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夏至も過ぎ今は梅雨のちょうど中間点、今年は空梅雨とまではいかないが関東地方では水不足が心配されている。そうはいっても6月末である、空は陰気な雲で覆われていることが多く日差しは少ない。雨後の青空とまではゆかないがベランダに出てみると草花には露が輝いている。記事の少ない6月のブログ、小さな水玉に舞台を託すことにする。キャッツテイルの羽毛状の花びらには細かな水滴がべっとり、葉っぱにきれいな水晶の縁取りがあったので撮ろうとしたが他の小枝に触ってしまい露が合体して乱れてしまった。南京ハゼノキの葉っぱにも大小無数の水滴が、雨の直後に青空が来ると水滴に多くの景色を映し明るくキラキラと輝いて見えるが曇り空では白っぽく映るのみである。次の葉っぱは初雪草、この葉には撥水性があるらしくかなり大きな水滴でも球形に近い形をしている。赤い小枝はプランターに植え込んだモミジの小木、葉っぱの上ではなく枝から垂れ下がっている様が美しく、この方が景色をよく映すことが分かった。もう少し玉の中の景色を捉えられればいいのだが何しろコンパクトデジカメでは一眼レフのようには旨くとらえられない。私のカメラではマクロ側で撮ってもこれが限界である。 花の終わったヘメロカリスの葉の上にべっとり溜まった水滴、葉の下にも垂れ下がっている。この葉には撥水性が無いようで葉の上の水滴は楕円形に、そして垂れ下がった滴は比較的周りの景色を映している。
2016.06.29
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昨日マイナンバーカードを受け取りに出かけた。後期高齢者ともなると自分を証明する方法が限られてくる、病気でもないのに保険証の提示を求められたり、時には写真がないので保険証ではダメと言われたりする。それではとパスポートを示すと住所を自分で書き換えられるのでダメと言われたりした。国が戸籍に基ずいて発行するパスポートがこの体たらくである。首実験用に写真付きクレジットカードにしているが公的機関発行でないクレジットカードはまだ信用度が低い。パスポートより電話番号の信頼が厚いのは世界的に見ても少数派だろう。日本政府もなめられたものである。最近では保険証で住所と名前をそしてダブルチェック用にもう一つ何かを求められる。何年か前に住民基本台帳が出来、高い費用を出して写真付き基本台帳カードを作って携帯していたが残念ながらこのカードの知名度はいまいちで、映画館と公園の入場料の割引くらいしか使用実績はない。そこで2月にマイナンバーカードを申請しておいた。ところが何時までたっても発行通知が来ない。4か月も過ぎてしまうとさすがに何か間違いがあったのかと思ってしまい、電話すると申請コードを知らせろとか言ってらちが明かない。あきれているとやっと通知が来た。そこで昨日指定された役所に受け取りに行くと発行まで40分待ちですの由、ひたすら待って前の老夫婦がやっと出てきた。すぐ自分たちが呼ばれると思いきや20分経っても音沙汰なし、問い合わせようと立ち上がると係りが出てきて、今コンピュータが動かないとのたまう。端末の不調なのかネットシステムの不調なのかもわからず、何時回復するかもわからいと言い出した。6月最後の月曜日午前中だったので全国の後期高齢者が殺到したのだろう。待っている人は9割がた我が同輩・後期高齢者であった。医院や銀行もそうだが我が同輩たちはなぜか月曜午前が好きである、このことを忘れていた自分が情けない。 それはそれとして政府はなんと零弱なシステムで制度を始めてしまったのだろう、やるんならちゃんと準備をし職員の訓練もしてから始めてほしかった。東京23区でこの体たらく、地方の村役場でネットに通じた人が養成されているのだろうか。今はまだ限られたサービスを提供するだけなのであまり弊害も目立たないがこんなことでは先が思いやられる。私はまだ全面的に信用するには時期尚早とみて身分証明書くらいしか利用できないサービスだけに有効なコード設定をとどめておいた。税務管理やコンビニでの公式証明書の発行などはまだしばらく区役所か郵便局に足を運ぶほうが良さそうな気がしてきた。数十年前の経験しかないが、アメリカではSocial Security 番号で済んだし、ドイツでは自国民でもパスポートを出して自分を証明していた。昔のヨーロッパのようにすぐ隣の国に行くにもパスポートが必要だった時代はほぼ全員がパスポートを持っていたのでこの習慣ができたのだろう。島国日本では国境を超えるということ自体が稀でパスポート所持者が少なく、国民皆保険のせいで保険証至上主義が出来たのだろう。因みに健康保険制度が無かった時代には都会では米穀通帳が幅を利かせた。農村の住民はどうしたのだろうか、多分顔パスの信頼度が一番高かったのであろう。 6月は色々あってブログが一項もなく、何かと思いながら愚痴の一稿を投じる
