本2023・01・18-no007・シネリーブル神戸no171
2023.02.03
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ヤン・ヨンヒ「スープとイデオロギー」元町映画館 チョット、本が手元にないので確認できないままですが、朴沙羅(パク・サラ)という若い学者が書いた「家(チベ)の歴史を書く」(筑摩書房)の中に「見えない歴史」という言葉があったと思います。 著者の朴沙羅は、自分の伯父や伯母たちにインタビューすることで、自分には見えなかった、1948年以来の家族(チベ)の歴史を発見した好著だと思いますが、今回見た映画は「オモニ(母)」の「見えなかった歴史」を娘が発見する作品でした。作品はヤン・ヨンヒ「スープとイデオロギー」というドキュメンタリー映画です。 ぼくは、この監督の作品を見るのは初めてでした。 「なんか、けったいな題の映画やなあ」 まあ、そういう感じの軽い気分で見たのですが深く胸に残る傑作でした。 映画の主人公(?)1930年生まれのオモニ(母)は、映画が完成したときに91歳です。日本で生まれましたが、敗戦直前の大阪から父母の故郷、済州島へ疎開し、1948年、再び大阪に逃げ帰ってきて以来、70数年、大阪市の生野区猪飼野で暮らし来た女性で、いわゆる在日コリアンです。 映画は、今はなくなっているのですが、まだ、元気だったアボジ(父)が「日本人とアメリカ人以外やったら、誰でもええ。」と、娘ヨンヒ(監督自身)に語るシーンを冒頭に据え、50歳を超えた娘が10幾つ若い「日本人」の男性と結婚することになり、挨拶に来る男性のために、オモニが、おなか一杯朝鮮人参とニンニクを詰めた丸鶏のスープを料理し、振る舞うシーンへ続きます。 その後、このスープの作り手は、そのお婿さんに変わったりしますが、ことあるごとに作られる、このオモニのスープの、想像上の味のイメージが、この映画の傑作の味わいをつくりだしていると思いました。 で、イデオロギーは?ということですが、そこは作品を見て、考えていただくほかないと思います。 映画の終わりのほうで、老人性の痴呆を発症したオモニを連れて済州島に渡り、4・3事件研究所で、応対した職員に、監督ヤン・ヨンヒが「私はアナキストですが、」と凛としたひびきの発言をするシーンがありますが、その響きの中にすべて集約されているとぼくは感じました。 1910年の大日本帝国による植民地化にはじまり、南北朝鮮が現前する現在に至るまで、その時、その時の「国家」の名前で、何万、何十万という無辜の民が命を失い、いわれなき蔑視やヘイトに晒さらされ、「見えない」恐怖と不安の中で生きることを余儀なくされてきたのが朝鮮半島の人たちの200年だとぼくは思います。 監督ヤン・ヨンヒのオモニは、その最も悲惨な事件の一つに18歳で遭遇し、婚約者を失い、幼い妹を背負い、弟の手を引いて猪飼野に逃げてきた中で味わった、娘にさえも「いえない」恐怖に縛りつけられた、その後の70年の人生を生きてきた人です。 そして、いま、90歳を超えるようになって、認知症の混迷にさまよいこみ、その恐怖を共有した亡き夫をさがし、その恐怖が理想の国として夢見させた北朝鮮に差し出した息子たちの名前を呼びながら、幻の家族と共に生きようとしています。 娘のヨンヒの「アナキストです。」という言葉の響きの中に、母や父や兄たち、すなわち、彼女の「家族(チベ)」を抱きとめ、抱きしめるための場所、国家やイデオロギーを超える場所に立とうとしている人間の、文字通りの愛と勇気のようなものを、ぼくは、感じました。涙がとめどなく流れるのですが、受け取ったのはかなしみだけではなかったと思います。 年老いた母と自分自身にカメラを向けることで、ドキュメンタリーの客観を超える作品を作り上げた監督ヤン・ヨンヒに拍手!でした。監督 ヤン ヨンヒ(梁英姫)脚本 ヤン ヨンヒプロデューサー ベクホ・ジェイジェイエグゼクティブプロデューサー 荒井カオル撮影監督 加藤孝信編集 ベクホ・ジェイジェイ音楽監督 チョ・ヨンウクナレーション ヤン・ヨンヒアニメーション原画 こしだミカアニメーション衣装デザイン 美馬佐安子2021年・118分・G・韓国・日本合作原題「Soup and Ideology」2022・09・12-no104・元町映画館no144追記2022・09・25
2022.09.26
