読書案内「水俣・沖縄・アフガニスタン 石牟礼道子・渡辺京二・中村哲 他」 20
読書案内「鶴見俊輔・黒川創・岡部伊都子・小田実 べ平連・思想の科学あたり」 15
読書案内「BookCoverChallenge」2020・05 16
読書案内「リービ英雄・多和田葉子・カズオイシグロ」国境を越えて 5
映画 マケドニア、ボスニア・ヘルツェゴヴィナ、クロアチア、スロベニアの監督 5
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オリバー・ハーマナス「生きる」 話題の「生きる」、英語の題は「Living」、黒澤明の「生きる」をノーベル文学賞のカズオ・イシグロの脚本でリメイクして、志村喬の役を、ボクでも知っている老優ビル・ナイが演るというわけですから、まあ、評判になりますよね、そう思って余裕を持ていたら封切館の上映が終わってしまいました。「えっ?話題じゃないの?流行ってないの?」 同居人のチッチキ夫人は、いつの間にかチャッカリ見てきたようで、余裕です。「ブランコにのって歌うたうの?」「歌うけど、ちょっと違う気もしたわ。」「やっぱり、イギリスやし、スコットランド民謡?蛍の光とか?」「あほかいな、そんなんちゃう。知らん歌やったわよ。」 そんな、おしゃべりをしながら、結局、気になったのは、原作(?)のあの歌のシーンでした。 で、パルシネマが、ほんの一月遅れで二本立てで見せてくれるというのですから見逃すわけにはいきません(笑)。 オリバー・ハーマナス監督の「生きる」=「Living」です。 今更、筋立てについてあれこれいうつもりは毛頭ありません。ビル・ナイという実力派の俳優が志村僑の役を演じているのですが、リメイクのイギリス版を見ながら、ああ、そんな話だったなあとか考えているのもイマイチだなあとか思いながら映画は始まりました。 いかにもイギリスという感じ紳士の皆さんやの田園風景を蒸気機関車が走るのを、フムフムという気分で眺めていたのですが、主人公の課長さんが自分の病気のことを息子に伝えることができないシーンを見ていてハッとしました。 息子の妻の態度とか、夫婦関係とか関係ありません。大人になった息子に、父親である自分の内情を伝えることができないのです。「そうなんだよな。結局、そこのところをどうしていいかわからないんだよな、この年になってみると。」 そこから、すっかり主人公に入れ込んで見ることができたのですが、山場に差し掛かって、もう一度、ハッとするシーンがありました。 見る前から気になっていた、問題のあのシーン、主人公が歌う場面です。「ナナカマドの木」というスコットランドの歌でした。まあ、絶唱するわけですが、問題は歌詞でした。もちろん、あてずっぽうなのですが、聞き間違いでなければ、故郷の美しい風景と、その風景の中で母親が子供を見ているシーンを歌う歌だったと思います。 ボクは、その歌から聞こえてくる「マザー」という歌詞にひいてしまったのでした。自分が、その言葉を聞いて冷めていくのを実感しながら、冷めていく自分にも驚きました。 原作(?)で歌われるのは「ゴンドラの唄」でした。ブランコの志村僑はボソボソ歌っていたと記憶しているのですが、歌詞がいいのです。いのち短し 恋せよ乙女あかき唇 褪せぬ間に熱き血潮の 冷えぬ間に明日の月日は ないものを この歌が歌っているのは、今、この時を生きることへの励ましでした。思い出の故郷や、そこに重ねられた母の眼差しではありません。 ボクはカズオ・イシグロという作家の中途半端なファンです。で、たとえば、初期の「遠い山なみの光」(早川文庫)=「女たちの遠い夏」(ちくま文庫)であれ、評判をよんだ「わたしを話さないで」(早川文庫)であれ、故郷を失った、あるいは、はなからそんなものはない人間の孤独な姿を描く作家だと思い込んでいたのですが、ここでビル・ナイに歌わせたのは故郷?!、母?! という驚きと落胆でした。 エンドロールを眺めながら、別の映画を思い浮かべるというのも変ですが、ボクは、あの、朴訥の権化のような厚い唇の志村僑に、ボクが生まれる2年前、今から70年前に、あの歌をうたわせた黒澤明という監督を思い浮かべて、チョット身震いする気分でした。 このイギリス版の「生きる」も、決してつまらなくはないのですが、結局、亡くなった後も孤独だった黒澤版に比べると、主人公に歌わせる歌の違いの中にカズオ・イシグロの人の好さのようなものが表れて凡庸な結末を描いてしまったと、ボクは思いました。 言わずもがななのでしょうが、黒澤は、やはり、スゴイですね(笑)。監督 オリバー・ハーマナス原作 黒澤明 橋本忍 小国英雄脚本 カズオ・イシグロ撮影 ジェイミー・D・ラムジー美術 ヘレン・スコット衣装 サンディ・パウエル編集 クリス・ワイアット音楽 エミリー・レビネイズ=ファルーシュキャストビル・ナイ(ウィリアムズ)エイミー・ルー・ウッド(マーガレット)アレックス・シャープ(ピーター)トム・バーク(サザーランド)2022年・103分・G・イギリス原題「Living」2023・07・03-no81・パルシネマno59
2023.07.07
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デビッド・バーナード「Eric Clapton Across 24 Nights」シネ・リーブル神戸 今日はチッチキ夫人と同伴鑑賞です。なんか、こういうふうに映画館に出かけることがふえそうです(笑)。金曜日とはいえ、夕方の5時過ぎからのプログラムで、毎日お仕事があったころには「しんどいから、イヤ!」 だったのですが・・・「阪神するけど、まあ、いいわ。クラプトンやろ。見たかったし。」「ボク、3時からのホン・サンス見るけど、そっちは?」「ええー? 海岸で寝転んで、それからとかいう人の映画やろ。」「うーん、まあ、そういうシーンもあったわな(笑)。」「わけわからんから、イヤ。」「ホンナラ、ボクは先に出て、見てから合流やで。」「わかった、シネ・リーブルに5時でええんやろ。」 というわけでホン・サンスの「小説家の映画」を見て出てくるとネット予約のチケット交換を済ませて待っていました。同じホールの同じ席です(笑) 二人で観たのはデビッド・バーナードという監督の「Eric Clapton Across 24 Nights」という映画でした。 まあ、ようするに、1990年から1991年にかけてロイヤル・アルバートホールというところでエリック・クラプトンがやったコンサートの名場面集でした。30年前のクラプトン!です。 クラプトンのギター・ソロの独演会風なシーンから始まって、「クロス・ロード」「アイ・ショット・ザ・シェリフ」、「ホワイトルーム」と続き、「いとしのレイラ」、「サンシャイン・オブ・ユア。ラブ」まで17曲、1曲1曲、始まりから終わりまで見せて、聴かせるところがミソなのでしょうね。しっかりヒタレます。「ヨカッタワぁー、納得やわ。」「ホールの音響が上品すぎひんかった?ボク、もっと大きい音のほうがよかったわ。」「ううん、あれでええわよ。オーケストラとかあんまり大きい音になるのイヤヤし。バディ・ガイとか、何とかコリンズとか、めちゃカッコよかったやん。なんか、久しぶりにギターの音きいた気がするわ。」「アンナ、この前見たクラプトンの伝記みたいなん思い出してんけどな、クスリとかアルコールとか、しんどい頃のとこがあって、それがよかったんやけど、今日のはミュージックビデオやったな(笑)」「子供さん、亡くしはってんやろ。」「うん、このコンサートのあとちゃうかな?」「おなかすいたわ。なんか食べて帰ろう。」 というわけで、二人で夜の元町商店街をフラフラ歩き、ラーメンなどをいただいて、無事、帰宅しました。2023年、水無月、最後の金曜日、雨模様でしたが平和でした(笑)。帰ってテレビをつけると阪神キャッツがサヨナラ負けを喫していました。トホッ。監督 デビッド・バーナード編集 マシュー・ロングフェロー デビッド・バーナード ベニー・トリケットキャストエリック・クラプトンマイケル・ケイメンフィル・コリンズアルバート・コリンズバディ・ガイ2023年・115分・G・イギリス原題「Eric Clapton Across 24 Nights」2023・06・30-no80 デビッド・バーナード・シネ・リーブル神戸no198
2023.07.02
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ルイ=ジュリアン・プティ「ウィ、シェフ!」シネ・リーブル神戸 フランス映画でした。予告編を見ていて思いました。「明るいな!」 で、やってきたシネ・リーブル神戸でした。観たのはルイ=ジュリアン・プティという人が監督をした 「ウィ、シェフ!」です。 日本で、ようやくクローズアップされ始めている「移民」とか「難民」の問題は、ヨーロッパでは日常的な現実問題なのでしょうね。2020年だったかに公開されたラジ・リ監督のフランス映画「レ・ミゼラブル」とか、最近見たダルデンヌ兄弟のベルギー映画「トリとロキタ」とか、印象深く記憶に残っている作品が、それぞれ取り上げる角度は異なっていますが、テーマとして真摯に描いていたことからも窺われます。 二つの映画が、厳しい現実の姿を「一歩も引かない」とでもいうべきシリアスな展開で描いている様子に、もちろん、それぞれの監督の現実凝視のスタイル、思想性といったオリジナルな理由はあるに違いなのですが、一方で、ヨーロッパ映画のまともさを実感してきました。 さて、「ウィ、シェフ!」です。明るく、ちょっとマンガ的な展開で、ワハハハとはいきませんが、フフフという感じで笑える秀作でした。 報われない腕利きのシェフ、カティ・マリー(オドレイ・ラミー)が、まず、いいですね。生い立ちに始まるキャラクターの作り方とか、テレビの料理番組を利用した告発のアイデアとか、まあ、そのあたりが、まず、マンガ的だとボクは感じたのですが、現実の問題からは目をそらし、イイネ!で大騒ぎしている軽佻浮薄な「お金」と「メディア」の実相を暴いていく展開の中で、行動力溢れる態度で、まっすぐに生きている女性シェフをオドレイ・ラミーという女優さんが明るく、厳しく演じている姿に好感を持ちました。 チラシを見ていると料理映画という触れ込みのようだったのですが、移民の少年たちとオネ~さんキャプテンのサッカーチームという感じで、まあ、厨房が一応舞台なのですが、カンバレ!ベアーズならぬ、ガンバレ!カティーズというノリとテンポで展開するスポーツ映画(?)でした(笑)。 どうも、俳優としては素人だったらしい少年たちもいい感じでしたし、少年たちが暮らす(?)、収容されている(?)、自立支援施設の責任者であるカルディを演じたフランソワ・クリュゼも、なかなか渋い、いいポジション取りでしたし、職員サビーヌをやっていたシャンタル・ヌービルもデカすぎる体を持て余しながら、いい雰囲気を出していましたね。 ルイ=ジュリアン・プティという監督は初めてでしたが、厳しい現実をテーマにしながら、ちょっと笑えるコメディに仕立てている手腕には感心しました。拍手!ですね。今後、どんな作品を作っていくのか興味津々ですね。 オドレイ・ラミーとシャンタル・ヌービルという二人の女優さんは初めて見ましたが拍手です! ああ、そうそう、フランソワ・クリュゼという俳優さんには見覚えがあると思いましたが、「最強の二人」の車椅子のオッちゃんでしたね。もう、10年以上も前の映画ですが、さて、どこで観たのでしょうね。でも、あんまり老けませんね、この人(笑)。で、拍手!です。 それから、なんといっても拍手!は「ウィ、シェフ!」と元気に叫ぶ少年たちでした。いいですねえ、こういうタイプの映画、ボクは好きですね(笑)。 監督 ルイ=ジュリアン・プティ脚本 ルイ=ジュリアン・プティ リザ・ベンギーギ=デュケンヌ ソフィー・ベンサドゥン トマ・プジョル撮影 デビッド・シャンビル美術 アルノー・ブニョール セシル・ドゥルー衣装 エリーズ・ブーケ リーム・クザイリ編集 ナタン・ドラノワ アントワーヌ・バレイユ音楽 ローラン・ペレズ・デル・マールキャストオドレイ・ラミー(カティ・マリー)フランソワ・クリュゼ(ロレンゾ・カルディ)シャンタル・ヌービル(サビーヌ)ファトゥ・キャバ(ファトゥ)ヤニック・カロンボ(ギュスギュス)アマドゥ・バー(ママドゥ)ママドゥ・コイタ(ジブリル)アルファ・バリー(アルファ)ヤダフ・アウェル(ヤダフ)ブバカール・バルデ(ブバカール)2022年・97分・G・フランス原題:La Brigade2023・05・09-no059・シネ・リーブル神戸no188
2023.05.13
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アンソニー・ファビアン「ミセス・ハリス、パリへ行く」パルシネマ パルシネマの2本立てで見ました。もう1本は「メタモルフォーゼの縁側」で宮本信子さんがボーイズ・ラブ・マンガにはまったおばあさんを好演していましたが、こちらはクリスチャン・ディオールのドレスにあこがれる戦争未亡人のハリス婦人をレスリー・マンビルという女優さんが明るく演じていて気持ちのいい映画でした。作品はアンソニー・ファビアンという監督の「ミセス・ハリス、パリへ行く」です。 第二次世界大戦の戦後、1950年代のイギリス、たぶんロンドンとフランスのパリが舞台でした。ちょうど、ボクが生まれたころの話です。第二次大戦が終わって数年たっているのですが出征した夫の安否がわからないまま家政婦稼業で、まあ、実に気丈に暮らしているハリス婦人の物語です。なんというか、その気丈さが、映画全編にわたって、明るく発揮されつづけるのがこの作品の好さですね。 クリスチャン・ディオールなんて、まあ、何の関心もないし、なんで、女性の皆さんがあこがれるのかも、実は全く分かっていない無粋老人なのですが、母の世代と思しきミセス・ハリスの、一見、冷静で落ち着ついて生きているかに見える女性の、突如のぶっ飛びかげんに、思わず声をかけそうでした。「がんばれハリスさん!」 結婚したばかりの夫や恋人の戦死を受け入れざるを得ない体験をした方は日本にもたくさんいらっしゃったわけで、例えば、もう亡くなりましたが、エッセイストの岡部伊都子さんとか、生涯そのことを語り続けられたわけで、この映画のハリス婦人の心にはそういう深い悲しみがあるに違いないのですが、それをクリスチャン・ディオールのドレスへのあこがれとその夢のような実現として、明るく昇華して描いていく映画の展開に好感を持ちました。 でもね、この主人公、今、生きてらっしゃったら100歳近いんですよね。で、「プラン75」とかいう時代になっちゃったんですね。ミセス・ハリスの夢はどこに行っちゃったんでしょうかね。 まあ、なにはともあれ、ハリス婦人を明るく演じたレスリー・マンビルさんに拍手!でした。 いや、ホント、今日は二本ともホッとする作品でよかったですネ(笑)。監督 アンソニー・ファビアン原作 ポール・ギャリコ脚本 キャロル・カートライト アンソニー・ファビアン キース・トンプソン オリビア・ヘトリード撮影 フェリックス・ビーデマン美術 ルチャーナ・アリギ衣装 ジェニー・ビーバン編集 バーニー・ピリング音楽 ラエル・ジョーンズキャストレスリー・マンビル(エイダ・ハリス)イザベル・ユペール(マダム・コルベール)ランベール・ウィルソン(シャサーニュ侯爵)アルバ・バチスタ(ナターシャ)リュカ・ブラボー(アンドレ・フォーベル)エレン・トーマス(ヴァイ・バターフィールド)ローズ・ウィリアムズ(パメラ・ペンローズ)ジェイソン・アイザックス(アーチー)ロクサーヌ・デュランロクサーヌ・デュラン2022年・116分・G・イギリス原題「Mrs Harris Goes to Paris」2023・03・29・no048・パルシネマno58
2023.04.26
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バルディミール・ヨハンソン「LAMBラム」kino cinema 神戸国際 チラシか何かでタル・ベーラというハンガリーの映画監督が制作にかかわっているというのを見かけて気になりました。三宮の国際松竹という映画館がkino cinema 神戸国際という名前に変わって、たぶん、初めてやってきました。見たのはバルディミール・ヨハンソンという監督の撮った「LAMB」というアイスランドが舞台の作品でした。 やって来たのは11月4日で、祝日明けの金曜日だったのですが、映画館は空いていました。開場の15分ほど前にチケット販売ブースに行ったのですが、作品名をいうと、全席空欄の会場図が表示されたので、思わず尋ねました。「どこでもいいの?」「はい。」「えっ、まだ、ぼく一人?」「はい。」 会場は100人を超えるホールでしたが、結局、最後までぼく一人でした。こういう経験は、まあ、初めてではありませんが、映画が映画だったので、落ち着きませんでしたね(笑)。 で、映画ですが、少しくすぶったような白い画面で始まりました。雪原にガスが立ち込めているようで、カメラが前に進んで、そのガスが段々晴れてくると10数頭の馬が見えてきました。足の太い、大型の、道産子みたいな馬です。その馬群が、いったん右に進みながら、カメラを避けるように左に動き、逃げっるように画面から消えると、雪原のずっと向こうに人の住処のような明かりが見えて、だんだん近づいていくと羊小屋にたどり着くシーンから始まりました。 全編を見終えて、このシーンが一番印象に残りました。 実は、この作品のラストは草原の真ん中で主人公のマリア(ノオミ・ラパス)、上のチラシで羊を抱えている女性ですが、その彼女が草原の真ん中に立ち尽くし「これがアイスランドですよ。」といわんばかりの、緑の草原が続き、遠くに黒っぽい山の姿が見えるのですが、その彼方を、何かを探すよう見つめるシーンなのですが、彼女のその視線は、たぶん、最初の映像で、見ていた僕が「これは誰なんだ?」と感じた、最初のカメラの視線に呼応していたのでしょうね。 二つの視線は、映画のなかでは交差するだけで、ぶつかり合うことはなかったと思いますが、ぼくにとって、この映画の分かりにくさは、その、互いの視線がぶつからないという一点でした。 登場人物の名前とか、羊飼いとかのディテールはキリスト教的な神話を彷彿とさせますが、見ながら感じたのは、どちらかというと、どこの古代社会にもある異類婚譚とか獣人伝説をネタにしていた印象のほうだったのですが、一方で、マリアという女性が、母性的な、あるいは、女性的な、神経症的な、現代的人格を内包した人物として登場してくることが、最初の映像がイメージさせた、時間と空間を超越した北の果ての異界という、ぼくの勝手な思い込みと、なかなかマッチしないという違和感が最後の最後までぬぐえなかった作品でした。 マア、見る人によれば「そこがいい!」ということかもしれませんが、ぼくには「わけわからん!」という不満の残る、突然の終幕でした。 まあ、そんな映画を、広いホールの豪華なソファーに寝転ぶように座って、たった一人のまま見終えるという「異界」体験はなかなかの体験ではあったのでした(笑) それにしても、まあ、ぼくごときが心配することではありませんが、映画館は大丈夫なのでしょうか。この映画、曲がりなりにも(?)カンヌで賞をとった作品なのですよ。主演のノオミ・パラスという女優さんだって、ぼくでさえ初めてではない有名俳優だと思うんですけどね。この映画の演技も拍手!でしたよ。監督 バルディミール・ヨハンソン脚本 ショーン バルディミール・ヨハンソン撮影 イーライ・アレンソン美術 スノッリ・フレイル・ヒルマルソン衣装 マルグレット・エイナルスドッティル編集 アグニェシュカ・グリンスカ音楽 ソーラリン・グドナソンキャストノオミ・ラパス(妻マリア)ヒナミル・スナイル・グブズナソン(夫イングヴァル)ビョルン・フリーヌル・ハラルドソン(夫の弟ペートゥル)2021年・106分・R15+・アイスランド・スウェーデン・ポーランド合作原題「Lamb」2022・11・04-no122・kino cinema 神戸国際no6
2022.11.05
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ギリーズ・マッキノン「君を想い、バスに乗る」シネ・リーブル神戸 予告編を見て惹かれました。かなりなお年寄りがグレートブリテン島を路線バスを使って縦断するようです。バス停に立っている、この男どこかで見たことがある気がしました。 映画はギリーズ・マッキノン監督の「君を想い、バスに乗る」でした。 若い夫婦のようですが、カップルの女性の方が泣きながら男性に「ここではないところ、ここからずっと離れたところに連れて行ってほしい。ここにはもう戻ってきたくない。」 と、まあ、そんなニュアンスを訴えかけていて、二人は旅に出て、田舎のアパートにたどり着くシーンで映画は始まりました。 で、ポスターに写っているバス停の老人が、小さなトランクを片手に近所の子どもと仲良しのようで、こんなふうに声をかけられたらいいなという雰囲気の挨拶をしながらバス停にやってきて、バスに乗ると顔見知りらしい運転手がたずねます。「どこまで行くんだ?」「ランズ・エンド」「なんだって?1300キロだぞ。」「これがある。」 件の老人はフリーパスらしいカードを見せて、バスが出発します。 グレートブリテン島を北の端から南の端まで路線バスの旅が始まりました。彼が最初に乗ったバス亭がジョン・オ・グローツ村で、北の端です。目的地はランズ・エンド岬で南の端の岬です。 イギリスにはランズ・エンド・トゥ・ジョン・オ・グローツLand's End to John o' Groats 略すとLEJOGという言い回しの言葉があるようで、訳すと「究極の旅路」 という意味だそうですが、映画の老人の旅程はその言い回しの復路ということになります。 老人の人生の回想とバス旅で遭遇する小事件が、交互に描かれるロード・ムービーでした。シビアな映画ファンであれば、バスを乗り換えるたびに脈絡もなく起こる小事件の描き方や、リアリティーについて不満をお持ちになるかもしれませんが、68歳のシマクマ君は堪能しました。 画面に引き込まれた理由は、ひとえに、90歳で、妻に先立たれ、自らも死にかけの老人、トム・ハーパーを演じたティモシー・スポールの存在感のある表情と物腰によるものでした。 ネタバレで申し訳ないのですが、70年前に失った、いつまでも1歳の娘の墓に詣でて、バスに乗って以来、仏頂面を続けてきた老人がポロリとこぼした涙には、彼の「究極の旅路」の往路のすべてがきらめいているようで、もらい泣きせずにはいられませんでした。とにもかくにもトム・ハーパ老人(ティモシー・スポール)に拍手!でした。 老人が載る路線バスがどれもシャレていたこと、ロンドン以外でも二階建てバスが走っていること、羊もバスに載せること、バスに乗ってくる人々の姿が、普通で、とても良かったこと、まあ、数え上げればいろいろありますが、スコットランドから、イングランド、ウェールズと呼ばれるイギリスのそれぞれの地方の風景が記憶に残りました。まあ、イギリスの俳優さんの演技はいいですね。この映画のティモシー・スポールもよかったですが、ほかの人たちもいいんですよね。 で、この爺さん役の俳優さんのことですが、思い出しました。イメルダ・スタウントンが主演した「輝ける人生」、リチャード・ロンクレイン監督の作品ですが、その映画で認知の奥さんの介護で苦労したあのおじいさん でした。まあ、そういう役が似合いなのでしょうかね(笑)。まだ若い俳優さんだったと思うのですが。 別の日に見に行ったチッチキ夫人が面白いことをいいました。「健さんの旅もよかったけど、こっちの方がホントだなと思ったよ。」「ふーん、それで、あなた、灰だけど、どこにほってほしいか、どっかに書いておいてね。」「えっ?やっぱり私が先なの?」 最後は、むずかしい会話(笑) になってしまいましたが、この映画を60歳以上の老人が見た場合、避けられない問題ではないでしょうか(笑)。 まあ、人はそれぞれ、振り返ればなんでもない哀しい人生を送っていて、やがて、死んでしまうのは避けられないわけで、題名は「The Last Bus」のままの方がよかったですね。監督 ギリーズ・マッキノン脚本 ジョー・エインズワース撮影 ジョージ・キャメロン・ゲッデス美術 アンディ・ハリス衣装 ジル・ホーン編集 アン・ソペル音楽 ニック・ロイド・ウェバーキャストティモシー・スポール(トム・ハーパー)フィリス・ローガン(メアリー)2021年・86分・G・イギリス原題「The Last Bus」2022・06・13・no79・シネ・リーブル神戸no157
2022.06.22
