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私は宣伝にはあまり惑わされない方なのでネット上でもあまり広告を気にせず、敢えて広告を排除したりもしていない。そんな私でもここ数日間毎日見せられ気になって仕方がなかったのが下の広告写真。ちゃんとクリックすればすぐ氷解したのだが、変なサイトにつながったりすると困るので無視し続けてきた。私の気がおかしかったのだろう、これがデフォルメした裸の人間の前姿と後ろ姿に見えてしまったのだ。思い切ってその画像をクリックしてみるとフロッグレッグとあり、美味しそうな、そして食べやすそうな骨付きフライ料理が並んでいる。よく似た形の手羽付フライが手元に紙リボンをつけて立食パーティーで出る、食べやすいので私も良く手にすることがある。カエルの方はフランス料理でグルヌイユと呼ばれるものでかっての宗主国・植民地の関係でフランス式が主流のベトナム産。カエルもトリフの襟巻をつけて出てくると中世ヨーロッパ貴族のいでたちである。ファルジという料理らしい。これらは大型のアオガエルであるヨーロッパトノサマガエルの足だそうだ。私は小型のトノサマガエルしか見たことが無いがさぞかし立派な姿だろう。日本でかって食用されていたのはウシガエル、本来アメリカ産で食用として日本に移入され、≪食用ガエル≫として養殖したものが野性化し、ウシガエルと呼ばれるようになったらしい。このカエル鳴く声は牛ににいているが通常何匹かで合唱するので夜など迫力があり怖いくらいである。私が育った田舎では夏の夜窓を開けるとずいぶん遠くの沼からこの合唱が聞こえてきた。また食糧難だった戦後、捕獲業者が大きな麻袋をもって夜間に捕まえていた。子供心にカエルを食べるなんて蛇みたいだと思ったことがある。ウシガエルを飲み込んだ蛇を見たこともある。養殖と言っても専用池があったわけではなく各地の沼や河川に放逐したらしい。したがって一気に野生化し広まった。獰猛な食性から現在では有害外来種に指定され、放流の仕方によっては1年以下の懲役、100万円以下の罰金刑が科されるとのこと。因みにアメリカザリガニはこの牛ガエルの餌として移入したものが蔓延したものだそうだ。因みに肉の味は鶏に似ているという、さらにさらにオタマジャクシの握り寿司まで有ったというから日本人の食性も凄まじい。
2016.08.13
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今日は初めての≪山の日≫そう言われてみればほとんど毎年この日は海か山にいた気がする。20年続いてきた我々と息子・孫たちとの家族絆合宿が今年から中止になった。資財を残すよりもよりも一族の絆を培いたいとの願いで毎年正月・春の連休・夏休みに三世代が集う機会を作ってき。しかし今年はこの炎暑の下出かけるのは老人には辛くなってきた。また大学生の上の孫の合宿、そして中の孫娘の受験となり、一族9人の会合が難しくなったことを機に夏の合宿を取りやめることにした。そんな事情で昨年まではそろって祝っていた山の日(8月11日は私の誕生日でもある)も今年は静かに乾杯である。私は生来体が弱く、私を知る多くの人が少々の驚きと喜びで祝ってくれる。60代まで80歳の自分を想像することは論外であった。毎日不調を訴えながらも弱身ゆえに行った来た養生が今日この姿を維持させたのであろう。これからは先のことなど考えずに1日1日を大切に過ごしてゆこうと思っている。本ブログ≪愈々庵気まぐれ日記≫は70歳を機に文字通り気紛れに書き綴ろうと始めた。当初80歳まで続けることを目標にしていた。所期の目的を果たした今となってはさらに続けるべきか再考してみようと思っている。老いてからの多くの営みはややもすると若い世代のお荷物や邪魔になることが多い。若い人の邪魔をしないというのが私の晩年のモットーであるが、ブログの場合見なければ良いわけで大して若い人の足を引っ張ることもあるまい。まさに≪気まぐれ≫にならボケ防止には良い気もする。こんな独り言を言いながら迎えた我が80歳の記念日である。
2016.08.11