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森井勇佑「こちらあみ子」元町映画館 今日は元町映画館で二本立てでした。もっとも、見たのはポスターにある「教育と愛国」、「こちらあみ子」のセットではなく、「歩いて見た世界 ブルース・チャトウィンの足跡」と「こちらあみ子」のセットでした。 今村夏子の小説「こちらあみ子」は、うまくいえないのですが、数年前に初めて読んで強く打たれた記憶がある作品でした。「そうだよな、そういう人間の在り方ってあるよな。でも、人というのは、そういう在り方のことを説明してしまうんだよな。この小説は、説明しないで、あみ子がここにいると書いた、書くことは説明の始まりだけど、なるべく説明にならないように描いたところがすごいんだよな。だから、誰かにこの小説はね・・・と始めると、伝わらないんだよな。」 まあ、こんな感想を持ちました。例えば、とっぴな例で申し訳ないのですが、ドン・キホーテなんていう人物は、あくまでも小説世界の人物だから、あれだけ輝くと思うのですが、現実の中に置いてしまうと、ただの困った人になりかねません。私見ですが、映画というのは、リアリズムで見ると、現実と見分けがつかないわけで、「そこに小説世界の人物をおいてしまうと・・・?」という危惧を感じながらですが、映画になったというので見に来ました。 「うまくいかないだろうな」の予想の通り、うまくいっていないと思いました。あみ子が生まれてくる前に死んだ弟の墓を楽しそうに作ります。それを見て、流産した母親が泣きます。素直だった兄がグレます。父親があみ子を遠ざけるようになり、あみ子を祖母のもとに預けます。あみ子の社会性の未熟さと、それについていけない家族の崩壊と子捨てのプロセス、小説の展開を映像化すればそうなるのですが、それでは、小説の中で「こちらあみ子」と電池が切れているかもしれないトランシーバーで呼びかけてきたあみ子に、映画は応答したことにはならないのではないでしょうか。 最後のシーンで「大丈夫じゃ!」と言わせる映画製作者、森井監督は、何とかあみ子の存在を肯定しようとしているように見えますが、あみ子が求めているのは「応答」であって、肯定や否定の判断や存在のありように対する大人の理解などではないのではないでしょうか。 じっと耳を澄ませて、あみ子の声を聴く場所に、なんとか読者を引き留めた今村夏子は、この作品を見て納得するのでしょうか? 製作者も俳優も真摯に取り組んでいることは間違いありません。あみ子を演じた大沢一菜という子役の演技にも感心しました。しかし、こちら側から描けば描くほどあみ子は遠ざけられてしまい、あるいは、隔離されてしまい、あるいは、捨てられてしまう。 うまく言えないのですが、そこのところにどうしても違和感が残った作品でした。やっぱり、拍手はしません!監督 森井勇佑原作 今村夏子脚本 森井勇佑撮影 岩永洋編集 早野亮音楽 青葉市子主題歌 青葉市子キャスト大沢一菜(あみ子)井浦新(お父さん・哲郎)尾野真千子(お母さん・さゆり)2022年・104分・G・日本2022・07・22-no92・元町映画館no141
2022.08.11
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渡辺謙作「はい。泳げません」シネ・リーブル神戸 綾瀬はるかさんが水泳のコーチだそうで、スクール水着の彼女を見たい一心というわけでもないのですが、まあ、贔屓の方ということでやってきたシネ・リーブルです。 ネットで予約をした時に誰もいなかったので、入場するときに、ちょっと面白がってホール担当のオニーさんに声をかけてしまいました。「ひょっとして、お客一人?」「はい、そうなんです。」「ええー?綾瀬はるかさん見に来る人いないの?」「あのー、ミント神戸と番組かぶってまして。こういうふうになることがあるんです。」 で、座席につきました。コロナ騒ぎで、その傾向が強くなりましたが、隅のはしっこの席が、予約購入の場合の指定席です。変ですね。誰も他にお客がいないのに、100人ほど座れるホールの隅っこに座っている老人って。 予告編のあいだも、なんだか落ち着きません。とうとう、一人映画が始まってしまいました。 映画は「はい。泳げません」、監督は渡辺謙作という人です。 画面では、大学の哲学の先生らしい、長谷川博己という俳優が演じている小鳥遊雄司、「たかなしゆうじ」と読むそうですが、の様子を見ていてのけぞりそうになりました。「まあ、いいですけど。綾瀬さんはどうなっていますか?」 そんな気分でした。 とうとう、最後まで一人映画でした。お目当ての綾瀬さんは、いつものようにというか、この映画でも素っ頓狂で善意の塊のような役柄を演じていらっしゃいましたが、何故だか「あやせはるかモデル」の水着型フィギュアの演技を見ているような気がして、素直に喜べませんでした。 映画全体が「善意(?)」で出来ているようで、彼女は善意の女神のような役を演じていた作品でした。彼女の水着姿を喜ぶ映画ではありませんでした。「彼女は永遠に善意のフィギュアを演じ続けるのかなあ?」 そんなことを考えながら、一人ぼっちで、まあ、言いようによればワン・マン社長の試写会(笑)のように一人映画を終えたのでした。「伊佐山ひろ子さんが元気そうだったのはなによりだけれど、まあ、これじゃあ、ぼくが社長ならお蔵入りだろうなあ。」 とか、なんとか、久しぶりの伊佐山ひろ子には反応しながらも、小林薫はほとんど見過ごしたうえに、映画そのものには首を傾げながら、上映が終わっても、いつものように開かないドアを、オソル、オソル自分で押し開けて出てくると先ほどのオニーさんが入り口で片づけをしていました。「結局、誰も来んかったね。」「ありがとうございました。ご苦労さまでした。」 いやはや、実は、結構重たいテーマを描いていた映画なのですが、ピンとこなかったんですね。