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ケネス・ブラナー「ベルファスト」シネ・リーブル神戸 1969年ですから、もう50年以上も前のことですが、北アイルランドからイングランドのレディングという町に引っ越してきた少年から一通の手紙を受け取りました。 こんにちは、みなさんはベルファストという町をご存知ですか。ぼくが先週まで家族と暮らしていた北アイルランドの港町です。 ぼくの家族はおじいちゃんとおばあちゃん、お父さんとお母さん、おにーちゃん、そしてぼく。それがぼくの家族です。ぼくの名前はバディです。年は1960年生まれで、9歳です。今、一番好きなのは「騎士ごっこ」です。学校はちょっと苦手です。最近気になる女の子がいて、教室で後ろから見ていてドキドキします。でも、はずかしいから名前はいえません。 お父さんとお母さんは子供のころからのなかよしで、今でもとてもなかよしですが、時々大げんかをしたりして、悲しいときもあります。お父さんはロンドンに出稼ぎに行っていて、いつもは留守です。お金の事とかで、お母さんが電話口で泣いたり怒ったりしていることもあります。でも、ぼくとお兄ちゃんは、お母さんと三人でお父さんの留守を守っています。お父さんとぼくの合言葉はBe carefulです。 おじいちゃんとおばあちゃんはとてもなかよしでした。おじいちゃんはぼくに算数とか人生とか、なんでも教えてくれました。おばあちゃんは、ちょっとふとりすぎで歩くのがしんどいのですが、いつもぼくとおじいちゃんを見守ってくれていて、おじいちゃんはおばあちゃんに頭が上がりませんでした。そんなおじいちゃんとおばあちゃんが、今でもぼくは大好きです。 でも、ずっとしんどかったらしい肺の具合が悪くなって、おじいちゃんは死んでしまいました。そして、父さんとお母さんもベルファストの町を出て行くことに決めてしまいました。 ぼくがカトリックの人のお店からお菓子を盗んできて警察の人がうちにやって来たり、プロテスタントの人がお父さんを裏切り者だと言って、ぼくを人質にしたり、お母さんが悲しむことばっかり続いたことも、引っ越しの大きな原因です。 一人でベルファストに残ることになったおばあちゃんは、出発の日に「振り返らないで、しっかり前を向いて行きなさい。」と言ってくれましたが、ぼくは振り返らないではいられません。 少年は、その後、演劇学校を出て俳優になり、やがて映画監督になったようです。その彼から、最近ビデオ・レターを受け取りました。少年時代の家族の姿がドラマチックに写っているモノクロのドキュメンタリー・フィルムでしたが、それを編集し直して「ベルファスト」という映画にしたらしいのですが、その映画ははアカデミー賞で脚本賞をとったそうです。劇場で見ましたが、失われた時がうつくしく描かれていて、胸を打つ作品になっていました。 と、まあ、紹介すればこうなるわけですが、一つだけ引っかかるのは、少年は大人になって映画として1969年のベルファストを描いているわけですが、カトリックとプロテスタントの争いが、大英帝国の植民地主義の結果であることについて、なんとなく判断保留のまま描いていることでした。 映画のラストシーンで名優ジュディ・デンチがベルファストの町を出ていく子供たちの家族に言い放った「振りむかずに、前を向いてすすめ!」 という「名セリフ」を聴きながら、ふと、思ったのですが、イギリスのアイルランド問題はこの50年で片が付いたのでしょうか。 とはいうものの、家族の物語としてみれば、たとえば、出稼ぎ暮らしの夫(ジェイミー・ドーナン)が妻(カトリーナ・バルフ)に向かって言う「子どもたちは、みんな、あなたが育てたんだ」 という和解のセリフをはじめとする夫婦げんかのリアルさや、散り散りになりそうな若い家族を支える祖父母の存在の描き方は、さすがケネス・ブラナーなわけで、しっかり泣かせていただきました。 おじいちゃんのキアラン・ハインズ、おばあちゃんの、まあ、ちょっと太り過ぎじゃないかと心配でしたが、ジュディ・デンチには文句なしに拍手!でした。監督 ケネス・ブラナー脚本 ケネス・ブラナー撮影 ハリス・ザンバーラウコス美術 ジム・クレイ衣装 シャーロット・ウォルター編集 ウナ・ニ・ドンガイル音楽 バン・モリソンキャストジュード・ヒル(バディ)ルイス・マカスキー(ウィル お兄ちゃん)カトリーナ・バルフ(お母さん)ジェイミー・ドーナン(お父さん)ジュディ・デンチ(おばあちゃん)キアラン・ハインズ(おじいちゃん)コリン・モーガン(ビリー・クラントン)2021年・98分・G・イギリス原題「Belfast」2022・03・28-no40・シネ・リーブル神戸no148
2022.04.22
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ケネス・ローチ「夜空に星のあるように」KAVC ほんの1本か2本しか見ていない監督で、「ああ、この人の作品は、できればみんな見てみたい。」と思う人が時々います。見た作品でも、映画館でレトロスベクティヴとかで特集されると、「ああ、もう一度行かなくちゃあ」と思う人もいます。 ケン・ローチはそういう監督で、KAVCが彼の50年以上も前の劇場映画デビュー作「夜空に星のあるように」をやっているというのででかけました。 2022年の初のKAVCでしたが。ここではいつものことですが、客は数人でした。いつも座る席にいつものように座って映画が始まりましたが、いきなり赤ん坊がお母さんのおなかから生まれてくる実写シーンで、正直ギョッとしましたが、そういえば先日見た「アイカ」という映画でも同じようなシーンで始まったことがふと浮かびました。アイカは赤ん坊をおいて逃げ出しますが、この映画の主人公のジョイ(キャロル・ホワイト)は赤ちゃんを受け取りおっぱいを含ませたのでホッとしました。 ロンドンの労働者階級に生まれた18歳のジョイは、泥棒稼業で生計を立てている青年トム(ジョン・ビンドン)と成り行きで結婚し、妊娠し、出産したようです。夫(?)のトムは赤ん坊にも無関心だし、、ジョイにも暴力をふるう男です。その上、彼は「詐欺」とか「空き巣」とかを生業にしています。いいかげん、そんな夫に嫌気がさしていたある日、トムはついに逮捕され、ジョイは坊やを連れて叔母の家に居候ということになります。 もうこの辺りで、この映画の焦点が、かなり明らかな感じで、彼女が新しい男として、夫の仲間だったデイヴ(テレンス・スタンプ)に惹かれていく様子には、「ああ、どう繰り返すのだろう?」という、ある種絶望的な気分でジョイとその坊やの姿を見続けることになりました。 人柄としては、やさしくて、いい奴であるデイブも、生業は泥棒です。ジョイだって「盗み」を否定しているわけではないというか、ほとんど共犯といってもいい暮らしです。 映画が描いているのは「盗む」ことしか生きるための方法を思いつけない「人間」であり、そんな人間をつくりだす「社会」だと思いました。ドキュメンタリィーなタッチで描かれていて、「Poor Cow」(直訳すれば、哀れな牝牛ですが・・・)の題名通り、主人公のジョイに対しても情け容赦ありません。 ノンビリ「働く」ことで生きることができた老人には、唖然とする展開でした。1960年代のイギリス社会の「現実」に対するケン・ローチの怒りが、映像の底にわだかまっているとしか思えない殺伐たる展開の映画でした。 ただ、ラストシーンですが、ほったらかしにされて行方のわからない坊やを、取り壊される貧困集合住宅の工事現場で探し回るジョイの姿に、やはり胸を打たれるわけで、やっぱりこの監督の映画は、上映されれば見に行くでしょうね。 才気のままに怒りをぶちまけたかのような、若き日のケン・ローチに拍手!かな?監督 ケネス・ローチ製作 ジョセフ・ジャンニ原作 ネル・ダン脚本 ネル・ダン ケネス・ローチ撮影 ブライアン・プロビン編集 ロイ・ワッツ音楽 ドノバンキャストキャロル・ホワイト(ジョイ)テレンス・スタンプ(デイヴ)ジョン・ビンドン(トム)クイーニ・ワッツケイト・ウィリアム1967年・101分・イギリス原題「Poor Cow」日本初公開1968年11月16日2022・01・14-no8・KAVC(no18)
2022.01.27
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リドリー・スコット「最後の決闘裁判」OSシネマズミント リドリー・スコットという人は,今や巨匠と呼ばれる映画監督で、現役、映画に長くご無沙汰していたぼくでも「エイリアン」とか「テルマ&ルーズ」とかから、最近では「ゲティ家の身代金」とかでしょうか、結構見ている監督さんです。人気の監督さんなのでしょうね、今日はOSシネマズミントで上映中の「最後の決闘裁判」にやって来ました。 今回はヨーロッパの時代劇ですね。14世紀くらい、日本なら鎌倉時代くらいでしょうか。国王がいて、領主がいて、家来の騎士・従騎士がいるという時代設定で、領主の伯爵ピエール役がベン・アフレック、なんというか、伯爵に姑息に取り入る従騎士ジャック・ル・グリ役が、最近よく見かけるアダム・ドライバーで、まあ、実直な戦いの人で、戦闘の功績で騎士に昇格するジャン・ド・カルージュ役を、この人もどこかで見かけることのよくあるマット・デイモンです。 で、カルージュの美貌の妻マルグリットを演じているのがジョディ・カマーという女優さんです。意志的な表情の美しさが印象に残る女優さんで、名前を覚えそうです。 題名になっている「決闘」は、留守の間に妻を凌辱されたカルージュが、明らかに手段を弄してレイプに及んだジャック・ル・グリと「真実」を決するために闘うのですが、勝者が「神」が選んだ真実の体現者というわけです。まあ、そういう時代ということです。 見ながらめんどくさいなと思ったのは、「レイプ」に至る真相が、まあ、今風に言えば被害者である女性マルグリット、彼女の夫カルージュ、加害者ジャック・ル・グリの三者の視点から、三度繰り返されるのですが、違いが微妙でよく分からないんですよね。 要するに、加害者が主張する「合意」、まあ、双方からの「愛」なのでしょうね、があったかなかったかを描こうとしているようなのですが、この描き方の意図はいったい何なんでしょうね。 確か内田樹だったと思いますが、この監督の出世作「エイリアン」をネタにして、アメリカ映画の「ミソジニー」について論じていたと思いますが、それを思い出しました。 「愛」や「あこがれ」の心理の内面をさぐるといえば、聞こえはいいのかもしれませんが、同じレイプシーンを三度繰り返して映される被害者の、まあ、作り事とはいえ、苦痛を想像させる演出の意図に疑問を感じました。 だいたい、映画全体が妙に「マッチョ」な印象で、なんだか、めんどくさい手の込み方で、あんまりいい感じがしなかった作品でした。 とはいえ、戦闘シーンや、決闘シーンはリアルですし、アダム・ドライバーやマット・デイモンの、それぞれの「くそ男ぶり」の演技は、なかなかリアルでしたし、なんといっても「美しさ」で、哀しく、猛々しい内面を演じたジョディー・カマーには拍手!でした。監督 リドリー・スコット原作 エリック・ジェイガー脚本 ニコール・ホロフセナー ベン・アフレック マット・デイモン撮影 ダリウス・ウォルスキー美術 アーサー・マックス衣装 ジャンティ・イェーツ音楽 ハリー・グレッグソン=ウィリアムズキャストマット・デイモン(ジャン・ド・カルージュ)アダム・ドライバー(ジャック・ル・グリ)ジョディ・カマー(マルグリット・ド・カルージュ)ベン・アフレック(アランソン伯爵ピエール)ハリエット・ウォルターアレックス・ロウザーマートン・ソーカスナサニエル・パーカー2021年・153分・PG12・アメリカ原題「The Last Duel」2021・10・22‐no98 OSシネマズno12
2021.10.26
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ジェームズ・エルスキン「BILLIE ビリー」元町映画館 ビリー・ホリデイーという名前を聞いて、「おっ!」 と思う人が、まあ、ジャズのファンとかは別にして、30代、40代の方でそんなにいらっしゃるのでしょうか。 1915年生まれで、1940年代、第二次世界大戦の終わりごろから、戦後のアメリカで、10数年間、ジャズボーカリストとして名を馳せた女性ですが、1959年、薬と酒と暴力にさらされて、44歳、あまりにも痛ましい生涯を終えた人だと、なんとなく思い浮かべるのが、たぶん、ぼくと同世代、60代の後半の人じゃないでしょうか。 まあ、ぼくにしたところで、学生時代、1970年代だったと思いますが、「奇妙な果実」という題で、あの大橋巨泉が訳した、たぶん自伝と銘打たれていた本が晶文社から出版されて、友だちの書棚に並んでいたその本を読んだのが出会いで、「奇妙な果実」という曲に興味を持ちました。 当時は、今のように聞きたい曲をその場で聞くことができるなんて時代ではなくて、その「奇妙な果実」を聞くために、ジャズ・マニアの下宿を訪ねてLPをかけてもらったりしたことが記憶の片隅にありますが、それっきりでした。 そのビリー・ホリデイを撮ったドキュメンタリーのチラシを見ていて、心が動きました。 映画は『BILLIE ビリー』です。「She song the truth,she paid the price.」 と副題がついていました。「彼女は本当のことを歌い、その代償を払った。」くらいの意味でしょうが、「she paid the price(代償を払った)」の所に引っ掛かりました。 チラシによれば、映画化の経緯はこうでした。 女性ジャーナリスト、リンダ・リプナック・キュールが1960年代から10年間かけて関係者にインタビューを重ね、時には何者かに妨害されながらもビリーの伝記を書き上げようと尽力した。しかしリンダも志半ばにして不可解な死を遂げてしまう。この度リンダが遺した200時間以上に及ぶ録音テープが発見され、ビリーの貴重な映像とともに構成されたのが、このドキュメンタリー映画『BILLIE ビリー』である。 で、火曜日の元町映画館にやって来たわけです。 堪能しました。「奇妙な果実」を歌うビリー・ホリデイを初めてじっくり聞くことができました。Strange FruitSouthern trees bear strange fruit,Blood on the leaves and blood at the root,Black bodies swinging in the southern breeze,Strange fruit hanging from the poplar trees.Pastoral scene of the gallant south,The bulging eyes and the twisted mouth,Scent of magnolias, sweet and fresh,Then the sudden smell of burning flesh.Here is fruit for the crows to pluck,For the rain to gather, for the wind to suck,For the sun to rot, for the trees to drop,Here is a strange and bitter crop. 字幕で翻訳がついていますから、意味は一緒に理解できます。歌っているビリーの姿の映像も、もちろん、くっきりとしていますが声の素晴らしいです。「 the poplar trees」の所で、声が跳ねるように聞こえたのが印象駅でした。 ビリーの歌唱シーンはこの1曲だけではありません。ちょっと、お宝映像の公開のように何曲も出てきます。それぞれが、何の違和感もない美しい音響と映像です。会話のシーンもですが、ビリーの声と表情のすばらしさが堪能できる作品でした。こういうところが、現代の「技術」なのだと感心しました。 そこに、リンダ・リプナック・キュールの録音したインタビューが重ねられていきます。この録音の音響も明快です。 アメリカ社会の「本当のこと」を歌ったビリー・ホリデーがどんな「代償」を支払わされたのか。ビリーの死の20年後、謎の死を遂げたリンダ・リプナック・キュールが、ビリーが生きた社会のどんな「本当のこと」に迫っていたのか。彼女をビリー・ホリデーに向かわせたのは何だったのか。この映画がイギリスの監督によって取られたのは何故なのか。 映画全体がミステリーとしてのドキュメンタリーとして構成されていることにも堪能しました。 「Don’t Explain」という名曲で映画を終わらせている ジェームズ・エルスキン監督は、なかなかやるなという印象で見終えました。 それにしても、リンダ・リプナック・キュールのインタビューに登場するのがトニー・ベネット、カウント・ベイシー、アーティ・ショウ、チャールズ・ミンガス、カーメン・マクレエといった錚々たるアーティスト、ビリーのいとこや友人、ポン引き、彼女を逮捕した麻薬捜査官、刑務所の職員まで多岐にわたっていることに唸りますが、おそらく、この映画の制作過程で掘り起こされたに違いないリンダ・リプナック・キュールのホーム・ムービーや、生存している妹の証言まで、実に丹念に作っている印象です。 懐かしのビリー・ホリデーの実像みならず、アメリカ社会のサスペンスを描いて納得の作品でした。 まあ、しかし、やっぱり歌うビリー・ホリデーに拍手!ですね。監督 ジェームズ・エルスキン脚本 ジェームズ・エルスキン撮影 ティム・クラッグ編集 アベデッシュ・モーラキャストビリー・ホリデイリンダ・リップナック・キュールシルビア・シムズトニー・ベネットアーティ・ショウチャールズ・ミンガスカーメン・マクレエ2019年・98分・G・イギリス原題「Billie」2021・10・12‐no93 元町映画館no89
2021.10.14
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ウィリアム・ニコルソン「幸せの答え合わせ」シネ・リーブル神戸 予告編で、妙に生真面目な夫が、気が強そうで才気煥発という妻に、30年ほども連れ添った妻との暮らしから「降りる」宣言をするシーンを見て、がぜん興味を惹かれました。 映画は「幸せの答え合わせ」という、まあ、なんとなく不吉な予感のする題名でした。それにしても「Hope Gap」という原題が上記の邦題に変わるセンスは???という気がします。ちなみに「Hope Gap」は地名で、その風景が映画の世界を象徴的に表現していると素直に理解できる、急峻な崖が美しいイギリスの海岸でした。 このところ、神戸の映画館は人気番組によってはかなり込み合うこともあるようですが、ほぼ閑散としています。シネ・リーブル神戸も緊急事態とかの間実施していた「市松模様」の指定席をやめていますが、この映画も込み合って不安になりそうな気配は全くなくて、100人弱のホールの座席に座ったのは4人でした。 夫のエドワード(ビル・ナイ)が仕事から帰っ繰ると、妻のグレース(アネット・ベニング)が食卓でパソコンを触っています。自分で湯を沸かしたエドワードは自分の紅茶をいれて、自分の仕事机に向かおうとすると「私の紅茶は?」とグレースが声を掛けます。何となく、声に角があります。 グレースの手元には飲みさして、冷めてはいますが、ティー・カップがあります。エドワードは、一瞬、怪訝な表情を浮かべますが、そのカップに温かい紅茶を入れ直して、妻に差し出します。 映画の冒頭の、このシーンが、この映画の最も記憶に残ったシーンでした。夫を演じるビル・ナイの実年齢は73歳、妻役のアネット・ベニングは、たしか、ウォーレン・ベイティの奥さんだと思いますが、役柄としては若く見えますが、63歳。まあ、そういう年齢の夫婦の、えっ?なんかあったの?という感じを静かに漂わせる、この台所のシーンが、この映画のすべてでした。 ドラマが展開するにしたがって、夫が妻のもとを去る理由や、去られた妻の狼狽ぶりが、一人息子のジェイミー(ジョシュ・オコナー)を仲介役としてあからさまになっていくのですが、夫が妻のもとを去る「本当の愛」を見つけてしまったという理由が、あまりにありがちで「ウーん」と唸りそうでした。そういうものなのですかね? ぼくは、ビル・ナイという俳優が、「家庭」や「夫婦」という、人生の大半を占拠してきた「共同性」にうんざりした「孤独」を演じるという役柄を期待していたのですが、実に「まあ、そうなんだけど」としかいいようのない恋愛ドラマでした。 「愛し合っていた二人」の前にやって来た、三人目の他者が生み出す「あたらしい愛」が「以前の愛」の色合いを変えてしまうというのは、いわゆる三角関係のパターンで、新しくも何ともありません。 この映画ではそれを「三人の不幸な人間」のうちの二人に「幸せ」をもたらす関係の始まりというふうに、エドワードの恋人に言わせますが、30数年の結婚生活が、いつのまにか「不幸」を作り続けていたという、この発言の前提も、はっとするほどの創見というわけでもないでしょう。 三人目の「不幸」に取り残されたグレースの「死」の誘惑も、そこからの再生も、まじめに描かれています。しかし、ピンとこないというのが感想でした。 監督、ウィリアム・ニコルソンは73歳だそうですが、俳優たちの「芝居」のレベルの高さや、引用される「詩」の深さ、映し出される「風景」の美しさが見事にそろっているにもかかわらず、この展開で、この結末、ちょっと、首をかしげてしまいました。残念!監督 ウィリアム・ニコルソン脚本 ウィリアム・ニコルソン撮影 アンナ・バルデス・ハンクス美術 サイモン・ロジャース衣装 スザンヌ・ケイブ編集 ピア・ディ・キアウラ音楽 アレックス・ヘッフェスキャストアネット・ベニング(グレース・アクストン)ビル・ナイ(エドワード・アクストン)ジョシュ・オコナー(ジェイミー・アクストン)アイーシャ・ハートライアン・マッケンサリー・ロジャーススティーブン・ペイシーニコラス・バーンズ2018年・100分・G・イギリス原題:Hope Gap2021・07・09-no63シネ・リーブル神戸no100
2021.07.14
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ジョン・アービン「ハンバーガー・ヒル」元町映画館 6月になって最初の映画は「ハンバーガー・ヒル」でした。1987年に制作された作品のリバイバル上映です。 ぼくは、どっちかというと「戦争映画」とか「ヤクザ映画」、それから「日活ロマン・ポルノ」で、映画を見始めたこともあるのでしょうか、こういう映画は結構好きです。 スター俳優を登場させないことで戦場のリアリズムを追及しようとした映画だと思いました。 戦闘シーン以外の場面にも興味を惹かれました。補充された新兵と古参兵との会話を始め、兵士同士の日常の言葉の飛び交い方。帰国して、再び戻ってきた兵士の胸中。ベトナム人の娼婦とアメリカ兵との会話や否応なく映し出される奴隷と主人の関係。 戦場シーンでは友軍による誤射も含めて、どこから銃弾が飛んできて、どこに向かって撃っているのか、見ているぼくにも全くわからない混沌が、まず、リアルでした。戦場は、ほとんどモノクロにしか見えないのですが、本人も気づかない間に失われている右腕、泥まみれの中でうたれるモルヒネ、そうして、あまりにもあっけない死。悲惨が重層化していて、一つ一つのエピソードを大したことではないように感じ始めるのが怖いですね。 映画はおそらくベトナムでアメリカが苦戦を強いられた屈指の戦場の悲惨を描いた作品だといっていいと思うのですが、「地獄の黙示録」のような、見ているものを煽り立ててくる印象が全くないのが特徴で、どこかで、懐かしい情景と遭遇したような不思議な感慨を引き起こす作品でした。 感慨の理由は、おそらく、ぼく自身の年齢によるもだと考えられますが、ひょっとすると、ぼくの中で「戦場」を映画的な虚構としてしか考えられなくなっている意識の鈍化によるものかもしれません。これはちょっとヤバいんじゃないか、そんな気分にさせた作品でした。監督 ジョン・アービン製作 マーシャ・ナサティア ジム・カラバトソス製作総指揮 ジェリー・オフセイ デビッド・コルダ脚本 ジム・カラバトソス撮影 ピーター・マクドナルド美術 オースティン・スプリッグス編集 ピーター・タナー音楽 フィリップ・グラス特殊効果 ジョー・ロンバルディキャストディラン・マクダーモットマイケル・パトリック・ボートマンドン・チードルコートニー・B・バンススティーブン・ウェバーアンソニー・バリルマイケル・ドーランドン・ジェームズM・A・ニッケルズハリー・オライリーダニエル・オシェアティム・クイルトミー・スワードローティーガン・ウェスト1987年・110分・G・アメリカ原題「Hamburger Hill」日本初公開1987年2021・06・04‐no52元町映画館no79追記2021・06・09 この映画を見ながら思い出したのがニック・タースという人が書いた「動くものはすべて殺せ」(みすず書房)でした。大慌てでしたが、読書案内で紹介しました。興味のある方は書名をクリックしてみてください。ある意味、この映画より、もっと悲惨であった「戦争」が、徹底的に暴かれています。
2021.06.09
