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ヨルゴス・ランティモス「哀れなるものたち」109ハット さて、2024年1月もあと1日です。もう1本くらい見ようかな・・・ まあ、そんな気分で選んだのがヨルゴス・ランティモス監督の「哀れなるものたち」でした。 この監督は「女王陛下のお気に入り」でポカーンとさせられた人ですが、この作品も同じエマ・ストーンという女優さんと組んでいるようで、まあ、どうせ、ポカーンだろう。 そう思ってやってきたのは109シネマズ・ハットです。で、やっぱり、ポカーンでした(笑) 顔中切り貼りだらけの、まあ、フランケンシュタインふうの怪人というべきのゴドウィン博士(ウィレム・デフォー)が登場して、人形のようなぎこちない動きのベラ(エマ・ストーン)という女性が屋敷の中をウロウロしています。 で、この、切り貼りだらけの男に見覚えがあります。「ライトハウス」という変な映画でいかつい顔の灯台守だか何だかでした。ただでさえいかついのに、今回は切り貼りだらけです(笑)。 実は、妊婦だった女性が橋の上から飛び降りて、いったん絶命するのですが、お腹の胎児の脳を移植して生き返ったのがベラで、もちろん、手術したのは怪人ゴドウィン博士です。 ね、笑うしかない始まりなのですが、この監督さんの描きかたって、女王陛下のときもそうだったのですが、妙にリアル(?)で、ノンビリ笑えないんですよね。まあ、何はともあれ、身体は成人、頭は胎児 という設定がドラマの起動装置というわけです。 イロイロ笑わせるつもりの出来事やシーンは山盛りなのですね。R18+指定 で公開されているわけですから、エマ・ストーンさん大熱演なのですが、見させていただいている老人はフーン・・・ でしたね。 設定が設定ですから、こちらの興味は、どのあたりで「私って誰?」に意識はたどり着くのか? なのですが、「性の目覚め」 で笑わせようという目論見のようでしたね(笑)。まあ「身体」が成人ですから、そちらの準備は出来上がっているわけですからね、で、素朴な「脳=意識」がそれを操るところが、チョット、ホラー気分の「笑い」 というわけでしょうかね。 お話は橋から飛び降りた女性の元亭主、こいつがまたとんでもないのです、の登場で「私って誰?」 の行く先もシッチャカメッチャカというしかない結末なのですが、「トンデモ亭主」をヒツジにしちゃった「この私って、いったい誰?」 なんでしょうね(笑)。ちょっと、それでいいの? っていう印象なのですが(笑)。 やっぱり、ヨルゴス・ランティモスって変ですね。でも、まあ、全てをお見せになったエマ・ストーンさんには、ご苦労様!の拍手!ですかね(笑)。 監督 ヨルゴス・ランティモス原作 アラスター・グレイ脚本 トニー・マクナマラ撮影 ロビー・ライアン美術 ジェームズ・プライス ショーナ・ヒース衣装 ホリー・ワディントン編集 ヨルゴス・モブロプサリディス音楽 イェルスキン・フェンドリックスキャストエマ・ストーン(ベラ・バクスター)ウィレム・デフォー(ゴドウィン・バクスター博士)ラミー・ユセフ(マックス・マッキャンドレス婚約者)マーク・ラファロ(ダンカン・ウェダバーン弁護士)ジェロッド・カーマイケル(ハリー・アストレー)クリストファー・アボット(アルフィー・ブレシントン)スージー・ベンバ(トワネット)キャサリン・ハンター(スワイニー)ビッキー・ペッパーダイン(プリム夫人)マーガレット・クアリー(フェリシティ)ハンナ・シグラ(マーサ・フォン・カーツロック)2023年・142分・R18+・イギリス原題「Poor Things」配給 ディズニー2024・01・30・no014・109ハットno38追記2024・03・12 主演のエマ・ストーンさんが、この映画で今年(2024年)のアメリカのアカデミー賞の主演女優賞なのだそうです。ふーん?ですね。不思議な評価ですね(笑)。
2024.01.31