ボンヤリ見ていたエンド・ロールに哲学の監修者に、これまた贔屓の国分功一郎なんて言う名前まで見つけてしまいましたが、人が生きている世界として描かれているらしい「水」のシーンに引き付けるものがなかったことが決定的だったような気がしました。 ほんと、ご苦労様でした(笑)。監督 渡辺謙作原作 高橋秀実脚本 渡辺謙作撮影 笠松則通編集 日下部元孝音楽 渡邊琢磨主題歌 Little Glee Monsterキャスト長谷川博己(小鳥遊雄司 哲学教員)阿部純子(奈美恵 恋人)麻生久美子(美弥子 元妻)綾瀬はるか(薄原静香 水泳コーチ)伊佐山ひろ子(笹木ひばり)広岡由里子(葦野敦子)占部房子(橘優子)上原奈美(英舞)小林薫(鴨下教授)2022年・113分・G・日本2022・06・17-no82・シネ・リーブル神戸no155
2022.06.18
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三木聡「大怪獣のあとしまつ」109シネマズ・ハット 予告編を見ていて思ってしまいました。「ああ、ゴジラが死ぬんや。見なきゃしようがないなあ。」 実はシマクマ君は日本映画史に燦然と輝く、あの「ゴジラ」と同い年、1954年生まれです。というわけで、この60数年、あれこれ造り出されてきた幾多の怪獣たちの中で、ゴジラに対しては別格の親愛感を抱き続けてきた人生でした(笑)。かのハリウッドの爬虫類映画に至るまで、ゴジラと聞けば馳せ参じてきました。まあ、そういうわけで、そのゴジラが何者かによって惨殺されたとあれば駆けつけるほかないわけじゃないですか。 で、2022年、2月11日、なんだか意味深な日ですが、109シネマズ・ハットにやってきて見たのが、三木聡という監督の「大怪獣のあとしまつ」でした。 感想は一言「駄作!」 でした。 まず、死んでいたのはゴジラではありませんでした。予告編はウブなゴジラファンを、だます意図で作られたとしか思えないインチキ広告でした。 この映画の中で「大怪獣」とか、とどのつまりは「希望」とか名付けられた生物死体の全景は一度も映し出されません。まず、そのことが不愉快でした。 筋立ては、ご都合主義で、「デウス・エクス・マーキナ」なんていう御託を吹聴して見せながら、一方で、おかしくもなんともない言葉遊びに終始しながらどう考えても性差別でしかない下ネタで笑いをねだる一方で、死体がまき散らす異臭ガスを巡っては、近隣諸国に対する「ヘイトの風潮」を煽るかの映像を繰り返し映し出し、とどのつまりは「国家のため」とかいうセリフを若い俳優に口走らせるに至っては、作品世界の構成上の必然性を言い訳にすることさえも到底できない、陳腐な表現というしかありませんでした。 2011年の原発事故やコロナ騒動の社会のありさまや、あるいは政治的経緯に対する風刺的意図を匂わせて、たとえば「帰宅困難地域」というような、被災者の現実が終わっていない用語を、映画に登場する政府の役人や、国防軍とやらの軍人に繰り返し叫ばせていましたが、いったい何が言いたいのか、意味不明でした。 若い俳優のことはよく知りませんが、西田敏行とかオダギリジョー、笹野高史とかいうベテランの俳優たちが、物語のキーマンとして登場していましたが、なんだか哀れでした。 しかし、恐るべきことには続編が用意されているそうで、今度はガメラが死ぬそうです。いや、ホント、ええ加減にした方がいいと思うのですが、この映画も、2022年の2月の第1週の週末興行成績は1億数千万円だそうで、邦画のベスト3にランクインしているそうです。まあ、他人のことはいえませんがえらい時代ですね(笑)イヤ、ホント、付き合いきれません。監督 三木聡脚本 三木聡撮影 高田陽幸照明 加瀬拓郎録音 高野泰雄美術 磯見俊裕怪獣造形 若狭新一編集 富永孝音楽 上野耕路キャスト山田涼介(帯刀アラタ)土屋太鳳(雨音ユキノ)濱田岳(雨音正彦)眞島秀和(敷島征一郎)ふせえり(蓮佛紗百合)六角精児(杉原公人)矢柴俊博(竹中学)有薗芳記(川西紫)SUMIRE(椚山猫)笠兼三(道尾創)MEGUMI(甘栗ゆう子)岩松了(五百蔵睦道)田中要次(国中島隼)銀粉蝶(ユキノの母)嶋田久作(中垣内渡)笹野高史(財前二郎)菊地凛子(真砂千)二階堂ふみ(サヨコ)染谷将太(武庫川電気)松重豊(八見雲登)オダギリジョー(ブルース青島涼)西田敏行(西大立目完)2022年・115分・G・日本2022・02・11-no16109シネマズ・ハットno8
2022.02.12