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フランシス・リー「アンモナイトの目覚め」シネリーブル神戸 三度目の「緊急事態宣言」が発令される直前、宣言の結果シネリーブル系列の映画館が休館してしまったので、とりあえず、シネリーブル神戸で見た最後の映画になってしまったのがフランシス・リー「アンモナイトの目覚め」でした。 題名に引き寄せられて観ました。原題は「Ammonite」らしいので、「目覚め」させたのは、この国の配給会社なのでしょうが、どうしても何に目覚めたのか? という、いわば、あらかじめに刷り込まれた関心に引きずられて観てしまった映画でした。 もっとも、題名が「アンモナイト」だけだったとして、見たかどうかということもあるわけで、難しいですね。 イギリスの海岸の岸壁と打ち寄せる波の表情が美しく印象的な映画でした。「不遇な女たち」の「愛の目覚めの物語」とでもいうべき体裁で、自然描写と心情の変化が重なり合わせられている、まあ、ありきたりな演出ですが、自然の美しさと主演の二人、ケイト・ウィンスレット(考古学者メアリー・アニング)とシアーシャ・ローナン(ブルジョアの妻シャーロット・マーチソン)による、厚みのある抑制された「愛」の表現、加えて脇役の、特に母親役の存在感が「映画」の「暗さ」を支えていて、見ごたえがありました。 個人的な思い込みですが、イギリス映画は、たぶん、風土とかのせいでしょうね、たとえばこの映画でも、海で水浴びをするシーンなんて「寒くないの?」と声をかけたくなるくらい「暗い」のですが、暗さの中のきらめくような「明るさ」を演じた主役のお二人の演技は印象に残りました。 名前を覚えることが苦手ですが、ケイト・ウィンスレットとシアーシャ・ローナンのお二人は覚えそうです。 もっとも、映画のストーリーに関係なく、興味をひかれたのは映し出された大英博物館のシーンで、まあ、時代的に重なるのかどうかよくわかりませんが、そのあたりに南方熊楠とかいるんじゃないかとか思って興味津々でしたが、映画としては、なかなかなラストシーンが待ち構えていて、「で、どうなるの?」で終わらせたところに、おおいに納得しました。こういう人間関係の描写に、結論はいらないと、ぼくは思うのです。監督 フランシス・リー脚本 フランシス・リー撮影 ステファーヌ・フォンテーヌ美術 サラ・フィンレイ衣装 マイケル・オコナー編集 クリス・ワイアット音楽 ハウシュカ ダスティン・オハローランキャストケイト・ウィンスレット(メアリー・アニング:考古学者)シアーシャ・ローナン(シャーロット・マーチソン:ブルジョワの妻)ジェマ・ジョーンズ(モリー・アニング:母親)ジェームズ・マッカードル(ロデリック・マーチソン:ブルジョア)アレック・セカレアヌ(ドクター・リーバーソン:医者)フィオナ・ショウ(エリザベス・フィルポット:隣人)2020年・117分・R15+・イギリス原題「Ammonite」2021・04・19-no39シネリーブル神戸no91
2021.04.28
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ガース・ジェニングス「SING シング」パルシネマ 普段はあまり見ないタイプの映画なのですが、パルシネマのプログラムに誘われてやって来ました。ガース・ジェニングス監督の「SING シング」です。 キャラクターがすべて動物で作られていて、つぶれかけのホールの支配人のコアラのバスター君が起死回生の「素人のど自慢大会」を企画して、そこに集まる「のど自慢たち」が繰り広げる「歌合戦」アニメ映画でした。まあ、ありきたりなストリーなわけですが、これが見ていて、実に楽しい。 声優さんたちのメンバーを見ると、実物が顔出しで出演すると、一体どうなるのだろうという感じのメンバーで、スクリーンから聞こえてくる歌声は、いわゆる洋楽についてほとんど知らないぼくのような客でも、何曲かは知っているうえに、メンバーの実力通り、実に上手なのです。 ぼくのように80年代以前しか知らない人間でも楽しいわけですから、ここ十年くらいの音楽を聴いている人は間違いなく楽しいのではないでしょうか。 ただ、キャラクターの作り方を見ていて、最近話題になっている「ルッキズム」というのでしょうか、それぞれの動物が、見かけ上、人間をその動物に例えるのであれば、ある特定の差別的含意を強調することになることによって「笑い」をつくりだしているきらいがないでもないところには、ちょっと引っ掛かりました。 義眼が転げ出てしまうカメレオンの事務員、ミスク・ローリーさんといい、大勢の子育てをしながら、踊れる歌手になりたいブタのロジータさんといい、ゴリラのジョニーといい、これを人間でやれば事件でしょうね。 ぼくは、それぞれのキャラクターが、ストーリーの展開において「肯定的」に扱われている点で、楽しめましたが、どうなのでしょうね。続編ができるそうなのですが、そのあたりはどうなるのか、ちょっと気にかかりますね。監督 ガース・ジェニングス脚本 ガース・ジェニングス編集 グレゴリー・パーラー音楽 ジョビィ・タルボットエグゼクティブ音楽プロデューサー ハービー・メイソン・Jr.音楽監修 ジョジョ・ビリャヌエバエンディングソング スティービー・ワンダー アリアナ・グランデキャストマシュー・マコノヒー(バスター・ムーン:コアラ)リース・ウィザースプーン(ロジータ:ブタ)セス・マクファーレン(マイク:ネズミ)スカーレット・ヨハンソン(アッシュ:ヤマアラシ)ジョン・C・ライリー(エディ:ヒツジ)タロン・エガートン(ジョニー:ゴリラ)トリー・ケリー(ミーナ:ゾウ)ニック・クロール(グンター:ブタ)ジェニファー・ソーンダース(ナナ・ヌードルマン:ヒツジ・大歌手)ガース・ジェニングス(ミス・クローリー:カメレオン)2016年・108分・G・アメリカ原題「Sing」2021・03・16‐no24パルシネマno35
2021.03.22
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アーマンド・イアヌッチ「どん底作家の人生に幸あれ!」シネリーブル神戸 この映画は、あの、ディケンズなんですよ、ディケンズ! ユーライア・ヒープなんてロックバンドの名前だと思い込んでいて、「デイヴィッド・コパーフィールド」読んで、やめられなくなって、ああ、こいつじゃないか! ってひっくり返ったのが40年前なのですが、そのユーライア・ヒープなんていうワルが、いけシャーシャーと登場する、ディケンズこと、デイヴィッド・コパーフィールドの苦労話が映画になっているんですよ。まあ、これは見ないと仕方がないですよね。そんな気分でやって来ました。いつものシネ・リーブルです。 で、映画が始まってみると、やっぱりというか、その作り方にびっくり仰天でした。 インド系とか、アフリカ系とか、ヨーロッパ系とか、ああ、そういえばアジア系もいましたよ、でも、そんなのみんなごちゃまぜで「デイヴィッド・コパーフィールド」の「演劇」世界が広がっていて、いやはや、イギリスですね。 日本の時代劇をこの感覚で映画にすることなんて、逆立ちしたってできないに違いないのですが、お芝居の国の常識は、とっくの昔に「肌の色」に寄りかかって「人間」の「リアル」を描く なんてこととはおサラバしていて、「役者・俳優」がいるだけなんですよね。で、その「役者」が笑わせたり、泣かせたりしてくれるわけです。 ナショナル・シアター・ライブで「アマデウス」というお芝居の敵役のサリエリをルシアン・ムサマティという黒人俳優が演じていて、まあ、この人はとんでもなく実力のある俳優なのですが、その彼が「サリエリを演じる私の肌の色を気にするのは、あなたの偏見だ。」 と喝破するのを見たことがありますが、おんなじことがこの映画にもあって、そういう発想で作られているところがこの映画の、まず一番の面白さだと思いました。 俳優さんたちの演技は、とても演劇的で、映画的リアルというのでしょうか、いかにもそれらしいリアルではなくて、「劇的」なリアルなんですね。構成も芝居仕立てですが、役者が、その「役」を演じている、誇張された存在感に、「劇的な面白さ」を賭けている という様子なのです。 そういう意味で、この映画は渋いのに、妙にバカバカしいコメディだと思いましたが、ディケンズを知らない人には、話しが極端すぎてついていけないかもしれませんね。イギリスでは、きっと常識なんでしょうね、このハチャメチャ・ドタバタぶりは。 いや、それにしても、やっぱりイギリスの俳優さんというのは、それぞれすごいですね。シッチャカメッチャカなんですが、飽きずに最後まで引っ張ってくれますからね。「ユーライア・ヒープ、ザマーミロ!」って思っちゃいましたよ(笑)。監督 アーマンド・イアヌッチ製作 ケビン・ローダー アーマンド・イアヌッチ原作 チャールズ・ディケンズ脚本 アーマンド・イアヌッチ サイモン・ブラックウェル撮影 ザック・ニコルソン美術 クリスティーナ・カサリ衣装 スージー・ハーマン ロバート・ウォーリー編集 ミック・オーズリー ピーター・ランバート音楽 クリストファー・ウィリスキャストデブ・パテル(デイヴィッド・コパフィールド)アナイリン・バーナード(スティアフォース)ピーター・キャパルディ(ミスター・ミコーバー)モーフィッド・クラーク(クララ・コパフィールド/トーラ・スペンロー)デイジー・メイ・クーパー(ベゴティ)ロザリンド・エリーザー(アグネス)ヒュー・ローリー(ミスター・ディック)ティルダ・スウィントン(ベッツイ・トロットウッド)ベン・ウィショー(ユライア・ヒープ)ポール・ホワイトハウスベネディクト・ウォン(ミスター・ウィックフィールド)2019年・120分・G・イギリス・アメリカ合作原題「The Personal History of David Copperfield」2021・01・25・シネリーブルno79
2021.01.27
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ジェームズ・マーシュ「キング・オブ・シーヴズ」シネリーブル神戸 徘徊老人シマクマ君が一番お世話になっている映画館が、昔の朝日会館、今はシネ・リーブル神戸という名前の映画館ですが、2021年の初詣はジェームズ・マーシュ監督の「キング・オブ・シーヴズ」という映画でした。 「Thieves」というのは「thief」の複数形でしょうかね、まあ、「泥棒」でいいんでしょうね。「泥棒の王様」というわけでしょうか、題に惹かれてやってきました。正月早々縁起がいいですね。 チラシをご覧ください、真ん中の、向かって左にいるのが、昨年の秋話題になったクリストファー・ノーランの映画でぼくが名前を覚えた顔で、マイケル・ケインです。なんと87歳です。その右奥がトム・コートネイ。ハリー・ポッターの寮監だった人で、83歳。60年前に「長距離ランナーの孤独」の青年でした。 その右の、いかつい顔で立っているのがジム・ブロードベント。案外若くて71歳。その左にいるのがレイ・ウィンストンで63歳。写真の左端がマイケル・ガンボン、80歳。ハリーポッターの校長先生らしいですが、ぼくは見ていません。その隣がポール・ホワイトハウス62歳。ひとりだけ若い人が後ろにいますね。チャーリー・コックス36歳で、まあ、今のご時世ですからコンピューターがわかる人の役ですね。 というわけで、ここに並んでいる、老人6人と若いのが1人、イギリスではだれでも知っている(知りませんが)、ロンドン随一の宝飾店街「ハットンガーデン」の宝石店だか、銀行だかの貸金庫破りをやるというお話でした。 お若い方がご覧になると、ちょっと食い足りないかもしれませんね。何百万ポンドもの宝石や現金を保管しているにしては、ガードは甘いし、手動のコンクリート削岩機(工事現場で使いそうなやつ)で地下の金庫のコンクリート壁に大穴をあけるという方法も、「なんとまあ!」という感じなのですが、実話なのだそうで大目に見るとしても、まあ、大味ですね。 この映画の面白さは、そういう金庫破りのハウツーではないのですね。主演のマイケル・ケインが、実年齢87歳なのですが、役柄の上でも、もう、いいお年で、画面で歩くのに難渋しているのは役の上でのことなのどうかよくわからないわけです。 他の役の方たちも、頻尿だとか、何時間かおきにインシュリンかなにかの注射をしないと立っていられないとか、耳が遠くて、実際は、ほとんど何も聞こえていないとか、それぞれ、堂々たる後期高齢者ぶりで、にもかかわらず「なんかやりたい」症候群の方たちなわけです。 そういう人たちが、力を合わせて、見事、金庫破りをやってのけてしまう。そこが面白いのかというと、まあ、そこもそこそこ面白いのですが、そうではありません。 老人たちは、自分を棄てられないのですね。「そうはいってもボスは俺だろう」とか、「俺にはまだやれる」とか、気に入らないことを誰かが言うと、そこが金庫破りの現場であってもこらえられないとか、強欲はいくつになっても変わらないとか、見ていて、ホント、他人ごとではないのです。 それを名うての俳優たちが、余裕綽綽で演じています。とりあえず、そういうシーンに出くわすごとに腹を抱えて笑いたいのですが、妙に身につまされて哀しくもあるわけで、そのあたりの味わいは、若い方には、ただ「アホラシイ」だけでしょうね。 映画com とどのつまりは、この写真のシーンでマイケル・ケインがレイ・ウィンストンに向かっていう「裁判での心得はへりくだらずに上から見下すことだ」という意味の(正確には忘れてしまいましたが)の名セリフがあります。ぼくは老人の真髄を聞いた気がしましたね。我々老人は反省したり、弱音を吐いたら終わりなんです。(笑) なかなか、元気の出るシネリーブル初詣でした。イギリスの役者は、ホント、渋いですね。結構楽しめましたよ。監督 ジェームズ・マーシュ脚本 ジョー・ペンホール撮影 ダニー・コーエン美術 クリス・オッディ衣装 コンソラータ・ボイル編集 ジンクス・ゴッドフリー ニック・ムーア音楽 ベンジャミン・ウォルフィッシュ音楽監修 サラ・ブリッジキャストマイケル・ケイン(ブライアン・リーダー)ジム・ブロードベント(テリー・パーキンス)トム・コートネイ(ジョン・ケニー・コリンズ)チャーリー・コックス(バジル)ポール・ホワイトハウス(カール・ウッド)マイケル・ガンボン(ビリー・ザ・フィッシュ・リンカーン)レイ・ウィンストン(ダニー・ジョーン)2018年・108分・G・イギリス原題「King of Thieves」2021・01・18・シネリーブルno77
2021.01.20
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フランシス・アナン「プリズン・エスケープ」神戸アートヴィレッジ 神戸のミニ・シアター、具体的にはパルシネマ、シネマ神戸、元町映画館、そして、アート・ヴィレッジ・センターの4館は、互いに予告編を流し合うという、粋なことをしています。 この映画の予告編は、元町映画館で見て、上映を待っていたのですが、1週間、カレンダーを違えていて、最終日に何とか見ることができました。最近、いろんなカン違いが頻発していて、何となく不安なのですが、まあ、クヨクヨしたって仕方がありません。 何を期待して、待っていたのか?もちろんサスペンスです。主役であるティム・ジェンキンを演じるのが、あの、ダニエル・ラドクリフだというのが、この映画の売り文句の一つですが、「ハリー・ポッター」のシリーズを、ただの1本も、きちんと見たこともないぼくには、チラシの写真をみても、さほどの興味が湧くわけでありませんでした。 ぼくが、「オッ!?」 と思ったのは、「木製の鍵」で「10の鉄扉」のところでした。で、どうだったかって?ぼくには十分楽しめました。 「木製の鍵」の制作過程が、まず、この映画の「見どころ」だったと思いましたが、ダニエル・ラドクリフが神経の細い、手先の器用でプラモデル作りが好きそうな、まあ、どっちかというと、今にも壊れそうな男、とても、脱獄なんていうタフな仕事は出来そうにない男をよく演じていたと思いました。 ぼくは、この童顔の主人公がいつ倒れるのか、という一つ目のサスペンスがこの映画を支えていたと思いました。 脱獄を決行する当日になって、脱獄という行為が「アパルトヘイト」という非道に対するプロテストであることが、そのあたりをボンヤリ見ていたぼくにも明確になるのですが、連帯しながらも、尻込みをするデニス・ゴールドバーグを描いたところにぼくは共感しました。 かつて「パピヨン」という、脱獄映画の傑作を見たことがありますが、ぼくには崖の上から跳ぶスティーヴ・マックインよりも、彼の雄姿を見下ろす、ネズミ男、ダスティン・ホフマンの方に感情移入する傾向があります。この映画でも「跳べない人」の姿を、かなり丁寧に描いていたことに好感を持ったわけです。 もちろん、サスペンスのクライマックスは、脱獄を決行する最後の20分でした。「足音」、「息遣い」、「木製の鍵」という要素だけで、「見つかるかもしれない」、「開かないかもしれない」、「折れるかもしれない」という不安が畳みかけてくる気分は、久しぶりにサスペンス気分満喫でした。 とどのつまりは、黒人用タクシーの運転手の「頷き」でホッとさせられて、反アパルトヘイト映画だったことを思い出したのでした。 それにしても、魔法が使えないハリー・ポッター君、今回は、なかなか健闘していたのではないでしょうか。監督 フランシス・アナン原作 ティム・ジェンキン脚本 フランシス・アナン L・H・アダムス撮影 ジェフリー・ホール美術 スコット・バード衣装 マリオット・カー編集 ニック・フェントン音楽 デビッド・ハーシュフェルダーキャストダニエル・ラドクリフ(ティム・ジェンキン)ダニエル・ウェバー(スティーブン・リー)イアン・ハート(デニス・ゴールドバーグ)マーク・レナード・ウィンター(レオナール・フォンティーヌ)2020年・106分・イギリス・オーストラリア合作原題「Escape from Pretoria」2020・11・21・神戸アートヴィレッジ(no11)にほんブログ村にほんブログ村
2020.11.22
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トム・ムーア ロス・スチュアート「ウルフウォーカー」シネリーブル神戸 久しぶりのアベック映画鑑賞会です。チッチキ夫人はお仕事帰り、シマクマ君は一日がかりで、翌日の宿題をこなして、夕方5時からの三宮、シネリーブル神戸でした。 お目当ては「ウルフウォーカー」、アイルランドの「カートゥーン・サルーンCartoon Saloon」というアニメ・スタジオの作品で、アカデミー賞に連続ノミネートされていて、ポスト・ジブリの呼び声もある「ケルト3部作」の第3作だそうです。 まあ、こう書くと分かっているかのようですが、監督も、スタジオ名も、もちろん「ケルト3部作」の残りの作品も知りません。ポスターを見て、「オッ、これは!」 と思って狙いをつけていたのですが、明日が最終日と気付いて、慌ててやって来たにすぎません。 で、見終わって、どうだったか。もちろん納得でした。 アイルランドのキルケニーという町と、その町を取り巻く牧草地、そして、その向こうに広がる森を舞台にしています。時代は中世なのでしょうか、ストーリーを大雑把にいえば、町の少女と森の少女が出会い、仲良しになるお話です。 映画.com まず気に入ったのが「絵」でした。いかがでしょう。この雰囲気、まんま絵本で読みたい感じです。 本当は町を取り巻いている城壁を遠くから見はらしている絵が印象的だったのですが、町の中を描いたこういう絵もとてもいいと思いました。向うに見える、門の外が、「野生」が、まあ、「オオカミ」がといってもいいのでしょうが、跋扈する、外の世界 です。 門の内側の世界で暮らす少女ロビンが洗濯や料理、掃除や水汲みを仕事として働いていて、生まれてからずっとそんなふうに働いてきた女性から叱られ、命じられている世界の描き方が、なんともいえずいいとおもいました。少女はまだ10歳くらいなのですがね。 そして、町の少女ロビンは、この直線で描かれた町の世界から、外の世界の冒険を夢見ています。 町が直線で描かれているのに対して、森は、下のチラシにもありますが、淡く、美しい色と曲線で描かれています。奥へ進んでいくと、とても力づよい渦のように描かれていきます。 森の少女メーヴは、激しく渦を巻き続ける描線の象徴のように自在に飛び跳ね、考える以前に、ひらめく感覚に導かれ、美しい遠吠えでオオカミたちとこころを通わせる、個性的な「野生」の少女 として描かれています。 次に惹きつけられたのは、主人公の二人が、二人とも少女だったことです。ついでにいえば、もう一つ共通するのは、「母」がいない少女ということです。 町の少女ロビンはイギリスからやって来た狩人のおてんば娘ですが母がいません。本当にこころを伝えられるのはハヤブサのマーリンだけです。 森の少女の母は、森の洞窟の奥の神殿のようなところで、眠ったまま目覚めることができません。彼女は狼たちの女王でもあり、いや、それ以上に野生の世界の王というべきかもしれませんが、その母の魂を、森の少女メーヴは、狼たちと探し続けています。 そんな、二人の少女が町と森の出会う場所で出合い、町の少女もまた、アイルランドの伝説の中に、今も生きている「ウルフウォーカー」へと変身するという、夢の様なプロットが、まずを描かれます。 やがて、母のいない町の少女が、「囚われの狼」となっていた友達の「母」を城の中に見つけ出し、「ウルフウォーカー」である自らに宿る「野生」 に突き動かされるように護国卿との戦いに挑み、最後は森の少女と力を合わせて母を救うというのがストーリーなのですが、共に戦ったのが少女二人であったという所に、いたく、納得しました。 ちょっと説明しがたいのですが、少女二人であって、少年と少女ではないというこの映画の設定は、とても興味深いと感じ入ったのでした。監督 トム・ムーア ロス・スチュアート脚本 ウィル・コリンズ音楽 ブリュノ・クーレ KiLa オーロラ声優オナー・ニーフシー(ロビン)エバ・ウィッテカー(メーヴ)ショーン・ビーン(ビル)マリア・ドナル・ケネディ(モル)サイモン・マクバーニー(護国卿)2020年・103分・アイルランド・ルクセンブルク合作原題「Wolfwalkers」2020・11・11シネリーブルno73にほんブログ村にほんブログ村
2020.11.14
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クリストファー・ノーラン「ダークナイト ライジング」こたつシネマ ちょっと興味を持ち始めると、テレビって何でもやってるんですよね。今日は「ザ・ダークナイト・ライジング」を見てしまいました。 前作の「ジョーカー」クローズ・アップ映画に比べて、どうしても比べてしまいますが、物足りなかったというのが正直な感想です。 なんというか、マッチョで古典的でした。この映画がクリストファー・ノーラン監督のバットマンシリーズの三作目らしいのですが、終わらせるための無理筋をいかに通すかという感じがしました。 バットマンの復活をめぐるおはなしも、悪役ベインとミランダの関係もありがちといえばありがちで、アメコミ的なというよりも、安易なマンガ的動機づくりが物語の展開を支え切れていない印象でした。 特に、神話的なといってもいいかもしれないミランダの出生譚と、ベイン、バットマン三者を結びつけるラーズ・アル・グールの『影の同盟』の物語が、イマイチよくわからない感じがしました。 それでも、最後まで目が離せない展開を支えた功労者がいました。アン・ハサウェイのキャット・ウーマンですね。 映画.com ちょっと付けたし的ではあるのですが、笑えました。ぼくは、映画の中の、こういう色っぽさ結構好きです。まあ、モチロン現実ではありえないんですが。 最後の緊迫したシーンでのキスシーンなんて、「おい、おい、そんなことやってる場合かよ!?」って、もう、笑うしかない感じでしたが、この時、バットマンは「決死隊」だったわけですから、アメリカでは、やっぱりこうなるのでしょうね。 まあ、何はともあれ「世界」は救われて、新しいバットマン候補も現れて、めでたしなんでしょうが、何となく納得できない結末でした。 他のノーラン作品とどこが違うのか、考え込んでしまいそうです。テレビで見ていると、やっぱりこういう見方になるんでしょかね。 監督 クリストファー・ノーラン 製作 エマ・トーマス クリストファー・ノーラン チャールズ・ローベン キャラクター創造 ボブ・ケイン 原案クリストファー・ノーラン デビッド・S・ゴイヤー 脚本 ジョナサン・ノーラン クリストファー・ノーラン 撮影 ウォーリー・フィスター 美術 ネイサン・クロウリー ケビン・カバナー 衣装 リンディ・ヘミング 編集 リー・スミス 音楽 ハンス・ジマー 視覚効果監修 ポール・フランクリン 特殊効果監修 クリス・コーボールド キャスト クリスチャン・ベール(ブルース・ウェイン:バットマン) マイケル・ケイン(アルフレッド) ゲイリー・オールドマン(ジム・ゴードン) アン・ハサウェイ(セリーナ・カイル:キャットウーマン) トム・ハーディ(ベイン) マリオン・コティヤール(ミランダ・テイト) ジョセフ・ゴードン=レビット(ジョン・ブレイク) モーガン・フリーマン(ルーシャス・フォックス) マシュー・モディーン(フォーリー) ベン・メンデルソーン(ダゲット) バーン・ゴーマン(ストライバー) アロン・アブトゥブール(パヴェル博士) ジュノー・テンプル(ジェン) ダニエル・サンジャタ(ジョーンズ大尉) 2012年・165分・G・アメリカ 原題「The Dark Knight Rises」 2020・09・20こたつシネマno4ボタン押してね!ボタン押してね!