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クリストス・ニク「林檎とポラロイド」シネ・リーブル神戸 ギリシャの新人監督だそうです。予告編を見ていると、なんだか気難しそうな男が子供用の自転車に乗って、自分でポラロイド写真を撮っているシーンが気を引きました。見たのはクリストス・ニク「林檎とポラロイド」でした。 ラジオからでしょうか、スカボロー・フェアがかかっていて、なんだか散らかった、暗い部屋に座っていると思っていた男(アリス・セルベタリス)が頭をゴンゴン壁だか柱だかにぶつけていました。それが映画の始まりでした。 後から考えると、最初のこのシーンがどこなのか、何をしているのかが謎というか、ポイントだったようです。 で、男がそのアパートから出て来て街に出て花を買ったような記憶があるのですが、勘違いかもしれません。シーンが変わって「この光の加減は何だ?」 と思っていると夜のバスの車内からの町の風景でした。 男はバスの中で眠り込んだまま、終着駅まで乗ってきて、運転手さんに誰何され、身分証も持たず、名前も分からない、で、記憶喪失騒ぎが始まります。 病院に収容された男は、あれこれ調べられますが、最近よくあるらしい記憶障害で、記憶の回復の可能性を否定され、「あたらしい人格」のためのプログラム が始まります。 医者に指示された行動を体験し、ポラロイドで写真を撮るというものです。気になっていた子供用の自転車に乗るのは、このプログラムの進行上での出来事でした。意識下にある記憶と身体的な記憶、近過去の記憶と、昔の幼児的な記憶という、それぞれ二項対立的な二通りの視点から描こうとしているプロットでしょうが、記憶をそのように解析するのは、ちょっと通俗かもしれません。 一方で、面白いのは、医者に指示された行動以外で、この男が自分からする行動は林檎を食べることでした。「おふくろの味」という言葉を持ち出すまでもなく、「味覚」や「味わい」は身体記憶の最たるものといっていいと思いますが、そう考えれば、この男は、病院に収容された最初から「記憶」を失ってなどいない、あるいは、記憶に支えられた「アイデンティティー」を失ってなどいなかったのではないかと疑うこともできます。まあ、失っていたにせよ、自ら閉ざしていたにせよ、カギになるのは林檎でした。いつも林檎を買う八百屋のオヤジの「林檎には記憶を助ける作用もある。」という言葉を聴いて、男が林檎を買うのはやめて、オレンジを買うのはなぜかということです。 ここから、男が失った、あるいは、封印した「記憶」とはなにか、ということが見ているシマクマくんの中で沸き起こって来たというわけです。 映画は「あたらしい人格」のためのプログラムに沿って行動する男を追って展開します。酒場での遊興、女との出会い、自動車事故、終末期の病人との出会いと死の看取り。そして葬儀への参列です。 男が最初のシーンの部屋に戻ってきて映画は終わりますが、部屋に残されていたのは腐りかけの林檎が盛られた果物皿でした。 その林檎の中から、何とか食べられる破片を切り取って口にした男の中に、どんな味が広がっていったのでしょう。 最後まで、ほとんどしゃべらない男を演じ、心中に深々と広がる寂寥と孤独を表現してみせてくれたアリス・セルベタリスに拍手!でした。 まあ、勝手な思い込みかもしれませんが(笑)、「あたらしい人格」のためのプログラムなどという、映画的といえば映画的なのですが、考えてみればインチキ臭い話に引き込みながら、実に巧妙に一人の男の記憶を暗示して見せた監督クリストス・ニクの、新人とは思えない手管にも拍手!でした。 挿入される音楽やダンス。八百屋の店先や、それぞれの部屋の光のトーン。医者たちの芝居がかった演技と主人公の無表情。それぞれが実に入念に演出された作品だと思いました。 主人公に子供用の自転車を操らせるアンバランスなシーンなんて、筋運びとしては実に考えられたシーンだと思うのですが、なんともシャレていました。 この監督が、今後、どんな作品を撮るのかチョット楽しみですね。監督 クリストス・ニク脚本 クリストス・ニク スタブロス・ラプティス撮影 バルトシュ・シュフィニャルスキ編集 ヨルゴス・ザフィリス音楽 ザ・ボーイキャストアリス・セルベタリスソフィア・ゲオルゴバシリアナ・カレジドゥアルジョリス・バキルティス2020年・90分・G・ギリシャ・ポーランド・スロベニア合作原題「Mila」2022・03・23-no38・シネ・リーブル神戸
2022.03.23
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ヨルゴス・ランティモス「女王陛下のお気に入り」シネリーブル神戸 「鬼才ヨルゴス・ランティモス」、このコピーで心が躍りました。で、天気も、春めいて、億劫気分も吹き飛んで、シネリーブルの座席に座ったのでした。 なにせ、ここ二十年以上もの長きにわたって、鬼才の、天才の、国際映画賞総なめの、という監督を一人も知らないのですからねえ。「おお、鬼才じゃ!鬼才じゃ!」 てな気分に加えて、ギリシアといえば、ぼくの中では、ほとんど伝説化している、あの二人の国じゃないかと、ますます盛り上がるのですね。 