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山根真吾「バケモン」シネ・リーブル神戸 題名が衝撃的です。「バケモン」ですよ。この題名で、追いかけた相手が「鶴瓶」です。「家族に乾杯」のボルテージの下がり具合を心配する「鶴瓶ファン」なら、本当は「バケモン」の笑福亭鶴瓶を観たいと思って、映画館に来ると思います。 客席は、高齢のカップルをはじめ、そこそこのお客さんで埋まっていました。皆さん「バケモン」と出会うことを期待していらっしゃったのではないでしょうか。 で、映画はどうだったか。 「バケモン」は最初から最後まで、どこにもいませんでした。チラシには「日本の17年間に没入」した密着映像とか、「非日常の1時間59分59秒」とか、煽ってありました。でも、少なくともぼくには、とてもまじめでいい人の「鶴瓶さん」がいるだけでした。普通、こういうのは「バケモン」とは言わんな という映画でした(笑)。 ぼくは、同世代ということもあってアフロの時代から鶴瓶という芸人さんを見知っていますが、こういう教育テレビまがいの、ちゃちな構成で「バケモン」と呼ぶのは、当の鶴瓶がかわいそうだと思いました。 期待した香川照之のナレーションも、途中からは耳障りなだけで、まあ、なんとなくな溜息しか出ない映画でしたね。監督・演出 山根真吾企画 千佐隆智撮影 山根真吾 津村和比古 山本景三 加藤智則 倉田修次ナレーション 香川照之キャスト笑福亭鶴瓶2021年・120分・G・日本シネ・リーブル神戸no102
2021.07.21
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松居大悟「くれなずめ」シネ・リーブル神戸 若い友達が監督の名前を口にしているのを小耳にはさんで観に来ました。松居大吾という30代の劇作家で、かつ、映画も撮っているというということでしたが、ぼくは名前も映画も知りませんでした。 映画は松居大吾「くれなずめ」でした。案の定、いつも見ているプログラムに比べて、明らかに若い方たちが客席にはいらっしゃって、上映は月曜日の夕方でしたが、結構込み合っていました。 ウルフルズという、今ではおじさんの(トータス松本君は54才だそうです)グループの「それが答えだ」という歌を「答えが明かされていない所が良いのだ」と、気に入っている主人公、吉尾くんと、残り5人の男の子たちが、友人の結婚披露宴で5年ぶりに再会して、12年前、高校の文化祭の出し物でやった「それが答えだ」の「赤ふんダンス」とやらを披露宴で披露して、客からドン引きされ、会場からの帰り道、5人で何やかやと思い出に浸りながら「暮れなずむ」夕陽がスクリーンいっぱいに広がるというラストで、映画は終わります。 チラシにもありますから書きますが、5年前に5人が会ったのは、25歳で急死した吉尾君の葬儀の時だったというのが、この物語の骨格で、亡くなった高校時代の友人と共有できる、思い出の「物語」を演じることで、「青春」とやらに「くれなずめ」と命じている、まあ、今風なのか、今風ではないのか、30目前の青年たちの、「それが答えだ」という映画だったと思いました。 こういう、ありがちなストーリーを、客を揺さぶる映画として作り上げるのは大変ですね。正直、高校生だったころのシーンも、30歳前のおにいさんたちのシーンも、赤ふんダンスのシーンも、映画としてはお粗末だと思いました。 「テンポよく」が条件ですが、舞台で「生」でやると受けるだろうなと感じるシーンは多いのですが、映像にすることで生じる客とスクリーンとの「距離感」のようなものに、この監督は無頓着だというのが感想です。 なんだか、ボロカスですが、不思議なことに見終えた印象はそう悪くないのですね。「笑わせてやる!」とウルフルズが主題歌で絶叫していましたが、ちょっと、笑えないのが、まあ、どうしようもないのですが、「答」がないことに「時代」がうろたえている感じは、妙にリアルでしたね。 もっとも、そこが監督の描きたいところだったかどうか、それはわかりません。でもね「答」なんて、いつの時代にも、どの年齢にもないんじゃないですかね。監督 松居大悟脚本 松居大悟撮影 高木風太音楽 森優太主題歌 ウルフルズ振付 パパイヤ鈴木キャスト成田凌(吉尾)若葉竜也(明石)浜野謙太(ソース)藤原季節(大成)目次立樹(ネジ)高良健吾(欽一)飯豊まりえ(弘美)都築拓紀前田敦子岩松了パパイヤ鈴木2021年・96分・G・日本2021・05・17‐no48シネ・リーブル神戸no92
2021.05.19
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森達也「i 新聞記者ドキュメント」十三第7芸術劇場 久しぶりの十三徘徊ですね。お目当ては第7芸術劇場、映画は森達也監督が、今、話題の望月衣塑子さん、東京新聞社会部記者を追いかけた「i 新聞記者ドキュメント」です。 森達也といえば、オウム真理教を題材にした「A」「A2」、佐村河内守を題材にした「FAKE」なんかが評判ですが、書籍化されたものは読んだことがありますが、映画は初めてです。今回は森達也初体験というわけで、ワクワクしながらやってきました。映画館は結構混んでいました。 映画が始まりました。沖縄の現場取材のようですね。望月さんの仕事上の日常が追われて行きます。印象的だったのは、いつもトランクを曳きずっている事でした。まあ、何が入ってるんだろう、あんな大きなものを、という感じですね。 内閣官房の記者会見のシーンは、今やネット上では有名を越えている事件ですが、権力者が勝ち誇ったような表情をしてるのが、不快な印象を越えて、なんだか「気味が悪い」のですが、さほど興味を惹かれるわけではありませんでした。 