2020.09.29
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クリストファー・ノーラン「ザ・ダークナイト」こたつシネマ 映画.comフォトギャラリー ここの所、クリストファー・ノーランという監督のIMAX映画にかぶれています。いつの間にか利用できるようになっていた、「なんとかプライム」に、観てみたいこの監督の番組がありました。 ぼくの感じでは、テレビで「映画」を見ると、筋を追ってしまうというところがあります。なぜそうなるのか、IMAXとかと比べると、はっきりします。画面が小さいからでしょう。我が家のテレビ画像は、前世紀の遺物(?)ですからね。 で、クリストファー・ノーラン「ダークナイト」です。テレビで見ているとは思えないほど、引き込まれました。面白かったですね。 見終わって、ボー然としていると、離れて、ときどき覗き込んでいたチッチキ夫人が言いました。「ジョーカーの映画がやったやろ。」「うん、これで三人目のジョーカーを見たな。」 そうなんです。ぼくにとっては、この映画はジョーカーが主役の映画でしたね。もっとも、ジョーカーを見事に演じているヒース・レジャーという俳優さんが記憶に残ったのかというとそういうわけでもありません。で、今日はいろいろ面白かったのですが、ぼくなりの「比較ジョーカー論」のようなものを書いてみたいと思います。 昔、見たティム・バートン監督の「バットマン」に出ていたジャック・ニコルソンや、一年ほど前に見たトッド・フィリップスの「ジョーカー」のホアキン・フェニクスといった役者たちが、かなりくっきりと印象に残っているのに対して、今回のジョーカーは、今、顔を見てもわからないと思います。 なぜ、ぼくの中で、今回のジョーカーの印象は違うのでしょう。そこに、この映画の面白さがあると思いました。 ぼくにとってジャック・ニコルソンは、初めて見た「チャイナタウン」の探偵役以来、「イージー・ライダー」、「カッコ―の巣の上で」しかり、「シャイニング」しかり、年を取ってからの「恋愛小説家」に至るまで、「狂気の人」 でした。だから、あの映画でニコルソンが演じた「ジョーカー」姿に、こんなものだろうと思いました。 画面に映るニコルソンのジョーカーは始めっから「狂気」なのであって、映画は「狂気」が「悪」を演じる面白さ を映し出していたように思います。 二人目のホアキン・フェニクスのジョーカーには感心しました。精神的な桎梏の世界から、一気に「悪」という「狂気」へと上りつめてゆく演技は見ものでした。 要するに、ニコルソンとフェニクスの二人は「狂気」をいかに演じるかをやっていたように思うのですが、この「ザ・ダークナイト」のジョーカーは、どこか違うと思いました。 この映画のヒース・レジャーという役者は「悪」そのものを純粋に演じる、いいかえれば、「悪」の論理 を演じていればよかったのではないでしょうか。 一番象徴的なのは札束の山を燃やすシーンでした。このシーンはアメ・コミ的な「正義」対「悪」の構図が吹っ飛んでしまった瞬間だと思うのです。それは、ようするに映画が原作から離陸していった瞬間だったと思うのですが、この時にぼくに怖ろしいかったのは、ジョーカーの演技ではなくて、これを脚本に書き込んだノーラン兄弟でした。 ぼくは、「悪」が「重奏低音」のように響き続けているこの映画 でなら、ジョーカーを「かわいらしい少年」にやらせればもっと怖かったんじゃないかと思いました。「悪」が、狂気などというものを必要としなくなった世界ですからね。 「悪」そのものに化身したヒース・レジャーも、中々な演技ったのですが、ぼくにははさほど印象に残りませんでした。多分、映画の論理に揺さぶられてしまっていたからでしょうね。 しかし、この映画が世に出て10年、現実の「悪」は、陳腐な「小悪」の顔をしながら、この映画のジョーカーを模倣し始めているように思うのですが、杞憂でしょうか。 テレビで見た直後、ジョーカーだったヒース・レジャーが、この映画とともに亡くなってしまっていることを知りました。なんだか、映画の中のような話で、ショックでした。 まあ、それにしてもこの監督は見せてくれますね。感心しました。 監督 クリストファー・ノーラン 原案 クリストファー・ノーラン デビッド・S・ゴイヤー 脚本 ジョナサン・ノーラン クリストファー・ノーラン 撮影 ウォーリー・フィスター 美術 ネイサン・クロウリー 編集 リー・スミス 衣装 リンディ・ヘミング 音楽 ハンス・ジマー ジェームズ・ニュートン・ハワード キャスト クリスチャン・ベール(ブルース・ウェイン・バットマン) ヒース・レジャー(ジョーカー) アーロン・エッカート(ハービー・デント検事・トゥーフェイス) マイケル・ケイン(アルフレッド) マギー・ギレンホール(レイチェル・ドーズ) ゲイリー・オールドマン(ゴードン警部補) モーガン・フリーマン(ルーシャス・フォックス) モニーク・ガブリエラ・カーネン(ラミレス) ロン・ディーン(ワーツ) キリアン・マーフィ(スケアクロウ) チン・ハン(ラウ) ネスター・カーボネル(ゴッサム市長) エリック・ロバーツ(マローニ) 2008年・152分・アメリカ 原題「The Dark Knight」 日本初公開:2008年8月9日 2020・09・12こたつシネマno3追記2020・09・17 ここで追記というのも変なのですが、「ダークナイト」で「ノーラン兄弟」が描いて見せた「正義」と「悪」について、「悪」にはたしかに感心しました。しかし、この「悪」に対する「正義」の描き方は、これでよかったのでしょうか。 現実の社会で「正義」だと信じられている「正義」を問い直すことが、この映画では「テーマ」なのかもしれないと、当てずっぽうをかましながら、では、新たな「正義」の可能性はどこにあるのでしょうね。サンデルさんの「新しい正義の話をしよう」とかがウケたことがありますが、そのあたりも含めて、考え始めないとヤバい感じが、この映画を見た後、わだかまっているのですが。 ああ、ホアキン・フェニクスの「ジョーカー」の感想は、ここからどうぞ。 追記 ところで、このブログをご覧いただいた皆様で楽天IDをお持ちの方は、まあ、なくても大丈夫かもですが、ページの一番下の、多分、楽天のイイネボタンを押してみてくださいね。ポイントがたまるんだそうです(笑) ボタン押してね!
2020.09.18
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クリストファー・ノーラン「インターステラー」109シネマズ大阪エキスポシティ 映画.com 2020年の8月のはじめに、初めてIMAX映画を見るために「109シネマズ大阪エキスポシティ」という映画館に来ました。二度目が9月の2日、そして今日で三度目です。 どの映画も監督はクリストファー・ノーランで、「ダンケルク」、「インセプション」、今日が「インターステラー」でした。 先の二回は最上階あたりで見ましたが、今日は、なんと、そのあたりが満席でした。横にずれるかどうかで迷いましたが、観客が結構多そうなので、思い切って下の席を選びました。最前列から5列目の、ほぼ中央の右寄りでした。 覚悟はしていましたが、映画が始まってみると、宇宙船酔い(?)しそうな気分でした。世界そのものが頭の上からのしかかってくる圧力で、体をまっすぐに立てて座っていることができない感じがしたのには驚きました。 幸い、前後左右に誰もいませんでしたから、かなりのんびりした姿勢で見る事が出来ましたが、人間の視覚というのはあやふやなものだと納得しました。 この監督の3本目にして、IMAX効果を最も堪能した映画でした。宇宙空間を飛ぶ話だったのですが、実は宇宙ではなくて、「大波」、「氷の世界」、「砂嵐」の映像が面白かったのが意外でした。 特に壁になって、上から迫ってくる大波のシーンでは、意味もなく体に力が入って疲れました。取り残されたドイル君には申し訳ないですが、シーンが終わって「まあ、可哀そうだけど、仕方がないよ、ぼくは助かったから」と、ちょっと本気で考えてしまいました。もう、実体験アトラクションのノリでしたね。 SFネタとしては「5次元」が出て来て、「ああ、複数の時間か・・・」 という、半分諦めの納得で見ていましたが、書棚のポルターガイストと、娘に残した時計の使い方には感心しました。 とはいうものの、ぼくにとって面白かったのは、主人公の、実に古典的な「生きざま」の「物語」を映画の骨にしていたことですね。 見終わってみるとSFを見た感じがあまりしなかったのが不思議ですが、考えてみれば、故郷の「家族」のもとに必ず帰ってくると約束して旅立ったクーパー君は、べつに、荒野に旅立つカウボーイでもよかったわけで、帰ってきた彼が、旅先に置き去りにした「友達」のためにもう一度旅立つのは当然といえば当然ですよね。 映像のイメージやIMAX的な立体感、スピードは、実に現代的で「新しい」と感じたですが、映画のリアリティを支えているのが「父と子」の、あるいは「家族」や「友情」の「物語」だったことが、続けて見た三つの作品に共通していることを面白いと思いました。 この監督は、ひょっとすると「古典的」な「物語」を、超現代的な映像、小説でいえば「文体」で書き直そうとしているのかもしれませんね。そこには、今までとは違う「何か」が生まれているのかもしれませんが、よくわかりません。 ただ、とても強く惹きつけられたことは確かです。次は、新作「テネット」。楽しみですね 監督 クリストファー・ノーラン 製作 エマ・トーマス クリストファー・ノーラン リンダ・オブスト 脚本 ジョナサン・ノーラン クリストファー・ノーラン 撮影 ホイテ・バン・ホイテマ 美術 ネイサン・クロウリー 衣装 メアリー・ゾフレス 編集 リー・スミス 音楽 ハンス・ジマー 視覚効果監修 ポール・フランクリン キャスト マシュー・マコノヒー(ジョセフ・クーパー元空軍パイロット) マッケンジー・フォイ(クーパーの娘マーフ子供時代) ジェシカ・チャステイン(娘マーフ成人) エレン・バースティン(娘マーフ老女) ケイシー・アフレック(息子トム・クーパー ) ティモシー・シャラメ(トム幼少期) ジョン・リスゴー(クーパーの父ドナルド・クーパー) アン・ハサウェイ(アメリア・ブランド宇宙船クルー) デヴィッド・ジャーシー(ニコライ・ロミリー宇宙船クルー) ウェス・ベントリー(ドイル宇宙船クルー) マイケル・ケイン(ジョン・ブランド教授) ビル・アーウィン(ロボットTARS) マット・デイモン(ヒュー・マン博士) 2014年製作・169分・G・アメリカ 原題「Interstellar」 日本初公開:2014年11月22日 2020・09・10109シネマズ大阪エキスポシティno3追記2020・09・11「ダンケルク」、「インセプション」の感想は題名をクリックしてみてください。にほんブログ村
2020.09.11
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クリストファー・ノーラン「インセプション」109シネマズ大阪エキスポシティ 映画.com 1990年代に登場し、今も活躍していて、40代以上の映画ファンであるなら常識的な映画や俳優、映画監督を知りません。先週観たジョニー・デップもそうですが、監督なら、この人、クリストファー・ノーランなんていう人もそうでしょうね。 この監督の作品は、2020年の7月に大阪万博の跡地にある109シネマズという映画館でIMAX映画「ダンケルク」を、初めて見てはまりました。今日は二度目のIMAX体験で、「インセプション」という10年前の映画と出合ってきました。 万博記念公園の映画館は、やはり遠いですが、この監督のIMAX映画は、やっていたら、とりあえず出かけてみようという気分で出かけました。 大迫力の画面に対して、下方に座ると画面に覆いかぶさってこられそうなので、一番後方、ですから、当然、上方の席で見ました。 渡辺謙が扮する、老いたサイト―とレオナルド・デカプリオのコブという名の男が出会うシーンから始まりました。サイト―のセリフが日本語だったことに「オヤ?」と思いましたが、そこから140分、前半は眠くて困りました。 まあ、夢の話なので、眠くなっても仕方がないと思うのですが、もう一つの理由は「入れ子」式につくられた「夢」の設定の中で、登場人物たちがお互いに役割を語る会話ついていけなかったからだったと思います。 率直に言えば、スクリーンにいる人たちが何をどうしたいのかが腑に落ちてこないので、かなりな迫力で迫ってくる音響や映像にも取り残されたままで、夢見心地だった印象です。 とはいえ、何となく、「ああそういうことか。」という感じはやって来て眠気は去って行きました。 中盤から、ロバート・フィッシャーをターゲットにした展開が一元化して、最後の「オチ」も、なるほどそうですかと納得したところで終わりました。 わかりにくい設定を一気に「わからせる」かのような、映画そのものの伏線の回収は見事だと思いましたが、登場人物たちの「夢」に潜む、たとえばフィシャーにしろコブにしろ、個々に割り当てられた物語は、案外、古典的な印象で、「ダンケルク」のナショナリズムの描き方と似たところがあると思いました。 結果的に、映画が語る多層化している「夢」の構造は、そこそこ理解できたと思いますが、誰の夢なのか? という、いわば「夢」の主体が曖昧だったのではないかという疑問は解けないままでした。 個々の意識の所産であるはずの「夢」を連繋するという発想は、「時代意識」というような言葉で歴史を語る発想に似ているところにとても興味を惹かれましたが、いずれにしても主体のゆくへの問題は残るということでしょうか。 とはいえ、この映画で最も印象に残ったのは「夢」そのものの生成や崩壊の過程の映像でした。IMAXの効果も抜群だと思いました。たとえば、上に貼ったポスターの都市の生成シーンは感動的でしたね。まあ、ぼくの夢では一度も見たことのない夢のようなシーンでした。 ということで、次は「インターステラー」を観ることになりそうですね。 監督 クリストファー・ノーラン 製作 エマ・トーマス クリストファー・ノーラン 製作総指揮 クリス・ブリガム トーマス・タル 共同製作 ジョーダン・ゴールドバーグ 脚本 クリストファー・ノーラン 撮影 ウォーリー・フィスター 美術 ガイ・ヘンドリックス・ディアス 衣装 ジェフリー・カーランド 編集 リー・スミス 音楽 ハンス・ジマー 特殊効果監修 クリス・コーボールド 視覚効果監修 ポール・フランクリン キャスト レオナルド・ディカプリオ(コブ) 渡辺謙(サイトー) ジョセフ・ゴードン=レビット(アーサー) マリオン・コティヤール(モル) エレン・ペイジ(アリアドネ) トム・ハーディ(イームス) キリアン・マーフィ(ロバート・フィッシャー) トム・ベレンジャー(ブラウニング) マイケル・ケイン(マイルズ) ディリープ・ラオ(ユスフ) ルーカス・ハース(ナッシュ) 2010年・148分・アメリカ 原題「Inception」 2020・09・02・109シネマズ大阪エキスポシティno2追記2020・09・05大阪の「猫軍団」が東京の某球団(名前を書くのも腹立たしい)に、やっとのことで勝ち逃げた夜、まあ昨晩のことですが、見ていたテレビで番組欄をいじっていたチッチキ夫人が「インセプション」をやっているのを見つけました。「これちゃうの。このあいだ観てきたやつ。」「ああ、ほんまや、このシーンは半分くらい済んでるな。」「観る?」「ふーん、ちょっと点けといて、もう一度見たいシーンがあるねん。もうすんでんのかな。」 しばらく一緒に見ていましたが、チッチキ夫人が言いました。「わたし、アカンやつやわ。こういうの。」「メンドくさい?あっレオナルドやって。」「ああ、デカプリオのファーストネームね。」 彼女は立ち上がって、向こうに行ってお茶碗を洗い始めました。ぼくはゴロゴロしながら見続けましたが、期待した夢の設計のシーンは、もう終わっていたようです。 テレビ画面とIMAX画面は、確かに違いますね。まあ、当たり前ですが。二度目ということもありますが、IMAX画面は、ようするに、その場での解釈を待ってくれなかったという気がしました。映像で起こっていることが畳みかけてくる印象でしたが、テレビはのんびり進行しています。 例えば、突如現れた雪山のシーンも、要するにそのように設計されていただけなんですよね。そう思うと、最後にコマが回っていますが、デカプリオ自身がその場で回したわけですから、夢ととっても現実ととっても、観ている人にお任せで、解釈は自由なわけです。 途中で、夢を見せている老人が「現実は夢の中にある」といいますが、映画の終わりにその伏線を回収したということなのでしょか。 まあ、ぼくは「夢」の方が面白いと思いますが。 というわけで、結局最後まで見直してしまいましたが、だからと言って良く分かったわけではないところが、この映画のいいところなのでしょうね。 それにしても大阪まで行って観てきた映画を、次の日にゴロゴロしながらテレビで見るというのは、なんかちょっと「不条理」を感じましたね。ボタン押してね!