2016.06.28
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《旅をする本》のブログを書いている中で北海道に住む荻田泰永さんのことを知った。荻田さんは自分で《北極冒険家》と称して長年北極圏の単独徒歩踏破をしている人で、2010年には単独徒歩で磁北点を踏破している。磁北点とは磁石が示す地球の最北点で、北極点はで地球の自転軸の北点であり北極点とは少し(約100km)ずれている。磁北点では磁石上の東西南北は存在せず、上の地図で赤丸で示したカナダ領のQueen Elizabeth諸島のEllesmere島と北極点の中間くらいに位置し、北極点よりは到達し易い。磁北点は宇宙空間に飛び交う磁力線や地球内部のマグマの動きなどの動きによって常に移動しており、下の地図で見るように複雑な動きをしている。荻田さんは2010年に単独徒歩による磁北点を踏破した後、2012年と2014年に北極点への単独徒歩踏破を目指しているがいずれも途中撤退に終わっている。空輸による補給を受けたりスノーモビルや犬橇を使ったチームでの踏破はいくつか例があるものの単独無補給というのはとてつもない計画である。荻田さんは作戦を変更して180度反対のロシア領からアプローチする計画を立て2016年の実施を計画していた。しかしより多くの資金を必要とするこの計画は資金調達が出来ずに今年は断念している。そこで実施したのが下の図のルートでカナダ最北の村グリスフィヨルド(人口130人)を出て山越えをし、ペンダムフィヨルドを北上してイリーナベイに達しそこからまたスペルドバッフパスの山越えをしてアレクサンドラフィヨルドに達し、スミス海峡を渡ってグリーンランドに渡り、地球最北の村シオラパルクへの1000キロ、50日あまりのの徒歩旅行である。51日間の旅を終えて先月21日に帰国したばかりである。カナダ領最北の村グリスフィヨルドとデンマーク領・シオラパルク村は互いに最近隣の村でありながら二つの村を徒歩で移動した人はなく、荻田さんの単独行は初めての快挙であったらしい。またこの地球で一番北にある人が定住する村のシオラパルクにはなんとそこで猟師をしている大島育雄さんという70歳近い日本人がいる。北極圏を旅する日本人にとっては大きな援助をしてきた人物であり、記録に残る日本人としては一番地球の天辺近くで暮らしている人であろう。今回の荻田さんも旅の終わりに大島さんの家に泊めてもらって2ヶ月間の旅の疲れを癒して帰国したようである。大島さんは度々日本のテレビにも登場しており、有名な日本人のひとりである。1978年にはあの植村直巳さんがEllesmere島の最北端Columbia岬から単独犬橇で極点に到達している。また特筆すべきは1989年に女優の和泉雅子さんが空路補給を受けながらスノーモービルで氷上の極点踏破を果たしている。1988年に私は偶然の機会で彼女の講演を聞いたことがある。前年にあと少しで途中断念し、次に備えて脂肪と資金を蓄えている時期であった。彼女自身は明るくケロっとして「私が北極に行ったのではなく、連れて行ってもらったのです」「私これでも昔は松原智恵子・吉永小百合・和泉雅子の3人で《日活三人娘》と言われ可愛かったんですよ」「でもね北極に往くには出来るだけ脂肪を貯めて寒さに耐え、かつエネルギー源としての脂肪を沢山体内に積み込んでゆくのです」丸い顔と体で笑顔をふりまきながら話していたのを昨日のように思い出す。ネットで画像を調べると、ぶくぶくの耐寒服に身を包んで北極に立つ姿と水着姿のアイドル時代の対比が面白い。北極旅行は皆3-5月にされている。真冬は寒いというだけではなく昼でも陽が射さないのではどうしようもなく、さりとて真夏は極点に氷がないのでまさか泳ぐわけにもいくまい。結局行動時間を長く取れ、氷もしっかりしている春の時期しかないようである。
2016.06.01
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