首相官邸の周囲で、カメラマンの森さんに、執拗に絡む警察官の善意めかした顔も、言葉遣いも、同じでしたね。こういうことが、日常化していくときに、警察官って、自分のことをどう思うようになるのかとか考えてしまいます。命令があって、黙ってしたがうということなのでしょうかね。 最後のシーンは選挙演説のシーンでした。今日は大きなトランクは持っていないのかなと思って見守っていて、ようやく気付きました。 望月さんは、堂々と「一人」なんですね。堂々と「一人であること」を支えているものは何か?森達也はそれを撮りたかったに違いありません。 一人で立っている「望月衣塑子」のシーンで映画は終わりました。映画館が暗くなって、チラシの真ん中に、朱書きの「i」があったことが思い浮かびました。小文字なんですね。なんだワカラナイ表情、その他大勢のひとを顎で指図して平気な目、私利私欲のしたり顔、そんなものが社会に充満し始めています。何だか、立派そうにふるまっている皆さん、どなたも、大文字の「I」を生きるのに、夢中なのかもしれませんね。 小さな「i」が「まともである」ことを支えるのは、、たぶん、「それはしない」という形で、誰もがこっそり持っている「小さなモラル」だと思うのですが、個々の小さな「モラル」は、その人ものですよね。だから、大文字の「I」に怯む必要もないし、「一人で立つ」こともできるわけです。 「一人」で立つ「小さな人」として、望月衣塑子を撮った森達也は、どうも、ただ者ではなさそうですね。 それにしても、一人で立っている望月さんの姿が寂しく思い浮かぶ「時代」になっていることに、なんだか悄然としてしまいますね。 十三の駅前で、今日は「酒饅頭」を、お土産に買いました。 監督 森達也 撮影 小松原茂幸 森達也 キャスト 望月衣塑子2019年 113分 日本 2019・11・2・七芸・シアター7 no1追記2019・11・29フィクションのほうの藤井道人「新聞記者」の感想はこちらからどうぞ。追記2020・01・01 2019年の年の暮れのことです、新聞などのマスメディアの「首相番」の記者たちが、総理大臣と、税金で、忘年会をして、ツーショットして喜んでいるという記事をどこかで読みました。嘘か本当か知りませんが、ありそうだと感じるところに、このドキュメンタリーが追いかけた「望月」記者の孤独の深さを感じました。追記2020・10・18 なんと、「大物」の提灯持ちで成り上がった方が、超大文字の「I」の座を手に入れましたね。御機嫌取りをしながら世間を渡った人には、そうしない人間は邪魔です。「あほボン」では思いつけなかった、もっと「悪質な手口」が横行するのでしょうね。まあ、なった瞬間から始まっているようですが、こうなると、森さんや望月さんの仕事に、やっぱり期待してしまいますね。にほんブログ村にほんブログ村
2019.11.28
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山崎裕「柄本家のゴドー」元町映画館 今日は、パートの仕事に出ているチッチキ夫人と高速神戸で待ち合わせて、阪急で王子公園駅へ。水道筋、広東料理「楽々食館」で夕食。残念ながら、折からの激しい雨の中、うろつくこともむずかしい夜でしたが花隈駅にとんぼ返りして、いざ、元町映画館へ。というわけで、同伴映画鑑賞でした。お目当てのの映画はこれ、山崎裕監督の「柄本家のゴドー」。 柄本家の皆さんといえば父親の柄本明については、今さら言うまでもないわけですが、柄本佑くんは、「君の鳥は歌える」で、柄本時生くんは、つい最近の話題作「新聞記者」で拝見したばかりです。お二人とも、なかなかな演技派の俳優として「将来を嘱望されている」らしいですね(笑)。 その柄本家の兄弟二人が、父、柄本明の演出でベケットの「ゴドーを待ちながら」をやるらしく、その稽古場の実況中継映画でした。 映画は期待をはるかに上回っていました。ドキュメンタリーの焦点は、まあ、当然ですが柄本明でした。ベテランの役者であり、演出家であり、父である男が、若い役者に演技をつけている。そういう、なんというか、生活とか家族のありさまの映像を想像していました。「ええっ?なにこれ?」 全く違うすごいものを見てしまったという印象ですね。演出席にいた柄本明が、突如、笑い出して、笑いが止まりません。なぜ笑っているのか、映像を見ているボクにはわからない。舞台の上では柄本佑君が長いセリフをしゃべっています。柄本明はまだ笑っています。 と、表情が変わって、頭を抱える。考え込む。たちあがって舞台に向かって歩きはじめる。演出家柄本明が舞台に足を載せる。もう、役者柄本明になっている。柄本佑は立ち尽くしている。ただの、貧相な素人にしか見えない身体がそこに立っている。役者の身体が歩いて近づいていく。役者の身体がエストラゴンを演じ始める。で、そこにエストラゴンがいる。「えっ! なんなんだこれは!?」 またしても、笑いながら語り始める柄本明がいます。突如、宙をにらんで、ボソッと言いました。「二人でしゃべってるのは、みんなエストラゴンとウラジミール。一人でしゃべってるのはハムレットだな。」「あわ、あわ、あわ、なに?なに?なに?」 これが見られただけで十分でした。