2020.09.03
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クリストファー・ノーラン「ダンケルク」109シネマズ大阪エキスポシティ 映画.com 今日は最先端(?)らしいIMAX映像を見るために、万博公園にある映画館までやって来ました。映画はクリストファー・ノーランの「ダンケルク」です。 IMAX映画がいかなるものか、クリストファー・ノーランという監督がどんな映画を撮っている人なのか全く知りません。 少しだけ知っているのは、ダンケルクの撤退という歴史についてだけでした。この戦いから4年、ノルマンジーで、連合軍が再上陸するまで、ヨーロッパ大陸にはナチスの風が吹き続けたはずです。 それにしても、まあ、映画館でチケットを購入し、会場に入って驚きました。画面が半端じゃないのです。前方の壁一面がスクリーンでした。 予告編が始まってIMAX初体験です。テロリストに襲われた劇場のシーンがテンポよく展開しますが、異様な気分になりました。「これがIMAXか」と思いながら、ほぼ最上階の席を選んなことを正解だったと思いました。なんというか、画面が大きいだけということではなさそうです。 美術館で展示されいる絵を見るときに額縁に顔を突っ込むようにして見ることがありますが、あんな感じです。絵の場合は筆づかいや、色の重なり、画家が描いているその瞬間の臨場感を味わいたい、そういう見方ですが、このスクリーンは、もっと空間的です。 映画.com そんなことを考えていると本編「ダンケルク」が始まりました。迫真の臨場感と展開のスピードに翻弄され続けて映画は終わりました。これで、立体横揺れ蟻では、とてもではないですが付いていけないと思いましたが、ちょっと試してもいいかなというのが正直な感想でした。 展開の面白さについては多くの人が書いていらっしゃるので端折りますが、映画の始まりから終わりまで、引っ掛かり続けたことがありました。 この「戦争映画」には「今・ここ」しかないという印象のとても強い映画でした。「今・ここ」しかないのが「戦場」であるという「リアル」は映像技術の効果もあって思う存分味わえます。 突如、連射される銃弾、爆撃機は見えないのに降ってくる爆弾、スピット・ファイア―の操縦席、これ以上やると、観客が嫌がるのではないかというくらいの迫力です。たしかに、IMAXはすごい。 しかし、「今・ここ」しかない「戦争」というものはあり得ません。予告なしに、降って湧いたように起こるテロや自然災害の現場と戦争は違うのではないでしょうか。 ましてや、歴史的撤退作戦として記録に残されている「ダンケルク」です。必ず敵がいて味方がいるはずです。政治があって、作戦がある筈なのです。 「ダンケルク」であれば、目の前の大魚を逃してしまいそうなドイツ軍と、国家と政治生命の危機に青ざめているチャーチルの姿を何故映し出さないのでしょう。 歴史的事実として、この海岸に集結した40万の連合軍兵士の、三分の一はフランス兵だったはずです。映画に登場した、たった一人のフランス兵は、なぜ、死ななければならなかったのでしょう。 数万人の兵士がドイツ軍の捕虜になり、フランスが降伏するという結果について、何事とも語られないにもかかわらず、スピット・ファイア―のパイロットは何故あれほど英雄的に描かれていたのでしょう。 たぶん、クリストファー・ノーランという映画監督に意図がそこに在ったからに違いありません。 面白いことに、イギリスの漁港からダンケルクの敗残兵の救出のために出港する「民間」の小型船に乗り組む三人の男を映し出すプロットに答えがあるように思いました。 映画.com 戦死した兵士の父親が船長で、次男である兵士の弟、そして、同じ村の青年が乗り組んでいる小型船が戦場に向かうシーンです。 興味深いのは、この船上のシーンはIMAXの空間的な映像効果がほぼ不必要な印象のシーンだということです。 この小さな民間船は転覆したボートの上で漂流している兵士を救い、ダンケルクから船いっぱいの兵士を輸送して港に帰りつきますが、その間の船上の出来事を丁寧に映し出し、映画全体の、そして、この「戦争」と「戦場」のいわばナレーションの役割を負っていると感じました。 頭上で行われている空中戦は「ロールス・ロイス」対「ベンツ」のエンジンの戦いであること。戦争を始めたのは自分たちの世代であること。戦場の恐怖は、ただ震え続けるだけでなく、味方の若い船員を事故死させてしまうほどの暴力的であること。 そして、老船長は恐怖にかられる兵士と若者たちに向かって、救出に行く理由を語ります。 敵地の浜辺で死に晒されて「震えている息子たち」を救いに行くのは、軍人であろうがなかろうが、「親たち」の当然の仕事だというのです。 このセリフが語っていることは、チャーチルの政治的意図とも、ドイツ軍の作戦とも、なんの関係もない、「今・ここ」で起こっている出来事に出くわした「家族」の論理でした。 ぼくには、衝撃的で、おそらく、この映画を忘れられないものにしたセリフだったと思います。このセリフのリアリティのために、方法としてのIMAXが動員されていたかのようでした。 しかし、手放しで称賛していいのでしょうか。クリストファー・ノーランの「鬼才」が、チャーチルの政治生命を救った歴史的瞬間をドキュメントして見せたことは事実ですが、歴史を知らない多くの観客に、国民総動員、「ナショナリズム」の論理を、ある「正しさ」として刷り込んで見せたことも事実なのではないでしょうか。 この映画が「あと味」として残した、この「正しさ」に対する「イヤな感じ」について考え始めると、この映画の感想はかなり書きづらいものでした。ただ、この監督については、強く惹かれるものを感じたのも事実なのです。当分、追っかけるしかないようですね。 監督 クリストファー・ノーラン 製作 エマ・トーマス クリストファー・ノーラン 製作総指揮 ジェイク・マイヤーズ 脚本 クリストファー・ノーラン 撮影 ホイテ・バン・ホイテマ 美術 ネイサン・クロウリー 衣装 ジェフリー・カーランド 編集 リー・スミス 音楽 ハンス・ジマー 視覚効果監修 アンドリュー・ジャクソン キャスト フィオン・ホワイトヘッド(トミー・英国陸軍二等兵) ハリー・スタイルズ(アレックス・英国高地連隊二等兵) アナイリン・バーナード(ギブソン・無口な兵士、実はフランス兵) ジェームズ・ダーシー(ウィナント陸軍大佐) ケネス・ブラナー(ボルトン海軍中佐) マーク・ライランス(ミスター・ドーソン・民間救助の船長) トム・グリン=カーニー(ピーター・ドーソンの息子) バリー・コーガン(ジョージ・ピーターの友達) キリアン・マーフィ(ドーソンに助けられた英国兵) ジャック・ロウデン(コリンズ・スピットファイア―パイロット) トム・ハーディ(ファリア・・スピットファイア―パイロット) マイケル・ケイン(スピットファイア―隊長・無線通信の声だけ) 2017年・106分・アメリカ原題「Dunkirk」 2020・08・05 109シネマズ大阪エキスポシティIMAXno1ボタン押してね!にほんブログ村
2020.08.23
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マイク・ニューウェル「ガーンジー島の読書会の秘密」パルシネマ パルシネマの二本立てで、一本目が「ジョジョ・ラビット」で、もう一本がマイク・ニューウェル監督の「ガーンジー島の読書会」でした。お目当ては「ジョジョ・ラビット」だったのですが、見終わった結果は、こっちの作品が優勢勝ちでした。 どちらもナチスがらみの映画だということでプログラムが組まれたのでしょうね。「ジョジョ・ラビット」も、悪くはなかったのですが、どちらかというと古典的な作りのこちらの映画に感心しました。 原題が「The Guernsey Literary and Potato Peel Pie Society」で、直訳すれば「ポテトの皮むき読書会」となりそうです。わけが分からないですね。というわけかどうか、とにかく、その読書会に興味を持ったのが駆け出しのライター、リリー・ジェームズ演じるジュリエット・アシュトン嬢です。 で、彼女が探偵役を受け持ち「ポテトの皮むき」の謎を解いてゆく中で、新たな謎が浮かび上がってくるというミステリー映画であり、新たな恋まで生まれる純愛映画でもあるのでした。「エリア随筆」で知られるチャールズ・ラムの「シェークスピア物語」がアシュトン嬢をガーンジー島に呼び寄せる小道具になっているのですが、このあたりから、ぼくにはワクワクする展開でした。 話の筋や、物語の謎に対してというよりも、イギリスの労働者階級の人たちがどんな本をどんなふうに「読書会」するのかという興味ですね。 残念ながら映画全体の展開の中で、読書会は設定に過ぎない面もあるのですが、普通に働いている暮らしている人たちが、「ポテトの皮をむく」ように、日本なら岩波文庫に入っているような随筆や詩のことばを朗読したり、互いの感想のスピーチを聞くという、読書本来の楽しみを素朴にわかちあう様子はキチンと描かれています。 ぼくはその、読書会のシーンや、好みの本を探すためにメンバーのドーシーから、ロンドンのアシュトンに手紙が届けられる経緯に、かの国の文化の分厚さを感じ、うらやましく思いました。 映画の筋とのかかわりでいえば、この読書会のメンバーたちが、会の創設者エリザベスが残して去った、まだ幼い少女キットを共に守りながら暮らしている「自由」の信念は、彼らがともに読んでいるチャールズ・ラムやウィリアム・イェイツの作品の中のことばと、どこかでつながっているとも感じたのでした。 戦時中、ドイツ占領下での小さな隠れた楽しみだった読書会は、ドイツ軍が去ったあとも、「秘密」を守り続け、ひっそりと続けられています。 ナチス・ドイツに占領された唯一のイギリス領である小さな島で、ドイツの兵士との間の危険な恋の結果としてこの世に誕生し、だからこそ、母親を失った少女キットが蔑まれる村社会の描写は、戦勝に沸くイギリスの戦後社会の、ぼくが知らなかった、もう一つ姿でした。 その中で、けなげであどけない少女を演じるフローレンス・キーンのちょっとエキセントリックな演技と、あくまでの少女を守ろうとかたくなに秘密を守り続ける老婦人、ペネロープ・ウィルトン演じるアメリア・モーグリーの姿は心に残りました。 映画の奇妙な題名は探偵アシュトン嬢のガーンジー島調査記録の報告書の題名だったのですが、彼女の恋の行方は映画でお楽しみください。 映画をきっかけに、名前しか知らなかったチャンネル諸島を調べました。フランスのシェルブールという、映画で有名な村の沖合の島々で、フランス領と勘違いしそうなのですが、そういえばイングランドの王様はこの辺りからやって来たのだと思いだした次第でした。島の人はフランス語をしゃべるそうです。映画で見る限り、とても美しい島でしたよ。 監督 マイク・ニューウェル 製作 ポーラ・メイザー マイケル・カプラン グレアム・ブロードベント ピート・チャーニン 原作 メアリー・アン・シェイファー アニー・バロウズ 脚本 ドン・ルース ケビン・フッド トーマス・ベズーチャ 撮影 ザック・ニコルソン 美術 ジェームズ・メリフィールド 衣装 シャーロット・ウォルター 編集 ポール・トシル 音楽 アレクサドラ・ハーウッド キャスト リリー・ジェームズ(ジュリエット・アシュトン) マシュー・グード(編集者:シドニー・スターク) グレン・パウエル(恋人:マーク・レイノルズ) ミキール・ハースマン(読書会メンバー:ドーシー・アダムス) ジェシカ・ブラウン・フィンドレイ(読書会メンバー:エリザベス・マッケンナ) キャサリン・パーキンソン(読書会メンバー:アイソラ・プリビー) トム・コートネイ(読書会メンバー:エベン・ラムジー) ペネロープ・ウィルトン(読書会メンバー:アメリア・モーグリー) キット・コナー (読書会メンバー・少年:イーライ・ラムジー) フローレンス・キーン(少女:キット・マッケンナ) 2018年・124分・フランス・イギリス合作 原題「The Guernsey Literary and Potato Peel Pie Society」 2020・08・03パルシネマno28追記2020・08・12「ジョジョ・ラビット」の感想はこちらからどうぞ。ボタン押してね!にほんブログ村
2020.08.12
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トレバー・ナン「ジョーンの秘密」シネリーブル神戸 予告編を見て即決した映画でした。お目当てはジュディ・デンチです。彼女を初めて見かけたのは007の映画でした。イギリス諜報部Mの親玉という役柄だったでしょうか。つい最近では「シェークスピアの庭」でシェークスピアの妻を演じていて、感心しました。 言い方が偉そうですが、仕事をやめて映画館を徘徊し始めて2年になりますが、漸く顔を覚えて、スクリーンでその姿を追いかけたい俳優さんが何人かでき始めたのですが、その一人がこ映画「ジョーンの秘密」の主人公を演じるジュディ・デンチです。この映画では諜報部M15の取り調べを受けるスパイの役のようです。 落ち着いた住宅のリビングでしょうか、テーブルで新聞に見入っている老女が映し出されます。外務省の役人の死が報じられている記事に関心があるようです。そうこうしていると庭先に誰か来たようです。 怪訝とも、確信ともとれる表情が映し出されます。お目当てのジュディ・デンチです。映画が始まりました。 50年以上昔のスパイ容疑の取り調べが始まります。核兵器開発の研究所の現場にいた、若き日のジョーン・スタンリー(ソフィー・クックソン)の行動を、今や、研究者だった夫に先立たれ、一人で暮らす、老いたジョーンが思い出していきます。隣に付き添うのは弁護士をしている息子のニック(ベン・マイルズ)です。 チラシの写真はスクリーンのジュディ・デンチとは少し違います。スクリーン上の彼女は「老い」を隠そうとはしていません。 次々と暴かれていく若き日の「罪」の前にさらされ、ついには、最愛の息子からも疑いの目を向けられる老婆ジョーンを演じ続けるジュディ・デンチの姿は見ごたえがあります。まあ、女優自信が高齢ではあるんですが、そこが演技なのですね。 物語は、恋愛を餌にしたKGBの罠にからめとられていることを、彼女自身、気付きながら、それでも国家機密を漏洩した理由は何かというところに焦点化されてゆきます。 若き日のスパイ行為を諜報部の捜査員たちは着々と暴いてゆきます。息子ニックの疑惑の眼差しは、次第に冷たく彼女を刺し貫きはじめます。 しかし、彼女はウソをつかねばならないことは何もないとばかりに、恥じることのない自らについて、こう言い放ちます。「あなたは信念に従って生きてるでしょ。私も同じよ。」 ぼくにとって、この映画が語りかけてきた最も心に残った言葉です。「個人」の生き方を支える信念が「国家」の利益に優先する生涯 を生きてきたというのです。 彼女の「信念」が、具体的にどのようなものであったのか、それは映画を見ていただければわかります。その信念への賛否は人それぞれかもしれません。 しかし、ちょっと大げさなことを言いますが、近代社会が「個人」の平等と自由を尊重するために選んだ「国民国家」というシステムが、今、国家の側に大きく傾こうとしています。そういう世相を考える、一本の道筋のようなものをこのセリフは暗示してはいないでしょうか。 映画は、「国家反逆罪」の罪人に対して悪意に満ちた記者たちが集まった会見の場での、老ジョーン・スタンリー夫人のスピーチで幕を閉じます。 ジュディ・デンチの意志的で明瞭なセリフ回しと、「確信」にみちた美しい表情が、そのシーンまでの「困惑」、「絶望」、「苛立ち」そして「老い」の表情を一掃するかのような、耳と目に焼き付くという印象でした。クライマックスには、やはり、ちゃんと化けるのです。 もっとも、そこまでの老婦人ぶりこそ化けていたのかもしれませんが。 演劇的で、女優の長い経験を感じさせ、なんというか、見えを切ってみせたような名場面だったと思います。 若いソフィー・クックソンも、まっすぐな表情の好演でしたが、やはり今日はジュディ・デンチでした(笑)。 監督 トレバー・ナン 製作 デビッド・パーフィット 原作 ジェニー・ルーニー 脚本 リンゼイ・シャピロ 撮影 ザック・ニコルソン 美術 クリスティーナ・カサリ 衣装 シャーロット・ウォルター 編集 クリスティーナ・ヘザーリントン 音楽 ジョージ・フェントン キャスト ジュディ・デンチ(ジョーン・スタンリー) ソフィー・クックソン(若いジョーン・スタンリー) スティーブン・キャンベル・ムーア(マックス・ディヴィス教授) トム・ヒューズ(ロシア人・レオ・ガーリチ) ベン・マイルズ(息子ニック) 2018年・101分・PG12・イギリス原題「Red Joan」 2020・08・07 シネリーブル神戸no62追記2020・08・08「シェイクスピアの庭」の感想はこちらをクリックしてくださいボタン押してね!にほんブログ村no
2020.08.08
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マイケル・エングラー「ダウントン・アビー」パルシネマ 映画.com コロナ騒ぎの渦中、2020年7月のパルシネマの二本立の一本でした。ぼくが知らないだけで、イギリスとかアメリカで放映されている、人気のテレビドラマの映画版で、その方面がお好きな方には有名過ぎる作品だったようです。見たのはマイケル・エングラー監督の「ダウントン・アビー」です。 「ダウントン・アビー」というのは、ヨークシャーという羊とか豚とかで、(犬もいましたか)でしか知らないイングランドの農業地帯にあるカントリー・ハウスの名前なのですね。 「田舎貴族」という言い方がありますが、地方領主ですね。王から爵位をもらって、その土地の領主としてそこに屋敷を構えて暮らしている人たちです。その屋敷のことをカントリー・ハウスと呼ぶようです。 だから、その地域に暮らす人たちには領主であり、領主の屋敷の人たちも偉いわけですが、国全体には王国のヒエラルキーがあるわけですから、カントリー・ハウスに暮らす領主やその一族、使用人たちは、ただの「田舎者」とその家来なわけです。 映画は田園地帯のカントリー・ハウスを俯瞰的に映し出すところから始まります。イギリス映画の特徴なのかどうか、こういうシーンで始まるパターンが多いように感じますが、ぼくは好きです。今回はとくに広壮な建物と緑の芝生の丘が続く自然の風景が印象的です。 王宮から投函された手紙が、郵便自動車で運ばれ、蒸気機関車に引かれた郵便列車で仕分けされ、オートバイに乗った郵便配達員によってダウントン・アビーに届けられます。 実は、この投函された一通の手紙の旅路をカメラが追っていく、その、何の解説もない映像が作り出していく世界に、徐々に浸っていく快感で、ぼくはすっかり満足してしまいました。 おそらく二十世紀初頭の英国です。第一次世界大戦のあとくらいでしょうか。別に、その時代をよく知っているというわけではありません。言葉もファッションもわかりません。 しかし「映画の世界」の「空気」の作り方というのでしょうか、最近の日本の映画やテレビドラマが、杜撰極まりないと感じる「あれ」です。 それに、ナショナルシアター・ライブのような「舞台」では作り出せない、映画ならではの「存在感」、いや、「吸引力」のようなものを見事に映し出しているのです。 物語は、いたってシンプルです。国王夫妻の接待をめぐって「王の家来」と、若い女性当主代理に率いられた「田舎貴族の使用人」との戦いをコメディタッチで描きながら、カントリー・ハウスの相続をめぐって、王妃の随行員である老婦人の口から明かされる若き日の不倫のドラマ、新たな相続権の持ち主である不倫の結果の娘とアイルランド出身の青年とのドライな恋を重ねていきます。 古い時代の空気を堪能させながら、新しい時代の風が「ダウントン・アビー」に吹き込んでいることを鮮やかに描いて幕を閉じる。まあ、見事なものです。 映画.com ぼくにとっては、ここの所、少しづつ顔見知り(?)になりつつある、上の写真のイメルダ・スタウントンやマギー・スミスという贔屓の老女優たちが、このうえなく渋い演技とセリフ回しで映画を引き立てているのも魅力でした。 ゆったりと浸れる、満足できる映画でした。 監督 マイケル・エングラー 製作 ギャレス・ニーム ジュリアン・フェロウズ リズ・トラブリッジ 製作総指揮 ナイジェル・マーチャント ブライアン・パーシバル 原作 ジュリアン・フェロウズ 脚本 ジュリアン・フェロウズ 撮影 ベン・スミサード 美術 ドナル・ウッズ 衣装 アナ・メアリー・スコット・ロビンズ 編集 マーク・デイ 音楽 ジョン・ラン キャスト ヒュー・ボネビル(ロバート・クローリー:グランサム伯爵) ジム・カーター(カーソン) ミシェル・ドッカリー(レディ・メアリー・タルボット) エリザベス・マクガバン(コーラ・クローリー:グランサム伯爵夫人) マギー・スミス(バイオレット・クローリー:先代グランサム伯爵未亡人) イメルダ・スタウントン(モード・バグショー) ペネロープ・ウィルトン(イザベル・マートン)2019年122分・イギリス・アメリカ合作 原題「Downton Abbey」2020・07・24 パルシネマno26ボタン押してね!