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オリンピック憲章には 1)オリンピズムはスポーツを文化、 教育と融合させ、生き方の創造を探求するもの である。 2)ドーピングに対する戦いを主導し、 いかなる形態の競技の不正操作、 および関連する 不正 行為に対抗する行動をとることにより、 クリーンな選手とスポーツの高潔さを保護する。 3)スポーツと選手を政治的または商業的に不適切に利用することに反対する。 4)オリンピック競技大会は、 個人種目または団体種目での選手間の競争であり、 国家間の 競 争ではない。 大会には NOC が選抜し、 IOC から参加登録申請を認められた選手が集う前回のブログでオリンピック憲章と現実のオリンピック大会がいかに乖離しいるかにつき検証した。本ブログでは項目(4)についてさらに考えてみる。この条項を空文化しているのがオリンピック大会そのものである。まずメダル授賞式での国旗掲揚、国歌演奏。これほどナショナリズムを鼓舞しているものはない。メダリストが国旗をまとってグランドを駆けまわる行為は憲章違反の最たるものである。次にメダルの色がいけない、マスコミはなぜか金メダルだけにこだわる。今大会でも何人かの日本人柔道選手が銅メダルに終わり、しかめっ面で「金だけが欲しかったのに」とうそぶく姿は滑稽である。銅メダルは世界三位なのだ。もっと堂々と喜びを表してほしいものだ。競技をするためではなく金だけを取りに来たようでみっともない姿である。 「優勝」「準優勝(二位)」「次準優勝(三位)」で良いではないか。近代オリンピックの父クーベルタン男爵が言ったとされる「オリンピックは参加することに意義がある」の意味を考えてほしい。メダルも大切だが少なくとも競技を戦った外国の仲間を仲間と思える交流を育み楽しんだだろうか。大会後メールを交換する同志・友達は増えただろうか。それこそ巨費を投じて≪平和の祭典≫を開催する意味なのだ。表彰は古代オリンピックに倣って月桂樹の冠が良いが、月桂樹の育たない国もあると思われるので金、銀、銅メッキの冠にすればよい。大体今も金メダルなど無い、あれは「金メッキメダル」で、金は1%も含まれていない鍍金の偽金メダルである。 そこで私の提案:(1)メダルはサイズを小さくして純金、純銀、準銅とする。 オリンピックのメダリストが年を取り、大会後も社会に貢献した場合年金を出しても 良いことにし、褒賞一時金を禁じる。これを貰った場合メダルをはく奪する。(2)国旗掲揚・国歌演奏はやめる。憲章では国旗掲揚・国歌演奏は決まっているのだろうか。 かって東西ドイツや南北朝鮮が統一選手団を送った大会では旗は忘れたが国歌の代わりに ベートーベンの第九交響曲が演奏されたことを思い出す。
2016.08.10
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オリンピック憲章には1)オリンピズムはスポーツを文化、 教育と融合させ、生き方の創造を探求するもの である。2)ドーピングに対する戦いを主導し、 いかなる形態の競技の不正操作、 および関連する 不正 行為に対抗する行動をとることにより、 クリーンな選手とスポーツの高潔さを保護する。3)スポーツと選手を政治的または商業的に不適切に利用することに反対する。4)オリンピック競技大会は、 個人種目または団体種目での選手間の競争であり、 国家間の 競 争ではない。 大会には NOC が選抜し、 IOC から参加登録申請を認められた選手が集う。近頃の大会がこれらのオリンピック憲章の条項に違反することは明らかである。これらはちょうど日本国憲法と国防案件にみられるように高度な法解釈によってのみ肯定できるものであろう。このような拡大解釈はスポーツには馴染まないのではなかろうか。スポーツ競技のルールにこんな超法規的解釈をしていたらゲームは成り立たなくなる。(1)項から考えてみる。 昔よく語られた言葉に「健全な精神は健全な身体に宿る」というのが 有った。私の知人で昔オリンピック委員であった人は「健全な身体も健全な精神に宿る」 と称して教育機関では知育と体育がバランスを保つ重要性を説いていた。 (1)項で唱える「文化と教育の融合」もこれに通じるものがある。 先の私の知人はスポーツ競技が体育の手段になるためには左右対称に使う種目が良いと 力説していた。体の一部だけを酷使する種目ではその部位の故障を誘発するというのだ。 