この言葉が聞けただけで十分でした。いろんなことが、何にも分からないのですが、腑に落ちて行きました。背中がゾクゾクしました。「あの息子二人は幸せや、そういうたらええんかなあ?」「うーん、ちょっとかわいそうやわ。あんな、笑わんでもええやんね。」「何笑てんのか、ようわからんかったけど。」「佑君、凍ってたやん。」 演出 山崎裕 構成 五十嵐久美子 プロデューサー 橋本佳子 山崎裕 撮影 山崎裕 キャスト 柄本明 柄本佑 柄本時生 2017年 日本 64分 2019・07・19・元町映画館no13追記2020・01・19「きみの鳥はうたえる」・「新聞記者」の感想はこちらをクリックしてみてください。追記2023・02・23「アプローズ、アプローズ!」という「ゴドー待ち」ネタの映画を観て思い出しました。映画も練習風景が面白かったのですが、この映画の面白さはまた格別でしたね。で、こっちの記事も少し修繕しました。ボタン押してね!ゴドーを待ちながら (白水Uブックス) [ サミュエル・ベケット ]
2019.07.24
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山城竹識「MONGOL800 -message-」梅田ブルグ7今日は梅田の「ブルグ7」という映画館に初めてやってきました。久しぶりの大阪駅前ビル界隈でした。 映画「ちいさな恋のうた」で、ちょっと空振りだったMONGOL800のドキュメンタリーをやってるのが、神戸からだと、ここしかなかったからやってきました。見たのは「MONGOL800-message-」です。 映画はシンプルで、正直でした。ぼくは最初の曲から、歌がかかるたびに泣きっぱなしでした。涙がこみあげてきてどうにもならないのです。 画面では、18歳の少年たちが歌い始めて、らがて、40歳になってしまったのおっさんたちが語っていました。おっさんたちは20年続いた伝説のバンドの始まりを語り、今、終わろうとしているバンドについて語っていました。 リード・ギターの儀間崇が脱退の決意の苦しさを語り、ドラムの高里悟が三人のバンドであることが変わらないことを語り、清作君がバンドマンであることを語っていました。監督の山城竹識は何の技巧も凝らさず、正直に語っている三人を、シンプルにそのまんま撮っていました。それがこの映画のもっともすぐれたところだと思いました。 三人のおっさんたちの率直さがすがすがしいのです。全くウソがないないのです。ぼくにはそう見えました。清作君は18歳の時に、いや、彼だけではないですね、三人ともが、こんなおっさんになるとは思っていなかったにちがいありません。「高校生の頃と、あんまり変わったと思っていない。」 心に残ったセリフでした。でも、時は流れてしまうのですよね。65歳のジジイは、ただでさえ涙もろくて仕方がありませんが、スクリーンでは、20年の年月に浸り込んで泣くしかない曲が演奏されるときているのです。 最後に名曲「小さな恋のうた」が、もう一度、最後まで演奏されて映画は終わりました。2019年2月の武道館のシーンです。いったいどれほど数の人たちがこのシーンに映っているのでしょう。超満員の観衆たちが声を張り上げ、メンバーを指さして歌っています。「夢ならばさめないで♪ 夢ならばさめないで♪」 映画館を出ると、ビルが林立する、その上に上弦の月が輝いていました。監督 山城竹識キャスト 上江洌清作(MONGOL800) 儀間崇(MONGOL800) 高里悟(MONGOL800)追記 2019・07・15 ぼくは、我が家の「ゆかいな仲間たち」に教えられて、彼らの音楽と出会いました。で、ぼくが繰り返し「モンパチ」を聞くようになったのは、「ゆかいな仲間たち」が、みんな家を去ったあとのことです。PCにヘッドホン・ジャックを差し込んで繰り返し聞いてきました。 ぼくには彼らの曲は、二度とかえってこない「我が家」のある時代に連れてかえってくれる曲なのでしょうね。大きな音で聞くと、かならず涙が流れます。だから、小さな音でしか聞きません(笑)。 映画館で「大きな音」のモンパチを聞いて、久しぶりに思い出に浸りました。こんな聴き方は、あんまりよくないのかもしれません。でも、音楽って、そういうもんじゃないかなあ。最近、よくそう思います。追記2022・07・12 ヤサイクン家の自家用車に載せてもらうと、相変わらずモンパチとヒロトとキヨシローが聞こえてきます。チビラ軍団の一番オネーサンの小雪姫は4月から中学生になりましが、鼻歌は「小さな恋の歌」だったりします。ヤサイクンの10年がかりのマインド・コントロールの成果ですが、時代遅れの少女だとバカにされたりしないか、ジージ―は密かに危惧しています。 久しぶりに聞いていて♪忘れるな琉球の心♬に、やっぱり涙がこぼれました(笑)にほんブログ村MONGOL800(モンゴル800)/MESSAGE(メッセージ) [CD] HICC-1201
2019.07.13