2020.07.31
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ケネス・ブラナー「シェイクスピアの庭」シネ・リーブル神戸 4月8日からシネ・リーブル神戸が休館するという情報を4月6日にネット上で知りました。これは一大事です。今週のライン・アップに、なんとしても、この映画は見たいと二重丸をつけていた作品があります。それがケネス・ブラナー監督の「シェイクスピアの庭」です。 新コロちゃん蔓延の世相には申し訳ないのですが、不要不急を絵にかいたような歴史物語です。しかし、ジュディ・デンチ、イアン・マッケランという配役の名前を見てかけつけました。 面白いことに不要不急のお仲間が結構いらっしゃいました。さすがシェークスピアというべきなんでしょうか。 火炎が建物を焼きつくし、男が馬に乗って田舎道を旅しています。誰でも知っているシェークスピアの肖像画が映し出され、「All Is True」という題名が現れました。 見たのが一ケ月前なので、はっきりしない記憶を頼りに書いていますが、「すべて本当のこと」というタイトルに、ちょっと驚きました。グローブ座が焼けた1613年以後に限らず、シェークスピアは謎が多い人だと思っていました。 ぼくが愛読しているハロルド作石が描く「7人のシェークスピア」というマンガも、そのあたりをうまく利用していると思います。 映画は頂点を極めたシェークスピアの最後の3年間を描いた家庭劇ともいうべきストーリーでした。ぶっちゃけて、いってしまうなら、49歳で引退を宣言したシェークスピアが、幼くして死んでしまった息子を悼んで、田舎の広大な自宅に「庭」を作るという、全体の段取りが「わからない」のですから、そっから先の家族のやり取りは、やはり分かったとは言えないでしょうね。 にもかかわらず、この映画は面白かったのです。 二十年間、ほったらかしにされた文盲の妻の、突然、帰宅した、有名過ぎるほど有名で、才能と自信にあふれていたはずの夫に対する態度とその変化のプロセス。 詩において、恋の告白と見まがうほどの言葉を費やした詩人シェークスピアに対して、主人と奴隷の間の「愛」の不可能を思い知らせて去るサウサンプトン伯爵との一夜。 大雑把に言ってしまえば、この二つのプロットが演じられるシーンにぼくは酔い痴れたということです。 まず、失意のシェークスピアを演じているのが、監督でもあるケネス・ブラナーです。彼は、実年令が60歳だそうです。シェークスピアはこのとき49歳だったはずですが、余裕で演じているといっていい様子でした。 一方、妻のアン・シェークスピアを演じるジュディ・デンチは007のM16の長官Mを演じ続けて評判をとった人です。ぼくも最後の作品「スカイ・フォール」でその姿を見た記憶がありますが、85歳です。帰宅した夫との寝室をめぐる葛藤を演じるには、いやーちょっと・・・と思いきや、長年仕えてきた、老女中というイメージを完全に払拭するのは無理だったかもしれませんが、ついに同室を許した夜に、この二人は・・・??と思わせるに十分な演技でした。すごいものです。 もうひとりは、言わずと知れたイアン・マッケラン80歳です。彼はシェークスピアの愛人と噂されるサウサンプトン伯爵役です。マッケラン自身もゲイを公表している人なのですが、シェークスピアとの同性の愛を、どう演じるのか興味津々でしたが、さすがですね。 眼差し、手つき、そしてセリフの自在なあやつり方。舞台で鍛えぬいた俳優の「これが演技だ」とでもいうべき存在感は、英語のワカラナイ半可通をさえうならせるに十分でした。 メイン・ストリーには、あまり言うことはないのです。菊池寛の「父帰る」みたいでした。おにーちゃんとかはいないのですが。 監督 ケネス・ブラナー 製作 ケネス・ブラナー テッド・ガリアーノ テイマー・トーマス 製作総指揮 ローラ・バーウィック ベッカ・コバチック ジュディ・ホフランド マシュー・ジェンキンス 脚本 ベン・エルトン 撮影 ザック・ニコルソン 美術 ジェームズ・メリフィールド 衣装 マイケル・オコナー 編集 ウナ・ニ・ドンガイル 音楽 パトリック・ドイル キャストケネス・ブラナー (ウィリアム・シェイクスピア)ジュディ・デンチ Judi Dench(アン・シェイクスピア)イアン・マッケラン(サウサンプトン伯爵) キャスリン・ワイルダー (ジュディス)リディア・ウィルソン(スザンナ)2018年101分イギリス原題「All Is True」2020・04・07シネ・リーブル神戸no53追記2020・05・29いつの間にか2020年の5月が終わろうとしています。三宮の映画館が再開してこの映画も映画館で観ることができるようになりました。 昨日、我が家のチッチキ夫人はシネ・リーブル神戸に出かけてみてきたようです。なんだかとてもうれしそうにして帰ってきました。「よかった。よかった。英語なんてわからないのに、男の人が掛け合いで詩を朗読して、女の人たちも声に出して読んで…。それを聞いているだけで涙がこぼれるほど幸せ。謎を解いたり解釈を考えたり、そういうのはどうでもいいのよ。ジュディ・デンチの存在感。サイコー。」「ほかの客はいたの?」「二十人はいなかったかもしれないけど、十五人はいたよ。」「スゴイ。満員やん。」「満員なわけないやん。でも商店街は人がおおぜい歩いていた。」もう、50日、繁華街を避けているシマクマ君は遠い異国の出来事を聞くような気分ですが、そろそろ、元気を出して出かける時期なのでしょうか。もう6月になってしまいますねえ。 ボタン押してね!no53
2020.05.06
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サム・メンデス「1917 命をかけた伝令」OSシネマズ・ミント OS系の映画館が苦手です。しかし、流行っている映画はこっちでやっています。そこがむずかしいところですが、先日、ピーター・ジャクソンの「彼らは生きていた」という第一次世界大戦のドキュメンタリー映画をシネ・リーブルで見て、こっちでやっている、この映画が気になりました。サム・メンデス監督の「1917」です。 第一次大戦については、ドイツ側から出征した作家レマルクが「西部戦線異状なし」(新潮文庫)という小説を書いています。この小説の翻訳を読んで感動したのが40年前です。そのころ映画にもなりました。見た記憶だけがあります。それ以来の、久しぶり関心なので、よくわかりませんが、西部戦線というのはドイツからみて西側で、この映画も「彼らは生きていた」も西部戦線での出来事でした。 草原で寝ている二人の兵士がいます。一人がブレイク上等兵、もう一人がスコフィールド上等兵です。 登場人物たちはイギリス軍の軍服を着ています。そこに上官らしき人がやってきて命令を下すシーンから映画は始まりました。 昼寝をしていた二人の若い兵士は長い塹壕を歩いて司令官のもとに連れていかれます。そこで彼らは、ドイツ軍の罠に落ちんととしている最前線へ作戦中止命令を伝える伝令として派遣されます。 ここで面白かったのは、ドイツ軍の意図が「航空写真」で暴かれたことと、司令部から最前線への連絡方法が「電話線」を切られた結果、無線じゃなくて、「人」だったということです。 「飛行機」も「電話」も、第一次大戦の新兵器です。しかし、飛行機から、現地へ直接の連絡はできないし、無線連絡もまだなかったのでしょうか?で、結局、「人間」が危険とたたかうドラマを演じるというわけです。 命令を受けたブレイク上等兵とスコフィールド上等兵が出発します。目標地点はドイツ軍の制圧している地域の約15キロほど向こう側の地点です。刻限は明日の早朝です。遅れれば1600名の兵士がなぶり殺しになる悲劇的作戦が発動されます。 ブレイクには最前線で従軍している兄を救うという動機がありますが、スコフィールドには命令以外の動機はありません。カメラは二人を追い始めます。この執拗に二人を追うカメラワークがこの映画の特徴です。もちろん、見所でもあります。 長い長い塹壕を超え、鉄条網を超え、もぬけの殻になったドイツ軍の長い長い塹壕に潜り込みます。そして、この長い塹壕がこの戦争の特徴です。この戦争は何年にもわたって、対峙したまま塹壕を掘りあうような消耗戦だったのです。 撤退した後の橋や街、農家や家畜がすべて破壊され、殺されているのも、残された塹壕にトラップのように爆薬が仕掛けられているのも、記録にも残されているドイツ軍の作戦です。 見ているぼくは、いつになく冷静です。ピ-ター・ジャクソン監督のフィルムの予習が効いているようです。目の前で走り続けている二人の兵士が遭遇する、目を覆うばかりの危機と悲劇がお芝居に見えてしまうのです。 予想通り、兄を救いたい一心だったブレイクは事故のように戦死し、やる気のなかったスコフィールドが本気になります。一人ぼっちで走り出しスコフィールド上等兵は瓦礫の中で生き延びている赤ん坊と女性を救い、自分自身も九死に一生の危機を潜り抜けて、最後には命令を伝えます。 危険な命令を遂行した英雄は、戦友の兄ブレイク中尉に遺品を渡し、一人、広がる平原を見ながら座り込みます。そして、嫌っていたはずの家族と、おそらくは恋人の写真を取り出すシーンで映画は終わりました。その時、彼は泣きはじめていたと思いました。 ひやひや、ドキドキのシーンは満載です。映画を作っている人の戦争に対する批判の意図も、英雄視される兵士たちの「哀しさ」もよくわかります。 しかし、いつかどこかで見たことがあるという不思議な印象がぬぐえない映画でした。そこがザンネンでした。 劇場が明るくなり、いつにない高校生らしき少年たちの声が聞こえてきます。「この話、実話なん?」「最後に出てたやん、誰かののこした手記かなんかやって。」 聞こえてきた会話に、懐かしさが沸き上がってきました。「いや、これは、やっぱり作り話やで。」 おせっかいで、いいたがりだった、元教員は、さすがに声にはしませんでしたが、そう呟いたのでした。監督 サム・メンデス 製作 サム・メンデス ピッパ・ハリス ジェイン=アン・テングレン カラム・マクドゥガル ブライアン・オリバー 脚本 サム・メンデス クリスティ・ウィルソン=ケアンズ 撮影 ロジャー・ディーキンス 美術 デニス・ガスナー 衣装 ジャクリーン・デュラン デビッド・クロスマン 編集 リー・スミス 音楽 トーマス・ニューマン キャスト ジョージ・マッケイ(スコフィールド上等兵) ディーン=チャールズ・チャップマン(ブレイク上等兵) マーク・ストロング (スミス大尉) アンドリュー・スコット(レスリー中尉) クレア・デュバーク(一人だけ出てくる女性) リチャード・マッデン(ブレイク中尉) コリン・ファース(エリンモア将軍) ベネディクト・カンバーバッチ(マッケンジー大佐) 2019年 119分 イギリス・アメリカ合作 原題「1917」 2020・03・03・OSシネマズno5ボタン押してね!ボタン押してね!西部戦線異状なし改版 (新潮文庫) [ エーリヒ・マリア・レマルク ]
2020.03.07
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ロジャー・メインウッド「エセルとアーネスト ふたりの物語」元町映画館 2019年の12月に「ロング・ウェイ・ノース」というアニメーション映画を元町映画館で見ました。その時に予告編で見た映画が、この映画です。 チラシをご覧ください。主人公の二人「エセルとアーネスト」が一人の少年を中に互いに抱き合っています。アーネストは協同組合の牛乳配達員、エセルはその妻です。少年はやがて成長して、下方の写真の男性、絵本作家のレイモンド・ブリッグスになります。レイモンド・ブリッグスは、1934年の生まれで、今年86歳。我が家では「さむがりやのサンタさん」と「サンタのたのしいなつやすみ」の二冊を「愉快な仲間たち」が子供の頃、読んだと思うのですが、「風が吹くとき」という絵本でとても有名になった人です。 そのブリッグスが、自分自身が65歳を越えた頃、両親の出会いから死までの人生を「エセルとアーネスト」という絵本にしたそうです。 映画は実際に絵を書いているレイモンド・ブリッグス(多分)の仕事場のシーンを映し出します。実写です。影になっていてよく見えませんが、かなり高齢な男性が、紅茶にミルクを足して飲みながらふと、こんなことばをつぶやきます。「こんな、何の変哲もない夫婦の話が、どうして、こんなに評判がいいんだろう?」 それから、彼は仕事机に向かい、机の上の白い紙に、鉛筆で誰かの姿が書きはじめます。だんだん輪郭がアーネストになってゆきます。色がついて、動き出して、アニメーションの「エセルとアーネスト」が始まりました。とりあえず、最初の「うまいもんやな!」です。 ロンドンの街の、漫画風の地図が映し出されて、地図の中で人が動いています。ブリッグスの絵が動いています。 窓を拭くエセルはメイドさんで、自転車で通りかかる青年アーネストに恋をします。それが物語の始まりでした。 結婚、ローン、マイホーム、出産。戦時下の暮らし。戦後の社会。子どもの成長と自立・・・・。 イギリスの労働者階級のごく当たり前の生活がブリッグスの素朴な絵のタッチそのままに、1930年代から半世紀にわたって描かれていました。 庭に花が咲いたことを喜び、自転車のハイキングで二人の夢を語る。幼子を疎開させ、防空壕を掘らなければならない戦時を嘆き、一方で、戦地で息子を死なせた友人を心からいたわる。勝手に学校をやめた息子に絶望し、自家用車を手に入れらる時代に驚く。そして息子夫婦に子どもができないことを寂しく思いながら老いてゆく。 それが「エセルとアーネスト」の「幸せな」人生の姿でした。あの日、窓越しに出会ったことの「よろこび」の淡い光が、二人の生活の上に静かにさし続けているかのようでした。 しかし、光はやがて消えてしまいます。エセルは目の前にいるアーネストを見失い、一人で旅立ちます。エセルに忘れられたアーネストも、やがて、一人ぼっちでこの世を去りました。 「生きる」ということの、途方もない「哀しさ」をブリッグスは描いていると思いました。最後に、痩せさらばえた父の遺体と出会う息子の姿を映し出して映画は終わります。エンディンテーマが流れて、エンドロールが終わっても涙が止まりません。 ぼく自身の年齢が、そう感じさせている面もあるかもしれませんが、傑作でした。監督 ロジャー・メインウッド製作 カミーラ・ディーキン ルース・フィールディング製作総指揮 レイモンド・ブリッグズ ロビー・リトル ジョン・レニー原作 レイモンド・ブリッグズ編集 リチャード・オーバーオール音楽 カール・デイビスエンディング曲 ポール・マッカートニー声優ブレンダ・ブレシン(エセル:妻) ジム・ブロードベント (アーネスト:夫)ルーク・トレッダウェイ(レイモンド・ブリッグズ:二人の息子)2016年94分イギリス・ルクセンブルク合作原題「Ethel & Ernest」2020・03・02元町映画館no35追記2020・03・05 映画の中のエセルの姿を見た帰り道、耕治人という私小説作家の「そうかもしれない」という作品を思い出しました。まあ、ぼくがそう思うだけかもしれませんが傑作だと思います。とても短い作品です。 認知症の妻と癌になった夫という老夫婦の生活が描かれています。病床の夫を車椅子で見舞った妻は、夫を見ても知らん顔をしています。看護婦さんが気を使って「御主人ですよ」と声をかけると、妻は「そうかもしれない」と答えます。 このエピソードが題名になっていますが、この作家は私小説、自分の経験した出来事を作品にしている人です。だから、実話なんですね。エセルのエピソードとそっくりでした。「哀しさ」が共通していると思いました。 この作品は「一条の光・天井から降る哀しい音 」(講談社文芸文庫)という作品集で読めます。表題の二作と、三作セットで読んでみてください。ぼくは辛いので、当分読み直したりしません。 ああ、それから「ロング・ウェイ・ノース」の感想はこちらからどうぞ。追記2020・03・06「そうかもしれない」の、妻と夫との出会いは、記憶違いでした。大学病院に入院中の夫を車椅子で見舞う妻の発言でした。本文も訂正しました。追記2023・02・03「エセルとアーネスト」の感想を修繕しました。そのついでですが、耕治人の「そうかもしれない」の感想はこちらからどうぞ。ボタン押してね!ボタン押してね!一条の光・天井から降る哀しい音【電子書籍】[ 耕治人 ]
2020.03.05
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リドリー・スコット「テルマ&ルイーズ」パルシネマしんこうえん 遠くに赤ハゲの山があって、青空に雲が浮いています。タイトルとかが映し出されますが、背景はストップしているようにみえます。 画面が切り替わって、朝のコーヒー・ショップなのでしょうか、ウエートレスの女性たちが忙しく働いていて、一息ついた女性がどこかに電話します。電話に出た女性が「テルマ」と呼びかけられていて、かけ直すと返事をして電話を切ります。テルマは台所から隣の部屋に向かって急ぐように怒鳴り、出てきた男にコーヒーを差しだします。不機嫌な顔でコーヒーを断った男は「朝から怒鳴るな。」とテルマに文句を言います。 映画が始まりました。今日は金曜日です。見ているのはリドリー・スコットの「テルマ&ルイーズ」です。 独り者のウエートレスがルイーズ。テルマと呼ばれた女性が専業主婦です。二人はこの週末、釣りができる山小屋でバカンスの計画を立てているようです。テルマは夫のことをあれこれ気には掛けているようですが、結局、放ったらかしにして、ルイーズの乗ってきた青い車に、乱雑に荷物を積み込んで出発します。車の車種は、ぼくでも知っています。フォード・サンダーバード、バカでかいオープン・カーです。でも、この車じゃないと駄目だったんですよね、この映画は。 二人の「女」の旅が始まりました。ロード・ムービーですね。ぼくのなかでロード・ムービーというと「イージー・ライダー」とか「真夜中のカウ・ボーイ」、「スケアクロウ」なんかが思い浮かんでしまうのですが、男同士でしたよね。「俺たちに明日はない」や「明日に向かって撃て」だって、ある種、ロード・ムービーだったと思いますが、それぞれ男と女、男二人と女、でした。女性の二人連れは初めてです。まあ、それにしても、思い浮かべる映画が、みんな70年代の映画ですね。 さて、映画ですが、ここから二泊三日(この辺りは、あやふやです)の行程で、二人の女性は一級殺人、強盗、警官に対する暴行、監禁、器物破損、公務執行妨害、スピード違反と、まあ、あれこれ、もう捕まるしかないという身の上に変貌します。 最初のタイトルの山の見える平原をサンダー・バードが走っています。二人の顔がクローズ・アップされて、その美しさが記憶に刻み込まれます。このシーンを見ただけでも、ぼくは満足です。FBIから地元の警察まで総動員の「男たち」に追い詰められていく二人は見ているのが痛々しいほどなのですが、あくまでも爽快で美しいその横顔と、あっと驚く痛快でドキドキの展開から目を離すことができません。 いよいよ、ラストです。予想通り、二人の「女」が乗ったサンダー・バードは、その名にふさわしく、グランド・キャニオンの絶壁からフル・アクセルで空に飛び出しました。 ストップ・モーションで「旅」は終わりました。 見終わって、それにしても何故か「なつかしい」味わいを噛みしめながら、劇場の入り口に立っていらっしゃた支配人のおニーさんに尋ねました。「これって、古い?」「はい、80年代の終わりの、リドリー・スコットですね。」 湊川公園から山手幹線、上沢通にそった歩道を西に歩きながら得心したことが二つありました。 映画の中で、強盗のやり方と生涯最高のセックスを、おバカのテルマに教えて、その代金のように6000ドルの有り金をネコババした、ムショ帰りの男J.D.はブラッド・ピットだったのですが、道理で若いはずでした。見ながら、ひょっとしてとは思っていたのですが、納得です。若き日のブラピ、なかなか見ものですよ。 それに加えてルイーズ役の女優さんスーザン・サランドンに、どこかで見たことがある感じがしていたのですが「ロッキー・ホラー・ショウ」か「イーストウィックの魔女たち」ですね、きっと。 納得の二つ目は、何ともいえないほどキッパリと「破滅」という「自由」に向かってアクセルを踏んだ女性の描き方です。これは、今の映画の描き方ではないと感じて観ていたのですが、やはり80年代の描き方でした。それも「エイリアン」のリドリー・スコットだというのですから、なるほど、「こう描くだろうな」という感じです。 映画が撮られてから30年以上の年月が経っていたのです。こうして歩いている山手幹線沿いから、少し北側に、当時通っていた職場が、今もあります。1995年の震災で町も職場の建物も姿を変えました。それでも、懐かしさは変わりません。 それにしても、空高く飛び出したテルマとルイーズは、あれからどこかに着地したのでしょうか?監督・製作 リドリー・スコット製作 ミミ・ポーク脚本 カーリー・クーリ撮影 エイドリアン・ビドル音楽 ハンス・ジマー主題歌 グレン・フライ「Part Of Me, Part Of You」キャスト スーザン・サランドン(ルイーズ) ジーナ・デイヴィス(テルマ) ハーヴェイ・カイテル(ハル:刑事) マイケル・マドセン(ジミー:ルイーズの恋人) クリストファー・マクドナルド(ダリル:テルマの夫) ブラッド・ピット(J.D.:ヒッチハイカー・強盗)1991年128分アメリカ 原題「Thelma & Louise」2020・02・17パルシネマno23追記2020・02・19「エイリアン」について、フェミニズム映画として解説しているのは内田樹の「映画の構造分析」(文春文庫)です。1980年代のアメリカ映画の分析として、とても面白いのですが、ぼくはこの映画を見て詩人石垣りんの「崖」という詩を思い浮かべました。 何だか見当違いなことを言っているようですが、テルマとルイーズを追いかけて、追い詰めていたのは、すべて「男」でした。「理解者」である刑事もいるにはいたのですが、断固としてアクセルを踏み込むルイーズを追い立てたものは、何だったんでしょう。 この詩を読んでいただければ、ぼくが言いたいことも、わかっていただけるかもしれませんね。 崖 石垣りん戦争の終り、サイパン島の崖の上から次々に身を投げた女たち。美徳やら義理やら体裁やら何やら。火だの男だのに追いつめられて。とばなければならないからとびこんだ。ゆき場のないゆき場所。(崖はいつも女をまっさかさまにする)それがねえまだ一人も海にとどかないのだ。十五年もたつというのにどうしたんだろう。あの、女。 二人は今頃、どのあたりを飛んでいるのでしょうね。 ところで、チッチキ夫人はこの映画を見に行くのでしょうか?観に行くことを勧めていますが、70年ころのロード・ムービーの結末の辛さに出会うのではないかと疑っている彼女は、逡巡しているようです。ぼくは、彼女の感想を楽しみにしていますが・・・。ボタン押してね!映画の構造分析 ハリウッド映画で学べる現代思想 (文春文庫) [ 内田樹 ]
2020.02.20
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ダニー・ボイル「イエスタデイ」パルシネマしんこうえん 2019年の夏ごろ、OS系で公開されていた映画です。すぐに夜の番組になってしまったので、やめた記憶がありましたが、パルシネマが素早く二本立てにしてくれて、さすがと大喜びしていると、愉快な仲間のピーチ姫が言いました。「エド・シーランって知ってる?」「そんな名前、シラン。」「あんまりおもんないね、アンタのそれ。」「なんやねん、知らんもんは知らん。」「あの映画なあ、彼がでてくるというのが見ものやねんで。」 という訳で、そのシラン名前が、何者なのかという課題を抱えてのパルシネマでした。見たのはダニー・ボイル監督の「イエスタデイ」でした。 映画館とかの、こういう人を集める商売の方は、今は大変でしょうね。予想通り、かなりスキスキのパルシネマでした。 なんと、あの、「ビートルズ」が消えてしまった世界で、唯一その曲を知る存在となった1人の、多分、インド系のさえないシンガー・ソングライターと、「ああこの子どこかで見たことがある!」 といきなり思った。気真面目そうな、女子マネージャーの、まあ、荒唐無稽な恋のお話でした。 主人公はヒメーシュ・パテルという、イギリスでは人気の俳優らしくて、お相手の女性は「マンマ・ミーア! ヒア・ウィー・ゴー 」にも出ていたリリー・ジェームズですね。この女性はとても役にあっていて、感じが良いと思いました。その上、劇中に登場する一流ミュージシャン、エド・シーランを本物のエド・シーランが演じていて、実際に歌います。その上、何故か、死んだはずのジョン・レノンが、そっくりさんで登場したりもします。「イギリスの人とかにはウケルんやろうな(笑)」 そんな、一寸冷めた気分で見ていました。ビートルズの曲は「イエスタデイ」から始まって、まあ、いろいろ出てきますが、ぼくには、なんだか、素人カラオケのようで、乗り切れませんでした。 でもね、見終わった感想は悪くないんです。理由は二つあるんですが、一つはエド・シーランという初めてのミュージシャンのアカペラを聴いたことです。いっぱい歌が出てきましたが、だからこそ、このシーンは圧倒的でした。 二つ目は、いろいろあった最後のシーンでビートルズのある曲を子供たちが声を合わせて、大声で歌っているのを聞いたことです。結局、ここで涙がこぼれ落ちてしまいました。というわけで帰宅するとこの会話です。「どうやったん?」「うん、まあまあやな。あんな、最後に子どもらが出て来てある歌を大声で歌うねん。そこでノックアウトや。」「何をうたったん?」「そうやなあ、案外、誰でも知ってるけど、ベスト10とかには入らんかな?」「フール・オン・ザ・ヒル」「アホか、わかるかって言いたいのんか?」 ユー・チューブで聞かせると、大声で歌いだしたチッチキ夫人でした。(答えはこの記事の追記で)監督 ダニー・ボイル製作 ティム・ビーバン エリック・フェルナー マシュー・ジェームズ・ウィルキンソン バーナード・ベリュー リチャード・カーティス ダニー・ボイル 製作総指揮 ニック・エンジェル リー・ブレイジャー ライザ・チェイシン 原案 ジャック・バース リチャード・カーティス 脚本 リチャード・カーティス 撮影 クリストファー・ロス 美術 パトリック・ロルフ 衣装 ライザ・ブレイシー 編集 ジョン・ハリス 音楽 ダニエル・ペンバートン キャスト ヒメーシュ・パテル (ジャック・マリク:主人公・さえないシンガー) リリー・ジェームズ (エリー・アップルトン:ジャックのマネージャー) ジョエル・フライ (ロッキー:ジャックの友人) エド・シーラン(本人:一流ミュージシャン) ケイト・マッキノン (デブラ・ハマー・やりてのマネージャー) ロバート・カーライル (何故か:ジョン・レノン))2019年117分イギリス 原題「Yesterday」2020・02・17パルシネマno22追記2020・02・19 映画「イエスタデイ」で子どもたちが、みんなで歌っていたのはこの曲です。一番だけですが歌詞も載せますね。メロディはどなたもご存知でしょう。「OB LA DI OB LA DA」Desmond has a barrow inthe market place Molly is the singer in a bandDesmond saysto Molly girl I like your faceAnd Molly says this as she takes him by the hand OB LA DI OB LA DA Life goes on bra La La How the life goes on OB LA DI OB LA DA Life goes on bra La La How the life goes on この歌声がエンディングで響いて納得!というわけです。ジャックは学校の先生に逆戻り、エリーとの間に二人のおチビちゃんもいます。いい話じゃないですか。 ぼくが40年以上も前に、最初に買ったビートルズのアルバムが「ホワイトアルバム」なんですが、それに入っていますね。「オブラディ・オブラダ」ってホントは意味のない「呪文」というか、「ひとり言」言葉ですよね、「アブラ・カダブラ」みたいな、そこがまたいいんですよね。ボタン押してね!