しかしこれはまあ右利きの人と左利きお人が同じ場で戦うということであればいい気がする。 確かに輝かしい記録を達成したイチロウ選手が右バッターだったらあの記録は無理だろう。 彼の場合打ち終わった姿勢は一塁へのスタートの姿勢である。 右打者の場合は逆向きになるので約2歩のハンデキャップがある。(2)項では近年のドーピング問題が重大になってきた。そもそもドーピングで記録を上げると いうことはスポーツが「体育ではなく体劣」の道具になったことを意味している。 今大会ではロシアが一種のスケープゴートとして遇されている気がしないでもない。 この問題は他の多くの国でも問題化すべき事項ではないだろうか。 指定薬物以外なら同様の効果があっても問題にならないという不公平感もある。(3)選手を政治的・商業的に利用してはならないとなるとオリンピック参加選手の何 パーセントが出場資格を有することだろう。 選手に報奨金や年金を贈ったり国威高揚のため利用することを禁じたらオリン ピックそのものが成り立たなくなるかもしれない。 憲章の趣旨の下行われている現代のオリンピックは何なのだろうか。(4)オリンピックは国家間の競争でないというこの条項ほど空しいものはない。 この条項の下昔の植民地・自治領、地域などでも各競技団体の協会が存在してIOCの 承認があればオリンピックに参加できる。このおかげで香港や台湾も常に出場して きたし、リオ大会でもシリアからのの難民団体が選手を送り込んでいる。 その他選手一人で入場式に臨んでいる団体(国)もありほほえましい。 私が子供のころジャマイカとかトリニダッドトバゴな(共に1962年独立)などの 陸上強国(地域)がオリンピックを席巻したものである。
2016.08.09
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リオデジャネイロでのオリンピックゲームが開幕した。マスコミのはしゃぎを横目に無関心を装ってきたがいざ大会が始まって荻野選手が出場する場面を見て感動した一人である。これからの2週間はテレビや新聞はオリンピック一色なのでまた見とれ日本選手への応援を繰り返すことだろう。これを機にオリンピックについて考えてみることにする。1964年東京オリンピックは今でも語り継がれる記憶に残る大会であったらしい。「らしい」というのは私がこの年9月に渡米してその感動を肌で感じていないからだ。アメリカの新聞ではもちろんスポーツ新聞や一般紙のスポーツ欄では大きく報道されていたが、一般紙にとって国連やワシントンの動向がスポーツの祭典よりは重要であり、第一面を飾る記事にはなりえなかった。当時はミスター・アマチュアと呼ばれたブランデージさんがIOC会長(1952-1972)で、選手が企業から支援金を貰ったり、ユニフォームに小さな企業マークが付いているだけで選手は失格になった。少なくともこの時期まではオリンピックはスポーツの大会であった。ところがサマランチ会長(1980-2001)時代になると商業主義に移行し、企業からの賛助金やテレビの放映権を優先するようになった。この時点でオリンピックはスポーツの祭典というよりは商業的興業に変化した。この興行化を招いたのは大会の肥大化とテレビ放映である。テレビ画面を通してスポンサー企業は世界中にCM画面を流すことができるので格好の標的となってしまった。もう一つ決定的なのは衛星放送による電波伝達の発達である。新聞では写真の電送は始まっていたがテレビ映像はテープに収めた映像を航空便で送るのでだいぶ遅れてしまう。これでは臨場感が全く味わえず視聴率は上がらない。現在はテレビ中心で一番放映料が稼げるアメリカのゴールデンタイムに合わせて日程が組まれるため日本時間では午前中の競技がほとんどである。「体育の日」10月10日は東京オリンピックが開かれた日である。過去の統計を見て運動に適した季節で晴れの特定日であるこの日を選んだ。今は夏休みであることが最優先で2020年には8月の東京でマラソンをすると言う。気象予報官(官僚ではないので予報員)は危険報を出して外出するなというこの時期にスポーツ大会を開催するのは人類の健康にとって危機なことは明白。かくして現代のオリンピックは没文化的、健康阻害的商業イベントになり下がったことは否めない。それでも人々は大型化したテレビ画面で大いに楽しんでいる。商業主義の犠牲になった選手諸君は気の毒だが茶の間には大きな娯楽を届けている。やはり選手の団体がIOCに対して競技に適した健全な大会運営を訴えるアピールを出すべき時期に来ているのではないだろうか。オリンピックは6-10月で開催地にふさわしい時期に北半球で夏の大会を南半球で冬の大会を開催する。これを実現するため中小都市でも開催できるように現在の規模を縮小し施設も既存のものを利用するようにすべきである。