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本木克英 「 空飛ぶタイヤ」 パルシネマ 天気が良かったり、悪かったり、三寒四温とかいう時期は過ぎたんじゃないかって思っているのに、今日は肌寒い。 いつもは兵庫駅から歩く新開地ですが、今日はなんとなく学園都市から地下鉄に乗ってしまいました。パルシネマで久しぶりの邦画ですね。火曜日はやっぱり混んでいました。前から三列目に座って、ポットのコーヒーで一息入れると映画が始まりました。 ジャニーズなんて(失礼!)興味がないのですが、「TOKIO」とかいうグループだけには、歌は知らないけど、好感を持っていて、男前の(失礼!みんなそうか?)長瀬智也君も、なかなか気に入っているんです。それに、サザンオールスターズの曲が映画で流れるはずという興味もありました。サザンがとりわけ好きというわけじゃないのですが。でも、なんというか、あの、いい加減なムードの曲が、長瀬君のしかめっ面をどのくらい、ユルキャラ化するのか?そういう興味ですね。なんやかんや言ってますが、結構ワクワクしてやってきたというわけです。 残念なことに、どこまでいっても長瀬君はしかめっ面のままで、サザンは、最後の最後、エンドロールまで聞こえてきませんでした。「えーっ?それはないやろ!」 ぼくは、最近、いや、かなり以前からテレビドラマを全く見ません。朝ドラも、大河も、ゴールデンタイムも。理由は簡単で、やたらアップで顔を撮る厚かましいというか、芸のないカメラワークと、大概にしてほしいくらいの通俗物語化。付き合いきれないというか、たいてい落胆するだろうと思っているからなのですが、でも、こうやって、映画館で邦画をみて、やっぱり落胆するのは、ちょっと辛いものがありますね。 長瀬君はスターになれる人だと思うのですけれど、「これでは、ちょっと?」 そんな印象でした。「せっかく、イイ役者のムード持ってるのになあ。ダイナシヤン⁉」 でも、いいこともありましたよ。深田恭子さんという女優さんに出会えて、もちろんスクリーンでですよ、それがよかったことですね。まあ、役柄上、いいワイフだっただけかもしれないですが、彼女の作りだしている雰囲気はよかったですね。 まあ、トータル、「ヤレヤレ・・・」って感じですかね。 監督 本木克英 原作 池井戸潤 脚本 林民夫 撮影 藤澤順一 音楽 安川午朗 主題歌 サザンオールスターズ キャスト 長瀬智也(赤松徳郎 ) ディーン・フジオカ(沢田悠太) 高橋一生(井崎一亮) 深田恭子(赤松史絵) 岸部一徳(狩野威) 笹野高史(宮代直吉) 寺脇康文(高幡真治) 小池栄子(榎本優子) 阿部顕嵐(門田駿一) ムロツヨシ(小牧重道) 中村蒼(杉本元) 柄本明(野村征治) 佐々木蔵之介(相沢寛久) 六角精児(谷山耕次) 2018年 日本・松竹 120分 2019・03・20・パルシネマno2追記 昨年の五月ころから映画館を徘徊し始めました。振り返ってみると邦画は片手で数えられるほどしか見ていません。実は、ブログの記事にはしていないのですが、徘徊スタートで見た映画が「モリのいる場所」という作品で、これにキレてしまったのです。沖田修一という監督は結構人気のある人らしいのですが、ボクには信じられない演出でした。熊谷守一という希代の変人画家のミクロコスモスを描いていたと思うのですが、山崎努も樹木希林もいい味でした。しかし、宇宙人を登場させた結末部分でぶち壊しだと感じました。意図は推測できないことはないのですが、機嫌よく盛り上がりの何もない映画の良さに浸っていた老人が、思わず「アホか!」と叫びそうでしたね。「空飛ぶタイヤ」でもそんな印象を持ったのですが、若い監督さんたちの世界を図る物差しが、期待より、すこし短いのではないか。そんな印象ですね。この映画だって、池井戸潤の原作の小説を読んで、ドキドキしている方が映画館に座るよりずっと面白いんじゃないでしょうかね。映画と小説は違うものだと思いますが、なんか勝負になっていない感じですね。ボタン押してね!にほんブログ村にほんブログ村
2019.05.06
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三宅唱「きみの鳥はうたえる」元町映画館 佐藤泰志の小説「きみの鳥はうたえる」が映画になりました。 観る前に読むか、読んでから観るか問題がまたしても勃発したわけです。柴崎友香と同様、ひいきの作家です。以前に読んだはずだったのですが、全く覚えていません。書棚を探すのですが行方がわかりません。そういうのって、贔屓というのかどうか難しいのですが、最近こういうことが多いのです。困ったものです。しようがないので、神戸駅を降りて、駅中の大垣書店で再購入してしまいました(笑)。「おいおい、二冊目ちやうのん、これ。」「うん、まあ、しようがないやん。おっ、柴崎の『きょうのできごと 十年後』もあるな。ついでや、買うてしまおう。」「えー、仕事なくなって、新刊書店では買えへんと決めたんちゃうの。」「そうか、柴崎のは、古本で出るの待つつもりやったやんな。まあ、ええわ。」「調子に乗って、新刊二冊も買うて。こないだ、西脇に行って、文藝春秋の先月号か、掲載しとった芥川賞の、あれ、「送り火」、読んで「うーん」とかうなって、帰ってきたら新しい単行本が届いとったけど、ああいう場合はおんなじ本、二冊目とは言わんのか?」