2020.02.19
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テリー・ギリアム「テリー・ギリアムのドン・キホーテ」シネリーブル神戸 セルバンテスの「ドン・キホーテ」がネタ、というか原作の映画なのだから、ただでは済まないにちがいない。なにしろテリー・ギリアム監督、構想30年の映画化なのだということだし。 そういう期待でやって来たシネ・リーブルでした。「風車に向かって突進する」おなじみのシーンで映画が始まりました。 映画の映画、物語の物語、おそらく、そうなるしかないだろうと予測した展開なのですが、そこから、映画の映画の映画を、メタ・メタ・フィクションとしてどう展開していくのだろうと、映像にくぎ付けではあったのですが、「スター・ウォーズ」と昨年の「ブラック・クランスマン」で顔を知っていたアダム・ドライバーがCM映画の監督からサンチョ・パンサになったあたりでは、「なんぼなんでも、それは!?」と、ちょっと引いてしまいました。 やがて、村の娘で且つロシアの富豪の情婦とのラブストーリー。さあ、これで、いよいよまとめに入るのかと油断したのですが、さすがにそうは問屋は降ろさないわけで、とどのつまり、原作「ドン・キホーテ」のように、我に返った靴屋のおやじは昇天し、振り出しに戻ったと思わせて、最後のドタバタシーン。 なかな可愛らしいサンチョとドン・キホーテの旅が再び始まって幕ということでした。「なるほど、そう来ますか。」 何しろ、ネタが「ドン・キホーテ」なので、なんとなく予想していた幕切れだったのですがアダム・ドライバー君で「ラ・マンチャの男」は、ますます似合わないなあと思っってしまいました。 納得がいったような、いかなかったような。お色気のお笑いとスペインの風景で十分元は取ったようなものだったのですが、この手のメタ、メタ映画というのはどこかで気持ちが引いてしまうと、バカバカしいだけというか、手の内が見えてしまうという感じがするものだと思うのですが、そういう感じが残りました。 あの「モンティ・パイソン」の監督も79歳になって、30年がかりの企画をついに映画にして見せたわけです。その執念というか、「ドン・キホーテ」という原作の力には拍手ですね。随所に懐かしい型の「笑い」と「お色気」、「瞑想」を誘うような美しい風景が散りばめられていて、どこか懐かしい映画でした。でも、この「なつかしさ」は少し残念でした。 「Lost in La Mancha」というドキュメンタリーがあるそうですが、見てみたいですね。オーソン・ウェルズも映画化を企画したらしいのですが、それもうまくいかなかったそうです。この、スペインの「国民文学(?)」は映画との相性が悪いのでしょうか? 監督 テリー・ギリアム Terry Gilliam 製作 マリエラ・ベスイェフシ ヘラルド・エレーロ エイミー・ギリアム グレゴワール・メラン セバスチャン・デロワ 製作総指揮 アレッサンドラ・ロ・サビオ ジョルジャ・ロ・サビオ ジェレミー・トーマス ピーター・ワトソン ハビエル・ロペス・ブランコ フ ランソワ・トゥウェード 脚本 テリー・ギリアム トニー・グリゾーニ 撮影 ニコラ・ペコリーニ 美術 ベンジャミン・フェルナンデス 衣装 レナ・モッスム 編集 レスリー・ウォーカー テレサ・フォント 音楽 ロケ・バニョスキャスト アダム・ドライバー(トビー:CM映画監督) ジョナサン・プライス(ハビエル:ドン・キホーテ:靴屋) ジョアナ・リベイロ(アンジェリカ村の娘)2018年133分スペイン・ベルギー・フランス・イギリス・ポルトガル合作原題「The Man Who Killed Don Quixote」2020・01・31シネリーブル神戸no42追記2020・02・02セルバンテスの小説の「ドン・キホーテ」(岩波文庫)をこの映画を見た機会に見直しました。その感想はこちら。アダム・ドライバーの出ている映画「ブラック・クランズマン」の感想はこちらから。にほんブログ村【中古】 モンティ・パイソン・アンド・ホーリーグレイル デラックス・コレクターズ・エディション /グレアム・チャップマン,ジョン・クリーズ,テリー・ギリアム(監督)
2020.02.03
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ケン・ローチ「家族を想うとき Sorry We Missed You」シネ・リーブル神戸 30代の半ばから30年間、映画館から遠ざかっていました。それでも記憶に残っている数本の映画があります。たとえば「麦の穂をゆらす風」、ケン・ローチがアイルランドの悲劇を描いた映画でした。 そのケン・ローチの新作がシネ・リーブルにかかっていました。邦題が「家族を想うとき」、原題は「Sorry We Missed You」。直訳すれば「すれちがいばっかりで、ごめんね」とでも訳せるのでしょうか。 チラシには4人家族のスナップ写真が載っています。就職の面接かなにかの会話が聞こえてきて、映画は始まりました。 おそらく四十代でしょうね、妻のアビーは介護福祉の仕事しています。夫のリッキーは、仕事を失っているようで、新しく運送業を始めようとしているところのようです。新しい自動車が必要ですが、お金はありません。アビーが訪問介護で使用している軽自動車が売られて、リッキーの新しい仕事が始まります。夫婦は二人ともまじめに働いています。しかし、朝早くから、夜遅くまでの労働時間は尋常ではありません。仲のよさそうな兄のセブと妹のライザの二人の子供がいます。高校生と、まだ小学生でしょうか。セブは、多感な時期を迎えているようだし、ライザはまだ小学生ですが、二人とも素直ないい子たちです。父親と母親の、子どもたちとの接し方も、温かいし、誠実です。「何か」が失われていきます。 毎日の暮らしに必要な、小さな「何か」ですが、それがなになのか、多分、言葉にすると微妙に間違いそうな「何か」です。家族のそれぞれが、その「何か」を失い、少しづつ「すれ違い」が始まります。あたたかく、しかし、哀切で不安に満ちた世界が、小さな家族の中に少しづつ広がってゆきます。 いつの間にか、水も食料も失って疑心暗鬼になった漂流する難破船の乗組員のようになっていく家族の姿が映し出されてゆきます。 誠実な夫リッキーが身も心も、まさに、満身創痍で破滅の渦としか思えない現実の中に、自ら飛び込み、押し流されていくとでもいうほかないシーンでスクリーンは暗転し、絶望を暗示して映画は終わりました。 暖かい大団円の好きな人は、見ない方がいいかもしれません。そういえば「麦の穂をゆらす風」でもそうでした。あれから10年以上たって、80歳を越えたケン・ローチの現代社会を、そして、そこで生きる人間を映し出す映像の「きびしさ」と「やさしさ」が、この映画を忘れられないものにすると思いました。アビーが介護の現場で出会う老人や障害者の生活と彼女の誠実な態度、リッキーの業務の過酷さ、セブの自己表現である落書き、小さなライザの家族に対する思いやり、丁寧に撮られたシーンの一つ一つが記憶に刻まれたように思います。 しかし、それにしても老監督の「絶望」(いや「怒り」というべきか?)は、半端ではありません。中途半端な、涙を許さないラストシーンは、生ぬるい「カタルシス」を求める、甘さを断罪するかのようでしたよ。 シネ・リーブルを出ると、ルミナリエ最終日の雑踏とスピーカーから流れる交通整理の音に出くわしてしまいました。いつも、映画のあとで一服する喫煙コーナーは封鎖されていて、町の風情が変わっていました。雑踏を逆流して歩きながら、何とも言いようのない、「落ち着かなさ」が沸き上がってきました。 「Sorry We Missed You」は、「ごめん、忘れていたよ、君たちのこと。」って、訳せるんじゃないかって、ふと思いました。監督ケン・ローチ Ken Loach製作レベッカ・オブライエン 製作総指揮 パスカル・コーシュトゥー グレゴリア・ソーラ バンサン・マラバル 脚本ポール・ラバーティ 撮影ロビー・ライアン 美術ファーガス・クレッグ 衣装ジョアンヌ・スレイター 編集ジョナサン・モリス 音楽ジョージ・フェントンキャスト クリス・ヒッチェン(父親 リッキー) デビー・ハニーウッド (母親 アビー) リス・ストーン (高校生の息子 セブ) ケイティ・プロクター (小学生の娘 ライザ・ジェーン) ロス・ブリュースター(運送会社の現場監督 マロニー)2019年・100分・イギリス・フランス・ベルギー合作原題「Sorry We Missed You」2019・12・15シネリーブル神戸no38追記2019・12・23 「Sorry We Missed You」について町山智浩さんがラジオで語っているのを読みました。この言葉は、宅配の人の「不在票」の言葉なんですね。「残念ながら、ご不在でした。」っていうあれを、英語で言うとこうなるそうです。なるほど、納得しますね。それにしても、作品全体を実にシャープに表した題だと思いました。 それにしても、「自己責任」っていう言葉が、何故、はやり始めたのか、どんな世界を作りつつあるのか、ちょっと立ち止まって考えてみる必要があると思いました。麦の穂をゆらす風 プレミアム・エディション [DVD]にほんブログ村にほんブログ村
2019.12.16
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オル・パーカー 「マンマ・ミーア! ヒア・ウィー・ゴー」パルシネマ新公園 フィリダ・ロイドPhyllida Lloyd監督が10年前に撮って、大ヒットした「マンマ・ミーア!」という映画は、ぼくでも知っている。「あほ!」と言われてもしようがないけれど、その映画だとばかり思い込んでいました。 開演時刻には遅刻しているし、新開地大通りを小走りできたので息が切れて苦しいし、「それ、ちょうど予告編ですよ」とモギリのおねーさんに励まされて、這う這うの体で座席に座り込んだ。 スクリーンでは地中海とおぼしき(なんでわかるねん?)、どこかの美しい海岸と、山の上のホテルの遠景シーンが始まっていた。 と思いきや、海岸のシーンは、パンフレットかなにかの表紙だったというふうにシーンが変わって、映画が始まった。こういうのは、なかなか好き。この監督さんは、この手を繰り返して、楽しかったけど、ちょっとくどかった。。「音楽も、ダンスも悪くない、でも、なんか違うな。メリル・ストリープはいつ出てくるんだろう。でも、死んじゃってるみたいやしな。」 この映画が「マンマ・ミーア」の続編、後日談だと気づいたのは、メリル・ストリープが登場する、ほとんどラストのシーンを見ながらだった。「 Here We Go Againなのね。アゲインね、ホント、あほですみません。」 まあ、男前のコリン・ファースには先週に続けて、二度目だったし、脇役のおばさん、おじさんも渋くて面白いし、音楽も懐かしのアバだったし、よかったんじゃないでしょうか。 ただ、登場人物たちがダブルキャスト(今と若い時と)で、誰が誰かわからないのに困った。監督 オル・パーカー Ol Parker キャスト アマンダ・セイフライド(ソフィ) ピアース・ブロスナン(サム) コリン・ファース(ハリー) ステラン・スカルスガルド(ビル) クリスティーン・バランスキー(ターニャ) ジュリー・ウォルターズ(ロージー) ドミニク・クーパー(スカイ) リリー・ジェームズ(若きドナ) アレクサ・デイビーズ(若きロージー) ジョシュ・ディラン(若きビル) ジェレミー・アーバイン(若きサム) ヒュー・スキナー(若きハリー) ジェシカ・キーナン・ウィン(若きターニャ) アンディ・ガルシア(セニョール・シエンフエゴス) シェール(ルビー) メリル・ストリープ(ドナ) 原題 Mamma Mia! Here We Go Again 2018年アメリカ114分 2019/01/24no16追記2019・11・29コリン・ファースの「喜望峰の風に載せて」はこちらをクリックしてね。にほんブログ村にほんブログ村
2019.11.29
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ジェームズ・マーシュ 「喜望峰の風に乗せてThe Mercy」シネリーブル神戸 映画館徘徊、シネリーブル神戸、2019年最初の映画。 この映画館が昔から好きだが、今年の口開け(?)は海洋大パニック、ドキドキ映画という思い込みで、覚悟を決めて座り込んだ。 パニック、ホラー、怪奇、要するに怖い映画は苦手なのだが、ここはまあ、新年だし、波にヨットがひっくり返るくらいなことや、南氷洋で氷河とぶつかるくらいなことはあるだろうけど、青空と大海原が広がるシーンもあるに違いない、とか期待もある。「おっ、珍しくお客さんもいるじゃないか。」 水の中から浮上していってカメラが空をとらえる。始まりは期待どおりだった。しかし、そこからがくだくだしい。「うーん、なかなか海に行かんなあ。大丈夫かな、このおっちゃん。だいたい老けすぎてへんか。」 イギリスを出発してアフリカの南端、喜望峰を回って、オーストラリアの南を通って、アルゼンチンの南端ね、マゼラン海峡とかある、を回って大西洋に戻り、イギリスに帰ってくる。無寄港世界一周するっていうわけ。 海も船も知らないから、全くリアリティにかける観客なのだけれど・・・・。「うーん、喜望峰とか、いったの?すさまじい嵐の海とかあったのか?氷河とか、鯨とかは?この人、世界地図の何処にいたの?全然、海洋アドヴェンチャーちゃうやん。」 というわけで、喜望峰からの風は最後まで吹かなかった。ところが、ぼくは結構参っちゃったんですよね。最初の水中の映像の意味は終わりの頃にわかりますが、印象的なのは、待ち続けていた妻を演じていたレイチェル・ワイズの二つのシーン。 世間から見ればペテン師だった夫。残された家族を興味本位に取材する報道陣に対してドアの前に立ってこんなふうにいう。「昨日までは大げさに称え、今日は愚か者だと笑う。どこに真実があるのでしょう。」 夫が行方を絶った後も、子どもたちを連れて、毎日港に出迎えに行く、その時、娘に向かって言う。「パパが、実際、帰ってくるかどうかじゃないの。待っているかぎり迎えに行くの。」 それぞれの言葉を口にする彼女の表情のすばらしさ。ぼくは、この映画を「おもしろいよ。」といって誰にもすすめない。でも、このシーンはいい。 セリフはうろ覚えだから、いい加減で、ちょっと作っているかもしれないのだけれど、夕暮れの三宮を歩きながら吉田秋生の「海街ダイアリー」の最終巻(第9巻)「行ってくる」を思い出していた。 「行ってくるっていって、帰れないことって、あるよな。」 吉田秋生の「行ってくる」という題の付け方にとても感心して、マンガの内容は端折るけれど、「行ってくる」に対して、「待っている」人や場所がある。マンガはそこがいい。それで覚えているのだけれど、この映画では「待っている」けれど、「帰れない」。 別に、世界一周なんてすごいことじゃなくても、「帰れない」ことは誰にでもあるんじゃないか。「子どもの頃にあった、そういうの。今、思えば、おかーちゃんは待っててくれるんだけど、だから、よけい帰れない。」 原題は「The Mercy」。たぶん「神の慈悲」とか、「許し」とかいう意味だろう。 監督は喜望峰の風に吹かれる海洋スペクタクルなんて撮る気は、はなからなかったに違いない。 「帰れない」男と「待っている」女を撮りたかった。 まあ、そう納得できれば、この映画は心に残る。決してバカバカしい映画じゃなかった。監督 ジェームズ・マーシュ James Marsh 脚本 スコット・Z・バーンズ 撮影 エリック・ゴーティエ 音楽 ヨハン・ヨハンソンキャスト コリン・ファース(ドナルド・クローハースト ) レイチェル・ワイズ(クレア・クローハースト) デビッド・シューリス(ロドニー・ホールワース ) ケン・ストット(スタンリー・ベスト) 2017年 イギリス 101分 原題「The Mercy」2019・01・15・シネリーブル神戸no36追記2019・11・25吉田秋生「海街ダイアリー」の感想はここをクリックしてくださいね。にほんブログ村にほんブログ村
2019.11.25
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マーティン・マクドナー「スリー・ビルボード」パルシネマしんこうえん 学生時代の神戸には、いわゆる名画座と呼ばれる映画館がたくさんありました。この春から映画を観るようになって、神戸の街をうろうろすることが多くなりました。昔、あったはずの映画館がありません。本当は、無くなったことは知っていましたが、確かめてみているようなところがあって、そのたびに空を仰ぎます。「パルシネマしんこうえん」は生き残っている数少ない名画座、千円で2本だてです。 「スリービルボード」と、もう一つ、2本立てに入りましたが、あまりの涼しさに負けて、一本で出てきました。昔のことを思うとなさけないかぎりです。トホホ。 観た映画には堪能しました。主役の女性、フランシス・マクドーマントという人を観ていて、映画俳優にも演技ということがあるのだと、納得したような次第です。ぼくは、カメラマンがいいように撮って、組み合わせると演技になるじゃないか、なんて、いい加減な見方をする人なので、あまり、演技とか意識しないまま見ていることが多いのです。しかし、今日は、彼女に感心しました。 とてもいい女、そんな感じがしましたね。おばはんなのに(いや、失礼!)。 「おばはんやったら何が、どうやねん!」 そういうツッコミは、とりあえずなしということでお願いします。小さなしぐさや目つきに、哀しさとやさしさが漂うようなニュアンスがあって、にもかかわらず、実に闘争的なのです。 「ヤレ!ヤレ!いてもたれ!」 そう掛け声をかけたら(かけてないけど)、実際、やってしまうところも、なかなかよかったですね。 観終わって、つくづく「アメリカ映画やなあ」とため息をつきました。こういうふうな映画が、つまり、どう堂々たる論旨がって、やることはハッチャケている、そいう展開が、ぼくは好きやとつくづく思いました。 まあ、実に、思い込みに満ちた評価ではあるのですが、アメリカ映画をいいなと思う場合、ミュージカルでも、青春物でも、今日のようなシリアス(?)ものでも、どこかに、おおらかな明るさあって、それがいいなと思うわけです。 この映画もアメリカの南部のどこかが舞台なのですが、実にいい加減に、どこにもない街を作り上げていて、ありえないはずのヒロインとヒローが出てくるのです。暗く陰湿で暴力的に見えて、夢の場所が作り出されているという感じでした。 うん、やっぱりアメリカ映画やったというわけです。監督 マーティン・マクドナー Martin McDonagh製作 グレアム・ブロードベント ピーター・チャーニン マーティン・マクドナー 製作総指揮 バーゲン・スワンソン ダーモット・マキヨン ローズ・ガーネット デビッド・コッシ ダニエル・バトセック 脚本 マーティン・マクドナー 撮影 ベン・デイビス 美術 インバル・ワインバーグ 衣装 メリッサ・トス 編集 ジョン・グレゴリー 音楽 カーター・バーウェルキャスト フランシス・マクドーマンド(ミルドレッド) ウッディ・ハレルソン(ウィロビー) サム・ロックウェル (ディクソン) アビー・コーニッシュ (アン) ジョン・ホークス(チャーリー)2017年 116分 イギリス原題「Three Billboards Outside Ebbing, Missouri」配給:20世紀フォックス映画 2018/07/20・パルシネマno13追記2019・08・20 一年前に見た映画で、とてもいい印象だった、それはのはいい。しかし、お気楽に「アメリカ映画」を連呼しているのはいかがなものか。配給こそ「二十世紀フォックス」だけれど、監督のマーティン・マクドナーはイギリスの監督だし、どっちかというとこれはイギリスの映画かもしれない。まあ、おいおい、そういう勉強もしながら…。 ところで、一年たってみると、この映画でプッツンのおまわりさん役だったサム・ロックウェル、まあ、これが何とも言えず良かったんだけど、「バイス」では、アホ丸出しのブッシュ大統領をやっていたし、まじめな方の警官ウッディ・ハレルソンは「記者たち」でやり手の新聞記者だったし、「LBJ」ではジョンソン大統領をやっていたらしい。 ジョンソン大統領の方は気づくのが遅くて見損ねたが、俳優の名前を覚えるとか、まあ、そういう楽しみも、ちょっとわかりかけてきた。 きちんと数えてはいないが、ちょうど百本を越えたくらいだと思うが、弁慶が好きなぼくの目標はまずは1000本。なかなか、先は長い。ボタン押してね!