一人は『Z』(古!)のコスタ=ガヴラスですね。主演はイブ・モンタン、ああ、なつかしい。「Z、彼は生きている」 の名文句。大学生になって初めて見た洋画のような気がしますね(笑)。 二人目は言わずと知れた、(誰にい?)『旅芸人の記録』のテオ・アンゲロプロス。40年前の学生時代に見て以来、ボクのなかではサイコー傑作の監督です。 まあ、思い出語りはさておき、「女王陛下のお気に入り」です。 この手の歴史ものを観るときには、一応予習をすることにしているのですが、してよかったのか悪かったのかはなかなか難しいですね。 映画の邦題に使われている女王陛下が、ステュアート朝の最後で、グレート・ブリテンの初代のアン女王ですね。幼なじみのサラ・ジェニングスまかせなの愚かな政治家であり、17回も身ごもりながら、ただの一人も成人することがなかった不幸な母であり、乗馬が大好きだったにもかかわらず、ブランデーの飲みすぎのための肥満のせいで、歩くこともままならない晩年だった女王だった。このくらいまでが予備知識です。 映画はその女王(オリビア・コールマン)をめぐって、二人の女、サラ(レイチェル・ワイズ)とアビゲイル(エマ・ストーン)のだまし合いのおもむきで展開しますが、サラの失脚、アビゲイルの勝利で終わるかに見えるのですが、アビゲイルが、この気まぐれな権力者の寵愛をいつまで受け続けられるのか。怪しいことおびただしい。と、まあ、権力をめぐる嫉妬と憎悪の劇の幕は閉じるわけです。 史実としてはその通りなのだろうけれど、さて、映画が描きたかったことはそういうお話だったのだろうかというのが、見終えてわかったようなわからなかったような結末ですね。 十七世紀の王宮の艶笑譚だという見方もあるかもしれませんね。しかし、まあ、残念ながら、ぼくには、こういうグロテスクで生ぐさい人間関係を笑う余裕はありませんでしたね。 映画は女王の部屋で飼われる十七匹のウサギを描くことで、「おんな」である切なく愚かで不安な女王の姿を映し出している趣て、それが、王としての権力の姿をとるときの傲慢さに、独特の色合いを添えている印象でした。ウサギを飼っているのが王なのか、ウサギそのものが王なのか。 女王を取り巻く、二人の「おんな」に対して、女王であるアンがみせるコンプレックス、文字どおり複雑な心理の正体が、王宮で籠に入れて飼われているウサギの姿で暗示されていたのではあるまいかという印象です。 このタイプの「小心」な権力は「騙す」のは構わないのでしょうね、しかし「脅す」のは、御法度なのですね。サラは、まず、そこをしくじったというわけです。 とか、なんとか、あれこれ考えていて、最後のシーンでした。女王が、今度はアビゲイルの「いつわり」に気づいて癇癪を爆発させ、仁王立ちのままひざまづいているアビゲイルに向かって「めまいがする」と叫び、髪の毛を鷲掴みにつかむんです。 で、ボンヤリとかすんだウサギの群れへとシーンが変わり、映画は終わります。「ホラ、ヤッパリそうやん。ああ、ホントに、めまいがするわ。ウサギ小屋の女王が世界を鷲掴みしている。」 思わず、声に出していいそうでしたね。鬼才ランティモスというより、奇才の印象の強い映画でした。 元町商店街を歩いていると「元町映画館」の前でモギリをやっている、お友達のおねーさんと出会った。「どこ行ってたんですか?」 「シネ・リーブル、女王陛下のあれ、みてきた。」 「どうでした?」 「正直くたびれた。あんまり好みちゃうかも。でも、有名なカントクなんやろ?」 「ああ、『ロブスター』とかね。『ジュリアン』よかったですよ、ラストカット。あした『ともしび』観ます。」 「ああ、ぼくもそうしょうかな。」 神戸駅まで歩いて、漸く、ちょっと元気になりました(笑)。監督 ヨルゴス・ランティモスYorgos Lanthimos 製作 セシ・デンプシー エド・ギニー リー・マジデイ ヨルゴス・ランティモス 脚本 デボラ・デイビス トニー・マクナマラ 撮影 ロビー・ライアン 美術 フィオナ・クロンビー 衣装 サンディ・パウエル キャスト オリビア・コールマン(アン女王) エマ・ストーン(アビゲイル・ヒル) レイチェル・ワイズ(サラ・チャーチル) ニコラス・ホルト(ロバート・ハーリー) ジョー・アルウィン(サミュエル・マシャム) 原題「The Favourite」 2018年 アイルランド・イギリス・アメリカ合作 120分2019・02・20・シネリーブル神戸no26にほんブログ村
2019.08.22
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