「うーん、あれは失敗やった。おばーちゃんが文春読んでるとはな。そやけど、もう、注文してたからな。古本言いながら、サラの本が来てたなあ。元値で売れんかなあ。」「あほか。」 とか何とか、一人議論を戦わしながら、元町映画館へ向かいました。席について、文庫本の表紙カバーと映画のチラシがおんなじなのを見くらべてホッとしていると場内が暗くなりました。 人相の悪い青年が画面の中でウロウロし始めて、映画が始まりました。「こいつが柄本佑か、弟はもっと人相悪いいうてたやつがおったな。これが、友達の静雄か。見たことある顔やな。一緒に住んどるんか。」「そういえば、学生の頃、ぼくの下宿に住んでた玉ちゃん、どうしてるんかなあ。この子ら二段ベッドか。玉ちゃんとぼくは、押入れの上と下に寝てたなあ。」「あっ、この女の子ええな。ヤレヤレ、すぐこうなるか、まあ、そんなもんやったかな。でも、この子ら学生ちゃうな。」「うん、部屋の中、今、最中やねん、二人。静雄君、君だけちやうで、その経験。ドア開けようとしたら『ああ、そうなん。しゃあないなあ。』って、なさけないやろ。考えたらきわどいことしてたんや、あのころ。真っ昼間、そんなもんか?って、平気やったし。まあ、ドア、ノックする側しか経験ないけど。」「エッ、仲直りしようってか、それはできんやろ。だいたい、お前、いうてること意味わからんし。アルバイト同士やろ、先輩面スンナや。気ィ弱いだけやろ。柄本くん、やっぱり怒るやろ。そうそう、そうなりますね。ああ、あっ。トイレ抱えて倒れちゃった。弱いなあ。」「わー、お兄さんこん棒持ってきてるやん。そうか、鉄パイプにする根性はないか。つくづくカスやな、こいつわ。あーあっ、柄本くんの死んだふりにビビりよった。」「佐知子いう名前やったか、アップに耐えるええ顔やな。」 ヒロインの困惑(?)のアップで映画は終わりました。記憶に残るに違いない、いい顔でした。 チラシで柄本佑、染谷将太、石橋静河の名前を再確認し、納得して席を立ちました。「そういえば、スーザン・ソンタグという人が「孤独は連帯を制限する、連帯は孤独を堕落させる(Solitude limits solidarity;solidarity crrupts solitude)って、言うてたというのを最近読んだけど、映画の中の人相の悪いきみ、柄本くん、あんたの姿を見ていて思いだしたわ。」「あんたが、何かを拒絶してる姿に、なんや知らん、ものすご、グッときた。共感いうんかなあ。何があって、そうしてるんかはようわからん。でも、それは、例えば、青春とか、潔癖とか、そんなもんとちやうって、今でも思もてんねん。いっぺん拒絶と決めたら、拒絶や。結果的に、一人になっても、それはシャーナイ。幾つになってもや。そやろ。」 それで、映画の中の柄本君は120数えて、振り返って走り出しました。そこが小説とは違っていました。確か、原作では佐藤泰志君には走り出させるとこができなかったように思うのですが、三宅唱君は走り出させました。映画が小説を追い抜く瞬間がそこにあったのかもしれません。でもな、それが、サイコーによかったで!ソンタグはな、あくまでも「安寧は人を孤立させる(Comfort is olates)」という前提で言うてんねんな。ぼくはな、あんたが走り出したのを見てて、『それで、どうすんねん!』って、アホみたいに目を瞠っててん。 人を好きになるというのは「solidarity連帯」とも「comfort安寧」ともちがうのです。で、何かと問われたら困るのですが、走り出すしかほかに方法がないことなのでしょうね。 映画館のカウンターを通り過ぎようとしたら、声を掛けられました。カウンターで知り合いの女性が笑っていました。元気そうで、何より。少し動揺して、トイレに行くのを忘れました。神戸駅まで歩きながら、トイレに行きたくて困りました。トホホ‥・・・ そうや、帰って原作読まな!監督 三宅唱原作 佐藤泰志脚本 三宅唱撮影 四宮秀俊照明 秋山恵二郎音楽 Hi'Specタイトル題字 佐藤泰志キャスト柄本佑(僕)染谷将太(静雄)石橋静河(佐知子)足立智充(森口)山本亜依(みずき)柴田貴哉(長谷川)2018年製作・106分・G・日本2018・09・26・元町映画館・no4追記2019・11・20小説「きみの鳥は歌える」の感想はこちらをクリックしてください。追記2020・01・09偶然つけたチャンネルでこの映画をやっていて、見始めたら最後まで見てしまった。映画とは違う小説の結末も覚えているので、テレビでやっていることに、勝手なイメージが重なって面白かった。小説の結末で映画を撮ればどうなるのだろう。ラストシーンがイメージできない。映画の結末は、明るいわけではないが、まだ三人に未来があるように感じた。追記2023・01・18 三宅唱の新作、「ケイコ、目を澄ませて」を観ました。主役のケイコは「君の鳥はうたえる」の柄本君でした。 押してね!ブログ村ボタンにほんブログ村にほんブログ村
2019.04.21
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