2019.08.24
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リドリー・スコット 「ゲティ家の身代金 All the Money in the World」 パルシネマ 珍しく、リドリー・スコットという監督の名前は知っていた。英語で書くとSir Ridley Scott。「エイリアン」の人だ。ぼくが学生だった頃観た映画で、シガニー・ウィーバーという女優さんを一躍スターにしたことを覚えている。最近では、内田樹さんが「映画の構造分析」(文春文庫)で取り上げているのを読んで、思いだしなおしていた、あの作品を作った人だ。でもまあ、よく稼いだからか、作品が立派だったからか、いい年だからか、「サー」という称号がつく人になっているんだ。そんなことを考えていたら場内が暗くなった。 我ながら、バカみたいな話だが、この映画を観終わって、内田樹ならどんな風に分析するのだろうというのが最初に浮かんだ。 この監督の傾向のような気もするけれど、誘拐された息子の母親ゲイル役のミシェル・ウィリアムズという女優さんが、どんどん強く、美しくなっていくという展開で、金持ちのジーさんから派遣された、「交渉しないことも交渉だ」とうそぶくネゴシエーターのチェイス(マーク・ウォールバーグ)も最後には味方に付けてしまって、まあ、息子を取り戻したうえに‥・・・というわけで、なるほどねーと感心して観終わったのだが、こういうふうなのはどう解釈するのかな、内田さんならというのが思い浮かんだわけ。どこかで、解説しないかな? おしまいの結末は、少し驚いて、そういうふうに財産は管理するのかと思ったけれど、大金持ちのポール・ゲティがケチだとか、その跡取りはバカな薬中だとか、全体としては「ふーん」という気分なのだけれど、ゲティという金持ちのジーさんが、最後に手に入れた聖母子像が誰の絵だったかわからなくて、それが一番心に残ったようなわけだ。 どなたか見終わって気づいた人は教えていただきたい。見ていて、ああ、あれはだれだって思ったのに、最近固有名詞が、みんな代名詞になってしまうんですよ。 なんか貶しているみたいだけれど、なかなか面白い筋運びで飽きないし、あくまでも金を払い渋る金持ちの「金持ちらしさ」も、人生観のようなものもなかなか良かった。あり得ない話だからバカ馬鹿しいけれど、金持ちになるなら、あんなふうがいい。評判は、悪くなるかもしれないけれど。 それに比べれば、母親ゲイルは、いかにも映画の主人公ふうで、かっこいいのだけれど、どこかステロタイプに見えた。でも、まあ、映画だからね。 ところで、この映画は制作時からスキャンダル山盛りらしくて、なかなか話題に事欠かなかったらしい。 マーク・ウォールバーグという人は、撮り直しで150万ドルのギャラをせしめたのに、ミシェル・ウィリアムズは1000ドルほどだったというのが後でわかって、あまりの落差に大騒ぎになったとか。 まあ、違いが極端すぎますね。しかし、大金を払ってるんだなあ。 その中でも、いったん、撮り終わったのに、金持ちのジーさん役のセクハラが発覚して、もう一度撮りなおしたピンチヒッターがクリストファー・クラマーという80歳を越えた超ジーさん。 なんと、この人って、「サウンド・オブ・ミュージック」(1965年)のトラップ大佐だったんですよね。映画を観る前に知っていたら、大喜びで、笑ってみていたかもしれないが、実際は、何も気づかなかった。 まあ、そんなもんなのだろう。でも、50年、半世紀にわたって映画に出続けてるんだからすごいね。 でも、ヨーロッパの男の人って、あんな顔の人がこんなふうになるんだ。何がすごいかよくわからないけど、すごい。 パルシネマを出ると、もう夕暮れ時で、涼しいし、兵庫駅まで歩きながら、運動不足解消のためにも、垂水から歩こうと思いながら、やっぱりバスに乗ってしまった。金持ちにもなれないし、元気な88歳にもなれそうもないね。監督 リドリー・スコット 製作 ダン・フリードキン ブラッドリー・トーマス クエンティン・カーティス クリス・クラーク リドリー・スコット 原作 ジョン・ピアソン 脚本 デビッド・スカルパ 撮影 ダリウス・ウォルスキー 美術 アーサー・マックス 衣装 ジャンティ・イェーツ 編集 クレア・シンプソン 音楽 ダニエル・ペンバートン キャスト ミシェル・ウィリアムズ(アビゲイル・ハリス:ゲイルとも呼ばれている女主人公) クリストファー・プラマー(ジャン・ポール・ゲティ:大金持ち) マーク・ウォールバーグ(フレッチャー・チェイス:交渉人) ロマン・デュリス(チンクアンタ:誘拐犯)2017年・133分・R15+・アメリカ 原題「All the Money in the World」2018・10・06・パルシネマno11ボタン押してね!
2019.08.20
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ハイファ・アル=マンスール「メアリーの総て」パルシネマしんこうえん ひさしぶりの、「パルシネマしんこうえん」の二本立て。一本目が「ア・ゴースト・ストーリー」、二本目がこれでした。 「フランケンシュタイン」の映画はたくさんありそうですが、これはフランケンシュタインの生みの親、シェリー婦人こと、メアリー・シェリーの伝記映画でした。 昔読んだ「フランケンシュタイン」の文庫本では、作者名はシェリー夫人となっていたと思いますが、最近の新訳では、光文社古典新訳版も角川文庫、早川文庫もみんなメアリー・シェリーとなっているようですね。彼女の夫パーシー・シェリーという人は、19世紀詩ギリスのロマン派の詩人ですが、読んだことはありません。バイロンとかと同時代の人らしいです。 墓場で本を読んでいる少女のシーンから映画は始まりました。でも、まだ少女なんですね、この子。ここから作家になるまでの長い年月、波乱万丈の人生が待っているんだと思いきや、映画は数年間、たぶん2年とちょっとくらい、ラストシーンは少しのちの時代からの回想でしたが、それを見積もっても5年くらいの時間を映し出して終わったのでした。 驚きは、まず、彼女が「フランケンシュタイン」を書いたのは18歳だったことです。 本屋の娘で、継母から冷たくされて、母が眠る墓場で本を読むのが唯一の慰安であった、今でいえば中学生くらいの少女が、妻のいる詩人シェリーと駆け落ちします。 このとき少女は16歳、詩人が21歳。なぜか、義理の妹クレアが、この駆け落ちについてきますが、彼女は、時の人気詩人バイロンの愛人になり、やがて捨てられます。 メアリーはメアリーで、借金と正妻に追われるシェリーととも逃げまわる生活の中で、最初の娘クララを死なせてしまいます。憎悪と絶望で、シェリーの正妻は自殺します。 こう書いていて思うのですが、今でいえば、「たち」の悪いタレント連中に高校生の姉妹で引っかかった不幸の見本のようなお話が続きますが、見終わった後味が悪いわけではありません。 というのは、19世紀初頭のイギリスの社会、町や本屋の様子、男女関係、ロマン派の詩人の描かれ方、これがなかなか面白いのです。加えて、その後200年「ゴシック・ホラーの原点」のように読み継がれてきた、墓場から生まれてくる怪物の話を書いたのが18歳の少女であること。そして、なによりも、そのモチーフが「あっ」と、意表を突くのです。 カエルの死体に、電流を流すと起こる筋肉の反射を「生き返った」と宣伝して人を集める、当時、流行った見世物がヒントになったようですが、この小説は決して空想科学ホラーではなかったのです。なんと、18年生きてきた少女の、破天荒というか、非人間的な生活の自叙伝だったのです。「非人間的」なんて、概念そのものがなかったことが、映画の語っていることでした。 これには参りました。 ハイファ・アル=マンスールという女流監督が、19世紀初頭のイギリス社会、特に、その時代の女性について焦点を当てた結果、この少女たちを発見したことはさすがだと、感心しました。ついでですが、この映画には「吸血鬼」の登場秘話も出てきます。そのあたりも、面白い人には面白いに違いありません。「ロマン主義」なんて、文学史用語になり果てて、流通していますが、やっぱり一筋縄ではいきませんね。 監督 ハイファ・アル=マンスール Haifaa Al-Mansour 製作 エイミー・ベアー アラン・モロニー ルース・コーディ 製作総指揮 ジョハンナ・ホーガン キャスト エル・ファニング(メアリー・シェリー) ダグラス・ブース(詩人パーシー・シェリー) スティーブン・ディレイン(父ウィリアム・ゴドウィン) トム・スターリッジ(バイロン卿) ベル・パウリー(義妹クレア・クレアモント) ベン・ハーディ (「吸血鬼」の作者・ジョン・ポリドリ) 原題「Mary Shelley」2017年 イギリス・ルクセンブルク・アメリカ合作 121分 2019・06・28・パルシネマno9にほんブログ村フランケンシュタイン (光文社古典新訳文庫) [ メアリ・ウルストンクラフト・シェリー ]レゴ 8804 ミニフィギュア シリーズ4(フランケンシュタイン) LEGO
2019.08.12
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リリ・フィニー・ザナック「エリック・クラプトン~12小節の人生~」シネ・リーブル神戸 ジミー・ヘンドリックスをネタにしたマンガ「シオリ・エクスペリエンス」の感想の時に書いたような気がしますが、ヤードバーズ、ブルースブレイカーズ、クリーム、デレク・アンド・ザ・ドミノスの時代のエリック・クラプトンは、ステレオ装置もレコードもなくて、カセットテープで聴く以外に何の手立てもない、実は聞いたこともない三大ギタリストの名を知ったかぶって口にしていた日本の田舎の高校生にとっては伝説でした。 そのクラプトンの伝記映画、それもドキュメンタリーで実物が映っています。 まあ、みに行くわな! そんな感じで、勇んでシネ・リーブルにやってくると大ホール上映でした。「クイーン」の映画がはじけているという評判なので、ちょっとビビりました。ええー、客がいるのかあ?騒ぐのかあ? 心配の必要はありませんでした。拍子抜けするくらいお客はいませんでした。前から5列目ぐらいの中央に座って、誰にも邪魔されず観終えることが出来たというわけです。「ERIC CLAPTON : LIFE IN 12 BARS」が始まりました。ただのミーハーのファンで、ただ、ただ、CDやユーチューブでおんなじ曲と40年のお付き合いです。 ああ、レイラや! そういって聴いていればうれしいだけの老人にとっては、知らないエピソードが山盛りでした。 ホント、ベンキョ―になります! でも、ジミー・ヘンドリックスとか、デュアン・オールマンとか、演奏したり、しゃべっったりしているフィルムは、やっぱり、ワクワクしてカンドー的でした。 ジョージ・ハリスンが、クラーイ顔でパティと連れ立って帰っていきよるけど、このシーンとか、だれが撮っとったんやろ? B・B・キングが大観衆を前にしてクラプトンに語りかけています。『俺は永遠に生きる。でも。おまえは、永遠より一日だけ長生きしてくれ。お前のいない世界にいるなんて、俺には想像できない。』チョー、カッコエエヤン! クラプトンのドラッグと酒との苦闘のフィルムの後に、そのシーンが来て、ぐっと来ました。大きい画面の本物のB・B・キングとか、ちょっと夢みたいです。あのー、映画館の人、この曲、もうちょっと、大きい音になりまへんか。で、もうちょっと続けて見せてくれまへんか!?(笑) 映画は、格別、ノリノリっていうわけではありませんでした。どちらかというと地味な作品でした。ほかの誰かにお勧めする気もありません。最後は病み上がりでやつれ太りしていたクラプトンでした。それがよかったのです。 レコードプレイヤー、いや、ターンテーブルというべきでしょうか、そういうものを何にも持っていなかった十代の終わりの頃のことが、いろいろ思いうかぶのでした。クラプトンを始めて聞かせてくれたのは同級生だったとか、そんなことです。 三宮から神戸駅まで歩きました。元町商店街を歩いていると「Tears In Heaven」が浮かんできて、いい気分でした。 やっぱ、クラプトンはかっこええわ(笑)。監督:リリ・フィニー・ザナック 出演ミュージシャン:エリック・クラプトン、B.B.キング、ジョージ・ハリスン、パティ・ボイド、ジミ・ヘンドリックス、ロジャー・ウォーターズ、ボブ・ディラン、ザ・ローリング・ストーンズ、ザ・ビートルズ etc. 2017年 イギリス 135分 原題:ERIC CLAPTON : LIFE IN 12 BARS2018・11・28・シネリーブル神戸(no19)ボタン押してね!エリック・クラプトン自叙伝 [ エリック・クラプトン ]
2019.07.26
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ベネディクト・エルリングソン 「たちあがる女」シネリーブル神戸 連休に出かけることを嫌がっていると、いつも出掛けるどの映画館もプログラムが一週間トンでしまって、これは好きかもと思っていた映画がみんな終わってしまう。「ああ、終わってまうやん。しゃあないなあ、出かけるか。よし、いくぞ!」 漸く重い腰を上げて、立ち上がるゴジラ老人。たどり着いたシネリーブル神戸。 いきなり、ここはアイスランド! という風景が広がる。全く樹木のない平原。草原ですらない。鉄塔だけが人工物で、送電線が空にくっきりと線を引いて、ずっと向うまで区切っているように見える。 女が青空に向けて矢を放つと、送電線に火花が散って、矢が落ちてくる。騒ぎが始まる。 なぜか女のそばにはいつも楽隊がいる。ピアノ。ドラム、ラッパの三人組だ。その上、彼女は町のコーラスの先生らしい。そういうわけで、映画には、地味だがなかなかな音楽がずっと流れている。それがこの映画の雰囲気というかムードを作っていて、悪くない工夫その一。 騒いでいるのは、電気を止められたアルミニューム工場の工員。なんと中国資本と提携している資本家。開発至上主義・成長経済至上主義の政治家。アホメディア。最後はテロのせいで物価が上がると信じる市民。 この辺はグローバリズムや拝金主義、マスメディアの誘導するおバカ社会も描かれているというわけで今風です。 女は50歳になろうかという独身のおばさんだが、実に元気。歌は歌うし、泳ぐは走るは、自転車も自在で車も平気。その上、できれば、母親になりたいと思っている。「元気ですな。そうか、子供を育てたいんや。」 そこにウクライナから両親を失ったの少女の母になる話が舞い込んでくる。ウクライナの孤児の母になる女がひるむわけにいかない。母になる前に決定的な勝負に出る。ビラを撒き、とうとう、爆薬まで用意する。「おいおい大丈夫かいな。そんな覆面通用せんやろ。そんなん、すぐ捕まるで(笑)。」 ところがどっこい、みごとに鉄塔を爆破。こうなると、政府、警察はもちろん、CIAまで頑張り始める。追いかけてくるのはヘリコプター、今評判の無人自動運転ドローンとかいう飛び道具。 熱感知レーダー搭載の最新型ドローンがいきなり襲い掛かってくる。ここが実力の見せ場とばかり、女がドローンを弓矢で撃ち落とすシーンはなかなか痛快だ。 まあ、あれや、これや、007もかくやという逃避行の末‥‥。基本、ご都合主義なのだが、そのコミカルな雰囲気の中で、女が大奮闘するアンバランスが二つ目の工夫かな。 圧倒的包囲網の中で彼女を助ける人もいる。荒野の羊飼いのおやじ、そのうえ、なんと、双子の姉(ちょっとご都合主義かもしれない)、政府中枢に勤める彼氏(まあ、これも、ちょっとねえ?)。そうはいっても、羊飼いのおやじとムクムクした犬、なかなかいい。 いろいろあって、結局、囚われの身となるのだが、今度はなんと脱走。「うん、ちょっと無理ありまんな(笑)。前近代の警察でんがな。でも、まあ、ここで終わるわけにはいきまへんわな。」 警察から逃げ出して、やってきたのは、ウクライナ。飛行機を降りると、いきなり発電所が見えて(やっぱり!これは予想してた。)、それから少女のもとへ。少女があどけないのがまたいい。「さて、これからどうしまんの?」 そう思ってみていると・・・・。 洪水で水浸しになっている道路を女と少女を乗せたバスはどんどん進んで行く。もう、これ以上という所で、運転手がギブアップ。女は少女を抱っこしてバスを降りる。二人は水があふれる道路を渡っていく。映画が終わる、この最後のシーンにアゼン! アイスランドのツンドラ平原。送電線。鉄塔。弓矢。火花。羊の皮。羊飼い。氷の洞窟。チェルノブイリ。洪水。・・・・。「なんか、怪しげやな。アッそうか。これは環境保護テロの英雄譚とはちゃうな。あの女の人は、原子力の火に焼かれて、箱舟も失った人類の救い主いうわけや。そんで「たちあがった女」の受難の神話やできっと。最後のあのシーンがカギなんや。ホンマかいな?ヨーロッパの人が思いつきそうな話やな。」「まあ、何はともあれ歩いて帰ろう。結構ええ天気やし。そうや、大丸の裏から神戸まで行ってみよ。あの女の人も、泳いだり走ったり頑張ってたしな。」 監督・脚本 ベネディクト・エルリングソン 製作 マリアンヌ・スロ ベネディクト・エルリングソン カリネ・ルブラン キャスト ハルドラ・ゲイルハルズデッティル(一人二役:ハットラ・アウサ ) ヨハン・シグルズアルソン(羊飼いズヴェインビヨルン ) ヨルンドゥル・ラグナルソン(はた迷惑バルドヴィン) マルガリータ・ヒルスカ(ウクライナの少女ニーカ) ビヨルン・トールズ(首相) 原題「Woman at war」2018年 アイスランド・フランス・ウクライナ合作 101分 2019・05・18シネリーブル神戸(no4)追記2019・10・31 秋になって、パルシネマが上映している。なんかうれしい。不思議な明るさが印象的な映画。やっぱ、ラストシーンはびっくりすると思いますね。ボタン押してネ!にほんブログ村にほんブログ村
2019.05.15
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リチャード・ロンクレイン「輝ける人生 Finding Your Feet」パルシネマ新公園 上空から高級住宅地が映し出されて、これが、まあ、「イギリスの田舎ってのはこういうもんなのか」と感心するしかないような立派な家々で、その中の一軒にカメラは着地する。サーの称号だか、レディの呼び名だかのお祝いをしている御屋敷の中に入って行って映画が始まりました。 金壺眼、カナツボマナコですね。そういういい方があったと思うのですが、意地の悪い、気の小さな、奥目の顔だちの表情をいうと思いますが、もちろん誉め言葉ではないわけですが、そんな顔の女性がにこやかに客に挨拶をしています。 「あっ、この人知ってる。」 「イメルダ・スタウントン、たしか、ナショナル・シアター・ライブの『フォリーズ』で主役のサリーをやってた人だ。」 そう思ってみていると、この映画も、やっぱり、決め所はダンスでし。ジジ、ババが集まってダンスを習っています。劇中のサンドラ(イメルダ・スタウントン)じゃないけれど、ぼく自身は120%参加する可能性はないと思ってはいるのですが、こういうシーンは嫌いじゃないんです。 で、映画のストーリーですが、勲章だかをもらって喜んでいる夫の長年にわたる浮気が発覚するのですね。それで、怒り狂った妻サンドラが逃げ込んだのは姉のビフ(セリア・イムリー)のアパートというわけです。 彼女の周囲には、認知症の妻のために財産を使い果たしたチャーリー(ティモシー・スポール)。結婚を繰り返しながら、ついには一人暮らしのジャッキー(ジョアンナ・ラムレー)。先立たれた妻のことを思い出すとウツになって泣き始めてしまうテッド(デヴィッド・ヘイマン)。姉のビフ自身も、引っ張り込んだオールド・ボーイフレンドに腹上どころか、上着を脱いだところで突然死されるし、問題老人勢ぞろい、まさに多士済々の老人軍団で、サンドラ自身もその一員というわけです。。 まあ、そういうみなさんなのですが、楽しくダンスしながら、何とかやっていて、クリスマスにロンドンの路上に繰り出してのチャリティー・ダンス・モブ(?)のシーンなんてのは、もう、サイコー!ですね。 イメルダ・スタウントンという女優さんですが、見掛けからは想像できないけど(ぼくには)、こういう、ダンスの好きなおばちゃんのお芝居が、じつに素敵なんですね。身体は動くし、もう、表情も変わちゃって、何とも言えないムードを醸し出すことが出来る人ですね。 後半の、老人ダンスチームのローマ遠征なんていう展開は、いってみれば、まあ、映画そのものなのですが、だからどうなるのかというと、末期の肺がんが見つかったビフは「ちゃんと跳ぶのよ。」という言葉を残して死んじゃうし、心惹かれるチャーリーに妻がいることを知って怒っちゃうし、元の夫は詫びを入れてくるし、結局、元の木阿弥・・・・? 「なるほど、最後には跳ぶんやな。まあ、跳ばなきゃ映画じゃないけど。跳ぶシーンが、これまたサイコーやな。きっと川に落ちてるはずやけど、跳んだところでストップモーションというところがよろしいね。」 「しかし、老人相手に『見る前に跳べ』ってか?うん?そういえば大江健三郎にそんな題の小説があったよな。あれは、オーデンか?。」 Leap Before You Look W. H. Auden The sense of danger must not disappear: The way is certainly both short and steep, However gradual it looks from here; Look if you like, but you will have to leap. 「ビフは have to leapっていってたのか?なるほど、イギリスは深いなあ。」 家に帰って同居人に尋ねました。 「あのさー、あなたが認知になって、訪ねていったらお皿投げられて、この人誰?っていわれたらどうしたらいいかな?」 「うーん、ありうるわね。」 「えーっ、そうなん。ありゃりゃ・・・。」監督 リチャード・ロンクレインRichard Loncraine 脚本 メグ・レオナルド・ニック・モアクロフト 撮影 ジョン・パルデュー 美術 ジョン・バンカー 衣装 ジル・テイラー 編集 ジョニー・ドークス 音楽 マイケル・J・マケボイキャスト イメルダ・スタウントン(サンドラ) ティモシー・スポール(チャーリー) セリア・イムリー(ビフ) デビッド・ヘイマン(テッド) ジョン・セッションズ(マイク) ジョアンナ・ラムレー(ジャッキー)原題「Finding Your Feet」 2017年 イギリス 114分2019・04・06・パルシネマno1 追記 ところで、このブログをご覧いただいた皆様で楽天IDをお持ちの方は、まあ、なくても大丈夫かもですが、ページの一番下の、多分、楽天のイイネボタンを押してみてくださいね。ポイントがたまるんだそうです(笑) ボタン押してね!にほんブログ村にほんブログ村
2019.04.06
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