2016.08.08
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参議院選挙、東京都知事選挙と続き、梅雨も大降りもなくいつまでも だらだらと続き、締まりのない7月であった。 8月に入り梅雨明け宣言はあったものの、まだ真夏の天気ではない。 そんな中、散水のためベランダに出てみると雲の隙間に沈む太陽が美しい。 ズームアップしてみるとバラの花びらと手すりは黒い影を映して なかなかの怖そうな画像が出来た。 月とも見える太陽の上部の輝きはあっという間に薄雲に覆われた。 その後はあまり変化がなかったが太陽にかかる黒い雲の筋が少し上に移り 太陽が雲の動きよりも早く沈んでゆく様子が見て取れる。 下の画像は太陽というよりは木星に見える。 そろそろ太陽の下端が山の端に掛かりかけた。 これから暫くは夕焼けである。 全天に雲の多かったこの日は陽の光も遠くまでは届かず 夕焼けも西の空にほぼ限られた。 しかし雲の量や天空の位置によって東天から黄金色に染まり だんだんと西空が茜色に染まってゆく様はまさしく天空のショウである。 我が家はちょうど都心と郊外の境目に位置しているので 都心の高層ビルが下層階から影に覆われ始め、 最後は超高層階だけが夕日を浴びてキラキラと輝くことが多い。 これは都心を離れた8階住人の特権とも言うべき時間帯である。
2016.08.02
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今日からブログの制作様式が変わってしまった。機能や容量は増えたのかもしれないが、全く新しいとも思える新方式に馴れるのはあと10日で80歳を迎える老人にとっては厄介なことである。10年前に始めたこのブログは当初フォト蔵から画像を転用していたが、画像縮小が必要なことからここ数年はエディターと直結している「楽天写真館」を利用して写真を挿入していた。今日写真を「楽天写真館」にアップロードしようとしたらその項目が無く、写真がどこに収まるのかかわからない。ただアップロードした写真はそのままブログに乗せられる。また今までまとめてアップロードできていたものが今回からは一枚一枚チェックしながらのアップロードとなる。「楽天写真館」を経なくても良いので楽かと思っていたら、また画像縮小をしなければならなくなった。結局得たものもあるが失ったものも多いということである。何のためのバージョンアップなのか理解できない。さて今回新しいシステムでの第一作はユリのムカゴ。昨日の東京知事選で小池百合子さんが圧倒的勝利を収めた。とっくに花期を終えた我が家のユリはどうなったかとみると葉っぱの根元に見事なむかごをつけている。写真を撮るのも忘れてむしり取ってしまった。下の写真はネット上から拝借した画像をである。私が昨日我が家で見たのもまさしくこの姿であった。 むしり取ったむかごを並べてみると大小があるがなかにはすでに芽を出しているものもある。採取して並べてみるまでムカゴから芽が出るなど想像もしていなかった。そう言えば植え込みのあちこちに下の写真のような葉がにょきにょきと生えてくることがあり抜き去っていたものがこれだと気が付いた。 さらに今年のムカゴが飛んで発芽したと思われるユリの苗まである。今までユリは球根で増えるものとばかり思っていたので、なぜ我が家にユリが増えたのか不思議であったがこれで氷解した。最後にネットで調べると食べられるとあったので(1)電子レンジで加熱、(2)枝豆のように塩ゆで、「3」生食 を試みたがそれぞれ捨てがたい。 (3)は苦みがあり、(1)は蒸したポテト、(2)はやはり枝豆の味がするがいずれにしてもでんぷん質の多い「ユリ根」の味そのものである。
2016.08.01
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